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    中国経済「低成長の時代」へ

    中国の経済成長がついに翳り始めた。中国国家統計局が発表した2018年の国内総生産(GDP)は、物価上昇分を除く実質成長率が前年比6・6%増にとどまり、天安門事件直後の1990年以来、28年ぶりの低水準となった。「低成長の時代」に突入した中国経済は今後どうなるのか。

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    習近平独裁に痛撃、中国経済「大失速」が意味するもの

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国経済の大失速の可能性が高まっている。もちろん、その背後にあるのは「米中貿易戦争」だ。昨年12月の輸出は前年同月比で4・4%減、輸入は7・6%も減少した。中国の貿易のボリュームが金額面で大幅に減少したことは、現実の経済成長率の失速を予想させるものであった。 実際に、中国政府が21日に発表した2018年の国内総生産(GDP)の実質成長率は6・6%(17年は6・8%)となり、天安門事件翌年の1990年(3・9%増)以来28年ぶりの低水準となった。内容を見ても、昨年後半からの消費低迷が影響しているのは明らかで、輸入の減少とも整合的だろう。 高度成長から「低成長の時代」に移行することにより、中国の国民や企業の期待成長率もまた引き下げられていく。米中貿易戦争が、この期待成長率の押し下げをさらに加速させるだろう。 個々の事例を見ても、中国の新車販売が28年ぶりに前年を下回ったことが象徴的だろう。ただ、これは自動車取得税の減税措置が17年末で終了したことを受けた反動減という見方が通説だ。 いずれにせよ、消費者のマインドが冷え込んでいるところに、今後、米中貿易戦争の影響が到来する可能性が大きい。輸出も携帯電話の出荷数は前年比15・6%の大幅減少だった。華為技術(ファーウェイ)など中国の通信・携帯事業への国際的な制裁や規制が強まる中で、海外での中国ブランドを敬遠する動きも今後進展する可能性がある。 貿易面での不振や期待成長率の押し下げは、中国企業の在庫調整や、生産ラインの拠点見直し、そして雇用面のリストラなどを伴っていく。リストラは、消費や投資の低下をもたらし、それはまた一段と経済成長と雇用を悪化してしまうだろう。ただし、このような悪循環は、可能性を高めつつも、実際にはまだ始まっていない。2018年1月21日、配布された中国のGDP速報値の資料を受け取る報道陣(共同) 中国政府も「防戦」に必死なのだ。まず、中国人民銀行は預金準備率をこの1年で5回も引き下げるなど、金融緩和姿勢を強めている。 財政政策においても、個人所得税の減税を強め、さらに日本の消費税に相当する増値税の引き下げ予定も伝えられている。増値税は、日本の現行のものとは違う複雑な税制になっているので単純比較はできない。それでも、消費税率の引き下げを実施する姿勢だけは、日本政府も率先して真似をすべき政策だと思う。もちろん、他の政策で習うものはないことは言うまでもない。 中国政府のこの必死さの背景には、中国共産党の一党独裁制、さらには習近平主席の「永久」独裁制を死守するという動機がある。政治体制を死守するために、経済体制をまず防衛しなければいけないわけだ。資本移動の自由に消極的なワケ 米中貿易戦争は、経済面での「戦争」だけではなく、その中核は世界政治の覇権を巡るものだといっていい。もちろん、ノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマン氏が指摘するように、米中貿易戦争の行方は、トランプ大統領の「個性」に大きく依存している。トランプ大統領の「壊れた家具がごちゃまぜに詰まった屋根裏部屋」(クルーグマン氏)のような頭脳の動き次第では、米中貿易戦争の不確実性が大きく高まるというのだ。 ただ、クルーグマン氏の評価は、トランプ大統領に厳しすぎる気がしている。今のところ、米中貿易戦争に関して、トランプ大統領がツイッター上で習主席にリップサービスを行う以外で、対中交渉で妥協しているシグナルは乏しい。 むしろ、中国側が最近提案したといわれる「2024年までに対米貿易赤字ゼロ」という数値目標も、米政権を満足させるものではないだろう。トランプ政権の中長期的な狙いは、国際的な資本移動の自由化や中国国内の大幅な規制緩和、欧米や日本企業からの技術のパクリを厳しく制限するための法整備とその実効性の担保であろう。これらはいずれも経済体制の変化だけではなく、中国の一党独裁制を痛撃する可能性を持つものだ。 この点を理解するためには、国際的な資本移動を今の中国が制限している理由を考察した方が分かりやすい。その見方が「マンデルの三角形」もしくは「国際金融のトリレンマ」というものだ。「国際間のおカネ(資本)の移動が自由であること」「為替レートの変化が激しくなく、一定の水準で安定化していること」「金融政策が経済成長や雇用の安定のために利用されること」、この三つのうち、同時には二つしか選択することができないことをいう。 現在の中国は為替レートの安定化(基本的に対ドル連動)と金融政策の自律性を採用し、資本移動の自由を制限している。ただし、完全な固定為替レート制ではない。中国が海外との取引を拡大すればするほど、中国の企業も海外企業も、物やサービスだけではなく、「おカネ」の取引の自由化を求めるようになる。それが先進国経済の基本的な進路でもある。 資本移動の自由が段階的に行われるようになると、対ドルに完全に連動することは困難になる。そのため、現在では、基準レートの上下である変動を許す「準固定為替レート制」になっている。 ただし、為替レートを中国政府がコントロールしたい動機は健在である。その背景には、習近平体制の権益があると以前から指摘されている。輸出企業やそれによって潤う人たちが、彼の体制を維持しているわけだ。 そのため、中国通貨である元が安い方が輸出には有利だ。つまり変動為替レート制への移行は、現在の政治体制を不安定化させかねない、という解釈だ。G20首脳会合の記念撮影に臨む中国の習近平国家主席(左)と米国のトランプ大統領=2018年11月30日、ブエノスアイレス(共同) また、国際的な資本移動の自由化に消極的な姿勢も、似た理屈で説明できそうだ。つまり、海外へのおカネの移動は制限されているが、人脈など既得権階級のコネに頼れば、海外へ資産を移動できるし、投資も可能になる。このような特権階級の「旨味」が、資本移動を自由化してしまうと消滅する。これもまた今の政治体制を不安定化してしまうだろう。 米国は今後、これらの中国政治と深く結ばれた経済的な既得権を破壊するところまで、貿易戦争を進めるだろうか。その鍵は、中国がどう変化していくかにある。■米中貿易戦争、トランプ流は「ニセモノ大国」の市場開放を遅らせる■中国を狙い撃ち「トランプ貿易戦争」の本気度■2049年「習近平の夢」は96歳で完成する

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    巨人軍は非情なのか

    巨人の生え抜きベテラン選手、長野久義が広島に移籍した。フリーエージェント(FA)制度の人的補償とはいえ、通算133勝の内海哲也に続き、功労者がそろっていなくなるのである。巨人軍は非情なのか。電撃移籍の意味を考えたい。

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    「巨人軍は非情なのか」長野と内海、功労者を放出した意味

    菊地高弘(ライター、編集者) それは衝撃のニュースだった。正月気分が抜け切らない1月7日。フリーエージェント(FA)となり、広島から巨人へと移籍した丸佳浩の人的補償として、巨人の生え抜きベテラン選手である長野久義が広島に移籍すると両球団から発表されたのである。 巨人は2018年12月20日にも、西武からFAで獲得した強肩捕手、炭谷銀二朗の人的補償として、かつての左腕エース、内海哲也を失っている。相次ぐ人気選手の流出に球界は騒然となった。 メディアの論調は、人的補償の対象にならない28人のプロテクト枠に功労者である両選手を入れなかった巨人に対して「非情」と批判する向きが多かった。内海も長野も、アマチュア時代に他球団からドラフト指名を受けながら入団を拒否して、数年後に希望球団の巨人に進んだ経緯がある。 長野に至っては日大時代の06年、社会人野球のホンダに在籍した08年の2度にわたり、指名を拒否してまで巨人入団にこだわった。そんな2人の入団経緯もあり、批判に拍車をかけた感がある。 私は複数のメディア関係者から「元巨人ファンの立場から、この事態をどう見ますか?」と聞かれることがあった。昨年4月、私は今や国民的球団ではなくなった巨人とファンの関係について調査した『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)という書籍を上梓していたためだ。 ただ、誤解のないようにしておきたいのは、「元巨人ファン」は必ずしも「アンチ巨人」ではないということだ。私自身も元巨人ファンだが、巨人に対して「もう恋愛感情はないけど、幸せを祈っている」という「元彼感覚」のスタイルである。巨人を批判することに血道をあげる「アンチ」とは一線を画す。 その立場から見れば、今回の功労者流出劇は「仕方がなかったのでは」という感想しかない。内海と長野を熱烈に応援していた巨人ファンには気の毒ながら、「生え抜きを大事にする」と「強くなる」は必ずしもイコールではないからだ。2011年10月、横浜戦のお立ち台で笑顔を見せる巨人・長野久義(左)と内海哲也=東京ドーム(吉澤良太撮影) そもそも、巨人が丸や炭谷を補強したのは「結果が出ていないから」という、実にシンプルな理由があったからだ。球団ワーストタイの4年連続で優勝を逃すという危機的状況があり、昨年10月のドラフト会議では根尾昂(大阪桐蔭高、中日ドラフト1位)や辰己涼介(立命館大、楽天1位)といったスター候補のクジを外した。 昨シーズンに大ブレークした若き主砲の岡本和真や、上積みの期待できる正二塁手候補、吉川尚輝といった楽しみな選手はいるものの、他に来季から看板選手になりうる有望な若手は乏しい。となれば、補強は新外国人かFAしかない。話題にすらならない王者 内海も長野も、2018年は奮起してまずまずの成績を残したとはいえ、動きから衰えは隠せない。それでも、西武と広島から請われて移籍するのだから、球界の人材活用という意味では喜ばしいこととも言える。 その一方で、この騒動を通して実感したのは、「やはり巨人は『12球団の一つ』になってしまった」ということだ。 巨人戦が全試合、地上波テレビで生中継され、翌日の学校や職場で話題に上る時代は、もはや過去のこと。教養感覚で巨人の結果を気にしていた層は、今や野球そのものから関心を失っている。 野球ファンにとって衝撃のニュースであっても、長野を「ちょうの」と読めない国民がいても珍しくない現代では、日々目まぐるしくタイムラインを流れていくトピックの一つにすぎない。 実際、アマチュア野球を取材していても、「巨人以外の球団には入りません」という選手は見当たらなくなった。かつては定岡正二(1975~85年在籍)のように、巨人からトレードされることを拒否して、現役引退するほどの選手もいたが、内海も長野も移籍を受け入れたように、現代ではそんな例は起こらないだろう。 また、これは邪推でしかないが、かつての巨人であれば球団オーナーあたりが「人的補償のプロテクト枠が28人では少なすぎる」と訴えて、制度改正を促してもおかしくないようにも思える。そんな点からも、元巨人ファンとしては隔世の感を抱くのだった。 むしろ違和感があるとすれば、原辰徳監督就任後の急速なフロント人事の変化である。もちろん、新監督がやりやすいようにサポートするため、チームをより強くするための判断だろうとは思う。2018年12月、西武に移籍し、記者会見でポーズを取る内海哲也投手 とはいえ、ドラフト会議2週間前に編成トップのゼネラルマネジャーとスカウト部長を交代させたことは、理解に苦しんだ。球団主導の人事というより、新監督の意向に沿いすぎている感は否めない。 ただ、昨年10月のドラフト会議で、1位の高橋優貴(八戸学院大)を指名した後は、育成選手を含めて9人連続で高校生を指名している。1位の高橋にしても「即戦力」というより「素材型」だけに、「未来を担う若い原石を育てよう」という球団としてのメッセージを感じた。巨人が球団主導で夢のあるチームへと強化していくかどうか、今後もひっそりと見守っていきたい。 いずれにしても、元巨人ファンとしては、巷の話題にすらならない巨人を見るのは忍びない。巨人には2019年シーズン、そして未来の野球界、さらには野球に関心の薄い層の日常を揺り動かすようなエネルギッシュな戦いぶりを期待したい。■ 「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか■ 巨人澤村のはり治療ミスと重なる江川卓「禁断のツボ」事件■ 26億円補強は大失敗! いまの巨人に「常勝球団」の称号は荷が重い

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    「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 10日に行われた韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領の年頭会見に関する報道に接したとき、筆者は驚きを禁じ得なかった。いわゆる徴用工問題をめぐり、「日本は不満があってもどうしようもない」との理由で、日本に歴史を考慮し、慎重な姿勢を要求したからである。 文大統領の日本への言及はごく一部分であった。そこで、識者の中には、文政権は日本を中国や米国ほどには重視していない、今回の徴用工問題もそれほど重視していないので、日本の一部の人たちのように徴用工問題やレーダー照射問題に過剰に反応するのはおかしい、という論調を展開する人もいた。だが、果たしてそのような見方は妥当だろうか。 そもそも、徴用工問題は日韓という国家同士の国際的な取り決めである。韓国も日本と同様に三権分立だが、国際的な交渉においては、もちろん三権それぞれと外国が交渉する必要はない。司法の判断で、行政府の国際的な取り決めとは違う帰結をもたらしてしまえば、まずは韓国内で調整すべき話である。 だが、文政権にはそのような動きはほとんど見られない。日本を軽視しているとするならば、もちろんそれで日本が「過剰」反応を抑制する理由にはならない。むしろ、事態は逆で、文政権に対しては厳しくその国際的責任を追及するのが、いちいち国際法などを持ち出さなくても明らかな物事の理(ことわり)である。 しかも、文大統領の会見では、事実上「日本国民に『歴史』を反省して、この事態に甘んじろ」という、他国民をあたかも自分たちの「奴隷」のように扱う姿勢を鮮明にしていた。植民地としての歴史が韓国民のプライドとアイデンティティーを傷つけた過去の経緯は不幸な出来事だろう。だが他方で、「歴史」を根拠にして「反省」を迫られている現代の日本人の大多数は、植民地支配にもいかなる戦争にも、そして韓国が現在直面している半島の分断にもいささかも関係していない。 確かに、日韓の過去の不幸な歴史を知ることは必要だろう。だが、その「歴史」を基にして、現在の日韓に横たわる問題にも「反省」を求め、「自制せよ」というのは、単に「歴史」を利用して、他国民を自国の精神的従者にでもしたいだけではないか。 言い方を換えると、韓国は日本との揉め事が起きるたびに、「歴史」を政治利用しているだけなのである。その根底には、日本を韓国の都合のいい言い訳として利用しているのだろう。2019年1月、ソウルの韓国大統領府で年頭記者会見する文在寅大統領(共同) ただ、韓国の外交は、日本を本当に軽視しているからこのような不当なものになるかは、慎重に考察する必要がある。実際には、文政権の外交政策というのは、他国の責任を常に要求する「他国責任論」とでも言うべきものではないだろうか。 例えば、最近の報道によれば、韓国は中国との間でも紛争事案が発生している。韓国の首都圏では、微小粒子状物質「PM2・5」による大気汚染が今までになく悪化したという。日本のベストな戦術 韓国では中国からの排出であると指摘する声が強いのに対して、中国政府はそれを韓国発のものであると反論した。なぜなら、韓国と近接する中国の大都市など、PM2・5が飛来する可能性がある地域での大気汚染は改善しているからだ。中国政府は、それに対してソウルなど韓国側では悪化しているのは矛盾する、と指摘した。 それでも、韓国の趙明来(チョ・ミョンレ)環境相は中国の飛来の方が大きいと譲らない。日本とのレーダー照射問題と同様に、客観的事実を突きつけられても、強硬に「他国責任論」に固執するだけなのである。 文政権は「反原発政策」を採用していて、火力発電に大きく依存しているためにソウル近郊で二酸化窒素濃度が高まっている可能性も指摘されている。これがPM2・5の濃度を韓国側で高める遠因となっているかもしれない。とすれば、これは文政権の反原発政策が生み出した環境問題ということになる。 だが、もちろん「他国責任論」の前では、そのような事実を挙げても何の意味もない。他方で、中国国内のPM2・5が低くなる可能性は確かにある。トランプ政権との「米中貿易戦争」によって中国の国内景気が大きく減速している可能性が高まっている。そのため生産活動が鈍化しているからだ。 このような韓国の「他国責任論」そして、常に日本との外交的な約束を反故(ほご)にする傾向にはどう対処すればいいのか。韓国との政治的な断交や「無関心」を求める人たちもいる。それも一つの意見だろう。だが、ここでは日本と韓国が今後も長期的な外交交渉に携わることを、取りあえず前提にしよう。 現在の日韓関係はゲーム理論でいう「繰り返しゲーム」という状況だ。徴用工や慰安婦、レーダー照射問題のように、国家間の取り決めがあって、初めは両者とも「協力」している。だが、やがて韓国が一方的に「裏切る」。2019年1月、大気汚染で白っぽくかすんだソウル中心街を歩くマスク姿の人々(共同) この場合、日本側は「報復」や「異議申し立て」などを行うのがベストな戦術である。もし、文大統領が会見で日本国民に求めたように、日本が「歴史を顧みて自粛すること」を受け入れて、韓国の裏切り行為を容認してしまえば、日本と韓国双方が長期的に最適な関係構築に失敗してしまうだろう。 つまり、日本の「謝罪」は、日韓の外交ゲームを、日本だけでなく韓国にとっても有利に展開することができなくなるのである。具体的には、両国の協力よりも常に裏切りの蔓延(まんえん)する「非協力」が解になってしまうのだ。 日本の世論の一部やマスコミ、そして識者や政治家には、「植民地支配」をまるで自然法則か何かのように、日本人の背負うべき宿命として考える傾向にある。これは実に非倫理的なことだ。歴史から学ぶことは必要だが、他方で歴史によって常に特定の国民が罰せられ、他国の道理に合わない行いに甘んじる、こんなことは不正義以外のなにものでもない。■ 「武士の情は通用しない」韓国との情報戦はこう戦え!■ 米中貿易戦争の渦中で激化する韓国「謝罪ゲーム」のツケ■ 漂流する日韓関係 「ニッポン軽視」文在寅が抱えた政治リスク

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    『ザ・コーヴ』の町に住む僕が見た「残虐な漁師」の素顔

    ジェイ・アラバスター(米国人ジャーナリスト) 「いいか、身の危険を感じたらすぐに戻るんだぞ、危険な場所なんだからな」 それはAP通信の記者として東京で働いていた2010年のことだった。社内で日本の本州南端にある小さな町を取材する記者を募った際、僕はいつものように、事務所から抜け出て、会社の経費でちょっとした旅行ができると喜んで手を挙げたのだ。 出発前に上司に呼ばれた際、二人きりの部屋で、まるで僕を戦地に送り出すかのように言ったのが冒頭の上司の言葉だった。奇妙な気分だった。僕は東京で働き始めてからもうすぐ10年になろうとしており、それまでに身の危険を感じたことなど一度もなかったからだ。日本は何と言っても世界でも指折り数える治安の良い国である。母国のアメリカとは比べものにならないほど安全だ。 かつて僕は憤慨する右翼団体の取材をしたことも何度かあったし、太地の取材から1年後には東日本大震災で津波被害を受けた地域や、東京電力福島第一原発事故の取材も経験している。けれども過去に誰一人、僕を傷つけようとした日本人などいなかった。もし日本で僕が死ぬとしたら他人に傷つけられるよりも、むしろ自分で命を落とす方が確率的には高い、と言っても過言ではないだろう。 僕が派遣されたのは、和歌山県太地町だった。当時、アカデミー賞候補だったドキュメンタリー映画『ザ・コーヴ(The Cove)』の舞台となった町である。このときの取材は、この映画が賞を取った時に備え、太地町の生の声を拾って記事にするのが目的だった。 数日間の予定で現地に滞在することを決め、東京から約8時間離れたその町へ向かう電車の中で、例のドキュメンタリーを観た。すぐに、上司がなぜ心配したのかを理解した。不気味なBGMとともに流れる冒頭の映像は、日本の小さな漁村の魚市場を映していた。むろん、すべて奇妙で怪しげなものとして描写されながら…。 冒頭のシーンには、車のハンドルに身を被せるようにして、マスクと一風変わった帽子を深く被って顔を隠しながら運転するアメリカ人男性の姿があった。 「大袈裟じゃない。あの漁師たちに見つかれば捕まって、私は殺されかねない」とその男性は真顔で言った。ジェイ・アラバスター氏(提供写真) 映画の中で、太地の漁師は「残虐な存在」として描かれていた。隠れてイルカを獲り、入り江(英語ではコーヴ)へと追い込み、そこで無残にもイルカを屠殺し、海は血で真っ赤に染まる。それだけではない。町を訪れる外国人も危険に晒されると強調されていた。漁の様子を撮影しようとする映画関係者や活動家たちはどこへ行っても尾行されるので、ホテルの部屋に身を潜め、カーテン越しにそっと外をうかがい、海岸に人がいなくなったら車に走り乗るという始末である。 太地に着いた時、僕はその美しさにしばらく言葉を失った。なぜ自分がそこにいるのかさえも忘れたほどだった。深い緑の森に覆われた山々に囲まれ、江戸時代に古式捕鯨が始まった町はその日、鮮やかなピンクの花で満開の山桜が競うように咲き誇っていた。人々の住居は、海と山の間の細長い居住区に肩を並べるように密接して並んでおり、一世紀前に職人の手で建てられた木造の家の間を縫うようにして迷路のような小道が続く。そして海の美しさと言ったら、誰もが心を奪われるほどである。二つの湾の間を町が取り囲み、海ははっとするほどに透明で、海岸に立てばアワビや昆布に覆われる岩を突つきながら泳ぐフグの様子まで見えた。「つれない美女」に心奪われる でも僕がここにいる理由は取材である。『ザ・コーヴ』は後に見事アカデミー賞を取り、結局僕は町の人たちの声を拾って記事を書くことになった。けれども、一番の問題は誰も僕と話したがらない、ということだった。他の小さな町なら、AP通信記者としてのIDカードと名刺を見せれば、大抵の場合、町長との面会や無料ビールの振る舞い、ホテルのアップグレードなどを意味した。だが、太地では様子が全く違った。 町役場でも漁協組合でも、あるいは鯨カツを初めて食べた地元のレストランでも、取材を断られた。犬を散歩していた若い女性は、自己紹介をしようと近づいた僕を見るなり、文字通り走って逃げた。そしてようやく、イルカと一緒に泳ぐプログラムを提供する人気の複合施設「ドルフィンリゾート」のマネージャーが話すことに同意してくれた。「イルカ以外のことならば」という条件で。 原稿の締め切りを間近に控えた僕に、その後も数人の町民がインタビューに応じてくれたが、充実した取材とは程遠かった。なんとか記事を書き上げ、そのやっつけ仕事は翌日には世界中に打電された。ようやく、僕は東京への帰路に着いた。日本のイルカ漁の町、『ザ・コーヴ』を受け流す2010年3月8日配信AP通信記者 ジェイ・アラバスター 日本の太地町—凄惨なイルカ漁の描写で『ザ・コーヴ』がアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞し、ロサンゼルスの映画祭に集った聴衆が喝采を浴びせた。一方、地球の反対側では、映画に映し出された日本の小さな漁村の町民は注目を嫌い、何世紀も続く伝統をやめる気はないと明言した。 東京に戻り、いつものルーチン仕事に戻っても、外国人記者を頑として寄せ付けなかった小さな町の、あの美しい海が頭から離れなかった。まるで容易には男を寄せ付けない「つれない美女」に心を奪われたかのように、僕は太地のことが忘れられなかった。 それから二度目、三度目と太地に戻り取材をした。その都度、会って話をできる人が増えていき、やがてニュースの見出しから「太地町」の名が消え始めても、僕は町を訪れ続けた。最終的に上司は僕の太地町取材企画をボツにするようになり、僕は自分の休暇を使って自腹で町に行くようになった。最初の取材から2年半後のある日、僕はついに諦めて仕事を辞め、ボロの中古車に愛猫を乗せて再び太地へと向かった。築100年の元鯨捕漁師の家に住んだり、町の住人となって気づけばもう3年半が経った。今、太地とメディアの関係について博士号を取るべく研究をしている。太地町の恵比寿神社「鯨骨鳥居」の前で踊る獅子舞(提供写真) 町で暮らすようになって、太地でのイルカ漁はまったく隠れて行われるようなものではないことを知った。知り合いの漁師がいれば、まだ温かい獲れたての肉を分けてくれる。生で食べる新鮮なイルカ肉は極上のテンダーロインのように舌の上で溶けてなくなる。他にも、古い木造の家の扉に鍵をかけずに出かければ、近所のお年寄りがふらりと家に来て、掃除をし、冷蔵庫には新鮮な魚を置いて行ってくれることも。町民の多くは、かつて成人への儀礼として暴れる鯨の背に乗り、小刀で鯨の「鼻切り」をした勇猛な鯨捕りの直系の子孫である。太地は強靭な身体能力を誇った真珠取りの男たちの故郷でもあり、その昔、南氷洋捕鯨に携わった町民も多い。町にはおそらくアジア最多であろう、剥製のペンギンコレクションがある。 毎年秋の祭りの時期になれば、町の男衆と一緒に獅子舞を踊り、飲み明かす。太地町に「残虐な漁師たち」を探しに行った僕はその数年後、海の無事を祈る神社で、海上に輝く黄色い月あかりの下、彼らと獅子舞を踊っていた。 日本政府が国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退する方針を決めた。国際社会から非難の声が上がる中で、太地町のイルカ漁はまた、世界的な注目を浴びるかもしれない。 これから僕が自分の目で見て体験している、太地の町の一年をiRONNAで紹介していきたいと思っている。(日本語訳、垣沼希依子)■ デンマークの反シー・シェパード風刺画集に滲み出る「真実の姿」■ 訪日シー・シェパード活動家の正体 どんな嫌がらせをしているのか■ 存亡の危機に立たされたシー・シェパード

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    安土城の謎をオカルトで解く

    1575年、長篠に続き越前の一向一揆も天運を味方につけて殲滅した信長。織田家における信長の神格化が一層進む中、次なるプロジェクトは岐阜に替わる本拠地、安土城と京屋敷の同時普請だった。空前絶後の幻の城の建造にも、やはり信長のオカルト信仰とは無縁ではなかったようである。

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    またも龍パワー? 安土城と京屋敷、信長が同時普請にこだわったワケ

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 天正3(1575)年8月12日、織田信長は岐阜城を発して越前国に向かった。朝倉義景滅亡後、いったんは織田家の支配下にあった越前は一向一揆によって奪われており、それを再び自分の手に取り戻すための作戦が発動されたのだ。 15日、大良越(だいらごえ、現在の福井県南条郡河野あたり。敦賀湾に近く、海沿いで越前北部に通じる口)から越前府中(現在の福井県越前市のうち)へ柴田勝家以下、羽柴秀吉・明智光秀ら先鋒(せんぽう)3万人が殺到した。 「以外(もってのほか)風雨候」と『信長公記』は記しており、信長が大風雨を冒して進撃命令を下したことが分かる。風が吹き付けようが、バケツをひっくり返したような雨が降ろうが、お構いなし。いかにも信長らしい激烈ぶりではないか。 いや、激烈というのは少し違うかもしれない。陸路を征(い)く柴田勝家たちはまだマシだった。同じ日、信長は水軍にも出動を命じていたのである。「海上を働く人数、(中略)数百艘(そう)催し」(同書) 数百艘の軍船が、越前府中の沿岸に兵をあげて、焼き討ちを行った。 陸の兵たちはまだしも、水軍にとって大風雨は命の危険さえあるハイリスクな天候条件だ。その中でも出動を命じた信長は、かつて村木砦の戦いで自ら「以外(もってのほか)大風」と記された強風をついて伊勢湾を強行渡海したように、部下たちにも命がけの働きを要求したのだ。 村木砦の戦いでの信長の兵数は1000人程度と考えられるが、今回は数百艘の軍船でおそらく1万人程度。10倍の兵数である。それだけに事故が起こる確率も高い。長篠の戦いで天候を味方につけた信長は、気象は常に自分の味方であり、大風雨も自分の軍に仇を成すことはない、と楽観視していたのだろうか。新清洲駅前に並ぶ織田信長像=愛知県名古屋市(中田真弥撮影) ここで気になるのが、大風雨の中で出動した織田水軍の兵たちが、越前府中の沿岸に上陸すると焼き討ちを行った、という事実である。「所々(ところどころ)に烟(けむり)を挙(あ)げられ候」(同書)とあるから、焼き討ちは行われただけではなく実際に成功し、各所で炎と煙が上がっている。ということは、この時点では大風雨、少なくとも雨はすでに止み、焼き討ちが可能な天候に変わっていたはずだ。 大風雨の中、水軍を無事目的地に到達させ、折よく雨もあがって焼き討ちも成果を上げる。こんな都合の良い話があるだろうか。だが、本当なのだから仕方がない。あるいは、ここでもまた「六芒星(ろくぼうせい)メンズ」が信長に「この大風雨は間もなく収まります」とアドバイスしたかもしれない。 気象データを読み尽くし、天候を操る大蛇・龍の妖しいパワーにますますのめり込んでいく信長の姿が浮かび上がってくるようだ。秀吉がパクった決めセリフ 翌16日、敦賀に本陣を置き先鋒の働きを見守っていた信長も、府中に進む。各地の一揆の拠点となっていた城はしらみつぶしに攻め落とされ、2000人以上が斬り殺され、生け捕りにされた3、4万人のうち1万2250人余りが処刑された。「数多首をきり、気を散じ候(多くの者の首を切り、心の憂さを晴らした)」「府中の町は、死がい計にて一円あき所なく候(府中の町は死骸で埋まり、全域すき間もない)」「山々谷々残る所なく捜し出し(山々谷々まで分け入って残らず一揆勢を捜し出し)」「くひ(中略)一向数を知らず候(切った首はまったく数え切れない)」「くれぐれ此国には敵一人もなく候(念には念を入れ、この越前国にはもはや敵は一人も残っていない」 信長自身が記した書状の行間には、長島に続いて越前と、長年悩まされ、黄金のドクロに討滅を誓った一向一揆を壊滅させた満足感、さらに一人も逃さず殲滅(せんめつ)するという意気込みがあふれている。 スーパーナチュラル(神懸かり的な)信長のパワーに影響されたか、加賀国まで進んだ羽柴秀吉も一揆勢が出撃してくると「天ノ与フル所」と叫んで迎え撃ち、大勝利を収めている。長篠の戦いでも使われた信長の決めセリフを拝借してあやかろうというわけだ。ここに来て、織田家は完全に「信長教」の集団となっていた。 9月に入り、越前国内の8郡49万石を柴田勝家に、府中10万石を前田利家・佐々成政・不破光治の三人衆に、それぞれ与える。 勝家に下した「掟 条々」にいわく。「とにもかくにも自分を崇敬して、影後ろでも反抗心など持つな。自分の方へは足も向けぬ気持ちが大切だ」 常に自分を尊敬して崇め奉り、信長の目の届かないところに居ても忠誠心を保って寝るときも足を向けないようにせよ。日本の神々というよりも、キリスト教の唯一絶対神のような信仰を自分に向けるように家臣に訓示する信長。彼は次の大蛇・龍パワーのプロジェクトを胸に岐阜へと凱旋(がいせん)していったのだった。 そして明くる天正4(1576)年、新年の行事も一段落した1月中旬にそのプロジェクトは動き始める。近江国(現在の滋賀県)の蒲生郡安土山に、信長の新しい本拠地とするべく安土城の建造工事が開始されたのだ。重臣の丹羽長秀が普請(ふしん)奉行を命じられ、工事は織田家の全力を投入して進み、2月23日には早くも山麓の家臣団屋敷群が完成。信長も岐阜城から仮御殿に移転した。城郭資料館に20分の1のスケールで再現された安土城=2010年1月、滋賀県(北村博子撮影) 4月1日には本丸石垣の普請も開始されている。そして、おそらく同じ月、京においては二条屋敷の築造も始められている。この二条屋敷は、後に正親町天皇の第一皇子である誠仁(さねひと)親王に献上され、「二条新御所」と呼ばれるのだが、実はこれ以前、信長は京に屋敷を持っていた。 「え? 信長って京に本拠地がなくて本能寺や妙覚寺に泊まっていたのでは?」と思われる向きもあるかもしれないが、正確には、この京屋敷は完成していない。まだ建設途中だった元亀4(1573)年3月7日、将軍・足利義昭によって取り壊されてしまった。信長を狙った呪詛 その場所は、上京武者小路。現在の上京区武者小路町あたりで、前年に義昭が公家の権大納言・徳大寺公維(とくだいじきんふさ)の屋敷地だったものを収公し、信長に与えたものだった。 信長はこの土地に築地(瓦屋根付きの土塀)をめぐらし、門までは造ったのだが、そこで義昭と決裂したために破棄され、ついに日の目を見ることはなかった。 この武者小路屋敷について考えてみたい。 場所は前述の通り、現在の烏丸今出川の交差点のすぐ南西。御所からは戌亥=北西方向きだ。この方位は「天門(てんもん)」と呼ばれ、鬼門同様に怨霊や魔物が出入りする方角と考えられている。信長との関係が悪化していた義昭は、親切ごかしにこの土地を与えて災いが信長に降りかかるよう仕組んだのだろう。 この呪詛(じゅそ)のおかげか、この元亀3(1572)年12月には甲斐の武田信玄が遠江国(現在の静岡県西部)へ兵を動かし、徳川家康と信長からの援軍(佐久間信盛ほか)との連合軍を三方原で完膚なきまでにたたき潰している。だが、その後の事態は義昭が思うようには進まない。越前国(現在の福井県北部)の朝倉義景は近江から兵を退(ひ)き、信玄は発病によって進撃を停止してしまったのだ。 こうなると、義昭にとって武者小路屋敷の地を信長に与えたことはもろ刃の剣と化す。戌亥=天門は災いを招く方角であると同時に、それを乗り越える、つまり鎮めることができれば末代まで家運が隆盛する上々大吉に転じる方角でもあるのだ。「いかん、このままでは信長の運気がますます上昇してしまうではないか」 慌てた義昭がとった対応が、翌年3月7日の工事現場の破壊だった。 しかし、工事現場を取り壊してはみたものの、信玄は病死し、義昭は京を追われてしまう。そして、安土築城と並行し信長は改めて京に新屋敷を築き始めたのである。その場所がまた武者小路だったかというと、そうではない。信長は破棄された武者小路の屋敷地を放置し、今度は二条の関白・二条晴良の屋敷(現在の烏丸御池交差点南西)を接収して新たな屋敷地とした。 二条屋敷は「龍躍池」という名物の小池があり「小池の御所」と呼ばれたが、戦火に焼かれ晴良はその一隅にささやかな仮屋を建てて住んでいた。信長はその晴良に報恩寺(御所の東北、一条)を屋敷として提供し、明智光秀にその建築工事を奉行させ、二条を京における織田家の本拠地として整備したのだ。現二条城に復元された二条御所(信長二条新屋敷)の石垣=筆者提供 ここで地図を眺めてみると、面白いことに気付く。内裏から見て義昭の二条城の延長線上に信長の二条新屋敷の地があり、その隣には西福寺がある。西福寺は浄土宗の寺院で、この場合内裏の裏鬼門である未申(ひつじさる=坤)を鎮める位置取りだ。後の江戸城に対する、浄土宗の芝増上寺のような関係と考えればよいだろう。 義昭の二条城もその内側にあって御所の裏鬼門を固めていたのだが、その建造を進めたのは信長だった。その信長が、義昭追放後の内裏の裏鬼門に、二条新屋敷を築く。当然、それは「これからは義昭に代わって自分が天皇を守る」という宣言に他ならない。 ただ、彼の言う「守る」の意味が、奉仕者としてのものなのか、保護者としてのものなのか、という重大な問題が残る。それについては、姿を現しつつある安土城によって答えを見いだすことができるだろう。■ 天皇家への挑戦状、井沢元彦が読み解く天才信長の「自己神格化計画」■ 寺社ファシズムと戦った信長、日本経済に必要な「自由化」の荒療治■ 「優れた経済人」織田信長だったらデフレ脱却にどう挑むか

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    森保ジャパン新エース、中島翔哉に代わる「サッカー小僧」を探せ

    清水英斗(サッカーライター) サッカーアジアカップ・グループリーグのトルクメニスタンとの初戦で、日本代表は3-2で辛うじて勝利を収めたが、足場の脆(もろ)さが浮き彫りとなった。確かに、2000年にレバノンで行われた大会を除けば、日本が圧倒的な実力を見せつけて、アジア杯を制したことは記憶にない。04年も、11年も、薄氷を踏むような戦いの末にたどり着いた僅差の優勝だった。 それでも、タイトルという結果は記憶以上に濃いものだ。昨今は「アジアは優勝して当たり前」という空気が日本サッカーに広がっている。それが「強豪国のプライド=勝者のメンタリティ」であればよいが、「根拠のない自信=油断」になると、どうなるか。 残念ながら、初戦を見る限りは、後者だったと言わざるを得ない。予想外の苦戦は、たるんだわれわれ日本人の頬を引っ叩(ぱた)くものになった。ただ、この苦味を初戦で味わい、どうにか結果を得たことは、今後を考えれば理想的だった。 それにしても、なぜこれほどの苦戦を強いられたのか。 理由の一つは、トルクメニスタンが組織的なチームであり、ゾーンディフェンスとカウンターの戦術を細かく整備してきたことにある。後述するが、その内容は日本に対する研究の跡が見られ、実際に大きな効果を発揮していた。 理由の二つ目は、日本が準備不足だったことだ。守田英正(川崎)の負傷と、遠藤航(シントトロイデン)の発熱により、起用できる守備的MFがゼロになってしまった。そこで追加招集したのは、サイドバックの塩谷司(アルアイン)。ボランチも多少は経験したが、本職ではない。 予備メンバーを用意しなかった日本は、長期オフに入って実戦から遠ざかっているJリーグ組から呼ぶことも不可能だ。もし、予備メンバーを用意していれば、山口蛍(神戸)や今野泰幸(G大阪)などMF候補はいたはずだ。2019年1月9日、前半でトルクメニスタンに先制点を許し、渋い表情の日本代表の森保監督(右端)=アブダビ(共同) その結果、センターバックのDF冨安健洋(シントトロイデン)を、かつてのボランチ経験を買ってコンバートすることになった。ところが、MF柴崎岳(ヘタフェ)との急造コンビは、どうにも機能しない。冨安はサイドへ行き過ぎるし、柴崎もスペースを守る意識が低い。このコンビではセンターバック前の「バイタルエリア」と呼ばれるスペースを管理できず、カウンターを食らい放題だった。 日本の1失点目も2失点目もカウンターを仕掛けられ、中央を割られて失点につながっている。ボランチの準備不足が重くのしかかった。消えた「新エース」 そして、苦戦を強いられた三つ目の理由には、日本代表の新エースを右ふくらはぎのけがで欠いた影響を挙げておく。昨夏、森保一監督の就任以来「10番」を背負い続けてきた中島翔哉(ポルティモネンセ)である。 トルクメニスタンは、中央に絞ってボールを奪い、攻撃的な両サイドハーフがすばやく出ていくカウンター戦術を採った。この戦術の有効性と、日本が中島を欠いたことは密接に結びつく。 中島のプレースタイルはドリブルだ。左サイドに開いてボールを受け、1対1で仕掛けることを好む。相手が誰だろうと、味方が誰だろうと、同じプレーをする。中島はそういう分かりやすいタイプ。チームに1人いれば心強い、でも2人は要らない、そんな「ボール小僧」である。 もし、日本の左サイドに中島がいれば、中央突破に偏りすぎず、サイドを使ったシンプルな仕掛けができたはずだ。必然、トルクメニスタンの守備が中央に絞ることは難しくなる。 また、再三のカウンターで起点になった8番、MFルスラン・ミンガゾフも、中島の仕掛けに対して2対1で守備のヘルプに回らざるを得ない。高い位置でカウンターに絡むことはできなかっただろう。 実際、後半になって、MF原口元気(ハノーバー)が左サイドの大外にポジションを修正し、中島のごとくドリブルの仕掛けを増やすと、一気にゲームは好転。これが打開の糸口になった。 見事な修正だったが、そもそも中島がスタメンなら、この問題は起こらない。いや、中島がスタメンなら、トルクメニスタンも普段使っている4-4-2を捨て、日本対策の5-4-1を用いること自体なかったかもしれない。この対策はウイングドリブラーの中島がいない状況で、より効果を発揮するものだからだ。2018年11月、ベネズエラ戦に先発出場した日本代表MF中島翔哉。アジア杯は直前のけがで欠場した=大分銀行ドーム(蔵賢斗撮影) この辺り、サッカーの戦術はじゃんけんのようなものだ。中島を欠いた日本はグーを出せなくなった。何を出すか迷っているうちに、トルクメニスタンは、どうせグーはないだろうと安心してチョキを出してきた。これでは分が悪い。そこで後半、日本は原口をグーと明確に切り替えることで、この試合を乗り切ったわけだ。 ただし、中島が出場していれば、最初からトルクメニスタンが違う戦術を用いた可能性はある。そうなれば結局、日本は別の状況で苦戦を強いられたかもしれない。そこは分からない。「中島がいれば全て解決」などと言い切れるほど、サッカーは単純ではない。 それでも、一つ言えるのは、中島のような個性がハッキリした選手がいると、チームとして何を出すのか整理しやすいということだ。クラブにない日本代表の難しさ 選手への日ごろの取材で、時折「クラブチームと代表の違い」を聞くことがある。そこで誰もが口をそろえて答えるのは、「代表は普段一緒にプレーしていない選手とチームを作るのが難しい」ということである。 クラブで毎日一緒に練習していれば、細かい動き方は感覚レベルで共有できる。何か修正を伝える必要があったとしても、「おい!」で十分かもしれない。 しかし、代表チームになると、話は別だ。みんなが違う常識、違うセオリーの中でプレーし、身体がそれに慣れている。細かい部分の連係まで、しっかりと言葉にして、すり合わせなければ、思わぬズレを生むことになる。それが代表チームの難しさだ。 だからこそ、中島タイプの価値は大きい。このボール小僧は、クラブだろうが代表だろうが、いつも同じプレーをする。受けたいところで受け、仕掛けるだけの繰り返しである。左サイドに開いてボールを欲しがっているので、預ければ何かをしてくれる。代表という難しい環境であっても、中島だけはわかりやすい。それは、彼が唯一無二の武器を持っているからだ。 例えば、日本の攻撃が中央に偏ってしまったとする。相手の守備もそこを狙っている。もっとサイドから仕掛けたい…。その瞬間、11人の頭に同じ絵が降ってくる。 「ショーヤ!」 攻撃が真ん中で詰まれば、あのボール小僧に預けて、サイドから仕掛けさせればいい。たとえ代表であっても、同じイメージを共有できる。分かりやすい中島のプレーは、味方にとっても分かりやすいからだ。2019年1月9日、アジア杯・トルクメニスタン戦の前半、攻め込むMF原口元気(蔵賢斗撮影) トルクメニスタン戦は、「10番」という芯を失ったチームが迷走した。それは必然でもある。これまで唯一無二のドリブラーに呼応し、周りがバランスを整えてきたのだから。それがいきなり不在となれば、このチームがじゃんけんで何を出せるのか、手探りになるのはやむを得ない。 一方、同じドリブラーでも、原口は中島とは異なり、これまでどんな状況でも、どんなポジションでも、チームのリクエストに献身的に応えてきたタイプである。その原口が後半のように、再びボール小僧の姿に戻るのか。あるいは長友佑都(ガラタサライ)らとの絡みで、柔軟に連係的に、中島には出せないじゃんけんを出していくのか。そこは今後の見どころになるだろう。 乞うご期待である。アジア杯は始まったばかりだ。■ 乾と柴崎「ボールがない時間」で示した世界レベル■ 西野朗は日本サッカーの何を変えたのか■ 最先端のサッカーから遠ざかる本田圭佑の「柔軟力」

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    武田信玄も容赦なし、戦国「乱取り」列伝

    川中島の戦いと言えば、かの武田信玄と上杉謙信の両雄が激突した、あまりに有名な合戦である。ところが、史料を深読みすると戦の目的が実は略奪だった、という意外な事実も浮かび上がる。むろん当時は略奪以外に生き残る術はなかったのである。戦国時代の常識「乱取り」の真実に迫る。

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    川中島の戦いは略奪が目的だった? 信玄も黙認した「乱取り」の真実

    渡邊大門(歴史学者) 前回の倭寇による人の略奪を踏まえて、日本国内に目を向けてみよう。戦国時代は、人身売買も含めて、人の略奪が盛んに行われた時代だった。それは、まさしく「生きるため」だったといっても過言ではない。それは、天候不順による食糧不足とも連動していたと言える。 現代は便利な時代であり、暑いと言えば冷房をつければよいし、寒いと言えば暖房をつければよい。食料もビニールハウスどころか、今や工場で作るありさまである。最近の自然災害はひどい状況だが、鉄筋コンクリートの建物は、昔の木造建築に比べると非常に頑強である。むろん戦国時代の家は、粗末な木造だった。 また、今は道を歩いていれば、スーパーやコンビニがあるので、お金さえあれば食料を手に入れることができる。病気になっても、病院に駆け込めば何とかなることも多い。すべてが便利であるし、さまざまな点で不便な戦国時代とは比較にならない。 戦国時代に目を転じると、主力となる農業や漁業は自然が相手の仕事であり、ひとたび自然災害に見舞われると、農業用の機械があるわけでもないので、農地の復旧には多大な時間を要した。おまけに天候不順に陥ると、たちまち作物の収穫量はガタ落ちし、人々は飢えに苦しむありさまである。 保存食があるとはいえ、今のように冷凍食品があったわけではない。ひどい状況が続けば、やがて人々の体力を奪い、病気になることもあった。病気になると特効薬があったわけでもないので、疫病の蔓延(まんえん)は深刻な事態を招いた。 寛喜2(1230)年から翌年まで人々を苦しめた寛喜の大飢饉(ききん)では、食糧難が深刻になったので、子供を売ってでも生活の費用を捻出する必要が生じた。とにかく、戦国時代の人々は生きるために必死だったのである。 村で生活する人々はときに戦争に参加し、戦場で相手から略奪した金目のものや食料などを自分のものにした。戦場で人を捕らえた場合も、自分のものになり、捕らえた人を売ることもあった。つまり、戦争に行くこと自体が、自らの生死をかけた戦いであり、略奪が生きるために必要だったのである。 こうした戦場における人の略奪は、必然的に人身売買の温床となった。以下、戦場における人の略奪を中心にして、さまざまな事例を取り上げることにしたい。最初は、武田氏の事例である。JR甲府駅前の武田信玄像 甲斐国の武田氏や小山田氏をはじめ、当時の生活や世相を記録した史料として、『妙法寺記』(『勝山記』とも)という史料がある。そこには、数多くの人の略奪の記録が残されている。 天文5(1536)年、相模国青根郷(相模原区緑区青根)に武田氏の軍勢が攻め込み、「足弱」を100人ばかり獲っていったという。この前年、武田信虎は今川氏輝、北条氏綱の連合軍と甲斐・駿河の国境付近で戦い(万沢口合戦)、敗北を喫していた。武田氏は両者に対して、大きな恨みを抱いていたといえる。 史料中の「足弱」とは、「足が弱い人」「歩行能力が弱い人」という意味がある。転じて、女性、老人、子供を意味するようになった(足軽を意味することもある)。つまり、武田氏の軍勢は戦争のどさくさに紛れ、戦利品として「足弱」を強奪して国へ戻ったということになろう。時代を問わず、女性、老人、子供は常に「弱者」であった。川中島でもあった「乱取り」 そして、天文15(1546)年には甲斐国で飢饉があり、餓死する者が続出したという。そうした状況下、武田氏の軍勢は男女を生け捕りにして、ことごとく甲斐国へと連れ去った。生け捕られた人々は、親類が買い取りに応じることがあれば、2貫、3貫、5貫、10貫で買い戻されていった。 現在の貨幣価値に換算すると、一貫=約10万円になる。生け捕られた人々は約20万~100万円で買い戻された。身分あるいは性別や年齢で値段が決まったのであろうか。 『妙法寺記』を一覧すると、武田氏の軍勢が行くところでは、多くの敵方の首が取られたことが記述されており、同時に多くの「足弱」が生け捕りにされたことも記されている。「足弱」は売買されるとともに、農業などの貴重な労働力になったのであろう。 このように、戦場で人あるいは物資を強奪することを「乱取り」という。戦場で分捕ったものは当然、自分のものなった。ある意味で戦争に参加するのは、乱取りが目的とも思えるほどである。その姿は、『甲陽軍鑑』にも生き生きと描かれている。 『甲陽軍鑑』とは、江戸時代初期に集成された軍書であり、武田氏を研究する上で重要な史料の一つである。武田信玄・勝頼父子の治績、合戦、戦術、刑法などが記述され、20巻59品から構成されている。その成立過程は、武田氏の家臣、高坂昌信の遺記をベースにして、春日惣二郎、小幡下野らが書き継ぎ、最終的に小幡景憲が集大成したとされている。 『甲陽軍鑑』は、まさしく乱取りの事例の宝庫であるといえる。以下、いくつかの例を挙げることにしよう。 武田信玄の戦いで最もよく知られているのは、越後の上杉謙信と死闘を演じた川中島(長野市)の戦いであろう。天文22(1553)年、初めて2人が刃を交えて以来、計5回にわたって雌雄を決している(4回説もあり)。ここでは2人の名勝負ではなく「乱取り」だけを見ることにする。 川中島の戦いに際して、甲斐国から信濃国へ侵攻した武田軍は、そのままの勢いで越後国関山(新潟県妙高市)に火を放つと、人々は散り散りに逃げ出した。そして、謙信の居城である春日山城(新潟県上越市)へ迫ったのである。武田軍は越後に入ると、次々と人々を乱取りし、自分の奴隷として召抱えたという。その大半は、女や子供であった。川中島の合戦の両雄、武田信玄と上杉謙信の銅像=長野市 『甲陽軍鑑』には、兵卒が男女や子供のほか、馬や刀・脇差(わきざし)を戦場で得ることによって、経済的に豊かになったと記されている。女性に限って言えば、家事労働に従事させたり、あるいは性的な対象として扱われたりしたのであろう。場合によっては、売却して金銭に替えることも可能であったと推測される。戦争に行くことはまさしく生活がかかっており、さらに運がよければ「うまみ」があったといえよう。 こうなると、戦争に行った者たちの関心は、極端に言えば戦いの勝敗よりも、乱取りでどれだけ略奪できたかに移っていたようである。『甲陽軍鑑』の一節には次のように記されている個所がある(現代語訳)。乱取りばかりに気持ちが動いて、敵の勝利にも気付かなかった。乱取りばかりにふけっており、人を討つという気持ちがまったくない。 乱取りに熱中する人々は、「後さき踏まえぬ意地汚き人々」と評価されるところとなった。要するに「何も考えていない意地汚い連中」ということになろう。こうなると、彼らが戦争に来たのか、乱取りに来たのか目的すら判然としなくなる。忠誠より略奪 たとえば、武田軍が信濃国に侵攻した際、大門峠(長野県茅野市)を越えた付近で、兵たちに7日間の休暇が与えられた。しかし、兵たちは休むことなく、鬨(とき)の声を上げて付近の民家を襲撃した。目的は略奪行為であり、田畠の作物すら奪い取った。わずか3日間で村々から略奪を終えると、まだ余力が残っていたのか、翌日からはさらに遠方の村々まで出張って行って、略奪を繰り返すありさまだったのである。 それだけではなく、戦争が終結し、敵の城を落しても乱取りだけは続けられた。それが、兵たちの「褒美」になった。永禄9(1566)年、小幡業盛の籠る上野国箕輪城(群馬県高崎市)が信玄により落されると、雑兵は箕輪城を本拠として、敵兵を次々と捕らえ、乱取りを行ったのである。彼らにとっては、戦いよりも乱取りが本番であったと言えるかもしれない。 現代では、国家からの強制的な動員、あるいはほとばしるような愛国心に突き動かされ、人々は戦争に行くのであろう。しかし、戦国時代の戦争は収入を得る手段の一つであり、言うなれば「出稼ぎ」のようなものだったのかもしれない。動員する戦国大名にとっても、彼らを従軍させる理由やモチベーションが必要である。それが乱取りであり、彼らの貴重な収入源となった。まさしく生きるための戦争だったのである。 こうして人や物資を略奪すると、雑兵たちの生活は豊かになった。『甲陽軍鑑』には、その姿が次のように描かれている(現代語訳)。分捕った刀・脇差・目貫・こうがい・はばきを外して(売って)、豊かになった。馬・女を奪い取り、これで豊かになったので、国々の民百姓までみんな富貴になり安泰になったので、国で騒ぎが起こることがなかった。 われわれの常識では、戦国大名が産業や農業振興に腐心し、それにより国が豊かになると考えていた節がある。むろん、それも事実として正しいのであるが、実際には他国へ侵攻して戦争を仕掛け、それにより国が富むという現実を認識すべきだろう。戦争に行く人々には、愛国心や忠誠心はほとんどなかったのかもしれない。 こうした乱取りという現象は、何も武田氏の専売特許ではない。次に、肥後国の大名・相良氏の事例を取り上げてみよう。相良氏は遠江国佐野郡相良荘の出身であるが、鎌倉時代に肥後国人吉荘に本拠を移し、以後大名化を遂げた。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 乱取りの様子は『八代日記』に描かれている(天文~永禄年間)。その記述によると、戦場においては、牛馬とともに人々も略奪の対象となった。ときに夜襲を仕掛けて、人を奪い去った様子がうかがえる。また、数千人が生け捕りにされており、その規模の大きさには、目を見張るものがある。 同じことは、伊達政宗が南奥羽で展開した戦いにおいても確認することができる。その状況を伝えているのが、『天正日記』である(天正16・17年)。 『天正日記』によると、戦場において数多くの人々が生け捕りにされ、敵兵の首や鼻を切り取ったという。敵兵を倒した場合、その証として首を切り取った。首の数によって、与えられる恩賞が決まったからである。 鼻が切り取られた理由は、首を腰まわりにぶら下げていると、重いうえに身動きが取りにくい。そこで、代わりに鼻を削(そ)ぎ落として、敵を討ち果たした証拠にしたのである。鼻から上唇まで切り取ると、髭(ひげ)によって男であると分かる。売り飛ばされた女たち 人が略奪された例は、薩摩・島津氏の関係者の日記でも確認できる(『北郷忠相日記』など)。『北郷時久日記』によると、人が3人誘拐されたと記されている。強引に連れ去るだけでなく、騙して連れ去ることもあったようである。 永禄9(1566)年2月、長尾景虎(上杉謙信)の攻撃によって、小田氏治の籠(こも)る常陸・小田城(茨城県つくば市)が落城した。落城の直後、城下はたちまち人身売買の市場になったという。その様子は、『別本和光院和漢合運』に次のように記されている。小田城が開城すると、景虎の意向によって、春の間、人が二十銭・三十銭で売買されることになった。 この一文を読む限り、人身売買は景虎の公認だったのかもしれない。20銭といえば、現在の貨幣価値に換算して、約2千円ということになる。おそらく、雑兵たちはかなりの数の女や子供を生け捕りにし、これを売ることにより、生活の糧にしていたと考えられる。まさしく戦争に出陣する「うまみ」であった。 数が多いので、薄利多売になったのであろうか。売られた者は、家事労働などに使役されるか、あるいはさらに転売されたことがあったかもしれない。 連れ去られた人々は、買い戻されることもあった。その際、金銭が必要なのは言うまでもないが、仲介役として商人や海賊が関与していたと指摘されている。むろん無料で引き受けるのではなく、仲介料を取っていた。つまり、戦場における人の連れ去りは、大げさに言えば、一種の商行為として彼ら商人の懐を潤わせていたのである。 人身売買の厳しい実態は、後になっても確認できる。 『信長公記』によると、天正3(1575)年に織田信長が越前国の一向一揆を討伐した際、殺された人間と生け捕りにされた人間の数が、3~4万人に及んだと伝えている。これには、兵はもちろんのこと民や百姓も含まれていた。殺された数も多かったようであるが、生け捕り分(民と百姓)は、戦利品として扱われたと推測される。 同様の事例は、大坂の陣でも確認できる。『義演准后日記』によると、大坂の陣で勝利を得た徳川軍の兵は、女や子供を次々と捕らえて、凱旋(がいせん)したことを伝えている。徳川方の蜂須賀軍は、約170人の男女を捕らえたと言われているが、そのうち女が68人、子供が64人とその多くを女や子供が占めている。弱者である女や子供が生け捕りにされるのは、共通した普遍性であった。大阪城(ゲッティイメージズ) 大坂の陣を描いた「大坂夏の陣屏風」には、逃げ惑う戦争難民の姿が活写されているが、とりわけ兵に捕まった女性たちの姿が目を引く。兵たちは戦争そっちのけで強奪に熱中しており、それがある意味で彼らの稼ぎとなっていたようなのである。そして、女性たちは売り飛ばされたと考えられる。 人身売買や人の略奪という地獄絵図は、戦国時代を経て織豊政権期に至っても続き、さらに最後の大戦争となった大坂の陣まで脈々と続けられたのである。主要参考文献渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)■「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎■「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか■「キリシタンへの見せしめ」秀吉が黒田官兵衛を疎んじた理由

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    国民をカモにする「ブラック官庁」財務省はXマス暴落よりもヤバい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 3連休明けの12月25日に届いたのは、サンタクロースのプレゼントではなく、世界経済からの強烈な一打だった。日経平均の終値は1万9155円74銭で、先週の終値から約1010円も下落した。まさに大暴落である。大幅な下落は既に10月中旬から続いており、2万2千円台から3千円近くも値下がりしている。 この手の暴落が起きると、リーマンショック級であるかどうかよく話題になるが、実はどうでもいい。現時点で十分に世界経済の変調を確認できる。世界経済の後退を見越して、原油価格も大幅に低下を続けている。為替レートはドル・円で見ると110円台をなんとかキープしているが、これも現状の株価暴落や経済の不安定性が目立っていけば、やがて一段の円高になるだろう。 この真因は、やはり米国の金融政策の失敗だ。今の連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル総裁は凡庸を通り越して、今や経済失速の「主犯」となろうとしている。 その理由は、FRBがインフレ目標2%にあまりに固執しているからだ。2%の目標をあまりに厳格に守るために、将来的な雇用の最大化や経済成長率の安定を犠牲にしている。 実際、FRBが現在公表している「予測」を見ると、今後失業率が上昇し、経済成長率が鈍化する一方で、現状よりも政策金利は引き上げられている。つまり、インフレ目標を厳格に守るために、雇用や成長を犠牲にするのだ。全く愚かな判断である。 そもそも、インフレ目標は伸縮的に運用するのがコツだ。自動車運転と同じで、ルールを守りながらも、裁量の余地を認めていくのがこの政策のコツだった。だが、パウエル議長のFRBは四半期ごと機械的に利上げすることや、米中貿易戦争での世界経済後退リスクを考慮することなく、単なる数値目標に固執しすぎてしまっている。2018年12月25日、値下がった日経平均を示す株価ボード(渡辺恭晃撮影) 経済政策の最終目的は、雇用の最大化(完全雇用の達成)と、経済成長率の安定だ。インフレ目標はこの最終目的を実現するための中間目標でしかない。それが、中間目標があたかも最終目的になってしまったかのようだ。 トランプ大統領との不協和音も問題だ。これは、政府と中央銀行がその政策目的を共有できてないことに原因がある。もちろん、優れた前任者だったイエレン氏を事実上更迭して、パウエル総裁を任命したのは、トランプ大統領自身である。 要するに、今回の株価大暴落と経済危機の高まりの背景には、トランプ大統領の金融政策に対する無理解と、現時点での政府とFRBの政策協調の失敗がある。これは両者の出方次第では、協調の失敗が長期化する可能性がある。財務省のブラック体質 私見では、今のインフレ目標の目標値は低すぎる。もしくは、同じ数値設定でも、より一層の賃金上昇などが見られるまで、インフレ率が目標値を上回っても現状の金融政策を進めると表明すべきだ。 FRBが今後もインフレ目標に厳格にこだわり、利上げを続けると予想されているため、日本銀行の金融緩和政策とのバランスから、今のところ為替レートはまだぎりぎり円安水準といえるものだ。これは、日本が長期停滞から完全に別れるために必要な円安水準という意味である。 ただし、世界経済の状況が悪化している現在、今の日銀の金融緩和姿勢で事足りる可能性は低い。つまり、この状況が続けば、過去のリーマンショックや2015年に起きた世界経済不況と同様に、円高局面が訪れる。そうなれば、日本企業の収益性を直撃するだろう。仮に、2015年の世界経済の後退と同水準のショックがこれから来年にかけて訪れるとすれば、最悪のタイミングと言わざるを得ない。 現時点で、財務省高官たちは「大したことがない」と様子見しているが、実に愚かな態度である。2014年4月の消費税8%引き上げの翌年に、世界経済の後退局面が訪れた。そして、消費低迷と成長率の鈍化、より一層の回復が見込めた雇用改善のストップなどが起きた。もし来年、このまま消費増税すれば、世界経済後退の中での引き上げになる。それは最悪のシナリオだ。 そんな財務省が、2018年の「ブラック企業大賞」で「市民投票賞」を受賞した。インターネット投票なので、個々のユーザーもさまざまな理由で1票を投じたのだろう。 だが、今年だけに絞っても、テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前事務次官のセクハラ行為に端を発したスキャンダル、そしてセクハラ疑惑を受けた福田前次官の辞任は記憶に新しい。さらに、佐川宣寿元理財局長(前国税庁長官)の国会答弁を忖度して、理財局全体をあげて行った公文書改竄(かいざん)は、国民に政府組織に対する深刻な不信感を与えた。 つまり、財務省の公的サービスが、国民に被害を与えたと認定していいだろう。財務省のブラック企業体質は本当に深刻である。さらに、過度な残業やまたパワハラ的な職場風土についても、さまざまに漏れ伝わるところでもある。トランプ米大統領(左)とパウエルFRB議長=2017年11月、ホワイトハウス(ロイター=共同) その一方で、最高学府からエリート層を常に吸収することで、自らの権威を保っている。要するに、エリート層が集まることが、今や財務省のただ一つ拠って立つ「権威」なのだ。醜いプライドだといっていいだろう。 率直にいえば、筆者には財務省が「日本の恥」だとしか思えない。恥は主観的な言葉なので、より客観的にいえば、財務省のお粗末なパフォーマンスを評価すれば、「省」ではなく「庁」程度がお似合いである。 お粗末なパフォーマンスの一例は、平成の経済史をさかのぼれば明白である。最近でも、嘉悦大の高橋洋一教授の新著『めった斬り平成経済史』(ビジネス社)や、経済評論家の上念司氏の『日本を亡ぼす岩盤規制』(飛鳥新社)を読めば、バブル崩壊から20年に及ぶ長期停滞の主犯が、財務省と日銀であることがよく分かるだろう。筆者もまた、時論を始めてから20年近くになるが、それはほとんど財務省と日銀による政策の失敗を明らかにし、その責任を糺(ただ)すことにあったといっていい。「政治家有罪、官僚無罪」 財務大臣に財務省のブラック企業体質の責任を全て求めることは、今までも長年、マスコミや世論の主導で行われてきた。つまり、「官僚の問題が明らかになれば、政治家が責任を取る」構図のことである。 だが、財務省のこのブラック企業体質は、大臣のクビを切れば済むかといえば、それで話は終わらない。むしろ、事実上論点をずらし、問題の本質を隠蔽(いんぺい)することにさえ通じている。要するに、今回の一連の問題を単純に「麻生大臣やめろ」などというだけではあまり賢明ではない。いや、率直にいえば、その種の意見は、財務省にとって好都合の「批判」でしかない。 官僚組織は個々の大臣の在任期間よりも長いし、また政党の「生命」よりも長い。政治家や大臣どころか、政権さえも財務省の使い捨ての駒でしかないのだ。 財務省が消費増税を悲願にしていることは周知の事実だろう。そんな中で、1997年に5%引き上げを実施した橋本龍太郎政権や、2012年に消費増税法を成立させた野田佳彦政権は事実上、財務省によって使い捨てされたとみていいだろう。その間、消費増税による経済停滞の本格化(橋本政権)、停滞の深化(野田政権)の責任は、全て政治家だけが取った。 一方、その当時の財務官僚はなんら責任を国民から問われることもなく、その後も高給の転職先や天下りを享受している。それでも、マスコミも世論の多くも、「政治家有罪、官僚無罪」という発想を捨て去ることができない。 この根源には、マスコミの「財務省依存」とでもいうべき体質がある。そして、ワイドショーやニュース番組などでしか情報を得られていない層が、財務省依存のニュースによって意見を形成してしまっている不幸な現象があるだろう。最近は、ネットなどで「真実」を知る人たちが増えてきたことで、「財務省はブラック企業である」という認識を生んだのかもしれない。実にいい傾向である。 だが、その認識にはまだまだ足りないところがある。財務省の最大のブラック企業体質は、経済政策の失政で、われわれ国民の生活をドン底に突き落とすところにある。2018年4月、事実上更迭され、記者の質問に答える財務省の福田淳一事務次官(当時) だが、世間には「消費税は社会保障目的で好ましい」という財務省やマスコミの意見を鵜呑みにしている人がかなりいる。申し訳ないが、その種の人たちは、財務省の「いいカモ」でしかないだろう。 政府が課税とそれによって得た財源を利用して、社会保障の名目で所得を再分配することは、もちろん現代国家の在り方として基本的に望ましい。しかし、方法を誤れば、所得の再分配によって、経済的な弱者がさらに損をしてしまうことがある。 例えば所得水準が低い人たちは、生活のために必要な支出だけでお金が底をついてしまう。これでは、将来のための貯蓄も難しい。この低所得の人たちの消費に重たい消費税率が課せられるわけだ。もはや「精神論」 他方で、高所得者たちは、その収入のほとんどを消費しない。消費の占める割合は、高所得者ほど低いだろう。では、高所得者たちは消費せずに、いったい何をしているかというと、せっせとお金を増やすための資産運用をしているのだ。 お金を使うことではなく、お金自体が一つの魅力となり、その無限の増殖を果たしていく。デフレになって、貨幣の魅力が増せば増すほどこの傾向は強くなる。これを「貨幣愛の非飽和性」という。 例えば、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が特別背任罪などで罪を問われている。その真相はまだ不明だ。だが、報道によれば、巨額の資産運用をしていたことは明白である。 ゴーン氏といえば、安くておいしい焼き鳥屋で食事するエピソードがあるように、日本での消費活動はそれほど派手に報道されていない。その一方で、リーマンショックの発生に伴う巨額の損失を、日産に付け替えようとするなど、その資産運用は強欲的である。ある意味で、高所得者の典型的な行動パターンだ。 消費税は、いわばゴーン的高所得者には有利に働き、カツカツで生きる人には地獄のような税制だ。現状では、米中貿易戦争や米国の金融政策の不安定性から、世界経済の失速が懸念される中で、消費増税を実施すれば、さらに経済的な困窮を深めてしまう可能性が大きい。 安倍晋三政権自体の責任もあるが、その背後で暗躍する財務省という国家の寄生虫を退治しない限り、この悲劇は繰り返し起こるだろう。最近では、消費税を全ての国民が社会保障のために担う政策だと説明しているが、一種の「精神論」(上念司)である。 ブラック企業の特徴は、社員をどうしようもない精神論で追い詰めるところにある。まさに、財務省のブラック企業体質がこの「精神論」に結晶されている。 財務省を解体するのも大いにありだが、個人的には財務省を財務庁に「格下げ」して、彼ら、彼女らのエリート意識を砕くことが手っ取り早いし、重要なことだと思う。格下げと同時に歳入庁をつくり、両方とも内閣府の直轄に置くのがいいだろう。2018年10月、消費税の10%引き上げを表明した臨時閣議に臨む安倍首相(中央)。左は茂木経済再生相、右は麻生財務相 そうして、財務官僚の歪(ゆが)んだエリート意識を糺すことが最優先だと思われる。ただし、最近は、財務省のセクハラ、パワハラ的なブラック企業体質が知れ渡ってきたのか、官庁志望ランキングでも苦戦しているとも伝え聞く。その先には、世論が財務省の解体を支持する環境になれば、さらにいい。 株価の大暴落から世界経済の減速の可能性が高まっている中で、消費増税の議論を続けるなど、どう考えてもおかしい。だが、この異常な財務省を軸とした「消費増税狂騒曲」を止めることができるかどうかに、安倍政権の命脈などよりもはるかに重要な、日本国民の生活と命がかかっていることは言うまでもない。■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」■ 馬淵澄夫手記 「日本を覆う『消費税神話』からの脱却を」■ メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

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    ジャニーズ「パニック障害」はなぜ起きた?

    ジャニーズの人気アイドルグループKing&Princeメンバーの岩橋玄樹と、SexyZoneの松島聡が、パニック障害を理由に相次いで活動を休止した。2人がほぼ同時期だっただけに、ファンや関係者らに衝撃が走り、さまざまな憶測も飛び交う。騒動の背景に何があったのか。(イラスト・不思議三十郎)

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    キンプリ岩橋とセクゾ松島、相次ぐ「パニック障害」の裏側

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント、作家) 『NHK紅白歌合戦』への初出場が決まったKing&Prince(愛称キンプリ)のメンバー、岩橋玄樹と、SexyZone(愛称セクゾ)の松島聡が、パニック障害を理由に相次いで活動休止を発表した。 岩橋は以前から患っていたとされ、松島については突発性であり、それぞれ発症の経緯が異なるようだが、いずれも若手グループの人気メンバーで、ほぼ時期が重なっただけに衝撃も大きかった。人気絶頂のジャニーズアイドルに何が起きているのだろうか。 急なケガなどで休養を取るのは致し方がないが、今回の件は、長いジャニーズの歴史の中で異例の事態であり、ファンや関係者も違和感を覚えたに違いない。ジャニーズ事務所も然り、社長のジャニー喜多川氏も戸惑いを隠せないようだ。 そもそも、ジャニー氏は「自分が知らないことを気にするタイプ」だ。つまり、自分が知らないところで知らないことが起こっているのを非常に嫌う。社長として組織のトップとして当然の心掛けだが、病気でもけがでもまず「僕に言いなさい」とか、「困っていることがあれば先に言っておきなさい」というような対応が当たり前だった。 だが、今はそれがない。言い換えれば、現場で何が起こっているのか、また個々のタレントがどのように感じて、いま何を考えているのか、ほとんど把握できていないのが現状である。「Youが何を考えているのか教えてほしい」。かつてはジャニー氏が自らタレントと向き合って、こんな対話をする機会も多くあった。 ジャニー氏はコミュニケーションを大切にするし、「子供たち(所属タレント)」とのかかわりが大好きで、その労力を決して惜しむことなく、許す限り時間を費やしてきた。だが、いつの日からかその機会はめっきり少なくなった。端的に言えば、今回の相次ぐパニック障害を招いた原因はここにあるのだが、そこに至った背景を少し踏み込んで詳述したい。 90年代の終わりに席巻した「ジャニーズJr.」(主にCDデビュー前の所属タレント)たちが主役を張ったバラエティー番組『8時だJ』(テレビ朝日系)が12月29日に特番として復活する。嵐や関ジャニ∞、NEWSなど、後にスーパーアイドルとして確立したグループがレギュラー出演していた人気番組だ。MCは当時、滝沢秀明(タッキー)が担っていたことから、今回の特番はタッキーの引退に合わせて制作された「ジャニー氏からのプレゼント」としての意味合いが強い。 この時代のジャニーズは、光GENJIからSMAPへと世代が代わり、後に息の長いグループとなったTOKIOやV6、KinKiKids、そして嵐が登場して歴史をつないでいった。こうした流れは実は重要な意味がある。 要するに、これまでのジャニーズは「一子相伝」的に時代を引き継いできた。田原俊彦から近藤真彦、シブがき隊、そして少年隊と継承され「ジャニー氏の創作」が時代のトップを構成するように「一球入魂」され続けてきたのである。(イラスト・不思議三十郎) つまり、一世代に1組のトップポジションだったものが、90年代以降は徐々に複数になり、今や「ジャニーズJr.」だけでも500人以上、ユニットも10組以上が存在する中で、ジャニー氏が直接指導しているアイドルは極端に少なくなった。 そういった意味で『8時だJ』の時代にいたジャニーズJr.たちは、ジャニー氏自らが直接育てた最後のメンバーだったと言えるのかもしれない。嵐、タッキー&翼、NEWS、関ジャニ∞の他、生田斗真や風間俊介ら俳優としても活躍している彼らにとって、ジャニー氏はまさに父のような存在だったのである。希薄なプロ意識 そしてKAT-TUN以降、ジャニー氏は「祖父」のような立場となって見守る空気が強くなった。一般企業で例えるならば、ジャニー氏は社長として陣頭指揮を執る立場から、現場からは少し離れて会社の行く末を眺める会長職になったようなものだ。 歳を重ね、事務所も大きくなって、すべての所属アイドルに目を配ることに、無理が生じてきているのは間違いない。レッスンやリハーサルの度に必ずと言っていいほど現場に足を運び、ジャニーズJr.たち一人一人に声をかけては指導するという環境が今はない。むろん、ジャニー氏自身、体力的にもそれは難しいだろう。 ジャニー氏と所属タレントはいわば血縁関係に近いものがあったが、こうした関係が崩れ始めたのは先に述べたKAT-TUNのデビュー前後からで、その後起きた象徴的な事件がSMAP解散とTOKIO、山口達也の解雇だったことは言うまでもない。SMAPやTOKIOの「事件」はかつての血縁的な関係が保たれていれば、起こらなかった可能性が高い。 ちなみに僕の現役時代は、ジャニーズの所属タレントは総勢50人前後で、学校で言えば一クラス分ぐらいの規模だった。それはまさに「家族」のような関係で、誰がどんな生い立ちで、どのような悩みで苦しんでいるか、互いに知る間柄でもあった。良くも悪くも、ジャニー氏とはベッタリの関係だったと言うべきか。ただ、ジャニー氏との濃密な関係性が、最大の危機管理になっていたのも事実である。 これが今や、ジャニーズJr.同士でも名前や顔も知らず、入所以降ジャニー氏と話したこともないというタレントが少なくない。こうした現状を踏まえれば、今のジャニーズは大きな岐路に立たされていると言える。もっと言えば、ジャニー氏が世代交代を意識し、タッキーに後継ぎを託した理由はここにあると言っても過言ではない。 その一方で、言い尽くされた感はあるが、若手のプロ意識の希薄さも否めない。これは芸能界全体に言えることである。最近、グラビアアイドルが「彼氏に反対されたので水着になれなくなりました」などと突然言い出すケースが増えているそうだが、これも一つの表れだろう。 心的な病にしても、仕事に差し支えないよう自己管理し、事が大きくなる前に誰かに相談するといった意識も低い。ひとたび病気やケガをすれば、事務所としては休養させるしか道がない。キンプリの岩橋とセクゾの松島のパニック障害の原因は、ジャニーズ事務所が彼らを酷使しているからだと、安直に考える人も多いが、そもそも過酷な環境で活動するのがアイドルたるゆえんなのである。 もとより、アイドルは極力休養する状況にならないよう、日々心掛けているはずである。病気やケガとはいえ、仕事は絶対に穴を空けてはならない。これは芸能界の常識である。誤解を恐れずに言えば、具合が悪いとか急用があるとか、下手な理由で仕事をおろそかにするタレントが昔よりも増えている気がしてならない。(イラスト・不思議三十郎) 少々厳しいようだが、本来「歩合型」の芸能界で、働けないタレントに給料など払えない。ジャニーズほどの規模と資金力、影響力があるからこそ、代えがきくのである。規模の小さい事務所であれば、タレントが回復するまで待つなど、それこそ死活問題であろう。 最近は事務所の管理責任を問う声も大きい。ひと昔前であれば、自分が病気を患っていることを伏せたまま収録に臨んだり、骨折を抱えながらも舞台で演じ切ったりするのが、トップアイドルたる生き様でもあった。もちろん、こうした話が美談となる時代が終わったのは確かである。 こんな時代であるからこそ、あえて言いたいことがある。奇(く)しくも年末に復活する90年代の『8時だJ』の復活は、ジャニー氏からタッキーへのプレゼントという意味合いよりも、むしろアイドルとは何たるかを示し、ジャニーズを継いでいく次世代スターたちに向けたメッセージでもあるのだ、と。■関ジャニ大倉「ヤラカシ批判」はアイドルとして許されるか■養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由■「おっさんアイドル」山口達也の悲哀は私にも分かる

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    「フィギュアの新星」紀平梨花、強さの秘密はここにある

    長谷川仁美(ライター) 21日に開幕した全日本フィギュアスケート選手権。日本のトップスケーターが集結するが、その中でも大きな注目を集めているのが、女子シングルの紀平梨花(きひら・りか)だ。 今季、ジュニアから上がったばかりの16歳だが、シニアのデビューシーズンにグランプリ(GP)シリーズ2戦(NHK杯とフランス国際)とGPファイナルで優勝したのは、日本人選手としては初めてのことだ。そんな紀平の強さはどこにあるのだろうか。 技術面でよく知られているのは、トリプルアクセルを跳べることだ。3回転半回るこのジャンプは、女子選手では、世界でも9人しか公式戦で跳んでいない。彼女はその7人目になる。 初めて公式戦で成功させたのは、2016年9月のジュニアGPリュブリャナ(スロベニア)大会でのことだった。それほど難しいジャンプのため、ジャンプの難易度に従って定められている「基礎点」が高いうえ、紀平は、ショートプログラム(SP)で一つ、フリーでは二つのトリプルアクセルを入れる構成にしていることが、彼女が高得点を出す一つの要因だ。 さらに、トリプルアクセルを含めた紀平のジャンプは、いずれも踏み切りのエッジが正確で、着氷時にも回転不足することがないクリーンなものだということも大きい。今季のルール改正で、回転不足のジャンプは厳しく判定されることとなったのだが、回転不足でジャンプを降りてくることがほとんどない彼女は、予定通りの「基礎点」を得ることができる。GPファイナル初出場で優勝し、メダルを手に笑顔を見せる紀平梨花=バンクーバー(共同) しかも、「さあ、跳びますよ」と構えて長く助走を取ってからではなく、プログラムの流れの中でジャンプを跳ぶことなどから、各ジャンプの「出来栄え点(GOE)」も高く評価されている。今季のルール改正では、このGOEが「プラス3~マイナス3」の7段階から「プラス5~マイナス5」の11段階と広がったため、紀平のジャンプは昨季以上に高い得点と評価されることが多いのだ。 紀平の高い技術は、ジャンプだけにとどまらないのも強さの要因だろう。スピンではさまざまにポジションを変えたり足を替えたりするのだが、そうしたときに軸がぶれることも少なく、また、基本的な滑り(スケーティング)も非常に滑らかでスピードがある。失敗を全て生かす 滑らかなスケーティングに関しては、アイスショーでのあるシーンが印象的だった。一つ前の出演者が終わったあと、次の出演者は暗転した氷上で足慣らしのために滑るのだが、その暗闇の中で滑るシルエットから「とても滑らかなスケーティングだな」と思うスケーターがいて、名前がコールされると紀平だった、ということが何度かあった。 スケーティングの滑らかさは、芸術面を評価する「演技構成点」の「スケーティング技術」で高得点となるし、全体のスピードやスケート技術全体の質の高さとつながる。実際、GPファイナルのフリーでは、演技構成点の5項目のうち、4項目が10点満点の9点台と、非常に高く評価された。 技術以外の部分にも、今季の紀平の強さの要因は見られる。 何よりも、今の彼女は「シニアデビューシーズンの勢い」というものに満ちあふれている。比較的近い年齢の選手たちと和気あいあいとした雰囲気の中で戦ってきたジュニア時代と比べて、シニアになると小さなころからテレビで見てきたトップ選手たちと、シリアスで時にピリピリとした空気の試合に出場することになる。 そんなシニアデビューシーズンというのはとても緊張するものであり、かつ、失うもののないシーズンでもある。まだシニアでは何の実績もないからこそ、守るものもなく、ただ真っすぐに駆け抜けていける。その真っすぐな清々(すがすが)しいエネルギーを、今の紀平から強く感じるのだ。 とはいえ、勢いのままにただ駆け抜けているわけではない。昨季、一昨季と経験してきたさまざまな失敗を、全て生かそうという気持ちが彼女にはある。フィギュアGPファイナル、女子シングルで優勝した紀平梨花のフリー=バンクーバー(共同) 紀平が靴を新調するのは、左足は約2カ月に1回、右足は約半年に1回の頻度だそうだが、大会までに慣らすことを考慮して、大会と靴を新調するタイミングを計算したり、靴に付けるブレード(刃)の位置も試行錯誤を重ねた。また、大会での演技直前は、緊張しすぎてしまわないようにトレーナーなどと話をして笑ったりしてから集中するようにしている。今季の彼女は、これまでの失敗や悔しさを「今季から頑張るために、全部経験しておいたような感じです」と捉えて、自分の糧にしているのだ。「身体能力」+「努力」 さらに、GPファイナルのフリーでは、演技中にミスしたジャンプを、残りのプログラム内で挽回した。演技中のとっさの判断を実際の演技で見せることができたのは、そこまでに既に「ミスしたときにはどうするか」と想定して練習していたからこそだ。そうした準備も怠らずに試合を迎えていたのである。 身体能力の高さも際立っている。幼稚園のころに片手で側転ができ、8段の跳び箱が跳べたという紀平。筋肉がつきやすい体質で、「筋トレ前と筋トレ後に体重計に乗って、体脂肪率がどれくらい変化したのか見るのが好きです」と、国内外の移動時にも、大きめの体重計を持ち運んでいるという。 とはいえ、身体能力の高い選手が、筋トレをすればトリプルアクセルが跳べるというものではない。トリプルアクセルを練習で初めて跳べるまで、そして、それを試合で何度も失敗して悔しい思いをし、練習を繰り返して試合で安定して決められるものにしたのは、紀平自身の努力の賜物(たまもの)だ。 「ジャンプは腕で跳ぶ」と言われるほど、踏み切るときに右腕を強く振るのだが、トリプルアクセルを何度も練習してきた彼女は、「そのために肩幅が広くなってきたし、右腕の方が、力こぶがいい感じになってきています」と話していた。また、今年の春に2年ぶりにイタリアのスケート靴メーカーに足型の採寸に行ったところ、「多分トリプルアクセルでぎゅっと踏み込むから」足の横幅が広くなっていたという。 さらに、前述したように左足の靴の方が新調するスピードが速いのは、トリプルアクセルは左足で踏み切るために左足に力を強くかけるからだという。それほどにトリプルアクセルの練習を重ねてきたことが、今季の彼女の躍進の陰にはあるのだ。フィギュアGPファイナルの公式練習から引き揚げる紀平梨花(右)と宮原知子=2018年12月、バンクーバー(共同) それに、同じクラブで一緒に練習している平昌五輪4位、宮原知子の存在も大きい。「知子ちゃんは努力家で、少しずつ上達している姿を凄いなと思っています」と、努力することの大切さを肌で感じてきた。 今季の活躍は全て、スケートに懸けてきた彼女の努力の結実といえるだろう。そしてもう一つ、「たくさんの人たちから応援していただいているのだから、勝つしかない。こんなに時間をかけてスケートに人生を懸けてきたからには、もうこの道は変えられない。スケートで絶対頑張るぞ、という気持ちです」と、スケートに取り組んでいることも重要だ。 「シニアデビュー」というスケート人生の中の一つの特別なシーズンを、ポジティブに過ごしていること、こうした気持ちの持ち方も、紀平の強さの一番の要因だろう。■ スポーツ心理学で読み解く羽生結弦「最強メンタル」の秘訣■ 羽生結弦、異次元の強さを支える「硬質には表れない野生」■ くまのプーさんと羽生結弦「本番に強い」心理を生む2つのコト

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    「官僚の本分忘れた驕り」森友問題、泥沼化の本質はここにある

    している。これまたいつもの切り口である。本当に全く進歩がない人たちである。 加計問題については、この連載でも、獣医師会や文部科学省といった既得権組織が「市場からの排除」をもたらしている問題だとして、経済学的な観点から整理した。今回は森友問題について、同様に経済学的視点からまとめてみたい。 森友問題は財務省、そして近畿財務局が土地利用について、効率化政策よりも特定の団体、つまり森友学園の「経済厚生(経済的な満足度)」を増加させようとしたために、むしろ土地利用の効率化が滞った事例だと考えられる。近畿財務局は、当初から公有地を入札方式で売却すればよかった。入札は価格競争を促すメカニズムの一つなので、効率化政策として考えることができる。2018年12月、参院本会議で、安倍晋三首相(左奥)への問責決議案の趣旨説明を行う立憲民主党の蓮舫副代表兼参院幹事長(春名中撮影) だが、実際に近畿財務局が採用したのは直接交渉であり、しかも「事務的なミス」をきっかけに、森友側の厚生水準を向上させる政策を採用してしまった。その結果、森友側の厚生は一時的に増加した(長期的には厚生損失)。だが、他方で土地利用という観点では、効率化が著しく阻害され、結果として、国有地が現段階「塩漬け」のような状況に陥っている。 経済政策の基本は効率化政策である。これは、規制緩和や取引ルールの設定などで市場競争を確立することで、資源配分を効率化することである。 一定の労働や資本などを利用することで、私たちが日常的に消費・生産する財やサービスの範囲を、最大までに拡大していく。また、一分野だけではなく、多様な領域で効率化政策を推し進めていけば、長期的にはその国民の厚生全体も改善していく。これは、経済学的には古典的な政策観で、「ヒックスの楽観主義」という。効率化に代わる二つの政策 筆者はミクロ経済学を考えるときには、大阪大の八田達夫招聘教授の『ミクロ経済学』(Ⅰ&Ⅱ、東洋経済新報社)と、日銀の岩田規久男前副総裁と明治大の飯田泰之准教授による『ゼミナール経済政策入門』(日本経済新聞社)を常に参照している。特に、前者は具体的な事例を元にしているので使い勝手がいい。 これに日本の場合は、官僚の力が強いので、嘉悦大の高橋洋一教授の一連の著作が具体的な政策論を書く上で必備となる。「ヒックスの楽観主義」も八田氏の『ミクロ経済学』に詳細な解説がある。 効率化政策に代替する政策は2種類ある(八田『ミクロ経済学』Ⅱ)。一つは既得権の利害に配慮する既得権保護政策である。加計学園問題で明らかになった文科省の獣医学部規制がそれである。しかも、文科省の場合は、既得権保護政策のいわば極北であり、そもそも獣医学部の申請自体を認めないので、まさに「市場からの排除」である。 効率化政策に代替するもう一つの政策が、厚生改善政策である。これは特定の人や集団の厚生増加に配慮することである。効率の増進は二の次で、ともかく「特定の人の厚生さえ上がればよし」とするやり口である。 今回の森友問題は、近畿財務局の厚生改善政策によって土地利用の効率化が無視され、その結果、長期的には当事者の厚生水準も低下したことになる。ここでいう「当事者」は森友側であると同時に、また公有地の活用ができなかった国民の損失でもある。 高橋氏の『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』(PHP新書)は、モリカケ問題を時系列で整理しながら理解するには最適の書である。他の類書は、「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」みたいなバイアスが強くて使い物にならない。財務省=2018年11月8日(飯田英男撮影) 高橋氏の整理は単純な明解で、森友学園に売却した国有地は、過去にゴミの投棄場として知られていた。 近畿財務局は土地のプロですから、きちんとした手続きをすべきでした。ゴミのことを十分に説明していなかった可能性があるうえに、入札ではなく随意契約にしたことなど、近畿財務局の事務手続きのミスです。高橋洋一『「官僚とマスコミ」は嘘ばかり』救いなき「扇動ゲーム」 この森友側との直接交渉で、近畿財務局は、森友学園だけの経済厚生の向上を目指してしまったとも解釈できる。高橋氏も指摘するように、なぜ公開の入札にしなかったのか、つまり市場競争のスキームを利用しなかったかが、この問題の経済政策的な論点である。 八田氏は、個々のケースで交渉相手の厚生改善を官僚がその都度行うことは適切な役割分担ではない、と指摘している。なぜなら、厚生改善は価値判断を伴うので、官僚にはなじまないからだ。官僚は効率化政策に特化すべきである。 今回のケースでいえば、公開入札など市場競争スキームを採用すべきであった。だが、おそらく近畿財務局、そしてその親元である財務省には「政治的な配慮をすることが自分の任務である」という驕(おご)りがあったのではないだろうか。財務省は特に、政治的な振る舞いを政治家以上に行う風土が存在する。その意識が、末端まで波及していても不思議でもなんでもない。実に傲慢(ごうまん)な姿勢だ。 もちろん「安倍ありき」「昭恵夫人ありき」で魔女狩り的な報道を繰り広げたマスコミ、それに煽られやすい世論も問題だろう。この点については、近著『増税亡者を名指しで糺す!』(悟空出版)の中で丁寧に解説したので、ここでは省略する。 近畿財務局、財務省の政治的な驕りは、森友問題の「深刻なスピンオフ」ともいえる文書改竄(かいざん)問題でも明らかである。訴訟化はならなかったが、国民の信頼を踏みにじる不遜ともいえる行為であった。この文書改竄もまた特定の人物や組織、つまり財務省高官の厚生を改善するために、適正な公文書管理という効率化を犠牲にした「厚生増進政策」だといえるだろう。繰り返すが、その根源には官僚があたかも政治家のように振る舞う、その傲慢な姿勢がある。学校法人森友学園前理事長の籠池泰典被告=2018年11月撮影 森友問題は、日本の官僚たちの日常的に行っている厚生増進政策の「負の側面」が大きく世に知られたものだと思う。官僚たちが、本来の職分である効率化政策への特化に至るにはまだ「道はるかに遠し」である。 それでもマスコミや野党は、官僚制の問題を議論することに熱意を示さない。安倍首相と昭恵夫人の「関与」という、2年近く経過しても全く証拠も出ていない問題に、まさに報道機会と国会の審議時間、それぞれの「ムダ」使いを続けるばかりだ。 おそらく来年の参院選での「安倍降ろし」を狙って、またモリカケ問題が再炎上する可能性がある。そしてワイドショーレベルの情報で満足する高齢層を中心とした、ずっと「疑惑」を深めている人たちを「釣る」のだろう。まさに救いのない「扇動ゲーム」だといえる。■ 新聞、テレビの受け売り「モリカケ安倍陰謀説」の無責任■ 政治的娯楽「モリカケショー」があまりにバカバカしい■ 「安倍マンセー保守」たちよ、森友文書改ざんの罪深さを認めよ

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    長篠合戦図屏風に描かれた「六芒星メンズ」の謎を解く

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 長篠の戦いでも天候に恵まれた信長。もっとも、彼のために弁明すると、彼が長篠の戦いで武田軍を「必ず皆殺しにしてやる」と宣言した背景にあったのは、龍の力の盲信だけではなかった。鉄砲や弾薬を西からはるか長篠まで大量に集めてくる資金は尋常ではない。 3000挺の鉄砲が投入されたと仮定すると、その銃の費用は現代の価値で20億円。1挺あたり300発分の火薬(長篠の戦い直後に武田家が制定した分量)は18億円、それに鉛の弾丸が1億4000万円で、トータルすると40億円近くが投入された計算になる。未明から昼過ぎまでの7~8時間で、40億円が戦場の煙と化したのだ。 当然、信長としてはそれだけの投資を無駄にしないためにも、梅雨どきなのに鉄砲で勝つ=梅雨にもかかわらず雨が降らない条件を整えなければならない。 そしてそれは、神頼みだけではなかった。 ここで大阪城天守閣に所蔵されている「長篠合戦図屏風」を見てみよう。信長の本陣は六曲一隻のうちの第六扇(左端)の上部に描かれている。永楽通宝の旗印や南蛮兜(かぶと)などを奉じて控える家来たちの奥で、白馬にまたがった信長が正面の戦場を見つめているのだが、その足元に注目していただきたい。 背中を朱の星で大きく染め抜いた白羽織の男が3人、侍(はべ)っているのがわかるだろう。 この星印は「六芒(ろくぼう)星」という。有名な星印は安倍晴明の「五芒(ごぼう)星」だが、こちらはひとつ角が多いものの、陰陽師(おんみょうじ)の象徴として知られる晴明の五芒星(晴明桔梗)同様、陰陽師のシンボルだ。白馬にまたがる信長=長篠合戦図屏風(大阪城天守閣蔵) では、その違いは何か。安倍晴明の血統を継ぐ土御門家が朝廷の陰陽師であるのに対し、六芒星は晴明に敵対した蘆屋道満(あしやどうまん)のマークだ。元々は播磨の陰陽師だったと伝わる道満は、藤原道長に仕える晴明の力を封じるべくライバルの藤原伊周(これちか)に召し出されたという。 妖術合戦に敗れる姿は多くの作品に描かれているが、現実の道満は伊周が道長との政争に敗れたことで元の民間陰陽師に戻ったのではないか。彼に連なるという陰陽道の系譜は、道満の子孫という土師(はじ)氏の他にも多く残っている。 図屏風は、信長がこの道満流の民間陰陽師を戦場に伴った可能性を示唆しているのだ。ここで注意しなければならないのは、この大阪城天守閣蔵の図屏風には原本がある点だ。成瀬家本と呼ばれるもので、17世紀半ば、長篠の戦いから100年経った頃の制作と考えられている。犬山城主の成瀬家の先祖・正一は長篠の戦いに参加しているので、子孫が家の言い伝えや『甫庵信長記』などの軍記物を参照して顕彰のために描かせたのだろう。2つの図屏風のナゾ この成瀬家本では、信長の本陣にいる3人の男の背に六芒星はなく、濃緑の地に赤く「十六葉菊」が描かれているが、これは信長が朝廷から許された菊紋というにすぎない。 これでは、「一番古いオリジナルの絵がそうなら、信長が陰陽師を使ったという推測は無理じゃないか」と言われそうだが、これがそうでもないのだ。 成瀬家本の図屏風には、家康本陣に六芒星の男が2人いる。その装束は大阪城天守閣本の信長本陣の3人とまったく同じだが、その手には槍や薙刀を持つという違いがある。これは陰陽師としての職掌からはまったく外れている。 この六芒星組が大阪城天守閣本では信長本陣に移動し、手には何も持たない陰陽師本来のいでたちに描き換えられたのは、なぜか。 もう少しこの大阪城天守閣本を観察してみよう。 と、さらにひとつ違うところがあった。第五扇目(左から2番目)の上、ここには羽柴秀吉の部隊が布陣している。金のひょうたんの馬印が高く掲げられ、秀吉も最前線を凝視中だ。 問題なのはその前方に白く細長く湾曲した川が描きこまれている点だ。設楽原では、武田軍と織田・徳川連合軍の間に連吾川が南へ流れていたが、それと平行して、連合軍の布陣している丘の背後(西側)にも平行して流れる大宮川(宮川)という川がある。金のひょうたんの馬印を掲げた秀吉(左上)=長篠合戦図屏風(大阪城天守閣蔵) 成瀬家本では、この大宮川が秀吉隊のところには流れは無く、家康のすぐ後ろから流れが始まっているのだ。 大阪城天守閣本がもっと上流から描き始めているのは、こちらの方が正しい。(ただし実際の大宮川は信長本陣よりも西なので、少しおかしいのだが) この川の加筆は、成瀬家本の成立から間もなくそれを模写することとなった大阪城天守閣本の制作者が、現地の地形や合戦の様子について詳しい者から修正を指示された、ということなのだろう。細部にこだわってよりリアルを追求していこうというのは、いつの時代もオタクを突き動かす本能的な欲求なのだ(笑)。 ということは、六芒星メンズたちの移動も、信長の本陣に居るのが正しい、と考えてのことだったのではないか。 そもそも、この六芒星を背負った男たちは戦場で何をしていたのか。陰陽師だからといって、怨敵調伏の祈祷をしたり、式神を使って敵を討とうとしていたと考えるのは早計だ。彼らは、天気予報士だったのである。六芒星メンズの活躍 朝廷における陰陽師の配属部署「陰陽寮」は、星の動きを観察し、天文の計算によって日食を予測するなどして暦を作成し、風雲(気象)を監視して天気を予報する、専門家集団だった。 民間の陰陽師たちも同様に、それぞれの地域で暦を作り天気を予報する。農耕には気象の予測が何よりも大事なのだ。関東の三島暦・大宮暦、伊勢の丹生暦はその代表的なもので、特に三島暦は朝廷の陰陽暦と絡んで信長も関係する大騒動を呼ぶのだが、それはもう少し後の話である。 六芒星の陰陽師たちは、気象を観測し戦闘に適した日程を大将にアドバイスする。 彼らは「軍配者(軍師)」とも呼ばれた。第7回の桶狭間の戦いのくだりでも紹介した軍配者は、占いや敵味方の「気」を観察することで戦機をはかったと言われているが、一方で常日頃膨大な気象データを蓄積し、体験的な予報を下す科学者たちでもあった。 桶狭間の戦いで奇跡的な勝利を信長にもたらしたのも、大蛇(龍)への祈りと彼ら軍配者の正確な気象予報だったが、長篠の戦いのときに彼らが信長の側に待機していなかったと考える方が不自然だ。これは何も信長に限ったことではなく、当時の大将たちは皆軍配者=陰陽師を戦場にともなった。陰陽道の祖として知られる安倍晴明が祀られる晴明神社=2007年1月、京都市上京区(撮影・門井聡) その意味で、成瀬家本が家康本陣に六芒星メンズを描きこんだのも間違いではないのだが、大阪城天守閣本を描かせた人物は大宮川の流れのように「信長の軍配者こそが勝利の立役者だった」という伝承に触れていた可能性が高い。信長は、大蛇(龍)の力をあてにするだけではなく、最大限合理的で有利な条件で戦えるよう、手を打っていたのだ。 信長のブレーンというのは、まさにこの軍配者たちだった。「おみゃーら、どうだて、お天道様はしばらくの間は出ておりゃあすか」「いーーっ、ここ2、3日は雨は降らずと勘考しとりますで、お戦にかかられませ!」「であるか!もし外れたらワヤだで、間違いありゃせんか。そんなら始めよまいか!」この主従が尾張弁でこんな会話を交わしていたかと想像するのも一興だろう。信長とユダヤの関係 実はこの六芒星メンズについては、もう一つ信長との深い関係性をうかがわせる事実がある。信長の織田氏は通常平氏の流れを自称していたが、本当のところは忌部(いんべ)氏だったという。 忌部氏というのは朝廷の祭祀行事を担当した一族で、その末裔(まつえい)である織田氏は越前の織田劔(つるぎ)神社の神官だった。古代の祭祀は、あたりまえだが農耕と密接に関係しているため、暦とは切っても切れない関係がある。これだけでも陰陽師とは近しいのだが、それだけではなく忌部氏自体がユダヤ人を祖とするとも言われているのだ。 そしてユダヤ人のシンボルは、「ダビデの星」すなわち六芒星。魔除けにも「籠目」という文様がある。竹編みの籠の編み目を図案化したもので、これも六芒星そのものだ。 魔除けグッズ好きの信長にとって、六芒星メンズは実用的にも趣味的にも手放せない存在だっただろう。信長と陰陽師は幾重もの縁で結ばれていたのかもしれない。 「長篠合戦図屏風」には、もう一つ、まったく系統の違う一隻がある。名古屋市博物館蔵のもので、これが一番制作年代が古い。こちらは至ってシンプルな内容だが、描かれている武者の多くが扇を使っているのが目につく。面白いではないか。最古の長篠戦図だけに、当日は暑かったという記憶がまだ残っていたのだろう。 晴れ渡った空の下、長篠の戦いは始まり、信長は一方的な勝利を手に入れた。武田軍が突破できなかった三重の馬防柵と堀 「あっという間に切り崩し、数万人を討ち果たした。最近たまっていた鬱憤(うっぷん)を晴らしてやった」 細川藤孝(幽斎)宛てで誇らかに書き送った信長。そこには、呪術と科学というまったく相反する二つの力で大敵・武田軍を撃破した自信があふれている。 そしてこの頃から、信長は「天の与え」という言葉をしばしば使い始める。これは敵がわざわざ出て来てくれたことを指すのだが、「天がチャンスを与えてくれている」と、ラッキーボーイぶりを口頭でも書状でもアピールするようになったのは、おのれが「神に守られた存在」であることを自分自身が最も強く信じ始めた証拠だったのではないだろうか。 そしてこのあと、彼は越前へ兵を向けるのだった。

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    バルサ化進むJ1神戸「スピードが命」三木谷会長の本気度

    清水英斗(サッカーライター) レギュラーシーズンが終わったJリーグでは、移籍の動きが騒がしくなっている。その中でも桁外れのスケールを見せているのが「バルサ化」を標榜(ひょうぼう)するJ1ヴィッセル神戸だ。 元スペイン代表&元バルセロナ。米国のメジャーリーグサッカー(MLS)でプレーしていたFWダヴィド・ビジャの神戸加入が発表された。37歳と年齢を重ねたストライカーではあるが、ニューヨーク・シティでは4シーズンで124試合出場80ゴール。今シーズンも26試合出場15ゴールと、数字から衰えは感じられない。神戸は計算の立つ点取り屋を獲った。 ともすれば、このビジャも序章にすぎないのかもしれない。続くビッグネームは、イングランド・プレミアリーグ、チェルシーのFWセスク・ファブレガス、独ブンデスリーガ、バイエルン・ミュンヘンからの退団が発表されたFWアリエン・ロッベンなど、枚挙にいとまがない。今後も次々と挙がりそうだ。 同じく元バルセロナのDFアドリアーノも、トルコのベジクタシュからの移籍が濃厚になっている。左サイドを主戦場としつつも、左右のサイドバックとウイングなど、異なるポジションをこなす元バルサ戦士。存在感は地味かもしれないが、実は来季、かなり効いてくる補強になる気配はある。 これらの動きの背景には、Jリーグが来季から外国人選手の出場枠を3から5に増やす改定があった。現状はMFアンドレス・イニエスタ、FWルーカス・ポドルスキ、FWウェリントンと、さらにアジア連盟加盟の外国選手を追加できるアジア枠のGK金承奎(キム・スンギュ)で埋まっているが、その枠自体が増えるわけだ。 さらに、この増える枠を、今から整理する動きも神戸には見られる。来季改定ではアジア枠が消滅するため、韓国などアジアの選手も、一般の外国人選手と同じ扱いになる。2018年12月、J1神戸の入団会見で記者の質問に答える元スペイン代表FWダビド・ビジャ=ノエビアスタジアム神戸(撮影・甘利慈) 今シーズン、多くの試合で神戸のピンチを救った韓国代表GK金承奎はJリーグ屈指の実力を持つ選手だが、終盤は出場機会を失った。終盤4試合では、前川黛也(だいや)がスタメンを勝ち取っている。神戸は金承奎の放出で1枠を空け、さらなる補強を狙うのではないか。 ウェリントンを放出した場合、外国人枠はイニエスタ、ポドルスキ、ビジャ、アドリアーノで、さらにもう1人獲得できる。セスクは既に難色を示しているが、その1枠がロッベンに充てられるのか、果たして。三木谷氏「半年間」の改革 「時間を無駄にしたくない、ということが第一にあった」。神戸で何らかの動きがあるたび、この言葉が脳裏に去来する。 今年9月、神戸は吉田孝行監督を解任し、新監督にスペイン人のフアンマヌエル・リージョ氏の就任を発表した。上記のコメントは、その記者会見で、三木谷浩史会長(楽天会長兼社長)が監督交代の理由について語ったものである。 神戸は5月のイニエスタ加入から、わずか半年で次々と改革を打ち出してきた。 リージョ氏は、バルセロナの選手であり、指揮も執ったジョゼップ・グアルディオラ監督が師と仰ぐ人物であり、バルサ哲学を注入するには最適の指揮官だ。選手についても、シーズン途中にもかかわらず、足りないポジションを次々と補強した。 J2FC岐阜からウイングの古橋亨梧(きょうご)、J2徳島ヴォルティスからセンターバックの大崎玲央、さらに左利きのカタール代表DFアフメド・ヤセルをJリーグ提携国枠で獲得。さらに来季はビジャ。おそらく、アドリアーノ。もしかすると、ロッベンも。 神戸の触手は、トップの選手と監督にとどまらず、コーチ陣にもバルサの流れをくむスタッフを集め、6月にはイニエスタを育てた育成手腕で知られる、アルベルト・ベナイジェス氏を招聘(しょうへい)した。もう、本気も本気。驚くべきスピードである。 札幌のミハイロ・ペトロヴィッチ監督は、J1第25節の神戸戦に3-1で勝利した後、イニエスタやポドルスキを擁する神戸について、記者会見で次のように語った。 「サッカーは個人競技ではありません。コレクティブ(組織的)な戦いです。ビッグネームがいると、チームが機能しないというのは、サッカーの世界ではよくある話です」2018年12月1日、仙台戦の前半、攻め上がる神戸MFイニエスタ=ノエビアスタジアム神戸 確かに、2、3人のビッグネームを獲っただけで優勝できるほど、Jリーグは甘くない。だが、神戸は名選手にとどまらず、監督やコーチ、育成ディレクターまで手を広げ、招聘している。チームではなく、クラブごとバルサ化を目指す神戸の改革は、トップダウン・コレクティブだ。事態はペトロヴィッチ監督の予想以上の角度で進んでいる。「バルサ化」たった一つの成功例 もちろん、所詮(しょせん)コピーはコピー。元祖にはなれないのも然(しか)り。だが、今の神戸の方向性で、成果を挙げた例が一つある。イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティだ。 グアルディオラ監督だけでなく、テクニカルディレクターにはバルセロナの元選手で、クラブの要職も務めたチキ・ベギリスタイン氏を2012年から招聘した。投資を惜しまず、今の地位まで駆け上がった同クラブは、バルサ式トップダウン改革の先輩だ。 神戸はバルセロナになれるか。というより、マンチェスター・シティと同じ道を歩めるか。 その鍵がまさにスピードである。神戸は世間を騒がせる大改革を、5月のイニエスタ加入から、わずか半年で次々と繰り出してきた。 「時間を無駄にしたくない」。トップダウンはスピードが命。バルサ化を目指すと言っても、神戸には根付くものがない。悠長なことを言っていれば、改革のエネルギーは沈下するばかりだ。2018年7月、柏に勝利し、神戸・イニエスタ(手前)を迎える楽天の三木谷浩史会長兼社長=ノエビアスタジアム神戸 「投資して終わり」ではなく、「投資し続ける」こと。トップダウンで刺激を与え続ける。そして、それが軌道に乗れば、育成の方でも受け皿を作っている。トップチームを見て、「神戸のサッカーをやりたい」という有力な選手が、神戸のユースなどにも集まってくるようになれば「ミッション・コンプリート」だ。 イニエスタとは3年半の契約を結んでいる。ここが一つの分岐点。それまでにトップチームを軌道に乗せられるか。 「時間を無駄にしたくない」。バルサ化に絡む神戸の動きの中で、この三木谷会長の一言が、一番印象に残っている。

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    ファーウェイ通信網で「世界征服」狂気に満ちた中国の妄想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 中国通信機器大手、華為技術(ファーウェイ)の孟晩舟副会長兼最高財務責任者(CFO)が、米当局の要請によってカナダで逮捕された。それ以来、米中貿易戦争の激化を懸念して、事件発覚後から週明けまでの東京株式市場は大きく株価を下げた。 米中貿易戦争の核心は単なる経済問題ではなく、両国の安全保障にかかわる問題であることが明瞭になっている。もちろん、安全保障の問題になれば、同盟国である日本やカナダ、欧州、オーストラリアといった国々にも、その影響は波及する。 ファーウェイは年間の売上高が10兆円に迫る巨大企業で、スマートフォンや携帯などの通信インフラでは世界でダントツのシェアを誇る。また、スマホ単体でも、出荷台数で米アップルを抜き、世界一の韓国サムスン電子に迫る勢いである。 筆者も渋谷の繁華街を歩いたときに、「HUAWEI」と大きく打ち出されたスマホのポスターを頻繁に目にした。それだけ勢いのある企業である。だが同時に、以前から中国人民解放軍や中国共産党との密接な関係を疑われていた。 それは、同社の通信機器に「余計なもの」、つまり中国政府や軍などに情報を抜かれる恐れのある何らかのチップが入っていると懸念されていることが原因である。本当だとしたら、あまりに露骨なやり口ともいえる。米国ではいち早く、これらの懸念があるファーウェイや中興通訊(ZTE)の製品を、政府機関や関連企業が利用することを禁止する法案が可決された。これは米国の国防予算やその権限を定める国防権限法の一環であった。 米国が始めた流れに、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、英国などが追随、日本もそれに倣う方針を固めた。日本でも、実質的にはファーウェイなど中国通信企業の締め出しが既に行われていたようだが、政府調達から締め出す構えを公式に認めた。2018年12月6日、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、同社のコンピューターに映し出された最高財務責任者、孟晩舟容疑者の画像(AP=共同) 中国政府は、日本に対して強烈な抗議を行ったという。また、米国とカナダに対し、拘束されている孟氏の釈放も要求している。孟氏が逮捕された理由は、取引を禁止されているイランとの交易や詐欺などの理由だという。 通常、政府が個々の経済犯罪について、身柄を釈放するように抗議することはしない。例えば、ルノーの大株主であるフランス政府でさえも、日本に対して、同社会長のカルロス・ゴーン容疑者の釈放を訴えるようなバカなことはしていない。言い換えると、それだけこのファーウェイ関連の問題が、中国政府ぐるみのものであることを明らかにしているといえよう。中国がもたらす「負の外部性」 中国政府のやり口は、米国に代わって世界的な覇権を目指し、その政治的・経済的な権力を中国共産党のもとに統一するという「一大妄想」に基づいている。経済的な権力の手段としては、次世代の通信インフラの支配や、巨大経済圏構想「一帯一路」などがあるだろう。両方とも、アジアやアフリカ諸国を中心にして、その成果はかなり上がっていた。 通信インフラも一帯一路によるインフラ整備も、ともに国際的な公共財のネットワークを構築することにある。通常、この種の国際的公共財のネットワークは、各国の国民に恩恵をもたらすものなのだが、中国中心の国際公共財供給は、もっぱら「ネットワークの負の外部性」をもたらすと断言していい。簡単に言うと、自由で民主的な社会が中国によって危機に直面してしまうのだ。 「ネットワークの外部性」とは、ある財やサービスを利用するときに得る個人の利益が、他の人たちも利用すればするほど増えるというものだ。一例として、英語の国際的利用が挙げられる。 英語を使う人が増えれば増えるほど、一人ひとりが英語を使う効用が増加していく。英語さえ学べば、いろんな国でビジネスや観光がしやすくなるという効果だ。これは特に個々人にもたらす便益を社会全体の便益が上回っているので「正の外部性」という。 ところが、通信インフラのようにこの種のネットワークの外部性が大きいと、特定の企業だけが市場のシェアを奪うことが頻繁に起きやすくなる。ファーウェイもその教科書通りの展開で、このネットワークの外部性に伴う独占力の奪取を実現してきた。 しかし、ここで大きな問題が出てくる。経済学者の早稲田大の藪下史郎名誉教授は、以下のように指摘している。 情報通信技術におけるネットワーク外部性が、参加するすべての人に便益をもたらす反面、その市場に独占的地位を生み出す可能性があると論じたが、同様にネットワーク外部性はある思想や理論が支配的になると同時に、それらに独占的地位を与えてしまう可能性もある。『スティグリッツの経済学 「見えざる手」など存在しない』東洋経済新報社 今回のケースでいえば、ファーウェイなどによる通信インフラ構築を通じて、「中国の覇権」というイデオロギーを世界に流布することだろう。中国政府が国内で行っている「監視社会化」や、ウイグル自治区などで進める「集団的な洗脳」を見れば、それがいかに自由で民主的な社会の脅威であるかは明らかである。2018年12月、北京にある華為技術(ファーウェイ)の店舗で、スマートフォンを操作する客(共同) しかも、詳細は明らかではないが、ファーウェイの通信機器にある「余計なもの」を通じて、われわれの私的情報が効率的に集められてしまう可能性もある。そうなれば、中国共産党による世界市民の支配につながってしまう。「世界征服」など妄想にすぎないと思うが、それを真顔で進めていく国の狂気は、いつの時代も世界の脅威となるのである。■ 「孤絶化による洗脳」人権圧殺国家、無視できないメディア規制■ 「中国五千年のウソ政治」石平氏の視点は実にユニークである■ ノーベル賞候補の日本人研究者はなぜ中国と韓国を目指すのか

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    「窃盗症と拒食の心理」元マラソン女王が陥ったアスリート魂の限界

    藤井靖(明星大心理学部准教授、臨床心理士) 12月3日、執行猶予期間中の万引で、窃盗罪に問われていた元女子マラソン日本代表の原裕美子被告に対し、前橋地裁太田支部で再度の執行猶予を付けた「懲役1年、保護観察付き執行猶予4年」の判決が言い渡された。 原被告は記者会見をはじめ、複数のメディアで、現在の心境や、自身が窃盗症(クレプトマニア)であることを明かしたうえで、更生を誓っている。もし、これが、社会的な繋がりが構築され、孤独ではないことや家族のサポートを含めた安定した治療環境があること、精神・身体的に回復傾向にあることに裏づけられているとしたら、何よりである。 そもそも窃盗症というのは、どんな疾患なのか。日本を含め、世界で日常臨床に使用されている米国精神医学会「精神障害の診断と統計マニュアル」第5版では、以下の診断基準が示されている。窃盗症(クレプトマニア、Kleptomania)A.個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗ろうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される。B.窃盗に及ぶ直前の緊張の高まりC.窃盗に及ぶときの快感、満足、または解放感D.その盗みは、怒りまたは報復を表現するためのものではなく、妄想または幻覚への反応でもない。E.その盗みは、素行症、そう病エピソード、または反社会性パーソナリティー障害ではうまく説明されない。 Aは、窃盗症患者と、自分の欲しい物だけを盗むことが常習化している人やお金がなくて盗む人などと区別するための項目である。ただし、窃盗症であっても、自分にとって全く必要のないものを盗むという人は少ない。欲しい物であっても、必要以上に大量に盗んだり、最初は必要だったものだが、盗む時点ではそれほど必須の物ではなく、本人も後に考えると「何でこんなものを盗んだんだろう」と思うことも多い。 すなわち、Cの基準から分かるように、もはや盗んだ物よりも「盗む」行為自体が目的になっている。たとえそれが監視カメラに写っていることが認識できていたり、摘発されるリスクが高いことを認知できていたとしても、自分で歯止めを利かせることは難しい。また、本人も自身の罪の意識によって、次第に、しかし確実に精神的に追い込まれていくのである。閉廷後の記者会見で、涙ながらに謝罪する原裕美子被告=2018年12月3日、太田市役所 そして、犯罪行為でもあることから、強い後悔を感じながらも周囲に相談することもできない。こうして精神的や社会的に孤立し、さらに症状が悪化するという悪循環が形成されていく。 ところで、窃盗症に合併する疾患で圧倒的に高率なのが、摂食障害である。原被告も患っていることを告白しているが、摂食障害は拒食や過食を主症状とし、自身の体型認知の歪みや、太ることへの強い恐怖を伴う精神疾患だ。合併例では、過食が窃盗の原因になっていることも多い。 摂食障害には、サブタイプと呼ばれるいくつかの型がある。原被告の場合、拒食と過食・嘔吐(おうと)を伴う神経性やせ症(むちゃ食い/排出型)というタイプで、長い病歴のいずれかの時期に一定期間経験していることが報道から推測できる。拒食と過食は表裏一体 拒食という「食べないこと」と、過食という「食べる」という行為は一見相反する行動のように思えるが、「食行動の異常」という観点からみれば、表裏一体のものである。 言うまでもなく、過食は大量の食べ物を摂取する行為だが、そのためには、当然多くの食料が必要になる。例えば、コンビニで買い物カゴいっぱいの食料を買い込み、それを一度に食べ、そして一気に吐く。これを毎日もしくは高頻度で繰り返す事例はまれではない。 そうすると、生活費における食費の割合が異常に高くなり、社会人であれば、ひと月の給料を簡単に使い果たしてしまう。大事な貯金に手をつけたり、多額の借金に及ぶ場合もある。そして、それもできなくなると、「窃盗してでも食べ物を手に入れたい」となってしまう場合があるのである。 では、なぜ食べて吐くを繰り返すのか。その理由の一つは、過食や嘔吐に夢中になっている時間は、本人が抱える全てのストレスを感じることから逃れられるからだ。原被告も、減量や体形維持の負担、競技者としてのプレッシャー、その他私生活におけるさまざまな精神的重圧から、その時間だけは逃れられていたのであろう。 ストレスフルな厳しい状態に置かれていればいるほど、行為が習慣化し、本人の中でゆがんだストレス対処の方法として定着する。さらにいえば、初めは過食のためにしていた窃盗も、いつしか窃盗という行為自体にも、過食と同じようなある種のすっきり感やストレスから逃れられた感覚が伴うようになり、病理に発展していくのだ。 以上のような経過は、臨床的に決して珍しいことではない。アスリートでなくても、「痩せたい」という日常的に経験される自然な感情に基づいてダイエットを始めることはある。しかし、完璧主義など元々の性格も相まって、いつしか過度な拒食習慣になり、過食や嘔吐を伴う可能性も生じる。さらに、窃盗症だけではなく、鬱病や不安症など他の疾患を合併するまでに至ることがあるのだ。つまり、摂食障害のきっかけは、ほとんど全てが本人や周囲が重大な結果を予測し得ない「ありふれた行動」なのである。トレーニングする選手時代の原裕美子被告=2014年1月(寺河内美奈撮影) その意味で、率直に言えば、トップアスリートを監督や指導を行う立場にある人たちの一部は、心理や行動を強制に近い形でコントロールすることの負の影響を軽視し過ぎている。 私が心理カウンセリングや認知行動療法の臨床現場で出会ってきた中では、新体操や陸上、フィギュアスケート、水泳選手から、バレリーナ、ボクサー、柔道家まで、幅広いジャンルで摂食障害を抱えたアスリートが少なくない。 また、外見や体重が仕事に影響するという共通点からいえば、モデルやアイドルの中にも監督的立場にある人から体形・体重コントロールを指示されている人たちが、一定数確実に存在する。テレビを見たり、メディアの仕事で出会うたびに、外見や言動から「この方は大丈夫だろうか?」と気になってしまうのは、もはや私の職業病である。スポーツに命をかけるな それらの人たちに共通していえることは、指導者や監督者が最適なパフォーマンスを引き出すことを意図して行っている食事指導、ウエートコントロールが、深刻な心理的負荷に確実に繋がっていることである。 アスリートの自己決断に基づかない指導者の指示による食行動のコントロールは、失敗が許されない。なぜなら、任意に設定された通りの身体作りができないことは、競技上の目標に達することができないと信じられているからだ。つまり、アスリートとしての存在価値にも関わってくる。 一般の会社員に置き換えれば、「1カ月後に目標体重まで減量できなければ、クビになります」と言っているのと同義である。 「トップアスリートだから、それぐらい厳しいのは当たり前」という言葉で片付けてはいけない。食事をとるという行為は、人間の根源的な欲求の一つであり、過度なコントロールをかけることは避けるべきなのである。ましてや、それが仕事上の価値や存在そのものの評価に直結するという環境設定は、行うべきではない。 摂食障害の患者たちは、もはや「自分の人間としての価値は体重や体形に依存している」という症状(思い込み)にとらわれ、そこから抜け出せなくなっている。つまり、過度に体重や食事をコントロールすることは、摂食障害の精神症状をも生み出すことになっているといっても過言ではないのだ。 確かに、陸上競技、特に長距離種目において、身体を絞って体重を軽くすることは即効性があり、好記録に繋がることは否定できない。中学生や高校生のレースを見ても、体脂肪率が低く、引き締まった身体の生徒が上位層を占めていることが多い。一方、下位層では幾分脂肪のついた、とはいえ発育期として自然な体つきをしているという光景が見受けられる。マラソンコースを試走する選手時代の原裕美子被告=2010年12月(鳥越瑞絵撮影) しかし、これは後に起こる身体・精神的なリスクを考慮しているとはいえない。特に女性は、食事をコントロールし過ぎることによって栄養不足になり、月経が止まったり、女性ホルモンであるエストロゲンが生成されにくくなることで骨粗鬆(こつそしょう)症に近い状態になり、骨折を繰り返すこともあり、いずれ競技どころではなくなることもある。 それは一時的なものではなく、中高生であれば発育期にも重なっていることから、本当の意味で競技に必要な身体作りをすることができずに、選手寿命が結果として短くなるという例も少なくない。原被告も、特に競技人生後半は、疲労骨折などのケガに悩まされ続けたという。 重要なのは「スポーツ競技に命をかける」ということなど、あってはならないということだ。スポーツはあくまでも人生の一部であり、人生の全てではない。もちろん、競技者本人の心理としては自身の全てをかけて競技に臨むというのは自然な発想である。しかし、そのあり方を多面的に見て、選手本人のあるべき姿や利益に方向づけていくのが、指導者の役割である。あのランナーが金を獲れたワケ 殊に、摂食障害は命にも関わる疾患である。前提として、慢性的な飢餓状態が持続すると、脳が萎縮し、疲労感や満腹感、空腹感などの感覚がまひしてしまうなど、通常の精神状態ではなくなり、病気によって生じた考え方、物の見方、行動の仕方が、あたかも自分自身の元々の性格や生き方であるかのように感じられることもある。 そして、病状が悪化すると、多臓器不全などの重篤な身体合併症や、餓死、自殺に至りうる。とはいえ、薬物治療や認知行動療法などの非薬物治療を通院、入院を適宜組み合わせて適用することにより、回復することは十分可能である。 しかしながら、痩せても痩せても「まだ痩せたい」と考えてしまう「拒食の心理」は、本人の中で病識(自分が病気であるという感覚)に結びつきづらい。そのため、医療機関などの専門的治療期間に繋がらない場合も多く、本人にとって、発症してからでは失われるものはあまりにも大きい。 改めて、即効性のある指導法や練習法に固執することについて、再考する時期にきているのではないだろうか。アスリートは誰しも、最初は自分が好きで始めた競技を、できれば可能な限り長く続けたいという欲求を持っている。 単に目先の利益だけではなく、スポーツを人生の一部として捉え、セカンドキャリアも見据えつつも、選手寿命を保つことを前提とした指導観が全ての指導者や監督者に求められるだろう。 とはいえ、「成績を追求することが結果的にはその後の競技人生を延ばす」という見方もあるだろう。しかし、マラソン競技においても、シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんは、20代前後までは無理なく身体の成熟を図ってきたという。女子マラソンで世界選手権に2度出場した原裕美子被告。2007年の世界陸上大阪大会は18位に終わった 高橋さんの大学時代の体格指数(BMI)は10台前半であったとされており、多くの一流長距離ランナーの多くが5以下の値であることを考えれば、大きな乖離(かいり)がある。しかし、彼女は20代中盤で世界に通用するランナーまで成長し、20代後半で世界の頂点に立った。 結果的に、金メダルを取ることができたのは、成長過程の10代から20歳ごろまでに心や身体の土台作りを達成でき、選手としての寿命が延びたことが一因なのではないだろうか。 一方、原被告は高校時代から厳しい減量の日々だったようだ。そもそも、10代や20代の早い段階で選手としてのピークを迎えさせ、世界に通用する成績を残そうとすること自体が、最終的に最高の成績を残すという目標を前提にすると確からしくないともいえる。日本で近年、世界最上位クラスに値する成績を残した女子ランナーがほとんど出ていないことが、その裏付けかもしれない。■ 駅伝「四つんばい」を美談に仕立てたテレビ中継に異議あり!■ ボストンマラソン3位の大迫傑は瀬古利彦を越えられるか■ ここがヘンだよ! 揉めてないのに揉めたがる女子マラソン選考

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    「倭寇の人身売買は貴重な労働力」日中朝を席巻した海賊集団の謎

    渡邊大門(歴史学者) 前近代(特に中世)において、人身売買が行われていたことはご存じだろうか。それは決して公に認められたものではないが、公然の秘密だったといえる。今回はその源流を探るべく、室町時代の人身売買の例を取り上げることにしよう。 鎌倉幕府滅亡後の1336年、足利尊氏が室町幕府を開くと、鎌倉幕府と同様に指針となる法令を制定した。これが『建武式目』であり、中原是円、真恵兄弟らが足利尊氏の諮問に答えた形式を採っている。 『建武式目』は『御成敗式目』のような裁判規範でなく、むしろ政治的な方針を示したものといわれている。その点は性格が異なっているが、以後は鎌倉幕府と同様に多くの追加法が制定された。 ただし、『建武式目』をはじめとする室町幕府の法令においては、人身売買を禁止した規定を見いだすことはできない。しかし、人身売買が行われていなかったわけではなく、関係した史料(人身売買の売券など)は残っている。 当時、人身売買や人の略奪という行為は、よりワールドワイドな方向で展開した。奴隷は世界的に存在しており、常に売買の対象となり流通していた。イスラム世界では高度に洗練された奴隷の流通システムが構築されており、中央アジア、ロシア草原、バルカン半島、ヨーロッパ北部、アフリカ大陸北部などに広がっていたという。そして、それを媒介していたのが、イスラム商人だった。 日本は島国であったが、海で広く世界につながっていた。そして、日本人の略奪や人身売買も東アジア社会で展開することになる。とりわけ中国や朝鮮との関係が重要である。その契機となったのが、14世紀半ば頃から猛威を振るった「倭寇(わこう)」の存在である。 倭寇には、「日本の侵寇」あるいは「日本人の賊」という意味があり、盗賊団のようなものになろう。倭寇という文字そのものは、404年の「高句麗広開土王碑文」に初めて確認できる。その活動は、おおむね14世紀半ば頃から15世紀初頭にかけて見られるようになった。倭寇図巻(東京大学史料編纂所提供の模写) 彼らの活動範囲は、朝鮮半島、中国大陸の沿岸や内陸および南洋方面の海域と非常に広範囲に及んでいる。当時の朝鮮人・中国人たちは、こうした日本人を含む海賊的集団を「倭寇」と呼んだのである。 倭寇の意味するところは、時代や地域によって異なっており、その定義を厳密に行うことは難しい。ちなみに、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)や20世紀における日中戦争も倭寇という言葉で表現された。そうなると、倭寇は賊に加えて、侵略者としての意味も持つことになる。 倭寇は食料などの物資に限らず、人間までも略奪行為の対象とした。朝鮮半島や中国大陸では、倭寇により人がさらわれ、そのまま日本に連行された。こうして日本に連行された人々を被虜人(ひりょにん)と称する。以下、倭寇による人の略奪を取り上げることにしよう。倭寇に悩まされた「明」 高麗王朝史の正史『高麗史』によると、1388年6月に倭寇が朝鮮半島の全羅・慶尚・揚広の三道に進攻し、多くの人々が略奪されるという甚大な被害を受けたと記す。『高麗史』の別の個所では、倭寇の船団は50艘あまりもあり、千余人を連れ去ったというのである。まさしく国家存亡の危機だったといえよう。 事情は中国においても同じであった。『皇明太祖実録』の1373年5月の記録によると、倭寇による人の殺戮(さつりく)などが問題となっており、翌年には対策が練られている。倭寇対策として水軍を充実させ、周辺海域をパトロールさせることになったのである。当時の「大明国」が倭寇の被害に頭を悩ませている様子がうかがえる。 『老松堂日本行録』という史料には、倭寇が日本海域を席巻し、朝鮮半島や中国で人をさらっていたことが記されている。『老松堂日本行録』は応永27(1420)年に足利義持の派遣使節の回礼使として日本を訪れた、朝鮮の官僚、宋希璟(そうきけい)の日本紀行文集で、当時の西日本の社会や風俗および海賊衆を記す貴重な史料である。次に、その中の一節を挙げることにしよう。  一人の日本人がいて、小船に乗って魚を捕まえていた。私(宋希璟)の船を見ると近づいてきて、魚を売ろうとした。私(宋希璟)が船の中を見ると、一人の僧が跪いて食料を乞うた。私(宋希璟)は食料を与えて、この僧に質問をした。僧は「私は江南台州(中国浙江省臨海市)の小旗(10名の兵を率いる下級軍人)です。一昨年、捕虜としてここに来て、剃髪して奴隷になりました。辛苦に耐えられないので、あなた(宋希璟)に従ってこの地を去ることを願います」と言うと、ぽろぽろと涙を流した。(この僧の主人である)日本人は「米をいただけるなら、すぐにでもこの僧を売りますが、あなた(宋希璟)は買いますか」と言った。私(宋希璟)は僧に「あなたはが住んでいる島の地名は何と言いますか」と質問した。僧は「私は転売されて、この日本人に従って2年になります。このように海に浮かんで住んでいるので、地名はわかりません」と答えた。 この男は「僧」と称されているが、「剃髪して奴隷になった」とあるので、頭を剃(そ)る行為が奴隷を意味していたと考えられる。あえて剃髪して異形にすることにより、普通の人と違うことを際立たせ、奴隷であることを視覚化させたのである。要するに剃髪した風貌が僧に似ていたので、仮に宋希璟は僧と呼んだのであろう。この男は連れ去られたのちも、転売されて今の主人に従ったらしい。 この男は故郷の中国にいたときに倭寇によって連れ去られ、売買されたのであろう。場所は、対馬と推定されている。男は慣れない漁業に従事し、食料にも事欠くありさまだったようだ。遠い異国のことでもあり、心情を察するところである。では、なぜ倭寇は中国や朝鮮から人々を連れ去ったのだろうか。 日本において南北朝の乱が始まると、それが約半世紀という極めて長期間に及んだ。とりわけ九州においても各地で戦いが繰り広げられ、著しい内乱状態に陥った。当然、農地は荒れ果て収穫が困難となり、食料が不足したに違いない。戦争時における、食料などの略奪も問題になったと考えられる。 そうなると田畑を耕作する人間は国内で調達することが困難になるので、必然的に国外に求めざるを得なくなった。九州では農業従事者の慢性的な不足があったため、捕らえた朝鮮人や中国人を売却し、農作業に従事させていたのである。対馬は朝鮮半島に近いこともあり、人身売買が盛んに行われていたという。こうして日本国内における労働力の不足は、中国や朝鮮の人々によって補われた。転売もあった人身売買 もちろん、彼らが従事したのは農業だけでない。それらを挙げると、牧畜、漁業、材木の運搬などが主たる業種である。いずれも過酷な肉体労働であり、まさしく奴隷が家畜同様に使役された物悲しさを語ることである。 しかし、近年では以上のような肉体労働だけでなく、さまざまな職種に就いていたことが指摘されている。 一つは通訳である。当時の公用語が中国語とみなされていたことから、通訳はほぼ中国人に限定されていた。中国語の読み書きがある程度できる者は、奴隷として日本に連れ去られ、日本語も堪能になると通訳を任された。通訳になると、先述した厳しい肉体労働から解放された。なお、対馬、壱岐、北九州では、日本人でも朝鮮語に通じた者がいたと推測されており、朝鮮語の通訳は必要でなかったと考えられている。 もう一つは、中国や朝鮮などの案内人として従事させることである。倭寇が中国や朝鮮に上陸する際、地理に不案内なため、どうしても土地に詳しい者が必要であった。いうなれば、倭寇の手先ということだ。皮肉にも被虜人が、倭寇の手助けをし、新たな被虜人を生み出すことになった。案内人としての職務については、中国人、朝鮮人とも行っていたようである。 謡曲に『唐船』というものがある。九州・箱崎の某(なにがし)なる者が、唐土との船争いの際、官人の祖慶(そけい)を捕らえた。祖慶は13年もの間、牛馬の飼育に使役され、肉体労働を強要されたのである。祖慶は、唐土に2人の子供を残していた。2人は父を慕い、連れ帰ろうとして日本に渡海した。祖慶は日本で結婚し2人の子供がいたが、実子との再会に大いに喜んだ。 2人の子供は箱崎の某の許可を得て、父を連れて帰ろうとしたが、日本の子供が別れを悲しんで引き留める。思い余った祖慶は海に身を投げようとするが、箱崎の某は日本の子供も唐土へ連れて帰ることを許した。 ここで重要なのは、祖慶が自由の身になっても、その子供たちは主人の奴隷ということに変わりなかったことである。父子5人は、船中で喜びの楽を奏でながら、帰国の途につくのである。この話は決して架空のものでなく、悲しい実態を反映した作品なのだろう。 このように被虜人は、国内における貴重な労働力であるとともに、倭寇の活動を支える存在であったといえるのである。当時、人身売買は各国で行われており、それは日本でも同じだったのだ。※画像はイメージ(ゲッティイメージズ) そして中国人や朝鮮人の売買は1回で完結するのではなく、さらに転売が伴った。転売された人物としては、魏天(ぎてん)なる者が存在する(以下『老松堂日本行録』)。魏天の生没年は不明であるが、中国の明で誕生し、のちに倭寇によって捕らえられ、被虜人として日本に連行された。その後、魏天は転売を繰り返され、朝鮮→日本→明→日本と移動した。最後は明への帰国を成し遂げ、洪武帝によって日本に派遣された。立場上は日本語を理解していたので、通訳ということになろう。牛馬より安価 再度訪れた日本では、室町幕府の三代将軍・足利義満の寵(ちょう)を受け、京都に居を構えたという。応永27(1420)年には、宋希璟と四代将軍・義持との会見の実現に大いに貢献した。皮肉にも魏天は、被虜人としての生活や日本語の取得が役立ったということになる。魏天は幼少時は被虜人となり、不幸であったかもしれないが、晩年は恵まれており幸運な部類に属するであろう。 被虜人は、遠く当時の琉球にも転売されたようである。14世紀の終わり頃、琉球の中山王察度は4回に渡り朝鮮に被虜人を送還している。1416年、朝鮮国王・太宗も使節を琉球に派遣して、被虜人を帰国させた。おおむね被虜人は、九州を中心にして、東は京都、南は琉球まで転売され、存在したようだ。15世紀後半の京都・建仁寺の禅居庵には、浙江省温州で被虜人になった人物が住んでいた。 女性の被虜人の場合は、日本人男性の妻になった例もあるという。また、中には性的な労働に従事させられた者もあったと推測されている。 以上のように、朝鮮や中国から連行された被虜人は、西日本を中心にして繰り返し転売されることになった。しかし、14世紀の終わり頃になると、朝鮮は日本との通交を積極的に推し進め、被虜人の送還を歓迎した。朝鮮との通交を希望する者は、被虜人の送還を進めた。この動きは15世紀初頭まで続くが、朝鮮の倭寇懐柔策により被虜人の供給が激減したため、以後はあまり見られなくなったという。 倭寇が朝鮮・中国で猛威を振るい、人々を略奪したことを述べてきたが、逆のパターンがあったことにも注意すべきである。朝鮮では報復措置として、日本人を捕らえて奴隷とし、使役あるいは売買したことが知られている。 そもそも李氏朝鮮には、法律上で奴隷の売買が許されており、世襲的な奴婢(ぬひ)が存在していた。14世紀の終わり頃、奴婢の売買は盛んに行われていたが、その価値は牛馬よりも劣っていたといわれている。日本よりも悲惨な現状にあった。しかし、次第に奴婢の売買は制限が加えられるようになり、15世紀の終わり頃には事実上の禁止となったという。 『李朝世宗実録』によると、1429年に朴瑞生(ぼくずいせい)が日本通信使として来日し、帰国後に倭寇に拉致された被虜人のこと、そして日本における人身売買について報告を行っている。その中で注目すべきは、日本人が朝鮮人や中国人を奴隷として売買していたことに加え、朝鮮人も捕らえた日本人を奴隷として売買していた事実が報告されていることだ。 朝鮮人が日本人奴隷を使役していた事実は、1408年の『李朝太宗実録』で確認することができる。この記録によると、日本国王・足利義持が派遣した船の中に、当時、朝鮮人のもとで労働に従事していた日本人女性が逃げ込んだという。この日本人女性が、いかなる経緯で朝鮮人に捕らえられたのかは明らかでない。これにより、朝鮮人のもとで日本人奴隷が存在していたことが明白になった。倭寇図巻(東京大学史料編纂所提供の模写) その後の顛末(てんまつ)はどうなったのであろうか。朝鮮サイドでは府使を遣わし、日本の船に逃亡した日本人女性を返還するよう求めた。奴隷は主人の所有物なので、ある意味で当然の要求といえるかもしれない。しかし、日本サイドの使者は、「日本に私賤はいない」と突っぱねて返還を拒否した。そのような経緯を踏まえて、太宗は日本人奴隷の売買を禁止する法令を発布したのである。 一説によると、当時の朝鮮における奴隷の割合は、相当に高かったという。太宗がいかなる理由で、日本人奴隷の売買を禁止したのかは不明であるが、仮に朝鮮で普通の人の売買を禁止しているならば、日本の「私賤はいない」という主張に従って、措置をしたのかもしれない。日本人女性が奴隷でないならば、返還するのが筋だからである。 このように、15世紀の日本において人身売買が国の枠を超えて行われたことは、非常に興味深いところである。次回以降は、さらに人身売買や奴隷の詳細を明らかにしていこう。《主要参考文献 渡邊大門『人身売買・奴隷・拉致の日本史』(柏書房)》■「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか■「キリシタンへの見せしめ」秀吉が黒田官兵衛を疎んじた理由■「極悪の欲情」女好き秀吉、フロイスの目にはどう映ったか

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    「仮想通貨バブル」はこうして崩壊した

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「仮想通貨バブル」が事実上終わった。仮想通貨自体は、代表的存在である「ビットコイン」を含めて10年以上、支払い手段や投機の対象として、ある程度親しまれてきた。 ただ、昨年からのビットコインの猛烈な価格上昇は、仮想通貨バブルと呼ぶべき投機を生んだ。2017年の1年間で、ビットコインの資産額は14倍ほどに膨張した。 しかし、年明けから状況は一変し、ビットコインをはじめとした仮想通貨バブルは一気にしぼみ、事実上崩壊した。ビットコインは、昨年末には200万円台だったが、12月3日現在では約45万円まで暴落している。 また、単純に暴落しているだけではなく、乱高下を繰り返している。この現象を「ボラティリティー」という。もちろん、ビットコインのみならず、仮想通貨全般に大幅な下落が生じている。株式評論家の早見雄二郎氏は、仮想通貨ならぬ「火葬通貨」と表現している。さらに、仮想通貨バブルに積極的な批判を展開しているニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授は、「ゾンビ仮想通貨」と辛辣(しんらつ)な表現をしている。 前述の通り、仮想通貨は去年の後半に大ブレークを起こし、注目を浴びた。また今年前半には、仮想通貨交換所のコインチェックで約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が盗難されるというサイバー犯罪が起き、国内外に大きく報じられた。不動産や株価を中心に起こった80年代終わりから90年代初めのバブル景気も、資産価格の高騰とその後の大暴落の前に、犯罪や怪しげなバブル貴族が多く湧いたが、今回もその手の話題には事欠かない。 筆者は昨秋から、仮想通貨の価格高騰が単に投機的な目的に基づいていて、脆弱(ぜいじゃく)なものであると事あるごとに指摘してきた。そのため、1年以上たって起きている火葬通貨化やゾンビ化は不思議なことではない。なぜなら、仮想通貨には根源的な問題があるからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ここで、仮想通貨の基本とその問題点を簡単に解説してみたい。仮想通貨の基本的な性格は、それがインターネット上の通貨ということだ。日本の円通貨が紙幣や硬貨のような有形物なのに対して、仮想通貨は手に触れることができない。支払いも残高の管理も、全てネット上で行われている。 ところで、日本は世界でも有数の「現金好き」な国である。海外に旅行する経験が豊富であれば、欧米やアジア諸国で急速に「キャッシュレス社会」が進展していることに気が付くだろう。 ただ、日本でも徐々にキャッシュレス化は進行している。例えば、電車の運賃やコンビニなどの支払いを、「Suica(スイカ)」や「PASMO(パスモ)」などの交通系の電子マネーで済ます人は多いだろう。支払い手段としては厳しい 電子マネーは、ビットコインなどの仮想通貨とは異なる。スイカは、JR東日本が利用者の残高を管理しているが、ビットコインには管理者がいない。 また、スイカの残高の価値は円表示されていて、それが刻一刻変動することはない。だが、仮想通貨の場合は、冒頭で記したように1単位の価値が円に対して変動する。海外の電車を使う際には、スイカのICカードを直接利用することはできないが、仮想通貨は、国境を跨(また)ぐ支払いに使うことができる点も大きく異なる。 ちなみに、来年10月に予定されている消費税率の10%引き上げの緩和策として、キャッシュレス決済を促進する政策が提起されている。ただし、消費増税により、元々の「決済」自体が大きく低下しそうな状況で、このような「浅知恵」は官僚的なものだな、とため息をついてしまう。 仮想通貨には、代表的なビットコインと、それ以外の仮想通貨「アルトコイン」があり、全て含めると種類は1000を超える。ただし、一般の人が利用する仮想通貨はおそらくその3割程度だと思われる。 仮想通貨はインターネット上に存在するため、実際の決済はパソコンやスマートフォンを操作することで行われる。日本でビットコインの決済サービスを導入している代表的な企業として、家電量販大手のヤマダ電機が挙げられる。ビットコインの交換業者大手である「bitFlyer(ビットフライヤー)」は、利用者にビットコインのための口座「ウォレット」用のアプリを提供し、そこでビットコインの支払いや受け取り、購入、保管なども一括して行っている。 このアプリはスマホにダウンロードできるので、ヤマダ電機の店舗に行ってアプリを利用して、その場で買い物ができるようになる。ただし、ビットコインで支払いできる店舗は極めて少なく、支払い手段としてはかなり厳しいというのが、今のビットコインに対する評価ではないだろうか。 本来ビットコインは、従来の銀行を経由した決済よりも手数料が極めて低額であることが魅力だった。ただ、最近はビットコインの価値上昇に伴い、このメリットが失われつつあり、また支払い確認にも時間がかかる。例えば、通常のカードによる支払いも端末などで認証をしているが、認証時間は極めて短い。それに対して、ビットコインの取引時間は短ければ数分だが、数時間もかかる場合もある。 この時間のコストは無視することができない。なぜならば、ビットコインは、価格変動が大きいので、時間がかかればかかるほど「価格リスク」が発生する。ただし、先ほどのヤマダ電機のケースは、購入者側での価格リスクを回避できる仕組みがあるなど、さまざまな対応策が現場で採用されているようだ。ビットコインの支払いで使うスマートフォンの画面=2017年4月、東京都千代田区 では、なぜ一般的にビットコインの取引には時間がかかるのだろうか。そこには、ビットコインに代表される仮想通貨と、私たちが普段の生活で利用している貨幣に共通する性格が関わってくる。 われわれが利用している円やドルなどの貨幣は各国政府が発行し、その信頼性を裏付ける。もっと踏み込んでいえば、通常の政府貨幣は、それが「貨幣ゆえに貨幣である」という形で信頼性を得ている。 利用する人たちが、この紙切れが「円やドルという貨幣である」と信頼することが、そもそも貨幣が貨幣たるゆえんなのである。政府や、唯一の貨幣発行機関である中央銀行は、いわば単なる「きっかけ」程度の役割しか、実は持っていない。良貨が悪貨を駆逐する 貨幣を使う人たちがそれは貨幣であると信頼することができれば、貨幣は誕生する。これを「貨幣の自己循環論法」といい、かなり正しい経済学の考え方だ。 政府も中央銀行も貨幣誕生について本質的なものではないならば、取引する人みんなが貨幣(通貨)だと思う仕組みを作ればいいことになる。ビットコインなど仮想通貨の貨幣としての信頼性を生み出す仕組みが、ブロックチェーンと呼ばれる機構である。簡単にいうと、ネット上でその電子情報がちゃんとした「通貨」として取引されてきた、という裏書きがされているものだ。 そして、裏書きされているかどうかは、市場に参加している不特定多数の人が立証することができる。立証することが出来れば利益も出る。そのため、ビットコインの運用は、市場参加者により自発的な形で行われ、しかも信頼性の高いものとなっている。これが「分散型」といわれるものだ。 ただし、ここに先述した「ビットコインの取引には時間がかかる」というコストが発生する原因がある。今支払いに利用された電子情報が「ちゃんとしたビットコイン=仮想通貨」であることを確認するのは、特定の管理者ではなく、市場の不特定多数の人たちである。この不特定多数の人たちは「採掘者(マイナー)」と呼ばれている。実際には報酬が伴うとはいえ、彼らの「自主的な努力」によって、ビットコインは貨幣としての信頼を獲得するのである。 でも「市場任せ」のために、どうしても時間がかかってしまう。政府や中央銀行が紙や金属片を精緻に印刷し、精巧に鋳造することで、貨幣の信頼性をモノの側面であらかじめ保証するのに対して、電子情報が貨幣として信頼あるものになるには事後的に認証されるために、時間がどうしても必要になるのだ。 ただし、貨幣の本質から見れば、既存の貨幣も仮想通貨も、市場に参加している人々の信頼だけが貨幣を貨幣たらしめることでは大差ない。そこが理解のポイントである。 そして、この「貨幣ゆえに貨幣である」という貨幣の基本的性格を、仮想通貨が満たしているとはいえない。確かに、支払い手段として使われているのだが、それは局所的現象にとどまる。大半の仮想通貨は単に投機目的のために所有され、「投機が投機を招く」という別の自己循環論法で存在する経済的価値でしかないのである。2018年9月、70億円相当の仮想通貨を流出させた仮想通貨交換業者「テックビューロ」本社が入居する大阪市内のビル。金融庁から3度目の業務改善命令を出された ルービニ教授は最近、仮想通貨の持つ根本的な問題として、中央銀行が仮想通貨を発行すれば、既存の仮想通貨は全て排除されるだろうと指摘している。中央銀行の仮想通貨には、ブロックチェーン技術さえ不用かもしれない。なぜなら、中央銀行の発行する貨幣がそのまま仮想通貨に置き換わるならば、その既存の貨幣が保有していた「貨幣としての信頼性」をも完全に代替可能になるからだ。 つまり、日本銀行がスイカやパスモを発行しているようなものだ。それぞれの国民は直接、中央銀行に口座を所有し、そこで残高管理されるわけである。この強力な中央銀行型仮想通貨、むしろ中央銀行型電子マネーが誕生すれば、おそらく民間発行の仮想通貨が生き残ることは難しい。 もっとも、投資対象として生き残ることは可能かもしれないが、今よりもさらに規制が厳しくなるだろう。支払い手段を目指した貨幣ではなく、その場合は単なる「ネズミ講」と変わらなくなるからだ。そこに民間主体の仮想通貨が持つ長期的な不安定性がある。「悪貨が良貨を駆逐する」のはまずいが、「良貨が悪貨を駆逐する」のは望ましいことでもある。■ 山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質■ コインチェック事件は想定内、仮想通貨が抱える3つの問題■ 「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

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    外国人労働者受け入れにも応用できる「マルクスの経済学」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) カール・マルクス(1818-83)は、資本主義経済の本質と限界を明らかにした。マルクスの代表的な著作『資本論』(1867に第1部公刊、没後に2部・3部公刊)や、盟友のフリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』(1848)などは、世界中の人たちに今も多大な影響を与えている。 マルクスは2018年で生誕200年を迎えることもあり、世界各国でその業績を振り返るイベントなどが盛んに行われた。例えば、中国では習近平国家主席が、中国の経済・社会的な繁栄をマルクスの教えに基づくものとして、さらには習体制自体のマルクスからの正当性と成果を強調するために利用した。 もちろん、このような「政治的利用」については、各国の識者やメディアから厳しい批判もあった。マルクスは資本主義経済の問題点と限界を明らかにしたのであり、現在の中国は、一党独裁の政治体制の下で人々の自由な発言や暮らしを制限している一方、経済については営利追求を中心にした資本主義経済そのものではないか、という内容である。 マルクスによれば、資本主義経済は資本家階級と労働者階級との「階級闘争」の場であった。マルクスは、資本主義経済が発展しても、そこでは実際に経済そのものを発展させる原動力である労働者階級の生活は苦しく、資本家階級に酷使され、その経済的成果を「搾取」されている。しかも、資本主義経済というのは、この資本家階級による労働者階級からの「搾取」がなければ、そもそも成長しようがない。 このような不当な抑圧と対立は、やがて二つの階級闘争をエスカレートさせていき、やがては資本主義経済の行き詰まりとその体制の「革命」を必然的に伴うだろう、という見方である。労働者階級には圧倒的多数の人たちがおり、その自由を求める必然の活動を、マルクスは正しいかどうかは別にして、それなりの理屈で主張したのである。 このようなマルクスの考え方に影響を受けて、19世紀中期から現代に至るまで、さまざまな社会的な運動が生じた。その中から、ソ連や改革開放路線以前の中国、キューバなどの共産主義国家が生まれてきた。2018年5月、マルクス生誕200年の記念大会に臨む中国の習近平国家主席(左)と李克強首相=北京の人民大会堂(共同) だが実際には、多くの国では、マルクスが批判していた一部の特権者による政治的弾圧が広範囲に見られ、人々の自由は著しく制限された。資本家階級が単に政治的特権階級に入れ替わっただけであった。 生活水準は、確かに平等化が大きく進んだが、それは極めて低水準のものであることが大半であった。例えば、崩壊したソ連経済では、国民の消費が大きく抑圧される一方で、軍事の拡大やムダな投資が行われた。マルクスの予言も分析も間違い? ハンガリーの経済学者、ヤーノシュ・コルナイは、人々に必要な物資が行き渡らないのは、中央集権的な「指令経済」の責任であるとし、ソ連などの共産主義国家の経済の在り方を「不足型経済」と呼んだ。全く妥当な意見だろう。この「不足型経済」はやがて限界を迎えて、ソ連は崩壊し、中国も「改革開放」路線という形で資本主義経済に「復帰」した。 英オックスフォード大学のフェロー(教員)であり、また英BBC放送の筆頭経済記者だったリンダ・ユーは、近著『偉大な経済学者たち』(2018)で、現在の中国とマルクスの関係について解説している。ユーは、マルクスが市場経済を取り入れた今の中国共産党を批判するだろうとした。他方で、中国が市場経済を導入することで、貧困や経済格差を解消したのならば、マルクスはそのことを評価しただろうとも指摘している。 都市の中での富裕層と貧困層の経済格差、そして農村部と都市の経済格差は中国だけではなく、国際的にもしばしば問題視されてきた。ただしこの経済格差自体は、まだ数値としては大きいものの、近年では縮小するトレンドに入ったと指摘する専門家もいる。 他方で「絶対的貧困」とも呼べる人たちが農村部を中心に膨大に存在していたが、「改革開放路線」という中国的な資本主義化によって急速に減少した。おそらくこの農村部の貧困解消は、都市部への労働者の流入とその生活水準の向上によるものが大きいだろう。またリーマン・ショック以降に加速した内陸部への公共投資の拡大が地方経済の底上げに役立ったことからも、貧困と格差の縮小に貢献したのではないだろうか。 だが、これらはマルクスの指摘とは異なり、現在の資本主義経済を基本的に採用している国々の発展パターンと極めて似ている。 むしろ、マルクスの予言も分析も間違っていた可能性を示唆している。では、マルクスの分析は今日では全く意義がないものだろうか。必ずしもそうだとは言い切れない。特に、「搾取」とは異なるマルクスの分析にも注目すべきである。 マルクスの有名な著書『経済学批判要綱』(1857-58)に、「時間の経済、全ての経済は結局そこに解消される」という有名な言葉がある。この言葉については、経済学者の杉原四郎(1920-2009)による以下の解釈が参考になる。 「こうした主張は、人間生活にとって最も本源的な資源として時間があるということ、労働時間がその時間の基底的部分を構成するということ、そして生活時間から労働時間をさしひいたのこりの自由時間によって人間の能力の多面的な開発が可能になること、したがって労働時間の短縮が人間にとって最も重要な課題とならざるをえないこと、このような認識をまってはじめて成立することができる」(『経済原論Ⅰ』)。ロンドンにあるカール・マルクスの墓(ゲッティイメージズ) 人間の労働が、本来は自分の本質を実現する生命活動でもあるにもかかわらず、ワーカホリック(仕事中毒)や過重労働などで自分の生命さえも危機に陥ることが、今の日本でも大きな問題になっている。労働者は自分の時間を自由に使うことができず、社会から「疎外」されている。マルクスの分析はこの時間の経済論としては再考すべき現代的意義があるだろう。 ただし、マルクスの現代的意義をこの「自由」の観点から考察すると、実はマルクスの貢献がかなり相対化され、事実上無視しても差し支えなくなる。マルクスは、資本家と労働者の間できちんとした雇用契約がなければ、そもそも「市場」などは存在しないと考えていた。この観点は、マルクスだけではなく、何人かの経済学者たちが共有している観点でもある。例えば、辻村江太郎は以下のように書いている。見せかけの「需給一致」 「労働市場を放置すれば供給過剰になりやすいということは、マルクスと同時期に、すでにゴッセンが警告していたことである。労働の供給過剰は、一人当たりの労働時間の面と、家計の有業率(ミクロの労働率)との面に現れるか、ゴッセンは後者について、家が貧しいと子女が幼時から働きに出て、それが労働条件(悪化)の悪循環のもとになることを指摘していた」(『経済学名著の読み方』)。 ヘルマン・ハインリヒ・ゴッセンは19世紀前半のドイツの経済学者だ。彼の発言を図にすると以下のようになる。 経営者や資本家から自分の労働を厳しく買いたたかれて、もはやギリギリの生活水準まで落ち込んだ状態が、マルクスやゴッセンの考えた賃金状態=W0だとする。そのときに雇用されている人数(雇用量)は、L0だとしよう。これは、経済学の普通の労働需要と労働供給の一致を示しているようにも思える。 だが、マルクスとゴッセンは、この需要と供給の一致はあくまで見せかけであって、実際には労働者の雇用契約の自由が奪われてしまっている、と指摘した。労働者側は自分の生活水準ギリギリの賃金に落ち込んで、それでもこの「契約」を生きるために飲まざるをえないのだ。 日本の現状でいえば、あくまで一例だが、非正規雇用に多い年収100万円以下で働いて家計を支える人たちや、現在議論されている出入国管理法改正案で対象となっている外国人技能研修生の一部に見られるブラックな雇用環境をイメージしてほしい。 ところが、厳しい生活に直面している人たちが、家計の補助になるだろうと子供たちを働かせることにより、かえって貧困を加速してしまうと、ゴッセンは指摘している。上記の図でいえば、労働供給曲線が右下方にシフトする。これが、純粋に家計補助で駆り出される子供たちの労働の増加を示す。 だが、これは彼らの家庭をさらに貧困のどん底に突き落とすだろう。なぜなら、今までも生活ギリギリだった賃金水準が、それをさらに下回るW1のラインまで下落しているからだ。 この結果はどうなるだろうか。一つは、今まで食べていたものを、さらに安価で不健康で高いカロリーのみを追求するだけのものにするかもしれない。また子どもの貧困が加速するために、子どもたちは満足な食生活を維持できずに、また過酷な労働の結果、死にさえも直面するだろう。 ゴッセンが児童労働を強く批判した理由はこのためである。市場原理は、競争の結果、労働の売り手と買い手が最適になる、つまり経済学の意味でハッピーになると考えている。だが、このゴッセン=マルクスのケースでは全く市場原理は機能していない。むしろ、政府の介入による児童労働の禁止が強く要請されるだろう。実際に、このゴッセン的な観点での児童労働の禁止は、今も有効なのである。2014年にノーベル平和賞を受賞したインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティ氏=2016年6月撮影 2014年のノーベル平和賞がインドの人権活動家、カイラシュ・サトヤルティに与えられた。児童労働への反対運動を評価されてのことだ。彼はインドだけでなく、世界各国で強制労働に直面していた児童8万人余りを解放した。児童労働(5歳から14歳まで子供たちの強制的労働)は、全世界で2億5千万もの人数に達するという。サトヤルティ自身は経済学者ではないが、その児童労働廃絶の根拠は、今説明したゴッセンやマルクスの考えと同じだろう。リベラル2.0の経済学 ところで、この考えは児童労働だけの問題ではない。国会で審議されている入管法改正の議論でも参照になるのだ。 この議論でも、W0が生活に追い立てられたために、やむなく条件を飲んでいる厳しい賃金水準だとしよう。そのときの国内の(未熟練)労働者の雇用量はL0になる。ここで、現状の入管法改正案のように、外国人労働者を増加させるとどうなるだろうか。 今までの国内の労働者たちと同じ質を持つ外国人労働者が増加することで、やはり労働供給曲線は右下方にシフトする。このとき図から自明なように、賃金は今までの水準よりもさらに低下する。さらに国内の労働者の雇用も減少してしまう。国内の労働者賃金は前よりも下がったW1になり、そのときの雇用量はL2になる。受け入れた外国人労働者もまた日本国内で過酷な待遇を甘受しなくてはいけない。どこにもいいことはないのである。 では、どうすればいいか。まず考えられるのは、ゴッセンが追求した道であり、外国人労働者の移入制限がこれにあたる。だが、制限だけでは、生活水準は相変わらずW0の位置で酷悪なままだ。加えて経営者側へのさまざまな規制、例えば労働時間の規制や労働者の交渉力の向上などが必要とされる。これが今までのリベラルな経済学の在り方だ。これを「リベラル1.0の経済学」としよう。その上で、市場を十分に機能させるための制度上の構築が必要なのだ。 次に必要なのが、マルクスらがまるで評価しなかった、現実の経済水準全体を拡大していく政策である。これを「リフレーション政策」と一応名付けよう。経済の現実的な成長率を年率3~5%程度で安定化させるために、積極的な金融政策と財政政策の組み合わせで臨んでいく政策スタンスをいう。 もちろん、政府による異常なムダが削減されるが、それによって経済全体を縮小するような緊縮スタンスには反対する。そういう姿勢だ。これを「リベラル2.0の経済学」とする。先ほどの図でいえば、①制度構築による市場原理の達成(需給一致が労使双方の満足を最大化する)②経済成長の安定化、その一つの在り方としての労働需要の増加、である。②の労働需要の増加を最初の図に書き加えよう。 リベラル2.0の政策によって労働需要曲線が右上方にシフトしている。と同時に、市場の制度的基盤が改善されていることで、生活ギリギリの賃金から労働者は解放されている。ただし、このケースでも外国人労働者が移入することは、国内の労働者の賃金と雇用を奪うことには変わりはない。ただし、最初のケースに比べれば、国内労働者からの「収奪」は相対的に少なくなるだろう。 外国人労働者のケースで付け加えることは、あくまで同じ質の労働者を前提にしていることだ。例えば、国内の労働者と補完的な関係の人たちや、高度な技能を有する人たちは国内の生活水準を改善することに寄与する。 少なくとも、国内の雇用環境を、ブラックな処遇の改善、そしてマクロ経済全体の改善という手順を踏んで、その上で外国人労働者をその雇用の質に配慮しながら受け入れることが望ましいだろう。(敬称略)

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    稀勢の里休場「モンゴル脅威論」がさらなる悲劇を生む

    山田順(ジャーナリスト) もはや再起は不可能。このまま引退するのが妥当だ。もし本人がそれを望まず、再起を果たすために強行出場するなら、それこそ本当の悲劇が起こる。 どう見ても、初場所の復帰では、今場所休場した白鵬、鶴竜の両横綱をはじめとするモンゴル勢にボコボコにされる。さらに、ガチンコの日本人力士も徹底して金星を狙いにくる。となると、土俵上で立ち往生して泣き顔になる横綱稀勢の里の哀れな姿を、私たちは何度も見なければならない。 それは、もう勘弁してほしい。これ以上、日本相撲協会も、そして相撲ファンも、稀勢の里を傷つけて何になるというのだろうか。  稀勢の里がここまで追い込まれたのは、誰もが知るように、「日本人横綱の誕生」を願った相撲協会とファンの思惑と、本人が徹底してこだわった「ガチンコ道」である。 それゆえ、本人は「もう1回チャンスをもらいたい。このままでは終われない」と懇願していると聞くが、ここはもうはっきりと引導を渡すべきだろう。 どう歴史をひもといても、ここまでブザマで情けない姿を晒(さら)した横綱はいない。今回の11月場所は初日から4連敗。しかも、ガチンコ負けだから、救い難いものがある。 これは、11日制だった1931年春場所の宮城山以来87年ぶり2人目のことだ。さらに、1場所15日制がスタートした1949年夏場所以降では初めてのことというから、この時点で引退しなければおかしい。大相撲九州場所3日目、稀勢の里(左)は北勝富士に突き落とされ3連敗となった=2018年11月13日、福岡国際センター そうさせない「見えない力学」が働いているのは分かる。だが、それを理由としたら、横綱の権威と伝統、いや相撲そのものが崩壊してしまう。 稀勢の里のこれまでの戦歴を見ると、生涯戦歴は800勝492敗90休(100場所)、幕内戦歴も714勝449敗90休(84場所)と、かなりのものを残している。しかも、この星取りがすべてガチンコなのだから、本人の努力、精進には頭が下がる。 ところが、この稀勢の里の「ガチンコ道」に報いなかったのが、相撲協会とファンの「御都合主義」である。横綱にしてはいけなかった こんなことを書くと「今さらなんだ」とひんしゅくを買うだろうが、そもそも稀勢の里を横綱にしてはいけなかった。2016年11月場所を振り返ってみよう。このとき、稀勢の里は珍しく連戦連勝し、優勝候補の筆頭だった。しかし、終盤に崩れ、終わってみると12勝3敗の準優勝で終わった。そして迎えた2017年初場所、綱取りがかかっていたわけではなかったが、鶴竜と日馬富士、大関豪栄道の途中休場に助けられ、さらに弟弟子の小結高安の援護射撃も受けて、14勝1敗で初優勝してしまった。 これに喜んだのが相撲協会と横綱審議委員会だ。ファンの盛り上がりを受けて、「2場所連続優勝、あるいはそれに準ずる成績」をゆるゆるで適用してしまったのだ。 こうして横綱になった稀勢の里のその後は、以下の通りである。休場を繰り返し、出場すれば「金星支給マシン」と化した。横綱在位11場所:休場9場所(途中休場も含む)戦歴:36勝32敗89休(優勝1回) この稀勢の里の36勝のうちの13勝は、横綱昇進後に連続優勝を果たした2017年3月場所のときのものである。このとき、稀勢の里は大関照ノ富士を本割と優勝決定戦で続けて下して逆転優勝したが、その後この2人がどうなったかは、書くまでもないだろう。ガチンコを貫くと悲劇しか起こらないのだ。 普通、歴代の大横綱たちは、ガチンコだけでは身が持たない、地位を失うと知って、場所中の何番かは「注射」をして星を稼いできた。例外は、貴乃花ほぼただ一人である。 稀勢の里の得意技は「左四つ」「寄り」「突き」で、これまでの決まり手を見ると、「寄り切り73%」「突き落とし18%」「上手投げ9%」の三つしかない。いかに不器用で、実直に「ガチンコ道」を貫いてきたかが、これで分かる。 今場所前、稀勢の里は「絶好調」が伝えられた。スポーツ紙も「出稽古で手応え 稀勢もちろん優勝」(『日刊スポーツ』11月7日付)と、期待を煽った。2017年1月、大相撲初場所千秋楽、初優勝を果たし、賜杯を受け取る稀勢の里(左)=両国国技館(今野顕撮影) 稀勢の里は先代の師匠である鳴戸親方(元横綱隆の里、故人)の方針から、出稽古にはほとんど出ていなかったが、今場所だけは違った。場所中に対戦が予想される力士のところに積極的に出稽古に行き、好成績を残していた。 ところが、蓋を開けると4連敗。初日の小結貴景勝戦で右膝を痛めたこともあったが、得意の「左四つ」に持ち込むのを焦り、おっつけをせずに左を差そうとして、相手に左を封じ込められるという不甲斐ない相撲が続いた。 2日目に敗れた東前頭筆頭の妙義龍とは、出稽古の三番稽古では13勝2敗、同じく3日目に黒星を喫した西前頭筆頭の北勝富士とは9勝3敗だったのに、簡単に敗れてしまった。「モンゴル脅威論」が悲劇を生む 稽古と本番は違う。本番がガチンコなら、相手は百も承知の得意技「左四つ」にさせない相撲を取るに決まっている。 稀勢の里休場を受けて、いまだに「再起」を望む声が強い。それはたった一人の日本人横綱を失えば、今後はモンゴル勢の天下になってしまうという危惧があるからだ。日馬富士がいなくなっても、「モンゴル互助会」は今も機能している。もちろん、その頂点に君臨するのは大横綱となった白鵬だ。 白鵬は、日本国籍取得の準備をしていると伝えられている。つまり、引退後は親方として相撲協会に残り、モンゴル勢の後押しで理事になる青写真を描いているという。現在の宮城野部屋の関取は全員、白鵬の「内弟子」なので、もはや宮城野部屋は「白鵬部屋だ」と相撲記者は言う。 現在、モンゴル出身の親方は友綱親方(元関脇旭天鵬)、錦島親方(元関脇朝赤龍)、春日山親方(元前頭翔天狼)の3人である。ただし、現役力士は白鵬、鶴竜を含めて22人もいる。彼らはいずれ親方になる可能性が高いから、そのうち相撲協会はモンゴル出身親方が一大勢力になるだろう。 白鵬は今場所、鶴竜とともに休場した。大記録を次々に塗り替えた後は、けがによる休場が多くなった。今年に至っては、今場所も含め年間6場所中2勤4休である。 白鵬が2020年の東京五輪まで現役を続けたいと願っているのはよく知られている。その理由は、五輪の開会式で土俵入りを果たしたいからだという。 現在、稀勢の里休場で「モンゴル脅威論」が急速に盛り上がっている。しかし、それを封じ込めるために、稀勢の里にさらに現役を続けさせるとしたら、それこそ、さらに悲劇を生むのは、既に書いてきた通りである。2018年9月、引退断髪披露で最後の土俵入りに臨む元横綱日馬富士(中央)。右は露払いの横綱鶴竜、左は太刀持ちの横綱白鵬=東京・両国国技館 もし、日本人横綱がそれほど大事なら、なぜ、日本人力士同士でガチンコ対決を続けるのか。星を潰し合い、挙げ句の果てに休場者続出という場所を続けているのか。それでは、稀勢の里は見殺しではないか。 現在の土俵には、日本独特の「秩序形成力学」が働かなくなった。注射とガチンコが混在して、「国技」という伝統文化をつくり上げてきたが、それが消えてしまった。 相撲は興行ではなく、完全なスポーツになりつつある。むしろ、「伝統文化」を守っているのはモンゴル勢のほうである。このままでは相撲は、パーフェクトな格闘技として、力士の身体が壊れるまで本気で闘わせる、実に残酷極まりない競技になる。果たして、それでいいのだろうか。

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    元SMAP「新しい地図」が開けたアイドルの風穴

    、いかに穏やかで温かい人たちが多いか、一読でわかるだろう。別におべっかを書いているわけではない。この連載で、SMAPに関して論じていたときから指摘していたことだ。ちなみに、筆者はまだSMAPの再生を夢見ている。 このようなSNSを全面的に活用し、新しいファン層までも有機的にリアルの場で結合していく戦略は、日本の男性アイドルの中では既に突出したものになりつつある。国際的な展開でも十分期待できるだろう。 このような「新しい地図」のSNS戦略は、古巣のジャニーズ事務所のSNS戦略にも影響を与え、重大な転換をもたらしているかもしれない。ユーチューブで「ジャニーズJr.チャンネル」(チャンネル登録者数40万)を開設し、Jr.内ユニット「SixTONES(ストーンズ)」の新曲のミュージックビデオを同チャンネル上で公開したことが、大きな試金石になる。 日本のアイドルは韓国のアイドルに比較して、SNSの利用に関して格段の後れを取っていた。その原因は、ジャニーズ事務所などが採用している「厳格な著作権」管理にある。まず、SNS上にあるジャニーズ系のアイドルの動画はことごとく削除されてしまい、目にすることなど通常ではなかった。2018年7月、チャリティーソングの売上金を寄付し、記念撮影する元SMAPの(後列左から)香取慎吾、稲垣吾郎、草彅剛ら それに対して、韓国のアイドルたちは、テレビの音楽番組もあっという間にユーチューブなどにアップされ、それがファンの手で解説や各国語の字幕とともに世界に伝わっていく。この「緩い著作権」戦略は、日本のアイドルも積極的に採用すべきだと、筆者はことあるごとに指摘してきた。 おそらく、この「永久凍土」とでもいうべき日本の現状を打ち崩したのが、「新しい地図」のこの1年の活動にあったのだろう。彼らの個性をベースにし、SNSとリアルを結び付けた、ファン=NAKAMAとの活動は、まだ幕が開いたばかりだ。その行方には、おそらくより広い世界のNAKAMAが待っている。まったりとした雰囲気の彼らのSNSに触れながら、その野心的な試みの行方を見守っていきたい。

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    ムロツヨシに惹かれるのは「オキシトシン系」男子だから?

    吉田潮(ライター・イラストレーター) 74歳の母がテレビを見ていて、「この人、すごく面白くていい人なのよ~」とまるで知り合いかのように話す。誰かと思って画面を見たら、ムロツヨシだった。母の「いい人」の基準は、基本的にNHK『鶴瓶の家族に乾杯』で決まる。ただし、名前は覚えない。「彼はキャリアも長くて、今ドラマに引っ張りだこの人気俳優なんだよ」と教えると、「へえ、そうなの」と生返事。俳優としてのムロツヨシには興味がないようだ。おそらく老いた母にとっての「いい人」とは、声が聴き取りやすく、受け答えが穏やかで低姿勢の人なのだろう。 一般的には、ムロツヨシはコント臭が強めの三枚目俳優の印象が強い。今期で言えば『今日から俺は!!』(日テレ系)に出てくるのが通常運転の彼だ。ツッパリに憧れる男子高校生たちの恋とけんかと友情という、一見爽やかに見える青春コメディーなのだが、爽やかじゃない部分を担うのがムロツヨシ。金八先生を模した教師役だが、独特の間合いとウザイ仕草で卑怯(ひきょう)な大人を演じきる。教室や職員室はすっかりちゃっかりコント劇場に。若手イケメン俳優が皆ムロツヨシ(または吃音の魔術師・佐藤二朗)を真似することで、こってりした福田雄一劇団が完成している。 『今日から俺は!!』に出演するムロツヨシ(左)と賀来賢人(C)日本テレビ ところが、そのムロツヨシが今、女性たちの胸を焦がしている。『大恋愛』(TBS系)というドラマで、一途に恋をしているからだ。ヒロインは戸田恵梨香。クリニックを経営する婦人科医だが、若年性アルツハイマー病を患っている。そんな戸田と偶然知り合うのがムロツヨシ。鳴かず飛ばずの作家で、引っ越し屋のアルバイトで生計を立てていた。「難治の病」と「格差恋愛」を描く、正直に言えば、陳腐な設定の作品である。 性善説に流れて登場人物が偽善化する病気モノが大嫌いなので、適当に流そうと思っていた。が、ちょっと斜に構えてカッコつけているムロツヨシが気になった。しかも、真摯(しんし)な恋を貫いて、愛に生きているじゃないか! これまでの俳優・ムロツヨシを愛(め)でてきた人々は、心のどこかで「この後、ふざけて変顔するんじゃないか」「嘲笑されて終わるのでは」と予期不安がよぎる。つい、コント的な要素を彼に求めてしまうのだ。 しかしながら、「大恋愛」では毎回見事に裏切られる。見ているこっちがこっぱずかしくなるような「愛を語るシーン」も「ベッドでいちゃつくシーン」も、しっくりハマっている。「どうかしてるぜ、ムロツヨシ」というよりは、「どうかしてるぜ、自分」と己の目を疑うのだが、真摯に愛を育んでいく姿、悪くない。ムシロヨシ、ムロツヨシ。物語の行く末は見えているし、手垢まみれの物語なのに、ムロツヨシの動向を最後まで見届けたいと思わせる。 なんて、絶賛してもちっとも面白くないので、なぜ彼がこんなに女性たちを虜(とりこ)にしたのか、考えてみたい。決してイケメン枠でもなく、若くもなく、華があるわけでもないのに、こんなに女性票が集まるのか。最大の勝因は清潔感 まず、「パーツイケメン」であることが挙げられる。ムロツヨシの顔を分解してひとつひとつのパーツを見てみると、実に美しいという事実。すでにネット上では周知の事実で、本人もある程度の自覚はあると思われる。 目は大きく、黒目がちで、きれいな二重だ。眉毛もりりしい。昭和の男性アイドル的な顔の濃さは、妻夫木聡に近い。鼻も整った形で、正面から鼻の穴が見えない。唇も厚すぎず薄すぎず、口角がきゅっと上がっている。これ、重要。口角が下がっていると老けて見えるし、不平不満顔で横柄な印象になる。歯並びも美しい。この秀逸なパーツがそろって、スパイスとしてのホクロを足すと、残念ながらムロツヨシが完成してしまうのだが、ひとつひとつには見惚れる美しさがある。 そして、「清潔感がある」。ヒゲは濃いように見えるが、肌はキレイなのだ。年輩女性に嫌われがちなパーマヘアも、辛うじておしゃれな方向へいっている。ハゲてもいないし、脂ぎってもいない。つまりは、今、女性に嫌われる男性の三大要素のひとつ「生理的嫌悪感(不潔)」がムロツヨシにはほぼないのだ。大手の食品・家庭用品メーカーのCMに起用されるというのは、多くの女性票を得ている証拠でもある。 ふと思い出す。今年の夏、「大恋愛」同様に格差恋愛を描いた『高嶺の花』(日テレ系)というドラマがあったことを。銀杏BOYZの峯田和伸が演じていた役も、ムロツヨシ同様、セレブなヒロインに一途に恋をする男性だった。しかし、女性たちの評価は実に手厳しく、「生理的嫌悪感であきらめた」という非情な声が多かった。峯田になくて、ムロツヨシにあるもの。最大の勝因は清潔感だろう。 そしてもうひとつ。ネット上では女性に対して横暴な男性がメッタうちにされる現代。「俺様臭が強い」男性や、「男尊女卑のメンタルマッチョ」はかなり嫌われる。テレビでも物言いが横柄な司会者や、他の芸能人をからかっていじり倒すような芸人は敬遠される時代だ。年寄りはそういう人材が大好きだが、若い世代は「ハラスメント」意識も強く、不快だと思う人が増えている。 俳優は俳優で、人気がうなぎ上りになったかと思えば、すぐにプライベートや過去の発言が掘り起こされる。少しでもやんちゃな面や、女性やスタッフに対して横柄な発言があると総スカンを喰(く)らう。かなり年下の女優と熱愛報道が出ると、一気にブーイングが起こり、手のひら返しで袋だたきに遭う。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) そんな時代に、ムロツヨシ。どこにでもいそうな中肉中背で人畜無害、しかも日本人が大好きな「苦労人」だ。熱愛報道もスキャンダルもいまのところない。年下の俳優から好かれているので、「役者論」なる説教も垂れなさそうだし、俺様臭ともメンタルマッチョとも程遠い立ち位置を確立している。芸能人男性が中年期に陥りがちな「健康志向の筋肉自慢病」にも「趣味没頭で生活破綻病」にもかかっていない。常に低姿勢で空気を読み、かつ、機を見るに敏(びん)。奇跡の40代俳優、といってもいいだろう。ムロは「オキシトシン系」 女性票だけではない。男性人気も相当高い。多くの人気俳優と仲が良く、一見、提灯(ちょうちん)持ちかコバンザメかと思われがちだが、逆である。皆がムロツヨシを必要としているのだ。小泉孝太郎しかり、新井浩文しかり。自分が出るトーク番組にムロツヨシを呼んじゃうくらい、NO LIFE,NO MUROである。気配りができても、媚びるわけではない。むき出しの自意識を発動するテイを装うも、実際は冷静に俯瞰(ふかん)している趣もある。おそらくホモソーシャルでうまくわたっていける、可愛げと愛嬌(あいきょう)があるのだろう。 とあるテレビ局の男性プロデューサーに聞いた話だが、低姿勢というよりは誰に対してもフラットなのだとか。下っ端だろうが大御所だろうが、アシスタントディレクターだろうがプロデューサーだろうが、態度が変わらないという。肩書にも権力にもおもねらない。男性はそういう部分に「信頼感」を覚えるのかもしれない。 なんつって、適当な想像で書いているけれど、ムロツヨシが老若男女に好かれる存在であることに間違いはない。個人的にはムロツヨシを見ていると、「オキシトシン」というホルモンが思い浮かぶ。共感や協調性を高めたり、人の気持ちに配慮する作用をもたらす脳内神経伝達物質で、「育児ホルモン」「愛着ホルモン」とも呼ばれている。寛容性を増したり、痛みや苦しみなどの嫌な記憶を消す作用もあるらしい。 生き馬の目を抜く俳優界には、野心や攻撃性が高くてオラオラした俺様イメージの「アドレナリン系」がいる。逆に、快楽や愉悦、うっとり感と癒やしを与える王子様イメージの「セロトニン系」もいる。俺様でも王子様でもないのが「オキシトシン系」のムロツヨシというわけだ。※画像は本文と関係ありません(GettyImages) とかく世の中は、強き者・美しき者・高貴な者をほめそやす。戦いや争い、マウンティングの頂点に立った勝者を絶賛する。その図式に疲弊した人が、共感と協調性を呼ぶムロツヨシに心を動かされたのではないか。美男美女が繰り広げる恋愛劇にリアリティーを感じない人が、全身全霊でムロツヨシの恋愛を応援したくなったのではないか。 彼の暗躍がドラマ界に波紋を広げてくれるといいなぁ。二の線も三の線もイケる、真の実力をもつ役者が、もっともっと起用されますよう。美化しすぎない、ごく日常の人間模様が描かれますよう。

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    旗印への執着と日照りが生んだ長篠の大勝利

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 長島一向一揆が壊滅して8カ月近くが過ぎた天正3(1575)年4月(天正2年には閏11月があった)。信長はある人物にその姿を目撃されている。男の名は、島津家久。南九州の大名、島津義久の末弟だ。 家久は兄、義久による薩摩・大隅・日向平定のお礼参りに伊勢神宮などを巡るため上洛したのだが、同月21日、京で織田軍の行列を見たのだ。6日から10万にのぼる大軍を率いて大坂本願寺勢力との戦いに出陣し各地に転戦していた信長は、この日ようやく京に引き揚げてきた。 家久は、信長の前にまず9本の幟(のぼり)が通るのを、「黄礼薬と呼ばれる銭の形を紋にしている」と記録している。「礼薬」は「永楽」の聞き間違いだろう。つまり、これは信長の旗印としてよく知られている黄色の地に永楽通宝の図案を染め抜いた「永楽銭の旗」だったわけだ。 本稿のテーマ的には、この旗を見過ごして先に進むわけには行きそうもない。 黄色に永楽銭の旗印については、第8回ですでに触れた。自らの手で京を安定へ導くため、龍だけでなく麒麟(きりん)のパワーをも取り込もうと考えてそれを象徴する黄色を使ったという内容だったが、ここでもう少し深く考えてみたい。 そもそも、大将格の人物の黄色い旗印というもの自体が珍しい。ざっと戦国合戦の模様を描いた図屏風を見渡してみても、「湊川合戦図屏風」(京都市個人蔵)での新田義貞(黄色地に七曜紋)と「長篠・小牧長久手合戦図屏風」(松浦史料博物館蔵)の織田信長(黄色地に永楽戦)が挙げられるだけだ。後は、「関ヶ原合戦図屏風」(垂井町個人蔵)の徳川家康本陣を守る重臣のものと思われる黄色地三つ巴の旗印ぐらいか。 おっと、有名なところで「地黄八幡」の旗印で知られる北条家の猛将・北条綱成がいるのを忘れていた。この「地黄」は「北条五色備(ごしきぞなえ)」と呼ばれる赤=北条綱高、青=富永直勝、白=笠原康勝、黒=多目元忠の筆頭としての黄=綱成だった。 綱成が筆頭であるのは異論がないところだが、なぜそれが黄色なのか。 これは、古代中国の「陰陽五行」という思想からきている。すべてが木・火・土・金・水の五大要素からできていると考え、木=青、火=赤、土=黄、金=白、水=黒、と五色を割り当てたのだ。これが神にもあてはめられ、木=青龍、火=朱雀、土=麒麟、金=白虎、水=玄武となる。そのうち、大地を表す土、つまり黄色こそが筆頭とされた。武勇ナンバーワンの綱成がその色を使うのは当然だろう。 だが、ここで疑問が出てくる。なぜそんな最強の色が、他の武将たちにはなかなか用いられなかったのか。織田信長像(東京大学資料編纂所所蔵模写) それには立派な理由がある。黄色は、特別な色、高貴な色だったからだ。中国では宋の時代(10世紀末~)から黄は皇帝を象徴する色だった。広大な中国の大地=土は黄であり、同時に皇帝の「皇」と黄は拼音(ぴんいん)が同じ(huáng)であるところからそうなったのだろうが、近代までの中国において黄色は皇帝以外の使用が許されなかったのだ。 そんな色だから、中国の文化を最高のものと尊ぶ当時の日本の上層階級でも黄色はみだりに用いてよい色ではなかった。僧侶の着る法衣(褊衫、へんざん)は黄色に見えるが、それより少し赤みを加えて濁らせた壊色(えしき)と呼ばれる色になっている。旗印は永楽銭 信長は、それほど高貴な色とされた黄色を臆面もなく自分の旗印のテーマカラーとしていた。しかも、1世紀半前の中国「明」の皇帝、永楽帝の時代の銅貨である永楽通宝を意匠として。 信長のために弁護するならば、一時は織田氏と並ぶ存在だった尾張緒川~三河刈谷の大勢力だった水野氏も永楽銭(白地)を旗印としていた。 それは永享7(1435)年に関東公方の足利持氏が京の幕府に近い長倉義成の討伐に失敗する経緯を記した『長倉追罰記』(合戦後まもなく書かれたという)で参陣した水野氏について「永楽の銭は三河国水野が紋」と紹介されていることからも、信長よりかなり早い時代に織田氏が永楽銭をなんらかのモチーフに採用していた可能性もかなり高いと思う。 その一方で『旗指物』(高橋賢一著、新人物往来社)を見ると、馬印そのものが元亀の頃から使われ始め、信長が金(黄)に永楽銭の紋様を旗印とした、と説明されているので、第6回で紹介したように、銭まじないの効果を信じていた信長としては、先祖が採用した永楽銭の紋様が、偶然にも自分の好みに合っていたために旗印にも取り入れたということだろうか。 しかし、その旗印を掲げて上洛し畿内を支配するということになると、話は変わってくる。ただでさえ使用を遠慮すべき尊貴の色である黄を使うだけでなく、その中に俗なものの代名詞とも言える銭の紋様を配した旗を京にひるがえす信長に対して、中国的教養に富んだ公家や仏教勢力は「なんだ、この田舎者の物知らずめ」と鼻で笑い、織田軍を蔑(さげす)みや嫌悪の目で見ただろう。 それでも信長は意に介さなかった。この日も、黄色地に永楽銭の旗印を掲げて都に戻ってきたのだ。その次には彼の親衛隊である母衣衆(ほろしゅう)20人が通り、さらに護衛役の馬廻衆100人が露払いとなって、いよいよ信長自身が見物の群衆の前を通った。 「上総殿(信長)支度皮衣なり、眠り候て通られ候」 信長は毛皮勢の衣を着て、馬上居眠りをしたまま通り過ぎていったのである。まさに絵に描いたような田舎者の姿、だった。 いくら反発を受けても暖簾(のれん)に腕押しとばかりの態度で押し通す信長。銭の呪力を信奉していたとしても、無用な反発を生むのは得策ではないとも思われるのだが、彼の真意はやがて明らかになっていく。 居眠りをしてしまうほど本願寺との戦いに全精力をつぎこんだ信長。しかし、彼は休む間もなく次の戦場へと向かって行く。それがこの直後の、「長篠の戦い」だった。武田勝頼画像(東京大学資料編纂所所蔵模写) 実は、信長は三河・遠江の同盟者、徳川家康の使者から東三河に武田勝頼の軍勢が侵入してきたと知らされ、本願寺との戦いを切り上げて京に戻ったのだ。馬の上でも寸暇を惜しんで睡眠をとっておこうとするのも無理はない。 4月27日に京を出発、28日に岐阜城帰着。5月13日に3万8000の軍勢を率いて岐阜を出陣、18日に武田軍によって包囲攻撃されていた長篠城の西方、設楽原(したらがばら)極楽寺山に着陣する。勝因となった日照り よく知られているように、このとき信長は諸方面から鉄砲とその射撃手を引き抜き、設楽原に集結させている。戦場に投入された鉄砲の数は一般に3000挺。彼は設楽原を流れる連吾川の西に連なる山地をすべて陣地化し、前面に柵と空堀を設け、そこへ武田軍を誘い込んで銃撃戦で撃滅しようと考えていたのだ。 だが、信長着陣の5月18日は、現在の暦に直すと7月6日。まだ梅雨が明けない時期だ。戦国時代も同様で、この前後の4月25日、5月2日・11日・18日・21日・23日・27日と雨が降っている(『多聞院日記』)。 しかし、合戦当日の21日、設楽原には雨は降らなかった。多くある長篠の戦いの画(え)の中で最も年代が古く、合戦から30年ほど後の制作と考えられる「長篠合戦図屏風」(名古屋市博物館蔵)には、扇を広げて用いている武者が何人も描き込まれている。当日は暑かったという記憶が、まだ関係者に残っていたのだろう。実はこの年も「日照り」が発生し、奈良でも「近頃炎天」が続き、雨乞いの祈祷も行われるほどだったのだ。 雨さえ降らなければ、鉄砲はその威力を十二分に発揮できる。未明、ひそかに長篠城を包囲する武田軍別動隊の背後に迂回した酒井忠次らは信長から与えられた500挺の鉄砲を一斉に放って敵を撃破。長篠城は解放された。 こうなると、設楽原方面に移動して信長本陣をにらむ態勢をとっていた武田軍は、撤退しようとしても背後を織田・徳川連合軍から追撃される上、長篠城の鉄砲500挺が脅威となって身動きできない。正面の織田・徳川連合軍は「兵たちを配置につけた様子を隠蔽した」(『信長公記』の記述を口語訳)ため、勝頼は正面突破を狙って攻撃をしかけた。 だが、隠蔽された無数の鉄砲がその武田軍に向かって火を噴いたのだ。 武田軍は織田・徳川連合軍が放つ銃弾を浴び、なんとか柵まで取り付いた者も次々と敵兵の刃に倒れていった。『信長公記』によれば、一斉射撃によって武田軍の攻撃部隊はその過半数が戦闘不能になったという。長篠古戦場に再現された柵と堀(愛知県新城市) こうして山県昌景、土屋昌次、真田信綱・昌輝兄弟と、武田家自慢の猛将・勇将たちも鉄砲で撃たれて戦場に屍(しかばね)をさらし、武田軍は壊滅的な損害を受けて一敗地にまみれた。 実は、合戦前の15日、信長は部下にこう書き送っている。 「天の与えるところであるから、皆殺しにしてやる」(信長書状を口語訳) 「天の与え」という言葉は『信長公記』でも使われているから、信長は設楽原に移動してきた武田軍と決戦する絶好の機会をとらえ、殲滅(せんめつ)の意気込みを周囲にも公言していたのだろう。 だが、もし雨が降り続いていたなら。 当然鉄砲の力は半減、それ以下となり、長篠城を解放することもできないし、柵と堀に頼った白兵戦しか行えない。それでは敵を殲滅することもできず、武田軍は最悪の場合でも余力を残したまま悠々と退却することができただろう。 梅雨時にもかかわらず、前年の長島一向一揆攻めと同じく日照りによって大勝利をつかんだ信長。まさに、水を操る大蛇や龍の力を遺憾なく発揮した合戦だった。これによって、彼の自信はますます深まったのだった。

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    「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「失われた20年」と言われる日本の長期停滞は、デフレ(物価の継続的な下落)を伴っていた。人々の所得が減ってしまい、日々の暮らしも困難になる人や就職、進学などで苦労を味わう若者も多かった。実際に経済的な理由で退学していった学生たち、就職が決まらずにずっとコンビニや居酒屋などでアルバイトしていた卒業生も多かった。 また、就職してからも大変だった。最もデフレ不況が深まった時期には、卒業生のためにその会社の上司宛てに「推薦状」を書いたこともたびたびあった。ふつうは就職する際に、大学や教員が推薦状を書く。だが、「失われた20年」のピークのときは、就職してからも困難が続いたのである。 多くの企業は、将来性や人材育成よりも目先の利益の獲得のために、若い人材の使い捨てや「試用期間切り」のように使う前から切り捨てることもあった。そんな環境の中で、本人に頼まれたり、または会社の上司の方がその卒業生の将来性について「推薦状」を書いてくれと要請されたのである。 もちろん、喜んで引き受けた、と書きたいが、そのプレッシャーは尋常ではなかった。一人の元学生の人生を直接左右しかねないからだ。そのためか、当時過労で倒れてしまった。 おそらく、この種の話は、大学教員の多くが体験したことだろう。景気が悪くなるということは、少なくとも学生たちの就職を極端に困難にする。もちろん就職だけではない。今書いたように、働くこと、生きることが難しくなるのだ。 景気をよくすること、もう少し難しくいえば雇用を最大化する責任は、多くの場合は政府と中央銀行がその責務を負う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 日本の長期停滞がデフレを伴っていることは冒頭で書いた通りだ。モノとお金の関係でいえば、モノの価格が下がることは同時に、お金の価値が高まっているということだ。なぜお金の価値が高くなるかといえば、それはお金が手元にないからだ。具体的には、給料やバイト代などが不足していく。 要するに、お金の量が足りないのだ。しかも、より重要なのは、これから先もお金の量が足りなくなると国民が思っていたことである。過去形で書いたが、そのお金の量の不足は、深刻さが弱まりつつあるとはいえ、いまだに継続している。デフレの責任を取らない日銀 お金の不足を解消する責任は、究極的には中央銀行、つまり日本銀行にある。だが、官僚組織の常というべきか、日銀もまたそのデフレ不況の責任を20年以上、一貫して拒否してきた。 今の黒田東彦(はるひこ)総裁の前まで、日銀は雇用にも経済の安定にもほぼ無関心だった。昔の日銀は「失われた20年」に対して「無罪」を主張してきたのである。 この「日銀無罪論」は、官僚の伝達機関でしかないマスメディアや、経済論壇でも主流の意見だった。彼らが愛する「日銀無罪」の論法は、おおよそ以下のパターンだった。(1)デフレ不況は、グローバル化や人口減少など構造的な問題が原因なので、金融政策では解消できない。(2)今の日本経済は、失業率が3・5%以上であっても、完全雇用で安定している。(3)そもそも、デフレは中国などが安い製品を作ったせいであり、外国の責任である。(4)急激に金融緩和を実施すると、急激なインフレ(ハイパーインフレ)が起きるから危険である。(5)デフレに伴い、牛丼などの価格が下がるのはいいことである。 これらの「日銀無罪論」が最近、再び活性化している。例えば、最後の「そもそも牛丼などの価格が下がるのはいいこと」の最新版は、携帯料金の値下げに関しての話題だといえよう。 これは、菅義偉(よしひで)官房長官が携帯料金を4割下げることができるとした発言を契機にしている。日本の携帯各社の料金が高いのは経験上でも自明だろう。この料金の高さの原因は、携帯各社が寡占状態にあり、そのため価格支配力が強いことに原因がある。これを打ち破ることは、多くの国民に利益をもたらすだろう。2018年10月、衆院予算委で自らの携帯電話を楽しそうに安倍晋三首相(左)に見せる菅義偉官房長官(春名中撮影) だが、マスメディアでは、携帯料金の値下げがデフレを加速させるものとして解説するものがあった。デフレやインフレで話題になるのは、平均的な価格である。これを一般物価という。対して携帯料金は個別価格である。いくら個別価格が下がっても、一般物価に反映するのは次元が違う。 先ほど述べたように、デフレはお金が不足していることだ。具体的には給料やバイト代が不足していることである。いくら個々の商品の値段が下がっても(反対に値上がりしても)、そもそも買うお金がなければ全く意味がない。手元のお金が増えることで、安くなった財(携帯)を買うことが容易になるのである。前総裁の姿勢に異議あり! さらに、白川方明(まさあき)前日銀総裁の発言も最近活発化している。著作の『中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)を出してもいる。正直、読むのがつらい本だ。 この本の中で、白川氏は雇用を重視するという姿勢に乏しかった。また、日本経済の問題は、財政危機や人口減少など日銀の責任ではないものに求めているようだ。 中でも「物価が人口減少で決まる」と読める箇所があった。地域エコノミスト、藻谷浩介氏の『デフレの正体』(角川書店)を想起させるが、そもそも藻谷氏は個別価格を「デフレ」としている。もちろん正しいデフレの意味ではない。 さらに、人口減少デフレ説は日本の現実の前に否定されている。日本の人口減少率は、現時点でマイナス0・32%(前年同月比)だ。対して、9月の全国消費者物価指数(生鮮食料品を除く)はプラス1・0%である。白川日銀の時代はデフレが普通だったが、インフレ目標に届かないものの、今はプラス域を保っている。ここしばらくは上昇傾向でもある。 白川氏によれば、今の景気回復は将来生じる需要の先取りの結果であるらしい。筆者の知人は、この白川説に対して、「(円安による)海外観光客の増加も需要の先取りになるんですかね」とあきれていた。 ただし、この需要先取り説には注意が必要である。例えば、昔の日銀を懐かしむ勢力が望みそうな早急な出口政策が採用されたり、消費増税などの影響で金融政策の効果が乱れると、それを現在の積極的な金融緩和の責任にされかねないからだ。 消費税を引き上げれば、当然積極的な金融緩和と矛盾し、効果も低迷する。だが、消費増税の責任にしたくない人たちは、また野菜不足などと同様の理屈で、需要を先取りした反動が今出ていると、責任転嫁に利用するかもしれないからだ。2013年3月、退任の記者会見をする日銀の白川方明総裁(宮川浩和撮影) もちろん、性急な出口政策の採用も消費増税と同じ、いやそれ以上の悪影響をもたらす。そこから目をそらせるためには、現在の大規模緩和の責任にするのが手っ取り早いだろう。 いずれにせよ、消費増税勢力が活気づき、他方で日銀無罪論が出回るような、今の言論の状況は憂慮すべき事態である。

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    日本人には高すぎたミドル級の壁、それでも村田諒太なら超えられる

    木村悠(元世界ライトフライ級王者) 世界ボクシング協会(WBA)ミドル級王者として2度目の防衛戦に臨んだ村田諒太が10月20日、同級3位のロブ・ブラントに判定で敗れ、王座から陥落した。防衛を重ねていくとの期待が強かっただけにファンだけでなく、関係者も大きなショックを受けたことだろう。 村田について、まず特筆すべきは、プロとアマチュア両方で世界王者になった偉業だ。アマチュア時代、2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得し、その後、プロのミドル級で世界王者になった。しかも、ミドル級という日本人には体格的に不利な階級での偉業である。 普通、アマチュアよりプロの方が、レベルが高いと思われがちだが、一概にそうとも言えない。そもそも、日本のアマチュアボクシングは、長く五輪でメダルを獲得できていなかった。だが、ロンドン五輪で村田が金メダルに輝き、これは実に1964年の東京五輪から48年ぶりの快挙だった。 さらにいえば、五輪で金メダルに輝いたのは、過去に村田を合わせて2人しかいない。五輪のチャンスを逃した筆者からすれば、その難しさを実感している。五輪の全メダリストを考えても、これまで5人しかいない。一方、プロの世界チャンピオンは約90人にのぼっており、どれだけ困難なことかは、数字が物語っている。 このように、プロは多くの世界チャンピオンを輩出しているが、アマチュアは強豪国が多く、国際大会で勝つのが非常に難しい。プロ加盟していない国も多く、キューバやロシアなどの選手は技術のレベルも高い。 ボクシングで五輪に出場するためには、世界選手権で上位進出するか、アジア予選で勝ち抜かなければならない。韓国や北朝鮮、中国に加えて強豪のモンゴルやカザフスタンやウズベキスタンといった旧ソ連系の国を相手に勝って枠を取らなければならない。 要するに、各階級の出場枠を取るのは難易度が高く、五輪に出場するだけでも相当のハードルなのである。現在、プロで大活躍している井上尚弥や3階級王者の井岡一翔、世界タイトルを11回防衛した内山高志、12回防衛の山中慎介もアマチュア出身だが、誰一人として五輪には出場できず、いずれもアジア予選で敗退している。 筆者は34歳で、村田よりも2つ年上だが、アマチュア時代、全日本チームのメンバーとして一緒に国際大会に出たり、国内での合宿でチームメートとして練習したりしていた。やはり、村田は高校時代から逸材だった。アマチュアの全国大会で5冠に輝き、ジュニアでありながら成年の全日本選手権でも準優勝していた。  国内大会ではヘッドギアを着用するアマチュアだが、試合ではレフェリーストップを量産していたほどである。筆者に言わせれば、村田は常に対戦相手に恐怖を抱かせる「怪物」のような存在だった。 先に述べたように、村田はアマチュアで華々しい実績を残した後、プロに転向した。プロデビュー戦では当時の東洋チャンピオンを2回TKOで圧倒し、観客を驚かせた。プロとアマチュアはルールが違うが、それでもあっという間に試合を終わらせた村田のデビュー戦は衝撃的だった。 その後、筆者が所属していた帝拳ジムに移籍してプロでもチームメートとなった。 メディアでは明るく丁寧な対応をする村田だが、ジムではよくイタズラをしたり、冗談を言ったりするムードメーカーでもあった。2度目の防衛戦に向け調整する、WBA世界ミドル級王者の村田諒太 =2018年10月、米ラスベガス(共同) 筆者はかつて、村田とともに走り込みのキャンプを行ったが、その身体能力の高さによく驚かされた。アスリートは長距離が速くても、短距離は遅い持久力系の選手と、長距離よりも短距離に長けた瞬発系の選手に分けられる。 普通は筋力のバランスで得意、不得意があるものだが、村田にはそれがない。持久系のトレーニングは誰よりも速く、短距離のダッシュであっても群を抜いた。ここまで飛び抜けた能力を持つ選手はめったにいない。その類(たぐ)い稀(まれ)な身体能力を生かし、村田はプロに入っても勝ち続けた。村田ならまだやれる 村田のボクシングスタイルは非常にシンプルだ。ガードを固めてプレッシャーをかけ続けながら強いパンチを打ち込む。余計なパンチはあまり打たず、一撃で相手を仕留める。パンチ力と圧力があるからこそできるスタイルだ。 パンチの強さは世界のボクサーにも引けを取らない。ガードも高く、プロでダウンの経験もないという打たれ強さも兼ね備えている。ただ、前回のブラント戦やアッサン・エンダム戦でもそうだったが、強いパンチを打ち込もうとする余り、ジャブや手数が減ってしまうのが難点である。 次に階級の視点からみてみよう。そもそも、日本を含むアジアのボクシングは、軽量級を主戦場としている。先にも記したが、日本の世界チャンピオンは約90人に上る。だが、ウエルター級以上の重量級の世界チャンピオンは村田を含めて3人(輪島功一と竹原慎二)しかいない。体格の面からもアジアの選手は軽量級が多く、村田のようにミドル級でチャンピオンになった例はアジアを見渡しても非常に少ない。 また、ミドル級は競合が多く世界的な層も厚い。世界的スター、フロイド・メイウェザーやマニー・パッキャオは、村田の一つ下のスーパーウエルター級で活躍していた。そのため、その前後の階級は強い選手が多い。 前回の試合では負けてしまったが、カザフスタンの英雄、ゲンナジー・ゴロフキンもいるし、ゴロフキンに勝ったメキシコのサウル・アルバレスもいる。他にも、アメリカ出身のジャーメル・チャーロやカナダ出身のデイビッド・レミューなど、名実備えた選手が多い階級である。 こうした重量級の迫力とスピード、テクニックを兼ね備えた選手が多いだけにボクシングの本場、アメリカでも人気の階級だ。スピードに加え、パンチ力もテクニックもある、三拍子そろった選手がいくらでもいる。非常にレベルの高い階級と言える。 そして、ファイトマネーも桁(けた)違いだ。日本でのタイトル戦とは比べ物にならない。海外放送の放映権関係などの影響も受けてファイトマネーも跳ね上がる 。 そんな厳しい階級で戦い続けてきた村田だが、ベルトを失い、今後どうするのか。やはり人気のある階級だけに、その分チャンスがめぐって来るのも難しい。村田もブラントに負けたことで、ビッグマッチへのチャンスが遠のいたのは確実である。WBA世界ミドル級戦の11回、ロブ・ブラント(右)のパンチを浴びる村田諒太=2018年10月、米ネバダ州ラスベガス(共同) とはいえ、勝てばゴロフキンと東京ドームでの試合の話もあっただけに、今は村田本人が一番落胆しているだろう。本人も語っていたが、すぐには決められないとの言葉は、周囲の環境が普通の選手と比べてあまりに違うからである。 今後の動向に注目が集まるが、村田をよく知る筆者としては、今はゆっくり休ませてあげてほしいと強く感じる。世界戦はそれに臨む本人しか分からない大きなプレッシャーの連続だ。自分の人生を賭けてその一戦に向かっていくだけに、進退を決めるのは難しい。体と気持ちを休めることで、見えてくることもあるだろう。 ただ、村田のボクシング界における影響力はあまりに大きい。 筆者もこのまま終わってほしくないし、村田の実力ならまだやれると強く思う。時間をかけ、悔いの残らない決断をしてもらいたい。

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    徴用工「デタラメ判決」と韓国のポピュリズム

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 韓国での徴用工に関する大法院(最高裁)の判決が日本国内で大きな話題になっている。この判決を聞いたとき、筆者はまず「とてもデタラメな判決だな」と思った。 と同時に、韓国の国家としての脆弱(ぜいじゃく)性、現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権のポピュリズム(大衆迎合)的な性格の弱さにも思いが至った。要するに、その韓国の脆弱性のツケが日本に回ってきたように思えたのである。 それでは、文政権のポピュリズム的な政策とは何だろうか。ポピュリズムは大衆扇動的といわれるが、政権を奪取して維持するためには、大衆からの支持はいわば必要条件である。 その意味では、ポピュリズムに特別な意味はない。だが、ポピュリズムにはもう一つの特徴的な側面を伴うことが多い。 いわば「敵」-「味方」の論理を利用することである。「敵」を特定し、その「敵」が「味方」の利害を侵しているとして徹底的に批判することで、「味方」の士気を高めることである。 これも程度問題ではある。さまざまな社会的問題の根源で、既得権益にぶら下がっている人たちがいる。この勢力を批判することが、あたかも「敵」-「味方」のロジックに乗った話に見えがちだ。特に経済学では、構造的問題(経済を非効率的にしてしまい国民の福利の向上を阻害する問題)について、この既得権者たちを問題視することが多い。2018年10月、ソウルの最高裁前で、徴用工訴訟での原告勝訴を訴える支援者ら(共同) 例えば、経済評論家の上念司氏の新刊『日本を亡ぼす岩盤規制 既得権者の正体を暴く』では日本に巣くうさまざまな既得権者や組織を容赦なく批判している。その指摘には筆者も学ぶことが多い。 上念氏も筆者もそうだが、経済学での既得権益者はその既得権にこだわる限り、批判されてしかるべきだ、という意見を持つ。だが、経済的な意味で彼らは「敵」ではない。なぜなら、経済政策の基本は、既得権による経済的な非効率性を次から次へと解決していけば、やがてそれは社会全体の福利厚生の向上につながるからである。なぜ「反成長主義」なのか つまり、既得権益者はその既得権を奪われることで不利益を被るが、やがて同様の効率化政策が各所で行われることで、社会全体の福祉が向上し、元既得権益者もそこで利益を受けるというのが、経済学の基本的な考え方だ。この考え方を「ヒックスの楽観主義」といい、偉大な米国の経済学者、ハロルド・ホテリングが指摘したことでもある。 要するに、「社会全体のパイはやがて拡大していく」という成長主義的な観点がここにある。日本や世界の歴史を見ても、おそらくこの「楽観主義」やホテリングの予測は正しいだろう。 だが、文政権のポピュリズムは、このような経済政策の基本から外れている。何より特徴的なのは、その「反成長主義」的なマクロ経済政策の運営手法だ。 韓国のマクロ経済政策が「反成長主義」というのは意外に思われる人もいるだろう。なぜなら、文政権の財政政策だけ見れば、予算規模をリーマンショック時点並みの2桁拡大をしようとしているからだ。 しかし、ここでは、マクロ経済学の教科書的な常識で、韓国のマクロ経済政策を評価する必要がある。それは「マンデルの三角形」というものだ。これは「為替レートの安定」、「資本移動の自由」、そして「金融政策の自律性」の三つのうち、基本的に二つしか採用することができないという見方である。 韓国の経済運営は、変動為替レート制であるものの、過去のアジア経済危機での経験を恐れて、過度にウォン安回避的な運用がされている。つまり、政府と中央銀行である韓国銀行が、その政策運営に為替レートの安定を政策変数として考慮しているのはほぼ明白である。韓国の5万ウォン札(ゲッティイメージズ) また、資本移動の自由化が行われている。「マンデルの三角形」の議論でいえば、韓国は金融政策の自律性がないことになる。これは自国の経済の景気や雇用の状況に対応して、金融政策を割り当てることが難しいことを示している。さらに、教科書的にいえば、海外との取引がある韓国のような「小国」経済では、財政政策の効果が限定されてしまうことになる。 要するに、雇用状況が悪くても、金融政策が拘束されている下では、財政政策を拡大しても効果が著しく減少するということだ。これは、1990年代に積極的な財政政策を行いながら、金融政策が事実上の円高志向、つまり緊縮志向だったために長期停滞に陥った日本の経験を思い出させる。しかも、金融政策においても、韓国の雇用状況の悪化と並行するように、インフレ目標の数値を引き下げるなど、緊縮傾向をむしろ自ら強めている。文政権、本当の「味方」 文政権は若年失業率の高止まりを財政政策で対応しようとしている。しかし、自国為替レートの自国通貨の減価(ウォン安)を極端に避ける政策を採用している限り、なかなかこの雇用の低迷から脱出できないのは自明である。これが文政権の経済政策が「反成長主義」的である、という意味だ。 簡単にいえば、経済全体をパイになぞらえれば、パイの大きさはほぼ一定のままである。しかも、文政権はこの一定の大きさのまま、自分の支持を集められるようにパイを切り分ける必要がある。これが、彼の手法が「敵」と「味方」に分けるポピュリズム的である理由ともなる。 既に企業社会の中にいる人たち、特に大企業の労働者や組合に、文政権は切り込む姿勢を見せていない。つまり、先の「ヒックスの楽観主義」的な効率化政策に踏み込めないままだ、ということになる。 これは、文政権の「味方」が大企業などの労働組合だということを示している。実際、大幅な賃上げを掲げた文政権の政策にその特徴が表れていた。 賃上げは、既に企業社会の一員である人たちには恩恵(既得権)となるが、これから働こうという人たち、特に若者たちに対しては障害になる。なぜなら、経済の大きさが一定のままで、ある人のパイの取り分を増やすことは、他の人の取り分を減らすことになるからだ。 前者は大企業の労働者、典型的な後者が若者である。実際に文政権の雇用政策は、既得権者である大企業の雇用を守りながら、若年失業率を累増させている。2017年8月、韓国・仁川市内で公開された徴用工像(川畑希望撮影) でも、文氏は若者を「敵」だとは決して言わないだろう。それどころか、全く思ってもいないかもしれない。だが、その経済政策は、ポピュリズムの「敵」―「味方」に分けた政策の典型になっている。文政権の支持率は低下傾向にあるが、それは文政権のポピュリズムが持つ弱さにある。 さらに、この「敵」-「味方」は徴用工問題でも顕著である。もちろん、この場合の「味方」は自国民であり、「敵」は日本国民である。事実上の「二枚舌外交」 ここで「日本政府」とは書かない。あくまでも日本国民である。なぜなら、今回の訴訟は、韓国国家が日本の民間企業に対して下した判決である。 韓国国民が日本統治時代の出来事に対して、賠償などについて個別請求権を持っているのは認識すべき点だろう。ただし、1965年に国交を正常化した際に結んだ日韓請求権協定により、韓国国民の請求先は日本政府や日本企業ではなく、あくまでも韓国政府に対するものであった。これが今回、ちゃぶ台を大きくひっくり返されたことになる。一種の「無法行為」である。 だが、この無法行為、その背景にある「敵」-「味方」の論理を、文氏は大統領になる前から肯定していた。文氏が無法の人でなければ、彼は政治的な宣言として、賠償請求先は韓国政府だと表明すべきだったろう。 そして、韓国政府による今までの国民への賠償政策が不十分であったことを、歴史の反省に立って率直に見直すべきである。ところが、文氏はそんなことをしない。大きな理由は、徴用工の賠償を求める政治的勢力が強いからだ。これは先の経済政策における大企業の労組の位置づけと同じである。 だが同時に、今回の判決を受けて、文政権は日本に対して、外交の場で「今回の判決を認めよ」と積極的に主張するだろうか。おそらくその確率は高くないだろう。ここにも文政権のポピュリズムの脆弱性が明らかである。 国内的には、暗黙のうちに今回の判決が出される政治的な流れを作っておき、他方で、対外的には日本に対しての積極的な働きかけを行わないはずだ。要するに、日本に強く出るほどの政治的パワーがないのである。事実上の「二枚舌外交」である。このやり方は、慰安婦問題についての文政権のやり方にも似ている。2018年10月、日本企業に賠償を命じるとした韓国徴用工訴訟判決を受け、韓国の李洙勲駐日大使(右端)に抗議する河野外相(左端) そもそも、日韓請求権協定を文政権自身が外交的に覆せば、おそらく日本とは決定的な対立を生み出すだろう。実際、日本側として見れば、決定的な対立が避けられないという意見は今でもあり、感情的なリアクションとはいえない側面も持つ。戦略的には、政治的断交は、全面的な韓国との交流停止とはいえない。台湾と日本の関係を想起すればわかるはずだ。政治的断交は一つの選択肢として有効だ。 ただし、今も書いたように、文政権は、ポピュリズムの持つ脆弱性から見れば、経済的にも政治的にも既得権を侵さない政策を維持し続けるだろう。従って、国内経済を拡大し、日韓関係を改善する政治的にも経済的にも成長を許さない政策を採るしかない。文政権がいくら弱くてもいいのだが、その弱さを繕うために日本国民が利用されるのは許されることではない。

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    あふれ出すSPEEDのカルマ『Body & Soul』の愛欲が止まらない

    辛酸なめ子(漫画家・コラムニスト) 1996年にデビューし、平成を駆け抜けたダンス&ボーカルグループ、SPEED。平成の終わりとともに、精算するかのようにカルマが吹き出している状態です。元ファンとしては切ないですが、4人とも30代で女の厄年が連続する年頃でもあります。業の深いメンバーについて改めて検証してみます。 思い返せばもう20年近く前、2000年にいったん「SPEED解散」したときは世の中に激震が走りました。解散の理由の一つとされていたのが、島袋寛子(HIROKO)さんの異性交遊。当時、HIROKOばかり非難されていましたが、今井絵理子(ERIKO)さん、上原多香子(TAKAKO)さんにも彼氏がいたといわれています。そして今となっては、HIROKOはERIKOやTAKAKOと比べたらストイックに生きているほうかもしれません。夫が12歳年下というところに、やり手であることが感じられるくらいです。 メンバーの中で、女の業レベルを競い合っているのは、やはりERIKOとTAKAKOでしょうか。TAKAKOはSPEED時代から魔性の女ぶりがささやかれてきました。マネジャーが目を離した隙に当時の恋人ISSAと逢瀬(おうせ)を重ねていたとか。ERIKOも黒髪優等生キャラの清純派に見えて、中学時代から彼氏がいて、実家に泊まらせるほどの仲だったといわれています。 ファンだった私は当初純粋なティーンの少女たちだと信じていたのですが、さまざまな噂や発言から、実像は違うというのが徐々にわかってきました。SPEEDが歌っている曲は刹那的で、恋愛がテーマのものが多い、という言霊の影響もあると思います。 伊秩弘将プロデューサーによるリアルな歌詞に感情移入して歌うことで、脳が恋愛モードになっていったのでしょう。多感な年頃だったので、リビドーが高まるのも自然な成り行きです。 当時印象的だったのが、あるバラエティー番組でERIKOによってカミングアウトされたエピソードです。「地方のロケに行ったとき、一人の部屋にみんなで集まるんですが、必ずアダルトビデオ(AV)を見ていたんです。『見よう』って言い出すのは決まって私だったんですけどね」というぶっちゃけ発言が。参院本会議に臨む自民党の今井絵理子参院議員=2017年2月、国会(斎藤良雄撮影) さらに別々の部屋の場合も、ERIKOの宿泊代だけ有料AVチャンネルの使用料で高くなっていたりしたそうです。どれだけ見まくっていたのでしょう。2017年、元神戸市会議員の橋本健氏との不倫熱愛報道があったとき、ホテルの廊下をパジャマで出歩いていた写真が出ましたが、ERIKOはホテルを使いこなしまくっています。 さらに「ツアーに行ったときは必ずコンビニでエロ本を仕入れて率先して回し読みしていた」という話も。歌やダンスでも発散しきれないエネルギーがほとばしっています。 解散してから3年後、2003年には「Save the Children」をテーマに再集結。『Be my love』の教会音楽っぽいイントロに、SPEED4人のざんげの気持ちを感じたものでした。唯一SPEEDを救える人 その後ERIKOの授かり婚、離婚を経て、2008年に本格的な再結成をしたものの、最盛期のような活動はできず…今に至ります。 2011年の『リトルダンサー』というシングル曲は、歌唱力もダンスも相変わらずハイレベルだったのですが、ダンサーを目指す人への夢応援ソングという内容だったので、メンバー的にもいまいち士気が上がらなかったのかもしれません。たぶんファンの多くは、再結成後の活動をフォローするというより、全盛期の思い出を記憶に焼き付けたままでいると思われます。 多くのファンにとって青春時代の象徴だったSPEEDのメンバーが、ここ数年、こんな形で世間を騒がせ続けるとは…。特に今年は、TAKAKO、ERIKOの2人が、奔放すぎでした。 TAKAKOは『週刊新潮』で報じられる直前に再婚と妊娠を発表。相手は演出家のコウカズヤ氏で12月ご出産予定だそうです。元夫TENNさんは悲しいことに自殺してしまい、遺書が公開され、その原因の一つはTAKAKOの不倫だとされています。でも当時の不倫相手の俳優とは別れ、新しい男性と入籍。TAKAKOはメンタル強すぎです。芸能ニュースサイトによると、TAKAKOと出会った瞬間に「コウ氏の下半身に『ビビビッ』と電流が走った」とのこと。下半身に電流を走らせる魔性ぶり、半端ないです。 ERIKOも10月に動きがありました。2017年の不倫釈明会見での「一線を越えてはいない」発言が話題になりましたが、そのお相手の橋本氏とまだ切れていなかったのです。 元市議の橋本氏は、妻と離婚し、政務活動費約690万円を不正に受け取ったとして詐欺罪で起訴され、有罪判決が言い渡されました。ゴルフやガールズバーに流用したそうですが、そんな彼でもERIKOの恋心はさめず…。ERIKOは「現在、私今井絵理子は元神戸市議会議員の橋本健さんとお付き合いさせていただいております」とブログで発表。 ちなみに橋本氏の前に半同棲(どうせい)が報じられたA氏は、中学生に本番行為をさせた風営法・児童福祉法違反容疑で逮捕されています。ERIKOは弁護士費用など支払ったそうです。どんなダメな男でも受け入れるERIKOの包容力…。ダメンズというよりは、ちょいワル男子に弱いのかもしれません。その博愛精神を、議員としてもっと国民のために使ってほしいような…。初登院し、記者の質問に答える自民党の今井絵理子氏=2016年8月、東京・永田町の国会議事堂前(桐原正道撮影) そして気になるのは、音信が途絶えている新垣仁絵(HITOE)。文字通り『HITOE’S 57 MOVE』、どこかに行ってしまいました。ヨガインストラクターの資格を取り、ヨガ教室を開講し、一般男性と結婚。ヨガで直感力が高まった彼女は、このままグループのメンバーと一緒にいたら、カルマの渦に巻き込まれる、と予知したのかもしれません。 でも、メンバーを女の業から救い出せるのはHITOEだけかもしれません。ヨガの癒やしと浄化のパワーによって、肉体レベルの愛にとらわれているメンバーをわれに返らせたり…。SPEEDの救世主であるHITOEの再降臨を、元ファンとして祈念いたします。

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    「強欲でケチ」秀吉はいかにして巨万の富を築いたか

    渡邊大門(歴史学者) 秀吉が大坂城を築城し、多くの女性を囲ってきたこと、室内に豪華な装飾品を置いたことなどは、以前に取り上げた。中でも大坂城や黄金の茶室は、秀吉の富の象徴であり、すべての人々が圧倒されたに違いない。 1586年10月17日、ポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスはイエズス会東インド管区長のヴァリニャーノに宛てて、「富みにおいては、日本の金銀及び貴重なる者は皆(秀吉の)掌中にあり、彼(秀吉)は非常に畏敬せられ、諸侯(大名)の服従を受けている」という内容の報告書を送っている。 続けて秀吉が大変傲慢(ごうまん)で、諸大名と面会するときは蔑視(べっし)していたと述べている。秀吉は盤石な財政基盤を背景にして、諸大名を侮(あなど)っていたのだろうか。少なくともフロイスは、秀吉が巨万の富を掌中に収めていることを知っていた。 この頃、秀吉はすでに関白の地位にあり、欲しいものは何でも手に入っていた。特に、女性に目はなかったようで、1588年2月20日のフロイスの報告書には、秀吉が全国の美しい女性を求め、無理やり連行していたと記している。「無理やり」とはいえ、相手の親や夫にはいくらかの金を与えたのだろう。 江戸時代になると、秀吉の富裕ぶりは、どのように伝わったのだろうか。『信長公記』の著者、太田牛一が慶長15(1610)年に執筆した秀吉の一代記『大かうさまぐんきのうち』には、次のように書かれている(現代語訳)。 秀吉公が出世されて以来、日本国中から金銀が山野から湧き出て、そのうえ高麗、琉球、南蛮の綾羅錦繍(りょうらきんしゅう、美しく気品のある衣服のこと)、金襴(きんらん、金切箔)、錦紗(きんしゃ、絹織物の一種)、ありとあらゆる唐土(中国)、天竺(インド)の名物や珍しいものが多数、秀吉のもとに集まった。それは、宝の山を積むようだった。 この続きでは、農民や田舎者すらも黄金を多数所持し、路頭には乞食(こじき)が1人もいなかったという。秀吉の慈悲により、貧民には何らかの施しがなされたということになろう。ところが、これはあまりに大げさに書かれているのは事実で、さすがに乞食がいないなどはありえない。ただ、秀吉が金持ちだったのは事実である。牛一の秀吉に対する評価は、高かったといえるのかもしれない。 これとは、正反対の見解もある。小瀬甫庵が執筆した『太閤記』には、ユニークな見解を載せている。同書の巻頭において、甫庵は問答形式で秀吉の金配りが道(人の道)に近いのか否かを問い、次のように回答している(現代語訳)。 秀吉は富める者を優先し、貧しき者を削った。どうして道(人の道)に近いといえようか。百姓から税を搾り取って、金銀の分銅にして我がものにし、余った金銀は諸大名に配った。下の者(庶民)に配ることはなった。 つまり、秀吉は強欲だったというのである。ただ、この話も決して真に受けてはならない。ときは寛永年間で、3代将軍・徳川家光の治世だった。この後に続けて、甫庵は家光が万民に施しを行ったので、人々は大いに喜んだと記している。つまり、現政権を褒めたたえているのだ。豊臣秀吉木像(大阪城天守閣蔵) また、秀吉は刑罰を厳しくしたが、犯罪はなくならず、逆に家光の治世では、さほど法律を厳しくしなかったが、犯罪は多発しなかったと書いている。家光の政治手腕は優れているが、秀吉は無能だったと言いたいのであろう。つまり、甫庵は為政者におもねった論法を用いていたのである。 甫庵はさらに、「秀吉は何事にもぜいたくであり、倹約ということを知らなかった」とまで述べている。贅(ぜい)を尽くした茶室、趣味の能楽に多大な費用をかけるなど、秀吉はたしかに金遣いが荒かった。甫庵がどこまで事実を書いているか不審であるが、秀吉は贅沢(ぜいたく)で倹約知らず、おまけに貧民を助けない人物と評価している。秀吉「直轄領」の実態 このように、金銭的評価が二分される秀吉であるが、豊臣政権を支えた財政基盤は、どのように形成されたのだろうか。 豊臣政権の財政基盤を物語る史料は乏しく、慶長3(1598)年に成った『豊臣家蔵入目録』がまとまったほぼ唯一のものである。作者は不明であり、豊臣家の奉行の手になるものと考えられている。しかし、必ずしも完璧な内容のものではなく、九州の蔵入地が少し抜けているなど、若干の不備が認められる。 この場合の蔵入地とは、豊臣家の直轄領を意味する。『豊臣家蔵入目録』によると、豊臣家の蔵入地は約200万石あったという(多少の漏れはあるが)。当時、江戸に本拠を置いた徳川家康は、関東周辺に約240万石を領していた。近世中期になると、江戸幕府の直轄領は約700万石に上ったという。ちなみに、家康の次に多いのは、前田利家の約102万石である。 豊臣家の蔵入地(以下、蔵入地で統一)が多いか少ないかといえば、議論の余地がある。その秘密については、のちほど触れることにしよう。 蔵入地は、北は津軽から南は薩摩に及んでおり、大名領内にも置かれていた。地域的には五畿内(山城・大和・河内・和泉・摂津)が約64万石と最大で、全国36カ国に所在した。ただし、徳川領や毛利領には蔵入地が存在せず、それは互いの力関係が考慮されたと考えられる。また、経済的にうまみのない地域には置かれなかった。 筑前の博多(福岡市博多区)も蔵入地だった。博多は国内・海外に通じる一大貿易拠点で、経済的に発展した都市でもある。加えて、文禄元(1592)年に始まる文禄の役では、兵站(へいたん)基地として多くの物資を賄う拠点となった。秀吉は軍事拠点であった肥前・名護屋城と連携しつつ、戦いを有利に進めようとしたのだ。 諸大名の領内に置かれた蔵入地も、同じ観点から経済的に有利な場所に置かれた。 薩摩・島津氏は薩摩、大隅、日向に57万8733石を領していたが、うち1万石が蔵入地だった。問題は場所である。蔵入地が置かれたのは、薩摩湾の奥の加治木(鹿児島県姶良市)だった。加治木は島津領内で最大の収穫があった場所で、中国の貨幣「洪武通宝」が鋳造されていた(通称「加治木銭」)。※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ) それは、常陸・佐竹氏の場合でも同じである。佐竹氏の領内にも1万石の蔵入地が設定されたが、その場所は那珂湊(茨城県ひたちなか市)だった。那珂湊も港湾として栄えており、佐竹領内の一大経済拠点だったといえる。秀吉は経済的に恵まれた地に目を付け、積極的に蔵入地に編入したのである。 ところで、各大名の領内に蔵入地を置いたことは、いったい何を意味するのだろうか。それは、各大名の領内に豊臣家の出張所があり、諸大名が監視を受けている状況を意味した。豊臣政権は中央集権を進めるため、諸大名に政治的、経済的な影響を強めるべく、要衝地に蔵入地を設置したと考えられる。 そして蔵入地を活用して、秀吉は積極的に経済活動を行った。伏見城を築城する際、秋田杉を建築材として伐採し、運送の費用は蔵入地からの年貢米を充当した。そして、一定の利益を運送業者に保証した。 当時、秋田から小浜・敦賀までの運賃は、米100石につき50石だったという。500~700石積の船ならば、250~350石が運送業者の利益になった。秋田杉の運搬の事例では、敦賀の豪商・道川兵次郎が400間の杉の運送を担当し、約384石の利益を上げたという。秀吉が重視した鉱山 また、津軽地方の蔵入地の年貢として2400石の米が納められた際、豊臣政権の奉行を務めた浅野長政は、南部の金山にその一部を販売した。その際、浅野氏は南部氏に対して、ほかの米商人の関与を否定した。つまり、秀吉は米の販売権を独占することで、高値での米取引を実現したのである。秀吉が豪商を活用した点は、後に詳しく触れよう。 蔵入地が1カ所に集中するのではなく、全国各地に点在していることには、大きなメリットがあった。それは、先に記した諸大名の監視のほかに、諸大名の経済拠点を蔵入地にすることにより、効率よく収益を上げることができ、なおかつ米などを独占的に販売することで、多大な利益を確保できた点である。 直轄領として、秀吉に多大な利益をもたらしたのは鉱山だった。秀吉は越後、佐渡、陸奥、出羽などの主要な金山を掌握するだけにとどまらず、石見銀山(島根県大田市)、生野銀山(兵庫県朝来市)などの銀の産出地も配下に収めた。そこに関与したのは、豪商たちだった。 実際の運営は豊臣政権の直轄でなく諸大名が関与し、実質的には商人などに代官を任せて、金銀を運上(上納)させていた。つまり、諸大名に命じて鉱山の開発を進めさせ、鉱山経営には商人たちがかかわったのだ。たとえば、平野郷の豪商・末吉次郎兵衛は越前・北袋銀山の経営を秀吉に願い出、通常なら上納金が銀30枚のところだが、70枚にすると申し出て、見事に経営権を獲得した。豪商にとって、利権が大きかったのだろう。 そのほか、秀吉はさまざまな名目で、運上の徴収を行った。 金座の後藤氏は、金貨を鋳造しており、その品質を保証するため書判(サイン)を記していた。また、銀座の大黒常是(じょうぜ)という堺の商人も、銀貨の鋳造を行っていた。秀吉は彼らに金貨や銀貨の鋳造権を認める代わりに、上納金を徴収していた。 このほか、大津から京都への陸運、琵琶湖や淀川の水運についても、それらの権益を独占する業者に上納金を納めさせていた。古来から琵琶湖の交通権は堅田衆が握っており、往来する船から交通料を徴収していた。交通料を徴収した堅田衆は、船が安全に往来できるよう、取り計らっていたのである。これも一種の特権だった。織田信長が楽座を発布すると、堅田衆の特権は失われたが、秀吉は天正15(1587)年に堅田・大津の船を集め、「大津百艘仲間」を作った。ある意味で信長の路線から後退する流れである。現在も残る生野銀山の入り口=兵庫県朝来市 そのルールとは、琵琶湖北部方面の公定運賃を定め、その上納金として、秀吉に年間銀700枚を差し出すというものだった。また、特権の見返りとして、蔵米や御用材などについては、無料で運送を命じたのである。 京都から大坂を結ぶ淀川と神崎川の水運は、過所(書)船(関所通行証を持った船)が業務を独占していた。信長の時代でさえも、御用商人の今井宗久は過所(書)船を利用しなくてはならなかった。大津から京都を結ぶ陸運については、大津駄所という馬借(運送業)が古くから特権を保持していた。秀吉は彼らの特権を認めて、上納金を納めさせることにより、財政を豊かにしたのである。「算勘にしわき男」 ほかにも、堺諸座役料なるものがあった。戦国期の堺には同業組合としての座は知られておらず、なぜ座が残っていたのか不明である。平野郷(大阪市平野区)の豪商・末吉氏に対しては、信長が堺南北馬座を認めた例が唯一である。 今井宗久は信長に対して、塩合物(塩で処理した魚・干魚の総称)の過料銭の徴収の許可を求めている。おそらく宗久は、以前から塩合物についての特権を保持していたと考えられる。千利休も、和泉国内や泉佐野の塩魚座から何らかの収入を得ている。秀吉は盛んな経済力に目を付け、商工業の団体からさまざまな形で上納金を得ていたようだ。 さらに、秀吉は商人を積極的に活用することにより、戦争の準備を円滑に進めようとした。文禄・慶長の役の際には、兵糧の米を大量に集めるため、博多で銀10枚で80石という米相場にもかかわらず、秀吉は銀10枚で77石あるいは70石(本営のある名護屋)という高値で買い上げると言った。こうして米を買い占めた。 博多では500石積の船の運送料が銀で約60枚だったが、名護屋では銀で約70枚となった。つまり、名護屋では銀10枚程度の儲けになるので、豪商たちにとって大きな利益となった。豪商は運送だけでなく、蔵入米や各種物産の管理もしていた。 ところが、やがて秀吉の時代は終焉する。 慶長3(1598)年8月に秀吉が亡くなると、その莫大な遺産は子息の秀頼に継承された。残念ながら総額は不明であるが、相当な額だったのはたしかであるといえよう。しかし、慶長5年9月の関ヶ原合戦において、秀頼はほとんどの蔵入地を失った。それでも、豊臣家の財政は豊かだった。 秀頼は慶長19年に方広寺(京都市東山区)の大仏の造営に着手したが、それは秀吉の豊かな遺産があったからだった。ところが、皮肉なことに方広寺の梵鐘(ぼんしょう)に刻まれた「国家安康」の文字が徳川家康を呪ったものと解釈され、同年から大坂冬の陣が開始する。 豊臣方には1人として大名が味方をしなかったが、代わりに馳せ参じたのは、各地で失業生活を送っていた牢人(主人を失い秩禄のなくなった武士)たちだった。むろん、彼らの目当ては戦後の恩賞だけでなく、当座の生活資金として支給された金銀だった。豊臣家は秀吉の遺産を元手にして牢人をかき集め、徳川との戦争に踏み切ったのである。兵糧や武器・弾薬の購入にも、秀吉の遺産がつぎ込まれた。大坂城(ゲッティ・イメージズ) 慶長20年5月の大坂夏の陣で、豊臣家は滅亡した。いち早く家康は金座の後藤庄兵衛に命じて、大坂城内に残る金銀の調査を命じた。結果、城内から金2万8060枚、銀2万4000枚を見つけ出して没収した。当時の庶民の間では、金が2、3枚もあれば金持ちだとされていたので、膨大な額である。 秀吉は「算勘にしわき男(そろばん勘定にやかましい男。ケチ)」と称されたが、その経済感覚は優れたものがあった。それだけの才覚がなければ、とても天下統一などはできなかっただろう。そこには意外にも、幼少時から青年期に至るまでの「金の苦労」が少なからず影響しているのかもしれない。主要参考文献脇田修『秀吉の経済感覚』(中公新書)

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    メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 政治家の驚くべき発言には事欠かないが、自民党の竹下亘前総務会長が講演の中で今後の消費税について語ったものは、その無責任ぶりと妄信的な性格で群を抜いている。 報道が正しければ、消費増税について「10%で打ち止めというわけにはいかないと感じております。いくらになるかは予想はできませんが、まだ上げなければ、財政再建には寄与できない」と、竹下氏は述べたという。 自分でも予想できないにも関わらず、上げるだけ上げないといけない、というふうに解釈できる。「財政再建」がお題目になっているが、これではまるで増税することが自己目的化しているといわれても仕方がないだろう。 しかも、竹下氏のこの発言は、政権のいくつかを犠牲にしても政治家の使命としてやらなければいけない、という精神論付きである。10%を巡る国民的議論から見ると、お粗末な内容としか言いようがない。 戦前の日本政府や軍部、そして官僚組織も具体的な数字を示すこともなく、特定のスローガンを精神論的に掲げる中で自壊していった。その構造と竹下氏の発言は変わらないといえる。 ちなみに、財務省による税率の水準は、21世紀の初めあたりは15%だったが、今では18~20%の範囲に上昇しているというのが「通説」である。竹下氏の発言と同様にその上限の先は見えない。 また、竹下発言では、過去の消費増税がなければ日本はとうに破綻していたという認識を披露している。これも極めて疑わしい話だ。1989年の竹下登内閣による消費税導入以後、消費税収の動きだけ見れば「安定」した財源のように見える。だが、これはもちろん一部分だけ切り取っているだけの話である。2018年10月、北九州市で行われた会合で話す自民党竹下派の竹下亘会長 要するに、消費税収が「安定」的な財源になる一方で、他の税収が不安定化し、より重要なのは経済全体が不安定化していることだ。この理由は、消費増税のもたらす経済への悪影響がある。 確かに、89年の導入時点では、経済が過熱気味であったため、それを抑制する効果があったかもしれない。だが、消費増税は、経済が過熱していても停滞していても、持続的に税の重圧を掛けていく、恒久的な増税という特徴があることを忘れてはいけない。 日本の90年代初頭からの「失われた20年」は、金融政策の失敗が原因であった。さらに、これに財政政策との協調の失敗が重しとなっている。経済が停滞していても、消費税は恒久的にこの不調極まる経済の重しとなっていた。消費は「罪」か 日本人特有の気質なのかわからないが、いったんお上が決めた法律や増税は、変更できない「自然現象」のように扱われてしまいがちで、この停滞の時期にむしろ消費「減税」をすべきだと主張する人はごく少数だった。消費減税をすれば、恒久的な経済改善効果を発揮しただろう。 だが、実際には、1997年に橋本龍太郎内閣のときに5%へのさらなる引き上げが起きた。このときもアジア経済危機、金融危機などが生じている最中だったが、消費増税を撤回ないし引き下げるという議論もなかった。 結局、消費増税は家計や中小企業を直撃し、日本は完全にデフレ経済に落ち込んだ。このときも「財政再建」のための「安定」財源が増税勢力のお題目だった。一種の狂信であろう。 消費税率と消費税収の「安定」だけが成立し、経済は不安定化していく。要するに、日本国民が貧しかろうが苦境だろうが、そんなものは一切お構いなく、消費すること自体に「罪」を負わせているようなものである。 その負担の最大の犠牲者は、国民の中でも最も所得の低い層だった。日本経済が停滞し、非正規雇用など不安定な雇用状況の人たちが増加しても、この増税が持続的に負担になり、日本の窮乏は募っていった。 だが、それでも増税勢力は、長期停滞の極まった21世紀初めには消費増税15%を目標にしていたし、また、東日本大震災では復興増税を政治的に模索することで、それを与野党合意の消費税増税路線として結実していった。まさに「国滅びて、消費税ありき」である。 税構造全体にも無視できない問題がある。平成になってから消費税率は上がる一方で、法人税率は引き下げ傾向にあり、所得税の最高税率や相続税率もつい最近までこれも引き下げ傾向にあった。 消費増税導入とほぼ同じタイミングで、他の主要税の税率が引き下げトレンドに転じていく。法人税は1989年から91年にかけて段階的に大きく引き下げられ、そして今日も引き下げられている。 しかし、法人税の引き下げによって、企業投資が活発になったり、経済の浮揚に貢献した可能性はない。なぜなら、法人税引き下げは90年代初頭から今日まで行われたが、その間に日本経済は法人税率の変化と無関係に、長期停滞と最近の停滞から一応の脱出を果たしているからだ。 また、トランプ政権による法人税引き下げを、米国の経済好転の要因と考える人たちがいるが、筆者は極めて懐疑的な目でみている。むしろ、米経済の好調は、トランプ政権以前から続く米国の金融政策の成功の「遺産」でしかないだろう。日本も全く同じで、法人税引き下げには経済全体を好転させるかどうかは関係ない。むしろ、停滞するかそこから脱出するかは、金融政策が大きなキーを握っている。 所得税の最高税率は、1986年まで約70%だったのが、段階的に引き下げられ、1999年には37%まで引き下げられた。最近では多少引き上げられている。ただ、累進税率を引き下げることで、所得税のもたらす経済安定効果を損なってしまった。経団連が消費増税を優先するワケ 所得税は、経済が過熱すれば税収が伸びることで経済を沈静化させ、経済が停滞しているときは経済を回復させる効果を持つ。これは、所得税収が経済の順調な成長と一致していることを意味している。実際に、80年代終わりまでの所得税収はそのように進展していた。ところが、図表を見ても、所得税収は90年代に入ると、急転直下で減少トレンドを描き出す。消費税の「安定」とは真逆である。 経済全体の安定を犠牲にして、消費増税の「安定」だけを自己目的化にし、またそれが「安定」していれば、「財政再建」は成し遂げられるという妄信は、狂信でしかない。恐ろしいことだが、この支持者は非常に多い。 経団連の中西宏明会長もその一人だ。中西氏は最近、歴代の経団連会長がパソコンでメールを活用していなかった事実を公にするという「貢献」で話題になった。経団連はよく「生産性」と大声を上げるが、自分たちのビジネススキルがお粗末だったことが、明るみに出たわけである。それはそれとして、中西氏は次のような発言をしている。「まずは消費税率を10%へと引き上げることが最優先課題である。日本社会は5%から8%に引き上げたときの景気の落ち込みがトラウマ(心的外傷)となっている。同じような事態を招かないよう、経済対策を実施することに反対ではない。他方、消費増税は財政健全化に資するものでなければならない」 経営者が自分の会社の財政再建を優先するのは理解できるが、なぜ自分の顧客である消費者の懐具合を悪化させてまで、「消費増税が最優先」になるのだろうか。全く理解に苦しむが、この発言の答えは、実は先ほどの「パソコンでメールを出さなかった歴代経団連会長」のエピソードの中に表れている。 つまり、メールさえも活用できない旧態然とした経団連の体質にある。単なる大企業の既得権を死守するだけの、まさに存在すること自体が目的化している、官僚的な大組織だといっていいだろう。 そこには日本経済のイノベーション(技術革新)を牽引(けんいん)するよりも、むしろ大企業の既得権を死守しつつ、新しい芽には無理解で、むしろ抑圧する動きが顕在化していると考えていいだろう。なぜなら、消費増税によってデフレ経済に戻ったほうが、大企業は安泰だからだ。 大企業のライバルとなるような新興企業や意欲的な中小企業がいなくなれば、経団連的には大助かりだろう。それを「財政再建」という聞き心地のいいフレーズで、政府が責任をもって実行してくれるのだからたまらない。 アベノミクス以前は、20年にわたるデフレを伴った大停滞だった。このとき、企業の倒産件数の方が、新規企業の立ち上げ件数よりもはるかに多かった。2018年10月、記者会見する経団連の中西宏明会長 要するに、新しいイノベーションは生まれなかったのだ。このデフレ経済の持つ「イノベーション殺し」は、既得権を有する大企業に有利だった。今も経団連に所属する多くの大企業経営者たちは、このデフレ期をうまみがある期間として実感していることは疑いない。 そう感じていないのであれば、今、経営者たちがやるべきことは、消費者たちがお金を使いやすく、またそれによって経済を活性化させ、税収も安定化することを求めること以外にはない。だが、経団連からは増税の声しか聞こえない。まさにメールも使えない経営者だけが生き残り、国民が滅ぶのである。

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    養子縁組も既定路線? ジャニー喜多川が滝沢秀明を溺愛する理由

    平本淳也(元ジャニーズ所属タレント) ジャニーズと社長のジャニー喜多川氏をよく知っている人なら後継者「滝沢秀明」(タッキー)は想像に難くなかっただろう。 スポーツ紙を中心に報じられた「ジャニーズの後継者にタッキー指名!」のニュース。ジャニーズは今年、問題だらけのネガティブな雰囲気のまま終わってしまうのかと思っていただけに、計算されたかのようにジャニー氏の後継指名は「グッドニュース」として発信された。 タッキーがジャニー氏の後継者になることについては、ファンはもちろん、ジャニーズ内外、マスコミ、そして僕らOB連中も含めて歓迎ムードが広がっている。だが、これは同時に近藤真彦(マッチ)や少年隊の東山紀之(ヒガシ)じゃなくて良かったという安堵感の裏返しでもある。 マッチやヒガシが後継者になるとのウワサに関しては、僕はかなり前から否定してきたが、なぜか世間は年功序列に従うかのように「マッチ社長」と「ヒガシ副社長」というカタチを勝手に思い込んでいたようだ。 今回もマッチやヒガシを差し置いてとか、元SMAPの中居正広や木村拓哉だけでなく、TOKIOやKinKi Kidsまでもが不満を募らせているといった、勝手な想像による記事が目立つ。 そもそも勘違いしているようだが、タッキーはジャニー氏の仕事を受け継いで、タレント発掘や育成だけでなく、グループの形成やステージの制作を担っていくわけで、ジャニーズ本体の代表になるわけではない。また、ジャニーズの新しい事業として立ち上げる「育成機関」の責任者としての役割を担い、ジャニーズのステータスを永続的に維持していくのがタッキーの役目だ。 その役目は、すでに裏方に徹している少年隊の錦織一清(ニッキ)説が強かったが、アイドルの格において無理があった。ニッキもある意味、天才的なセンスを持っているが、「ニッキって誰?」という人の方が多いのが悲しい事実。マッチやヒガシだったらまだマシだが、一連のジャニーズアイドルの不祥事を吹き飛ばすほどではない。 ジャニーズ所属タレントの中で、マッチは「道楽息子」の長男、甘え上手の次男がヒガシという感じだ。タレントとして良い意味で2人とも目立ちたがりでナルシスト。後継者になれなくもないが、裏方に徹するなどプライドが許さない。ただ、マッチに関して言えば、いまさら何を指導できるのか。そう、レーサーとして車の運転を教えることができても芸能界では生きていけない。(イラスト・不思議三十郎) 要はジャニー氏の後継者として、マッチもヒガシも話題性や将来性、実力を踏まえれば物足りないのだ。 そもそもジャニーズの次期社長やジャニー氏の後継ぎをイメージするとき、タレントばかりに注目してウワサすること自体が間違っている。事実、明石家さんまや松本人志が吉本興業の後継者としてウワサにもならない。ホリプロの役員でもある和田アキ子が同社を継ぐならまだあり得るが、それでも事務所経営を担うのは無理だろう。 ジャニーズにしても次期社長は既定路線のまま、現副社長の藤島ジュリー景子氏が就くのはジャニー氏も公言している通りで、すでに複数のグループ会社の代表になっている。ジュリー景子氏は唯一の若い血縁者であり、そこは「テッパン」だと僕はかなり前から強調してきたが、これは間違いない。ジュリー景子も無理 ジュリー景子氏は仕込まれた帝王学と潤沢な資金を背景に事務所経営は大丈夫だろうが、プロデューサーとしてジャニー氏の代わりは一切務まらない。衣装のプランやビジュアル面では現場経験があり、女優として演じていた時期もあるが、アイドル候補を発掘して育成、その上でステージのすべてを作り上げる才能も力もない。 つまり、ジャニーズのエンターテインメントの本質においては全く役に立たないのだ。それは母親であるメリー喜多川氏(ジャニー氏の姉)も同じで、最強の営業力と管理能力を持っていても演出やプロデュースには縁がない。専らそれはジャニー氏の仕事であり、彼にしかできない。実際、これまで姉や姪(めい)であっても演出分野においては一切、口を出していない。 ジャニー氏がずっと心配してきたことといえば、ジャニーズ事務所の存続ではなく、ジャニーズがジャニーズであり続けるために自分の思想を受け継いでくれる分身的な後継者がいないという現実だった。そもそもジャニー氏は当初、自分しかできないことを他の誰かに引き継ぐ気などなかった。 生涯現役であり続けることにこだわってきただけに、これまで後継者の話題が出てこなかったのもその証拠だ。自分以外が代わりを務められるわけがないと、そう思いながらここまできたのだ。 しかし、事態は一転した。それはSMAPの解散騒動だ。ジャニー氏はあの騒動で、ジャニーズが壊れていく様子を垣間見てしまった。これは想像していなかったことで、あまりにショックが大きかったのだ。国民的アイドルとして絶頂にありながら、ジャニーズを離れていくアイドルがいる現実は受け入れ難いものがあった。 SMAPの解散を受け、「ジャニーズの終焉」や「ジャニー氏の求心力の衰え」といった、そんな声が嫌ほど入ってくる事態になり、このままにしておくわけにはいかないと感じたのだろう。 そこで、信用できる自分の分身を考えたとき、たった一人、タッキーしかいなかったのだ。タッキーには、ジャニーズとジャニー氏への最上の愛があり、誰よりも自分を理解していると感じていたようだ。(イラスト・不思議三十郎) 重視したのは、アイドルとして歌って踊れるだけでなく、ジャニーズにとって最も大切なステージ(生舞台)をプロデュースできる点だ。ジャニー氏のまねをしながら育ってきたタッキーは、いつしか匹敵するレベルの能力を培っていたという。 もう少し、ジャニー氏がタッキーを選んだ理由を記しておこう。メジャーアーティストを輩出した人数などが世界一としてギネス認定されるほど人を見る目に長(た)けたジャニー氏だが、その能力と同時に白黒ハッキリした好みがある。 ルックスや性格など一般的な好みはもちろんだが、際立って興味を示すのはそのアイドルの持っているプロフィールにある。まず、家族構成だ。どういった環境で育ってきて今どのように暮らしているのかに強い興味を持ち、さらに、その環境が幸か不幸かによって好みが強く出てくる。養子縁組は確実 例えば「幸」の場合、嵐の櫻井翔のように将来有望な元官僚の親を持っていたり、関ジャニ∞の大倉忠義のように何百億円もの資産を持つ企業の御曹司といった、生い立ちに興味を抱く。 ただ、どちらかと言えば、ジャニー氏は「不幸」と思われる環境の方に、より強い関心を持っている。極端な例では、孤児だったり、片親だったりするだけで、非常に目をかけてくれる。片親の僕は実体験だが、本当によくしてもらった。「君は片親だから、両親がそろっている家庭と比べれば恵まれている度合いは半分しかない。だからその半分をチャンスとしてあげたい」と、言葉をかけてもらった。 タレント性を見いだすヒントとして、その人が育ってきた環境や背景を知ることはとても重要なのだろう。官僚の子や企業の御曹司より、人間的な魅力を作ろうとするプロデューサーは不幸な子のハングリー精神を求めるようだ。そういった意味ではタッキーも深い関心の中で育てあげた成功例といえるのだ。 あまり知られていないが、タッキーの父親は母親の再婚相手であり、実父とは小学生のときに離別している。事実上片親を経験していることもジャニー氏にとっては放っておけない存在であり、大きなチャンスをあげたいと感じたに違いない。 タッキーは中学生のころからあの美貌を持ち、さらに明るい性格で、なおかつ真面目で芯が強かった。僕も初めてタッキーと対面したときは言葉を失ったくらいだ。 そもそもジャニー氏がアイドルとして最高評価をしているのは、KinKi Kidsの堂本光一だが、その光一にあこがれてジャニーズ入りしたタッキーが、自分が作るステージで華やかに舞い観客を魅了する姿を楽しんでいたのだ。 ジャニー氏は、子供も伴侶もなく、血縁者も2人しかいない。そんな中で、自分が発掘して育ててきたタレントはみんな自身の子供と表現するが、光一とタッキーだけは本当の家族にしたいと思っているようだ。 今回の後継指名に関して、タッキーと養子縁組するという情報もあるが、この可能性は極めて高い。ジャニー氏は恵まれない子供たちを支援する団体の設立を目指しており、自らの財産と生き様を伝承して後世に残せるジャニーズを残すためにも、タッキーとの養子縁組は信頼できる「家族」を作る最初で最後のチャンスといえるからだ。(イラスト・不思議三十郎) タレントを完全に引退し、ジャニー氏を継ぐ覚悟のタッキーへのエールは業界を超えて広い範囲から多く寄せられているが、こうした期待と歓迎ムードに仕立てたのはジャニー氏ならではの演出といえるだろう。 タッキーがマッチやヒガシのようになってからでは遅く、ニッキのように長く裏方に入ってしまってからでは話題にも乏しい。かつての山口百恵や、先月引退した安室奈美恵のように絶頂期だからこそ価値があるからだ。 普通に考えればもったいないし、ファンからすれば引退しないでほしいと思うところだが、与えられた大きな使命を思えばタッキーはジャニー氏の後継者として「永遠」に語り継がれる存在となるだろう。

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    駅伝「四つんばい」を美談に仕立てたテレビ中継に異議あり!

    酒井政人(スポーツライター) 10月21日に福岡県で開催されたプリンセス駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝予選会)の「四つんばい」スパートが賛否の議論になっている。箱根駅伝に出場経験のある筆者としては正直、こんな問題に世間がヒートアップしていることに少しあきれている。なぜなら、今回の駅伝についての「本質」を分かっていない人が多いからだ。 実はこの件、いくつもの問題が絡んでいる。一つずつ整理して考えていきたい。 まずは選手の立場から見てみよう。2区(3・6キロ)に出走した岩谷産業の飯田怜は入社1年目の19歳。高校時代は、全国大会で華々しく活躍した実績はなく、テレビ中継されるようなレースでかなり緊張したことが予想される。そして第2中継所まで約250メートルというところで転倒、思わぬアクシデントでパニックになったことが考えられる。 その後は、脚の痛みから、両手と両膝をついてアスファルトの上を進んだ。駅伝を走る場合、まず頭に浮かぶのが「次走者」のことだ。はってでもタスキをつなげるのは、駅伝ランナーの「本能」ともいえる。その行為について、筆者は良かったとも悪かったとも思わないし、彼女の頑張りを見て、感動するのは自由だとも思う。 しかし、飯田は第1中継所に入るのが遅れ、1区の走者のタスキを数秒遅れて受け取っている。1秒を争う駅伝選手として、致命的なミスを犯したことを考えると、個人的には褒められない。 選手としての判断でいうと、残り約250メートルとはいえ、両膝を擦りむいてでも進むということが「正しい選択」だったかも疑問が残る。※画像はイメージです(ゲッティイメージズ) ちょっと昔の話になるが、日清食品グループに所属する佐藤悠基は、東海大1年時に出場した全日本大学駅伝予選会(1万メートルレース)で驚くべき行動を取った。左足甲が「ちょっと気になった」という理由でレースをやめたのだ。 残りはトラック2周。歩いてでもゴールできない状況ではなかったが、彼はそうしなかった。自分の脚を優先させたのだ。涙のタスキリレーとチーム事情 チームは全日本大学駅伝の出場を逃したものの、佐藤は3週間後の日本学生陸上対校選手権(日本インカレ)1万メートルで、1年生にして優勝を果たした。その後も躍進を続け、世界選手権やオリンピックにも出場した。もし、あのとき無理をしていたら、その後の活躍はなかったかもしれない。 また、先日のシカゴマラソンで2時間5分50秒の日本記録を樹立した大迫傑(すぐる)も、早稲田大4年の時には、チームの主将でありながら、箱根駅伝(1区間21~23キロ)のためのトレーニングはしていない。チームを離れて、5000メートルや1万メートルのトラック競技に向けた練習でスピードを磨いている。最後の箱根は1区で区間5位に終わったが、その後の大活躍は周知の通りだ。 駅伝には「チームの絆」があり、それが大きなパワーにつながることもある。そして、汗の染み込んだタスキを次の走者に託す姿は、日本人の琴線に触れるものだろう。だけど、選手にとっては、駅伝以上に大切なものがあるのも事実なのだ。 次にチーム事情が挙げられる。飯田が所属する岩谷産業は、陸上部が発足して2年目で、選手は7人しかいない。そのうち飯田を含む3人は高卒1年目だ。プリンセス駅伝は6区間のため、選手層が薄くて、キャリアの少ない選手たちで予選突破を果たすのは、簡単なことではなかった。 レース後、飯田は右脛(すね)の骨折で全治3~4カ月と診断されている。転倒時に痛めたのか、疲労骨折なのかはわからないが、疲労が原因だとしたら、以前から右脛に不安を抱えていた可能性がある。チーム状況から飯田を起用せずにはいられなかったとなると、飯田を責めることはできない。 異変に気づいた広瀬永和監督は「棄権」を申し出たが、飯田が続行の意思を示したため、涙のタスキリレーとなった。テレビ中継では、飯田のすぐ後ろを歩いていた審判員の「あと70メートル、俺は行かせてやりたい」という言葉が入っており、沿道の観客からも「頑張れ!」という声援があっただろう。2018年10月、シカゴマラソン、3位でゴールする大迫傑。2時間5分50秒で日本新を達成した(AP=共同) さらに、バイクカメラが飯田の真横についた。こうなると選手の方も止めるに止められない。周囲の重圧がリタイアを決断できなかった原因になった可能性もある。 各中継所では通常、先頭のチームが通過してから一定時間で繰り上げスタートとなる。飯田が第2中継所にたどり着かなければ、チームは棄権となるが、3区以降の選手はレースを続けることはできる。チームとして予選通過ができなければ、「予選敗退も途中棄権も同じ」と割り切って考えることができれば、膝を擦りむく必要はなかったかもしれない。 視聴者も理解しないといけないことがある。それは、実業団選手の大半は「走る」のが仕事だということだ。趣味でやっているわけでもなく、ボランティアでもない。会社が給料を支払い、練習環境も整えてくれる。駅伝は「スポーツ中継」か その代わりに、「走る」ことで会社をアピールする役割を担う。そう考えると、飯田の頑張りも特別なことではない。仕事が終わらないため、残業したくらいのことだ。 そして、今回の件で最も問題視すべきはテレビ放映の仕方だと思っている。駅伝は「スポーツ中継」「スポーツドキュメンタリー」「スポーツショー」のどれになるのか。プリンセス駅伝はクイーンズ駅伝(全日本実業団対抗女子駅伝)の予選会であり、14位以内に入ると本戦の出場権をつかむことができる。 「スポーツドキュメンタリー」や「スポーツショー」なら、今回のようにアクシデントのあった選手をクローズアップしてもいい。しかし、「スポーツ中継」だとしたら、今回の放映方法がベストといえるだろうか 四つんばいになった飯田をカメラが執拗(しつよう)に追いかけ、5分近くもテレビ画面を占領することになる。実況するアナウンサーも「ここで途切れさせるわけにはいかない!」と熱い言葉を発していた。そして、タスキがつながると、「思いはつながった! 岩谷産業!」と興奮気味だった。 サブ画面では1号車のカメラが先頭集団を映し出していたとはいえ、その間にトップが入れ替わるなど、「14位以内」の争いは大きく変化した。「スポーツ中継」ならば、トップ争いをきちんと状況する必要があったのではないだろうか。 岩谷産業は飯田のアクシデントの影響で、2区を終えて本戦出場のボーダーラインと4分46秒差だった。予選突破は絶望的な状況だったことを考えても、岩谷産業を追いかけるのは、必要最低限で良かったと思う。創部2年目で初出場したチームが最下位に転落したとしても、本来ならニュースにならないのだから。2018年10月、プリンセス駅伝で優勝のゴールテープを切るワコールのアンカー(第6区)福士加代子(鳥越瑞絵撮影) これまで駅伝のアクシデントを目の当たりにしてきたが、選手のブレーキや繰り上げスタートなどテレビ実況は大げさにあおる傾向がある。そして、ささいなことも美談に仕立ててしまうメディアにも問題があるだろう。もう少し、ドライな中継で、選手たちが本当に目指しているものを、しっかりと映してほしいと思っている関係者は少なくない。 近年は、インターネット上で自由な言論が繰り広げられている。今回の件も、「感動した」「涙が止まらない」という声がある一方で、「早くリタイアさせるべきだった」という主催者側や監督に対する批判もあった。 人が頑張る姿は美しい。しかし、表面上のことだけを見て判断するのではなく、物事の「本質」を見極めた上で、本当の「評価」を下していただきたいと思う。

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    「孤絶化による洗脳」人権圧殺国家、無視できないメディア規制

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍晋三首相は、25日から3日間の日程で訪中し、習近平国家主席ら中国首脳と会談を行う予定である。日中友好平和条約が発効して今年で40年の節目を記念したもので、日本の首相としては約7年ぶりの訪中となる。前回は民主党政権の野田佳彦前首相の時代だったので、もちろん第2次安倍政権では初となる。 安倍首相の訪中としては、第1次安倍内閣のときの2006年10月における「電撃訪問」が思い出される。当時の胡錦濤国家主席と対談し、そこで「戦略的互恵関係」や、共同プレス発表という形で「日本の戦後の平和国家としての歩み」を評価したことで知られる。 後者の「平和国家としての日本の歩み」を評価したのは、中国側からすれば最大限のリップサービスだったのだろう。その後、中国側の尖閣諸島周辺への侵入が常態化していくことを想起すると、中国側の「譲歩」の後には「ごり押し」や無法行為が待っているようにも思える。 今回の訪中は、トランプ政権との「米中貿易戦争」の真っただ中で行われるために、国内的な関心も高く、国際的にも注目されているだろう。しばしば、米中貿易戦争では、日本が漁夫の利を得ると報道される場合がある。今回の訪中もそのような文脈でとらえる論調もある。だが、それは大きな誤りだろう。 最近の中国が明らかにしているのは、自由で民主的な社会の価値観とは全く異なる国家権力の膨張である。つまり、中国的ルールをもとにした監視社会、尖閣諸島や南アジア、インド洋、アフリカなどで展開されている大国主義的活動、不透明な経済体制である。「異質」という表現よりも、日本や欧米主要国と対立し、むしろ抗争的な価値観を実行している国家といっていいだろう。 一言で表現すれば「人権圧殺国家」だろう。新疆ウイグル自治区では、イスラム系住民を中心に約100万人が拘束され、「行方不明」になり、収容所で「再教育」を受けている。 彼らは「洗脳施設」に収容され、自分たちのアイデンティティーである民族的誇りや宗教的信条を奪われ、常に監視状態に置かれるという。まさにディストピア(反理想郷)である。2018年9月、「東方経済フォーラム」全体会合で、中国の習近平国家主席(左)と並んで入場する安倍晋三首相(代表撮影) 日本のメディアでは、ウイグルでの人権弾圧をあたかも「右派」や「保守」の専売特許のように認定し、単なる「中国嫌い」とでもいうべき言論として扱うおかしな識者もいる。まったく見下げた論評だ。「監視社会」三つの要素 例えば、反トランプ的な言論を展開している米国の主要メディアも、ウイグルでの人権弾圧を厳しく批判し、米国世論の形成に寄与している。先のペンス副大統領による中国政府への批判スピーチにもこのウイグル問題などが含まれているのは、その成果の一つでもあったろう。 中国政府の人権抑圧的な監視社会は、実に巧妙に運営されている。もちろん、欧米や日本でも監視社会の危険性は今までも議論されてきた。日本では、繁華街での監視カメラの設置をめぐって論争が起きたこともある。 だが、中国の監視社会は、質的にも量的にも同列には論じられないのは自明だ。それは、主に三つの要素から成立している。表面的に「自由」なコミュニケーション、長期間の孤絶化、プロパガンダ(宣伝)を伴った「謝罪」や「幸福感」の表明である。 経済学者で香港大のベイ・チン准教授、ストックホルム大のダーヴィド・ストロンベルグ教授、南カリフォルニア大のヤンフイ・ウー准教授らの研究によれば、中国政府はソーシャル・ネットワーキング・システム(SNS)を厳しく事前検閲するよりも、むしろかなりの程度「自由」に泳がせていると考えている。 これは日本での常識とは、かなり異なる印象を受ける。SNSではないが、最近では国際刑事警察機構(ICPO)の孟宏偉総裁が長期間失踪したニュースを伝えるNHK海外放送がブラックアウト(画面がまっ黒になる)し、放映が一時中断したような中国政府の事前検閲をしばしば目撃しているからだ。 だが、ストロンベルグ教授らは、中国政府は厳しい事前検閲をするとSNSで利用すべき情報が取れないと考えているようだと指摘している。むしろ、厳しい事前検閲よりも、SNSの情報を利用して、デモや地方政府の汚職の情報を収集し、事後的にそれらを処罰した方が効率的だと考えているようだと、中国政府のやり口を解明している。 つまり、表向きは「自由」にSNS上でコミュニケーションさせるのだ。ストロンベルグ教授らによると、この表向き「自由」なSNSの活用により、デモや反体制集会をほぼ開催前日に政府が感知できるとしている。2018年7月、ウイグル族が集住するカシュガルの「旧市街」で、警察に促され記者の前で民族の踊りを披露する女性=中国新疆ウイグル自治区(共同) さらに、国際的女優、ファン・ビンビン(范冰冰)や前述した孟宏偉氏のケースでも明らかなように、その社会的地位を問わず、中国政府は拘束し拉致・監禁して尋問を展開する。それは、まさに周囲の人間から見れば「失踪」に等しい。この「失踪」の手法により、その人を社会的な関係から遮断し、情報を閉ざす中で、孤独を深め、ついには、自分が何者からも見捨てられた状態であると絶望を植えつけていく手法を、中国政府は自国民に強要しているわけである。 この手法を、政治哲学者のハンナ・アーレントは主著『全体主義の起源』で、全体主義国家の常套(じょうとう)手段である「孤絶化」であるとしている。ウイグルの強制収容所は、その大規模かつ徹底的なこの孤絶化の実行と考えられる。まさに人権のジェノサイド(集団殺害)である。しかも、精神への暴力だけでなく、身体への暴力の可能性も否定できない。「人権圧殺」押し付けの兆候 この個人を社会関係から見捨てられた状態にする「孤絶化」は、同時に全体主義的な国家にとって、洗脳とプロパガンダの機会としても利用されている。何とも逆説的だが、人々から見捨てられ、そこに救いを求めることができなければ、弾圧している政府そのものを「救世主」として見なしてしまうのである。 米CNNの報道では、ウイグルの強制収容所で「再教育」を受けている人たちが「幸福感を増した」とする収容所の当局者の発言を伝えている。まさに欺瞞(ぎまん)そのものなのだが、おそらくこの収容された人たちの「幸福感」は本当かもしれないところに、精神の地獄を感じる。そこまで精神的に追い込まれているのだろう。洗脳の恐ろしさが顕著に分かる事例だ。 先のストロンベルグ教授らは、SNSが政府のプロパガンダを流す手段として有効利用されていると指摘していた。もちろん、テレビや新聞などの旧来型メディアも政府のプロパガンダに巧妙に利用されている。ファン・ビンビンが巨額の脱税を「懺悔(ざんげ)」したのは代表的な事例である。汚職摘発キャンペーンも、もちろん習近平体制を支える重要なメディア戦略である。 このような「人権圧殺国家」との外交は、用心するに越したことはない。この人権圧殺が中国国内だけではなく、各国の国民にも及ぶ可能性があるからだ。 事実、その兆候はある。中国高官が自民党などの国会議員の前でメディア規制を唱えたことは無視すべきではない兆候だ。海外の大学出版局に対して、事実上の言論統制を試みたこともあった。 それらはまだ小さい可能性だが、中国政府のやり口は、まずは小出しにして、力を得れば一気に強権を実行している。つまり、これらのシグナルは無視すべきではないのだ。 評論家の石平氏は、中国の政治体制の危険性に注意を向けた上で、訪中した安倍首相が中国の策略に乗らないように警告を発している。マレーシアやモルディブなどでは反中国的な政権が誕生し、現代版シルクロード経済圏構想「一帯一路」の頓挫が伝えられている。2018年10月、日中与党交流協議会の閉幕式に出席する自民党の二階幹事長(左)と中国共産党の宋濤中央対外連絡部長 そのような情勢の中で、中国政府が安倍首相にこの一帯一路への支援を求める危険性と、さらにトランプ政権と日本との離反を仕向ける罠があると指摘している。石平氏の論説には、全くうなずける。 もちろん、外交はケンカをする場所ではないし、最初から口ケンカをしに訪中すると考えるのは単純な思考でしかない。要するに、中国の「人権圧殺国家」としての性格、そして大国主義的な振る舞いに十分に気を付けて、余計な言質を与えないことが今回の外交の必要最小限の前提である。その上で、中国の「人権圧殺国家」、大国主義の振る舞いに国際的警鐘を鳴らすことも、日本政府にとっては重要な課題なのである。

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    「ドクロの盃」に誓った信長、仏教根絶と第六天魔王の深すぎる因縁

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 天正2(1574)年、浅井久政・長政父子と朝倉義景の首を薄濃(はくだみ)にして正月の酒席に供するという、現代人にとっては衝撃的な演出をしてみせた信長。 だが、それは価値観が違うわれわれだからそう感じるだけで、人の首を見るなど日常茶飯事の戦国時代はまた話が違う。なにせ、当時の女性の覚書『おあむ物語』には、合戦で味方が獲ってきた生首に女性たちがお歯黒をほどこすシーンまであるぐらいなのだから。 『信長公記』でこの3人の「首」が出された場面は前回にも紹介したが、「それぞれが謡い遊興し、なんともめでたい結果になったと喜んだ」とある。これをアレンジした『甫庵信長記』でも、「この肴(さかな)で下戸も上戸もみな飲もう、とそれぞれが歌い、舞って、酒宴はしばらく終わらなかった」「信長公は皆が数年にわたって苦労して功績を重ねてくれたおかげだ、こんな肴で酒宴を開けることになったのは本当にめでたいことだ、と仰(おっしゃ)った」と、一同は浮き立つように酒宴を楽しむ情景が描かれている。 「みんな、信長が怖くて楽しんでいるふりをしたのだろう」と思うところだが、『おあむ物語』など見る限り、どうやら酒席の人々はまんざらお芝居ではしゃぐふりをしてみせたわけではなく、案外本気で喜んでいたのかもしれない。 『信長公記』にも『甫庵信長記』にも、「薄濃」にされたのは「首(こうべ、くび)」だと書かれている。これだと生首かともとられそうだが、いくら秋から冬にかけてとはいえ、生首を3カ月あまりもそのまま保存しておけるものだろうか? 塩漬けや酒漬けにしたところで、そうそう長くはもたないだろう。 肴にされた浅井長政側の史料『浅井三代記』は100年近く後に成立したもので信頼性はとても低いのだが、「肉を取り去って(漆で)朱塗りにした」と書かれている。 つまりドクロにされていたということだ。この部分に限っては、それが合理的ではないか。織田家の正月の宴に出された3人の首は、ドクロだった。※画像はイメージです(GettyImages) ちなみに、この3人のドクロの頭頂部が切り分けられて盃(さかずき)にされ、信長の家臣たちが回し飲みさせられたなどというエピソードを聞いたことがある方がおられるかもしれないが、それはこの『浅井三代記』が「盃の上に御肴にぞ出しにける」と書いてあるところから誰かが想像を働かせた創作―と言いたいところなのだが、それがどうもそうとばかりも言い切れない節がある。第六天魔王とドクロの関係 『今昔物語集』という平安時代の物語集の名前を、読者の方々も一度は聞かれたことがあると思う。その巻第一の第六話は「天魔、菩薩の成道(じょうどう)を妨げんとすること」なるタイトルだが、これは菩薩=釈迦の仏教修行を、天魔(第六天魔王)が邪魔しようとした、という意味だ。 その中で、弥伽(ミカ)と迦利(カリ)という天魔の姉妹がそれぞれ手に「髑髏(どくろ)の器」を持って釈迦の前に現れ、いろいろ妖しいポーズをとってみせた、という一節がある。この髑髏の器というのが、そのままドクロの盃のことなのだ。 第六天魔王とドクロの盃。二つをつなぐ元ネタがある以上、第六天魔王を名乗った信長が3人の首をドクロの盃に仕立てたとしても、不思議はない。仏教に対する外法(げほう。魔法、魔術、妖術なども含む)に使われる髑髏は、外法頭(げほうあたま、げほうがしら)と呼ばれることからも、ドクロの盃は「仏教の敵対者」としての象徴を意味する。 前年に第二次長島一向一揆攻めで失敗し、この正月の宴の直後には越前一向一揆に蜂起されることになる信長にとっては、「今年は刃向かってくる仏教勢力との戦いの正念場だ」という宣言でもあったのかもしれない。実際、この数カ月後に長島一向一揆は皆殺しにされ、さらに翌年には越前一向一揆も殲滅(せんめつ)される運命をたどっている。 箔濃(はくだみ=薄濃)については中国の『史記』に記述があり、台湾の故宮博物院には祭儀に用いられた箔濃が収蔵されているという。 こうして浅井久政・長政父子と朝倉義景のドクロは第六天魔王の象徴的アイテムとして漆塗りにされ諸将の前に飾られた。戦国武将の浅井長政らを描いた絵画=和歌山県高野町(山田淳史撮影) だが、どうも信長はそれだけのためにドクロを見せ物にしたわけではなさそうだ。 漢字研究の大家である白川静氏によれば、古代中国では偉大な指導者の「髑髏」が大切にされて魔除けのために祀られ、その色が「白」という漢字の起源になったという(『漢字百話』(中央公論新社)ほか)。 野ざらしで白くなった英雄のドクロ。それをたたくことでドクロの生前の霊を迎え、まじないの効果をあげようとされていたというのだから、この点でも魔除け好きな信長との接点が出てくる。浅井父子と朝倉義景は4年間にわたって信長を苦しめ続け、あわや破滅かというところまで追い詰めたほどの武将だったから、その呪霊の力も相当なものに違いない。信長の怪しいブレーン ひょっとすると、信長の側にはこういうオカルト的な知識に詳しいブレーンがいたのではないか。20世紀最悪といわれる独裁者、ヒトラーの場合、カール・エルンスト・クラフトという大物占星術師がナチスドイツの躍進に貢献したというが、実は信長にもそういうスタッフがいたと考えられる節もある。それについては近々触れることになるだろう。 さぁ、それでは話を進めて、信長がドクロを飾ってその意気込みを表現した第三次長島一向一揆攻めについて語ることにしよう。 この年の7月は、雨が極端に少なかった。徳川家康の史料『当代記』に「この夏秋、旱天(かんてん)」とあるように、旱(ひでり)が起こったのだ。奈良でもこの月「近般もってのほか炎天」と嘆かれ(『多聞院日記』)、島根でも4月からこの月にかけて干ばつとなる(気象研究所『日本旱魃霖雨史料』)など、広い範囲が水枯れで干上がった。 信長が行動を起こしたのは、ちょうどそのタイミングだった。13日に7万とも8万ともいう軍勢を率いて岐阜城から出陣した信長は、翌日戦闘を開始。海も陸も隙間なく長島を包囲した織田軍は次々に一向一揆の支城を打ち破り、一揆勢を切り捨てていく。大鳥居城と篠橋城の一揆勢は耐えきれなくなって降伏を申し入れるのだが、信長はこれを拒否した。「いろいろと一揆の者どもが懇願して来るが、この期に根切りすると決意している」と書状にも記しているように、彼は「根切り」=殲滅、皆殺し以外は考えていなかった。 8月2日、夜陰にまぎれて大鳥居城から脱出しようとした一揆勢1000人あまりが切り捨てられてしまう。雨雲がまったくない夜空は月明かりも十分に明るく、織田軍にとって一揆勢を捕捉するのは造作もなかっただろう。伊勢長島一向一揆(歌川芳員、『太平記長嶋合戦』) それより何より、河川の水位が下がっていたことが信長の強い味方となっていた。木曽川・揖斐川・長良川の「木曽三川」の流れの中にある「輪中」を城塞(じょうさい)化した長島城などは、川の水が少なくなればそれだけ防御力を喪失するためだ。 信長は大鳥居城の虐殺について、「男女ことごとくなで切りにさせた。身投げして死んだ者も多かったようだ」と自慢してみせ、「長島の願証寺がいろいろとわび言を申し入れてきているようだが、一切取り上げるなと命じてある」と改めて殲滅の実行を確認している。正月に三つのドクロを前に立てた反織田の仏教勢力の根絶の堅い誓いは、小揺るぎもしなかった。「自分は神」と確信 残る屋長島・中江の二城と本拠の長島は希望のない籠城に突入したが、特に篠橋城から多くの者たちが逃げ込んだ長島は兵糧の準備も乏しく、地獄の飢餓状態に陥っていく。「城中の男女に餓死者が殊の外多く出ているようだ」と信長はその陥落も間近いことを予期し、9月29日に一揆勢が長島から退去しようとするのを認めるふりをした上で、船で城内からこぎ出してきたところを鉄砲で一斉に撃ち倒させた。みるみる殺されていく仲間たちの姿に、死に物狂いになった一揆勢は織田軍の手薄なところに突撃をかけ、生き残った少数だけが大坂まで逃げていったという。 敵の意外な抵抗に怒り狂った信長は、その日のうちに屋長島・中江の二城に四方から火をかけた。渇水により陸の上はすっかり乾燥しきっていたこともあり、火はあっという間に回って2万人という籠城者をすべて焼き殺してしまったという。まさに地獄の業火をこの世に出現させたようなありさまだっただろう。 この日、彼は陣を払い、岐阜城へと凱旋(がいせん)の途につく。 ドクロの誓い通りにまず長島一向一揆を殲滅した信長。彼は滞陣中に「大坂を皆殺しにする準備を最優先にせよ」と細川藤孝に書き送っている。一向一揆の本尊、大坂本願寺に総力戦を挑もうというのだ。武田勝頼の銅像=山梨県甲州市 干ばつがもたらした渇水により長島一向一揆攻めを成功させた信長。彼は、桶狭間の戦い以来続いている龍・大蛇の神通力による「水」の制御がここでも自分に味方したことに気をよくしていたことだろう。   それは、彼が龍そのもの、つまり自らが神の力を備える存在だと信じる方向へと彼を導いていくきっかけとなったようだ。 そして、彼の自信を絶対の確信へと変える大作戦が、この後に待っている。明くる天正3(1575)年4月21日、甲斐の武田勝頼が1万5000の兵を率いて徳川家康領の三河国の東部へ侵入し、各地を脅かした後、5月11日に長篠城を包囲したのである。 これに対し、信長は徳川家康からの応援要請を受けて2日後の13日に岐阜城を出陣する。信長一世一代の大合戦、「長篠の戦い」の火蓋が切られたのである。

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    剛力彩芽はきっとZOZO前澤友作氏を踏み台にする

    吉田潮(ライター・イラストレーター) ZOZO社長の前澤友作氏の名前は、ネット上でよく目にしていた。といっても、彼自身が主役ではない。元彼女の紗栄子が何かと物議を醸す女性だったから。彼はパトロン的な存在程度の認識だった。それでも「子供は認知するが、結婚はしない主義」を公表する姿勢は、個人的に好感をもっていた。ま、本当は認知する前に避妊しようよと言いたいところだが、何かポリシーか心の闇があるのだろう。 情報を調べたところ、ますます好感を持った。千葉県鎌ケ谷市出身というのは、船橋市出身としては親近感を覚えるし、現在も千葉県在住という点も興味深い。イケすかない金持ちは「港区とか世田谷区じゃないのか!」と驚きもあった。もちろん拠点は都内で、住んじゃいないだろうが、千葉県の税収に多大なる貢献をしているのは確かだ。感謝の念も湧く。金持ちを嫌儲主義でたたくよりも、「莫大(ばくだい)な納税額をありがとう」と思うようにしているからだ。 しかし、周囲の女性の評価はすこぶる低い。「何がイヤって、若い女性に手を出すところ」「札束で引き寄せる感じしかない」。若い女性を金で釣る印象が強いようだ。まるで「補助金どぶ漬けにして貧しい自治体に厄介な施設を押し付ける国のやり方」のような感じか? そんな個人的感情はさておき。まさか、彼が動いてしゃべる姿を、テレビのニュース番組で見るとは思ってもいなかった。10月9日放送『news zero』(日テレ系)だ。髪を染めた田口トモロヲのような風貌の前澤氏が、月に行くという壮大な計画を発表したのだ。 少し脱線する。いつも思うんだけど、どうして巨万の富を得た男性はこぞって「宇宙」を目指すのか。前澤氏いわく「自分のメッセージを世界中に発信する」ためだという。そして、その伝えたいメッセ―ジは「世界平和」。 壮大なのに、実にふわっとしとる。昭和の残骸である私にはどうしても故・笹川良一が思い浮かぶ。火の用心から世界平和まで唱えた好々爺(や)である。あのCM、忘れられないよね。大人になってからはいろいろと黒い噂を知り、「世界平和をうたう人は基本的にうさんくさい」と学んだ。前澤氏にもちょっぴり同じ匂いがしないでもない。日本外国特派員協会で会見を開いたZOZOの前澤友作社長=2018年10月9日、東京都千代田区 もちろん、テレビでは記者会見の一部を切り取って放送するので、計画の細かな部分はざっくり削除。そして、ネタの中心、というか核は「交際中の剛力彩芽」であった。実際、外国特派員協会で行われた記者会見では、宇宙に対する思いのたけ、綿密な準備を開始していること、批判に対する切り返しなど、月旅行に限らない現状を真摯(しんし)に語っていたようだ。が、テレビではもちろんバッサリ切り落とされた。 『news zero』ではこの件に関して子供たちにインタビューし、ゲストコメンテーターの落合陽一氏のフォローなども含めて、前澤氏を応援する形にはなっていたのだが。夜のニュース番組をなんとなく流し見している人に記憶されたのは、「世界平和」と「剛力彩芽」だろう。ふわっとゆるっとチャラい印象だけが余韻として残る……。ゴリ押しから解放されて この二人が交際を始めてから、連投するインスタグラム(写真共有アプリ)が話題になっていたことは知っている。「バカップル」と揶揄(やゆ)され、炎上騒ぎもちらほら。見かねた剛力の事務所が削除させたらしいとの噂もあり。それが、とうとうテレビでも触れ始めたか、と思ったのだが、そこにはなんとなくきな臭いモノがあった。同局の番組『アナザースカイ』では、12日のゲストが剛力彩芽だったからだ。 これは、芸能人や有名人をゲストに呼び、「海外にある、第二の故郷」を語ってもらうトーク番組だ。剛力がパリに訪れ、買い物を楽しみ、パリコレを最前列で鑑賞し(隣にはもちろん前澤氏が座っている)、アイデンティティーを表現するダンスをお披露目し、最近一人暮らしを始めた旨などを語っていた。自分から発信したいと思うようになってSNS(会員制交流サイト)も始めた、などなど、つっこみたくてウズウズするような内容ではあった。実際、司会の今田耕司はウズウズを抑えきれずにつっこみを入れたのだが、剛力は笑ってスルー。映像もさらっと編集してあった。 ふむふむ。そういうことか。剛力が今まで築いてきたイメージをZOZO前澤氏なんかに崩されたくないわけだ。従順で真面目でおぼこいゴーリキちゃんが「恋愛に溺れておかしくなっている」のではなく、「今、いろいろなことにチャレンジして新しく脱皮しようとしているブランニュー・ゴーリキ」方向へ持っていきたいんだな。「第2回ミス美しい20代コンテスト」概要説明記者発表会に出席した剛力彩芽=2018年3月22日、グランドプリンスホテル高輪(撮影・田村亮介) ゴーリキちゃんについて、少し触れておきたい。彼女は7歳からモデルを目指し、15歳で『セブンティーン』のモデルデビューを果たす。私が記憶しているのは、ドラマ『IS~男でも女でもない性~』(テレ東系、2011年)だ。 性分化疾患のインターセクシュアルという難しい役柄を見事にこなした。中性的なルックスと不思議な佇(たたず)まいに心がざわついた。その後、あれよあれよとスターダムにのしあげられるゴーリキちゃん。オスカーという巨大事務所の3枚看板(武井咲、忽那汐里とともに)として、毎クール必ずどこかしらのドラマに主演級で出演することに。ちまたでは「事務所がゴリ押しのゴーリキちゃん」と揶揄(やゆ)され、私自身も実際そう思っていた。いや、事実なんだろうけど。ゴーリキちゃんの転機 彼女自身は歌って踊ることも大好きなようで、念願の歌手デビューも果たした。菓子パンCMを始め、CM女王にも輝くほどの活躍。主演したドラマはどれもイマイチ視聴率が振るわなかったが、着実にキャリアを積んでいた。 ところが、ここ1~2年のゴーリキちゃんは、ゴールデン枠からプライム枠、そして深夜枠のドラマへと移行していき、正統派ヒロインだけでなく、かぶり物やコスプレがメインのキャラクターを演じるようにもなった。『レンタルの恋』(TBS系、2017年)というドラマが実にクオリティーの低い仮装なのだが、物語としてはものすごく納得のいく結末なのでぜひ見てほしい。そして、今は2時間モノで「主演の男性俳優についていくサブポジション」にたどり着いている。視聴者としては「最近、ゴーリキちゃんの扱いが雑になってきたな」と思ってしまう。本人が働き方を変えたいと思ったのか、さっさと妊娠・結婚した武井咲に感化されて反抗したのか。それともドラマ業界でメインに据えるニーズがなくなったからなのかは、正直分からない。 おそらく、18歳の頃から休みが一切なく、25歳までは恋愛禁止で、馬車馬のように働かされてきたゴーリキちゃんに「いい転機」が来たのだと思う。『アナザースカイ』でも話していたが、「初めて三連休をもらったのに、何をしていいのか分からなくて結局何もしなかった」そうだ。そして「今、仕事をもらえているのも、自分の実力じゃないじゃん、と。甘えていたんだなと思って。自分から発信していきたいと思うようになった」と言うのだ。 SNS炎上に対する事務所へのフォロー発言かなと思いつつも、10代から働き続けてきた女性の本音と恨み節を垣間見たような気もする。10代後半の多感で多動でかけがえのない楽しい時期を、汚れた大人の言いなりになって優等生を演じてきたゴーリキちゃんが今、解放感を味わっているのだ。TBS系ドラマ『レンタルの恋』の取材会に出席した(左から)岸井ゆきの、剛力彩芽、太賀=2017年2月、横浜市青葉区 つまり、前澤氏はゴーリキちゃんにとっての踏み台でもある。世間では「清純派で箱入り娘のゴーリキちゃんがZOZOに遊ばれて捨てられる!」と懸念しているようだが、実は逆ではないか。海外旅行での解放感にはしゃぎ、念願のパリコレも見て、アートの重要性と可能性とうんちくを聞き流し、さまざまな経験をさせてくれたら、後は自分の仕事に生かすだけ。 26歳のゴーリキちゃんにはまだたくさんの可能性と時間がある。やりたいことも目白押し。42歳の前澤氏(しかも結婚しない主義)から必要なものをインプットできたら、後は捨てるだけ。金目当ての元カノとは異なり、芸の肥やしでしかないと思うのだ。よそはよそ、ゾゾはゾゾ、うちはうち。ゴーリキちゃんがいつか「ZOZOを踏み台にした女」と呼ばれる日が来るはずだ。あ、なぜか破局する前提で書いているけれど。

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    「壊れゆく巨人」高橋由伸はなぜ心を閉ざしたか

    菊地高弘(ライター、編集者) 高橋由伸監督の辞任が決まった。3年間の任期で巨人はリーグ優勝することはかなわず、全ての年で首位広島から10ゲーム以上も離された。今年も3位ながら、クライマックスシリーズのファイナルステージに進出したが、高橋監督は言い訳をせずに「チームの勝敗は監督が背負う」と、責任を取った。 だが、高橋監督には同情すべき事情もある。2015年には現役選手として77試合に出場して、打率・278、5本塁打を記録。さすがに全盛期の力は残っていなかったものの、代打打率・395をマークし、人気面でもチームトップクラスだった。現役続行の意思もある中、コーチ経験すらなく突然監督に就任したという経緯があった。 さらに、阿部慎之助、村田修一(2017年退団)、長野久義といった主力選手がベテランの域にさしかかり、チームとして過渡期にあった点も気の毒だった。今季は春先から岡本和真、吉川尚輝という次世代の主力候補を登用。岡本が4番打者に定着するなど、世代交代に向けて一定の成果が見える中での監督辞任だった。 球団は慰留したというが、高橋監督の意志は固かった。プロは結果が全て。それが高橋監督の美学なのだろう。 元巨人ファンの筆者からすると、この辞任は「潔い」「早すぎる」といった感想以前に「ようやく解放されるのか」という実感の方が強い。監督業は楽しい、つまらないという観点で務まるものではないだろうが、ベンチで采配を振るう高橋監督の仏頂面を見るたびに「やらされている感」を覚えずにはいられなかった。指揮官としての自分のスタイルを固める準備期間もないまま監督に祭り上げられたのは、やはり不幸だった。厳しい表情で試合に臨む高橋由伸監督=2018年10月、甲子園球場(矢島康弘撮影) その一方で、不可解なニュースも報じられた。高橋監督の辞任に伴い、鹿取義隆ゼネラルマネジャー(GM)も退任し、岡崎郁スカウト部長も異動することが発表されたのだ。 一見、監督だけに責任を押しつけない、球団としての「けじめ」にも思える。だが、実際はそうだろうか。何しろ、鹿取氏がGMに就任したのは2017年の6月13日。前任者が成績不振の責任を取り、辞任したことによる人事だった。つまり、鹿取氏はわずか1年4カ月足らずで責任を取らされることになる。 昨オフから2018年開幕にかけての主な補強といえば、先発ローテーション候補の野上亮磨(前西武)のフリーエージェント(FA)獲得と、2017年本塁打王のゲレーロ(前中日)の獲得。さらに上原浩治(前カブス)の復帰があった。いずれも大きな成果は挙げられなかった。 しかし、わずか1年4カ月で編成に結果を求めるのは酷としか言いようがない。不運続きのドラフト 昨年のドラフト会議にしても、鹿取氏が編成面の最高責任者になってわずか4カ月で臨まなければならなかった。ドラフト1位指名で清宮幸太郎(現日本ハム)、村上宗隆(現ヤクルト)と高校生スラッガーの入札を相次いで外す不運もあった。 「捕手と二塁手を指名し過ぎ」という批判もあったが、今季は3位指名の大城卓三、5位指名の田中俊太が1軍戦力になっている。他にも成長途上の選手もおり、ドラフトの成否がはっきりするのは数年後のことである。 そして2018年のドラフト会議まで1カ月を切ったタイミングでのGM解任。つまり、鹿取氏はGMとして年間通して腰を据えてドラフトに取り組むことなく、任を解かれることになる。現場で走り回るスカウトは健在だとしても、岡崎部長が解任されたことで、新体制で臨むドラフトは急場しのぎになる危険がある。 そもそも、鹿取氏が1年4カ月で責任を取らされたとあっては、後任の編成責任者が誰になろうと強烈なプレッシャーがかかることは間違いない。必然的にFA補強、外国人補強、ドラフト指名では「すぐ使える選手」が最優先されるはずだ。 ドラフト会議で指名される選手は「バランス型」と「ロマン型」に大別される。なんでもソツなくこなせて大きな穴がない「バランス型」に対して、大きなポテンシャルを秘めながらも穴もあるのが「ロマン型」だ。すでに近年の巨人のドラフトは「バランス型」に偏る傾向があったが、その流れはますます加速するだろう。 しかし、他球団を見渡してみると、そんな刹那的な補強戦略で成功しているチームはない。リーグ3連覇を成し遂げた広島にしても、10年ぶりにリーグ優勝を果たした西武にしても、近年のドラフトで獲得した「ロマン型」をしっかりと大看板へと育成したことが優勝につながっている。西武の4番に君臨している山川穂高など、「ロマン型」の最たる例だ。近年、球界をリードしているソフトバンクや日本ハムもまた、方法は違えど育成を重視している点では共通している。清宮幸太郎サイドを訪ねる(左から)巨人の岡崎郁スカウト部長、石井一夫球団社長、鹿取義隆GM=2017年10月、東京都内(長尾みなみ撮影) 巨人は2016年に3軍制を復活(以前は「第2の2軍」と呼称)させるなど、育成を充実させようという機運もあった。だが、獲ってくる選手の多くが「バランス型」では、いくら実戦経験を積ませても大化けする見込みは小さい。 一部では、新監督就任が決まった原辰徳氏と鹿取氏が犬猿の仲だから、鹿取氏が身を引いたという見方もある。とはいえ、今後に及ぼすであろう影響を考えても、鹿取氏のGM解任は拙策と言わざるをえない。萎縮する球団関係者 かつて栄華を極めた名門の斜陽。なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。 私は今春、『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)という書籍を上梓した。そこで元巨人ファン、現巨人ファン、球団関係者に取材するなかで強く印象に残ったのは、今の球団周辺にいる人々の過剰とも思えるほどの萎縮である。 中核に近づこうとすればするほど、取材に応じてもらえないという現実があった。球団、応援団、周辺メディア。こちらに巨人を不当に貶(おとし)める意思はなく、その旨を丁寧に説明しても扉は固く閉ざされていた。 かつての巨人には長嶋茂雄、王貞治、原辰徳、松井秀喜といった、日本人なら誰もが知っている国民的スターがいた。そんな「太陽」を失ったいま、巨人というチームの周辺は分厚い靄(もや)に包まれている。 その靄は、おそらく2011年11月、当時の清武英利球団代表が渡邉恒雄会長に反旗を翻した「清武の乱」以降、より濃くなったと思われる。清武氏が代表解任後も球団と数々の訴訟を戦ったことは、清武氏の著書『巨魁(きょかい)』(ワック)に詳しい。2011年11月、日本外国特派員協会で会見を開いた清武英利・元巨人球団代表兼GM(左)(山田俊介撮影) 「何か余計なことをすれば粛清される…」。そのおびえに満ちた雰囲気が、今の巨人という球団全体に広がっているように思えてならない。高橋監督のあの無表情は、巨人の現状を象徴していたのではないだろうか。 球団内部には、人気復興に向けて奔走している関係者も大勢いるし、ファンサービスに手を抜かない選手もたくさんいる。だが、球団全体の萎縮が解けない限り、再建することは難しいのではないかと感じる。 巨人は再び輝きを取り戻すことができるのか。今のところ、その望みは原新監督の一身に背負わせることになりそうだ。それはくしくも、3年前に高橋監督が背負わされた重荷でもある。

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    消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) もし、2019年10月に消費税率10%への引き上げが実施されれば、どのような影響を及ぼすだろうか。初めに明言しておくが、筆者の立場は消費増税に反対である。なぜなら、日本経済は1990年代初めから2012年の後半まで陥っていたデフレを伴う長期停滞から、ようやく脱出しかけている段階だからだ。この勢いをわざわざ止める政策を実行するのは「特上の下策」である。 だが、問題は、19年の消費増税で日本経済がどの程度マイナスの影響を受けるかだ。そんな中で、インターネットを中心にして「消費増税ハルマゲドン」とでもいうべき極端な発言を目にすることがある。来年の消費増税によって日本経済もアベノミクスも、そしてその中心であるリフレ政策(日本銀行のインフレ目標付き金融緩和)もすべて終了というシナリオである。 政治的にアベノミクスをやめる可能性は常にあるだろう。もちろん、それはどんな政権であれ愚かなことである。だが、日本経済が終焉(しゅうえん)することはない。終焉しているのであれば、2014年4月の引き上げで、すでに日本経済は崩壊していただろう。 要するに、ネットでよく見受けられる無知と悪意ゆえの極端なお騒がせ程度の話だ。消費増税ハルマゲドンは群集心理のヒステリーに似ている。つまり、経済政策を議論する上で、確実に障害にしかならないのである。 ただし、消費増税は、せっかくの経済の好転を阻害することは間違いない。そしてその停滞は無視できない社会的損失を短期的・長期的にもたらすだろう。アベノミクスの中心であるリフレ政策にも大きなマイナスの影響をもたらすことは疑いない。2018年10月、IMFのラガルド専務理事(左)と握手する安倍首相 安倍晋三首相は15日の臨時閣議で消費増税の実施を表明した。引き上げは来年10月1日からであり、実施まで1年近く先なのに早い話である。来年の増税はすでに法律に実施を明記されており、去年の衆院選でその使途を教育無償化に回すとも表明している。今回の「表明」による首相の意図は、1年かけての消費税対策を関係省庁に指示するということだろう。 いずれにせよ、この「表明」で、消費税増税実施は政治的には確定事項としてさらに拍車がかかっていくことになる。ただ、菅義偉(よしひで)官房長官は同日、まだ首相はまだ最終決定をしていないとも説明している。さらにリーマンショック級の出来事があれば延期はありうるという発言も再三繰り返した。 14年4月の8%への引き上げでは、表明が13年10月1日でちょうど半年前だった。そして、前回の駆け込み需要は年明けから本格化し、14年の4月に急激な反動減が襲った。前回に比べて今回は引き上げ幅が小さいことは当然に考慮にいれなければいけない。前回に比すると今回はだいたい7割近くの上げ幅になる。消費も雇用も見事に停滞 2011年の消費総合指数を100とすると、前回の消費増税の影響が顕在化する前の同指数は104・1であり、現在の消費総合指数もまた104・3である(2018年8月)。14年4月の消費増税以降、消費は長く低迷し、ようやく2017年3月に現状並みに戻ってきて今日に至っている。決して力強い回復とはいえないが、それでも前回の消費増税前の水準に回帰してきた。 別な視点から考えれば、ギリシャ危機、英国の欧州連合(EU)離脱、米大統領選の不透明感などで世界経済が動揺していた影響が消費を押し下げたかもしれない。だが、消費増税以降、その低迷は長く続き、14年4月から増税前の水準に回帰するまで3年もかかってしまっている。 消費増税は、雇用の面でも停滞をもたらした。この点を完全失業率で見ておこう。 アベノミクスの効果は、実際には2012年の安倍首相が自民党総裁選に勝利した直後から始まる。ただし、ここでは簡便のために、政権が発足した2012年12月の完全失業率4・3%に注目してみたい。それ以降、消費税率が8%に引き上げられた14年4月には3・6%と、0・7ポイント改善していた。だが、増税以降、失業率の低下は停滞する。同じ0・7ポイント低下するまでに、消費回復と同じようにほぼ3年を要している。 ちなみに、17年2月から現状まで0・5%低下するのに1年半しかかかっていない。失業率は改善が進むほどに低下スピードが衰えるはずだが、現状の改善スピードよりも極めて遅かったことで、消費増税が雇用にも深刻な影響を与えていたことが分かる。 しかも、消費停滞や雇用の改善スピードの遅れが17年から修正されたのは、日本の経済政策によるものとは思われない。一つは米トランプ政権の経済政策への期待感や連邦準備制度理事会(FRB)の金融政策に対する市場の安心感などで、株価が上昇し、円安も促進した。これらが企業の業績を回復させ、雇用の改善スピードを上げ、消費の停滞をなんとか解消させていったのではないか。つまり日本の経済政策の力ではなく、あくまで「他力本願」だということだ。 もちろん、日銀が金融緩和の姿勢を崩していないという貢献を無視することはできない。金融緩和の継続を放棄すれば、それこそ対外環境が改善されても、「失われた20年」がそうだったように、米国の景気がよくなろうが、日本経済はより深く停滞してしまっただろう。日本の「金融緩和ありき」の状況は押さえるべき必要条件である。2014年3月、消費税8%引き上げ直前の駆け込み需要でにぎわう千葉県浦安市内のスーパー(栗橋隆悦撮影) さて、今回の消費増税は上げ幅だけ見れば、前回引き上げの7割ほどのショックをもたらすだろう。もちろん、政府では増税後の負担軽減として、軽減税率の導入や、政府が検討している中小小売店でクレジットカードを使い購入した際に、2%をポイント還元するという案もある。 ただ、軽減税率に関しては、低所得者層に与える影響が限定的で、さまざまな税制が複雑化することで社会的コストがかかるという指摘がある。また、政府がさまざまな負担減を狙う政策の裏には、ちょうどそれを帳消しにするような、新税(出国税など)や公的年金の負担増などが控えている。その正味の効果は分からない。過度な悲観は禁物でも 日銀の片岡剛士政策委員は、最近の講演で「耐久財やサービス消費はぶれを伴いながら増加しているものの、飲食料品や衣料品などを含む非耐久財消費は低迷が続いており、家計消費には依然として脆弱(ぜいじゃく)性が残っている」と指摘している。妥当な見方だろう。 しかも、問題は前回の経験でいえば、消費が一度落ち込むと、回復が長期間見られないことだ。これは現実の経済成長率の足を引っ張る。また、完全雇用の水準近くまで来た失業率の改善も、ここで再びストップするだろう。さらにはインフレ目標の達成が当面困難になるのは明白である。 1年後の経済成長率や雇用の状況を今から予測することは、現在の米中貿易戦争などの事態を考えると不透明であり、確言するのは難しい。ただし、2014年の引き上げ時点に比べれば、雇用の状況は少なくともはるかにいいことが、ただ一つの救いである。 ただし、筆者が片岡氏と、2013年10月に「消費増税ショックと今後の経済政策」(『日本経済は復活するか』(藤原書店)所収)で書いたことは、今回もほぼそのまま通用する。 消費増税は恒久的な影響を持つので、一時的な財政対応ではその負の影響を打ち消すのは難しいだろう。特に金融政策の効果がここでまた大きくそがれることになることは、アベノミクスの根幹を揺るがすに違いない。ただ、14年4月当時よりも経済状況は現時点ではいい(1年後は何度も書くが分からない)。過度な悲観は禁物だが、過度の楽観はかなり皮相な見方だ。 日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁は、今度の消費増税が前回に比べて、3分の1か4分の1のマイナスの影響にとどまると楽観的である。だが、黒田総裁は前回の消費増税の影響も過小判断していた。その反省はどう生かされたのだろうか。 そもそも、彼を支える雨宮正佳副総裁ら日銀エコノミストたちは、完全雇用時の失業率水準が3・5%と主張してきたトンデモ集団であり、その反省はいまだ聞こえてこない。「自省なき官僚集団」に堕しているのが、日銀生え抜き集団の特徴だ。黒田総裁の発言もその影響ではないか。2018年10月、G20財務相・中央銀行総裁会議の閉幕後、記者会見する麻生財務相(左)と日銀の黒田総裁=インドネシア・バリ島のヌサドゥア(共同) 安倍首相の消費増税引き上げの決断は、冒頭にも書いた通り、特上の下策である。おそらく消費増税を実施すれば、金融緩和により負担がかかるだろう。だが、その負担に応えるだけの対応がなされるのか、いまの「黒田-雨宮ライン」を見ていると不安しかない。 先の田中・片岡論説で指摘したのは、消費増税への対応に、まず日銀法を改正し、雇用の安定化とインフレ目標の導入を明記すること、また政府の目標を名目経済成長率4%、実質経済成長率2%に引き上げることである。そして、今の日銀がまだなんとか保持しているように、物価水準が2%を超えても緩和姿勢を続けることを表明し続けることが重要だ。この政策の大枠を変更すること、いわゆるレジーム(政策ルールの束)の転換が求められるのである。

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    加計理事長にも「悪魔の証明」を求める愚劣な論調

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 自民党総裁選が終わり、第4次安倍改造内閣が発足し、これから政策論争の時期か、と思ったら、また「モリカケ問題」である。具体的にいえば、今回は「カケ」の方で話題が盛り上がった。 学校法人加計学園(岡山市)の運営する岡山理科大獣医学部を巡る問題で、同学園の加計孝太郎理事長が、7日に学部のある愛媛県今治市で記者会見を開いた。この会見で、加計理事長は、以前から問題視されてきた愛媛県や今治市に対して行った、加計氏と安倍晋三首相との面談に関する虚偽の説明を謝罪した。 もちろん、虚偽の説明自体は、倫理的な意味でも行政的な観点からも問題である。今後このような虚飾に満ちた、政治家の利用はやめたほうがいい。今でも、大して面識もない有力政治家とのつてや、あるいは中央省庁との有力なコネをひけらかす人たちは絶えない。ただの自己顕示欲に満ちた悪習でしかないだろう。 ただし、加計氏と安倍首相が面談したこと自体がいったいどんな「汚職」や「深刻な疑惑」につながるのか、筆者にはさっぱりわからない。そもそも、面談した客観的な証拠もないのだが、仮に面談が事実だからといって、それの何が道義的な意味も含めて「犯罪」的なのだろうか。 おそらく、疑惑を求める人が、そこに根拠のない疑惑を見いだしているだけなのだろう。いわゆる「疑惑喰(く)い」とでもいうべき消費者のスタイルだ。基本的に芸能スキャンダルを好む心性と変わらない。 政府側の人たちは「権力者なので悪」、というような単純な善悪二元論で判断されやすい。これを経済学では「悪魔理論」という。 基本的には魔女狩りと変わらない。人はどんどん尽きることない「疑惑」を相手に投げかけていくのだ。視聴者の「疑惑」の量が多ければ多いほど、テレビなどはその話題性をさらに増幅していく。単純に視聴率稼ぎのためである。2018年10月7日、岡山理科大獣医学部の新設を巡る問題で、記者の質問を受ける学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長 ただし、以前よりも下火になってきたのか、今回の加計氏の記者会見を取り上げるワイドショーなどは、現時点では少数だろう。もっとも、これからまた煽り始めるかもしれないが、それを予測することはできない。懲りずに「疑惑商法」に便乗する野党 一方、新聞やネットニュースでは、「疑惑」の煽りが今も盛んである。相変わらず「(して)ないことを証明せよ」という悪魔の証明を求める論調も根強い。「悪魔はいない」という人たちにその非存在を証明することを求めているのだが、これは基本的に不可能である。 最大野党の立憲民主党も、相変わらず「疑惑商法」とでもいうべきものに懲りずに便乗している。同党の福山哲郎幹事長は、加計氏の記者会見を「より疑惑が深まった」として、関係者の国会招致を要求する構えのようだ。 この動きは2年近い間、繰り返されてきたのだが、その都度起こったのは、安倍政権への支持率の減少(不支持率の増加)とその後の回復である。それは、まるで景気循環のようだ。 さすがにこのワンパターンを繰り返していくと、世論は二つに分断されてくる。根拠もなく「疑惑」におぼれる人たちと、代替的な情報を手に入れて違う考えを抱く人たちだ。 要するに、社会はこの疑惑商法で分断されてきたのである。分断の責任は「悪魔の証明をせよ」と要求する側にあると思うが、「そうではない」とあくまで「疑惑が深まった」と主張する人たちは言うだろう。こうなると、まさに価値判断の闘争である。学校法人「加計学園」が運営する岡山理科大獣医学部=2018年10月、愛媛県今治市 さて、そもそも「加計学園問題」とはなんだろうか。まず、安倍首相の何らかの違法な関与の証拠は全くないので、その種の「疑惑」は論外である。 だが、問題はあった。それは「市場からの排除」の問題である。 経済学の基本では、政策によって暮らし向きが良くなった人が、暮らし向きが悪くなった人たちに補償して、それでもなお政策が実行される前よりも暮らし向きがいいのであれば、その政策は経済の資源配分を効率化する、という原則がある。この場合、実際に補償するかどうかは問題ではなく、あくまでも仮説的な推論のレベルで正しければいい。不合理すぎる「門前払い」 この概念を「効率化原則」と大阪大の八田達夫名誉教授(国家戦略特区ワーキンググループ座長)は名付けている。この「効率化原則」は、いくつかの制度的な環境の下で、市場システムが国民の厚生を向上させることを意味している。 例えば、獣医学部の新設によって、それまで排他的な利益を享受してきた、日本獣医師会や文部科学省といった業界団体は不利益を受けるかもしれない。他方で、獣医学部の新設によって、学生や新設地域の住民などが利益を得るかもしれない。つまり、後者の利益が前者の損失を上回ると予測できるならば、その改革を行うべきだ、という概念が「効率化原則」である。 だが、モリカケ問題で話題になっているのは、この経済学的な「効率化原則」が適用される以前の話である。マスコミの報道では鮮明に区別されず、曖昧に報道されているが、獣医学部新設の申請を認めることと、その後の学部新設の認可はまったく違うプロセスだということだ。 前者はいわば「門前払い」である。この門前払いのことを「市場からの排除」と呼ぶ。これは、子供や病人、高齢者といった極度の貧困に直面する人や市場で対価を得る手段のない人たちを救済することなく、経済的な取引(例:食料の購入など)から排除することと、経済学的には同じである。 加計学園だけではなく、獣医学部新設に名乗りを上げていた新潟市や京都市はこの「市場からの排除」の犠牲者といえる。この「市場からの排除」は、文科省の単なる告示で行われてきた。そして、文科省はこの告示を正当化する理由を、国家戦略特区諮問会議の場で示すことができなかったのである。2018年5月、衆院本会議で、学校法人「加計学園」問題を巡る野党議員の質問を聞く安倍首相 このような不合理で、また道義的にも問題のある「市場からの排除」を改善することは、われわれの自由を重んじる社会にとって極めて重要なことである。ただし、申請が認められても、学部設置が認可されるかどうかは、また別問題である。 この点に関しては、文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)で十分に審議されて認可されている。こちらの方への批判は全く聞かないが、その理由は単に「安倍下ろし」「安倍叩き」というこのモリカケ問題の本質的な事情によるものなのだろう。ちなみに、学部設置自体は、先ほどの「効率化原則」のストレートな適用による。 幸い、今のところ新学部は学生たちに喜ばれ、また地域にも貢献すると思われる。そのことはこのモリカケ「疑惑」の基本的な愚劣さを思うとき、唯一といっていい救いである。

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    基地依存から脱却「アベノミクスの逆説」が変えた沖縄の民意

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 米軍普天間飛行場から名護市辺野古への移設問題を主要な争点とした沖縄県知事選は、翁長雄志前知事の「遺志」を継ぐとした前衆議院議員の玉城デニー氏が、安倍政権の支援を強く受けた前宜野湾市長の佐喜真淳氏を打ち破った。知事選とはいえ、日本の安全保障政策を巡る問題が争点だけに、この玉城氏の勝利は、さまざまな形で国政に影響するというのが大方の見方のようである。 例えば、筆者のリベラル寄りの、何人かの知人は、これが安倍政権の「終わりの始まり」であるとして、今回の沖縄知事選における野党共闘の在り方が、来年の参院選においても安倍退陣の有効打になると考えている。もちろん、選挙は組織戦の側面も強いので、野党共闘が実現すれば、参院選でもかなり有効な戦略となるだろう。 だが、沖縄知事選では県民の意見を二分する形で、移設問題が主要論点となっていた。今の野党陣営に果たして、参院選において国論を二分する論点を提起する力はあるのだろうか。 野党第1党の立憲民主党の凋落(ちょうらく)ぶりはすさまじいものがある。各種世論調査でも、党の支持率低下に歯止めがかかっていない。この理由には、森友・加計学園問題などで「疑惑」だけあおり、まともな政策提起をしていないと多くの国民にみなされていることが主因としてあるのではないか。 立憲民主党の経済政策は、景気浮揚政策に消極的な一方、再分配政策に重点を置いたものである。再分配政策、つまり社会保障や教育、医療などの政策が重要なのは言うまでもない。 だが、過去の民主党政権の悲惨な実績をみればわかるように、景気浮揚を二の次にした再分配政策は、「コンクリートから人へ」どころか、人の価値を度外視した経済を低迷させ、雇用や生活を持続的に悪化させるだけの結果に終わった。 それでも、「旧民主党なるもの」には反省はない。最近でもこの旧民主党の一部であり、現在の野党第2党である国民民主党が、反金融緩和と財政緊縮という経済を低迷させる政策を打ち出していた。要するに、経済政策について、旧民主党なるものに反省が一切ないのである。来夏の参院選比例代表で立憲民主党が擁立を決めた漫才師のおしどりマコ氏=2018年9月 また原発問題、正確には「放射能デマ」の対処についても、特に立憲民主党はその潜在的な支持者を落胆させている。来年の参院選比例代表で、漫才師のおしどりマコ氏を擁立することを党の常任幹事会が決めたからだ。 このおしどりマコ氏の擁立は、少なくとも筆者はソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)やインターネット上の論説で、安倍政権の支持・不支持を超え、理性的な反対の声を多く見聞している。おしどりマコ氏は、東日本大震災以降、放射能の過剰な「被ばくデマ」とでもいうべきものに関与したと批判を受けている。「放射能の恐怖」をあおる人々 もちろん、本人は「デマ」とは思っていないだろう。だが、おしどりマコ氏が放射能の恐怖を過剰に喧伝(けんでん)したことは間違いないと筆者は思っている。立憲民主党などは「原発ゼロ基本法」を目指しているが、そのために放射能の恐怖をあおる戦略を採用したのかもしれない。 経済学者の多くは現状の原発の経済的コストが過大であるとし、その非効率性を指摘している。ただし、当面は電力不足が深刻化する状況であり、原発の稼働は安全基準を満たすならやむを得ないというのが主流だろう。しかし、実体のない「放射能の恐怖」で国民をあおるのであるならば、そのようなタイプの恐怖を中核とする反原発政策に未来はない。 一方で、安倍首相が総裁選中から強く打ち出した憲法改正はどうだろうか。これについては、野党に「取りあえず安倍首相の言っている改憲を批判する」というレベルでの「共闘」はできるかもしれない。 だが、改憲について、野党にも統一した主張も戦略もない。また、来年の参院選に国論を二分するほど、改憲そのものが政治的スケジュールに上がっているのか、現段階では不透明である。 要するに、沖縄知事選は確かに安倍政権に打撃を与えたが、それがそのまま国政レベルでの野党勢力の伸長につながるとはいえそうもないということだ。 このような野党のふがいなさはさておき、今回の沖縄知事選には筆者には無視できない「教訓」があると思う。それは「アベノミクスの逆説」とでもいうべき事態だ。 沖縄県の経済構造は、日本への復帰以降続いていた「基地依存」体質から改善している。しかも、2012年末今日にかけて県民総所得、つまり沖縄経済全体に占める観光所得のウエートが急上昇している。今では、沖縄経済に占める基地関連収入の割合が、せいぜい5%台なのに対し、観光はその3倍近くまで増加しているのである。 直近の経済指標を見ても実質成長率が高く、消費や投資、雇用も堅調に推移している。観光を中心に、県内の「民需」が堅調なために、地価も上昇し、これが担保価値を高めることで、県内への銀行の貸し出しの伸びも高い。2018年9月、新執行部が発足し、立憲民主党の枝野代表(左から2人目)と握手する国民民主党の玉木代表 勘のいい読者は当然お分かりだろうが、この沖縄経済の好調は、2012年終わりからのアベノミクスによる金融緩和政策、その一つの表れである円安によって観光収入が大きく改善したことにある。 沖縄県の入域観光客数は7月にストップするまで、2012年10月以降69カ月連続で前年同月比を上回った。国内からの観光客の増加もあるが、要因はやはり国外からの観光客の伸びが顕著なことにある。不十分だった安倍政権の「応援団」 いわば、沖縄経済が基地依存から脱却していく上で、アベノミクスが大きな貢献を果たしているのである。だが他方で、基地依存からの脱却を経済的にも強く意識した沖縄の人々の心理を、安倍政権はおそらく今回の選挙できちんと拾えていなかったと思われる。これが「アベノミクスの逆説」の意味だ。 ただ、沖縄経済は活況とはいえ、もちろん1人当たりの県民所得は全国最下位に変わりない。社会保障の面でも深刻な問題を抱えたままである。一例だが、子供の貧困率も、全国水準が16・3%に比べて、29・9%と極めて高い。 つまり、沖縄の人たちの生活は現状ではまだまだ改善すべきなのだ。その方策はアベノミクスのさらなる加速、すなわち民需中心の経済成長、そして貧困対策など再分配政策の拡充だ。 だがこの面で、今回の沖縄知事選では、佐喜真氏に対する安倍政権の「応援団」には不十分なものを感じた。佐喜真氏の経済政策面での公約は、県民所得を底上げし、そして教育の無償化や子育て支援、貧困対策も強調していた。その意味では、成長と再分配のバランスの取れた政策を提起していた。 佐喜真氏は、子ども食堂への公的援助をめぐる発言で、あたかも子供の貧困を軽視するかのようだとして批判を受けた。ここは反省すべき点もあっただろうが、基本的な経済政策面のバランスは趣旨としてはよかったように思える。 問題は、それを実現できるのは、国の経済政策の在り方に大きく依存しているということだ。ところが、菅義偉(よしひで)官房長官らが沖縄入りしたが、そこでは携帯電話料金の引き下げなど来年の消費増税対策の「目玉」と政権が妄信しているような主張が大きく報道されていた。それではダメだろう。 佐喜真氏の経済政策をバックアップするはずの国の政策観が、消費増税ありきなど緊縮政策にとらわれてしまっているのではないか。沖縄経済をさらに改善していく意欲が国に見られない、と県民に判断されたのかもしれない。それはさらにいえば、経済面での基地依存から脱却しつつある沖縄の人々の意識に、安倍政権がきちんと向きあっていなかったといえるかもしれない。2018年9月の沖縄県知事選、石垣市内で街頭演説を行う菅義偉官房長官 翁長知事の時代は、アベノミクスの成果を受けていた、沖縄経済の基地依存からの脱却が急激に進んだ過程でもある。沖縄の人々の翁長氏への根強い支持の背景には、この経済状況の好転も大きくあったのではないか。そして、翁長氏を政治的に継承することをうたった玉城氏に有権者の票が大きく流れた可能性がある。ここにも「アベノミクスの逆説」があるのではないか。 今回の沖縄知事選の教訓を、日本全体の経済政策に生かすとしたら、どんなことがいえるか。それはもっと現実の経済成長率を高め、それを安定化し、より積極的に貧困・教育などの再分配政策に力点を置くことであり、そして人々の対立する政治的価値観、安全保障観と政治家が面と向かうことだろう。

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    憲法改正はタブー、反安倍カルトよりヤバい「増税ハルマゲドン」

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 2017年初頭から始まった、いわゆる「モリカケ問題(森友・加計学園問題)」で、安倍晋三首相夫妻に何か「汚職」めいたものがあることをにおわし、それをあおったマスコミの報道は、要するにこの政権の改憲志向を許容できない勢力の政治的な動きであったと思う。当面は、自民党総裁選や来年の参院選での安倍政権の終焉(しゅうえん)、百歩譲って首相の政治的求心力の低下を図るのが、この反安倍勢力の目指すところだろう。 取りあえず、総裁選は、安倍首相が3選を果たしたが、この総裁選を契機にして安倍政権のレームダック(死に体)化が始まるとする観測や、石破茂元幹事長の善戦をしきりに報道するメディアや識者が多い。それらは、実は総裁選前から仕込まれたネタでしかないだろう。つまり、「何が何でも反安倍」という価値判断から出てくるものでしかない。 こう書くと、反安倍系の人たちはすぐに「安倍擁護」「安倍御用」なる批判をするのであるが、筆者は、残念ながら安倍政権のマクロ経済政策の骨格に積極的評価を与えているだけである。政策ベースでの評価でしかないのに、それで「御用」と見なすならば、批判する側がカルト化しているだけだろう。 そんな良識もないままカルト化したり、そして特に確証もなくいまだにモリカケ問題の「疑惑」が解消されないと信じている世論が一部で存在している。反安倍系マスコミや識者の生み出した負の遺産は深刻である。 今回、筆者は安倍3選の報道を、少し空間的に距離を置いて台湾から見ていた。その台湾の蔡英文総統や米国のトランプ大統領らが、安倍3選にツイッターで積極的な賛辞を贈る中で、安倍政権に対する日本のメディアのゆがんだ報道にはやはりあきれ果てるしかなかった。2018年9月23日、ニューヨークでの夕食会を前にトランプ米大統領(右)の出迎えを受ける安倍首相(内閣広報室提供・共同) 総裁選前夜のテレビ朝日『報道ステーション』では、安倍政権への支持を占うには、党員票が55%を超えることが注目点であると、ジャーナリストの後藤謙次氏が発言していた。要するに、この55%を超えないと党員(世論の一部)と永田町(国会議員)の間に政治的意識の開きがあることになり、また石破氏の今後の政治生命にも関わるだろう、というのが報ステの伝え方であった。 ふたを開ければ、国会議員票は石破氏73票に対し、安倍首相332票と、首相の占有率は81・8%に上った。また、党員票は石破氏181票で、224票であった安倍首相の占有率は55・3%を占めた。この「党員票55%」というのは、安倍政権に批判的なマスコミや識者が設定した高めのハードルだったと思われる。 ところが、このハードルを安倍首相が超えても、日本のマスコミでは石破氏の善戦や、党員票獲得で首相側が苦戦したと伝えるものが多かった。客観的に見てもダブルスコアの得票差であり、まさに首相の地すべり的勝利と言っていい。改憲案に潜む「日本弱体化」 しかし、それを一切認めないのが日本のマスコミと、それに誘導されている世論の一部、特にテレビのワイドショーなどの影響を多く受ける人たちであろう。本当にあきれるばかりである。安倍政権を批判するならば、もう少し首尾一貫してほしいと思うのは筆者だけではないだろう。 さらに「安倍政権レームダック論」も根強い。これは総裁選前から筆者の周囲でも至るところで見かけた発言だ。それが、3選後にはマスコミでも積極的に取り上げられている。安倍政権への印象操作以外で「レームダック論」の真意を挙げるとすれば、やはり来年の参院選における与党敗北、そして憲法改正もできぬまま、安倍首相が退陣するというシナリオが前提になってのものだろう。本当に徹頭徹尾の世論操作である。 確かに、安倍首相が今回の総裁選で意欲を示していた憲法改正は、ハードルが極めて高い。演説で主張するのは簡単だが、まだどのような改憲案が憲法審査会に提出されるかさえも、はっきりしない。 安倍首相の演説だけを読み解くと、憲法9条に第3項を追加して自衛隊の存在を明記することと、教育の無償化がまず挙げられていた。しかし、自民党の改正草案には、財政規律の明示化など、筆者のような経済学者からしても無視することが到底できない条項が入っている。 これは財務省的な緊縮政策を志向する条項であり、防衛費も十分なインフラ整備や防災、教育支出さえも、この条項が入ることで大きな制約に直面するだろう。いわば「日本弱体化条項」である。このような経済関係でもトンデモ条項が入っているのだが、この草案をそのまま出すのか、それとも首相が総裁選で言及した項目だけなのか、それもまだ不透明だ。 さらに憲法改正には、憲法審査会による議決、国会での発議、そして国民投票が必要であり、これら一連の流れを考えても、やはり政治的ハードルが高い。具体的な動きも、早くて来年になる可能性が高い。 今までの反安倍マスコミのやり口では、憲法改正の議論を広く国民に訴えるよりも、何がなんでも言論封殺的な動きに出てもおかしくはない。その一端が、実はモリカケ問題であったはずだ。2018年9月、安倍首相が意欲を示す憲法改正を巡り、批判する立憲民主党の枝野代表 筆者は、憲法改正を政治の最優先課題にするには反対の立場である。だが他方で、国民が広く憲法改正を議論する意義はあると思ってもいる。当たり前だが、憲法改正が言論のタブーであっていいわけはない。しかし、それが長い間認められなかったのが日本のマスメディアの空間だった。 筆者は上記の通り、憲法改正を最優先する安倍政権の戦略は正しいものとは思えない。最優先すべきは、経済の安定と進歩である。これがなければ、どんなに憲法を変えてもわれわれの生活は貧しくなるだけである。 現状の日本経済を見れば、ようやくデフレ停滞の影響からほぼ脱した段階にある。これからが本当のリフレ過程になるのである。消費増税ハルマゲドン リフレ過程とは、バブル経済崩壊後の日本経済が失ってきた名目経済価値(代表的には名目国内総生産(GDP)の損失分)を回復するための動きを指す。具体的には、国民の一人ひとりの名目所得が、前年比4%以上拡大しなければならない。しかも、その期間は何十年にも及ぶものにしなくてはいけないのだ。 現状では、そのリフレ過程にまだいたっていない。金融緩和政策を主軸にし、積極財政政策でアシストすることで、このリフレ過程に乗せる必要がある。安定的にリフレ過程に乗せれば、マクロ経済政策の優先度は自然と後退していくだろう。だが、今の日本で政策優先度は第1位である。 そのためには、来年の消費増税について、事実上の凍結を狙うことが最優先であろう。だが、今のところ消費税凍結などの動きは、安倍政権には見られない。デフレ脱却完遂を目前にしながらの増税などという、緊縮政策への転換はどんな事態を引き起こすか、言うまでもないだろう。 ところで、最近「消費増税したら日本経済終焉=ハルマゲドン」という極端に悲観的なトンデモ論をよく目にする。この説がもし正しければ、税率を8%に引き上げた2014年4月で終焉していただろう。 もちろん、消費の大幅な落ち込みとその後の経済成長率の鈍化、インフレ目標達成の後退(金融政策の効果減退)が消費増税でもたらされたことは確かだ。しかし、この「消費増税したら日本経済終焉」論者たちは、その後も雇用改善が持続していることを無視しているか、「雇用改善は人口減少のおかげ」といったよくある別なトンデモ論を信奉しているだけである。 では、なぜ消費増税の悪影響が出ても、日本経済は「終焉」せずに、歩みが後退しながらも持続的に改善していったのか。その「謎」は、そもそも日本の長期停滞が日本銀行の金融政策の失敗によって引き起こされたことを踏まえていないからだ。 現状では、改善の余地は多分にありながらも、日銀の金融緩和は継続している。つまり、問題があるとはいえ、長期停滞脱出の必要条件を満たしている状況を、このハルマゲドン論者たちは見ていないのだろう。もちろん消費増税に筆者も全力で反対である。だが、それは消費増税を日本破滅のように信じている極端論者(それは事実上、金融政策を無視し財政政策中心主義に堕しているに等しい)とは一線を画すということもこの際、マイナーな論点だが注記したい。買い物客でにぎわう心斎橋筋商店街。2019年10月に予定される消費税率引き上げで、個人消費への影響が懸念される=2017年11月(門井聡撮影) では、消費増税をわれわれでは阻止することができないのか。そんなことはない。今の政治家やマスコミ、官庁もみなインターネット上の世論の動きを見ている。 例えば、官僚組織の一部では、識者のネット上の発言でリツイートの多いものを幹部で回覧しているという。彼らはネット世論を無視できないのだ。識者の発言へのリツイートや「いいね」をするコストなどないに等しいだろう。つまり、誰でも簡単に行うことができるレベルでも、国民が消費増税に抗する手段になるのである。

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    「池上彰MeToo炎上」専門家は使い捨て、テレビの軽さに潜むリスク

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ジャーナリストの池上彰氏が司会を務める番組について、インターネットを中心に批判が相次いでいる。きっかけは、徳島文理大教授で評論家の八幡和郎氏によるフェイスブックでの投稿だ。 八幡氏は池上氏の番組制作スタッフから、八幡氏の意見を池上氏のものとして番組で利用したいという申し出があったことを明かした。八幡氏はその申し出を断ったという。この八幡発言をきっかけにして、ネット上で似た経験のある著名な識者たちが続出し、ユーチューバーで政治活動家のKAZUYA氏によれば「謎のMeToo(ミートゥー)運動」が発生した。 池上氏はメディアの取材に対し、「特定の先生が言ったことを自分の意見として言うことはありえない」と全面否定したという。 実は、筆者も2012年初頭、池上氏がメーンキャスターを務めた番組に関わったことがある。そのときの不満も、当時の筆者のツイッターに記録されている。いわば「プレ池上番組MeToo」といえる一人だ。 ただ、八幡氏や他の識者たちの経験とはかなり異なる。そのときの経緯をざっとまとめると、次のようになる。 番組では東日本大震災の復興需要や欧州の経済危機など、当時の経済問題が話題になった。特に復興需要関連のパートで、番組制作の助言者となった。ただし、筆者のクレジットを表記しないということは、制作スタッフから事前に告げられていた。2015年10月、著書『池上彰のそこが知りたい!ロシア』刊行イベントを行った池上彰氏 助言者を引き受けた筆者は、台本を事前に受け取り、それをチェックしていくのだが、残念なことにスタッフの経済に関する知識にひどい偏りがあった。これが大きな摩擦となった。そこで、スタッフと話し合いの機会を設け、筆者の不満をぶつけた上で、このままでは番組の助言者を降りるということを告げた。専門知は「使い捨てツール」 ただ、話し合いのおかげでスタッフとの考えの齟齬(そご)がかなり埋まり、筆者は番組への助言を続けることにした。結果として、復興需要関連で、緊縮財政批判や積極財政や金融緩和の話を番組の中に盛り込むことにつながった。 当時の日本は民主党政権の下で、アベノミクスの「ア」の字の可能性もなく、デフレは深まっていった。しかも、政策の関心といえば、復興増税、そして消費増税という緊縮政策ばかりだった。 この中で、リフレ的な主張を、人気のある池上氏の番組で放送できることは、筆者のクレジットや報酬を度外視しても最優先で行う必要があるように思えた。結果、放送された番組は、制作スタッフとの齟齬を乗り越えた、それなりにましな内容になったと思う。 ただ、後から考えても、この番組の制作スタッフの専門的な知識に対する軽い扱いは、後々も嫌な思いとして残った。筆者が強く主張しなければ、いったいどんな番組になってしまったのだろうか。 今回の池上番組MeToo運動においても、識者たちが自分たちの専門的知見を都合のいいように番組スタッフに利用されているという強い批判は、このときに筆者が感じた番組スタッフの「軽さ」につながるものだろう。 その後、筆者は扱いにくいと思われたのか、この番組とはそれっきりである。ただこの前後で、筆者と似た主張を持つ経済学者やエコノミストたちにも、別の放送内容について依頼がなされていたという。そして、そのたびに何か摩擦めいたことを起こしたとも聞く。さらにここが肝心だが、それ1回きりの付き合いが定番のようである。2016年7月、テレビ東京系「池上彰の参院選ライブ」に出演するジャーナリストの池上彰氏(中央)ら つまり、われわれ専門家はただの「使い捨てツール」でしかない。まさに、専門知を軽んじる態度である。 嘉悦大教授の高橋洋一氏は、池上氏の番組の問題について、専門家の知見を利用した旨のクレジットを入れることを提案している。それはある意味正しいだろう。クレジットじゃ済まないテレビの「実態」 ただ、以前、池上氏の番組とは別のワイドショーに出演したとき、事前の確認なくスタジオに流された映像資料に「田中秀臣氏による」というクレジットが出された。ところが、筆者はそんなことに全く関与していなかった。たまたまスタジオにいたので、その場で「僕が調べたのではなく、番組のスタッフが調べたもの」と急ぎ訂正したことがある。 これは恐ろしいことだな、と思った。自分の関与していないものにクレジットを付されて、それが広範囲に放送されてしまう。その場で訂正できたからいいようなものを、これができなかったらどんなことになっていただろうか。 だから、クレジットをつけることも一案だが、筆者のようなケースもあることは注意を促したい。つまりは、テレビの番組制作において、現場ベースではかなりずさんな実態があるのではないか。 例えば、今回の運動も、番組スタッフだけではなく、番組の中心である池上氏本人がスタッフや専門家とともに一緒に議論する時間を設けたら違う展開にもなるだろう。また助言を求める専門家を使い捨てのように毎回代えるのではなく、長期的な助言者として参画させるのも一案ではないか。 そんなに手間暇をかけられない、というのであれば、今回のようなMeToo運動に似た社会的問題が繰り返されるだろう。それが番組のリスクとして顕在化すれば、手間暇かけるコストなど問題にならなくなる可能性さえも出てくるのではないか。2013年6月、インタビューに応じるジャーナリストの池上彰氏 ちなみに、池上氏自身の経済観、特に日本銀行の金融政策の考え方については、批判すべき点もある。一例だが、彼の『改訂新版 日銀を知れば経済がわかる』(平凡社新書)には注文をつけたい、いや全力で批判したい箇所がかなりある。 例えば、日銀の出口政策のとらえ方を、国債暴落といったあまりにも安易なあおりに結び付けている点などだ。ただ、池上氏の番組と大きく異なるのは、本書にはきちんと主要参考文献が付されていることだ。つまり、クレジットが明記されているのである。 ただ、池上氏の他の膨大な書籍を検証することはできていない。だが、少なくとも池上氏の番組を批判することと、池上氏の考えとの関係をどう見るか、そこは慎重に区別し、その上で議論していく必要があるだろう。

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    信長がどうしても許せなかった足利義昭の「不遜な亀」

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 第六天魔王を自称したか、あるいは少なくともそう呼ばれた形跡がある信長。ここでその意味を確認しておこう。 第六天魔王は、信仰によらない喜びを人々に与えてそれを自分の喜びとする。だから、僧侶や一般の篤(とく)信者に煩悩と欲望を与え、修行の邪魔をすることが自分の幸福となるのである。 逆に考えてみよう。信長が一向一揆の大元である大坂本願寺と開戦(石山合戦の始まり)したのが元亀元(1570)年9月。浅井・朝倉連合軍が比叡山と連携して織田軍と戦い、信長の部将、森可成や坂井政尚らが討ち死にするなど甚大な損害が発生したのも同じ9月から11月にかけてのことだった。伊勢長島の一向一揆に対して第一次侵攻作戦を実行したのはその翌年の5月。 「進者往生極楽 退者無間地獄(進まば往生極楽、退かば無間地獄)」。これは本願寺の安芸門徒が大坂へ上り、石山合戦で信長と戦った際に掲げたという、旗に墨で大書されたスローガンだ。「敵に向かって進めば極楽往生できる。逆に退却すれば無間地獄に落ちる」という教えを胸に、後生大事と命を捨てて織田軍に攻めかかる狂気のような一揆勢。 これに対する信長は僧侶を「欺瞞(ぎまん)者」と呼び、「仏僧がなすべきは武器をとることにあらず」と言い放った男だ(フロイス『日本史』)。民衆を救済するというなら現世でこそ実現させるべきで、己の欲望のために民衆を扇動し命を捨てさせるのが僧侶なら、そんなものは地上から抹殺してやる。そして自分が民衆に現世で幸福を与えてやろう。龍の力、大蛇のパワーはそのために使うのだ、と「第六天魔王」の異名を甘受し、敵対する仏教勢力との戦いに臨む。織田信長肖像画(大本山本能寺所蔵)=撮影・中田真弥 さて、その魔王・信長が上京焼き討ちの際に、奈良の焼き討ち・比叡山焼き討ちがセットになったときには天皇に災いが降りかかるという伝承を神経質に気にしたことも前回で述べた。 この伝承については、公家の山科言継も比叡山焼き討ちのときすでに「仏法破滅、説くべからず説くべからず。王法如何有るべきことか」と日記にコメントをつけている。この時点で後に天皇と京へ災いが降りかかることが予見されていたということだ。王法とは天皇の「まつりごと」を意味するから、伝承は吉田兼右だけでなく、公家社会全体の共通認識だったことが分かる。信長もこの時点で伝承を把握していただろうことは明らかである。 比叡山焼き討ち以来抱え続けてきた信長の不安。しかし、彼は上京焼き討ちにあたって御所の警護を厳重にし、内裏(だいり)に延焼することがないように万全の態勢をとることで「天皇への災い」を回避した。 その一方で、無数の人々が避難する途中の路上で殺され、あるいは桂川の上流(大堰川)や下流で溺れ死んだという記録もある(『東寺光明講過去帳』)。4月4日は現在の暦で5月15日。梅雨入りにはやや早いが、たまたま雨で増水していたのかもしれない。 仏教に対抗し現世で民衆を救うと豪語する信長にとって、これは想定の範囲内のできごとだったのだろうか。信長が嫌った「亀の呪縛」 とにもかくにも、上京の焼き討ちを強行したことによって伝承の呪縛から逃れた信長は、いよいよ本領を発揮し始める。 4月15日、百済寺炎上。聖徳太子建立という近江きっての古刹(こさつ)は延暦寺と同じく天台宗に属するが、信長に敵対し続ける六角義治(六角義賢の子)が近くの鯰江(なまずえ)城に籠城していた。城代の森某の子がこの寺に出家していて、城内に兵糧を送り届けるなどしたために、信長から六角氏の同類と断じられ、焼き討ちをかけられたのだ(『百済寺古記』)。第六天魔王の面目躍如である。 続いて7月18日には、再び反信長の兵を挙げた将軍・足利義昭も信長によって京を追放される。かつて義昭から「御父」と頼られた信長は、逆に「ほしいままの悪逆」と罵倒されたが、そんなことは彼にとってもはや大した意味はない。 7月28日、元号が元亀から天正へ改められる。義昭追放からわずか3日後に信長が改元を奏請したのだ。これについては朝廷も、「俄(にわか)」な申し入れだったと驚いている(『御湯殿上日記』)。信長は前年に「元亀の年号不吉」と義昭にも改元を求めており、早く新しい元号にしたかったらしい。これが信長と義昭が決裂する原因の一つともなったのだが、それはどうしてだったのか。 もともと「元亀」への改元は義昭が推進した。「与風(ふと=急いで)」改元を行うようにと朝廷に申し入れた結果、永禄から改められたものだ(同)。 では、この元号がどういう意味のものだったのかを考えてみよう。 「元亀」には、そのものズバリ「亀」の文字が入っている。古代中国では、亀は龍の子と考えられていたし、亀をかたどった霊獣・玄武は蛇を体に巻き付けた水の神とされていた。奈良・キトラ古墳にある玄武の壁画(代表撮影) 水神であり、龍や蛇とも関わりの深い亀。信長なら喜びそうなものなのだが、彼はなぜこのめでたい元号を忌避したのだろう? 皮肉にも、元亀の年間は信長にとって本願寺と一向一揆の蜂起、浅井・朝倉の敵対、武田信玄の侵攻と、立て続けに逆風が吹き荒れた最悪の時代だった。厄除けにうるさい信長としては、気分一新ケチのついた元号を改めることによって、ツキを変えたいという思いもあったのだろう。 そしてさらに大きな鍵は、この元号の出典とされる文章にありそうだ。 『詩経』と『文選』という古代中国の文集から採られた「元亀」。『詩経』からは「毛詩」の「元亀象歯犬賂南金」という文言、『文選』からは「元亀水処、潜龍蟠於沮沢、応鳴鼓而興雨」という文言が、それぞれ用いられたという。 問題になるのは、後者の「元亀水処~」だ。「亀は水場に君臨し、龍は湿地帯に潜み、呼応して雨を呼ぶ」とでも読み下せばよいか。 一見して思うのは、亀が水場の支配者であるのに対し、龍は単に沼沢に潜んでいるだけの従の存在にしか位置づけられていないという点なのだが、どうだろう。亀が主、龍が従。信長はこれに我慢できなかったのかもしれない。そういえば、玄武も亀が主、蛇はそれに巻き付くだけの存在ともいえる。信長の「酒の肴」 大蛇・龍を信奉する信長としては、義昭=亀が信長=龍を従える構図を否定したかったのではないか。亀が龍の子というのも、義昭から「御父」と呼ばれた信長にとっては、まさに義昭と自分の関係ではないかと「義昭の面当てぶり」を不愉快に思ったに違いない。逆に、義昭はその意味を知っていたからこそ「元亀」への改元を積極的に行ったとも考えられる。 当時は「言霊(ことだま)」の力が普通に信じられていた時代であった。義昭を追放した今、龍=信長は亀の呪縛からも逃れた。改元はその事実を確認する重要なイベントでもあったのだ。 8月20日、朝倉義景滅亡、9月1日、浅井長政滅亡。長政は自害の直前の8月29日に家臣の片桐直貞に対して、  「このたびは思いがけない成り行きで(小谷城のうち)本丸だけが残るのみとなったが、多くが脱出するなかで籠城し忠節を抽(ぬき)んでるその方には感謝している」という内容の感状を発給するのだが、そこには「元亀四(年)」の文字が書き入れられていた。長政は改元を無視し、「信長が義昭に従う」元亀の元号を最期まで用い続けたのだ。それによって信長こそが逆賊であると主張したのだろう。 11月16日には河内若江城の三好義継が佐久間信盛以下に攻められ自害。京を追放された義昭を保護したことが責められての不幸な最期だった。これで信長にとって畿内の敵対勢力は本願寺を残すのみとなる。 明けて天正2(1574)年。前年12月に岐阜城に凱旋(がいせん)し、久々にゆったりとした時を過ごしていた信長は、そのまま正月を迎える。 京や周辺諸国から家臣たちが年賀に伺候(しこう)し、式三献(しきさんごん。礼法にのっとった盃事で、一の膳・二の膳・三の膳のそれぞれで大中小の盃を酌み交わす。現代の三三九度につながっている)の宴席にお呼ばれした後、外様衆は退席した。残ったのは馬廻衆(側近衆、親衛隊)のみ。宴席が行われたと思われる岐阜城の信長居館跡 ここで『信長公記』はこう記している。  「古今承り及ばざる珍奇の御肴出で候て、又御酒あり」   昔も今も聞いたことがないような珍しい酒の肴(さかな)が出され、また酒が振る舞われた、というのだ。 一体どんな肴が供されたのだろう?  それは、現代のわれわれから見れば世にも恐ろしい代物だった。「去年北国(ほっこく)にて討とらせられ候、一、朝倉左京大夫義景首(こうべ)一、浅井下野    首一、浅井備前    首  已上、三ツ薄濃(はくだみ)にして公卿に居ゑ(すえ)置き」   朝倉義景、浅井久政、浅井長政の3人の首が、漆で塗り固めた上から金泥を薄く施された状態で食台に載せられ、披露されたのである。 『甫庵信長記』では黒漆の箱に入って出され、柴田勝家が酒を飲んでいるときにふたが開けられたと記されている。本当なら、勝家は口に含んだ酒を吹き出したかと想像するのがわれわれ現代人の感覚なのだが、臨席の人々はてんでに歌い踊り、宴は大いに盛り上がったらしい。

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    日本人らしさって何? 大坂なおみの快挙を「雑音なし」に称えよう

    茂木健一郎(脳科学者) 日本人がテニスの4大大会「グランドスラム」で優勝する。今まで叶うことがなかったそんな夢を、大坂なおみ選手が実現した。これは凄いことである。 決勝の相手は「絶対女王」とも讃えられるセリーナ・ウィリアムズ選手。大坂選手は子どもの頃から彼女のプレイを見て憧れていたという。テニス界のレジェンドを破っての優勝は、この上なく純粋な歓びによって祝福される「快挙」であるはずだった。 だが、実際にはセリーナ・ウィリアムズ選手が、試合中に審判に暴言を吐いたり、ラケットを叩きつけて壊すなど、大荒れの試合となった。表彰式でも、ウィリアムズ選手をひいきするような発言があったり、大坂選手が「すみません」と詫びたり、その偉業を祝福する流れとは程遠い展開となってしまった。 もちろん、大坂選手が成し遂げたことの素晴らしさに変わりはない。時間がたつにつれて「雑音」は消え、その偉業の本質だけが残っていくだろう。 何年かたったら、今回の決勝戦のゴタゴタなど、みな忘れてしまっているかもしれない。それくらい、大坂選手のテニスは素晴らしかった。 振り返って、日本国内では大坂選手が「日本人」として初のグランドスラム優勝を達成したことを讃える声がある一方で、さまざまな「雑音」が聞こえてくるのも事実である。 私個人としては、このような「雑音」は意味がないと思っている。ただ、「雑音」には時代や人々の無意識の本質が現れる。大坂選手の優勝をきっかけに、日本人の不安や恐れ、そして夢が顕在化したのだと思う。以下ではそのことについて考えてみたい。 日本人が今、最も不安に思っていることの一つは、グローバル化とその中でのアイデンティティーの喪失なのではないだろうか。 自分たちの今までのやり方が通用しなくなる。いわゆる「ガラパゴス化」であり、国内では優れているものが世界では通用しない。 英語圏では、「ビッグ・イン・ジャパン」(Big in Japan)という言い方がある。日本国内ではビッグであり、スターであるけれども、国際的には無名の存在を指す。ただ、そこに日本らしさが表れてもいるので、「ビッグ・イン・ジャパン」は愛される存在でもある。全米オープン女子シングルスで初優勝し、表彰式で涙を流した大坂なおみ。右はセリーナ・ウィリアムズ(米国)=2018年9月8日、ニューヨーク(ゲッティ/共同) 日本人が国際的に活躍することに日本人が熱狂するのは、グローバル化の中で日本の立ち位置が揺るがされている不安の裏返しでもある。「ビッグ・イン・ジャパン」だけでは、世界に通用しないと薄々感じ始めているのだ。 その意味では、今回の大坂選手の全米オープン優勝というニュースは、うれしいことのはずであった。文字通り、グローバルな競争で一位になったからである。 では、なぜ「雑音」が生じるのかと言えば、大坂選手が「典型的な日本人」なのかどうか、という迷いがあるからに他ならない。「典型的」でないことの迷い 日本人が「ビッグ・イン・ジャパン」を乗り越えて世界で活躍すると、なぜ安心するのか。それは、彼らが自分たちの「村」の仲間だからである。仲間が世界で活躍したという事実は、自分たちも可能性があるし、何よりも自分たちのやり方は間違っていなかったと確認できる。 だから、「典型的な」「普通の」日本人が世界で活躍すると、わが事のように喜ぶ。そんな心情が日本人にはある。 その意味で、大坂なおみ選手が「典型的な」「普通の」日本人なのかという点に迷いを感じる人が少なからずいる。だからこその「雑音」なのだろう。 大坂選手は、日本人のお母さんと、ハイチ系米国人のお父さんの間に生まれた。その身体能力も、外見も、本当に素敵なのだが、多くの人が思い浮かべる「日本人」のイメージとは違っているのかもしれない。 むろん、何が「典型的」で「普通」なのかというのは時代によって異なる。厚生労働省のデータによれば、日本における国際結婚の割合は概ね3%台のようである。その意味で、さまざまな背景を持った子どもたちの数は今や決して少なくはない。 アメリカでは、どんなエスニックの背景を持った人でも「典型的な」アメリカ人になる。かたや、日本ではそこまでの意識の変化が進んでいない。 日本「村」の「村民」として、大坂選手を自分たちの「仲間」だと思えるかどうか。 この点に、今回の快挙を「雑音なし」に純粋な喜びとしてお祝いできるかどうかの分かれ目があるのだろう。 私個人は、純粋に喜んだ。一方で、そうではない方々もいた。そんな方々が、さまざまな雑音を立てたに違いない。 しかし、結局のところ、雑音は雑音に過ぎないとも思う。 これからの日本をどう発展させていくか。そのことを考えると、大坂なおみ選手の快挙は、大いに参考にすべき「成功事例」だと思う。 まず、エスニックな背景のさまざまな方が、日本に縁を持って活躍する機会をつくること。 大坂なおみ選手が、子どもの頃にニューヨークに移住し、テニスの練習を続けて、ツアーの転戦などもグローバルな厳しさの中で闘ったように、日本の偏差値入試のような「ビッグ・イン・ジャパン」の世界ではなく、最初から世界の文脈の中で人材を育てること。 日本には天然資源がない。私たちにあるのは「人的資源」だけである。日本人の勤勉さ、創意工夫は世界的に評価されている。問題は、それをどう発展させるかだろう。力強いサーブを放つ大坂なおみ。最後まで平常心を保ち、四大大会初の頂点に立った=2018年9月8日、ニューヨーク 今回の決勝戦でも、大荒れのウィリアムズ選手に対して、終始冷静さを保ち、相手へのリスペクトを忘れなかった大坂選手のひたむきな態度は、「日本人の精神性」として人々に強い印象を与えた。 大坂選手が、競技のために栄養学的に考えられた食事を抜きにすれば、試合後真っ先に食べたかったものは、カツ丼やカツカレーだったという。これはもう「普通の日本人」の女の子の感覚そのものである。 大坂選手は、その精神性においては「典型的な」「普通の」日本人の気持ちを引き継いでいる。大切なのは、そのことだけである。大坂なおみの日本的な純粋さ 日本の良さをどう発展させるか。グローバル化の時代に、どう適応するか。そのためには、日本の精神性のコアを大切にしつつ、日本や日本人を狭く捉える偏屈さから開放されていくしかない。 かつて、テニスの4大大会、ウィンブルドンは広く世界の人たちが競技するように開放され、その結果英国人選手が優勝できなくなった。 そのことは「ウィンブルドン現象」とも揶揄(やゆ)されたが、結果としてテニスの聖地、ウィンブルドンの地位は上がっている。 日本の大相撲は、外国出身力士の活躍で、日本出身力士が優勝できず、長らく横綱にもなれない時期が続いた。 そのことをあれこれと言う「雑音」もあったが、結果として、国技館は世界の人たちが熱い心を持って訪れる大人気のスポットとなり、大相撲人気は国際的な広がりを見せている。 グローバル化の中、日本らしさや、日本人の精神性は、そんなに簡単に失われるものではない。そして、その精神性の良いところは、外国の方々にも影響を与えて、取り入れてもらえるものである。 「典型的な」「普通の」日本や日本人が何なのかということについて、狭い考えを持つべきではない。ましてや、それを「雑音」として人に押し付けるべきではない。 大坂なおみ選手は、試合前のインタビューで、セリーナ・ウィリアムズ選手のことを「愛している」と発言した。 また、対戦する時にはただのプレーヤーになるけれども、試合が終わってハグする時には、またウィリアムズ選手に憧れる一人の少女に戻る、とも発言した。 このような発言は、最良の意味で、日本的な純粋さが表れていると言えないだろうか。 今や世界中の人が愛する、日本のアニメや漫画の登場人物たちが見せる、どこかナイーヴな純真にも似て。あえて言えば、それこそが「もののあはれ」である。全米オープン女子シングルスで初優勝し、にこやかな表情で凱旋会見に臨む大坂なおみ=2018年9月13日、横浜市西区(宮崎瑞穂撮影) 結論を言おう。今回の大坂なおみ選手の全米オープンでの優勝は、日本人としての素晴らしい快挙だった。  彼女の闘いぶり、そして発言には日本の精神性の良さが如実に表れていた。大切なのはそれだけであって、それ以外のことはすべて「雑音」である。 雑音は、インターネットを一時的に騒がせることはあっても、やがて消えていく。そして、後には本質だけが残る。 日本をこれから発展させるのは、雑音に惑わされず、本質を見つめ、それに寄り添う矜持(きょうじ)と勇気であろう。大坂なおみ選手が、その「素晴らしいお手本」となってくれたのである。

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    石破茂さん、菅野完のインタビューまで受けてどうする

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今の政治情勢では、自民党総裁はそのまま日本の総理大臣の椅子につながる。安倍晋三首相と石破茂元幹事長の一騎打ちとなった自民党総裁選は、そのまま日本の政治権力のトップを競うものとなる。自民党員だけではなく、国民の関心も高いものになるだろう。 経済や安全保障、外交、そして憲法改正など重要な問題で、両者は厳しく対立している。しかも、今夏の猛暑や台風、そして大地震など自然災害に、日本の政府がどう対応するのか、国民はこの点でも注目している。 ところで、この記事を書いている最中に、目にして極めて驚いたことが一つある。石破氏がジャーナリストの菅野完(たもつ)氏のインタビューを受けたことだ。インタビュー記事は「『激しい批判をする野党の後ろにも国民はいる』。総裁選出馬を決めた石破茂が語る国会・憲法・沖縄」と題し、ハーバー・ビジネス・オンラインに掲載されている。 筆者は自民党の党員ではないし、自民党を特に支持しているわけでもない。安倍首相が進めるリフレ政策を応援しているだけである。 それもあってか、石破氏が総裁選について誰のインタビューを受けようが、特に大して関心はない。だが、これはさすがにまずいのではないか、と心配してしまう。 なぜなら、菅野氏は『週刊現代』の記事で話題になり、ちょうど最近もハフィントンポストで報じられたように、米国で日本人女性への傷害罪で再逮捕状が出され、いまも有効なままだという。 菅野氏自身もこの事実は認めているようで、彼の米国からの出国について、ハフィントンポストでは「逃亡」と記述している。実際に「逃亡」なのかどうかは、法的な問題なので筆者にはわからない。2017年3月、森友学園問題に関して、報道陣に囲まれるジャーナリストの菅野完氏(宮崎瑞穂撮影) だが、一つ明白なのは、もし「罪を憎んで人を憎まず」ならば、罪の償いが優先される。菅野氏自身が罪を自ら償っていない今、彼のジャーナリストとしての活動は少なくとも距離を置いて見みなければいけないものではないか。 当然、石破氏もこの事実ぐらいは知っていたのではないだろうか。米国で女性への傷害で再逮捕状を出されていることを考えれば、少なくとも相手を選ぶケースであったと思う。率直にいって、石破氏とその側近の対応は、将来首相の座を担うものとしては疑問である。憲法も防衛も、土台は「経済力」 石破氏の憲法観や安全保障についての見解は、人それぞれの評価があるだろう。憲法第9条の改正点については、稲田朋美元防衛相がツイッターで簡潔にまとめている。 総理と石破先生の憲法9条改憲案の違いは、総理は2項維持で自衛隊明記。石破先生は2項削除して国防軍創設。総理案は集団的自衛権行使は限定的なままだが、自衛隊違憲論はなくなる。石破案では集団的自衛権行使は憲法上無制限になり、普通の軍隊になる。稲田氏の公式ツイッター 憲法改正は法制度の改変の問題だが、それだけではない。日本が将来にわたって国として社会として豊かで平和になることが重要である。その観点でいえば、憲法改正の違いだけ見るのは適切ではない。特にキーになるのは経済だ。 首相のスピーチライターである谷口智彦内閣官房参与が、近著『安倍晋三の真実』(悟空出版)で、安倍首相の考えについて次のように書いている。 強い経済がない限り、税収は増えません。税収が増えないと、自衛官、警官、消防士、それから教師の給料が増えません。もちろん、自衛隊の正面装備など充実できない。ですから、一に経済、二に経済、三、四がなくて、五に経済だとばかり安倍総理が経済のことを重視するのは、「あらゆることを試みて、日本を強くし、若い世代に引き継ぎたい」と言っていることと、ほぼ同義なのです。(中略)憲法だけ、防衛力だけ、考えているはずはありません。全部、繋がっている。その土台が、経済力なわけです。谷口智彦『安倍晋三の真実』192ページ この経済力を実現する具体策として、安倍首相のアベノミクスがあるのだろう。つまり、長期停滞に抗するための金融緩和、積極財政、そして成長戦略である。 もちろん実際には、金融緩和政策の効果が目覚ましく、雇用を中心に経済状況は安定化しつつある。だが、積極財政であったのはせいぜい初年度の2013年だけで、それ以降は消費増税などにより事実上の緊縮スタンスに転じている。 ただし、2回の消費増税延期は忘れてはいけないポイントだ。これは想像以上に政治的なハードルが高かったと思う。規制緩和を中心とした成長戦略は、加計学園問題の事例でもわかるが、既得権側の猛烈な抵抗などもあり、なかなか進まない分野である。総じていえば、合格点を与えることはできるが、さらに改善の余地がある。 他方で、そもそも石破氏は経済を根幹に据えて、憲法改正や防衛問題を考えているか不明である。彼の経済政策は基本的に緊縮政策的な色彩が強い。金融緩和政策には否定的な姿勢であり、財政政策についても消費増税を中心とした「財政再建」色が強い。成長戦略については口ではどうとでもいえるが、「石破四条件」ともいわれる規制緩和に抗する事案で名前が挙がるのは、不名誉なことではないか。2018年9月7日、自民党総裁選への立候補届け出を終え、記者団の質問に答える石破茂元幹事長(松本健吾撮影) 石破氏については、その反リフレ的な姿勢からついつい辛口な論評になってしまう。あたかも野党側しか重視しないような見出しをつけられてしまうインタビューを受けるなど、ガードも甘すぎる。 日本をよくしたい気持ちは石破氏も強いことだろう。ぜひ石破氏にはもう一度、日本の国民にとって何が大切なのか具体的な提言を出してほしい。その点を今後の総裁選の論戦でも期待している。

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    「支持率ゼロ」国民民主党がそっぽを向かれる理由はこれだった

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 国民民主党の代表選は、9月4日午後に投開票が行われ、玉木雄一郎共同代表が津村啓介元内閣府政務官を破って再選を果たした。テレビや新聞などでは、告示から今まで、それなりに話題になっていたようだ。 だが、告示後に行ったFNN・産経新聞の最新の世論調査によれば、同党の支持率は0・7%(前回より0・1ポイント減少)と「支持率0%政党」のままである。野党第1党の立憲民主党も低下傾向を続けているので、野党全体の低調が問題かもしれない。 それにしても、国民民主党の支持率の0%台は異様でもある。衆参両議員の数で総議員の1割を超えるのに、この低調ぶりである。その原因は、立憲民主党にも共通するが、やはり「民主党なるもの」を引きずっていることは間違いない。過去の民主党政権による経済政策や対外安全保障、震災・原発問題の対応に関して、国民の多数が民主党政権時代に暗いマイナスのイメージを抱いているのだろう。 民主党政権といえば、「コンクリートから人へ」に代表される経済観が挙げられる。これはより正確にいえば、経済成長よりも分配重視の政策であった。積極的な財政拡大や金融緩和政策により経済規模を安定的に拡大するのではなく、まずは公共事業の拡大などから社会保障などの拡充に振り向ける政策だった。 確かに社会保障の拡充は重要だ。だが、そのための前提となる経済成長に、民主党政権はまったく消極的だった。言葉ではどうとでもいえる。実際に採用した政策は、デフレを伴う経済停滞を脱却するための前提である金融緩和政策には完全に消極的だったし、財政政策には復興増税、消費増税を法案として通すことに躍起だった。 一例では、金融緩和政策については、当時の民主党政権に採用してもらうように、筆者も多くの人たちとともに「デフレ脱却国民会議」に参加して陳情活動などを行ったが、その声はまったく届かなかった。財政政策は、いわば財務省の主導する「財政再建」という美名の増税政策だったし、金融政策も当時の日本銀行の何もしないデフレを受容した政策が続けられたのである。2018年9月、国民民主党代表選の街頭演説会を行った玉木雄一郎共同代表(左)と津村啓介元内閣府政務官(酒巻俊介撮影) そして民主党がリードし、自公も巻き込んだ消費増税法案は、今も日本経済の先行きに暗くのしかかっていて、「民主党的なるもの」の呪縛をわれわれは脱却しきれていない。 今回の代表選に候補した2人、玉木氏と津村氏はそれぞれ元財務省と元日銀の出身である。いわば民主党政権時代の経済停滞を生み出した「二大元凶」の出身者である。 帰属していた省庁や組織の考えがそのまま本人たちに表れるとは思わない。だが、日銀出身の津村氏は、アベノミクス以前の日銀の政策思想そのものに見える。2人とも逃れられない「あしき呪縛」 彼の政策提言では、「インフレ目標2%とマイナス金利の取り下げ」「民主党政権後期の『税と社会保障の一体化』のバージョンアップ」「消費税軽減税率の導入反対」がマクロ経済政策において強調されている。つまり、金融緩和政策には反対だというのがその趣旨であろう。そして消費増税については、民主党政権時代のバージョンアップとあり、具体的なことは書いていないが、さらなる消費増税の提言もありえるかもしれない。 財務省出身の玉木氏もやはり財務省的である。かつての小泉純一郎政権による構造改革と似ているが、構造問題を強調し、特に人口減少が問題だと指摘している。 ちなみに、人口減少であってもそれは長期間に生じる現象であり、いきなり社会の購買力が減少して不況に陥るわけではない。人口がゆるやかに減少しても、社会的な購買力が順調に伸びていけば不況は生じないからだ。 だが、玉木氏はそう考えないようだ。「コドモミクス」と称して、子育て支援政策を打ち出している。その趣旨はいい。しかし民主党政権と同じように、財政拡大ではなく、既存の財政規模の中から分配の仕方を変更しようという意図がみられる。 政府の海外援助や消費税の複数税率を取りやめて1兆円を捻出するという発想がそれである。ちなみに消費税の複数税率とは、10%引き上げ時点での軽減税率のことを指すのだろう。つまりは消費税10%引き上げを前提にしているのである。 この点は津村氏と大差ない。実際に、両者は消費税10%への引き上げを予定通り実施すべきだ、と記者会見で発言している。 また玉木氏は「こども国債」の発行での財源調達を主張している。もし、新規国債を発行する形で財政規模を拡大すれば、現状の日銀における金融政策のスタンスからいえば、それは金融緩和として自然に効果を現す。もしそのような形で「こども国債」を利用するならば筆者は賛成である。だが、玉木氏には現状の金融政策についての積極的な評価も、それに代わるような金融政策についての具体的な見通しもない。際立つのは、消費増税や財源調達でのゼロサム的発想である。 要するに、代表候補の彼らは現状の雇用改善などを実現した金融緩和政策に、消極的ないし否定的である。そして財政政策のスタンスも、増税志向で緊縮スタンスが鮮明だったのである。すなわち、津村氏が勝っても、経済政策の方針に変わりはなかっただろう。まさに「民主党政権なるもの」の正しい継承者である。 だが、国民民主党の経済政策を批判しても、問題が終わるわけではもちろんない。今回、支持率0%台の政党の代表選を取り上げたのは、この代表選を戦った2人の候補に、まさに日本を長期停滞に陥れてきた経済政策の見方が典型的に出ているからである。2018年7月、国民民主党本部が入るビルの屋上に新たに設置された党名看板(春名中撮影) 一つは、金融緩和政策への否定的態度、もう一つは構造問題などを理由にした財政再建的な発想(消費増税、ゼロサム的発想など)である。この二つの考え方は、与野党問わず広範囲に存在する「悪しき呪縛」だ。 国民民主党に意義があるとしたら、日本経済をダメにしてきた悪しき呪縛を最もよく体現する政党である、ということだろう。支持率0%台は、その意味で日本国民の良識の判断であるかもしれない。世論調査には懐疑的な筆者だが、この結果だけは納得してしまうのである。

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    首相3選は確実でも「アベノミクス殺し」日銀の刺客が黙ってない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 安倍晋三首相が鹿児島県で自民党総裁選への立候補を表明した。すでに出馬表明した石破茂元幹事長との一騎打ちの公算が大きい。 安倍首相は総裁選での3選を決めた後に、憲法改正を具体的な視野に入れる政治的スケジュールを組むといわれている。最新の世論調査では、「正直、公正」をキャッチフレーズにした石破氏を、首相が支持率で上回っていると報じられている。私見だが、石破氏のあまりにも道徳の説教めいた、そして具体的な政策の見えない発言が、当初あった彼の支持率を減少させてしまったのではないだろうか。 現在のところ、勝利の確率は、安倍首相の方がはるかに高いだろう。一方、石破氏に対しては、朝日新聞だけでなく、なぜか野党勢力までもが、熱心に推しているようだ。だが、印象論ではあるが、石破氏の保守層での人気が急速に冷めているように感じる。 いずれにせよ、「石破応援団」が野党や反安倍的な報道を繰り返した朝日新聞などであれば、彼らが声援を送れば送るほど、石破氏には不利に働くのは素人でも分かる。ひょっとしたら、反安倍陣営こそが熱烈な「安倍3選応援団」かもしれない。 ところで、安倍首相が仮に3選されたとして、その後の見通しはそれほど明るくはない。むしろ、次の点を考えると、日本の経済に暗雲が待ち構えている。その暗雲こそ、安倍首相が3選されれば避けては通れない問題である。 その問題とは日本銀行に関することだ。日銀の政策がまったくふ抜けになっていて、その主因は雨宮正佳(あまみやまさよし)副総裁を中心とした「反アベノミクス」勢力が日銀内部で力を得てきていることである。 黒田東彦(はるひこ)総裁と安倍首相の間には、一定の信頼関係が構築されている。だが、現在の日銀の政策決定の動向を見ていると、アベノミクスの「第1の矢」とは違う方向に政策が傾斜していることは明白だ。例えば、最近の金融政策決定会合の内容と、会合に参加する政策委員会の審議委員の対応を見れば、「雨宮一派」が日銀の中で勢力を増しているのは、ほぼ確かだろう。2018年8月、自民党総裁選への出馬表明後、鹿児島市内での演説会を終えて森山国対委員長と握手する安倍晋三首相(奥清博撮影) 7月31日に開かれた政策決定会合では、「政策金利のフォワードガイダンス(将来の指針)」、「長期金利が上下にある程度変動しうるもの」を決めた点に大きな特徴がある。そしてこれらが、私見ではアベノミクスの目標であるデフレ脱却と日本経済の再生にむしろ逆行しかねないものだと思う。 前者については、正直、何が言いたいのか分からない。おそらく自分たち(雨宮なるもの)が勝手に経済状況に応じて「デフレから脱却していようがしていまいが政策金利を操作します」という宣言ではないだろうか。日銀官僚の「悪しき裁量」 後者の政策だが、長期金利を不明瞭な範囲で上下動することは、まさに市場にも不明瞭なシグナルを発することになる。一般的に、長期金利を引き下げることには、経済を刺激する効果がある。経済を刺激することができれば、それだけ日銀の掲げるインフレ目標の実現を果たしやすくなる。 だが、長期金利でこれまた官僚的な案配とでも言うべきものが生まれてしまうと、市場の予想は揺らいでしまうだろう。官僚が自分たちの都合で長期金利の案配をいかようにも決める、という「悪しき裁量」に見えるからである。 総じて、これらの政策は、経済への刺激策を強化するためではない。むしろ日銀官僚が、デフレ脱却に向けた政府との協調を、自分たちの都合でいかようにも修正することができる「あいまいな余地」を確保するためのものに思える。言ってみれば、経済などどうでもよく、自分たちの官僚的都合を優先した結果である。 現在、審議委員の構成を見ると、筆者と同じ立場は、若田部昌澄(まさずみ)副総裁、原田泰委員、片岡剛士委員である。これに、定見はなさそうなのだが、桜井真委員がいわゆるリフレ政策(積極的な金融緩和政策)に多少理解がありそうである。 7月の決定会合で出された二つの政策については、原田委員と片岡委員が反対している。筆者は、片岡委員が就任以来、経済動向と日銀のインフレ目標達成に深い懸念を表明し、政策決定会合で反対票を投じ続けていることに賛同している。 反対票を続けることは、官僚的組織の中ではストレスの多いことだろう。まさに国を憂う信条なくしては継続できないのである。 また今回、原田委員も反対票を投じた。その理由は筆者とほぼ同じ趣旨だろう。つまり「インフレ目標の実現との関係が意味不明」なのだ。繰り返すが、今回の決定で新たに加わった2点は、日銀官僚が政府との協調の意味を勝手に解釈する余地を生み出す「官僚文学」でしかない。2018年3月、日銀副総裁に就任し記者会見する雨宮正佳氏(左)と若田部昌澄氏 日銀執行部、つまり正副総裁の間では激論があったと予想される。なぜなら、若田部副総裁は筆者とまったく同じ考えを持っているからである。 そう考えると、他の「何もしない委員」たちが今回の会合で提案された政策をリードしたとは考えにくい。残されたのは、黒田総裁と雨宮副総裁である。提案は執行部から出てくるので、その意味でも主導したのは黒田-雨宮ラインであろう。「二大権威」の本性 雨宮副総裁が理事から昇格したことで、より政策決定に悪しき影響力を持ったと考えることは無理な解釈ではない。要するに、雨宮副総裁はアベノミクスを殺す方向性を持った政策決定の主導権を握っていそうである。 おそらく、表向きではデフレの完全脱却や、政府との協調を演出する発言を弄(ろう)するだろう。そして、安倍首相も現段階では疑問を持っていないようだ。雨宮副総裁、その忠実な代弁者に堕した黒田総裁によってアベノミクスが抹殺されるという危機を抱いてないのかもしれない。 首相のスピーチライターの谷口智彦内閣官房参与は、著書『安倍晋三の真実』の中で、首相の特性について次のように書いている。 してみると、アベノミクスの生まれ出るプロセスとは、徹頭徹尾政治家としての安倍さんらしいものだったと言えそうです。判断の尺度は、『人』に関する見極めにあったわけです。権威と称する『人』の話に耳を傾けながら、信用していいのか相手の人格まで評価に組み込みつつ、判断していった。その中で、日銀、財務省の二大権威が言うことを、そのまま鵜呑みにしてはいけないという強い認識を育てていったのでしょう。谷口智彦『安倍晋三の真実』(悟空出版) そして谷口氏は、安倍首相は、日銀がデフレ脱却の責任を取らない本性を見抜いていたと指摘している。もし、谷口氏の評価が正しければ、安倍首相は、黒田総裁の後ろで権威を高めつつある「雨宮的日銀」の無責任な官僚たちの姿を見抜くべきである。 しかも、雨宮的日銀は、増税志向の財務省や、「ポスト安倍」のさらに次を狙う若い政治家たちとも連携している可能性がある。消費増税を実行すれば、金融政策の効果は大きくそがれる。 その効果を、今の雨宮的日銀が「今の金融緩和政策が限界である」と都合よく解釈する可能性がある。それが今回の官僚文学的な政策決定の持つ方向性でもある。つまり、消費増税による財政面での「アベノミクス殺し」のついでに、金融政策も抹殺しようとしているのではないか。2018年7月、金融政策決定会合後に記者会見する日銀の黒田東彦総裁(宮川浩和撮影) 安倍首相が3選しても、雨宮的日銀が刺客として、その政治的レームダック化を狙うかもしれない。首相はだまされてはいけない。 これは真剣な提言だが、安倍首相はぜひ日銀内のリフレ派を外野から後押ししてほしい。具体的な方策はお任せしたいが、首相の「応援」があるだけで、雨宮的日銀の官僚には大きな脅威になるはずだ。そして、安倍政権の基盤強化につながることは間違いないからである。

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    『半分、青い。』共感できないヒロイン、それでも私は好きである

    吉田潮(ライター・イラストレーター) テレビドラマで増えているオーディオコメンタリー。本編と同時に、副音声で出演者や監督・脚本家が撮影時の苦労話やたわいもない話をくっちゃべる。私はほとんど聞かない。ドラマそのものに集中したいから。出演者が合間のCMに笑顔で登場するのも大嫌い。 もっといえば、せっかくキャラクターが熟して、物語に濃淡も出始めた頃に、突如撮影秘話だの役者が暑苦しい思い入れを語る特別編を入れてきたり、別枠トーク番組を挿入するのも大嫌い。大河ドラマ『西郷どん』がそうだったな。しかも2回も。肩透かしを喰(く)らって、「なんでやねん」と舌打ちした記憶が。 いろいろときなくさい事情はあるらしい。演者が他局の同一時刻番組に出るせいで、裏かぶりを忌避するために力の弱い局のほうが泣く泣く体裁を変えるとか……。ま、NHKは弱かぁないので別の事情だとは思うが、物語に集中して毎週楽しみにしている人間からすれば、興ざめの一言である。とにもかくにもドラマが作り出した虚構の世界にどっぷり浸りたいから、裏話は後日談で十分と思っている。 ところが、大多数の視聴者は違うようだ。ただドラマを見るだけではなく、周辺情報を同時に入手しつつ、感想を共有したり、わが意を得たり、あるいは許せない!と憤慨して発信したりで、大忙しの状態を好む。ドラマのHP・演者や関係者の会員制交流サイト(SNS)をチェックし、ともに作品を作り上げる喜び、という感覚なのかもしれない。 本題に入る。NHKの朝ドラ『半分、青い。』である。脚本家の北川悦吏子がツイッターに裏事情をつぶやき、絶賛するファンも増やす一方で、アンチも増やしているという。メディアも「北川ツイッター発言=炎上」の構図をいちいち取り上げたりもする。ちなみに、アンチ派は「#半分白目」で辛辣(しんらつ)な文句をつぶやいているのが、なかなかに面白い。ドラマの作り手が言わんでええ内部事情(肝いりのセリフやシーンがカットされたこと)や役者との交流を逐一つぶやいちゃうので、まあ、賛否両論勃発もさもありなん。 それでも、こんなにSNSで話題になっていることを考えれば、戦法としてアリだと思うし、斬新だ。朝ドラと言えども、いつまでもあぐらをかいていられないわけで、新規客は常に欲しいところ。今年4月期のドラマ『おっさんずラブ』(テレ朝系)は、登場人物のインスタグラム(写真共有アプリ)と連動して、ある種のブームを起こしたわけだし、今クールも「dele」で主演の菅田将暉と山田孝之がインスタを使って、放送前から話題だけは呼んでいたし。 ただし、大失敗も忘れてはならぬ。昨年大ゴケしてしまった『セシルのもくろみ』(フジ系)では、主演の真木よう子が張り切ってツイッターを始めたものの、その言いようが嫌われて総スカンを喰らってしまった黒歴史もある。NHK朝ドラ「半分、青い。」 冒頭で書いた通り、私自身は裏話や暑苦しい思い入れは、本編と同時である必要性はない、と思っている。でも、それが本編の画面に出てくることはないので、まったく問題ない。流れてくる情報を受け流せばいいだけ、ドラマに集中すりゃいいだけのこと。脚本家の奮闘と暴走、揚げ足取りの視聴者、ファンとアンチの小競り合いをいったん横に置いて、「半分、青い。」をどう見ているか、だ。 ヒロインが同世代ということで、最初から興味津々だったし、今もずっと見続けている。ファンでもなければアンチでもない。疑問も文句もあるが、最後まで見たいと思っているので、ファンなのだろう。何が私の心をとらえるか 私が苦手なのは、ただ1点。ナレーションが多すぎる。祖母役の風吹ジュンが悪いのではない。もう途中から風吹ジュンではなく、北川悦吏子の声にしか聞こえなくなってきた。とにかく人間関係も心情描写も、ナレーションが饒舌(じょうぜつ)すぎる。過去、祖母がナレーションというのは多々あったが、もっと淡々と、あるいは距離を置いての語りだったはず。ところが、制作側の大人の事情だの、時代背景との齟齬(そご)の解説まで語ってしまう。神の視点か。役者の見せ場がナレーションに強奪されたシーンを何度も見て、ため息。なんでこのばあさんは成仏しないのか。ヒロインがうまいこといかないのは、死んだばあさんの呪いだと思うことにした。なので、もう、慣れた。 展開が早すぎる・雑すぎるという「ショートカットっぷり」も気にはなるが、悪く言えば性急、よく言えば緩急。そこは今の時代、というか、軽薄な70年代生まれを描くにちょうどいいのではないか。また、イケメン俳優を次々投入、というのも今に始まったことではない。大河ドラマも同じ手口ね。そのファン層(特に、粘着質でヒマで金は持っててイベントをやれば来てくれる中年女性)がついてくれれば御の字、というNHKの意向も理解できる。 では、何が私の心をとらえるか。ひとえに、ヒロイン・楡野鈴愛(永野芽郁)が清くも正しくもないからだ。思ったことを口にするし、口にするのを憚(はばか)られるような文言もスルリと吐いてしまう。 羽根より軽いと揶揄(やゆ)されるほど口が軽く、内緒話を速攻拡散してしまう。悪気や悪意はないが、思いやりも優しさもさほど持ち合わせていない。ドジっ娘の範疇(はんちゅう)を超えたヘマをしでかすし、自己主張も強くて頑固。ちゃっかりしていて依存体質。幼少期から幼なじみの佐藤健に精神的に依存。離婚後、実家に戻って、幼なじみが働き口を紹介してくれても上から目線で断り、経済的に実家に依存。さらには実母・松雪泰子の虎の子を五平餅店開業に使いこもうと目論(もくろ)んだり。朝ドラにこんな自己中心的なヒロインがいただろうか。もしかしたら、『純と愛』の夏菜、「まれ」の土屋太鳳に続く「3大・不穏なヒロイン」かもしれない。別名「共感を呼びにくいヒロイン」とも。 でも、私は嫌いじゃない。しかも、永野は「才能がない」という、朝ドラヒロインがあまり背負わない絶望を味わっている。プライドが低いように見えて実は高い。漫画家としての才能の限界に気づき、打ちのめされたのだ。才能って、努力や根性、周囲の助けでなんとかなるものではない。どうしようもない、乗り越えられない高い壁にぶち当たり、「きっぱり諦める」道を選んだ。映画監督の夢を諦めきれない夫・間宮祥太朗を許さなかったのも、あの苦い経験があったからこそ。NHK朝ドラ「半分、青い。」 人を傷つけないよう、気兼ねしたまま、自分の人生をそーっと歩くヒロインよりも、永野のほうが人生に悔いも恨みも残らないだろう。誰かを傷つけても、自分が傷ついても、自分が主語でいることを変えない。恨まれたり、やっかまれることがあっても、負の感情に直面しなさそう。というか、それに気づかない鋼のメンタルとも言える。 他人と比べて卑下して地面を見て歩くよりも、誰が何と言おうと空を見上げて歩きたい、と言い切る。漫画家、百均ショップ店員から五平餅屋と、行き当たりばったりの博打(ばくち)人生だが、こんなヒロインがいてもいい。朝ドラヒロインの多様性を快く受け入れたい。ということで『半分、青い。』を推している。褒めちゃいないが、好きである。