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    消費増税「どえらいリスク」の真犯人

    日本経済の景気減速が顕著になり、10月に実施予定の消費税率10%への引き上げに黄信号が灯った。首相は最終判断を4月中にも行うとみられるが、かたや日本銀行の黒田東彦総裁は古巣の財務省に忖度し、増税を「援護射撃」する構えをみせている。「どえらいリスク」の真犯人は、やっぱりあなたです。

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    黒田総裁はやっぱり日本経済の「どえらいリスク」だった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本経済の景気減速が顕著になる中で、10月に予定されている消費税率10%への引き上げに対する懸念が増している。他方で「消費増税応援団」の活動も活発化してきている。 その中で最大の主役の一人、日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁の消費増税「応援発言」がまたもや出てきた。日銀の岩田規久男前副総裁「告発の書」といえる『日銀日記』(筑摩書房)には、メインテーマとして前回2014年の消費増税の「主犯」黒田総裁への批判が取り上げられている。 これは14年の8%増税の実施前に、内閣府が13年に開催した消費増税の集中点検会合で、黒田総裁が「どえらいリスク」と発言した有名なエピソードに基づくものだ。消費増税を行うかどうかの重要なタイミングで、消費増税を先送りした場合の金利急騰を「どえらいことになって対応できないというリスク」だと指摘したのである。 要するに、黒田総裁は消費増税を先送りすると、国債が暴落し、財政危機が生じるという見方を披露したのである。この「どえらいリスク」論は、当時の政治的な文脈において相当な影響を及ぼした。 なぜなら、2013年はアベノミクスの効果が、日銀の大胆な金融緩和により、その効果がてきめんに表れていた時期だったからだ。つまり、アベノミクスの骨格を担う中心人物の「警鐘」が、安倍晋三首相の増税判断にも大きな影響を与えたと思われる。2017年3月、金融政策決定会合のため、日銀本店へ入る岩田規久男副総裁(当時、代表撮影) 当時、マスコミと経済学者やエコノミストの圧倒多数が、消費増税の影響は微々たるものであり、むしろ増税による財政危機の回避などで、やがて消費が回復するとさえ主張していた。それがいかにデタラメだったのか、日本で生活していれば自明であろう。 もちろん、事実を素直に受け取れない人たちは、なぜかアベノミクスの失敗、つまり金融緩和政策の失敗と問題をすり替える。実際には、消費増税の影響で金融緩和の効果が著しく減退したのである。意味不明な「日銀文学」 そんな前回の消費増税の悪しき主犯である黒田総裁が、3月15日の金融政策決定会合を受けた記者会見で、またもや消費増税を「援護射撃」し始めたのである。本当に露骨なほどである。黒田総裁が「所得と支出の好循環が続いていく従来のシナリオに変更はない」と強調することで、日銀の追加緩和に対する圧力をかわすためとの見方が強いとられている。 今回の会合の決定内容を読み解くと、国内外の景気の行方については「日銀文学」らしいどうでもいい表現の修正は見られるが、要するに、大枠で現状の「好循環」が続くというのが委員の過半の判断のようである。それを主導したのは、紛れもなく黒田総裁であろう。 現在の黒田総裁が恐れるシナリオは、「国内外の景気減速が鮮明」→「日銀が追加緩和」→「景気減速を懸念した消費増税回避の大合唱の出現」→「消費増税凍結」という動きだろう。消費増税するかどうかの「最終判断」を、まだ安倍首相はしていないからだ。 筆者は4月中に決断すると予想している。仮にこの予想が正しければ、この3月の決定会合では、ともかく追加緩和だけは避けたかったに違いない。 おそらく、日銀の中でも景気見通しで論争があったことだろう。それで日銀文学的には、今までのバラ色の「好循環」シナリオが、少しだけくすんだ色になった「好循環」シナリオに置き換わったに過ぎない。国内外ともに経済の見通しが「緩やかになった」などという表現がそれである。 何が「緩やか」なのかさっぱり分からない、まさに文学的な表現である。しかし、そんな日銀文学の攻防戦など国民にとってはどうでもいいことだ。むしろ、この段階での追加緩和を回避したことは、黒田総裁にとって「大成功」と言えるかもしれない。2019年2月、衆院予算委で答弁する日銀の黒田総裁。右端は安倍首相 次回の決定会合は4月下旬に行われる。この時までに安倍首相は、消費増税の最終判断をしている可能性が高い。もしまだ行っていないのであれば、日銀が追加緩和するか否かが、重要な判断材料になる。 いずれにせよ、消費増税の最大の戦犯である黒田総裁の発言と行動には、国民の注視と批判が必要である。中国政府の「代理人」 ところで、日本経済の今後の動向は実際にどうなるだろうか。これは一般の人でもかなりの精度で分かる方法がある。いわゆる「イワタ式景気予測方法」というものだ。これは岩田前副総裁が提唱した景気予測の手法である。 内閣府がホームページ上で公表しているコンポジット・インデックス(CI)という景気動向指数がある。このCIには景気の動きに先行して反応すると考えられる先行系列、景気の動きに合わせる一致系列、さらに景気の動きに遅れて反応する遅行系列の三つに分けられる。 CIは景気の強弱を定量的に計測しようというもので、いわば景気の勢い(景気拡張や景気後退の度合い)を伝えるものだ。例えば、今後世界経済の減速がどのくらい日本経済を悪化させるのか、その度合いを予測するのに使える。 「イワタ流景気予測法」は、このCIの先行系列の6カ月前・対比年率を景気予測で重視している。筆者も経済予測ではしばしば参照にしている。 黒田総裁や日銀の公式見解では、中国経済など世界経済は年後半から回復するという予測を行っている。しかしその根拠は、「中国政府がちゃんとやるだろう」という、楽観的というよりも、まるで中国政府の「代理人」のような予測に基づいているだけである。 そこで、イワタ式景気予測をしてみると、ここ半年余りのCIの先行系列の6カ月前・対比年率は以下の通りになる。例えば、2019年1月のイワタ式指数は、2019年1月のCIの先行系列と、その半年前の2018年7月のCIの先行系列との増減を計算したものである。 このイワタ式予測法では、昨年の後半から現在までの経済悪化が鮮明になっていることがわかる。この主因は二つある。一つはもちろん「米中貿易戦争」や、米連邦準備制度理事会(FRB)の金融引き締めスタンスが大きく影響している。もう一つは、インフレ目標を絶えず先送りしている日銀の金融政策によってもたらされているといえるだろう。 黒田総裁が追加緩和を拒否している背景には、彼の在籍していた財務省の「増税主義」に対する政治的な忖度(そんたく)があるのではないか。今や黒田総裁と財務省こそが、日本の「どえらいリスク」なのである。■ 消費増税「3度目延期」首相が描くシナリオと布石■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

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    ピエール瀧、出演作品に罪はない?

    ミュージシャンで俳優のピエール瀧が、麻薬取締法違反容疑で逮捕され、出演するCMやドラマなどの自粛が相次いでいる。ただ、音楽家の坂本龍一は自身のツイッターで「音楽に罪はない」とつぶやき、この流れに一石を投じた。芸能人はイメージが売りとはいえ、本当に議論の余地はないのだろうか。

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    なぜイチローは引退しないのか

    イチローが7年ぶりにメジャーリーグ日本開幕戦の舞台に立つ。45歳のプレーに日本のファンの注目が集まるが、オープン戦での絶不調に「営業優先」「引退」の声も聞こえてくる。このままでは晩節を汚しかねないが、それでも「最低50歳まで現役」と豪語するレジェンドの心理とはいかなるものか。(写真は共同)

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    今季絶不調でもイチローが「引退勧告」に耳を貸さない理由

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) 12試合で25打数2安打、打率0割8分。これは今季開幕戦を控えたマリナーズのイチロー選手のオープン戦成績です。3月20、21日に東京で行われる米メジャーリーグの開幕戦メンバーとして来日したイチロー選手ですが、オープン戦の結果を受けて、開幕戦出場に疑問の声が上がっています。 イチロー選手は既に一時代を築き、多くの人から尊敬を集めています。「無理に選手を続けて晩節を汚すよりも、引退しては…」という識者も増えてきているようです。 しかし、当の本人はというと、今のところ意欲しか口にしていません。どうやらイチロー選手は逆境で燃えるタイプのようです。本稿では、イチロー選手がどのようなメンタルでこの状況を楽しんでいるのか、心理学の観点から考えてみましょう。 まずは背景から整理してみましょう。そもそも、米国のリーグ戦なのに日本で開幕戦を行うことに、疑問の声が少なからずありました。 ただ、日本の野球ファンにとっては超一流のゲームを体感できる貴重なチャンスです。日本も野球の一流国の一つであり、そのリスペクト(尊敬)もあるからこそ日本で開幕戦を行う意義が見いだせるとも言えます。 特に、今回は日本が生んだレジェンド、イチロー選手の7年ぶりの「凱旋(がいせん)」でもあります。日本の野球ファンにとっては「お祭り」の意味もあり、大きな期待を集めています。実際、マリナーズのスコット・サービス監督も日本開幕カードでイチロー選手の出場を示唆し続けてきたので、大いに盛り上がることが期待されていました。2012年3月、日本開幕戦の一回にフラッシュを浴びて打席に立つマリナーズ・イチロー=東京ドーム(斎藤浩一撮影) しかし、オープン戦での絶不調が伝えられて風向きが変わります。今季のイチロー選手はマリナーズとマイナー契約を結び、キャンプとオープン戦には招待選手として臨んでいます。ここで開幕戦への出場にあたり、誰もが納得する結果を出していれば、日本のファンも米国のファンも活躍を楽しみに、素直に応援できたことでしょう。「営業優先」批判も ただ、オープン戦では先述のような残酷な結果に終わってしまいました。打率も1割を切っている状況もさることながら、何より3月1日を最後に、18打席連続で安打が出ていません。 調子が上向いている気配すら感じさせないのです。その中で「イチロー選手は開幕戦でも快音を響かせることなく終わるのではないか」と心配する声が上がるようになりました。 イチロー選手は昨年5月に球団の「会長付特別補佐」に就任し、一度は事実上のフロントメンバーにもなりました。その中で現役にこだわって選手を続けることは素晴らしいチャレンジです。 しかし、結果が伴わず、期待を裏切り続けてしまうと、チャレンジとしては素晴らしいかもしれませんが、「物語としては美しくない」と感じる人も増えてしまうことでしょう。実際、米メディアの中には引退を「勧告」するコラムニストもおり、今季のイチロー選手の評価には賛否が分かれています。 また、スポーツマンシップの観点でも厳しい目が向けられています。スポーツの競技会とは才能あふれるアスリートたちがしのぎを削り、厳しい競争に勝ち抜いて初めて出場できる栄光の舞台です。 キャンプやオープン戦でイチロー選手以上の結果を出しながら出場できない選手がいたとしたら、「営業優先でスポーツマンシップを蔑(ないがし)ろにしている」と批判されても仕方がないでしょう。批判の対象は球団や監督だけでなく、出場するイチロー選手にも向けられかねません。 尊敬されていた大選手がスポーツマンシップを蔑ろにした誹(そし)りを受ける。仮にこんな事態になったとしたら、ある意味で悲劇でしょう。インディアンスとのオープン戦の五回、空振り三振に倒れるマリナーズ・イチロー=2019年3月、米アリゾナ州ピオリア(山田俊介撮影) 一方でイチロー選手は、引退を考えていない発言を繰り返しています。昨年のマリナーズ入団会見では「最低50歳までプレーしたい」と意欲を示し、今年公開された動画でも「できないと思っている人々をギャフンと言わせたい」と述べています。つまり、プロフェッショナルとしての意欲は全く衰えていないようです。日本人には少数派 晩節を汚すリスクを抱える一方で、一向に衰えないプレーへの意欲を隠さないところを見ると、今の「逆境」を楽しんでいるようにも思えます。筆者はこのイチロー選手に「生粋のチャレンジャー(natural born challenger)」のメンタルを見ました。 実は「チャレンジ精神」とは、ある程度持って生まれたものなのです。そして、持って生まれてしまった人はチャレンジにしか自分を見いだせないことが多いのです。 このタイプの人はまず大きな困難に直面したときに不安になるのではなく、逆にワクワクします。「何が起こるんだろう」「何ができるんだろう」が「不安の言葉」ではなく、「ワクワクの言葉」になるのです。日本人には少数派だと言われています。 そして、慣れ親しんだものでは満足できません。常に新しい「何か」を求め続けます。常に成功だけでなく仮に失敗して何も得られないことがあったとしても、何かを求め続けるのです。 また、このメンタルの持ち主は頑固でマイペースでもあります。もちろん、普段は社交的に振る舞えるわけですが、自分が求めている物事に関して、人の意見や助言は受け付けません。誰も彼の決意は変えられないのです。2016年6月、パドレス戦の九回にメジャー歴代最多安打記録を更新、ファンの声援にヘルメットを取って応えるマーリンズ・イチロー(リョウ薮下撮影) イチロー選手はこのような生粋のチャレンジャーの要素を全て併せ持っているように、筆者には見えます。ですから、周囲がどれほど心配しても、イチロー選手の中にはこの状況を楽しむ何かが失われることはないでしょう。 周囲の心配や批判をよそに、イチロー選手は開幕戦で快音をとどろかせることしか考えていないことでしょう。心配も懸念も、オープン戦で活躍できなかったことで招いたものです。 逆に言えば、開幕戦で活躍すれば、周囲の雑音一掃できるわけです。イチロー選手のメンタルは、もはやその準備しかしていないように思えます。そんな「生粋の挑戦者」の日本でのプレーをぜひ応援したいですね。■「最低50歳現役」イチローの言葉は日本球界をナメている■清原とは正反対! イチローが42歳でも輝けるのは筋力に頼らないから■「さらば宝石」イチローとダブる伝説の天才打者「E」

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    韓国の裏切りには最強の「しっぺ返し戦略」で応じるほかない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 元朝鮮女子勤労挺身(ていしん)隊員らによる訴訟で、韓国大法院(最高裁)が三菱重工業に賠償を命じた確定判決を出したことを受け、原告側が同社の韓国内で保有する商標や特許権の差し押さえをソウル中央地裁に請求した。仮に、地裁が差し押さえを認めれば、新日鉄住金に続いて2社目になる。 また、報道によれば、原告側弁護団は、欧州でも同社の資産を差し押さえる検討に入ったとされる。昨年、徴用工問題でも同じく賠償判決が出ていて、資産差し押さえ請求の動きが続いている。 1965年の日韓請求権協定に反する韓国側の動きに対して、日本政府は当然協定を順守するように韓国側に外交ルートで要請しているが、全く反応がない。韓国びいきの論者には、日本を刺激しているのではなく、単に文在寅(ムン・ジェイン)政権が北朝鮮や中国に傾斜しているからだ、というおかしな理屈を持ち出す人もいる。いずれにせよ、日本と韓国の協調は崩れたままだ。 経済学には「ゲーム理論」という手法がある。ゲームといっても、将棋やチェスのような遊戯だけではない。現実の国家間の争いから私人間の戦略的な動きまで、幅広く分析する学問だ。この理論を応用することで、ノーベル経済学賞を受賞した学者も多い。 米国の政治学者、ロバート・アクセルロッドの『つきあい方の科学』(1984)は、このゲーム理論の中で興味深い分析を提示した。さまざまな戦略の中で最強の戦略が、いわゆる「しっぺ返し戦略」だというのである。 では、最強と言われる「しっぺ返し(Tit for Tat)戦略」とは、どのようなものだろうか。初め、二人のゲームのプレーヤーが協調しているとする。2回目からどんな手番を採用するかは、「協調」でも「裏切り」でも、相手と同じ出方を採ることが、最も両者にとって望ましいという戦略の在り方である。 例えば、日韓請求権協定の下で、日本と韓国は一応「協調」してきた。しかし、文政権が成立すると、韓国は「裏切り」を選んでしまった。それに対して、日本もまた「裏切り」を選ぶことは、長期的な利害を重視するならば最適な戦略となるのである。 政治的にはかなり「タカ派」のように思えるかもしれないが、現実の日韓関係を考察すると、この「しっぺ返し戦略」はかなり有効に機能するのではないだろうか。慰安婦問題で合意を見たはずの「最終的かつ不可逆的な解決」も、韓国側が完全に「裏切り」行為をしたことは言を俟たない。2019年2月、三菱重工本社を訪問した元徴用工訴訟の原告側代理人弁護士(右)ら(宮崎瑞穂撮影) おそらく、韓国政府は「歴史問題」を、国内政治の人気取りや、北朝鮮や中国との関係構築のカードとして、今後も使い続ける可能性が大きい。ならば、そのような「裏切り者」に対して、この「しっぺ返し戦略」を日本が採用する価値は一層高くなったはずだ。 実際、日本国内でも「しっぺ返し戦略」採用に向けての動きが出始めている。まだ、報道レベルだが、上記の差し押さえ請求を契機にして、韓国の多数の輸入品に対する関税引き上げを実施する対抗措置を、日本政府が検討しているという。裏切りへの「協調」こそ愚か さらに、一部の政治家や識者からは、韓国国民のビザ(査証)発給制限や韓国内における日本資産の引き上げなども指摘されている。いずれも日本側に経済的損失が出る可能性があるが、それでも長期的に日韓関係が安定化するなら帳尻は十分に合う。短期的にはタカ派の行動に見えても、長期の平和を望むための有効な方法なのである。 今こそ「しっぺ返し戦略」を採用する好機だと、筆者は思っている。国際的にも韓国政府の不公平な対日姿勢を積極的にアピールする必要がある。 日本を「歴史」の奴隷のように処する姿勢と、北朝鮮という独裁国家の「エージェント」と化した文政権のやり方を、併せて世界に告知する必要があるだろう。そのためには一定の予算化が必要だ。 もちろん、これは政治や経済的関係だけではない。安全保障面でも採用できる方法だ。 レーダー照射問題以降、防衛を巡る日韓関係も「しっぺ返し戦略」の観点から再考すべきである。今の岩屋毅防衛相や自衛隊の幹部には、なぜか韓国との防衛交流を急ぐ姿勢が強い。 だが、そのような韓国の「裏切り」に対する「協調」は、最も愚かしい戦略と言わざるを得ない。過去の韓国政府の出方を分析する限り、この戦略の甘さが、韓国軍も同様に「裏切り」を続ける土壌を生み出す背景にあるのではないか、と不安である。 「裏切り」の兆候は既に明らかであろう。7閣僚が交代した3月8日の文政権の内閣改造でよく分かる。 この改造では、対北朝鮮政策で慎重な姿勢をみせていたと評価される趙明均(チョ・ミョンギュン)統一相を事実上更迭し、代わりに北朝鮮への制裁解除を強く志向する金錬鉄(キム・ヨンチョル)氏を登用した。他の閣僚は、外交関係も安保関係も留任であり、いわば「北朝鮮傾斜」「日本軽視」の方針を引き続き採ることを内外に示したといえる。2018年5月、第6回日中韓ビジネス・サミットに臨む(左から)韓国の文在寅大統領、安倍晋三首相(斎藤良雄撮影) ベトナムの首都、ハノイで行われた米朝首脳会談に関して、文政権は「北のエージェント」外交を展開したが、会談決裂とともに失敗に終わった。もちろん、外交や安保関係の閣僚続投が、これらの政策の失敗を国内外に印象づけるのを避けるためという見方もできるだろう。いずれにせよ、日本に対する「裏切り」姿勢に今後も変化はないだろう。 それを助長しているのは、相手が「裏切り」行為をしても、愚者のように「協調」路線を堅持する、日本側の非合理的な姿勢にある。日本政府は、経済面での制裁、そして防衛協力の見直しをワンセットで韓国に提示し、「しっぺ返し」戦略への転換を急ぐべきである。

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    女子ゴルフ放映権、ネット中継は露骨な「性表現」を助長しかねない

    飯田豊(立命館大産業社会学部准教授) 女子プロゴルフの放映権問題に関して、放映権の一括管理を目指す日本女子プロゴルフ協会(LPGA)の小林浩美会長の姿勢に対して、民放テレビ局が猛反発している。昨年12月には日本テレビが系列局主催の3大会中止を発表する事態に発展した。結局1月に撤回されたが、ツアー開幕直前の2月末にも、民放各局の社長が相次いで放映権問題に言及し、来季の放送断念を示唆するなど、一層混迷が深まっている。 筆者は対立している双方の内部事情を知る立場ではない。だが、LPGAにとっては、これが長年の懸案であったことは間違いないようだ。例えば、『週刊東洋経済』2010年5月15日号では、当時の樋口久子会長がこの問題に触れている。 LPGAは現在、公式競技を除くと、テレビ局から放映権料をもらっていない。米国の男子プロツアーは高額の放映権収入で潤っているが、日本の場合は「トーナメントを行うから放映してください」という「お願いベース」で始まったからだ。そこが米国との大きな違い。日本にはテレビ局が主催するトーナメントも多く、放映権を巡る対応は今後の検討課題と考えている。 放映権の所在がずっと不明確で、曖昧な状況のまま半世紀以上も放送されてきたという経緯は、欧米とは異なる日本特有の、マスメディアとスポーツとの密接な結びつき方と無関係ではない。iRONNAには年初に、箱根駅伝について寄稿させていただいたが、このとき焦点を当てたのも、マスメディア企業体が主催し、自ら積極的に報道する「メディア・イベント」としての特性だった。 女子プロゴルフの放映権問題は、日本独特のメディア・イベントの伝統と、インターネットの普及に伴うグローバルスポーツのビジネス再編との間で、齟齬(そご)が大きくなっている表れといえるだろう。 繰り返しになるが、これは決して新しい問題ではない。『週刊東洋経済』の記事をもう一つ紹介すると、約10年前の2009年10月13日号には、実業家の成毛眞氏が「テレビのゴルフ中継にモノ申す」というコラムを寄稿しており、プロゴルフの放映権問題に触れている。 「僕が怒っているのは、プロゴルファーに放映権料が入らないことではない。タダなのに放送時間が短いことなのだ」と述べ、成毛氏は録画放送の物足りなさを指摘している。「テレビはもはやライブメディアとしての役割も商売も放棄したよう」で、「既存メディアがその役割を放棄して自滅するのは一向に構わないが、ネットの前に立ちふさがるのだけはやめたほうがよい」。正論である。女子プロゴルフツアー開幕戦2日目、単独首位に立った比嘉真美子。放映権問題ではプレーヤーズ委員長(当時)として選手側の立場を訴えた=2019年3月、琉球GC もっとも、10年前と状況が決定的に異なっているのは、放送局にとってもインターネットはもはや「未開の荒野」ではなく、対立的というよりも補完的な関係が形成されているということだ。例えば近年、テレビを主戦場とする芸能人や制作者が、地上波では社会的に容認されなくなった過激な企画や演出をネット動画で実践するという展開が散見される。 放映権問題をめぐっては、「テレビ=録画放送、ネット=生配信」という二項対立が議論の前提となっている。だが、メディアの形式が変わるということは、単に同時性の有無だけでなく、女子プロゴルフの魅力の表れ方にも少なからず影響を与えることになるだろう。ネット配信に潜む「視線」 どういうことか。結論を急がず、別の女子スポーツを事例として、歴史的な補助線を引いてみたい。 日本では第2次世界大戦後間もなく、女子プロ野球チームが設立され、一時的に人気を博していた。メディア史研究者で早大の土屋礼子教授によれば、その背景には1946年創刊の日刊スポーツによる強い後押しがあったという。 男子の高校野球や社会人野球、プロ野球は既に朝日新聞や毎日新聞、読売新聞といった全国紙と強く結びついていて、戦後の新興勢力であるスポーツ新聞が新たに入り込める余地は小さい。そこで日刊スポーツは、戦前のアマチュアリズムを尊ぶ日本的野球道ではなく、明るく華やかなショービジネスとしての野球を意識した宣伝方法で女子プロ野球を盛り立てたのである。 1950年に日本女子野球連盟が結成され、加盟4球団によって記念試合が行われた。だが、ライバルスポーツ紙は女子野球を露骨に皮肉り、多くの新聞や雑誌も見せ物的な興味に基づいて、これを取り上げたという。 新聞と雑誌は、一斉にこの女子プロ野球最初の公式試合を報じたが、その取り上げ方は大きく二つに分かれた。一つはまともな女性のスポーツとして、まじめな女性の職業として、女子プロ野球を真剣に論じ育成しようという態度であり、他方は、女子野球はしょせん「腕より顔」であり、「お色気六分技量四分」の見せ物であるとする見方である。(土屋礼子「創刊期のスポーツ紙と野球イベント ―女子プロ野球と映画人野球」『戦後日本のメディア・イベント 1945-1960年』世界思想社、2002年) 女子プロ野球を「健全なスポーツ」として育成するのか、あるいは見せ物的な視線を甘受し、「華やかなショービジネス」として展開するのかという基本路線の違いは、選手や球団の間に不協和音をもたらした。結果的に、日刊スポーツによる手厚い支援にもかかわらず、女子プロ野球は2年足らずの短命に終わった。 このことを踏まえて、女子プロゴルフに話を戻そう。健全なスポーツとしての魅力と、ショー的見せ物としての魅力は、必ずしも良い意味ではなく、今日の女子プロゴルフにも併存している。 というのも、中高年男性向けの総合週刊誌には、女子プロゴルフ選手に関して、露骨な性的表現を含むセクシズム(性差別)やルッキズム(外見至上主義)がはびこっていて、一部のネットメディアもこれに同調しているからだ。むろん、テレビの情報番組やバラエティー番組においても、雑誌ほど露骨ではないにせよ、女子プロゴルフの扱いに対して、こうした視線が潜んでいることが珍しくない。2019年3月2日、女子プロゴルフツアー開幕イベントに参加した日本女子プロゴルフ協会の小林浩美会長 仮に、LPGAが放映権を一括管理し、有料動画配信を行う業者に販売することになったとしたら、こうした現況にどのような変化が生じるだろうか。テレビだからこそ抑制されていたセクシズムやルッキズムを、図らずも助長することにはならないだろうか。 逆にLPGAが主導権を握ることによって、プロスポーツとしての魅力をさらに高めることに寄与できるだろうか。こうした点も視野に入れて、建設的な議論を望みたい。■松坂大輔の右肩を「破壊」したファンの妙な親近感■プロアマ騒動、片山晋呉も悪いがそれだけじゃない■日本人には高すぎたミドル級の壁、それでも村田諒太なら超えられる

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    元AKB篠田麻里子「玄米婚」を深読みして分かった2つの思惑

    辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 「ビビビ婚」「授かり婚」「シニア婚」…いろいろな結婚のネーミングがありますが、意表を突かれたのは元AKB48、篠田麻里子さまの「玄米婚」。元同グループの小嶋陽菜(こじはる)がTwitterで「玄米。。。」とつぶやいたことでも話題になりました。こじはるは、その後「わい白米派」と書き込んでいて、ストイックな生活とは無縁そうな彼女のキャラクターと白米のイメージがマッチしていて良かったです。しかし麻里子さまの「玄米婚」は、ブランディングとしてなかなか巧妙だと感じ入りました。 「彼とは2度友人を交えて食事をする中で、玄米を食べて育ったところや、理想の家族像、将来像などの共通点が驚くほど多く、お互い素の自分でいられることでお付き合いをしてもいないのに結婚ということを自然に意識することができました。『一生一緒にいたい』と心から思えた方です」 というのが麻里子さまのコメントの一部です。「玄米婚」でありながら最近話題の「交際0日婚」(プロポーズを受けてからしばらく付き合ったようですが)。相手の方は、3歳年下の会社経営者です。バラエティー番組『プレバト!!』に出演した彼女は「(相手は)美容室の経営とIT事業をやっています」と明かしています。 またITですか…そんな思いを抱く人も多いかもしれません。そして一般男性と言いながら確実にセレブです。 白米派のこじはるも、高級タワマンに住むIT企業のイケメン社長と交際しているとされます。『週刊文春』(2月28日号)によると、一緒にハワイに行ったり、カリフォルニアのコンドミニアムに滞在したり(そして宿泊代を値切ったり)と悠々自適なバカンスを楽しんでいるとか。 IT社長と交際といえば、女優の方々も思い浮かびます。ライブ配信アプリ「SHOWROOM」のやり手イケメン社長、前田裕二氏と交際している石原さとみ。女優・石原さとみ=2018年7月24日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影) そして月に行く発言や100万円ばらまきで話題になったZOZOTOWN前澤友作社長と剛力彩芽。ベントレーでデートしたりプライベートジェットでサッカー観戦に行ったり、ゴージャスな交際を繰り広げています。 深田恭子は不動産会社会長と交際。週刊文春にこの会長の2度の離婚暦や破産、「刺青」についての記事が掲載されました。老婆心ながら気がかりです。 相武紗季や伊東美咲、菊川怜、観月ありさなど、会社経営者と結婚した女優も多いです。「玄米婚」二つの意図 ファンにとって、推しの女優やアイドルが社長と結婚すると、遠い存在になってしまう反面、心配な部分も多いことでしょう。アグレッシブな社長は、生命力が旺盛なあまり不倫や浮気、婚外子などが判明することも…。ギラギラしている成功者は敵も多そうです。   しかし、ここへ来て現れたのが「玄米婚」の篠田麻里子。インスタグラムにアップされた、2人のツーショット写真を見る限り、(目の部分が隠されていますが)夫はあまり玄米っぽくない印象です。おしゃれなヘアスタイルで、ヒゲに世慣れた雰囲気が漂い、玄米というよりトルティーヤとか食べていそうな…。でも、今風のルックスと玄米を食べて育ったというギャップが良いのでしょう。 美容やITに漂う業界臭を、玄米のストイックな匂いが打ち消してくれます。社長と結婚した、という事実よりも、「玄米婚」というフレーズの方がパワーワードとして記憶に残ります。社長のギラギラ感も中和されます。そして素朴でまじめで良い人っぽいイメージになります。 AKB時代、自分の意志を強く持っていたとされる麻里子さまなので、人の印象をコントロールする術も体得しているのがさすがです。「雑穀米を食べて育った」だとあざといし、「胚芽米」だとこだわりが強そうです。「発芽玄米」「寝かせ玄米」だとマニアックすぎます。ただ一言「玄米を食べて育った」と書くのが絶妙です。 玄米は美容や健康にいいと言われていて、意識の高い芸能人が食べています。有名なのがローラ、吉瀬美智子、綾香など…。ビタミンやミネラル、食物繊維が豊富で、GI値(血糖値が上がる速度)が低い玄米にはさまざまな効果があるとされています。トークショーに出席した篠田麻里子=2014年2月21日(宮田剛撮影) しかし、毎日食べ続けるのは体に負担がかかるという説もあります。無機ヒ素や残留農薬が含まれていると言われていたり、固い殻で覆われているぶん、消化に悪いとも。胃腸が弱い人は、よほど元気な時じゃないと玄米は食べない方が良い、と専門家に聞いたことがあります。 「玄米を食べて育った」という麻里子さまと結婚相手は、もしかしたら生まれつき胃腸が強いのかもしれません。お互いの食生活の好みについて話しているうちに、玄米食の話から健康状態をチェックし合っていたのでしょう。 やはり添い遂げるためには、お互いの健康状態は重要です。そして夫には経済力だけでなく体力も求めていきたいです。「玄米婚」は、「玄米を消化できる体であることを確認」という意味もありました。麻里子さまは、体が頑丈で稼いでくれる、良い夫を見つけたようです…。

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    米朝決裂もアベガー 「日本軽視」韓国より重視すべき隣人

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2月27、28日にハノイで行われた米朝首脳会談が決裂したことは、世界を驚かせた。筆者も驚きに変わりはなかったが、他方でこれは日本の国益にとっては良かったと理解している。 交渉決裂をめぐっては、米国側と北朝鮮側で異なる二つの主張が出てきている。トランプ大統領側は、北朝鮮が完全な非核化を拒否し、制裁の全面解除を求めてきたことが交渉決裂の原因だとした。 他方で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長側は、解除を求めたのはあくまでも民生分野の一部だと主張した。北朝鮮側は、国内で会談の「成果」を喧伝(けんでん)しているようだが、それは単なる体制のメンツを保つため以外のなにものでもない。 わざわざ国のトップが直接交渉をして、それで具体的な成果が上がらないのだから、どちらも都合のいいことを言わなければ政治的失点になる。そのため、両方の言い分を鵜呑みにはできない。 ただ、仮に交渉がまとまったとしても、それは具体的な中身に欠けるものだったろう。相変わらず、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)以外の核施設を利用して長距離核兵器の開発を進めただろうし、日本を射程に収める中距離核兵器の廃棄も全く進展しなかったろう。 もちろん、前回の米朝首脳会談後の展開を考えても、この2回目の首脳会談を契機にして、拉致被害者の救済が劇的に進展する可能性も低かったのではないか。この交渉がたとえまとまったとしても、日本はもちろん、米国にも具体的な成果などなかったろう。2019年2月27日、ハノイで会談に臨むトランプ米大統領(左)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(ロイター=共同) このことは以前から、筆者の出演するラジオ番組などで何度か指摘したことでもある。要するに、交渉がまとまっても日本の国益に資するものが見えない。「米朝融和」という国際的キャンペーンの中で、北朝鮮による日本への脅威と犯罪行為は続いたことだろう。韓国でも「アベガー」 私見では、北朝鮮が核開発を放棄するというのはフェイク(嘘)だ。そもそも寧辺以外の核施設を話題に出したのは、米国側からである。つまり、北朝鮮側は核開発の継続を隠していたことになる。合理的な交渉者ならば、トランプ氏でなくても交渉の席を立つだろう。 さて、今回の交渉決裂は、韓国の政治家たちの「本音」も暴いてくれた。韓国野党、民主平和党の鄭東泳(チョン・ドンヨン)代表は、自身のフェイスブックで「交渉決裂の裏で、安倍(晋三)首相の影がちらつく」と日本政府をいきなり批判したのである。 「安倍首相の影」がどのようなものか分からないが、よく日本でも見かける「何でもかんでも安倍首相の責任」という論法に似ている。それはともかく、韓国にとっては、文在寅(ムン・ジェイン)政権だろうが野党だろうが、この交渉決裂が大きな損失になるのは間違いない。 私見では、今回の交渉決裂により、北朝鮮は何の成果も挙げられなかったことで最大の失点を被った。そして、同じぐらいに政治的なダメージを受けたのは、文政権だろう。 昨年の米朝首脳会談後を見ても分かるように、韓国の北朝鮮への傾斜はさらに強まるばかりだった。制裁解除のアピールは、いくつものチャンネルを通じて喧伝していたし、実際に韓国の「制裁違反」が国際的にも問題化していた。 しかも、文氏は北朝鮮との連合国家構想を抱いているとされる。もしこんな構想が実現化すれば、日本に敵意を持ち、核兵器を所有する非民主的な国家を隣国に誕生させることになる。日本にとって極めて懸念すべき情勢になるだろう。2018年4月、「板門店宣言」に署名後、共同発表に臨む韓国の文在寅大統領(手前)と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長(韓国共同写真記者団撮影) 確かに、1回目の米朝首脳会談後から、文政権の「日本軽視」は今までになく際立っている。徴用工問題については、昨年10月の韓国大法院判決以降、日本政府からの対応要求を全く無視している。「単なる経費の無駄遣い」 レーダー照射問題についても、韓国側は嘘に嘘を重ねている。東アジアの防衛をともに担う意志が極めて低下していると判断できる。 2日に発表された、朝鮮半島有事を想定し、毎年春に行ってきた米韓の大規模軍事演習の終了も、このような韓国の「北朝鮮化」を確認した上での米国側の判断だろう。トランプ氏ではないが、共同して北朝鮮に抗する意欲のない国との合同演習など「単なる経費の無駄遣い」でしかない。 ただ、韓国側の北朝鮮への傾斜は、今回の米朝の交渉決裂で大きく歯止めがかかるだろう。それは日本にとっては有利な材料になる。 そこで、日本は東アジアの安全保障を考える上で、台湾との関係を再考すべきではないだろうか。台湾の蔡英文総統は、安全保障問題に関する日本政府との対話要請と、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加意欲を産経新聞のインタビューで示した。その報道の直後、蔡氏は自身のツイッターに、日本語と英語の双方でこのインタビューの要旨を熱心に何度も投稿していた。 もちろん、現在の日本と台湾に外交上の関係はない。日本の政治家たちは、保守も左翼も台湾の政治に冷淡な人たちが大半である。 しかし、この蔡氏の提案は、台湾が直面している中国からの脅威を前提にしてのものである。日本もまた尖閣諸島(沖縄県石垣市)問題において、安全保障上の深刻な脅威を中国に抱いている。しかも、先述したように、韓国の「北朝鮮化」が止まらないのであれば、地域的脅威はさらに増加するだろう。蔡氏の提案を、日本政府が積極的に検討する環境にあるのではないか。2019年1月、台湾の総統府で海外メディアと記者会見する蔡英文総統(共同) 台湾は日本と同じ民主主義の国である。経済や文化での交流も以前から深い結びつきがある。台湾からのメッセージを前向きに議論すべき時が巡ってきたと言えるだろう。■ 「親日清算」も政治ショー? 文在寅はいずれ「歴史の罪人」となる■ 北朝鮮非核化の主導権を虎視眈々と狙う文在寅「逆転シナリオ」■ 「マイナス30度」に達した日韓関係はどこまで冷え込むか

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    「奴隷を売る日本人はクズ」少年使節の思い

    戦国時代末期、九州のキリシタン大名が派遣した「天正遣欧少年使節」がローマ教皇と悲願の面会を果たした。だが、この道中、4人の少年は寄港先で日本人奴隷の様子をたびたび目撃したという。「奴隷を売る日本人の方が罪深い」。少年使節の回想録にはこんな記述もあったという。彼らは異国の地で何を見たのか。

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    「奴隷を売る日本人が悪い」天正遣欧使節、千々石ミゲルのモヤモヤ

    渡邊大門(歴史学者) 前回、日本人奴隷の扱いについて、その経緯やイエズス会の対応を確認した。では、日本人のキリシタンは、ポルトガル商人による日本人奴隷の売買について、どのような感想を持っていたのであろうか。今回は一例として、天正遣欧少年使節の発言を素材にして考えてみよう。 キリスト教の布教と相俟(ま)って、日本からローマ教皇とイスパニア国王に使節を派遣することになった。イエズス会巡察使のヴァリニャーニョは、大友宗麟、有馬晴信、大村純忠らキリシタン大名に使節の派遣について提案を行った。これが、有名な天正遣欧少年使節である。こうして天正10(1582)年、伊東マンショと千々石(ちぢわ)ミゲルが正使に任じられ、原マルチノと中浦ジュリアンを副使として、同2月に長崎から出航したのである。 少年使節は長崎を出発すると、途中でゴア、リスボン、マドリードへと立ち寄った。天正12年11月、少年使節はイスパニア国王のフェリペ二世に謁見を果たした。この間、3年近くの時間がかかっている。今では考えられないほど時間を要した。 その翌年の天正13年3月になって、ようやく少年使節は念願であるローマ教皇、グレゴリウス十三世との面会を果たしたのである。ここまでの様子は、天正遣欧少年使節に関する多くの書籍で取り上げられている。 ところで、少年使節たちは旅の途中でさまざまな場所に寄港すると、日本人奴隷と遭遇することが度々あったという。こうした事態に接した彼らの心境は、いささか複雑なものだったようである。 日本人としてのアイデンティティーとキリスト教信仰との間で、随分と少年使節の心が揺れ動いた。その様子を少年使節の会話の中から確認しておこう(エドウアルド・サンデ『日本使節羅馬教皇廷派遣及欧羅巴及前歴程見聞対話録』より)。グレゴリウス十三世(ゲッティ・イメージズ) まず、問題になったのは、ヨーロッパの国家の間で戦争に至って捕虜になるか、降参した場合、それらの人々はいかなる扱いを受けるのかという疑問である。海外の日本人奴隷を思ってのことであろう。以下、少年使節の中での議論である。 少年使節は捕らえられた人が、死刑もしくは苦役に従事させられるのかを問うている。日本では、その扱いはさまざまだった。この疑問に答えたのは千々石ミゲルであり、その答えは次のように要約できる。 ①捕虜、降参人とも死刑や苦役に従事させられることはない。 ②捕虜は釈放、捕虜同士の交換または金銭の授受によって解放される。 この回答には理由があった。つまり、ヨーロッパでは古い慣習が法律的な効力を持つようになり、キリスト教徒が戦争で捕虜になっても、賤役(奴隷としての仕事)には就かないことになっているとのことであった。 ただし、キリスト教の敵である「野蛮人」の異教徒については別で、彼らは賤役に従わなければならなかった。これが法的な効力を持つようになったのである。この回答に対して、少年使節は改めてキリスト教徒が戦争中(対キリスト教国家)に捕虜になった場合、本当に賤役に従事させられないのか確認した。ミゲルが抱いた怒り これに対するミゲルの回答は、「イエス」である。一同はキリスト教徒が奴隷にならないと聞いて、「ほっ」としたかもしれない。しかし、その回答の後に続けて、ミゲルは日本人奴隷について次のように感想を述べている。 日本人は欲と金銭への執着が甚だしく、互いに身を売って日本の名に汚名を着せている。ポルトガル人やヨーロッパ人は、そのことを不思議に思っている。そのうえ、われわれが旅行先で奴隷に身を落とした日本人を見ると、道義を一切忘れて、血と言語を同じくする日本人を家畜や駄獣のように安い値で手放している。わが民族に激しい怒りを覚えざるを得なかった。 ミゲルにとっては、日本人の「守銭奴」ぶり、そして金のために日本人奴隷を売買する同胞が許せなかった。その強い憤りが伝わってくる。そのミゲルの言葉に同意したのが、伊東マンショである。 マンショはヨーロッパの人々が文明と人道を重んじるが、日本人には人道や高尚な文明について顧みないと指摘している。マンショが言うところの文明と人道とは、あくまでヨーロッパ諸国やキリスト教を基準としたものであろう。 マルチノもミゲルの言葉に同意しつつも、次のような興味深い指摘を行っている。 ただ日本人がポルトガル人に売られるだけではない。それだけならまだしも我慢できる。というのも、ポルトガル人は奴隷に対して慈悲深く親切であり、彼ら(=奴隷となった日本人)にキリスト教の戒律を教え込んでくれるからだ。しかし、日本人奴隷が偽の宗教を信奉する劣等な民族が住む国で、野蛮な色の黒い人間の間で奴隷の務めをするのはもとより、虚偽の迷妄を吹き込まれるのは忍びがたいものがある。 マルチノは、日本人がポルトガルに売られるだけなら我慢できるという。その理由とは、仮に日本人奴隷がポルトガル人のもとにいたならば、キリスト教の崇高な理念を教えてくれるからである。少年使節の考えは、あくまでキリスト教がすべてであった。 そして、現実には東南アジアで多くの日本人が奴隷として使役されており、そこで異教(キリスト教以外の宗教)を吹き込まれることが我慢ならないとする。同じ日本人奴隷であっても、キリスト教さえ信仰してくれたらよいという考えである。 つまり、日本人が奴隷として売られても、キリスト教を信じることになれば、最低限は許せるということになろう。この考え方は、ポルトガル商人がアフリカから奴隷を連行することを正当化する論理と同じである。千々石ミゲル像(雲仙市提供) この言葉には、少年使節の賛意が示されている。そして、まだまだ議論は続く。マルチノは、もともと日本では人身売買が不徳とされていたにもかかわらず、その罪をパードレ(司祭職にある者)やポルトガル商人になすりつけ、欲張りなポルトガル商人が日本人奴隷を買い、パードレはこれを止めようともしないと指摘した。 この指摘に反応したのがミゲルである。ミゲルは、次のような見解を示している。 ポルトガル人には、いささかの罪もない。彼は何と言っても商人である。利益を見込んで日本人奴隷を購入し、その後、インドやそのほかの国々で彼ら日本人奴隷を売って金儲けをするからといって、彼らを責めるのは当たらない。とすれば、罪は日本人の方にあるのであって、普通なら大事に育てなければならない子供が、わずかな対価で母の懐からひき離されていくのを、あれほどことなげに見ることができる人々なのだ。悪いのは日本人 ミゲルの見解は、ポルトガル人が悪いのではなく、売る方の日本人が悪いというものであった。当時の日本人は、ミゲルが指摘するように、わが子を売り飛ばすことにいささかの躊躇(ちゅうちょ)もなかったようである。 要するに、キリスト教国であるヨーロッパ諸国と比較すると、日本は人道的にも倫理的にもはるかに劣っていたということになろう。ミゲルの「奴隷を売る日本人が悪い」という考え方は、ポルトガル側の常套句に通じるところがある。ちなみに、彼らは当時、10代半ばの少年であった。 以上の会話のやりとりをまとめれば、次のように要約されよう。 ①日本人が奴隷として売られても、ポルトガルでキリスト教の正しい教えを受け、導かれるのならばそれでよい。しかし、日本人奴隷が異教徒の国で邪教を吹き込まれることは我慢ならない。 ②日本人が奴隷になるのは、人道的、倫理的に劣る日本人が悪い。ポルトガル商人は商売として人身売買に携わっているので、何ら非難されることはない。 天正遣欧少年使節の面々は日本人であったが、むしろ不道徳な日本人の考え方を嫌い、キリスト教の教えに即した、ポルトガル商人やイエズス会寄りの発言をしていることに気付くであろう。 余談ながら、天正遣欧少年使節の面々は、その後どうなったのだろうか。伊東マンショ、原マルチノ、中浦ジュリアンは、その後もキリスト教の勉強を続け、司祭の地位に就いた。しかし、キリスト教が禁止されると、厳しい立場に追い込まれ、マンショは慶長17(1612)年に逃亡先の長崎で病死した。 マルチノは海外に活路を見いだし、マカオへ向かった。そして、寛永6(1629)年に同地で死去している。ジュリアンは国外に逃亡せず、長崎で潜伏生活を送った。しかし、寛永9年に小倉で捕らえられ、翌年に激しい拷問を受けて亡くなった。ミゲルはただ1人棄教の道を選択し、後に大村藩の藩主に仕えた。 キリシタンである天正遣欧少年使節の面々は、ポルトガル人(あるいはヨーロッパの人々)やキリスト教に理解を示していたが、豊臣秀吉については決してそういう考えではなかったかもしれない。豊臣秀吉像(模本、東大史料編纂所蔵) 率直に言えば、秀吉はキリスト教の教義などに関心は持っていなかったが、自らの政治的な野心を満たすために認めていたに過ぎない。天正16年6月に秀吉はパードレたちに使者を送り、次の4カ条について質問を行っている。次に、要約しておこう。 ①なぜ日本人にキリスト教を熱心に勧めるのか(あるいは強制するのか)。 ②なぜ神仏を破壊したり、僧侶を迫害したりして融和しないのか。 ③牛馬は人間に仕える有益な動物なのに、なぜ食べるという道理に背く行為をするのか。 ④なぜポルトガル人が日本人を買い、奴隷として連れて行くのか。 キリスト教の伝来とともに、多くの文物が日本へもたらされた。秀吉は九州征伐直後、中国大陸への侵攻を構想していたという(最近は否定的な見解もある)。そのとき頼りになるのが、西欧からもたらされる強力な武器の数々である。 やや極論かもしれないが、西洋の文物や武器が入手できれば、キリスト教などどうでもよかったと考えられる。しかし、それも度が過ぎると、承服できない点があったに違いない。その代表的なものの一つが、人身売買であった。曖昧なイエズス会 もっとも、肝心なのは先の4カ条目の質問である。この点については前回も触れた通り、ポルトガル出身のイエズス会宣教師、コエリョは次のように述べている。 ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレたちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることをやめるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう。 コエリョの回答は天正遣欧少年使節と同じく、「売る方が悪い」という理屈である。このやり取りについては、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』にも詳しく記載されている。次に、紹介しておこう。 私(=秀吉)は日本へ貿易のためにやってくるポルトガル人らが日本人を多数購入し、奴隷としてそれぞれの本国に連行すると聞いた。私にとっては、実に忍びがたいことである。そのようなことなので、パードレはこれまでインドそのほかの国々へ売られたすべての日本人を日本に連れ戻すようにせよ。もし遠い国々で距離的に不可能な場合は、少なくても現在ポルトガル人の購入した日本人奴隷を放免せよ。私(=秀吉)は、ポルトガル人が購入に要した費用をすべて負担する。 宣教師たちからすれば、日本人が売ってくるから奴隷として買うのだ、という論理であった。しかし、秀吉にとって同胞の日本人が二束三文で叩き売られることは、実に耐え難いことであった。購入にかかった費用を負担してまで買い戻すというのであるから、凄まじい執念といえよう。これに対する回答は、次の通りである。 この件は、殿下(=秀吉)に厳罰をもって禁止することを乞い、パードレが覚書に示した主要な事項の一つです。日本国内はもちろんのこと、海外諸国へ日本人が売られることは、日本人のように卓越し、自尊心の高い民にとって不名誉であり、価値を引き下げることです。この災難は九州のみで行われ、畿内や関東にまで広がっていません。われらパードレは、人身売買と彼らを奴隷にすることを妨害するため、少なからずつらい思いをしています。いずれにしても、それらを禁止する根本的な手段は、殿下(=秀吉)が外国船が寄港する港の領主に禁止を勧告することになりましょう。 この主張を信じるならば、当時、日本人奴隷の売買はポルトガル商人の寄港地である九州を中心にして行われていたことが分かる。いずれにしても宣教師たちの努力では奴隷売買をやめさせるのは難しいようで、秀吉自らが禁止命令を出すべきであるとする。常々、彼らは奴隷として売る日本人が悪いと言っているのであるから、取り締まるのなら日本の方で責任をもってやって欲しいということになろう。狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵(Photo : Kobe City Museum / DNPartcom) ところで、先行研究の指摘があるように、イエズス会は陰で日本人のキリシタンに寺社の破壊を命じたり、奴隷売買にもかかわっていた(高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』)。それを隠蔽し、言い逃れをしていたのである。ところが、こうしたイエズス会の曖昧な態度は、秀吉に強い対応策を取らせることになった。 次回はもう少し奴隷売買に対する、秀吉の対応を考えてみよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈■「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

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    物価上昇率250万%、ベネズエラ「超インフレ」より怖い反米思想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 南米ベネズエラが国家的な危機に見舞われている。同国の独裁政権であるマドゥロ政権に対抗して、グアイド国会議長が暫定大統領の就任を表明し、米国や欧州各国がその地位を承認した。これを契機にして、マドゥロ政権に対するベネズエラ国民のデモがさらに活発化し、政権側の弾圧も厳しさを増している。 経済面を見ても、ベネズエラの苦境は深まっている。特に注目を集めているのは、ハイパーインフレーションの進行だ。 ハイパーインフレの厳密な定義はない。だが、前期比250万%を上回る水準で物価が高騰しているベネズエラは、誰が見てもハイパーインフレの典型例だろう。「IMF Data Mapper」により筆者作成 モノやサービスの値段が急騰しているということは、それと交換に使われる自国通貨(ボリバル・ソベラノ)の価値が激減していることと同じである。図はベネズエラのインフレ率の推移を描いたものだ(「IMF Data Mapper」により筆者作成)。国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」によると、やがて1千万%まで上昇すると推測されている。 ハイパーインフレのもたらす弊害は大きい。生活必需品を含めて、日々の暮らしが困ることは容易に想像できるだろう。 自国通貨が「紙切れ」同然のために、生活必需品を外国の通貨や物々交換で手に入れることが常態化する。当然、消費水準が抑制されてしまうので、経済活動は停滞する。失業者は増加し、世情も不安定化してしまうだろう。 現在のベネズエラの1人当たりの国内総生産(GDP)は、1ドル110円換算で年およそ34万円であり、日本の13分の1ほどである。インフレの加速が始まった2016年からは、ほぼ半減してまった。 失業率も急上昇しており、ハイパーインフレの出現とともに、2015年は7%台だったが、2018年は38%台まで上昇したと推定されている。若年雇用の失業率はおそらくこの倍以上だろう。日常的な感覚では、若い人は軍人や警察以外で働いている人を探すのが困難なレベルかもしれない。必然的に世情が不安定になる。 このハイパーインフレの原因は、簡単に言えば、マドゥロ政権の財政政策と金融政策といった政策の束(レジーム)の毀損(きそん)である。このレジームの失敗によって、国民の大半が、財政は放漫であり、金融はインフレ放任であることを固く信じている。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスの精肉店。壁に掲げられた肉の価格は空欄になっていた(共同) 米国の研究者はさらに踏み込んで、「マドゥロ政権自体の維持不可能性が、このハイパーインフレの真因である」と主張している。つまり、政権瓦解(がかい)とそれに代わる新政権が国民に信頼されることが、ベネズエラの再生にとって不可欠だという見方だ。 もともと、ベネズエラは豊富な石油資源を活用することで、中南米でも富める国であった。半世紀前の生活水準は、当時の米国の8割ほどに迫っていて、事実上の「経済先進国」とも言えた。「為替レート」崩壊のワケ だが、他方で経済格差は深刻の度合いを深め、やがてそれは「反米」を唱えるチャベス前政権を生み出す原動力となった。取りあえず、米国の国際金融資本が石油で得た富を奪い、それが同国に貧困と格差を生み出したという、「チャベス流」にありがちなストーリーが生まれた。いわば、「『米国流』の新自由主義の犠牲者だった」というのが、チャベス前政権やそれを支援している世界の左派勢力による主流の見方であったのだろう。 そして、マドゥロ政権がハイパーインフレなどの経済的苦境に陥っているのは、主に米国などによる経済制裁が原因だという見方をする人たちもいる。だが、ハイパーインフレは本当に経済制裁が原因なのだろうか。 国際金融において「マンデルの三角形」という考え方がある。一国においては、「為替レートのコントロール」「資本移動の自由」「金融政策の自律化」のうち、同時に二つしか採用できないというものである。 この枠組みで考えると、ベネズエラ経済の現在が理解しやすくなる。簡単に言うと、マドゥロ政権は為替レートのコントロール、資本移動の自由の二つを採用している。これが今回のハイパーインフレを準備している。 チャベス前政権では、為替レートのコントロールを固定為替レート制で実現しようとした。これは同国の通貨を「割高」に維持するためのものだった。 ベネズエラの輸出は石油が大半を占め、国内経済もチャベス前政権から現在まで急速に原油依存体質を強めた産業構造になっている。自国の通貨高はベネズエラの現在の経済構造からいえば「生命線」だと、政権側が考えているのだろう。 為替レートのコントロールは、実際には政府とベネズエラの中央銀行が行うことになる。つまり、金融政策は為替レートのコントロールに使われることになり、国内の経済状況への対応には財政政策が割り当てられる。 チャベス前政権では、経済格差を根絶しようと、低所得層向けの社会保障の支出を急増させていった。他方で価格統制も行われ、自由な経済活動は損なわれていった。 また近年では、原油価格の国際的下落により、先述の産業構造上、ベネズエラ経済が急速に低迷した。膨張する支出と、経済悪化で縮減する政府収入の中で財政状況が悪化し、そのファイナンスをやがて中央銀行が発行するマネーそのもので行うようになる。つまり「財政ファイナンス」という手法である。これは中央銀行のマネタリーベース(資金供給量)の急増を生む。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスで、同国の憲法を持ちながら話すマドゥロ大統領(ロイター=共同) これ以前「割高」に維持された為替レート制が、マドゥロ政権誕生の2013年以後、頻繁に引き下げられていったのは、このような国内事情による。ここまでの話を考えれば、米国などの経済制裁が一切関係ないことが分かる。 ハイパーインフレが出現する主因は、為替レートのコントロールを意図し、さらに財政支出の放漫な増大の結果、金融政策を失敗することに帰結したことによる。一見すると「マンデルの三角形」でいうと、今のベネズエラ経済は、変動為替レートと資本移動の自由の組み合わせのように思える。それは大きな間違いで、上記の事情から、金融政策の自律化を大きく損ねた状況になっているのだ。「反米」で失政隠し そうして、事実上「通貨安シンドローム」が反映されたことで、現在のハイパーインフレが出現している。その通貨安シンドロームはチャベス、マドゥロ両政権が採用した、左派的な財政拡大路線や、価格統制や最低賃金の引き上げによる民間経済の抑制、原油依存の産業構造への「転換」という政策の失敗によるものだ。 わかりやすくいえば、政府のツケを中央銀行がおカネを刷って、どんどん払ったために、自国通貨の価値が対外的に大きく下落せざるを得ないのである。このとき、金融政策はインフレを沈静化する役割を失っている。それが「金融政策の自律化がない」という意味だ。 反米や反新自由主義を唱える左派勢力には、ハイパーインフレは欧米の経済制裁の結果であり、生活必需品の不足によるものだという認識だろう。だが、生活必需品の不足もチャベス、マドゥロ両政権の左派的な政策が引き起こした高インフレ、ハイパーインフレの帰結である。 日本共産党は樹立当初のチャベス政権に対して、新自由主義に抗する反米政権という理由からも、その活動に期待を表明していた。最近は、マドゥロ政権の独裁ぶりへの批判に転じているが、日本共産党は「反米」「反新自由主義」にこだわる余り、チャベス、マドゥロ両政権の評価を首尾一貫したものとはしていない。前述したように、マドゥロ政権の混迷は、既にチャベス前政権の政策で準備されていたからだ。 また、経済評論家の上念司氏の指摘のように、日本の左派勢力が唱えるような「平和的な解決」を主張することは、ベネズエラ国民の生命を脅かし、実際に数多く奪っている状況のもとでは、独裁政権に利するものだと言っていい。 ちなみに、ここまで書くと、「安倍政権だって『財政ファイナンス』ではないか。日本銀行の信認が失われかねない」という皮相な見方が出てくると予想される。だが、日本の財政は「緊縮スタンス」で運用されてしまい、それが経済の安定化を成し遂げられない原因になっている。 むしろ、放漫財政に伴う経済悪化の心配よりも、緊縮財政による悪化の心配をすべき段階である。実際に、ベネズエラと大きく違い、今の日本のインフレ率は0%をわずかに出たぐらいだ。急激にインフレ率が加速する心配もない。 なぜなら、中央銀行が為替レートに振り回される状況ではなく、国内の経済状況を分析した上で2%のインフレ目標を採用し、運用しているからだ。急激なインフレが起きない仕組みが採用されているのである。2019年2月、国会で記者会見する共産党の志位委員長 もっとも、このインフレ目標を日銀が採用する前まで、日本ではベネズエラと逆に「円高シンドローム」という状況に置かれ、デフレ不況が続いていた。今思えば、情けない限りである。しかも、今秋に予定されている消費税率10%への引き上げは、日本の経済政策の失敗を再び引き起こしかねない。ベネズエラと同様に、日本でも経済政策が失敗すれば、また「失われた20年」に逆戻りしてしまうだろう。 ベネズエラとブラジルの国境では、援助物資を受け取ろうとした民衆に、政権側が発砲して死傷者が出た。郵便学者の内藤陽介氏が指摘するように、このような民衆への発砲は、およそ貧困層への共感をもとにして生まれた政治体制とは思えないものだ。 日本国内でも「反米」や「反新自由主義」というイデオロギーで、この独裁政権の振る舞いを、事実上肯定する人たちもいる。一方で、独裁政権も「反米」などの旗印で、自分たちの経済政策の失敗を隠そうとするだろう。そこに政治イデオロギーの持つ本当の恐ろしさがある。■ 消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

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    松坂大輔の右肩を「破壊」したファンの妙な親近感

    杉山崇(神奈川大人間科学部教授) ファンの「暴走」により、スポーツ選手やアイドルが危険な思いをしたり、実際に負傷する事件が続いています。最近では、中日の松坂大輔投手がファンに腕を引っ張られるという「事件」がありました。 「事件」はファンサービスで花道を歩いている最中に起きました。松坂投手はその影響で古傷を抱える右肩を痛め、キャンプからの離脱を余儀なくされました。結局、右肩の炎症だとわかり、2週間程度はボールを投げないノースロー調整となり、万全の状態での開幕1軍は絶望的となってしまいました。 ファンは松坂投手をけがさせようと思っていたわけではないかもしれません。わざわざ時間を作って出向くわけですから、応援したい気持ちももちろんあったことでしょう。 しかし、結果としては、松坂投手と中日にとって大損害を与えることになってしまいました。ファンはなぜこのような行動を取ってしまったのでしょうか。本稿では心理学の視点から考えてみましょう。 私は、このたびのファン心理には松坂投手に対する「妙な親近感」があったのではないかと考えています。その感覚を抱いたわけには、大きく三つの心理学背景が考えられます。 まず、一つ目は「単純接触効果」です。これは、人が全般的に持っているものであり、単純に目にする機会が多いだけで親しみを覚えやすいという現象です。心理学では繰り返し確認されている効果です。2018年4月、日本球界復帰後初となる勝利を挙げ、お立ち台で笑顔を見せる中日・松坂 「平成の怪物」と呼ばれる松坂投手のように、高校卒業後のルーキーから20年来にわたって活躍していると、ファンにとっての親近感は絶大になっているでしょう。そして、多くの場合で、心理的な距離は物理的な距離に反映されます。熱心なファンは物理的に近づくことを自然に感じることでしょう。カギ握る「群集心理」と「匿名性」 ただし、親近感に畏敬の念のようなものが伴う場合は、逆に近づくことを遠慮する場合もあります。尊敬の対象であれば、心理的な距離の近さと遠慮で物理的な距離が相殺されて、程よい距離感にいたはずです。 スポーツ選手やアスリートは私たちにはない特殊な能力があるから、選手でありアスリートなのです。本来であれば尊敬の対象になるはずですが、なぜ遠慮のない距離になってしまったのでしょうか。 遠慮のない距離のカギを握るのが、「群集心理」とそれに伴う「匿名性」です。群集心理とは、周りの群衆の影響を受けた個人が、自らの考えや判断ではなく、安易に場の雰囲気に流されてしまう現象です。 人は社会を作るために「同調」という能力を獲得しました。このおかげで組織だった行動が取れるのですが、場の雰囲気が正しくない方向に向かっていても、逆らえずに流されてしまうのです。 誰かが選手を尊敬しない雰囲気を作ってしまうと、その雰囲気が場を支配します。同調の効果で心はその雰囲気に逆らえません。 こうして、本来は尊敬しているはずの選手に対して、遠慮のない態度が作られるのです。また、群集心理では責任が群衆に分散され、自己責任を意識しなくなります。「自分」というものが隠されている「匿名性」が高い心理状態の中で、無責任な行動に出てしまいやすいのです。2019年2月9日、集まったファンにサインする中日・松坂 最後に、「誇大自己」の影響も考えられます。誇大自己とは「自分は素晴らしい」「自分はすごい」という錯覚です。私は「殿様錯覚」とも呼んでいます。錯覚に酔うのは「気持ちいい」 この錯覚に酔いしれると私たちは高揚した心理状態になってとても気持ちいいのです。この気持ちよさに酔いしれてしまうと、癖になります。 ただ、現代社会で、私たちは誇大自己に浸るチャンスを簡単にはもらえません。競争も厳しく、格差社会も広がる中で、私は錯覚に酔いしれるチャンスに飢えている男性が増えているという考察をしてきました。 そして、スポーツは誰もが評論家気分を味わえるチャンスです。その中で一部のファンの中には「『上から目線』の偉そうなだけの評論家」となって、誇大自己の錯覚を楽しむ方もいるようです。 誇大自己は、人を卑下すればするほど風船のように膨らんで、ますます気持ちよくなるという性質を持っています。ファンとしてはあってはならないことですが、その中で選手を卑下するような態度が作られてしまいやすいのです。 このように、単純接触効果、群集心理と匿名性、誇大自己がファンの中で重なると、妙な親近感が生まれてしまい、遠慮のない、そして危険な行動に結びつく可能性が考えられます。 私の理解では、ファンとは憧れの対象を尊敬するものです。尊敬したい思いのあまり、残念なところにも注目することはあるかもしれませんが、それが卑下する態度になってはいけません。「ここが惜しい」、「これがもったいない」という思いで時には厳しいことを言うのは愛情の裏返しではありますが、尊敬する思いをなくしてはいけません。室内練習場に移動する車に乗り込む中日の松坂=2019年2月11日、北谷公園野球場(甘利慈撮影) 例えば、ジャニーズ事務所所属のアイドルを応援する人たちの間では、先輩ファンが後輩ファンにマナーを教える文化が根づいているようです。このような文化を窮屈に感じることもあるようですが、日本にファンの文化、本当に応援する文化がますます根付くことを願っています。■ 「巨人軍は非情なのか」長野と内海、功労者を放出した意味■ 「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか■ 巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件

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    統計不正「官邸の圧力」追及、ならば辻元氏もあの疑惑に答えよ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 立憲民主党の辻元清美衆院議員は、同党の国会対策委員長の重責を担い、マスコミへの露出も多い政治家である。それだけではなく、客観的データがないのであくまで感想レベルだが、日本の政治家の中で、デマなどで最も誹謗(ひぼう)中傷されている議員の一人ではないか。 完全に対照的な政治的立場にいると目される自民党の杉田水脈(みお)衆院議員と、インターネット界隈では「両翼」といっていいかもしれない。ただし、2人を大きく超える安倍晋三首相という「別格」がいることも忘れてはならない。 辻元氏も自身に対するデマの多さは問題視していて、彼女の近著の題名『デマとデモクラシー』(イースト・プレス)はまさにその象徴だし、辻元氏のホームページにも同氏についての「10大デマ」についてきちんとした反論がある。 率直に言えば、ひどいデマが多すぎる。デマやフェイク(嘘)では、政治も政策も何もよくはならないことをぜひ理解してほしいと、その10大デマを見ていて思った。 デマや誹謗中傷はもってのほかだ。ただし、辻元氏に対するネット上での批判には理由がないわけではない。 今日の立憲民主党の国会運営における主軸であり、世間に向けての大きな論点は、今に至るも森友・加計学園問題である。最近では、これに厚生労働省の統計不正問題が加わった。 両方とも安倍首相本人の関与か、もしくは「首相官邸の圧力」があったことを、立憲民主党を中心とした野党は問題視している。先に結論を書けば、モリカケ問題もそうだったが、今回の統計不正問題も安倍首相の関与や圧力は事実としてない。2018年11月、パーティーであいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 例えば、今統計調査のサンプル入れ替えが、官邸の「圧力」があったために行われ、それが賃金水準の「かさ上げ」に至ったとする見方がある。統計調査のサンプル入れ替えは、公開された委員会で審議され、そこで統計的手法の問題点なども議論されてきた。何の不透明性も、そこにはない。 いわばデマ、嘘の類いだ。だが、辻元氏らは、この問題を国会の貴重な時間をまさに「浪費」して、政治的な観点で政権批判を繰り返すことに大きな役割を果たしている。問われるべきは「ダブスタ」 一方ではデマを批判し、他方ではデマに加担しているともいえる、その「ダブルスタンダード」が問われているのではないだろうか。もちろん、辻元氏をデマで攻撃するのは全く悪質なことだけは再三注意を促したい。 このようなダブスタ的な政治姿勢に対する批判は理解できる。また、今後も辻元氏だけでなく、立憲民主党の国会運営や政策観については問題視すべきだと思っている。 ちなみに、辻元氏の経済政策観は、成長よりも再分配重視のものだ。辻元氏のホームページには、経済学者で法政大の水野和夫教授が、辻元氏本人の言葉を引いた形で応援メッセージを寄せている。 「何が何でも成長優先の安倍政権では、企業は収益を内部留保せざるをえない。働く人への還元こそが未来の安心と消費を生み、経済の好循環をつくる」 企業の内部留保を活用して、それを再分配して勤労者に還元する。辻元氏にどのような具体策があるかわからない。ただ、もし勤労者に企業から還元することで、経済の好循環を目指すならば、安倍政権の経済政策をさらに進化させて、大胆な金融緩和と積極的な財政政策で、さらに雇用を刺激し、賃金の上昇を高めていけばいいのではないか。 さらに、2012年の消費増税法案に辻元氏は賛成しているが、国会運営を担う立場から、今こそ消費増税の凍結か廃止法案を提起すべきではないだろうか。だが、どうも『デマとデモクラシー』での思想家の内田樹(たつる)氏との対談や、水野氏の推薦文などを見ていると、辻元氏の経済政策観は、全体のパイの大きさを一定にしたまま、そのパイを自分たちの政治的好みで切り分けるというものだ。2019年1月、与野党国対委員長会談に臨む自民党の森山裕氏(左)と立憲民主党の辻元清美氏 つまり、民主党政権時代の「実験」で、国民を悪夢、いや地獄に突き落とした政策観と変わりがない。反省なき旧民主党議員の典型であろう。 辻元氏にはデマではなく、今日、政治家として答えるべき二つの問題がある。一つは外国人からの献金問題である。筆者が辻元氏に聞きたいこと この点については、多くの識者が指摘しているように、辻元氏だけに発生する問題とはいえない。政治資金規正法では外国人からの献金を禁じている。 だが、どんな国会議員でも、現在の制度では、献金を日本人が行ったのか外国人が行ったのか分かりづらく、完全には防ぎようがない。そのため、辻元氏には、ぜひこの問題を率先して国会で審議する道をつくるべきだと思う。 だが、どうもその種の動きはない。あるのは、全く事実に基づかない「疑惑」だけに依存した「官邸の圧力」を審議しようとする「国会の浪費」である。 もう一つは、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部(関生支部)との政治的な関係である。一部報道にあるように、大阪市内の生コン製造会社でミキサー車の前に立ちふさがって業務を妨害したなどとして、威力業務妨害容疑で同支部執行委員長の武建一被告らが逮捕、起訴された事件である。この武被告と辻元氏との関係が特に注目されている。 『夕刊フジ』や『デイリー新潮』などで、両者の関係が政治献金などの繋がりを含めて問題視されている。この関係について、辻元氏は説明をする必要があるのではないか。 ちなみに、私が今回、あえて辻元氏の政治的姿勢や政策論の一部について取り上げたのは、この関生支部との関係が気になったからである。政治的立場は異なるが、筆者と同じリフレ政策を主張する立命館大の松尾匡(ただす)教授や、穏健な人柄で国際的にも著名なマルクス経済学者の東京大の伊藤誠名誉教授、そして大阪産業大の斉藤日出治名誉教授らが、この武被告の主導する「関生型労働運動」を代替的な経済モデルの一つとして評価していたからだ。2018年11月、自身のパーティーで出席者にあいさつする立憲民主党の辻元清美国対委員長(酒巻俊介撮影) 今回の論考を書くために、彼らの文献をはじめ、武被告の発言や著作を読んだ。また、労組に過度に期待する者は、今回の逮捕劇を「権力vs労組」でとらえていることも知った。だが、一般の国民は、今回の逮捕劇が罪の存否を含め、司法の場で裁かれるべきものだと考えているだろう。 辻元氏が、過去に支援を受けた組織の大規模な逮捕劇、さらには関生支部の活動を今どのように評価しているのか、筆者はその点を聞いてみたい。少なくとも、それを明らかにしないようでは、「辻元氏はずっと他者の疑惑には厳しく、自分には甘いダブルスタンダードである」という批判から逃れることはできないのではないか。■ 統計不正も実質賃金も「アベガー」蓮舫さんの妄執に為す術なし?■ 「昭和天皇は慰安婦戦犯」韓国の理屈に加勢した朝日とあの政治家■ 辻元さん、あなたに安倍総理と同じ「悪魔の証明」ができますか?

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    池江璃花子「白血病」親切の押し売りが患者を悩ませる

    中村幸嗣(血液内科医、元自衛隊医官) 競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを公表しました。世間に大きな衝撃を与えたこのニュースを、マスコミが連日取り上げています。 ただ、番組に出演してもらえる医師が少ないせいか、専門外のコメンテーターによるいい加減な情報も飛び交っています。このような状況に、幹細胞移植を受けた経験のある腫瘍内科医、米テキサス大MDアンダーソンがんセンターの上野直人教授は「興味本位の臆測だけのコメントは困る」とフェイスブック上で憂慮しています。 白血病が急性か慢性かなど、詳細も不明な状況で言及するのは難しく、私も一度は寄稿をためらいました。それでも、闘病に前向きな池江選手のツイートを目にし、血液内科医として改めて本稿を進めてみたいと思います。 ただし、現時点で池江選手個人の疾患情報がなく、具体的な病状やその後の治療について全く何も言えないことは前述の通りです。ここでは、あくまで一般論として「急性白血病の治療」「治療後のアスリート復帰」「親切の押し売り」、そして「完治」に関して論じます。 まずは、急性白血病の治療に関してです。「血液のがん」白血病は、現代では型や遺伝子ごとに、世界保健機関(WHO)により細かく分類されており、治療や予後も異なります。この違いによって、幹細胞移植や昔の骨髄移植が必要かどうかなど、最終的に決定されます。また、「急性」か「慢性」か、「骨髄性」か「リンパ性」かといった、大まかな診断は約1~2日で判明します。 そして急性白血病では、治療メニューや薬の種類は異なりますが、骨髄性もリンパ性も、まずは大量の抗がん剤や分子標的治療薬などを使った「寛解(かんかい)導入療法」を行います。血液や骨髄中から白血病細胞を顕微鏡検査で見えなくする状態、いわゆる「完全寛解」を目指します。 その際、抗がん剤の影響で、白血病細胞だけではなく正常の白血球も消失させるため、患者の免疫が低下してしまいます。それでも、抗がん剤や分子標的薬を使用するのは、正常細胞より白血病細胞を死滅させやすいということが、治療の上では大事だからです。肺炎を含めた感染症予防や、感染再発の場合には治療を行い、輸血により出血を防止しながら、正常細胞だけが回復するのを待ちます。一般的に、この1回の治療経過が約1~2カ月かかります。 この時点で、白血病細胞が見た目上無くなり、正常細胞が回復してきたら、完全寛解となります。注意してほしいのは、この状態では「治癒」ではないということです。この時点で治療をやめたら、すぐ再発することが多いからです。2019年2月、競泳の池江璃花子選手が白血病と診断されたことを報じる秋葉原駅前の街頭テレビ(川口良介撮影) 寛解と判断されれば、すぐに「地固め療法」と呼ばれる抗がん剤などを用いた第2段階の治療を、白血病のタイプに応じて半年から2年掛けて数回行います。そうして、先ほど説明した完全寛解状態が5年以上続けば、ようやく完治となります。 最近は、特定のタイプの白血病では、遺伝子検査も取り入れることで、寛解や完治の診断をしています。治療直後や再発後に幹細胞移植が行われるタイプの白血病もあり、ケース・バイ・ケースといえます。アスリート復帰は? 一方で、タイプによっては寛解に至らない白血病患者も当然存在します。そういう患者に対しては、さらに踏み込んで、特殊な治療の組み合わせを模索していくことになります。 完治の割合(病気が再発しない5年生存率)についても、白血病のタイプや患者の年齢によって異なります。成人白血病全体における割合は、幹細胞移植を行うことで40~50%ぐらいになります。昔よりは上昇していますが、そこまで高いものではありません。 ただ、タイプによっては、5年生存率が90%近くある白血病もあります。また、昔であれば移植が絶対必要だったタイプでも、分子標的薬の投与と化学療法を実施することで、移植しなくても70%前後の完治が望める状態にまでなってきています。 また、概して予後のいい小児白血病に比べて、池江選手のように、主に15~39歳の思春期・若年成人期を指す「AYA(アヤ)世代」が発症する白血病は患者数が少なく、対策が遅れていると言われてきました。現在では治療法を子供用に少し変更することで、治療効果の改善が続いています。その結果、リンパ性では治療成績が向上してきています。 一方、急性骨髄性白血病の5年生存率は化学療法だけだと30%ぐらいです。ただ、感染症など合併症のコントロールがかなり効くようになり、いくらかは改善しています。 こちらも、移植の併用により、40~50%とやや改善します。治療成績はこの30年少しずつですが向上しています。また、急性前骨髄球性白血病(APL)という特殊な白血病は別で、5年生存率は移植がなくても90%前後に達しています。 急性リンパ性白血病は先述の通り、型によって治療成績はかなり異なります。そして、移植治療の成績は40~50%は骨髄性とそれほど変わりません。 次に、池江選手特有の話になりますが、白血病克服後のアスリート復帰について考えてみましょう。患者は社会復帰に向けてリハビリを行うわけですが、治療終了後だけではなく、治療中からでも可能です。寛解導入療法の最中にリハビリを併用する病院も多いですが、昔では考えられなかったことです。2018年8月、ジャカルタアジア大会の競泳女子100メートルバタフライ決勝で優勝した池江璃花子(納冨康撮影) それゆえ、寛解を維持し退院できた患者は時間がかかっても、退院後の日常生活復帰はほぼ問題ないレベルに達しますが、アスリートは少し話が違います。退院後、発症前のレベルにどこまで戻すことができるかは、治療中から治療後にかけて対応できるかどうかにかかっています。 治療中の体調に問題がなければ、軽めの運動を続けることは悪くないと思います。その際「治療に悪影響を及ぼさない程度」という条件がつきますので、主治医やコーチを含めて集約的な対応が求められます。医者と患者「完治」のミゾ Jリーガーやプロ野球の投手、ラグビー代表に北米プロアイスホッケー(NHL)選手など、白血病を乗り越えて復帰したアスリートが数多くいます。彼らは、発症から約1~2年後で戻っています。それゆえ確約は決してできませんが、復帰は間違いなく不可能ではありません。 今回の公表を受けて、報道では「頑張れ」「東京五輪までに治して」「白血病に負けるな」「応援している」というトーンが主体でした。私もその一人ではあります。でも、一部には、彼女にそのような言葉を掛けるのは「親切の押し売り」ではないかという意見も存在することを紹介したいと思います。 普通に「頑張れ」と表明することが、「応援している自分に酔っているだけで彼女にいらないストレスをかけている」という意見があります。多発性骨髄腫を患う写真家の幡野広志さんや、米在住のがん研究者、大須賀覚さんからも注意喚起がされています。とても難しい話であり、簡単に解決はできません。 以前、幡野さんと話したときに、医師が考えた「最善」の治療と、その治療のためには副作用も我慢しろという、患者への「強制」の問題を指摘されました。二つの強制が、医師と患者の間で解釈に大きなずれが生じ、ジレンマとなっているというのです。 確かに、患者一人ひとりの気持ちに寄り添って治療を模索することは、大切だと理解しています。とはいえ、医療の非常識や間違った知識を強制されることに対して、私はどうしても寛容になれません。 実際の臨床でも、医療的におかしな処置であっても、患者の価値観を重視し希望に沿えるよう努めますが、「医療的にはおかしい」と患者には明確に伝えています。医療者として、患者の希望に全て寄り添い、対応することが全部正しいわけではないと考えているからです。 また、マスコミが報じる白血病の「完治」という言葉に対して、「自分の白血病は完治してないのに、マスコミが『白血病が完治する』というのはおかしい」という意見も見かけました。つまり、「40~50%が絶対に完治する」と報じることに問題があるというのです。実際、直接対話した患者からも「『完治する』という言葉はおかしい。『運が良ければ完治する』と言わなければ」と指摘されたことがあります。 背景には、発症前の状態に100%回復するイメージを「完治」に抱く患者と、完全寛解状態が5年以上続き、病気再発も命を落とすこともないことを「完治」とする血液内科の定義に隔たりがあるからです。私も血液内科医として「完治」の定義に従っている以上、この指摘は受け入れなければいけません。2018年8月、パンパシフィック選手権の公式練習で、外国選手と談笑する池江璃花子選手(左)=東京辰巳国際水泳場 もちろん家族に対しては、少し厳し目に説明しています。しかし、まだ治療前で、状態もわからない患者に「完治しないかもしれない」という否定的なことを私は伝えたくはありません。患者が治療に前向きになれば、治療成績は向上するからです。 実際、池江選手と同じ18歳で白血病を発症した女優の吉井怜さんも、「一緒に乗り越えよう」という医師の言葉に元気付けられたことを述べています。たとえ確率的にあまり高くなくても、「完治する」という希望を前面に出すことは間違いではないと、医療者として考えています。■ 「窃盗症と拒食の心理」元マラソン女王が陥ったアスリート魂の限界■ 神童から金メダリストへ 萩野公介に見る「天才」の育て方■ 競泳日本を圧勝させた「攻め」から「待ち」への転換コーチング

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    望月衣塑子記者に教えたい「硬骨のエコノミスト」の戒め

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者は、菅義偉(よしひで)官房長官の定例記者会見での自説を交えた長い質問で有名である。時には、質問というよりも自説の開陳とでもいうべきものがあり、それは事実確認の後に自社で記事にすればいいのではないか、と思うことがある。 SNS(会員制交流サイト)時代の現代では、各メディアの記者本人がツイッターで意見表明もしている。望月記者の発言もしばしば注目されるので、何も記者会見で「演説」しなくてもいいのではないか、と思うのだが。 いずれにせよ、記者クラブという閉鎖的なコミュニティーの一員が、その特権を活用して質問している。特権を持つ人たちは、その権利の行使が自分たちに当然に認められていると錯覚する場合がままある。 他方、インターネットメディアなどは申請しないと記者会見には参加できないし、その曜日も限られているという。望月記者が菅長官相手に「言論の自由」を謳歌(おうか)する一方で、そのための時間は既得権(いわば取材の不自由の行使)の産物ということになる。記者会見に参加できない多くの人は、望月記者に取材時間を奪われ、さらには筆者のようにその内容にげんなりしている人も無視できないほどいるだろう。 事実、大阪経済大学の黒坂真教授は、次のようにコメントしていて、筆者も同意する内容だった。 官房長官の記者会見は記者との公開討論会ではない。官房長官の見解を聞く場です。それを新聞は紙面で論評すれば良い。望月記者の質問は長すぎます。これを他社の記者もやったら、記者会見が毎日数時間かかる。官房長官は記者会見を廃止する。権利の要求には節度が必要です。黒坂真氏の2019年2月11日のツイート『女性セブン』に掲載された東京新聞の望月衣塑子記者=2017年11月 ただ、「節度」は価値判断なので、望月記者のファンには受け入れられないかもしれない。ところで、望月記者のツイッターを最近読んで、以下のコメントには同意できないものがあった。 統計不正 2015年1月のサンプル入れ替え後、実質賃金が下がった。それに激怒したのが菅義偉官房長官という。2017年2月に菅氏は、政府の統計改革推進会議の議長に就任。様々なGDPの嵩上げや統計不正は政治的圧力がなければ、起きえなかったのでは。望月衣塑子氏の2019年2月11日のツイート「モリカケ」でうま味? 要するに、望月記者は自社の記事を引用する形で、毎月勤労統計調査に関する「統計不正」問題を、安倍政権の政治的圧力によるものと、疑惑を表明したのである。だが、そもそも今言われている「統計不正」は、第2次安倍政権以前から十数年にわたって行われてきた「不正」である。これを安倍政権の圧力とするのは理解できない。 東京新聞の当該記事でも、「2004年ごろ厚生労働省が東京都の500人以上の事業所の抽出調査を始める」としている。望月記者は安倍政権の「疑惑」にご執心のようだが、むしろなぜこの統計不正が始まったか、そちらの事実の追及をすべきではないだろうか。 嘉悦大の高橋洋一教授や筆者も、この問題が起きてすぐに指摘したように、統計予算の緊縮によって人材の確保や育成に失敗している可能性が高い。すなわち、緊縮主義が「統計不正」の背景となる見方である。 この点が正しいかどうか、報道による追及が待たれるが、どうも多くのメディアは安倍政権の「政治的圧力論」が大好物である。おそらくこの数年続いている「モリカケ問題」でうま味を得ているのかもしれない。 さらに、望月記者だけではなく、反安倍を強く主張する野党やマスメディアでは、「実質賃金」だけを「疑惑」の対象として非常に強く打ち出している。特に強調しているのが、「実質賃金の変化率が2018年にマイナスに落ち込んだ」ことである。 しかし、安倍首相が国会でも答弁したように、安倍政権の経済政策は実質賃金の水準やその変化率をことさら目的にしてはいない。特に、実質賃金の変化率は、経済の状況(デフレを伴う停滞期、停滞からの脱出期、完全雇用が達成された後など)に応じて、それぞれ複雑な動きをすることが知られている。衆院予算委で答弁する厚労省の大西康之元政策統括官。手前右端は安倍首相=2019年2月12日 例えば、デフレを伴う経済低迷期の場合、実質賃金の水準も高い。なぜなら実質賃金は、名目賃金を物価水準で割ったものである。デフレで物価が低ければ、それに応じて実質賃金は上昇するからだ。 民主党政権の時代を今よりもはるかに良かったという主張を目にするが、その根拠として、実質賃金の水準やその変化率が高いことを挙げている人がいる。デフレは総需要が総供給に満たないときに起きていた。この場合、経済状況は「不況」である。他方で、実質賃金は高めになり、またデフレが継続するほどにその変化率も増加する。これでは「不況がいい」と言っているに等しいことになる。 他方で、経済低迷から脱出するときは、失業状態にあった人や働くことを諦めていた人たちが、雇用に参加することになる。失業率が低下すると同時に、就業者数も増加していく。実質賃金を強調「悪しき経済論者」 このとき、新規雇用された人たちは、新卒者や再雇用者のように給料の低い人たちが多いだろう。すると、平均賃金は低下する可能性が大きい。しかも同時に総需要が増加していけば、その過程で物価も上昇する。これらは実質賃金の水準を低下させるし、変化率も大きく低下するだろう。だが、この実質賃金の低下が雇用を回復させることにつながるので、国民の暮らしには大きくプラスに働くのである。 望月記者は、あたかも安倍政権が実質賃金の低下を強く懸念し、それが政治圧力に至ったという「疑惑」を抱いているようだ。そもそも、アベノミクスは実質賃金の水準を低下させ、またその変化率は場合によればマイナスでもかまわない、という形で経済を回復させる政策なのである。むしろ、実質賃金にいかなる状況でもこだわり続けるのは、望月記者らアベノミクスに批判的な人たちに見られる現象である。 もちろん、経済が完全雇用に達すれば、実質賃金の水準は向上していくだろう。それだけの話である。ちなみに、2013年以降の実質賃金の変化率(対前年同月比)と失業率の推移をグラフ化してみた。 実質賃金の変化率は、5人以上の事業所の現金給与総額のものであり、その従来の公表値と修正値の両方を提示している。また、よく話題に上る共通事業所での継続標本による実質賃金の変化率も似たような動きだ。グラフを見れば分かるように、安倍政権になって失業率は継続的に低下しているが、他方で実質賃金の変化率自体は大きく上下動している。このように、複雑な動きをしていることが分かれば十分である。 変化率の上下動は、先ほど説明したような、雇用の回復をもたらす実質賃金の「水準」自体の低下が寄与している場合もあるだろうし、物価水準の上昇や下降が寄与していることもある。さらには2014年では、消費増税の影響が特に顕著だったのかもしれない。要するに、変化率の方は複雑な動きをしているため、これだけを特段に重視することはあまり意味がないのである。 実は戦前でも、望月記者たちのように、経済停滞からの脱出期に実質賃金をことさら注目し、経済政策を批判した人たちが多くいた。それらの人たちが当時の政策議論を混乱させていたのである。日本を代表する保守リベラリストであり、優れたエコノミストであった石橋湛山は、1930年に起きた昭和恐慌に際して次のように記し、実質賃金をことさらに強調する「悪しき経済論者」を批判していた。1.不景気から好景気に転換する場合には労働者にしてもサラリーメンにしても、個々人の賃金俸給は用意に増加せぬ。だから従来継続して業を持ち、収入を得ている者からは、収入は殖えぬに拘らず物価だけが高くなると観察せられる。2.けれども斯様(かよう)な時期には、個々人の賃金は殖えずとも、少なくとも就業者は増加する。故に勤労階級全体としては収入が増える、購買力が増す。3.而(しこう)して斯様に大衆全体の購買力が増えばこそ、其個々人には幸不幸の差はあるが、一般物価(ここで問題の物価は、云うまでもなく生活用品の価格だ)の継起的騰貴も起り得るのである。『石橋湛山全集』第9巻454ページ だが、望月記者たちの「疑惑のインフレーション」を止めることはできないだろう。何年やっても、安倍政権の圧力など全く事実を見いだせなかったモリカケ騒動と同じ構図が生まれようとしている。石橋湛山元首相 石橋湛山も批判したような「トンデモ経済論」を背景に持った人たちが、政権批判のためにさらに経済政策の議論を混乱させていくのかもしれない。その不幸だけは避けなければいけない。■ 豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている■ 民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない■ 「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

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    「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈

    渡邊大門(歴史学者) 前回、豊臣秀吉がいかにして、人身売買の対策を講じたのかを確認した。今回は、世界的な規模に達した奴隷貿易と日本との関係について触れておこう。 最初に、キリスト教の布教について説明しておく。船による長距離の移動が可能になり、ヨーロッパの人々がアジアに行き来することも可能になった。これが大航海時代である。商人たちが貿易のために各国を訪れ、同時にキリスト教の海外での布教も積極的に行われた。その中心的な役割を果たしたのが、イエズス会である。 1534年、スペインの修道士、イグナティウス・デ・ロヨラら6人は、パリのモンマルトルで宗教改革に対抗しイエズス会を結成した。彼らは清貧・貞潔・服従を誓約し、イエズス会がイエス・キリストの伴侶として神のために働く聖なる軍団となることを目標とした。 その中には、後に日本でキリスト教布教の中心的な役割を果たした、フランシスコ・ザビエルも含まれている。イエズス会は、1540年にローマ教皇の認可を受けた。以降、イエズス会の面々は、アジアや新大陸で熱心に布教活動を行った。 ザビエルとは、いかなる人物なのだろうか。ザビエルが誕生したのは1506年のことで、日本ではちょうど戦国時代が始まったころである。ザビエルは、ナバラ王国(ピレネー山脈西南部)出身のバスク人であった。 ザビエルは19歳でパリ大学の聖バルバラ学院で神学を学び、イエズス会の創設に加わった。1542年にはインドのゴアに派遣され、布教活動に従事した。その後、ザビエルはマラッカで布教中に、「アンジロー」という薩摩出身の日本人と会う。これが日本へ赴くきっかけとなった。 1549年4月、ゴアを出発したザビエルは、8月に薩摩に上陸した。ザビエルは島津貴久に面会を求めるなど精力的に活動し、周防の大内義隆や豊後の大友宗麟に布教への理解を求めた。ザビエルは2年余り伝道を行い、いったんインドに帰国し、さらに中国へと向かうが、1552年に中国の広東で病没した。ザビエルの布教活動により、キリスト教に理解を示した人々もいたので、大きな功績と言えるであろう。 ザビエルの後を受け継ぐかのごとく、登場したのがルイス・フロイスである。1532年、フロイスはポルトガルのリスボンに誕生した。16歳でイエズス会に入り、その後はインドに渡海した。フロイスが日本への渡海を果たしたのは、永禄6(1563)年のことである。 肥前横瀬浦(長崎県西海市)に上陸したフロイスは、スペイン出身の宣教師、フェルナンデスから日本語と日本の習俗について教えを受けた。その後、織田信長や豊臣秀吉に接近し、円滑に布教活動を行うべく奮闘した。これまでもたびたび引用した、フロイスの『日本史』は当時の日本を知る上で、貴重な史料である。 キリスト教の布教と同時に盛んになったのが、南蛮貿易である。天文12(1543)年にポルトガル商人から種子島へ火縄銃がもたらされて以降(年代は諸説あり)、日本はポルトガルやスペインとの貿易を行った。イグナティウス・デ・ロヨラ(ゲッティ・イメージズ) ポルトガルから日本へは、火縄銃をはじめ、生糸など多くの物資がもたらされた。逆に、日本からは、銀を中心に輸出を行った。こうして日本は、キリスト教や貿易を通して海外の物資や文物を知ることになる。 これより以前、ヨーロッパでは奴隷制度が影を潜めていたが、15世紀半ばを境にして、奴隷を海外から調達するようになった。そのきっかけになったのが、1442年にポルトガル人がアフリカの大西洋岸を探検し、ムーア人を捕らえたことであった。 ムーア人とは現在のモロッコやモーリタニアに居住するイスラム教徒のことである。キリシタンからすれば、異教徒だった。その後、ムーア人は現地に送還されたが、その際に砂金と黒人奴隷10人を受け取ったという。奴隷を正当化した宗教 このことをきっかけにして、ポルトガルは積極的にアフリカに侵攻し、黒人を捕らえて奴隷とした。同時に砂金をも略奪した。これまで法律上などから鳴りを潜めていた奴隷制度であったが、海外(主にアフリカ)から奴隷を調達することにより、復活を遂げたのである。では、奴隷制度は宗教的に問題はなかったのだろうか。 1454年、アフリカから奴隷を強制連行していたポルトガルは、ローマ教皇のニコラス五世からこの問題に関する勅書を得た。その内容は、次の通りである(牧英正『日本法史における人身売買の研究』引用史料より)。神の恩寵により、もしこの状態が続くならば、その国民はカトリックの信仰に入るであろうし、いずれにしても彼らの中の多くの塊はキリストの利益になるであろう。 文中の「その国民」と「彼らは」とは、アフリカから連行された奴隷たちを意味している。奴隷の多くは、イスラム教徒であった。つまり、彼らアフリカ人がポルトガルに連行されたのは「神の恩寵」であるとし、ポルトガルに長くいればキリスト教に改宗するであろうとしている。 そして、彼らの魂はキリストの利益になると強引に解釈し、アフリカ人を連行し奴隷とすることを正当化したのである。キリスト教徒にとって、イスラム教徒などの異教徒を改宗させることは、至上の命題だったのだろう。それゆえに正当化されたのである。 当初、アフリカがヨーロッパに近かったため、かなり遠い日本人は奴隷になるという被害を免れていた。しかし、海外との交易が盛んになり、その魔の手は着々と伸びていたのである。この問題に関しては、岡本良知『十六世紀日欧交通史の研究』(六甲書房)に詳しいので以下、同書を参照して考えてみたい。狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵(Photo : Kobe City Museum / DNPartcom) 日本でイエズス会が布教を始めて以後、すでにポルトガル商人による日本人奴隷の売買が問題となっていた。1570年3月12日、イエズス会の要請を受けたポルトガル国王は、日本人奴隷の取引禁止令を発布した。その骨子は、次の通りである。①ポルトガル人は日本人を捕らえたり、買ったりしてはならない。②買い取った日本人奴隷を解放すること。③禁止令に違反した場合は、全財産を没収する。 当時、ポルトガルは、マラッカやインドのゴアなどに多くの植民地を有していた。まさしく大航海時代の賜物であった。彼らが安価な労働力を海外に求めたのは、先にアフリカの例で見た通りである。ところが、この命令はことごとく無視された。その理由は、おおむね二つに集約することができよう。 一つは、日本人奴隷のほとんどが、ポルトガルではなくアジア諸国のポルトガル植民地で使役させられていたという事実である。植民地では手足となる、労働に従事する奴隷が必要であり、それを日本から調達していたのである。理由は、安価だからであった。植民地に住むポルトガルの人々は、人界の法則、正義、神の掟にも違反しないと主張し、王の命令を無視したのである。秀吉とコエリョの口論 もう一つの問題は、イエズス会とポルトガル商人にかかわるものであるが、こちらは後述することにしたい。 では、秀吉は日本人奴隷の問題にどう対処したのだろうか。天正14年から翌年にかけて九州征伐が行われ、秀吉の勝利に終わった。前回触れたが、戦場となった豊後では百姓らが捕らえられ、それぞれの大名の領国へと連れ去られた。 奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。 そのような事情を受けて、秀吉は強い決意をもって、人身売買の問題に取り組んだ。天正15年4月、島津氏を降伏に追い込んだ秀吉は、意気揚々と博多に凱旋した。そこで、ついに問題が発生する。 翌天正16年6月、秀吉とイエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョは、日本人奴隷の売買をめぐって口論になったのである(『イエズス会日本年報』下)。次に、お互いの主張を挙げておこう。秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」 秀吉が見たのは、日本人が奴隷としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景であった。驚いた秀吉は、早速コエリョを詰問したのである。コエリョが実際にどう思ったのかは分からないが、答えは苦し紛れのものであった。※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ) しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。 日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。 この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。黙認したイエズス会 それどころか、近くの日本人はその様子を学んで、子、親、妻女すらも売りに来るありさまである。秀吉は、その大きな要因をキリスト教の布教に求めた。キリスト教自体が悪いというよりも、付随したポルトガル商人や西洋の習慣が問題だったということになろう。イエズス会関係者は、その対応に苦慮したのである。 理由がいかなるところにあれ、秀吉にとって日本人が奴隷として海外に輸出されることは、決して許されることではなかった。また、イエズス会にとっては、片方でキリスト教を布教しながら、一方で奴隷売買を黙認することは、伝道する上で大きな障壁となった。イエズス会は、苦境に立たされたと言えよう。そうした観点から、彼らはポルトガル国王に奴隷売買の禁止を要請していたのである。 しかし、日本に合法的な奴隷が存在すれば、話は別である。率直に言えば、当時の奴隷は家畜のように売買される存在であった。モノを売るのであれば、それはまったく問題ないと解釈することが可能である。 幸か不幸か、少なくとも奴隷売買商人は、日本には法律で認められた奴隷が存在すると考えていた。次の史料は、牧英正『日本法史における人身売買の研究』(有斐閣)に紹介された史料である。日本には奴隷が存在するか否か、また何ゆえに奴隷となるのか。また子供は、奴隷である父もしくは母の状態を継続するのか否か。彼ら(=奴隷売買商人)が答えて言うには、奴隷は存在する、と。奴隷は戦争中に発生する。また、貧しい親は自分の子供を売って、奴隷とする場合もある。(以下、二つ目の質問に関する回答)子供は次の方法によって、親の状態を受け継ぐ。つまり、父が奴隷で母が自由民の場合は、誕生した男子は奴隷で、女性は自由人である。父が自由人で母が奴隷の場合は、誕生した男子は自由人で、女性は奴隷である。両親とも奴隷の場合は、誕生した男女はともに奴隷である。 この問答の様子は、イエズス会が奴隷売買業者を破門にするか否かの尋問を記録したものである。牧氏が指摘するように、この回答は的を射たものである。たとえば、奴隷が戦争中に発生するというのも、これまで戦場での略奪行為「乱取り」で見てきた通りである。親が子を売る例も、たびたび見られた。 加えて、親の奴隷身分(あるいは自由民の身分)がどのような形で引き継がれるかも、日本の慣習に符合したものであった。当時における日本の情勢と比較して、彼らの言葉に特段の矛盾点は見られないようである。 このような解釈が存在したため、イエズス会では奴隷売買の商人による日本人奴隷の売買を黙認していた節がある。とはいうものの、こうしたデリケートな問題は、徐々にキリスト教の布教をやりにくくしていった。豊臣秀吉像(東大史料編纂所提供) 大きな問題だったのは、一部の宣教師たちが奴隷商人と結託して、日本人奴隷の売買に関与していたということである。そのような状況の中で出されたのが、先述したポルトガル国王の奴隷売買禁止の命令なのである。 ここで触れた、ポルトガル商人による奴隷売買については、次回も続けて取り上げることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令■川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

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    統計不正も実質賃金も「アベガー」蓮舫さんの妄執に為す術なし?

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 厚生労働省の毎月勤労統計を巡る不正問題に関して、ワイドショーなどでは相変わらず「低レベル」と言っていい報道が続いている。 毎月勤労統計の不正問題自体は、国の基幹統計と言われる賃金水準の実態を正確に捉えることを怠った問題であり、厚労省の官僚たちを法的に厳しく処罰すべき問題であろう。 また、厚労省が設置した「特別監察委員会」に関するずさんな対応については、これはデータ不正そのものを生み出した厚労省の「自己都合」で、国民の関心をないがしろにする行為として批判すべき問題である。ただし、どの程度のデータ不正かと言えば、報道や野党、そして一部の識者からは、安倍晋三政権批判の思惑が「ダダ漏れ」で、そのため過度に誇張されたものになっている。 筆者の周囲でも、ワイドショーから情報を仕入れた人が「統計不正は大変な問題ですね。安倍政権の責任は大きいですね」と尋ねてきた。そこで筆者は、統計の全数調査を怠ったことは重大な「犯罪」だが、抽出調査自体は統計的には適切に実施し、法規に従えば特に大きな問題ではないことを説明した。 その上で、安倍政権のはるか前から続いていた話が、安倍政権で発覚したに過ぎないことを指摘した。ついでに「ワイドショーなどを見て、その報道につられて、安倍政権が悪いように誤解する見識のない人が増えて、テレビに振り回されていて、かわいそうだ」と返したら、やはりご本人に思い当たることがあるのか、顔色を変えてにらまれてしまった。 この例でも分かるように、安倍政権の長期化に伴い、これまたテレビの影響で「長く続くからダメ」というような、事実に立脚しないイメージ批判が蔓延(まんえん)している。そのせいで、ワイドショーなどの報道を鵜呑みにする人たちや、何でもかんでも安倍政権のせいにする人たちを、私の周りから遠ざけてしまうことになった。ただでさえ「友達」が少ないから、安倍政権の長期化は困ったものである。2019年2月、厚生労働省が入る東京・霞が関の中央合同庁舎 統計調査不正を利用して、安倍政権の経済政策の成果を不当に貶(おとし)める発言も実に多い。別に安倍政権を特に持ち上げる必要はない。だが、安倍政権の経済政策が、雇用面で大きな成果を挙げたことは否定できない事実である。 マスコミや野党、反安倍的な識者には、この成果を否定したい思惑が広がっていて、それは事実の否定さえも伴っている。確かに、統計不正はいわば事実をないがしろにする行為だ。だが、批判している野党やワイドショーなどのマスコミがまさに雇用改善の事実をないがしろにしているとしたら、悲劇を超えて「喜劇」ですらある。蓮舫氏「事実誤認」のツイート 例えば、立憲民主党の蓮舫副代表はツイッター上で次のように述べている。 「アベノミクスの成果の根拠として、去年6月に前年比3・3%としていた賃金上昇率の伸び率が、実は1・4%だった。実質賃金の伸び率で比較すると、2%が実は0・6%と推計されました。昨年1月から11月の平均は、マイナス0・5ではないかと推計もされます。野党ヒアリングで厚労省はおおむね認める発言をしました」 まず、安倍首相自ら国会で説明している通り、アベノミクスはその成果の根拠としても、政策目的としても、実質賃金の伸び率を重視したことはない。蓮舫氏はこの点で事実誤認している。 さらに、前年比での実質賃金の伸び率がマイナスなのは、単に17年が18年よりも実質賃金の「水準」が高かったからである。しかも、アベノミクス期間中の賃金指数を、不正データと修正データとを比べると、むしろ上昇している。都合の悪いデータを隠すことは十分考えられるが、都合のいいデータを隠す意図は、さすがに政権側にはないと考えるのが常識的だ。 もちろん、強固な反安倍主義者の中には、それでも政権への「忖度(そんたく)」があった、と考える人がいるが、もはや事実を提示して納得できるようなレベルの人たちではないだろう。悪意か妄執か、あるいは頑なな政治イデオロギーの持ち主か、いずれにせよ経済学による説得では無理である。 またアベノミクスの開始当初から、なぜか蓮舫氏のように実質賃金とその伸び率を重視する人たちが多い。その多くが反安倍、反アベノミクス論者である。立憲民主党の蓮舫副代表兼参院幹事長=2018年5月(春名中撮影) だが、そもそもアベノミクス、その中核であるリフレ政策(デフレを脱却して低インフレ状態で経済を安定化させる政策)は、実質賃金の水準や伸び率の動きをただ上げればいいだけの政策のように、単純な見方はしていない。むしろ、長期停滞からの脱出局面(現時点)では、実質賃金の伸び率が低下することも不可避であると主張してきた。 リフレ政策が効果を与える停滞脱出期においては、実質賃金の切り下げが生じる。なぜなら、雇用が増加することで、新卒や中途採用、退職者の再雇用といった新たに採用された人たちの賃金は、既に長年働いている人たちの賃金よりも低いことが一般的だ。 すなわち、雇用される人数が増え、失業率が低下することは、同時に平均的な賃金を低下させることになる。これを「ニューカマー効果」という。あべこべな日本の「リベラル」 しかしニューカマー効果では、同時に失業率が改善し、雇用状況の改善(有効求人倍率改善、いわゆる「ブラック企業」の淘汰など)も実現していく。さらに、支払い名目賃金の総額も上昇していくだろう。そうして、経済全体の状況は大きく改善されていくのである。 実際、安倍政権ではこのニューカマー効果による実質賃金低下と、同時に失業率低下、有効求人倍率の上昇、賃金指数の増加、名目国内総生産(GDP)の増加などが見られる。さらに、雇用安定化の成果で、失職などに伴う経済的要因での自殺者数が激減し、不本意な形で就業しなくてはいけない非正規労働者の数も大きく減少した。これらは、単にアベノミクスによって雇用の量的な改善だけでなく、質的な改善も見られたことを証明している。 そして失業率が低下していくと、いわゆる「構造的失業」という状態に到達する。その過程で名目賃金の増加だけではなく、労働市場の逼迫(ひっぱく)の度合いに応じて、実質賃金も上昇していく。日本経済は、2014年4月の消費税率8%引き上げの悪影響がなければ、このプロセスが実現していた可能性が大きい。 このように蓮舫議員に代表されるような「実質賃金低下ガー(問題)」論者は、あまりにも問題を単純に捉えていると言わざるを得ない。実は、実質賃金の低下だけを問題視する人たちは、経済が常に完全雇用の水準にあると思い込んでいる新自由主義者的な人に多い。 新自由主義的な人からすれば、実質賃金の低下など、単に労働の生産性の低下を示すものでしかないからだ。蓮舫議員を含む立憲民主党や国民民主党などの多くの野党は、確か経済問題を適切な政府介入で是正していく「リベラル」のスタンスであるはずなのに、主張が新自由主義者風なのはなぜだろうか。 おそらく、野党議員の多くは経済政策のアドバイスを受ける相手を間違えているのであろう。例えば、立命館大の松尾匡(ただす)教授が最近、安倍政権の経済政策に対抗するリフレ政策的な政治キャンペーン「薔薇マークキャンペーン」を始めている。なんでも今度の参院選に立候補する議員に、反緊縮に賛同する候補者と対して「薔薇マーク」の認定を与えるというものだそうだ。2019年1月、毎月勤労統計の不正調査問題で、厚労省の職員らに質問する野党議員(奥) 認定候補が野党勢力だけかどうか定かではないが、筆者はこのキャンペーンが与野党の対立構図に乗った政治色の強いものだと考えている。リフレ政策はそういう政治的イデオロギーを超えるべきだと考えているので、この運動自体には賛成できない。 ただ、蓮舫氏のような反安倍主義者たちが、よりまともな経済政策を構築するには、松尾氏のアドバイスに対して、真剣に耳を傾けることを勧めたい。それが日本の政策議論の底上げにもつながるに違いないからだ。■ 豪雨災害「クーラーデマ」を否定しない蓮舫議員もどうかしている■ 民進党、勘違いしてませんか? 蓮舫氏「二重国籍」は元凶ではない■ 「蓮舫降ろしの密約」内部崩壊した民進党が政権復帰するために

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    NHK『いだてん』 スタートでコケた理由を邪推したらこうなった

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 東京五輪、本当にやるんだな。世界中に虚勢張って大ウソこいて大風呂敷広げた割に、課題は山積み。エンブレム盗作騒動に新国立競技場のデザイン騒動、さらには招致活動賄賂疑惑って。もう呪われているとしか思えないが、後へは引けず。こうなったら過去の成功も苦労話も交えて讃えて、「なんだか分からないけど東京五輪はすごい!」と思わせてしまおう、と国と東京都とテレビ局各局。 NHKは4K&8Kで大枚はたいちゃったから、五輪盛り上げて元をとらないと。そこで仕込んだのが大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』……という印象がある。 初回は酷評の嵐。宮藤官九郎ドラマをこよなく愛する人の口からも、「これはさすがにキツイ」「初回で脱落」という声が聞こえた。確かに、主役が誰だか分からん。もちろん、NHKの鼻息荒い宣伝番組を見ていれば、中村勘九郎と阿部サダヲのW主演は分かったはずだが、宣伝もしつこすぎると逆効果という典型例。とにかく登場人物が多くて、主役級の俳優もわちゃわちゃと画面上にひしめいていたのだから。 さらに、描く時代もひとつじゃない。明治の話? いや、昭和の東京五輪じゃないの? メインは柔道の話? マラソンの話? 水泳じゃないの? え、落語家まで出てくるの? もうハテナが頭上に浮かびまくりで、さすがに情報処理しきれず。年寄りは早々にリタイア。いわゆる定番の大河ドラマが好きな人も脱落。辛抱強く見続けた人だけが到達できる過酷な日曜夜になってしまう予感。みんなダラダラと見るはずだったのに…と。NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)~』の取材会に出席した(前列左から)中村勘九郎、役所広司、竹野内豊(後列左から)永山絢斗、古舘寛治、シャーロット・ケイト・フォックス=茨城・ワープステーション江戸 まあ、怒濤(どとう)の初回はさておき、2回目からは勘九郎演じる金栗四三(かなくりしそう)に、かなり焦点が絞られた。グンと入り込みやすくなったし、世間の評価も上がったような気がしているのだが、どうだろう。 少なくとも私は、37歳の勘九郎が演じる四三の、想定外の若さとみずみずしさに驚いたし、土着感を残した筋骨隆々な体型にも目をかっぴらいた(私の周囲の女性たちも、案外ここに反応していた)。勘九郎のコミカルな家族も、大河っぽいノスタルジーを込めた生育背景も存分に楽しみ始めたんだけどなぁ。高視聴率がとれる3要素 大河に限らず、高視聴率を取れるドラマというのは、1に「主人公のわかりやすい人物像」、2に「単純な対立構造」、3に「魅力的な登場人物」が必ずある。女性票を集めるのは「恋愛関係あるいは主従関係の妙」でもある。 1は言わずもがな、坂本龍馬とか西郷隆盛とか、ルックスも気質も功績も、誰もがうっすらと分かるような歴史上の有名な人物だ。あるいは『相棒』『ドクターX』『科捜研の女』のように、変人、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)、ワーカホリック(仕事中毒)など、とっつきにくいが異常に分かりやすい性質の人物である。そこが見えれば、入り込みやすい。 2もしかり。無謀かつ無慈悲な名を下す暴君に立ち向かうとか、権威主義に逆らうとか、子供でも老人でも分かる対立構造。『おんな城主 直虎』で言えば無茶ぶりする今川家、『半沢直樹』で言えば責任をなすりつけてくるクソ上司。敵が分かりやすいというのは、老若男女が見る上でたぶん必須なのだろう。 そして、3はどうか。主役でなくてもいい。主人公に仕える手練(てだ)れの右腕でもいいし、心底嫌悪感を抱かせるヒールでもいい。誰かフックになる「お気に入り」が見つかれば、自ずと見続けるはずだ。私自身は『龍馬伝』の香川照之、『平清盛』の井浦新、『軍師官兵衛』の家臣たちに、『西郷どん』の青木崇高あたりだ。主役はさておき、彼らに魅力を感じて視聴し続けた記憶がある。女性が見守るキャラクターは、二枚目や人気俳優であることが多いけれど。  この3つを、しょっぱなからどーんとぶつけて惹きつけることもあれば、時間をかけてじっくり描く場合もある。『いだてん』は今のところ、一つもクリアしていない。それがスタートダッシュの敗因だ。既に4回放送し、うっすら芽生えかけているモノはあるが、まだ全体としてはとっ散らかっている状態。だから、せっかちな客は離れてしまったのだ。五代目古今亭志ん生を演じるビートたけし(桐原正道撮影) 懸念はまだある。落語家編も同時進行で入り乱れているのが気になる。目と耳が慣れてくれば気にならないかもしれないが、このパート、このドラマに本当に必要? 体育会系の猛者と日本人の苦労話だけじゃダメ? 日本のスポーツの夜明けだけでよくない? 大多数の単純明快を求める人は、シンプルにそう思うのではないか。いや、「複数の伏線が最終的に大団円」が大好きなドラママニアにも、ある提案が脳裏をよぎる。それは、「落語家パート分離案」である。NHKっぽいオーダー 特に、キレのある動きが粋でいなせな森山未來や、役者界の「神の申し子」神木隆之介、大人計画主宰の松尾スズキなど、せっかくの名優たちが落語パートでさらっと散らされている。クドカンが大好きな小泉今日子もこっちだ。ひょっとしたらこっちはこっちで、別のドラマにした方が断然見やすいのではないか。『東京オリムピック奇譚~汗と涙と無縁のロックな落語編~』をBSプレミアムで放送してくれたら、まったく別の視聴者層が集中して、話題になったのではなかろうか。表大河と裏大河、みたいな感じで。 東京五輪に対して「疑問派」や「いまだに反対派」は、こっちの娯楽ドラマだったら楽しめそうな気もするし、スポーツそのものに興味がない「文系派」と「芸能派」も、ロックな落語家と五輪の因縁だったら、ちょっと観てみたくなるのでは?  で、勝手に妄想する。もしかしたら、クドカンはスポーツの世界だけを描くことに不安を覚え、自分の持ち味を出せる芸能系と組み合わせたのではないか。いや、そこも、もしかしたらNHK側からオーダーがあったのではないか。当初は「東京五輪」のお題から始まったものの、「1年やるなら、時代をまたいだ方がいい」「本業公演のある歌舞伎役者を主演にするならW主演で、大きく2パートに分ければ負担も少ない」「そのふたつをつなぐフックがほしい」「じゃあ、スポーツと関係ない分野で、たとえば落語はどうでしょう」みたいな。 と妄想で書いていたら、NHKのホームページに本人のインタビューが載っていた。「落語は橋渡し」だそうで。あながち間違っちゃいなかった。多岐にわたる人物と物語を描くのは、初めから決めていたようだ。きっとこれからその橋渡しが説得力をもって描かれていくのだろう。 それでも、「日本人すごい」「汗と涙の苦労話」「競技は偏りなく種目多めで」「JOCとか後で横やり入れてきそうなんで、組織の人間の話も」「こうるさい視聴者も多いので、適度な史実をまぶして茶を濁して」「フィクションです、とことわり入れますから」といった、いかにもNHKっぽいオーダーや気遣いも多分にあったのではないか。金栗四三を演じる中村勘九郎(南雲都撮影) こうなると、妄想が止まらない。「ちょっとイケメンが少ないと中年女性が釣れないから、松坂桃李と竹野内豊をぶちこんで」「『LIFE!』で育てて『おげんさんといっしょ』でキラーコンテンツを確立したNHKとしては、星野源はマストで」「ジャニーズは生田斗真で手打ちに。これ以上は勘弁」「『あまちゃん』ファンを誘うなら、のんでしょ」「適当に大御所も入れといて、年輩層もほんの少しひっぱりこむのも忘れずに」などなど。 逆に、この混乱の理由を勝手に邪推して、妄想するのも楽しくなってきたぞ。今後発表されるキャストも踏まえて、さあ皆さんもご一緒に、レッツ邪推。■『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである■女主人公を暗躍させたがる謎の「大河縛り」 もうやめたら?■ムロツヨシに惹かれるのは「オキシトシン系」男子だから?

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    信長を「武家の頂点」に導く龍の橋

    信長が安土築城を命じる少し前、大津の瀬田川に架かる「勢多の唐橋」を再建した。表向きは人々の行き来を思いやってのことだったが、本心はこの橋のたもとにまつわる龍神の言い伝えとも深い関係があったという。そして、この橋を建築した男は、後に安土城天守も手掛けた天下取りのキーマンでもあった。

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    「龍宮に続く橋」信長のオカルト願望を叶えた御用建築家

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 前回は安土築城開始と二条御新造築造について触れたが、ここで前年、天正3(1575)年に少し話を戻したい。 越前で行われた、越前一向一揆の大虐殺。一揆側の死者は1万数千人、生け捕りにされ奴隷として送られた者は2万人以上に及んだ。前年の長島一向一揆は2万人以上の死者を生んだが、越前でもそれに勝るとも劣らない数の犠牲が出たのだ。 9月、越前で戦後処理中の信長が配下の者に出した書状は「嘉例の紙子(かみこ)□(欠け)来(到来か)候」と、紙製の衣服を贈られた礼を述べたものだが、「嘉例=めでたい前例=縁起担ぎ」を喜ぶ彼の性向が現れているとともに、重要な一節も含んでいる。 「その表の儀も本意程有るべからず候」 宛て先不明なので「その表(その方面)」がどこなのか確定できないのだが、当時の状況から考えて大坂本願寺のことだろう。「本願寺攻めの最終的な勝利も間もなくだ」と信長の鼻息は荒い。彼はこの年の春の段階で、既に「秋に本格的な本願寺攻撃作戦を実行する」と宣言し、細川藤孝にも「大坂本願寺など、ものの数ではない」と豪語している。 だが、長島と越前を失った本願寺は動揺していた。そして、いったん態勢を整えるための時間稼ぎを狙ってこの後、和平攻勢を掛けてくることになる。大阪城で発掘された石山本願寺の礎石 実は、これは信長にとってもメリットがある話だった。それについてはこの後すぐ説明していくとして、いったん話を他の方面へ転じよう。舞台は南近江の大津である。 10月12日。3カ月前に立柱式を行った瀬田川に架かる橋が竣工(しゅんこう)。交通の要衝として、さらには観光名所として、「勢多の唐橋」は歌枕になるほど有名だったが、観応の擾乱(かんのうのじょうらん、1349~52年にかけて続いた足利政権の内紛)で焼け落ちて以来、放置されていた。そのため信長は仮の舟橋(船を何隻も並べ、その上に板を敷いて渡る)を設置させていたのだが、ちょうど前年から始めさせていた支配権内の道路・橋の整備の一環として、この橋も再建させたのだ。 完成した橋は、幅4間(約7・3m)、長さ180間(約327m)余り。かつて朝廷によって架けられ、メンテナンスされてきた橋が信長によって再建されたということは、信長の権威がある意味で朝廷をしのいだことを意味する。それではさすがに刺激が強すぎて憚(はばか)りがある、と考えたか、信長は「天下のためというのは建前で、本音は行き来する旅人を思いやってのことだ」とオブラートにくるんだ物言いをしている。「唐橋」に隠された伝説 だが、その一方でこの新しい勢多の唐橋には注目すべきエピソードが残っている。信長の死後100年経って成立した伝記ということで信頼度はあまり高くないのだが、『総見記』にはこうある。 「そもそもこの橋の下は、龍宮の城門なんど(と)云伝へ」 勢多の唐橋の水底には、龍宮の城門があると言い伝えられていた、というのだ。もしそうなら、龍や大蛇を信奉する信長としては、何がなんでも龍宮に通じる橋のスポンサーにならなければならないではないか。 確かに、勢多の唐橋の東西のたもとには今も「橋姫神社」と「勢田橋龍宮秀郷社」が鎮座している。橋姫神社は龍神、龍宮秀郷社は大蛇に姿を変えて現れた龍神の神託によって勢多のムカデを退治した「俵藤太(たわらのとうた)」と呼ばれた藤原秀郷(ひでさと)を、それぞれ祀るものといい、平安時代から信長の時代を経てこの伝承が語り継がれていたことが分かる。信長が目をつけるのも当然だ。 その上、橋の再建場所は水深が深く、柱を立てる適当な場所もなさそうだったにも関わらず、まるで川底から生えてきたように大石があり、しかも柱を立てるのにちょうどよい穴まで開いていた。これはすべて偶然で、皆が「龍神のする所」と言い合った、と話は続く。これは、まさに信長が龍神に祝福された存在であることを世間に宣伝するための「奇跡譚」そのものだ。 信長は、朝廷に対しては「旅人のためですから」と当たり障りのないコメントを出しておいて、一方では勢多の龍神を朝廷から取り上げたのだ。欄干がやや濃い茶色に塗り替えられた瀬田唐橋=2012年6月、滋賀県大津市(小川勝也撮影) ちなみに、この工事に際して信長は「末代のために頑丈に作れ」という言葉を使っている。表面的には末代まで旅人の利便に供するように、ということだろうが、一方では龍神のパワーが永遠に信長の手中にあるように、とも取れる。というよりも、むしろ後者が信長の意図するところだったと考えた方がよさそうだ。 その7日後。京の妙覚寺に滞在している信長のもとを訪れた者がいた。奥州の伊達輝宗の使者である。輝宗は後に豊臣秀吉や徳川家康から警戒された「独眼竜」政宗の父であり、伊達家は代々将軍や朝廷に献金して陸奥国守護職や奥州探題に任じられ、中央の権威を利用して勢力を拡大してきた。輝宗は、信長を天下人と認めてよしみを通じようとしたわけだ。信長「満面の笑み」のワケ 輝宗は信長に岩石黒(がんぜきくろ、黒鹿毛)と白石鹿毛(しろいしかげ)という2頭の馬を献上した。特に白石鹿毛は奥州でも有名な、乗り心地抜群の駿馬(しゅんば)で、信長も礼状に「非常に目を驚かされた。近来まれに見る名馬で、大いに秘蔵している」と記している。 実はこの馬、「竜(りょう)の子の由なり」と解説が付いていたという。龍の子だそうだ、とは聞き捨てならない。信長が気に入るのも当たり前の話だ。名馬は龍の子=龍馬(りゅうめ)、龍蹄(りゅうてい)と呼ばれたものだったが、それを手に入れ、騎乗している信長の満面の笑みを想像しただけで、ニヤニヤとしてしまうのは筆者だけだろうか。 こうして信長が龍の子のオーナーとなってからわずか2日後の21日、政治的に大きな出来事が起こった。大坂本願寺との講和成立である。戦況不利によって和平工作を展開していた本願寺側の努力が功を奏し、茶湯の名物道具を献上された信長も「本願寺から懇望されているから、二度と心変わりしないようよく念を押した上で」と同意したのだ。 「あれだけ本願寺の討滅を叫び、圧倒的に有利な状況になっていた信長がなぜ?」と思うところだが、その理由は後で明らかになる。 11月4日、信長は朝廷から従三位権大納言に叙位任官され、続いて7日に右近衛大将に任じられる。これが重要な意味を持っていた。左右の近衛大将は武家の最高職であり、とりわけ右近衛大将、略して右大将というのは鎌倉幕府を開いた源頼朝が就いた役職だった。ということは、信長は幕府を開くか、そうでなくてもそれに相当する政治体制を主宰する大義名分を得たことになる。 その上、信長が京から追放した室町幕府の将軍、足利義昭は左近衛中将のままであり、以前から右大将への昇進を熱望していたのだが、信長に横取りされてしまった形だ。つまり、信長は官職の面で義昭を上回った。実質だけでなく形の上でも室町幕府の上位にある存在、今や信長は文字通り武家の最高権威となったのだ。以降、信長に対する呼び方は「上様」が定着していく。新清洲駅前にある織田信長像=愛知県名古屋市(中田真弥撮影) この年、義昭は亡命先の紀伊国田辺から甲斐(かい)の武田勝頼、相模の北条氏政、越後の上杉謙信の三大勢力に働きかけて交戦を中止させようとしていた。「反信長同盟」に引き込んで、信長を討たせようと目論んだわけだが、ちょうど信長が本願寺からの講和要請を受け入れたころに武田と上杉は和平を結び、背後の脅威が去った勝頼はすぐに東美濃へ兵を動かすことになる。 これに対して信長は「上様」となり、義昭を「反逆者」と世間にアピールした。その上、本願寺と講和したことによって室町幕府が掌握していた京とその周辺(当時はこれを「天下」と呼んでいた)に敵対勢力はいなくなり、その面でも信長は将軍に匹敵する実績を挙げた形になった。これも、龍の橋を造り龍馬に乗った効験だろうか。信長の「御用建築家」 11月10日、東美濃の岩村城を包囲していた織田軍に対して攻撃をかけた武田軍は信長の嫡男・信忠によって破られ、1100人余りの死者を出して退却。救援の望みを失った岩村城は開城降伏した。信忠は父・信長が右大将任官の時、「秋田城介(あきたじょうのすけ)」という官職を与えられたが、これは将来的に信忠が関東・東北方面の攻略のリーダーになることを宣言する意味があったと考えられる。 18日後、その信忠に織田家家督と美濃・尾張の2カ国、それに岐阜城を譲った信長は、織田家も将軍も超越する存在として天正4(1576)年を迎えるのだった。 ここで話は前回の続きとなる。 明けて正月、織田家一同が屠蘇(とそ)気分を味わう時間は短い。信長が安土築城の大号令を発したのだ。普請奉行は丹羽長秀。1カ月後には早くも仮御殿が完成し、信忠に岐阜城を譲って以来、佐久間信盛の屋敷に居候していた信長は早速そこに引っ越ししている。 信長が安土山を新たな本拠地に選んだ理由は何だったのか? それは単に京との行き来の手間を短くする、ということもあっただろうが、それ以上に本願寺や紀伊雑賀衆、中国地方の毛利氏など、近い将来敵として戦うことになるだろう相手との距離を詰めておきたい、という狙いもあった。 軍勢の規模が大きくなっていたために、岐阜城からでは補給線が長くなりすぎて長期戦の維持が困難だったからだ。事実、上洛(じょうらく)以来信長の作戦行動の範囲は大坂辺りが限界点となっている。それを解決する手段が、関ヶ原経由で岐阜とも結ばれ、琵琶湖に面する舟運の便にも恵まれた安土山だった。安土山頂から西の湖(琵琶湖の内湖。かつての大湖・中湖の一部)を望む(著者撮影) 4月1日からは天主(天守閣)の工事も始まった。こちらの普請奉行は木村次郎右衛門(名は高重)という男で、勢多の唐橋の架橋工事や、信長の右大将任命を決定する「陣座(じんのざ。上級の公家が政策を決定する場所で、現代なら首相官邸の閣議室といったところか)」の建築工事も彼の仕事だった。いわば信長の「御用建築家(アーキテクト)」である。 「龍の橋」を築いた次郎右衛門は、信長の龍・大蛇志向を理解し、その意を受けて具象化・実体化を受け持つプロフェッショナルだったと考えられる。その彼が担当する安土城天主。それまでには存在しなかった唯一無二の建造物が、その姿を現すのはまだ少し先の事だった。そして、京・二条の「龍躍池」の新屋敷の築造も、この頃に開始されたというわけだ。■ 天皇家への挑戦状、井沢元彦が読み解く天才信長の「自己神格化計画」■ 信長でも苦慮した改元「元亀から天正」暗闘の歴史■ 寺社ファシズムと戦った信長、日本経済に必要な「自由化」の荒療治

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    「嵐」活動休止、彼らの成功支えた3つの「三位一体」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本を代表するアイドルグループ、嵐が2020年末での活動休止を電撃的に報告した。1月27日午後5時、ジャニーズ事務所の公式サイトで発表された彼らの決断は、ニュース速報となって世界を駆け巡った。 その日の夜に、大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤のメンバー5人そろっての記者会見が行われた。ただ、テレビの生中継もなく、インターネットでの動画配信なども厳しく制限されていて、彼らの所属しているジャニーズ事務所らしい「統制」ぶりではあった。それでも、世界中の嵐のファンには、彼らがなぜ活動休止を決断したのか、その理由が丁寧な言葉とともに伝わったに違いない。 2年近くも休止まで活動期間があるため、本稿で嵐の総括をするのは適当ではないように思う。おそらくこの2年間でも、嵐は日本のアイドル史に残る偉業をさらに作り続けることは間違いないからだ。 そこで、嵐のアイドルとしての特徴を改めて振り返ってみたい。筆者は2014年から15年にかけて、嵐の活動を経済学的な観点から解説したことがある。 以下ではそのときの分析を基に、嵐の活動を経済学的視点から次の4点に絞って解説する。「嵐の経済効果の推計」「嵐ファンの『みせびらかしの消費』」「嵐ファンの『年輪モデル』仮説」、そして最も重要な「嵐の成功を支える三つの『三位一体』」である。 最初の「経済効果」だが、1年間で彼ら5人はどのくらい稼ぎ出しているのだろうか。まず挙げられるのが、ライブ収益やグッズ販売、嵐ファンクラブの会費収入、CDやDVDなどの売り上げ、そしてCMやテレビなどメディアでの収益である。 いわゆる経済効果を考えるときは、単に売り上げだけでなく、どのくらい経費がかかったかを計算する必要がある。売り上げから費用を引いた「粗利」をもって経済効果とするのが正しい。2019年1月27日夜、グループ活動休止について記者会見する「嵐」の(左から)相葉雅紀、松本潤、大野智、櫻井翔、二宮和也 ただし、費用面のデータがないので、あくまで売り上げの推計でしかないことをお断りしておく。さらに嵐の運営本体の売り上げがもたらす経済的波及効果、例えば、嵐が出演したCMがどのくらい商品の売り上げに貢献したか、といった金額も対象外とさせていただいた。 それではライブ収益から見てみよう。音楽CDの売り上げが低下するという世界的な潮流において、ライブを中心にした収益モデルが音楽系のアーティストたちの基本になっている。当然、嵐もライブ活動に力を入れている。日本のオンリー1アイドル 2013年の日本国内でライブを行った音楽系アーティストの観客動員数ランキングで、嵐は約78万人で第4位だった(日本経済新聞社調べ)。その後も観客動員数は順調に増加し、音楽ライブ情報サービス「LiveFans」の独自集計によれば、2018年には国内3位の約89万人を動員したという。 嵐のチケットの平均価格は9000円(一般)で、ファンクラブ会員の値段は一般よりも低い8500円である。ここでは、会員価格を動員数に掛けると、ライブの売り上げは約76億円になる。 他のアイドルも同様だが、嵐はグッズ販売にも力を入れている。ライブ会場では、メダルブローチや嵐メンバーの写真、会場限定販売のパンフレット、うちわに色つき電球を仕込んだ「ファンライト」、Tシャツ、ポーチ、オリジナルUSBメモリなど、筆者が2014年に調べた段階でも多様だった。 最近でもその開発の動きはとどまることを知らない。特に昨年後半から行われているデビュー20周年記念ツアー「5×20」では、会場限定チャームが人気を呼んでいた。個人的には「ARASHIかるた」に興味をそそられる。 当然、多くのファンたちはその場でしか手に入らないグッズに殺到する。売り場の混み具合によって、開演時間まで左右される場合もあるほどだ。一般に業界の経験則では、ライブのチケット代金の7割程度をグッズ購入にあてるという。この経験則を適用すると、先の76億円の7割にあたる53億円がグッズ収入として推計できる。 そして何といっても、嵐のビジネスモデルの中核となるのが、ジャニーズの系列企業が運営するファンクラブの存在だ。現時点での入会金1000円、年会費4000円を元に、会費関連収入を推計しよう。 ファンクラブに入会すると、「プラチナチケット」と化している嵐のライブチケットを優先的に購入することができる。ただし、会員番号が現在で180万台であるため、会員であっても入手は難しい。だが、一般販売はさらに入手が絶望的に困難なので、嵐のコアなファン層はほとんどファンクラブに入っているものと推定される。 もちろん、180万人の会員全てが現存せず、「幽霊会員」も混じっていると考えられるので、少なく見積もってライブに来た延べ人数の90万人ほどが年会費を支払っているとしよう。これだけでも36億円の収入になる。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 世界的にCDの売り上げが低下していると先述したが、嵐の場合はその例外になっている。また、日本の他のアイドルと比べても、ユニークな立ち位置を確立している。 今のアイドル界でビジネスモデルの典型であるAKB48と比較してみよう。AKB48は、CDにさまざまなイベントの参加券や彼女たちの人気度を計る「総選挙」の投票券を付けている。簡単に言えば、熱心なファンには同じCDを複数枚購入するインセンティブが存在するわけだ。AKB48だけでなく、今のアイドルは同じメーン曲のCDを3~5パターン作成することが多い。人気支える「年輪モデル」 ところが、嵐の場合は、シングルでもアルバムでも通常盤と初回限定盤の2種類しかリリースしない。中には何枚も購入するファンもいるかもしれないが、AKB48のように、同じものを複数枚買わせる仕組みはないのである。 それにもかかわらず、売り上げはシングルでもアルバムでも60~70万枚台で、安定的に推移している。嵐のツアーを記録したDVDの売り上げも国内最高水準で、2017年の音楽ソフトの総売り上げは約109億円であった(オリコン調べ)。 ここまでの収益をざっと計算すると274億円になる。同様の推計をした2014年は260億円で、売り上げが拡大しているが、これが全貌ではない。嵐を利用したCM・広告料収入、書籍や雑誌収入、テレビなどメディアへの出演料などが残されているからだ。これらを全部含めると300億円をはるかに上回ることが予想される。重要なのは、この収益水準が、嵐がデビューしてから20年、成長することはあっても衰えないことに特徴がある。いったいその理由はなんだろうか。 嵐の魅力の一つに、彼らのライブの構成力がある。ムービングステージやトロッコ、リフトなどを先駆的に実験し、それは他のアーティストやアイドルたちにも影響を与えたほどだ。 彼らのライブを目の当たりにしたファンが、会員制交流サイト(SNS)でその魅力を拡散し、それを見た他の人たちが生で嵐のライブを見たいと思う。これを「みせびらかしの消費」といい、次は自分も見たいという誘惑を生み出す効果がある。それでも、ライブ構成力は、嵐の多彩な魅力の一部でしかない。 さらに発展する嵐の人気を支えるのが、ファンクラブを核にした「年輪モデル」だ。年輪モデルというのは、若いうちに嵐のファンになった人たちが、年を経てもほとんど抜け落ちることなくファンで居続ける。さらに、より若い層もファンとして取り込んでいき、あたかも木の年輪が形成されるように、時とともに巨大化していくモデルのことを指し、日本ではアニメやマンガ市場でも見受けられる。 このモデルを可能にしている要素の一つが「卒業のないアイドル」というものだ。本来、アイドルは男女問わず、若いときが人気のピークであり、20代前半を過ぎれば大概はアイドルとして終わる、というのが、1970年代から90年代ごろまでのイメージだった。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ところが、ジャニーズ事務所の男性アイドルの多くは、中年になっても「アイドル」として活躍を続けた。メンバーの平均年齢が30代後半の嵐には、「先行モデル」として同じ事務所にSMAPやTOKIO、V6などがいた。つまり、年齢を重ねてもアイドルでいられるノウハウを、所属事務所が経験知として蓄積しているということが分かる。 だが、SMAPの「一時期の休止」(個人的に「解散」とは書きたくないのでメディアの通例に反してこう表現する)により、ジャニーズ事務所の運営に対して、厳しい批判が起きた。だが、今回の嵐の活動休止は、SMAPの一件とは無縁である。嵐の真の「強み」 筆者は休止に関して、メンバーの発言をそのまま真に受けることにしたい。それが彼らへのリスペクトともなるからだ。ただし、それとは別に、ジャニーズ事務所の運営に経済学的な意味で限界が来ていることを指摘しておきたい。 嵐の経済システムは、構造的にはジャニーズ事務所を中心にしたいくつのも分業化した関連企業によって支えられている。評論家の速水健朗氏は「ジャニーズのディズニー化」と形容したが、確かにジャニーズ系のアイドルの肖像権や原盤権の管理は徹底している。 事実、つい最近までネット上で嵐のメンバーの写真を見ることは極めて難しかった。今はかなり緩和されてきてはいるが、それでもK-POP勢に比べれば、管理はいまだに厳格すぎるといえる。 また、このような厳格な管理も同グループの多岐に分かれた企業群によって担われている。音楽著作権やファンクラブ運営、CM・広告制作、グッズ販売、コンサート主催、アイドルグループごとのコンテンツ管理などが挙げられる。 嵐の強みは、この嵐という「商品」を独占的に販売できるジャニーズの、企業集団としての力に大きく依存していたわけである。その力が、上記のように売り上げ拡大の基礎となるものだ。 このジャニーズ事務所の「独占力」が、業界やメディアに対して圧倒的な影響力を持つと同時に、批判の対象ともなってきた。肖像権などで緩い著作権を背景にしたK-POP勢が、BTS(防弾少年団)の国際的な展開につなげたこととは対照的に、ジャニーズ事務所のやり方はいかにも旧世代の遺物のようだ。だが、この事務所の時代からの「遅れ」をものともしない強みが、嵐にはある。2018年11月、公演する韓国の男性音楽グループ「BTS(防弾少年団)」のメンバーら=韓国・仁川(聯合=共同) その強みを一言でまとめるならば「三つの『三位一体』」だろう。国民的なアイドルとしての嵐には、次の三つの「三位一体」が備わっている。「テレビ×広告代理店×所属事務所=パブリシティーの『三位一体』」、「歌+ダンス×演技×バラエティー適応能力=コンテンツの『三位一体』」、そして「ライブ×テレビ×CD+DVD=媒体の『三位一体』」である。 この三つの三位一体を、メンバーが意識的にうまくコーディネートしているのが、嵐の強みである。つまり、アイドルではなく、彼ら自身が創造的な「総合監督」的な地位を獲得していることが、成功の大きなカギとなっているのである。 この強みを裏付けるように、今回の決断に至る過程においても、彼ら自身が長期間徹底的に話し合い、その後に事務所との交渉に移行したという。ファンや国民の声援を背景に、「作られるアイドル」ではなく「自らの人生を作るアイドル」、それこそが嵐の経済モデルである。■ 「義理と人情」日本的価値観を体現したSMAP解散劇■ 元SMAP3人のホンネに国民的アイドルの真髄を見た■ 韓国アイドル「BTS」が映すヘル朝鮮の現実

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    「人身売買」の戦国史、乱世の常識覆した秀吉の禁止令

    渡邊大門(歴史学者) 前回、戦国時代における人身売買の実態について、武田氏などの例を見てきた。今回は、豊臣秀吉が織田信長に代わって天下取りに名乗りを上げて以降、人身売買にどのような対策を講じたのかを確認することにしよう。 秀吉の天下取りは、戦いの連続であった。信長が本能寺の変で横死した天正10(1582)年6月以降の主な戦いに限って列挙すると、次のようになる。 ①天正10年――明智光秀を滅亡に追い込む(山崎の戦い)。 ②天正11年――柴田勝家を滅亡に追い込む。 ③天正12年――徳川家康との戦い(小牧・長久手の戦い)。 ④天正13年――土佐の長宗我部氏を降伏に追い込む(四国征伐)。 ⑤天正14年――薩摩の島津氏を降伏に追い込む(九州征伐)。 ⑥天正18年――小田原北条氏を滅亡に追い込む。 この間にも小さな戦いはたくさんあり、秀吉は全国平定に向けて、着々と足元を固めていった。戦いでは雑兵による略奪行為の「乱取り」が行われ、それが人身売買の温床になったことは言うまでもない。秀吉は人身売買を禁止すべく熱心に対策を講じており、九州征伐や小田原征伐において関係史料を確認することができる。 天正14年の九州征伐の直前、薩摩の戦国大名・島津氏に対抗すべく、秀吉に助けを求めたのは豊後の戦国大名・大友宗麟である。かつて大友氏は九州北部を統一する勢いだったが、この頃には島津氏を相手に苦戦を強いられていた。 宗麟は日の出の勢いの秀吉に助力を求めたが、島津氏は秀吉の実力を侮っていた。そして、大友氏を血祭りに上げるべく、豊後に攻め込んだのである。戦乱の中で、乱取りや人身売買に苦しめられたのが、豊後に住む普通の人々であった。ポルトガル人宣教師のフロイスは著作『日本史』で、乱取りや人身売買の惨状を次のように記している。薩摩の兵が豊後で捕らえた人々の一部は、肥後へ売られていった。ところが、その年の肥後の住民は飢饉に苦しめられ、生活すらままならなかった。したがって、豊後の人々を買って養うことは、もちろん不可能であった。それゆえ買った豊後の人々を羊や牛のごとく、高来(長崎県諫早市)に運んで売った。このように三会・島原(以上、長崎県島原市)では、四十人くらいがまとめて売られることもあった。豊後の女・子供は、二束三文で売られ、しかもその数は実に多かった。 実に生々しい光景である。島津氏配下の雑兵は捕らえた豊後の人々を肥後で売ろうとしたが、飢饉により売買が困難と知るや、今度は現在の長崎県諫早市へ行って売買した。売られた人々は、かなりの数であったことが判明する。豊臣秀吉像(東大史料編纂所提供) いくら奴隷が安価な労働力とはいえ、二束三文とはあまりに安すぎる。この話が事実であったことは、島津氏の家臣、上井覚兼(うわい・かくけん)の日記『上井覚兼日記』天正14年7月12日条に次の通り記されている。路次すがら、疵(きず)を負った人に会った。そのほか濫妨人(らんぼうにん、乱暴狼藉を働く人)などが女・子供を数十人引き連れ帰ってくるので、道も混雑していた。 島津領内には、戦いで負傷した兵卒たちも帰還したが、濫妨人は戦利品として豊後から女や子供をたくさん引き連れ、道が混雑していたというのである。戦利品として人を略奪するのは、すでに当たり前になっていた。憂いた農村の荒廃 この惨劇を目の当たりにしたであろう秀吉は、いかなる対応をしたのであろうか。以下、確認しておこう。 先に掲出したフロイスや上井覚兼の記述は事実であり、秀吉はすぐに人身売買の対策を行った。天正16年8月になって、秀吉は人身売買の無効を宣言する朱印状を発給している(「下川文書」)。次に示しておく。豊後の百姓やそのほか上下の身分に限らず、男女・子供が近年売買され肥後にいるという。申し付けて、早く豊後に連れ戻すこと。とりわけ去年から買いとられた人は、買い損であることを申し伝えなさい。拒否することは、問題であることを申し触れること。 この文書は、加藤清正と小西行長に宛てられたものである。2人が肥後国に配置されたのは、天正16年閏5月15日のことである。したがって、2人の肥後入部直後には、秀吉から指示があったと考えられる。 この場合、人を買った者には、秀吉からの金銭的な補償はなく、「買い損」ということになっている。では、どのような理由があって、秀吉は買われた人々を豊後へ連れ戻す措置を指示したのだろうか。 戦場で雑兵が戦利品として人々を連れ去り、売買することは前回も述べた。しかし、戦争で田畑が荒れ果てたうえ、肝心の農民たちが他国に売買されたとなると、農村の復興が進まなくなる。それでは農作物の収穫がなくなるので、大名領国化の経済を揺るがす、非常に大きな問題だった。 逃散(ちょうさん)などによって農地が放棄されるがごとく、人身売買によって肝心の耕作者がいなくなってしまうことは、秀吉の本意ではなかった。秀吉はこれまでも、戦争後に還住令(逃げた農民が元の土地に戻るよう勧める法令)を発布するなどし、戦災後の復興に力を入れていた。そうでなければ、土地を奪い取った意味がなくなるからである。 同じような朱印状は、筑後の大名である立花宗茂と毛利秀包(ひでかね)にも発給された。やはり、対象となったのは、豊後から筑後へ売買された人々の扱いであった。大友氏の領国である豊後は戦場になったのであるが、年貢を納入する主体の農民が数多く連れ去られ、農村の荒廃が進んでいたのは疑いないところである。大分市にある大友宗麟像 秀吉の人身売買禁止という強い姿勢は、降伏に追い込んだ島津氏にも向けられた。次に、史料を掲出しておこう(「島津家文書」)。先年、豊後から連れ去った男女のことは、薩摩の領内を捜し出し、見付け次第に帰国させることを申し付ける。隠し置いた場合は、落ち度である。人の売買は一切禁止することは、先年定めたとはいえ、重ねて言うところである。 本文書の発給された年次は不詳であるが、天正16年ごろと見るのが妥当ではないだろうか。和睦したとはいえ、薩摩・島津氏は大身の大名である。それでも容赦せずに、薩摩領内にいる豊後の人々を帰還させるように命じた。2行目の後半部分にあるように、人身売買禁止はすでに決まっており、重ねての通知だったようだ。広がった禁止令 ところが、人身売買の禁止令は、戦場となった豊後だけが対象ではなかった。次に、秀吉が寺沢広高に宛てた朱印状を挙げておこう(「島津家文書」)。薩摩出水、肥後水俣の侍・百姓、男女に限らず、薩摩・大隅・日向そのほか隣国へ彼らが買い取られたことを聞いた。法度の旨に任せて、早々に召し返して帰還させるように申し付ける。もし違反する者があったら、すぐに報告すること。右の趣旨を堅く申し触れ、彼らを帰還させること。 薩摩出水(鹿児島県出水市)、肥後水俣(熊本県水俣市)では侍・百姓や男女を問わず、島津氏領国の薩摩・大隅・日向やその隣国で売買されていた。秀吉は、それらの人々を早急に帰還させよというのである。こちらも本文に記されているように、人身売買は違法行為であることが強調されている。 実は、薩摩出水、肥後水俣を治めていた島津忠辰(ただとき)は、秀吉にその領土を没収されていた。その後の措置にあたったのが肥前唐津(佐賀県唐津市)の寺沢広高であったが、混乱の中で領内の多くの人々は売り払われたのであろう。これでは、戦後の復興はままならない。秀吉は人身売買禁止という方針をもとに、その対策を広高に命じたのであった。 かつて、戦場における人の略奪は、当然の行為として認識されてきた印象がある。しかし、秀吉は人の略奪や人身売買禁止という政策を採った。その方針は、国内の大戦争である小田原北条氏との戦いでも受け継がれた。 天下取りを目指す豊臣秀吉にとって、最後の強敵は小田原北条氏を残すのみとなった。北条氏は関東一円を支配下に収め、その実力は侮れないものがあった。 天正17年11月の名胡桃(なぐるみ)城事件が秀吉の惣無事(私戦の禁止)の基調に違反したため、同年末に秀吉は北条氏に宣戦布告し、両者の戦いが始まった。名胡桃城事件とは、沼田城代の北条氏の家臣である猪俣邦憲(いのまた・くにのり)が、謀略によって真田昌幸の名胡桃城を占拠した事件である。戦いは関東各地で繰り広げられたが、北条氏は徐々に劣勢に追い込まれ、ついに天正18年6月に小田原開城となった。小田原城=神奈川県小田原市 この間、秀吉は諸大名に対して、人身売買を禁じる旨を申し伝えている。天正18年4月27日、秀吉は上杉景勝に宛てて朱印状を発給した。次に、内容を確認しておこう(「上杉家文書」)。国々の地下人・百姓などは、小田原町中の外で、ことごとく還住させることを申し付ける。そのような中で、人身売買を行う者があるという。言語道断で許しがたいことである。人を売る者も買う者も、ともに罪科は軽いものではない。人を買った者は、早々に彼らをもといた場所に返すこと。以後、人の売買は堅く禁止するので、下々まで厳重に申し付けること。 小田原城が戦場になったものの、戦いは関東各地で繰り広げられたので、人々は戦火を避けてあっちこっちに避難したのであろう。豊臣方は戦いを優勢に進める中で、未だに戦場である小田原町を除き、そのほかの場所については、百姓らを帰還させるように手配した。秀吉は戦争が終結した地域から順に、復興を進めたのである。目的は戦後復興 一連の措置には、人々が元にいた場所に帰還させることによって、できるだけ早く戦後復興を円滑に進めるという目的があった。しかし、戦争というどさくさの状況で、人身売買が横行したこともあり、秀吉はその禁止を命じた。それは人を買う者であっても、売る者であっても罪は等しく重かったのである。 上杉景勝が主戦場としていたのは、松井田城(群馬県安中市)であり、同年4月22日に城主である大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ)は降伏していた。人身売買の禁止は、それから5日後の措置である。実は、ほぼ同内容の書状は、同年4月29日に秀吉から真田昌幸に送られている(「真田家文書」)。 つまり、戦いが終わった場所では、速やかに人を帰還させるように昌幸に命じ、その間の人身売買を無効としたうえで、人を売買する者の摘発を命じている。やはり小田原を除いているのは、まだ同地では戦争が継続していたからである。 秀吉の人身売買禁止令は、小田原北条氏の滅亡後も徹底していた。天正18年8月、秀吉は下野の宇都宮国綱に対して掟書の条々を送った。そのポイントは、次の2つになろう(「宇都宮家蔵文書」)。・百姓などを土地に縛りつけ、他領に出ている者は召し返すこと。・人身売買は、一切禁止すること。 重要なことは、百姓などが勝手に移住し、耕作地が荒れることを防ぐということになろう。同時に人身売買によって、貴重な労働力が移動することも危惧された。つまり、人身売買の禁止というのは、さまざまな目的があるものの、倫理的、人道的な問題というよりも、むしろ労働力の問題として重視されたと考えられる。 天正18年以降に秀吉が発給したと考えられる文書には、次のような規定がなされている(「紀伊続風土記」所収文書)。人の売買については、一切禁止する。天正十六年以降、人が売買された件は無効とする。今後、人を売る者はもちろんのこと、買う者についても罪とするので、噂を聞きつけて報告した者には褒美を遣わす。 このように見る限り、天正16年という年を一つの基点にしていることがわかる。また、これまで人を買った者は、未だに罪として認識していなかったようである。売る方は積極的であったが、買う方は受動的であったので罪が軽かったのだろうか。いずれにしても、人身売買は売るのも買うのも、罪は等しくされたのである。長浜城天守閣跡に建てられた豊臣秀吉像=滋賀県長浜市 そもそも人を略奪して人身売買をすることは、出陣した兵の給与の一部のようなものだった。しかし、戦後復興を考えたとき、人身売買によって人がいなくなり、耕作地が荒れると収穫が減るので大問題だった。それゆえ秀吉は倫理的、人道的というよりも、労働力の問題として、人身売買を禁止したのである。こうして経済基盤の安定化を図ったのである。 ところで、人身売買の問題を考えるには、キリスト教や南蛮貿易のこと、また、ポルトガル商人を通して日本人奴隷が海外に売りさばかれた例を検討する必要がある。秀吉は日本人奴隷が海外に輸出されることを懸念していた。この点に関しては、次回に取り上げることにしよう。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎■「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか■「キリシタンへの見せしめ」秀吉が黒田官兵衛を疎んじた理由

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    「最終セットで負けない」錦織圭の勝負強さを支えた怒りの感情

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 錦織圭が、全豪オープンテニス男子シングルス準々決勝で、第1シードの世界ランキング1位、ノバク・ジョコビッチに挑んだが、右脚の負傷により無念の途中棄権となった。 錦織はこのゲームで、右太ももをテーピングでぐるぐる巻きにするなど、満身創痍(そうい)だった。それもそのはず、ここまで勝ち進んだ4試合中、3試合でフルセットの激闘を演じ、計5試合で14時間39分もの間、コートに立っていたのだ。 ところで、テニスの男子ツアーを統括するプロテニス選手協会(ATP)では、選手のいろいろな特徴をデータ化してランキング化しているが、過去1年間で「プレッシャーのかかる場面で一番強い」のは、錦織であるとされている。 この指標は、ブレークポイントでのゲーム獲得率、ブレークポイントのセーブ率、タイブレークの勝率、ファイナルセットでの勝率から算出されている。中でも、錦織のファイナルセットにおける勝率は、キャリアを通して76・5%であり、歴代トップを誇るという。つまり、長時間の戦いを繰り返しながら勝ち上がった全豪のようなプレースタイルは、彼の精神力と粘り強さ、勝負強さに裏付けられているのだ。 しかし、強い精神力の一方で、錦織のプレー中の態度にはしばしば苦言が呈されている。例えば2017年の全仏オープンでは、対戦相手にブレークを許したタイミングでラケットをコートに叩きつけて、破壊してしまった。 インターネット上では「態度の悪さにがっかり」「憧れている子供たちには悪い見本になる」などという批判と失望の声があがった。元プロテニス選手でスポーツキャスターの松岡修造氏も中継放送中に「よくないですね。錦織選手らしくない」と不快感を表明したこともあった。全豪オープン男子シングルス4回戦でカレノブスタと対戦し、ラケットを投げつける錦織圭(共同) もちろん、テニス選手にとって一番重要な商売道具であるラケットを破壊することは、決して褒められた行為ではない。実際、大会ごとに「コード・バイオレーション」として罰金が科されることが多い。 しかし、心理学的観点から見ると、彼の「怒り」の表現はパフォーマンスに対してプラスに働いているとみることもできる。 通常、日本人のスポーツ選手は、怒りに限らず感情を表出した場合、パフォーマンスが低下していくことが多い。それは、日本では感情を大っぴらに表出する行為は慎むべきであり、自制することが善とされ、怒ること自体がマイナスの行為であると刷り込まれているからだ。「完璧」への異常なこだわり 実際、常に冷静で平常心を保つことが、望ましいメンタルコントロールだとして、ジュニア選手への教育も行われている。何より、ラケットという道具に怒りをぶつけることに「バチが当たる」「勝利の女神に見放される」などと考えてしまいやすいのは、日本人ならではである。 だが、人の感情は実はそう簡単にコントロールできるものではない。 殊に錦織は、サッカー元日本代表MF本田圭佑との対談の中で、「どうしてもきれいなショットが決まらないと嫌だったり、曖昧なポイントの取り方が嫌だったり、相手のミスでポイントを取ってもうれしくなかったり」と「完璧」に対する異常なまでのこだわりを示し、それがプレー中の怒りにもつながっていることを示唆している。 自分自身のプレーへのこだわりに起因した感情だとすれば、なおさら「感情的にならない」などということは不可能であろう。 感情の生起によって、パフォーマンスを落とさないための重要な要件は「ネガティブな感情をきちんと終わらせ、ポジティブな感情に至るプロセスを作る」ということである。おそらく、彼はこのプロセスができているからこそ、怒りをパフォーマンスに転化できているのではないか。 つまり、怒りの感情に苛(さいな)まれて、その感覚に留まり続けていれば、いずれ冷静さを完全に無くしてしまうことにつながる。しかし、行為自体が決して褒められたことではないことを前提にしても、ラケットを投げつけることで、自分の「怒り」を終わらせることにつながっているのだ。 スポーツ心理学の権威であるジム・レーヤー氏の理論でいえば、人が逆境に置かれた際、「ダメだ」「もう無理だ」という「諦め」の感情が、「再び戦いを挑む」というチャレンジの感情に、直接的にはつながらない。全豪オープン男子シングルス4回戦、逆転勝ちで8強入りを果たした錦織圭=メルボルン(共同) テニスのようなターンオーバー(攻守交代)が頻繁に生じるスポーツでは、プレーヤーが劣勢に置かれ、「もうダメかもしれない」と気持ちが切れてしまいそうになる瞬間は数多くあるだろう。フルセットの戦いになるとすれば、シーソーゲームになっていることが多いわけだから、なおさらである。 その際、気持ちをつなぐのはまさに「怒り」なのである。そして、怒りを何らかの形で発散することにより表れてくるのは、チョーキング、つまり「ビビる」「不安になる」という感情だ。 ナーバスになり、落ち着かなくなったり、呼吸が速くなり、視線が定まらなくなったりする。実は、これが良いサインであり、怒りを処理できた証しである。気持ちがリセットされ、一度不安になることによって、冷静に次の「チャレンジ」の気持ちを見いだしやすくなる。すなわち「切り替え」に成功するのである。精神的な強さの「皮肉」 先に言及したように、人の感情はそれが自分のものであっても、簡単にコントロールできるものではない。しかし、「諦め→怒り→不安→挑戦」という基本的な感情のプロセスを踏むことで、ネガティブな諦めをポジティブなチャレンジに転化することは可能なのだ。その過程の中で、怒りはエネルギーとしても欠かせないのである。 そもそも、生理学的や脳科学的に見ても、怒るということは動物の本能ともいえる。敵に襲われて戦うときはもちろん、逃げるときであっても、人は全力の反応を示す。 つまり、生存するためには絶対に必要な本能なのであり、スポーツで極限状態に置かれた際に怒りを表出し、脳内にノルアドレナリンやアドレナリンといったホルモンが分泌され、身体のパフォーマンスを上げているという事実も忘れてはならない。もちろん、その後怒りを正しく処理し、冷静な判断と両立させることはいうまでもない。 いずれにしても、一見ネガティブに思える「怒り」の感情が、彼のフルセットにも及ぶ激闘を支えていることに間違いない。一方で、それは身体的な負担にもつながっている。 皮肉なことであるが、精神的な強さを持っているからこそ、身体に負担がかかっているのだ。勝負強いということは簡単に負けないわけで、試合が長引くということにつながる。 また、先に挙げた脳内ホルモンは平常の状態とは違う興奮した身体状態を維持させるものでもある。いわば、自分の身体に無理をさせ続けているということである。 つまり、錦織の「怒り」はハードワークが信条の彼のプレーを支えるものでもあり、一方でリスクにもなるということだ。 実際、彼は足先から膝、腰、背中、腹筋、肘、手首に至るまで数多くの故障を経験し、海外メディアを中心にして「ツアーで最も壊れやすい選手」「ガラスの肉体」などと報道されることも多い。全豪オープン男子シングルス3回戦、フルセットの激戦を制し、コートに両手と両膝をつく錦織圭(ゲッティ=共同) しかしながら、2018年シーズンに限っていえば、70戦あまりを戦って、棄権は1回のみである。冒頭に記述したように、全豪オープンでは今季1度目の棄権にはなったが、2018年の結果が、精神的な強さと身体的な強さ、双方の発揮という意味で、ベストバランスに近づいている証しだとすれば、われわれは今季、錦織のさらなる飛躍を目の当たりにすることができるかもしれない。■日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう■「自然と敵が強く見える」錦織圭が苦しむウィンブルドンの魔物■「フィギュアの新星」紀平梨花、強さの秘密はここにある

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    習近平独裁に痛撃、中国経済「大失速」が意味するもの

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国経済の大失速の可能性が高まっている。もちろん、その背後にあるのは「米中貿易戦争」だ。昨年12月の輸出は前年同月比で4・4%減、輸入は7・6%も減少した。中国の貿易のボリュームが金額面で大幅に減少したことは、現実の経済成長率の失速を予想させるものであった。 実際に、中国政府が21日に発表した2018年の国内総生産(GDP)の実質成長率は6・6%(17年は6・8%)となり、天安門事件翌年の1990年(3・9%増)以来28年ぶりの低水準となった。内容を見ても、昨年後半からの消費低迷が影響しているのは明らかで、輸入の減少とも整合的だろう。 高度成長から「低成長の時代」に移行することにより、中国の国民や企業の期待成長率もまた引き下げられていく。米中貿易戦争が、この期待成長率の押し下げをさらに加速させるだろう。 個々の事例を見ても、中国の新車販売が28年ぶりに前年を下回ったことが象徴的だろう。ただ、これは自動車取得税の減税措置が17年末で終了したことを受けた反動減という見方が通説だ。 いずれにせよ、消費者のマインドが冷え込んでいるところに、今後、米中貿易戦争の影響が到来する可能性が大きい。輸出も携帯電話の出荷数は前年比15・6%の大幅減少だった。華為技術(ファーウェイ)など中国の通信・携帯事業への国際的な制裁や規制が強まる中で、海外での中国ブランドを敬遠する動きも今後進展する可能性がある。 貿易面での不振や期待成長率の押し下げは、中国企業の在庫調整や、生産ラインの拠点見直し、そして雇用面のリストラなどを伴っていく。リストラは、消費や投資の低下をもたらし、それはまた一段と経済成長と雇用を悪化してしまうだろう。ただし、このような悪循環は、可能性を高めつつも、実際にはまだ始まっていない。2018年1月21日、配布された中国のGDP速報値の資料を受け取る報道陣(共同) 中国政府も「防戦」に必死なのだ。まず、中国人民銀行は預金準備率をこの1年で5回も引き下げるなど、金融緩和姿勢を強めている。 財政政策においても、個人所得税の減税を強め、さらに日本の消費税に相当する増値税の引き下げ予定も伝えられている。増値税は、日本の現行のものとは違う複雑な税制になっているので単純比較はできない。それでも、消費税率の引き下げを実施する姿勢だけは、日本政府も率先して真似をすべき政策だと思う。もちろん、他の政策で習うものはないことは言うまでもない。 中国政府のこの必死さの背景には、中国共産党の一党独裁制、さらには習近平主席の「永久」独裁制を死守するという動機がある。政治体制を死守するために、経済体制をまず防衛しなければいけないわけだ。資本移動の自由に消極的なワケ 米中貿易戦争は、経済面での「戦争」だけではなく、その中核は世界政治の覇権を巡るものだといっていい。もちろん、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏が指摘するように、米中貿易戦争の行方は、トランプ大統領の「個性」に大きく依存している。トランプ大統領の「壊れた家具がごちゃまぜに詰まった屋根裏部屋」(クルーグマン氏)のような頭脳の動き次第では、米中貿易戦争の不確実性が大きく高まるというのだ。 ただ、クルーグマン氏の評価は、トランプ大統領に厳しすぎる気がしている。今のところ、米中貿易戦争に関して、トランプ大統領がツイッター上で習主席にリップサービスを行う以外で、対中交渉で妥協しているシグナルは乏しい。 むしろ、中国側が最近提案したといわれる「2024年までに対米貿易赤字ゼロ」という数値目標も、米政権を満足させるものではないだろう。トランプ政権の中長期的な狙いは、国際的な資本移動の自由化や中国国内の大幅な規制緩和、欧米や日本企業からの技術のパクリを厳しく制限するための法整備とその実効性の担保であろう。これらはいずれも経済体制の変化だけではなく、中国の一党独裁制を痛撃する可能性を持つものだ。 この点を理解するためには、国際的な資本移動を今の中国が制限している理由を考察した方が分かりやすい。その見方が「マンデルの三角形」もしくは「国際金融のトリレンマ」というものだ。「国際間のおカネ(資本)の移動が自由であること」「為替レートの変化が激しくなく、一定の水準で安定化していること」「金融政策が経済成長や雇用の安定のために利用されること」、この三つのうち、同時には二つしか選択することができないことをいう。 現在の中国は為替レートの安定化(基本的に対ドル連動)と金融政策の自律性を採用し、資本移動の自由を制限している。ただし、完全な固定為替レート制ではない。中国が海外との取引を拡大すればするほど、中国の企業も海外企業も、物やサービスだけではなく、「おカネ」の取引の自由化を求めるようになる。それが先進国経済の基本的な進路でもある。 資本移動の自由が段階的に行われるようになると、対ドルに完全に連動することは困難になる。そのため、現在では、基準レートの上下である変動を許す「準固定為替レート制」になっている。 ただし、為替レートを中国政府がコントロールしたい動機は健在である。その背景には、習近平体制の権益があると以前から指摘されている。輸出企業やそれによって潤う人たちが、彼の体制を維持しているわけだ。 そのため、中国通貨である元が安い方が輸出には有利だ。つまり変動為替レート制への移行は、現在の政治体制を不安定化させかねない、という解釈だ。G20首脳会合の記念撮影に臨む中国の習近平国家主席(左)と米国のトランプ大統領=2018年11月30日、ブエノスアイレス(共同) また、国際的な資本移動の自由化に消極的な姿勢も、似た理屈で説明できそうだ。つまり、海外へのおカネの移動は制限されているが、人脈など既得権階級のコネに頼れば、海外へ資産を移動できるし、投資も可能になる。このような特権階級の「旨味」が、資本移動を自由化してしまうと消滅する。これもまた今の政治体制を不安定化してしまうだろう。 米国は今後、これらの中国政治と深く結ばれた経済的な既得権を破壊するところまで、貿易戦争を進めるだろうか。その鍵は、中国がどう変化していくかにある。■米中貿易戦争、トランプ流は「ニセモノ大国」の市場開放を遅らせる■中国を狙い撃ち「トランプ貿易戦争」の本気度■2049年「習近平の夢」は96歳で完成する

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    「巨人軍は非情なのか」長野と内海、功労者を放出した意味

    菊地高弘(ライター、編集者) それは衝撃のニュースだった。正月気分が抜け切らない1月7日。フリーエージェント(FA)となり、広島から巨人へと移籍した丸佳浩の人的補償として、巨人の生え抜きベテラン選手である長野久義が広島に移籍すると両球団から発表されたのである。 巨人は2018年12月20日にも、西武からFAで獲得した強肩捕手、炭谷銀二朗の人的補償として、かつての左腕エース、内海哲也を失っている。相次ぐ人気選手の流出に球界は騒然となった。 メディアの論調は、人的補償の対象にならない28人のプロテクト枠に功労者である両選手を入れなかった巨人に対して「非情」と批判する向きが多かった。内海も長野も、アマチュア時代に他球団からドラフト指名を受けながら入団を拒否して、数年後に希望球団の巨人に進んだ経緯がある。 長野に至っては日大時代の06年、社会人野球のホンダに在籍した08年の2度にわたり、指名を拒否してまで巨人入団にこだわった。そんな2人の入団経緯もあり、批判に拍車をかけた感がある。 私は複数のメディア関係者から「元巨人ファンの立場から、この事態をどう見ますか?」と聞かれることがあった。昨年4月、私は今や国民的球団ではなくなった巨人とファンの関係について調査した『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)という書籍を上梓していたためだ。 ただ、誤解のないようにしておきたいのは、「元巨人ファン」は必ずしも「アンチ巨人」ではないということだ。私自身も元巨人ファンだが、巨人に対して「もう恋愛感情はないけど、幸せを祈っている」という「元彼感覚」のスタイルである。巨人を批判することに血道をあげる「アンチ」とは一線を画す。 その立場から見れば、今回の功労者流出劇は「仕方がなかったのでは」という感想しかない。内海と長野を熱烈に応援していた巨人ファンには気の毒ながら、「生え抜きを大事にする」と「強くなる」は必ずしもイコールではないからだ。2011年10月、横浜戦のお立ち台で笑顔を見せる巨人・長野久義(左)と内海哲也=東京ドーム(吉澤良太撮影) そもそも、巨人が丸や炭谷を補強したのは「結果が出ていないから」という、実にシンプルな理由があったからだ。球団ワーストタイの4年連続で優勝を逃すという危機的状況があり、昨年10月のドラフト会議では根尾昂(大阪桐蔭高、中日ドラフト1位)や辰己涼介(立命館大、楽天1位)といったスター候補のクジを外した。 昨シーズンに大ブレークした若き主砲の岡本和真や、上積みの期待できる正二塁手候補、吉川尚輝といった楽しみな選手はいるものの、他に来季から看板選手になりうる有望な若手は乏しい。となれば、補強は新外国人かFAしかない。話題にすらならない王者 内海も長野も、2018年は奮起してまずまずの成績を残したとはいえ、動きから衰えは隠せない。それでも、西武と広島から請われて移籍するのだから、球界の人材活用という意味では喜ばしいこととも言える。 その一方で、この騒動を通して実感したのは、「やはり巨人は『12球団の一つ』になってしまった」ということだ。 巨人戦が全試合、地上波テレビで生中継され、翌日の学校や職場で話題に上る時代は、もはや過去のこと。教養感覚で巨人の結果を気にしていた層は、今や野球そのものから関心を失っている。 野球ファンにとって衝撃のニュースであっても、長野を「ちょうの」と読めない国民がいても珍しくない現代では、日々目まぐるしくタイムラインを流れていくトピックの一つにすぎない。 実際、アマチュア野球を取材していても、「巨人以外の球団には入りません」という選手は見当たらなくなった。かつては定岡正二(1975~85年在籍)のように、巨人からトレードされることを拒否して、現役引退するほどの選手もいたが、内海も長野も移籍を受け入れたように、現代ではそんな例は起こらないだろう。 また、これは邪推でしかないが、かつての巨人であれば球団オーナーあたりが「人的補償のプロテクト枠が28人では少なすぎる」と訴えて、制度改正を促してもおかしくないようにも思える。そんな点からも、元巨人ファンとしては隔世の感を抱くのだった。 むしろ違和感があるとすれば、原辰徳監督就任後の急速なフロント人事の変化である。もちろん、新監督がやりやすいようにサポートするため、チームをより強くするための判断だろうとは思う。2018年12月、西武に移籍し、記者会見でポーズを取る内海哲也投手 とはいえ、ドラフト会議2週間前に編成トップのゼネラルマネジャーとスカウト部長を交代させたことは、理解に苦しんだ。球団主導の人事というより、新監督の意向に沿いすぎている感は否めない。 ただ、昨年10月のドラフト会議で、1位の高橋優貴(八戸学院大)を指名した後は、育成選手を含めて9人連続で高校生を指名している。1位の高橋にしても「即戦力」というより「素材型」だけに、「未来を担う若い原石を育てよう」という球団としてのメッセージを感じた。巨人が球団主導で夢のあるチームへと強化していくかどうか、今後もひっそりと見守っていきたい。 いずれにしても、元巨人ファンとしては、巷の話題にすらならない巨人を見るのは忍びない。巨人には2019年シーズン、そして未来の野球界、さらには野球に関心の薄い層の日常を揺り動かすようなエネルギッシュな戦いぶりを期待したい。■ 「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか■ 巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件■ 26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

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    「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 10日に行われた韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の年頭会見に関する報道に接したとき、筆者は驚きを禁じ得なかった。いわゆる徴用工問題をめぐり、「日本は不満があってもどうしようもない」との理由で、日本に歴史を考慮し、慎重な姿勢を要求したからである。 文大統領の日本への言及はごく一部分であった。そこで、識者の中には、文政権は日本を中国や米国ほどには重視していない、今回の徴用工問題もそれほど重視していないので、日本の一部の人たちのように徴用工問題やレーダー照射問題に過剰に反応するのはおかしい、という論調を展開する人もいた。だが、果たしてそのような見方は妥当だろうか。 そもそも、徴用工問題は日韓という国家同士の国際的な取り決めである。韓国も日本と同様に三権分立だが、国際的な交渉においては、もちろん三権それぞれと外国が交渉する必要はない。司法の判断で、行政府の国際的な取り決めとは違う帰結をもたらしてしまえば、まずは韓国内で調整すべき話である。 だが、文政権にはそのような動きはほとんど見られない。日本を軽視しているとするならば、もちろんそれで日本が「過剰」反応を抑制する理由にはならない。むしろ、事態は逆で、文政権に対しては厳しくその国際的責任を追及するのが、いちいち国際法などを持ち出さなくても明らかな物事の理(ことわり)である。 しかも、文大統領の会見では、事実上「日本国民に『歴史』を反省して、この事態に甘んじろ」という、他国民をあたかも自分たちの「奴隷」のように扱う姿勢を鮮明にしていた。植民地としての歴史が韓国民のプライドとアイデンティティーを傷つけた過去の経緯は不幸な出来事だろう。だが他方で、「歴史」を根拠にして「反省」を迫られている現代の日本人の大多数は、植民地支配にもいかなる戦争にも、そして韓国が現在直面している半島の分断にもいささかも関係していない。 確かに、日韓の過去の不幸な歴史を知ることは必要だろう。だが、その「歴史」を基にして、現在の日韓に横たわる問題にも「反省」を求め、「自制せよ」というのは、単に「歴史」を利用して、他国民を自国の精神的従者にでもしたいだけではないか。 言い方を換えると、韓国は日本との揉め事が起きるたびに、「歴史」を政治利用しているだけなのである。その根底には、日本を韓国の都合のいい言い訳として利用しているのだろう。2019年1月、ソウルの韓国大統領府で年頭記者会見する文在寅大統領(共同) ただ、韓国の外交は、日本を本当に軽視しているからこのような不当なものになるかは、慎重に考察する必要がある。実際には、文政権の外交政策というのは、他国の責任を常に要求する「他国責任論」とでも言うべきものではないだろうか。 例えば、最近の報道によれば、韓国は中国との間でも紛争事案が発生している。韓国の首都圏では、微小粒子状物質「PM2・5」による大気汚染が今までになく悪化したという。日本のベストな戦術 韓国では中国からの排出であると指摘する声が強いのに対して、中国政府はそれを韓国発のものであると反論した。なぜなら、韓国と近接する中国の大都市など、PM2・5が飛来する可能性がある地域での大気汚染は改善しているからだ。中国政府は、それに対してソウルなど韓国側では悪化しているのは矛盾する、と指摘した。 それでも、韓国の趙明来(チョ・ミョンレ)環境相は中国の飛来の方が大きいと譲らない。日本とのレーダー照射問題と同様に、客観的事実を突きつけられても、強硬に「他国責任論」に固執するだけなのである。 文政権は「反原発政策」を採用していて、火力発電に大きく依存しているためにソウル近郊で二酸化窒素濃度が高まっている可能性も指摘されている。これがPM2・5の濃度を韓国側で高める遠因となっているかもしれない。とすれば、これは文政権の反原発政策が生み出した環境問題ということになる。 だが、もちろん「他国責任論」の前では、そのような事実を挙げても何の意味もない。他方で、中国国内のPM2・5が低くなる可能性は確かにある。トランプ政権との「米中貿易戦争」によって中国の国内景気が大きく減速している可能性が高まっている。そのため生産活動が鈍化しているからだ。 このような韓国の「他国責任論」そして、常に日本との外交的な約束を反故(ほご)にする傾向にはどう対処すればいいのか。韓国との政治的な断交や「無関心」を求める人たちもいる。それも一つの意見だろう。だが、ここでは日本と韓国が今後も長期的な外交交渉に携わることを、取りあえず前提にしよう。 現在の日韓関係はゲーム理論でいう「繰り返しゲーム」という状況だ。徴用工や慰安婦、レーダー照射問題のように、国家間の取り決めがあって、初めは両者とも「協力」している。だが、やがて韓国が一方的に「裏切る」。2019年1月、大気汚染で白っぽくかすんだソウル中心街を歩くマスク姿の人々(共同) この場合、日本側は「報復」や「異議申し立て」などを行うのがベストな戦術である。もし、文大統領が会見で日本国民に求めたように、日本が「歴史を顧みて自粛すること」を受け入れて、韓国の裏切り行為を容認してしまえば、日本と韓国双方が長期的に最適な関係構築に失敗してしまうだろう。 つまり、日本の「謝罪」は、日韓の外交ゲームを、日本だけでなく韓国にとっても有利に展開することができなくなるのである。具体的には、両国の協力よりも常に裏切りの蔓延(まんえん)する「非協力」が解になってしまうのだ。 日本の世論の一部やマスコミ、そして識者や政治家には、「植民地支配」をまるで自然法則か何かのように、日本人の背負うべき宿命として考える傾向にある。これは実に非倫理的なことだ。歴史から学ぶことは必要だが、他方で歴史によって常に特定の国民が罰せられ、他国の道理に合わない行いに甘んじる、こんなことは不正義以外のなにものでもない。■ 「武士の情は通用しない」韓国との情報戦はこう戦え!■ 米中貿易戦争の渦中で激化する韓国「謝罪ゲーム」のツケ■ 漂流する日韓関係 「ニッポン軽視」文在寅が抱えた政治リスク

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    『ザ・コーヴ』の町に住む僕が見た「残虐な漁師」の素顔

    ジェイ・アラバスター(米国人ジャーナリスト) 「いいか、身の危険を感じたらすぐに戻るんだぞ、危険な場所なんだからな」 それはAP通信の記者として東京で働いていた2010年のことだった。社内で日本の本州南端にある小さな町を取材する記者を募った際、僕はいつものように、事務所から抜け出て、会社の経費でちょっとした旅行ができると喜んで手を挙げたのだ。 出発前に上司に呼ばれた際、二人きりの部屋で、まるで僕を戦地に送り出すかのように言ったのが冒頭の上司の言葉だった。奇妙な気分だった。僕は東京で働き始めてからもうすぐ10年になろうとしており、それまでに身の危険を感じたことなど一度もなかったからだ。日本は何と言っても世界でも指折り数える治安の良い国である。母国のアメリカとは比べものにならないほど安全だ。 かつて僕は憤慨する右翼団体の取材をしたことも何度かあったし、太地の取材から1年後には東日本大震災で津波被害を受けた地域や、東京電力福島第一原発事故の取材も経験している。けれども過去に誰一人、僕を傷つけようとした日本人などいなかった。もし日本で僕が死ぬとしたら他人に傷つけられるよりも、むしろ自分で命を落とす方が確率的には高い、と言っても過言ではないだろう。 僕が派遣されたのは、和歌山県太地町だった。当時、アカデミー賞候補だったドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ(The Cove)』の舞台となった町である。このときの取材は、この映画が賞を取った時に備え、太地町の生の声を拾って記事にするのが目的だった。 数日間の予定で現地に滞在することを決め、東京から約8時間離れたその町へ向かう電車の中で、例のドキュメンタリーを観た。すぐに、上司がなぜ心配したのかを理解した。不気味なBGMとともに流れる冒頭の映像は、日本の小さな漁村の魚市場を映していた。むろん、すべて奇妙で怪しげなものとして描写されながら…。 冒頭のシーンには、車のハンドルに身を被せるようにして、マスクと一風変わった帽子を深く被って顔を隠しながら運転するアメリカ人男性の姿があった。 「大袈裟じゃない。あの漁師たちに見つかれば捕まって、私は殺されかねない」とその男性は真顔で言った。ジェイ・アラバスター氏(提供写真) 映画の中で、太地の漁師は「残虐な存在」として描かれていた。隠れてイルカを獲り、入り江(英語ではコーヴ)へと追い込み、そこで無残にもイルカを屠殺し、海は血で真っ赤に染まる。それだけではない。町を訪れる外国人も危険に晒されると強調されていた。漁の様子を撮影しようとする映画関係者や活動家たちはどこへ行っても尾行されるので、ホテルの部屋に身を潜め、カーテン越しにそっと外をうかがい、海岸に人がいなくなったら車に走り乗るという始末である。 太地に着いた時、僕はその美しさにしばらく言葉を失った。なぜ自分がそこにいるのかさえも忘れたほどだった。深い緑の森に覆われた山々に囲まれ、江戸時代に古式捕鯨が始まった町はその日、鮮やかなピンクの花で満開の山桜が競うように咲き誇っていた。人々の住居は、海と山の間の細長い居住区に肩を並べるように密接して並んでおり、一世紀前に職人の手で建てられた木造の家の間を縫うようにして迷路のような小道が続く。そして海の美しさと言ったら、誰もが心を奪われるほどである。二つの湾の間を町が取り囲み、海ははっとするほどに透明で、海岸に立てばアワビや昆布に覆われる岩を突つきながら泳ぐフグの様子まで見えた。「つれない美女」に心奪われる でも僕がここにいる理由は取材である。『ザ・コーヴ』は後に見事アカデミー賞を取り、結局僕は町の人たちの声を拾って記事を書くことになった。けれども、一番の問題は誰も僕と話したがらない、ということだった。他の小さな町なら、AP通信記者としてのIDカードと名刺を見せれば、大抵の場合、町長との面会や無料ビールの振る舞い、ホテルのアップグレードなどを意味した。だが、太地では様子が全く違った。 町役場でも漁協組合でも、あるいは鯨カツを初めて食べた地元のレストランでも、取材を断られた。犬を散歩していた若い女性は、自己紹介をしようと近づいた僕を見るなり、文字通り走って逃げた。そしてようやく、イルカと一緒に泳ぐプログラムを提供する人気の複合施設「ドルフィンリゾート」のマネージャーが話すことに同意してくれた。「イルカ以外のことならば」という条件で。 原稿の締め切りを間近に控えた僕に、その後も数人の町民がインタビューに応じてくれたが、充実した取材とは程遠かった。なんとか記事を書き上げ、そのやっつけ仕事は翌日には世界中に打電された。ようやく、僕は東京への帰路に着いた。日本のイルカ漁の町、『ザ・コーヴ』を受け流す2010年3月8日配信AP通信記者 ジェイ・アラバスター 日本の太地町—凄惨なイルカ漁の描写で『ザ・コーヴ』がアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、ロサンゼルスの映画祭に集った聴衆が喝采を浴びせた。一方、地球の反対側では、映画に映し出された日本の小さな漁村の町民は注目を嫌い、何世紀も続く伝統をやめる気はないと明言した。 東京に戻り、いつものルーチン仕事に戻っても、外国人記者を頑として寄せ付けなかった小さな町の、あの美しい海が頭から離れなかった。まるで容易には男を寄せ付けない「つれない美女」に心を奪われたかのように、僕は太地のことが忘れられなかった。 それから二度目、三度目と太地に戻り取材をした。その都度、会って話をできる人が増えていき、やがてニュースの見出しから「太地町」の名が消え始めても、僕は町を訪れ続けた。最終的に上司は僕の太地町取材企画をボツにするようになり、僕は自分の休暇を使って自腹で町に行くようになった。最初の取材から2年半後のある日、僕はついに諦めて仕事を辞め、ボロの中古車に愛猫を乗せて再び太地へと向かった。築100年の元鯨捕漁師の家に住んだり、町の住人となって気づけばもう3年半が経った。今、太地とメディアの関係について博士号を取るべく研究をしている。太地町の恵比寿神社「鯨骨鳥居」の前で踊る獅子舞(提供写真) 町で暮らすようになって、太地でのイルカ漁はまったく隠れて行われるようなものではないことを知った。知り合いの漁師がいれば、まだ温かい獲れたての肉を分けてくれる。生で食べる新鮮なイルカ肉は極上のテンダーロインのように舌の上で溶けてなくなる。他にも、古い木造の家の扉に鍵をかけずに出かければ、近所のお年寄りがふらりと家に来て、掃除をし、冷蔵庫には新鮮な魚を置いて行ってくれることも。町民の多くは、かつて成人への儀礼として暴れる鯨の背に乗り、小刀で鯨の「鼻切り」をした勇猛な鯨捕りの直系の子孫である。太地は強靭な身体能力を誇った真珠取りの男たちの故郷でもあり、その昔、南氷洋捕鯨に携わった町民も多い。町にはおそらくアジア最多であろう、剥製のペンギンコレクションがある。 毎年秋の祭りの時期になれば、町の男衆と一緒に獅子舞を踊り、飲み明かす。太地町に「残虐な漁師たち」を探しに行った僕はその数年後、海の無事を祈る神社で、海上に輝く黄色い月あかりの下、彼らと獅子舞を踊っていた。 日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退する方針を決めた。国際社会から非難の声が上がる中で、太地町のイルカ漁はまた、世界的な注目を浴びるかもしれない。 これから僕が自分の目で見て体験している、太地の町の一年をiRONNAで紹介していきたいと思っている。(日本語訳、垣沼希依子)■ デンマークの反シー・シェパード風刺画集に滲み出る「真実の姿」■ 訪日シー・シェパード活動家の正体 どんな嫌がらせをしているのか■ 存亡の危機に立たされたシー・シェパード

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    またも龍パワー? 安土城と京屋敷、信長が同時普請にこだわったワケ

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 天正3(1575)年8月12日、織田信長は岐阜城を発して越前国に向かった。朝倉義景滅亡後、いったんは織田家の支配下にあった越前は一向一揆によって奪われており、それを再び自分の手に取り戻すための作戦が発動されたのだ。 15日、大良越(だいらごえ、現在の福井県南条郡河野あたり。敦賀湾に近く、海沿いで越前北部に通じる口)から越前府中(現在の福井県越前市のうち)へ柴田勝家以下、羽柴秀吉・明智光秀ら先鋒(せんぽう)3万人が殺到した。 「以外(もってのほか)風雨候」と『信長公記』は記しており、信長が大風雨を冒して進撃命令を下したことが分かる。風が吹き付けようが、バケツをひっくり返したような雨が降ろうが、お構いなし。いかにも信長らしい激烈ぶりではないか。 いや、激烈というのは少し違うかもしれない。陸路を征(い)く柴田勝家たちはまだマシだった。同じ日、信長は水軍にも出動を命じていたのである。「海上を働く人数、(中略)数百艘(そう)催し」(同書) 数百艘の軍船が、越前府中の沿岸に兵をあげて、焼き討ちを行った。 陸の兵たちはまだしも、水軍にとって大風雨は命の危険さえあるハイリスクな天候条件だ。その中でも出動を命じた信長は、かつて村木砦の戦いで自ら「以外(もってのほか)大風」と記された強風をついて伊勢湾を強行渡海したように、部下たちにも命がけの働きを要求したのだ。 村木砦の戦いでの信長の兵数は1000人程度と考えられるが、今回は数百艘の軍船でおそらく1万人程度。10倍の兵数である。それだけに事故が起こる確率も高い。長篠の戦いで天候を味方につけた信長は、気象は常に自分の味方であり、大風雨も自分の軍に仇を成すことはない、と楽観視していたのだろうか。新清洲駅前に並ぶ織田信長像=愛知県名古屋市(中田真弥撮影) ここで気になるのが、大風雨の中で出動した織田水軍の兵たちが、越前府中の沿岸に上陸すると焼き討ちを行った、という事実である。「所々(ところどころ)に烟(けむり)を挙(あ)げられ候」(同書)とあるから、焼き討ちは行われただけではなく実際に成功し、各所で炎と煙が上がっている。ということは、この時点では大風雨、少なくとも雨はすでに止み、焼き討ちが可能な天候に変わっていたはずだ。 大風雨の中、水軍を無事目的地に到達させ、折よく雨もあがって焼き討ちも成果を上げる。こんな都合の良い話があるだろうか。だが、本当なのだから仕方がない。あるいは、ここでもまた「六芒星(ろくぼうせい)メンズ」が信長に「この大風雨は間もなく収まります」とアドバイスしたかもしれない。 気象データを読み尽くし、天候を操る大蛇・龍の妖しいパワーにますますのめり込んでいく信長の姿が浮かび上がってくるようだ。秀吉がパクった決めセリフ 翌16日、敦賀に本陣を置き先鋒の働きを見守っていた信長も、府中に進む。各地の一揆の拠点となっていた城はしらみつぶしに攻め落とされ、2000人以上が斬り殺され、生け捕りにされた3、4万人のうち1万2250人余りが処刑された。「数多首をきり、気を散じ候(多くの者の首を切り、心の憂さを晴らした)」「府中の町は、死がい計にて一円あき所なく候(府中の町は死骸で埋まり、全域すき間もない)」「山々谷々残る所なく捜し出し(山々谷々まで分け入って残らず一揆勢を捜し出し)」「くひ(中略)一向数を知らず候(切った首はまったく数え切れない)」「くれぐれ此国には敵一人もなく候(念には念を入れ、この越前国にはもはや敵は一人も残っていない」 信長自身が記した書状の行間には、長島に続いて越前と、長年悩まされ、黄金のドクロに討滅を誓った一向一揆を壊滅させた満足感、さらに一人も逃さず殲滅(せんめつ)するという意気込みがあふれている。 スーパーナチュラル(神懸かり的な)信長のパワーに影響されたか、加賀国まで進んだ羽柴秀吉も一揆勢が出撃してくると「天ノ与フル所」と叫んで迎え撃ち、大勝利を収めている。長篠の戦いでも使われた信長の決めセリフを拝借してあやかろうというわけだ。ここに来て、織田家は完全に「信長教」の集団となっていた。 9月に入り、越前国内の8郡49万石を柴田勝家に、府中10万石を前田利家・佐々成政・不破光治の三人衆に、それぞれ与える。 勝家に下した「掟 条々」にいわく。「とにもかくにも自分を崇敬して、影後ろでも反抗心など持つな。自分の方へは足も向けぬ気持ちが大切だ」 常に自分を尊敬して崇め奉り、信長の目の届かないところに居ても忠誠心を保って寝るときも足を向けないようにせよ。日本の神々というよりも、キリスト教の唯一絶対神のような信仰を自分に向けるように家臣に訓示する信長。彼は次の大蛇・龍パワーのプロジェクトを胸に岐阜へと凱旋(がいせん)していったのだった。 そして明くる天正4(1576)年、新年の行事も一段落した1月中旬にそのプロジェクトは動き始める。近江国(現在の滋賀県)の蒲生郡安土山に、信長の新しい本拠地とするべく安土城の建造工事が開始されたのだ。重臣の丹羽長秀が普請(ふしん)奉行を命じられ、工事は織田家の全力を投入して進み、2月23日には早くも山麓の家臣団屋敷群が完成。信長も岐阜城から仮御殿に移転した。城郭資料館に20分の1のスケールで再現された安土城=2010年1月、滋賀県(北村博子撮影) 4月1日には本丸石垣の普請も開始されている。そして、おそらく同じ月、京においては二条屋敷の築造も始められている。この二条屋敷は、後に正親町天皇の第一皇子である誠仁(さねひと)親王に献上され、「二条新御所」と呼ばれるのだが、実はこれ以前、信長は京に屋敷を持っていた。 「え? 信長って京に本拠地がなくて本能寺や妙覚寺に泊まっていたのでは?」と思われる向きもあるかもしれないが、正確には、この京屋敷は完成していない。まだ建設途中だった元亀4(1573)年3月7日、将軍・足利義昭によって取り壊されてしまった。信長を狙った呪詛 その場所は、上京武者小路。現在の上京区武者小路町あたりで、前年に義昭が公家の権大納言・徳大寺公維(とくだいじきんふさ)の屋敷地だったものを収公し、信長に与えたものだった。 信長はこの土地に築地(瓦屋根付きの土塀)をめぐらし、門までは造ったのだが、そこで義昭と決裂したために破棄され、ついに日の目を見ることはなかった。 この武者小路屋敷について考えてみたい。 場所は前述の通り、現在の烏丸今出川の交差点のすぐ南西。御所からは戌亥=北西方向きだ。この方位は「天門(てんもん)」と呼ばれ、鬼門同様に怨霊や魔物が出入りする方角と考えられている。信長との関係が悪化していた義昭は、親切ごかしにこの土地を与えて災いが信長に降りかかるよう仕組んだのだろう。 この呪詛(じゅそ)のおかげか、この元亀3(1572)年12月には甲斐の武田信玄が遠江国(現在の静岡県西部)へ兵を動かし、徳川家康と信長からの援軍(佐久間信盛ほか)との連合軍を三方原で完膚なきまでにたたき潰している。だが、その後の事態は義昭が思うようには進まない。越前国(現在の福井県北部)の朝倉義景は近江から兵を退(ひ)き、信玄は発病によって進撃を停止してしまったのだ。 こうなると、義昭にとって武者小路屋敷の地を信長に与えたことはもろ刃の剣と化す。戌亥=天門は災いを招く方角であると同時に、それを乗り越える、つまり鎮めることができれば末代まで家運が隆盛する上々大吉に転じる方角でもあるのだ。「いかん、このままでは信長の運気がますます上昇してしまうではないか」 慌てた義昭がとった対応が、翌年3月7日の工事現場の破壊だった。 しかし、工事現場を取り壊してはみたものの、信玄は病死し、義昭は京を追われてしまう。そして、安土築城と並行し信長は改めて京に新屋敷を築き始めたのである。その場所がまた武者小路だったかというと、そうではない。信長は破棄された武者小路の屋敷地を放置し、今度は二条の関白・二条晴良の屋敷(現在の烏丸御池交差点南西)を接収して新たな屋敷地とした。 二条屋敷は「龍躍池」という名物の小池があり「小池の御所」と呼ばれたが、戦火に焼かれ晴良はその一隅にささやかな仮屋を建てて住んでいた。信長はその晴良に報恩寺(御所の東北、一条)を屋敷として提供し、明智光秀にその建築工事を奉行させ、二条を京における織田家の本拠地として整備したのだ。現二条城に復元された二条御所(信長二条新屋敷)の石垣=筆者提供 ここで地図を眺めてみると、面白いことに気付く。内裏から見て義昭の二条城の延長線上に信長の二条新屋敷の地があり、その隣には西福寺がある。西福寺は浄土宗の寺院で、この場合内裏の裏鬼門である未申(ひつじさる=坤)を鎮める位置取りだ。後の江戸城に対する、浄土宗の芝増上寺のような関係と考えればよいだろう。 義昭の二条城もその内側にあって御所の裏鬼門を固めていたのだが、その建造を進めたのは信長だった。その信長が、義昭追放後の内裏の裏鬼門に、二条新屋敷を築く。当然、それは「これからは義昭に代わって自分が天皇を守る」という宣言に他ならない。 ただ、彼の言う「守る」の意味が、奉仕者としてのものなのか、保護者としてのものなのか、という重大な問題が残る。それについては、姿を現しつつある安土城によって答えを見いだすことができるだろう。■ 天皇家への挑戦状、井沢元彦が読み解く天才信長の「自己神格化計画」■ 寺社ファシズムと戦った信長、日本経済に必要な「自由化」の荒療治■ 「優れた経済人」織田信長だったらデフレ脱却にどう挑むか

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    森保ジャパン新エース、中島翔哉に代わる「サッカー小僧」を探せ

    清水英斗(サッカーライター) サッカーアジアカップ・グループリーグのトルクメニスタンとの初戦で、日本代表は3-2で辛うじて勝利を収めたが、足場の脆(もろ)さが浮き彫りとなった。確かに、2000年にレバノンで行われた大会を除けば、日本が圧倒的な実力を見せつけて、アジア杯を制したことは記憶にない。04年も、11年も、薄氷を踏むような戦いの末にたどり着いた僅差の優勝だった。 それでも、タイトルという結果は記憶以上に濃いものだ。昨今は「アジアは優勝して当たり前」という空気が日本サッカーに広がっている。それが「強豪国のプライド=勝者のメンタリティ」であればよいが、「根拠のない自信=油断」になると、どうなるか。 残念ながら、初戦を見る限りは、後者だったと言わざるを得ない。予想外の苦戦は、たるんだわれわれ日本人の頬を引っ叩(ぱた)くものになった。ただ、この苦味を初戦で味わい、どうにか結果を得たことは、今後を考えれば理想的だった。 それにしても、なぜこれほどの苦戦を強いられたのか。 理由の一つは、トルクメニスタンが組織的なチームであり、ゾーンディフェンスとカウンターの戦術を細かく整備してきたことにある。後述するが、その内容は日本に対する研究の跡が見られ、実際に大きな効果を発揮していた。 理由の二つ目は、日本が準備不足だったことだ。守田英正(川崎)の負傷と、遠藤航(シントトロイデン)の発熱により、起用できる守備的MFがゼロになってしまった。そこで追加招集したのは、サイドバックの塩谷司(アルアイン)。ボランチも多少は経験したが、本職ではない。 予備メンバーを用意しなかった日本は、長期オフに入って実戦から遠ざかっているJリーグ組から呼ぶことも不可能だ。もし、予備メンバーを用意していれば、山口蛍(神戸)や今野泰幸(G大阪)などMF候補はいたはずだ。2019年1月9日、前半でトルクメニスタンに先制点を許し、渋い表情の日本代表の森保監督(右端)=アブダビ(共同) その結果、センターバックのDF冨安健洋(シントトロイデン)を、かつてのボランチ経験を買ってコンバートすることになった。ところが、MF柴崎岳(ヘタフェ)との急造コンビは、どうにも機能しない。冨安はサイドへ行き過ぎるし、柴崎もスペースを守る意識が低い。このコンビではセンターバック前の「バイタルエリア」と呼ばれるスペースを管理できず、カウンターを食らい放題だった。 日本の1失点目も2失点目もカウンターを仕掛けられ、中央を割られて失点につながっている。ボランチの準備不足が重くのしかかった。消えた「新エース」 そして、苦戦を強いられた三つ目の理由には、日本代表の新エースを右ふくらはぎのけがで欠いた影響を挙げておく。昨夏、森保一監督の就任以来「10番」を背負い続けてきた中島翔哉(ポルティモネンセ)である。 トルクメニスタンは、中央に絞ってボールを奪い、攻撃的な両サイドハーフがすばやく出ていくカウンター戦術を採った。この戦術の有効性と、日本が中島を欠いたことは密接に結びつく。 中島のプレースタイルはドリブルだ。左サイドに開いてボールを受け、1対1で仕掛けることを好む。相手が誰だろうと、味方が誰だろうと、同じプレーをする。中島はそういう分かりやすいタイプ。チームに1人いれば心強い、でも2人は要らない、そんな「ボール小僧」である。 もし、日本の左サイドに中島がいれば、中央突破に偏りすぎず、サイドを使ったシンプルな仕掛けができたはずだ。必然、トルクメニスタンの守備が中央に絞ることは難しくなる。 また、再三のカウンターで起点になった8番、MFルスラン・ミンガゾフも、中島の仕掛けに対して2対1で守備のヘルプに回らざるを得ない。高い位置でカウンターに絡むことはできなかっただろう。 実際、後半になって、MF原口元気(ハノーバー)が左サイドの大外にポジションを修正し、中島のごとくドリブルの仕掛けを増やすと、一気にゲームは好転。これが打開の糸口になった。 見事な修正だったが、そもそも中島がスタメンなら、この問題は起こらない。いや、中島がスタメンなら、トルクメニスタンも普段使っている4-4-2を捨て、日本対策の5-4-1を用いること自体なかったかもしれない。この対策はウイングドリブラーの中島がいない状況で、より効果を発揮するものだからだ。2018年11月、ベネズエラ戦に先発出場した日本代表MF中島翔哉。アジア杯は直前のけがで欠場した=大分銀行ドーム(蔵賢斗撮影) この辺り、サッカーの戦術はじゃんけんのようなものだ。中島を欠いた日本はグーを出せなくなった。何を出すか迷っているうちに、トルクメニスタンは、どうせグーはないだろうと安心してチョキを出してきた。これでは分が悪い。そこで後半、日本は原口をグーと明確に切り替えることで、この試合を乗り切ったわけだ。 ただし、中島が出場していれば、最初からトルクメニスタンが違う戦術を用いた可能性はある。そうなれば結局、日本は別の状況で苦戦を強いられたかもしれない。そこは分からない。「中島がいれば全て解決」などと言い切れるほど、サッカーは単純ではない。 それでも、一つ言えるのは、中島のような個性がハッキリした選手がいると、チームとして何を出すのか整理しやすいということだ。クラブにない日本代表の難しさ 選手への日ごろの取材で、時折「クラブチームと代表の違い」を聞くことがある。そこで誰もが口をそろえて答えるのは、「代表は普段一緒にプレーしていない選手とチームを作るのが難しい」ということである。 クラブで毎日一緒に練習していれば、細かい動き方は感覚レベルで共有できる。何か修正を伝える必要があったとしても、「おい!」で十分かもしれない。 しかし、代表チームになると、話は別だ。みんなが違う常識、違うセオリーの中でプレーし、身体がそれに慣れている。細かい部分の連係まで、しっかりと言葉にして、すり合わせなければ、思わぬズレを生むことになる。それが代表チームの難しさだ。 だからこそ、中島タイプの価値は大きい。このボール小僧は、クラブだろうが代表だろうが、いつも同じプレーをする。受けたいところで受け、仕掛けるだけの繰り返しである。左サイドに開いてボールを欲しがっているので、預ければ何かをしてくれる。代表という難しい環境であっても、中島だけはわかりやすい。それは、彼が唯一無二の武器を持っているからだ。 例えば、日本の攻撃が中央に偏ってしまったとする。相手の守備もそこを狙っている。もっとサイドから仕掛けたい…。その瞬間、11人の頭に同じ絵が降ってくる。 「ショーヤ!」 攻撃が真ん中で詰まれば、あのボール小僧に預けて、サイドから仕掛けさせればいい。たとえ代表であっても、同じイメージを共有できる。分かりやすい中島のプレーは、味方にとっても分かりやすいからだ。2019年1月9日、アジア杯・トルクメニスタン戦の前半、攻め込むMF原口元気(蔵賢斗撮影) トルクメニスタン戦は、「10番」という芯を失ったチームが迷走した。それは必然でもある。これまで唯一無二のドリブラーに呼応し、周りがバランスを整えてきたのだから。それがいきなり不在となれば、このチームがじゃんけんで何を出せるのか、手探りになるのはやむを得ない。 一方、同じドリブラーでも、原口は中島とは異なり、これまでどんな状況でも、どんなポジションでも、チームのリクエストに献身的に応えてきたタイプである。その原口が後半のように、再びボール小僧の姿に戻るのか。あるいは長友佑都(ガラタサライ)らとの絡みで、柔軟に連係的に、中島には出せないじゃんけんを出していくのか。そこは今後の見どころになるだろう。 乞うご期待である。アジア杯は始まったばかりだ。■ 乾と柴崎「ボールがない時間」で示した世界レベル■ 西野朗は日本サッカーの何を変えたのか■ 最先端のサッカーから遠ざかる本田圭佑の「柔軟力」

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    川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実

    渡邊大門(歴史学者) 前回の倭寇による人の略奪を踏まえて、日本国内に目を向けてみよう。戦国時代は、人身売買も含めて、人の略奪が盛んに行われた時代だった。それは、まさしく「生きるため」だったといっても過言ではない。それは、天候不順による食糧不足とも連動していたと言える。 現代は便利な時代であり、暑いと言えば冷房をつければよいし、寒いと言えば暖房をつければよい。食料もビニールハウスどころか、今や工場で作るありさまである。最近の自然災害はひどい状況だが、鉄筋コンクリートの建物は、昔の木造建築に比べると非常に頑強である。むろん戦国時代の家は、粗末な木造だった。 また、今は道を歩いていれば、スーパーやコンビニがあるので、お金さえあれば食料を手に入れることができる。病気になっても、病院に駆け込めば何とかなることも多い。すべてが便利であるし、さまざまな点で不便な戦国時代とは比較にならない。 戦国時代に目を転じると、主力となる農業や漁業は自然が相手の仕事であり、ひとたび自然災害に見舞われると、農業用の機械があるわけでもないので、農地の復旧には多大な時間を要した。おまけに天候不順に陥ると、たちまち作物の収穫量はガタ落ちし、人々は飢えに苦しむありさまである。 保存食があるとはいえ、今のように冷凍食品があったわけではない。ひどい状況が続けば、やがて人々の体力を奪い、病気になることもあった。病気になると特効薬があったわけでもないので、疫病の蔓延(まんえん)は深刻な事態を招いた。 寛喜2(1230)年から翌年まで人々を苦しめた寛喜の大飢饉(ききん)では、食糧難が深刻になったので、子供を売ってでも生活の費用を捻出する必要が生じた。とにかく、戦国時代の人々は生きるために必死だったのである。 村で生活する人々はときに戦争に参加し、戦場で相手から略奪した金目のものや食料などを自分のものにした。戦場で人を捕らえた場合も、自分のものになり、捕らえた人を売ることもあった。つまり、戦争に行くこと自体が、自らの生死をかけた戦いであり、略奪が生きるために必要だったのである。 こうした戦場における人の略奪は、必然的に人身売買の温床となった。以下、戦場における人の略奪を中心にして、さまざまな事例を取り上げることにしたい。最初は、武田氏の事例である。JR甲府駅前の武田信玄像 甲斐国の武田氏や小山田氏をはじめ、当時の生活や世相を記録した史料として、『妙法寺記』(『勝山記』とも)という史料がある。そこには、数多くの人の略奪の記録が残されている。 天文5(1536)年、相模国青根郷(相模原区緑区青根)に武田氏の軍勢が攻め込み、「足弱」を100人ばかり獲っていったという。この前年、武田信虎は今川氏輝、北条氏綱の連合軍と甲斐・駿河の国境付近で戦い(万沢口合戦)、敗北を喫していた。武田氏は両者に対して、大きな恨みを抱いていたといえる。 史料中の「足弱」とは、「足が弱い人」「歩行能力が弱い人」という意味がある。転じて、女性、老人、子供を意味するようになった(足軽を意味することもある)。つまり、武田氏の軍勢は戦争のどさくさに紛れ、戦利品として「足弱」を強奪して国へ戻ったということになろう。時代を問わず、女性、老人、子供は常に「弱者」であった。川中島でもあった「乱取り」 そして、天文15(1546)年には甲斐国で飢饉があり、餓死する者が続出したという。そうした状況下、武田氏の軍勢は男女を生け捕りにして、ことごとく甲斐国へと連れ去った。生け捕られた人々は、親類が買い取りに応じることがあれば、2貫、3貫、5貫、10貫で買い戻されていった。 現在の貨幣価値に換算すると、一貫=約10万円になる。生け捕られた人々は約20万~100万円で買い戻された。身分あるいは性別や年齢で値段が決まったのであろうか。 『妙法寺記』を一覧すると、武田氏の軍勢が行くところでは、多くの敵方の首が取られたことが記述されており、同時に多くの「足弱」が生け捕りにされたことも記されている。「足弱」は売買されるとともに、農業などの貴重な労働力になったのであろう。 このように、戦場で人あるいは物資を強奪することを「乱取り」という。戦場で分捕ったものは当然、自分のものなった。ある意味で戦争に参加するのは、乱取りが目的とも思えるほどである。その姿は、『甲陽軍鑑』にも生き生きと描かれている。 『甲陽軍鑑』とは、江戸時代初期に集成された軍書であり、武田氏を研究する上で重要な史料の一つである。武田信玄・勝頼父子の治績、合戦、戦術、刑法などが記述され、20巻59品から構成されている。その成立過程は、武田氏の家臣、高坂昌信の遺記をベースにして、春日惣二郎、小幡下野らが書き継ぎ、最終的に小幡景憲が集大成したとされている。 『甲陽軍鑑』は、まさしく乱取りの事例の宝庫であるといえる。以下、いくつかの例を挙げることにしよう。 武田信玄の戦いで最もよく知られているのは、越後の上杉謙信と死闘を演じた川中島(長野市)の戦いであろう。天文22(1553)年、初めて2人が刃を交えて以来、計5回にわたって雌雄を決している(4回説もあり)。ここでは2人の名勝負ではなく「乱取り」だけを見ることにする。 川中島の戦いに際して、甲斐国から信濃国へ侵攻した武田軍は、そのままの勢いで越後国関山(新潟県妙高市)に火を放つと、人々は散り散りに逃げ出した。そして、謙信の居城である春日山城(新潟県上越市)へ迫ったのである。武田軍は越後に入ると、次々と人々を乱取りし、自分の奴隷として召抱えたという。その大半は、女や子供であった。川中島の合戦の両雄、武田信玄と上杉謙信の銅像=長野市 『甲陽軍鑑』には、兵卒が男女や子供のほか、馬や刀・脇差(わきざし)を戦場で得ることによって、経済的に豊かになったと記されている。女性に限って言えば、家事労働に従事させたり、あるいは性的な対象として扱われたりしたのであろう。場合によっては、売却して金銭に替えることも可能であったと推測される。戦争に行くことはまさしく生活がかかっており、さらに運がよければ「うまみ」があったといえよう。 こうなると、戦争に行った者たちの関心は、極端に言えば戦いの勝敗よりも、乱取りでどれだけ略奪できたかに移っていたようである。『甲陽軍鑑』の一節には次のように記されている個所がある(現代語訳)。乱取りばかりに気持ちが動いて、敵の勝利にも気付かなかった。乱取りばかりにふけっており、人を討つという気持ちがまったくない。 乱取りに熱中する人々は、「後さき踏まえぬ意地汚き人々」と評価されるところとなった。要するに「何も考えていない意地汚い連中」ということになろう。こうなると、彼らが戦争に来たのか、乱取りに来たのか目的すら判然としなくなる。忠誠より略奪 たとえば、武田軍が信濃国に侵攻した際、大門峠(長野県茅野市)を越えた付近で、兵たちに7日間の休暇が与えられた。しかし、兵たちは休むことなく、鬨(とき)の声を上げて付近の民家を襲撃した。目的は略奪行為であり、田畠の作物すら奪い取った。わずか3日間で村々から略奪を終えると、まだ余力が残っていたのか、翌日からはさらに遠方の村々まで出張って行って、略奪を繰り返すありさまだったのである。 それだけではなく、戦争が終結し、敵の城を落しても乱取りだけは続けられた。それが、兵たちの「褒美」になった。永禄9(1566)年、小幡業盛の籠る上野国箕輪城(群馬県高崎市)が信玄により落されると、雑兵は箕輪城を本拠として、敵兵を次々と捕らえ、乱取りを行ったのである。彼らにとっては、戦いよりも乱取りが本番であったと言えるかもしれない。 現代では、国家からの強制的な動員、あるいはほとばしるような愛国心に突き動かされ、人々は戦争に行くのであろう。しかし、戦国時代の戦争は収入を得る手段の一つであり、言うなれば「出稼ぎ」のようなものだったのかもしれない。動員する戦国大名にとっても、彼らを従軍させる理由やモチベーションが必要である。それが乱取りであり、彼らの貴重な収入源となった。まさしく生きるための戦争だったのである。 こうして人や物資を略奪すると、雑兵たちの生活は豊かになった。『甲陽軍鑑』には、その姿が次のように描かれている(現代語訳)。分捕った刀・脇差・目貫・こうがい・はばきを外して(売って)、豊かになった。馬・女を奪い取り、これで豊かになったので、国々の民百姓までみんな富貴になり安泰になったので、国で騒ぎが起こることがなかった。 われわれの常識では、戦国大名が産業や農業振興に腐心し、それにより国が豊かになると考えていた節がある。むろん、それも事実として正しいのであるが、実際には他国へ侵攻して戦争を仕掛け、それにより国が富むという現実を認識すべきだろう。戦争に行く人々には、愛国心や忠誠心はほとんどなかったのかもしれない。 こうした乱取りという現象は、何も武田氏の専売特許ではない。次に、肥後国の大名・相良氏の事例を取り上げてみよう。相良氏は遠江国佐野郡相良荘の出身であるが、鎌倉時代に肥後国人吉荘に本拠を移し、以後大名化を遂げた。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 乱取りの様子は『八代日記』に描かれている(天文~永禄年間)。その記述によると、戦場においては、牛馬とともに人々も略奪の対象となった。ときに夜襲を仕掛けて、人を奪い去った様子がうかがえる。また、数千人が生け捕りにされており、その規模の大きさには、目を見張るものがある。 同じことは、伊達政宗が南奥羽で展開した戦いにおいても確認することができる。その状況を伝えているのが、『天正日記』である(天正16・17年)。 『天正日記』によると、戦場において数多くの人々が生け捕りにされ、敵兵の首や鼻を切り取ったという。敵兵を倒した場合、その証として首を切り取った。首の数によって、与えられる恩賞が決まったからである。 鼻が切り取られた理由は、首を腰まわりにぶら下げていると、重いうえに身動きが取りにくい。そこで、代わりに鼻を削(そ)ぎ落として、敵を討ち果たした証拠にしたのである。鼻から上唇まで切り取ると、髭(ひげ)によって男であると分かる。売り飛ばされた女たち 人が略奪された例は、薩摩・島津氏の関係者の日記でも確認できる(『北郷忠相日記』など)。『北郷時久日記』によると、人が3人誘拐されたと記されている。強引に連れ去るだけでなく、騙して連れ去ることもあったようである。 永禄9(1566)年2月、長尾景虎(上杉謙信)の攻撃によって、小田氏治の籠(こも)る常陸・小田城(茨城県つくば市)が落城した。落城の直後、城下はたちまち人身売買の市場になったという。その様子は、『別本和光院和漢合運』に次のように記されている。小田城が開城すると、景虎の意向によって、春の間、人が二十銭・三十銭で売買されることになった。 この一文を読む限り、人身売買は景虎の公認だったのかもしれない。20銭といえば、現在の貨幣価値に換算して、約2千円ということになる。おそらく、雑兵たちはかなりの数の女や子供を生け捕りにし、これを売ることにより、生活の糧にしていたと考えられる。まさしく戦争に出陣する「うまみ」であった。 数が多いので、薄利多売になったのであろうか。売られた者は、家事労働などに使役されるか、あるいはさらに転売されたことがあったかもしれない。 連れ去られた人々は、買い戻されることもあった。その際、金銭が必要なのは言うまでもないが、仲介役として商人や海賊が関与していたと指摘されている。むろん無料で引き受けるのではなく、仲介料を取っていた。つまり、戦場における人の連れ去りは、大げさに言えば、一種の商行為として彼ら商人の懐を潤わせていたのである。 人身売買の厳しい実態は、後になっても確認できる。 『信長公記』によると、天正3(1575)年に織田信長が越前国の一向一揆を討伐した際、殺された人間と生け捕りにされた人間の数が、3~4万人に及んだと伝えている。これには、兵はもちろんのこと民や百姓も含まれていた。殺された数も多かったようであるが、生け捕り分(民と百姓)は、戦利品として扱われたと推測される。 同様の事例は、大坂の陣でも確認できる。『義演准后日記』によると、大坂の陣で勝利を得た徳川軍の兵は、女や子供を次々と捕らえて、凱旋(がいせん)したことを伝えている。徳川方の蜂須賀軍は、約170人の男女を捕らえたと言われているが、そのうち女が68人、子供が64人とその多くを女や子供が占めている。弱者である女や子供が生け捕りにされるのは、共通した普遍性であった。大阪城(ゲッティイメージズ) 大坂の陣を描いた「大坂夏の陣屏風」には、逃げ惑う戦争難民の姿が活写されているが、とりわけ兵に捕まった女性たちの姿が目を引く。兵たちは戦争そっちのけで強奪に熱中しており、それがある意味で彼らの稼ぎとなっていたようなのである。そして、女性たちは売り飛ばされたと考えられる。 人身売買や人の略奪という地獄絵図は、戦国時代を経て織豊政権期に至っても続き、さらに最後の大戦争となった大坂の陣まで脈々と続けられたのである。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎■「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか■「キリシタンへの見せしめ」秀吉が黒田官兵衛を疎んじた理由

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    国民をカモにする「ブラック官庁」財務省はXマス暴落よりもヤバい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 3連休明けの12月25日に届いたのは、サンタクロースのプレゼントではなく、世界経済からの強烈な一打だった。日経平均の終値は1万9155円74銭で、先週の終値から約1010円も下落した。まさに大暴落である。大幅な下落は既に10月中旬から続いており、2万2千円台から3千円近くも値下がりしている。 この手の暴落が起きると、リーマンショック級であるかどうかよく話題になるが、実はどうでもいい。現時点で十分に世界経済の変調を確認できる。世界経済の後退を見越して、原油価格も大幅に低下を続けている。為替レートはドル・円で見ると110円台をなんとかキープしているが、これも現状の株価暴落や経済の不安定性が目立っていけば、やがて一段の円高になるだろう。 この真因は、やはり米国の金融政策の失敗だ。今の連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル総裁は凡庸を通り越して、今や経済失速の「主犯」となろうとしている。 その理由は、FRBがインフレ目標2%にあまりに固執しているからだ。2%の目標をあまりに厳格に守るために、将来的な雇用の最大化や経済成長率の安定を犠牲にしている。 実際、FRBが現在公表している「予測」を見ると、今後失業率が上昇し、経済成長率が鈍化する一方で、現状よりも政策金利は引き上げられている。つまり、インフレ目標を厳格に守るために、雇用や成長を犠牲にするのだ。全く愚かな判断である。 そもそも、インフレ目標は伸縮的に運用するのがコツだ。自動車運転と同じで、ルールを守りながらも、裁量の余地を認めていくのがこの政策のコツだった。だが、パウエル議長のFRBは四半期ごと機械的に利上げすることや、米中貿易戦争での世界経済後退リスクを考慮することなく、単なる数値目標に固執しすぎてしまっている。2018年12月25日、値下がった日経平均を示す株価ボード(渡辺恭晃撮影) 経済政策の最終目的は、雇用の最大化(完全雇用の達成)と、経済成長率の安定だ。インフレ目標はこの最終目的を実現するための中間目標でしかない。それが、中間目標があたかも最終目的になってしまったかのようだ。 トランプ大統領との不協和音も問題だ。これは、政府と中央銀行がその政策目的を共有できてないことに原因がある。もちろん、優れた前任者だったイエレン氏を事実上更迭して、パウエル総裁を任命したのは、トランプ大統領自身である。 要するに、今回の株価大暴落と経済危機の高まりの背景には、トランプ大統領の金融政策に対する無理解と、現時点での政府とFRBの政策協調の失敗がある。これは両者の出方次第では、協調の失敗が長期化する可能性がある。財務省のブラック体質 私見では、今のインフレ目標の目標値は低すぎる。もしくは、同じ数値設定でも、より一層の賃金上昇などが見られるまで、インフレ率が目標値を上回っても現状の金融政策を進めると表明すべきだ。 FRBが今後もインフレ目標に厳格にこだわり、利上げを続けると予想されているため、日本銀行の金融緩和政策とのバランスから、今のところ為替レートはまだぎりぎり円安水準といえるものだ。これは、日本が長期停滞から完全に別れるために必要な円安水準という意味である。 ただし、世界経済の状況が悪化している現在、今の日銀の金融緩和姿勢で事足りる可能性は低い。つまり、この状況が続けば、過去のリーマンショックや2015年に起きた世界経済不況と同様に、円高局面が訪れる。そうなれば、日本企業の収益性を直撃するだろう。仮に、2015年の世界経済の後退と同水準のショックがこれから来年にかけて訪れるとすれば、最悪のタイミングと言わざるを得ない。 現時点で、財務省高官たちは「大したことがない」と様子見しているが、実に愚かな態度である。2014年4月の消費税8%引き上げの翌年に、世界経済の後退局面が訪れた。そして、消費低迷と成長率の鈍化、より一層の回復が見込めた雇用改善のストップなどが起きた。もし来年、このまま消費増税すれば、世界経済後退の中での引き上げになる。それは最悪のシナリオだ。 そんな財務省が、2018年の「ブラック企業大賞」で「市民投票賞」を受賞した。インターネット投票なので、個々のユーザーもさまざまな理由で1票を投じたのだろう。 だが、今年だけに絞っても、テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前事務次官のセクハラ行為に端を発したスキャンダル、そしてセクハラ疑惑を受けた福田前次官の辞任は記憶に新しい。さらに、佐川宣寿元理財局長(前国税庁長官)の国会答弁を忖度して、理財局全体をあげて行った公文書改竄(かいざん)は、国民に政府組織に対する深刻な不信感を与えた。 つまり、財務省の公的サービスが、国民に被害を与えたと認定していいだろう。財務省のブラック企業体質は本当に深刻である。さらに、過度な残業やまたパワハラ的な職場風土についても、さまざまに漏れ伝わるところでもある。トランプ米大統領(左)とパウエルFRB議長=2017年11月、ホワイトハウス(ロイター=共同) その一方で、最高学府からエリート層を常に吸収することで、自らの権威を保っている。要するに、エリート層が集まることが、今や財務省のただ一つ拠って立つ「権威」なのだ。醜いプライドだといっていいだろう。 率直にいえば、筆者には財務省が「日本の恥」だとしか思えない。恥は主観的な言葉なので、より客観的にいえば、財務省のお粗末なパフォーマンスを評価すれば、「省」ではなく「庁」程度がお似合いである。 お粗末なパフォーマンスの一例は、平成の経済史をさかのぼれば明白である。最近でも、嘉悦大の高橋洋一教授の新著『めった斬り平成経済史』(ビジネス社)や、経済評論家の上念司氏の『日本を亡ぼす岩盤規制』(飛鳥新社)を読めば、バブル崩壊から20年に及ぶ長期停滞の主犯が、財務省と日銀であることがよく分かるだろう。筆者もまた、時論を始めてから20年近くになるが、それはほとんど財務省と日銀による政策の失敗を明らかにし、その責任を糺(ただ)すことにあったといっていい。「政治家有罪、官僚無罪」 財務大臣に財務省のブラック企業体質の責任を全て求めることは、今までも長年、マスコミや世論の主導で行われてきた。つまり、「官僚の問題が明らかになれば、政治家が責任を取る」構図のことである。 だが、財務省のこのブラック企業体質は、大臣のクビを切れば済むかといえば、それで話は終わらない。むしろ、事実上論点をずらし、問題の本質を隠蔽(いんぺい)することにさえ通じている。要するに、今回の一連の問題を単純に「麻生大臣やめろ」などというだけではあまり賢明ではない。いや、率直にいえば、その種の意見は、財務省にとって好都合の「批判」でしかない。 官僚組織は個々の大臣の在任期間よりも長いし、また政党の「生命」よりも長い。政治家や大臣どころか、政権さえも財務省の使い捨ての駒でしかないのだ。 財務省が消費増税を悲願にしていることは周知の事実だろう。そんな中で、1997年に5%引き上げを実施した橋本龍太郎政権や、2012年に消費増税法を成立させた野田佳彦政権は事実上、財務省によって使い捨てされたとみていいだろう。その間、消費増税による経済停滞の本格化(橋本政権)、停滞の深化(野田政権)の責任は、全て政治家だけが取った。 一方、その当時の財務官僚はなんら責任を国民から問われることもなく、その後も高給の転職先や天下りを享受している。それでも、マスコミも世論の多くも、「政治家有罪、官僚無罪」という発想を捨て去ることができない。 この根源には、マスコミの「財務省依存」とでもいうべき体質がある。そして、ワイドショーやニュース番組などでしか情報を得られていない層が、財務省依存のニュースによって意見を形成してしまっている不幸な現象があるだろう。最近は、ネットなどで「真実」を知る人たちが増えてきたことで、「財務省はブラック企業である」という認識を生んだのかもしれない。実にいい傾向である。 だが、その認識にはまだまだ足りないところがある。財務省の最大のブラック企業体質は、経済政策の失政で、われわれ国民の生活をドン底に突き落とすところにある。2018年4月、事実上更迭され、記者の質問に答える財務省の福田淳一事務次官(当時) だが、世間には「消費税は社会保障目的で好ましい」という財務省やマスコミの意見を鵜呑みにしている人がかなりいる。申し訳ないが、その種の人たちは、財務省の「いいカモ」でしかないだろう。 政府が課税とそれによって得た財源を利用して、社会保障の名目で所得を再分配することは、もちろん現代国家の在り方として基本的に望ましい。しかし、方法を誤れば、所得の再分配によって、経済的な弱者がさらに損をしてしまうことがある。 例えば所得水準が低い人たちは、生活のために必要な支出だけでお金が底をついてしまう。これでは、将来のための貯蓄も難しい。この低所得の人たちの消費に重たい消費税率が課せられるわけだ。もはや「精神論」 他方で、高所得者たちは、その収入のほとんどを消費しない。消費の占める割合は、高所得者ほど低いだろう。では、高所得者たちは消費せずに、いったい何をしているかというと、せっせとお金を増やすための資産運用をしているのだ。 お金を使うことではなく、お金自体が一つの魅力となり、その無限の増殖を果たしていく。デフレになって、貨幣の魅力が増せば増すほどこの傾向は強くなる。これを「貨幣愛の非飽和性」という。 例えば、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が特別背任罪などで罪を問われている。その真相はまだ不明だ。だが、報道によれば、巨額の資産運用をしていたことは明白である。 ゴーン氏といえば、安くておいしい焼き鳥屋で食事するエピソードがあるように、日本での消費活動はそれほど派手に報道されていない。その一方で、リーマンショックの発生に伴う巨額の損失を、日産に付け替えようとするなど、その資産運用は強欲的である。ある意味で、高所得者の典型的な行動パターンだ。 消費税は、いわばゴーン的高所得者には有利に働き、カツカツで生きる人には地獄のような税制だ。現状では、米中貿易戦争や米国の金融政策の不安定性から、世界経済の失速が懸念される中で、消費増税を実施すれば、さらに経済的な困窮を深めてしまう可能性が大きい。 安倍晋三政権自体の責任もあるが、その背後で暗躍する財務省という国家の寄生虫を退治しない限り、この悲劇は繰り返し起こるだろう。最近では、消費税を全ての国民が社会保障のために担う政策だと説明しているが、一種の「精神論」(上念司)である。 ブラック企業の特徴は、社員をどうしようもない精神論で追い詰めるところにある。まさに、財務省のブラック企業体質がこの「精神論」に結晶されている。 財務省を解体するのも大いにありだが、個人的には財務省を財務庁に「格下げ」して、彼ら、彼女らのエリート意識を砕くことが手っ取り早いし、重要なことだと思う。格下げと同時に歳入庁をつくり、両方とも内閣府の直轄に置くのがいいだろう。2018年10月、消費税の10%引き上げを表明した臨時閣議に臨む安倍首相(中央)。左は茂木経済再生相、右は麻生財務相 そうして、財務官僚の歪(ゆが)んだエリート意識を糺すことが最優先だと思われる。ただし、最近は、財務省のセクハラ、パワハラ的なブラック企業体質が知れ渡ってきたのか、官庁志望ランキングでも苦戦しているとも伝え聞く。その先には、世論が財務省の解体を支持する環境になれば、さらにいい。 株価の大暴落から世界経済の減速の可能性が高まっている中で、消費増税の議論を続けるなど、どう考えてもおかしい。だが、この異常な財務省を軸とした「消費増税狂騒曲」を止めることができるかどうかに、安倍政権の命脈などよりもはるかに重要な、日本国民の生活と命がかかっていることは言うまでもない。■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」■ 馬淵澄夫手記 「日本を覆う『消費税神話』からの脱却を」■ メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

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    キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家) 『NHK紅白歌合戦』への初出場が決まったKing&Prince(愛称キンプリ)のメンバー、岩橋玄樹と、SexyZone(愛称セクゾ)の松島聡が、パニック障害を理由に相次いで活動休止を発表した。 岩橋は以前から患っていたとされ、松島については突発性であり、それぞれ発症の経緯が異なるようだが、いずれも若手グループの人気メンバーで、ほぼ時期が重なっただけに衝撃も大きかった。人気絶頂のジャニーズアイドルに何が起きているのだろうか。 急なケガなどで休養を取るのは致し方がないが、今回の件は、長いジャニーズの歴史の中で異例の事態であり、ファンや関係者も違和感を覚えたに違いない。ジャニーズ事務所も然り、社長のジャニー喜多川氏も戸惑いを隠せないようだ。 そもそも、ジャニー氏は「自分が知らないことを気にするタイプ」だ。つまり、自分が知らないところで知らないことが起こっているのを非常に嫌う。社長として組織のトップとして当然の心掛けだが、病気でもけがでもまず「僕に言いなさい」とか、「困っていることがあれば先に言っておきなさい」というような対応が当たり前だった。 だが、今はそれがない。言い換えれば、現場で何が起こっているのか、また個々のタレントがどのように感じて、いま何を考えているのか、ほとんど把握できていないのが現状である。「Youが何を考えているのか教えてほしい」。かつてはジャニー氏が自らタレントと向き合って、こんな対話をする機会も多くあった。 ジャニー氏はコミュニケーションを大切にするし、「子供たち(所属タレント)」とのかかわりが大好きで、その労力を決して惜しむことなく、許す限り時間を費やしてきた。だが、いつの日からかその機会はめっきり少なくなった。端的に言えば、今回の相次ぐパニック障害を招いた原因はここにあるのだが、そこに至った背景を少し踏み込んで詳述したい。 90年代の終わりに席巻した「ジャニーズJr.」(主にCDデビュー前の所属タレント)たちが主役を張ったバラエティー番組『8時だJ』(テレビ朝日系)が12月29日に特番として復活する。嵐や関ジャニ∞、NEWSなど、後にスーパーアイドルとして確立したグループがレギュラー出演していた人気番組だ。MCは当時、滝沢秀明(タッキー)が担っていたことから、今回の特番はタッキーの引退に合わせて制作された「ジャニー氏からのプレゼント」としての意味合いが強い。 この時代のジャニーズは、光GENJIからSMAPへと世代が代わり、後に息の長いグループとなったTOKIOやV6、KinKiKids、そして嵐が登場して歴史をつないでいった。こうした流れは実は重要な意味がある。 要するに、これまでのジャニーズは「一子相伝」的に時代を引き継いできた。田原俊彦から近藤真彦、シブがき隊、そして少年隊と継承され「ジャニー氏の創作」が時代のトップを構成するように「一球入魂」され続けてきたのである。(イラスト・不思議三十郎) つまり、一世代に1組のトップポジションだったものが、90年代以降は徐々に複数になり、今や「ジャニーズJr.」だけでも500人以上、ユニットも10組以上が存在する中で、ジャニー氏が直接指導しているアイドルは極端に少なくなった。 そういった意味で『8時だJ』の時代にいたジャニーズJr.たちは、ジャニー氏自らが直接育てた最後のメンバーだったと言えるのかもしれない。嵐、タッキー&翼、NEWS、関ジャニ∞の他、生田斗真や風間俊介ら俳優としても活躍している彼らにとって、ジャニー氏はまさに父のような存在だったのである。希薄なプロ意識 そしてKAT-TUN以降、ジャニー氏は「祖父」のような立場となって見守る空気が強くなった。一般企業で例えるならば、ジャニー氏は社長として陣頭指揮を執る立場から、現場からは少し離れて会社の行く末を眺める会長職になったようなものだ。 歳を重ね、事務所も大きくなって、すべての所属アイドルに目を配ることに、無理が生じてきているのは間違いない。レッスンやリハーサルの度に必ずと言っていいほど現場に足を運び、ジャニーズJr.たち一人一人に声をかけては指導するという環境が今はない。むろん、ジャニー氏自身、体力的にもそれは難しいだろう。 ジャニー氏と所属タレントはいわば血縁関係に近いものがあったが、こうした関係が崩れ始めたのは先に述べたKAT-TUNのデビュー前後からで、その後起きた象徴的な事件がSMAP解散とTOKIO、山口達也の解雇だったことは言うまでもない。SMAPやTOKIOの「事件」はかつての血縁的な関係が保たれていれば、起こらなかった可能性が高い。 ちなみに僕の現役時代は、ジャニーズの所属タレントは総勢50人前後で、学校で言えば一クラス分ぐらいの規模だった。それはまさに「家族」のような関係で、誰がどんな生い立ちで、どのような悩みで苦しんでいるか、互いに知る間柄でもあった。良くも悪くも、ジャニー氏とはベッタリの関係だったと言うべきか。ただ、ジャニー氏との濃密な関係性が、最大の危機管理になっていたのも事実である。 これが今や、ジャニーズJr.同士でも名前や顔も知らず、入所以降ジャニー氏と話したこともないというタレントが少なくない。こうした現状を踏まえれば、今のジャニーズは大きな岐路に立たされていると言える。もっと言えば、ジャニー氏が世代交代を意識し、タッキーに後継ぎを託した理由はここにあると言っても過言ではない。 その一方で、言い尽くされた感はあるが、若手のプロ意識の希薄さも否めない。これは芸能界全体に言えることである。最近、グラビアアイドルが「彼氏に反対されたので水着になれなくなりました」などと突然言い出すケースが増えているそうだが、これも一つの表れだろう。 心的な病にしても、仕事に差し支えないよう自己管理し、事が大きくなる前に誰かに相談するといった意識も低い。ひとたび病気やケガをすれば、事務所としては休養させるしか道がない。キンプリの岩橋とセクゾの松島のパニック障害の原因は、ジャニーズ事務所が彼らを酷使しているからだと、安直に考える人も多いが、そもそも過酷な環境で活動するのがアイドルたるゆえんなのである。 もとより、アイドルは極力休養する状況にならないよう、日々心掛けているはずである。病気やケガとはいえ、仕事は絶対に穴を空けてはならない。これは芸能界の常識である。誤解を恐れずに言えば、具合が悪いとか急用があるとか、下手な理由で仕事をおろそかにするタレントが昔よりも増えている気がしてならない。(イラスト・不思議三十郎) 少々厳しいようだが、本来「歩合型」の芸能界で、働けないタレントに給料など払えない。ジャニーズほどの規模と資金力、影響力があるからこそ、代えがきくのである。規模の小さい事務所であれば、タレントが回復するまで待つなど、それこそ死活問題であろう。 最近は事務所の管理責任を問う声も大きい。ひと昔前であれば、自分が病気を患っていることを伏せたまま収録に臨んだり、骨折を抱えながらも舞台で演じ切ったりするのが、トップアイドルたる生き様でもあった。もちろん、こうした話が美談となる時代が終わったのは確かである。 こんな時代であるからこそ、あえて言いたいことがある。奇(く)しくも年末に復活する90年代の『8時だJ』の復活は、ジャニー氏からタッキーへのプレゼントという意味合いよりも、むしろアイドルとは何たるかを示し、ジャニーズを継いでいく次世代スターたちに向けたメッセージでもあるのだ、と。■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■「おっさんアイドル」山口達也の悲哀は私にも分かる

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    「フィギュアの新星」紀平梨花、強さの秘密はここにある

    長谷川仁美(ライター) 21日に開幕した全日本フィギュアスケート選手権。日本のトップスケーターが集結するが、その中でも大きな注目を集めているのが、女子シングルの紀平梨花(きひら・りか)だ。 今季、ジュニアから上がったばかりの16歳だが、シニアのデビューシーズンにグランプリ(GP)シリーズ2戦(NHK杯とフランス国際)とGPファイナルで優勝したのは、日本人選手としては初めてのことだ。そんな紀平の強さはどこにあるのだろうか。 技術面でよく知られているのは、トリプルアクセルを跳べることだ。3回転半回るこのジャンプは、女子選手では、世界でも9人しか公式戦で跳んでいない。彼女はその7人目になる。 初めて公式戦で成功させたのは、2016年9月のジュニアGPリュブリャナ(スロベニア)大会でのことだった。それほど難しいジャンプのため、ジャンプの難易度に従って定められている「基礎点」が高いうえ、紀平は、ショートプログラム(SP)で一つ、フリーでは二つのトリプルアクセルを入れる構成にしていることが、彼女が高得点を出す一つの要因だ。 さらに、トリプルアクセルを含めた紀平のジャンプは、いずれも踏み切りのエッジが正確で、着氷時にも回転不足することがないクリーンなものだということも大きい。今季のルール改正で、回転不足のジャンプは厳しく判定されることとなったのだが、回転不足でジャンプを降りてくることがほとんどない彼女は、予定通りの「基礎点」を得ることができる。GPファイナル初出場で優勝し、メダルを手に笑顔を見せる紀平梨花=バンクーバー(共同) しかも、「さあ、跳びますよ」と構えて長く助走を取ってからではなく、プログラムの流れの中でジャンプを跳ぶことなどから、各ジャンプの「出来栄え点(GOE)」も高く評価されている。今季のルール改正では、このGOEが「プラス3~マイナス3」の7段階から「プラス5~マイナス5」の11段階と広がったため、紀平のジャンプは昨季以上に高い得点と評価されることが多いのだ。 紀平の高い技術は、ジャンプだけにとどまらないのも強さの要因だろう。スピンではさまざまにポジションを変えたり足を替えたりするのだが、そうしたときに軸がぶれることも少なく、また、基本的な滑り(スケーティング)も非常に滑らかでスピードがある。失敗を全て生かす 滑らかなスケーティングに関しては、アイスショーでのあるシーンが印象的だった。一つ前の出演者が終わったあと、次の出演者は暗転した氷上で足慣らしのために滑るのだが、その暗闇の中で滑るシルエットから「とても滑らかなスケーティングだな」と思うスケーターがいて、名前がコールされると紀平だった、ということが何度かあった。 スケーティングの滑らかさは、芸術面を評価する「演技構成点」の「スケーティング技術」で高得点となるし、全体のスピードやスケート技術全体の質の高さとつながる。実際、GPファイナルのフリーでは、演技構成点の5項目のうち、4項目が10点満点の9点台と、非常に高く評価された。 技術以外の部分にも、今季の紀平の強さの要因は見られる。 何よりも、今の彼女は「シニアデビューシーズンの勢い」というものに満ちあふれている。比較的近い年齢の選手たちと和気あいあいとした雰囲気の中で戦ってきたジュニア時代と比べて、シニアになると小さなころからテレビで見てきたトップ選手たちと、シリアスで時にピリピリとした空気の試合に出場することになる。 そんなシニアデビューシーズンというのはとても緊張するものであり、かつ、失うもののないシーズンでもある。まだシニアでは何の実績もないからこそ、守るものもなく、ただ真っすぐに駆け抜けていける。その真っすぐな清々(すがすが)しいエネルギーを、今の紀平から強く感じるのだ。 とはいえ、勢いのままにただ駆け抜けているわけではない。昨季、一昨季と経験してきたさまざまな失敗を、全て生かそうという気持ちが彼女にはある。フィギュアGPファイナル、女子シングルで優勝した紀平梨花のフリー=バンクーバー(共同) 紀平が靴を新調するのは、左足は約2カ月に1回、右足は約半年に1回の頻度だそうだが、大会までに慣らすことを考慮して、大会と靴を新調するタイミングを計算したり、靴に付けるブレード(刃)の位置も試行錯誤を重ねた。また、大会での演技直前は、緊張しすぎてしまわないようにトレーナーなどと話をして笑ったりしてから集中するようにしている。今季の彼女は、これまでの失敗や悔しさを「今季から頑張るために、全部経験しておいたような感じです」と捉えて、自分の糧にしているのだ。「身体能力」+「努力」 さらに、GPファイナルのフリーでは、演技中にミスしたジャンプを、残りのプログラム内で挽回した。演技中のとっさの判断を実際の演技で見せることができたのは、そこまでに既に「ミスしたときにはどうするか」と想定して練習していたからこそだ。そうした準備も怠らずに試合を迎えていたのである。 身体能力の高さも際立っている。幼稚園のころに片手で側転ができ、8段の跳び箱が跳べたという紀平。筋肉がつきやすい体質で、「筋トレ前と筋トレ後に体重計に乗って、体脂肪率がどれくらい変化したのか見るのが好きです」と、国内外の移動時にも、大きめの体重計を持ち運んでいるという。 とはいえ、身体能力の高い選手が、筋トレをすればトリプルアクセルが跳べるというものではない。トリプルアクセルを練習で初めて跳べるまで、そして、それを試合で何度も失敗して悔しい思いをし、練習を繰り返して試合で安定して決められるものにしたのは、紀平自身の努力の賜物(たまもの)だ。 「ジャンプは腕で跳ぶ」と言われるほど、踏み切るときに右腕を強く振るのだが、トリプルアクセルを何度も練習してきた彼女は、「そのために肩幅が広くなってきたし、右腕の方が、力こぶがいい感じになってきています」と話していた。また、今年の春に2年ぶりにイタリアのスケート靴メーカーに足型の採寸に行ったところ、「多分トリプルアクセルでぎゅっと踏み込むから」足の横幅が広くなっていたという。 さらに、前述したように左足の靴の方が新調するスピードが速いのは、トリプルアクセルは左足で踏み切るために左足に力を強くかけるからだという。それほどにトリプルアクセルの練習を重ねてきたことが、今季の彼女の躍進の陰にはあるのだ。フィギュアGPファイナルの公式練習から引き揚げる紀平梨花(右)と宮原知子=2018年12月、バンクーバー(共同) それに、同じクラブで一緒に練習している平昌五輪4位、宮原知子の存在も大きい。「知子ちゃんは努力家で、少しずつ上達している姿を凄いなと思っています」と、努力することの大切さを肌で感じてきた。 今季の活躍は全て、スケートに懸けてきた彼女の努力の結実といえるだろう。そしてもう一つ、「たくさんの人たちから応援していただいているのだから、勝つしかない。こんなに時間をかけてスケートに人生を懸けてきたからには、もうこの道は変えられない。スケートで絶対頑張るぞ、という気持ちです」と、スケートに取り組んでいることも重要だ。 「シニアデビュー」というスケート人生の中の一つの特別なシーズンを、ポジティブに過ごしていること、こうした気持ちの持ち方も、紀平の強さの一番の要因だろう。■ スポーツ心理学で読み解く羽生結弦「最強メンタル」の秘訣■ 羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」■ くまのプーさんと羽生結弦「本番に強い」心理を生む2つのコト

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    「官僚の本分忘れた驕り」森友問題、泥沼化の本質はここにある

    している。これまたいつもの切り口である。本当に全く進歩がない人たちである。 加計問題については、この連載でも、獣医師会や文部科学省といった既得権組織が「市場からの排除」をもたらしている問題だとして、経済学的な観点から整理した。今回は森友問題について、同様に経済学的視点からまとめてみたい。 森友問題は財務省、そして近畿財務局が土地利用について、効率化政策よりも特定の団体、つまり森友学園の「経済厚生(経済的な満足度)」を増加させようとしたために、むしろ土地利用の効率化が滞った事例だと考えられる。近畿財務局は、当初から公有地を入札方式で売却すればよかった。入札は価格競争を促すメカニズムの一つなので、効率化政策として考えることができる。2018年12月、参院本会議で、安倍晋三首相(左奥)への問責決議案の趣旨説明を行う立憲民主党の蓮舫副代表兼参院幹事長(春名中撮影) だが、実際に近畿財務局が採用したのは直接交渉であり、しかも「事務的なミス」をきっかけに、森友側の厚生水準を向上させる政策を採用してしまった。その結果、森友側の厚生は一時的に増加した(長期的には厚生損失)。だが、他方で土地利用という観点では、効率化が著しく阻害され、結果として、国有地が現段階「塩漬け」のような状況に陥っている。 経済政策の基本は効率化政策である。これは、規制緩和や取引ルールの設定などで市場競争を確立することで、資源配分を効率化することである。 一定の労働や資本などを利用することで、私たちが日常的に消費・生産する財やサービスの範囲を、最大までに拡大していく。また、一分野だけではなく、多様な領域で効率化政策を推し進めていけば、長期的にはその国民の厚生全体も改善していく。これは、経済学的には古典的な政策観で、「ヒックスの楽観主義」という。効率化に代わる二つの政策 筆者はミクロ経済学を考えるときには、大阪大の八田達夫招聘教授の『ミクロ経済学』(Ⅰ&Ⅱ、東洋経済新報社)と、日銀の岩田規久男前副総裁と明治大の飯田泰之准教授による『ゼミナール経済政策入門』(日本経済新聞社)を常に参照している。特に、前者は具体的な事例を元にしているので使い勝手がいい。 これに日本の場合は、官僚の力が強いので、嘉悦大の高橋洋一教授の一連の著作が具体的な政策論を書く上で必備となる。「ヒックスの楽観主義」も八田氏の『ミクロ経済学』に詳細な解説がある。 効率化政策に代替する政策は2種類ある(八田『ミクロ経済学』Ⅱ)。一つは既得権の利害に配慮する既得権保護政策である。加計学園問題で明らかになった文科省の獣医学部規制がそれである。しかも、文科省の場合は、既得権保護政策のいわば極北であり、そもそも獣医学部の申請自体を認めないので、まさに「市場からの排除」である。 効率化政策に代替するもう一つの政策が、厚生改善政策である。これは特定の人や集団の厚生増加に配慮することである。効率の増進は二の次で、ともかく「特定の人の厚生さえ上がればよし」とするやり口である。 今回の森友問題は、近畿財務局の厚生改善政策によって土地利用の効率化が無視され、その結果、長期的には当事者の厚生水準も低下したことになる。ここでいう「当事者」は森友側であると同時に、また公有地の活用ができなかった国民の損失でもある。 高橋氏の『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(PHP新書)は、モリカケ問題を時系列で整理しながら理解するには最適の書である。他の類書は、「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」みたいなバイアスが強くて使い物にならない。財務省=2018年11月8日(飯田英男撮影) 高橋氏の整理は単純な明解で、森友学園に売却した国有地は、過去にゴミの投棄場として知られていた。 近畿財務局は土地のプロですから、きちんとした手続きをすべきでした。ゴミのことを十分に説明していなかった可能性があるうえに、入札ではなく随意契約にしたことなど、近畿財務局の事務手続きのミスです。高橋洋一『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』救いなき「扇動ゲーム」 この森友側との直接交渉で、近畿財務局は、森友学園だけの経済厚生の向上を目指してしまったとも解釈できる。高橋氏も指摘するように、なぜ公開の入札にしなかったのか、つまり市場競争のスキームを利用しなかったかが、この問題の経済政策的な論点である。 八田氏は、個々のケースで交渉相手の厚生改善を官僚がその都度行うことは適切な役割分担ではない、と指摘している。なぜなら、厚生改善は価値判断を伴うので、官僚にはなじまないからだ。官僚は効率化政策に特化すべきである。 今回のケースでいえば、公開入札など市場競争スキームを採用すべきであった。だが、おそらく近畿財務局、そしてその親元である財務省には「政治的な配慮をすることが自分の任務である」という驕(おご)りがあったのではないだろうか。財務省は特に、政治的な振る舞いを政治家以上に行う風土が存在する。その意識が、末端まで波及していても不思議でもなんでもない。実に傲慢(ごうまん)な姿勢だ。 もちろん「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」で魔女狩り的な報道を繰り広げたマスコミ、それに煽られやすい世論も問題だろう。この点については、近著『増税亡者を名指しで糺す!』(悟空出版)の中で丁寧に解説したので、ここでは省略する。 近畿財務局、財務省の政治的な驕りは、森友問題の「深刻なスピンオフ」ともいえる文書改竄(かいざん)問題でも明らかである。訴訟化はならなかったが、国民の信頼を踏みにじる不遜ともいえる行為であった。この文書改竄もまた特定の人物や組織、つまり財務省高官の厚生を改善するために、適正な公文書管理という効率化を犠牲にした「厚生増進政策」だといえるだろう。繰り返すが、その根源には官僚があたかも政治家のように振る舞う、その傲慢な姿勢がある。学校法人森友学園前理事長の籠池泰典被告=2018年11月撮影 森友問題は、日本の官僚たちの日常的に行っている厚生増進政策の「負の側面」が大きく世に知られたものだと思う。官僚たちが、本来の職分である効率化政策への特化に至るにはまだ「道はるかに遠し」である。 それでもマスコミや野党は、官僚制の問題を議論することに熱意を示さない。安倍首相と昭恵夫人の「関与」という、2年近く経過しても全く証拠も出ていない問題に、まさに報道機会と国会の審議時間、それぞれの「ムダ」使いを続けるばかりだ。 おそらく来年の参院選での「安倍降ろし」を狙って、またモリカケ問題が再炎上する可能性がある。そしてワイドショーレベルの情報で満足する高齢層を中心とした、ずっと「疑惑」を深めている人たちを「釣る」のだろう。まさに救いのない「扇動ゲーム」だといえる。■ 新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任■ 政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい■ 「安倍マンセー保守」たちよ、森友文書改ざんの罪深さを認めよ

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    長篠合戦図屏風に描かれた「六芒星メンズ」の謎を解く

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 長篠の戦いでも天候に恵まれた信長。もっとも、彼のために弁明すると、彼が長篠の戦いで武田軍を「必ず皆殺しにしてやる」と宣言した背景にあったのは、龍の力の盲信だけではなかった。鉄砲や弾薬を西からはるか長篠まで大量に集めてくる資金は尋常ではない。 3000挺の鉄砲が投入されたと仮定すると、その銃の費用は現代の価値で20億円。1挺あたり300発分の火薬(長篠の戦い直後に武田家が制定した分量)は18億円、それに鉛の弾丸が1億4000万円で、トータルすると40億円近くが投入された計算になる。未明から昼過ぎまでの7~8時間で、40億円が戦場の煙と化したのだ。 当然、信長としてはそれだけの投資を無駄にしないためにも、梅雨どきなのに鉄砲で勝つ=梅雨にもかかわらず雨が降らない条件を整えなければならない。 そしてそれは、神頼みだけではなかった。 ここで大阪城天守閣に所蔵されている「長篠合戦図屏風」を見てみよう。信長の本陣は六曲一隻のうちの第六扇(左端)の上部に描かれている。永楽通宝の旗印や南蛮兜(かぶと)などを奉じて控える家来たちの奥で、白馬にまたがった信長が正面の戦場を見つめているのだが、その足元に注目していただきたい。 背中を朱の星で大きく染め抜いた白羽織の男が3人、侍(はべ)っているのがわかるだろう。 この星印は「六芒(ろくぼう)星」という。有名な星印は安倍晴明の「五芒(ごぼう)星」だが、こちらはひとつ角が多いものの、陰陽師(おんみょうじ)の象徴として知られる晴明の五芒星(晴明桔梗)同様、陰陽師のシンボルだ。白馬にまたがる信長=長篠合戦図屏風(大阪城天守閣蔵) では、その違いは何か。安倍晴明の血統を継ぐ土御門家が朝廷の陰陽師であるのに対し、六芒星は晴明に敵対した蘆屋道満(あしやどうまん)のマークだ。元々は播磨の陰陽師だったと伝わる道満は、藤原道長に仕える晴明の力を封じるべくライバルの藤原伊周(これちか)に召し出されたという。 妖術合戦に敗れる姿は多くの作品に描かれているが、現実の道満は伊周が道長との政争に敗れたことで元の民間陰陽師に戻ったのではないか。彼に連なるという陰陽道の系譜は、道満の子孫という土師(はじ)氏の他にも多く残っている。 図屏風は、信長がこの道満流の民間陰陽師を戦場に伴った可能性を示唆しているのだ。ここで注意しなければならないのは、この大阪城天守閣蔵の図屏風には原本がある点だ。成瀬家本と呼ばれるもので、17世紀半ば、長篠の戦いから100年経った頃の制作と考えられている。犬山城主の成瀬家の先祖・正一は長篠の戦いに参加しているので、子孫が家の言い伝えや『甫庵信長記』などの軍記物を参照して顕彰のために描かせたのだろう。2つの図屏風のナゾ この成瀬家本では、信長の本陣にいる3人の男の背に六芒星はなく、濃緑の地に赤く「十六葉菊」が描かれているが、これは信長が朝廷から許された菊紋というにすぎない。 これでは、「一番古いオリジナルの絵がそうなら、信長が陰陽師を使ったという推測は無理じゃないか」と言われそうだが、これがそうでもないのだ。 成瀬家本の図屏風には、家康本陣に六芒星の男が2人いる。その装束は大阪城天守閣本の信長本陣の3人とまったく同じだが、その手には槍や薙刀を持つという違いがある。これは陰陽師としての職掌からはまったく外れている。 この六芒星組が大阪城天守閣本では信長本陣に移動し、手には何も持たない陰陽師本来のいでたちに描き換えられたのは、なぜか。 もう少しこの大阪城天守閣本を観察してみよう。 と、さらにひとつ違うところがあった。第五扇目(左から2番目)の上、ここには羽柴秀吉の部隊が布陣している。金のひょうたんの馬印が高く掲げられ、秀吉も最前線を凝視中だ。 問題なのはその前方に白く細長く湾曲した川が描きこまれている点だ。設楽原では、武田軍と織田・徳川連合軍の間に連吾川が南へ流れていたが、それと平行して、連合軍の布陣している丘の背後(西側)にも平行して流れる大宮川(宮川)という川がある。金のひょうたんの馬印を掲げた秀吉(左上)=長篠合戦図屏風(大阪城天守閣蔵) 成瀬家本では、この大宮川が秀吉隊のところには流れは無く、家康のすぐ後ろから流れが始まっているのだ。 大阪城天守閣本がもっと上流から描き始めているのは、こちらの方が正しい。(ただし実際の大宮川は信長本陣よりも西なので、少しおかしいのだが) この川の加筆は、成瀬家本の成立から間もなくそれを模写することとなった大阪城天守閣本の制作者が、現地の地形や合戦の様子について詳しい者から修正を指示された、ということなのだろう。細部にこだわってよりリアルを追求していこうというのは、いつの時代もオタクを突き動かす本能的な欲求なのだ(笑)。 ということは、六芒星メンズたちの移動も、信長の本陣に居るのが正しい、と考えてのことだったのではないか。 そもそも、この六芒星を背負った男たちは戦場で何をしていたのか。陰陽師だからといって、怨敵調伏の祈祷をしたり、式神を使って敵を討とうとしていたと考えるのは早計だ。彼らは、天気予報士だったのである。六芒星メンズの活躍 朝廷における陰陽師の配属部署「陰陽寮」は、星の動きを観察し、天文の計算によって日食を予測するなどして暦を作成し、風雲(気象)を監視して天気を予報する、専門家集団だった。 民間の陰陽師たちも同様に、それぞれの地域で暦を作り天気を予報する。農耕には気象の予測が何よりも大事なのだ。関東の三島暦・大宮暦、伊勢の丹生暦はその代表的なもので、特に三島暦は朝廷の陰陽暦と絡んで信長も関係する大騒動を呼ぶのだが、それはもう少し後の話である。 六芒星の陰陽師たちは、気象を観測し戦闘に適した日程を大将にアドバイスする。 彼らは「軍配者(軍師)」とも呼ばれた。第7回の桶狭間の戦いのくだりでも紹介した軍配者は、占いや敵味方の「気」を観察することで戦機をはかったと言われているが、一方で常日頃膨大な気象データを蓄積し、体験的な予報を下す科学者たちでもあった。 桶狭間の戦いで奇跡的な勝利を信長にもたらしたのも、大蛇(龍)への祈りと彼ら軍配者の正確な気象予報だったが、長篠の戦いのときに彼らが信長の側に待機していなかったと考える方が不自然だ。これは何も信長に限ったことではなく、当時の大将たちは皆軍配者=陰陽師を戦場にともなった。陰陽道の祖として知られる安倍晴明が祀られる晴明神社=2007年1月、京都市上京区(撮影・門井聡) その意味で、成瀬家本が家康本陣に六芒星メンズを描きこんだのも間違いではないのだが、大阪城天守閣本を描かせた人物は大宮川の流れのように「信長の軍配者こそが勝利の立役者だった」という伝承に触れていた可能性が高い。信長は、大蛇(龍)の力をあてにするだけではなく、最大限合理的で有利な条件で戦えるよう、手を打っていたのだ。 信長のブレーンというのは、まさにこの軍配者たちだった。「おみゃーら、どうだて、お天道様はしばらくの間は出ておりゃあすか」「いーーっ、ここ2、3日は雨は降らずと勘考しとりますで、お戦にかかられませ!」「であるか!もし外れたらワヤだで、間違いありゃせんか。そんなら始めよまいか!」この主従が尾張弁でこんな会話を交わしていたかと想像するのも一興だろう。信長とユダヤの関係 実はこの六芒星メンズについては、もう一つ信長との深い関係性をうかがわせる事実がある。信長の織田氏は通常平氏の流れを自称していたが、本当のところは忌部(いんべ)氏だったという。 忌部氏というのは朝廷の祭祀行事を担当した一族で、その末裔(まつえい)である織田氏は越前の織田劔(つるぎ)神社の神官だった。古代の祭祀は、あたりまえだが農耕と密接に関係しているため、暦とは切っても切れない関係がある。これだけでも陰陽師とは近しいのだが、それだけではなく忌部氏自体がユダヤ人を祖とするとも言われているのだ。 そしてユダヤ人のシンボルは、「ダビデの星」すなわち六芒星。魔除けにも「籠目」という文様がある。竹編みの籠の編み目を図案化したもので、これも六芒星そのものだ。 魔除けグッズ好きの信長にとって、六芒星メンズは実用的にも趣味的にも手放せない存在だっただろう。信長と陰陽師は幾重もの縁で結ばれていたのかもしれない。 「長篠合戦図屏風」には、もう一つ、まったく系統の違う一隻がある。名古屋市博物館蔵のもので、これが一番制作年代が古い。こちらは至ってシンプルな内容だが、描かれている武者の多くが扇を使っているのが目につく。面白いではないか。最古の長篠戦図だけに、当日は暑かったという記憶がまだ残っていたのだろう。 晴れ渡った空の下、長篠の戦いは始まり、信長は一方的な勝利を手に入れた。武田軍が突破できなかった三重の馬防柵と堀 「あっという間に切り崩し、数万人を討ち果たした。最近たまっていた鬱憤(うっぷん)を晴らしてやった」 細川藤孝(幽斎)宛てで誇らかに書き送った信長。そこには、呪術と科学というまったく相反する二つの力で大敵・武田軍を撃破した自信があふれている。 そしてこの頃から、信長は「天の与え」という言葉をしばしば使い始める。これは敵がわざわざ出て来てくれたことを指すのだが、「天がチャンスを与えてくれている」と、ラッキーボーイぶりを口頭でも書状でもアピールするようになったのは、おのれが「神に守られた存在」であることを自分自身が最も強く信じ始めた証拠だったのではないだろうか。 そしてこのあと、彼は越前へ兵を向けるのだった。

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    バルサ化進むJ1神戸「スピードが命」三木谷会長の本気度

    清水英斗(サッカーライター) レギュラーシーズンが終わったJリーグでは、移籍の動きが騒がしくなっている。その中でも桁外れのスケールを見せているのが「バルサ化」を標榜(ひょうぼう)するJ1ヴィッセル神戸だ。 元スペイン代表&元バルセロナ。米国のメジャーリーグサッカー(MLS)でプレーしていたFWダヴィド・ビジャの神戸加入が発表された。37歳と年齢を重ねたストライカーではあるが、ニューヨーク・シティでは4シーズンで124試合出場80ゴール。今シーズンも26試合出場15ゴールと、数字から衰えは感じられない。神戸は計算の立つ点取り屋を獲った。 ともすれば、このビジャも序章にすぎないのかもしれない。続くビッグネームは、イングランド・プレミアリーグ、チェルシーのFWセスク・ファブレガス、独ブンデスリーガ、バイエルン・ミュンヘンからの退団が発表されたFWアリエン・ロッベンなど、枚挙にいとまがない。今後も次々と挙がりそうだ。 同じく元バルセロナのDFアドリアーノも、トルコのベジクタシュからの移籍が濃厚になっている。左サイドを主戦場としつつも、左右のサイドバックとウイングなど、異なるポジションをこなす元バルサ戦士。存在感は地味かもしれないが、実は来季、かなり効いてくる補強になる気配はある。 これらの動きの背景には、Jリーグが来季から外国人選手の出場枠を3から5に増やす改定があった。現状はMFアンドレス・イニエスタ、FWルーカス・ポドルスキ、FWウェリントンと、さらにアジア連盟加盟の外国選手を追加できるアジア枠のGK金承奎(キム・スンギュ)で埋まっているが、その枠自体が増えるわけだ。 さらに、この増える枠を、今から整理する動きも神戸には見られる。来季改定ではアジア枠が消滅するため、韓国などアジアの選手も、一般の外国人選手と同じ扱いになる。2018年12月、J1神戸の入団会見で記者の質問に答える元スペイン代表FWダビド・ビジャ=ノエビアスタジアム神戸(撮影・甘利慈) 今シーズン、多くの試合で神戸のピンチを救った韓国代表GK金承奎はJリーグ屈指の実力を持つ選手だが、終盤は出場機会を失った。終盤4試合では、前川黛也(だいや)がスタメンを勝ち取っている。神戸は金承奎の放出で1枠を空け、さらなる補強を狙うのではないか。 ウェリントンを放出した場合、外国人枠はイニエスタ、ポドルスキ、ビジャ、アドリアーノで、さらにもう1人獲得できる。セスクは既に難色を示しているが、その1枠がロッベンに充てられるのか、果たして。三木谷氏「半年間」の改革 「時間を無駄にしたくない、ということが第一にあった」。神戸で何らかの動きがあるたび、この言葉が脳裏に去来する。 今年9月、神戸は吉田孝行監督を解任し、新監督にスペイン人のフアンマヌエル・リージョ氏の就任を発表した。上記のコメントは、その記者会見で、三木谷浩史会長(楽天会長兼社長)が監督交代の理由について語ったものである。 神戸は5月のイニエスタ加入から、わずか半年で次々と改革を打ち出してきた。 リージョ氏は、バルセロナの選手であり、指揮も執ったジョゼップ・グアルディオラ監督が師と仰ぐ人物であり、バルサ哲学を注入するには最適の指揮官だ。選手についても、シーズン途中にもかかわらず、足りないポジションを次々と補強した。 J2FC岐阜からウイングの古橋亨梧(きょうご)、J2徳島ヴォルティスからセンターバックの大崎玲央、さらに左利きのカタール代表DFアフメド・ヤセルをJリーグ提携国枠で獲得。さらに来季はビジャ。おそらく、アドリアーノ。もしかすると、ロッベンも。 神戸の触手は、トップの選手と監督にとどまらず、コーチ陣にもバルサの流れをくむスタッフを集め、6月にはイニエスタを育てた育成手腕で知られる、アルベルト・ベナイジェス氏を招聘(しょうへい)した。もう、本気も本気。驚くべきスピードである。 札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、J1第25節の神戸戦に3-1で勝利した後、イニエスタやポドルスキを擁する神戸について、記者会見で次のように語った。 「サッカーは個人競技ではありません。コレクティブ(組織的)な戦いです。ビッグネームがいると、チームが機能しないというのは、サッカーの世界ではよくある話です」2018年12月1日、仙台戦の前半、攻め上がる神戸MFイニエスタ=ノエビアスタジアム神戸 確かに、2、3人のビッグネームを獲っただけで優勝できるほど、Jリーグは甘くない。だが、神戸は名選手にとどまらず、監督やコーチ、育成ディレクターまで手を広げ、招聘している。チームではなく、クラブごとバルサ化を目指す神戸の改革は、トップダウン・コレクティブだ。事態はペトロヴィッチ監督の予想以上の角度で進んでいる。「バルサ化」たった一つの成功例 もちろん、所詮(しょせん)コピーはコピー。元祖にはなれないのも然(しか)り。だが、今の神戸の方向性で、成果を挙げた例が一つある。イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティだ。 グアルディオラ監督だけでなく、テクニカルディレクターにはバルセロナの元選手で、クラブの要職も務めたチキ・ベギリスタイン氏を2012年から招聘した。投資を惜しまず、今の地位まで駆け上がった同クラブは、バルサ式トップダウン改革の先輩だ。 神戸はバルセロナになれるか。というより、マンチェスター・シティと同じ道を歩めるか。 その鍵がまさにスピードである。神戸は世間を騒がせる大改革を、5月のイニエスタ加入から、わずか半年で次々と繰り出してきた。 「時間を無駄にしたくない」。トップダウンはスピードが命。バルサ化を目指すと言っても、神戸には根付くものがない。悠長なことを言っていれば、改革のエネルギーは沈下するばかりだ。2018年7月、柏に勝利し、神戸・イニエスタ(手前)を迎える楽天の三木谷浩史会長兼社長=ノエビアスタジアム神戸 「投資して終わり」ではなく、「投資し続ける」こと。トップダウンで刺激を与え続ける。そして、それが軌道に乗れば、育成の方でも受け皿を作っている。トップチームを見て、「神戸のサッカーをやりたい」という有力な選手が、神戸のユースなどにも集まってくるようになれば「ミッション・コンプリート」だ。 イニエスタとは3年半の契約を結んでいる。ここが一つの分岐点。それまでにトップチームを軌道に乗せられるか。 「時間を無駄にしたくない」。バルサ化に絡む神戸の動きの中で、この三木谷会長の一言が、一番印象に残っている。

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    ファーウェイ通信網で「世界征服」狂気に満ちた中国の妄想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)が、米当局の要請によってカナダで逮捕された。それ以来、米中貿易戦争の激化を懸念して、事件発覚後から週明けまでの東京株式市場は大きく株価を下げた。 米中貿易戦争の核心は単なる経済問題ではなく、両国の安全保障にかかわる問題であることが明瞭になっている。もちろん、安全保障の問題になれば、同盟国である日本やカナダ、欧州、オーストラリアといった国々にも、その影響は波及する。 ファーウェイは年間の売上高が10兆円に迫る巨大企業で、スマートフォンや携帯などの通信インフラでは世界でダントツのシェアを誇る。また、スマホ単体でも、出荷台数で米アップルを抜き、世界一の韓国サムスン電子に迫る勢いである。 筆者も渋谷の繁華街を歩いたときに、「HUAWEI」と大きく打ち出されたスマホのポスターを頻繁に目にした。それだけ勢いのある企業である。だが同時に、以前から中国人民解放軍や中国共産党との密接な関係を疑われていた。 それは、同社の通信機器に「余計なもの」、つまり中国政府や軍などに情報を抜かれる恐れのある何らかのチップが入っていると懸念されていることが原因である。本当だとしたら、あまりに露骨なやり口ともいえる。米国ではいち早く、これらの懸念があるファーウェイや中興通訊(ZTE)の製品を、政府機関や関連企業が利用することを禁止する法案が可決された。これは米国の国防予算やその権限を定める国防権限法の一環であった。 米国が始めた流れに、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、英国などが追随、日本もそれに倣う方針を固めた。日本でも、実質的にはファーウェイなど中国通信企業の締め出しが既に行われていたようだが、政府調達から締め出す構えを公式に認めた。2018年12月6日、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、同社のコンピューターに映し出された最高財務責任者、孟晩舟容疑者の画像(AP=共同) 中国政府は、日本に対して強烈な抗議を行ったという。また、米国とカナダに対し、拘束されている孟氏の釈放も要求している。孟氏が逮捕された理由は、取引を禁止されているイランとの交易や詐欺などの理由だという。 通常、政府が個々の経済犯罪について、身柄を釈放するように抗議することはしない。例えば、ルノーの大株主であるフランス政府でさえも、日本に対して、同社会長のカルロス・ゴーン容疑者の釈放を訴えるようなバカなことはしていない。言い換えると、それだけこのファーウェイ関連の問題が、中国政府ぐるみのものであることを明らかにしているといえよう。中国がもたらす「負の外部性」 中国政府のやり口は、米国に代わって世界的な覇権を目指し、その政治的・経済的な権力を中国共産党のもとに統一するという「一大妄想」に基づいている。経済的な権力の手段としては、次世代の通信インフラの支配や、巨大経済圏構想「一帯一路」などがあるだろう。両方とも、アジアやアフリカ諸国を中心にして、その成果はかなり上がっていた。 通信インフラも一帯一路によるインフラ整備も、ともに国際的な公共財のネットワークを構築することにある。通常、この種の国際的公共財のネットワークは、各国の国民に恩恵をもたらすものなのだが、中国中心の国際公共財供給は、もっぱら「ネットワークの負の外部性」をもたらすと断言していい。簡単に言うと、自由で民主的な社会が中国によって危機に直面してしまうのだ。 「ネットワークの外部性」とは、ある財やサービスを利用するときに得る個人の利益が、他の人たちも利用すればするほど増えるというものだ。一例として、英語の国際的利用が挙げられる。 英語を使う人が増えれば増えるほど、一人ひとりが英語を使う効用が増加していく。英語さえ学べば、いろんな国でビジネスや観光がしやすくなるという効果だ。これは特に個々人にもたらす便益を社会全体の便益が上回っているので「正の外部性」という。 ところが、通信インフラのようにこの種のネットワークの外部性が大きいと、特定の企業だけが市場のシェアを奪うことが頻繁に起きやすくなる。ファーウェイもその教科書通りの展開で、このネットワークの外部性に伴う独占力の奪取を実現してきた。 しかし、ここで大きな問題が出てくる。経済学者の早稲田大の藪下史郎名誉教授は、以下のように指摘している。 情報通信技術におけるネットワーク外部性が、参加するすべての人に便益をもたらす反面、その市場に独占的地位を生み出す可能性があると論じたが、同様にネットワーク外部性はある思想や理論が支配的になると同時に、それらに独占的地位を与えてしまう可能性もある。『スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない』東洋経済新報社 今回のケースでいえば、ファーウェイなどによる通信インフラ構築を通じて、「中国の覇権」というイデオロギーを世界に流布することだろう。中国政府が国内で行っている「監視社会化」や、ウイグル自治区などで進める「集団的な洗脳」を見れば、それがいかに自由で民主的な社会の脅威であるかは明らかである。2018年12月、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、スマートフォンを操作する客(共同) しかも、詳細は明らかではないが、ファーウェイの通信機器にある「余計なもの」を通じて、われわれの私的情報が効率的に集められてしまう可能性もある。そうなれば、中国共産党による世界市民の支配につながってしまう。「世界征服」など妄想にすぎないと思うが、それを真顔で進めていく国の狂気は、いつの時代も世界の脅威となるのである。■ 「孤絶化による洗脳」人権圧殺国家、無視できないメディア規制■ 「中国五千年のウソ政治」石平氏の視点は実にユニークである■ ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか

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    「窃盗症と拒食の心理」元マラソン女王が陥ったアスリート魂の限界

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 12月3日、執行猶予期間中の万引で、窃盗罪に問われていた元女子マラソン日本代表の原裕美子被告に対し、前橋地裁太田支部で再度の執行猶予を付けた「懲役1年、保護観察付き執行猶予4年」の判決が言い渡された。 原被告は記者会見をはじめ、複数のメディアで、現在の心境や、自身が窃盗症(クレプトマニア)であることを明かしたうえで、更生を誓っている。もし、これが、社会的な繋がりが構築され、孤独ではないことや家族のサポートを含めた安定した治療環境があること、精神・身体的に回復傾向にあることに裏づけられているとしたら、何よりである。 そもそも窃盗症というのは、どんな疾患なのか。日本を含め、世界で日常臨床に使用されている米国精神医学会「精神障害の診断と統計マニュアル」第5版では、以下の診断基準が示されている。窃盗症(クレプトマニア、Kleptomania)A.個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗ろうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される。B.窃盗に及ぶ直前の緊張の高まりC.窃盗に及ぶときの快感、満足、または解放感D.その盗みは、怒りまたは報復を表現するためのものではなく、妄想または幻覚への反応でもない。E.その盗みは、素行症、そう病エピソード、または反社会性パーソナリティー障害ではうまく説明されない。 Aは、窃盗症患者と、自分の欲しい物だけを盗むことが常習化している人やお金がなくて盗む人などと区別するための項目である。ただし、窃盗症であっても、自分にとって全く必要のないものを盗むという人は少ない。欲しい物であっても、必要以上に大量に盗んだり、最初は必要だったものだが、盗む時点ではそれほど必須の物ではなく、本人も後に考えると「何でこんなものを盗んだんだろう」と思うことも多い。 すなわち、Cの基準から分かるように、もはや盗んだ物よりも「盗む」行為自体が目的になっている。たとえそれが監視カメラに写っていることが認識できていたり、摘発されるリスクが高いことを認知できていたとしても、自分で歯止めを利かせることは難しい。また、本人も自身の罪の意識によって、次第に、しかし確実に精神的に追い込まれていくのである。閉廷後の記者会見で、涙ながらに謝罪する原裕美子被告=2018年12月3日、太田市役所 そして、犯罪行為でもあることから、強い後悔を感じながらも周囲に相談することもできない。こうして精神的や社会的に孤立し、さらに症状が悪化するという悪循環が形成されていく。 ところで、窃盗症に合併する疾患で圧倒的に高率なのが、摂食障害である。原被告も患っていることを告白しているが、摂食障害は拒食や過食を主症状とし、自身の体型認知の歪みや、太ることへの強い恐怖を伴う精神疾患だ。合併例では、過食が窃盗の原因になっていることも多い。 摂食障害には、サブタイプと呼ばれるいくつかの型がある。原被告の場合、拒食と過食・嘔吐(おうと)を伴う神経性やせ症(むちゃ食い/排出型)というタイプで、長い病歴のいずれかの時期に一定期間経験していることが報道から推測できる。拒食と過食は表裏一体 拒食という「食べないこと」と、過食という「食べる」という行為は一見相反する行動のように思えるが、「食行動の異常」という観点からみれば、表裏一体のものである。 言うまでもなく、過食は大量の食べ物を摂取する行為だが、そのためには、当然多くの食料が必要になる。例えば、コンビニで買い物カゴいっぱいの食料を買い込み、それを一度に食べ、そして一気に吐く。これを毎日もしくは高頻度で繰り返す事例はまれではない。 そうすると、生活費における食費の割合が異常に高くなり、社会人であれば、ひと月の給料を簡単に使い果たしてしまう。大事な貯金に手をつけたり、多額の借金に及ぶ場合もある。そして、それもできなくなると、「窃盗してでも食べ物を手に入れたい」となってしまう場合があるのである。 では、なぜ食べて吐くを繰り返すのか。その理由の一つは、過食や嘔吐に夢中になっている時間は、本人が抱える全てのストレスを感じることから逃れられるからだ。原被告も、減量や体形維持の負担、競技者としてのプレッシャー、その他私生活におけるさまざまな精神的重圧から、その時間だけは逃れられていたのであろう。 ストレスフルな厳しい状態に置かれていればいるほど、行為が習慣化し、本人の中でゆがんだストレス対処の方法として定着する。さらにいえば、初めは過食のためにしていた窃盗も、いつしか窃盗という行為自体にも、過食と同じようなある種のすっきり感やストレスから逃れられた感覚が伴うようになり、病理に発展していくのだ。 以上のような経過は、臨床的に決して珍しいことではない。アスリートでなくても、「痩せたい」という日常的に経験される自然な感情に基づいてダイエットを始めることはある。しかし、完璧主義など元々の性格も相まって、いつしか過度な拒食習慣になり、過食や嘔吐を伴う可能性も生じる。さらに、窃盗症だけではなく、鬱病や不安症など他の疾患を合併するまでに至ることがあるのだ。つまり、摂食障害のきっかけは、ほとんど全てが本人や周囲が重大な結果を予測し得ない「ありふれた行動」なのである。トレーニングする選手時代の原裕美子被告=2014年1月(寺河内美奈撮影) その意味で、率直に言えば、トップアスリートを監督や指導を行う立場にある人たちの一部は、心理や行動を強制に近い形でコントロールすることの負の影響を軽視し過ぎている。 私が心理カウンセリングや認知行動療法の臨床現場で出会ってきた中では、新体操や陸上、フィギュアスケート、水泳選手から、バレリーナ、ボクサー、柔道家まで、幅広いジャンルで摂食障害を抱えたアスリートが少なくない。 また、外見や体重が仕事に影響するという共通点からいえば、モデルやアイドルの中にも監督的立場にある人から体形・体重コントロールを指示されている人たちが、一定数確実に存在する。テレビを見たり、メディアの仕事で出会うたびに、外見や言動から「この方は大丈夫だろうか?」と気になってしまうのは、もはや私の職業病である。スポーツに命をかけるな それらの人たちに共通していえることは、指導者や監督者が最適なパフォーマンスを引き出すことを意図して行っている食事指導、ウエートコントロールが、深刻な心理的負荷に確実に繋がっていることである。 アスリートの自己決断に基づかない指導者の指示による食行動のコントロールは、失敗が許されない。なぜなら、任意に設定された通りの身体作りができないことは、競技上の目標に達することができないと信じられているからだ。つまり、アスリートとしての存在価値にも関わってくる。 一般の会社員に置き換えれば、「1カ月後に目標体重まで減量できなければ、クビになります」と言っているのと同義である。 「トップアスリートだから、それぐらい厳しいのは当たり前」という言葉で片付けてはいけない。食事をとるという行為は、人間の根源的な欲求の一つであり、過度なコントロールをかけることは避けるべきなのである。ましてや、それが仕事上の価値や存在そのものの評価に直結するという環境設定は、行うべきではない。 摂食障害の患者たちは、もはや「自分の人間としての価値は体重や体形に依存している」という症状(思い込み)にとらわれ、そこから抜け出せなくなっている。つまり、過度に体重や食事をコントロールすることは、摂食障害の精神症状をも生み出すことになっているといっても過言ではないのだ。 確かに、陸上競技、特に長距離種目において、身体を絞って体重を軽くすることは即効性があり、好記録に繋がることは否定できない。中学生や高校生のレースを見ても、体脂肪率が低く、引き締まった身体の生徒が上位層を占めていることが多い。一方、下位層では幾分脂肪のついた、とはいえ発育期として自然な体つきをしているという光景が見受けられる。マラソンコースを試走する選手時代の原裕美子被告=2010年12月(鳥越瑞絵撮影) しかし、これは後に起こる身体・精神的なリスクを考慮しているとはいえない。特に女性は、食事をコントロールし過ぎることによって栄養不足になり、月経が止まったり、女性ホルモンであるエストロゲンが生成されにくくなることで骨粗鬆(こつそしょう)症に近い状態になり、骨折を繰り返すこともあり、いずれ競技どころではなくなることもある。 それは一時的なものではなく、中高生であれば発育期にも重なっていることから、本当の意味で競技に必要な身体作りをすることができずに、選手寿命が結果として短くなるという例も少なくない。原被告も、特に競技人生後半は、疲労骨折などのケガに悩まされ続けたという。 重要なのは「スポーツ競技に命をかける」ということなど、あってはならないということだ。スポーツはあくまでも人生の一部であり、人生の全てではない。もちろん、競技者本人の心理としては自身の全てをかけて競技に臨むというのは自然な発想である。しかし、そのあり方を多面的に見て、選手本人のあるべき姿や利益に方向づけていくのが、指導者の役割である。あのランナーが金を獲れたワケ 殊に、摂食障害は命にも関わる疾患である。前提として、慢性的な飢餓状態が持続すると、脳が萎縮し、疲労感や満腹感、空腹感などの感覚がまひしてしまうなど、通常の精神状態ではなくなり、病気によって生じた考え方、物の見方、行動の仕方が、あたかも自分自身の元々の性格や生き方であるかのように感じられることもある。 そして、病状が悪化すると、多臓器不全などの重篤な身体合併症や、餓死、自殺に至りうる。とはいえ、薬物治療や認知行動療法などの非薬物治療を通院、入院を適宜組み合わせて適用することにより、回復することは十分可能である。 しかしながら、痩せても痩せても「まだ痩せたい」と考えてしまう「拒食の心理」は、本人の中で病識(自分が病気であるという感覚)に結びつきづらい。そのため、医療機関などの専門的治療期間に繋がらない場合も多く、本人にとって、発症してからでは失われるものはあまりにも大きい。 改めて、即効性のある指導法や練習法に固執することについて、再考する時期にきているのではないだろうか。アスリートは誰しも、最初は自分が好きで始めた競技を、できれば可能な限り長く続けたいという欲求を持っている。 単に目先の利益だけではなく、スポーツを人生の一部として捉え、セカンドキャリアも見据えつつも、選手寿命を保つことを前提とした指導観が全ての指導者や監督者に求められるだろう。 とはいえ、「成績を追求することが結果的にはその後の競技人生を延ばす」という見方もあるだろう。しかし、マラソン競技においても、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんは、20代前後までは無理なく身体の成熟を図ってきたという。女子マラソンで世界選手権に2度出場した原裕美子被告。2007年の世界陸上大阪大会は18位に終わった 高橋さんの大学時代の体格指数(BMI)は10台前半であったとされており、多くの一流長距離ランナーの多くが5以下の値であることを考えれば、大きな乖離(かいり)がある。しかし、彼女は20代中盤で世界に通用するランナーまで成長し、20代後半で世界の頂点に立った。 結果的に、金メダルを取ることができたのは、成長過程の10代から20歳ごろまでに心や身体の土台作りを達成でき、選手としての寿命が延びたことが一因なのではないだろうか。 一方、原被告は高校時代から厳しい減量の日々だったようだ。そもそも、10代や20代の早い段階で選手としてのピークを迎えさせ、世界に通用する成績を残そうとすること自体が、最終的に最高の成績を残すという目標を前提にすると確からしくないともいえる。日本で近年、世界最上位クラスに値する成績を残した女子ランナーがほとんど出ていないことが、その裏付けかもしれない。■ 駅伝「四つんばい」を美談に仕立てたテレビ中継に異議あり!■ ボストンマラソン3位の大迫傑は瀬古利彦を越えられるか■ ここがヘンだよ! 揉めてないのに揉めたがる女子マラソン選考

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    「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

    渡邊大門(歴史学者) 前近代(特に中世)において、人身売買が行われていたことはご存じだろうか。それは決して公に認められたものではないが、公然の秘密だったといえる。今回はその源流を探るべく、室町時代の人身売買の例を取り上げることにしよう。 鎌倉幕府滅亡後の1336年、足利尊氏が室町幕府を開くと、鎌倉幕府と同様に指針となる法令を制定した。これが『建武式目』であり、中原是円、真恵兄弟らが足利尊氏の諮問に答えた形式を採っている。 『建武式目』は『御成敗式目』のような裁判規範でなく、むしろ政治的な方針を示したものといわれている。その点は性格が異なっているが、以後は鎌倉幕府と同様に多くの追加法が制定された。 ただし、『建武式目』をはじめとする室町幕府の法令においては、人身売買を禁止した規定を見いだすことはできない。しかし、人身売買が行われていなかったわけではなく、関係した史料(人身売買の売券など)は残っている。 当時、人身売買や人の略奪という行為は、よりワールドワイドな方向で展開した。奴隷は世界的に存在しており、常に売買の対象となり流通していた。イスラム世界では高度に洗練された奴隷の流通システムが構築されており、中央アジア、ロシア草原、バルカン半島、ヨーロッパ北部、アフリカ大陸北部などに広がっていたという。そして、それを媒介していたのが、イスラム商人だった。 日本は島国であったが、海で広く世界につながっていた。そして、日本人の略奪や人身売買も東アジア社会で展開することになる。とりわけ中国や朝鮮との関係が重要である。その契機となったのが、14世紀半ば頃から猛威を振るった「倭寇(わこう)」の存在である。 倭寇には、「日本の侵寇」あるいは「日本人の賊」という意味があり、盗賊団のようなものになろう。倭寇という文字そのものは、404年の「高句麗広開土王碑文」に初めて確認できる。その活動は、おおむね14世紀半ば頃から15世紀初頭にかけて見られるようになった。倭寇図巻(東京大学史料編纂所提供の模写) 彼らの活動範囲は、朝鮮半島、中国大陸の沿岸や内陸および南洋方面の海域と非常に広範囲に及んでいる。当時の朝鮮人・中国人たちは、こうした日本人を含む海賊的集団を「倭寇」と呼んだのである。 倭寇の意味するところは、時代や地域によって異なっており、その定義を厳密に行うことは難しい。ちなみに、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や20世紀における日中戦争も倭寇という言葉で表現された。そうなると、倭寇は賊に加えて、侵略者としての意味も持つことになる。 倭寇は食料などの物資に限らず、人間までも略奪行為の対象とした。朝鮮半島や中国大陸では、倭寇により人がさらわれ、そのまま日本に連行された。こうして日本に連行された人々を被虜人(ひりょにん)と称する。以下、倭寇による人の略奪を取り上げることにしよう。倭寇に悩まされた「明」 高麗王朝史の正史『高麗史』によると、1388年6月に倭寇が朝鮮半島の全羅・慶尚・揚広の三道に進攻し、多くの人々が略奪されるという甚大な被害を受けたと記す。『高麗史』の別の個所では、倭寇の船団は50艘あまりもあり、千余人を連れ去ったというのである。まさしく国家存亡の危機だったといえよう。 事情は中国においても同じであった。『皇明太祖実録』の1373年5月の記録によると、倭寇による人の殺戮(さつりく)などが問題となっており、翌年には対策が練られている。倭寇対策として水軍を充実させ、周辺海域をパトロールさせることになったのである。当時の「大明国」が倭寇の被害に頭を悩ませている様子がうかがえる。 『老松堂日本行録』という史料には、倭寇が日本海域を席巻し、朝鮮半島や中国で人をさらっていたことが記されている。『老松堂日本行録』は応永27(1420)年に足利義持の派遣使節の回礼使として日本を訪れた、朝鮮の官僚、宋希璟(そうきけい)の日本紀行文集で、当時の西日本の社会や風俗および海賊衆を記す貴重な史料である。次に、その中の一節を挙げることにしよう。  一人の日本人がいて、小船に乗って魚を捕まえていた。私(宋希璟)の船を見ると近づいてきて、魚を売ろうとした。私(宋希璟)が船の中を見ると、一人の僧が跪いて食料を乞うた。私(宋希璟)は食料を与えて、この僧に質問をした。僧は「私は江南台州(中国浙江省臨海市)の小旗(10名の兵を率いる下級軍人)です。一昨年、捕虜としてここに来て、剃髪して奴隷になりました。辛苦に耐えられないので、あなた(宋希璟)に従ってこの地を去ることを願います」と言うと、ぽろぽろと涙を流した。(この僧の主人である)日本人は「米をいただけるなら、すぐにでもこの僧を売りますが、あなた(宋希璟)は買いますか」と言った。私(宋希璟)は僧に「あなたはが住んでいる島の地名は何と言いますか」と質問した。僧は「私は転売されて、この日本人に従って2年になります。このように海に浮かんで住んでいるので、地名はわかりません」と答えた。 この男は「僧」と称されているが、「剃髪して奴隷になった」とあるので、頭を剃(そ)る行為が奴隷を意味していたと考えられる。あえて剃髪して異形にすることにより、普通の人と違うことを際立たせ、奴隷であることを視覚化させたのである。要するに剃髪した風貌が僧に似ていたので、仮に宋希璟は僧と呼んだのであろう。この男は連れ去られたのちも、転売されて今の主人に従ったらしい。 この男は故郷の中国にいたときに倭寇によって連れ去られ、売買されたのであろう。場所は、対馬と推定されている。男は慣れない漁業に従事し、食料にも事欠くありさまだったようだ。遠い異国のことでもあり、心情を察するところである。では、なぜ倭寇は中国や朝鮮から人々を連れ去ったのだろうか。 日本において南北朝の乱が始まると、それが約半世紀という極めて長期間に及んだ。とりわけ九州においても各地で戦いが繰り広げられ、著しい内乱状態に陥った。当然、農地は荒れ果て収穫が困難となり、食料が不足したに違いない。戦争時における、食料などの略奪も問題になったと考えられる。 そうなると田畑を耕作する人間は国内で調達することが困難になるので、必然的に国外に求めざるを得なくなった。九州では農業従事者の慢性的な不足があったため、捕らえた朝鮮人や中国人を売却し、農作業に従事させていたのである。対馬は朝鮮半島に近いこともあり、人身売買が盛んに行われていたという。こうして日本国内における労働力の不足は、中国や朝鮮の人々によって補われた。転売もあった人身売買 もちろん、彼らが従事したのは農業だけでない。それらを挙げると、牧畜、漁業、材木の運搬などが主たる業種である。いずれも過酷な肉体労働であり、まさしく奴隷が家畜同様に使役された物悲しさを語ることである。 しかし、近年では以上のような肉体労働だけでなく、さまざまな職種に就いていたことが指摘されている。 一つは通訳である。当時の公用語が中国語とみなされていたことから、通訳はほぼ中国人に限定されていた。中国語の読み書きがある程度できる者は、奴隷として日本に連れ去られ、日本語も堪能になると通訳を任された。通訳になると、先述した厳しい肉体労働から解放された。なお、対馬、壱岐、北九州では、日本人でも朝鮮語に通じた者がいたと推測されており、朝鮮語の通訳は必要でなかったと考えられている。 もう一つは、中国や朝鮮などの案内人として従事させることである。倭寇が中国や朝鮮に上陸する際、地理に不案内なため、どうしても土地に詳しい者が必要であった。いうなれば、倭寇の手先ということだ。皮肉にも被虜人が、倭寇の手助けをし、新たな被虜人を生み出すことになった。案内人としての職務については、中国人、朝鮮人とも行っていたようである。 謡曲に『唐船』というものがある。九州・箱崎の某(なにがし)なる者が、唐土との船争いの際、官人の祖慶(そけい)を捕らえた。祖慶は13年もの間、牛馬の飼育に使役され、肉体労働を強要されたのである。祖慶は、唐土に2人の子供を残していた。2人は父を慕い、連れ帰ろうとして日本に渡海した。祖慶は日本で結婚し2人の子供がいたが、実子との再会に大いに喜んだ。 2人の子供は箱崎の某の許可を得て、父を連れて帰ろうとしたが、日本の子供が別れを悲しんで引き留める。思い余った祖慶は海に身を投げようとするが、箱崎の某は日本の子供も唐土へ連れて帰ることを許した。 ここで重要なのは、祖慶が自由の身になっても、その子供たちは主人の奴隷ということに変わりなかったことである。父子5人は、船中で喜びの楽を奏でながら、帰国の途につくのである。この話は決して架空のものでなく、悲しい実態を反映した作品なのだろう。 このように被虜人は、国内における貴重な労働力であるとともに、倭寇の活動を支える存在であったといえるのである。当時、人身売買は各国で行われており、それは日本でも同じだったのだ。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) そして中国人や朝鮮人の売買は1回で完結するのではなく、さらに転売が伴った。転売された人物としては、魏天(ぎてん)なる者が存在する(以下『老松堂日本行録』)。魏天の生没年は不明であるが、中国の明で誕生し、のちに倭寇によって捕らえられ、被虜人として日本に連行された。その後、魏天は転売を繰り返され、朝鮮→日本→明→日本と移動した。最後は明への帰国を成し遂げ、洪武帝によって日本に派遣された。立場上は日本語を理解していたので、通訳ということになろう。牛馬より安価 再度訪れた日本では、室町幕府の三代将軍・足利義満の寵(ちょう)を受け、京都に居を構えたという。応永27(1420)年には、宋希璟と四代将軍・義持との会見の実現に大いに貢献した。皮肉にも魏天は、被虜人としての生活や日本語の取得が役立ったということになる。魏天は幼少時は被虜人となり、不幸であったかもしれないが、晩年は恵まれており幸運な部類に属するであろう。 被虜人は、遠く当時の琉球にも転売されたようである。14世紀の終わり頃、琉球の中山王察度は4回に渡り朝鮮に被虜人を送還している。1416年、朝鮮国王・太宗も使節を琉球に派遣して、被虜人を帰国させた。おおむね被虜人は、九州を中心にして、東は京都、南は琉球まで転売され、存在したようだ。15世紀後半の京都・建仁寺の禅居庵には、浙江省温州で被虜人になった人物が住んでいた。 女性の被虜人の場合は、日本人男性の妻になった例もあるという。また、中には性的な労働に従事させられた者もあったと推測されている。 以上のように、朝鮮や中国から連行された被虜人は、西日本を中心にして繰り返し転売されることになった。しかし、14世紀の終わり頃になると、朝鮮は日本との通交を積極的に推し進め、被虜人の送還を歓迎した。朝鮮との通交を希望する者は、被虜人の送還を進めた。この動きは15世紀初頭まで続くが、朝鮮の倭寇懐柔策により被虜人の供給が激減したため、以後はあまり見られなくなったという。 倭寇が朝鮮・中国で猛威を振るい、人々を略奪したことを述べてきたが、逆のパターンがあったことにも注意すべきである。朝鮮では報復措置として、日本人を捕らえて奴隷とし、使役あるいは売買したことが知られている。 そもそも李氏朝鮮には、法律上で奴隷の売買が許されており、世襲的な奴婢(ぬひ)が存在していた。14世紀の終わり頃、奴婢の売買は盛んに行われていたが、その価値は牛馬よりも劣っていたといわれている。日本よりも悲惨な現状にあった。しかし、次第に奴婢の売買は制限が加えられるようになり、15世紀の終わり頃には事実上の禁止となったという。 『李朝世宗実録』によると、1429年に朴瑞生(ぼくずいせい)が日本通信使として来日し、帰国後に倭寇に拉致された被虜人のこと、そして日本における人身売買について報告を行っている。その中で注目すべきは、日本人が朝鮮人や中国人を奴隷として売買していたことに加え、朝鮮人も捕らえた日本人を奴隷として売買していた事実が報告されていることだ。 朝鮮人が日本人奴隷を使役していた事実は、1408年の『李朝太宗実録』で確認することができる。この記録によると、日本国王・足利義持が派遣した船の中に、当時、朝鮮人のもとで労働に従事していた日本人女性が逃げ込んだという。この日本人女性が、いかなる経緯で朝鮮人に捕らえられたのかは明らかでない。これにより、朝鮮人のもとで日本人奴隷が存在していたことが明白になった。倭寇図巻(東京大学史料編纂所提供の模写) その後の顛末(てんまつ)はどうなったのであろうか。朝鮮サイドでは府使を遣わし、日本の船に逃亡した日本人女性を返還するよう求めた。奴隷は主人の所有物なので、ある意味で当然の要求といえるかもしれない。しかし、日本サイドの使者は、「日本に私賤はいない」と突っぱねて返還を拒否した。そのような経緯を踏まえて、太宗は日本人奴隷の売買を禁止する法令を発布したのである。 一説によると、当時の朝鮮における奴隷の割合は、相当に高かったという。太宗がいかなる理由で、日本人奴隷の売買を禁止したのかは不明であるが、仮に朝鮮で普通の人の売買を禁止しているならば、日本の「私賤はいない」という主張に従って、措置をしたのかもしれない。日本人女性が奴隷でないならば、返還するのが筋だからである。 このように、15世紀の日本において人身売買が国の枠を超えて行われたことは、非常に興味深いところである。次回以降は、さらに人身売買や奴隷の詳細を明らかにしていこう。《主要参考文献 渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)》■「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか■「キリシタンへの見せしめ」秀吉が黒田官兵衛を疎んじた理由■「極悪の欲情」女好き秀吉、フロイスの目にはどう映ったか

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    「仮想通貨バブル」はこうして崩壊した

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「仮想通貨バブル」が事実上終わった。仮想通貨自体は、代表的存在である「ビットコイン」を含めて10年以上、支払い手段や投機の対象として、ある程度親しまれてきた。 ただ、昨年からのビットコインの猛烈な価格上昇は、仮想通貨バブルと呼ぶべき投機を生んだ。2017年の1年間で、ビットコインの資産額は14倍ほどに膨張した。 しかし、年明けから状況は一変し、ビットコインをはじめとした仮想通貨バブルは一気にしぼみ、事実上崩壊した。ビットコインは、昨年末には200万円台だったが、12月3日現在では約45万円まで暴落している。 また、単純に暴落しているだけではなく、乱高下を繰り返している。この現象を「ボラティリティー」という。もちろん、ビットコインのみならず、仮想通貨全般に大幅な下落が生じている。株式評論家の早見雄二郎氏は、仮想通貨ならぬ「火葬通貨」と表現している。さらに、仮想通貨バブルに積極的な批判を展開しているニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授は、「ゾンビ仮想通貨」と辛辣(しんらつ)な表現をしている。 前述の通り、仮想通貨は去年の後半に大ブレークを起こし、注目を浴びた。また今年前半には、仮想通貨交換所のコインチェックで約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が盗難されるというサイバー犯罪が起き、国内外に大きく報じられた。不動産や株価を中心に起こった80年代終わりから90年代初めのバブル景気も、資産価格の高騰とその後の大暴落の前に、犯罪や怪しげなバブル貴族が多く湧いたが、今回もその手の話題には事欠かない。 筆者は昨秋から、仮想通貨の価格高騰が単に投機的な目的に基づいていて、脆弱(ぜいじゃく)なものであると事あるごとに指摘してきた。そのため、1年以上たって起きている火葬通貨化やゾンビ化は不思議なことではない。なぜなら、仮想通貨には根源的な問題があるからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ここで、仮想通貨の基本とその問題点を簡単に解説してみたい。仮想通貨の基本的な性格は、それがインターネット上の通貨ということだ。日本の円通貨が紙幣や硬貨のような有形物なのに対して、仮想通貨は手に触れることができない。支払いも残高の管理も、全てネット上で行われている。 ところで、日本は世界でも有数の「現金好き」な国である。海外に旅行する経験が豊富であれば、欧米やアジア諸国で急速に「キャッシュレス社会」が進展していることに気が付くだろう。 ただ、日本でも徐々にキャッシュレス化は進行している。例えば、電車の運賃やコンビニなどの支払いを、「Suica(スイカ)」や「PASMO(パスモ)」などの交通系の電子マネーで済ます人は多いだろう。支払い手段としては厳しい 電子マネーは、ビットコインなどの仮想通貨とは異なる。スイカは、JR東日本が利用者の残高を管理しているが、ビットコインには管理者がいない。 また、スイカの残高の価値は円表示されていて、それが刻一刻変動することはない。だが、仮想通貨の場合は、冒頭で記したように1単位の価値が円に対して変動する。海外の電車を使う際には、スイカのICカードを直接利用することはできないが、仮想通貨は、国境を跨(また)ぐ支払いに使うことができる点も大きく異なる。 ちなみに、来年10月に予定されている消費税率の10%引き上げの緩和策として、キャッシュレス決済を促進する政策が提起されている。ただし、消費増税により、元々の「決済」自体が大きく低下しそうな状況で、このような「浅知恵」は官僚的なものだな、とため息をついてしまう。 仮想通貨には、代表的なビットコインと、それ以外の仮想通貨「アルトコイン」があり、全て含めると種類は1000を超える。ただし、一般の人が利用する仮想通貨はおそらくその3割程度だと思われる。 仮想通貨はインターネット上に存在するため、実際の決済はパソコンやスマートフォンを操作することで行われる。日本でビットコインの決済サービスを導入している代表的な企業として、家電量販大手のヤマダ電機が挙げられる。ビットコインの交換業者大手である「bitFlyer(ビットフライヤー)」は、利用者にビットコインのための口座「ウォレット」用のアプリを提供し、そこでビットコインの支払いや受け取り、購入、保管なども一括して行っている。 このアプリはスマホにダウンロードできるので、ヤマダ電機の店舗に行ってアプリを利用して、その場で買い物ができるようになる。ただし、ビットコインで支払いできる店舗は極めて少なく、支払い手段としてはかなり厳しいというのが、今のビットコインに対する評価ではないだろうか。 本来ビットコインは、従来の銀行を経由した決済よりも手数料が極めて低額であることが魅力だった。ただ、最近はビットコインの価値上昇に伴い、このメリットが失われつつあり、また支払い確認にも時間がかかる。例えば、通常のカードによる支払いも端末などで認証をしているが、認証時間は極めて短い。それに対して、ビットコインの取引時間は短ければ数分だが、数時間もかかる場合もある。 この時間のコストは無視することができない。なぜならば、ビットコインは、価格変動が大きいので、時間がかかればかかるほど「価格リスク」が発生する。ただし、先ほどのヤマダ電機のケースは、購入者側での価格リスクを回避できる仕組みがあるなど、さまざまな対応策が現場で採用されているようだ。ビットコインの支払いで使うスマートフォンの画面=2017年4月、東京都千代田区 では、なぜ一般的にビットコインの取引には時間がかかるのだろうか。そこには、ビットコインに代表される仮想通貨と、私たちが普段の生活で利用している貨幣に共通する性格が関わってくる。 われわれが利用している円やドルなどの貨幣は各国政府が発行し、その信頼性を裏付ける。もっと踏み込んでいえば、通常の政府貨幣は、それが「貨幣ゆえに貨幣である」という形で信頼性を得ている。 利用する人たちが、この紙切れが「円やドルという貨幣である」と信頼することが、そもそも貨幣が貨幣たるゆえんなのである。政府や、唯一の貨幣発行機関である中央銀行は、いわば単なる「きっかけ」程度の役割しか、実は持っていない。良貨が悪貨を駆逐する 貨幣を使う人たちがそれは貨幣であると信頼することができれば、貨幣は誕生する。これを「貨幣の自己循環論法」といい、かなり正しい経済学の考え方だ。 政府も中央銀行も貨幣誕生について本質的なものではないならば、取引する人みんなが貨幣(通貨)だと思う仕組みを作ればいいことになる。ビットコインなど仮想通貨の貨幣としての信頼性を生み出す仕組みが、ブロックチェーンと呼ばれる機構である。簡単にいうと、ネット上でその電子情報がちゃんとした「通貨」として取引されてきた、という裏書きがされているものだ。 そして、裏書きされているかどうかは、市場に参加している不特定多数の人が立証することができる。立証することが出来れば利益も出る。そのため、ビットコインの運用は、市場参加者により自発的な形で行われ、しかも信頼性の高いものとなっている。これが「分散型」といわれるものだ。 ただし、ここに先述した「ビットコインの取引には時間がかかる」というコストが発生する原因がある。今支払いに利用された電子情報が「ちゃんとしたビットコイン=仮想通貨」であることを確認するのは、特定の管理者ではなく、市場の不特定多数の人たちである。この不特定多数の人たちは「採掘者(マイナー)」と呼ばれている。実際には報酬が伴うとはいえ、彼らの「自主的な努力」によって、ビットコインは貨幣としての信頼を獲得するのである。 でも「市場任せ」のために、どうしても時間がかかってしまう。政府や中央銀行が紙や金属片を精緻に印刷し、精巧に鋳造することで、貨幣の信頼性をモノの側面であらかじめ保証するのに対して、電子情報が貨幣として信頼あるものになるには事後的に認証されるために、時間がどうしても必要になるのだ。 ただし、貨幣の本質から見れば、既存の貨幣も仮想通貨も、市場に参加している人々の信頼だけが貨幣を貨幣たらしめることでは大差ない。そこが理解のポイントである。 そして、この「貨幣ゆえに貨幣である」という貨幣の基本的性格を、仮想通貨が満たしているとはいえない。確かに、支払い手段として使われているのだが、それは局所的現象にとどまる。大半の仮想通貨は単に投機目的のために所有され、「投機が投機を招く」という別の自己循環論法で存在する経済的価値でしかないのである。2018年9月、70億円相当の仮想通貨を流出させた仮想通貨交換業者「テックビューロ」本社が入居する大阪市内のビル。金融庁から3度目の業務改善命令を出された ルービニ教授は最近、仮想通貨の持つ根本的な問題として、中央銀行が仮想通貨を発行すれば、既存の仮想通貨は全て排除されるだろうと指摘している。中央銀行の仮想通貨には、ブロックチェーン技術さえ不用かもしれない。なぜなら、中央銀行の発行する貨幣がそのまま仮想通貨に置き換わるならば、その既存の貨幣が保有していた「貨幣としての信頼性」をも完全に代替可能になるからだ。 つまり、日本銀行がスイカやパスモを発行しているようなものだ。それぞれの国民は直接、中央銀行に口座を所有し、そこで残高管理されるわけである。この強力な中央銀行型仮想通貨、むしろ中央銀行型電子マネーが誕生すれば、おそらく民間発行の仮想通貨が生き残ることは難しい。 もっとも、投資対象として生き残ることは可能かもしれないが、今よりもさらに規制が厳しくなるだろう。支払い手段を目指した貨幣ではなく、その場合は単なる「ネズミ講」と変わらなくなるからだ。そこに民間主体の仮想通貨が持つ長期的な不安定性がある。「悪貨が良貨を駆逐する」のはまずいが、「良貨が悪貨を駆逐する」のは望ましいことでもある。■ 山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質■ コインチェック事件は想定内、仮想通貨が抱える3つの問題■ 「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

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    外国人労働者受け入れにも応用できる「マルクスの経済学」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) カール・マルクス(1818-83)は、資本主義経済の本質と限界を明らかにした。マルクスの代表的な著作『資本論』(1867に第1部公刊、没後に2部・3部公刊)や、盟友のフリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』(1848)などは、世界中の人たちに今も多大な影響を与えている。 マルクスは2018年で生誕200年を迎えることもあり、世界各国でその業績を振り返るイベントなどが盛んに行われた。例えば、中国では習近平国家主席が、中国の経済・社会的な繁栄をマルクスの教えに基づくものとして、さらには習体制自体のマルクスからの正当性と成果を強調するために利用した。 もちろん、このような「政治的利用」については、各国の識者やメディアから厳しい批判もあった。マルクスは資本主義経済の問題点と限界を明らかにしたのであり、現在の中国は、一党独裁の政治体制の下で人々の自由な発言や暮らしを制限している一方、経済については営利追求を中心にした資本主義経済そのものではないか、という内容である。 マルクスによれば、資本主義経済は資本家階級と労働者階級との「階級闘争」の場であった。マルクスは、資本主義経済が発展しても、そこでは実際に経済そのものを発展させる原動力である労働者階級の生活は苦しく、資本家階級に酷使され、その経済的成果を「搾取」されている。しかも、資本主義経済というのは、この資本家階級による労働者階級からの「搾取」がなければ、そもそも成長しようがない。 このような不当な抑圧と対立は、やがて二つの階級闘争をエスカレートさせていき、やがては資本主義経済の行き詰まりとその体制の「革命」を必然的に伴うだろう、という見方である。労働者階級には圧倒的多数の人たちがおり、その自由を求める必然の活動を、マルクスは正しいかどうかは別にして、それなりの理屈で主張したのである。 このようなマルクスの考え方に影響を受けて、19世紀中期から現代に至るまで、さまざまな社会的な運動が生じた。その中から、ソ連や改革開放路線以前の中国、キューバなどの共産主義国家が生まれてきた。2018年5月、マルクス生誕200年の記念大会に臨む中国の習近平国家主席(左)と李克強首相=北京の人民大会堂(共同) だが実際には、多くの国では、マルクスが批判していた一部の特権者による政治的弾圧が広範囲に見られ、人々の自由は著しく制限された。資本家階級が単に政治的特権階級に入れ替わっただけであった。 生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。例えば、崩壊したソ連経済では、国民の消費が大きく抑圧される一方で、軍事の拡大やムダな投資が行われた。マルクスの予言も分析も間違い? ハンガリーの経済学者、ヤーノシュ・コルナイは、人々に必要な物資が行き渡らないのは、中央集権的な「指令経済」の責任であるとし、ソ連などの共産主義国家の経済の在り方を「不足型経済」と呼んだ。全く妥当な意見だろう。この「不足型経済」はやがて限界を迎えて、ソ連は崩壊し、中国も「改革開放」路線という形で資本主義経済に「復帰」した。 英オックスフォード大学のフェロー(教員)であり、また英BBC放送の筆頭経済記者だったリンダ・ユーは、近著『偉大な経済学者たち』(2018)で、現在の中国とマルクスの関係について解説している。ユーは、マルクスが市場経済を取り入れた今の中国共産党を批判するだろうとした。他方で、中国が市場経済を導入することで、貧困や経済格差を解消したのならば、マルクスはそのことを評価しただろうとも指摘している。 都市の中での富裕層と貧困層の経済格差、そして農村部と都市の経済格差は中国だけではなく、国際的にもしばしば問題視されてきた。ただしこの経済格差自体は、まだ数値としては大きいものの、近年では縮小するトレンドに入ったと指摘する専門家もいる。 他方で「絶対的貧困」とも呼べる人たちが農村部を中心に膨大に存在していたが、「改革開放路線」という中国的な資本主義化によって急速に減少した。おそらくこの農村部の貧困解消は、都市部への労働者の流入とその生活水準の向上によるものが大きいだろう。またリーマン・ショック以降に加速した内陸部への公共投資の拡大が地方経済の底上げに役立ったことからも、貧困と格差の縮小に貢献したのではないだろうか。 だが、これらはマルクスの指摘とは異なり、現在の資本主義経済を基本的に採用している国々の発展パターンと極めて似ている。 むしろ、マルクスの予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。では、マルクスの分析は今日では全く意義がないものだろうか。必ずしもそうだとは言い切れない。特に、「搾取」とは異なるマルクスの分析にも注目すべきである。 マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857-58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。この言葉については、経済学者の杉原四郎(1920-2009)による以下の解釈が参考になる。 「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。ロンドンにあるカール・マルクスの墓(ゲッティイメージズ) 人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。マルクスの分析はこの時間の経済論としては再考すべき現代的意義があるだろう。 ただし、マルクスの現代的意義をこの「自由」の観点から考察すると、実はマルクスの貢献がかなり相対化され、事実上無視しても差し支えなくなる。マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。この観点は、マルクスだけではなく、何人かの経済学者たちが共有している観点でもある。例えば、辻村江太郎は以下のように書いている。見せかけの「需給一致」 「労働市場を放置すれば供給過剰になりやすいということは、マルクスと同時期に、すでにゴッセンが警告していたことである。労働の供給過剰は、一人当たりの労働時間の面と、家計の有業率(ミクロの労働率)との面に現れるか、ゴッセンは後者について、家が貧しいと子女が幼時から働きに出て、それが労働条件(悪化)の悪循環のもとになることを指摘していた」(『経済学名著の読み方』)。 ヘルマン・ハインリヒ・ゴッセンは19世紀前半のドイツの経済学者だ。彼の発言を図にすると以下のようになる。 経営者や資本家から自分の労働を厳しく買いたたかれて、もはやギリギリの生活水準まで落ち込んだ状態が、マルクスやゴッセンの考えた賃金状態=W0だとする。そのときに雇用されている人数(雇用量)は、L0だとしよう。これは、経済学の普通の労働需要と労働供給の一致を示しているようにも思える。 だが、マルクスとゴッセンは、この需要と供給の一致はあくまで見せかけであって、実際には労働者の雇用契約の自由が奪われてしまっている、と指摘した。労働者側は自分の生活水準ギリギリの賃金に落ち込んで、それでもこの「契約」を生きるために飲まざるをえないのだ。 日本の現状でいえば、あくまで一例だが、非正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。 ところが、厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。上記の図でいえば、労働供給曲線が右下方にシフトする。これが、純粋に家計補助で駆り出される子供たちの労働の増加を示す。 だが、これは彼らの家庭をさらに貧困のどん底に突き落とすだろう。なぜなら、今までも生活ギリギリだった賃金水準が、それをさらに下回るW1のラインまで下落しているからだ。 この結果はどうなるだろうか。一つは、今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。 ゴッセンが児童労働を強く批判した理由はこのためである。市場原理は、競争の結果、労働の売り手と買い手が最適になる、つまり経済学の意味でハッピーになると考えている。だが、このゴッセン=マルクスのケースでは全く市場原理は機能していない。むしろ、政府の介入による児童労働の禁止が強く要請されるだろう。実際に、このゴッセン的な観点での児童労働の禁止は、今も有効なのである。2014年にノーベル平和賞を受賞したインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティ氏=2016年6月撮影 2014年のノーベル平和賞がインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティに与えられた。児童労働への反対運動を評価されてのことだ。彼はインドだけでなく、世界各国で強制労働に直面していた児童8万人余りを解放した。児童労働(5歳から14歳まで子供たちの強制的労働)は、全世界で2億5千万もの人数に達するという。サトヤルティ自身は経済学者ではないが、その児童労働廃絶の根拠は、今説明したゴッセンやマルクスの考えと同じだろう。リベラル2.0の経済学 ところで、この考えは児童労働だけの問題ではない。国会で審議されている入管法改正の議論でも参照になるのだ。 この議論でも、W0が生活に追い立てられたために、やむなく条件を飲んでいる厳しい賃金水準だとしよう。そのときの国内の(未熟練)労働者の雇用量はL0になる。ここで、現状の入管法改正案のように、外国人労働者を増加させるとどうなるだろうか。 今までの国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。国内の労働者賃金は前よりも下がったW1になり、そのときの雇用量はL2になる。受け入れた外国人労働者もまた日本国内で過酷な待遇を甘受しなくてはいけない。どこにもいいことはないのである。 では、どうすればいいか。まず考えられるのは、ゴッセンが追求した道であり、外国人労働者の移入制限がこれにあたる。だが、制限だけでは、生活水準は相変わらずW0の位置で酷悪なままだ。加えて経営者側へのさまざまな規制、例えば労働時間の規制や労働者の交渉力の向上などが必要とされる。これが今までのリベラルな経済学の在り方だ。これを「リベラル1.0の経済学」としよう。その上で、市場を十分に機能させるための制度上の構築が必要なのだ。 次に必要なのが、マルクスらがまるで評価しなかった、現実の経済水準全体を拡大していく政策である。これを「リフレーション政策」と一応名付けよう。経済の現実的な成長率を年率3~5%程度で安定化させるために、積極的な金融政策と財政政策の組み合わせで臨んでいく政策スタンスをいう。 もちろん、政府による異常なムダが削減されるが、それによって経済全体を縮小するような緊縮スタンスには反対する。そういう姿勢だ。これを「リベラル2.0の経済学」とする。先ほどの図でいえば、①制度構築による市場原理の達成(需給一致が労使双方の満足を最大化する)②経済成長の安定化、その一つの在り方としての労働需要の増加、である。②の労働需要の増加を最初の図に書き加えよう。 リベラル2.0の政策によって労働需要曲線が右上方にシフトしている。と同時に、市場の制度的基盤が改善されていることで、生活ギリギリの賃金から労働者は解放されている。ただし、このケースでも外国人労働者が移入することは、国内の労働者の賃金と雇用を奪うことには変わりはない。ただし、最初のケースに比べれば、国内労働者からの「収奪」は相対的に少なくなるだろう。 外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。 少なくとも、国内の雇用環境を、ブラックな処遇の改善、そしてマクロ経済全体の改善という手順を踏んで、その上で外国人労働者をその雇用の質に配慮しながら受け入れることが望ましいだろう。(敬称略)

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    稀勢の里休場「モンゴル脅威論」がさらなる悲劇を生む

    山田順(ジャーナリスト) もはや再起は不可能。このまま引退するのが妥当だ。もし本人がそれを望まず、再起を果たすために強行出場するなら、それこそ本当の悲劇が起こる。 どう見ても、初場所の復帰では、今場所休場した白鵬、鶴竜の両横綱をはじめとするモンゴル勢にボコボコにされる。さらに、ガチンコの日本人力士も徹底して金星を狙いにくる。となると、土俵上で立ち往生して泣き顔になる横綱稀勢の里の哀れな姿を、私たちは何度も見なければならない。 それは、もう勘弁してほしい。これ以上、日本相撲協会も、そして相撲ファンも、稀勢の里を傷つけて何になるというのだろうか。  稀勢の里がここまで追い込まれたのは、誰もが知るように、「日本人横綱の誕生」を願った相撲協会とファンの思惑と、本人が徹底してこだわった「ガチンコ道」である。 それゆえ、本人は「もう1回チャンスをもらいたい。このままでは終われない」と懇願していると聞くが、ここはもうはっきりと引導を渡すべきだろう。 どう歴史をひもといても、ここまでブザマで情けない姿を晒(さら)した横綱はいない。今回の11月場所は初日から4連敗。しかも、ガチンコ負けだから、救い難いものがある。 これは、11日制だった1931年春場所の宮城山以来87年ぶり2人目のことだ。さらに、1場所15日制がスタートした1949年夏場所以降では初めてのことというから、この時点で引退しなければおかしい。大相撲九州場所3日目、稀勢の里(左)は北勝富士に突き落とされ3連敗となった=2018年11月13日、福岡国際センター そうさせない「見えない力学」が働いているのは分かる。だが、それを理由としたら、横綱の権威と伝統、いや相撲そのものが崩壊してしまう。 稀勢の里のこれまでの戦歴を見ると、生涯戦歴は800勝492敗90休(100場所)、幕内戦歴も714勝449敗90休(84場所)と、かなりのものを残している。しかも、この星取りがすべてガチンコなのだから、本人の努力、精進には頭が下がる。 ところが、この稀勢の里の「ガチンコ道」に報いなかったのが、相撲協会とファンの「御都合主義」である。横綱にしてはいけなかった こんなことを書くと「今さらなんだ」とひんしゅくを買うだろうが、そもそも稀勢の里を横綱にしてはいけなかった。2016年11月場所を振り返ってみよう。このとき、稀勢の里は珍しく連戦連勝し、優勝候補の筆頭だった。しかし、終盤に崩れ、終わってみると12勝3敗の準優勝で終わった。そして迎えた2017年初場所、綱取りがかかっていたわけではなかったが、鶴竜と日馬富士、大関豪栄道の途中休場に助けられ、さらに弟弟子の小結高安の援護射撃も受けて、14勝1敗で初優勝してしまった。 これに喜んだのが相撲協会と横綱審議委員会だ。ファンの盛り上がりを受けて、「2場所連続優勝、あるいはそれに準ずる成績」をゆるゆるで適用してしまったのだ。 こうして横綱になった稀勢の里のその後は、以下の通りである。休場を繰り返し、出場すれば「金星支給マシン」と化した。横綱在位11場所:休場9場所(途中休場も含む)戦歴:36勝32敗89休(優勝1回) この稀勢の里の36勝のうちの13勝は、横綱昇進後に連続優勝を果たした2017年3月場所のときのものである。このとき、稀勢の里は大関照ノ富士を本割と優勝決定戦で続けて下して逆転優勝したが、その後この2人がどうなったかは、書くまでもないだろう。ガチンコを貫くと悲劇しか起こらないのだ。 普通、歴代の大横綱たちは、ガチンコだけでは身が持たない、地位を失うと知って、場所中の何番かは「注射」をして星を稼いできた。例外は、貴乃花ほぼただ一人である。 稀勢の里の得意技は「左四つ」「寄り」「突き」で、これまでの決まり手を見ると、「寄り切り73%」「突き落とし18%」「上手投げ9%」の三つしかない。いかに不器用で、実直に「ガチンコ道」を貫いてきたかが、これで分かる。 今場所前、稀勢の里は「絶好調」が伝えられた。スポーツ紙も「出稽古で手応え 稀勢もちろん優勝」(『日刊スポーツ』11月7日付)と、期待を煽った。2017年1月、大相撲初場所千秋楽、初優勝を果たし、賜杯を受け取る稀勢の里(左)=両国国技館(今野顕撮影) 稀勢の里は先代の師匠である鳴戸親方(元横綱隆の里、故人)の方針から、出稽古にはほとんど出ていなかったが、今場所だけは違った。場所中に対戦が予想される力士のところに積極的に出稽古に行き、好成績を残していた。 ところが、蓋を開けると4連敗。初日の小結貴景勝戦で右膝を痛めたこともあったが、得意の「左四つ」に持ち込むのを焦り、おっつけをせずに左を差そうとして、相手に左を封じ込められるという不甲斐ない相撲が続いた。 2日目に敗れた東前頭筆頭の妙義龍とは、出稽古の三番稽古では13勝2敗、同じく3日目に黒星を喫した西前頭筆頭の北勝富士とは9勝3敗だったのに、簡単に敗れてしまった。「モンゴル脅威論」が悲劇を生む 稽古と本番は違う。本番がガチンコなら、相手は百も承知の得意技「左四つ」にさせない相撲を取るに決まっている。 稀勢の里休場を受けて、いまだに「再起」を望む声が強い。それはたった一人の日本人横綱を失えば、今後はモンゴル勢の天下になってしまうという危惧があるからだ。日馬富士がいなくなっても、「モンゴル互助会」は今も機能している。もちろん、その頂点に君臨するのは大横綱となった白鵬だ。 白鵬は、日本国籍取得の準備をしていると伝えられている。つまり、引退後は親方として相撲協会に残り、モンゴル勢の後押しで理事になる青写真を描いているという。現在の宮城野部屋の関取は全員、白鵬の「内弟子」なので、もはや宮城野部屋は「白鵬部屋だ」と相撲記者は言う。 現在、モンゴル出身の親方は友綱親方(元関脇旭天鵬)、錦島親方(元関脇朝赤龍)、春日山親方(元前頭翔天狼)の3人である。ただし、現役力士は白鵬、鶴竜を含めて22人もいる。彼らはいずれ親方になる可能性が高いから、そのうち相撲協会はモンゴル出身親方が一大勢力になるだろう。 白鵬は今場所、鶴竜とともに休場した。大記録を次々に塗り替えた後は、けがによる休場が多くなった。今年に至っては、今場所も含め年間6場所中2勤4休である。 白鵬が2020年の東京五輪まで現役を続けたいと願っているのはよく知られている。その理由は、五輪の開会式で土俵入りを果たしたいからだという。 現在、稀勢の里休場で「モンゴル脅威論」が急速に盛り上がっている。しかし、それを封じ込めるために、稀勢の里にさらに現役を続けさせるとしたら、それこそ、さらに悲劇を生むのは、既に書いてきた通りである。2018年9月、引退断髪披露で最後の土俵入りに臨む元横綱日馬富士(中央)。右は露払いの横綱鶴竜、左は太刀持ちの横綱白鵬=東京・両国国技館 もし、日本人横綱がそれほど大事なら、なぜ、日本人力士同士でガチンコ対決を続けるのか。星を潰し合い、挙げ句の果てに休場者続出という場所を続けているのか。それでは、稀勢の里は見殺しではないか。 現在の土俵には、日本独特の「秩序形成力学」が働かなくなった。注射とガチンコが混在して、「国技」という伝統文化をつくり上げてきたが、それが消えてしまった。 相撲は興行ではなく、完全なスポーツになりつつある。むしろ、「伝統文化」を守っているのはモンゴル勢のほうである。このままでは相撲は、パーフェクトな格闘技として、力士の身体が壊れるまで本気で闘わせる、実に残酷極まりない競技になる。果たして、それでいいのだろうか。

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    元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

    、いかに穏やかで温かい人たちが多いか、一読でわかるだろう。別におべっかを書いているわけではない。この連載で、SMAPに関して論じていたときから指摘していたことだ。ちなみに、筆者はまだSMAPの再生を夢見ている。 このようなSNSを全面的に活用し、新しいファン層までも有機的にリアルの場で結合していく戦略は、日本の男性アイドルの中では既に突出したものになりつつある。国際的な展開でも十分期待できるだろう。 このような「新しい地図」のSNS戦略は、古巣のジャニーズ事務所のSNS戦略にも影響を与え、重大な転換をもたらしているかもしれない。ユーチューブで「ジャニーズJr.チャンネル」(チャンネル登録者数40万)を開設し、Jr.内ユニット「SixTONES(ストーンズ)」の新曲のミュージックビデオを同チャンネル上で公開したことが、大きな試金石になる。 日本のアイドルは韓国のアイドルに比較して、SNSの利用に関して格段の後れを取っていた。その原因は、ジャニーズ事務所などが採用している「厳格な著作権」管理にある。まず、SNS上にあるジャニーズ系のアイドルの動画はことごとく削除されてしまい、目にすることなど通常ではなかった。2018年7月、チャリティーソングの売上金を寄付し、記念撮影する元SMAPの(後列左から)香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛ら それに対して、韓国のアイドルたちは、テレビの音楽番組もあっという間にユーチューブなどにアップされ、それがファンの手で解説や各国語の字幕とともに世界に伝わっていく。この「緩い著作権」戦略は、日本のアイドルも積極的に採用すべきだと、筆者はことあるごとに指摘してきた。 おそらく、この「永久凍土」とでもいうべき日本の現状を打ち崩したのが、「新しい地図」のこの1年の活動にあったのだろう。彼らの個性をベースにし、SNSとリアルを結び付けた、ファン=NAKAMAとの活動は、まだ幕が開いたばかりだ。その行方には、おそらくより広い世界のNAKAMAが待っている。まったりとした雰囲気の彼らのSNSに触れながら、その野心的な試みの行方を見守っていきたい。

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    ムロツヨシに惹かれるのは「オキシトシン系」男子だから?

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 74歳の母がテレビを見ていて、「この人、すごく面白くていい人なのよ~」とまるで知り合いかのように話す。誰かと思って画面を見たら、ムロツヨシだった。母の「いい人」の基準は、基本的にNHK『鶴瓶の家族に乾杯』で決まる。ただし、名前は覚えない。「彼はキャリアも長くて、今ドラマに引っ張りだこの人気俳優なんだよ」と教えると、「へえ、そうなの」と生返事。俳優としてのムロツヨシには興味がないようだ。おそらく老いた母にとっての「いい人」とは、声が聴き取りやすく、受け答えが穏やかで低姿勢の人なのだろう。 一般的には、ムロツヨシはコント臭が強めの三枚目俳優の印象が強い。今期で言えば『今日から俺は!!』(日テレ系)に出てくるのが通常運転の彼だ。ツッパリに憧れる男子高校生たちの恋とけんかと友情という、一見爽やかに見える青春コメディーなのだが、爽やかじゃない部分を担うのがムロツヨシ。金八先生を模した教師役だが、独特の間合いとウザイ仕草で卑怯(ひきょう)な大人を演じきる。教室や職員室はすっかりちゃっかりコント劇場に。若手イケメン俳優が皆ムロツヨシ(または吃音の魔術師・佐藤二朗)を真似することで、こってりした福田雄一劇団が完成している。 『今日から俺は!!』に出演するムロツヨシ(左)と賀来賢人(C)日本テレビ ところが、そのムロツヨシが今、女性たちの胸を焦がしている。『大恋愛』(TBS系)というドラマで、一途に恋をしているからだ。ヒロインは戸田恵梨香。クリニックを経営する婦人科医だが、若年性アルツハイマー病を患っている。そんな戸田と偶然知り合うのがムロツヨシ。鳴かず飛ばずの作家で、引っ越し屋のアルバイトで生計を立てていた。「難治の病」と「格差恋愛」を描く、正直に言えば、陳腐な設定の作品である。 性善説に流れて登場人物が偽善化する病気モノが大嫌いなので、適当に流そうと思っていた。が、ちょっと斜に構えてカッコつけているムロツヨシが気になった。しかも、真摯(しんし)な恋を貫いて、愛に生きているじゃないか! これまでの俳優・ムロツヨシを愛(め)でてきた人々は、心のどこかで「この後、ふざけて変顔するんじゃないか」「嘲笑されて終わるのでは」と予期不安がよぎる。つい、コント的な要素を彼に求めてしまうのだ。 しかしながら、「大恋愛」では毎回見事に裏切られる。見ているこっちがこっぱずかしくなるような「愛を語るシーン」も「ベッドでいちゃつくシーン」も、しっくりハマっている。「どうかしてるぜ、ムロツヨシ」というよりは、「どうかしてるぜ、自分」と己の目を疑うのだが、真摯に愛を育んでいく姿、悪くない。ムシロヨシ、ムロツヨシ。物語の行く末は見えているし、手垢まみれの物語なのに、ムロツヨシの動向を最後まで見届けたいと思わせる。 なんて、絶賛してもちっとも面白くないので、なぜ彼がこんなに女性たちを虜(とりこ)にしたのか、考えてみたい。決してイケメン枠でもなく、若くもなく、華があるわけでもないのに、こんなに女性票が集まるのか。最大の勝因は清潔感 まず、「パーツイケメン」であることが挙げられる。ムロツヨシの顔を分解してひとつひとつのパーツを見てみると、実に美しいという事実。すでにネット上では周知の事実で、本人もある程度の自覚はあると思われる。 目は大きく、黒目がちで、きれいな二重だ。眉毛もりりしい。昭和の男性アイドル的な顔の濃さは、妻夫木聡に近い。鼻も整った形で、正面から鼻の穴が見えない。唇も厚すぎず薄すぎず、口角がきゅっと上がっている。これ、重要。口角が下がっていると老けて見えるし、不平不満顔で横柄な印象になる。歯並びも美しい。この秀逸なパーツがそろって、スパイスとしてのホクロを足すと、残念ながらムロツヨシが完成してしまうのだが、ひとつひとつには見惚れる美しさがある。 そして、「清潔感がある」。ヒゲは濃いように見えるが、肌はキレイなのだ。年輩女性に嫌われがちなパーマヘアも、辛うじておしゃれな方向へいっている。ハゲてもいないし、脂ぎってもいない。つまりは、今、女性に嫌われる男性の三大要素のひとつ「生理的嫌悪感(不潔)」がムロツヨシにはほぼないのだ。大手の食品・家庭用品メーカーのCMに起用されるというのは、多くの女性票を得ている証拠でもある。 ふと思い出す。今年の夏、「大恋愛」同様に格差恋愛を描いた『高嶺の花』(日テレ系)というドラマがあったことを。銀杏BOYZの峯田和伸が演じていた役も、ムロツヨシ同様、セレブなヒロインに一途に恋をする男性だった。しかし、女性たちの評価は実に手厳しく、「生理的嫌悪感であきらめた」という非情な声が多かった。峯田になくて、ムロツヨシにあるもの。最大の勝因は清潔感だろう。 そしてもうひとつ。ネット上では女性に対して横暴な男性がメッタうちにされる現代。「俺様臭が強い」男性や、「男尊女卑のメンタルマッチョ」はかなり嫌われる。テレビでも物言いが横柄な司会者や、他の芸能人をからかっていじり倒すような芸人は敬遠される時代だ。年寄りはそういう人材が大好きだが、若い世代は「ハラスメント」意識も強く、不快だと思う人が増えている。 俳優は俳優で、人気がうなぎ上りになったかと思えば、すぐにプライベートや過去の発言が掘り起こされる。少しでもやんちゃな面や、女性やスタッフに対して横柄な発言があると総スカンを喰(く)らう。かなり年下の女優と熱愛報道が出ると、一気にブーイングが起こり、手のひら返しで袋だたきに遭う。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) そんな時代に、ムロツヨシ。どこにでもいそうな中肉中背で人畜無害、しかも日本人が大好きな「苦労人」だ。熱愛報道もスキャンダルもいまのところない。年下の俳優から好かれているので、「役者論」なる説教も垂れなさそうだし、俺様臭ともメンタルマッチョとも程遠い立ち位置を確立している。芸能人男性が中年期に陥りがちな「健康志向の筋肉自慢病」にも「趣味没頭で生活破綻病」にもかかっていない。常に低姿勢で空気を読み、かつ、機を見るに敏(びん)。奇跡の40代俳優、といってもいいだろう。ムロは「オキシトシン系」 女性票だけではない。男性人気も相当高い。多くの人気俳優と仲が良く、一見、提灯(ちょうちん)持ちかコバンザメかと思われがちだが、逆である。皆がムロツヨシを必要としているのだ。小泉孝太郎しかり、新井浩文しかり。自分が出るトーク番組にムロツヨシを呼んじゃうくらい、NO LIFE,NO MUROである。気配りができても、媚びるわけではない。むき出しの自意識を発動するテイを装うも、実際は冷静に俯瞰(ふかん)している趣もある。おそらくホモソーシャルでうまくわたっていける、可愛げと愛嬌(あいきょう)があるのだろう。 とあるテレビ局の男性プロデューサーに聞いた話だが、低姿勢というよりは誰に対してもフラットなのだとか。下っ端だろうが大御所だろうが、アシスタントディレクターだろうがプロデューサーだろうが、態度が変わらないという。肩書にも権力にもおもねらない。男性はそういう部分に「信頼感」を覚えるのかもしれない。 なんつって、適当な想像で書いているけれど、ムロツヨシが老若男女に好かれる存在であることに間違いはない。個人的にはムロツヨシを見ていると、「オキシトシン」というホルモンが思い浮かぶ。共感や協調性を高めたり、人の気持ちに配慮する作用をもたらす脳内神経伝達物質で、「育児ホルモン」「愛着ホルモン」とも呼ばれている。寛容性を増したり、痛みや苦しみなどの嫌な記憶を消す作用もあるらしい。 生き馬の目を抜く俳優界には、野心や攻撃性が高くてオラオラした俺様イメージの「アドレナリン系」がいる。逆に、快楽や愉悦、うっとり感と癒やしを与える王子様イメージの「セロトニン系」もいる。俺様でも王子様でもないのが「オキシトシン系」のムロツヨシというわけだ。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) とかく世の中は、強き者・美しき者・高貴な者をほめそやす。戦いや争い、マウンティングの頂点に立った勝者を絶賛する。その図式に疲弊した人が、共感と協調性を呼ぶムロツヨシに心を動かされたのではないか。美男美女が繰り広げる恋愛劇にリアリティーを感じない人が、全身全霊でムロツヨシの恋愛を応援したくなったのではないか。 彼の暗躍がドラマ界に波紋を広げてくれるといいなぁ。二の線も三の線もイケる、真の実力をもつ役者が、もっともっと起用されますよう。美化しすぎない、ごく日常の人間模様が描かれますよう。

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    旗印への執着と日照りが生んだ長篠の大勝利

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 長島一向一揆が壊滅して8カ月近くが過ぎた天正3(1575)年4月(天正2年には閏11月があった)。信長はある人物にその姿を目撃されている。男の名は、島津家久。南九州の大名、島津義久の末弟だ。 家久は兄、義久による薩摩・大隅・日向平定のお礼参りに伊勢神宮などを巡るため上洛したのだが、同月21日、京で織田軍の行列を見たのだ。6日から10万にのぼる大軍を率いて大坂本願寺勢力との戦いに出陣し各地に転戦していた信長は、この日ようやく京に引き揚げてきた。 家久は、信長の前にまず9本の幟(のぼり)が通るのを、「黄礼薬と呼ばれる銭の形を紋にしている」と記録している。「礼薬」は「永楽」の聞き間違いだろう。つまり、これは信長の旗印としてよく知られている黄色の地に永楽通宝の図案を染め抜いた「永楽銭の旗」だったわけだ。 本稿のテーマ的には、この旗を見過ごして先に進むわけには行きそうもない。 黄色に永楽銭の旗印については、第8回ですでに触れた。自らの手で京を安定へ導くため、龍だけでなく麒麟(きりん)のパワーをも取り込もうと考えてそれを象徴する黄色を使ったという内容だったが、ここでもう少し深く考えてみたい。 そもそも、大将格の人物の黄色い旗印というもの自体が珍しい。ざっと戦国合戦の模様を描いた図屏風を見渡してみても、「湊川合戦図屏風」(京都市個人蔵)での新田義貞(黄色地に七曜紋)と「長篠・小牧長久手合戦図屏風」(松浦史料博物館蔵)の織田信長(黄色地に永楽戦)が挙げられるだけだ。後は、「関ヶ原合戦図屏風」(垂井町個人蔵)の徳川家康本陣を守る重臣のものと思われる黄色地三つ巴の旗印ぐらいか。 おっと、有名なところで「地黄八幡」の旗印で知られる北条家の猛将・北条綱成がいるのを忘れていた。この「地黄」は「北条五色備(ごしきぞなえ)」と呼ばれる赤=北条綱高、青=富永直勝、白=笠原康勝、黒=多目元忠の筆頭としての黄=綱成だった。 綱成が筆頭であるのは異論がないところだが、なぜそれが黄色なのか。 これは、古代中国の「陰陽五行」という思想からきている。すべてが木・火・土・金・水の五大要素からできていると考え、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒、と五色を割り当てたのだ。これが神にもあてはめられ、木=青龍、火=朱雀、土=麒麟、金=白虎、水=玄武となる。そのうち、大地を表す土、つまり黄色こそが筆頭とされた。武勇ナンバーワンの綱成がその色を使うのは当然だろう。 だが、ここで疑問が出てくる。なぜそんな最強の色が、他の武将たちにはなかなか用いられなかったのか。織田信長像(東京大学資料編纂所所蔵模写) それには立派な理由がある。黄色は、特別な色、高貴な色だったからだ。中国では宋の時代(10世紀末~)から黄は皇帝を象徴する色だった。広大な中国の大地=土は黄であり、同時に皇帝の「皇」と黄は拼音(ぴんいん)が同じ(huáng)であるところからそうなったのだろうが、近代までの中国において黄色は皇帝以外の使用が許されなかったのだ。 そんな色だから、中国の文化を最高のものと尊ぶ当時の日本の上層階級でも黄色はみだりに用いてよい色ではなかった。僧侶の着る法衣(褊衫、へんざん)は黄色に見えるが、それより少し赤みを加えて濁らせた壊色(えしき)と呼ばれる色になっている。旗印は永楽銭 信長は、それほど高貴な色とされた黄色を臆面もなく自分の旗印のテーマカラーとしていた。しかも、1世紀半前の中国「明」の皇帝、永楽帝の時代の銅貨である永楽通宝を意匠として。 信長のために弁護するならば、一時は織田氏と並ぶ存在だった尾張緒川~三河刈谷の大勢力だった水野氏も永楽銭(白地)を旗印としていた。 それは永享7(1435)年に関東公方の足利持氏が京の幕府に近い長倉義成の討伐に失敗する経緯を記した『長倉追罰記』(合戦後まもなく書かれたという)で参陣した水野氏について「永楽の銭は三河国水野が紋」と紹介されていることからも、信長よりかなり早い時代に織田氏が永楽銭をなんらかのモチーフに採用していた可能性もかなり高いと思う。 その一方で『旗指物』(高橋賢一著、新人物往来社)を見ると、馬印そのものが元亀の頃から使われ始め、信長が金(黄)に永楽銭の紋様を旗印とした、と説明されているので、第6回で紹介したように、銭まじないの効果を信じていた信長としては、先祖が採用した永楽銭の紋様が、偶然にも自分の好みに合っていたために旗印にも取り入れたということだろうか。 しかし、その旗印を掲げて上洛し畿内を支配するということになると、話は変わってくる。ただでさえ使用を遠慮すべき尊貴の色である黄を使うだけでなく、その中に俗なものの代名詞とも言える銭の紋様を配した旗を京にひるがえす信長に対して、中国的教養に富んだ公家や仏教勢力は「なんだ、この田舎者の物知らずめ」と鼻で笑い、織田軍を蔑(さげす)みや嫌悪の目で見ただろう。 それでも信長は意に介さなかった。この日も、黄色地に永楽銭の旗印を掲げて都に戻ってきたのだ。その次には彼の親衛隊である母衣衆(ほろしゅう)20人が通り、さらに護衛役の馬廻衆100人が露払いとなって、いよいよ信長自身が見物の群衆の前を通った。 「上総殿(信長)支度皮衣なり、眠り候て通られ候」 信長は毛皮勢の衣を着て、馬上居眠りをしたまま通り過ぎていったのである。まさに絵に描いたような田舎者の姿、だった。 いくら反発を受けても暖簾(のれん)に腕押しとばかりの態度で押し通す信長。銭の呪力を信奉していたとしても、無用な反発を生むのは得策ではないとも思われるのだが、彼の真意はやがて明らかになっていく。 居眠りをしてしまうほど本願寺との戦いに全精力をつぎこんだ信長。しかし、彼は休む間もなく次の戦場へと向かって行く。それがこの直後の、「長篠の戦い」だった。武田勝頼画像(東京大学資料編纂所所蔵模写) 実は、信長は三河・遠江の同盟者、徳川家康の使者から東三河に武田勝頼の軍勢が侵入してきたと知らされ、本願寺との戦いを切り上げて京に戻ったのだ。馬の上でも寸暇を惜しんで睡眠をとっておこうとするのも無理はない。 4月27日に京を出発、28日に岐阜城帰着。5月13日に3万8000の軍勢を率いて岐阜を出陣、18日に武田軍によって包囲攻撃されていた長篠城の西方、設楽原(したらがばら)極楽寺山に着陣する。勝因となった日照り よく知られているように、このとき信長は諸方面から鉄砲とその射撃手を引き抜き、設楽原に集結させている。戦場に投入された鉄砲の数は一般に3000挺。彼は設楽原を流れる連吾川の西に連なる山地をすべて陣地化し、前面に柵と空堀を設け、そこへ武田軍を誘い込んで銃撃戦で撃滅しようと考えていたのだ。 だが、信長着陣の5月18日は、現在の暦に直すと7月6日。まだ梅雨が明けない時期だ。戦国時代も同様で、この前後の4月25日、5月2日・11日・18日・21日・23日・27日と雨が降っている(『多聞院日記』)。 しかし、合戦当日の21日、設楽原には雨は降らなかった。多くある長篠の戦いの画(え)の中で最も年代が古く、合戦から30年ほど後の制作と考えられる「長篠合戦図屏風」(名古屋市博物館蔵)には、扇を広げて用いている武者が何人も描き込まれている。当日は暑かったという記憶が、まだ関係者に残っていたのだろう。実はこの年も「日照り」が発生し、奈良でも「近頃炎天」が続き、雨乞いの祈祷も行われるほどだったのだ。 雨さえ降らなければ、鉄砲はその威力を十二分に発揮できる。未明、ひそかに長篠城を包囲する武田軍別動隊の背後に迂回した酒井忠次らは信長から与えられた500挺の鉄砲を一斉に放って敵を撃破。長篠城は解放された。 こうなると、設楽原方面に移動して信長本陣をにらむ態勢をとっていた武田軍は、撤退しようとしても背後を織田・徳川連合軍から追撃される上、長篠城の鉄砲500挺が脅威となって身動きできない。正面の織田・徳川連合軍は「兵たちを配置につけた様子を隠蔽した」(『信長公記』の記述を口語訳)ため、勝頼は正面突破を狙って攻撃をしかけた。 だが、隠蔽された無数の鉄砲がその武田軍に向かって火を噴いたのだ。 武田軍は織田・徳川連合軍が放つ銃弾を浴び、なんとか柵まで取り付いた者も次々と敵兵の刃に倒れていった。『信長公記』によれば、一斉射撃によって武田軍の攻撃部隊はその過半数が戦闘不能になったという。長篠古戦場に再現された柵と堀(愛知県新城市) こうして山県昌景、土屋昌次、真田信綱・昌輝兄弟と、武田家自慢の猛将・勇将たちも鉄砲で撃たれて戦場に屍(しかばね)をさらし、武田軍は壊滅的な損害を受けて一敗地にまみれた。 実は、合戦前の15日、信長は部下にこう書き送っている。 「天の与えるところであるから、皆殺しにしてやる」(信長書状を口語訳) 「天の与え」という言葉は『信長公記』でも使われているから、信長は設楽原に移動してきた武田軍と決戦する絶好の機会をとらえ、殲滅(せんめつ)の意気込みを周囲にも公言していたのだろう。 だが、もし雨が降り続いていたなら。 当然鉄砲の力は半減、それ以下となり、長篠城を解放することもできないし、柵と堀に頼った白兵戦しか行えない。それでは敵を殲滅することもできず、武田軍は最悪の場合でも余力を残したまま悠々と退却することができただろう。 梅雨時にもかかわらず、前年の長島一向一揆攻めと同じく日照りによって大勝利をつかんだ信長。まさに、水を操る大蛇や龍の力を遺憾なく発揮した合戦だった。これによって、彼の自信はますます深まったのだった。

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    「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「失われた20年」と言われる日本の長期停滞は、デフレ(物価の継続的な下落)を伴っていた。人々の所得が減ってしまい、日々の暮らしも困難になる人や就職、進学などで苦労を味わう若者も多かった。実際に経済的な理由で退学していった学生たち、就職が決まらずにずっとコンビニや居酒屋などでアルバイトしていた卒業生も多かった。 また、就職してからも大変だった。最もデフレ不況が深まった時期には、卒業生のためにその会社の上司宛てに「推薦状」を書いたこともたびたびあった。ふつうは就職する際に、大学や教員が推薦状を書く。だが、「失われた20年」のピークのときは、就職してからも困難が続いたのである。 多くの企業は、将来性や人材育成よりも目先の利益の獲得のために、若い人材の使い捨てや「試用期間切り」のように使う前から切り捨てることもあった。そんな環境の中で、本人に頼まれたり、または会社の上司の方がその卒業生の将来性について「推薦状」を書いてくれと要請されたのである。 もちろん、喜んで引き受けた、と書きたいが、そのプレッシャーは尋常ではなかった。一人の元学生の人生を直接左右しかねないからだ。そのためか、当時過労で倒れてしまった。 おそらく、この種の話は、大学教員の多くが体験したことだろう。景気が悪くなるということは、少なくとも学生たちの就職を極端に困難にする。もちろん就職だけではない。今書いたように、働くこと、生きることが難しくなるのだ。 景気をよくすること、もう少し難しくいえば雇用を最大化する責任は、多くの場合は政府と中央銀行がその責務を負う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 日本の長期停滞がデフレを伴っていることは冒頭で書いた通りだ。モノとお金の関係でいえば、モノの価格が下がることは同時に、お金の価値が高まっているということだ。なぜお金の価値が高くなるかといえば、それはお金が手元にないからだ。具体的には、給料やバイト代などが不足していく。 要するに、お金の量が足りないのだ。しかも、より重要なのは、これから先もお金の量が足りなくなると国民が思っていたことである。過去形で書いたが、そのお金の量の不足は、深刻さが弱まりつつあるとはいえ、いまだに継続している。デフレの責任を取らない日銀 お金の不足を解消する責任は、究極的には中央銀行、つまり日本銀行にある。だが、官僚組織の常というべきか、日銀もまたそのデフレ不況の責任を20年以上、一貫して拒否してきた。 今の黒田東彦(はるひこ)総裁の前まで、日銀は雇用にも経済の安定にもほぼ無関心だった。昔の日銀は「失われた20年」に対して「無罪」を主張してきたのである。 この「日銀無罪論」は、官僚の伝達機関でしかないマスメディアや、経済論壇でも主流の意見だった。彼らが愛する「日銀無罪」の論法は、おおよそ以下のパターンだった。(1)デフレ不況は、グローバル化や人口減少など構造的な問題が原因なので、金融政策では解消できない。(2)今の日本経済は、失業率が3・5%以上であっても、完全雇用で安定している。(3)そもそも、デフレは中国などが安い製品を作ったせいであり、外国の責任である。(4)急激に金融緩和を実施すると、急激なインフレ(ハイパーインフレ)が起きるから危険である。(5)デフレに伴い、牛丼などの価格が下がるのはいいことである。 これらの「日銀無罪論」が最近、再び活性化している。例えば、最後の「そもそも牛丼などの価格が下がるのはいいこと」の最新版は、携帯料金の値下げに関しての話題だといえよう。 これは、菅義偉(よしひで)官房長官が携帯料金を4割下げることができるとした発言を契機にしている。日本の携帯各社の料金が高いのは経験上でも自明だろう。この料金の高さの原因は、携帯各社が寡占状態にあり、そのため価格支配力が強いことに原因がある。これを打ち破ることは、多くの国民に利益をもたらすだろう。2018年10月、衆院予算委で自らの携帯電話を楽しそうに安倍晋三首相(左)に見せる菅義偉官房長官(春名中撮影) だが、マスメディアでは、携帯料金の値下げがデフレを加速させるものとして解説するものがあった。デフレやインフレで話題になるのは、平均的な価格である。これを一般物価という。対して携帯料金は個別価格である。いくら個別価格が下がっても、一般物価に反映するのは次元が違う。 先ほど述べたように、デフレはお金が不足していることだ。具体的には給料やバイト代が不足していることである。いくら個々の商品の値段が下がっても(反対に値上がりしても)、そもそも買うお金がなければ全く意味がない。手元のお金が増えることで、安くなった財(携帯)を買うことが容易になるのである。前総裁の姿勢に異議あり! さらに、白川方明(まさあき)前日銀総裁の発言も最近活発化している。著作の『中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)を出してもいる。正直、読むのがつらい本だ。 この本の中で、白川氏は雇用を重視するという姿勢に乏しかった。また、日本経済の問題は、財政危機や人口減少など日銀の責任ではないものに求めているようだ。 中でも「物価が人口減少で決まる」と読める箇所があった。地域エコノミスト、藻谷浩介氏の『デフレの正体』(角川書店)を想起させるが、そもそも藻谷氏は個別価格を「デフレ」としている。もちろん正しいデフレの意味ではない。 さらに、人口減少デフレ説は日本の現実の前に否定されている。日本の人口減少率は、現時点でマイナス0・32%(前年同月比)だ。対して、9月の全国消費者物価指数(生鮮食料品を除く)はプラス1・0%である。白川日銀の時代はデフレが普通だったが、インフレ目標に届かないものの、今はプラス域を保っている。ここしばらくは上昇傾向でもある。 白川氏によれば、今の景気回復は将来生じる需要の先取りの結果であるらしい。筆者の知人は、この白川説に対して、「(円安による)海外観光客の増加も需要の先取りになるんですかね」とあきれていた。 ただし、この需要先取り説には注意が必要である。例えば、昔の日銀を懐かしむ勢力が望みそうな早急な出口政策が採用されたり、消費増税などの影響で金融政策の効果が乱れると、それを現在の積極的な金融緩和の責任にされかねないからだ。 消費税を引き上げれば、当然積極的な金融緩和と矛盾し、効果も低迷する。だが、消費増税の責任にしたくない人たちは、また野菜不足などと同様の理屈で、需要を先取りした反動が今出ていると、責任転嫁に利用するかもしれないからだ。2013年3月、退任の記者会見をする日銀の白川方明総裁(宮川浩和撮影) もちろん、性急な出口政策の採用も消費増税と同じ、いやそれ以上の悪影響をもたらす。そこから目をそらせるためには、現在の大規模緩和の責任にするのが手っ取り早いだろう。 いずれにせよ、消費増税勢力が活気づき、他方で日銀無罪論が出回るような、今の言論の状況は憂慮すべき事態である。

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    日本人には高すぎたミドル級の壁、それでも村田諒太なら超えられる

    木村悠(元世界ライトフライ級王者) 世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王者として2度目の防衛戦に臨んだ村田諒太が10月20日、同級3位のロブ・ブラントに判定で敗れ、王座から陥落した。防衛を重ねていくとの期待が強かっただけにファンだけでなく、関係者も大きなショックを受けたことだろう。 村田について、まず特筆すべきは、プロとアマチュア両方で世界王者になった偉業だ。アマチュア時代、2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得し、その後、プロのミドル級で世界王者になった。しかも、ミドル級という日本人には体格的に不利な階級での偉業である。 普通、アマチュアよりプロの方が、レベルが高いと思われがちだが、一概にそうとも言えない。そもそも、日本のアマチュアボクシングは、長く五輪でメダルを獲得できていなかった。だが、ロンドン五輪で村田が金メダルに輝き、これは実に1964年の東京五輪から48年ぶりの快挙だった。 さらにいえば、五輪で金メダルに輝いたのは、過去に村田を合わせて2人しかいない。五輪のチャンスを逃した筆者からすれば、その難しさを実感している。五輪の全メダリストを考えても、これまで5人しかいない。一方、プロの世界チャンピオンは約90人にのぼっており、どれだけ困難なことかは、数字が物語っている。 このように、プロは多くの世界チャンピオンを輩出しているが、アマチュアは強豪国が多く、国際大会で勝つのが非常に難しい。プロ加盟していない国も多く、キューバやロシアなどの選手は技術のレベルも高い。 ボクシングで五輪に出場するためには、世界選手権で上位進出するか、アジア予選で勝ち抜かなければならない。韓国や北朝鮮、中国に加えて強豪のモンゴルやカザフスタンやウズベキスタンといった旧ソ連系の国を相手に勝って枠を取らなければならない。 要するに、各階級の出場枠を取るのは難易度が高く、五輪に出場するだけでも相当のハードルなのである。現在、プロで大活躍している井上尚弥や3階級王者の井岡一翔、世界タイトルを11回防衛した内山高志、12回防衛の山中慎介もアマチュア出身だが、誰一人として五輪には出場できず、いずれもアジア予選で敗退している。 筆者は34歳で、村田よりも2つ年上だが、アマチュア時代、全日本チームのメンバーとして一緒に国際大会に出たり、国内での合宿でチームメートとして練習したりしていた。やはり、村田は高校時代から逸材だった。アマチュアの全国大会で5冠に輝き、ジュニアでありながら成年の全日本選手権でも準優勝していた。  国内大会ではヘッドギアを着用するアマチュアだが、試合ではレフェリーストップを量産していたほどである。筆者に言わせれば、村田は常に対戦相手に恐怖を抱かせる「怪物」のような存在だった。 先に述べたように、村田はアマチュアで華々しい実績を残した後、プロに転向した。プロデビュー戦では当時の東洋チャンピオンを2回TKOで圧倒し、観客を驚かせた。プロとアマチュアはルールが違うが、それでもあっという間に試合を終わらせた村田のデビュー戦は衝撃的だった。 その後、筆者が所属していた帝拳ジムに移籍してプロでもチームメートとなった。 メディアでは明るく丁寧な対応をする村田だが、ジムではよくイタズラをしたり、冗談を言ったりするムードメーカーでもあった。2度目の防衛戦に向け調整する、WBA世界ミドル級王者の村田諒太 =2018年10月、米ラスベガス(共同) 筆者はかつて、村田とともに走り込みのキャンプを行ったが、その身体能力の高さによく驚かされた。アスリートは長距離が速くても、短距離は遅い持久力系の選手と、長距離よりも短距離に長けた瞬発系の選手に分けられる。 普通は筋力のバランスで得意、不得意があるものだが、村田にはそれがない。持久系のトレーニングは誰よりも速く、短距離のダッシュであっても群を抜いた。ここまで飛び抜けた能力を持つ選手はめったにいない。その類(たぐ)い稀(まれ)な身体能力を生かし、村田はプロに入っても勝ち続けた。村田ならまだやれる 村田のボクシングスタイルは非常にシンプルだ。ガードを固めてプレッシャーをかけ続けながら強いパンチを打ち込む。余計なパンチはあまり打たず、一撃で相手を仕留める。パンチ力と圧力があるからこそできるスタイルだ。 パンチの強さは世界のボクサーにも引けを取らない。ガードも高く、プロでダウンの経験もないという打たれ強さも兼ね備えている。ただ、前回のブラント戦やアッサン・エンダム戦でもそうだったが、強いパンチを打ち込もうとする余り、ジャブや手数が減ってしまうのが難点である。 次に階級の視点からみてみよう。そもそも、日本を含むアジアのボクシングは、軽量級を主戦場としている。先にも記したが、日本の世界チャンピオンは約90人に上る。だが、ウエルター級以上の重量級の世界チャンピオンは村田を含めて3人(輪島功一と竹原慎二)しかいない。体格の面からもアジアの選手は軽量級が多く、村田のようにミドル級でチャンピオンになった例はアジアを見渡しても非常に少ない。 また、ミドル級は競合が多く世界的な層も厚い。世界的スター、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオは、村田の一つ下のスーパーウエルター級で活躍していた。そのため、その前後の階級は強い選手が多い。 前回の試合では負けてしまったが、カザフスタンの英雄、ゲンナジー・ゴロフキンもいるし、ゴロフキンに勝ったメキシコのサウル・アルバレスもいる。他にも、アメリカ出身のジャーメル・チャーロやカナダ出身のデイビッド・レミューなど、名実備えた選手が多い階級である。 こうした重量級の迫力とスピード、テクニックを兼ね備えた選手が多いだけにボクシングの本場、アメリカでも人気の階級だ。スピードに加え、パンチ力もテクニックもある、三拍子そろった選手がいくらでもいる。非常にレベルの高い階級と言える。 そして、ファイトマネーも桁(けた)違いだ。日本でのタイトル戦とは比べ物にならない。海外放送の放映権関係などの影響も受けてファイトマネーも跳ね上がる 。 そんな厳しい階級で戦い続けてきた村田だが、ベルトを失い、今後どうするのか。やはり人気のある階級だけに、その分チャンスがめぐって来るのも難しい。村田もブラントに負けたことで、ビッグマッチへのチャンスが遠のいたのは確実である。WBA世界ミドル級戦の11回、ロブ・ブラント(右)のパンチを浴びる村田諒太=2018年10月、米ネバダ州ラスベガス(共同) とはいえ、勝てばゴロフキンと東京ドームでの試合の話もあっただけに、今は村田本人が一番落胆しているだろう。本人も語っていたが、すぐには決められないとの言葉は、周囲の環境が普通の選手と比べてあまりに違うからである。 今後の動向に注目が集まるが、村田をよく知る筆者としては、今はゆっくり休ませてあげてほしいと強く感じる。世界戦はそれに臨む本人しか分からない大きなプレッシャーの連続だ。自分の人生を賭けてその一戦に向かっていくだけに、進退を決めるのは難しい。体と気持ちを休めることで、見えてくることもあるだろう。 ただ、村田のボクシング界における影響力はあまりに大きい。 筆者もこのまま終わってほしくないし、村田の実力ならまだやれると強く思う。時間をかけ、悔いの残らない決断をしてもらいたい。

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    徴用工「デタラメ判決」と韓国のポピュリズム

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 韓国での徴用工に関する大法院(最高裁)の判決が日本国内で大きな話題になっている。この判決を聞いたとき、筆者はまず「とてもデタラメな判決だな」と思った。 と同時に、韓国の国家としての脆弱(ぜいじゃく)性、現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権のポピュリズム(大衆迎合)的な性格の弱さにも思いが至った。要するに、その韓国の脆弱性のツケが日本に回ってきたように思えたのである。 それでは、文政権のポピュリズム的な政策とは何だろうか。ポピュリズムは大衆扇動的といわれるが、政権を奪取して維持するためには、大衆からの支持はいわば必要条件である。 その意味では、ポピュリズムに特別な意味はない。だが、ポピュリズムにはもう一つの特徴的な側面を伴うことが多い。 いわば「敵」-「味方」の論理を利用することである。「敵」を特定し、その「敵」が「味方」の利害を侵しているとして徹底的に批判することで、「味方」の士気を高めることである。 これも程度問題ではある。さまざまな社会的問題の根源で、既得権益にぶら下がっている人たちがいる。この勢力を批判することが、あたかも「敵」-「味方」のロジックに乗った話に見えがちだ。特に経済学では、構造的問題(経済を非効率的にしてしまい国民の福利の向上を阻害する問題)について、この既得権者たちを問題視することが多い。2018年10月、ソウルの最高裁前で、徴用工訴訟での原告勝訴を訴える支援者ら(共同) 例えば、経済評論家の上念司氏の新刊『日本を亡ぼす岩盤規制 既得権者の正体を暴く』では日本に巣くうさまざまな既得権者や組織を容赦なく批判している。その指摘には筆者も学ぶことが多い。 上念氏も筆者もそうだが、経済学での既得権益者はその既得権にこだわる限り、批判されてしかるべきだ、という意見を持つ。だが、経済的な意味で彼らは「敵」ではない。なぜなら、経済政策の基本は、既得権による経済的な非効率性を次から次へと解決していけば、やがてそれは社会全体の福利厚生の向上につながるからである。なぜ「反成長主義」なのか つまり、既得権益者はその既得権を奪われることで不利益を被るが、やがて同様の効率化政策が各所で行われることで、社会全体の福祉が向上し、元既得権益者もそこで利益を受けるというのが、経済学の基本的な考え方だ。この考え方を「ヒックスの楽観主義」といい、偉大な米国の経済学者、ハロルド・ホテリングが指摘したことでもある。 要するに、「社会全体のパイはやがて拡大していく」という成長主義的な観点がここにある。日本や世界の歴史を見ても、おそらくこの「楽観主義」やホテリングの予測は正しいだろう。 だが、文政権のポピュリズムは、このような経済政策の基本から外れている。何より特徴的なのは、その「反成長主義」的なマクロ経済政策の運営手法だ。 韓国のマクロ経済政策が「反成長主義」というのは意外に思われる人もいるだろう。なぜなら、文政権の財政政策だけ見れば、予算規模をリーマンショック時点並みの2桁拡大をしようとしているからだ。 しかし、ここでは、マクロ経済学の教科書的な常識で、韓国のマクロ経済政策を評価する必要がある。それは「マンデルの三角形」というものだ。これは「為替レートの安定」、「資本移動の自由」、そして「金融政策の自律性」の三つのうち、基本的に二つしか採用することができないという見方である。 韓国の経済運営は、変動為替レート制であるものの、過去のアジア経済危機での経験を恐れて、過度にウォン安回避的な運用がされている。つまり、政府と中央銀行である韓国銀行が、その政策運営に為替レートの安定を政策変数として考慮しているのはほぼ明白である。韓国の5万ウォン札(ゲッティイメージズ) また、資本移動の自由化が行われている。「マンデルの三角形」の議論でいえば、韓国は金融政策の自律性がないことになる。これは自国の経済の景気や雇用の状況に対応して、金融政策を割り当てることが難しいことを示している。さらに、教科書的にいえば、海外との取引がある韓国のような「小国」経済では、財政政策の効果が限定されてしまうことになる。 要するに、雇用状況が悪くても、金融政策が拘束されている下では、財政政策を拡大しても効果が著しく減少するということだ。これは、1990年代に積極的な財政政策を行いながら、金融政策が事実上の円高志向、つまり緊縮志向だったために長期停滞に陥った日本の経験を思い出させる。しかも、金融政策においても、韓国の雇用状況の悪化と並行するように、インフレ目標の数値を引き下げるなど、緊縮傾向をむしろ自ら強めている。文政権、本当の「味方」 文政権は若年失業率の高止まりを財政政策で対応しようとしている。しかし、自国為替レートの自国通貨の減価(ウォン安)を極端に避ける政策を採用している限り、なかなかこの雇用の低迷から脱出できないのは自明である。これが文政権の経済政策が「反成長主義」的である、という意味だ。 簡単にいえば、経済全体をパイになぞらえれば、パイの大きさはほぼ一定のままである。しかも、文政権はこの一定の大きさのまま、自分の支持を集められるようにパイを切り分ける必要がある。これが、彼の手法が「敵」と「味方」に分けるポピュリズム的である理由ともなる。 既に企業社会の中にいる人たち、特に大企業の労働者や組合に、文政権は切り込む姿勢を見せていない。つまり、先の「ヒックスの楽観主義」的な効率化政策に踏み込めないままだ、ということになる。 これは、文政権の「味方」が大企業などの労働組合だということを示している。実際、大幅な賃上げを掲げた文政権の政策にその特徴が表れていた。 賃上げは、既に企業社会の一員である人たちには恩恵(既得権)となるが、これから働こうという人たち、特に若者たちに対しては障害になる。なぜなら、経済の大きさが一定のままで、ある人のパイの取り分を増やすことは、他の人の取り分を減らすことになるからだ。 前者は大企業の労働者、典型的な後者が若者である。実際に文政権の雇用政策は、既得権者である大企業の雇用を守りながら、若年失業率を累増させている。2017年8月、韓国・仁川市内で公開された徴用工像(川畑希望撮影) でも、文氏は若者を「敵」だとは決して言わないだろう。それどころか、全く思ってもいないかもしれない。だが、その経済政策は、ポピュリズムの「敵」―「味方」に分けた政策の典型になっている。文政権の支持率は低下傾向にあるが、それは文政権のポピュリズムが持つ弱さにある。 さらに、この「敵」-「味方」は徴用工問題でも顕著である。もちろん、この場合の「味方」は自国民であり、「敵」は日本国民である。事実上の「二枚舌外交」 ここで「日本政府」とは書かない。あくまでも日本国民である。なぜなら、今回の訴訟は、韓国国家が日本の民間企業に対して下した判決である。 韓国国民が日本統治時代の出来事に対して、賠償などについて個別請求権を持っているのは認識すべき点だろう。ただし、1965年に国交を正常化した際に結んだ日韓請求権協定により、韓国国民の請求先は日本政府や日本企業ではなく、あくまでも韓国政府に対するものであった。これが今回、ちゃぶ台を大きくひっくり返されたことになる。一種の「無法行為」である。 だが、この無法行為、その背景にある「敵」-「味方」の論理を、文氏は大統領になる前から肯定していた。文氏が無法の人でなければ、彼は政治的な宣言として、賠償請求先は韓国政府だと表明すべきだったろう。 そして、韓国政府による今までの国民への賠償政策が不十分であったことを、歴史の反省に立って率直に見直すべきである。ところが、文氏はそんなことをしない。大きな理由は、徴用工の賠償を求める政治的勢力が強いからだ。これは先の経済政策における大企業の労組の位置づけと同じである。 だが同時に、今回の判決を受けて、文政権は日本に対して、外交の場で「今回の判決を認めよ」と積極的に主張するだろうか。おそらくその確率は高くないだろう。ここにも文政権のポピュリズムの脆弱性が明らかである。 国内的には、暗黙のうちに今回の判決が出される政治的な流れを作っておき、他方で、対外的には日本に対しての積極的な働きかけを行わないはずだ。要するに、日本に強く出るほどの政治的パワーがないのである。事実上の「二枚舌外交」である。このやり方は、慰安婦問題についての文政権のやり方にも似ている。2018年10月、日本企業に賠償を命じるとした韓国徴用工訴訟判決を受け、韓国の李洙勲駐日大使(右端)に抗議する河野外相(左端) そもそも、日韓請求権協定を文政権自身が外交的に覆せば、おそらく日本とは決定的な対立を生み出すだろう。実際、日本側として見れば、決定的な対立が避けられないという意見は今でもあり、感情的なリアクションとはいえない側面も持つ。戦略的には、政治的断交は、全面的な韓国との交流停止とはいえない。台湾と日本の関係を想起すればわかるはずだ。政治的断交は一つの選択肢として有効だ。 ただし、今も書いたように、文政権は、ポピュリズムの持つ脆弱性から見れば、経済的にも政治的にも既得権を侵さない政策を維持し続けるだろう。従って、国内経済を拡大し、日韓関係を改善する政治的にも経済的にも成長を許さない政策を採るしかない。文政権がいくら弱くてもいいのだが、その弱さを繕うために日本国民が利用されるのは許されることではない。

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    あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

    辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 1996年にデビューし、平成を駆け抜けたダンス&ボーカルグループ、SPEED。平成の終わりとともに、精算するかのようにカルマが吹き出している状態です。元ファンとしては切ないですが、4人とも30代で女の厄年が連続する年頃でもあります。業の深いメンバーについて改めて検証してみます。 思い返せばもう20年近く前、2000年にいったん「SPEED解散」したときは世の中に激震が走りました。解散の理由の一つとされていたのが、島袋寛子(HIROKO)さんの異性交遊。当時、HIROKOばかり非難されていましたが、今井絵理子(ERIKO)さん、上原多香子(TAKAKO)さんにも彼氏がいたといわれています。そして今となっては、HIROKOはERIKOやTAKAKOと比べたらストイックに生きているほうかもしれません。夫が12歳年下というところに、やり手であることが感じられるくらいです。 メンバーの中で、女の業レベルを競い合っているのは、やはりERIKOとTAKAKOでしょうか。TAKAKOはSPEED時代から魔性の女ぶりがささやかれてきました。マネジャーが目を離した隙に当時の恋人ISSAと逢瀬(おうせ)を重ねていたとか。ERIKOも黒髪優等生キャラの清純派に見えて、中学時代から彼氏がいて、実家に泊まらせるほどの仲だったといわれています。 ファンだった私は当初純粋なティーンの少女たちだと信じていたのですが、さまざまな噂や発言から、実像は違うというのが徐々にわかってきました。SPEEDが歌っている曲は刹那的で、恋愛がテーマのものが多い、という言霊の影響もあると思います。 伊秩弘将プロデューサーによるリアルな歌詞に感情移入して歌うことで、脳が恋愛モードになっていったのでしょう。多感な年頃だったので、リビドーが高まるのも自然な成り行きです。 当時印象的だったのが、あるバラエティー番組でERIKOによってカミングアウトされたエピソードです。「地方のロケに行ったとき、一人の部屋にみんなで集まるんですが、必ずアダルトビデオ(AV)を見ていたんです。『見よう』って言い出すのは決まって私だったんですけどね」というぶっちゃけ発言が。参院本会議に臨む自民党の今井絵理子参院議員=2017年2月、国会(斎藤良雄撮影) さらに別々の部屋の場合も、ERIKOの宿泊代だけ有料AVチャンネルの使用料で高くなっていたりしたそうです。どれだけ見まくっていたのでしょう。2017年、元神戸市会議員の橋本健氏との不倫熱愛報道があったとき、ホテルの廊下をパジャマで出歩いていた写真が出ましたが、ERIKOはホテルを使いこなしまくっています。 さらに「ツアーに行ったときは必ずコンビニでエロ本を仕入れて率先して回し読みしていた」という話も。歌やダンスでも発散しきれないエネルギーがほとばしっています。 解散してから3年後、2003年には「Save the Children」をテーマに再集結。『Be my love』の教会音楽っぽいイントロに、SPEED4人のざんげの気持ちを感じたものでした。唯一SPEEDを救える人 その後ERIKOの授かり婚、離婚を経て、2008年に本格的な再結成をしたものの、最盛期のような活動はできず…今に至ります。 2011年の『リトルダンサー』というシングル曲は、歌唱力もダンスも相変わらずハイレベルだったのですが、ダンサーを目指す人への夢応援ソングという内容だったので、メンバー的にもいまいち士気が上がらなかったのかもしれません。たぶんファンの多くは、再結成後の活動をフォローするというより、全盛期の思い出を記憶に焼き付けたままでいると思われます。 多くのファンにとって青春時代の象徴だったSPEEDのメンバーが、ここ数年、こんな形で世間を騒がせ続けるとは…。特に今年は、TAKAKO、ERIKOの2人が、奔放すぎでした。 TAKAKOは『週刊新潮』で報じられる直前に再婚と妊娠を発表。相手は演出家のコウカズヤ氏で12月ご出産予定だそうです。元夫TENNさんは悲しいことに自殺してしまい、遺書が公開され、その原因の一つはTAKAKOの不倫だとされています。でも当時の不倫相手の俳優とは別れ、新しい男性と入籍。TAKAKOはメンタル強すぎです。芸能ニュースサイトによると、TAKAKOと出会った瞬間に「コウ氏の下半身に『ビビビッ』と電流が走った」とのこと。下半身に電流を走らせる魔性ぶり、半端ないです。 ERIKOも10月に動きがありました。2017年の不倫釈明会見での「一線を越えてはいない」発言が話題になりましたが、そのお相手の橋本氏とまだ切れていなかったのです。 元市議の橋本氏は、妻と離婚し、政務活動費約690万円を不正に受け取ったとして詐欺罪で起訴され、有罪判決が言い渡されました。ゴルフやガールズバーに流用したそうですが、そんな彼でもERIKOの恋心はさめず…。ERIKOは「現在、私今井絵理子は元神戸市議会議員の橋本健さんとお付き合いさせていただいております」とブログで発表。 ちなみに橋本氏の前に半同棲(どうせい)が報じられたA氏は、中学生に本番行為をさせた風営法・児童福祉法違反容疑で逮捕されています。ERIKOは弁護士費用など支払ったそうです。どんなダメな男でも受け入れるERIKOの包容力…。ダメンズというよりは、ちょいワル男子に弱いのかもしれません。その博愛精神を、議員としてもっと国民のために使ってほしいような…。初登院し、記者の質問に答える自民党の今井絵理子氏=2016年8月、東京・永田町の国会議事堂前(桐原正道撮影) そして気になるのは、音信が途絶えている新垣仁絵(HITOE)。文字通り『HITOE’S 57 MOVE』、どこかに行ってしまいました。ヨガインストラクターの資格を取り、ヨガ教室を開講し、一般男性と結婚。ヨガで直感力が高まった彼女は、このままグループのメンバーと一緒にいたら、カルマの渦に巻き込まれる、と予知したのかもしれません。 でも、メンバーを女の業から救い出せるのはHITOEだけかもしれません。ヨガの癒やしと浄化のパワーによって、肉体レベルの愛にとらわれているメンバーをわれに返らせたり…。SPEEDの救世主であるHITOEの再降臨を、元ファンとして祈念いたします。