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    消費減税には100兆円「余剰資金」を動員するしかない!

    消費増税のマイナスの影響を払拭するためには、約8兆円規模の消費減税が必要であると主張している。私も本連載で強調してきたように、消費減税に賛成するものである。 他方で、このような「減税」議論をすると必ずでてくるのが、“財源論”という奇怪な考えである。そもそも増税によって経済が停滞してしまい、それが将来的な財源を失ってしまうので、それを回避するために減税を行うというのが趣旨だ、それなのに、なんで今現在の減税に財源を要求されるのかまったく理解しがたい。減税する一方で、それと同額の財源(増税など)を課せば、プラスマイナスゼロでまったく意味のない政策になってしまう。しかしそれがいまの日本の財務官僚とその支持者たちの発想なのである。 先の三人の公開討論でも話題になったのだが、現在の政治状況と世論の動向を踏まえると、すでに消費増税の凍結は自明のことのように思われる(むしろ実施すれば安倍政権とその経済政策の終焉を意味するだろう)。 問題はいつそれを公表するかだ。5月26,27日に開催される伊勢・志摩G7サミットの会期中もしくはその前後が有力視されている。と同時に、(ドイツを除く)多くの先進国が共通して志向している世界同時リフレとでもいうべき事態に対応すべく、日本政府と日本銀行はより積極的な財政政策と金融政策の採用が求められている。受身じゃない、攻めの政策決定を 消費増税の「凍結」もしくは「先送り」は、いわば受け身の政策決定であり、これ自体は政府の政策スタンスを確立するうえではきわめて重要なのだが、当面の景気失速を解消する手段ではない。攻めの政策決定の核は、消費減税を中心にするのが最善だ。 もっとも現実の財政政策にかかわる動きを推察すると、旧来型の公共事業の増額、各種給付負担の減免など細々した項目が集積した、官僚たちの“お勉強”の結晶になってしまう可能性がある。金額も片岡氏の推奨する金額にははるかに届かないのではないか、と懸念している。おそらく先の“悪しき財源論”が大胆な財政支出を制限するものとして機能している。 冒頭で紹介した外為特会にある外為資金(中核は米国債)を活用した政策は、このようなとは一線を画すものだった。 2015年3月末の外貨準備は約1兆2600億ドルである。現在のレートで日本円に直すと136兆円ほどになる。これだけの巨額の外貨を積み上げている必然性に乏しいことは、経済学者の高橋洋一氏らによってもしばしば指摘されてきた。おそらくこれだけの巨額の外貨準備が積みあがる背景にはそれなりの既得権益が存在するに違いないが、それはまた別の機会に譲りたい。 田村秀男氏は先の『日本建替論』の中で、「外為特別会計の中にある米国債など外貨資産をそっくり日銀に売却し、日銀の資産に置き換える。日銀は政府から譲渡された外貨資産相当の日銀資金を発行し、政府に支払う。政府はこの100兆円の資金を創設する「復興・再生基金」に組み込んで」、当時の議論の対象であった大震災からの復興事業やデフレ脱却のために活用する、というのが我々の主張のひとつであった(同書、215頁以下)。 もちろん100兆円(現状では130兆円規模)すべてが利用できるわけではない。田村氏の主張では曖昧になっているが、外為特会は資産と負債からなっていて、日銀から米国債の代わりに日銀券で政府側資産が置き換わっても、負債側(為替介入のときに発行された政府短期証券など)はそのまま残っている。また現状では、(2012年当時とは異なり)外為特会の運用基準が変更され、外為資金の運用収入からコストを引いた剰余金の半分ほどが一般会計の歳出に繰り入れられてもいる(平成27年度では1兆4280億円)。もちろんこの額を増額することは原理的に可能であり、最低でも追加的に1兆円超の金額を活用することができるのではないだろうか。拡張的な財政政策を金融緩和が支援せよ ところで田村案が今日でも重要性を持つのは、日銀と政府の協調を指摘しているところだ。先の三人の討論会でも日本銀行の金融政策の緩和拡大が、財政政策のいわば必要条件として議論された。例えば、首相が消費増税の「凍結」もしくは「先送り」の表明と同時になんらかの拡張的な財政政策を打ち出す(繰り返すができれば消費減税が最善だ)。その拡張的な財政政策を支援するのは、財政政策の「財源」ともなる新規国債や既発国債の買い取りを(市場経由だが)より一層日銀が拡大していくことが必要だ。日銀の財政政策を支援する金融緩和政策の公表タイミングは、早くて4月下旬の政策決定会合か、あまり評価できないが遅くても6月の政策決定会合にすべきだ。 例えば、どのくらいの金融緩和が必要かといえば、私見ではその規模は(インフレというコストを無視すれば)事実上制約はない。例えば、日本銀行は、長期国債については、保有残高が年間約80兆円に相当するペースで増加するよう買入れている。これを倍増することも容易だ。より極端にいえば、市場に存在する(また新たに追加される)国債をすべて吸収する構えでもいいのだ。田村氏のかっての主張をまねて、新たに「100兆円の余剰資金」を用意することも、日本銀行の現状の政策フレームで可能だろう。 もちろんインフレ目標があるので、金融緩和政策の効果でインフレ率が上昇していけば、その買い入れペースを調整していけばいいだけである。なおETFや社債などの買い入れ枠の増加も同様の理由で行うべきである。 このような金融緩和による政府の財政支援は、きわめて効果のあるものになる。実際に政府と日銀の協調的な拡張政策がとられることが確実視される段階で、株価と為替レートが好転する可能性さえあるだろう。実際にそれが起きたのが、安倍政権の誕生が確実視された2012年秋以降の展開であった。 今回は政権誕生というモニュメントが不在である。対して国際リフレ競争表明の場になると期待されるG7の場が用意され、また消費増税の「凍結」といった政治的な好機はある。これを利用して、日本経済の景気失速を防ぐことを期待したい。(注)冒頭の上念、片岡、田中の公開討論会の内容は、以下から(無料会員登録でも)購入可能である。https://y-e-lab.cd-pf.net/?next=%2Fstore

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    「円高シンドローム」が国民を殺すだろう

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 日本経済に赤信号が点灯している。 もちろん「アベノミクス失敗」であるとか、「失われた20年」に完全に戻ってしまったとか、あるいはより具体的に失業が激増したとか、倒産件数が急上昇とか、そういう現状ではまったくない。しかしこのまま事態を放置すれば、日本経済は間違いなく長期停滞に再帰してしまうだろう。 日本の経済低迷の主因はデフレとデフレ予想の定着にある。 デフレとはデフレーション(物価下落)のことであり、これは財やサービスの平均価格のことである。個々の商品の値段が下がることと区別することが重要で、例えば、吉野家の低価格商品として豚丼の復活が最近話題になったが、この豚丼の価格低下をデフレとはいわない。これは単にひとつの財の価格の低下であり、財やサービスの(代表的なものを組み合わせた)平均価格とは全く異なる概念である。 このデフレが進行する状態は、(日本経済の現状から)ざっくり言うと人々の財やサービスを購入するお金が不足するために生じている。具体的には民間の消費、投資、政府から出るお金、そして海外から入るお金の純増部分(輸出マイナス輸入)から構成されている。この経済全体での物を購入するお金の不足を「総需要不足」という。 日本のデフレはこの「総需要不足」が招いている。またより深刻なのは、このデフレが現在だけでなく将来にわたって続くと人々が予想する「デフレ予想」(デフレ期待)である。現在だけでなく将来にわたって、人々がモノを買うお金に不足する(これが経済全体で生じていることがポイント)と考えてしまうと、消費を控えるだろうし、また企業も売り上げの低迷を予想して投資活動を抑制するだろう。デフレ予想が続くと現在だけでなく将来の経済の低迷までも招いてしまうのである。 このデフレとデフレ予想は、経済に回るお金の量の不足とそれが今後も続くという予想のことだから、解決策は、現在のお金を増やし、将来のお金が増えるという予想を生み出すことに尽きる。これを言い換えたのが、インフレ目標を伴う金融緩和政策であり、積極的な財政政策である。「インフレ目標」は将来、デフレではなくインフレ(物価上昇)をもたらすほどお金を増やし続ける、という政策のスタンス(姿勢)を明確にするためのものであり、現在のいわゆるアベノミクスの基本中の基本的な政策ツールである。なぜ「円高」傾向が赤信号なのか さてこの基本ラインをおさえたうえで、現在の日本経済の「赤信号」をみておきたい。その問題点は、進行する円高(この原稿を書いている段階では1ドル107円台)と、年初からの株価の低落傾向である。特にここでは前者が重要だ。 「円高」傾向がなぜ赤信号か。簡単にいうと為替レートは異なる二国間(1ドル107円とは、ドルと円)の交換比率のことである。この為替レートは、二国間の通貨の総量の比率に等しい。違う考え方やより精緻な為替レートの決定理論があるが、現状の日本経済をシンプルにとらえるには、為替レートは二国間の通貨総量の比率で考えるのが、便利なのだ。例えば、米ドルの総量は変化しないまま、日本円の総量が減るとしよう。ドルに対して円の価値が高まるので、円高になる。この円高は、先ほどのデフレ(お金の不足)とデフレ予想(今後のお金の不足が続くこと)が蔓延する経済では生じやすい。実際に、アベノミクスが始動した2012年後半まで、(一時期を除いて)日本は円高が20年以上進行していた。これを「円高シンドローム」と呼んでいた。経済の病理的な現象とみなしていたのである。なぜ病理的か? それは経済に出回るお金の不足(これが円高傾向の原因)を治せるにもかかわらず、放置してしまっていた異常事態だからだ。 円の不足は、先ほども解説したように、日本銀行が基本的に解消する。その解消するという政策スタンスをみせて、消費者や投資家などの予想を変化させることも重要だ。重要度でいえば、政策スタンスの方が、実際のお金の供給量よりもはるかに上回る。 いまドルやユーロなど主要通貨に対して円高が加速しているということは、これは日本銀行や政府がお金を増やす政策ではなく、お金を引き締めてしまう政策(その方向性)を事実上採用していると、市場がみなしているからだ。もちろん他国のお金の供給に対する政策スタンスも重要である。例えば、米国経済では利上げ観測が遠のいている。また現状のマネタリーベース(米国の中央銀行が操作可能なお金の量)は減少ではなく、高め水準を維持したままだ。簡単にいうと米国は(いま説明したかぎりでの)緩和スタンスを維持している。欧州中央銀行やイングランド銀行の政策スタンスも緩和的だ。言い換えれば、それだけ世界経済は不安定化、脆弱化している。市場に緊縮政策のシグナルを送っている日本 これに対して、日本は諸外国に比べて、より「緊縮政策」を採用しているとみなされているのだ。その主因は、ふたつある。その最大のものは、まず消費増税だ。2014年の増税による現在時点での消費低迷。それに加えて来年に予想される消費再増税の姿勢がいまだに維持されていること。これらは将来の経済のさらなる低迷、つまりはデフレ予想をもたらすだろう。緊縮的な政策スタンスのシグナルは、円高傾向をもたらす。1ドル=108円台をつけた円相場を示すモニター=4月7日午後、東京・東新橋 二番目に、この消費増税と再増税という緊縮政策によって、日本銀行のインフレ目標という政策スタンスが妨害されていることだ。インフレ目標の達成がどんどん先送りされてしまうことは、人々の予想を不安定化させ、日本銀行の政策スタンスに対する信頼性を損ねてしまうだろう。現状の円高傾向という日本経済の「赤信号」の背景には、このような政策スタンスの毀損がある。 では、解決策としてはどんなものがあるだろうか? まず政府と日本銀行が協調して財政政策と金融政策の拡大を行うべきだ。財政政策のかなめは、消費再増税の事実上の凍結であり、また消費低迷を打ち消すだけの減税(最善では消費減税)だ。これについては以下を参照されたい(http://ironna.jp/article/3028)。また財政面では長期国債の新規発行額を増やし、また同時に超長期国債の発行も重要だ。日本銀行の金融緩和政策は、政府の財政面での支援と両建てでないとおそらく効果は乏しいものになるだろう。 現状では、日本経済には「赤信号」が点灯しているが、その信号を早期に消灯しなければいけない。現状では、この数年の景気回復を背景にして、雇用状況は大幅に改善した。それをうけて、失業率と連動している自殺者数もピーク時に比べると大幅に減少した。その減少傾向はいまも続いている。しかし「赤信号」が長期化すれば、日本経済は再びデフレ経済に再帰してしまうだろう。そうなれば、再び数千人単位で新たに自殺者数が増加してしまう。景気が悪化すると、自殺者数が3割以上増えるという実証もある。 日本経済は20年以上、緊縮政策を続けることで、国民の生活を苦境に陥れ、またその人生の可能性の芽を摘んでしまった。その最たるものが(失業率と連動する)自殺者数の動向だ。この緊縮的政策スタンスの悪夢を再現してはならない。いままさに決断のときだ。

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    「練習は週4日以上するな」バドミントン桃田の違法賭博を教訓に

     また悲しい報道に接した。バドミントン界の期待の星・桃田賢斗選手と田児賢一選手らの裏カジノでの賭博問題。やるせない気持ちで、私自身、力が抜ける思いだ。遠征先のマレーシアから帰国したバドミントン男子の田児賢一選手 (手前)と桃田賢斗選手=4月7日、成田空港(春名中撮影) もう10年以上前から、スポーツ界の構造的な堕落を訴えてきた。ところが、メディアも多くがスポーツを盛り上げ、本質的な問題を棚上げして、2020東京五輪に猛進してきた。柔道連盟の不祥事が出た時も、様々な競技の多くの選手の事件が露呈した時も、メディアの大多数が一貫して、問題を起こした個人や当該組織が引き起こした部分的な問題だと扱い続けてきた。 私は終始、「それらは現代のスポーツをめぐる環境が引き起こす構造的な問題であって、その体質は一部の問題選手、問題組織を腐敗させているだけでなく、スポーツに打ち込むすべての人々をも蝕む、危険な体質をはらんでいる。だから、少年少女にスポーツを熱心にやらせることも考え直したほうがいい」と警鐘を鳴らしてきた。幸か不幸か、そうした叫び声はほとんど取り合ってもらえないほど、日本中のスポーツへの支持率は高かった。ところが、大相撲の八百長問題、昨年の東京五輪エンブレム盗作問題、新国立競技場問題で立て続けにスポーツ界に逆風が吹き始めた。そして、巨人選手の野球賭博事件、さらに今回の事件が追い打ちをかけて、いよいよスポーツ全体を見直すべきだと考える空気が覆い始めたように感じる。バドミントン全日本総合選手権、桃田賢斗選手 =12月3日、代々木第二体育館 一体、何がスポーツ選手をこれほど安易な行動に導くのか? 残念ながら、「人間性を高める」などという、美しい言葉で飾られる目標への取り組みに、最近のスポーツ現場で心底感動を伴って接する機会は少ない。 勝てばいい、強ければいい、結果が出ればいい。そのために、見えないところで汚い手を使うのは当然。パワハラやイジメとも思える厳しい叱責や扱いにも耐えて当然、それで挫けるやつはそもそも見込みがない、という考え方はいまだに多くのスポーツ指導者に染み付いている。それは、トップレベルの競技現場に限らない。少年野球など、いわゆるお父さんコーチたちでさえ、コーチの立場を持つとなぜか口汚い言葉を使い、人格が変わる、不思議なスイッチがスポーツにはある。その体質を徹底して変革するのは、相当に強いメッセージの発信と強烈な転換の自覚と意志が必要だ。文武両道の実現はありえないバドミントン・ヨネックス・オープン・ジャパン 男子シングルス 予選1回戦で韓国選手にポイントを奪われ厳しい表情の田児賢一=2015年9月8日、東京体育館 少年たちに強い動機を与えたい時、周りの大人たちがエサにするのは野球なら「甲子園」「プロ野球」であり、年齢が進んだ選手には「美女アナと結婚できる」「5億、10億は稼げるぞ」いった俗なセリフを平気で口にする。野球の深み、極める楽しさなどを語る大人は極端に少ない。日本社会がそのような俗物的なレベルに覆われているからだろうか。 今回私の周りでも、桃田選手が派手な格好をする理由を問われて、自分が華やかな存在になれば憧れてバドミントンを始める子どもたちが増えるのではないかと語ったことに「落胆した」「その程度のレベルなのか」と嘆いた人が複数いた。私も同じように感じる。だが、裏カジノでの賭博が露呈せず、いまもリオ五輪の星であったならば、その率直な感想は隅にやられ、イマドキのイケメンといった肯定的なイメージばかりが世間を支配していただろう。 深さを追求する喜びを忘れたスポーツ界に、文武両道の実現はありえない。 この機会に、あえて大胆な提案をしたい。 高校生までは、同じスポーツの練習を週4日以上してはいけない。例えばそのような共通認識を作ったらどうだろう。中高生は、もっとほかにすべきことがある。学校の勉強に限らず、広く社会を学び、経験する機会を作ったほうが将来に生きる。そのことで案外競技レベルは低下しないと思うし、たとえ世界に比べて十代の競技レベルが落ちたとしても、それの何が問題なのか? 人間性のレベルや幅が落ちることのほうが遥かに深刻ではないか。日本はもう何十年も、人間の幅や次元が落ちることを無視して、いたずらにスポーツに打ち込む姿を美化し続けてきた。いい加減、目を覚ます時ではないか。

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    民進党の経済政策じゃ、また大停滞に逆戻り?

    政府からのお金の流れが減少することで、景気の下降局面にある日本経済には悪影響しかないだろう。 前回の連載記事(http://ironna.jp/article/3028)で解説したように、日本が長期停滞にまた戻らないためには、民進党が推し進める構造改革路線と社会保障の充実路線ではなく、通常のマクロ経済政策(積極的な金融政策と財政政策)が必要だ。社会保障の充実は、このマクロ経済政策による経済状況の改善の中で実現されるべきだ。 だが、民進党の経済政策には、この当たり前の財政・金融政策の組み合わせがまったく欠如している。基本的に(財政再建を中心とした)緊縮政策を志向する政党といっていだろう。緊縮をすすめるなかで、社会保障を充実すれば、どうなるか? その答えを十分に日本の国民は過去の民主党政権時代に経験したのではないだろうか? 欧米では、保守的な政治勢力に対する対抗軸として、リベラル側が拡張的な財政・金融政策を高々と掲げ、支持を集めている。それに対して、日本の自称「リベラル」勢力はまったく逆向きの緊縮政策を追求しているようにしか思えない。ここに日本の政治構造の不幸のひとつがあるのだろう。

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    まさに天国と地獄! 謝罪から始まった巨人の嬉しい誤算

     謝罪からシーズンが始まった読売ジャイアンツが好調だ。 開幕連勝こそ4で止まったが、高橋由伸新監督はこれ以上ないと言っていいほど、幸先の良いスタートを切った。 ここ数年、外国人に長距離砲に当たらなかった巨人の新外国人ギャレットが5試合で早くも3本のホームランを放ち、5番のクルーズもホームラン2本、打率.389と持ち味を発揮している。それに何より、高橋監督にとってうれしい誤算は捕手・小林誠司の活躍だろう。開幕3連戦では投手たちをよくリードし、自ら殊勲打を放って、連日勝利の立役者になった。守備練習をする巨人・阿部慎之助(左)と 小林誠司=2月 16日、 沖縄県那覇市の奥武山運動公園(撮影・吉澤良太) 昨季もホームベースを任されながら期待に応えきれず、シーズンオフには一塁手に転向していた阿部慎之助が再び捕手に呼び戻され、小林誠司は半ば正捕手失格を宣告されたような状況だった。その阿部がケガもあり、コンディション不十分で開幕2軍スタートになった。それは、新生・高橋巨人にとっては青天の霹靂とも言える一大事だったが、小林誠司の奮闘で、大ピンチは逆に大きな希望の糧になった。 以前のコラムでも触れたことがあるとおり、昨シーズンのプロ野球各チームは、「捕手併用」が目立った。併用と言えば意図があるように感じられるが、全試合でマスクをかぶってもらえる「絶対的な正捕手」がいない現実が最大の理由だ。かつてはV9巨人の森捕手、南海の野村捕手、さらにはヤクルトの古田捕手、阪神・矢野捕手ら、優勝するチームには必ずと言っていいほど、毎試合その座を譲らない正捕手の存在があった。 試合数も多く、移動距離も長い、しかも連戦が続くメジャー・リーグでは全試合に同じ捕手が出場するのは「クレージー」との認識があり、正捕手を補う第二捕手の存在は重視されている。とはいえ、正捕手はやはりはっきりと固定しているチームが長いシーズンを優位に展開している。昨季は12球団のうち10球団が複数の捕手を併用した。優勝したのは、セ・リーグが中村捕手固定のヤクルト。パ・リーグがやや併用ではあるが細川捕手という軸のあるソフトバンクだった。その意味では、阿部慎之助が再び正捕手として窮余の策とはいえ、今季巨人が覇権を現実に見据えるための最低条件のはずだった。 あるいは、高橋由伸監督が、最初から小林誠司を軸に据えるため、阿部に捕手復帰を依頼し、小林誠司の成長を刺激したのだとすれば、ここ数年の最大の功労者をまるで捨て石のようにするわけだから、監督と阿部とのものすごい信頼感、まさにチームワークの賜物と言えるし、それに応えつつある小林誠司もまた「男」だと言えるだろう。金銭授受問題をうやむやにしてはいけない 果たして、これが開幕ダッシュの一時的なあだ花なのか、このまま確かな成長と活躍を続けるのか、今季の巨人の浮沈を握るカギのひとつだろう。野球賭博への関与を認めて謝罪する巨人・高木京介投手 =3月9日、東京都千代田区の巨人球団事務所(撮影・矢島康弘)  阿部慎之助もやがて一軍に上がり、活躍の機会をうかがっている。一塁には好調ギャレットが立っているから、阿部がどのようなポジションで力を発揮するのか。レベルの高い捕手併用が実現すれば、さらに戦力は高まることになる。うれしい誤算から生まれた新たな選択肢をどう活かすか、高橋由伸監督の手腕が試されるところでもある。 野球賭博に端を発し、金銭授受問題にまで発展した球界の不祥事は、開幕すると想像以上に重かった空気がずいぶん明るく転換したように感じる。開幕の華やぎで体質改善をうやむやにしてはいけない。問題の本質を見極め、新たな道を共有する必要があるだろう。高校野球のニュースを見ていて、同じ根を持つ社会の体質をひとつ感じたので、ここでみなさんに問いかけてみたい。 今春の選抜高校野球選手権から、ネット裏の席に連日、地元の少年野球のチームが招待されることになった。2013年8月の第95回全国高校野球大会。 ネット裏最前列の定位置に座っていたラガーさん(円内)。  高校野球の熱心なファンならばご存じだろうが、ここ数年、ネット裏の席に早朝から並んで陣取り、他の観客にストレスを与えているグループが話題(問題)になっていた。今回の企画を聞いて、そのグループを排除するためだな、と思った人も少なくないだろう。私もそう感じたし、ネット上ではそのような推測が盛んに発信されている。 だが、高野連はそれとは無関係との姿勢を貫き、あくまで地元の少年たちに高校野球に親しんでもらうためだと説明している。もちろん、余計なことを言えば角が立つし、高野連の態度は当然とも言えるが、多くの人が本音と建前をそこに感じる。そのようにして、いまの日本社会は、本当の話をしない、できない風潮になっていないだろうか。プロ野球の金銭授受問題も、まな板に上がっている選手たちを、自分の日頃の生活や習慣、例えばゴルフで握るとか、それをまるでないもののような前提で批判する。それでは本当の解決策も、あるべき社会常識の形成も難しいと思う。本音で語る場所があってこその建前だと思う。

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    増税先送りは当然! 消費減税こそ日本経済を救う

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 今年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、審査員特別賞と観客賞を受賞した映画『脱脱脱脱17』は、高校三年生の松本花奈氏が監督したことで話題になった。若い才能が評価されることはとても嬉しいことだ。この『脱脱脱脱17』は、17歳のときからある事情で高校を卒業できないまま34歳になった男(ノブオ)と同級生の少女をめぐるドラマである。ノブオはなぜ20年近くも高校生のままなのか? そして彼はその状態を「脱出」することができるのだろうか? この映画のことを、知人の評論家中森明夫氏から聞いたときに、まっさきに思い出したのは、「失われた20年」といわれた日本経済の状況だ。日本経済は90年代から2012年頃まで長期の経済停滞を経験した。特に97年の経済危機以降は、本格的なデフレ(物価の継続的な下落)に陥り、日本は「デフレ不況」と称される状態になってしまった。1998年1月生まれの松本監督はいわば、デフレ不況=失われた20年の中で生まれ育ったといえるだろう。映画の主人公のように、日本は「デフレ不況」という状態から脱出することができないまま、年齢を重ねて(少子高齢化して)いった。『脱脱脱脱17』は、そんな日本が長くおかれた状態の比喩としてみることも可能かもしれない。 ところで安倍晋三氏が2012年秋の自民党総裁選で勝利して以降、「デフレ不況」脱出を意図したリフレ政策を採用してきた。「リフレ」というのは、デフレを脱し前年比2%程度の物価水準を目標にすることで、経済の活性化(雇用や経済成長の安定化)を実現する政策のことである。世に言う「アベノミクス」とはこのリフレ政策を核にするものだ。 早稲田大学教授の若田部昌澄氏は、「政権交代の起こった2012年10-12月期と、(消費税増税の駆け込み需要が発生した2014年1-3月期の直前である)2013年10-12月期までの実質GDP(名目GDPから物価上昇分を差し引いたもの)を比べると、2.6%の成長を果たし」、リーマンショック以前の実質GDPの水準に戻ったと指摘している(『ネオアベノミクスの論点』PHP新書、36頁)。つまりアベノミクスは消費税増税の影響が表れる前までは、経済の活性化に威力を発揮したことに疑いがなかった。国際金融経済分析会合(第1回)であいさつするスティグリッツ教授(左)。右は日銀の黒田東彦総裁=3月16日午前、首相官邸(斎藤良雄撮影) またしばしば「アベノミクスはトリクルダウン理論に依存している政策だ」という批判を目にする。この「トリクルダウン理論」というのは、富裕層や大企業が(アベノミクスの成果である)株高や円安によって儲けることで、その「おこぼれ」が所得中間層から下位層に滴り落ちてくることで経済拡大を目指すという考え方だ。ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・スティグリッツ氏(コロンビア大教授)は、このトリクルダウン理論を「新自由主義」や「市場原理主義」に基づく間違った政策だとして徹底的に批判している。スティグリッツ氏によれば、トリクルダウン政策を実施しても、実際には富裕層からの「滴り」は生じておらず、富裕層や大企業のみがますます富み、それ以外の者たちはより貧しくなることで経済格差が深刻になると非難している。日本のアベノミクス批判者たちは、アベノミクス(リフレ政策)を、この起こりもしないトリクルダウン効果に依存した、経済格差を拡大してしまう危険な政策だとみなしている。「リフレ政策では経済を活性化できない」批判に応える だが、先ほどのアベノミクス発動最初の一年の実績(2.6%の高い成長)の中身をみてみると、アベノミクスはトリクルダウン理論とは大きく異なる性格をもっている。まず日本銀行が2%のインフレ目標の実現をめざし、大規模な量的緩和政策を採用したことによって急速に円安、株高が進行した(実際には安倍政権が確実視された12年秋から円安・株高は本格化していた)。また公共事業中心の大規模な財政政策も機動した。この金融政策と財政政策の本格的な拡大政策によって、日本経済は目覚ましく好転していった。 特に経済を引っ張ったのは、金融政策がもたらした株高や円安による「資産効果」である。12年11月から13年終わりにかけて日経平均株価は約70%の増加、為替レートは対ドルで25%ほど円安が進んでいた。株高と円安は人々の保有する金融資産を増加させ、消費を刺激した。2012年10-12月期から13年10-12月期までの一年間の高い成長は、この消費増加と、財政政策による公共投資の増加、円安による輸出増加(ただし輸入も増加しているので効果は限定的)によって牽引された。また設備投資も堅調な動きだった。資産効果はもちろん株などを保有している所得階層でも上位の人たちに顕著に表れている。ここだけ見ると、スティグリッツ氏の批判したトリクルダウン効果とまったく同じである。だが、アベノミクスを評価するときに、なぜか批判者たちが見落としているのが、雇用状況の改善である。2012年10-12月期から雇用状況も好転していく。一般に雇用は経済の実態を遅く反映するとされているが、今回は雇用の改善スピードも速かった。 企業など労働の需要側が、将来に対する展望を改善することで、積極的に雇用を増加させていった。実際に完全失業率は政権交代期では4%真ん中だったものが、一年後では3%半ばまで減少した。また有効求人倍率も大幅に改善した(2割程度の改善)。この雇用状況の改善は現在まで持続的に続いている。特に不況の中で職探し自体を断念していた人たち(パートやアルバイトを探していた主婦層等や、再雇用先を求めていた高齢者)が、消費増税の効果が表れるまでは、雇用回復の主役であった。また学卒者の雇用状況も大幅に改善している。つまり労働市場で金銭的な待遇面(経済的勢力という)や社会的な評価(経済外的勢力という)で不利な立場におかれやすい、雇用弱者の立場が真っ先に大幅改善したのが、アベノミクス最初の一年の成果であった。雇用の改善は、もちろん経済成長の成果でもあるし、また同時に経済成長自体を底支えする基盤でもある。 まとめると、アベノミクスは経済を上からも下からも両方で改善し、それが消費増税の効果が顕著になる2014年1月までの高い経済成長をもたらしたといえるのである。そのため、トリクルダウン理論に手厳しいスティグリッツ氏ではあるが、アベノミクスの基本的な方向性には高い評価を与えている。 なぜここまで(消費増税の効果が現れるまでの)アベノミクスの成果を事細かに解説したかというと、「リフレ政策の支持者は、消費増税の悪影響を強調するが、アベノミクス=リフレ政策にはたして経済を活性化する能力があったのだろうか」という批判をしばしば目にするからである。それに対する答えはいま解説したように、「とてもあった」というのが答えである。そして拡張的な金融・財政政策の両輪からなるアベノミクス(=リフレ政策)がそのまま継続していけば、経済成長は安定化し、いまだに堅調な雇用状況はさらに改善しただろう(例えば名目賃金の大幅改善・実質賃金の増加、完全失業率の2%台への低下、正規雇用増加の本格化、ブラック企業の淘汰の一層の加速など)。「商品券ばらまき」では解決にならない このリフレ政策に大きくブレーキをかけ、2014年の経済成長率をマイナスにおとしいれ、さらに15年も(推測だが)0%程度でしかない低成長に落とし込んだのが、消費の低迷、その原因としての14年4月からの消費増税の影響である。片岡剛士氏(三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済・社会政策部主任研究員)は、2014年4月以降、家計消費はL字型に大きく落ち込み、そのまま回復せずに消費は低迷したままだと指摘している。そして消費の落ち込みが、この二年余りの経済低迷の主因でもある。しかも片岡氏は、2015年秋以降は、さらに家計消費は落ち込みはじめ、「消費の底割れ」が見られるという(「消費低迷の特効薬」を考える http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/kataoka/column/kataoka160304)。リーマン・ショック級のような出来事が起らなければ、消費再増税を明言している安倍首相(斎藤良雄撮影) この「消費の底割れ」の原因は、それまでの消費増税によるL字型への消費落ち込みの継続に加えて、15年7月から顕在化した世界同時株安による資産効果の縮減が大きく寄与しているだろう。また現状では堅調なままの(ただし改善の余地は前述したように大きくある)雇用状況も、経済低迷が今後も続き、また中国経済の減速など国際環境の変化などを踏まえると悪化の可能性が否定できない。まさに日本経済は再び「失われた20年」に逆戻りする瀬戸際に立っているだろう。そしてこの状況は、政策サイドが何もしないでは悪化することはあれ、改善することはない。 特に来年度に予定されている消費税の10%への再引き上げは、日本経済の息の根をとめかねないインパクトをもたらすだろう。政府の「国際金融経済分析会合」に招かれたスティグリッツ氏や、ポール・クルーグマン氏(ニューヨーク市立大学大学院教授、ノーベル経済学賞受賞者)は口をそろえて、安倍首相らに消費増税の先送り(スキップ)を提言している。と同時に、消費増税(財政緊縮)ではなく、いまの日本の状況では財政拡大こそが望まれるとしている。もちろん金融緩和の継続、そして追加緩和も早急に必要とされるだろう。 最近の政府首脳サイドの発言をみると、消費増税のスキップをするハードルが徐々に引き下がっている印象がある。安倍首相は以前はリーマンショック並みの経済危機がないかぎり再増税を行うとしたが、最近では菅官房長官の発言では税収低下や株価下落などが再増税見送りのシグナルになっている。世論調査をみても、消費税再増税見送りを支持する意見は圧倒的多数だ。むしろ、安倍政権が再増税すること自体が、サプライズともいえる状況が生まれつつあるといえるだろう。 だが、仮に消費再増税が再び先送りになったとしてもそれは経済状況の確実な破たんを回避しただけであって、現状の消費低迷、経済低迷を治す処方箋ではない。消費低迷の原因が、消費増税なのだから、抜本的な政策は「消費減税」であるはずだ。望まれる消費減税の幅は3%だろう。最近では、財務省の支配下にあるといっていい経済財政諮問会議から若年層向けの商品券をばらまく政策が、消費低迷の対策として提起されてきている。だが、この政策の効果はきわめて限定的だ。なぜなら消費の低迷が持続しているのは、消費増税が持続的な悪影響をもっているからである。その持続的な効果を打ち消すのに、一時的(単年度)の商品券ばらまき政策はほとんど効果をもたないだろう。同じことが一時的な給付金や減税政策にもいえる。 現状の日本経済を救済できるのは、継続的な効果のある財政政策(最善は3%の消費減税、次善の策としては持続的な(複数年度にまたがる)減税と給付金政策)と、さらなる追加緩和政策(最善はインフレ目標の引き上げ、名目国民所得ターゲット政策の採用)である。 政策の舞台は、消費増税のスキップは当然(仮にすれば日本経済は再び大停滞へ、安倍政権は終焉、続く政権も短命化必至)で、むしろ消費減税にその力点は移りつつあるといえるだろう。

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    モラルをなくしたプロ野球 諸悪の根源は高校野球にもある

     選抜高校野球選手権の開会式、21世紀枠で選ばれた香川・小豆島高の樋本尚也主将が選手宣誓をした。いつもは宣誓の文言やその声などに注目が集まるが、今回は野球帽を取った樋本主将の長髪に目が行った視聴者が多かったのではないだろうか。 高校球児といえば「丸刈り」が半ば常識だが、小豆島ナインは樋本主将だけでなく多くが長髪だった。スポーツ刈りよりもっと長い、ごく平均的な小中学生男子の髪の長さくらいの長さだった。故郷や母校への思いを込めた宣誓をする小豆島高の樋本尚也主将 =3月20日、甲子園球場(代表撮影) 樋本主将は、来年新たに統合されて現在の高校が消えることから、「当たり前にある日常のありがたさを胸に、僕たちはグラウンドに立ちます」と語った。 その言葉は、彼の長髪と相まって、現在の野球界が真っ直ぐ直視すべき、重要な示唆に富んでいると私には感じられた。 プロ野球が揺れている。野球賭博の発覚を契機に選手たちのモラルや基本的な日常が問われている。その温床は高校野球にもある。 まずは長髪から話を進めよう。「甲子園に出るのに、丸刈りでなくてもよかったんだ」 樋本主将を見て、そう思った人は少なくないだろう。甲子園出場規定に「丸刈り」はない。それなのに、大半の球児たちは丸刈りで登場する。 高校野球に身を投じると決めた時点で「髪を切る」のは当然の宿命であり、決断のようになっている。それが嫌で野球を辞める少年たちも少なからずいる。「強豪」と呼ばれる中学野球のチームもミニ高校野球のような雰囲気で、丸刈りを強制しているチームも少なくない。 その点を直視してもすでに「当たり前の日常」から逸脱しているのではないかと思う。野球が「特別な道」になり、当たり前の社会感覚とずれていく。ずれているのに、それが優越意識となり、本人たちはいわゆるエリートとは別の野球エリート意識を心の中にふくらませていく。 「甲子園を目指している」と言うだけで、どことなく誇らしく、周囲から賞賛されるような雰囲気もこれまではあった。それが実体の伴った誇りや自信につながればよいが、結局、モラルをなくし、野球賭博で処分を受けたプロ野球選手たちのように、日常や社会から「ずれた感覚」を大きく育ててしまう懸念もある。 長髪の球児が甲子園に登場するのは今回が初めてではない。私が高校1年生だった昭和47年夏、甲子園に出場してベスト8になった高松一高(香川)の選手たちが長髪で話題になった。私も仰天した記憶がある。それから少しずつ、丸刈りを見直す動きが広がり、スポーツ刈り程度の高校球児も増えていった。 調べてみると、朝日新聞と高野連が共同で行ったアンケートの数字が見つかった。それによると、平成10(1998)年には、丸刈りの高校野球部は31%しかなかった。ところが、15年には46%、20年には69%、25年には79%と増加傾向にあるのだ。ちょっと意外な数字だったが、このところ丸刈りがまた「常識化」していることを裏付ける数字でもある。 少し前、「丸刈りのアイドル」の出現もあって、丸刈りがファッションとして「クール」な印象を持ち始めたこととも関係があるのかもしれない。以前ほど「丸刈りは恥ずかしくない」「むしろカッコイイ」社会的イメージを追い風にして、丸刈りはまた半ば強制的な伝統として高校球界に復活していたのだ。高校野球の世界に残る「古き悪しき体質」 私は『カツラーの秘密』という著書もある、まさにカツラの人である。20代の半ばすぎにして髪が薄くなり、27歳にしてカツラを購入した薄毛人間だから、「人生で髪がふさふさ自然に生えていた期間は短かった。そのうちの3年間を丸刈りで過ごしたので、「なんともったいなかったか」と、これは半ば冗談だが、「髪は生えるうちに伸ばした方がいいぞ」と思っている。選抜高校野球 小豆島-釜石=2016年3月21日、 甲子園球場(二星昭子撮影) 高校野球の一番の問題点は、「本人の意志でないのに、やらされる」ところにあると感じている。規則ではないのに、拘束されていることが少なくない。それはすごくタチの悪い空気(環境)ではないだろうか。 例えば、日本高野連は、適度な休養が大切という観点から、週に一度を休みを取るようにと通達し、いまはどの高校も「練習は週6日」が徹底されている。ところが、本来休日であるはずの1日は、多くの高校で「自主練習」に充てられている。自主的だから個人の意志かといえばそうではなく、さっさと帰宅しようとすれば、「お前、帰るのか?」といった厳しい視線を浴びるチームもあると聞く。 かつて、定時に帰ることがはばかられていた日本の職場環境に似ている。ワークライフバランスの重要さが認識され、日本の職場も変わりつつあるが、大人たちの「古き悪しき体質」が、高校野球の世界では根強く残っている。丸刈りもそのひとつである。選抜高校野球 釜石に敗れ、ベンチ前で一礼する小豆島ナイン =2016年3月21日、甲子園球場(共同) 丸刈りにする時点で、監督に絶対服従を誓う意志表明のように思えてならないのは気のせいか。野球をするのに、監督に服従を誓う必要はない。監督の指示通り動き、サインに忠実に従うことは、むしろ弊害があると私は感じている。 走者もいないのに、打席からベンチを振り返り、一球一球、監督の指示を仰ぐ選手を異様だと感じるのはむしろ少数派かもしれないが、仮にも「高校野球」、つまり高校生が主役であるべき部活動の舞台で、大人たちの駆け引きで勝負が決まり、大人たちが社会的名声を得るための場になってはないないか。丸刈りは、その根本ともつながっている。 あらゆる場面で最適な判断を瞬時に行い、最高のプレーをする。それが野球の面白さだし、それを育むところに野球が人間形成につながる素晴らしさがある。高校野球は指示に従い、忠実な歯車になることを求める傾向が強い。精神的に丸刈りを強制することは、すでに個人の自由な意志や発想を束縛し、制約している。「ひとりはチームのために、チームはひとりのためにというバランスが、基本的に崩れてはいないだろうか。

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    韓国経済、「失われた20年」への招待状

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 先日、韓国の公営放送KBSから取材をうけた。題材は「韓国経済は日本と同じように失われた20年に陥るのだろうか」というものだった。私の答えは明瞭で、このままの政策を続ければ確実にイエスであった。 2015年の経済成長率は、政府の目標成長率である3.1%を下回る2.6%であり、朴槿恵政権が発足してからの平均成長率は2.9%と過去の政権の中でも低レベルな成果しかあげていない。98年のアジア経済危機以降では、歴代政権の中で最低の平均成長率だともしばしば批判されている。 また経済の減速は、実感レベルでは特に顕著であり、「ヘル朝鮮」(地獄のような韓国)という流行語までも生み出している。実際に失業率は3.6%だが、若年層の失業率は過去最高の9.2%にまで達している。どの経済でもある程度共通しているが、新卒などの若者、主婦層などの女性、高齢者などは、労働市場での交渉力が弱く、また社会的評価(経済外的勢力という)が低いために、不利な雇用環境に直面しやすい。韓国でも経済失速の重しが、雇用弱者である若者層に強くのしかかっている。また職を探しても見つからないので断念してしまう、「求職意欲喪失者」も増加している。韓国の真の失業率は、「求職意欲喪失者」などを含めると二けた近いだろう。働く能力が著しく低い社員を企業が解雇できるという政府の方針に抗議し集会を開く労組員ら=1月25日、韓国・ソウル(共同) 経済評論家の上念司は、ニールセン(米国の調査会社)の公表した消費者信頼感指数を利用して、韓国の景気停滞への実感は、ちょうど日本でいえば東日本大震災と長期不況が重なった2011、12年頃に該当するだろうと指摘している。また韓国の四大財閥が擁する企業群も不振であり、サムスン電子、現代自動車、LG電子などの主要企業の減益が顕著である。 このような経済の停滞をうけて、韓国では「日本化」(90年代後半からの20年に及ぶ経済停滞=失われた20年)を警戒する論調が盛んになっている。また韓国の朴大統領をはじめとする政策当事者、経済学者やエコノミストたち主流派の意見は、この韓国の経済低迷の主因を「構造的要因」に求めているのが一般的だ。 例えば、韓国銀行(中央銀行)が公表した論文では、韓国が21世紀になってから次第に低成長に移行していく過程を、全要素生産性の低下として解説している。全要素生産性とは、ある国が一定の資本や労働の下でどれだけ効率的に財やサービスを生み出すことができるかを示す指標である(生産性パラメーター、効率性パラメーターなどともいう)。日本とダブり始めた低迷原因の仮説 全要素生産性が低下しているということは、人間の体でたとえると肉体の節々に老廃物がたまり、次第に疲労が募り、十分に自分の体を動かすことができなくなることに似ている。韓国での主流の意見は、この老廃物がたまりやすいのは、生活習慣のため(構造的問題)であり、これを徹底的に鍛え直すことが重要だというものだ。日本でも「失われた20年」で一貫して唱え続けられてきた「構造問題仮説」の韓国版である。この構造問題仮説は、例えば韓国の代表的企業がグローバル経済に対応できなくなり、旧来型の産業構造が温存されているためだとする「グローバル構造不況説」、または韓国の消費者たちが新しいイノベーションを伴った製品が現れないために飽きてしまったとする「消費飽和説」などとして、政策レベルで議論されている。日本でいうと、小泉純一郎政権発足間もないころに標語になっていた「構造改革なくして景気回復なし」と同じ議論である。そして小泉政権の時もそうだったが、韓国経済の最近の低迷もまた構造問題説でとらえるのは端的に間違いである。 一国の経済は総供給(財やサービスの生産側)と総需要(財やサービスを実際に求める側)とに分けて考えるのが妥当である。いまの韓国経済の状況は、総需要(消費、投資、政府支出、純輸出)が不足している状況が継続している。先ほどの構造問題というのは、すべて生産する側をいかに効率化するかという問題である。総需要不足が問題の核心であるならば、いくら生産する側を効率化しても事態は改善しない。例えば売上げ不振に悩む企業がそのためにリストラをして生産の効率化をすすめれば、当然に解雇された人たちの所得は大幅に減少する。そのためその人たちの消費が低下し、それはまた企業の売上に響いてくるだろう。 朴大統領自身もしばしば韓国の労働市場の「構造改革」をすすめることを今般の停滞の打開策のひとつとしている。先ほどの若年層の失業率の急上昇を抑制するために、賃金ピーク制の導入を進めたい考えだ。韓国では60歳以上の定年延長が義務化され、これに対応して延長された年限に応じて賃金を下方調整していく仕組みである。これで企業側の若い労働者の採用コストを低めようという狙いだ。しかしこのような構造改革では経済停滞は脱出できない。 総需要不足に原因があるのは、実は上記した一連の経済データから明らかである。朴政権になってからの経済成長率の低下、失業率の累増、そして加えるにデフレ突入を懸念されるインフレ率の低下といった現象を同時に説明できるのは、総需要不足でしかありえないからだ(詳細は、野口旭・田中秀臣『構造改革論の誤解』東洋経済新報社参照)。実際にOECDの統計では、2012年度以降、総供給(潜在GDP)と総需要の開きは拡大する一方である。 実は日本でも90年代から、経済成長率の低迷、失業率の高止まり、低インフレからデフレへの長期継続といった現象が観測されてきた。消費や投資など総需要不足が原因なのは疑いなかった。だが、政策の現場やマスコミなどでは構造問題仮説が主流であり、そのため経済の無駄をなくせの大合唱のもと、構造改革が推し進められてきた。このことは単に政策のミスマッチでしかない。このミスマッチを解消する方向に政策の舵を切られたのが、第二次安倍晋三政権、つまりアベノミクス採用後である。朴政権と韓国銀行に蔓延している間違った政策観 なんで「失われた20年」にも及ぶほど、日本は正しい経済政策をとりえなかったのだろうか。簡単にいうとそれは財務省・日本銀行が政策のミスを認めたくなかったこと、そしてそれに事実上の支援を続けた日本の政治家たちに原因がある。 同じことがいまの韓国経済にもいえる。問題の本質は総需要不足にあるならば、構造改革は問題解決になりえないどころか、解決を遅らせるだけ害をもたらす政策思想である(既得観念ともいう)。中国経済の景気後退は韓国の輸出に大きなダメージを与え、それはまた韓国の総需要を低下させる。また昨年のMERS(中東呼吸器症候群)による売り上げや観光客減少などももちろん無視することはできない。しかしチャイナショックもMERSショックもたかだか昨年からの出来事であり、ここ数年も続く低迷を説明することは困難である。経済分野の会議で声を張り上げ不満を爆発させた韓国の朴槿恵大統領=2月24日、ソウルの青瓦台(聯合=共同) 例えば、韓国銀行はインフレ目標政策(3%±1%)を採用しているが、朴政権誕生後、そこから逸脱し、デフレが懸念される状況を放置している。度重なる金利低下を韓国銀行は採用をしているが、日本がアベノミクス下で行った大胆な金融緩和で目標インフレ率の回復を目指すという意思に乏しい。事実上の“非”緩和スタンスのため、為替レート市場では一貫してウォン高が進行している。これが韓国の代表的な企業の「国際競争力」を著しく低下させていることは疑いない。 では、なぜ韓国は大胆な金融緩和政策を採用することができないのか? それは大胆な金融緩和を行えば、一挙にウォン安が加速する。そうなるとウォン建ての資産の魅力が急減し、海外の投資家たちが韓国市場からひきあげてしまい、株価などが大幅に下落することを、政府と中央銀行が恐れている、というのが日本のいわゆるリフレ派論者の見方だ(代表的には、高橋洋一、上念司、片岡剛士ら)。もちろんいまの事態を放置してしまえば、緩やかに韓国は長期停滞に埋没していくだろう。それはアジア経済危機のときのような劇的なものではなく、日本がかって体験したように持続的に緩やかに経済がダメになっていくのである。 日本の論者には、韓国が大胆な金融緩和政策を行えないのは、日韓スワップ協定などで潤沢なドル資金を韓国に融通する枠組みに欠けているからだという指摘もある。たしかにその側面はあるかもしれないが、私見ではより深刻なのは、朴政権と韓国銀行に蔓延している間違った政策観(既得観念による構造問題仮説)である。この既得観念が政策当事者を拘束しているかぎり、韓国経済に「失われた20年」の招待状が届く日は目前である。

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    なぜポスト澤と期待された岩渕真奈がいまもスーパーサブなのか?

     なでしこジャパンがリオ五輪の出場権を獲得できなかった。 誰がこの事態を想像しただろう? 多くの日本人が、なでしこジャパンは間違いなくアジア予選でリオ五輪出場権を手にすると思い込んでいたに違いない。もし案じていた人がいたとすれば、それは内情に詳しい関係者か当事者などごく一部だろう。女子サッカー・リオ五輪アジア最終予選 日本対オーストラリア  大儀見優季(左から2人目)らと話す日本・宮間あや(左端)ら =大阪・キンチョウスタジアム 2月29日 現実は厳しかった。初戦でオーストラリアに敗れ、続く韓国戦にも引き分けて暗雲が広がった。第三戦、勝つしかない中国戦で先制を許し、懸命に反撃するも突き放されて1対2で敗れたとき、五輪出場の望みはほとんど断たれた。ベトナムには6対1と大勝したが、その試合が始まる前、中国が韓国に勝った時点で完全にリオ五輪出場の可能性は消えていた。 敗北の最も大きな要因は、「チームの一体感の欠如」との指摘が大勢だ。サッカーは言うまでもなく、個々の力の足し算でなく、チームとしての化学反応が巻き起こった結果の「総合力」や「勢い」つまりは「プラスアルファのチーム力」だ。これをどう起こすかは、監督、中心選手のリーダーシップと信頼感、さらには時勢の運なども大きく左右する。5年前のW杯では、しばしば「奇跡」の言葉が使われたように、驚異的な「粘り」と「執念」がなでしこジャパンを世界の頂点に押し上げた。 東日本大震災で被災した日本に、なでしこジャパンの勝利が希望の光をもたらした。そのような社会的背景もあのときはあった。まさに「プラスアルファの力」があっての勝利だった。 今回は、監督と選手の信頼感の欠如、中心選手と若手選手の溝が指摘されている。 大会後の報道を見ると、2012年のロンドン五輪で銀メダルを獲得したころから、佐々木則夫監督となでしこジャパンのメンバーたちの間には冷たい風が吹き始めていたという。実績的な意味でも「子ども扱い」が失礼でなかったなでしこたちが、2011年のドイツW杯優勝でいっぱしの「大人」になり、ロンドン五輪銀メダル獲得でさらに「超一流選手」のような存在になった。世間的には、佐々木監督の評価も急上昇し、2011年度のFAFA年間表彰式で、アジア人初のFIFA女子世界年間最優秀監督賞に選ばれた。だが、選手と監督の間の距離はW杯優勝前とはずいぶん変わってしまっていたようだ。 変わったといえば、選手たちの意識も変わっていなかっただろうか? 5年前、「日本中に勇気を与えたい」と言い続けた、そして勝った。メディアの大半は、「なでしこ、勇気をくれてありがとう」と表現したが、私は「被災し、光を切望する日本中がなでしこに力を与えたのではないか」と感じていた。なでしこたちはどう感じていたのか? 世界での快進撃が続き、いつしかそのような感謝は忘れ、「競技者として一流である」という、そちらの意識ばかりが高まってはいなかったか。澤の後継者として期待された岩渕真奈 私は、マスメディアがあまり報じない、もうひとつの側面からなでしこジャパンの課題を指摘したい。澤穂希(左)と話す岩渕真奈=カナダ・エドモントン=2015年6月 撮影・岡田亮二 岩渕真奈は、2011年のW杯ドイツ大会の前、「今回は岩渕の大会になるだろう」との声があったほど評価と期待が高かった。当時まだ17歳の女子高生。女メッシと呼ばれたドリブルの鋭さは、2010年のU-20 W杯で世界の賞賛を浴びた。チームは予選で敗退したが、大会MVP候補10人のひとりに選ばれたことが衝撃の高さを物語っている。“リトルマナ”は、世界の女子サッカー関係者やファンの多くが知る存在となった。 A代表に選ばれて2試合目の中国戦で早くも得点を決めるなど、岩渕真奈の勢いは素晴らしく、順風満帆なサッカー人生に見えた。すぐにでも先輩・澤の後継者になりうると多くの人たちが期待をふくらませた。ところが、ドイツ大会は、「なでしこジャパンの大会」にはなったが、岩渕は精細を欠き、なでしこフィーバーの輪の中にさえいないような感じだった。私は当時、『武蔵野スポーツ新聞』という、武蔵野市を中心とする地域新聞を主宰し発行していた。 岩渕真奈は中学時代からその新聞で最も注目に値する地域のヒロインだった。当然、編集部でインタビューもさせてもらっている。岩渕真奈が幼いころ、やはりサッカー選手であるお兄ちゃんとサッカーボールを蹴って遊んだ公園は、私の自宅のすぐ近く。私が息子とキャッチボールをしていた思い出深い公園だから、身近な縁を感じ、岩渕真奈に肉親のような思いを寄せてドイツW杯を見ていた。その目には、なんとも岩渕の表情は物哀しく、優勝の喜びと似つかわない翳りを感じさせた。大会中に岩渕真奈がどんな葛藤、どんな切なさと直面していたのか。気になった。 岩渕自身、そのことを詳しく語っていない。インターネットを検索すれば、ファンの推測にすぎないけれど、チーム内で精神的なストレスがあったことを感じさせる書き込みがすぐに見つかる。女子のスポーツの集団には、男子の先輩後輩関係とはまた別の難しさがあるとしばしば聞かされる。金メダルを取るほどの最高レベルのチームで、才能をつぶすような低次元な行為があったと思いたくないが、クリクリと輝いていた岩渕真奈の眼差しに翳りが宿っていたのは事実だ。 なでしこ敗退の要因のひとつに、「世代交代の遅れ」「澤の後継者の不在」が挙げられている。五輪やW杯を区切りに、4年ごとにチームを一新する流れからすれば、澤中心の時代は2011年で終焉を迎えていた。すでにあのとき、澤はピークを過ぎたと言われ、チームは澤中心からの脱却を図っていた。だからあと4年引っ張って2015年W杯を宮間、大儀見中心に戦ったとしても、2019年のW杯を見据えた2016年のなでしこジャパンはもはや「ポスト宮間、ポスト大儀見」を立てて戦うのが当然の流れだったろう。実績を残したベテランたちがなでしこジャパンの一員であり続けることに異論はない。だが、中心は次の世代に譲る、新しい中核を育てる方針を採るのが自然ではなかったか。 それが、なぜできなかったのか? 負けるといろいろな現実が報じられる。澤不在の穴は、「プレーよりもチームをまとめる上で大きかった」との報道が多い。宮間、大儀見、大野らの世代と、彼女たちより若い世代の溝が大きく、「その間に入ってチームの潤滑油になれるのは澤しかいなかった」と。なでしこたちは、金メダル、銀メダルという栄光を手にし、日本に栄誉と感動をもたらした。だが、その内側で、もっと大事なことをおろそかにしていたとすれば、その波紋はまた大きい。 2011年のドイツW杯優勝で得たものは大きかった。だが、失ったものも一方で大きかった……。それが形になって表れたのが今回の予選だとすれば、監督交代や戦術分析、選手選考にとどまらない、もっと本質的な課題があるということだ。協会内部ではそのような課題を明らかにし、今後の指導、運営に厳しく生かしてもらいたいと願う。そうでなければ、女子サッカーという競技そのものが、スポーツの悪しき側面を残し、全国に暗い影を広げる温床になりかねない。

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    沖縄や徳島にも球団が誕生? 「プロ野球16球団拡大」のXデー

     2月15日の衆議院予算委員会で「プロ野球16球団構想」についての質疑応答があった。 まずは日刊スポーツの報道を引用して紹介しよう。 自民党の後藤田正晴衆院議員は15日の衆院予算委員会で、プロ野球を現在の12球団から「16球団」に増やす構想に触れた上で、政府がどう対応するか、覚悟をただした。安倍晋三首相、石破茂地方創生担当相、石原伸晃経済再生担当相、高市早苗総務相の名前を挙げ、「4人が(推進すると)言えば、NPB(日本プロ野球機構)も分かった、というと思いますよ」と、迫った。 後藤田氏は、地元の徳島県や南九州、沖縄県にプロ球団がないとした上で、「今までのプロ野球は、企業の宣伝みたい(な役割)だった。そうではなく、地方再生と同じパターンで、(地方に球団が)できたら盛り上がると思う」と、提案。サッカーのJリーグでは、チーム数がプロ野球より多いことも指摘した。 これに対して石破氏は、「球団が増えれば若い人たちに競争の機会を与えられる。楽天みたいに地域活性化にもつながる」とした上で、「官がものを言うことはなく、民が主導することになるが、ご指摘を踏まえて、政府としても検討する」と応じ、前向きに検討する考えを示した。 これに対する世間やメディアの反応は案外、冷ややかだった。 「えっ、プロ野球が16球団に増えるの!」といった無邪気な歓声はほとんど聞こえて来なかった。それが私には不思議に思えた。 「16球団構想」は2年前、自民党の日本経済再生本部(本部長・高市早苗政調会長)による「日本再生ビジョン」の安倍晋三首相への提言の中に盛り込まれたことに端を発している。アベノミクスに沿って、「プロ野球市場の拡大を通じての地域活性化」を狙う提言だった。ところが、この時もプロ野球関係者やメディアの反応は辛辣だった。 「現在の12球団のうち、黒字経営がいくつあるのか知っているのか」「4球団増やしたら何人の選手が必要か分かっているのかね」といった声が球界関係者から挙がっている」と報じたメディアもあった。 政治側からの一方的な提言は「筋違いだ」という理屈はあるが、上記の批判はまったく本末転倒の感が拭えない。2年経ったいまも、同じような反応で、世間の空気が動き出すことはどうやらなかった。肝心なプロ野球側、その周辺にいるメディアまでが、16球団構想を冷笑し、阻止する方向に舵を切っている。大手新聞の中には、このニュース自体を黙殺して報じなかった会社もあるという。 私は、別の機会に「プロ野球存在の意義と使命」を明快に共有する必要を前提にした上で、「プロ野球16球団構想」を歓迎する立場で今回の原稿を進める。 野茂英雄投手がMLBに挑戦した当時、MLB全体の売上げは年間約1200億円程度で、日本のNPBの売上げ約1200億円とほとんど同じビジネス規模だったと言われる。ところが、大リーグ選手会が長期ストライキを決行し、野球に対する冷ややかな空気が全米に広がったことに危機感を覚えたMLBは、結束して新たなビジネス構築に動き出した。その結果、この約20年でMLBは売上げを約6倍に伸ばし、いまも健全な成長産業として発展を続けている。一方、日本のNPBは相変わらず約1200億円の規模にとどまり続けている。メジャーリーグに学んだ楽天、DeNA 前記の「12球団の中に黒字球団がいくつあるのか知っているのか」はその通りで、「多くの球団が親会社の広告宣伝効果に対して補填を受け、経営している実態がずっと続いていた」との指摘は常識化している。そもそも、その体質こそが問題であって、球団が独立採算で利益を上げる方向に転換しなければ企業としての発展はない。以前からその方針を貫いているのが広島カープだ。広島は、マツダ(東洋工業)はスポンサーであって親会社ではない。そのため「貧乏球団」などと揶揄されることも多かったが、本当はプロ野球経営の王道を歩み続けてきたといってもいい。いまその流れを追従し、メジャーリーグ球団の経営に学び、新たな方向性を模索し始めているのが、楽天、横浜DeNAなどの新しく参入した球団だ。 このオフ、横浜DeNAが横浜スタジアムを買収したことが話題になった。あれは、球団経営にとって核心にも通じる大きな変革だ。なぜなら、球団が期待できる最も大きな収入源のひとつが、スタジアムでの販売事業だからだ。チームや選手のオリジナルグッズを初めとするお土産品、お弁当やお酒・ソフトドリンクなどの飲食売上げは、莫大だ。球団がスタジアムを持っていなければ、これら収入は球場側に入って、球団は一部をパーセンテージで受け取るにとどまる。これまで、それを放っておく球団があったこと自体が、ビジネスの観点からいえば不思議と言える。それも、「どうせ親会社が補填してくれる」という暢気な発想が底流にあったからだろう。 最近、巨人が新たな球場を建設するらしいとの噂が一部でささやかれている。東京ドームの耐用年数の問題があるからだと言われるが、同時に、上記の問題にも通じる。東京ドームは巨人軍と別の会社だ。つまり、人気球団であり、球界の盟主を自認する巨人軍でさえ、経営の中核に置くべき球場での販売収益を他社に大盤振る舞いしている。 このような経営の隙は他にいくつも例を挙げることができる。それほど、球団経営は大らかに行われてきた。その点を改善し、プロ野球の経営をもっとビッグスケールに変革しようと動き出せば、いくらでも増収増益、スケールアップの可能性はある。 サッカーのJリーグが、現にJ1、J2さらにはJ3まで組織している。Jリーグの各チームがいずれも健全な収益を確立しているとは言えないが、旗を立て、それぞれが収益を目指し精進する先に繁栄の可能性がある。サッカーは着実に日本じゅうに種を蒔き、根を張りめぐらせている。野球はといえば、高校までは全国にチームがあるが、それ以上の年代になるとあとは草野球チームがあるだけで、自治体や地域と連動して発展を目指す本格的なチームはほとんどない。野球の未来が見えないのはある意味当然だ。プロ野球阪神宜野座キャンプ ファンにサインをする福留孝介外野手 =2016年2月22日、宜野座村野球場(撮影・松永渉平) 私は、J3やJFLのような組織が日本じゅうにもっと円滑にできておかしくないのは野球の方だと感じている。プロ野球16球団はもとより、さらに多くの傘下のチームが各都道府県にできたら、楽しいだろう。 プロ野球を16球団に増やすための本拠地は、日本海側の新潟または金沢、東海の静岡、四国のいずれかの県、南九州または沖縄県など候補はある。親会社に頼るのでなく、独自の会社を立ち上げ、地域の企業や自治体と強い絆を結んで経営する方向で進めば、プロ野球改革のみながら、日本の社会そのものを変革する一石にもなる。 最後に……。IT企業の参入もあり、またアメリカで経験を積んだフロントの人材台頭もあり、日本のプロ野球ビジネスの内部にも新しい発想を持つ人々は着実に育っている。ところが、「巨人の人気があればプロ野球は大丈夫」「巨人人気こそプロ野球発展の核心」と信じる旧態依然とした経営者、実力者の牙城がなかなか崩せず、プロ野球は停滞を続けている。忸怩たる思いをしているのは、実は改革を急務と感じているこれら当事者たちだろう。 侍ジャパンを支える会社を独自に立ち上げたことなどは、せめてもの抵抗というか、現勢力下でできるささやかな一歩なのだと感じている。すでに水面下では、プロ野球改革の構想は多くの人々がふくらませている。旧態依然とした態勢が変わるのは、大物実力者が引退する日であろう。このXデーに向けて、準備は進んでいるはずだ。そうでなければ、本当に日本のプロ野球の呼吸は止まりかねない。

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    「捕手には配球を任せない」ラミレス新監督による衝撃的な新方針

     プロ野球のキャンプも中盤をすぎ、まもなくオープン戦の季節に移ろうとしている。新監督の動き、新人選手の実力診断、松坂を含むMLBからの復帰組の調整具合、等々、見どころは尽きない。その中で、私がとくに興味を感じるひとつは、《キャッチャーをめぐる新しい潮流》だ。 そもそもまず、12球団を見渡して、「不動の正捕手」と呼ばれる存在がほとんどいない。かつてはどの球団にも絶対的な捕手がいて、スタメンには必ずその選手が名前を連ねていた。V9巨人には背番号27の森昌彦捕手(当時の名)がいた。南海には野村克也捕手。その野村監督が率いて黄金時代を築いたヤクルトには古田捕手がいた。ところが、最近は、よく言えば複数併用制になり、シーズンを通して「ひとりでホームベースを守り抜く」タイプの捕手がほとんど姿を消しつつある。投手の多様化に合わせて、特定の投手専門の捕手起用なども戦略として用いられる影響もあるが、どの捕手も決め手を欠くため、結果的に併用中心になっている感が拭えない。ブルペンで田口麗斗のボールを受ける阿部慎之助=沖縄県那覇市の奥武山運動公園(撮影・福島範和)、 2月16日  巨人・高橋由伸新監督は阿部の捕手復帰を決断した。阿部がかつてのように正捕手として毎試合、投手陣をリードする態勢が確立できれば、安定した戦いが期待できると見る向きは多い。だが、体調も考慮して一度は捕手から一塁にコンバートされた阿部が、期待どおり捕手として活躍できるかどうか、まだ不安もある。 そんな中、横浜DeNAのラミレス新監督の方針は、日本球界としては画期的で、注目を集めている。「捕手の負担を減らすため、捕手には配球を任せない。それはすべてベンチから指示を出し、捕手は配球を一切考えなくていい」と決めた。「配球を含め、投手をリードするのが捕手の最も大切な務めではないか」と思い込んでいた野球ファンにとっては、戸惑いを隠せないほど衝撃的な新方針ではないだろうか?捕手の最も大事な務めをベンチが奪い取る 名捕手の証明、イコール、好リード。好リード、イコール、巧みな配球というイメージが根強い。実際に捕手のリードは、投手との間の取り方、投手から見える捕手の雰囲気づくりなど、配球に限らない。だが、配球こそがその中核を成すと信じられてきた。その最も大事な務めをベンチが奪い取る。 それは決して、常識外れのことではない。データ分析の進むMLBでは、ベンチがサインを出すのは珍しくないという。捕手にはむしろ、捕手にしかできないプレー、つまり強肩で盗塁を阻止する、どんな投球も捕球する、ボテボテのゴロの処理、そして攻撃の際の強打を求める傾向も強い。プロ野球 DeNA春季キャンプ 紅白戦 ベンチで盛んにメモをとるアレックス・ラミレス監督(右) =沖縄・宜野湾市立野球場(撮影・荒木孝雄)、2月7日 かつて日本では、「捕手はデブでも鈍足でも構わない」というイメージがあった。ところが、最近の野球で「捕手の条件」といえば、「足が速いこと、動きが素早いこと」も重要になった。低めの落ちる変化球が多用されるようになって、捕手のすぐ前に転がるボテボテの打球が急増した。昔はそのような打球はあまりなかった。これを捕って一塁でアウトにできるのは、捕手以外にいない。投手では間に合わないからだ。そこで、捕手のすぐ前の打球に素早く対応することは、捕手の重要な役目のひとつとなった。そうなると、捕手が常に意識を向けるべき要素はますます多様になって、キャリアの浅い捕手は「配球まで余裕がない」、そのため、打撃面で低打率にあえぐ捕手も多く見られるなどの現実が実際にある。そこを解消するのがラミレス監督の狙いだろう。 果たして、それで選手は面白いのか、野球は面白くなるのか。 実は、日本の高校野球ではすでにこの方式は広く採用されている。どうしても負けられない、一発勝負のトーナメント戦を勝ち抜いて甲子園出場を目指す高校野球の監督たちの中には、配球のサインをベンチから自分で出している監督も少なくない。練習試合ではベンチで出し、捕手を指導するという監督もいるが、大事な試合になればなるほど、監督が捕手の配球を支配する例は強豪校にはよく見受けられる。日本野球においては、この傾向が、プロ野球にも波及する形だ。果たして、それで若い捕手がのびのびとプレーし、投手によい影響を与えるのか、打撃で活躍する捕手が増えるのか、チームの成績は上昇するのか。また、捕手はやりがいをもって伸びるのか? オープン戦からここを注目し、シーズンを通して、目を配って見るポイントといえるのではないだろうか。

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    なぜ日本出身力士は10年間も優勝できなかったのか

     大相撲一月場所で大関・琴奨菊が初優勝を飾った。10年ぶりの「日本出身力士」の優勝とあって、久々に日本中がお祭りムードに沸いた。 今場所は幕内だけでなく、十両、幕下、三段目、序二段、序の口まで含め、全段で日本人力士が優勝した。平成15年7月(名古屋)場所以来、12年半ぶりという、もうひとつの快挙も果たされた。 それにしても、なぜ10年もの間、日本出身力士が優勝できなかったのか? それを変える努力はあったのか? 平成18年1月場所で大関・栃東が優勝して以来、日本出身力士の優勝は久しくなかった。この間59場所、優勝杯を胸に抱いたのは圧倒的にモンゴル勢で計56回。他に琴欧洲、把瑠都が1回ずつ。モンゴル勢の内訳は、朝青龍9回、白鵬36回、日馬富士7回、鶴竜2回、旭天鵬1回、照ノ富士1回。全部足して58にしかならないのは、途中、八百長疑惑による開催中止がひと場所あるからだ。豪栄道を破り、日本出身力士として10年ぶりに優勝を果たした大関、琴奨菊=1月24日、東京・両国国技館 この内訳を見れば、「日本人力士が優勝できなかった」最大の理由のひとつは「白鵬がいた」「白鵬の全盛時代だった」ことが挙げられる。それにしても、その白鵬を止めた力士もまたモンゴル勢だったことは、古くから相撲に親しみ、日本人力士が中心となって展開する大相撲を望むファンには忸怩たるものだった。 それにしてもなぜ、日本人力士はこれほど長い間、賜杯を胸に抱けなかったのか。 素質のある人材が角界に身を投じない、という現実が第一の理由だろう。かつて、身体の大きな少年は、有無を言わさず相撲部屋が誘っていったような歴史がある。周囲もまた、彼らの角界入りを当然のように思い、背中を押した。いまはそういう世間の雰囲気は失われている。それは、相撲界に対する理解が変わっていること、少年たちにとって相撲が魅力的に見えないからだろう。若貴人気(若乃花、貴乃花)で相撲界が賑わっていたころ、日本人入門者の数は多かった。ところが、若貴が何かとスキャンダラスな話題を提供し、相撲の社会的イメージが低下するのと呼応するように、日本の少年たちは相撲界に目を向けなくなった。野球だけでなく、サッカーの人気上昇と定着がある。さらに、オリンピックへの関心がますます高まる傾向があって、五輪種目でない競技が新しい競技者の獲得ができにくくなっている。そうした世相の中で、ふんどしひとつで土俵にあがる気恥ずかしさもあってだろう、相撲は「憧れ」の対象ではほとんどなくなっている。 野球界では、親子でキャッチボールをしたことのない父子が増えていると嘆かれている。これが野球人口の減少に影響を与えている可能性は大いにある。同じように、父親と相撲を取ったことのない子どもも増えている。すでに、父子で相撲をした経験のない世代が父親になっている。 いきなり報酬の話を持ち出すのは恐縮だが、相撲界は、決して待遇の悪い世界ではない。力士は相撲協会から毎月お給料をもらっている。その他に場所手当などあり、横綱の基礎収入は、年間3300万円以上といわれる。大関で約2800万円、三役になれば約二千万円。優勝賞金は幕内で一千万円。そのほかに、取り組みごとの懸賞金がある。力士は、給料をもらった上に、一番ごとに賞金が稼げるのだ。勝負の後、土俵上でもらう祝儀袋の中には、税金を引いた手取り金額三万円が入っている。白鵬は最高でひと場所545本の懸賞金をもらった。金額にすれば1635万円だ。これら収入だけで一億円は越える。加えて、様々なご祝儀、広告出演料など入れたら、他のスポーツと比較しても高い方だ。相撲の良さを知らない日本人が増えた しかも、相撲界は実績さえ積めば、終身雇用的な仕組みが出来ている。いろいろ批判の的にもなっているが、年寄株を入手して協会に残れば、今度は協会のいわばフロント・スタッフとして働く道がある。部屋を興すか継承すれば、協会から部屋を運営する費用も補助される。日本の他のスポーツを見回しても、引退後の安定した立場が約束されているプロ・スポーツはほかにない(相撲をスポーツと呼んでいいかどうかの議論はあるが、ここではあえて他のスポーツと対照して話を進める)。大相撲 初場所千秋楽 大一番を前に気合を入れる大関、琴奨菊=1月24日、両国国技館 角界は、こうした相撲界の良さ、待遇を広く日本の少年たちに広報する努力を怠っていた。それも、長らく日本出身力士が優勝から遠ざかっていた一因ではないだろうか。 かつては当たり前に日本人が共有していた相撲の魅力、相撲の良さを、いまは知らない日本人が大半になった。悲しいことだが、それが現実だ。相撲の魅力をもっと世間に伝える努力が根本的に必要だ。 手始めに、親子で相撲をする習慣を盛り上げる手立ても必要だろう。相撲が身近になれば、自ずと相撲への親しみは湧く。 最後に、「日本出身力士の優勝」という、奥歯にものがはさまったような表現についても触れておこう。ある時期までは、「日本人力士の優勝がずっとない!」という表現だった。これがいつからか変わった。それは、平成24年5月場所で旭天鵬が優勝してからだ。旭天鵬はモンゴル出身力士だが、日本人と結婚し、優勝した時はすでに日本国籍を取得した「日本人」だった。つまり、その時点で「日本人の優勝」は果たされていたのだ。そのために今回の報道でも一様に「日本出身力士の優勝」という表現が使われている。「日本人の優勝!」を喜び、「日本人横綱を待望」するのは、日本人の素直な感覚だと思う。だが一方で、「ボーダレス化が進む世の中で、《日本》とか《日本人》をどう意識し、守り育てるのか?」という新しいテーマも浮上している。 10年間、日本の大相撲を支えてくれたのはモンゴル勢だったわけだし、彼らなしにはこの数年の相撲界の活況はなかった。昨秋、社会現象のようになったラグビー日本代表の活躍も、多くの外国人選手があって実現した。ここ数年、外国人を父(または母)に持つ日本人選手の台頭が多くの種目で目立っている。野球界ではオコエ(東北楽天)、陸上界では短距離のサニブラウン・ハキーム(城西大城西高)、先日全豪オープンで勝ち進んだテニスの大坂なおみ、バスケットの八村塁(明成高)、バレーボールの宮部藍梨(金蘭会高)ら、枚挙に暇がない。日本人ひとりひとりがこうした現実を受け入れ、これまでの常識や観念を新たに越えていくことも今後の重要なテーマだと思う。

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    「東京五輪でアメリカを倒す」17歳の八村塁が日本バスケを変える

     スポーツ界に十代の新星が続々と登場した2015年、年の瀬に超新星が輝いた。 高校生ながら、すでに男子バスケットボール日本代表候補に選ばれている八村塁選手だ。 「最もNBAに近い日本人選手」と呼ばれる八村塁は、年の瀬に開催されたウィンターカップでも大活躍、明成(宮城)を3連覇に導いた。決勝戦では、土浦日大に第3クォーターまでリードを奪われながら、最終第4クォーターに明成は12連続得点で逆転、劇的な勝利を果たした。1試合34得点を挙げた八村塁がもちろんその中心を担った。これまで198センチと言われていた身長が今大会では201センチと報道されている。まだ伸びているのだろう。足のサイズは34センチだという。父親がベナンの人。甲子園を沸かせ、東北楽天に入団した野球のオコエ瑠偉選手、世界陸上で注目を浴びたサニブラウン・ハキーム選手と同じく、バスケット界にも外国人を父に持つ新しい星が登場している。   バスケットボール 全国高校選抜優勝大会最終日 男子決勝 明成―土浦日大 第シュートをブロックする明成・八村塁=12月29日、東京体育館 ウィンターカップの初戦では、前橋育英を相手に明成は100対81で快勝。八村はこのうち30得点を挙げ、14のリバウンドをものにして空中戦を支配。明成を勝利に導いた。  これまでNBAにチャレンジした日本選手は、田臥勇太、富樫勇樹、ともに小さい身体を逆に生かした素早い動きやドリブル、鋭いパスワークを武器にしていた。八村は長身に加えてがっしりした身体、大きな相手にも当たり負けしない強さとたくましい身のこなしを持っている。 長身を生かしてしなやかにレイアップ・シュートや豪快なダンクを決めるだけでなく、ミドルの距離、3ポイントのポジションからも高い確率でシュートを決める。抜群のシュート力が魅力だ。たくましく、しなやか。身体の背後にも目を持っているかのような大きさと器用さを兼ね備えている。日本にはこれまでいなかった、世界に通用する本格的なセンターだ。2013年9月にはアジアU16選手権で3位、エースとして日本代表を15年ぶりの世界選手権に導いた。2014年8月のU17世界選手権では大会の得点王に輝いた。  来春、高校卒業後は、アメリカの大学に進学を希望。すでに、NBAのスーパースターを輩出している上位ランクの大学に入学が内定したとの噂もある。どこの大学にせよ、アメリカのカレッジ・バスケットが次の活躍の舞台になりそうだから、順調に成長を重ねたら、八村本人が目標に掲げる「NBAでの活躍」はもう夢物語ではない。そうなれば、八村が描くもうひとつの夢、「2020年東京五輪でアメリカを倒すこと」も可能性を帯びてくる。全国高校総体第7日 バスケットボール男子決勝 明成―桜丘明成・八村塁が豪快なダンクシュートを決める=8月3日、京都・ハンナリーズアリーナ  2014年夏のU17世界選手権で日本代表はアメリカと対戦し、122対38で大敗した。八村は25得点を挙げてひとり気を吐いたが、チームはまったく歯が立たなかった。現段階で「打倒アメリカ」を語るのは非現実的なようだし、それはもちろん容易い挑戦ではないが、実現したら日本中がどれだけ沸き上がることか。想像するだけで熱くなる。  八村塁がいれば、そして八村を中心に日本代表が劇的な変化を遂げれば、「いままで夢想もしなかった出来事が現実になる可能性だってある」と期待がふくらむ。実際、今年秋にラグビー日本代表がそれをやってのけた。ラグビーの快挙を5年後の東京五輪で男子バスケット日本代表がやってくれたら痛快だ。  時代は大きく変わっている。浅黒い肌の日本人選手が、多くのスポーツの日本代表の中心で活躍する時代になった。同じウィンターカップの女子の部門には、オコエ瑠偉の妹・オコエ桃仁花(もにか)選手(明星学園2年)も出場し、活躍している。身長180センチ。今後の成長が楽しみだ。   日本のスポーツ界はこうした新しい人材の出現に刺激を受けて、新たなうねりを巻き起こしている。この潮流は2016年以降もさらに加速するだろう。

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    「古き良き日本野球」を継承する前田健太はメジャーで成功するか

      前田健太のドジャース入団が決まり、正式に発表会見が行われた。  先発ローテーション投手となかなか契約できなかったドジャースと「西海岸志向が強い」と言われていたマエケンとは「相思相愛」と報じられ、日本のファンに馴染みの深いドジャース入りともあって、お祝いムードが大勢だ。ロバーツ監督と握手を交わす前田健太 前田健太は、140キロ台後半の速球と縦のカーブ、鋭いスライダーのほかカットボールなど小さな変化球をまじえて打者を打ち取る。豪球、魔球といった突出したイメージではなく、テンポの良さとコンビネーション、打者との間合いを制してアウトを重ねていく。日本野球の古き良き時代(私自身の少年時代、青春時代)に、典型的な「頼れる本格派エース」と呼ばれたタイプのように感じる。それだけに、マエケンのメジャーリーグでの活躍は、日本の野球少年、未来のプロ野球選手に明快な指標となるだろう。その意味でもぜひ、前田健太にはメジャーリーグの舞台で輝いてもらいたい。 身長は公称182センチ。これはメジャーリーグに挑戦する日本人投手の中では小さい方だ。野茂英雄188センチ、伊良部秀輝193センチ、吉井理人188センチ、木田優夫188センチ、斎藤隆188センチ、ダルビッシュ有196センチ、田中将大188センチ。広島の先輩・黒田博樹185センチ。 実は、メジャーリーグで活躍した日本人投手の大半が190センチ近い、あるいは190センチを超える身長の持ち主だった。現役大リーガーのダルビッシュ、マー君もそれに該当する。岩隈久志も190センチ、上原浩治も188センチ。そのことが、知らず知らず日本野球に影響を与え、中学、高校の世代から「高身長の投手が重用される傾向」につながった可能性はある。昭和の時代から180センチを超える好投手は多かったが、いまほど「高身長が投手の必要条件」と言われる度合いは強くなかったように思う。大谷翔平193センチ、藤浪晋太郎198センチの活躍もあって、さらにその認識は強くなっている。 そんな中で、前田健太がメジャーリーグに挑戦する。182センチは一般の認識でいえば十分に「背が高い」部類だろう。だが、プロ野球の投手、ことにメジャーリーグを目指す投手としては「決して大きくない」。身長ではなく、ボールのキレ、投球術、打者との間合いを制するピッチングが世界最高峰リーグでも打者たちを翻弄できることを見せてもらいたい。前田健太自身も、その意気込みは胸中に秘めているだろう。それは、日本野球が今後、世界の舞台でどのように戦い、どのように勝利していけるかを示す手がかりになる。同時に、日本の野球少年たちがどんな選手、どんな技術習得を目指すかの貴重な手本にもなる。身体の大きさがモノを言うだけの野球では味がない、深みがない。マエケンの活躍は、日本人が日本野球に誇りを感じることにつながる。「日本人の先発投手は長持ちしない」通説を覆せるか 多くのメディアや野球ファンが、マエケンのメジャーリーグ行きをダルビッシュ、マー君と同列に扱っているように感じるが、それは少し違う。アメリカに行ってもサイズでコンプレックスを感じる必要のない彼らと、一般の日本人が大きなアメリカ人たちに囲まれてどことなく気後れするのと同じ境遇で戦う前田健太とは挑戦の意味が違う。だからこそいっそう、マエケンの活躍を応援したい。米大リーグ 入団会見後、ユニフォーム姿でドジャースタジアムのマウンドに 立つ前田健太投手=1月7日、米カリフォルニア州ロサンゼルス(リョウ薮下撮影)  もうひとつ、前田健太には大きな使命がある。それは、「故障せず、元気に投げ続ける」こと。残念ながら、「日本人の先発投手は長持ちしない」という認識がメジャーリーグで定着し始めている。松坂大輔しかり、田中将大しかり、ダルビッシュしかり。活躍はするが短い期間で故障する。堅実な活躍を続けた黒田博樹は少数派で、ほとんどの先発ローテーション投手は事実、手術を受け、長く戦列を離れる例が多い。 今回の契約は、8年総額約29億円と言われている。他に出来高払いの条件があるとはいえ、年平均3億5千万円だから、広島時代の推定年俸3億円と大きな差がない。これは、マエケン自身の「日本での登板過多の影響」を案じられ、「身体検査でイレギュラーなところがあった」という事情もあるが、それ以上に、先輩たちの悪しき前例が大きい。 あの松井秀喜でさえ、周りの選手のパワフルなバッティングに不安を感じたと言われる。松坂大輔も同様だ。それで、熱心に筋トレに取り組み、それが逆に本来の動きやフォーム、身体のしなやかさを失わせ、ケガを誘発したとも見られている。マエケンには先輩たちの過ちを教訓にしてほしい。マエケンは先輩たちより身長が低い、だからこそ、身長やパワー不足をコンプレックスに感じるのでなく、あくまで自分の持ち味を信じ、いっそう磨いて勝負する覚悟が成功のカギではないだろうか。 かつて、「そんな投げ方はメジャーリーグでは許されない」くらいの批判を浴びながら動じず、一切自分の流儀を変えずに「トルネード投法」で旋風を巻き起こし、新たな歴史の扉を開いた野茂英雄。彼に続いて黙々と自分の役割を果たし続けた先輩・黒田博樹の背中に学んで、マエケンらしい投球を展開してほしい。

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    新国立競技場「AかBか」上辺だけの情報で見落とされる本質

     新国立競技場の新しい案がふたつ発表されたのが14日。その後3日間にわたって競技関係者からヒヤリングを行った上で、19日には両案の採点評価を終えた。新国立競技場の設計・施工業者の選定に向けた 審査委員会に臨む委員ら=12月19日午前、東京都港区 報道に接するかぎり、最終的な判断基準は「外観デザイン」。内部の構造や詳しいコンセプトはあまり公表されていないから、まずは「箱の形」を決めるプロセスなのだろう。こうした大規模建築コンペの慣例を知らない素人からすると、中身より外見だけでいいの? と戸惑いを覚える。しかも、残り時間が少ないとはいえ、2案からひとつに絞る期間も慌ただしく、拙速の感が拭えない。 テレビや新聞、ネットなどのメディアではしきりに「どちらが良いか?」、国民の意見を求める報道が行われた。情報を公開し、広く民意を募っている印象を与えているが、主に報じられるのは上辺の限られた情報。それで民意そして競技関係者の要望が反映されたのか疑問だ。 競技場の良し悪しは、箱のデザインだけで判断できるものではない。これだけ国民的な関心事となった新国立競技場建設問題が相変わらず核心抜きの議論になっている「日本の現状」に首を傾げてしまう。大事なことは巧みに隠され、国民の多くもそこに突っ込まない。メディアが誘導するままに、提示された話題に食い付いてそれ以外の論点には目を向けない風潮を感じる。 私は、招致運動が盛り上がっているころから一貫して東京五輪招致に異議を唱えていた立場から改めて提言したい。 2020年東京五輪に疑問を投げかけていたのは、「オリンピックは感動的だ」「スポーツは素晴らしい」といった、もはや幻想ともいえるイメージを共通理解の根底に置いていたからだ。スポーツ界で不祥事が頻発し、スポーツがイジメや体罰の温床になっている現状を直視すれば、そしてスポーツがもはや無償の行為でなく商業的な報酬と利益を前提としたビッグ・ビジネスとなったいま、1964年の東京五輪で国じゅうが感動に打たれたあの時代とは違うことをきちんと国民に説明する責任が本来はある。 ところが、東京五輪音頭の推進者たちはむしろあの幻想を持ち出して国民の同意を得るプロモーションを展開した。2020年東京五輪を歓迎する政府や自治体、企業の思惑はまさにスポーツ以外のインフラ整備や経済効果などにある。だから本質的な問題から国民の関心を遠ざけ、真意を隠す意図が施されたのかもしれない。日本はいま、東日本大震災からの復興という最重要課題を抱えている。それがまだ根本的に解決されず、展望も見えていないのに、復興支援を二の次にして東京五輪を推進する姿勢に私は申し訳なさを感じる。 2020年に東京五輪を迎えることになったいま、私たち日本人がまずしなければならないのは、なぜ東京五輪を開催するのか? 復興支援に影響を及ぼしてまで開催する意義、将来にわたってスポーツが社会に果たす役割や必然性といった将来展望を共有することだ。スポーツっていいよね、ではなく、スポーツには弊害もある、現状厳しい課題にも直面している。これらをオリンピック開催という大事業を通じて共有し、新しい道筋を見いだし、醸成していく姿勢が大前提だ。 そうした根本理念、東京五輪開催の明確なビジョンがないから、東京五輪の象徴ともいえる新国立競技場のコンセプトが明確に浮かび上がって来ない。 デザインで選ぶにしても、なぜ石ではなく、木なのか。ただ「和のイメージ」でなく、ヨーロッパ的な『石の文明』と日本古来の『木の文化』の違い。歴史的事実や背景を伝えることで改めて日本文化に自信を持つ絶好の機会にもなるはずなのに、そうした核心的なメッセージは伝えられない。安全対策や五輪後の施設利用の方向性は? 報道によれば、今回の再公募に際して示された基本要項の中に、「日本らしさ」「木の活用を図る」という要素が入っていた。そのためAB両案とも「杜のスタジアム」という同じコンセプトで、木材が印象的に使われているのだという。どうやらそれは、林業・木材関係者からの強力なプッシュがあった、新国立競技場の建設を契機に林業振興を図りたい意図があった、と指摘する声もある。個人的にそのことは賛成だが、ここでもやはりスポーツが主体ではなく、産業的な思惑にスポーツが利用されている感が否めない。 本当は「スポーツの根本的な社会的役割」について、東京五輪を契機に深く議論し、思いを共有したいと私は熱望している。スポーツはなぜ国民にとって大切なのか。どのような姿勢、どんな認識で取り組むと本当に心身を増進させる好影響を個人にも社会にももたらすのか。そうした動きがほとんど見えないことに、スポーツを愛する者として私は失望している。 極端な提言と言われるかもしれないが、旧国立競技場が解体されていま原っぱとなり、クローバーが生い茂る都会のオアシスの風景が私には魅力的に感じられる。これをそのまま原っぱとして整備・活用できないかとの夢も広がる。JSC(日本スポーツ振興センター)の取り壊し工事が終わった 国立競技場の跡地=11月16日午前、東京都新宿区(鴨川一也撮影) 日本はそして日本人はこの時代の転換期に、「都心のスタジアム」を選ぶのか、「都会にオアシス」を創るのか。こういう選択肢だっていまなら許される。原っぱを基調にして、外周を少し起伏のある林に造成し、ランニング・レーンを配置する。一部の競技者のためでなく、都心に国民のための原っぱと小さな杜を作ることは明確な未来へのメッセージとなるだろう。東京五輪の開会式、閉会式は、2019年のラグビーW杯と同じく、調布市にある味の素スタジアムで行う選択肢もあったのではないか。 都心の原っぱが無理だとすれば、AB両案がどんな基準で採点されたのか? 私は最終決定された案が少なくても「三つの要素」を満たしていることを期待する。 ひとつは、「スポーツ界の象徴的な施設」となるのだから「今後の日本のスポーツが歩み出す姿勢とスピリット」が表現できていること。本当は外観だけでなく、内部の施設も重要だ。大きなスタジアムのスタンド下には、トレーニング施設や医科学研究所なども併設されるのが近年の傾向だ。その方向性が、相変わらず欧米のスポーツ医科学や筋力トレーニング重視の施設なのか? 外観が「和」のイメージなら内部にも日本の伝統的身体文化である武術的な研究施設を併設するなどの発想は込められているのか? ふたつめは、最も懸念すべき「安全対策」だ。地震に対する備え、異常気象が続く高温対策、そして現実の危機となりつつあるテロ対策だ。この建物が、テロリストの目から見たときに堅牢なのか、隙があるのか。テロ対策をする立場から見たら十分な可能性を持っているのか、対策が取りにくいのか。当然、そのような検証が行われた上で決まったと信じたい。 そして三つめは、五輪後の施設利用の方向性だ。日常的に一般の利用者にどう開放されるのか。その役割をどれほど大きな比重で設定するのか。新国立競技場は「見に行く」だけの舞台なのか、「普段は誰もがスポーツのできる拠点」なのか。いずれかで全体の構えも違うはずだ。 かつての国立競技場はジョギングやトレーニングに励む人々の日常的な拠点としても機能していた。新国立競技場も両方の機能を持つなら、例えばふたつの玄関が必要だろう。国賓を迎える表玄関と、公共交通機関からのアクセスのよい通用門。双方を満たす配慮は当然織り込み済みだと思うが、そうした情報をなぜ積極的に広報しないのか、不思議だ。 本当はこうした概要が公表された上で、もっと詳細に議論した上で判断されたらなおよかったと思う。

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    第7回 秋のろくでなし祭りだ祭りだ~ドンドコドンドコドンドコドンドコ!(*゚∀゚)/

     iRONNA読者のみんな、まんにちは!まんこの妖精・まんこちゃんだヨ! 10月15日、やっと再始動したろくでなし子さんのまんこアート裁判♪ 前回は、弁護団が申し立てていた証拠開示請求に対して、検察側の「保留」のおかげでちょっぱやで終わってなんかショボかった、ってお話は、この前したよネ? ということで、弁護団もなし子さんも、この日をたのしみにしてたんだ。 11月2日。裁判がはじまるほんのちょっと前に法廷に入った時、検察側は大きな箱を用意してきてたの。むかし、「舌切りスズメ」って童話があったでしょ? あんな感じの紺色のふろしきをかぶせた大きなつづらとちいさなつづらが計6コ♪ …この26コの作品は、検察がワイセツと判断した3コのデコまんじゃなくて、ガサ入れの時に刑事たちがなんでもかんでも持っていっちゃったやつで、いわば事件とは関係ない押収品。 関係ないなら、なし子さんたちが「返して~」ってさんざんお願いしてきたのに、検察が返してくれない。「んじゃ、裁判官にも見てもらおうヨ~」っていう話になったワケ。 なし子さんは、ワイセツとされた3点よりも、どっちかいうと関係ないとされた26点の方に思い入れがあるの。 たとえば、3Dマンボートプロジェクトの3Dまんこデータで作った「フクシまん」は、話題にすることもタブーとされてしまう福島の原発を、これまたタブーとされているまんこの上で表現した作品だし、「戦場まん」は戦争というマッチョな男性中心社会での人間の殺し合いを、生命がうまれいづるまんこの上に載せた作品。 そして、汚い!醜い!いやらしい! とさげすまれてきたまんこを最新の3D技術を駆使してスマートなプロダクトアートに昇華した「iPhoneが入らないiPhoneカバーまん」(作ってみたらiPhoneが入らなかったので)などなど。 なし子さんが真剣に制作したそれらの作品がたくさんもっていかれてしまってたから。(これらの作品は、ろくでなし子さんの単行本「ワイセツって何ですか?-自称芸術家と呼ばれた私-」でカラー写真で見れるヨ!)  3週間後の、11月2日(月)の第5回公判では、さすがに「保留」って訳にはいかないよネ!  その中には、なし子さんのまんこアート作品26点が入ってる。  これらの26作品を、裁判官にじ~っくり見てもらえば、なし子さんの活動がこれっぽっちもワイセツじゃないということを公平に検討してもらえるはず。 そう思って、なし子さんもまんこもワクテカし てたら、開始5分もしないうちに裁判官が「本証拠は問題となっている作品ではない(起訴された3作品ではない)ので、ここで取り調べる必要性がありません。。」 って言うじゃない!?( ゚д゚)ポカーンポカーンポカーン 裁判なのに、証拠を調べる必要なし???? ありえなすぎて一瞬虚をつかれたやまべんこと山口貴士弁護士や森本憲司郎弁護士が「異議あり!」と申し立てをしても棄却されちゃったの~!!!! …民主主義って、なんじゃらホイ??? まんこ、あまりに理不尽すぎて、頭がこんがらがってきちゃった。 つーかさ、問題となってないから見なくていいんだったら、マジではやく作品返せやコラ~~~プンプン(●`□´●)/ムスッ ってことで、前回も今回も、なんだかナー!な展開だったけど、次回第6回公判11月20日(金)は、弁護側の証人として、上智大学の林道郎先生が法廷に来て証言をしてくれるそうなので、もうちょっと盛り上がりそうだヨ! それとネ、引き続き「秋のろくでなし裁判フェア」開催してまーす(*´∀`*)裁判の傍聴や説明会に来てくれた人にポイントカードを配っているヨ。傍聴できなくても抽選に並んでくれた人や警察手帳を見せてくれた人にはWスタンプ!スタンプを6コ貯めるとろくでもないモノがもらえるんだって! あそびに来てネ~o(^-^)oろくでなし裁判説明会会場:ハロー貸会議室虎の門 3F会議室東京都港区虎ノ門1-2-12 第二興業ビルhttp://www.hello-mr.net/detail/?obj=39(年内の裁判報告会は全てこちらで開催予定です。毎回16時から入室可能です!)(記者:まんこちゃん)

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    神回だったろくでなし子裁判 証人尋問の巻

    第6回公判ではろくでなし子の証人として上智大の林道郎教授が出廷。ろくでなし子作品の「芸術性」を証言するのは荷が重そう…と思ったらスラスラとよどみなく証言してくれて、まるで一休さんのよう。盛り下がりっぱなしだった裁判がやっと盛り上がってきたゾ~!

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    流行語大賞になった「トリプルスリー」が日本の野球を変える!

     「トリプルスリー」が今年の流行語大賞に選ばれた。 打率3割、30本塁打、30盗塁を同じシーズンに達成すること。長いプロ野球の歴史の中で、昨季までわずか8人しか果たしていないトリプルスリーを、今季はセ・リーグで山田哲人(東京ヤクルトスワローズ)、パ・リーグで柳田悠岐(ソフトバンクホークス)が達成した。二人同時達成は65年ぶり。65年前の1950年、岩本義行(松竹ロビンス)、別当薫(毎日オリオンズ)が達成している。ユーキャン新語・流行語大賞2015で「トリプルスリー」が年間大賞を受賞。 フォトセッションでポーズをとるヤクルト・山田哲人(左)とソフトバンク・柳田悠岐 =12月1日午、東京都千代田区の帝国ホテル (撮影・大橋純人)  岩本は39本塁打、34盗塁、打率.319。別当は43本塁打、34盗塁、打率.335。この二人が日本プロ野球史上最初のトリプルスリー達成者だ。実はその年、ホームランが1本足りず記録を逃した選手がいた。“打撃の神様”川上哲治(巨人)だ。29本塁打、34盗塁、打率.313。もし川上があと1本ホームランを打っていれば、3人同時達成となっていた。 「あと1本」と言えば、長嶋茂雄もそのひとり。すでに各所で紹介されているとおり、入団1年目に長嶋は29本塁打、37盗塁、打率.305の成績を残している。しかも、本当は30本を打っていた。シーズン終盤、「幻」となった28号を打った際に一塁ベースを踏み忘れ、アウトになった。それさえなければ、長嶋もトリプルスリー達成者になっていた。プロ野球日本シリーズ阪神対ソフトバンク第1戦  右適時打を放つソフトバンク・柳田悠岐 =10月25日、甲子園球場 (撮影・山田俊介)  達成者はほかに、中西太(西鉄ライオンズ)、蓑田浩二(阪急ブレーブス)、秋山幸二(西武ライオンズ)、野村謙二郎(広島東洋カープ)、金本知憲(広島東洋カープ)、松井稼頭央(西武ライオンズ)だ。 トリプルスリーという言い方は、野球界でも“通”は使っていたが、それほどみんなが知っている言葉ではなかった。それが今年、一気に“流行語大賞”に選ばれるほど常識的な言葉になった。 野球に関わるひとりとして、この“流行”は今後の野球界にとって大きな意義を持つ、将来が楽しみだと感じている。“トリプルスリー”を目指す流れが野球界の新潮流になれば、間違いなく野球は面白くなる、レベルアップするだろう。 ここ数年、野球界で選手個人を評価する場合、打者なら「ホームランの数」、投手なら「スピードガンの数字」を重視する傾向が続いていた。スカウトがドラフト候補を探すとき、メディアが注目選手を語るとき、それらが最もわかりやすいバロメーターに使われるようになって久しい。本当はそれだけでなく、足の速さ、肩の強さ、守備力など、他の要素も検討材料には違いないが、真っ先に語られるのが「通算本塁打数」と「最速スピード」だから、どうしても、選手も指導者ともその数字を気にする。トリプルスリーで日本の野球が変わる! 遠くに飛ばす! 速い球を投げる! そこを求めると、どうしても力に頼る傾向が強くなり、野球が短絡的になり、ケガの危険も増す。野球の妙味はそこだけでないのは言うまでもない。今年、トリプルスリーが注目されて、オールラウンドな能力を持つ打者の魅力が見直された。ホームランを打つ長打力もありながら足も速い、粗い打撃でなく、やわらかさを持った打者。そういう打者こそが「王道」だと認識され、トリプルスリーを目指す野球少年が増えるのは素晴らしい未来につながると思う。プロ野球日本シリーズ第2戦ソフトバンク対ヤクルト ソフトバンク・柳田悠岐(左)とヤクルト・山田哲人 =10月25日、福岡・ヤフオクドーム (撮影・大橋純人) だが、現実は甘くない。トリプルスリーが二人同時誕生! と聞くと日本の野球が変わった印象も受けるが、今季の記録を調べてみると、球界全体の潮流がトリプルスリーに向かっているわけではない。山田と柳田が突出しているだけ、といってもいい。2013年に47盗塁、2014年には20盗塁、25本塁打、打率.293をマークした陽岱鋼(日本ハムファイターズ)や糸井嘉男(オリックスブルーウェーブ)らにもトリプルスリーの期待がかかっていたが、ケガや不振で今季は遠く及ばなかった。 彼らは、トリプルスリーを目指したがゆえに、その壁にはね返された側面もあるかもしれない。いずれも高いハードル、とくにホームラン30本、30盗塁は、かなり意識を高く持って積み重ねていかないと、到達できない。  山田はシーズンオフに、走れるスパイクをオーダーし、トリプルスリー達成に備えたと言われている。通常のスパイクの歯の数を変更した。かかとの歯を2本に減らし、爪先で走りやすい仕様に変えたのだという。重さも約50グラム軽くした。そうした準備が山田の場合は追い風となった。プロ野球 日本シリーズ第2戦 ソフトバンク対ヤクルト シリーズ初盗塁となる二盗に成功するヤクルト・山田哲人= 10月25日、福岡・ヤフオクドーム (撮影・塩浦孝明) 今季のプロ野球で、「10本塁打、20盗塁」まで基準を下げても、両方をクリアした選手は、山田、柳田以外にたった二人しかいないのだ。「10本塁打、21盗塁」の片岡治大(読売ジャイアンツ)と「13本塁打、28盗塁」の梶谷隆幸(横浜DeNAベイスターズ)。そもそも、20盗塁を記録した選手が、セ4人、パ3人、わずか7選手しかいない。最近の野球がいかにリスクを回避し、盗塁をしないかがこの数字からも窺える。 今季の全盗塁成功数は1026個。全858試合だから、ファンは1試合平均約1.2回しか盗塁成功のシーンを目撃できなかった。さらに、規定打席に到達した54選手、いわばレギュラー・クラスの選手たちの盗塁数は459個。レギュラー選手が、野球でも最もスリリングな瞬間のひとつと言っていい盗塁を狙って走る姿は、ほぼ2試合に1回しか見られなかった計算になる。 盗塁は、足のスペシャリストかまだ若くて元気な選手が出塁したときの楽しみに限定されているといってもいい状況だ。もっと走ってもらいたい、躍動する野球が見たい、と私は思う。トリプルスリーへの意識が高まり、少年時代からそこを目指す野球少年が増えることで、日本の野球がよりスリリングに、よりエネルギッシュに変わるとうれしい。

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    13歳で力士になった北の湖の「たたき上げ」相撲道

     「憎らしいほど強い」と形容され、史上最年少の21歳2ヵ月で横綱昇進を果たした経歴から、多くの相撲ファンは北の湖を「生まれながらの天才力士」と思い込んでいるのではないだろうか。ところが、北の湖の成績を検証すると、意外な記録が浮かび上がってくる。 北の湖は1966年(昭和41年)、中学一年のとき三保ヶ関部屋に入門。1967年(昭和42年)1月に初土俵を踏んでいる。そして1年後の1968年(昭和43年)1月場所、序二段で全勝して早くも怪物の片鱗を見せる(決定戦で敗れて優勝はならず)。ところがすぐ次の3月場所、西三段目20枚目で北の湖は7戦7敗、なんと全敗しているのだ。後に横綱昇進した力士で全敗の経験を持つのは北の湖ただひとり。これは相撲ファンにとって信じがたい記録である。 もっとも、このとき北の湖はまだ14歳、中学2年生。いくら身体が大きいとはいえ、十代後半あるいは二十代の力士を相手に北の湖も力の差を思い知らされた。二段目と三段目にはそれ相応の力の差がある。当時の北の湖には三段目で易々と白星を挙げる力はなかったのだろう。さらに、初土俵から十両昇進までの4年間に北の湖は6回の負け越しを経験している。決して、無敵の快進撃を重ねていたわけではなかった。まだ義務教育の学齢。当然中学への通学を優先し、毎朝の稽古ができない事情もあったようだ。十両以下で一度も優勝経験がないのも、若き天才力士のイメージからは意外な事実だ。 中学卒業間際の1969年3月に15歳9ヵ月で幕下に昇進。「北の怪童」の異名を取るなど徐々に注目を集め、1971年4月には史上最年少(17歳11ヵ月)で十両昇進を決めた。後年その実績ばかりが強調され、「早熟」「天才」の印象がひとり歩きしているが、北の湖には自らの弱さと対峙し、懸命に我慢と精進を重ねる「下積み時代」があったのだ。新入幕を果たし、番付を手に喜ぶ北の湖=東京都墨田区の三保ケ関部屋 十両でも2場所目に6勝9敗で負け越し。新入幕の1972年1月場所も前頭12枚目で北の湖は5勝10敗。幕内の厳しさを思い知らされ、勝ち越せず十両に陥落している。翌場所すぐ10勝を挙げて返り咲くが、幕内上位に上がった1年間は、6勝9敗のほか、新小結で4勝11敗も経験している。北の怪童も三役陣にすぐ通用するほどの強さを誇っていたわけではなかった。 ところが、再入幕を果たして8場所目、前頭4枚目で8勝7敗と勝ち越したあたりから、北の湖は俄然、上昇気流に乗り始める。このときちょうど20歳。入門してから7年の月日が流れていた。返り小結で8勝を挙げ関脇に昇進すると、まず10勝。翌1974年1月場所は14勝1敗で初優勝。大関に昇進し、10勝、13勝(二度目の優勝)、13勝。わずか大関在位3場所で横綱に駆け上がる。このわずか一年の間に、北の湖は「憎らしいほど」の強さを体得し、体現し始めたのだ。1974年7月、大相撲名古屋場所で横綱輪島(左)と対戦する大関北の湖=愛知県体育館 北の湖は最初から強かったのではない。中学一年で入門し、約7年の歳月を重ねて着実に才能を育み、成長を遂げ、一気に開花した。 この快進撃から北の湖は50場所連続勝ち越し、幕内連続2桁勝利37場所を記録。優勝回数も22回まで積み上げて「憎らしいほど強い横綱」の伝説を不動のものにした。現役時代の終盤はケガに苦しみ、1983年には3場所連続全休も経験した。復帰を果たして苦しい土俵を続けながら1984年5月場所で全勝優勝したときには、それまでと違う拍手と歓声が北の湖を祝福した。それが最後(24回目)の優勝となった。このときは、13日目に同じ部屋の弟弟子・北天祐が隆の里を破った瞬間に北の湖の優勝が決まった。勝った直後、土俵上から北天祐が控えで見守っていた北の湖に微笑んだ。すると北の湖も北天祐に微笑みを返した有名な光景がある。苦境から返り咲いてつかんだからこその温かな光景。全盛時代の北の湖にはありえないことだったかもしれない。 北の湖は当然ながら勝負に厳しく、相手力士に容赦なく勝つことからも「憎らしいほど強い」との印象を深めた。対金城との対戦成績29勝0敗は、無敗の対戦成績としては史上最多の記録である。ほかにも蔵間に17勝0敗、青葉山に12勝0敗など、10戦以上して一度も白星を許さなかった力士がたくさんいる。春場所初日を翌日に控え、土俵祭りに出席した白鵬(奥)と北の湖理事長 =2015年3月7日、大阪市浪速区のボディメーカーコロシアム 一方で、元大関・朝潮には7勝13敗(不戦敗1を含む)と負け越している。北の湖は入幕後、巨漢力士の高見山に連敗したことから、「自分より大きな力士に弱い」、朝潮を苦手にしたのもそれが理由ではないかと言われた。しかし、もうひとつの見方もある。真摯な仕切りを重ねる北の湖に対して、巨漢力士はゆったりと遅く仕切る。朝潮はとくにトリッキーな動作もあった。こうした動きには普段の呼吸を乱されがちだ。それでも北の湖は黙々と仕切り、内心の苛立ちを抑えて表情を崩さなかった。そのような土俵を貫いていた名横綱だからこそ、白鵬の猫だましに毅然と苦言を呈した。それは、毅然とした北の湖の相撲道を貫いた先輩横綱として当然の指摘であったのだろう。

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    白鵬はなぜ「猫だまし」をして笑ったのか

     白鵬の猫だましが物議を醸している。 取り組み後、「気持ちよかった」と、あえて相撲協会と日本の相撲ファンを逆なでする笑いを浮かべたのだから、「確信犯」と言っていいだろう。白鵬は、その言動が何を意味するか、どんな反応が起こるかを十分わかっているはずだ。その上であえて、猫だましをし、開き直った笑みを浮かべた。その真意はどこにあるのだろう?猫だましを繰り出して栃煌山に勝ち、支度部屋で笑顔の白鵬 =福岡国際センター 最近は、横綱でありながら、ツッパリ高校生のような振る舞いが目立つ。ちょっと大人げないのは事実だ。双葉山、大鵬の後を追い、相撲道の奥義を究めたい主旨の発言をしていた白鵬がまるで別人になってしまった感がある。あれほど日本人以上に日本の文化伝統を理解し愛していると敬愛されていた白鵬の糸がなぜ切れてしまったのか? 北の湖理事長は取材に対して「前代未聞だ」「横綱がやるべきことではない」とはっきり不快感を表し、横綱を厳しく非難した。北の湖理事長の急死でその言葉がまるで遺言のような重さを持ってしまったから、白鵬としてはますます多勢に無勢といった感じで、旗色が悪い。軽率な行為を謝罪しなくては人間性まで疑われかねない空気になっている。 理解者であり、いい意味で怖い存在でもあった大鵬さんが亡くなって、白鵬は拠りどころを無くしたのかもしれない。 私も相撲を愛し、日本の礼儀を愛する者として、白鵬に落胆していた。だが、つい数ヵ月前には、「後の先を追求したい」相撲道の極意を究める思いを語っていた白鵬が、ここまで荒んだ態度に変わった要因は何か?  白鵬を一方的に責めるだけでは本質は見えない。そこで今回は、白鵬の立場から、猫だましを考察してみたい。 猫だましの伏線は4日目(11日)の嘉風戦にもあった。 立ち合い、わずかに右に体をかわした白鵬に対応できず、嘉風はバッタリと手と膝をついた。あまりの呆気なさに、白鵬自身がその時、意外そうな表情を浮かべた。さすがにそこまで鮮やかに決まって戸惑ったのか。あるいは、咄嗟の動きに自分自身、驚きを隠せなかったのか。 横綱が相手力士の立ち会いに胸を出さないと「変化した」と非難される。だが、VTRでも見直したが、白鵬は早々に横に逃げているわけではない。嘉風から見ると、白鵬はまるで「消えた」感覚ではなかったか。これは「逃げた」のでなく、白鵬が当たる前に嘉風を先に制したから起こった鮮やかなドラマ。白鵬なりに「後の先」を体現した、ある意味、会心の勝利だったのではないだろうか。  相手にほとんど手や体で「力」を作用させることなく、嘉風を土俵に這わせた。それが簡単でないことは、やってみればわかる。逃げた、変わったと言われるが、逃げたらつけ込まれて自滅する場合も多い。普通は逃げても相手は追いかけてくる。だが、白鵬はまったく嘉風につかまらなかった。嘉風はまったく方向を変えることができず直進して自ら沈んだ。 猫だましで戸惑わせたのではなかった 嘉風戦を「変わった」と非難された失望とやるせなさがさせたのか、さらに誰の目にも「見えるように」実践したのが、栃煌山戦だったのかもしれない。 栃煌山に奇策の猫だましを繰り出して勝った白鵬。 (上から)立ち合いの猫だ まし、大きく左に回り、2 度目の猫だまし、勝って にんまり=福岡国際センター 栃煌山戦の猫だましも、よく見直すと、猫だましで栃煌山を戸惑わせたのではない。猫だましは「ついでのいたずら」のようなもので、それ以前に白鵬は完全に栃煌山の出足を制している。わざわざ猫だましをしているが、その動作をしなくても、栃煌山はもうすっかり棒立ちになり、出足の勢いを制されている。猫だましの前に勝負はついていたのだ。 双葉山を追いかけて探り続けた「後の先」を、白鵬は白鵬なりにつかみ始めた。だがその領域を見守り、感激を共有してくれるファンはおろか、協会関係者も少ない。誰もわかってくれない。むしろ、表面的な道徳論で白鵬が批判の的になる。その苛立ち、虚しさがあっても不思議ではない。「後の先」をつかみかけた、それを目に見える形で示した、それが栃煌山戦の猫だましだったなら、「気持ちがいい」という言葉もよく理解できる。 猫だましという奇襲で勝った、それだけなら、史上最多の優勝を誇る大横綱が「気持ちがいい」とは言わないだろう。もし土俵上で時には遊びも必要だなどと本気で言うくらいなら、さっさと引退するに違いない。白鵬がただ奇襲作戦で猫だましをしたのではない証拠は、立ち合いの表情にも表れている。嘉風戦でも同じ。いずれの取り組みでもまったく危なげがない。自信満々に取り、立つ前から勝利を確信している。逃げたのでも、変わったのでもない。ただ逃げを打って勝とうと一縷の望みに賭ける力士の顔はそのような確信に満ちていない。 「横綱が猫だましをするなんて」との非難はわかる気もするが、本当は、「相手を制する技を究めている横綱だから、猫だましが効く」。 そのような技の深み、相撲の勝負の綾をほとんど理解していない「いまの日本」を白鵬は笑っているようにも思えてきた。 ファンも協会もマナーや振る舞いにはうるさいが、その意味をわかっていない。日本はそこまでレベルが下がってしまった。そのことを白鵬は、あえて悪役を甘受し、身をもって示しているとすれば、猛省すべきは相撲界、そして日本の方にある。

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    第6回 ろくでなし子、ドローン少年と出会うの巻

     iRONNA読者のみんな、まんにちは!まんこの妖精・まんこちゃんだヨ!  ここんとこパッタリ動きがなかったろくでなし子さんのまんこアート裁判が、10月15日(木)13時半~、法廷429号にて、再始動!  今までは検察側の攻撃だったけど、これからは弁護団側からの攻撃がはじまるの。なしこさんもまんこも、戦闘モードに突入~( ´ ▽ ` )ノ♪  まずは、弁護団側が”冒頭陳述”っていう、ろくでなし子さんの作品はワイセツじゃないヨッ!なぜならこういう理由なのッ!ってゆう書類を読み上げるところから、はじまりはじまり。(どうでもいいけど、冒頭陳述のことを法曹業界用語で「ボーチン」っていうんだって!ムフ♪)  問題とされた作品やデータについては、「好色的興味に訴えるために作ったものではないし、性欲を刺激することもない」と強調した弁護団。性行為や性愛的といった要素、いわゆる「エロ」の要素が一切ないものだ、と主張。  つーか、そんなの作品見ればわかるやん?(´д`)  お祭りやぐらをのっけたまんことか、iPoneカバー型まんことか、ラジコンで走るまんことかで、君たち、チンコ勃つ!?   そもそも「まんこ=エロ」って勝手に決め付けて、人間が生まれてきた故郷を汚がったり見下す日本のおかしな常識に物申すため、なし子さんは活動してきたんだゾ~\(○`ε´○)   さて、そんなボーチンが終わったあとは、以前から弁護団側から請求していた証拠(起訴された3作品以外の、ガサ入れ時に警察が押収したデコまんやらジオラまんやらなし子さんの作品ぜーんぶ裁判で公開しようヨ!っていう請求)に対して、検事が回答する番だったんだけど。  なんと、10月1日に請求してた物もあったのに、検事側の答えは 「保留」。 ( ゚д゚)ポカーン  …お前らこの数日なにボーっとしてたんだヨ!税金ドロボ~~~!!  検事が保留っていうから、そのあとの予定がなにも進まなくて、この日は弁護団のボーチンだけの、たった40分くらいであっけなく終わっちゃったヨ!  なしこさんもまんこも、やっと裁判が再開してワクテカだったのに、ガッカリだヨ~(´д`)  でもね、11月は、2日(月)の他に、あと2回裁判が開かれるみたい。いよいよ煮詰まってきた感じだヨ♪(期日は確定次第、ブログやツイッターでお知らせするネ!)  それから、裁判が終わったあとは、裁判を傍聴できなかった人や、傍聴できても意味がよくわからなかった人のために、毎回弁護団となしこさんの説明会を開いてるのだけど、この秋冬はろくでなし裁判フェアと称して、説明会に来てくれたみんなにポイントカードを配るサービスをはじめたヨ!  まんこちゃんスタンプをたくさん貯めると、ろくでもない物がもらえるんだって。裁判を傍聴した人、傍聴の抽選に並んだ人はWスタンプ。警察手帳を見せてくれた人にも特典があるヨ!  10月15日の説明会には、珍しいお客さんも来てくれたの。  ドローンを浅草の三社祭に飛ばすと示唆する動画を流して威力業務妨害で逮捕された、あのドローン少年ノエルくん。ノエルくんも、なんだかよくわからないけど警察やメディアに悪者扱いされていた、いわばなし子さんの仲間。  説明会の様子もニコニコ動画で配信してくれたんだ。弁護団の説明を動画配信してくれるのは、すごくありがたいよネ!また遊びに来てほしいナ!なんなら裁判所の上にドローン飛ばしてほしい!  みんなも、秋のろくでなし裁判フェアに遊びに来てネー♪o(○´ω`○)o♪ (記者:まんこちゃん)<秋のろくでなし裁判フェア>対象:11月~12月のろくでなし子の裁判期日の弁護団説明会に来てくれた方全員日時:ろくでなし子事件裁判期日(ろくでなし子のwebサイトやTwitter、Facebookなどで随時告知します)会場:ハロー貸会議室虎の門 3F会議室東京都港区虎ノ門1-2-12 第二興業ビルhttp://www.hello-mr.net/detail/?obj=39※裁判期日の予定は直前にずれる可能性もあります。 (年内の裁判報告会は全てこちらで開催予定です)※原文のまま掲載しております

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    ラグビー五郎丸フィーバーと「拝みポーズ」に感じる違和感

     五郎丸人気が止まらない。 スーパーラグビーのレッズとの契約発表には多くのメディアが集まり、会見の模様が全国に生中継もされた。五郎丸株は上がり続けている。 ラグビーへの注目より、五郎丸ばかりが注目される雰囲気に流れがちな風潮には苦笑いもある。が、ラグビーをめぐる世の空気が一変したのは30年来ラグビーを応援し、もっとラグビーの魅力が伝わればいいのに、と願い続けてきたスポーツライターには感慨深い。このままラグビーが熱く応援されるよう願っている。 だから、ラグビー人気にも五郎丸フィーバーにも水を差す気はない。けれど一方、今回の騒ぎでやはり見えてくる日本の不思議な現状を記しておきたい。五郎丸のレッズ入りで、スーパーラグビーの仕組みなどもワイドショーで詳しく紹介されている。そこまで時間を割いて伝えるかと驚くばかりだが、それでも一切報じられていないことがある。 ひとつは、「スーパーラグビーだけが世界の最高峰ではない」ということ。 世界のラグビー界には、日本で知られる15人制ラグビーのほかに、13人制の「リーグ・ラグビー」という流れがある。実はこちらが先にプロ化し、ニュージーランド、オーストラリアでは高い人気を博している。これに対して「ユニオン・ラグビー」と呼ばれる15人制側は、長くアマチュアリズムの伝統をを守り続けたため、リーグ・ラグビーに人材を奪われ、人気で後塵を排する流れになりかけた。そこで遅ればせながら方向転換を図り、現在のスーパーラグビーへと発展するスーパー10などのリーグを発足させた経緯がある。 日本のラグビー界は、日本ラグビー「協会」と称することでもわかるとおり、ユニオン・ラグビーの傘下にある。かつて私の友人がリーグ・ラグビーの普及を依頼され、日本代表を組織して国際大会に参戦した歴史もあるが、これに参加すれば二度と協会の試合には出場させないといった警告も発せられて、いまでいうトップリーグの選手は参加せず、大きなムーブメントにはならなかった。リーグ・ラグビーはいまだに日本では「存在しないもの」のようになっている。江戸時代の鎖国的な情報管制が、いまも日本のラグビー界では生きているのだ。 いまでいうトップリーグの選手は参加せず、大きなムーブメントにはならなかった。 五郎丸を見にオーストラリアまで出かける新たなファンもいるだろう。現地でテレビをつけたら、スーパーラグビーと同じかそれ以上に華やかなリーグ・ラグビーの試合も中継しているはずだ。 ちなみに五輪種目となった7人制ラグビーはユニオンが主宰する種目だから、15人制とはルールも醍醐味もずいぶん違うが「ラグビー」と認められている。ラグビーW杯イングランド大会 サモア代表対日本代表 先制のペナルティゴールを決める日本代表・五郎丸歩=ミルトンキーンズのスタジアムMK(撮影・山田俊介) もうひとつ、話題沸騰の「おがみポーズ」にも触れておこう。 五郎丸は蹴る前のおがみポーズで高いゴールキック成功率を誇っているのだから、「効果があるに決まっている」という前提で会話が盛り上がっている。岐阜にある同じポーズの仏像を持つ寺院の参拝者数が3倍に増えたとの報道もある。昔からモノマネの対象になりやすい選手ほど人気を得るのはスポーツ界では定番だし、こういう楽しい話題を真面目に批判するのは野暮と知りつつ、考察しておきたい。 これを若い選手や子どもが真似したら、「キックが上手くなるか?」といえば、そういう効果はないだろう。おがみポーズは、スポーツ界では「ルーティン」と呼ばれる心理的なスキル。同じ動作を習慣化することで迷いを排除し、自然な集中状態に自分を導いていつもの動作が出来るよう促す。イチロー選手が打席に入るまでのプロセス、打席に入って大きくバットを回してから構える仕種もこのルーティンとして知られている。だから、欧米のスポーツ科学を学んだ方々からすれば「おがみポーズは科学的なスキル」として推奨されることになる。だが、ちょっと冷静に考えればわかることだ。 いまそれを言ったら野暮なのは承知の上だが、大真面目にルーティンを賛美する風潮には、スポーツライターとして釘を刺しておきたい。ルーティンはたしかに「できる人にはよりできる」助けにはなる。けれど、できない人がやっても効果はない。また五郎丸自身も、いざ調子を落とし、体力が衰えるなどしてキックの精度が落ちた時に、これさえやれば「入る!」とは行かないだろう。 かつて、やはりゴールキック前の動作が人気を呼んだ早稲田の先輩キッカーがいた。ボールをセットしたあと、大股で一歩、二歩、三歩と下がる動作に合わせて、スタンド全体が「イーチ、ニー、サーン!」と叫ぶ楽しさを共有したものだ。けれど現役生活の終盤、彼が久々にキックを大きく外し、スタンドに失笑がこだまするところまでが「ルーティン」になった。残念ながら、ルーティンもスタンドの大合唱も、彼の失われた技量に力を注ぐ効果まではなかったのだ。 「勝つ」という目的に限って言えば、ルーティンにも一定の効用はあるがろう。けれど、「心技体を磨く」というスポーツ本来の目的に照らしたらどうだろう? ルーティンは半ばおまじないであり、いわば「依存」とも言える行為だ。いまスポーツ界には、サプリメントをはじめ磁気ネックレス類まで、依存症グッズが溢れている。その提供者は重要なスポンサーになっている事情もあって、憂うべき依存症傾向を戒める指摘も少ない。本当は、スポーツに打ち込むことでたくましい心身を磨くのがスポーツの意義であるはずなのに、勝利を求めるあまりスポーツ選手が依存に走る風潮、周囲もそれを傾向を推奨するおかしさに気づかなければならない。五郎丸が拝むのは不安があるから?五郎丸が拝むのは不安があるから?ラグビー練習試合ヤマハ-東芝 ヤマハ・FBの五郎丸歩選手=2015年10月30日、遠州灘海浜公園球技場(撮影・納冨康) そもそも、五郎丸がおがむのは、キックが入るかどうか不安があるからではないか? 不安を敵に見せるのは、真剣勝負の中では愚かな行為。ラグビーの試合中としては特別な、敵が攻撃を仕掛けてこない守られた時間だからできることとはいえ、本来は感情を表さず、できるだけシンプルな動作でゴールを目指す姿勢こそ「次元が高い」ことは、スポーツ・ファンならわかっておいてほしい。 五郎丸は、拝む時の指のからめ方を進化させるより、何もしないで、ボールを置いたらサッと蹴る方向に進むのが本道だ。五輪予選決勝の中継で多くの人が目にしただろう、7人制のゴールキック。時間短縮のため、ボールを地面に置かず、両手で保持したボール地面に落としてショートバウンドで蹴る。両手がふさがっているから、拝めない。五郎丸ファンにはあっさりしてつまらないだろうが、こちらの方がスピードとテンポを重視する最近のスポーツの流れでもあるだろう。 ただ、W杯の大舞台でもゴールキックの精度を支え、初めて見る日本人ファンの大半を魅了した「おがみポーズ」の効用も検証すべきだろう。 脳科学の世界的権威で、イネの遺伝子完全解読プロジェクトを先頭に立って成し遂げた村上和雄博士(筑波大名誉教授)はいま「祈り」を生涯の研究テーマにされているという。季刊誌《どう》秋号の巻頭対談で、武術家の宇城憲治師範にこう語っている。 「『祈り』というのは、『心』よりもっと深いところに根ざすもの。自分のことより他人のために祈る。世界の平和を祈る、というように、非常に広くて大きいんですね。そういう心が人間にあるんじゃないかと。それを魂と言っているんです」 「祈りによって遺伝子は目を覚ます。本当に遺伝子にスイッチが入るんですね」 もし五郎丸選手が、自分のキック成功のためでなく、日本ラグビーの未来のために祈って蹴ったとすれば、その魂がボールにこもった可能性はある。

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    国家の独立と安全を「警察」に委ねる日本の非常識

     前回は日本国憲法の欠陥についての話を簡単にしましたが、今回はもう少し具体的に何が問題なのかについてお話します。  まずは、我が国が具体的にどうやって自衛権を制限しているのかを見てみましょう。   日本政府は、武力行使が可能な条件として 1 わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること2 これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと3 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと という三要件を昨年に閣議決定しています。  国会という開かれた場において野党議員が政府に対して、この三要件の具体的例示を求めていましたが、そんなことをすれば敵に日本侵略の具体的手段を教えるようなもので、利敵行為と言っても過言ではありません。そもそも抑止力というものは、相手に「少しでも手を出せば、相手から何をされるかわからない」と思わせることにより攻撃を思いとどまらせるものです。それを最初から、どのような条件がそろえば武力を行使するのかということを公表し、しかもその反撃は必要最小限しか行わないとまで言えば、その効果は著しく低下することは言うまでもありません。 仮に、他国が日本を侵略しようとしたときに、この三要件の具体的な例示を参考にして、それを満たさないよう巧妙に攻撃を仕掛けてくれば、日本は法的に反撃ができないため、その国のやりたい放題になってしまいます。そのような事態を防ぐため、具体的に何がこの要件に該当するのかは明言せずにぼかしておくのは当たり前のことで、「相手がこう来たら、どういうふうに反撃するとかしないとか」軍隊の詳細な行動指針を公表している国など、私の知る限り世界のどこにもありません。  さて、それはともかく、この三要件についての話ですが根底となる考え方を一言で表せば「正当防衛」です。刑法第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。 前述の三要件と上記の条文を見比べてみれば、武力行使が可能になる三要件は刑法における正当防衛を骨格とした警察官が犯罪者に対して武器を使用する要件をベースにしたものであることが解るかと思います。つまり日本は警察力で国を守ろうとしているのです。自衛隊は警察予備隊を祖とし、法令上は軍隊ではないとの位置づけなので、そうなるのかもしれませんが、近代国家においては警察と軍は明確に区別すべきであり、いくら装備が立派でも警察権により自国の防衛を行うのは無理があります。  警察権の何が問題かという話の前に「警察」と「軍隊」との違いを押さえておきましょう。この二つの組織はともに武器を装備し、最終的には力で相手を制圧すること許されている数少ない組織であるため、両者を混同し、その違いを装備や組織の規模のだと思っておられる方も少なくないようですが、それは結果的にそうなるだけのことで、そもそも組織としての目的や性質が根本的に違うのです。  警察は「個人の生命、身体及び財産の保護など公共の安全と秩序の維持」 軍隊は「国家の独立と安全、侵略に対する防衛」を目的としています。 同じように国民の生命財産を脅かすような行為でも 警察は「生命財産の保護、犯人の逮捕および犯人の有罪を立証するための証拠の収集等」 軍隊は「脅威の排除、場合によっては敵の殲滅」 を主な目的として行動します。これは、ハイジャックなどの人質事件での対応方法の違いを思い出していただければ良くわかるかと思います。 陸上自衛隊相浦駐屯地海岸湾内でボートでの上陸訓練をする隊員ら=長崎県佐世保市(鈴木健児撮影)   警察は平時に起こるイレギュラーな出来事に対応するため、人々の日常生活にできるだけ支障がないよう、あらかじめ厳格に定められた要件のもとに限り権力を行使するよう定められています。武器の使用に関しては、犯人をなるべく傷つけないように比較的殺傷能力の低い武器を警察官職務執行法や警察比例の原則などに基づいて限定的にしか使用できず、犯人逮捕に際しても刑事訴訟法などにより人権尊重のための厳格な手続きが定められており、それに則った行動をとらねばなりません。 一方の軍隊が主に対応するのは他国から攻撃を受けた場合など、そのまま放置すれば多数の人命が失われ、最悪の場合は国がなくなってしまうというような、回復不可能な損害を被る可能性の高い事案であるため、いかなる手段を用いても、その被害を未然に防がねばなりません。おまけに、そのような事案は、予測不可能かつ緊急性を伴うものが多いので、あらかじめ手続きを定めておくことが困難であり、また、厳格な手続きに沿っていれば手遅れになるため、手続きはできるだけ簡略化し、部隊の行動基準はなるべく行動を縛らないよう、多くの国では国際法による最低限のルール(例:捕虜の虐待、民間人の殺傷等)以外は、いかなる手段を用いても目的を達成するために行動できるようにしており、そのためには国民の権利が多少制限されることも止むを得ないとされています。  少し話がそれますが、これに対して軍隊が動かなければならないような非常事態においてさえ国民の権利を少しでも制限することに対し、憲法などを根拠に反対する人もいますが、過度な権利の主張は東日本大震災のときに救助活動の妨げ(例:流された車や瓦礫には所有権があるため勝手に処分できない)となった事例に鑑み、現行憲法における「個人の権利」と「公共の利益」とのバランスがこのままで良いのか、改めて考えなおす必要があるのではないでしょうか。  話を本題に戻すと、武器の使用に関しても、軍隊は国家同士で行われるルール無用(国際法により最低限のルールはある)の戦いにおいて、国そのものを守らなければならないため、最高水準の兵器を最大限性能が発揮されるよう効果的に使用するのが当たり前で、自衛隊のように最初から武器の使用を必要最小限に制限している国はありません。だいたい、相手の国が全力で攻撃してきているのに、こちらが必要最小限の反撃しかできないというのは最初から勝つ可能性を否定しているのと同じことで、例えて言えば相手陣内に入れないサッカーのようなものです。いや、サッカーの試合であれば可能性は低いですがロングシュートでの勝利や時間切れ引き分けという結果も期待できるので、まだましな方かもしれません。国際紛争の場合は試合時間が決まっておらず、日本は長距離ミサイルをはじめとする相手国の領域を直接攻撃する兵器の所有を自粛しているため最終的には必ず負けることになります。  そもそも軍隊というのは非常事態に対応する組織であるため、その行動が平時の一般的な法令の枠内で収まらないケースが多々あります。それを一般的なルールの範囲内で収めようとすると無理が生じるので、各国には一般社会では通用しない特別なルール(軍法)があり、それに基づいて軍人を裁く軍事裁判所があるのですが、我が国は憲法により、その設置を禁じられています。日本国憲法第七十六条第二項  特別裁判所は、これを設置することができない。 行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。 以上、警察と軍隊の違いを簡単に説明しました。そこで、我が国の自衛隊は如何なる組織なのかと言いますと、自衛隊法に「我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務(後略)」と定められており、軍隊としての役割を担わされている一方で、同法などにより行動規範があらかじめ厳格に定められており、それ以外の行動を禁じられています。つまり自衛隊は他国の軍隊と同様に国防の任を負わされているにもかかわらず、他国とは違い警察のような厳格な行動基準に基づいて行動しなければならないという過酷な条件を課せられているのです。   これを人間同士の喧嘩に例えるならば、文字通りルール無用の喧嘩として攻撃してくる相手に対して、自ら「先制攻撃禁止」「投げ技禁止」「蹴り技禁止」などのルールを課し、しかもそれを相手に教えているようなもので、このような過酷な条件下での戦いを強いながら、いわゆる集団的自衛権にかこつけて自衛官のリスクを心配するなど本末転倒としか言いようがありません。現行憲法を変えることなく「自衛隊は自衛隊のままで良い」などと言っている人たちは「自分たちが憲法を守る限り日本の平和はまもられる」というようなナイーブな認識で、「自分だけは平和を愛する良い人間でありたい」という自己満足に酔いしれたいがため、自衛官に対して世界に類を見ない過酷な任務を強いているのです。彼らは、ある意味、自衛隊にとっては敵よりも厄介な存在だと言えますが、そのような身勝手な人たちをも守らねばならないのが自衛官なのです。  そして、この問題は自衛官だけではなく、国家や国民を不要なリスクに晒し続けています。自衛隊は法律により任務を定められ、それ以外の行動を禁じられているため、国際情勢の変化などにより法令に定められていない新たな任務を行う必要に迫られたときは、その根拠となる法律を作ってから対応しなければなりませんので実際に部隊が動き出すまで、長い時間を必要とします。過去、PKO、インド洋給油、海賊対処などを初めて行うときは、その都度、立法措置に約1年という歳月を費やしました。このままでは突発的に予期せぬ事態が発生した場合、自衛隊が迅速に動くことができず、いたずらに国民の命が失われることになりかねません。実際、過去にポジティブリストの弊害により多くの日本人が犠牲になってきました。ポジティブリストの弊害ポジティブリストの弊害福島第一原発の30km圏内で捜索活動をする陸上自衛隊員 =福島県(陸上自衛隊提供) 今でこそ改善されましたが、昔は自然災害が発生し救助を必要とする人がいたとしても自衛隊は独自の判断で救助することができず、阪神淡路大震災の時、日本政府や地方自治体のトップが的確な判断を下さなかったため自衛隊の救助活動が遅れました。  また、海上自衛隊は通常業務として領海警備という任務がありませんので、通常航行中は目の前に不審船がいても海上保安庁に通報することしかできず、その結果、数多くの不審船を逃がしています。  そして今においても、北朝鮮に拉致されたままの何百人ともいわれる人たちを取り返しに行くことは、自衛隊の任務とされていませんので、その可能性を検討することすら許されていません。  斯様に自衛隊の行動を過剰に縛ることにより日本国民の生命や人権を蔑ろにしてきたことに何ら反省もないまま、ただ単に憲法を守ってさえいれば日本は平和だというのは、いかに現実離れした話かということです。  では、様々な事態に対応できる法律を作れば良いではないかということを言われる方もおられますが、はたして世の中の森羅万象を予測して立法化することなどできるでしょうか。オレオレ詐欺や脱法ドラッグなどの事件を見てもわかるように、世の中には法律の裏や抜け道をかいくぐる人間がごまんといるのです。はたして、国民の生命財産を守る国家の安全保障に、そのような抜け道が存在する余地を残しておいて良いのでしょうか。  大ざっぱに言えば日本では軍隊が警察のように運用されているわけですが、逆に警察が軍隊のような運用の仕方をされるとどうなるかと言いますと、それはそれで恐ろしい話になります。日本では憲法33条により禁止されていますが、どこかの国のように犯罪を行う可能性があるという理由で身体を拘束したり、犯罪の予防という名目で個人のプライバシーの侵害が堂々と行われたり、国民の人権が日常的に制限されかねません。だからこそ「警察」と「軍隊」は明確に区別し、それぞれの役割に沿った任務を行うべきなのです。  では最後に、もう少し具体的な例として侵略者に対する警察と軍隊の違いを見てみましょう。まず、戦争映画に出てくるようなジャングルを想像してください。敵を待ち伏せしているのが軍隊の場合、敵に気づかれないよう息をひそめ相手を十分ひきつけてから、いきなり自動小銃などで攻撃を仕掛けるのが普通です。 しかし警察の場合は、たとえ相手が明らかに武器を所持していたとしても、こちらから相手に声をかけることなく一方的に武器を使用するなどもってのほかで、日本には瀬戸内海シーハイジャック事件のように人質籠城事件で警察が人質の安全のために止むを得ず犯人を射殺しても殺人罪や特別公務員暴行凌虐罪で告発する人たちがいますので殺人未遂等で訴えられかねません。原則としては、まず、警察手帳を提示するなど警察官であることを相手に告げてから相手が何者であるかを確かめなければなりません。そして相手が銃を持っている場合は、相手に対して銃を捨てるよう警告し、相手が従わない場合は相手に銃を向け「撃つぞ」と警告し、それでも従わない時にはじめて威嚇射撃を行うことができます。しかも相手が攻撃してこない限り不法入国や銃刀法違反の容疑だけでは、警察官職務執行法の規定により相手に危害を加えることはできません。  これは法令通り杓子定規に動くと仮定した極端な例ですが、基本的に守らなければいけないことは同じです。はたして、時々刻々と変化する状況にあわせて違法か適法かを瞬時に判断し、躊躇することなく発砲してくる相手から自己を守りつつ、相手を傷つけずに逮捕できるでしょうか。相手の弾は絶対に当たらないが、自分の撃つ弾は百発百中命中する映画やテレビドラマの主人公でもない限り不可能な話です。相手は、こちらの配慮など考慮するはずもなく、こちらの存在を悟った瞬間に発砲してくるでしょう。このケースとは逆に相手が待ち伏せしている場合はなおさらです。つまり、警察が侵略軍に対する場合は、いくら訓練を積んだ優秀な人間が最新鋭の武器を装備していようとも警察側に何らかの被害が発生することは避けられないのです。要は敵味方どちらの生命に重きをおくのかという話で、はたして味方に不要な犠牲を強いてまで、悪意をもって我が国に攻撃を仕掛けてくる人たちの生命や安全には配慮しなければならないのでしょうか?  沖縄の島に相手の軍隊が上陸してきた場合、仮に相手が投降してきたとしても、警察は逮捕しなければなりませんが、そもそも相手が一個師団であれば少なく見ても五千人以上いるわけで、片や沖縄県警は内勤を含めても半分の2千五百名程度しかいません。だいたい、そのような数の手錠などないでしょう。仮に、他省庁の助けを得て、なんとか全員逮捕したとしても、留置場はどうするのか?通訳や弁護士はどうするのか? 48時間以内に調書を作って送致できるのか?72時間以内に拘留請求できるのか?領事館通報はどうするのか?などなど、どう考えても物理的に不可能なことばかりで、結局は強制送還という形しか取れないでしょう。そうなれば強制送還された人間が再び日本に攻めてくるというエンドレスな戦いが続きます。警察が他国の軍隊に対応するというのは、こういうことなのです。  そろそろ我が国も、これらのことを踏まえたうえで、自国の防衛がこのまま警察権によるもので良いのかどうか、本気で考える時期に来ているのではないでしょうか。続き→「平和ボケから目が覚める! 一色正春のニッポン自衛論」

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    ソフトバンクがメジャーで通用するこれだけの理由

     パ・リーグを圧倒的な勝率で制し、日本シリーズでもヤクルト・スワローズを寄せつけず、ソフトバンク・ホークスは二連覇を果たした。あまりの強さに、「ホークスがメジャー・リーグに参戦したら通用するだろうか?」と話題にする人たちも現れ始めた。   そのような声が上がったのは、V9を果たした巨人以来ではないか。   あくまで想像に過ぎないが、「短期決戦ならばホークスは互角以上の戦いができるのではないか」と思う。長いシーズン、長距離移動や時差のあるペナントレースを戦い抜くには、戦力だけないプラスアルファが必要。だから、そう簡単にシーズン優勝が可能とは言えないが、もしワールド・シリーズを制したロイヤルズと対決したら、好勝負を期待するのは夢物語ではない。ソフトバンク・武田翔太=ヤフオクドーム(撮影・中川春佳)   日本シリーズ初戦で好投し、スワローズ打線の牙を抜く役割を果たした武田投手の落差のあるカーブ、緩急を生かした投球はメジャーリーグの強打者には有効だ。中継ぎを担う森、千賀らの真っ向勝負、硬派なマウンド姿はアメリカの野球ファンに好感を持たれるだろう。    攻撃陣の多彩さもメジャーの破壊力に引けを取らない。あくまで全選手がトップ・コンディションで臨めたらの条件付きだが、長打力に加えてスピードもある「トリプル3」達成の柳田、大砲・李大浩、ハッスルボーイ松田、くせ者・明石と個性豊かなキャラクターが揃っている。日本シリーズは欠場した中軸・内川の打棒が本場でも通用することは過去のWBCで実証済みだ。 それでも、「個々の力量を比べたらやはりメジャーリーガーのパワーには一歩及ばないのではないか」と疑問の声が上がりそうだ。 たしかに捕手陣はメジャーリーグに少し見劣りするか。メジャーでは捕手も投手のリードより肩の強さ、打力が重視される。日本はリード優先だから、そこに大きな違いがある。   明らかにホークスがメジャーリーグを凌いでいる強みを挙げよう。そのひとつが「監督と選手の信頼関係」だ。メジャーでは最近、監督の指導力不足、人望の無さがしばしば話題になる。 今年のワールドシリーズ開催中にも監督采配を嘆く報道があった。選手は、「どうせプレーするのはオレたちだから、監督の指導力なんてどうでもいいさ」と気にしない姿勢だと書いたメディアもあった。ホークスはといえば、工藤監督への信頼、監督の選手への信頼が日本シリーズでも感じられた。    端的に言えば、工藤監督は、自分の眼と感覚で選手を起用している。良い意味で、現役時代に磨き上げた眼力、予測力を采配に生かしている数少ない指揮官のひとりではないかと感じる。中日の落合前監督もそうだった。自分を信じている。結果やデータに左右されない。シリーズの第3戦で山田に一発を浴び敗戦投手になった千賀投手を4戦目でも意に介さず投入し好投を引き出したのはその好例。「千賀の球なら絶対に抑えられる」、確固たる自信がある。見込んで起用されれば選手も意気に感じる。野球にはそういった心の力も大きく作用する。その辺の化学反応を起こす素養をホークスは持っている。2年連続7度目の日本一を達成したソフトバンクの(左から)武田翔太投手、孫正義オーナー、内川聖一、松田宣浩=神宮球場(撮影・中川春佳) 球団を買収したときから、孫正義オーナーは「世界クラブ選手権構想」を打ち上げ、「目標は日本一でなく世界一」と公言している。野球界ではその実現性の薄さ、非現実感が蔓延しているため、ファンからも失笑を買ったが、同じ夢を抱く私はひそかに喝采を送り、その実現を待ち望んでいる。真のワールドシリーズの実現は、日本野球を愛する者なら夢見て不思議ではない目標だ。 野茂英雄、イチロー、松坂大輔、松井秀喜、ダルビッシュ有、田中将大ら幾多の日本のスター選手がメジャーリーグで活躍している実績を見れば、日本のチームだって互角以上にやれて不思議ではない。 来春からは60億円の予算を投じた新しい二軍の施設も誕生するという。12球団でいち早く3軍を組織して若い選手たちに試合経験の場を確保したホークスの選手層の厚さは、内川欠場の影響をまったく感じさせなかった日本シリーズの戦いでも実証された。ホークスの強みは、実力のある選手がたくさん揃っているだけでなく、彼らが常に「準備OK」でいつでも一軍で活躍するコンディションで待機しているところだ。他チームはどうしても「調子を崩して2軍落ち」「2軍でくすぶっている」雰囲気になりがちだ。ホークスは違う。2軍にいる投手や打者がウエスタン・リーグの個人成績上位を占めていることでも明らかなとおり、ファームが力を伸ばす準備の舞台になっている。これも、あえてチームを別々にし、各レベルでシーズンを戦うメジャーリーグ、マイナーリーグに通じる姿勢を感じる。 こうしたチーム一体の取り組みも含めて、「ホークスがメジャーでも通用する」と言うのは空想ではない。

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    第5回 堂々と、ワイセツ図画チン列!?永青文庫の春画展にイッてきたヨ( ´ ▽ ` )ノ

    ている細川家の美術館、なんで警察は逮捕しに来ないのかなぁ…(。´・ω・)???(記者:まんこちゃん)<まんこちゃんよりお知らせ> 10月のろくでなし子さんの裁判は、15日15時~のほか、10月21日13時半~(東京地方裁判所刑事法廷425号室)も確定したヨ! ただいま、秋のろくでなし裁判フェア開催中!裁判後の弁護団の説明会で裁判のポイントカードを配布します。ポイントが貯まるとろくでもない物がもらえるヨ!みんな、遊びに来てネ~♪※原文のまま掲載しております ろくでなし子漫画家・まんこアーティスト。2013年秋、まんこを3Dスキャンし、そのデータで今性器(世紀)初のマンボートを制作、たまん川(多摩川)にて進水を果たす。その制作費用に利用したクラウドファンドで、出資者へのお礼に3DデータをダウンロードできるURLを送信した事などが要因で、2度に渡り逮捕される。釈放後は勾留中の体験を漫画や書籍に執筆し、表現の自由を訴える活動を精力的に続けている。単行本「ワイセツって何ですか?—自称芸術家と呼ばれた私—」(金曜日刊)が発売中

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    「戦争反対」と叫ぶなら改憲を訴えるべきだ

     すったもんだの挙句に、ようやく安全保障法案が可決されました。その是非はともかくとしても日本の安全保障に関心を持つ人が増えたのは結構なことなのですが、相変わらずマスコミはピントのずれた話ばかりで問題の本質を論じようとしないため、いまだ巷には的外れな意見が散見されます。 ここで確認しておかねばならないのは、日本国憲法には国防に関する条文は戦争の放棄を定めた第9条以外はなく、その憲法のどこにも「自衛権」などという文言は記されておらず、昨年から急に注目を浴び始めた「集団的自衛権」や、我が国の国是とされる「専守防衛」などの言葉は憲法解釈によって生み出されたものだということです。つまり、「専守防衛」や「集団的自衛権の限定行使」という我が国防衛政策の基本方針は政府の憲法解釈に基づいて決められているのです。憲法記念日に横浜市で開かれた憲法集会に参加する作家の大江健三郎さん(前列中央)ら=5月3日、横浜市西区 法令の解釈というものは時代の移り変わりとともに変わるものですから、現在のところ日本政府は、先制攻撃を禁止し集団的自衛権は一部しか行使してはならないとの立場をとっていますが、将来、現行の日本国憲法のまま解釈を変更して先制攻撃や集団的自衛権の全面行使ができるようになる可能性はゼロではありません。 本来、「戦争反対」と声高に叫ぶのであれば、そのような事態を防ぐため解釈の余地を残さない形に改憲するしかないのですが、護憲派を名乗る自称平和主義者の大半は「何が何でも憲法を一字一句変えてはならない」と現実から目をそらし続けてきました。 このため今回に限らず、時の政府は自衛隊の任務が増えるたびに、なんとかそれを正当化しょうと、苦しい解釈改憲を重ねながら、その場しのぎを繰り返してきましたが、今やそれも限界に達しようとしています。 現在、日本への侵略の意図を持った隣国が、その意図を隠そうともせずに我が国領海への侵犯を繰り返すようになり、他にも同朋を拉致して返さない国や領土を不法に占領したままの国に囲まれ、しかもその内の3か国が核兵器を保有しているという、我が国の非常に厳しい現実を鑑みれば、最早、部分的な、その場しのぎの解釈改憲では対応できないことは明白です。  まずは、この日本が置かれている状況を正しく認識する必要があります。そして今の憲法や、その解釈が現代日本の現実に照らし合わせて正しいのか、今一度、我々はそこから考える必要があるのではないでしょうか 国際法の観点からみれば、人が生まれながらに人権を持つように日本国は国家の成立とともに自衛権を備え持っており、国連をはじめとする国際社会もそれを認めています。現在の政府見解においても、「憲法9条は自衛権を否定しない」としていますから、本来であれば憲法の内容いかんに関わらず、誰はばかることなく国防に関して様々な政策等を実行できるはずなのですが、一方で日本政府は自衛権について「必要最小限」のみ認められるとして、憲法が自衛権を制限しているという立場をとっています。 具体的には第9条における「武力」や「戦力」には自衛権を含まないとする解釈により自衛隊を合憲とし、それは自衛権ゆえに必要最小限の武力行使しかできないという理屈で、実質的に自衛権を制限しているのです。つまり日本政府は、憲法は自衛権を否定こそしないが必要最小限に制限しているという中途半端な解釈を行い続けているのです。 また、政府は憲法9条が自衛権を否定しえない理由として、第9条が第13条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」を否定するものではないとしていますが、そうすると第13条で、その「国民の権利」を最大限補償しておきながら、片や第9条で、その「国民の権利」を守るための自衛権を必要最小限に制限するという、おかしな話になってしまいます。 このように、現行憲法には相矛盾する条文が混在しているため、その辻褄合わせに無理な憲法解釈が必要となるのです。そもそも第9条が、すべての国家が保有する、人間に例えれば人権に相当するほど重要な国家の自衛権を真っ向から否定するかのような内容であることが問題の根源なのです。もっと言えば「自衛権」=「国民が自由に幸福かつ平和的に生きる権利」なのですから、その自衛権を必要最小限に制限することは、これら国民の権利を制限することに他ならず、我々日本国民は、具体的な事象が生じていないので気が付いていないだけで「自由に幸福かつ平和的に生きる権利」を制限されているのです。 そして、我が国が武力行使可能な「必要最小限」の範囲も時の政府の解釈次第で拡大縮小する可能性があります。このように国防政策の基本的な重要事項が憲法解釈により大きく変わるという問題は、日本国憲法が国防に関する条文をたった一つしか持たず、しかもそれが国の守りを否定していることが原因であり、そして、それは非常に危険なことなのです。 現行憲法のもと自衛隊は合憲であるという政府の憲法解釈により存在していますが、逆に政府が違憲だという解釈に変更すれば憲法を改正(国民に直接信を問うことを)しなくとも自衛隊を解体することが可能であり、もしも自衛隊廃止を党の綱領に掲げる政党が政権を掌握し自衛隊法などを改正又は廃止すれば、日本は一夜にして丸裸になってしまいかねません。確かに現実味に欠ける話ですが、そのような政党が合法的に存在し、一定数の議席を得ていることを鑑みれば可能性はゼロとは言えません。 また、憲法は「国家権力を縛るためのもの」というのであれば、本来は憲法に国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利を保護するため、国家に対して国防の義務を課す条文がなければならないはずです。いずれにしても憲法に国家の重要課題である国防に関する明確な定めがないというのは法律として致命的な欠陥であるといっても過言ではないでしょう。 (つづく)

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    第4回 警察があのデータを900マン円プリンターで印刷って!

     気付けば2015年もあと3ヶ月で終わっちゃう!? ヤダ、はやーい! まんこの裁判はぜーんぜん進んでないのに∈(´Д`)∋ 最近はろくでなし子さんも、あまりに暇ですることがないからと、自分自身をレンタルする「ろくでなし子レンタル」を始めたんだって。クソの役にも立たないろくでなしを誰がレンタルするのか謎だったけど、意外と繁盛してるらしいヨ。 さてそんな中、次の公判日がやっと10月15日に決まったので、なし子さんもまんこも、インナーマッスルぎゅぎゅっと引き締め、イックヨ~!…その前に、先月6月16日のろくでなし子さんの裁判公判第三回目のレポを紹介しそびれていたので、ビラッとお届けするネ! この日は、検察官側の証人が呼び出され、ろくでなし子のまんこアートがいかに卑猥であるかを法廷で証言させる、そこそこ盛り上がる催し日。 前回、検察側が要請した証人は二名。なし子さんの3Dまんこデータを実際にプリントした科学捜査研究所の職員(Aさん)と、なし子さんのバイト先だった女性向けアダルトショップ店に内偵に来た女性巡査(Bさん)。 Bさんについては、なし子さんのバイト先に来て「デコまんを売ってくれ」と言ってきたいかにもあやしいおばちゃんのことだと思っていたら、実は2014年6月30日にも内偵されていて、法廷にやって来たのはそっちの方の、30代くらいの地味な女性。 当時、客をよそおい店内の様子を隠しカメラで撮影していたその人に、検事から質問という形で証人喚問がはじまったんだけど、 これが予想以上にツッコミどころマン載! なし子さんのバイト先のお店はアダルトショップではあっても女性向けだからよくあるアダルトショップとは雰囲気がぜんぜん違うことを弁護団側が確認しようとすると、警視庁保安課の巡査なのに「わたしは他のアダルトショップには入ったことが無いからわかりません」とかいうし、 なし子さんのデコまん作品が、 「見た瞬間にはっきりと女性器とわかる作品だった」 といってたのに、それがどの作品だったか聞いても「覚えてない」。  それでも弁護団がしつこく尋ねたら、 「ガンダムのようなものやジオラマを載せたもの」 どこがまんこやねん!?って、関西人じゃないのに関西弁でツッコみた くなるわ! さらに、弁護団が「当時の現場写真の中で、どれがその作品だったか指で示してください」とお願いしたら、巡査Bが指差したのは、まんこ作品でもなんでもない飾りで置いていた単なるスマホカバーのケースだったのには、なし子さんもまんこも椅子から本当にズリ落ちたヨ! 証人Bさんのまんこ観、大丈夫??  これだけでも十分おもろいけど、次に来た証人Aさんによってもナマあたたかい事実が判明したヨ。 科捜研で3Dデータを専門に研究しているAさんは、なし子さんの3D まんこデータをプリントアウトした張本人。 その前に、なし子さんは支援者に3Dまんこデータを配って逮捕されたのだけど、そのデータを実際にプリントした人は誰もいない、という事実を、実はあまり知られていないようだから言っておくネ。 家庭用の3Dプリンターは安くなったとはいえ、10万~20万円くらいするから貧乏ななし子さんには手が届かなかったし、 警察以外、本気でなし子さんのまんこをプリントしたいとまで思う人も誰も居なかったっていうこと。 だから今回、なし子さんはちょービックリしてたの。 なし子さんですらプリントできなかった3Dまんこをわざわざ警察がプリントしてくれて、あらゆる角度からその写真を撮り、まるですばらしいアートカタログのように資料を作ってくれたから、ありがたいよネ! しかも、そのプリンターは証人Aさんによれば、およそ900万円もする超高級プリンター!! クッソ高! 警察はほんとにお金持ちでいいなぁ☆ そんな高級プリンターなら、そりゃあリアルなまんこ造形物ができるヨ。 事件が解決したらそのプリンターを是非使わせてほしいネ!って、なし子さんと話しているヨ。今からとっても楽しみ☆ そんな感じで、この日の証人喚問も、なし子さんにはたのしくハッピーなイベントとして幕を閉じたヨ。 次回裁判は10月15日(木)13時半から。今までは検察側の攻撃だったけど、いよいよ弁護団側の攻撃がはじまるんだって。これは見逃せないネ! iRONNA読者のみんなも、ビラビラ傍聴に来てネ~!!!(記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております

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    番外編! 中国の闘うアーティストと会ってきたヨ!

     まんにちは!まんこの妖精まんこちゃんだヨ。 ろくでなし子さんの裁判の様子をルポするこのコーナーだけど、肝心の裁判がぜんぜん進まないので、最近、ちょっとだらけ気味。 そんなろくでなし子さんに気合いを入れるため、埼玉大学の牧陽一先生が、なし子さんとまんこを中国旅行に誘ってくれたの。 目的は、中国で活躍するアーティストのアイ・ウェイウェイさんとお会いすること。(え?被告人なのに、海外旅行できるのかって? 裁判所に申請すれば、大丈夫だヨ、マジで!) アイ・ウェイウェイさんは一見フツーのおっさんだけど、凄い人。(アイ・ウェイウェイさんのwikipedia) 作品は、反政権的で反権威的。2008年の四川大震災で、中国政府の手抜き工事による小学校倒壊の犠牲となった子供達のことをひた隠しにする政府への抗議をこめ、亡くなった子供達の名簿を現地でかき集め、その名簿をアート作品として発表。 そしたら、当局から何度も逮捕されたり暴行を受けたんだって。中国政府、ひどすぎんご! 釈放されてからも、アイさんを24時間体制で監視する警察に対して、逆にアイさんは監視カメラを沢山設置して、監視を監視し返したとか。 やられたら黙ってないでおもしろい手でやり返すところがかっこいいよネ! ヌード写真を発表したらワイセツ罪でも捕まったりして、いろんな意味で、ろくでなし子さんの大先輩! そんなアイ先輩(もう勝手に先輩呼ばわり☆)は、今、中国の警察からパスポートを押収されて国外に出られないそう。日本もひどいけど、中国政府も最悪やんか〜! さてさて、なし子さんとまんこはお土産にアイ先輩が喜びそうなまんこグッズを持参して、指定された北京の高級ホテルに向かったの。ドキドキしながら待ち合わせ場所のラウンジに着いたら、よれよれのピンクのシャツに半ズボン姿のなんだかモッサリしたおっさんが新聞読んでるなぁと思ったら、それがアイ・ウェイウェイ大先輩。 だけど、さすがに目力がすごかった。やっぱ偉大な人は、放つオーラが違うわ! そして、笑顔もチャーミング! 世界的に有名な人なのに、とっても気さく!まんこ、一瞬で恋におちた!アイ・ウェイウェイさんとろくでなし子さん (アイ・ウェイウェイさんのインスタグラムより) アイ・ウェイウェイさんとろくでなし子さん (アイ・ウェイウェイさんのインスタグラムより) パスポートを国にとられてションボリしてるかなぁと思いきや、アイ・ウェイウェイ大先輩は、むしろますますパワフルに活動されていました。 作品のすべては海外にあるので、本人は行けなくても現地のキュレーターに指示すればいくらでも展示ができるんだって。良かったネ! だけど、被告人のなし子さんでも裁判所に申請すれば海外旅行に行けるのだから、やっぱりこんな仕打ち国際基準でおかしいヨ! 思わずなし子さんが、「先輩、国からパスポートを奪われたのに、どうしてそんなにパワフルでいられるんですか?」と尋ねたら、 「僕のパワーの源はまんこなんだ。僕にとって奪い返したいパスポートはまんこだからネ!」って、笑顔で返してくれて、まんこ感激! さらに、 「君のマンボートがあれば国外逃亡できるのに」って、お茶目な先輩☆ マンボートが警察に押収されてなかったら、いますぐアイ先輩に差し出すのに! そういえば、なし子さんもよく「逮捕されて裁判なんてお気の毒に」と気の毒がられるけれど、本人は「漫画のネタになる」「酷い仕打ちに逆にエネルギーがわいてくる」ってホクホクしてる。叩かれれば叩かれるほど面白がるところは本当にアイ先輩とソックリ! 大先輩に会えたお陰で、なし子さんもまんこも裁判への士気が改めて高まったヨ! ところで、意外なことに中国ではなし子さんのようなまんこアートはそんなに怒られないんだそう。最大のNGは中国政権批判や警察への悪口。 中国で「習近平の独裁者!」なんて公の場で口にしようものなら、いきなり拉致され収容所にぶちこまれ、砂をザルですくうだけの無益な労働をひたすら強制され、頭をおかしくされてしまうんだって!日本ではツイッターで「安倍のバーカ」とかつぶやいても大丈夫なのに。しかも、中国ではTwitterやFacebookなどのSNSが利用できないよう制限されている。海外に情報発信も入手もできないって、どんだけ〜!? …この状況にくらべたら日本はまだマシなのかなぁと、うっかり思いかけたけど、まんこで逮捕されちゃうのも、やっぱどうかと思うわ!国によって規制はちがえど、表現の自由を守るため、なし子さんもまんこもアイ先輩を見習って、まんこ引き締めがんばるヨ!ビラツ!※この対談が行われた6月の時点ではまだアイさんにパスポートが返還されていませんでしたが、その後無事返してもらえたそうです(記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております

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    なんでもかんでも先送り…裁判って、なんじゃらホイ!?

     iRONNA読者のみんな、まんにちは! まだ6月なのに、毎日暑くてイヤになっちゃうネ! まんこ、見た目どおりビラビラしてるから、この季節は湿気で蒸れて、タイヘンなの~(; ̄□ ̄A ところで、暑さでどうでもよくなりそうだけど、先月5月11日のろくでなし子さんの裁判公判第二回目のレポをビラビラお届けするヨ!  この日は、検察官の追加の証拠調べと、それに対する弁護人の意見チン述と、検察官が提示する証拠の取り調べ。ろくでなし子さんのトークタイムもなく、ただ検事の話をぼ~んやり聞いてるだけの、地味~な回なので、記者会見も行われなかったというのに、たった29枚の傍聴券を求めて104人も集まってきたらしいヨ。  ただ、ちょっとヘンなのは、そこまで傍聴券を求める人たちがいながら、法廷では、なぜかいくつか空席があったこと。傍聴券の抽選に並んでいた人の話によれば、「抽選間際にスーツを着た男性の団体が急に入ってきて、抽選が終ったら、ゾロゾロと桜田門の方に去って行った」とか。…もしかして、みんなに傍聴させないように、誰かが妨害をしてる!? 桜田門と言えば…ま、さ、か、ネ~? また新しいネタが増えちゃう☆証人をめぐってひともんちゃく さて、裁判の方はというと、やっぱり検事がナンチャラカンチャラと専門用語ばかりで、最初はちょう眠かったとなし子さん。あいかわらず 「漫画のネタに行き詰まって犯行に及んだ」とか「女性器でなら食べていけると思って犯行に及んだ」とか、まじめに語れば語るほどおかしな表現で棒読みする検事にワロリンゴ。このまま時が過ぎゆくかと思いきや、次(第三回目)の裁判に検事側が呼びたい証人(ろくでなし子さんの“犯罪”を法廷に来て証言する人)の候補の話になって、ひともんちゃく。 検事が呼びたい証人は、Aさん・Bさんの2名。Aさんは、ろくでなし子さんのまんこの3Dデータをプリントアウトした科学捜査研究所のおにいさん。 ろくでなし子さんがネットを通して支援者に配ったとされる3Dまんこデータは、実は、受け取った人は誰もプリントアウトしてなかったので、このデータがワイセツかどうかを警察が実際に3Dプリントして、あらゆる角度から写真をとり、豪華な美術カタログのようにまとめてくれたんだけど、その機種の型番をググったら、およそ900マン円もするちょうぜつ高級3Dプリンターだったの! つまり、警察は、普通の人はぜったい買えないすごいプリンターで印刷して、「ほら!こんなに精巧で淫らなまんこが刷れたヨ!ワイセツじゃ、ワイセツじゃ!」と騒いでるの。そんなクソ高いプリンターなら、さぞや立派なまんこが刷り上がるっつーの!普通の人でも手に入れられる3Dプリンターで検証すべき! だから、この科捜研のおにいさんには、むしろ是非とも法廷に来てほしいくらいだヨ! だけど、問題は、もう一人のBさん。問題っていうより、呼ぶ必要があるのか、謎なの。 Bさんは、おそらく、ろくでなし子さんがデコまん作品などを展示していた女性向けアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」にこっそり内定に来た警察のおばさん。べつにBさんを呼んでもかまわないけど、店内の様子はすでにBさんがこっそり隠し撮りしたと思われる写真や動画や、警察がガサ入れに入ったときに沢山写真をとってるから、あらためて証言なんてしなくても十分だし、呼んでも時間のムダ。裁判は、今後もまだまだ長引きそうだから、ちゃっちゃっとやりたいよネ? そこでろくでなし子さんの弁護団のやまべん(山口貴士弁護士)が、Bさんの呼び出しに異議を申し立てたんだけど、検事がこう言ったの。「証人Bの呼び出しは妥当です!Bは当時の店内を説明できるので!なぜなら、ワイセツ性の判断のためには陳列状況も重要だからです!」 …ん~?なんかヘンだヨ? もしも、デコまんがワイセツ物なら、どの場所でどうやって展示されていてもワイセツはワイセツなはず。なのに、検事は“アダルトショップでの展示“にこだわってる。それって、デコまんそのものだけではワイセツ物だと言い切る自信がないってことじゃネ??? だけど、検事はあくまでもBさんを呼ぼうとする。やまべんはそれに異議を申し立てる。で、仕方ないから3人の裁判官達が、「合議します」って、別室に3分ほどおこもりヨ。話し合うほどたいしたことでもないのに。んで、しばらくして、裁判官たちが帰ってきて結果発表したんだけど、なんて言ったと思う? 「ケツ論は、次回まで、保留」 …この日は他にも裁判官たちが合議という名のおこもりをしたけど、結局「保留」「保留」で、なーんにも決まらなかったの。裁判って、なんじゃらホイ!? こんな事ばかり続くなら、まんこ、イライラして口から経血吹き出しちゃうヨ!ブホーーーー! (記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております ろくでなし子漫画家・まんこアーティスト。2013年秋、まんこを3Dスキャンし、そのデータで今性器(世紀)初のマンボートを制作、たまん川(多摩川)にて進水を果たす。その制作費用に利用したクラウドファンドで、出資者へのお礼に3DデータをダウンロードできるURLを送信した事などが要因で、2度に渡り逮捕される。釈放後は勾留中の体験を漫画や書籍に執筆し、表現の自由を訴える活動を精力的に続けている。単行本「ワイセツって何ですか?—自称芸術家と呼ばれた私—」(金曜日刊)が発売中

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    憲法が日本を骨抜きにする

     今回は、この憲法の最大の特徴であり最大の問題点である第九条について考えてみます。  まずは、その条文を読んでみましょう。第一項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 この第一項だけを素直に読めば、単に「二度と戦争はしない」という意味ではなく、たとえ戦争のように大掛かりでなくとも他国に対して一切の武力を行使することはおろか、威嚇すなわち抑止力を持つことすら禁じられています。しかも「永久」にです。ここに当時のアメリカが、如何に日本軍を恐れ、それを封じ込めようとしていたのかということが良くわかります。 そして我々日本国民は、この条文のために(条文だけが原因ではありませんが)他国が領土を侵略しても、同胞が殺され連れ去られようとも何もできませんでした。 今も、その問題は続いていますが、偽りの平和にどっぷりとつかっている人達は、その現実に目を塞いだままです。 続く第二項では「戦力」の不保持と「交戦権???」を否認するという念の入れ方で、徹頭徹尾、日本軍の復活を封じようとしています。ちなみに「交戦権」というのは今も昔も国際的に定義は確立されておらず(ただし、現在、日本政府は日本国憲法の交戦権について独自の見解を発表しています。)憲法起草の実務的な責任者で当時民政局次長であったチャールズ・ケーディス氏ですら、昭和56年に行われた日本の新聞社のインタビューの中で「交戦権ということが理解できなかった。正直なところ今でも分からない」と答えています。  おまけに、占領軍がいかに大雑把に日本国憲法を作り、それを日本に押し付けたかということを認め、日本国民が主権回復後も自分たちが占領中に適当に作った日本国憲法を、いまだに使い続けていることが理解できないようでした。防衛力を持たない国家は存続可能? 普通の人間が、この第二項を素直に読めば「日本は軍隊どころか、いかなる戦う力をも持たない。従って、いついかなる時も戦わない」と解しますが、果たして独立した国家が戦う力=防衛力を持たずに存続可能なのでしょうか? 前文解説の繰り返しになりますが、この憲法を作った時、日本はアメリカの占領下であったため軍隊はなく大幅に主権が制限された状態でしたから、この問いに関して、さして問題意識はなかったのでしょう。しかし、憲法公布から3年後に朝鮮半島で戦争が勃発すると、この問いが現実問題として日本憲法を作ったアメリカに突き付けられました。 それは、それまで日本を占領しながら内外の敵に睨みを利かせていた占領軍が朝鮮半島に出兵する必要に迫られ、そうなると日本列島に、ぽっかりと力の空白ができてしまうからです。 そして、その答えは簡単にでました。当時は冷戦が既に始まっており、力の空白は新たなる紛争を生む危険性を高めるため、アメリカは日本に治安維持部隊の創設を命じ、その結果できたのが、今の自衛隊のもととなる警察予備隊です。当初は、その名前の通り日本国内の治安維持を主任務とする警察のような組織でしたが、国際情勢の変化に合わせて徐々に軍隊のような国家防衛のための組織へと名称と共に変貌を遂げ、それに合わせて武装も強化されていきました。 本来は警察予備隊創設時や組織変更の度に、その都度、憲法改正を含め、しっかりとした議論を行わなければいけなかったのですが、左翼陣営の感情的な反対論に対して、責任を取りたくない政府与党が正面切っての対決を避け、その場しのぎの策を弄して妥協し問題を先送りしながら、反対陣営の批判をかわし続けてきた結果、日本が主権を回復したにも関わらず、物事の本質が占領中と変わらないまま60年以上の歳月が流れ、今に至っているのです。 そして今、日本を守っているアメリカの国力が低下していく中で、逆に日本を敵視する国の軍事力が大きくなってきているため危機が表面化し、今までアメリカに庇護されていることすら気がつかず、国防について考えることがなかった人たちも、ようやくそれに気が付くようになってきたのです。しかし、それにもかかわらず、現在の日本は抜本的に有効な対応策を見いだせていません。緊急発進で航空自衛隊那覇基地を離陸するF15戦闘機=4月13日 それは、今までアメリカに頼りきりで、いかにして国をまもるのかということを考えてこなかったツケが、ここにきて一気に回ってきているため、日本国民の思考回路が現実に追いついていないからです。そろそろ我々日本国民は、この憲法に代表される国際社会では通用しない戦後日本の誤った常識を捨て去り現実を直視しなければなりません。そうしなければ日本は国際社会の荒波に飲み込まれ、国家としての存続すら危うくなるでしょう。  さて抜本的な話として第9条の何が問題かと言いますと、自衛隊が事実上、第二項で保持を禁じられている「戦力」であることです。もっとはっきりと言えば、自衛隊の存在自体そのものが憲法違反の疑いがあるということです。物事には様々な解釈があるとはいえ、最新鋭の戦闘機、イージス艦、戦車を保持した20万人以上の訓練された隊員が所属する部隊を「戦力」ではないと強弁するのは相当無理があるのではないでしょうか。 だとすれば、違憲状態を解消するには「自衛隊を解体するか」それとも「憲法を変えるか」という二者択一の話になるはずなのですが、不思議なことに日本の憲法学者の大半が自衛隊は違憲であるが憲法解釈の必要はないと言い、このまま違憲状態を続けるべきであるという目茶苦茶な話をしております。彼らは現実世界の話などはどうでもよいと考え、永久にこのまま難解な日本語で書かれているが故に、専門家の解釈を必要とする憲法が存続することだけを目的としているのではないかと疑ってしまう程です。 現実問題として考えれば、日本は「軍隊を持たない国が、どんな悲惨な目に遭うか」ということを北方領土や竹島で体験済みですから、普通は軍隊を持たないという選択肢はあり得ず、憲法を改正するしか方法はないはずなのですが、なんと日本政府が、この問題を解決するために編み出した方法は、言葉や解釈を変えるというものでした。  まずは、その政府解釈を見てみましょう  わが国が独立国である以上、この規定(憲法9条)は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。  相変わらず、分かりにくいですね。  要は、 ・日本は主権国家であるので国家の成立時から自衛権を持つ、それは独立国家と不可分な自然権であるため憲法により武力の行使を禁じていたとしても行使が可能・故に憲法で戦力の保持を禁じていたとしても、自衛権を行使するために必要最小限度の実力を持つことは可能・それが自衛隊で、その基本方針は専守防衛であるということです。  つまり、憲法で「国権の発動たる戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」と「戦力の保持」を禁じていますが、それは「主権国家が当然の権利として保有する自衛権を否定するものではない」という解釈によって自衛隊が合憲であるとしているのです。もし、逆に憲法が「自衛権」をも否定するという解釈が成り立つのであれば、たちまち自衛隊の存在自体が違憲となってしまいます。 斯様に国家の安全保障の根幹に関わる重大事が、解釈一つで引っくり返る様な憲法で、果たして良いのでしょうか。実際、解釈変更は過去に何度も行われており、憲法制定当時の吉田首相は昭和21年に憲法改正草案の審議が行われた衆議院本会議において、共産党の野坂参三代議士の「自衛権は認めるべき」という質問に答えて「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。(一部抜粋)」と自衛権そのものを否定する答弁をしており、当時の政府見解は自衛権を否定するものでした。(ちなみに当時、自衛隊は存在しなかった。)個別は良くて集団はダメという屁理屈個別は良くて集団はダメという屁理屈 私は、独立した主権国家が自衛権を保持するということは自明の理であるという説に対して異論はありませんが、第三章で、あれほど国民の権利について色々と定めているのに比べて、国家の基本的かつ重大な権利について明文化していないのは、片手落ちという他ありません。肝心なことを明記していないがために「解釈改憲」の余地が生まれ、自衛権について様々な解釈が罷り通るようになり、個別は良くて集団はダメなどという屁理屈をこねる人たちが出てくるのです。 軍隊を持つか持たないか、いずれにしろ分かりにくい文言を止め、誰が読んでもわかりやすく、肝心なところに様々な解釈が入り込む余地がないようにするのが、本来の憲法があるべき姿ではないでしょうか。 今のように、屁理屈をこねくり回して「軍隊は認めないが必要最小限の自衛戦力は許される」というような中途半端な状態で、日本が保持する実力行使のための組織が「戦力」にあたらないと言いたいが為に、組織の名称を「軍」ではなく自衛「隊」とし、階級も帝国陸海軍の「大佐」「少佐」から「一佐」「三佐」に変え、「駆逐艦」を「護衛艦」、「歩兵」を「普通科」と呼ぶのは、「自分たちが『軍』ではないと言っているのだから、自衛隊は『軍』であるはずがない」と強弁しているようなもので、何か舌先三寸で黒を白だと言いくるめているような、いかにも姑息な印象は免れず、これでは、いつまで経っても日本は健全な独立国とは言えません。 また、これらの議論は日本国内でのみ通じる話で、海外では議論の余地なく自衛隊は「軍」として認知されており、自衛隊は一歩国外に出れば軍として扱われるにも関わらず、国内においては「軍」ではないという縛りにより雁字搦めになっています。このことは非常に大きな問題で、国際法では軍隊以外の者が戦闘行為を行えば違法行為となり処罰の対象となるだけではなく、捕虜となる権利をはじめとする様々な権利を享受できません。つまり実際に戦闘行為を行った場合、自衛官が国内法に従えば国際法に抵触し捕虜になることすらできず、かといって国際法に基づけば国内法に違反するという、どちらにしても非難を受ける恐れがあるのです。 それを避けるには都合よく国際法と国内法を使い分けるしかありませんが、実際の戦闘中にそんな複雑なことが行えるのでしょうか。また仮に、そのような都合のいい話が国内的には通用したとしても対外的に通用するのかは甚だ疑問です。このような自衛官の生死を分けるかも知れない大問題を、そのままにして自衛官のリスクを語るなど笑止千万としか言いようがないのですが、残念なことに、それを問題だと感じる人が少ないのが今の日本の現状です。そして、それ故に真面目な自衛官ほど、そのギャップによるストレスに苦しんでいます。 具体的な話として、イラク復興支援部隊に参加していた人から、現地で行われた複数国による合同訓練に自衛隊だけが集団的自衛権を理由に参加できず、「当日は、恥ずかしくてキャンプから一歩も出ることができなかった」と聞いたことがあります。他にも外国人の目には、自衛隊が軍であるにもかかわらず決して紛争地域に足を踏み入れないことや、ひとたび紛争が起これば無条件に退却するという話は奇異なものとしてしか映らず、このような二重基準(ダブルスタンダード)はなかなか理解されません。そもそも危険を忌避して輸送作業や土木作業だけを行うのであれば、運送会社や土建会社に任せれば良いだけの話であり自衛隊が行く意味がありません。  今後、自らが望むと望まざるにかかわらず、我が国が国際紛争の第一線に立つ日が来ることが避けられそうにもないという現実を直視すれば、このままこのような二重基準を続けていくことは、国際的にも国内的にも許されません。他国がうらやむような装備を持つ自衛隊が、憲法を理由に「他国のためには血を流さない」というのは、もう通用しないのではないでしょうか。そのようなことを続けていれば、いずれ日本は国際的な信用を失い孤立するでしょう。 逆に、国際社会の圧力により、中途半端な法改正で自衛官に手かせ足かせをはめたまま海外に送り出すのは、あまりにも無責任な話です。一国を代表する軍事組織が政治家の都合のいいように、軍隊になったりならなかったりするというのは他国では決してありえない話であり、「自衛隊が軍になれば危険だ」と言う人もいますが、使い方を誤ると国家の存亡にかかわるような自衛隊という実力組織を法的に中途半端な状態にして解釈次第でどうとでもなるという状態のほうが余程危険です。 日頃、いわゆる平和活動を行っている人たちの多くは憲法を変えてはならないと言いますが、これらの問題を根本的に解消するためには、憲法を改正するしか方法はないでしょう。 また、世界中の国では軍人に対して、自らの命を賭して国家を守るという任務の重さに比例した名誉と地位が与えられていますが、我が国自衛官は厳しい任務を課せられても、それに相応しい名誉や地位が与えられていません。これも自衛隊が法的に中途半端な組織だからです。  さて、我が国は、なぜ国防という国家の最重要任務に従事している人たちが、軍隊と名乗ることすらできず卑屈な態度をとり続けなければいけないのでしょうか。それは第二次世界大戦の敗戦国だからでしょうか? 確かに、それも理由の一つでしょうが、同じ敗戦国でもドイツには国軍があります。ドイツと日本との違いは何か。それは憲法です。第二次世界大戦直後、アメリカは国際法により禁じられているにも関わらず、恐るべき強敵であった日本が二度と自分たちに立ち向かってこないよう、日本人の精神を骨抜きにするため自分たちに都合の良い憲法を押し付け、それを崇め奉るよう報道機関を検閲するなどして巧妙に日本人を洗脳しました。 そして公職追放により学会や教育界を含む日本の主要なポストに就いていた人たちが大量に排除されたことにより、それまで日の当たらなかった人たちが棚ぼた式に要職に就くようになりました。彼らは、それを恩義に感じてか自らの地位を守ろうとしてかアメリカ占領体制=日本国憲法の維持に全力を傾けるようになり、主権回復後も反日勢力と一体となり長い間、占領軍の言い付けを守り、大半のマスコミが、それに協力してきた結果、多くの素直な日本人が、この異常な状態に疑問を持たなくなってしまったのが今の日本です。 一方のドイツは占領軍から新しい憲法を作るように命令されましたが、将来、占領軍が去った後、自らの手で自主憲法を制定すべく「憲法」と名乗らず基本法を制定し、それを施行後50回以上も改正しています。日本では幼いころから教師やマスコミが、日本が平和なのは憲法第9条のおかげであるという幻想を子供に刷り込んでいますから、素直な人ほど信じてしまうのは、ある意味、仕方がないのかもしれませんが、それにしても思考停止している人が多すぎます。 だいたい今の憲法が、本当に日本人自身が自分たちの国や家族そして仲間などのことを考えて作ったものであるならば、領土領海が侵略され同胞が殺され連れ去られても、憲法の定めによりどうすることもできないというような馬鹿げたことにはならないでしょう。 終戦から70年の歳月が流れ、強烈な戦争体験やアメリカの洗脳工作も冷静に判断できる環境が整ってきた今こそ、我々日本人は、誰が何のために、この憲法を作ったのかということを踏まえたうえで、日本の国が進むべき道を虚心坦懐に考え、この憲法をどうするかという結論を出すべきではないでしょうか。(つづく)

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    日本国憲法のここがおかしい

     我が国は、明治23年(1890年)に近代憲法を施行して以来、125年の長きに渡り一度も自らの手で憲法を変えた事がないという、とても特殊な国です。 アメリカが現在の形に憲法を変えてからでも約70年、その間一度も国民レベルで改正の論議すら行われて来ませんでした。 本来、現行憲法は我が国の主権が大幅に制限された状態下で、アメリカから来た法律の素人が日本を服従させるために考えたものなのですから、昭和27年4月28日の日本(沖縄など一部島嶼地域を除く)が主権を回復した日に、改正若しくは追認(独立しても、この憲法を使い続けるという意思確認)など、日本国民自らが何らかの意思表示をすべきでした。 しかし、占領軍に検閲を強いられ、それが習い性になったマスコミ、公職追放によって棚ぼた式に要職に就いた官僚や学者など、日本の敗戦により得た自己の利権を守りたい人たちの手により、長らく日本国憲法は不磨の大典として扱われ、本来、国民が持っているはずの「改憲」の権利は奪われ続けてきました。 何しろ10年くらい前までは「改憲」と一言発するだけで、条件反射のように「軍国主義者」呼ばわりされるくらい憲法は神聖視されていましたから、改正は疎か批判すること自体が禁止されていたようなものでした。与野党7党が鬼塚誠・衆院事務総長(左から4人目)に国民投票法改正案を提出 2014年4月8日、国会内(酒巻俊介撮影) 驚くのは平成22年に日本国憲法の改正手続きに関する法律(国民投票法)が施行されるまで、60年以上も憲法を変える手続きが定められていなかったことです。これは、日本国民の大半が憲法を変える気がなかった、あるいは変える事が不可能と思い込んでいたとはいえ、法治国家としてはあまりにもお粗末です。 この責任は、主権者である日本国民全員が負うものですが、中でも「新憲法制定」を結党の理念に掲げ、誕生してから約60年の間、ほとんど政権を担っていたにもかかわらず何もできなかった自由民主党をはじめとする国会議員の職務放棄に近い怠慢は特に非難されてしかるべきでしょう。  このように戦後利権という分厚い氷に守られていた日本国憲法ですが、ここ数年で改憲に関して具体的な話ができるようになり、早ければ来年にでも国会で改憲の発議が行われる可能性が高くなってきました。そうなれば、我国において初めての国民投票が行われるわけですが、多くの国民が長らく憲法について考えることを避けてきた為、今一つ憲法に対する理解が足りないような気がします。 今後、憲法改正の国民投票が行われたとき、憲法をよく知らないまま投票するのは、あまりにも勿体無いとしか言いようがありません。そこで、今一度日本国憲法を見直してみようと思います。まずは、前文です。 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 ざっと読んだ感想を一言でいえば「分かりにくい」というものですが、それもそのはず原文が英語なのですから日本語の表現になじまないのは当然です。それに表現の問題だけではなく内容自体も首を傾げたくなる様なところも多々ありますので、特に気になる個所を抜き出してみます。 『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする』 いったい、どこの国の政府のことを指しているのでしょうか? 日本だけが何もしなければ戦争が起こらないのでしょうか? 『人類普遍の原理』 西欧的価値観の押しつけである、日本には日本の価値観もある。 『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』  確かにこの憲法が作られたときは、日本はアメリカの占領下にあり、軍隊は廃止させられていたので自身で自国の防衛はできませんでした。そのため「平和を愛する諸国民」=アメリカにまもってもらうのは当然であったと言えるでしょう。しかし、独立国となった昭和27年4月28日以降も他国に自分たちの安全と生存を委ねるというのは国家の重大な責務を放棄しているとしか言いようがありません。そして、この文言をそのまま読めば、自分たちの安全と生存を他者にゆだねているのですから、自衛隊の存在自体を問いなおさなければなりません。この前文の精神が浸透した結果、当時のアメリカが、そこまで意図していたのかどうかわかりませんが、多くの日本国民は自分で自分の身をまもることを止め、他人にまもってもらうのが当たり前だと思うようになってしまいました。  とはいえ、ここに記されていることのすべてが、間違いというわけではありません。例えば『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』という部分です。名誉ある地位という表現は抽象的で分かり辛いのですが、おそらく、例示されているような人権侵害を撲滅するために努力するという意味なのでしょう。だとすれば至極当然のことなので、それ自体は問題ないのですが、実際の行動が伴っているかというと、そうではないと言わざるを得ません。本当に、そうであるならば、日本はこれらの人権侵害を現在進行形で行っている国家などに対して積極的にそのような蛮行を止めさせるように働きかけるべきなのですが、残念ながらそのようなことはなされていません。国益を考えて直接言うのが難しいとしても、せめて援助などの人権侵害の助けとなるようなことは行うべきではないでしょう。他にも『自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』とありますが、これも言っていることは正しいですが、実際の行動はどうでしょうか。この憲法の殻に閉じこもりながら「日本だけが平和であれば良い」と、国際社会からの危険を伴う人的支援の要請を断り、他国を無視してはいませんか。ただ単に金をばらまくだけでは、他国からの尊敬を受けることなど難しく、ましてや名誉ある地位などほど遠いでしょう。(続く)

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    ワイセツ裁判 はじまりました!

    スマスの日、ついに起訴されてしまったよ。 そしていよいよ裁判がはじまったので、このコラムでその様子を連載することになったのだけど、なし子さんは今、逮捕バブルであちこち飛び回って忙しいから、代わりにまんこがこのコラムを担当することになったんだ。よろちくびだよ!裁判もニコ生で流してほしい さて、2015年4月15日、めでたくも仏滅の水曜日は、ろくでなし子事件の初公判。10時からはじまるその裁判の、たった25枚しかない傍聴券を獲得するため、平日の朝9時半に200人くらいの人たちが裁判所の前に並んでいたよ。まんこは関係者だから入れたけれど、こんなに注目されている裁判だったら、もっと人が沢山入れる法廷にすればいいのに!なし子さんも、「こっちは堂々と闘いたいから裁判もテレビとかニコニコ生放送で流してほしい」って言ってたよ。なんでコソコソ隠すのかな? ヘンなの~。 とにかく裁判は10時からはじまりまんこ。この日は、裁判官も、検察も、なし子さんも、お互い顔を合わせるのが初めての日。 テレビドラマでいうなら、初回のメインキャストのキャラクター紹介みたいな感じ。 裁判官は男女あわせて3名。これは珍しいことで、なし子さんのような罪状が軽い事件の裁判だったら、裁判官は一人なのがふつうなのに、まんこなだけによっぽど慎重に扱わないといけないと思ったのかな。3人のうち、主任の裁判官は真面目そうな女性だったよ。(裁判官が不真面目そうだったら困るよね!) なし子さんのライバルである検察官も男女あわせて3名いたよ。主任は若い女の人。ろくでなし子さんいわく、法廷ではキツそうだけど、飲み屋とかで会ったらノリノリで打ち解けそうなタイプだって。 ろくでなし子さんの方は、弁護団が7名。そのうち説明したいけど、弁護団の先生方も、オタクロイヤーって自分で言ってるやまべんや、ミュージシャンをしている先生が二人もいたり、みんなキャラクターがたっていて面白いよ。 さて、まずはキツそうな検事の女性がろくでなし子さんの罪状をざっくりドヤ顔で述べたあと、ろくでなし子さんの意見陳述タイム。なし子さんは、12月の、まだ留置場にいた時にも「勾留理由開示裁判」という、なんでわたしが身柄を拘束されなきゃいけないの?と訴えることができる裁判でまんこをれんこしまくって、その時の裁判官に「言い方を工夫しなければ退廷させます!」と怒られちゃったんだ。 「なぜ『まんこ』と言ってはならないのか?」という真剣な問いかけなのに、まんこと言ってはならないのは、おかしな話だよ。 けれど単に「まんこ」を言い張りたいヘンな人に見られたら損だなと思ったろくでなし子さんは、今回の裁判では、「まんこ」発言は一回にとどめたんだって。 代わりになし子さんは、まんこアートの作品名を列挙していったよ。 なし子さんがまじめに作った作品はワイセツなんかじゃない、楽しくてユーモラスな作品なのだということが、タイトルでも伝わるはずだから、と。 「スイーツまん」「ジオラまん」「リモまん」「レディガガまん」 「草間彌生にオまーんジュまん」「暗闇で光るシャンデビラ」「iPhoneが入らないiPhoneカバーまん」「まんこを船にしたマンボート」… ろくでなし子さんは真剣に裁判官に訴えていたけれど、傍聴していた人によれば、iPhoneが入らないiPhoneカバーまんあたりで笑いをこらえきれない人も居たみたいだよ。フェアじゃない! 隠したがる検察 そんななし子さんの意見陳述タイムがこの初公判のメインステージだから、意見陳述が終ってしまったら、あとは検察が証拠品―なし子さんの作品の中でも特にこれがワイセツだ!という3点のデコまん―を法廷に持ってきて、「これはあなたが作った作品ですね?」「はいそうです」という確認をする事務的なやりとりだけで、退屈かな?ってまんこは油断していたよ。ところが、そうじゃなかったんだ…。 検察は、その確認作業をなぜか傍聴人に隠すように、わざわざ面白い見せ方を仕掛けたんだよ。 通常の裁判では、たとえば被告人が使用した覚せい剤や大麻、犯行に使った凶器などを被告人に確認させる際、傍聴人にも特に隠さず、その場で堂々と示されるものなんだって。 だけど問題の3つのデコまんは、おそらく検察がお手製の深さ20センチくらいの深い木の箱に、風呂敷をかぶせられて登場したんだよ。まるで風呂敷をとったら鳩がでてくるマジックショーみたい。そしてその木箱は、傍聴席からは絶対見えない場所に置かれて、ろくでなし子さんはのぞきこんで見ないと3つの作品を確認することができなかったんだ。箱にはご丁寧にお手製の仕切り板がしこまれ、そこにプチプチが敷かれ、壁面には黒い画用紙まで貼られていたんだって。こまけー! っていうか、これがワイセツかどうかを堂々と裁判で争いたいっていってるのに、なんで検察はそこまで必死に隠したがるの? なんだかちっともフェアーじゃないよね!  そんな疑問をおおいにはらんだまま、初公判はビラビラと幕をとじたよ。ちなみに、検察が特にワイセツだと認定したデコまん3点のうちのひとつである「スイーツまん」はインターネットでググレばいつでも観れるんだ。 だから、このコラムを読んでくれて、それでも「まんこ=エロいもの」というイメージをふっしょくできないおじさん達にも是非、スイーツまんの画像を見て、コレが本当にワイセツなの?って自分の頭で考えてほしいよ。ワイセツって何ですか? つづく ※次回ろくでなし子のワイセツ裁判は東京地方裁判所にて、5月11日(月)10時からはじまりまんこ! (記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております■ろくでなし子第2回公判速報 3D女性器「生々しさなく興奮は変態」(2015年5月11日 日刊スポーツ)