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    「唐入り」朝鮮人奴隷の波乱人生

    征明の足がかりとして秀吉が起こした「文禄・慶長の役」。日本軍も多大な犠牲を余儀なくされたが、戦果を挙げた武将は生け捕りにした朝鮮人を奴隷として連行した。多くは厳しい労役に苦しめられた一方、日本で一定の地位を得た者もいたという。波乱に満ちた朝鮮人奴隷の真実に迫る。

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    「朝鮮出兵」波乱に満ちた生け捕り奴隷の人生

    渡邊大門(歴史学者) 文禄・慶長の役では、多数の朝鮮人が日本に連行あるいは売買された。その事実は、数多くの史料で確認することができる。以下、さまざまな事例を挙げておこう。 朝鮮人が売買された状況は、『朝鮮日々記』という史料で確認できる。『朝鮮日々記』を書いたのは、臼杵城主の太田一吉に仕える医僧で、臼杵・安養寺の僧、慶念である。慶念は慶長の役に従軍し、戦争を記録するとともに、望郷の念などをときに狂歌を交えながら書き綴った。 同史料には慶長2(1597)年6月から同3年2月までが記録されており、朝鮮出兵における悲惨な状況を記した貴重な史料である。豊臣秀吉や諸大名などの権力者でなく、市井の人が朝鮮出兵をどう捉えていたかを示す珍しい内容を含んでいる。 慶長2年11月、日本軍は攻防の拠点とするため、蔚山(ウルサン)に城を築くことになった。このとき大量に動員されたのが、日本から徴発された人々であった。彼らは昼夜を問わず、築城工事に動員され、その疲労は極限に達していた。 動員された日本人は、ときに朝鮮人ゲリラから襲撃を受けることもあり、心休まることがなかったであろう。また、労働をさぼったり、持ち場を逃げ出した者は、首を斬られ辻に晒されたり、首枷(くびかせ)をかけられて焼印をされることもあった。動員された日本人にとっても、朝鮮出兵は悲劇だったのである。 こうした状況下、ついに人買商人の姿が『朝鮮日々記』にあらわれる。次に、書かれている内容を示すことにしよう。 日本からさまざまな商人たちが朝鮮にやって来たが、その中に人商いをする者も来ていた。奥陣のあとをついて歩いて、老若男女を買うと、首に縄を括りつけて一ヵ所に集めた。人買商人は買った朝鮮人を先に追い立て、歩けなくなると後から杖で追い立てて走らせる様子は、さながら阿防羅刹(地獄の鬼)が罪人を攻める様子を思い浮かべる。 人買商人は、常に軍勢の後ろからついていって、日本軍の雑兵から生け捕りにした朝鮮人を二束三文で買いたたいたのであろう。買った朝鮮人には、逃亡しないように首に縄を括りつけ、後ろから追い立てるようにして、彼らを誘導したのである。 その後、朝鮮人奴隷は、港から船で日本へ運ばれ、ある者は日本で転売され、またある者はポルトガルの商人らに転売されたと考えられる。それは、単なる商品にすぎなかった。さながら慶念が言うように、地獄絵図であった。「壬辰倭乱図」(和歌山県立博物館提供) 同様の記述は、『朝鮮日々記』の別の箇所にも見ることができる。慶念は朝鮮人の女性たちが集められ、人買商人に引き渡している様子を狂歌にし、次のように文章を継いでいる。 人買商人はかくの如く奴隷を買い集め、たとえば猿の首に縄を括って歩くように、奴隷に牛馬を引かせたり、荷物を持たせたりして責める様子は、実に痛ましい光景である。 彼ら奴隷は牛馬のように、さまざまな肉体労働に従事させられた。それは、男女の区別もなかったようである。また、『延陵世鑑』という書物がある。同書は延岡藩の侍医を務めた白瀬永年の手になるもので、19世紀に成立したものである。そこにもほぼ同様の記述がある。朝鮮人奴隷は「土産」 高橋勢が往来するごとに、朝鮮から老若男女を問わず、生け捕られて奴隷となった。その数は、何百人いたかわからない。そのような中にも、幸運な女性は妻妾となり、男は主人から許可を得て妻子をもうけ、生活する者があった。長生きした者は、慶安(1648~1652年)、承応(1652~1655年)まで存命で、その子孫は今も多い。 この記録は文禄・慶長の役から300年近く経過して成立したが、内容はおおむね史実として認めてよいであろう。生け捕りされた男女のうち、結婚して家族を持つことができた者は、極めて幸運だったようである。なぜなら、奴隷は家畜に等しい存在だったからである。 朝鮮半島から奴隷を連行したのは、人買商人の専売特許ではない。それは、現地で戦った日本の武将も同じであった。 戦国史家の藤木久志氏は、そうした例の一つとして、薩摩の武将・大島忠泰を取り上げている(『雑兵たちの戦場―中世の傭兵と奴隷狩り―』朝日新聞社)。大島氏は薩摩の名門・高城氏の流れをくむ東郷氏の庶流で、島津氏に従って朝鮮出兵に従軍した。 そのときの様子は、『高麗御供船中日記』、『大嶋久左衛門忠泰高麗道記』、『大嶋久左衛門忠泰従高麗之文写』といった史料に記されている。その中には、忠泰が国許の妻に送った書状がある。以下、内容を解説しておこう。 慶長の役に出陣した忠泰は、約30万という朝鮮軍を相手にして、相当な苦戦を強いられたようである。それでも島津軍は、3万余の敵の首を討ち取った。問題はここからである。忠泰の仲間たちは、殺害した敵の懐から金品を奪ったというのである。まさしく戦利品であった。 しかし、忠泰には恥ずかしさもあったのか、馬を失ったにもかかわらず、敵の死骸から古着すら剥ぎ取れなかったという。それでも武功の証として、倒した敵の鼻を削ぐことは忘れなかったようである。当時、首は持ち運ぶのに不便だったので、代わりに鼻を削いで軍功の証としていた。 問題はそれだけに止まらなかった。忠泰には、角右衛門という家来がいた。ちょうど彼が日本に帰国するので、国許に朝鮮人奴隷を「お土産」として届けたと書状に書いている。奴隷は複数いたようで、そのうちの一人を娘に与えるように、と書状にある。 ちなみに忠泰も子供を召し使っていたが、病気で困っていたようである。また、別の家来に対しても、下女を買い求めて送ると記している。ただし、忠泰は食料に事欠くほど金がなかったので、この場合は「下女を買った」のではなく、生け捕りにしたと考えられる。 このように朝鮮に出兵した武将たちの中には、「お土産」として朝鮮人奴隷を日本の家族に贈っていたことが分かるのである。普通に書いているところを見ると、それは戦場でごく自然なことであったかのような印象を受ける。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) ここまで捕らえられた朝鮮人奴隷について述べてきたが、言うまでもなく日本人も朝鮮軍に生け捕りにされていた。歴史学者の中村栄孝氏は、その中で福田勘介の供述を取り上げて、興味深い分析を加えている(「朝鮮軍の捕虜になった福田勘介の供述」『日本史の研究』61輯)。以下、中村氏の研究に基づき、勘介の供述を確認しておこう。 慶長2年10月、一人の日本人が朝鮮軍の捕虜となったことが報告されている(『宣祖実録』)。その人物こそが、勘介その人である。では、勘介はいかなる人物なのであろうか。勘介自身の供述によると、勘介は加藤清正配下の部将であり、百余人の兵を率いて、全羅道に向かっていたという。 朝鮮出兵中の同年7月に忠清道で捕虜となり、尋問を受けたのである。しかし、別の史料によって、清正軍に勘介が加わっていたというものが見受けられないので、供述が嘘である可能性があると指摘されている。奴隷は耕作要員 このように朝鮮軍の捕虜となった者(部隊長クラスの者)は、「降倭将」と呼ばれた。「降倭将」は、鳥銃(=火縄銃)の使用法を朝鮮人に教授していたようである。のちに触れるが、沙也可もその一人である。勘介は自ら火縄銃の操作に秀でていることをアピールしているので、ほかの「降倭将」と同様の地位を得ようとしたのであろう。 中村氏が指摘するように、勘介の供述は的確に重要なことを述べており、内容も十分に信用できるという。その重要な供述として、日本軍がどのような理由によって、朝鮮人を日本に連行したかが記されている。 普通に考えると、日本軍による朝鮮出兵は、占領を目的としたと考えるべきであろう。当初、秀吉が構想した通り、やがては天皇、公家、大名らを移す計画もあった。しかし、慶長の役での目的は、決して占領だけにあるとは言えなかったようである。 基本的に老若男女にかかわらず、歩くことができる朝鮮人は日本に連行した。生け捕りされた朝鮮人の中には、貴族や官僚クラスの者もいたという。逆に、歩けない者はお荷物になり、また役に立たないことが想定されたのか、殺害される者が多かった。 生け捕りにされた者が、人買商人によって船に乗せられ、日本に送られたことはこれまで述べた通りである。勘介はその目的を明確に述べている。その供述内容を箇条書きに整理すると、次のようになろう。 ①朝鮮人奴隷に日本の農地を耕作させる。 ②日本の農民は、朝鮮出兵に徴用する。 ③①②を繰り返すことにより、最終的に明への攻撃態勢を整える。 つまり、日本の農地耕作は朝鮮人にやらせて、朝鮮での戦争には日本の農民を従軍させるということになろう。生け捕った朝鮮人を日本軍に編入するのは、常識的に考えてかなりの困難が伴う。それならば生け捕った朝鮮人には耕作をさせ、日本人を兵として徴用した方が合理的である。こうしたことを繰り返し、やがて日本人の多くが朝鮮に出兵し、農村での労働不足を解消するとともに、「明」への臨戦態勢が整うことになる。 ここまで合理的に説明すると、いささかの不信感が拭えないところもある。しかし、周知の通り、文禄・慶長の役の軍役などの多くの負担は、各大名に押し付けられることになり、さらにそれは農民へと転嫁された事実がある。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) それゆえ年貢や徴兵などの負担に耐え切れない農民は、耕作地を放棄して逃亡した。そうなると、必然的に耕作地は荒れ果て、農作物の収穫量が著しく減少することになる。朝鮮人の生け捕りと日本への連行は、単に奴隷売買として金銭的なものを得るだけではなく、現実的な目的があったのである。 日本に連行された朝鮮人は、何も普通の人ばかりではない。教養や学識の豊かな士大夫なども日本に連行されており、彼らの中には儒学などの学問により、のちに大名に仕えてそれなりの地位を築いた人もいる。また、官僚クラスの両班(ヤンバン)の中にも、大名の家臣として抜擢された者が存在する。ほかには陶工が有名であり、そうした特殊技能によって、一定の地位を築いた者もあった。 日本に連行された朝鮮人といえば、悲惨な人々が多かったのかもしれないが、まさしくその人生は実にさまざまであった。次に、いくつかの事例を取り上げることにしよう。奴隷でも子孫繁栄 日本で農業に貢献した朝鮮人は、美作国東南条郡東一宮村(岡山県津山市東一宮)に存在した。『史学雑誌』8編11号には、同村の中島氏所蔵文書が紹介されている。年次の付されていない書状であるが、中島家譜代の家来と称する弥三郎、弥吉、伊助、重兵衛が連署して、中島弥生左衛門、三郎左衛門に宛てたものである。次に、その内容を示しておこう。 私の五代前の先祖は、朝鮮国松村の出身でございます。文禄年中に日本が朝鮮に攻め込んだ際、先祖は中島孫左衛門様の陣中に人質となり、二十四歳にして日本に渡海した。助命のことを孫左衛門が仰せになり、先祖は弥三郎と名を改め、中島家譜代の家来になりました。生涯にわたり養育してくださり、妻子なども扶助していただき、嫡子・彦兵衛と私に至るまで四代にわたり相続し、一類や分家も家が繁盛していることは、すべて中島家の御恩であることを今もって忘れることはできません。私の子孫代々まで申し伝え、決して忘れることはございません。 中島孫左衛門は、備前・美作の大名、宇喜多秀家の配下の者である。文禄・慶長の役のとき、孫左衛門尉は秀家に従って朝鮮に渡海した。その際、弥三郎らの先祖は、孫左衛門に生け捕りにされ、日本に連行されたのである。 『美作一宮郷土の歩み』によると、慶長3年、中島孫左衛門尉は松県城で劉安、劉秘父子を捕らえ、日本に連行したという。ここでは、慶長の役のことになっており、先祖の名前もはっきりと書かれている。 先の書状の続きを読むと、弥三郎らが中島家に宛てた理由が分かってくる。その後、彼らは百姓になって、中島家に献身的に仕えた。また、年末年始やお盆などの行事にも、挨拶を欠かさなかったようである。 以下の内容は省略するが、結論を端的に言えば、以後、彼らは中島家を疎略にすることなく、奉仕し続けることを誓約したということになろう。万が一、中島家に背くようなことがあれば、どのような処罰を受けても恨むことはない、と最後に締め括られている。 『美作一宮郷土の歩み』によると、捕虜の中には朝鮮に帰国する者もあったが、劉秘は日本に残って中島氏の家来になったという。そして、彼ら連行された朝鮮人が、一宮村で荒地を開墾したと記されている。それは、今も「唐人開き」と呼ばれているとのことである。 その後、その子孫は大いに繁栄し、松県にちなんで松村を姓としたというのである。その中には津山藩主・森氏に仕えた者もあった。寛政年間に至ると、松村氏は持高が十石の本百姓高持に加えられ、子孫も繁栄したという。 以上の記述によると、朝鮮から連行された弥三郎の子孫は高い農業技術を持ち、地域の発展に貢献したといえよう。はっきりとは書かれていないが、東一宮村には多くの朝鮮人が入植し、集住していた可能性が高いといえる。 次回は、日本に定住した朝鮮人をもう少し紹介することにしよう。※主要参考文献 渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■秀吉禁止令も頬被り、朝鮮出兵で横行した理性なき「奴隷狩り」■南蛮人が大いに利用した「武勇の民」日本人奴隷の戦闘力■「日本人奴隷は家畜同然」バテレン追放令に秘めた秀吉の執念

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    「ひねくれ」選挙報道に誰がした

    参院選もいよいよ終盤戦。年金や消費増税などの経済問題、憲法改正といった争点は、韓国への輸出管理問題にかき消された感があるが、それよりも目立つのは既存マスコミの選挙報道における致命的な「歪(ゆが)み」である。それは、ある候補者に起きた「事件」に対する一連の対応からもうかがえる。

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    「売名行為」選挙報道でマスコミが負った致命傷

    。 いずれにせよ、韓国への輸出管理問題は、ある意味で与党に「神風」をもたらした側面がある。筆者はこの連載で何度も述べてきたように、韓国政府とは信頼関係が著しく毀損(きそん)している状態であり、その原因は元徴用工問題や慰安婦問題などでの国家間の約束を一方的に破った韓国側の「裏切り行為」に原因がある。半導体材料の輸出規制強化に関する事務レベル会合に臨む韓国側(右)と経産省の担当者=2019年7月12日午後、経産省(代表撮影) この「裏切り行為」には強烈なしっぺ返しこそが、かえって将来的には両国の安定的な関係を生み出すだろうとも主張してきた。現在はその苛烈(かれつ)なやりとりの真っ最中である。この側面を理解すれば、今回の輸出管理問題には即応できるはずだが、多くの野党の姿勢には失望しか与えない。歪んだ選挙報道 だが、野党の「体たらく」に輪をかけてこの選挙中に目立つのが、マスコミの報道姿勢の深刻な「歪(ゆが)み」である。この選挙期間中のマスコミの報道は、いつにも増して、とんでもない歪みとなっていることが、インターネットを通じて明らかにされている。 実際の選挙においては、改憲勢力(仮)と非改憲勢力との闘いかもしれないが、他方で「新聞・テレビvsネット」とでもいうべき攻防戦が繰り広げられている。そして、既存の新聞やテレビなどのマスコミは、その歪みによって、自沈ないし自壊しているのではないかとさえ思える。 特に驚いたのが、参院選比例代表に立候補している自民党現職の和田政宗氏の街頭活動中に起こった暴行をめぐるテレビ局公式ツイッターアカウントの「発言」だった。7月10日に和田氏が街頭演説後に商店街を練り歩きしているとき、通行中の男性に胸の辺りを素手で2度ほど強く小突かれたのである。この様子は動画でも記録されていて、事実に間違いない。 全く異様な行動であり、犯人は摘発され罰せられるべきである。一般論として、他人からこのような身体的な暴力をこうむることは、周囲が考える以上に当人にとって心理的にも打撃だろう。肉体的な傷を負わなかったことは不幸中の幸いである。 だが、メディアの意見は違うようである。中部日本放送(CBC)の報道部の公式ツイッターアカウントで、「ちょっと小突かれただけで、暴行事件とは。大げさというより、売名行為」と投稿されたのだ。あまりにも社会常識を逸脱した発言だろう。 先述の通り、和田氏は参院選の候補者であり、これを「売名行為」と評することは、要するに選挙目的だとでもいいたいのだろう。尋常ではない発想である。 当然和田氏本人、そしてネット世論の大勢が、この発言を猛烈に批判した。それに対して、CBC側は上記の投稿を削除し、「当該者の方に、大変ご迷惑をおかけいたしましたことをお詫(わ)びいたします」とホームページ上で謝罪した。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) だが、この謝罪は納得し難いものだった。CBC側によると「弊社報道部の意思に基づくものではありません」と説明したうえで、アクセス権を有する報道部員が投稿した形跡は確認できなかった、と言い切っている。マスメディアとして致命的 誰の投稿になるかは調査中としたうえで、あたかも不正アクセスがあったかのような印象を与えたものだった。ただ、責任をあやふやにしているという批判は免れない。 政治活動を妨げる暴力を肯定したとも取れる発言は、マスメディアにとって致命的である。真実を明らかにしないまま放置するのはまずい。 もし、不正アクセスの可能性があるならば、警察当局の協力も含めて機敏に対処すべきだろう。CBCにはこの件でのさらなる説明責任に直面している。 和田氏とは、昨年の夏に対談する機会を得た(『WiLL』2018年7月号)。対談で和田氏は、消費増税について明瞭に反対する反緊縮政策を支持していた。また、事実の一部を切り張りすることで特定の方向に世論を誘導していく既存マスコミの手口について、実例を交えながら、その報道姿勢を厳しく批判していた。 とりわけ、テレビのワイドショーや既存のキー局の報道番組には厳しく批判していた。そこで、放送局の新規参入を促すため、電波の周波数帯の利用権を競争入札にかける「電波オークション」を導入する試みがある。 日本の電波はもちろん公共の資産であるが、それはムダに利用されている。特定のテレビ局が電波を不当に独占しているといっていい。この電波利用の「ムダ使い」を改めるのが電波オークションで、広く海外でも行われている。 しかし、この電波オークションに対して、テレビ局は総じて反対している。自らの既得権を侵されると思い込んでいるのだろう(詳細は上念司著『日本を亡ぼす岩盤規制』飛鳥新社を参照)。2017年11月、規制改革推進会議を終え、記者会見する大田弘子議長(中央)ら。電波オークションの導入は「検討継続」となった(斎藤良雄撮影) 電波帯域が広く開放されて、企業などの新規参入が起これば、消費者すなわち国民の大多数がさまざまな情報や利便性に接することが可能になり、利益を得るだろう。どんなことが国民の利益になるのか。消費増税への反対も、韓国への安全保障上の対応も、そして既存メディアへの対応も、さまざまな論点で、既得権にとらわれない本当の「自由」な発想の政治家を選ぶことができるように、今回の参院選の推移を見守っている。■ 「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク■ 「金正恩に足元見られた」報ステが言うほど北朝鮮は単純じゃない■ 「首相はトランプの運転手」朝日の安倍批判がイケてない

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    春ドラマ「得した人損した人」

    かつて朝ドラ『おしん』の放映中、父親役の伊東四朗や姑役の高森和子に抗議が殺到したように、俳優の好感度は否が応でも役のイメージに左右される。特に今期の春ドラマでは、役柄で「得した人」と「損した人」の明暗が顕著だったようだ。『わたし、定時で帰ります。』といった話題の6作品を振り返る。

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    『報ステ』後藤謙次が安倍首相に求めたお門違いの「えこひいき」

    報復」ではなく、信頼関係が構築できない理由として挙げているわけである。これは正しい認識だろう。 この連載でも何度も考察してきたことだが、現在の日本と韓国に信頼関係は構築できていない。これは、もっぱら旧徴用工問題や慰安婦問題における文在寅(ムン・ジェイン)政権による「ちゃぶ台返し」ともいえる、日韓合意への「裏切り行為」に原因がある。 韓国の動きに対しては、日本が「しっぺ返し戦略」を採ることが、長期的な利益を得る上で日韓「双方」に好ましいと、筆者は提案してきた。韓国が強烈なしっぺ返しを受ければ、それ以降の行動を「協調」的な姿勢に変更する可能性が高まる。それは要するに、日本と韓国の長期的に安定した関係をもたらすだろう。 もっとも、今の文政権は、WTOへの提訴をちらつかせたり、文大統領が自ら撤回を求めた際に「世界が懸念している」と言及するなど、高圧的な態度に変わりはない。日本政府は現在の姿勢を強く堅持して、安全保障の国際的取り決めに準拠して、今後も「ホワイト国」の見直しなどを進めていくべきだろう。ソウルのスーパーで陳列棚から下ろされた日本メーカーのビールやたばこ、食品など=2019年7月7日(聯合=共同) 先の後藤氏は「国民の感情を抑えるのがリーダーの務め」と述べ、安倍首相に今回の対応の見直しを迫った。しかし、ここまで解説したように、韓国に今までと同様の輸出手続きを認めることが、よほど感情的なもの、つまり韓国に対する「非合理的な身びいき」として国際社会から糾弾されかねない。 JNNの世論調査では、「韓国輸出規制」の強化について「妥当だと思う」人は58%で、「妥当だと思わない」の24%を大きく上回っている。これを「国民の感情」的リアクションだと思うのは、あまりに国民を見下した意見ではないだろうか。 世論の熱狂から距離を置き、冷静に報道することはもちろん重要だ。だが、「対韓禁輸」だとか「旧徴用工のことを持ち出せば、WTO訴訟で負ける」などという事実とも違い、また論点がずれている物言いをする人たちこそ、とても感情的に思えて仕方がない。■対韓「輸出規制」で安倍政権によぎる中国の失敗■「お疲れさま」安住アナまで叱られる奇妙なアベガー論法■米朝に「田舎芝居」を打つ文在寅の安倍コンプレックス

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    信長の死は「凶星」から始まった

    信長に謀反した家臣、松永久秀がいよいよ追い詰められた夜、空に不吉な星が輝いた。不安がる家来を尻目に久秀は「ただの天の摂理だ」と笑い飛ばしたが、合理主義者の代表格、信長は星を恐れ、安土に引きこもった。実はその「凶星」は、本能寺の変につながる「終わりの始まり」だったのだ。(写真は国立天文台提供)

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    信長が恐れた「凶星」本能寺の変はここから始まっていた

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 『信長公記』の「客星」というのは、ほうき星を「普段の空では見かけないよそから来た不審な星」と表現する言葉だ。当時の公家、吉田兼見はこれを現代同様「彗星(すいせい)」と10月11日付けの日記に記した。そして「御祈一七ヶ日也(なり)」と続けている。『信長公記』は9月29日にほうき星出現としているが、実際にはそれより早く9月25日頃から観測されたのだろう。朝廷では彗星出現当初から連日祈祷をおこなわせ、17日に及んだということだ。 ではなぜ、朝廷は祈祷を続けさせたのか。 当時、彗星は洋の東西を問わず「災いをもたらす魔物の使い」と信じられ、恐れられていたのだ。例えば、鎌倉時代に法華宗を興した日蓮は文永元(1264)年の彗星出現を未曾有(みぞう)の国難がやってくる「大凶兆」とし、4年後に蒙古から脅迫めいた国書が届いたことでその予言が当たったと自負している。 そんな次第だから、朝廷は日食などと同様に彗星を「ケガレ」として忌んだ。特に、彗星の尾の部分が天空から朝廷の方向へと垂れるのを凶兆とし、祈祷によって彗星がもたらす災厄から逃れようとした。 これに対して、面白い逸話が残っている。彗星出現のひと月あまり前に、松永久秀が信長から離反して天王寺砦を勝手に退去し、居城の大和・信貴山城にこもってしまった話は前回に紹介した。安土城天主跡。彗星はこの方角の上空に見えたと考えられる(筆者提供) 久秀は越後の上杉謙信が上洛(じょうらく)戦を開始するから、信長の命運も尽きたと考えて反旗をひるがえしたのだが、肝心の謙信は9月23日に加賀・手取川の戦いで柴田勝家らの織田軍を簡単に撃破はしたものの、そこで引き返してしまったあげく翌年3月に急死し、上洛戦は永遠に実行されることはなかった。久秀の決断は早すぎたのだ。 10月3日、織田信忠(信長の嫡男)が率いる4万の大軍が信貴山城を包囲すると、さすがの峻険(しゅんけん)な山城も10日には最後の時を迎える。城内の味方が寝返ったとも、本願寺の援軍と偽って城に入った佐久間信盛(織田家重臣)の兵が内から攻撃したともいうが、いずれにしても城は天守を除いてすべて織田軍に制圧されてしまった。信長が引きこもったワケ 信貴山の頂きからも、夜空に輝く彗星はクッキリと見えたという。久秀の家来が、彗星を見上げて主人にこう話しかけた。「京の卑しい者たちがあの星を『弾正星』などと呼んで殿の滅亡を天が告げているなどと申しておりましたが、その予言が当たってしまいましたな」 久秀の官途名は「弾正少弼(だんじょうしょうひつ)」。しかし、久秀は西の空に輝く彗星をチラリと眺めると大笑いしてこう言い放ったという。「ばかな。彗星が現れるのは天文自然の理に従っているからに過ぎぬ。わしも信長も、天の摂理には何の関係もない。わしが死のうと生きようと、彗星の運行に影響などあるものかよ」 直後に天守も陥落、久秀は炎の中で自刃して果てたが、当時の一般人のレベルからはかけ離れた合理主義、科学的思考法には感心するほかない。 では、対する信長はどうだっただろうか。合理主義の代表のように言われる信長のこと、さぞや彗星など一顧だにしなかったかと思われるのだが、実はそうでもなさそうだ。京都市妙恵会墓地の松永久秀・久通父子墓(筆者提供) 彗星出現の期間中、信長は安土から出ていない。いや、9月28日と29日の2日間だけ出るには出たが、それは安土の内の丹羽長秀の屋敷だった。安土の山頂に近い御殿から長秀屋敷に移ったのは、実はこういうことではないだろうか。 朝廷は日食のケガレを避けるために御所をムシロで包んだり、祈祷をさせたりする。そして、この彗星出現に際しても祈祷をおこなわせた。信長も、彗星をケガレとして避けるため、自分の御殿より低いところにある長秀の家に逃げ込んだのだ。その上で、彼は自分が大和国におもむいて軍勢を指揮することもなく、信忠に久秀退治を任せてしまった。ようやく彼が安土を出、京に向かったのは11月になってからのことだ。 『信長公記』は久秀滅亡について「10年前の10月10日夜に東大寺の大仏殿を焼き討ちした久秀が同じ10月10日夜に死んだのは、因果応報だ。客星が出て来たのも、春日大社のおぼしめしか」と論評している。前半はどうも久秀の最期をリアルタイムに記録した『多聞院日記』を参考にしているようだが、それに織田方の都合の良いように彗星の件をプラスしているあたり、その親分の信長本人が彗星を怖がっていたとすればちょっと笑える話ではある。信長の死は彗星から始まった ところで、この彗星は信長と朝廷の関係にある影響を及ぼした可能性もある、と言ったら皆さんはどう思われるだろうか。日本では古代から現代に至るまで、おおよそ75年前後の周期で彗星が観測されている。これがハレー彗星だ。 周期を持つ彗星があるという認識が、久秀の「彗星は天文自然の理で動くのだ」というセリフにも結びつくわけだが、周期があるものなら予測ができる。予測ができれば、それが暦にも反映できたはずだ。 ところが残念ながら、この天正5(1577)年の彗星はハレー彗星ではなく、突発的に起こった非周期のものだったようで、当然ながら朝廷の天文方はその予測ができなかった。彗星を恐れた信長としてはこれに納得しなかったのだろう。5年後、朝廷の天文方が日食の予測も外すともう許せないとばかりに改暦を朝廷に申し入れることになる。同年に発生する本能寺の変の一因にもなったのではないかといわれる改暦問題が、この彗星一件に端を発していると考えるのは、決して無理な話ではない。 こうして二条新屋敷の竣工と彗星のショックで天正5年は終わった。明けて天正6(1578)年。2月29日の安土山は人々の喚声にあふれていた。「近江の国中から300人の相撲取りを呼び集め、安土山で相撲をとらせてそれを見物された」のだ(『信長公記』)。信長の御前で相撲をとるとあって、力自慢の相撲巧者たちはこぞって張り切り、勝負は熱を帯び、信長以下の見物者たちも大いに盛り上がった。 ちなみにこの日の行司は木瀬蔵春庵(きのせ・ぞうしゅんあん)と、その子だろうか、木瀬太郎大夫(きのせ・たろうだゆう)の二人だった。蔵春庵はこの8年前、安土山下町の常楽寺で行われた相撲大会でも行司を務めている。ちなみに、現代の大相撲の行司、木村家は木瀬太郎大夫の孫を初代とするといわれているから、信長以来の相撲行司の系譜は540年続いているわけだ。 まぁ、これだけなら信長は相撲好きだった、だけで終わる話なのだが、この半年後の8月15日、彼はさらに輪を掛けた大きな規模で相撲大会を再度挙行している。今度は近江だけでなく京などからも都合1500人にのぼる力持ちと技自慢がわれこそはと集まり、辰刻から酉刻まで(午前8時~午後6時)熱戦がくりひろげられた。織田信長の上覧相撲(相撲協会提供) 永田景弘と阿閉貞大(あつじ・さだひろ)という国人領主・城主クラスの外様家臣同士も取り組み、堀秀政、蒲生氏郷ら信長気鋭の側近衆も参戦。安土山は1日中喚声に包まれていた。その音は、おそらく遠く街道を行く人々にも聞こえたことだろう。特に見事な相撲を披露した14人の者は信長の前に召し出され、褒美を与えられ家臣として取り立てられたという。このときも行司は木瀬蔵春庵、太郎大夫の二人だった。相撲大会「本当の狙い」 2度にわたる大規模な相撲大会。300人、1500人と部外者を城内に入れてしまえば、セキュリティーの維持も難しいし、何より城の構造がダダ漏れになってしまう。戦国の常識ではおよそ考えられないイベントではあったが、信長はあえてそれを強行した。 信長自身が相撲好きだったのは間違いない。江戸時代の書物には土俵を考え出したのも信長だとあるほどだ。完成に近づきつつある安土城に多くの人々を集めて一大スポーツイベントを打てば、城の威容を見せて信長の威信を高めるとともに、急速にふくらんで一体感を失った家臣間の交流が進み織田家への従属意識も強くなる。これはリスクを差し引いてあまりある効果だろう。 だが、信長が狙ったのは果たしてそれだけだったか、というとこれがどうもまだ理由がありそうだ。 この前後2回の相撲大会のちょうど真ん中の時期、近畿から東海地方が災害に見舞われている。5月11日から大雨が降りはじめ、13日の昼まで激しく降り続いたために各所で洪水が発生した。賀茂川・白川・桂川が氾濫し、上京の舟橋町では濁流に流されて死者が多数出た。京都所司代の村井貞勝が新しく架けた四条の橋も流されてしまった『信長公記』 この豪雨は、織田軍の作戦計画にも重大な影響を及ぼした。信長は毛利の大軍に包囲された播磨の上月城を救援すべく武将たちに出動の号令をかけ、自身も5月13日に出陣する予定だったのだが、ちょうどその13日が水害のピークとなってしまったのだ。 信長の親征となればその兵数は大きいものになる。複数の道路を使い整然と行軍する必要があるが、その道筋はことごとく雨によって分断されていたから、どうにもならない。海上を移動しようにも、大坂湾に出るのも困難な状況だ。結局信長は出陣をあきらめ、上月城にこもった尼子勝久ら3000は孤立したまま降伏、勝久は切腹して果てることになる。「木造織田信長坐像」=大徳寺総見院所蔵(中田真弥撮影) 水を利し、雨を制して過去の合戦を勝ち抜いてきた信長が、ここにきて水に妨げられて大きな失点を喫してしまった。これには、信長もショックを受けたに違いない。「先日の相撲大会ではまだ足りなかったか。もう一度行うべし」 豪雨災害を挟んでの2度の相撲大会に潜んだ信長の目的とは、何だったのか。■信長を「天下人」に導いたオカルト朱印■安土城「蛇の巨石」に隠された信長の仰天プラン■「龍宮に続く橋」信長のオカルト願望を叶えた御用建築家

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    「お疲れさま」安住アナまで叱られる奇妙なアベガー論法

    の前を歩く韓国の文在寅大統領(右)=2019年6月28日午後、大阪市中央区(代表撮影) これは、この連載でもたびたび指摘しているが、新聞やワイドショーなどの報道が「報道の経済学」でいう「悪魔理論」の枠組みを採用しているからだ。「悪魔理論」では、政府が「悪魔」であり、それを批判する側は常に「天使」である。 そして、悪魔である政府のなすことは常に「失敗」するものと運命づけられている。運命といっても、本当の評価ではない。新聞やワイドショーがそのような「政府のやることは必ず失敗する、ろくなものではない」と印象報道するということである。 当然の話だが、報道は提供する側の理屈だけで成り立っているのではない。新聞やワイドショーに情報源を依存するような人たちがいてこそ成り立つ。「蚊帳の外」論のなぜ 南北の軍事境界線にある板門店で行われた3度目となる今回の米朝首脳会談でも、安倍政権を「悪魔」扱いした日本の報道や、それに連動するかのような識者たちの発言がある。いわゆる「蚊帳の外」論だ。 つまり、安倍政権は北朝鮮問題で国際的に孤立しているというわけだ。ツイッターを見て、トランプ大統領が金委員長と会談したい意図があると知ったのは、当事者である北朝鮮を含めて、韓国も日本もそうだったに違いない。 だが、トランプ大統領のツイッター発言を事前に日本の外務省が知っていなければならないし、板門店で米朝韓3カ国に交わって、日本も加わらないといけないらしい。どの国でもできないようなむちゃなハードルを暗に設定して、それが満たされなければ「蚊帳の外だ」というのは、全く不合理な意見としかいいようがない。 他方で、今回の米朝会談において、韓国が「事実上」外されたことはあまり注目されていない。一部のマスコミが伝えただけにすぎない。 米朝首脳会談が終わった後、金委員長を見送るトランプ大統領と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の姿がワイドショーなどでしきりに流されている。また「韓国はわき役に徹した」という趣旨の韓国メディアの報道を取り上げたり、文政権の外交的成果であると持ち上げる日本のメディアもあった。 果たして本当にそうだろうか。文政権が、今回の米朝首脳会談では「わき役に徹した」というよりも、最初から「わき役」だっただけだろう。板門店で対面するトランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(中央)、韓国の文在寅大統領=2019年6月30日(聯合=共同) 韓国政府の外交にかなり好意的な論評まである。どうも「悪魔理論」は、なぜか韓国政府に適用されないようである。不思議でならない。 これから日本政府の韓国に対する経済的な制裁がより鮮明な成果を上げてくるだろう。この中で日本のマスコミの多くが、この合理的な「しっぺ返し戦略」をめぐって、日本を「悪魔」にし、韓国を「天使」に仕立て上げて報道しないか、それが心配である。■ 「金正恩に足元見られた」報ステが言うほど北朝鮮は単純じゃない■ 韓国の裏切りには最強の「しっぺ返し戦略」で応じるほかない■ 石破茂まで乗っかったキラーコンテンツ「安倍叩き理論」

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    錦織圭は「投球術」で聖地を粘り抜く

    間もなく開幕するテニスのウィンブルドン選手権で気がかりなのが、錦織圭の相性の悪さだ。いくらフルセットマッチに強い粘りが身上の錦織とはいえ、ベテランの域に入れば、効率のよい勝ち方が求められる。錦織が20代最後の「聖地」を戦い抜くため、どうやらヒントになるスキルが別の球技にありそうだ。(写真は共同)

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    錦織圭、20代最後のウィンブルドンで見せてほしい「投球術」

    武田薫(スポーツライター) テニスはシーズン真っ盛り、舞台は赤土コートの全仏オープンからドーバー海峡を越え、芝の深緑も美しいウィンブルドン選手権へと移ろうとしている。 日本勢も、男子は錦織圭、女子は大坂なおみが話題を提供してくれているが、29歳のベテランになった錦織には「そろそろメジャータイトルを」の期待がかかる。全米オープンで、日本選手として初めて4大大会の決勝までコマを進めたのは、もう5年も前のことだ。 4大大会が1968年にプロに門戸を開いて以降、日本勢はなかなか上位に勝ち進めなかった。90年代に入って、女子は伊達公子が全米オープンを除くメジャー3大会でベスト4に勝ち進んだが、選手層の厚い男子は、松岡修造が95年のウィンブルドンでベスト8に入った1度だけしかなかった。「女性上位」だった日本の勢力図に、錦織圭が飛び出したものだから、ファンも喜んだ。 錦織のプレーの特徴は素晴らしいボールコントロールにあり、「ショットメーカー」と呼ばれる。テニスで最も難しい技術はボールの方向を変えることだが、錦織はフォアハンド、バックハンドともその切り返しを自在にこなす。ベースライン深く、サイドラインぎりぎりにボールを飛ばして相手を押し込んで振り回すものだから、見ていて面白く、それが彼の人気の大きな理由だ。 錦織対策として、対戦相手が考えるのが、打ち合いを早めに切り上げることだ。ビッグサーブ一発で決めれば切り返される恐れもないが、錦織はリターンゲームを磨いているし、プレッシャーのかかった試合で、時速200キロを超すファーストサーブがいつも決まるわけではない。全仏オープンのような球足の遅いクレーコートではどうしても打ち合いになる。 そこで考えられるのが粘りだ。錦織の体格は身長178センチ、73キロ。パワー時代の今、選手の体格は190センチが当たり前で、長丁場の体力勝負になれば、錦織はかなり劣勢になるからだ。さらに4大大会では、ツアー大会より2セット多い5セットマッチだ。しかも、頂点まで7試合あるだけに、省エネ、効率のいい勝ち方が求められる。全仏オープンテニスの男子シングルス準々決勝、第2セットでポイントを奪われ悔しがる錦織圭=パリ(共同) 「タンクが空っぽになった頃に上位と当たるのは避けたい」。錦織はそう言っているが、今年ここまでを振り返ると、全豪オープンではフルセットを3試合も戦い、準々決勝のノバク・ジョコビッチ戦では疲労困憊(こんぱい)で途中棄権を余儀なくされた。 先の全仏オープンでも、王者ラファエル・ナダルと対戦するまでフルセット2試合、それも日没順延で3試合連戦を強いられ、消費時間でナダルとの差は4時間もあった。ほぼ2試合多く戦った勘定のハンディを背負ったわけで、結局1-6、1-6、3-6と、全く見せ場がなかった。今こそ集中力の「出し入れ」を 必然、課題は効率性となる。面白い数字がある。5セットマッチは、グランドスラム4大会と国別対抗戦のデビス杯(昨年まで)だけで採用される長期戦だが、錦織はそこで通算23勝6敗と、現役選手で最高の勝率を誇っている。 体力はなさそうだが、土壇場に強い。「負けそうで負けず、勝ちそうで勝てない」印象がここにある。ハラハラドキドキのドラマチックな試合展開はファンを引き付けるが、ヘロヘロになって、フェデラーやナダル、ジョコビッチという強豪の待ち受ける最終段階で、持てる力を発揮できないのはいかにも惜しい。 フルセット勝負では、肉体疲労と同じほどに、精神疲労も蓄積されている。危ない場面が幾度も重なれば、緊迫感が揺らぎ、集中力が途切れていく。 格下相手の序盤戦で無駄をなくすという理屈は、プロ10年の本人も分かっているが、序盤にリードしたところで、ふっと集中力が途切れることは以前から指摘されてきた。ただ、3時間近い試合を通して集中力を維持するなど土台、無理な注文だ。 野球のピッチングに「出し入れ」という言葉がある。これはストライクゾーンの幅の使い方を意味し、メジャーリーグでは「コマンド」という言葉を使う。制球力をいかに使うか、3ボールまで許されるカウントをどう使うか、捨てながら拾うという「探りの勝負勘」は、天性もあるが、それを意識する余裕ができれば身につくものだ。男子シングルス準々決勝の第2セット、ラファエル・ナダル(左奥)にゲームを奪われた錦織圭=2019年6月4日、パリ(共同) 錦織は今年の暮れには30歳になるベテランとはいえ、「集中力を出し入れする」までの余裕はまだつかんでいないように感じる。そういうふうに見れば、先はそう暗くない。 ヘロヘロになって負けてはいるが、故障明けだった昨年のウィンブルドン以降の4大大会ではベスト8、ベスト4、ベスト8、ベスト8。ジョコビッチとナダル以外に、これほどの結果を出している選手はいない。間もなく始まるウィンブルドンは4大大会の中で最も成績が悪いが、このレベルを維持すれば、夏には全米オープンを頂点とした得意のハードコートが待つ。 今回のウィンブルドンは、一つ錦織の気持ちの「出し入れ」に注目してみたい。■ 「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情■ 大坂なおみは今のメンタルで戦い続けられるか■ 「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物

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    枝野幸男の「自慢」が文在寅とダブって仕方がない

    野党陣営によるこの問題への執着は強いものだった。 「老後2000万円不足」問題については、先週のこの連載で解説したように、年金制度自体の構造的問題ではない。もっぱら、マスコミの報道の仕方やそれに便乗した政治勢力の選挙向け「プロパガンダ」といっていい。2017年11月、衆院本会議後に立憲民主党の枝野幸男代表にあいさつする安倍晋三首相(右、宮崎瑞穂撮影) 日本経済の先行きが悪化していく中での消費増税こそは、選挙の最大の争点になるはずだ。その争点を口では「凍結」「廃止」「延期」などと野党が叫んでいても、本気度はあいかわらず極めて低い、というのが実情だろう。韓国を思わせる経済政策 野党が一丸となって、消費増税を争点にして内閣不信任案を出せば、それこそ「消費税解散」となる展開も期待できた。しかし、党首討論の場も含めて、野党側は安倍首相に解散の意図がないことを確認したうえで、これから内閣不信任案を出す展開になる。 これでは、政治的に消費増税を止める絶好の機会を、野党は自ら失ったといえる。内閣不信任よりも、まず野党に対する不信が増大する結果ではないか。 消費増税に関する本気度が低いのは、実は野党の経済政策観に大きな問題があるのかもしれない。特に、最大勢力の立憲民主党の経済政策は、まるで韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権を思わせる内容だ。 20日、夏の参院選に向けて発表された経済政策「ボトムアップ経済ビジョン」では、最低賃金の引き上げや再分配政策に重点を置く一方で、金融政策への関心は特に主軸ではなかった。アベノミクスの成果が国民所得を削り、中間層を激減させたままだとして、「実質賃金」を上げることで中間層を再生するとしている。 韓国の文政権が最低賃金を急激に上昇させたことで、企業の雇用コストが増加し、それで失業率の増加を招いたことは明らかである。だが、最低賃金の引き上げが韓国で大きなマイナスのショックを生んだ背景には、文政権が積極的な金融政策を採用しなかったことに失敗の直接原因がある。 財政政策は積極的な姿勢を見せているが、あくまで再分配機能が中心だ。要するに、パイの大きさが一定のまま、パイの切り方を変えただけにすぎない。金融政策と財政政策を同調させ、経済に刺激を与え続けることが、現在の韓国のように完全雇用には程遠い経済にとっては必要だ。2019年5月、韓国・世宗で開かれた国家財政戦略会議で発言する文在寅大統領(韓国大統領府提供・共同) 立憲民主党の政策でも、金融政策に関する低評価が鮮明である。アベノミクスは金融政策の効果で雇用回復を実現したわけで、アベノミクスを否定するためには、やはり金融政策の効果を積極的に肯定できない政治的事情があるのだろう。 ちなみに、立憲民主党が目標に掲げている実質賃金とは、平均的な名目賃金水準を物価水準で割った値である。名目賃金が同じままであっても、物価水準が下落してしまえば、実質賃金は上昇する。党首討論の「デフレ自慢」 つまり、デフレが深刻化すればするほど、実質賃金は上昇するのである。デフレの加速は、日本では不況と同じになりやすいので、デフレ不況を加速させるということになる。 そもそも、実質賃金自体が経済の回復期に複雑な動きをしやすい指標だ。実質賃金の「分子」となる名目賃金は、あくまでも平均賃金なので、雇用が回復して職を得る人が増えれば平均値が下がることが多い。なぜなら、新卒や再雇用といった新しく職を得る人たちは、既に働いている人たちに比べて給料が低いのが一般的だからだ。 もちろん、経済が安定していく中で完全雇用に達していれば、実質経済成長率や実質賃金なども安定的に増加していくだろう。だが、その実現の経路を示さずに、単に実質賃金を政策目標にすることは「デフレ自慢」になりかねない。 実際に、立憲民主党の枝野幸男代表は党首討論で「デフレ自慢」をしていた。ただ、枝野氏が民主党政権時代の「反省」を表明したことを、多少評価しなくてはいけない。 しかし、その「反省」さえも経済政策的には空虚なものだった。枝野氏は党首討論で「私は民主党政権の一翼を担わせていただきました。至らない点がたくさんあったことは改めてこの場でもおわび申し上げますが、経済数値の最終成績は実質経済成長率。10~12年の1・8%、2013年から18年の実質経済成長率は1・1%。これが経済のトータルの成績であると、私は自信をもって申し上げたい」と述べた。 これに対して、安倍首相は「実質成長の自慢をなされたが、名実逆転をしている実質成長の伸びはデフレ自慢にしかならない」と指摘した。「名実逆転」とは、名目経済成長率よりも物価変動を取り除いた実質経済成長率が高い現象を意味している。2019年6月、「経済ビジョン」発表に臨む立憲民主党・枝野幸男代表(手前)。奥は逢坂誠二政調会長(春名中撮影) 要するに、これはデフレが進行している状況であり、日本では雇用悪化が同時に進行する「デフレ不況」「大停滞」だったと安倍首相は指摘したわけである。立憲民主党の経済政策は、実質賃金の増加を強調しているが、枝野氏による「デフレ自慢」の経済観を合わせて考えると、日本の経済政策を任せることは到底できないように思う。■ 「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない■ 「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術■ #MeTooに便乗した枝野幸男のセクハラ追及は「限りなくアウト」

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    LGBTドラマから学ぶ、ゲイを「カミングアウト」しない生き方

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 知人男性Aは、物腰の柔らかい二枚目で、着ている服も持ち物も、持ってきてくれる土産物までおしゃれ。話も面白いというか、80年代女性アイドルも妙に詳しい。そのほかにも「これは…」と思う言動が多々あったので、初めて会ったときからゲイだと思っていた。 Aがゲイであろうとなかろうと人間関係に変わりはないのだが、実は私の女友達がAに恋心を抱いている、という背景がある。余計なお世話と思いつつも、Aに何度か尋ねてみたのだが、「違うよ」と否定した。女友達は女友達で、Aをただ単に煮え切らない異性愛者だと思っていて、諦めきれない様子。女友達には幸せになってほしい(彼女は結婚を望んでいる)ので、Aにその気がないなら気を持たせるなと思ってしまった。まあ、ちょっと背中を押しにくい、貸借の関係がふたりの間にあるので、つい女友達の肩を持ってしまうのだが。 幸いなことに、今期はLGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クエスチョニング)、特にゲイのドラマが多かった。なんとなくヒントをもらった気もする。独りよがりだったかなと反省する点もあれば、このふたりにも「新しい人間関係の構築」があるのかなと思ったりして。勝手に決めつけず、視野狭窄(きょうさく)にならないためにも、とても役立ったので感謝している。 『腐女子、うっかりゲイに告る。』(NHK)は、ゲイであることを友達にも親にも隠している男子高校生(金子大地)が主人公だ。妻子がいる年上の男性(谷原章介)が恋人で、性生活は謳歌(おうか)しているように見えるが、その苦悩は想像を超えるものだった。日常で異性愛者の友人(小越勇輝・内藤秀一郎)や、シングルマザーで育ててくれた母(安藤玉恵)との会話や行動で、「普通の男子」として振る舞わなければいけない息苦しさ。明朗快活だが、腐女子であることを隠しているクラスの女子(藤野涼子)と付き合うことになったのも、「普通」を手に入れたかったからだ。そこには、「ゲイである自分を認められない」苦しみがある。 腐女子とゲイの交際は、一見「アリ」じゃないかと思わせたのだが、あるきっかけでゲイであることがバレてしまう。クラスメイトに白眼視された金子が、教室のベランダから飛び降りるという衝撃的な展開もあった。実際に同様の事件が起きて、男性が亡くなったことも知っていたので、胸が締め付けられた。ただ、金子は命を取りとめ、藤野や小越の配慮と優しさと素直さに励まされ、生きていく決意を固める。学校内でもゲイであることをカミングアウト(まあ、半ば藤野の演説による暴露「アウティング」なのだが)して、前に進んでいくのだ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」に出演した藤野涼子(大西正純撮影) 最終的に、金子は藤野と別れる。「知らない人たちの中でこれまでと違う生き方ができるかどうか試してみたい」と話し、大阪へ引っ越す。もちろん、谷原とも別れる。谷原は「既婚のゲイ」である自分を鳥でもケモノでもないコウモリに例えて話す。「男しか好きになれなかったが、家族が欲しかったから結婚した。卑怯(ひきょう)と呼ばれても、ゲイであることを隠し通して生きていく」と断言する谷原。金子は寂しさと切なさと諦めを、ないまぜにした表情を見せ、爽やかに別れを告げる(その直後に泣き崩れるのだが)。 そして、ラストシーンが印象的だった。大阪に引っ越し、大学に進学した金子。初めての授業で自己紹介をする。「僕は…」と話したところで、ドラマは終わった。「僕はゲイです」と言ったかどうかは、視聴者に委ねたのだ。ゲイのカミングアウトするかしないか ゲイであることを周囲に言うか言わないか、それは本人が決めることだ。誰かに強制的に言わされるものでもないし、カミングアウトしなければいけないわけでもない。 くだんのAもそうだ、そうなのだ。彼には彼の生き方がある。もしかしたら、私の女友達とは本当に気が合っているので、結婚や恋愛ではないパートナーシップを築けるのかもしれない。それを外野の私が言うべきことではなかったと反省している。金子大地と谷原章介のおかげだし、自分は藤野涼子にならなくてもいいのだと思った。 また、話題となっているドラマが『きのう何食べた?』(テレビ東京系)だ。西島秀俊と内野聖陽という、二大肉体派「渋メン」俳優のふたりがゲイカップルを演じているからだ。職場にはカミングアウトしていない弁護士の西島と、全方位にカミングアウトしている美容師の内野が織りなす日常には、些末(さまつ)だけど大切なパートナーシップの要素がぎゅっと詰まっている。相手を思いやる気持ち、自己主張のさじ加減、ゲイであることへの肯定感、一緒に食べるご飯や過ごす時間の尊さなどなど。 ここでも、西島から「カミングアウトしない生き方」を学んだ。学んだというか、そこにまつわる苦労に気づかされる。両親(志賀廣太郎・梶芽衣子)にはカミングアウトしているのだが、彼らが理解しているとは言いにくい。「一過性のもの」「好みの問題」としてとらえているフシもある。 その面倒臭さに耐えがたく、老いた両親とは少し距離を置いている西島。一方、内野は、テンションが高い母や姉とは仲良しで、姉には子供もいる。ただし、父親とは音信不通。よそに女を作り、金をせびり、暴力をふるった父親を断ち切った過去があり、今も生きていて生活保護を受給していることだけはわかっている状態。ゲイに理解はなくても仲の良い両親に対して、愚痴をもらす西島を諭す。「もうちょっと感謝してもいいんじゃない?」と。ドラマ「きのう何食べた?」に出演した西島秀俊(三尾郁恵撮影) ドラマとしては、日常茶飯事を通して、ふたりの考え方の相違やズレをお互いにちょっとずつ譲歩していき、パートナーシップを深めていく構図に。惚れた腫れたの、その先を淡々と描いていて、これは異性愛だろうと同性愛だろうと性的志向に関係ない、全人類に共通する人間ドラマになっている。男女の恋愛ドラマが表層的なことしか描かず、いまいち心の深部に浸透しないこのご時世、ゲイカップルに教わることがたくさんあるというのは、救いでもある。放っておいてほしい人もいる このふたつの作品から共通して学んだのは、「ほうっておいてほしい人もいる」ことだ。LGBTQであることを言えずに苦しんでいる人に勇気を与える一方で、なんでもかんでも言えばいいってもんじゃない、と思う人もいる。もしかしたら「主に、異性愛者の女性たちに、自分たちの日常や苦悩を萌え対象にされて不愉快だ」と思う人もいるかもしれない。正直、私自身も、金子大地の青臭い透明感に萌えたし、内野聖陽の乙女心に心撃ち抜かれた。 妻子に内緒にしている谷原章介や、職場には内緒にしている西島秀俊に、歯がゆさを覚えたりもした。それでも、二作品のどちらにも「カミングアウトしないという矜持」が描かれていたので、気づかされた。その思いや生きざまも含めて、考えるべきだと。 Aはゲイではなく、バイセクシュアルかもしれないし、もしかしたら性的志向が決まっていない、あるいは迷っている「クエスチョニング」かもしれない。その線引きを私がするべきではないし、そもそも線引きする必要もない。ドラマが教えてくれることはたくさんある、と改めて痛感したクールだった。 と、終わりにしようと思ったが、もうひとつ『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ系)があった。古田新太演じる女装ゲイが高校教師となって、生徒も先生も親も巻き込んで「生きるとは何か?」を伝えていく。生意気で残酷、あるいは葛藤を抱える生徒たちが次第に心を開き、古田を慕っていくのだが、どうやら古田は膵臓(すいぞう)の病気で余命宣告されているっつう話だ。「腐女子、うっかりゲイに告る。」の原作小説 『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』(KADOKAWA刊) サイケな女装で、はちゃめちゃだが芯の通った言動のヒロインに、もれなく感動を呼ぶ病気をセット。エンタメと痛快とほろりを入れこむ学園モノは、日テレの十八番。偏見クソくらえの精神で、生きづらさをパワーに変える古田の姿が、若者の心をつかんでいるようだ。 が、仕掛けに満ちた課外授業が多く、エンタメ性が強すぎて、古田本人のバックボーンにいまいち焦点が当たらない。もう少し早く、そして濃く、古田の背景を見せてくれていたら、『きのう何食べた?』と『腐女子、うっかりゲイに告る。』と並べたいのだけれど。まあ、古田を主人公にした意義はあると思う。世の中、見目麗しいゲイだけではないから。 LGBTQを主人公あるいは主題にしたドラマが好調というのは、いい兆しでもある。テレビ局が丁寧に、そして真摯に作ろうと心がけるようになった気もする。「流行りだから入れとけ」という雑な作品は正直、見向きもされない。テレビ局も視聴者も成熟した時代に突入した、と思いたい。■あえて振り返る俳優「ピエール瀧」とは何だったのか■NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった■私は「同性カップルに育てられる子どもがかわいそう」とは思わない

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    「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 印象報道はどうして生まれるのか。そして、スキャンダルはどのように作られるのか。 新聞やワイドショーの手法を分析していると、常にこの論点を意識してしまう。最近では、「老後に2000万円不足」報道と、国家戦略特区ワーキンググループ(WG)の原英史座長代理を巡る毎日新聞の報道に、この問題を考える糸口があるように思える。 報道によって特定の印象に国民が誘導されてしまうと、事実に基づく論理的でまっとうな判断ができなくなってしまう可能性が生じる。その「悪夢」のような顛末(てんまつ)が、民主党政権誕生のときに見られた「一度はやらせてみよう」という感情論的なムーブメントであった。足掛け3年にもわたって報道されている森友学園(大阪市)や加計学園(岡山市)問題での安倍晋三首相と昭恵夫人に対する嫌疑も同様だと思う。 民主党政権誕生の一つのきっかけは、いわゆる「消えた年金」問題で生まれた。年金関係は今でも世論で大きな関心の的だ。 高齢化の進展に伴い、日本経済が二十数年もの間、長期停滞を経験する中で、老後の不安を抱える人たちが急増した。筆者も自分の老後が本当に安心できるものなのか、常に疑問を抱いている一人だ。 ただし、老後のリスクに本当に対処するには、問題のありかを適切に把握する必要がある。だが、最近の「老後に2000万円不足」報道は、そういう適切な国民の理解を妨げる「偏向報道」の一種だと思っている。 契機は、金融庁の委員会(金融審議会の市場WG)が作成した、「人生100年時代」を視野に入れた資産運用を促す報告書だった。この報告書の事例で、引退した人の家計の平均的な収入と支出を算出して、金融資産の変化を推計している。ワイドショーなどでは、この推計から好んで「年金不安」をあおっている。報告書の文章を引用しておこう。毎日新聞東京本社の入るパレスサイドビル(ゲッティイメージズ) 夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になる。金融審議会 市場ワーキング・グループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」下手な営業宣伝もどき まず、統計面から指摘すれば、そもそもこんな調査対象となった家計の平均収入と平均支出を比較して、それで赤字を算出した金融庁の統計センスを疑う。当たり前だが、家計によって所有している資産は大きく異なる。既に働くのをやめた人たちの間でも、保有資産には大きなばらつきが存在している。 資産が大きければ、それに伴って支出も大きくなるだろう。株などの金融資産を豊富に持っていて、そこからのリターンが大きければ、それによって買うものも多額になる。 平均で考えてしまえば、このような富裕層が支出の平均値を大きく引き上げてしまうだろう。ただし報告書でも、あくまで平均の話でしかない、と「注意書き」をしている。 そもそも、年金だけで老後の生活が「安心」だと考える国民はどのくらいいるのだろうか。年金だけでは不安を感じるので、多くの人は現役時代から貯蓄を行っているのではないか。 例えば、「家計の金融行動に関する世論調査(二人以上世帯対象)」(「知るぽると(金融広報中央委員会)」)では、金融資産を保有していない60代の貯蓄額の中央値が1000万円程度だと試算している。60代も、年金だけでは不安だから、これだけの貯蓄をしているとも見ることができる。 また、いったん退職した60代の人たちが再雇用やバイトなどで働く可能性もあるだろう。あるいは老後の生活のために収支のバランスを見直す人たちもいるかもしれない。2019年6月、衆院財務金融委員会で謝罪し、頭を下げる金融庁の三井秀範企画市場局長。左は麻生財務・金融相 まさに、老後の人生設計は多様である。年金制度はこの多様な生き方を支える一つの重要な柱ではあるが、それだけで、全ての人の老後の支出を満遍なく保障すると考えるのは、単に事実誤認だろう。 おそらく、金融庁はこの報告書を利用して現役世代からの資産運用をアピールしたかったのだろう。まるで証券会社の下手な営業宣伝もどきが、今回の問題を生んでしまったわけである。二匹目のドジョウを狙う人たち しかし、事はその程度の話で、ワイドショーが喧伝(けんでん)するような「年金不安」や「年金破綻」といった年金制度の構造的問題とは、ほとんど関係ない。本当に「年金不安」が課題であるならば、日本経済を安定化させることが年金財政の健全化にも貢献する。 ましてや、筆者も目にした「年金返せ」という政治的な運動は、いったい何をしたいのだろうか。意味がよくわからない。取りあえず、年金の納付額と受け取り見込み額などを知らせる「ねんきん定期便」が自分のところに届いたら、確認することをお勧めする。 この「老後に2000万円不足」報道には、さらにメディアと安倍政権打倒の思惑がクロスして働いているようにも思える。政権を打倒したければ、代替的な政策で迫るのが本筋だと思うが、単に揚げ足取り的な手法で、政権へのダメージだけを狙っているようにも思える。 要するに、一部野党が間近に迫った参院選での争点化を狙って、あたかもメディアとタイアップしているように思える。民主党政権誕生のきっかけになった「消えた年金」問題の「二匹目のドジョウ」というわけだ。まったく国民もなめられたものだと思う。 ひょっとしたら、財務省の思惑も絡んでいるかもしれない。金融庁が財務省の「植民地」であることは周知の事実だ。財務省は、年金不安をあおることによって、不安解消のための消費増税を国民に定着させたい。 現時点では、10月に予定されている消費税率の10%引き上げが話題だ。だが、財務省は今後も消費税のさらなる引き上げを狙っていることは明瞭である。2019年6月、野党6党派の合同集会であいさつする立憲民主党の辻元国対委員長 最終的には消費税を26%まで引き上げようとしている。これは財務省からの出向者によって策定されたと思われる、経済協力開発機構(OECD)の対日経済審査報告書に記載されている数字からもうかがえる。 ちなみに21世紀初頭では、財務省の目標値は18%程度だったので、どんどん切り上がっている。この増税路線を放置しておけば、そのうち消費税率30%超えの声も財務省から遠慮なく出てくるだろう。何となく「疑惑」抱く記事 また、毎日新聞だけが現時点で取り上げている問題に、先述の国家戦略特区WGで座長代理を務める原英史氏を巡る報道がある。毎日新聞が6月11日に報じた「特区提案者から指導料 WG委員支援会社 200万円会食も」と題した記事である。 この見出しの「WG委員」とは原氏のことだが、記事では、識者のコメントも利用する形で、あたかも原氏が「公務員なら収賄罪に問われる可能性」もある行為をしていたとする印象を読者に与えていた。これは毎日新聞の記事にもあるように、「第2の加計学園問題」を匂わせるものである。この記事に対しては、当事者の原氏から既に事実誤認であるとした厳しい反論が、自身のフェイスブックや他サイトに掲載されている。 この毎日新聞の記事は、そもそも原氏が金銭や会食の供与を受けたわけでもない、単に知り合いの企業の話でしかない。しかもその企業の活動自体も違法ではない。いったい何が問題なのか全くわからない。 原氏のどのような活動が問題か、さらには違法性があるのか、道義的問題があるのか、何らわからないまま、読み手に何となく「疑惑」を抱かせる記事になっている。これはメディアの在り方として正しいだろうか。この記事を読む限り、筆者には全くそうとは思えない。 WG座長の八田達夫・大阪大名誉教授も、国家戦略特区諮問会議の席上や、毎日新聞の杉本修作記者への回答を公開して、同紙の報道を批判している。 国家戦略特区は規制改革の仕組みである。既得権者によって過度に保護された規制分野を、消費者や生産者など多数の恩恵が勝るときに、その過度な保護を緩和・解消する試みだ。 規制する側は、過度な保護を受けている既得権者の利益を代弁する官庁である。規制官庁に、規制改革を望む民間の提案者と、WGの委員が共同で対決するわけだから、委員が提案者に助言することが適法というよりも、この特区制度の仕組みでは当然のことである。これは上記の文書などにおける八田座長の発言通りであり、それに尽きる。2019年6月11日、首相官邸で開かれた国家戦略特区諮問会議 つまり、毎日新聞の記事からうかがえるのは、この規制改革の仕組みを理解していないのかもしれない、ということだ。規制改革を特定の利害関係者「だけ」が恩恵を受けているような、規制改革ならぬ一種のあっせん行為みたいに考えてしまっているのではないだろうか。もしそうであれば、誤解を正すべきだろう。■ 高齢読者が「週刊誌ジャーナリズムの牙を抜く」のウソ■ 「人生100年時代」はっきり言って、そんなの無理です!■ 武田邦彦が一刀両断! 生物としての人間に「老後」なんてありません

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    久保建英ら五輪世代を救う森保ジャパン「10番中山雅史」の記憶

    清水英斗(サッカーライター) サッカーの南米選手権(コパ・アメリカ)に挑む日本代表は、東京五輪世代の18人をベースに、海外の所属クラブから承諾を得た中島翔哉(アルドハイル)、柴崎岳(ヘタフェ)らのA代表、いわばオーバーエージを数人加えた23人で編成されている。 Jリーグはシーズン中で、さらに欧州クラブも派遣義務のない大会への招集を渋るケースが多いため、今回のA代表は特殊な構成となった。チーム編成のコンセプトは、来年の東京五輪さながらであり、強化スケジュールを組みづらい五輪代表に実戦を積ませる上では、絶好のシミュレーションになる。 しかし、相手は南米のA代表だ。U-22(22歳以下)を中心とした若い日本代表が、コパ・アメリカという世界最高峰の舞台で力を出し切ることができるのか。 仮に、日本がFW大迫勇也(ブレーメン)やDF吉田麻也(サウサンプトン)といったフルメンバーを集めたとしても、それでも分が悪い相手ばかりだ。さらに南米選手特有の激しいチャージや、審判の目を盗む行動など、海千山千の猛者が織り成す未経験のサッカーに、若いA代表が面食う可能性もある。もっとも、今回のコパ・アメリカはビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)が導入されるため、抑止力はありそうだ。 それ以外にも、状態の悪いピッチを意に介さないダイナミックな技術、殺気すらほとばしるプレッシングなど、南米のA代表には度肝を抜かれるパフォーマンスが多々ある。その勢いや雰囲気に若い選手が飲み込まれてしまっては、東京五輪のシミュレーションとしても消化不良になりかねない。 そんな不安を抱きつつ、日本の招集リストを眺めると、FW岡崎慎司(レスター)、GK川島永嗣(ストラスブール)の名前が飛び込んでくる。昨夏のロシアワールドカップ(W杯)以来、A代表から遠ざかり、今季はクラブでも出場機会が少ない2人だが…。ロシアW杯、エカテリンブルクの宿舎に到着した(左から)GK川島、岡崎、乾=2018年6月(共同) しかし、コパ・アメリカのメンバーに彼らの名を発見した瞬間、2002年のFW中山雅史(当時磐田)とDF秋田豊(当時鹿島)の偉大なる「父性」を思い出したのは、おそらく筆者だけではないはずだ。 あれは2002年、日韓W杯直前の出来事だった。長らくA代表から遠ざかっていた中山と秋田が、トルシエジャパンの最終メンバーにサプライズで名を連ねた。「10」を背負ったストライカー 当時、中山は34歳、秋田は32歳。一線の戦力として計算されたわけではない。しかし、直前で落選したMF中村俊輔(当時横浜M)に代わり、中山が着けたのは背番号10。本来は9番の泥臭いストライカーが背負う、数奇な運命だった。 結局、本大会で中山がプレーしたのは、途中出場1試合のみ。秋田は出場しなかった。それでも、当時の日本代表がベスト16に進出する上で、この2人を功労者に挙げる人は少なくない。 チームスポーツにおいて、サブ組の気持ちのやり場は常に難しい。それが如実に表れるのが、試合翌日の練習だ。試合でプレーした選手たちは、疲労を抜くため、ピッチの外周をジョギングしている。 その一方、サブ組はピッチ中央で厳しいフィジカルトレーニング、激しいミニゲームに取り組む。試合に近い負荷を与えることで、レギュラー組とのコンディション、身体のリズムを合わせるためだ。 しかし、このとき必死に身体を追い込むサブ組と、レギュラー組の間には、明らかな序列ができる。「あのプレーはどう」「あの相手はどう」と、談笑を交えながらジョギングするレギュラー組を尻目に、サブ組は必死に自分を追い込んで、アピールしなければならない。 それでも、出番があるかどうかはわからない。徒労に終わるかもしれない。そんな先行き不透明な中、サブ組だけで練習を行う選手の気持ちについて、元日本代表DFの岩政大樹氏は、筆者とともに出演した『スカサカ!ライブ』で、「あれは精神的につらい」と語っていた。 2002年に話を戻すと、そんな気持ちが萎(な)えがちなサブ組の練習中、チームを引っ張っていたのが、中山と秋田だった。このレジェンドたちが、必死に自分を追い込むなか、若い選手が手を抜くわけにはいかない。日韓W杯予選リーグ チュニジアー日本 ベンチに下がった中田英寿(7)を出迎えるFW中山雅史(中央)とDF秋田豊=2002年6月(斉藤浩一撮影) 2人がもたらす、ピリッとしたムード。しかし、チームを盛り上げるときは、思いっきり盛り上げる。メリハリだ。 そして、アンタッチャブルになりがちな選手のことも「オラッ」といじる。短期大会において、勢いと一体感は何より大切だ。チームの何たるかを知る2人のベテランは、文字通りトルシエジャパンのラストピースだった。「出遅れ」の焦りを変える 同じくベスト16へ進出した2010年の岡田ジャパンも、負傷を抱えて実戦から遠ざかっていた川口能活(当時磐田)を、あえて第3GKとしてサプライズ招集した。川口は選手同士のミーティングでも、率先してまとめ役になり、チームの団結を促した。当時、周囲から全く期待されていない岡田ジャパンが前評判を覆す上で、川口が果たした役割は大きかった。 ベンチの雰囲気=チームの団結。大舞台で結果を残すためには、実はこれが最も大事な要素である。 森保一監督がどう考えるかはわからないが、東京五輪を控えた今回のコパ・アメリカの位置付けを鑑(かんが)みれば、岡崎と川島が3試合全部にスタメン出場する可能性は低いだろう。しかし、経験豊かな彼らがベンチに座ることの意味が、どれほど大きなものになるか。 この東京五輪世代には「出遅れ」の焦りを感じる選手も少なくない。DF冨安健洋(シントトロイデン)はすでにA代表でレギュラーを獲得しているし、コパ・アメリカに招集されていないMF堂安律(フローニンゲン)も同様だ。 レアル・マドリードに移籍するMF久保建英(たけふさ)も先のキリンチャレンジカップに途中出場し、鮮烈なデビューを果たしたばかりだ。U-22世代の選手が焦りを感じるのは当然であり、特に海外移籍後、クラブで出場機会を得られていないDF板倉滉(こう、フローニンゲン)らは、ここでアピールしなければ、という思いの強さが空転するリスクもある。 岡崎と川島には、チームの「万能薬」としての効き目が期待される。同世代チームにありがちな、ぬるい空気をピリッと引き締めたり、時には同世代ならではの焦燥感を解きほぐしたり、あるいはコパ・アメリカという未知の強豪への心構えを解いたり…。ともすれば、ブラジルW杯の日本戦に現れたコートジボワールのFWドログバのように、途中出場で試合の空気を一転させる存在に。日本―エルサルバドル 後半、相手GKと交錯したMF久保建英=2019年6月9日、ひとめぼれスタ 2人とも、声の大きな選手である。ミックスゾーン(取材エリア)ではいつも2人の声が遠くまで聞こえているし、練習中も川島の迫力あふれるコーチングが響き渡っている。 岡崎と川島は、チームに勇気や元気をもたらす類いの選手であり、この2人の姿こそ、中山や秋田、川口の系譜に連なる。森保監督は『10番中山雅史』の歴史を紡いだ。コパ・アメリカが楽しみである。■ 森保ジャパン新エース、中島翔哉に代わる「サッカー小僧」を探せ■ 日本人はなぜ「4年に一度の祭り」としてサッカーを消費するのか■ 昌子源が届かなかった「50センチ」に世界との差を見た

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    「国民を甘やかすな」異端理論よりもタチが悪い財務官僚の特権意識

    も少しずつ理解されてきたのではないか。 消費増税をめぐっては、反緊縮路線に立つ識者の動きも急である。連載で明らかにしているように、筆者の立場は明確に消費増税反対である。 だが、反緊縮路線の中でも、議論の混乱には寄与しても、あまり建設的なものとはいえない動きもある。かえって欠点を突くことで、財務省が反緊縮政策叩きに利用している理論がある。2019年1月、米下院を訪れたアレクサンドリア・オカシオ・コルテス議員(UPI=共同) それは、欧米を中心に人気の高い現代貨幣理論(MMT)を巡るものだ。これは米国の人気若手政治家、民主党のアレクサンドリア・オカシオ・コルテス下院議員が賛同したことで、知名度を飛躍的に上げた。日本でも、MMTの注目度は高い。粗いMMTを支持する粗い論説 MMTについては、別の論説で詳細に解説したのでそちらを参照にしてほしい。MMTを簡単に一言で言うと「インフレにならない限り、政府の財政赤字は問題にならない」ということだ。 だが、実践的な面でも理論的な面でも、実に粗い主張である。また、MMT支持者側からの具体的なモデル化がほとんどない。そのため主張の詳細がよくわからないという不可思議な話にもなっている。 日本におけるMMTの支持者代表が、経産官僚で評論家の中野剛志氏だ。ただ、中野氏の論説もかなり粗いように思える。 例えば、ある論説の中で「日本はデフレですから、『MMTは、今の日本には効果的かもしれない』とラガルドは考えているということになります」と中野氏は述べている。ラガルドとは、国際通貨基金(IMF)専務理事のクリスティーヌ・ラガルド氏のことだ。 ところが、4月11日に行われたIMFの会見原文を読めば、ラガルド氏がMMTを明白に否定していることがわかる。むしろ、短期的には有効に見えても、それは維持可能な政策ではないという趣旨で批判している。 しかも、「日本を含む世界の国の中で、このMMTが当てはまる状況にある国はない」とも明言しているのである。中野氏のように、MMTを肯定的に述べる文脈で自分の発言が利用されたと知ったら、ラガルド氏はさぞ驚くことだろう。 いずれにせよ、MMTが政策として採用されることはないだろうし、その方が幸運だろう。だが、実際には、MMTをはるかに超えるトンデモ経済論が、日本で実施されていることの方が深刻だ。記者会見するIMFのラガルド専務理事=2019年4月11日、ワシントン(共同) トンデモな人たちによる最悪のトンデモ理論、それは財務省の緊縮路線である。この財務省のトンデモな驕りを決して甘やかしてはならない。■ 「消費税26%発言」止まらない財務省の増税インフレ■ 黒田総裁はやっぱり日本経済の「どえらいリスク」だった■ 馬淵澄夫手記 「日本を覆う『消費税神話』からの脱却を」

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    中韓に誤ったシグナルを送る岩屋防衛相の「未来志向」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) シンガポールで行われたアジア安全保障会議(シャングリラ対話)における岩屋毅防衛相の中国、韓国に対する対応は、端的に言って悪いシグナルを国内外に伝えるものでしかなかった。 まず、昨年末に起きた海軍艦艇による自衛隊機への火器管制レーダー照射問題において、韓国は自国の責任を認めるどころか、悪質な映像のねつ造や、論点ずらしといった国防・外交姿勢を重ねたことは記憶に新しい。 この問題については、今までの日韓における、取りあえずの安全保障上の「協力」関係に、韓国側から「裏切り」行為が生じたものと解釈できる。日韓の安全保障上の協力関係では、朴槿恵(パク・クネ)大統領時代に発効した日韓秘密軍事情報保護協定(GSOMIA)や、部隊間交流などがあった。 そのような日韓の「協力」関係は、昨年末の韓国側からの「裏切り」により、日本側はそれに対応する形で大臣クラスの積極的な交流を避けてきた。また、海上自衛隊の護衛艦「いずも」の釜山入港を見送る対応をしてきた。 その流れにもかかわらず、岩屋氏はレーダー照射問題が生じてからというもの、韓国の「裏切り」に一貫して甘い姿勢であった。率直に言ってしまえば、韓国に媚びる発言をしばしば繰り返していたのである。 2月の記者会見でも、岩屋氏は韓国との防衛協力を急ぐ考えを示し、現場交流を再開していた。北朝鮮のミサイルや核兵器の脅威があり、日韓米の協調体制が必要とはいえ、このような岩屋氏の姿勢は合理性を欠いた。むしろ、日韓、そして日韓米の防衛協力を長期的に毀損(きそん)する可能性があるといえる。非公式会談で握手する岩屋防衛相(右)と韓国の鄭景斗国防相=2019年6月1日、シンガポール(韓国国防省提供・共同) 日本と韓国の防衛協力が、韓国側の「裏切り」で揺らいでいるのは偶然ではないだろう。文在寅(ムン・ジェイン)政権に代わって、この問題も日本への姿勢が明らかに変化したシグナルととらえるべきだ。求められる「限定的合理性」 慰安婦問題の蒸し返しや、いわゆる「元徴用工」問題といった国内問題に関して、韓国は日本に責任をなすりつけ始めた。このことでもわかるように、文政権の日本への姿勢転換は鮮明である。この文脈上で、レーダー照射問題を、岩屋氏の中途半端で性急な「媚韓」的態度で対応すべきではないと考える。 こう書くと、中途半端な自称「リベラル」系の人たちや、「ハト派」と表現されれば誇らしいと信じている愚かしい人たちの意見が出てくる。「そういう強硬な意見は、単に愛国主義的な意見の歪みだ」という手合いだ。全く理に適う思考に欠けていると思う。 この種の意見は、見かけの「平和」や「友好」を口にする一種の「偽善者」ではないだろうか。ちなみに、政治学者で大和大講師の岩田温氏の『偽善者の見破り方』(イーストプレス)には、その種の「偽善者」たちのわかりやすいサンプルが多数あるのでぜひ参照されたい。 「協力」関係がまずあって、それに対して相手側が最初に「裏切り」を選んでくるならば、こちらもそれに対して「裏切り」で応じるのが、長期的には「両者」とも最も得るものが大きくなる。これはゲーム理論でいう「しっぺ返し戦略」(オウム返し戦略)であり、最も協力関係を生み出しやすい戦略である(参照:渡辺隆裕『ゼミナール ゲーム理論入門』、ロバート・アクセルロッド『つきあい方の科学』)。 相手と同じことをするので、相手側は「裏切り」をやめて、「協力」を表明すれば、こちらもそれに応じて「協力」することになる。間違っても自分の方から「協力」を持ち出すべきではない。そうすれば、再び協力関係が構築できず、日韓の関係は不安定になり、両国が損失を被る。 特に、現在の東アジア情勢のように、一寸先には何が起こるかわからない不安定要素な状況では、最初から長期的な予想を積み上げていくことは困難である。場に合わせて対応していく手法を磨いていくことが望ましい。会談前に握手する(左から)韓国の鄭景斗国防相、シャナハン米国防長官代行、岩屋防衛相=2019年6月2日、シンガポール(共同) 完全に将来を合理的に予測するのではなく、その場その場の情報を元に戦略を組み上げていく「限定的合理性」を前提にした政治や安全保障の戦略が大切になる。つまり、「しっぺ返し戦略」は、限定合理性の観点からも望ましい戦略なのである。 今回は、韓国側が裏切ったのだから、岩屋氏は「裏切り」、つまり非協力姿勢を採用するのが最も望ましい。たとえ甘言だとしても、自ら進んで「協力」を言い出すべきではないのだ。岩屋大臣の「愚かしさ」 だが、今回のシンガポールでの会議では、岩屋氏はむしろ積極的に、韓国国防相との非公式会談を行った。それどころか、その場でレーダー照射問題を棚上げし、記者団に対して「話し合って答えが出てくる状況ではない。未来志向の関係を作っていくために一歩踏み出したい」と発言した。 この岩屋氏の発言は、もちろん防衛関係者だけではなく、日韓の国民やメディアに間違ったシグナルを送ったことは間違いない。つまり、日本は「しっぺ返し戦略」を採用する能力も意志もない、というメッセージとなる。 これを聞けば、韓国側は「裏切り」行為を今後も続けていくだろう。もちろん、それは日韓の長期的な協力関係を不安定なままにするだけだ。 本当に愚かしい大臣としか言いようがない。ジャーナリストの門田隆将氏や経済評論家の上念司氏らは岩屋氏の罷免や退任を要求する趣旨の発言を会員制交流サイト(SNS)で表明した。 私も彼らと前後して同様の感想を書いた。別段、それはイデオロギー的な偏見ではない、上記で説明したようなゲーム理論からの省察である。 岩屋氏の姿勢は韓国に対してだけの話ではない。シンガポールでの中国の魏鳳和国防相との会談後、訪中の意向を改めて表明している。 尖閣諸島の周辺では、中国海警局の船舶による接続水域の航海が記録的な回数に上り、日本側に重圧を与えている。このような戦略を採用し続ける国に対して、岩屋氏の訪中の意欲は、韓国の場合と同様に、むしろ日中の関係を長期的に危ういものにするだろう。要するに、岩屋氏の「ニセの未来志向」は日本の国益を損ねるだけである。「アジア安全保障会議」に臨む韓国の鄭景斗国防相(左)と岩屋防衛相=2019年6月1日、シンガポール(共同) 安倍政権にとって、10月に控える消費税率10%引き上げと、岩屋防衛相は日本を誤らせる重荷でしかない。「一歩踏み出して」早めに辞めさせるべき人物である。■ 田母神俊雄手記「レーダー照射、韓国軍の実力では自衛隊と戦えない」■ レーダー照射「論点ずらし」は韓国の反転攻勢だ■ レーダー照射、韓国が日本に期待した「KY過ぎる甘え」

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    天下を取った女芸人「山田邦子」復活の道は一つしかない

    ラリー遠田(お笑い評論家、ライター) 今年デビュー40周年を迎える山田邦子は、言わずと知れたレジェンド芸人である。だが最近、そんな彼女と所属事務所である太田プロダクションとの確執が報じられて話題になった。 事の発端は、4月29日に山田が自身のブログに書いた1本の記事である。彼女は4月27・28日に歌舞伎座で行われた「長唄杵勝(きねかつ)会」に出演していた。芸能生活40周年の記念の年に長唄杵勝会の名取「杵屋勝之邦」を襲名するという特別な公演だった。この公演に関して彼女はブログで以下のように書いていた。 39年所属しておりました太田プロダクションの事務所スタッフには誰ひとりも観てもらえなかったことがとても残念でした。この事は新しい令和の年に向けいろいろ整理が付く、出来事にもなりました。残念です。 事務所のスタッフが誰も見に来なかったことに苦言を呈したのである。これを受けて、『女性セブン』では直撃取材を受けた彼女がコメントをしていた。20年ほど前に社長が代わってから事務所の様子が変わり、自分のマネジャーが動いていない状態に陥ってしまったのだという。その後の報道で彼女の「独立説」までささやかれた。 5月21日の囲み取材で現時点での独立は否定したものの、彼女と事務所が実際にどのような関係にあるのかは分からない。かつては屋台骨として事務所を支えていた彼女が、現在では事務所に見放されて軽く扱われている、ということなのかもしれない。太田プロダクションからの独立騒動について、「ない!」と完全否定した山田邦子=2019年5月21日、東京都(森岡真一郎 撮影) 90年代前半頃の山田の勢いはすさまじいものだった。全盛期には週14本のレギュラー番組を抱え、8社のCMに出演。映画やドラマの出演も多数、CDや小説を出せば軒並みベストセラーに。NHKの「好きなタレント」調査では8年連続で女性部門1位を獲得。本人の話によると、当時の月収は約1億円だったという。女芸人の質・量ともにかつてないほど充実している現在でも、全盛期の彼女の実績を超えられそうな人材は見当たらない。 なぜ山田はそれほど圧倒的な人気を誇っていたのだろうか。その最大の理由は、彼女のキャラクターが当時は斬新だったということだ。山田は学生時代から成績がオール5の優等生だった。芸人でありながら、演技ができて、歌がうまくて、独特のファッションセンスがあり、文章も面白い。彼女が芸人の枠にとどまらないマルチな活躍ができたのは、そもそも優等生タイプの新しい女性芸人だったからだ。山田邦子「唯一の活路」 当時は今よりもずっと「笑いは男の仕事」という風潮が強かった。そのため、女性芸人自体があまり目立っていなかった。今でこそ、女性芸人がドラマに出たり、本を書いたり、ファッションセンスを評価されたりするのは珍しいことではない。だが、当時はそういう女性芸人がほとんどいなかったため、山田の存在感は際立っていた。派手なファッションで明るいキャラクターの彼女は、バブル期前後の浮かれた空気に似つかわしいタイプの芸人だった。 だが、日本の景気低迷に伴って、彼女の人気もどんどん落ちていった。山田以外の女性芸人も続々と世に出てくるようになり、あぐらをかいていられる状態ではなくなってきた。優等生だった彼女はこれまでどんな女性芸人も達したことがなかったような高みにまで上り詰めてしまったため、そこから落ちていくときの勢いもすさまじく、地道に撤退戦を戦い抜くことはできなかった。   最近、山田をテレビで見かける機会が少ないのは、彼女が一度は頂点を極めてしまった芸人だからだろう。彼女は全盛期には自分の番組をたくさん持っていて、司会を務めていた。自分が仕切ることに慣れているので、いまさらひな壇に座って大勢いるゲストの1人という立場に置かれても、そこでうまく立ち回ることができないのだろう。 テレビタレントは、時代の移り変わりに合わせて自分のキャラクターをマイナーチェンジしていく必要がある。また、年齢を重ねることで世間から求められるものも少しずつ変わってくる。山田は良くも悪くもキャラクターが若い頃からずっと変わっていないようなところがあるため、それが時代の空気や自分の年齢に合わなくなってきたのではないか。 ただ、逆に考えると、最近の山田が事務所と何やらもめているというのは、必ずしも悪い話ではない。なぜなら、何も話題にならないよりも、たとえネガティブであっても話題になっている方がタレントとしては望ましいからだ。芸能人物、派手なチュウリップスカートで”新恋人”?のRYO(右)と新曲「涙の贈り物」を披露する山田邦子=1993年2月 キャリアが長く、いまさら守るものもない彼女は、芸能界で起こったことに関して気兼ねなく好きなことを言える立場にある。坂上忍や梅沢富美男の最近の活躍ぶりを見れば分かるように、臆することなく自分の意見を発信できる「ぶっちゃけキャラ」は今のテレビでは重宝される存在だ。山田がテレビタレントとしてこれから復活することがあるのだとすれば、そんな「ご意見番」路線しかないのではないかと思う。■『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み■元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑■剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

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    「首相はトランプの運転手」朝日の安倍批判がイケてない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 米国のトランプ大統領が5月25日から28日まで、3泊4日の日程で日本に滞在し、令和(れいわ)最初の国賓として精力的に過密スケジュールをこなした。天皇、皇后両陛下は、トランプ大統領と会見されたことで、新しい令和の時代における親善外交のスタートとなった。 また、安倍晋三首相との協議では、北朝鮮情勢や首相のイラン訪問といった外交問題や、2国間貿易交渉の事実上の先送りなどが話し合われた。中でも、北朝鮮の拉致問題に関して、被害に遭われている家族の人たちと2度目の面会をしたことが注目される。 日本では、トランプ批判を好む人たちが、人権を重視すると自称している「リベラル」に多い。しかし、トランプ大統領の拉致問題に対する関心は強く、また持続的なものといえる。 それは、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との2度の首脳会談で、拉致問題を議題にしたことでもわかる。「人権」を振りかざすことはないが、そのアプローチは、口先だけの人権派とは異なる説得力を有する。 むしろ、日本の「自称リベラル派」の方が、意見の「多様性」を認めず、相手が自分にとって認められない反応を少しでもすれば、徹底的に排除していく姿勢を見せていないだろうか。政治学者で大和大講師の岩田温氏はこの現象を「偽善者」特有のものとして強く批判している(『偽善者の見破り方』イーストプレス)。 また岩田氏は、トランプ大統領と民主党政権時代の鳩山由紀夫元首相を比較している。トランプ大統領は、個人弁護士で元腹心のマイケル・コーエン被告が議会で証言した「(トランプ大統領は)人種差別主義者で、詐欺師で、ペテン師だ」という酷評を紹介した上で、岩田氏はむしろこの種のありがちな評価よりも北朝鮮外交におけるトランプ大統領の現実感覚を高く評価している。トランプ米大統領夫妻と宮殿・回廊を歩かれる天皇、皇后両陛下=2019年5月27日(代表撮影) 他方で、鳩山由紀夫氏に対する米紙ワシントン・ポストの「ルーピー(くるくるパー)」と辛辣(しんらつ)な評価との比較を行っている。つまり、注目すべきなのは、外交方針において、トランプ大統領はぶれておらず、鳩山元首相は米軍普天間基地の移設問題について、方針がぶれまくったために日米関係を危うくしたと岩田氏は指摘している。私もこの点に賛同する。蜜月を築いた「トリガー戦略」 そのトランプ政権の外交手法を分析すると、ゲーム理論でいう「トリガー戦略」に似ている。これは交渉相手が裏切れば、それを許さず、報復姿勢を持続的に採用するものだ。現在の中国や北朝鮮、イランに対する姿勢がこれに当てはまるといえるだろう。 このトリガー戦略に近いのが、「しっぺ返し戦略」だ。ただ、トリガー戦略ほど「強い」ものではなく、一度裏切られたら、そのたびに報復していく。それゆえ、トリガー戦略の方が長期的で安定的な協調関係を生み出しやすいといわれている。 北朝鮮に対しては、国連安全保障委員会の決議違反をしたことにより、米国の制裁は米朝首脳会談の進展にかかわらず、全くぶれていない。また、米国の姿勢に日本が完全に同調していることで、トランプ政権には、日本がトリガー戦略の心強いパートナーとして映るに違いない。 トランプ大統領と安倍首相との政治的「蜜月」には、このトリガー戦略の採用、あるいは軸がぶれない外交姿勢に裏付けられたものであるように思える。先ほどの拉致問題への関与はその一例であろう。 だからこそ安倍政権は、トランプ政権の拉致問題に対する理解を背景にして、金委員長との首脳会談を実現させ、拉致被害者の救済を完遂すべきだ。にもかかわらず、なぜか日本のマスコミは、この外交上の協調関係を低評価して、話題をつまらない方向に限定する傾向にある。 その典型が、今回の安倍首相とトランプ大統領に関する記事にも表れている。例えば、朝日新聞の霞クラブ(外務省担当記者クラブ)のツイッターは、千葉で行われた両首脳のゴルフの写真に対して、「とうとうトランプ大統領の運転手に」と低レベルな揶揄(やゆ)を書いていた。安倍晋三首相が運転するゴルフカートに乗り、笑顔を見せるトランプ米大統領=2019年5月、千葉県茂原市の茂原カントリー倶楽部(内閣広報室提供) その写真では、安倍首相がトランプ大統領を横に乗せて、ゴルフカートを運転していたからだ。だが、インターネットのいい所は、このような低レベルな書き込みに対して、米国で行われた両首脳のゴルフでは、トランプ大統領の方が運転していたと写真を添えて即座に反論できる点にある。マシな報道はないのか まさに、朝日新聞の中身のない「反権力」姿勢や、「安倍嫌い」「トランプ嫌い」の軽薄さを示す出来事であった。当たり前だが、ゴルフをともにすることは、その場が率直な意見交換の場になり得るし、また対外的に「親密さ」をアピールする場にもなる。 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権のように、本来なら日米とともに北朝鮮に対峙(たいじ)しなければいけないのに、まるで北朝鮮側のエージェントのようにふるまう政権には、日米の「親密さ」が強い政治的メッセージになる。もちろん、北朝鮮や中国に対しても同様だ。 さらに、両首脳の大相撲観戦に関する毎日新聞や朝日新聞の記事もおかしなものだった。前者は、トランプ大統領が拍手もせずに腕組みしていたことを不思議がる記事だったし、後者は大統領の観戦態度に「違和感」があるとするものだった。 一方で、日本経済新聞はさすがにスポーツ記事が面白いだけあり、両紙に比べると客観的に報じていた。「首相に軍配について聞くなど説明を聞きながら熱心に観戦した」とした上で、優勝した朝乃山に笑顔で米国大統領杯を渡すトランプ大統領の写真を掲載していた。 反権力や安倍・トランプ両政権への批判を止めることはしないが、それにしても、もっとましな報道はないのだろうか。嘉悦大教授の高橋洋一氏は、次のように日本のマスコミの低レベルぶりを批判している。 イデオロギーで考える文系の記者は、ロジカルな世界である科学や経済を理解するのは難しいから、そういう記者は、科学や経済の報道に携わらないほうがいい。スポーツなどを担当するといいのかもしれない(笑)『「文系バカ」が、日本をダメにする』(ワック)2019年5月、大相撲夏場所千秋楽を升席で観戦する(上左から)安倍首相、トランプ米大統領、メラニア夫人、昭恵夫人(代表撮影) だが、今回のゴルフと大相撲に関する記事やコメントを読むと、スポーツ関係でも客観性について怪しいと言わざるをえないのである。■ 朝日新聞の次なる標的は「アイヌ侵略」で間違いない■ 「ヤフーニュース一人勝ち」紙メディアよ、死を迎える前に現実を見ろ■ 記事大坂なおみの国籍で「政権倒れる」毎日新聞記者のあきれた論理

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    大坂なおみは今のメンタルで戦い続けられるか

    武田薫(スポーツライター) 5月26日の日曜日、テニスの全仏オープンが開幕した。4大大会の第3弾となる同大会の会場はパリ郊外にあるブローニュの森の近くにあり、その地名から「ローランギャロス」と呼ばれる。最大の注目が、女子シングルスの第1シードに座った大坂なおみである。 昨年の全米オープン、今年の全豪オープンを連続で制覇し、全4大大会連続優勝の「グランドスラム」を達成するチャンスが残る。女子では、シュテフィ・グラフ(1988年)やセレナ・ウィリアムズ(2003、15年)など過去に5人しか達成していない金字塔だ。 全仏の特徴は赤土のクレーコートである。芝の上で始まったローンテニス(テニスの正式名)もいまやハードコートが主流。ハードコートではパワーもスピードもストレートに反映され、イレギュラーもないから実力がしっかり評価できる。一方、クレーコートは非日常との戦いになる。足元が滑り、パワーが削がれてラリーが続く。天候の影響を受けて球脚は微妙に変化する――。心身ともフレッシュでなければ、とても2週間は勝ち抜けない。 現在世界ランキング1位の大坂は大舞台に強いのだが、見通しはあまり良くない。4大大会の中でも特に全仏は実績がなく、それよりも全豪オープン優勝以降のツアー成績がパッとしないのだ。ここまで6大会に出場して10勝6敗、一度もベスト4に勝ち残っていない。ナンバーワンとしては物足りない。 メジャー大会に2度も優勝すれば環境は一変する。そんな「シンデレラ」状態に、コーチ解任、ウエア契約の変更も重なって内面はかなり混乱しているはずだ。最近、彼女のチームに気になる変化があった。 4月第3週のシュツットガルト(ドイツ)大会から、茂木奈津子トレーナーがチームに復帰した。昨シーズン一緒だった茂木トレーナーは語学堪能で大坂と良好な関係を築き、全米オープンの優勝にも立ち会った。それだけに昨年暮れの解任は意外で、シーズン途中の復帰もまた不思議な人事だ。 大坂は復帰についての理由を明らかにしないが、こんなことが考えられる。  昨シーズンからの飛躍の立役者、コーチのサーシャ・バインの解任で心配されたのが精神面だった。テニスは8割がメンタル勝負と言われ、大坂のプレーは確かに不安定になったのだが、そんな折、3月のマイアミ大会に姉の大坂まりが推薦出場した。 なおみが大好きな1歳上の姉は世界ランク340位の現役選手。マイアミはトップ全員集合の大会で姉さんに出番はなかった。推薦出場に何らかの交渉があったのはもちろんだが、姉妹は久々に合流できた。シングルス準々決勝で勝利して4強入りを果たし、歓声に応える大坂なおみ=2019年4月26日、シュツットガルト(共同) 大坂なおみは無邪気、無垢、純粋……強さと繊細を併せ持ったところが魅力だけに、周囲は精神面の安定を模索している。姉の推薦出場、茂木トレーナーの復帰はその舞台裏を物語っているだろう。個人競技のテニスは、かようにチームプレーとなったのだ。高額賞金がもたらしたもの 現在の大坂チームの構成は、ヘッドコーチがジャーメーン・ジェンキンス、フィジカルトレーナー(PT)がアブドゥル・シラー、アスレチックトレーナー(AT)が茂木奈津子、マネジメント会社IMG出向のスチュアート・ドゥグッドは辣腕マネジャーといわれ、加えてハイチ系米国人の父親レオナルド・フランソワ。また、4大大会には日本テニス協会の吉川真司ナショナルコーチが、助っ人としてつく。 ジェンキンスは元NCAA(全米大学体育協会)チャンピオンで昨年までビーナス・ウィリアムズのヒッティングパートナーだった。シラーはNFL(米プロフットボール)のトレーナーからセレナのチームに招かれた「筋肉の専門家」だ。ジェンキンスの弟は現在もセレナのチームの一員で、前コーチのバインも以前はセレナのヒッティングパートナー。大坂チームは、ウィリアムズ一家の経験や情報を吸収した専門家集団ということだ。心技体の技と体をジェンキンスとシラーが受け持ち、心の部分を茂木トレーナーがカバーする構造である。 日本のスポーツ界のトレーナーのほとんどは、マッサージや鍼灸(しんきゅう)による肉体整備を担当する。茂木トレーナーは慶応大学からスポーツマッサージ専門学校で学んだ異色のキャリアを持つ。一方、シラーのようなPTは選手の肉体を作り上げるのが仕事になる。選手にスピードが必要と判断すれば、そのためのトレーニングメニューを作り、サーブを強化するために上半身を鍛える。日本にPTがいないのは、プロとアマチュアの違いからくる文化の差なのだろう。 テニスにチーム体制を持ち込んだのは、1980年代のマルチナ・ナブラチロワだった。そして、現在のように役割分担が細分化されたチームの定着は、ロジャー・フェデラー、ウィリアムズ姉妹以降のこと。専門家の中には悪いヤツもいて、マリア・シャラポワのケースのようにドーピングが発覚したりする。 チーム経営には当然、金がかかる。高額賞金がもたらしたシステムとも言えるし、昨年、30歳を過ぎて全米、ウィンブルドンで準優勝したケビン・アンダーソンはこう話していた。 「37歳のフェデラー、32歳のナダル、31歳のジョコビッチなど、高齢選手が衰えを知らず活躍している理由は、賞金分配が上に厚いのも一因だ。莫大な賞金で各分野の優秀な専門家をチームに加えてキャリアを延長させることができる―」新コーチのジャーメーン・ジェンキンス氏(右)と練習する大坂なおみ=2019年3月6日、米カリフォルニア州インディアンウェルズ(共同) ウィリアムズ姉妹の頭脳が大坂に流れ込んでいるが、それでも心の安定まで得ることはできない。大坂、そして錦織はローランギャロスでどんな活躍をするだろうか。チームが陣取るファミリーボックスに悲喜こもごもの2週間が始まる。■大坂なおみの国籍で「政権倒れる」毎日新聞記者のあきれた論理■大坂なおみを待ち受ける日本の「国籍ルール」はここがヘン■「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情

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    秀吉禁止令も頬被り、朝鮮出兵で横行した理性なき「奴隷狩り」

    渡邊大門(歴史学者) ここまで、豊臣秀吉の人身売買に関する政策、そしてポルトガル商人によって日本人奴隷が海外に輸出された状況を確認してきた。日本と海外との通交が盛んになるに連れ、人身売買の規模もよりワールドワイドに展開したことが分かる。次に、状況が変化したのは、文禄・慶長の役だった。 天正18(1590)年に小田原征伐により北条氏が滅亡すると、国内における大戦争は終結し、平和な時代を迎えた。秀吉の支配欲は海外へと向けられ、それが現実のものとなる。秀吉は中国や朝鮮へ侵攻し、そこに天皇を移して、諸大名に領土を分け与える構想を持っていた。その戦争こそが、文禄・慶長の役なのである。 文禄・慶長の役とは、豊臣秀吉が文禄元(1592)年から自身が亡くなる慶長3(1598)年にかけて、中国の「明」征服を目指し、朝鮮半島に出兵した一連の戦争である。当時の日本では、「唐入り」または「高麗陣」と呼ばれていた(朝鮮側では「壬辰・丁酉の倭乱」と呼んだ)。 秀吉は関白に就任した天正13(1585)年ごろから、明の征服構想を持っていたといわれている。その構想が具体化したのは、天正15年における薩摩・島津氏征伐直後のことである。秀吉は対馬の宗義智(そう・よしとし)が朝鮮と交流があったことから、対朝鮮交渉を命じた。その内容とは、第一に朝鮮が日本に服属すること、第二に日本が明を征服するに際して、その先導役を務めさせるというものだった。 日ごろ、朝鮮と通交のある義智にとって、秀吉の命令は実に大きな難題であった。以後、義智はこの問題をめぐって、苦悩することになった。 朝鮮との関係を憂慮した義智は、秀吉の意向をそのまま伝えなかった。義智は家臣を日本国王使に仕立て上げ、第一に秀吉が日本国王に就任したこと、第二にその祝賀のため通信使を派遣するよう朝鮮サイドに依頼した。義智の考え抜いた対応が、のちに大きな誤解を生んだのである。 朝鮮サイドはこの申し出を断ったが、強硬な態度で臨んだ秀吉は、決して納得しなかった。そこで義智は、改めて博多の豪商・島井宗室らと朝鮮に渡航し、再び通信使の派遣を要請したのである。 天正18年、再び要請を受けた朝鮮側は、通信使を派遣し秀吉との謁見に臨み、事態の収拾を図ろうとした。交渉の席には、秀吉をはじめ菊亭晴季(きくてい・はれすえ)らの公家も参列した(『晴豊記』)。朝鮮側の意向にかかわらず、秀吉が通信使に改めて命じたのは、明征服のための先導役だったが、それを知らない朝鮮通信使は秀吉の祝賀のため来日したのである。豊臣秀吉像 秀吉の明征服の先導役を命じるという要求は、通信使から朝鮮国王にも伝えられた。同時に翌天正19年、秀吉は明征服のための拠点を作るため、肥前名護屋(佐賀県唐津市)に城郭を築城した。一方、朝鮮との交渉は難航を極め、交渉役の宗義智と小西行長は対応をめぐって頭を抱えていた。 2人は考え抜いた揚げ句、朝鮮に明攻略の先導役を務めるのではなく、明征服のために道を貸して(開けて)欲しい、と交渉内容をすり替えた。しかし、最終的に両者の交渉は決裂し、日本は朝鮮半島に侵攻する。禁止された「乱取り」 文禄・慶長の役においては、日本の戦国大名がこぞって参加し、朝鮮半島へ侵略行為を行い、いわゆる乱取り=奴隷狩りが行われていた。 日本軍は朝鮮半島での戦争の際、日本での慣例に習い、多くの女や子供を連行した。その様子は、奈良・興福寺の多聞院主が書き継いだ日記『多聞院日記』に描かれており、奈良に連行したことが知られている。 島津軍などは、朝鮮から薩摩へ帰る際、奴隷を連行するための手形を船頭に与えている。のちに、日本と朝鮮が和平を行ったとき、日本の奴隷連行が大きな障害となったほどである。以下、人身売買や拉致などの問題を中心に述べることにしよう。 日本国内の戦場において、人や物資が略奪(乱取り)されたことはここまでに触れた通りである。乱取りは雑兵たちの戦利品となり、彼らの懐を潤した。あるいは、戦争に出陣する目的が乱取りにあったのではないかと思うほどである。 秀吉が朝鮮出兵の際に出した方針は、次に掲げるものだった(「毛利家文書」)。天正20年4月26日付のものである(主要なものを抜粋)。 ①還住した百姓や町人に米銭金銀を課してはならない。 ②飢餓に苦しむ百姓を助けること。 ③あちこちで放火をしてはならない。(以下、補足として)今度の朝鮮出兵で人を捕らえた場合は、男女によらず、それぞれのもといた居住地に返すこと。 ④法令順守の徹底。 主に現地支配にかかわるものを抜粋してみた。まず①について。秀吉は同じような趣旨の命令を日本国内でも発している。たとえば、織田重臣時代の天正8(1580)年1月に三木合戦で別所氏が滅亡すると、荒廃した三木(兵庫県三木市)に百姓や町人の還住を促した(「三木町有古文書」)。戦争で荒廃した村や町を復興するための政策である。 ②についても、同様の趣旨と捉えてよいであろう。せっかく占領しても、百姓が飢えてしまい、占領地が荒れ果てていると意味がない。そう秀吉は考えていたのだろう。 注目すべきは、③である。冒頭の放火の禁止は、町や村の荒廃を避けるための方策である。重要なのは補足として、男女にかかわりなく生け捕りにした場合は、それぞれのもとの居住地に返すことが規定されている点である。 つまり、秀吉は戦場における乱取りを禁止していたことになろう。④における法令順守は、その延長線上にあり、数多くの禁制が発給されていた(「鍋島家文書」など)。秀吉は、朝鮮の百姓に危害を加えないように配慮していた。無視された秀吉命令 しかし、日本を遠く離れて朝鮮半島に出陣した雑兵に対して、秀吉の意図が十分伝わったのか大いに疑問である。雑兵の戦場における目的は、やはり「乱取り」にあり、それが第一義にあった。案の定、秀吉の方針は無視され、朝鮮半島の各地で「乱取り」が行われた。次に、その実態を概観することにしよう。 戦場において、人間はなかなか理性をコントロールできないものである。いざ朝鮮半島で戦いが始まると、秀吉の命令は無視され、雑兵は「乱取り」に夢中になった。 文禄元(1592)年、日本軍が朝鮮半島に上陸すると、佐竹氏の家臣・平塚滝俊が肥前名護屋城で留守を務める小野田備前守に宛てて書状を送っている。滝俊の生没年や出身地は不明であるが、佐竹氏家臣団の中では、中級クラス以上の地位にあったと考えられている。この書状は、歴史学者の岩沢愿彦(いわさわ・よしひこ)氏が紹介したものである(「肥前名護屋城図屏風について」)。書状の概要を次に示しておきたい。高麗で二・三の城を攻め落とし、男女を生け捕りにして、日々を送ってきた。(朝鮮人の)首を積んだ船があるようだが、私は見たことがない。男女を積んだ船は見た。 日本軍は朝鮮の城を攻め落とすと、戦利品とばかりに男女を生け捕りにし、船に積んで日本へ送った。また、討ち取った朝鮮人の首も運ばれていた。 朝鮮人の首が秀吉のいる肥前・名護屋城に送られたのは、出陣した武将が軍功を認めてもらうためである。いわゆる「首実検」のためだった。おそらく船が満杯の状態で運ばれたのであろうが、実におびただしい分量になったと思われる。「名護屋城」城跡の石垣。秀吉の朝鮮出兵の兵站基地だった=佐賀県唐津市 これだけの分量になると、本当に正しい検分ができたのかどうか、非常に疑問である。参考までにいうと、首は非常に重量があるので、のちに首でなく耳や鼻が持ち帰られた。それを供養したのが耳塚(鼻塚)であり、京都市東山区の豊国神社前にある。 耳や鼻を削いで持ち帰る際、日本軍により残酷な行為が行われていた。慶長3(1598)年10月に泗川(サチョン)新城で戦いが行われると、島津軍が明・朝鮮の連合軍の兵3万3700人を討ち取り、城の外に大きな穴を掘って埋めたという。そして、その遺体から鼻を削ぎ取り、塩漬けにして日本に送ったのである(『島津家記』)。 加藤清正の武将・本山豊前守の手になる『本山豊前守安政父子戦功覚書』には、男女や生まれたばかりの赤ん坊も残らず撫で切りにし、鼻を削いで毎日塩漬けにした、と記されている。塩漬けにしたのは、腐敗を避けるためだろう。もはや戦闘員・非戦闘員を問わず、鼻をどれだけ獲ることができたのか競った感がある。その数は、一度に2、3万に及んだこともあった。 問題になるのが、朝鮮半島で生け捕った男女も船で肥前・名護屋城に送られたことである。これは、先に示した秀吉の方針と相反する行為である。秀吉の意向とは裏腹に、現地では日本の慣習にならって、「乱取り」が行われた。崩壊した秩序 実のところ、各大名にとって朝鮮への出兵は、多大な経済的な負担であった。第一に、多くの軍兵が動員されたうえに、半農半兵の土豪たちも出陣を余儀なくされた。出陣は長期間にわたったので、必然的に農業の担い手を失うことになる。同時に、農地が放棄される状態にあった。薩摩の島津氏は、戦費の捻出に苦労したという。 とりわけ捕らえられた人々は、老人、女、子供が多かったといわれている。彼らは屈強な男性とは異なり、反抗することが少なかったと考えられ、奴隷としては最適であったからだろう。 雑兵たちにとっての戦争は、極端に言えば勝ち負けが問題ではなく、いかに戦利品を得るかが重要であった。そうなると、秀吉の指示をまともに聞いていれば、何ら見返りのない「ボランティア」になってしまう。実際、略奪は多くの大名が黙認し、幅広く行われていた。 文禄2年に推測される8月23日付の「石田三成覚書」によると、三成は薩摩・島津氏に対して種々の命令を伝えているが、その中に船を使って乱妨・狼藉を働かないように指示を行っている(「島津家文書」)。 こうした指示が与えられるところを見ると、実際に乱取りが行われており、島津氏は黙認していたのであろう。同様の事例は、普州(チンジュ)城で戦っていた加藤清正軍にも見られる。この場合は、清正に知られないようにして、配下の武将が雑兵たちに略奪行為をさせたという。もはや秩序は、完全に崩壊していた。 こうした状況が秀吉の耳に入ったのか、あるいは別の事情があったのか、秀吉自身も人身売買や生け捕りについて容認したと受け取られかねない命令を発する。その命令こそが、次に示すものである(「島津家文書」ほか)。急ぎ仰せを伝えます。捕らえた朝鮮人の中で、細工のできる者、縫官、手先の器用な女性がいれば、進上すること。召し使うようにする。家中を改めて、こちらに遣すこと。 この秀吉の朱印状は島津家だけでなく、多くの大名家に伝わっている。つまり、秀吉は自身が召し使うため、さまざまな技量を持つ女性を集めていたことになる。ただし、この史料はいずれも年次を欠いており、文禄2年あるいは慶長2年のいずれかが該当すると考えられている。前者なら出兵直後、後者なら二度目の出兵の時期となる。「壬辰倭乱図」(和歌山県立博物館提供) 当初と異なり、秀吉は大きく方針を転換したが、各大名たちが朝鮮から人々を連れ去った事実は当然把握していたことであろう。むしろ、そうした事実を知っていたので、優秀な人材を確保しようと考えたのかもしれない。 文禄・慶長の役において、多くの朝鮮人が日本に連れ去られ、売買されることになった。それらの経緯を確認しよう。転売された朝鮮人奴隷 東洋史家の内藤雋輔(ないとう・しゅんぽ)氏が紹介した『月峯海上録(げっぽうかいじょうろく)』には、朝鮮人奴隷の様子が詳細に記述されている(翻刻は『文禄・慶長役における被擄人の研究』)。内藤氏の研究成果を交えつつ述べておくと、文禄の役と慶長の役とでは、後者の奴隷狩りが圧倒的に多かったという。 しかも、その被害は圧倒的に朝鮮半島南部に集中していた。文禄の役では朝鮮半島の奥地まで侵攻したが、慶長の役ではそこまで侵攻できなかったのが要因であろう。慶長の役は長期化したものの、勝利の可能性が乏しかったため、奴隷狩りに注力したと考えられる。 強制的に奴隷として日本に連行された朝鮮人は、主に九州各地に住んでいたが、薩摩・島津氏の領内では、その数が3万7千人にも及んだという。彼らは苗代川(鹿児島県日置市)に集住し、陶工・朴平意(ぼく・へいい)らを中心にして、陶磁器の製造を行った。苗代川窯は白釉と黒釉を用いて、日常的に使用する陶器を製造した。技能集団が日本に根付いた一例である。 この頃、平戸や長崎は朝鮮半島から連行した朝鮮人を売買するなど、世界でも有数の奴隷市場として知られていた。 日本人の人買商人のうち、ある者は自ら朝鮮半島に渡海して奴隷を買い漁り、またある者は日本国内でポルトガル商人に転売して巨万の富を得た。彼らはポルトガル商人が持っていた鉄砲や白糸の代価としていたのである。 ほとんどの奴隷は捨値で売られたというので、薄利多売の様子がうかがえる。日本を窓口にして、多くの奴隷が世界に渡っていったのである。それは朝鮮人だけではなく、多くの日本人が含まれていたことが指摘されている。 日本人が朝鮮半島で行った奴隷狩りは、どのような形で行われたのであろうか。その点は、次回に触れることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎■川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実■「極悪の欲情」女好き秀吉、フロイスの目にはどう映ったか

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    『バイキング』で王道をあえて外す司会者、坂上忍が見せた弱み

    片岡亮(ジャーナリスト) 職場や学校で顔を合わせば「昨日見た?」と、前夜のテレビ番組の話題を切り出すのが当たり前だったのも過去の話。日本人の生活に定着していたテレビの前の「家族団らん」も減った。 その影響か、「最近のテレビはつまらない」と断じる人もいる。ただ、そういう人に限って、テレビ番組を見比べているわけでもないので、単に「見ない理由付け」をしているにすぎない。実際は、インターネットの普及などによる娯楽の多様化に伴い、テレビの視聴習慣が以前より減っただけである。 そもそも、テレビというメディアは、人々の生活習慣に馴染ませる「商業ツール」でもある。米英、中東、中華圏、アジアの主要局を幅広くウォッチしていると、多くのテレビメディアがドラマやスポーツ、アニメなどをそれぞれ一定の時間帯に編成し、視聴者の習慣化を図っていることが分かる。いつでも好きな映像コンテンツをピックアップできて、「主導権」が視聴者側にある米ネットフリックスなどの動画配信サービスとは、似て非なるものだ。 つまり、テレビは録画視聴を踏まえても、基準をタイムテーブルに置いているため、生活パターンが固定化している人ほど見続けやすい。中でも、報道・情報番組は生活リズムに入り込みやすいだけに、アンカーやキャスターが交代しただけで批判を浴びるのも、習慣の変化に戸惑う視聴者が多いからだ。 2014年、『笑っていいとも!』の後継番組として始まったフジテレビ系『バイキング』も視聴習慣の変化に苦しんだ番組の一つだ。「地引網クッキング」コーナーで注目を集めることはあったが、何せ31年半続いた国民的長寿番組の後釜だけに、当初から視聴率で惨敗が続いた。 だが、毎分視聴率で1%を割り込む苦戦ぶりも、あくまで局側の想定内だった。スタート時に司会者を曜日替わりで臨んだのも、試行錯誤しながら番組を構成していくことが前提だったからだ。果たして1年後、月曜日の司会だった俳優の坂上忍が全曜日を担当することになる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 司会者の固定をきっかけに「生討論」という方向性も明確になり、当初1~2%台だった視聴率も、週平均4%台に乗せるまでに視聴の習慣化が進んだ。それどころか、昨年は、ついに時間帯民放トップも獲得し、番組最高の8%台を記録するまでになった。 視聴者が増えれば、坂上の「毒舌トーク」への批判も目立ち始めるのも当然だ。ただ、低視聴率に喘いでいたころ、彼が政治や事件などシリアスな話題を悩みながら扱っていた様子など、現在の視聴者は知らないだろう。強くなる「オレ様の持論」 あまりに厳しいモノ言いに、ゲストから「そこまで言ってしまって、僕らは人のことが言えるのか」と問われたとき、坂上は「そんなことは分かってるんだよ、僕だって」と語気を強めて言い返したこともあった。報道番組には客観的な視点が必要となるが、番組のコンセプトは生ホンネ「トークバラエティー」である。坂上の芸風にしても主観なしには成り立たないから、この境界線にジレンマが生じていたのかもしれない。 しかし、数字が良ければ開き直れるのが「勝てば官軍」のテレビ界である。「オレ様の持論」は次第に強くなっていた。 1年前、ロックバンドONE OK ROCKのボーカル、Takaが、元フィギュアスケート選手でタレントの浅田舞との交際が発覚した際には「外国で通用するアーティストが…舞ちゃんか。できたら外人と付き合ってほしい」と、浅田とは「不釣り合い」とばかりに見下した。不倫が発覚した格闘家、才賀紀左衛門には「脳みそは日々殴り合いか、エッチのことしか考えてない」と切り捨てた。 また、番組のレギュラーを務め、不倫報道で引退した女優の江角マキコに対しては、共演者だったとは思えない辛らつな物言いに「恨みでもあるのか」との批判が噴出した。しかも、放送内容に事実誤認があり、江角本人の抗議を受けて、番組側が公式に謝罪するケチまでついた。 元巨人、桑田真澄の次男でモデルのMattには「どんな人か知らないし、知りたくもない」と大人げなく言い放ち、本人からツイッターで「坂上忍っていう人は何者なの? あなたに僕のこと知ってほしいなんて一言も言ってません」ともっともな反論を受けていた。こうして見ると、「ホンネトーク」もバラエティーとしては面白いが、情報番組として考えればやりすぎに映る。 あるときは、TBSアナウンサーのバラエティー番組での態度を取り上げ、「あの言い方が気に入らない。本当に腹が立つ」と言い切った。「他局批判」は、報道系番組ではタブーであり、TBSの番組関係者も「本人のいないところで、他局のアナを批判するなんて卑怯だ。批判するなら、TBSの番組に出てきて本人を前に言え」と怒っていたほどだ。 一方で、ゲストの不適切発言には、進行役を務めるアナウンサーが謝罪することで対応していた。他局の情報番組で司会を務めるフリーアナウンサーに聞くと「ゲストの不適切発言の対応は、MCが『それはこういう意味ですよね?』と相手に真意を確認する振りを入れたりして、さりげなくフォローします」と答えた。「これはアナウンサーのイロハで学ぶことです」と、そのフリーアナは言っていたが、『バイキング』をはじめ、地上波で5本の番組司会を務める坂上の本業はあくまで俳優だ。 俳優の坂上忍=2016年11月撮影 それゆえ、批判対象も業界内で波風が立たないような人物ばかりになりがちだ。2017年、女優の清水富美加(現千眼美子)が宗教団体「幸福の科学」に出家したとき、「(所属)事務所に対する配慮がない。俺は擁護する気は一切ない」と断言し、タレント個人より業界側のスタンスに立っていた。 一方、線路内に無断侵入した同世代のタレント、松本伊代と早見優には、書類送検でも「重すぎる」と大手事務所所属の「お仲間」を擁護した。良くも悪くも「芸能界の住人」による主観なので、客観性を求める視聴者から反感を持たれることも多くなる。「王道」を歩まない理由 では、肝心の坂上の司会ぶりについては、情報番組のコメンテーターとして出演経験のある者として言えば、手放しで賞賛したくなるほど上手だ。テレビは「見る」と「出る」では大違いだが、「なるほどオファーが途絶えないわけだ」と納得する司会術だった。 その特徴は、理詰めの論法をしっかりと構築していることにある。ワイドショーの主な視聴者は主婦層だけに、「辛いですね」「微笑ましいですね」などと単純な感情論に持っていくことが司会の王道なのだが、坂上はこの手法を採らない。主観を述べつつも、「それではどうすればいいか」というポイントを結論まで自分なりに組み立て、その線に沿って話を展開させている。 主婦層に受けそうにないこの路線は、見る側に偉ぶったイメージを与えるため、あまり得策とはいえない。また、番組を仕切る側にとっては、非常に面倒な作業であり、結論をゲストの専門家任せにすれば、どれほど楽かわからない。それでも、坂上がぶれずにこのスタイルを貫くことで、女子受けの悪いグダグダな討論会にならずに済んでいる。 それに、番組はタレント以外のゲストとスタッフによる事前のリハーサルを経て、坂上の進行にリズムが合うように構成されている。縦横無尽に番組を仕切っているように見えて、実は俳優として予定通りの「司会者」をキッチリ演じているわけだ。 だから、坂上は「こういう返答をして」という期待込みの質問が多い。先日、共演者のヒロミが、別の番組で「自分の意見を長々と言ってから『どう思います?』と聞いてくるから、全部言ってるよ、お前」と坂上に突っ込んでいた通りだ。 昨夏、ワイドショーがこぞって取り上げた日本ボクシング連盟の不正問題でも、かなり勉強した跡が見受けられた。他の番組が山根明会長(当時)の強烈キャラを「おもちゃ」にする中で、坂上はスポーツ庁など行政側の動きに話を上手に何度もつなげていた。 見識ももっと浅く、気楽な立場で司会に臨んでもいいはずなのに、演劇のように綿密に討論を作り上げていく姿は、まさに坂上が天才子役として名を馳せてから約50年活躍を続ける役者だからといえる。俳優の坂上忍=2018年11月撮影 そんな坂上だが、都内のあるイベントで取材したときに思わぬ光景を目にした。一般の中学生が交際女性について質問すると「いや、あの…停滞しています」と珍しく回答に困っていた。計算していないときの坂上は矢継ぎ早に言葉を返すタイプではなかったのである。 最近は、テクノユニット、電気グルーヴのピエール瀧による麻薬事件で、相方の石野卓球のツイートにストレートな苦言を呈し、バッシングを浴びてしまっているが、それほど番組が「坂上劇場」になっていることの表れだろう。好きか嫌いか、評価を二分しやすい司会者だが、やはり坂上は「比類なきテレビタレント」なのである。■ 上沼恵美子M-1騒動「更年期障害」でオンナは傷つきません■ 「お笑いと社会批評の境界」茂木健一郎が考える日本の政治コメディ■ 「嵐は永遠に未完成」ゆえに完璧なアイドルになった

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    見かけの「プラス成長で消費増税」にかき消されるリーマン級の足音

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 経済界だけではなく、政界でも注目を集めた2019年1~3月期の国内総生産(GDP)速報値が内閣府から発表された。事前では、民間エコノミストの多くがマイナス成長を予測する中で、発表された結果は意外にもプラス成長だった。 実質GDP成長率は0・5%、年率に換算すると2・1%となった。また、名目GDP成長率は0・8%(年率換算3・3%)であった。 両方の数値から計算され、総合的な物価動向を示すGDPデフレーター(季節調整済)はプラス幅(0・3%)であったが、他方で国内需要デフレーターだけ見ると、前期比マイナス0・1%に悪化している。 これに消費者物価指数の低迷も加えると、国内需要の落ち込みの危険なシグナルといっていい。実際に、今回のGDP速報も、プラス成長は見かけだけで、内容は厳しさを増す日本の経済状況を端的に表していた。 経済の大きさ、つまりGDPを決めるのは、国内消費や投資、政府の公的需要、そして純輸出だ。最後の純輸出は輸出から輸入を引いた値のことだ。 今回の速報を分析すると、国内需要の弱さが顕在化している。特に、個人消費の前期比マイナス0・1%(年率換算マイナス0・3%)が、日本経済の低迷を強く印象付ける。消費は一度落ち込むとなかなか回復しない。消費の落ち込んだ要因としては、可処分所得と資産効果の両面でマイナス要因があったと考えられる。 前者であれば、昨年後半からの雇用者報酬の落ち込みが反映してきたとも考えられる。後者は株価の低下によるところがあるだろう。実質消費動向指数の動きを見ても、「アベノミクス」の始まりである2013年の終わりと、ほぼ同水準までに回復してきているが、今回のデータと合わせると不安定感は否めない。港で輸出を待つ自動車=川崎市 また、GDP成長率を押し上げたのが、民間需要よりもいわゆる公共事業の伸びと、そして純輸出の寄与だった。特に輸入がマイナス17・2%(年率換算)と顕著に減少し、輸出もマイナス9・4%(同)と減ったが、輸出から輸入を引き算するので、結果としてはプラスになる。 しかし、賢明な読者ならお分かりだろうが、これはいわゆる米中貿易戦争で輸出入がともに深刻な落ち込みを経験しているからに他ならない。輸出の大きな落ち込みは、国内の企業の投資活動にも影響していて、設備投資もマイナス0・3%(年率マイナス1・2%)に落ち込んだ。日本経済からの危険信号 公共事業の増加は、いわゆる東京五輪・パラリンピックの前年ということで、その効果が最も顕在化していると思われる。要するに、この数字も放っておけばやがて減衰するわけである。 特筆すべきは、輸入の急減であり、さかのぼればリーマンショック直後の2009年第2四半期以来となる大幅減少だ。まさに「リーマンショック級」の危機の足音が聞こえているのである。 輸入が弱いのは、すなわち国内需要の急減を示している。ところが、政権内部からは、茂木敏充経済再生相のように「内需の増加傾向は崩れていない。消費増税は予定通り行う」という発言が出ている。 今まで説明したように、内需の実体は悪い。そして、この傾向が今後さらに悪化してもおかしくないことを示している。 リーマンショック級の経済状況を、消費税によって自ら招く危機感を政権は抱くべきだ。だが、これは筆者がたまたま聞いた話だが、財務省の幹部は「すでに消費増税を前提とした予算が通過し、法案の縛りもあるのでいまさら増税の変更はない」と裏で発言しているようである。 財務官僚はどんなに国民に悪いことが起ころうとも、いったん決めたことを自然法則のように固執する。それを政治家たちやマスコミの一部も支持する。ある種の精神主義的な考えであり、日本を本当の意味で滅ぼす発想だろう。 消費増税について、安倍晋三首相の最終判断がどうなるかは、この原稿を書いている段階ではまだわからない。もちろん、経済統計だけで判断するわけではないことは自明だ。 安倍首相の念頭にあるのは、当たり前だが政治的権力の維持だ。それには、政権の維持可能性を高めることに尽きるわけで、間近に迫った参院選での「勝利」は前提の一つだろう。GDP速報値の発表を受け、記者会見する茂木経済再生相=2019年5月、内閣府 また、衆参同日選の足音もますます高まっている。この選挙での勝利、イコール政治的権力の維持が、安倍首相の「目的関数」である。つまり、消費増税するもしないも、この政治的目的のツールでしかない。 もちろん筆者は、国民の経済的厚生を第一に考えているので、首相の目的関数とは明白に異なる。多くの国民もまた自分たちの幸福こそが目的であろう。だが、ここでは安倍首相の政治的な目的関数を少し考えてみたい。2枚の政権維持カード 米中貿易戦争の長期化がほぼ決定的な中で、経済状況に明るさがあるようには思えない。政府や日銀などは国際政治の動きに楽観的だが、米中の関税による「報復ゲーム」はまだ拡大の余地が大きくある。それは貿易の縮小をさらに加速化させ、日本国内の貿易関連企業の株価を押し下げ、さらには株価全体の低迷を促して、消費の資産効果を低下させるだろう。 また、企業の設備投資もさらに減速する可能性が大きい。となると、政府・日銀は年後半の回復を予想しているが、それは非常に甘い判断だといえる。 この経済状況が低迷する中で、消費増税を実施するならば、政権の維持に大きくマイナスに働く。世論調査で、消費増税に反対する意見が多数を占めていることも勘案すべきだろう。 消費増税をするかしないかのカードに関して、国内政治の話題では有力だ。しかし、外交カードとしては、最近、安倍首相が熱意を示している金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との「条件を付けない」首脳会談の実現というものがある。 この外交カードは、相手がいることなので不透明だが、実現したときの効果はかなり大きいだろう。また、6月の20カ国・地域(G20)首脳会議(サミット)開催国の議長としての短期的なイメージ向上もある。 単純化すれば、政権の維持可能性を高めるカードとして、消費増税と、拉致問題の解決を含めた外交カードの2枚がある。もちろん、筆者だけではなく、多くの国民のベストシナリオは、増税を凍結するとともに、外交の成果を上げることだろう。 だが、安倍首相の目的関数の中では、あくまでもこのカードは政権維持達成のためのツールでしかない。そうすると、どちらか一方の実現だけで政権維持の目的が達成されるならば、もう一方は断念することもあるだろう。 なぜなら、両方実現するには、もちろん政治的なコストが存在するからだ。政治的な利得とコストのバランスで、安倍首相の決断が下されることになるだろう。参院予算委で資料を読む安倍首相=2019年3月 その中で、今回のGDP速報はどんな意味を持つのだろうか。おそらく財務省の増税主義者たちに詭弁(きべん)の材料として使われるだろう。だからといって、この数字の見かけだけで、安倍首相が最終判断するとは思えない。 やはり、国民の厚生向上のために、増税凍結(延期)も拉致問題の解決も、ともに実現すべきなのである。■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」■ このままでは「消費税率35%」になる日がやってくる■ 黒田総裁はやっぱり日本経済の「どえらいリスク」だった

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    元公務員ランナー川内優輝と「いだてん」金栗四三の共通点

    武田薫(スポーツライター) 5月12日に行われた仙台国際ハーフマラソンで川内優輝に会った。1週間後に挙式を控え、独身最後の大会なのだと笑っていたが、いつになく引き締まった表情は、慶事とは思えないものだった。 「公務員ランナー」あるいは「史上最強の市民ランナー」として名をはせた川内は、3月末に10年間勤めた埼玉県庁を退職してプロ活動に入った。現在の目標は東京オリンピック(五輪)ではない。10月5日にカタールのドーハで開かれる世界陸上選手権を目標としている。 東京五輪の代表資格は満たしているが、陸連からの内定通知はまだない。陸連としては、人気者に五輪の代表選考会「MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)」に出てほしい。しかし、そのMGCは世界選手権の3週間前にあり、陸連は重複出場を認めていない。それならば、と川内はMGC、すなわち東京五輪より世界陸上を選んだ。このレースがプロ転向した川内の最初の勝負になる。 過去10年でほぼ100回のフルマラソンを走り、自己ベストは6年前の2時間8分14秒。これは現役選手では10番目の記録で、トラックでのタイムも劣るために、川内はスピードのない選手と評価されてきた。 これまでは県職員としての勤務があって、単独ではできない追い込み練習は週末のレースで代替させたが、さすがに夏の走り込みまではできなかった。 今年は6月から北海道の釧路を拠点に、じっくりスピード強化に取り組む計画で、記録は必ず伸びると確信している。新たなマラソン人生に期待し、その動機付けとして据えたのが世界選手権なのだ。プロとは単に金の話ではない。自立であり、経済的自立が競技生活の自立に結び付く。 水泳の北島康介、体操の内村航平、もっと前には女子マラソンの有森裕子もプロ宣言をした。ただ、彼らの場合は競技プロとしてではなく、肖像権やイメージを確保するいわば権利プロであり、国内限定のプロだ。私は彼らをダミープロと呼ぶ。平たく言えば、競技力を前提に稼ぐのではなく、「後払い」である。 国内ではバスケットボール、バレーボール、卓球などが相次いでプロリーグを結成しているが、競技でまっとうな金額を手にできるのは野球、テニス、相撲のほかは辛うじてサッカーくらいである。 今年1月の全豪オープンで優勝した大坂なおみの賞金は3億円で、水泳やバドミントンの賞金大会とはケタが二つも違う。さらに問題なのは、日本独自の実業団の存在だろう。仙台国際ハーフマラソンで走る川内優輝=2019年5月12日、仙台市 国際陸連は1991年の東京会議で、日本選手が胸につける企業ロゴを広告と認定した。実業団は実質プロだが、80年代に活躍した中山竹通が「オレはプロだ」と言って厳重注意を受けたように、建前だけ残ったままなのだ。ある程度の記録を持つマラソン選手には出場料も出ており(裏で)、こうしたガラパゴス的な矛盾を挙げればきりがない。だからこそ、川内優輝のプロ宣言の必然性に注目したい。 プロ宣言は、2018年4月のボストンマラソンで優勝し、帰国した空港だった。マラソンで食っていけると確信したのだろう。その判断は正しい。川内と金栗四三の共通点 90年代のケニア勢の出現後、日本のマラソンは低迷した。ボストン、ロンドン、シカゴといったメジャー大会での活躍は途切れ、走る姿すら見かけなくなった。招待を受けられないからだ。都市マラソン発祥のボストンを制した川内なら、国内大会はもとより、アフリカ勢ばかりの国際大会でも「目玉選手」として売り込める。 一体、川内はどんなプロランナー像を描いているのだろう。 「ぼくは子供たちのロールモデルになりたい。努力すれば、必ずできるんだということを伝えたい。プロにもロールモデルにもいろいろとあると思います。オリンピックでメダルを目指す人もいるでしょう。ぼくは、自分のできることをやるだけです」 トップランナーなら、誰でも努力している。見てほしいのは、川内のマラソンランナーらしいしたたかさ、合理性、適応性だ。 10年前に埼玉県庁に入った頃の目標は福岡国際、東京マラソンといった冬のレースで勝つことだった。暑さに弱いと自覚していたからだが、福岡も東京も選手権の代表選考レースだったため、成績が上がった結果、世界選手権の代表に3度、アジア大会にも出ることになった。 本命ではない夏のレースを、新たな挑戦と捉えると同時に、別のメリットも頭にあったはずだ。 公務員は約3年に1度、必ず異動がある。県民注目の代表選手になれば、県の人事課は彼を馴染(なじ)んだ職場環境=競技環境から引き離すことはできない。タダでは起きない計算強さ、順応力が、ボストンの優勝を導いたのだ。 やっぱり暑さは苦手ということが分かったから、プロ転向して、わが道を歩み始める…。自分の目標をとことん追求する知恵としたたかさこそ、マラソンランナーの証しである。 NHKの大河ドラマ『いだてん』で紹介されている金栗四三もそれほど才能があったわけではない。 初めてのマラソンで世界記録が出ると、大会関係者も「おかしい」と思って何度も距離を測り直し、結局、結論は出なかった。出場した3度のオリンピックも2度は棄権している。防府読売マラソンで2連覇を果たした川内優輝=2018年12月16日、山口・防府市陸上競技場 金栗が評価されるべきは、オリンピックより、スポーツで初めて「子供たちのロールモデル」になったことだ。小学校で模範演技をするとき、金栗はマラソンのようにではなく、めちゃくちゃに全力で校庭を周回したという。そうすることで子供たちを驚かせ、走ることが目指すに足るものということを全国に伝えていった。 日本のマラソンは低迷を脱していない。いまこそ川内優輝のプロ転向の必然性を素直に受け止め、日本のアマプロ問題の論議を進める機会だと思う。■箱根駅伝は日本陸上界にとって「正義」か「悪」か■宗茂が語った「箱根駅伝『物語』はもういらない」■駅伝「四つんばい」を美談に仕立てたテレビ中継に異議あり!

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    「金正恩に足元見られた」報ステが言うほど北朝鮮は単純じゃない

    慰安婦問題や「元徴用工」問題などで裏切ったように、事実上の挑発をしてくる国もあるだろう。そのときは、連載で何度も主張しているように「しっぺ返し戦略」を採用することが最善だ。トランプ米大統領との電話会談を終え、取材に応じる安倍晋三首相=2019年5月、首相公邸(鴨川一也撮影) また、安倍政権の外交は、国内問題と切り離して考えるべきではないだろう。つまり、外交と内政もまた二択の問題ではない。それぞれを同時に考えていかなくてはいけない側面がある。 先日、筆者は嘉悦大の高橋洋一教授と対談した(月刊『WiLL』7月号掲載予定)。対談で、高橋氏は日本の経済学者の「文系バカ」ぶりを痛烈に批判し、政策的なセンスの欠如も問題視した。改憲実現のための政治的「コマ」 経済学者である筆者には耳の痛い話だが、高橋氏の痛烈な批判は傾聴に値する。その中で、高橋氏は消費増税について、実行か凍結かの「あるなし」を、この問題だけ孤立して考えてはいけない、と指摘していた。 問題には、さまざまな人間関係、複雑な政治的利得、政治的な直感といった人間臭いファクターや、そして国際要因も絡んでくる。特に最後の点で重要なのが、北朝鮮情勢である。 現状、安倍首相の政治的な目標は、憲法改正を実現することが可能な政治的勢力の達成である。より具体的にいえば、今夏の参院選での「勝利」だろう。最低でも、政権の維持であることは間違いない。 そのために利用できる政治的な「コマ」として、外交と消費税がある。外交はもちろん、拉致問題の解決を中核にした北朝鮮との交渉が最重要課題として存在する。 外交か消費税か、どちらか一つ、あるいは二つとも国民の支持を取り付けることができれば、それは安倍首相にとって有利に働く可能性が高い。言い方を変えれば、金委員長との首脳対談など外交上の成果を出し、世論の支持が高まる中で選挙に臨むことができれば、今秋に予定されている消費税率の10%引き上げもありうることになる。 一方で、外交で成果を挙げる中で、その成果を背景にすれば、消費増税の凍結をさらに打ち出しやすくなるともいえる。要するに、後藤氏のような「あいまいさへの不寛容」とは全く反対の、複雑な問題設定がある。5月4日、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が指導した火力打撃訓練の様子(朝鮮中央通信=共同) 選挙が迫っている中では、消費増税問題は、北朝鮮問題など外交政策の成否と切り離せない政治的な位置にあるのだ。しかも、選択の幅はまだかなりあり、こと消費増税に絞ってみても凍結の「あるなし」は、単純な経済指標だけ見て決まるような話ではない、と高橋氏はそう示唆していた。 これからの国内外の情勢は、さらに複雑化していくことは間違いない。ワイドショーのように単純な図式で見てはならないのである。■ 有権者をそそのかす報道ステーション「依存効果」の罠■ 金正恩「クーデター失脚」発言はなぜ黙殺されたか■ 高須クリニック院長が語る「報ステ」スポンサー降板の全真相

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    信長を「天下人」に導いたオカルト朱印

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 第一次木津川口の戦いは、戦歴で圧倒する精鋭・毛利水軍が質量ともに劣る織田水軍を完璧に撃ち破って終わった。3カ月前から大坂に7カ所の付城(つけじろ。敵の城を監視するとともに攻撃の拠点になる)を作り、本願寺を包囲して兵糧攻めにしようとしていた信長の計画は、毛利水軍が海上から本願寺に兵糧を運び入れたことで絵に描いた餅となって終わったのだ。 そのことに落胆したかどうかは別にして、この年、天正4(1556)年の信長はその後目立った行動を起こしていない。秀吉に中国地方の攻略担当を命令したぐらいで、オカルトマニアらしく11月に内大臣に昇任した際に真言密教の道場として知られる大津の石山寺で2日間を過ごしたこと、その後に安土城へ戻り、元伊勢国司だった北畠具教(とものり)を殺させたことしか見るべきものがない。ただ、石山寺で信長を接待したのが瀬田城の山岡景隆・景猶(かげなお)兄弟だったことは心にとどめておこう。そう、龍の橋、瀬田橋の架設工事を担当した山岡さんだ。 明けて天正5(1577)年。2月から3月まで紀州雑賀攻めを行った後の信長は、こんな書状を発行している。「上山城の当尾には、去年実施した指出以外にも隠し田があるとのことなので、代官として早々赴任して処理せよ」 上山城の当尾(とうの)というのは現在の京都府木津川市加茂町の内で、京都市の南、奈良県との国境近くの郷村だった。指出(さしだし)は指出検地、自己申告制の検地なのだが、のちの太閤(たいこう)検地のような強制的に官吏が測量する検地と違い、いくらでもごまかしが効く。特に当尾は入り組んだ山谷が続く地形だから、多くの田畑を申告せず隠しておける。信長はそれを摘発しろ、と代官に任命した家来に命じているのだ。 というのは余談で、本テーマにはまったく関係ない(笑)。肝心なのは、この命令文の最後に捺(お)された印判だ。天下布武龍章御朱印=建勲神社(中田真弥撮影) 第11回で紹介した「天下布武」の朱印が、この命令書から新しいバージョンになったのだ。第11回ではこの印判について「後年改定されて重要な意味を持つことになるので、ぜひ心にとどめておいていただきたい」と述べたが、ここでいよいよその重要な意味というものを考えてみよう。「天下布武」印の意味 まずは「天下布武」印を少し整理しておく。①第1バージョン 永禄10(1567)年11月から使用開始。一重の楕円(だえん)形の中に天下布武の文字②第2バージョン 永禄13(1570、4月に元亀へ改元)年3月から使用開始。一重の楕円形の外周に馬蹄(てい)形の太線が加わる③第3バージョン 天正5年から使用開始。「双竜形天下布武印判」と呼ばれ、文字通り2頭の龍が「天下布武」の刻文を囲む ②の馬蹄形というのは、文字通り馬のひづめの形だ。日本では近世まで馬のひづめに蹄鉄(ていてつ)をつけることは九州の一部を除いてほぼ無く、馬沓(うまぐつ)・馬わらじと呼ばれる皮革や藁(わら)で作った馬用のわらじをはかせた。欧米では馬のひづめに装着する蹄鉄=ホースシューには魔除けのパワーがあると考えられている。東京ディズニーランドにあるショーレストラン、「ザ・ダイヤモンドホースシュー」の正面入り口の上に掲げられている看板の大きい蹄鉄がまさにそれで、蹄鉄を魔除けのお守りとしてU字形に扉へ打ち付けるという慣習に基づいた演出だ。 一方の日本では、馬沓には病気や悪霊を退散させ、雷を封じる効力があると信じられてきた。道ばたに履き捨てられた古い馬沓は、拾って家の軒下に下げておけば魔除けや招福のお守りになる、というものだ。この迷信は現在でも各地に残っている。織田信長が使用した「天下布武」の印 また、山梨県の小室浅間(おむろせんげん)神社では流鏑馬(やぶさめ)の儀式でついたひづめの跡で地元の吉凶を占う風習が残っている。 「天下布武」を包み込む馬蹄形。信長がこの印判にバージョンアップした永禄13年3月といえば、越前朝倉義景攻めに出陣する直前だ。傀儡の将軍・足利義昭を戴きながらも、自身が天下(将軍の支配域)への号令を開始するというターニング・ポイントにあたる。このタイミングでの馬蹄形印判は、まさに信長の信長による「天下布武」に幸運を呼び込む仕掛けだった。 そして、今回の「双竜形天下布武印判」だが、2頭の龍は下を向いている。つまり下り龍なのだが、例えば上野東照宮の唐門の彫刻「昇り龍」「降り龍」がセットであること、富塚鳥見神社などの龍柱も「昇り龍」「降り龍」が対になっていること、沖縄の首里城の正殿の妻飾にいたっては「降龍」のみの対であることで分かるように、「昇り」「降り」には上下の差はない。「下り龍」の意味 では、下り龍は聖域を守るという以外にどんな意味があるのだろうか。 龍で思い浮かぶのは、四神の一、青龍。東の方位を守る神獣だが、これとは別に、北を守る聖獣としての下り龍がある。 本来、北を守るのは玄武だ。ところが、亀と蛇の融合体であるこの神獣については、足利義昭が積極的に改元を進めた「元亀」の元号にその意味が込められ、信長がそれを嫌ったことはすでに述べた。 古来、聖なる都は風水によって「四神相応の地」といい、北・東・西を山に囲まれ、南だけが開けた土地を選んで造営された。平城京しかり、平安京しかり、である。 特に北に山があることが肝心で、そこから「気」(エネルギー)が取り込まれて都に流れ込み、開けた南へ流れていく。京で言えば鞍馬山以北の山並みが「気」の入り口、すなわち「龍脈」にあたる。そして、鴨川・桂川がそれを南へと流していく。 だが、すべての場合にそういう地形、そういう土地が選べるわけではないから、風水はそれをカバーする方法も提案している。それが「下り龍」というわけだ。彫刻の置物でも絵でも良いから、下り龍をモチーフにしたものを北方位に備え付けることで、「気」を呼び込む。これで龍脈の代わりとなる。 義昭の「元亀」を否定した=玄武を避けた信長にとっては、下り龍はまさにうってつけのモチーフではないか! 「天下布武」の四文字を2頭の下り龍で囲んだバージョン③には、誰の代理でもない、信長自身の天下布武に龍のパワー(「気」)を導き入れる意図が隠されていた。 さらにいえば、黄龍というものもある。『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』という中国の古書に「黄龍者(は)四龍之(の)長」と記されているなど、東西南北の中央に位置し四方向それぞれの龍神の長たる存在だ。ゆえに、中国では皇帝の象徴となる。信長の旗印。黄色地に永楽通宝の文字が書かれている=清州城(中田真弥撮影) そこで問題。信長の旗印は何だったか? これについても以前に触れたが、皆さまよくご存じの「黄色地に永楽通宝」。彼が天皇に遠慮せずその色を使った件も第14回で触れたが、信長が早くから黄龍の神通力を意識していたとすれば、旗印の件も一層説得力が増す。ちなみに、織田家の陣幕も黄色地に木瓜紋だ。天下布武「最後の鍵」 それだけではない。中国において、黄龍はのち麒麟(きりん)に置き換えられた。龍、黄、麒麟。すべてのキーワードがここで揃ったではないか。 こうなると信長が花押(サイン)に麒麟の形象を取り入れたことも含めて、すべてが龍中心思想の世界にあることがハッキリしてくる。 信長は内大臣に昇進した直後から、家臣に「上様」と呼ばれるようになっている。内大臣は左右大臣の代理を務めることができ、朝議を主宰する者の代理という役職だが、それだけでは「上様」と呼ぶのははばかられるかもしれない。 当時大名のことは「殿様」と呼び、「上様」と呼ばれるのは国王(天皇)や公方(将軍)ら「最上の主君」だけ(『日葡辞書』)。信長がそれに匹敵する立場にあることが周囲にも認識され、呼称になって表れていた。公家の山科言継の娘が父に手紙で「明年は安土へ内裏様行幸申され候わん」と書き送った「明年」の天正5年、実際に信長が天皇の象徴である龍を完全に乗っ取り、天下の主として振る舞い始めたことがわかる。信長は正親町天皇の嫡男である誠仁(さねひと)親王に譲位させたうえで、新天皇となった誠仁親王を安土城に迎えようと考えていたという。 そして閏(うるう)7月6日(当時の陰暦ではうるう月があった)、信長は「龍躍池」を取り込んで、内裏の裏鬼門を守る京の新屋敷へ移徙(わたまし)した。天王寺にある茶臼山古墳。筆者はこのあたりが信長の天王寺砦だったと考える(筆者提供) この屋敷が完全に竣工するのは9月末なのだが、せっかちな信長としては、安土城建築開始早々に移り住んだように、のんびりと完成を待つ気はまるで無かったようだ。12日にこの新屋敷で前関白・近衛前久の子、信基(のぶもと。のち改名して信尹、のぶただ)の元服式を執り行うと、翌13日、また瀬田で山岡景隆の城に泊まり、安土へ帰っていった。 そして8月17日になると、本願寺攻めのため天王寺砦(とりで)に詰めていた松永久秀が突然砦を引き払い、居城の大和信貴山(しぎさん)城に立てこもる。信長への敵対を表明していた越後の上杉謙信が、いよいよ西に出陣する動きを開始しようとしていた。久秀はそれに呼応して信長に奪われた城や権利を回復しようと考えたわけだが、信長が久秀を攻めようと準備を進めるなかの9月29日、『信長公記』に面白いことが書かれている。「戌刻、西に当って希(まれ)にこれある客星ほうき星出来(夜8時、西の方角にまれに現れる彗星が出現した)」■安土城「蛇の巨石」に隠された信長の仰天プラン■「龍宮に続く橋」信長のオカルト願望を叶えた御用建築家■またも龍パワー? 安土城と京屋敷、信長が同時普請にこだわったワケ

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    天皇陛下に上から目線の祝電を送った文在寅の「炎上外交」

    うあいまいな姿勢でお茶を濁している。 だが、韓国政府のこのような態度は、日本政府にも責任がある。この連載でも繰り返し主張しているが、日韓の外交関係が長期的に安定するためには、相手がルール破り(日韓基本条約など)を犯したときには、「しっぺ返し戦略」を採用することが望ましいのである。 交渉の相手側は、自分がルールを破れば、相手はその都度、しっぺ返しをしてくることを予測して、ルール破りの自粛を選ぶ。このような「ゲーム理論」の基本をベースにして、日本政府は韓国政府に対して、報復措置を行う必要がある。北朝鮮で販売されている南北首脳会談を記念する切手シート=平壌(共同) その手段としては、既に多くの識者が具体的に提言している。関税、金融取引の制限、ビザ(査証)発行の厳格化などが挙げられている。ところが、日本の安易なリベラル系の人たちに多いが、この措置が「韓国嫌い」の感情に基づいたものや、日韓関係を損ねるものと映るようだ。 上述のように、「しっぺ返し戦略」は長期的な関係を破壊するのではなく、むしろ構築するためのものだ。しかも、対応としても合理的であり、好き嫌いのような感情とは無縁である。日本政府もいつまでも口で言うだけではなく、これらの対抗措置を実施すべきではないだろうか。■ 「戦犯企業ステッカー」韓国人も冷めた行き過ぎた民族主義■ 米朝に「田舎芝居」を打つ文在寅の安倍コンプレックス■ 「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる

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    平成最後の日に伝えたい「天皇の師」小泉信三の教え

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「平成」という時代が終わる。平成は経済が停滞したこと、そして日本が大規模な災害に直面したことでも記憶に残る時代となるだろう。個人的な思い出も含めて、一つの時代が終わることに、深い感慨を誰しも抱くに違いない。 平成の経済停滞と大規模災害を振り返るとき、参照すべき一人の人物を想起する。経済学者の小泉信三(1888~1966年)である。 小泉は、天皇陛下の皇太子時代に影響を与えた師として、今日では有名である。また、大正から昭和前半にかけて、経済学者だけではなく、文筆家としても著名であった。 慶応義塾大学では、教員として多くの逸材を育て、さらには塾長となって大学の発展に貢献した。昭和24(1949)年には東宮御教育常時参与を拝命し、皇太子の教育の責任を長く果たした。 小泉の貢献で注目すべきものは、「災害の経済学」という観点だ。日本でも、大規模災害に直面するごとに、経済活動が停滞し、人々の気持ちが沈み込むことなどで社会的にも「自粛」的な空気が流れることが多い。 もちろん、災害によって被災された方々に思いを寄せることは何よりも大切だ。同時に小泉は、大規模な災害のときこそ経済を回すことが重要であることを説いた。「みどりの式典」に出席された天皇、皇后両陛下=2019年4月26日、東京・永田町の憲政記念館(代表撮影) 小泉の直面した最初の国家的災害が、大正12(1923)年の関東大震災であった。死者・行方不明者10万5千人余り、日本の当時の国富の約6%を失い、また年々の国民所得でいえば約47%を失う大きな経済的被害も合わせてもたらした。 首都圏では多くの人たちが被災し、公園などで長期のバラック住まいを強いられた。また職を失い、生活の基盤を根こそぎにされた人も多かった。当時の政権の経済政策はデフレ志向の緊縮政策であり、そのことも災害の事後的な悪影響を人為的に拡大していくのに貢献した。「災害の経済学」は平時にあり 当時、小泉の自宅のあった鎌倉でも被害が広がっていた。辛うじて自宅の倒壊を免れた彼は、当時の復旧活動や鎌倉での罹災(りさい)共同避難所での活動を記録した。 小泉の記録では、官僚的で中央集権的ともいえる被災者へのずさんな対応に対する批判が記されている。一方で、現場の人たちのボランティア的活動を高く評価していた。 その中から、小泉が唱えたのが「災害の経済学」である。これは、直接には英経済学者アーサー・セシル・ピグーの経済学を応用し、それを小泉独自に発展させたものだ。特に、大規模な災害に直面した社会では、何よりも経済を回すことの重要性が唱えられていた。 被災地を支えるためには、災害の難を逃れた地域や人たちの経済活動が重要になる。もし被災しなかった人たちまでも経済活動が停滞してしまえば、それは被災地の支援にも大きなダメージを与える、というのが小泉の基本的な視座だった。 その上で、小泉は災害によってレジャーなど奢侈財(しゃしざい)への消費を自粛することもよくないと指摘した。これは、当時としてはかなり思い切った主張だろう。皇太子妃選びの中心的役割を担った小泉信三。若き日の皇太子さま(現在の天皇陛下)の「教育」に携わった 「自粛」という空気によって、スポーツや芸能、旅行などのレジャー消費が停滞することで、日本の経済全体を冷え込ませ、被災地を支えるべき経済まで損ねてしまう、というのが小泉の独創だった。それには、災害に遭った人たちに心を寄せることが大前提になることはいうまでもない。 また、小泉は関東大震災後、それまでにも増して文化的活動に傾斜していく。中でも、自らが名選手として知られたテニスをはじめ、スポーツに対する理解と賛助は大きかった。 小泉は、「災害の経済学」が、実は災害が起きていない「平時の経済学」でもあると説く。平和でも災害の下でも、人はスポーツなどのレジャーへの支出を重要視すべきだ、というのが小泉の主張である。「御成婚」へと至る道 一つの形として、テニスが文化的で創造的な消費だと、彼はとらえた。この小泉のテニスへの理解と啓蒙(けいもう)活動が、後に天皇、皇后両陛下が、軽井沢でのテニスを縁にした御成婚へと至る道を敷いたといえるのではないか。 小泉は陛下の皇太子時代にともに読書をし、さまざまな対話的教育の場を設けた。その貴重な記録は、『ジョオジ五世伝と帝室論』(1989年、文藝春秋)をはじめとする著作に残されている。 この著作には、陛下が理知的で、誠実で、およそ軽薄から遠い人物であることが、小泉の明晰(めいせき)な文章でつづられている。皇太子時代から今日まで、われわれ国民の広く知る人物像が、既にして若きころから育まれていたことがよく分かる。この本の中には、前述したテニスコート上の両陛下の出会いが描かれている。 昭和33年夏、軽井沢のテニスコートで、まだ独身であった両陛下が混合ダブルスで対戦し、皇后さまのチームが勝利したのを、小泉は目撃したという。このとき、陛下もまた小泉もその勝利した女性が、後に皇太子妃になることを想像もしていなかったと書いている。少し長いが、小泉の文章を引用しよう。 右のような次第から、このたびの御婚約を、テニスによって結ばれた御縁などといいそやすものがあれば、それはあまりに通俗的な想像であるが、しかし、何事にも慎重で、堅実な殿下が、その後も正田嬢をテニスコートで御覧になる機会を得られたことは、少なからず御判断を助けたことと思う。まことに幸せな次第である。『ジョオジ五世伝と帝室論』181ページ 小泉はお二人の今後の生活にも、その責務を担いながらも、どうかその間もお二人だけの楽しい時間をお持ちになるようにと、ここでも余暇(レジャー)の必要性を書いている。小泉の気持ちは若いお二人にも届く優しさであったろう。 御結婚の後は、義務の多い生活をお送りにならねばならず、お二人ともに十分にその御用意のあることを信ずるが、どうかその間にも、少しでも多くお二人だけの楽しい時をお持ちになっていただきたいと思う。お側(そば)の者も心しなければなるまい。『ジョオジ五世伝と帝室論』181ページ1958年12月、婚約内定後、東京都内でテニスを楽しまれる皇太子さまと正田美智子さん 「平成」から「令和(れいわ)」に元号が変わっても、われわれのさまざまなレジャーや文化活動をさらに発展させ、そしてさまざまな困難の前でも経済的に「自粛」することなく、経済活動をたくましくする。そして、困窮にある人たち、弱い立場に陥った人たちに、心でも経済でも寄り添うことが必要だろう。そのことを小泉の「災害の経済学」は教えてくれるのである。■新元号「令和」と「昭和」の知られざる共通点■「天皇はかくあるべし」上から目線の知識人が錯覚した陛下のお気持ち■もし父親なら小室圭さんに娘を託せるか、ましてや皇女である

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    南蛮人が大いに利用した「武勇の民」日本人奴隷の戦闘力

    渡邊大門(歴史学者) 前回述べたように、多くの日本人は多くが東南アジア各地またはポルトガルに送り込まれ、さまざまな形で労働を強いられた。天正遣欧少年使節の面々は、ヨーロッパの人々が親切であるとか、日本人奴隷がキリスト教の教えを受けることをもって、自らを納得させていた感がある。 ところで、日本人奴隷たちの実態は、どのようなものだったのだろうか。以下、歴史学者、岡本良知氏の研究によって、確認することにしよう。1551年11月、ポルトガル人司教のカルネイロは、マカオから書状を送った。次に、岡本氏の『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』からその内容を掲出する。 当地方(マカオ方面)に来るポルトガル人は、皆真理を忘却している。その理由の一つは、商売の欲望である。もう一つは、日本から来たポルトガル人が女奴隷のために罪に陥っていることだ。 キリスト教布教と相まって、ポルトガル商人が日本にやって来たのであるが、あまりに金もうけに熱中していることは非難されてしかるべきだったといえる。彼らは、完全にキリスト教の真理から逸脱していた。問題は、二つ目の理由である。 少し婉曲的な表現をしているが、これはポルトガル人が奴隷となった日本人女性と性的な関係を結んでいたと見て間違いない。これまで豊臣秀吉の時代の天正年間を中心に見てきたが、それより約三十数年前にポルトガル人が日本人奴隷を買っていたのは事実であろう。しかも、それは彼らが性的な欲求を満たすため、女性の日本人奴隷を買っていたとみてよい。 このようにポルトガル人がキリスト教の信仰を忘れ、女性との性的な快楽に溺れることは、決して許されることではなかった。岡本氏の指摘によると、こうした事象は散見されるとのことである。 1583年、マカオを出発しインドへ向ったポルトガル船は、マラッカに近いジョホール沖で座礁するに至った。それは、日本や中国で活動していたポルトガル商人の放逸な行為(性にまつわる逸脱行為)に原因があるとし、それゆえに神罰が下ったとされている。すっかり女性の虜(とりこ)になっていたのだ。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) その事実は、次のように詳しく記述されている。 神はポルトガル商人らが神を恐れることなく、色白く美しき捕らわれの少女らを伴い、多年その妻のように船室で妾として同棲した破廉恥な行為を罰したのである。この明らかな大罪は、神からも明白に大罰を加えられたのであった。それゆえ、彼らに神の厳しい力を恐れさせるため、中国・日本の航海中に多数の物資を積載した船を失わせ、もってこれを知らしめようとしたのだ。また、中国・日本方面では、ほかの国々よりもポルトガル人の淫靡な行為がはるかに多いので、神はそこに数度の台風によりそれらの者を威嚇・懲罰し、その恐ろしい悪天候により怒りを十分に示そうとしたことは疑いない。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』より この記述を見ると、日本だけでなく中国からの女奴隷も餌食(えじき)になったようである。宣教師たちは、苦々しい思いで彼らの姿を見ていた。こうした原因の一つには、ポルトガル商人の多くが独身者であったという指摘がある。独身であるがゆえに女性を求め、それゆえに性的に乱れた生活をしていたのである。宣教師も悪行? 同趣旨のことは後年に至っても問題視され、ポルトガル人が購入した奴隷の少女と破廉恥(はれんち)な行為をし、また渡航中に彼女らを船室に連れ込むことは、決して止むことがなかったと言われている。 これまでは特に触れなかったが、実はこうした性的な不品行が豊臣秀吉の逆鱗に触れたようである。コエリョは、次のように報告している。秀吉の家臣が用務を帯びて長崎に来ると、ポルトガル商人の放縦な生活を目の当たりにした。秀吉が言うには、宣教師は聖教を布教するとはいえ、その教えをあからさまに実行するのは彼ら商人ではないか、と。商人は若い人妻を奪って妾とし…(以下略)。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』より 宣教師は口でこそキリスト教の崇高な教えを説いているが、実態は大きく乖離していた。ポルトガル商人が囲っていた若い人妻とは、奴隷身分だったのだろうか。いずれにしても、キリスト教の教義に沿わない行為である。とにかく秀吉ら日本人は、ポルトガル商人の奔放な行動に手を焼いていたようである。 このように日本人奴隷でも特に女性は、通常の労働(農作業、家事労働など)にも駆り出されたが、ときに性的な対象として悲惨な処遇を受けることがあった。多くの日本人の女性奴隷は、性的な関係を望まなかったのではないだろうか。ただし、中には生活のためにやむを得ず、そうした道を選ばざるを得なかった女性がいたのかもしれない。女性が悲劇的な一面をもって奴隷となったことを見たが、奴隷となった男性はいかなる運命をたどったのだろうか。 1603年、ゴア市民からポルトガル国王に陳情書が提出された。次に示す通り、そこには興味深いことが記されている。少し長いが、引用しておこう。 日本人奴隷は近隣のイスラム教国へと公然と売られ、毎年船に積まれて、ついに彼らはイスラム教を信仰する。われら(=ゴア)のところに来るものは、すべてキリスト教徒になる。それは同時に、陛下(=ポルトガル国王)の臣民が増加する理由です。しかもパードレたちは、二年間のキリスト教の教化を彼らに行ってから解放しています。もし、都合が悪いようなら、彼らを甘んじてイスラム教徒たらしめるため、他国人に買わせることです。インドには日本人奴隷が数多くいて、その主を守護する任務に充てている。その理由は、ポルトガル人の数は最小の城を守る数にも足りず、有事の際にポルトガル人一人が鉄砲を携え、奴隷五・六人を率いれば、日本人は甚だ好戦的なので、その値打ちは少なからずある。それゆえ奴隷を解放したのち、我ら(=ポルトガル人)の敵と通謀して、反乱を起こす可能性もある。また、われらより数が多ければ、われらを殺戮する疑いも否定できない。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』より 前半部分は奴隷解放に関わるもので、日本人奴隷を解放して、みすみすイスラム教徒に改宗させてはならないという見解である。当時、異教徒間では争いが絶えなかったので、理屈として持ち出したのだろう。この記述から分かるように、インドのゴアにはかなり多くの日本人奴隷が連行されていた。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) インドのゴアの近隣にはイスラム諸国があり、彼らは異教徒と認識されていた。臣民とある彼ら奴隷は、労務年限が来ると奴隷身分から解放され、ポルトガル国民として数えられたのである。彼らは順次、キリスト教に改宗すべく教えを受けた。奴隷を獲得することは、彼らを異教徒から守る側面があった。 問題は、日本人奴隷の職務である。彼らの職務は、主人を守ることであった。そして、万が一の時には主人に従って、敵と戦うこともあった。日本人は好戦的であったため、甚だ戦いでは活躍した様子がうかがえる。高い戦闘能力の日本人 それだけではなく、もし日本人を解放したならば、日本人が敵と通じて叛旗を翻す恐れがあるという。それほど日本人奴隷の戦闘能力は高かったようである。日本人が主力部隊を任されていたとは、大変意外な話である。 なぜ、日本人奴隷が必要なのか。それは、日本人の戦闘能力であって、ポルトガル人はそれを利用して植民地における兵力の不足を補おうとした。本国から兵を呼び寄せるよりも、安価で供給が可能という事情もあったであろう。 当時、ポルトガルはオランダと植民地支配をめぐって、戦いを繰り広げていた。その戦いに勝利を得るには、どうしても日本人の力が必要だったのである。この事実を裏付けるかのごとく、1604年にゴア市民からポルトガル国王に意見書が呈上されている。 日本人奴隷は労務年限が来ると、解放されて陛下(=ポルトガル国王)の臣民となる。彼らは、ゴアに多数存在する。武勇の民で、戦争で貢献した。最近、オランダとの戦いで見られたように、包囲戦や戦況が緊迫した状態になると、ポルトガル人一人が若者(日本人奴隷)七・八人を率い、鉄砲と槍を持ってあらわれる。インドにおいては、この日本の若者のみが軍役に耐えうる奴隷である。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』より この史料を読むと、日本人奴隷には年季(雇用される期間)があり、一定の期間が過ぎると奴隷身分から解放されたようである。奴隷身分から解放されると、彼らはポルトガルの国民になった。ただ、日本に帰るのが困難だった理由もあってか、インドのゴアの地に止まらざるを得なかった。 オランダとポルトガルの戦いで、日本人が参戦したのは衝撃の事実である。しかも、その戦闘能力は非常に高く評価された。おそらくゴアには、中国、朝鮮そのほかの国々から奴隷が調達されたのだろう。ところが、軍役に耐えられるのは、好戦的と言われた日本人だけであった。 本来ならば、ポルトガル本国で若者に兵役を課し、連れて来るのがベストであったに違いない。ただ、それでは費用や時間があまりにかかりすぎる。そうなると、手っ取り早く質の高い兵卒を確保するには、日本人奴隷が最適であった。 実は、この意見書には「日本人奴隷の禁止をする前に、戦争における日本人奴隷の活躍という実態をお忘れにならないように」と締めくくられている。ポルトガルにとって、日本人奴隷は大きな魅力だったのだ。 近年、報告されているように、16、17世紀のヨーロッパや南米には日本人が数多く存在したようである。むろん、東南アジアもである。 そのなかでもっとも有名なのが、山田長政であろう。長政は駿河国に誕生し(生年不詳)、もともと沼津城主の駕籠(かご)かきを務めていたという。一大決心した長政は、慶長17(1612)年ごろ、朱印船に乗ってシャムに渡航した。山田長政像(模本、東大史料編纂所) やがて、長政は頭角をあらわすと、日本人町の頭領となり、国王ソンタムの信任を得た。しかし、ソンタム没後、王位を狙うオーヤ・カラホムによって毒殺されたという。亡くなったのは、寛永7(1630)年ごろとされている。傭兵としても活躍 また、最近の研究により、17世紀初頭の東アジアにおいて、日本人の多くが傭兵(ようへい)としてオランダなどで雇用されていたと指摘されている。先にも述べたが、日本人は好戦的な民族であり、戦いの能力に長けていた。 ヨーロッパの本国から兵士を呼び寄せるよりも、はるかに人件費などが安上がりである。実際、オランダでは日本人が良く訓練されており、しかも給与や食費が安く済む、と認識されていた。何よりも驚くのは、オランダが徳川家康と傭兵の供給について、合意に達していたことである。 同時に重要なのは、日本国内で製造された武器が、オランダなどに供給されていた事実である。つまり、日本は傭兵や武器を供給することにより、東アジアで展開されるヨーロッパ列強の戦争に関わっていたことになろう。 相当な数の日本人が、東南アジアにおけるヨーロッパ列強の戦争に駆り出されたが、やがてそれも認められなくなる。元和6(1620)年以降、江戸幕府は人身売買、武器輸出、海賊をついに停止した。これは、いわゆる鎖国(海禁)と連動した政策だったといえよう。 ここでは人身売買と記しているが、実際には雇用(=傭兵)も禁止されていた。これまで安く日本人の傭兵を雇用していたオランダなどは、大きな衝撃を受ける。傭兵ならずとも、武器を購入できないことも問題となった。彼は日本が傭兵などを禁止したため、新たな対応を迫られることになった。 その後も日本からの奴隷の輸出は問題視されるが、幕府による海禁によって、その数は減少の一途をたどった。それでも、日本人が海外に存在したことは、その後も確認できる。「ジャガタラお春」もその一人だ。 お春は、イタリア人航海士のニコラス・マリンと母マリアの間に生まれた女性である。お春は、混血児であるがゆえに、ジャカルタ(インドネシア)に追放された。ジャガタラとは、ジャカルタのことである。キリシタンであるお春は、やがてオランダ人のシモン・シモンセンと結婚し、貿易業を営んだ夫と裕福な生活を送ったという。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) それにしても、東南アジア、ヨーロッパあるいは南米へと渡った日本人は、いかなる気持ちだったのだろうか。現在は情報手段(テレビ、ラジオ、インターネットなど)が多岐にわたっているので、海外の情報は比較的得やすい。ところが、彼らはまったく何の予備知識もなく、突然異国の地に放り込まれたのである。 今回は、奴隷などとして海外に渡った日本人の実態について触れたが、次回は文禄・慶長の役における拉致、人身売買、奴隷の問題を取り上げることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■ 「極悪の欲情」女好き秀吉、フロイスの目にはどう映ったか■ 百田尚樹『日本国紀』はなぜ支持されるのか■ 川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実

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    白鵬「日本国籍取得」にバッシングが止まないのはなぜか

    山田順(ジャーナリスト) ムンフバト・ダバジャルガル少年は、小学生のとき伯父の牧場で過ごした夏休みが忘れられない。井戸で水をくみ、馬に乗って羊の世話をし、草原を走るウサギを捕まえて焼いて食べた。祝日には、羊の丸焼きを丸かじりし、馬乳酒を飲んだ。 父はレスリングでモンゴル初の五輪メダリストの英雄、母は元外科医という家庭で何不自由なく育ったため、ブフ(モンゴル相撲)には真剣に取り組んだことはなかった。それが、15歳のとき、日本の相撲に憧れ、両親に日本行きをせがんだ。両親は「日本の厳しい相撲に耐えられるわけがない。すぐに戻ってくる」と、泣く泣く送り出した。 2000年10月、6人の力士志望者といっしょに来日し、大阪の物流会社、摂津倉庫の相撲部に入った。しかし、他の志望者は次々に入門が決まるも、力士候補としては小柄で体格も痩せ型の少年を受け入れてくれる部屋はなかった。 一肌脱いだのは、既に来日して活躍していた旭鷲山だった。師匠の大島親方(当時、元大関旭国)に頼み込み、宮城野(元幕内竹葉山)部屋に押し込んでもらった。弱小部屋を率いる宮城野親方は、この色白の少年に全く期待していなかったという。ともかく、力士としての体格をつけさせるため、入門から2カ月間は稽古をさせず、ひたすら牛乳を飲ませ、吐くまで食べさせたという。 初土俵は2001年3月。番付が付いた5月場所は序の口で3勝4敗と負け越した。しこ名は、色白だったことから白鵬と付けられたが、当時は誰もこの少年が将来の横綱になるとは思わなかった。 その白鵬が、ついに日本人になることを決意し、日本国籍取得に動き出したことが報道された。すると、案の定というか、バッシングの声がインターネットを中心に沸き起こった。 このバッシングを生み出している根底には、白鵬には日本として、さらに言えば横綱としての「品格」が欠如しているという考え方がある。2019年4月、4月春巡業で取材に応じる横綱白鵬 また、日本国籍を取得すれば、日本人として東京五輪で土俵入りする。さらに、引退後は親方として白鵬部屋を興し、ゆくゆくは理事長になる可能性がある。そうなれば、「日本の国技」はモンゴルに乗っ取られてしまうという感情的反発がある。 今、世界では移民問題から「外国人排斥」の動きが広がっている。こうしたナショナリズム回帰の風潮も、白鵬バッシングに勢いを与えている。 白鵬が尊敬し、目標としてきたのが、「昭和の大横綱」双葉山である。双葉山は、大分県の石炭を運ぶ回漕(かいそう)業の家に生まれた。6歳のとき右目を痛めてほぼ失明し、9歳のとき母を亡くし、13歳のとき父の船が沈没して九死に一生を得た。なぜ問題視されるのか 立浪部屋に入門したのは15歳で、このとき、身長173センチ、体重70キロと、力士としては小柄で痩せ型の双葉山は将来を期待されなかった。白鵬と同じである。 それが猛稽古で横綱に昇進し、26歳で69連勝という前人未到の大記録(当時は年2場所)を達成する。その後も、4連覇するなど大横綱として君臨し、32歳で引退した。引退から1年後、有名な「璽光尊(じこうそん)事件」で、入信していた新興宗教の教祖とともに警察に逮捕されている。 しかし、翌年、相撲協会の理事になり、45歳で理事長に就任して相撲協会の発展に尽力した。ただ、劇症肝炎のため56歳という若さで、惜しまれながら死去した。 双葉山が活躍したのは、今の年配相撲ファンが子供だったか、生まれていなかった時代なので、当時、「品格」がどのように扱われていたか、私にはわからない。しかし、今のように口うるさく言わなかったのではないだろうか。 双葉山には自伝的著書があり、『相撲求道録』(黎明(れいめい)書房)というタイトルだった。だが、新版となって刊行されたときは、『横綱の品格』(ベースボール・マガジン新書)と変えられていた。 白鵬はこれまで、先輩のモンゴル人横綱、朝青龍と同じように嫌われてきた。「日本スゴイ」「日本人は素晴らしい」メディアは、ことあるごとに白鵬の行為を問題視した。テレビのコメンテーターも、相撲協会の幹部も、白鵬の行動を問題視することが多かった。 特に、2017年の九州場所での振る舞いに厳しい意見が飛び交った。土俵下で1分間にわたって「あれは待っただ」と抗議したことや、千秋楽表彰式での「みんなでバンザイ三唱」は、「著しく『品格』に欠く」と非難された。 さらに、立ち会いでの「かち上げ」はプロレスの「エルボー」だとして、「危険行為だ」「横綱のするようなことではない」と激しく批判された。2018年11月、大相撲九州場所開催中の福岡国際センターに設置された第35代横綱双葉山の写真コーナー そして、この春場所の千秋楽、全勝優勝で復活を決めた後の表彰式で、またも白鵬はやってしまった。「三本締め」である。それから1カ月もしないうちの「日本国籍取得報道」だから、バッシングの嵐が吹き荒れるのも無理はない。 しかし、白鵬がなぜ日本国籍を取得することに、ここまで感情的に反発するのだろうか。もちろん、法的には何の問題もない。日本国籍を取得すれば、「日本国籍を持たない者は親方になれない」とする規定をクリアできる。 そうなれば、これまで4人しかいない「一代年寄」となり、白鵬部屋を開ける。さらに、横綱以外はなれないとされる理事長にもなれる。尊敬する双葉山と同じ道を歩めるのだ。「品格」の定義なし モンゴルの草原で育った少年と、大分で石炭船に揺られて育った少年とどこが違うのか。相撲に対して抱いていた夢は同じである。 横綱審議委員会は、横綱に推挙するとき、必ず「品格、力量抜群に付き」と文面に記す。ただ強いだけではダメで、横綱という地位にふさわしい「品格」を要求する。 しかし、この「『品格』とは何か」に関しての定義がない。日本人なら誰もがそうあるべきだとする振る舞い、それが「品格」ではないかとされる。 「品格」で思い出すのは、ハワイ出身の大関小錦が横綱になれるのに十分な成績を残しながら、なれなかったことである。小錦は、1991年九州場所から92年春場所までの3場所で13勝(優勝)、12勝、13勝(優勝)という成績で、横綱に推挙されたが見送られた。 当時、作家の児島襄氏が『文藝春秋』に「『外人横綱』は要らない」という論文を寄稿した。その中で、児島氏は「国技である相撲は、守礼を基本とする日本の精神文化そのものであり、歴史や言語の違う外国人には理解できない」とつづっていた。つまり、横綱の「品格」は日本人だけしか持ち合わせていないものとしていたのである。 ところがその後、曙(あけぼの)、武蔵丸、朝青龍と、外国人横綱が次々と誕生した。となると、この論理は当然破綻する。日本人だけしか持ち合わせていないはずの「品格」を、相撲協会が外国人も持つことを認めたことになるからだ。 よって、白鵬がモンゴル人だからといって、「品格」を問うのはおかしいということになる。すなわち、今となっては、「品格」と「日本人」を切り離して、別のものとして考えなければならない。 そうなると、「品格」を求めることは、日本人が外国人を排斥するための「方便」ということになる。日本人同士でもこれは同じだ。2019年3月、千秋楽に優勝を決め、インタビューを三本締めでしめた白鵬(林俊志撮影) 私たちは、嫌いな相手に対して、よく「『品』のないやつ」などと言う。前記したように「品格」には定義がないから、「品格」が何かは個々人によって違う。 となると、私たちは、その人間が好きか嫌いかでこの言葉を使っている。白鵬が批判された「待った」「バンザイ」「かち上げ」を「いいじゃないか」と弁護する人間もいるのだから、これほどいい加減で、使い勝手がいい言葉はない。 結局、ひいきの力士に対して、その理由を「『品』があるから」などという人間はほぼいないから、「品格」を問題にするのは嫌いな力士に対してだけである。ファンなら昔から知っている つまりは「『品格』がない」などと言っているが、要するに、外国人が嫌いなだけなのである。しかも、相撲の本質を知らない人間ほど、「品格」を口にする。 「品格」だけを問題にすれば、日本人にも「『品格』がない」人間はいっぱいいるし、力士はどちらかといえば「品格」欠如人間の集まりである。そんなことは相撲ファンならとうの昔に知っているから、大鵬と柏戸が拳銃を不法所持していても、輪島が年寄株を抵当に入れて借金して廃業しても、双羽黒がおかみさんを突き飛ばして部屋を飛び出しても、「品格」など言ったことはない。 相撲部屋で暴行事件が頻発しても、たびたび八百長が発覚しても、相撲は続いてきている。力士に「品」を求めたら、相撲が伝統文化として存在できるわけがない。 私は昔、力士を取材したことはあるが、現在は単なる「相撲ファン」である。ただ、相撲の表裏を知ったうえで、土俵を楽しんで観戦している。たまに、夕方に升席に入り、お茶屋から届いた焼き鳥などを頬張り、仲間と酒を酌み交わす。そうして、ひいきの力士の取り口に拍手を送ったり、罵声を浴びせたりする。 「いやあ、注射がうまいな」「また星を売ったのか」「いや、あれは人情相撲だ」などと言い合うのが楽しいのである。ガチンコの大一番で、子供たちが「頑張れ!」と叫んでいるのを聞くと、ああ、「これが相撲なんだ」と思う。 かつて、大関琴光喜が好きで、いつ朝青龍に勝てるかと仲間と言い争ったことがある。しかし、琴光喜は2002年に大関昇進を争うなど、実力では朝青龍と互角だったにもかかわらず、28連敗を喫した。琴光喜が負けるたびに、仲間からこう言われたものだ。 「ほらな、やっぱりまた星を売ったじゃないか」。琴光喜ほどばくち漬けだった力士はいないだろう。  それにしても、2011年に発覚した八百長問題で、当初から関与を認めて調査に協力し、結局引退届を出した春日錦(当時竹縄親方)と恵那司、千代白鵬の3人は今どうしているだろうか。あのとき、引退した清瀬海は「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」とメールしたが、これこそ相撲の「呼吸」というものだ。大相撲技量審査場所初日、八百長問題で10人が土俵を去り、寂しくなった十両土俵入り=2011年5月、両国国技館(千村安雄撮影) 土俵は「神聖な場所」、横綱は「神様」とされているが、そんなものは「建前」であって現実ではない。相撲ファンなら、土俵は「欲望に満ちた場所」、横綱は「知力に長(た)けた者」であることは、みな知っている。 相撲ファンの誰が、相撲に「品格」を求めているというのだろうか。もういい加減、「品格」が日本人だけのものという根拠なき考え方はやめたらどうだろうか。そんな見方をしていたら、この厳しい現実に置いてきぼりにされる。 最後にひとこと言いたい。「品格」を言うなら、それは横綱ではなく政治家に言え。権力者は謙虚でなければならない。■ 稀勢の里に横綱の品格を求めた「無能な上司」横審が憎たらしい■ 白鵬よ、「相撲道は礼に始まる」をもうお忘れか■ 「闘う親方」貴乃花も屈した相撲協会の恐るべき暴力体質

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    NGT山口真帆卒業「秋元康よ、AKBを去れ」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ブラック企業の典型を見た。被害者を加害者扱いで追い出す社長。調子のいいときだけ名前を売り、都合が悪いと表に出てこないプロデューサー。社会的に批判されても、ほとぼりが冷めるまで問題のある事業を「内向き(ムラ)の理屈」で継続する。新潟市を拠点にするアイドルグループNGT48の運営を担うAKS社(吉成夏子社長)と、そしてAKB48グループ総合プロデューサーの秋元康氏の姿勢は、筆者にはこのように思えた。 さらに、取り巻きの「アイドル語り」と一部の芸能マスコミも同罪だ。この構造、財務省が主導する消費増税などの緊縮路線と似ている。 4月21日、NGT48のメンバー、山口真帆が101日ぶりに公演に登場し、公演終盤で同グループからの卒業を表明した。山口は昨年末、ファンを自称する若者たちから自宅マンションで暴行被害を受けた。NGT48の運営の対応に不信感を強めた山口は、1月8日に動画配信サービス「SHOWROOM」において、事件の経緯と運営への批判を語った。 ところが、NGT48の運営は沈黙を守っただけでなく、あろうことか山口を3周年記念公演の場で謝罪させるという暴挙に出た。結局、この問題は国際的にも大きく取り上げられ、さらに注目が集まった。暴行事件の被害者に、運営サイドが公衆の面前で謝罪させ、自らの責任には一切触れないという非道ともいえる姿勢は、社会的にも大きな批判を浴びた。 社会的な批判を受けて、AKSは3人の弁護士からなる第三者委員会を設置して事件の調査を行った。しかし、3月22日に調査報告を行ったAKSの松村匠取締役らの記者会見を視聴していた山口本人が、自身のツイッターでその報告書に書かれていない事件の核心について率直に告発したのである。この告発が記者会見と同じタイミングで行われたことも、強い社会的な関心を引き起こした。2019年4月21日、便箋につづったメッセージを読み上げる形で卒業を発表したNGT48の山口真帆(C)AKS 暴行事件を直接引き起こした若者たちの社会的責任が重大であるのは、言うまでもないことだ。不起訴処分であったから「無罪」というのは、法律的に結論付けられても、社会的な良識からはもちろん許されるべきことではない。 そしてこの問題の深層には、AKSという組織、その幹部たちの精神的な腐敗というものが強く関わっていることが、山口の告発からわかる。先ほどの「報告書に書かれていない事件の核心」とは、そのことを意味する。山口の告発を引用しよう。私は松村匠取締役に1月10日の謝罪を要求されました。私が謝罪を拒んだら、「山口が謝らないのであれば、同じチームのメンバーに生誕祭の手紙のように代読という形で山口の謝罪のコメントを読ませて謝らせる」と言われました。他のメンバーにそんなことさせられないから、私は謝りました。助長されたミスリード 前代未聞ともいえる暴行被害者の謝罪について、AKS幹部である松村氏の直接的な関与を訴えたのである。AKSの体質が極めて社会的な常識を逸脱することが、このツイートからも明白である。 既に、AKS側が山口とのコミュニケーションを取る努力を十分にしていない可能性も公にされていた。一方で、一部のアイドル語りの論者やマスコミの中には、山口の「思い込み」というミスリードを流す傾向も見られた。 これらも、山口への精神的重圧を生み出してきたことだろう。もちろんそのような報道について、事務所側は積極的に否定するどころか、放置したままである。それどころか、ミスリードをむしろ助長したのではないか、という疑いもある。山口のツイッターには、以下のように書かれていたからである。記者会見に出席している3人は、事件が起きてから、保護者説明会、スポンサー、メディア、県と市に、私や警察に事実関係を確認もせずに、私の思い込みのように虚偽の説明をしていました。なんで事件が起きてからも会社の方に傷つけられないといけないんでしょうか。 少なくとも、AKS側は山口への精神面のサポートを全くしていないか、していたとしても完全に失敗していることだけは明らかである。 21日の公演では、山口とともに、彼女の理解者と思われる菅原りこ、長谷川玲奈のメンバー2人も卒業を発表した。これが単なる卒業報告ではないことは自明である。彼女たち3人が同時に卒業表明することで、今回の問題の核心がNGT48の運営、そしてその主体であるAKSという組織固有のものであることを厳しく指摘したといっていいだろう。記者会見中に山口真帆のツイートを確認するAKSの松村匠取締役(左)ら=2019年3月22日午後、新潟市 問われているのは、暴行事件を引き起こした運営のセキュリティの甘さだけではない。その不誠実で、また社会常識から逸脱した振る舞いによって、AKSはその在り方を厳しく追及されるべきだと筆者は考えている。 何より、暴行被害者を事実上、自らの組織から追い出すとは度が過ぎている。しかも、このようなやり口は、1月の謝罪公演と全く同じ発想に基づいているのではないか。秋元氏の「沈黙」 つまり、AKSには「自らには大した落ち度もなく、むしろ問題はアイドル側にある」とでもいうべき、およそ常識外れの姿勢が見て取れる。今回の山口の卒業報告にもその点が明記されている。 事件のことを発信した際、社長には「不起訴になったイコール事件じゃないってことだ」って言われ、そして今は、「会社を攻撃する加害者だ」と言われていますが、ただ、仲間を守りたい健全なアイドル活動できる場所であってほしかっただけで、何をしても不問なこのグループに、もうここには、私がアイドルをできる場所でなくなってしました。 目をそらしてはいけない問題に対して、「そらせないなら辞めろ、新生NGT48を始められない」というのがこのグループの答えでした。 組織や企業の問題を告発した人間が、その組織から追いやられるというのは、ブラック企業の典型的な手法である。山口がこのような辛い心情に陥り、そしてNGT48を去ることは本当に残念で仕方がない。 またNGT48だけではなく、AKB48グループの総合プロデューサーである秋元康氏の「沈黙」も、非常に問題ではないか。秋元氏の言及は、社会的な批判が強まった1月14日にAKS側が開いた会見で、事件について「大変憂慮している」と松村氏が明かしたぐらいだ。 だが、社会的には、NGT48も他のAKBグループも「秋元康のAKB48」というイメージで見られていることは間違いない。そして彼は、NGT48が順調なうちは、このイメージを利用していたのではないだろうか。NGT48結成直後の2015年、当時の泉田裕彦新潟県知事との対談で、NGTを利用した地方創生について熱く語っていた。 上手くいくときには、AKB48の制作者として自身を売り出し、そして現在のような批判の強い時期には沈黙を続ける。これもまた社会的な常識とはかけ離れているように、筆者には思える。AKB48グループの総合プロデューサーを務める作詞家の秋元康氏 もし「事務所内部での仕事では、アイドルのマネジメントには関わっていない」というムラ的な発想を持ち出すのであれば、「秋元康のAKB48」という虚像で今まで得てきた「対価」を捨て去るべきだろう。率直にいえば、AKBグループから去るべきである、と筆者は思う。 2013年、筆者は『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉(しゅうえん)』(主婦の友社)を上梓した。その書籍では、景気変動と女子アイドルグループの盛衰を指摘した。その際に「予言」したのが、社会的なものとの対立がAKB48存亡の鍵を握ることであった。同著の一節を引用して結びたい。 社会とAKB48の世界は、相互にその関係を深めていき、AKB48も意識的に「社会を変える」位置についたと私は認識しています。その相互のコミットが強まれば強まるほど、AKB48ワールドと一般社会の緊張の度合いもまた強まっていかざるを得ないのです。■ NGT48山口真帆さんへの対応はここがマズかった■ AKBに「トドメ」を刺すのは韓国かもしれない■ 「劇場支配人は神様?」NGT事件で見えたアイドルビジネスの本音

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    V確率ゼロ、丸流出でも4連覇を狙える広島カープの「極意」

    菊地高弘(ライター、編集者) 春から広島東洋カープの周辺が騒がしい。 3月29日のセ・リーグ開幕から5カード連続で負け越しを喫し、4月15日現在、借金7の最下位に沈んでいるからだが、5カード連続負け越しは球団史上初の事態だという。また、開幕から4カード以上連続して負け越したチームが優勝した前例はなく、早くも「優勝確率0%」というスポーツ紙の見出しも躍った。 4月10日のヤクルト戦では、延長十回に大量12点を失う、象徴的な惨敗を喫した。昨季までセ・リーグ3連覇を成し遂げたカープの突然の凋落(ちょうらく)。「カープに何が起きたのか?」という論調の報道も目立っている。 とはいえ、まだ開幕してわずか2週間である。どんなに強いチームだろうと、年間通して独走し続けるわけではない。晴れの日もあれば、雨の日も風の日もある。それがペナントレースというものだろう。カープにとっては、最初にいきなり集中豪雨がやってきただけ、というポジティブな考え方もできる。 なにしろ、現在の主力の多くは20代から30歳までの若い年齢層である。若くして修羅場をくぐってきたキャリアが生きるのは、むしろこれからだ。この時点で優勝を絶望視するのは、いくらなんでも気が早すぎる。 一方で、気になることもある。主軸の丸佳浩がフリーエージェント(FA)権を行使して巨人に移籍して、精神的支柱だったベテランの新井貴浩が引退したことは間違いなく痛い。ただ、丸の穴は走攻守にポテンシャルの高い野間峻祥(たかよし)が奮闘して、今のところ最大限のカバーをしている。2019年3月31日、広島戦の五回、九里から適時二塁打を放った巨人・丸。左は広島・田中広=マツダスタジアム(福島範和撮影) 攻撃以上に綻(ほころ)びが目立つのは、守備面である。2016年の優勝時にはリーグ143試合でチーム合計67失策(守備率・988)と安定していたものが、今季は開幕15試合で早くも19失策(守備率・968)。守備の乱れがチーム成績の悪化に直結している。 カープは天然芝のマツダスタジアムを本拠地としている。天然芝のグラウンドは、打球が不規則にバウンドしやすく、多少のミスはつきものではある。絶妙な「サジ加減」 だが、守備の名手として知られ、6年連続でゴールデングラブ賞に輝いた菊池涼介や、田中広輔の二遊間コンビまでミスが目立っており、若い投手陣を支えきれなくなっている。当然、今後チーム状態を立て直していく上で、守備の改善は急務になる。 そんな気になる部分はあるものの、今後もカープが極端に弱体化していくことは考えにくい。いくら主力が抜けようとも、この球団には独特のスカウティングと好素材を育て上げる育成ノウハウがあるからだ。 そもそもカープの今の隆盛があるのも、ドラフト戦略の成功に他ならない。1998年から2012年まで15年間にわたって、カープはBクラスに沈む「冬の時代」があった。 主力のスター選手や外国人選手は好条件を提示する他球団に移籍していった。加えて、ドラフト上位候補選手が希望球団に入団できる「逆指名制度」が当時存在していたため、有望な新人選手を確保するのも苦労した。 それでも2006年を最後に逆指名制度が撤廃されると、カープ独自のスカウティングが生きるようになった。 苑田聡彦(としひこ)スカウト統括部長はドラフト候補について語る際、「ウチの練習に耐えられる体かどうか」という言葉を口にする。カープのドラフトを一言で言えば「素材重視」である。完成度の高い即戦力よりも、大化けする可能性のある素材型を狙うことが多い。そしてファームで、カープ伝統の豊富な練習量をこなすことで開花へと導くのだ。 今や不動の4番に座る鈴木誠也は、その典型である。二松学舎大付高(東京)時代は投手だった。その鈴木をカープスカウト陣は「野手の方が開花する可能性が高い」と見込み、さらに地道な調査力を生かして、他球団に先んじてドラフト2位で指名した。2019年4月10日、延長十回に一挙12点を許し、ヤクルトに大敗した広島はベンチも観客もガックリ=マツダスタジアム(加藤孝規撮影) 情報があふれる現代において、ドラフト会議でスカウトが存在すら知らない「隠し玉」はほとんどいない。他球団も評価する中で、誰を何番目に獲るか。そのさじ加減がカギを握るのだが、近年のカープはその点が実にうまい。「個人」から「家族」へ チームの中核を担う鈴木も菊池涼も、そして17年に15勝を挙げた薮田和樹もドラフト2位指名だった。ドラフト会議直後は「順位が高すぎるのでは?」という声もあった。だが、いずれも他球団の動向を調査した上での判断であり、彼らの存在なくては今のカープはなかっただろう。 田中広に至ってはドラフト3位指名だが、13年ドラフト当時の球団の評価は「外れ1位候補」だったという。まさか3位まで残っていると思わず、スカウト陣は獲得を諦めていた。ドラフト会議当日にテーブルについた松田元(はじめ)オーナーが、「(3位まで田中広が)指名されとらんぞ」と気づいて慌てて3位指名。幸運なエピソードに思えるが、カープスカウト陣が力量を見極める力が確かだったとも取れる。 こうして獲得した若い有望選手を、野村謙二郎前監督が根気強く起用して芽を出し、2015年に緒方孝市監督が就任したころになって花が咲いた。それがリーグ3連覇へとつながっていった。 黄金期を迎えても、編成陣は着々と種を蒔いていた。近年のドラフト会議では、17年に夏の甲子園で6本塁打を放った捕手の中村奨成(しょうせい)を1位指名し、昨年は超高校級ショートの小園海斗(かいと)を1位指名。近未来のスター候補の獲得に成功している。 他にも、16年のドラフト4位でシュアな打撃が魅力の坂倉将吾ら、イキのいい若手は育ちつつある。働き盛りの主力に衰えが見えてきたとき、彼らがスムーズに台頭できればチームは安泰だろう。2019年4月、ヤクルト戦の延長十回、1死満塁で山田哲のゴロを失策、勝ち越しを許した広島の二塁手菊池涼=マツダスタジアム(加藤孝規撮影) シーズン前、菊池涼にインタビューする機会があった。丸という同学年の戦友が抜けた痛手を認めながらも、菊池涼はこうも言っていた。 「個々の力だけじゃ絶対に優勝はできない。それはこの3~4年の間にずっと感じていることなので。『個人』が『一丸』とか『家族』という言葉に変わって、みんなでカバーし合ってシーズンを戦い抜く。それが一番大事なので、そのことしか考えてないです」 選手も球団もファンも、一枚岩となって戦うための時間は十分にある。何度も言うように、シーズンはまだ始まったばかりだ。■ 前田健太を失ったからこそ広島カープは優勝できた?■ 「巨人軍は非情なのか」長野と内海、功労者を放出した意味■ 松坂大輔の右肩を「破壊」したファンの妙な親近感

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    「消費税26%発言」止まらない財務省の増税インフレ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議が、日本を議長国として米ワシントンで行われた。日本のメディアは、麻生太郎財務相が世界経済の減速を防ぐための「国際協調」を訴えたと報じた。 そして、それと同じ規模で大きく取り上げたのが、10月に予定している消費税率10%への引き上げを明言したことである。ほとんどのメディアは、麻生氏の「需要の変動を乗り越えるために十分の財政措置を講じる」との従来の政府見解を併せて伝えただけである。 世界経済の景気減速に対応するために増税を行うことが「国際協調」とは、明らかに矛盾しているが、それを指摘する日本のメディアはない。G20直前だったが、海外メディアであるウォール・ストリート・ジャーナルが消費増税を日本経済への「自傷行為」「アベノミクスの第二の矢を折る」と批判したのが目立っただけである。 日本のメディアは、麻生氏の発言をあかたも「国際公約」のように扱いかねない勢いである。このように、先進7カ国(G7)会合やG20などでは、官僚の「台本」に従って、増税路線を主に日本の記者向けに発言することで、「国際公約」化する動きがよくある。官僚の言うことをそのまま紙面に展開するしかない、日本の低レベルな経済報道は、その「国際公約」に何の考察も加えず掲載するだけである。 当たり前だが、もし世界経済の悪化を各国の「国際協調」で乗り切るならば、その対応は財政政策を拡大することであっても、増税で財政を緊縮することではない。 財務省とその「代理人」といえる政治家たちの狙いは、消費税10%の次は15%、いやそれ以上に引き上げることにある。財務省から「海外派遣」された官僚たちが国際通貨基金(IMF)などを通じて「日本はさらなる財政再建のために一段の増税が必要」と発信させる。そして国民が同意もしてないのに、いつの間にか増税が「国際公約」化するという手法が繰り返されてきた。2019年4月12日、ワシントンで開かれたG20財務相・中央銀行総裁会議の出席者(ゲッティ=共同) さらに、この勝手に生み出した「国際公約」を無視して増税しなければ、国債の信頼が揺らぐと、通信社や新聞を使って喧伝(けんでん)することも常套(じょうとう)手段なのである。経済的発想において何の能力もない政治家の大半もこの話を真顔で支持者や街頭演説で告知していく。財務省とメディアの悪質「タッグ」 外圧のようでいて、実は国内からの発信であることがキーポイントだ。まさに自作自演である。 IMFの財政緊縮主義はほとんど普遍であり、昨年話題になったIMFのリポートでは、バランスシート分析を利用して、米国や英国などの「隠れた負債」をあぶり出した。一方で、日本の負債規模が大きくても資産規模も大きく、純債務はほとんど無視できるほどの割合しか経済全体に占めていないことを公表してしまった。 これは財務省にとっても予想外のことだったろう。このリポート以後、日本では財政危機を理由にした消費増税の議論は下火になった。 代わって出てきたのが、社会保障財源としての消費増税である。これほど知的劣化の議論はない。 消費増税は低所得者に負担が重い。だが、簡単に言えば、社会保障は所得や資産の多い人から貧しい人にお金を「再分配」する仕組みだ。消費増税では、全く逆の動きになってしまう。 もちろん、税収の一部は幼児教育の実現や年金の維持などに使われるが、子供がいない中高年の低所得者からすれば、それは直接的に無縁の「再分配」になる。言ってみれば、消費増税は貧しい人からお金を取り上げ、その一部分だけ還元するというやり口である。当然経済格差は拡大していく。 悪質な税制だが、財務官僚たちにこれを押しとどめる動機はない。財務官僚の言いなりに近い政治家たちも同様だ。2019年4月、日本記者クラブで記者会見するOECDのグリア事務総長 G20での麻生氏の発言を「国際公約」として利用する財務省と日本のメディアの「タッグ」は、最近さらに加速している。4月に来日した経済協力開発機構(OECD)のグリア事務総長を日本記者クラブに招いたのは、その最たるものだ。グリア氏は15日の会見で、消費増税10%どころか、なんと26%までの引き上げが必要だと発言した。OECDも財務省の「植民地」 もちろん、この発言は日本経済新聞など国内メディアや海外通信社(ロイター、ただし日本人記者が執筆)で配信されるなど、大きく報じられた。これも「外圧」を利用した消費増税路線だろう。 そもそも、IMFはかなり昔から財務省の影響が色濃い。それに対して、OECDが財務省の「植民地」になったのは近年である。 財務省財務官だった玉木林太郎氏が、OECDの事務次長に就任したのが2011年で、民主党政権の財務省寄りの姿勢がここでも鮮明である。このOECDの財務省植民地化は、17年に玉木氏の後任事務次長に河野正道氏が任命されたことで、より強固なものになったといえる。 河野氏は金融庁出身が強調されているが、元々旧大蔵省の官僚であった。グリア事務総長の発言は、日本経済の財政状況や経済見通しを分析したOECDの対日経済審査報告書を元にしている。この対日経済審査報告書の内容は、おそらく事実上財務省の執筆ということになるだろう。これもまた自作自演である。 財務省の自作自演による「消費税26%発言」をそのまま日本のメディアが掲載する。ちなみに、筆者の知る限り、財務省の税率に対する「本音」は21世紀に入ってどんどんエスカレートしている。十数年前は、まだ15~18%が「本音」だった。財務省の「消費増税インフレ」はもはやとどまることを知らない。 このような官僚の病理を、そのまま伝える日本のメディアも情けない限りだ。おそらくテレビ局の報道でも今後、「世界経済の減速に備えた国際協調としての消費増税」だとか「人口減少が深刻だから、26%まで消費増税を引き上げる」だとかの、明らかな矛盾や常軌を逸した内容が、「国際公約」「国際機関の意見」などとして報道されていくだろう。まさに偏向報道である。 最近、一般社団法人「放送法遵守を求める視聴者の会」(百田尚樹代表理事)が、偏向報道に関する調査を実施したが、約7割の視聴者が「偏向報道はある」と回答している。現代のインターネットでは、IMFもOECDも財務省の植民地であることは広く知られている。東京・霞が関の三年坂に面した財務省の庁舎(ゲッティイメージズ) ネットの知恵を無視して、日本のメディアは財務省発の増税賛同報道をいつまで繰り返すのだろうか。彼らも、財務省やその取り巻き政治家たちと同様に「日本をダメにする寄生虫」といっていいだろう。■ 国民をカモにする「ブラック官庁」財務省はXマス暴落よりもヤバい■ このままでは「消費税率35%」になる日がやってくる■ 「超傲慢エリート」元官僚議員はなぜ量産されるのか

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    石破茂まで乗っかったキラーコンテンツ「安倍叩き理論」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「忖度(そんたく)」という呪文を唱えると、そこには事実がなくとも「安倍首相の関与」が現れる。これがいわゆる「モリカケ問題」の今に至る社会的背景だろう。学校法人「森友学園」(大阪市)、「加計学園」(岡山市)の一連の問題について、法的や道義的な意味でも、安倍晋三首相の関与は全くなかった。 ただ、「全くない」と言ったところで、ワイドショーなどの情報を鵜呑みのする人たちの「疑惑」は全く晴れないだろう。そう考えれば、これは既に政治や経済の問題ではなく、一種の社会心理学の話かもしれない。 そして、この種の「忖度」物語が、容易に生み出せることは自明でもある。なぜなら、安倍首相と何らかの関係のある人物が、「首相に忖度した」とただ言えば、直ちに「忖度物語」が生まれるからだ。この新しいバージョンが、辞任した塚田一郎国土交通副大臣の「忖度発言」である。 発言は、塚田氏が統一地方選の応援に訪れた北九州市内の集会で飛び出した。山口県下関市と北九州市を結ぶ関門新ルート(下関北九州道路)の国直轄調査への移行に関し、安倍首相と麻生太郎財務大臣の地元なので、塚田氏が国直轄のものに「首相や麻生氏が言えないので私が忖度した」という内容だった。 この「忖度」という言葉は、政治的にもマスコミにとっても「キラーコンテンツ」と化している。与党は「忖度」という言葉の利用が新たな「疑惑」を生み出さないかと極度に警戒し、野党やマスコミは「忖度」という言葉に政権批判の足掛かりを見いだそうとする。特にマスコミで目立つのは、朝日新聞、毎日新聞と関係が深い媒体だろう。 事実はどうでもいい。そこに「忖度」という言葉をめぐる狂騒が生まれれば、取りあえず「勝ち」である。 例えば、テレビ朝日のニュースではテロップに「忖度道路」という言葉が使われていた。この種のイメージ報道により、いかにも「忖度」があったかのような印象を視聴者にもたらすだろう。山口県下関市と北九州市を隔てる関門海峡(ゲッティイメージズ) では、実際に、国直轄の調査に引き上げたことに対して、塚田氏が本当に影響力を行使し、またそれが「忖度」だったのか。そもそも、「忖度」したからといってそれがどうして問題なのか、一切不問である。「政権批判」という傾きで、ひたすらイメージが優先されている。野党もマスコミも「忖度」優先 ところが、テレビ朝日のニュースをよく見ると、野党議員も道路建設の取り組みを加速すべきだとの質問趣旨書が出ていたという内容だった。実は、この下関北九州道路は、与野党問わずに地元の政治家や経済団体などが念願していたものだった。その要望書もインターネットで読むことができる。 まさか、野党や地元経済団体などもこぞって、安倍首相や麻生氏の政治的利益を実現するために、この下関北九州道路の推進を求めていたわけではないだろう。それに、地元自治体の調査に対して国費が出ていることが、何か法的に問題なのだろうか。 そのような事実の提起はどこからも行われていない。単に、塚田氏が「忖度」という言葉を唱えたからにすぎない。 もちろん、これは「疑惑」扱いなので、国会でまたもや時間が浪費されることになるだろう。そこでひょっとしたら何か「粗雑な話X(エックス)」というものが出てきたり、「官僚の落ち度Y(ワイ)」や、ユニークな政権批判をする「関係者Z(ゼット)」が出てくるかもしれない。ワイドショーなどのメディアもそれが「利益=視聴率」などに結び付く限り、放送し続けるだろう。 そして、野党はまともな政権奪取の政策もないので、批判のための批判を展開するかもしれない。もし、このように展開すれば、本当に愚かなことだ。 以前から指摘しているが、日本のマスコミが特に安倍政権批判として利用しているのが、「悪魔理論」の応用である。これは経済学者でハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ジェンセン教授が提唱した「ニュースの経済学」に基づく理論だ。 マスコミもその受け手側もともに、ニュースを情報獲得よりも、一種の娯楽消費ととらえている。娯楽には「わかりやすさ」が何よりも重要になる。「悪魔理論」は、社会的事件を善(天使)と悪(悪魔)の二項対立に分けて、ニュースを消費しやすくしてしまう。特に、政府は悪に認定されることが一般的である。記者会見で謝罪する塚田一郎国交副大臣=2019年4月5日 このような善悪の二項対立的な状況は、安倍政権が長期化する中で、マスコミの常套(じょうとう)手段として使われている。新元号の「令和(れいわ)」が発表された際、安倍首相の「成果」を否定するために、反安倍系のマスコミや識者たちがその落ち度を探すのに必死だったことは記憶に新しい。石破氏も乗っかる「悪魔理論」 その象徴が、自民党の石破茂元幹事長の「違和感がある。『令』の字の意味を国民が納得してもらえるよう説明する努力をすべきだ」という発言や、朝日新聞の「国民生活を最優先したものとは言い難い」とした社説だろう。 批判的精神はもちろんいいことだ。だが、その批判的精神も、最近では安倍批判ありきの「アベガー」ばかりだ。いかにも悪魔理論に安易に乗っかった現象とはいえないか。 筆者は、今回の塚田「忖度」発言が、またモリカケ的な話にならないことを願っている。単に政治資源の大きな無駄だからだ。 影響はそれだけに留まらない。今の日本経済は長期停滞からの回復期にある。本当に回復するかどうか、最近の経済情勢に加えて、10月実施予定の消費増税の行方に大きく左右される。 だが、長期停滞から脱出するのであれば、有効な手段となるのが、長期に策定したインフラ投資である。補正予算などの一時的な財政出動よりも、長期間の公的支出の方が停滞脱出に効果があることは、教科書的な常識だ。 実際に、中央大の浅田統一郎教授は「名目国民所得の動きは政府支出の合計の動きと非常にパラレルである。すなわち、政府支出が国民所得にプラスの影響を及ぼすというケインズの『乗数理論』がそれなりに機能している」と以前から主張している。政府支出の拡大と名目国民所得の拡大が一致しているのならば、当然に前者を持続的に拡大することは長期停滞からの脱出に有効である。それには、もちろん日本銀行の金融緩和政策が大前提となる。松江市で街頭演説する自民党の石破元幹事長=2019年4月4日 インフラ投資である下関北九州道路が地元経済への影響、災害時のバイパスとしての利用価値など、多基準による判断で今後検討されるべきだと思う。だが、それが冷静に認められる環境になるのかどうか。モリカケの狂騒を繰り返さないことを望みたい。■ 「加計ありき」で発狂するワイドショーの安倍叩きがヒドすぎる■ 石破茂さん、菅野完のインタビューまで受けてどうする■ 加計理事長にも「悪魔の証明」を求める愚劣な論調

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    萩野公介が苦しむ「理想と現実」を力に変えた身近な手本

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 競泳の日本選手権が盛り上がりを見せています。来年に迫った東京五輪で日本勢の活躍を、日本中が楽しみにしている中で、ますます注目を集めています。 しかし、今回は別の意味でも注目が集まりました。リオデジャネイロ五輪の金メダリストで、東京五輪でも2連覇が期待される萩野公介選手が出場を見送ったからです。理由はアスリートに付き物のけがや体調不良などではなく、一種の気持ちの問題のようです。そこで本稿では、荻野選手の決断を心理学的に考えてみたいと思います。 荻野選手は、競泳男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した実績のある24歳です。競泳界のみならず、日本の現役アスリートとして最高の選手の一人です。 当然のことながら、国民はその活躍に期待し、勇気をもらい、日本人として誇りに感じていました。仮に、けがを理由に欠場した場合、荻野選手がコメントの中で復活を誓っていたら、私たちは自身の苦難を荻野選手の苦難に重ねて、勇気をもらえたことでしょう。 しかし、今回の出場見送りは事情が違いました。3月15日に欠場を発表したコメントで、萩野選手は「自分が『こうありたい』という理想と現実の結果の差が少しずつ自分の中で開いていき、モチベーションを保(たも)つことがきつくなっていきました」と明らかにしたからです。さらに今回の欠場により、優勝すれば東京五輪代表が決まる韓国での世界選手権出場も事実上消滅したわけです。 それにしても、このコメントは、まるで引退を示唆するかのように受け取れます。一般の国民感覚では、24歳は引退を考えるには早すぎる年齢です。2019年4月2日、競泳日本選手権、初日の競技が行われた東京辰巳国際水泳場(納冨康撮影) しかも、荻野選手は厳しい練習で世界の頂点を勝ち取り、この先も頂点に君臨し続けられるだけの立場にいるのです。才能だけでなく、実績がさらなる支援を呼ぶことで、そういった環境も整っているのです。 極端な言葉を使えば、荻野選手が望めば「世界が手に入る」のです。にもかかわらず、荻野選手はなぜ勝ち取ったポジションを手放すような心境になったのでしょうか。「モチベーションの方程式」 ここで、心理学の「モチベーションの方程式」をご紹介しましょう。心理学において、モチベーションは次の方程式で表すことができます。モチベーションの強さ=「欲求」×「誘因」×「達成期待」 この方程式から荻野選手の心理を考えてみましょう。まず、欲求とは「何かが欲しい」「何かが足りない」という渇望、または「これが楽しい」「これは嫌だ」という好き嫌いのことです。 荻野選手は五輪チャンピオンですので、水泳界では既に「世界を手に入れている」といえます。「もっともっと…」といい意味で貪欲に望まないのであれば、欲求の方向性は「これが楽しい」「これは嫌だ」に限られてきます。 しかし、コメントにもあるように、水泳を続ける中で「理想と現実」の乖離(かいり)が「楽しくない」「嫌だ」という心境になったようです。水泳へのモチベーションという意味では、欲求が大きく下がってしまったことでしょう。 二つ目の誘因とは、人を引きつける何かのことです。欲求と連動していますが、個人の中ではなく、あくまで環境の中にあります。 アスリートであれば、競技会での栄光に結びつくでしょうが、萩野選手は金メダルを獲得しているわけです。次の五輪での金メダルは、まだ獲得していないころと比べると、誘因としての価値が下がってしまっていることは想像に難くありません。2016年8月6日、リオ五輪競泳男子400メートル個人メドレーの表彰式を終え、メダルを手にする優勝した萩野公介(右)と3位の瀬戸大也(川口良介撮影) 最後の要素、達成期待は「自分にはできる」という実感です。これもコメントから察するに、「理想を現実にする」という達成期待が持てなくなったように見えます。まだ24歳なので早い気もしますが、達成期待を持てないときは、本人が頑張っても、周りが励ましても持てないものです。 もし「国民の期待に応えてヒーローになる」ということが誘因になるような、称賛欲求がもっと強ければ、東京五輪という晴れ舞台に向けて、モチベーションを保てたかもしれません。しかし、荻野選手はそういうタイプではなかったようです。称賛欲求の強い「先輩」 では、称賛欲求をモチベーションにできるタイプの選手とはどのような選手なのでしょうか。実は、荻野選手のマネジメントもしている金メダリストの「先輩」北島康介氏は、まさにこのタイプなのです。 冗談を交えながらとはいえ、北島氏はいまだに選手としての競技復帰に意欲を隠しません。五輪2大会連続で同一種目2冠と、萩野選手を大きく超える実績を持ち、欲求は既に満たされているかのように思われますが、北島氏はそうではないようです。 実は、称賛欲求とは限りない欲求の一つです。一度、その喜びを覚えてしまうと簡単に手放せなくなります。常に注目され、そして称賛を浴びることは、社会的存在としての人類の根本的な欲求の一つだからです。 北島氏は現役時代から「ビッグマウス」と言われ、世間やメディアの注目を集め続けました。つまり、注目と称賛をモチベーションに変えられる、類まれなタイプの選手だったといえそうです。サッカー界では、本田圭佑選手も近いタイプでしょう。 北島氏は、今回の欠場について「金メダリストだからできる判断」と萩野選手本人に伝えたそうです。自分と荻野選手との違いを、先輩として意識しているのかもしれません。 水泳は戦前戦後の活躍を通じて、「日本のお家芸」とも言われる競技です。世界が日本の後塵(こうじん)を拝していた時代には、国民に夢と希望を与えてくれました。もちろん、今でも日本選手の世界での活躍が、私たち、そして未来ある子供たちを勇気づけてくれています。2004年8月、アテネ五輪男子100メートル平泳ぎで優勝し、ガッツポーズする北島康介 ひょっとして、荻野選手は北島氏や本田選手のようなタイプではなかったのかもしれません。それでも、リオ五輪で私たちに夢と勇気をくれた功績が色あせるわけではありません。 何事も長く続けていると、嫌になってくることもあります。また、24歳の将来ある若者なので、モチベーションが再び高まるかもしれません。私たちは荻野選手の実績を讃えつつ、温かく見守れればと思います。■ 神童から金メダリストへ 萩野公介に見る「天才」の育て方■ 「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情■ 池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる

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    「日本人奴隷は家畜同然」バテレン追放令に秘めた秀吉の執念

    渡邊大門(歴史学者) 前回、天正遣欧少年使節が感じた奴隷貿易などについて述べた。日本人奴隷の売買については、宣教師たちからすれば、「日本人が売ってくるから奴隷として買う」という論理だった。しかし、豊臣秀吉にとって同胞の日本人が二束三文で叩き売られることは、実に耐え難いことであった。そこで、秀吉は対策を講じたのである。 前回触れた通り、秀吉がポルトガル出身のイエズス会宣教師、コエリョに厳しく問い質した後、天正15(1587)年6月18日に有名な「バテレン追放令」を制定している(神宮文庫蔵『御朱印師職古格』)。本稿では、その中の人身売買禁止の部分に絞って、話を進めることにしたい。バテレン追放令の第10条には、次の通り記されている。一、大唐・南蛮・高麗(こうらい)へ日本人を売り遣わし候こと、曲事(くせごと)たるべきこと。付けたり、日本において人の売り買い停止のこと。 この部分を現代語に直せば、「大唐・南蛮・高麗へ日本人を売り渡すことは違法行為であること。加えて、日本で人身売買は禁止すること」という意味になろう。実は、この「バテレン追放令」は原本が残っておらず、多くの写しがあるに過ぎない。豊臣秀吉画像 写しの間には文言の異同があり、これまでいくつかの解釈がなされてきた。例えば、提示した史料の「曲事たるべきこと」の箇所は、先に提示した史料の原文には「可為曲事事」とあるが、別の史料では単に「曲事」となっているものもある。それゆえ、読み方についても、研究者によって諸説ある。 立教大名誉教授の藤木久志氏は、本文の異同に注目して次のように読んだ(『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』)。一、大唐・南蛮・高麗へ日本人を売り遣わし候こと曲事に付き、日本において人の売り買い停止のこと。 藤木氏はこのように、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買は大前提であり、国内における人身売買こそが主文であると解釈する。秀吉が動かした「不退転の決意」 また、歴史学者の峯岸賢太郎氏は「付けたり」以降の文言が主文であると解釈した。つまり、秀吉がポルトガル人による日本人奴隷の売買という「民族問題」を契機にして、国内の人民支配を強化しようとした人身売買禁止令であると解釈している(「近世国家の人身売買禁令」)。藤木氏も峯岸氏も共通するのは、このバテレン追放令が国内に発布されたということになろう。 この見解に対しては、日本史学者の下重清氏の反論がある(『<身売り>の日本史―人身売買から年季奉公へ』)。下重氏は、18日付のバテレン追放令がコエリョらポルトガル人に通告したものであり、国内に発布されたものではないとする。 つまり、主文はポルトガル人による日本人奴隷の売買禁止であり、「付けたり」以下は禁則の法的根拠と解釈する。もともと日本では国内における人身売買を禁止していたことを根拠として、ポルトガル人の行為を禁止したことになろう。 確かに、日本では原則として人身売買は禁止されていたが、これまで見てきたようになし崩し的、あるいはしかるべき手続きにより、容認されていたという事実がある。これを改めて法的に確認したことになると考えられる。 いずれにしても、秀吉はポルトガル商人による日本人奴隷の売買を禁止した。同時に、国内における人身売買も禁止したのである。 秀吉の日本人奴隷売買禁止の執念は、9年後の慶長元(1596)年にようやく結実することになった。同年、イエズス会は奴隷売買をする者に対して、破門することを決議したのである。次に、その概要を示すことにしよう。 セルケイラの前任司教ペドロは、当初こそ長い年月の慣習により、ポルトガル商人が少年少女を購入し日本国外へ輸出する際、労務の契約に署名するなどして認可を与えた。しかし、日本の事情に精通すると、奴隷とその労務年限から生じる弊害を看取し、インドへ出発する前に破門令を定めた。その破門令は、長崎で公表された。当該法令は、その権を司教一人が保留し、その行為自体により受ける破門の罰をもって、およそポルトガル人が日本から少年少女を購入して舶載することを厳禁した。そして、その罰に加えて、買われた者の損害(購入代金は返金されない)以外に、各少年少女一人ごとに十クルザードの罰金を科した。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』引用史料 こう記された後、「いかなる人物であれ、ただの一人でも奴隷購買に許可を与えないという宣告である」と明記されている。まさしく不退転の決意であった。 しかも、破門を命じる権限は、司祭がただ一人有するものである。解放された少年少女には、当座の生活資金として10クルザードが与えられた。 歴史学者の岡本良知氏らが指摘するように、秀吉の九州征伐に至るまで、イエズス会は日本人奴隷の売買や海外への輸出をやむを得ず容認する立場であった。しかし、秀吉からの強い禁止の要望により、これまでの方針を転換せざるを得なくなった。キリスト教「破門」の意味 日本人奴隷の売買禁止は、司祭の交代が良いタイミングになったのであろう。何よりも人身売買を継続することで、キリスト教の布教が困難になることが恐れられた。岡本氏が指摘するところの「自衛手段」である。 ところで、キリスト教における破門というのは、いかなる意味を持っていたのであろうか。なかなかキリシタン以外には分かりにくいかもしれない。 破門を命じることができるのは、教会の聖職者に限定されていた。破門の具体的な内容とは、キリスト教信者が持つ教会内における宗教的な権利を剥奪することである。加えて、破門された者は、キリスト教信者との交流を断たれた。 さらに、破門された者は世俗的な教会からの保護も受けられなくなり、教会の墓地への埋葬も許されなかった。欧州では、キリスト教信者が大半を占めるので、破門宣告は「死の宣告」と同義であったと言えよう。そうなると、宣教師の側も並大抵の覚悟ではなかったといえるかもしれない。 翌年の慶長2年、先の司教らの意向を受けて、インド副王がポルトガル国王の名において、次の通り勅令を発布した。それは、マカオ住民の安寧と同地で行われる紊乱(びんらん)非行を避けるなどの目的があった。 朕(=ポルトガル国王)は本勅令により、本勅令交付以後、いずれの地位にある日本人といえども、それをマカオに居住せしめたり連行されることなく、また他のいずれの国民であっても拘束・不拘束にかかわらず、奴隷として連れて来ることを禁止する。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』引用史料 日本人だけではなく、その他の国の人々も対象となった。この後に続けて、刀を輸入することを禁止し、これを発見した場合には厳しい処罰が科された。 その罰とは、ガレー船に拘禁させられるというものであった。ガレー船とは軍船の一種で、映画『ベン・ハー』で奴隷に落ちぶれた主人公のベン・ハー役を演じた、チャールトン・へストンが漕いでいた船のことである。実に厳しい重労働であった。ブラジル・リオデジャネイロで見つかった、カトリックのイエズス会が17世紀初めに長崎で印刷した日本語とポルトガル語の対訳辞書の本文部。「Inori」などの見出し語がある(共同) ここには、特に人身売買に関する処罰が記されていない。しかし、先に見た通り、禁を犯したものは破門されるわけだから、それが最も重い罰といえよう。 ところが、この問題は一向に解決しなかったようである。秀吉が病没した翌年の慶長3年には、奴隷輸出をストップするための努力がさらに求められた。 そこで問題視されたのは、貪欲の虜(とりこ)になったポルトガル商人が日本人や朝鮮人をタダ同然で購入し、毎年のように輸出することが、キリスト教の悪評を高めることになっていたことである。この場合の「朝鮮人」とは、文禄・慶長の役で日本軍が朝鮮半島で拉致した朝鮮被虜人を意味している。ポルトガル人が考えた四つの理由 キリスト教からの破門という究極の罰をちらつかせながらも、奴隷の売買や輸出は止むことがなかったようである。 以上のような過程を経て、秀吉は人身売買を禁止した。では、なぜ日本人奴隷たちは、その身を落としたのであろうか。彼らが奴隷になった理由はさまざまであり、年端も行かない少年少女は、半ば騙されるようにしてポルトガル商人に買われたこともあったという。その際、仲介者である日本人には、謝礼が払われていた。 ポルトガル人が考えた、日本人が奴隷となりポルトガル商人に売られた理由は四つに大別されよう。 第一に挙げなくてならないのは、戦争を要因とするものである。大友氏領国の豊後(大分県)が戦場になった際、多くの百姓などが他の各国に連行された。連行された人々は、農作業などに使役されることもあったが、肥後(熊本県)では飢饉(ききん)という事情もあって、豊後から連れてきた人々を養うことができなかった。 そこで、彼らを連行した人は困り果て、暗躍するポルトガル商人に売ったのである。しかも、値切られたのか不明であるが、最終的には二束三文という値段にまでディスカウントされたという。 第二の理由は、日本の慣習によるものであった。日本人が奴隷に身を落とす例は、次のように分類されている。① 夫が犯罪により死刑になった際、その妻子は強制的に奴隷になる。② 夫と同居することを拒む妻、父を見捨てた子、主人を顧みない下僕らは、領主の家に逃れて奴隷となる。③ 債権者が債務者の子を担保として金銭を借り、支払いが滞った場合は、子は質流れとなり奴隷となる。 おおむね理由は、①が「犯罪絡み」、②が「家族関係の破綻」、③が「借金」の三つに分類される。ポルトガル商人は、こうして奴隷に身を落とした人々を仲介者から購入したようである。 第三の理由は、親が経済的に困窮したため、やむなくわが子を売るというものである。当時、貧しい百姓は領主から過大な年貢を要求され、自らの生活が成り立たないほどであったと宣教師は述べている。狩野内膳作『南蛮人渡来図』(神戸市立博物館所蔵 Photo : Kobe City Museum / DNPartcom) 貧しき百姓は、1年を通して野生の根葉により、何とか食いつないだ。それすらも困難になると、ポルトガル商人に子を売ることになる。 そしてポルトガル商人は、特段疑うことなく奴隷として購入した。宣教師は「彼らを救済する方法を調査しているのか」と疑問を投げ掛けるが、ポルトガル商人は考えもしなかったであろう。単に商売を目的として、彼らを買っただけである。志願して奴隷になった日本人 最後の理由は、これまでの貧困とは異なっており、自ら志願して「自分を売る」というスタイルであった。岡本氏が言うところでは、海外に雄飛すべく覇気に満ちた日本人といえよう。 しかし、「自分を売る」人々は、あまり歓迎されなかった。その理由は、おおむね次のようになる。 それらの者(=自分を売った者)の大半は承諾した奴隷の境遇に十分な覚悟を持っておらず、マカオから脱出して中国大陸に逃走し、そこで邪教徒になる意志を持っており、単にお金が目当てで自分を売っているに過ぎない。他の者の中には価格に関係なく、その代価を横領する第三者に威嚇されて売られた者もあった。また、ある者はマカオに渡航しようと欲したが、ポルトガル人の旅客として乗船を許可されないことを懸念し、ポルトガル商人の教唆により「自分を売る」者があった。しかし、実際にポルトガル商人は彼ら(=自分を売った者)の大部分が脱走することを恐れ、「自分を売る」という者には最小の対価しか払わなかった。岡本良知『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』引用史料 意外なことではあるが、戦国時代には名もなき民が海外への雄飛を期して、自ら奴隷となる者がいたのである。それは、シャム(タイ)で活躍した山田長政の先駆け的な存在であった。 しかし、「自分を売る」という手段で奴隷になった者は、最初から奴隷の仕事に従事する気はなく、もらった金を懐にして、たちまち脱走するパターンが多かったようである。したがって、こうした人々は商品にならないので、ポルトガル商人から敬遠されたようである。 ただ、以上の見方は、ポルトガル商人側から見た一つの側面に過ぎない。一貫しているのは、「日本人が奴隷を売ってくるから」ということになろう。彼らは奴隷を売買して、儲けることができればいいのである。 宣教師たちには布教という最大の目的があり、同時に日本と関わりを持ったポルトガル商人たちは「金儲け」という目的があった。それぞれの目的が異なったために利害が対立したのは、これまで述べた通りである。したがって、宣教師の残した記録には、やや弁解じみているように感じてならない。※ゲッティ・イメージズ 余談ではあるが、当然ながら日本から連行された奴隷たちは、単なる一商品にしか過ぎなかった。その待遇は劣悪そのものであり、人間性を伴った配慮はなかった。奴隷は家畜と同等と言われているが、まさしくその通りなのである。 日本人奴隷は航海中に死ぬことも珍しくなかった。病気になっても世話をされることもなく、そのまま死に至ったという。船底は太陽の光すら当たらず、仮に伝染病にでもなれば、もはや死を覚悟するほかはなかったであろう。 次回は、海外に雄飛した日本人を取り上げることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』柏書房(2014)■ 後世の人間まで騙し続けた不徳の男、豊臣秀吉の「大魔術」■ 「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈■ 書状で鬱憤晴らすねちっこい男? 子飼いの重臣に見せた秀吉の小物ぶり

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    外国人労働者と消費増税「令和元年」リスクの裏に官僚あり

    と同日に、経済的に重要な出来事があった。 一つは日銀の企業短期経済観測調査(短観)の発表である。この連載でも指摘してきたように、3月の短観では企業の景況感が急速に悪化してきていることを端的に示していた。 景況感を示す業況判断指数(DI)は、大企業製造業で6年3カ月ぶりの大幅な下げ幅となった。米中貿易戦争の影響で、企業が海外取引の縮小に伴って、設備投資を低下させた結果だろう。また、米国の中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)とトランプ政権の政策協調が上手くいっていないことも原因ではないだろうか。 いずれにせよ、日本経済の先行きに黄色ランプが点灯している。これが「危険信号」に転換してしまうのではないか、と筆者は懸念する。 その大きな契機は、もちろん、10月に予定されている消費税率の10%引き上げである。日本経済が脆弱(ぜいじゃく)性を増す中、どうして大規模な増税が行われるのか、合理的な説明が全くつかない。安倍晋三首相の最終決断がどのようになるか、極めて重大な局面を迎えることになる。 「経済的に重要な出来事」のもう一つが、改正出入国管理法の施行である。制度的な詳細は省くが、これは「単純労働」に従事する外国人労働者を年々増やしていく政策である。5年間で建設や農業、介護など14業種に、最大34万5150人の受け入れをするという。前週末比303円以上の上げ幅となった日経平均株価の終値を示す株価ボード=2019年4月1日、東京都中央区 現段階で、日本の外国人労働者数は約150万人にのぼる。特に、国内の経済状況が好転した2014年以降、その数を急速に拡大させ、毎年15~20%近くの伸び率を記録している。 外国人労働者の担い手は、技能実習生と留学生の資格外活動、または永住者・配偶者などの身分に基づく在留資格者など、あらゆる種別でその人数を拡大している。その中で、改正入管法が施行され、「単純労働」の受け入れに門戸を開いたわけである。筆者は単純労働の受け入れには反対であり、その主張は今も変わらない。まず「日本人ファースト」 反対の理由は、主に2点ある。一つは、外国人労働者を移入する前に日本人の労働者の働く環境を向上させることが急務であるからだ。 長く続く経済停滞の影響で、多くの日本国民が「賃金など報酬が不足している」と感じている。実際に、働き盛り世代である30代後半から40代の貯蓄不足は深刻である。 これは統計的な問題はあるにせよ、この世代の人たちの生涯年収が「失われた20年」の影響で抑制されてきたことの表れだと考えていいだだろう。何よりも、この世代の稼得所得をできるだけ向上させることが必要だ。 しかし、外国人労働者の増加は、受け入れ国である日本人労働者の賃金を低下させることにつながるだろう。他方で、外国人労働者の賃金は母国で働いていたときよりも向上する。 労働市場が完全に機能していると、外国人労働者のメリットが、日本人労働者のデメリットを上回る。だから国際的な経済厚生の観点からは望ましい、というのが、教科書的な説明である。 だが、上述の通り、外国人労働者を大幅に導入する前に、「日本人ファースト」で待遇改善を実現させる必要がある。では、日本人労働者も、外国人労働者と同じように待遇を改善できる可能性はあるのか。 実は、ここに二つ目の反対理由がある。実態としては既に書いたように、150万人ほどの外国人が現在日本で働いている。その人たちが賃金の引き下げ効果をもたらしているかどうかは実証すべき問題だろう。 10年ほど前の実証では、外国人労働者による賃金引き下げ効果はなかった。人手不足の加速を考えれば、最近でも、外国人労働者増加の影響で、賃金引き下げ効果があったとしても限定されているだろう。これは、毎年の最低賃金引き上げが、失業率増加をもたらしていないことと同じ理屈だ。出入国在留管理庁の看板除幕式を行った(左から)山下貴司法務相と佐々木聖子出入国在留管理庁長官=2019年4月1日(鴨川一也撮影) つまり、この人手不足は通説と違い、人口減少よりも取りあえずの景気拡大によってもたらされたものだ。完全失業率が低下し、就業者数が増加し、そして有効求人倍率も増加している。これらは14年の消費増税やその後の世界経済の不調で、一時期足踏みしたが、16年以降は再び改善している。 要するに、外国人労働者を受け入れても、日本人労働者との競合が避けられてきたのは、この景気拡大に依存しているということだ。だが、景気拡大に黄色信号が点滅している現在、さらなる消費増税を実施すれば、赤信号に転ずるのは言うまでもないだろう。健保「ただ乗り」問題 それほど、消費増税と外国人労働者の増加の組み合わせは、日本の雇用を大きく悪化させる可能性がある。安倍政権だけではなく、それを継承する政権が外国人労働者の受け入れを拡大させたまま、消費増税をはじめとする緊縮政策を行えば、日本社会の停滞や分断にさえ発展するだろう。 その可能性が否定できない現状では、筆者は外国人労働者の大幅な拡大に寄与する政策に反対し続ける。外国人労働者たちも、日本に来たところで、不景気による失職や悪化する雇用環境に直面すれば不幸なことだろう。まずは消費増税の凍結・撤回が何よりも優先される。 また、国民健康保険の制度設計にも問題がある。いわゆる外国人の国民健康保険の「ただ乗り」問題である。 現状の制度では、日本に3カ月滞在しただけで保険証をもらえる。さらに、被保険者の海外在住の扶養者にも健康保険が適用されてしまう。 問題の核心は、2012年まで在留1年未満では国民健康保険に加入できなかったのを、厚生労働省の官僚の判断だけで3カ月で加入を認めることに変更したことにある。類似制度を有する諸外国に比べても、「在留3カ月」は極めて短期間と言わざるをえない。保険証発行については、以前と同じように在留1年以上の条件に戻すべきだ。 また日本で働くと偽り、医療を受けることがそもそもの目的でやって来る不正受給者の存在も話題になっている。この不正受給問題については、月刊誌『Hanada』で経済評論家の上念司氏との対談で、安倍首相が次のように発言していた。安倍 もちろん健康保険の不正受給についても、これまでの事例を見ながら厳正に対処していきたいと思います。月刊『Hanada』2019年2月号「安倍総理×上念司 日本経済を語り尽くす」 おそらく、不正受給が起こる原因の一つは、あまりに短期の在留期間で国民健康保険に加入できることにある。安倍首相はまずはこの点を厚労省に変更させることが、上念氏への「約束」を履行するために重要だと思う。2018年11月、出入国管理法改正案が衆院で可決し、腕時計を見る安倍晋三首相(中央) 日本に来る外国人労働者に対し、母国にいる段階で民間の健康保険に加入することを、日本での就労の条件にすることも一案である。これはいくつかの国では実施されており、何ら珍しい政策ではない。 消費増税の裏には財務官僚、そして、国民健康保険の「ただ乗り」懸念の裏にも厚労官僚の存在がある。日本の官僚問題は新しい元号の世になっても変わらない「日本の病理」だ。■ 米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人■ 韓国よりも生ぬるい「ギャンブル依存症」対策で大丈夫か?■ 望月衣塑子記者に教えたい「硬骨のエコノミスト」の戒め

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    文春砲「関ジャニ錦戸脱退」にジャニーズが沈黙を続ける理由

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家) 関ジャニ∞(エイト)のメンバー、錦戸亮が脱退を模索していると週刊文春が報じた。これに関して、ジャニーズ事務所や本人の発表がないだけに、憶測だけが独り歩きしているようだが、結論から言えば、遅かれ早かれ「事実」になるだろう。 こういった脱退騒動になると、必ず出てくるのがメンバー同士の不仲説で、当たり前だが、実際はどのグループにもあり、それを週刊誌などが大げさに書き立てているだけだ。むしろ、グループ内の人間関係に全く問題のない円満な例など皆無といっていいぐらいだ。 では、なぜ錦戸の脱退話が浮上したのか。そもそも、芸能人の場合、グループや組織の一員としての立場と、ソロ活動ではかなり差異がある。例えばグループの曲は作れないが、ソロ活動としての曲なら作れるといったアーティストは少なくない。 「たのきんトリオ」のメンバーで、後にバンド「THE GOOD-BYE」に参加した、野村義男(よっちゃん)は、かつて「他の曲は作れるがTHE GOOD-BYEの曲は作れない」と悩んでいた。 チェッカーズの藤井フミヤやLUNA SEAの河村隆一らも同様に「組織」(バンドやグループ)と「個人」で活動の性格が異なってくる。要は、同じ人がマイクを持つにしても、ステータスやポリシーも変われば、できること、やれることの全てが変わってくる。 こうしたことを前提に、錦戸について言えば、最近では昨年のNHK大河ドラマ『西郷どん』やフジの月9ドラマ『トレース~科捜研の男~』に出演するなど、俳優としての地位を確立しつつある。一目瞭然だが、俳優と関ジャニのメンバーでは、同じ芸能活動であってもまったく種を異にする。 その中で、音楽的な実力を持った渋谷すばるが脱退し、さらにSMAPや嵐の例を目の当たりにしただけに、関ジャニの活動が足かせに感じるようになってきているのは確かだ。(イラスト・不思議三十郎) また、錦戸が脱退や解散を口にし始めた理由はもう一つある。関ジャニは当初、文字通り8人でスタートしたが、当時未成年だった内博貴が飲酒騒動を起こして脱退。その後は7人となったが、錦戸にしてみれば、7人で現在の地位を築いたグループとの思いが強く、誰か一人抜けても加入しても、それは関ジャニではなく他の違うものだと言いたいのだ。 渋谷の脱退会見の際、錦戸だけが「残ってほしかった」と話し、涙を流していたのは、人一倍こうした思いが強いからだ。渋谷脱退を機に、錦戸は関ジャニも解散するべきだとの思いが強かったようだが、今回自身も脱退する意志を固めたことで、再度解散を持ちかけたのだろう。 振り返れば、錦戸はかつて関ジャニとNEWSを掛け持ちしていた。既に原型をとどめていないNEWSを脱退して関ジャニを選んだ錦戸だから言える「オリジナル」の重要性を強調してきたことはよく知られている。嵐の活動休止が影響? また、SMAPの解散や嵐の活動休止の際にも指摘してきたが、人気アイドルグループが「長寿化」する傾向が強い今、金銭的にはもちろん、個人の能力にも自信を持っているだけに、同様のケースが連鎖的になるのは当然だ。 SMAPは解散したが、嵐をはじめ、TOKIOやV6などを見ていれば、このまま年を重ねていくことに不安を感じずにはいられない。錦戸は今34歳だが、そろそろグループからの脱却を本気で考える年になったというだけだ。要するに錦戸は、すでにオリジナルでなくなった関ジャニを無理に続けるより、それぞれの道を歩むべきだと考えているのだ。 世間ではジャニーズの崩壊などと煽るが、これは別にアイドルグループやジャニーズに限ったことではない。 ただ、錦戸の脱退騒動がこれまでと違うのは、ジャニーズ事務所の対応だろう。関ジャニほどのグループの騒動にもかかわらず、沈黙を続けている。もちろん、不祥事ではない以上、早急な対応は必要ないだけではなく、週刊文春の報道と言えども、ジャニーズ事務所は反応するに値しないと判断しているようだ。 また、これまで僕が何度も指摘してきたが、社長のジャニー喜多川氏は2020年の東京五輪しか頭にないといっても過言ではない。滝沢秀明(タッキー)を後継指名したことと、嵐の活動休止を五輪後まで担保したことで、関ジャニの処遇など問題視していない可能性もある。 ただ、本来なら、ジャニーズ事務所が明確に否定するか、記者会見を開いて錦戸の脱退や解散について説明させてもいいはずだ。これは、やはり嵐の活動休止の影響がないとはいえないだろう。(イラスト・不思議三十郎) すでにジャニーズは関ジャニの処遇についていくつかの案を持っているとされており、関ジャニのコンサートや出演番組などへの影響を最小限にするタイミングについて、実質的に事務所を切り盛りする副社長の藤島ジュリー景子氏が頭を抱えているようだ。 嵐が2020年末での活動休止という形で円満に公表した直後だけに、関ジャニの活動休止や解散、錦戸の脱退のタイミングについては、さすがのジャニーズもすぐに決められないのだろう。 今回のジャニーズの沈黙の背景には、ジャニー氏の明確な指示がないことに加え、嵐の活動休止の前か後かなど、円満に軟着陸させるための時間稼ぎの可能性が高い。 先にも記したが、錦戸の脱退、もしくは関ジャニそのものの解散や活動休止についての正式発表は、そう遠い話ではない。■キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

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    韓国経済を襲う「三つの衝撃波」はアベノミクスにも飛び火する

    ウエルFRB議長=2017年11月、ホワイトハウス(ロイター=共同) ベネズエラについては最近、この連載でも詳細に書いたので触れない。簡単にいえば、政府による極端な市場介入は経済を殺してしまう、ということをベネズエラ経済は示している。 さて、韓国経済はどうだろうか。実は、文在寅(ムン・ジェイン)大統領の経済政策の失敗の影響で、深刻な状況にある。マンデル・フレミングの罠 その失敗とは、一つは、最低賃金引き上げによる失業率の悪化である。もう一つは、今後予想される貿易の急減による雇用のさらなる悪化予想である。 これらの背景にも、文政権の財政政策と金融政策の協調の失敗がある。その協調失敗のレベルは、日本よりも深刻である。 文政権では、金融政策について事実上緊縮スタンスを採っている。過度な自国通貨安と、それによる海外への資本流出を恐れるあまり、雇用悪化に対して積極的な金融緩和政策を採ることができないでいる。韓国の中央銀行がインフレ目標を引き下げて以来、雇用の悪化が続いているのは何よりの証拠である。 景気を刺激する両輪のうち、金融緩和を放棄する一方で、財政政策を拡大しても、景気刺激効果が限定的なのは、常識的にも分かるだろう。さらに経済学的にいえば、海外との取引がある中で、金融緩和をしないまま財政政策を行ってもその効果が著しく損なわれることは、いわゆる「マンデル・フレミング効果」として知られている。 韓国の経済失政の大きな要因は、この「マンデル・フレミングの罠」にはまっていることにある。 日本でも韓国と同様に、事実上一つの刺激策しか採用していない。しかし、日本の雇用状況は、今のところ大きく改善している。日韓経済の相違は、マンデル・フレミング効果から導き出されたもう一つの結論である。 海外との取引があるときに、財政政策「だけ」では効果がない。他方で金融緩和政策は景気刺激に効果がある。日本は、現状の財政政策に関して何もしていないに等しいが、他方で金融緩和を採用しているので、雇用改善が維持されている。 なぜなら、マンデル・フレミング効果が働いていて、金融緩和は雇用改善に効果が大きいからだ。これが韓国と日本の現状での決定的な違いだ。2019年2月、ソウルの韓国大統領府で開かれた会議で米朝首脳再会談の成功に期待感を示す文在寅大統領(聯合=共同) 文政権は2017年大統領選の際に、最低賃金の引き上げを「公約」に掲げて成立した。だが、公約通りに実施したその引き上げ幅はあまりにも過度であった。2018年には約16%も引き上げ、続く19年でも約11%引き上げる予定だ。 韓国の最低賃金は一律だ。日本は主に地域ごとに最低賃金が違うが、第2次安倍政権発足後は、だいたい平均すると毎年約2~3%引き上げている。韓国がかぶる「衝撃波」 日本の最低賃金引き上げは、生活保護との「逆転現象」を解消し、非正規雇用の人たちの所得安定にも必要な政策だ。と同時に、この3%程度の引き上げであれば、経済全体が拡大する中では無理なく吸収できるレベルでもある。 ところが、韓国ではそうなっていない。雇用統計を見れば、若年から中年までの労働者の雇用や非正規雇用で採用が減少し、悪影響を与えている。また、韓国の社会不安の根源ともいえる若年失業率は相変わらず2ケタ近くで高止まりしたままだ。 最低賃金の引き上げは、労働市場で「弱者」といえる若者や非正規雇用者に悪影響を及ぼす。韓国の失業率が4%台と、急速に悪化した背景には、明らかに文政権による最低賃金引き上げがある。 それでも、韓国経済の悪化はまだ始まったばかりだ。先ほどのマクロ経済政策の失敗や、最低賃金引き上げの失敗を、文政権が正すことをしていないことにある。 そして、今後顕在化するリスクもある。いわゆる「米中貿易戦争」による貿易悪化の影響が、まだ雇用に及んでいないと考えられるからだ。つまり、韓国の雇用情勢はさらに悪化する可能性がある。 韓国経済が、「輸出依存」体質なのは周知の事実である。その寄与度は、18年の経済成長率のほぼ半分にも該当する。 直近の貿易統計を見ると、主力である半導体などを中心に大きく落ち込み、対前年同月比で約6%減少した。この輸出減少は昨年末から継続している。 原因は、先述の米中貿易戦争や、英国をはじめとする欧州経済圏の不振、そしてロシア経済の景気減速など世界経済の取引規模縮小にある。そして、この輸出の落ち込みは、韓国の雇用状況にまだ反映されていないというのが大方の見方だ。韓国の首都ソウルの繁華街、明洞(ミョンドン)=2015年3月(三尾郁恵撮影) 要するに、海外発の雇用落ち込みが顕在化するのはこれからなのである。輸出の落ち込みは、韓国の国内企業の設備投資減少をもたらし、そして雇用減少に至る。 今後、韓国は「三つの衝撃波」をかぶることになる。「マクロ経済政策の失敗」「最低賃金引き上げの失敗」「輸出依存経済のリスク」である。韓国よりも深刻な輸入悪化 もちろん日本も、輸出の悪化は韓国と同じかそれ以上に深刻だ。世界経済の不安定性は日本経済にも確実に及んでいるのである。 例えば、財務省と内閣府が発表した2019年1~3月期の法人企業景気予測調査によると、2019年度の大企業の設備投資計画は前年度比1・1%増と、8・9%増であった1年前を大幅に下回っている。設備投資意欲の急速な減少は、雇用にも影響を与える。 アベノミクスがさまざまな問題を抱えながらも、「おおむね合格点」であると評価されてきたのは、雇用の改善が続いているからだ。最新のBSI(景況判断指数)を見ても大企業・中堅企業、中小企業ともに「人手不足感」は継続している。ただし、従業員数判断BSIの先行きを見てみると、急速に「人手不足感」が解消されていくのがわかる。  もし、この企業の見込み通りになれば、それは雇用停滞どころか、悪化にまで陥ってしまうだろう。その水準を分析すると、大企業では2015年度と同レベルにまで低下する。 2015年といえば、14年の消費増税の影響と世界経済不況が同時に生じたときである。14年の後半から16年にかけて雇用の改善スピードは落ち、失業率も3%台中盤で低迷した。最悪、この状況が現段階でも生じる恐れがある。 しかも、注意すべきは、あくまでも現段階の判断であることだ。今後、世界経済がより新たなリスクに直面する可能性もある。 例えば、英国の欧州連合(EU)離脱の先行きが一段と不透明になることで市場が混乱する可能性がある。米中貿易戦争の行方も不透明だ。2018年12月、経済財政諮問会議で消費税増税への対応を指示する安倍首相=首相官邸 雇用の先行きが急速に悪化していく中で、安倍政権は今のところ、10月に消費税率の10%引き上げを実施する予定を変えていない。それは、経済状況が大幅に改善していた2014年当初の状況とはまるで違う環境で、増税することを意味する。消費増税を行うことは、理性的な判断だとは全く思えない。 文政権の経済政策は「悲惨」としか言いようがない。だが、日本の経済政策にも同様の危うさがあることを、われわれは強く自覚する必要がある。■ 米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人■ 韓国よりも生ぬるい「ギャンブル依存症」対策で大丈夫か?■ 「#韓国人になりたい」インスタ女子はなぜ急増したのか

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    安土城「蛇の巨石」に隠された信長の仰天プラン

    大学教授)が信長の小牧山築城の意図は間々観音降臨のための磐座(いわくら)と説明されていた。筆者がこの連載の第8回で述べた内容を、偶然ではあるだろうが肯定いただいている点で、素直に喜んでいる。 さて、天正4(1576)年4月1日、安土城では石垣工事が開始された。尾張・美濃・伊勢・三河・越前・若狭・山城・摂津・近江・河内・和泉・大和の武士たちも作業員として動員され、隣の観音寺山ほかから大石が1千、2千、3千と引き下ろされて安土山へ運び上げ積まれていく。 ところが、信長の甥にあたる津田坊が持ち込んできた大石は、巨大で重すぎるためにまったく山上へ引き上げることができない。おそらくこの石の運搬作業を記録したと思われる宣教師フロイスの言葉によれば、約10メートル・112トンという大石の引き上げ作業中、けん引する綱が切れたかして下に滑ったため、150人以上が大石の下敷きになって死んだという。 そこで信長は自ら陣頭指揮を執ることにした。羽柴秀吉・滝川一益・丹羽長秀ら3重臣の配下1万人あまりが日夜ぶっ通しの作業で、3日かけてようやく運び上げたという(『信長公記』)。「信長公蛇石曳之図」(伊藤龍涯作、摠見寺所蔵)2017年1月15日 信長は足利義昭の二条御所造営の際にも造園用の名石をあや錦や花で飾り立て、笛太鼓のおはやしに乗せて運んだから、安土山でも同じ趣向でにぎやかなお祭り仕立てで作業員の士気をあげ、呼吸を合わさせて石を引かせたのだろう。 この大石だが、『信長公記』には「蛇石(じゃいし)という名石」とある。もうこの名前だけで、この連載の読者の方々は「あ、また蛇か」と思われるだろう。この石を安土に持ち込んだ津田坊とは、津田坊丸(御坊)、のちの津田七兵衛信澄(のぶずみ)で、彼は当時近江高島にいたから、高島から蛇石を船で対岸の安土へ運んだのだろうか。アワビ石の伝説 時代が少し下って編まれた『織田軍記』では、この石は「蚫(あわび)石」と呼ばれ、丹羽・滝川・羽柴の1万人あまりが昼夜兼行で曳(ひ)き、信長が自ら金の幣(ぬさ)を持ち木遣り(きやり・重いものを大勢で運ぶ時の労働歌)を歌い、3日がかりで上げたと書かれている。 鮑(あわび)はこの世とあの世をつなぐ海の精霊として扱われることが多く、船を救ったり、食べると永遠の命を得たり、害を加えると時化(しけ)を起こすなど霊験あらたかな存在として考えられていた。例えば干し鮑は長寿の象徴として縁起物にされているから、厄除けグッズマニアの信長としてはその名前だけでも自分の城に持ち込みたい一品だったろう。あるいは、この石の形が鮑に似ていたものか。 また、「蛇石」という呼び方については、現在富山県の片貝川に残る「蛇石」が水の神として祀られ、長野県横川の「蛇石」も治水の象徴として知られている。ともに蛇のような模様が入っていることも共通している。おそらく安土山へ運び込まれたものも、これらと似たような伝承や紋様を備えていただろう。 信長は、水を操る霊力を帯びた巨石を安土山の山頂へと引っ張り上げて、山と城を蛇の磐座にしようと考えたのだ。 興味深いことに、安土山の南西18キロには三上山が鎮まっている。この山は「近江富士」の異名を持つ優美な山なのだが、琵琶湖の龍神の伝説を持ち、山頂には磐座がある。この龍神は、前回紹介した瀬田の唐橋での俵藤太秀郷の大ムカデ退治に登場した龍だ。信長はこの三上山の龍神の磐座を、安土山で蛇神の磐座としてコピーしたのかもしれない。横川川の河床に横たわる大蛇のように見える「蛇石」は、いまも下流の住民を見守っている=長野県辰野町 さらに、安土山の東に連なる繖山(きぬがさやま)だ。観音寺山とも呼ばれ、かつて六角義賢(承禎)の城があったこの山の頂には雨宮龍(あめみやりゅう)神社がある。その名の通り、龍の磐座だ。 まさに信長好み、そんな良い場所があるなら、観音寺城跡を修復整備して本拠にすれば良いのに、と思わないでもないが、そこは信長。安土山を選んだのには、いくつか理由があったと考えられる。その1、琵琶湖の内湖に接し、敏速に船で移動できる安土山の立地を優先したその2、天下人として、六角氏の居城跡を再利用するのは沽券(こけん)に関わると考えたその3、室町12代将軍・足利義晴が仮の御所を置き、15代の足利義昭も永禄11(1568)年の上洛(じょうらく)戦の際ここに逗留(とうりゅう)したことから、義昭を追放した信長としては好ましい場所ではなかったその4、繖山の観音正寺と桑実(くわのみ)寺は天台宗の寺院であり、同じく天台宗の比叡山延暦寺(えんりゃくじ)を焼き討ちした信長としてはいかにも居心地が悪い驚天動地のイベント もう一つ言えば、安土山の麓には石部(いそべ)神社が鎮座していた。現在も安土城跡のからめ手、百々橋口(どどばしぐち)のすぐ内側にある古社だが、その社記には「天正4年織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀(ほうし)し社殿の修復をなし祭祀を厳修せり」とある(社頭掲示板)。 信長は安土城築造に際し石部神社の別当寺である九品寺(桑実寺の子院だったらしい)は焼き払ったが、この神社は城の守護神として大事に保護したのだ。この辺りにも、神と仏に対する信長の態度の違いは鮮明に表れている。 結論として安土山を選んだ信長は、安土山の頂に「蛇」を勧請(かんじょう)した。蛇石は、麓の石部神社、尾根続きの繖山の「龍」とセットとなり、安土山の城下を守る役割を果たす。彼の龍・大蛇への傾倒は、この新天地・安土でもしっかりと継承されたのだ。 徐々にその姿を現しつつある安土城。だが信長は、この城を舞台にした驚天動地のイベントを考えていた。公家の山科言経が日記の紙に転用した一通の書状(紙背文書)がある。 書状は、言経の姉で越前国の松尾兵部少輔に嫁いでいた阿茶が父、言継に出したもので、「明年は安土へ内裏様行幸申され候わん由(明くる天正5年には安土に内裏様が行幸されるとの噂)」という内容だった。(『書状研究』76.9「安土行幸を示す『言経卿記』紙背文書の一通について。橋本政宣) 内裏様というのは現代ではひな人形の「お内裏様」=男雛(親王雛)を指すが、本来的には天皇や親王単独を意味する言葉ではなく、皇后と対のセット、つまり皇室そのものを意味する。一方、「行幸」は天皇単独の外部訪問を意味する(皇后の外部訪問は「行啓」)からややこしい。織田信長が居城の安土城を建てたとされる安土山一帯。県が天守の再建を検討している=2019年1月11日、滋賀県近江八幡市安土町下豊浦(撮影・川瀬充久) ただ、後に信長の事業を継承発展させた豊臣秀吉が天正16(1588)年に実現した後陽成天皇の「聚楽第(じゅらくだい)行幸」では、天皇だけでなく母の新上東門院や妻(准后)の近衛前子らも同道しているし、同じく寛永3(1626)年の徳川幕府による京・二条城行幸でも後水尾天皇とともに妻(中宮)の和子(まさこ、徳川秀忠の娘)が赴いていることから考えると、天皇単独でなく、皇室そのものが安土城にやって来る予定だったのではないだろうか。 この信長の皇室行幸啓プランはやがて目に見える形となって来る。その際に紹介することにしよう。信長のすさまじい怒り さて、安土城石垣着工から2日後の4月3日、信長は配下の明智光秀・細川藤孝に「大坂方面の麦はぜんぶなぎ捨て終わったか。大坂本願寺にこもる一般の男女は赦免しても良いが、坊主は生かすな」と書き送っている。 大坂本願寺と講和を結んだ信長だったが、平穏な時はつかの間にすぎなかったのだ。 この年の2月8日、将軍足利義昭は紀伊国由良から毛利輝元を頼って備後国鞆(とも)に移ったのだが、本願寺はこの義昭と連携して再び反・信長の兵を挙げたという成り行きだったため、この時点では信長にとって望まざる決裂だっただろう。なにしろ、天皇を安土城に招くには畿内が平和で統一されていることが第一要件となるのだから。 信長は兵糧攻めを光秀らに指示すると、4月14日には大坂各所の砦から本願寺攻撃を再開させる。しかし、敵は手ごわかった。義昭の誘いを受けた越後の上杉謙信も5月になって反・信長を表明。信長の焦りは、残虐な処置を生む。越前で一向一揆の残党が起こした一揆では、鎮圧に当たった前田利家が5月24日、一揆衆1千人ほどを皆殺しにした。 その状況を記した小丸城(現在の福井県越前市五分市町)跡出土の瓦には、下記のようにある。「此書物後世ニ御らんじら□(欠ケ)れ御物がたり可有候(あるべく)然者(しからば)五月廿四日いき(一揆)おこり候まま前田又左衛門尉殿いき(一揆)千人ばかりいけどりさせられ候也御せいばいハはっつけ(磔)かま(釜)にいれられあぶられ候也如此候(かくのごとく) 一ふで書きとどめ候」「この記録を後世の人は読み、語り伝えてほしい。それでは(教えよう)、5月24日に一揆が蜂起したので、前田利家殿が1千人ほど生け捕りにした。その処罰は、磔(はりつけ)・釜煎り(釜に油をたぎらせて焙り殺す)だった。以上の通り、一筆書きとどめる)」 これは後世に利家の功(こう)を伝えるための記録と考えられ、一向一揆は悪と規定されたものだが、本願寺を代表する敵対仏教徒への信長の怒りはすさまじい。やがてこれが本願寺本体にも及ぶと考えると、門主の顕如(けんにょ)が必死に抵抗するのも当然だったろう。織田信長公像=2018年11月、岐阜市役所(中田真弥撮影) その後も信長にとっての苦境は続いた。7月の第一次木津川口の戦いでは、織田水軍は毛利水軍に惨敗を喫して本願寺の封鎖を破られ、兵糧補給を許してしまうことになる。■「龍宮に続く橋」信長のオカルト願望を叶えた御用建築家■またも龍パワー? 安土城と京屋敷、信長が同時普請にこだわったワケ■長篠合戦図屏風に描かれた「六芒星メンズ」の謎を解く

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    「氷上の王子」羽生結弦がナルシストに映って見える理由

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 日本は「フィギュアスケート大国」であるといえる。特に、荒川静香がイナバウアーを武器に女子シングルで金メダルを獲得したトリノ五輪前の2005年ごろから、次々とトッププレーヤーを輩出している。現在でも冬季五輪2連覇中の羽生結弦をはじめ、紀平梨花、宇野昌磨、宮原知子、田中刑事、三原舞依、坂本花織らが、同じ日本選手として互いに切磋琢磨(せっさたくま)し、国際大会でもしのぎを削り続けている。 これは、1990年に図形に従って正確に滑る「コンパルソリー(規定)」演技が廃止されたことと無関係ではないだろう。廃止以降、競技におけるジャンプの重要性がさらに高まり、小柄な体とアジリティー(敏しょう性)を持つ、日本人をはじめとしたアジア系選手には有利になったことが背景にあると考えられる。 とはいえ、近年における日本選手躍進のトレンドは、日本におけるスケート文化の根付きと、長年の日本スケート連盟の技術的強化策の結晶といえるだろう。しかしながら、フィギュアスケートは、いわゆる「競技スポーツ」とは趣が異なる。 日本におけるフィギュアスケートの位置付けは、単なるスポーツの域を超えている。どちらかといえば、芸能や芸術に近い趣を持っているのではないだろうか。このことが、選手のパフォーマンス向上に一定程度貢献しているように思われるのだ。 そもそも、フィギュアスケートはショー要素の強い競技である。もともと欧米で発達してきた競技であるゆえ、競技を採点するのも欧米人が多い。その中で、日本的な音楽や振り付けのもとに芸術性を発揮したとしても、評価されるのが難しいという側面もある。世界フィギュア 女子SPで2位につけた坂本花織=2019年3月20日、さいたまスーパーアリーナ そのため、フィギュアスケートで評価され得る表情を作り、アクションをし、ドレスコードをまとい、どちらかというと本来の日本人の特徴とは違った表出、つまり内面的にではなく外面に対して、全面的に自己表現をしなければならない。 もちろん「日本人は、全員が内向きだ」というつもりはない。しかし、それぞれの個性があるにもかかわらず、ある種の画一的な表現方法を求められる中で、しかも、それが日本文化とは異なっているものだとしたら、単に技術を向上させる以上の精神力が必要とされる。スケーターに「なりきる」 具体的には、求められる、つまり点数的に評価されるスケーター像に「なりきる」必要があるのだ。 選手はあれだけ多くの観客に見守られながら、そして複数の審判員に頭からつま先まで、まさに身体の動きの細かなところまで評価対象として注目されながら、練習して作り上げてきたパフォーマンスを発揮しなければならない。 そのためには、いい意味での勘違いや思い込みがないと、平常心を保ち、実力、つまり培った技術を具現化することは難しい。「自分はベストなパフォーマンスができるスケーターだ」「自分が中心となって観客を虜(とりこ)にするんだ」「パフォーマンスでリンクを支配するんだ」などという意気込みを持ったり、あらかじめ設定した曲や振り付けの世界観や、ストーリーに身も心も入り込むのだ。 ここに、日本におけるスケート文化が寄与しているであろうことがうかがえる。スケートファンは、まさにトップスケーターに対して心酔しており、極端にいえば成績そのものよりも、美しさや華麗さ、奇麗さ、優雅さを求め、異性としての理想、同性としての憧憬(しょうけい)を抱き、まさに羨望(せんぼう)の的として見ている向きが強い。 メディアの取り上げ方やテレビ中継の演出、さらにはファンの応援の仕方から見ても、それは明らかである。世界フィギュアの男子SPで3位発進の羽生結弦=2019年3月21日、さいたまスーパーアリーナ 現に、羽生結弦は「氷上の王子」とも呼ばれ、「王子様っぽい有名人」のランキングでは、芸能人の中にただ一人混じって上位に位置づけられている。また、女性選手の衣装として人気が高いものはアニメやディズニーキャラクターの「プリンセス」に近いものがある。 そんなファンたちに見守られ、応援されながら、選手たちはリンクの上に立つことができるのだ。王子様やプリンセスになりきって、あらかじめ作り上げられた数分間のストーリーや世界観に入り込むことを強烈に促進する、最高の舞台である。 心理学では「メタ認知」といって、自分で自分を俯瞰(ふかん)してみることが精神的適応や安定につながるという考え方がある。しかし、フィギュアスケート競技に関しては、むしろ自分を客観的に見るというよりは、あえて視野を狭くして、自分の主観にとらわれたり、ナルシスティックになる体験の方が、役に立つのではないかと思う。その環境を作っているのは、ファンであり、国民であり、日本で醸成されたスケート文化なのだろう。築かれた「独自の地位」 その意味では、現在の日本選手の躍進は、そのような精神状態と態度を醸成した、選手とファン、そして日本のスケート文化との相乗効果で作り上げられたものであるとも言える。 もちろん、世界的大会での好成績は、選手個々人の血のにじむような努力が大前提である。一方、時にはファンの圧がプレッシャーになったり、雑音に惑わされることもあるだろう。 しかし、日本において、フィギュアスケートが美的なエンタメコンテンツ、スポーツをベースにした芸術や芸能であり続けることは、競技人口が増えることにつながるし、スポンサーも獲得しやすくなる。 それは、才能のある選手が競技に参加する確率が高まる、すなわち次のスターが出てきやすくなることにつながる。もちろん、選手の強化費用が一定に保たれ、強くなりやすい練習環境が整えられることにもなる。 そのように考えると、フィギュアスケートというのはスポーツの中でも独自の地位を築いていると言える。そもそも、コアなファンの多くは勝ち負けや点数に焦点を当ててないにもかかわらず、その美や存在の有様を重要視する価値観が、選手の実力を最大限発揮する精神状態に寄与している可能性があるのだ。世界フィギュア 女子SPの演技を終え、下を向く紀平梨花=2019年3月20日、さいたまスーパーアリーナ 現状の欧米的価値観に基づいたフィギュアスケートのルールが変わり、構成点(技術点)が無くなりでもしない限り、このような競技の性格は変わることはないだろう。その意味では、今後の日本選手のさらなる躍進も想定されるところではある。 とはいえ、選手強化の主体である日本スケート連盟には、一定の結果が出ていることに胡座(あぐら)をかかず、科学的な観点からの技術向上に注力することを期待する。 特に、フィギュアスケーターの中で少なくない人数が摂食障害を抱えていることは、国内外のトップ選手による告白でも明らかだ。一部では、いまだに不健康で非科学的なトレーニング法や精神論、体型維持の方法に依拠することで強化策が成立していることも、今後の課題として見逃してはならないのである。■ 羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」■ 「フィギュアの新星」紀平梨花、強さの秘密はここにある■ スポーツ心理学で読み解く羽生結弦「最強メンタル」の秘訣

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    黒田総裁はやっぱり日本経済の「どえらいリスク」だった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本経済の景気減速が顕著になる中で、10月に予定されている消費税率10%への引き上げに対する懸念が増している。他方で「消費増税応援団」の活動も活発化してきている。 その中で最大の主役の一人、日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁の消費増税「応援発言」がまたもや出てきた。日銀の岩田規久男前副総裁「告発の書」といえる『日銀日記』(筑摩書房)には、メインテーマとして前回2014年の消費増税の「主犯」黒田総裁への批判が取り上げられている。 これは14年の8%増税の実施前に、内閣府が13年に開催した消費増税の集中点検会合で、黒田総裁が「どえらいリスク」と発言した有名なエピソードに基づくものだ。消費増税を行うかどうかの重要なタイミングで、消費増税を先送りした場合の金利急騰を「どえらいことになって対応できないというリスク」だと指摘したのである。 要するに、黒田総裁は消費増税を先送りすると、国債が暴落し、財政危機が生じるという見方を披露したのである。この「どえらいリスク」論は、当時の政治的な文脈において相当な影響を及ぼした。 なぜなら、2013年はアベノミクスの効果が、日銀の大胆な金融緩和により、その効果がてきめんに表れていた時期だったからだ。つまり、アベノミクスの骨格を担う中心人物の「警鐘」が、安倍晋三首相の増税判断にも大きな影響を与えたと思われる。2017年3月、金融政策決定会合のため、日銀本店へ入る岩田規久男副総裁(当時、代表撮影) 当時、マスコミと経済学者やエコノミストの圧倒多数が、消費増税の影響は微々たるものであり、むしろ増税による財政危機の回避などで、やがて消費が回復するとさえ主張していた。それがいかにデタラメだったのか、日本で生活していれば自明であろう。 もちろん、事実を素直に受け取れない人たちは、なぜかアベノミクスの失敗、つまり金融緩和政策の失敗と問題をすり替える。実際には、消費増税の影響で金融緩和の効果が著しく減退したのである。意味不明な「日銀文学」 そんな前回の消費増税の悪しき主犯である黒田総裁が、3月15日の金融政策決定会合を受けた記者会見で、またもや消費増税を「援護射撃」し始めたのである。本当に露骨なほどである。黒田総裁が「所得と支出の好循環が続いていく従来のシナリオに変更はない」と強調することで、日銀の追加緩和に対する圧力をかわすためとの見方が強いとられている。 今回の会合の決定内容を読み解くと、国内外の景気の行方については「日銀文学」らしいどうでもいい表現の修正は見られるが、要するに、大枠で現状の「好循環」が続くというのが委員の過半の判断のようである。それを主導したのは、紛れもなく黒田総裁であろう。 現在の黒田総裁が恐れるシナリオは、「国内外の景気減速が鮮明」→「日銀が追加緩和」→「景気減速を懸念した消費増税回避の大合唱の出現」→「消費増税凍結」という動きだろう。消費増税するかどうかの「最終判断」を、まだ安倍首相はしていないからだ。 筆者は4月中に決断すると予想している。仮にこの予想が正しければ、この3月の決定会合では、ともかく追加緩和だけは避けたかったに違いない。 おそらく、日銀の中でも景気見通しで論争があったことだろう。それで日銀文学的には、今までのバラ色の「好循環」シナリオが、少しだけくすんだ色になった「好循環」シナリオに置き換わったに過ぎない。国内外ともに経済の見通しが「緩やかになった」などという表現がそれである。 何が「緩やか」なのかさっぱり分からない、まさに文学的な表現である。しかし、そんな日銀文学の攻防戦など国民にとってはどうでもいいことだ。むしろ、この段階での追加緩和を回避したことは、黒田総裁にとって「大成功」と言えるかもしれない。2019年2月、衆院予算委で答弁する日銀の黒田総裁。右端は安倍首相 次回の決定会合は4月下旬に行われる。この時までに安倍首相は、消費増税の最終判断をしている可能性が高い。もしまだ行っていないのであれば、日銀が追加緩和するか否かが、重要な判断材料になる。 いずれにせよ、消費増税の最大の戦犯である黒田総裁の発言と行動には、国民の注視と批判が必要である。中国政府の「代理人」 ところで、日本経済の今後の動向は実際にどうなるだろうか。これは一般の人でもかなりの精度で分かる方法がある。いわゆる「イワタ式景気予測方法」というものだ。これは岩田前副総裁が提唱した景気予測の手法である。 内閣府がホームページ上で公表しているコンポジット・インデックス(CI)という景気動向指数がある。このCIには景気の動きに先行して反応すると考えられる先行系列、景気の動きに合わせる一致系列、さらに景気の動きに遅れて反応する遅行系列の三つに分けられる。 CIは景気の強弱を定量的に計測しようというもので、いわば景気の勢い(景気拡張や景気後退の度合い)を伝えるものだ。例えば、今後世界経済の減速がどのくらい日本経済を悪化させるのか、その度合いを予測するのに使える。 「イワタ流景気予測法」は、このCIの先行系列の6カ月前・対比年率を景気予測で重視している。筆者も経済予測ではしばしば参照にしている。 黒田総裁や日銀の公式見解では、中国経済など世界経済は年後半から回復するという予測を行っている。しかしその根拠は、「中国政府がちゃんとやるだろう」という、楽観的というよりも、まるで中国政府の「代理人」のような予測に基づいているだけである。 そこで、イワタ式景気予測をしてみると、ここ半年余りのCIの先行系列の6カ月前・対比年率は以下の通りになる。例えば、2019年1月のイワタ式指数は、2019年1月のCIの先行系列と、その半年前の2018年7月のCIの先行系列との増減を計算したものである。 このイワタ式予測法では、昨年の後半から現在までの経済悪化が鮮明になっていることがわかる。この主因は二つある。一つはもちろん「米中貿易戦争」や、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融引き締めスタンスが大きく影響している。もう一つは、インフレ目標を絶えず先送りしている日銀の金融政策によってもたらされているといえるだろう。 黒田総裁が追加緩和を拒否している背景には、彼の在籍していた財務省の「増税主義」に対する政治的な忖度(そんたく)があるのではないか。今や黒田総裁と財務省こそが、日本の「どえらいリスク」なのである。■ 消費増税「3度目延期」首相が描くシナリオと布石■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

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    今季絶不調でもイチローが「引退勧告」に耳を貸さない理由

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 12試合で25打数2安打、打率0割8分。これは今季開幕戦を控えたマリナーズのイチロー選手のオープン戦成績です。3月20、21日に東京で行われる米メジャーリーグの開幕戦メンバーとして来日したイチロー選手ですが、オープン戦の結果を受けて、開幕戦出場に疑問の声が上がっています。 イチロー選手は既に一時代を築き、多くの人から尊敬を集めています。「無理に選手を続けて晩節を汚すよりも、引退しては…」という識者も増えてきているようです。 しかし、当の本人はというと、今のところ意欲しか口にしていません。どうやらイチロー選手は逆境で燃えるタイプのようです。本稿では、イチロー選手がどのようなメンタルでこの状況を楽しんでいるのか、心理学の観点から考えてみましょう。 まずは背景から整理してみましょう。そもそも、米国のリーグ戦なのに日本で開幕戦を行うことに、疑問の声が少なからずありました。 ただ、日本の野球ファンにとっては超一流のゲームを体感できる貴重なチャンスです。日本も野球の一流国の一つであり、そのリスペクト(尊敬)もあるからこそ日本で開幕戦を行う意義が見いだせるとも言えます。 特に、今回は日本が生んだレジェンド、イチロー選手の7年ぶりの「凱旋(がいせん)」でもあります。日本の野球ファンにとっては「お祭り」の意味もあり、大きな期待を集めています。実際、マリナーズのスコット・サービス監督も日本開幕カードでイチロー選手の出場を示唆し続けてきたので、大いに盛り上がることが期待されていました。2012年3月、日本開幕戦の一回にフラッシュを浴びて打席に立つマリナーズ・イチロー=東京ドーム(斎藤浩一撮影) しかし、オープン戦での絶不調が伝えられて風向きが変わります。今季のイチロー選手はマリナーズとマイナー契約を結び、キャンプとオープン戦には招待選手として臨んでいます。ここで開幕戦への出場にあたり、誰もが納得する結果を出していれば、日本のファンも米国のファンも活躍を楽しみに、素直に応援できたことでしょう。「営業優先」批判も ただ、オープン戦では先述のような残酷な結果に終わってしまいました。打率も1割を切っている状況もさることながら、何より3月1日を最後に、18打席連続で安打が出ていません。 調子が上向いている気配すら感じさせないのです。その中で「イチロー選手は開幕戦でも快音を響かせることなく終わるのではないか」と心配する声が上がるようになりました。 イチロー選手は昨年5月に球団の「会長付特別補佐」に就任し、一度は事実上のフロントメンバーにもなりました。その中で現役にこだわって選手を続けることは素晴らしいチャレンジです。 しかし、結果が伴わず、期待を裏切り続けてしまうと、チャレンジとしては素晴らしいかもしれませんが、「物語としては美しくない」と感じる人も増えてしまうことでしょう。実際、米メディアの中には引退を「勧告」するコラムニストもおり、今季のイチロー選手の評価には賛否が分かれています。 また、スポーツマンシップの観点でも厳しい目が向けられています。スポーツの競技会とは才能あふれるアスリートたちがしのぎを削り、厳しい競争に勝ち抜いて初めて出場できる栄光の舞台です。 キャンプやオープン戦でイチロー選手以上の結果を出しながら出場できない選手がいたとしたら、「営業優先でスポーツマンシップを蔑(ないがし)ろにしている」と批判されても仕方がないでしょう。批判の対象は球団や監督だけでなく、出場するイチロー選手にも向けられかねません。 尊敬されていた大選手がスポーツマンシップを蔑ろにした誹(そし)りを受ける。仮にこんな事態になったとしたら、ある意味で悲劇でしょう。インディアンスとのオープン戦の五回、空振り三振に倒れるマリナーズ・イチロー=2019年3月、米アリゾナ州ピオリア(山田俊介撮影) 一方でイチロー選手は、引退を考えていない発言を繰り返しています。昨年のマリナーズ入団会見では「最低50歳までプレーしたい」と意欲を示し、今年公開された動画でも「できないと思っている人々をギャフンと言わせたい」と述べています。つまり、プロフェッショナルとしての意欲は全く衰えていないようです。日本人には少数派 晩節を汚すリスクを抱える一方で、一向に衰えないプレーへの意欲を隠さないところを見ると、今の「逆境」を楽しんでいるようにも思えます。筆者はこのイチロー選手に「生粋のチャレンジャー(natural born challenger)」のメンタルを見ました。 実は「チャレンジ精神」とは、ある程度持って生まれたものなのです。そして、持って生まれてしまった人はチャレンジにしか自分を見いだせないことが多いのです。 このタイプの人はまず大きな困難に直面したときに不安になるのではなく、逆にワクワクします。「何が起こるんだろう」「何ができるんだろう」が「不安の言葉」ではなく、「ワクワクの言葉」になるのです。日本人には少数派だと言われています。 そして、慣れ親しんだものでは満足できません。常に新しい「何か」を求め続けます。常に成功だけでなく仮に失敗して何も得られないことがあったとしても、何かを求め続けるのです。 また、このメンタルの持ち主は頑固でマイペースでもあります。もちろん、普段は社交的に振る舞えるわけですが、自分が求めている物事に関して、人の意見や助言は受け付けません。誰も彼の決意は変えられないのです。2016年6月、パドレス戦の九回にメジャー歴代最多安打記録を更新、ファンの声援にヘルメットを取って応えるマーリンズ・イチロー(リョウ薮下撮影) イチロー選手はこのような生粋のチャレンジャーの要素を全て併せ持っているように、筆者には見えます。ですから、周囲がどれほど心配しても、イチロー選手の中にはこの状況を楽しむ何かが失われることはないでしょう。 周囲の心配や批判をよそに、イチロー選手は開幕戦で快音をとどろかせることしか考えていないことでしょう。心配も懸念も、オープン戦で活躍できなかったことで招いたものです。 逆に言えば、開幕戦で活躍すれば、周囲の雑音一掃できるわけです。イチロー選手のメンタルは、もはやその準備しかしていないように思えます。そんな「生粋の挑戦者」の日本でのプレーをぜひ応援したいですね。■「最低50歳現役」イチローの言葉は日本球界をナメている■清原とは正反対! イチローが42歳でも輝けるのは筋力に頼らないから■「さらば宝石」イチローとダブる伝説の天才打者「E」

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    韓国の裏切りには最強の「しっぺ返し戦略」で応じるほかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊員らによる訴訟で、韓国大法院(最高裁)が三菱重工業に賠償を命じた確定判決を出したことを受け、原告側が同社の韓国内で保有する商標や特許権の差し押さえをソウル中央地裁に請求した。仮に、地裁が差し押さえを認めれば、新日鉄住金に続いて2社目になる。 また、報道によれば、原告側弁護団は、欧州でも同社の資産を差し押さえる検討に入ったとされる。昨年、徴用工問題でも同じく賠償判決が出ていて、資産差し押さえ請求の動きが続いている。 1965年の日韓請求権協定に反する韓国側の動きに対して、日本政府は当然協定を順守するように韓国側に外交ルートで要請しているが、全く反応がない。韓国びいきの論者には、日本を刺激しているのではなく、単に文在寅(ムン・ジェイン)政権が北朝鮮や中国に傾斜しているからだ、というおかしな理屈を持ち出す人もいる。いずれにせよ、日本と韓国の協調は崩れたままだ。 経済学には「ゲーム理論」という手法がある。ゲームといっても、将棋やチェスのような遊戯だけではない。現実の国家間の争いから私人間の戦略的な動きまで、幅広く分析する学問だ。この理論を応用することで、ノーベル経済学賞を受賞した学者も多い。 米国の政治学者、ロバート・アクセルロッドの『つきあい方の科学』(1984)は、このゲーム理論の中で興味深い分析を提示した。さまざまな戦略の中で最強の戦略が、いわゆる「しっぺ返し戦略」だというのである。 では、最強と言われる「しっぺ返し(Tit for Tat)戦略」とは、どのようなものだろうか。初め、二人のゲームのプレーヤーが協調しているとする。2回目からどんな手番を採用するかは、「協調」でも「裏切り」でも、相手と同じ出方を採ることが、最も両者にとって望ましいという戦略の在り方である。 例えば、日韓請求権協定の下で、日本と韓国は一応「協調」してきた。しかし、文政権が成立すると、韓国は「裏切り」を選んでしまった。それに対して、日本もまた「裏切り」を選ぶことは、長期的な利害を重視するならば最適な戦略となるのである。 政治的にはかなり「タカ派」のように思えるかもしれないが、現実の日韓関係を考察すると、この「しっぺ返し戦略」はかなり有効に機能するのではないだろうか。慰安婦問題で合意を見たはずの「最終的かつ不可逆的な解決」も、韓国側が完全に「裏切り」行為をしたことは言を俟たない。2019年2月、三菱重工本社を訪問した元徴用工訴訟の原告側代理人弁護士(右)ら(宮崎瑞穂撮影) おそらく、韓国政府は「歴史問題」を、国内政治の人気取りや、北朝鮮や中国との関係構築のカードとして、今後も使い続ける可能性が大きい。ならば、そのような「裏切り者」に対して、この「しっぺ返し戦略」を日本が採用する価値は一層高くなったはずだ。 実際、日本国内でも「しっぺ返し戦略」採用に向けての動きが出始めている。まだ、報道レベルだが、上記の差し押さえ請求を契機にして、韓国の多数の輸入品に対する関税引き上げを実施する対抗措置を、日本政府が検討しているという。裏切りへの「協調」こそ愚か さらに、一部の政治家や識者からは、韓国国民のビザ(査証)発給制限や韓国内における日本資産の引き上げなども指摘されている。いずれも日本側に経済的損失が出る可能性があるが、それでも長期的に日韓関係が安定化するなら帳尻は十分に合う。短期的にはタカ派の行動に見えても、長期の平和を望むための有効な方法なのである。 今こそ「しっぺ返し戦略」を採用する好機だと、筆者は思っている。国際的にも韓国政府の不公平な対日姿勢を積極的にアピールする必要がある。 日本を「歴史」の奴隷のように処する姿勢と、北朝鮮という独裁国家の「エージェント」と化した文政権のやり方を、併せて世界に告知する必要があるだろう。そのためには一定の予算化が必要だ。 もちろん、これは政治や経済的関係だけではない。安全保障面でも採用できる方法だ。 レーダー照射問題以降、防衛を巡る日韓関係も「しっぺ返し戦略」の観点から再考すべきである。今の岩屋毅防衛相や自衛隊の幹部には、なぜか韓国との防衛交流を急ぐ姿勢が強い。 だが、そのような韓国の「裏切り」に対する「協調」は、最も愚かしい戦略と言わざるを得ない。過去の韓国政府の出方を分析する限り、この戦略の甘さが、韓国軍も同様に「裏切り」を続ける土壌を生み出す背景にあるのではないか、と不安である。 「裏切り」の兆候は既に明らかであろう。7閣僚が交代した3月8日の文政権の内閣改造でよく分かる。 この改造では、対北朝鮮政策で慎重な姿勢をみせていたと評価される趙明均(チョ・ミョンギュン)統一相を事実上更迭し、代わりに北朝鮮への制裁解除を強く志向する金錬鉄(キム・ヨンチョル)氏を登用した。他の閣僚は、外交関係も安保関係も留任であり、いわば「北朝鮮傾斜」「日本軽視」の方針を引き続き採ることを内外に示したといえる。2018年5月、第6回日中韓ビジネス・サミットに臨む(左から)韓国の文在寅大統領、安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) ベトナムの首都、ハノイで行われた米朝首脳会談に関して、文政権は「北のエージェント」外交を展開したが、会談決裂とともに失敗に終わった。もちろん、外交や安保関係の閣僚続投が、これらの政策の失敗を国内外に印象づけるのを避けるためという見方もできるだろう。いずれにせよ、日本に対する「裏切り」姿勢に今後も変化はないだろう。 それを助長しているのは、相手が「裏切り」行為をしても、愚者のように「協調」路線を堅持する、日本側の非合理的な姿勢にある。日本政府は、経済面での制裁、そして防衛協力の見直しをワンセットで韓国に提示し、「しっぺ返し」戦略への転換を急ぐべきである。

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    女子ゴルフ放映権、ネット中継は露骨な「性表現」を助長しかねない

    飯田豊(立命館大産業社会学部准教授) 女子プロゴルフの放映権問題に関して、放映権の一括管理を目指す日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の小林浩美会長の姿勢に対して、民放テレビ局が猛反発している。昨年12月には日本テレビが系列局主催の3大会中止を発表する事態に発展した。結局1月に撤回されたが、ツアー開幕直前の2月末にも、民放各局の社長が相次いで放映権問題に言及し、来季の放送断念を示唆するなど、一層混迷が深まっている。 筆者は対立している双方の内部事情を知る立場ではない。だが、LPGAにとっては、これが長年の懸案であったことは間違いないようだ。例えば、『週刊東洋経済』2010年5月15日号では、当時の樋口久子会長がこの問題に触れている。 LPGAは現在、公式競技を除くと、テレビ局から放映権料をもらっていない。米国の男子プロツアーは高額の放映権収入で潤っているが、日本の場合は「トーナメントを行うから放映してください」という「お願いベース」で始まったからだ。そこが米国との大きな違い。日本にはテレビ局が主催するトーナメントも多く、放映権を巡る対応は今後の検討課題と考えている。 放映権の所在がずっと不明確で、曖昧な状況のまま半世紀以上も放送されてきたという経緯は、欧米とは異なる日本特有の、マスメディアとスポーツとの密接な結びつき方と無関係ではない。iRONNAには年初に、箱根駅伝について寄稿させていただいたが、このとき焦点を当てたのも、マスメディア企業体が主催し、自ら積極的に報道する「メディア・イベント」としての特性だった。 女子プロゴルフの放映権問題は、日本独特のメディア・イベントの伝統と、インターネットの普及に伴うグローバルスポーツのビジネス再編との間で、齟齬(そご)が大きくなっている表れといえるだろう。 繰り返しになるが、これは決して新しい問題ではない。『週刊東洋経済』の記事をもう一つ紹介すると、約10年前の2009年10月13日号には、実業家の成毛眞氏が「テレビのゴルフ中継にモノ申す」というコラムを寄稿しており、プロゴルフの放映権問題に触れている。 「僕が怒っているのは、プロゴルファーに放映権料が入らないことではない。タダなのに放送時間が短いことなのだ」と述べ、成毛氏は録画放送の物足りなさを指摘している。「テレビはもはやライブメディアとしての役割も商売も放棄したよう」で、「既存メディアがその役割を放棄して自滅するのは一向に構わないが、ネットの前に立ちふさがるのだけはやめたほうがよい」。正論である。女子プロゴルフツアー開幕戦2日目、単独首位に立った比嘉真美子。放映権問題ではプレーヤーズ委員長(当時)として選手側の立場を訴えた=2019年3月、琉球GC もっとも、10年前と状況が決定的に異なっているのは、放送局にとってもインターネットはもはや「未開の荒野」ではなく、対立的というよりも補完的な関係が形成されているということだ。例えば近年、テレビを主戦場とする芸能人や制作者が、地上波では社会的に容認されなくなった過激な企画や演出をネット動画で実践するという展開が散見される。 放映権問題をめぐっては、「テレビ=録画放送、ネット=生配信」という二項対立が議論の前提となっている。だが、メディアの形式が変わるということは、単に同時性の有無だけでなく、女子プロゴルフの魅力の表れ方にも少なからず影響を与えることになるだろう。ネット配信に潜む「視線」 どういうことか。結論を急がず、別の女子スポーツを事例として、歴史的な補助線を引いてみたい。 日本では第2次世界大戦後間もなく、女子プロ野球チームが設立され、一時的に人気を博していた。メディア史研究者で早大の土屋礼子教授によれば、その背景には1946年創刊の日刊スポーツによる強い後押しがあったという。 男子の高校野球や社会人野球、プロ野球は既に朝日新聞や毎日新聞、読売新聞といった全国紙と強く結びついていて、戦後の新興勢力であるスポーツ新聞が新たに入り込める余地は小さい。そこで日刊スポーツは、戦前のアマチュアリズムを尊ぶ日本的野球道ではなく、明るく華やかなショービジネスとしての野球を意識した宣伝方法で女子プロ野球を盛り立てたのである。 1950年に日本女子野球連盟が結成され、加盟4球団によって記念試合が行われた。だが、ライバルスポーツ紙は女子野球を露骨に皮肉り、多くの新聞や雑誌も見せ物的な興味に基づいて、これを取り上げたという。 新聞と雑誌は、一斉にこの女子プロ野球最初の公式試合を報じたが、その取り上げ方は大きく二つに分かれた。一つはまともな女性のスポーツとして、まじめな女性の職業として、女子プロ野球を真剣に論じ育成しようという態度であり、他方は、女子野球はしょせん「腕より顔」であり、「お色気六分技量四分」の見せ物であるとする見方である。(土屋礼子「創刊期のスポーツ紙と野球イベント ―女子プロ野球と映画人野球」『戦後日本のメディア・イベント 1945-1960年』世界思想社、2002年) 女子プロ野球を「健全なスポーツ」として育成するのか、あるいは見せ物的な視線を甘受し、「華やかなショービジネス」として展開するのかという基本路線の違いは、選手や球団の間に不協和音をもたらした。結果的に、日刊スポーツによる手厚い支援にもかかわらず、女子プロ野球は2年足らずの短命に終わった。 このことを踏まえて、女子プロゴルフに話を戻そう。健全なスポーツとしての魅力と、ショー的見せ物としての魅力は、必ずしも良い意味ではなく、今日の女子プロゴルフにも併存している。 というのも、中高年男性向けの総合週刊誌には、女子プロゴルフ選手に関して、露骨な性的表現を含むセクシズム(性差別)やルッキズム(外見至上主義)がはびこっていて、一部のネットメディアもこれに同調しているからだ。むろん、テレビの情報番組やバラエティー番組においても、雑誌ほど露骨ではないにせよ、女子プロゴルフの扱いに対して、こうした視線が潜んでいることが珍しくない。2019年3月2日、女子プロゴルフツアー開幕イベントに参加した日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長 仮に、LPGAが放映権を一括管理し、有料動画配信を行う業者に販売することになったとしたら、こうした現況にどのような変化が生じるだろうか。テレビだからこそ抑制されていたセクシズムやルッキズムを、図らずも助長することにはならないだろうか。 逆にLPGAが主導権を握ることによって、プロスポーツとしての魅力をさらに高めることに寄与できるだろうか。こうした点も視野に入れて、建設的な議論を望みたい。■松坂大輔の右肩を「破壊」したファンの妙な親近感■プロアマ騒動、片山晋呉も悪いがそれだけじゃない■日本人には高すぎたミドル級の壁、それでも村田諒太なら超えられる

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    元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑

    辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 「ビビビ婚」「授かり婚」「シニア婚」…いろいろな結婚のネーミングがありますが、意表を突かれたのは元AKB48、篠田麻里子さまの「玄米婚」。元同グループの小嶋陽菜(こじはる)がTwitterで「玄米。。。」とつぶやいたことでも話題になりました。こじはるは、その後「わい白米派」と書き込んでいて、ストイックな生活とは無縁そうな彼女のキャラクターと白米のイメージがマッチしていて良かったです。しかし麻里子さまの「玄米婚」は、ブランディングとしてなかなか巧妙だと感じ入りました。 「彼とは2度友人を交えて食事をする中で、玄米を食べて育ったところや、理想の家族像、将来像などの共通点が驚くほど多く、お互い素の自分でいられることでお付き合いをしてもいないのに結婚ということを自然に意識することができました。『一生一緒にいたい』と心から思えた方です」 というのが麻里子さまのコメントの一部です。「玄米婚」でありながら最近話題の「交際0日婚」(プロポーズを受けてからしばらく付き合ったようですが)。相手の方は、3歳年下の会社経営者です。バラエティー番組『プレバト!!』に出演した彼女は「(相手は)美容室の経営とIT事業をやっています」と明かしています。 またITですか…そんな思いを抱く人も多いかもしれません。そして一般男性と言いながら確実にセレブです。 白米派のこじはるも、高級タワマンに住むIT企業のイケメン社長と交際しているとされます。『週刊文春』(2月28日号)によると、一緒にハワイに行ったり、カリフォルニアのコンドミニアムに滞在したり(そして宿泊代を値切ったり)と悠々自適なバカンスを楽しんでいるとか。 IT社長と交際といえば、女優の方々も思い浮かびます。ライブ配信アプリ「SHOWROOM」のやり手イケメン社長、前田裕二氏と交際している石原さとみ。女優・石原さとみ=2018年7月24日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) そして月に行く発言や100万円ばらまきで話題になったZOZOTOWN前澤友作社長と剛力彩芽。ベントレーでデートしたりプライベートジェットでサッカー観戦に行ったり、ゴージャスな交際を繰り広げています。 深田恭子は不動産会社会長と交際。週刊文春にこの会長の2度の離婚暦や破産、「刺青」についての記事が掲載されました。老婆心ながら気がかりです。 相武紗季や伊東美咲、菊川怜、観月ありさなど、会社経営者と結婚した女優も多いです。「玄米婚」二つの意図 ファンにとって、推しの女優やアイドルが社長と結婚すると、遠い存在になってしまう反面、心配な部分も多いことでしょう。アグレッシブな社長は、生命力が旺盛なあまり不倫や浮気、婚外子などが判明することも…。ギラギラしている成功者は敵も多そうです。   しかし、ここへ来て現れたのが「玄米婚」の篠田麻里子。インスタグラムにアップされた、2人のツーショット写真を見る限り、(目の部分が隠されていますが)夫はあまり玄米っぽくない印象です。おしゃれなヘアスタイルで、ヒゲに世慣れた雰囲気が漂い、玄米というよりトルティーヤとか食べていそうな…。でも、今風のルックスと玄米を食べて育ったというギャップが良いのでしょう。 美容やITに漂う業界臭を、玄米のストイックな匂いが打ち消してくれます。社長と結婚した、という事実よりも、「玄米婚」というフレーズの方がパワーワードとして記憶に残ります。社長のギラギラ感も中和されます。そして素朴でまじめで良い人っぽいイメージになります。 AKB時代、自分の意志を強く持っていたとされる麻里子さまなので、人の印象をコントロールする術も体得しているのがさすがです。「雑穀米を食べて育った」だとあざといし、「胚芽米」だとこだわりが強そうです。「発芽玄米」「寝かせ玄米」だとマニアックすぎます。ただ一言「玄米を食べて育った」と書くのが絶妙です。 玄米は美容や健康にいいと言われていて、意識の高い芸能人が食べています。有名なのがローラ、吉瀬美智子、綾香など…。ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富で、GI値(血糖値が上がる速度)が低い玄米にはさまざまな効果があるとされています。トークショーに出席した篠田麻里子=2014年2月21日(宮田剛撮影) しかし、毎日食べ続けるのは体に負担がかかるという説もあります。無機ヒ素や残留農薬が含まれていると言われていたり、固い殻で覆われているぶん、消化に悪いとも。胃腸が弱い人は、よほど元気な時じゃないと玄米は食べない方が良い、と専門家に聞いたことがあります。 「玄米を食べて育った」という麻里子さまと結婚相手は、もしかしたら生まれつき胃腸が強いのかもしれません。お互いの食生活の好みについて話しているうちに、玄米食の話から健康状態をチェックし合っていたのでしょう。 やはり添い遂げるためには、お互いの健康状態は重要です。そして夫には経済力だけでなく体力も求めていきたいです。「玄米婚」は、「玄米を消化できる体であることを確認」という意味もありました。麻里子さまは、体が頑丈で稼いでくれる、良い夫を見つけたようです…。

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    米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2月27、28日にハノイで行われた米朝首脳会談が決裂したことは、世界を驚かせた。筆者も驚きに変わりはなかったが、他方でこれは日本の国益にとっては良かったと理解している。 交渉決裂をめぐっては、米国側と北朝鮮側で異なる二つの主張が出てきている。トランプ大統領側は、北朝鮮が完全な非核化を拒否し、制裁の全面解除を求めてきたことが交渉決裂の原因だとした。 他方で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長側は、解除を求めたのはあくまでも民生分野の一部だと主張した。北朝鮮側は、国内で会談の「成果」を喧伝(けんでん)しているようだが、それは単なる体制のメンツを保つため以外のなにものでもない。 わざわざ国のトップが直接交渉をして、それで具体的な成果が上がらないのだから、どちらも都合のいいことを言わなければ政治的失点になる。そのため、両方の言い分を鵜呑みにはできない。 ただ、仮に交渉がまとまったとしても、それは具体的な中身に欠けるものだったろう。相変わらず、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)以外の核施設を利用して長距離核兵器の開発を進めただろうし、日本を射程に収める中距離核兵器の廃棄も全く進展しなかったろう。 もちろん、前回の米朝首脳会談後の展開を考えても、この2回目の首脳会談を契機にして、拉致被害者の救済が劇的に進展する可能性も低かったのではないか。この交渉がたとえまとまったとしても、日本はもちろん、米国にも具体的な成果などなかったろう。2019年2月27日、ハノイで会談に臨むトランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(ロイター=共同) このことは以前から、筆者の出演するラジオ番組などで何度か指摘したことでもある。要するに、交渉がまとまっても日本の国益に資するものが見えない。「米朝融和」という国際的キャンペーンの中で、北朝鮮による日本への脅威と犯罪行為は続いたことだろう。韓国でも「アベガー」 私見では、北朝鮮が核開発を放棄するというのはフェイク(嘘)だ。そもそも寧辺以外の核施設を話題に出したのは、米国側からである。つまり、北朝鮮側は核開発の継続を隠していたことになる。合理的な交渉者ならば、トランプ氏でなくても交渉の席を立つだろう。 さて、今回の交渉決裂は、韓国の政治家たちの「本音」も暴いてくれた。韓国野党、民主平和党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)代表は、自身のフェイスブックで「交渉決裂の裏で、安倍(晋三)首相の影がちらつく」と日本政府をいきなり批判したのである。 「安倍首相の影」がどのようなものか分からないが、よく日本でも見かける「何でもかんでも安倍首相の責任」という論法に似ている。それはともかく、韓国にとっては、文在寅(ムン・ジェイン)政権だろうが野党だろうが、この交渉決裂が大きな損失になるのは間違いない。 私見では、今回の交渉決裂により、北朝鮮は何の成果も挙げられなかったことで最大の失点を被った。そして、同じぐらいに政治的なダメージを受けたのは、文政権だろう。 昨年の米朝首脳会談後を見ても分かるように、韓国の北朝鮮への傾斜はさらに強まるばかりだった。制裁解除のアピールは、いくつものチャンネルを通じて喧伝していたし、実際に韓国の「制裁違反」が国際的にも問題化していた。 しかも、文氏は北朝鮮との連合国家構想を抱いているとされる。もしこんな構想が実現化すれば、日本に敵意を持ち、核兵器を所有する非民主的な国家を隣国に誕生させることになる。日本にとって極めて懸念すべき情勢になるだろう。2018年4月、「板門店宣言」に署名後、共同発表に臨む韓国の文在寅大統領(手前)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国共同写真記者団撮影) 確かに、1回目の米朝首脳会談後から、文政権の「日本軽視」は今までになく際立っている。徴用工問題については、昨年10月の韓国大法院判決以降、日本政府からの対応要求を全く無視している。「単なる経費の無駄遣い」 レーダー照射問題についても、韓国側は嘘に嘘を重ねている。東アジアの防衛をともに担う意志が極めて低下していると判断できる。 2日に発表された、朝鮮半島有事を想定し、毎年春に行ってきた米韓の大規模軍事演習の終了も、このような韓国の「北朝鮮化」を確認した上での米国側の判断だろう。トランプ氏ではないが、共同して北朝鮮に抗する意欲のない国との合同演習など「単なる経費の無駄遣い」でしかない。 ただ、韓国側の北朝鮮への傾斜は、今回の米朝の交渉決裂で大きく歯止めがかかるだろう。それは日本にとっては有利な材料になる。 そこで、日本は東アジアの安全保障を考える上で、台湾との関係を再考すべきではないだろうか。台湾の蔡英文総統は、安全保障問題に関する日本政府との対話要請と、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加意欲を産経新聞のインタビューで示した。その報道の直後、蔡氏は自身のツイッターに、日本語と英語の双方でこのインタビューの要旨を熱心に何度も投稿していた。 もちろん、現在の日本と台湾に外交上の関係はない。日本の政治家たちは、保守も左翼も台湾の政治に冷淡な人たちが大半である。 しかし、この蔡氏の提案は、台湾が直面している中国からの脅威を前提にしてのものである。日本もまた尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題において、安全保障上の深刻な脅威を中国に抱いている。しかも、先述したように、韓国の「北朝鮮化」が止まらないのであれば、地域的脅威はさらに増加するだろう。蔡氏の提案を、日本政府が積極的に検討する環境にあるのではないか。2019年1月、台湾の総統府で海外メディアと記者会見する蔡英文総統(共同) 台湾は日本と同じ民主主義の国である。経済や文化での交流も以前から深い結びつきがある。台湾からのメッセージを前向きに議論すべき時が巡ってきたと言えるだろう。■ 「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる■ 北朝鮮非核化の主導権を虎視眈々と狙う文在寅「逆転シナリオ」■ 「マイナス30度」に達した日韓関係はどこまで冷え込むか

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    「奴隷を売る日本人が悪い」天正遣欧使節、千々石ミゲルのモヤモヤ

    渡邊大門(歴史学者) 前回、日本人奴隷の扱いについて、その経緯やイエズス会の対応を確認した。では、日本人のキリシタンは、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買について、どのような感想を持っていたのであろうか。今回は一例として、天正遣欧少年使節の発言を素材にして考えてみよう。 キリスト教の布教と相俟(ま)って、日本からローマ教皇とイスパニア国王に使節を派遣することになった。イエズス会巡察使のヴァリニャーニョは、大友宗麟、有馬晴信、大村純忠らキリシタン大名に使節の派遣について提案を行った。これが、有名な天正遣欧少年使節である。こうして天正10(1582)年、伊東マンショと千々石(ちぢわ)ミゲルが正使に任じられ、原マルチノと中浦ジュリアンを副使として、同2月に長崎から出航したのである。 少年使節は長崎を出発すると、途中でゴア、リスボン、マドリードへと立ち寄った。天正12年11月、少年使節はイスパニア国王のフェリペ二世に謁見を果たした。この間、3年近くの時間がかかっている。今では考えられないほど時間を要した。 その翌年の天正13年3月になって、ようやく少年使節は念願であるローマ教皇、グレゴリウス十三世との面会を果たしたのである。ここまでの様子は、天正遣欧少年使節に関する多くの書籍で取り上げられている。 ところで、少年使節たちは旅の途中でさまざまな場所に寄港すると、日本人奴隷と遭遇することが度々あったという。こうした事態に接した彼らの心境は、いささか複雑なものだったようである。 日本人としてのアイデンティティーとキリスト教信仰との間で、随分と少年使節の心が揺れ動いた。その様子を少年使節の会話の中から確認しておこう(エドウアルド・サンデ『日本使節羅馬教皇廷派遣及欧羅巴及前歴程見聞対話録』より)。グレゴリウス十三世(ゲッティ・イメージズ) まず、問題になったのは、ヨーロッパの国家の間で戦争に至って捕虜になるか、降参した場合、それらの人々はいかなる扱いを受けるのかという疑問である。海外の日本人奴隷を思ってのことであろう。以下、少年使節の中での議論である。 少年使節は捕らえられた人が、死刑もしくは苦役に従事させられるのかを問うている。日本では、その扱いはさまざまだった。この疑問に答えたのは千々石ミゲルであり、その答えは次のように要約できる。 ①捕虜、降参人とも死刑や苦役に従事させられることはない。 ②捕虜は釈放、捕虜同士の交換または金銭の授受によって解放される。 この回答には理由があった。つまり、ヨーロッパでは古い慣習が法律的な効力を持つようになり、キリスト教徒が戦争で捕虜になっても、賤役(奴隷としての仕事)には就かないことになっているとのことであった。 ただし、キリスト教の敵である「野蛮人」の異教徒については別で、彼らは賤役に従わなければならなかった。これが法的な効力を持つようになったのである。この回答に対して、少年使節は改めてキリスト教徒が戦争中(対キリスト教国家)に捕虜になった場合、本当に賤役に従事させられないのか確認した。ミゲルが抱いた怒り これに対するミゲルの回答は、「イエス」である。一同はキリスト教徒が奴隷にならないと聞いて、「ほっ」としたかもしれない。しかし、その回答の後に続けて、ミゲルは日本人奴隷について次のように感想を述べている。 日本人は欲と金銭への執着が甚だしく、互いに身を売って日本の名に汚名を着せている。ポルトガル人やヨーロッパ人は、そのことを不思議に思っている。そのうえ、われわれが旅行先で奴隷に身を落とした日本人を見ると、道義を一切忘れて、血と言語を同じくする日本人を家畜や駄獣のように安い値で手放している。わが民族に激しい怒りを覚えざるを得なかった。 ミゲルにとっては、日本人の「守銭奴」ぶり、そして金のために日本人奴隷を売買する同胞が許せなかった。その強い憤りが伝わってくる。そのミゲルの言葉に同意したのが、伊東マンショである。 マンショはヨーロッパの人々が文明と人道を重んじるが、日本人には人道や高尚な文明について顧みないと指摘している。マンショが言うところの文明と人道とは、あくまでヨーロッパ諸国やキリスト教を基準としたものであろう。 マルチノもミゲルの言葉に同意しつつも、次のような興味深い指摘を行っている。 ただ日本人がポルトガル人に売られるだけではない。それだけならまだしも我慢できる。というのも、ポルトガル人は奴隷に対して慈悲深く親切であり、彼ら(=奴隷となった日本人)にキリスト教の戒律を教え込んでくれるからだ。しかし、日本人奴隷が偽の宗教を信奉する劣等な民族が住む国で、野蛮な色の黒い人間の間で奴隷の務めをするのはもとより、虚偽の迷妄を吹き込まれるのは忍びがたいものがある。 マルチノは、日本人がポルトガルに売られるだけなら我慢できるという。その理由とは、仮に日本人奴隷がポルトガル人のもとにいたならば、キリスト教の崇高な理念を教えてくれるからである。少年使節の考えは、あくまでキリスト教がすべてであった。 そして、現実には東南アジアで多くの日本人が奴隷として使役されており、そこで異教(キリスト教以外の宗教)を吹き込まれることが我慢ならないとする。同じ日本人奴隷であっても、キリスト教さえ信仰してくれたらよいという考えである。 つまり、日本人が奴隷として売られても、キリスト教を信じることになれば、最低限は許せるということになろう。この考え方は、ポルトガル商人がアフリカから奴隷を連行することを正当化する論理と同じである。千々石ミゲル像(雲仙市提供) この言葉には、少年使節の賛意が示されている。そして、まだまだ議論は続く。マルチノは、もともと日本では人身売買が不徳とされていたにもかかわらず、その罪をパードレ(司祭職にある者)やポルトガル商人になすりつけ、欲張りなポルトガル商人が日本人奴隷を買い、パードレはこれを止めようともしないと指摘した。 この指摘に反応したのがミゲルである。ミゲルは、次のような見解を示している。 ポルトガル人には、いささかの罪もない。彼は何と言っても商人である。利益を見込んで日本人奴隷を購入し、その後、インドやそのほかの国々で彼ら日本人奴隷を売って金儲けをするからといって、彼らを責めるのは当たらない。とすれば、罪は日本人の方にあるのであって、普通なら大事に育てなければならない子供が、わずかな対価で母の懐からひき離されていくのを、あれほどことなげに見ることができる人々なのだ。悪いのは日本人 ミゲルの見解は、ポルトガル人が悪いのではなく、売る方の日本人が悪いというものであった。当時の日本人は、ミゲルが指摘するように、わが子を売り飛ばすことにいささかの躊躇(ちゅうちょ)もなかったようである。 要するに、キリスト教国であるヨーロッパ諸国と比較すると、日本は人道的にも倫理的にもはるかに劣っていたということになろう。ミゲルの「奴隷を売る日本人が悪い」という考え方は、ポルトガル側の常套句に通じるところがある。ちなみに、彼らは当時、10代半ばの少年であった。 以上の会話のやりとりをまとめれば、次のように要約されよう。 ①日本人が奴隷として売られても、ポルトガルでキリスト教の正しい教えを受け、導かれるのならばそれでよい。しかし、日本人奴隷が異教徒の国で邪教を吹き込まれることは我慢ならない。 ②日本人が奴隷になるのは、人道的、倫理的に劣る日本人が悪い。ポルトガル商人は商売として人身売買に携わっているので、何ら非難されることはない。 天正遣欧少年使節の面々は日本人であったが、むしろ不道徳な日本人の考え方を嫌い、キリスト教の教えに即した、ポルトガル商人やイエズス会寄りの発言をしていることに気付くであろう。 余談ながら、天正遣欧少年使節の面々は、その後どうなったのだろうか。伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンは、その後もキリスト教の勉強を続け、司祭の地位に就いた。しかし、キリスト教が禁止されると、厳しい立場に追い込まれ、マンショは慶長17(1612)年に逃亡先の長崎で病死した。 マルチノは海外に活路を見いだし、マカオへ向かった。そして、寛永6(1629)年に同地で死去している。ジュリアンは国外に逃亡せず、長崎で潜伏生活を送った。しかし、寛永9年に小倉で捕らえられ、翌年に激しい拷問を受けて亡くなった。ミゲルはただ1人棄教の道を選択し、後に大村藩の藩主に仕えた。 キリシタンである天正遣欧少年使節の面々は、ポルトガル人(あるいはヨーロッパの人々)やキリスト教に理解を示していたが、豊臣秀吉については決してそういう考えではなかったかもしれない。豊臣秀吉像(模本、東大史料編纂所蔵) 率直に言えば、秀吉はキリスト教の教義などに関心は持っていなかったが、自らの政治的な野心を満たすために認めていたに過ぎない。天正16年6月に秀吉はパードレたちに使者を送り、次の4カ条について質問を行っている。次に、要約しておこう。 ①なぜ日本人にキリスト教を熱心に勧めるのか(あるいは強制するのか)。 ②なぜ神仏を破壊したり、僧侶を迫害したりして融和しないのか。 ③牛馬は人間に仕える有益な動物なのに、なぜ食べるという道理に背く行為をするのか。 ④なぜポルトガル人が日本人を買い、奴隷として連れて行くのか。 キリスト教の伝来とともに、多くの文物が日本へもたらされた。秀吉は九州征伐直後、中国大陸への侵攻を構想していたという(最近は否定的な見解もある)。そのとき頼りになるのが、西欧からもたらされる強力な武器の数々である。 やや極論かもしれないが、西洋の文物や武器が入手できれば、キリスト教などどうでもよかったと考えられる。しかし、それも度が過ぎると、承服できない点があったに違いない。その代表的なものの一つが、人身売買であった。曖昧なイエズス会 もっとも、肝心なのは先の4カ条目の質問である。この点については前回も触れた通り、ポルトガル出身のイエズス会宣教師、コエリョは次のように述べている。 ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレたちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることをやめるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう。 コエリョの回答は天正遣欧少年使節と同じく、「売る方が悪い」という理屈である。このやり取りについては、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』にも詳しく記載されている。次に、紹介しておこう。 私(=秀吉)は日本へ貿易のためにやってくるポルトガル人らが日本人を多数購入し、奴隷としてそれぞれの本国に連行すると聞いた。私にとっては、実に忍びがたいことである。そのようなことなので、パードレはこれまでインドそのほかの国々へ売られたすべての日本人を日本に連れ戻すようにせよ。もし遠い国々で距離的に不可能な場合は、少なくても現在ポルトガル人の購入した日本人奴隷を放免せよ。私(=秀吉)は、ポルトガル人が購入に要した費用をすべて負担する。 宣教師たちからすれば、日本人が売ってくるから奴隷として買うのだ、という論理であった。しかし、秀吉にとって同胞の日本人が二束三文で叩き売られることは、実に耐え難いことであった。購入にかかった費用を負担してまで買い戻すというのであるから、凄まじい執念といえよう。これに対する回答は、次の通りである。 この件は、殿下(=秀吉)に厳罰をもって禁止することを乞い、パードレが覚書に示した主要な事項の一つです。日本国内はもちろんのこと、海外諸国へ日本人が売られることは、日本人のように卓越し、自尊心の高い民にとって不名誉であり、価値を引き下げることです。この災難は九州のみで行われ、畿内や関東にまで広がっていません。われらパードレは、人身売買と彼らを奴隷にすることを妨害するため、少なからずつらい思いをしています。いずれにしても、それらを禁止する根本的な手段は、殿下(=秀吉)が外国船が寄港する港の領主に禁止を勧告することになりましょう。 この主張を信じるならば、当時、日本人奴隷の売買はポルトガル商人の寄港地である九州を中心にして行われていたことが分かる。いずれにしても宣教師たちの努力では奴隷売買をやめさせるのは難しいようで、秀吉自らが禁止命令を出すべきであるとする。常々、彼らは奴隷として売る日本人が悪いと言っているのであるから、取り締まるのなら日本の方で責任をもってやって欲しいということになろう。狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵(Photo : Kobe City Museum / DNPartcom) ところで、先行研究の指摘があるように、イエズス会は陰で日本人のキリシタンに寺社の破壊を命じたり、奴隷売買にもかかわっていた(高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』)。それを隠蔽し、言い逃れをしていたのである。ところが、こうしたイエズス会の曖昧な態度は、秀吉に強い対応策を取らせることになった。 次回はもう少し奴隷売買に対する、秀吉の対応を考えてみよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈■「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

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    物価上昇率250万%、ベネズエラ「超インフレ」より怖い反米思想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 南米ベネズエラが国家的な危機に見舞われている。同国の独裁政権であるマドゥロ政権に対抗して、グアイド国会議長が暫定大統領の就任を表明し、米国や欧州各国がその地位を承認した。これを契機にして、マドゥロ政権に対するベネズエラ国民のデモがさらに活発化し、政権側の弾圧も厳しさを増している。 経済面を見ても、ベネズエラの苦境は深まっている。特に注目を集めているのは、ハイパーインフレーションの進行だ。 ハイパーインフレの厳密な定義はない。だが、前期比250万%を上回る水準で物価が高騰しているベネズエラは、誰が見てもハイパーインフレの典型例だろう。「IMF Data Mapper」により筆者作成 モノやサービスの値段が急騰しているということは、それと交換に使われる自国通貨(ボリバル・ソベラノ)の価値が激減していることと同じである。図はベネズエラのインフレ率の推移を描いたものだ(「IMF Data Mapper」により筆者作成)。国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」によると、やがて1千万%まで上昇すると推測されている。 ハイパーインフレのもたらす弊害は大きい。生活必需品を含めて、日々の暮らしが困ることは容易に想像できるだろう。 自国通貨が「紙切れ」同然のために、生活必需品を外国の通貨や物々交換で手に入れることが常態化する。当然、消費水準が抑制されてしまうので、経済活動は停滞する。失業者は増加し、世情も不安定化してしまうだろう。 現在のベネズエラの1人当たりの国内総生産(GDP)は、1ドル110円換算で年およそ34万円であり、日本の13分の1ほどである。インフレの加速が始まった2016年からは、ほぼ半減してまった。 失業率も急上昇しており、ハイパーインフレの出現とともに、2015年は7%台だったが、2018年は38%台まで上昇したと推定されている。若年雇用の失業率はおそらくこの倍以上だろう。日常的な感覚では、若い人は軍人や警察以外で働いている人を探すのが困難なレベルかもしれない。必然的に世情が不安定になる。 このハイパーインフレの原因は、簡単に言えば、マドゥロ政権の財政政策と金融政策といった政策の束(レジーム)の毀損(きそん)である。このレジームの失敗によって、国民の大半が、財政は放漫であり、金融はインフレ放任であることを固く信じている。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスの精肉店。壁に掲げられた肉の価格は空欄になっていた(共同) 米国の研究者はさらに踏み込んで、「マドゥロ政権自体の維持不可能性が、このハイパーインフレの真因である」と主張している。つまり、政権瓦解(がかい)とそれに代わる新政権が国民に信頼されることが、ベネズエラの再生にとって不可欠だという見方だ。 もともと、ベネズエラは豊富な石油資源を活用することで、中南米でも富める国であった。半世紀前の生活水準は、当時の米国の8割ほどに迫っていて、事実上の「経済先進国」とも言えた。「為替レート」崩壊のワケ だが、他方で経済格差は深刻の度合いを深め、やがてそれは「反米」を唱えるチャベス前政権を生み出す原動力となった。取りあえず、米国の国際金融資本が石油で得た富を奪い、それが同国に貧困と格差を生み出したという、「チャベス流」にありがちなストーリーが生まれた。いわば、「『米国流』の新自由主義の犠牲者だった」というのが、チャベス前政権やそれを支援している世界の左派勢力による主流の見方であったのだろう。 そして、マドゥロ政権がハイパーインフレなどの経済的苦境に陥っているのは、主に米国などによる経済制裁が原因だという見方をする人たちもいる。だが、ハイパーインフレは本当に経済制裁が原因なのだろうか。 国際金融において「マンデルの三角形」という考え方がある。一国においては、「為替レートのコントロール」「資本移動の自由」「金融政策の自律化」のうち、同時に二つしか採用できないというものである。 この枠組みで考えると、ベネズエラ経済の現在が理解しやすくなる。簡単に言うと、マドゥロ政権は為替レートのコントロール、資本移動の自由の二つを採用している。これが今回のハイパーインフレを準備している。 チャベス前政権では、為替レートのコントロールを固定為替レート制で実現しようとした。これは同国の通貨を「割高」に維持するためのものだった。 ベネズエラの輸出は石油が大半を占め、国内経済もチャベス前政権から現在まで急速に原油依存体質を強めた産業構造になっている。自国の通貨高はベネズエラの現在の経済構造からいえば「生命線」だと、政権側が考えているのだろう。 為替レートのコントロールは、実際には政府とベネズエラの中央銀行が行うことになる。つまり、金融政策は為替レートのコントロールに使われることになり、国内の経済状況への対応には財政政策が割り当てられる。 チャベス前政権では、経済格差を根絶しようと、低所得層向けの社会保障の支出を急増させていった。他方で価格統制も行われ、自由な経済活動は損なわれていった。 また近年では、原油価格の国際的下落により、先述の産業構造上、ベネズエラ経済が急速に低迷した。膨張する支出と、経済悪化で縮減する政府収入の中で財政状況が悪化し、そのファイナンスをやがて中央銀行が発行するマネーそのもので行うようになる。つまり「財政ファイナンス」という手法である。これは中央銀行のマネタリーベース(資金供給量)の急増を生む。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスで、同国の憲法を持ちながら話すマドゥロ大統領(ロイター=共同) これ以前「割高」に維持された為替レート制が、マドゥロ政権誕生の2013年以後、頻繁に引き下げられていったのは、このような国内事情による。ここまでの話を考えれば、米国などの経済制裁が一切関係ないことが分かる。 ハイパーインフレが出現する主因は、為替レートのコントロールを意図し、さらに財政支出の放漫な増大の結果、金融政策を失敗することに帰結したことによる。一見すると「マンデルの三角形」でいうと、今のベネズエラ経済は、変動為替レートと資本移動の自由の組み合わせのように思える。それは大きな間違いで、上記の事情から、金融政策の自律化を大きく損ねた状況になっているのだ。「反米」で失政隠し そうして、事実上「通貨安シンドローム」が反映されたことで、現在のハイパーインフレが出現している。その通貨安シンドロームはチャベス、マドゥロ両政権が採用した、左派的な財政拡大路線や、価格統制や最低賃金の引き上げによる民間経済の抑制、原油依存の産業構造への「転換」という政策の失敗によるものだ。 わかりやすくいえば、政府のツケを中央銀行がおカネを刷って、どんどん払ったために、自国通貨の価値が対外的に大きく下落せざるを得ないのである。このとき、金融政策はインフレを沈静化する役割を失っている。それが「金融政策の自律化がない」という意味だ。 反米や反新自由主義を唱える左派勢力には、ハイパーインフレは欧米の経済制裁の結果であり、生活必需品の不足によるものだという認識だろう。だが、生活必需品の不足もチャベス、マドゥロ両政権の左派的な政策が引き起こした高インフレ、ハイパーインフレの帰結である。 日本共産党は樹立当初のチャベス政権に対して、新自由主義に抗する反米政権という理由からも、その活動に期待を表明していた。最近は、マドゥロ政権の独裁ぶりへの批判に転じているが、日本共産党は「反米」「反新自由主義」にこだわる余り、チャベス、マドゥロ両政権の評価を首尾一貫したものとはしていない。前述したように、マドゥロ政権の混迷は、既にチャベス前政権の政策で準備されていたからだ。 また、経済評論家の上念司氏の指摘のように、日本の左派勢力が唱えるような「平和的な解決」を主張することは、ベネズエラ国民の生命を脅かし、実際に数多く奪っている状況のもとでは、独裁政権に利するものだと言っていい。 ちなみに、ここまで書くと、「安倍政権だって『財政ファイナンス』ではないか。日本銀行の信認が失われかねない」という皮相な見方が出てくると予想される。だが、日本の財政は「緊縮スタンス」で運用されてしまい、それが経済の安定化を成し遂げられない原因になっている。 むしろ、放漫財政に伴う経済悪化の心配よりも、緊縮財政による悪化の心配をすべき段階である。実際に、ベネズエラと大きく違い、今の日本のインフレ率は0%をわずかに出たぐらいだ。急激にインフレ率が加速する心配もない。 なぜなら、中央銀行が為替レートに振り回される状況ではなく、国内の経済状況を分析した上で2%のインフレ目標を採用し、運用しているからだ。急激なインフレが起きない仕組みが採用されているのである。2019年2月、国会で記者会見する共産党の志位委員長 もっとも、このインフレ目標を日銀が採用する前まで、日本ではベネズエラと逆に「円高シンドローム」という状況に置かれ、デフレ不況が続いていた。今思えば、情けない限りである。しかも、今秋に予定されている消費税率10%への引き上げは、日本の経済政策の失敗を再び引き起こしかねない。ベネズエラと同様に、日本でも経済政策が失敗すれば、また「失われた20年」に逆戻りしてしまうだろう。 ベネズエラとブラジルの国境では、援助物資を受け取ろうとした民衆に、政権側が発砲して死傷者が出た。郵便学者の内藤陽介氏が指摘するように、このような民衆への発砲は、およそ貧困層への共感をもとにして生まれた政治体制とは思えないものだ。 日本国内でも「反米」や「反新自由主義」というイデオロギーで、この独裁政権の振る舞いを、事実上肯定する人たちもいる。一方で、独裁政権も「反米」などの旗印で、自分たちの経済政策の失敗を隠そうとするだろう。そこに政治イデオロギーの持つ本当の恐ろしさがある。■ 消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

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    松坂大輔の右肩を「破壊」したファンの妙な親近感

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) ファンの「暴走」により、スポーツ選手やアイドルが危険な思いをしたり、実際に負傷する事件が続いています。最近では、中日の松坂大輔投手がファンに腕を引っ張られるという「事件」がありました。 「事件」はファンサービスで花道を歩いている最中に起きました。松坂投手はその影響で古傷を抱える右肩を痛め、キャンプからの離脱を余儀なくされました。結局、右肩の炎症だとわかり、2週間程度はボールを投げないノースロー調整となり、万全の状態での開幕1軍は絶望的となってしまいました。 ファンは松坂投手をけがさせようと思っていたわけではないかもしれません。わざわざ時間を作って出向くわけですから、応援したい気持ちももちろんあったことでしょう。 しかし、結果としては、松坂投手と中日にとって大損害を与えることになってしまいました。ファンはなぜこのような行動を取ってしまったのでしょうか。本稿では心理学の視点から考えてみましょう。 私は、このたびのファン心理には松坂投手に対する「妙な親近感」があったのではないかと考えています。その感覚を抱いたわけには、大きく三つの心理学背景が考えられます。 まず、一つ目は「単純接触効果」です。これは、人が全般的に持っているものであり、単純に目にする機会が多いだけで親しみを覚えやすいという現象です。心理学では繰り返し確認されている効果です。2018年4月、日本球界復帰後初となる勝利を挙げ、お立ち台で笑顔を見せる中日・松坂 「平成の怪物」と呼ばれる松坂投手のように、高校卒業後のルーキーから20年来にわたって活躍していると、ファンにとっての親近感は絶大になっているでしょう。そして、多くの場合で、心理的な距離は物理的な距離に反映されます。熱心なファンは物理的に近づくことを自然に感じることでしょう。カギ握る「群集心理」と「匿名性」 ただし、親近感に畏敬の念のようなものが伴う場合は、逆に近づくことを遠慮する場合もあります。尊敬の対象であれば、心理的な距離の近さと遠慮で物理的な距離が相殺されて、程よい距離感にいたはずです。 スポーツ選手やアスリートは私たちにはない特殊な能力があるから、選手でありアスリートなのです。本来であれば尊敬の対象になるはずですが、なぜ遠慮のない距離になってしまったのでしょうか。 遠慮のない距離のカギを握るのが、「群集心理」とそれに伴う「匿名性」です。群集心理とは、周りの群衆の影響を受けた個人が、自らの考えや判断ではなく、安易に場の雰囲気に流されてしまう現象です。 人は社会を作るために「同調」という能力を獲得しました。このおかげで組織だった行動が取れるのですが、場の雰囲気が正しくない方向に向かっていても、逆らえずに流されてしまうのです。 誰かが選手を尊敬しない雰囲気を作ってしまうと、その雰囲気が場を支配します。同調の効果で心はその雰囲気に逆らえません。 こうして、本来は尊敬しているはずの選手に対して、遠慮のない態度が作られるのです。また、群集心理では責任が群衆に分散され、自己責任を意識しなくなります。「自分」というものが隠されている「匿名性」が高い心理状態の中で、無責任な行動に出てしまいやすいのです。2019年2月9日、集まったファンにサインする中日・松坂 最後に、「誇大自己」の影響も考えられます。誇大自己とは「自分は素晴らしい」「自分はすごい」という錯覚です。私は「殿様錯覚」とも呼んでいます。錯覚に酔うのは「気持ちいい」 この錯覚に酔いしれると私たちは高揚した心理状態になってとても気持ちいいのです。この気持ちよさに酔いしれてしまうと、癖になります。 ただ、現代社会で、私たちは誇大自己に浸るチャンスを簡単にはもらえません。競争も厳しく、格差社会も広がる中で、私は錯覚に酔いしれるチャンスに飢えている男性が増えているという考察をしてきました。 そして、スポーツは誰もが評論家気分を味わえるチャンスです。その中で一部のファンの中には「『上から目線』の偉そうなだけの評論家」となって、誇大自己の錯覚を楽しむ方もいるようです。 誇大自己は、人を卑下すればするほど風船のように膨らんで、ますます気持ちよくなるという性質を持っています。ファンとしてはあってはならないことですが、その中で選手を卑下するような態度が作られてしまいやすいのです。 このように、単純接触効果、群集心理と匿名性、誇大自己がファンの中で重なると、妙な親近感が生まれてしまい、遠慮のない、そして危険な行動に結びつく可能性が考えられます。 私の理解では、ファンとは憧れの対象を尊敬するものです。尊敬したい思いのあまり、残念なところにも注目することはあるかもしれませんが、それが卑下する態度になってはいけません。「ここが惜しい」、「これがもったいない」という思いで時には厳しいことを言うのは愛情の裏返しではありますが、尊敬する思いをなくしてはいけません。室内練習場に移動する車に乗り込む中日の松坂=2019年2月11日、北谷公園野球場(甘利慈撮影) 例えば、ジャニーズ事務所所属のアイドルを応援する人たちの間では、先輩ファンが後輩ファンにマナーを教える文化が根づいているようです。このような文化を窮屈に感じることもあるようですが、日本にファンの文化、本当に応援する文化がますます根付くことを願っています。■ 「巨人軍は非情なのか」長野と内海、功労者を放出した意味■ 「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか■ 巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件