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    なんでもかんでも先送り…裁判って、なんじゃらホイ!?

     iRONNA読者のみんな、まんにちは! まだ6月なのに、毎日暑くてイヤになっちゃうネ! まんこ、見た目どおりビラビラしてるから、この季節は湿気で蒸れて、タイヘンなの~(; ̄□ ̄A ところで、暑さでどうでもよくなりそうだけど、先月5月11日のろくでなし子さんの裁判公判第二回目のレポをビラビラお届けするヨ!  この日は、検察官の追加の証拠調べと、それに対する弁護人の意見チン述と、検察官が提示する証拠の取り調べ。ろくでなし子さんのトークタイムもなく、ただ検事の話をぼ~んやり聞いてるだけの、地味~な回なので、記者会見も行われなかったというのに、たった29枚の傍聴券を求めて104人も集まってきたらしいヨ。  ただ、ちょっとヘンなのは、そこまで傍聴券を求める人たちがいながら、法廷では、なぜかいくつか空席があったこと。傍聴券の抽選に並んでいた人の話によれば、「抽選間際にスーツを着た男性の団体が急に入ってきて、抽選が終ったら、ゾロゾロと桜田門の方に去って行った」とか。…もしかして、みんなに傍聴させないように、誰かが妨害をしてる!? 桜田門と言えば…ま、さ、か、ネ~? また新しいネタが増えちゃう☆証人をめぐってひともんちゃく さて、裁判の方はというと、やっぱり検事がナンチャラカンチャラと専門用語ばかりで、最初はちょう眠かったとなし子さん。あいかわらず 「漫画のネタに行き詰まって犯行に及んだ」とか「女性器でなら食べていけると思って犯行に及んだ」とか、まじめに語れば語るほどおかしな表現で棒読みする検事にワロリンゴ。このまま時が過ぎゆくかと思いきや、次(第三回目)の裁判に検事側が呼びたい証人(ろくでなし子さんの“犯罪”を法廷に来て証言する人)の候補の話になって、ひともんちゃく。 検事が呼びたい証人は、Aさん・Bさんの2名。Aさんは、ろくでなし子さんのまんこの3Dデータをプリントアウトした科学捜査研究所のおにいさん。 ろくでなし子さんがネットを通して支援者に配ったとされる3Dまんこデータは、実は、受け取った人は誰もプリントアウトしてなかったので、このデータがワイセツかどうかを警察が実際に3Dプリントして、あらゆる角度から写真をとり、豪華な美術カタログのようにまとめてくれたんだけど、その機種の型番をググったら、およそ900マン円もするちょうぜつ高級3Dプリンターだったの! つまり、警察は、普通の人はぜったい買えないすごいプリンターで印刷して、「ほら!こんなに精巧で淫らなまんこが刷れたヨ!ワイセツじゃ、ワイセツじゃ!」と騒いでるの。そんなクソ高いプリンターなら、さぞや立派なまんこが刷り上がるっつーの!普通の人でも手に入れられる3Dプリンターで検証すべき! だから、この科捜研のおにいさんには、むしろ是非とも法廷に来てほしいくらいだヨ! だけど、問題は、もう一人のBさん。問題っていうより、呼ぶ必要があるのか、謎なの。 Bさんは、おそらく、ろくでなし子さんがデコまん作品などを展示していた女性向けアダルトグッズショップ「ラブピースクラブ」にこっそり内定に来た警察のおばさん。べつにBさんを呼んでもかまわないけど、店内の様子はすでにBさんがこっそり隠し撮りしたと思われる写真や動画や、警察がガサ入れに入ったときに沢山写真をとってるから、あらためて証言なんてしなくても十分だし、呼んでも時間のムダ。裁判は、今後もまだまだ長引きそうだから、ちゃっちゃっとやりたいよネ? そこでろくでなし子さんの弁護団のやまべん(山口貴士弁護士)が、Bさんの呼び出しに異議を申し立てたんだけど、検事がこう言ったの。「証人Bの呼び出しは妥当です!Bは当時の店内を説明できるので!なぜなら、ワイセツ性の判断のためには陳列状況も重要だからです!」 …ん~?なんかヘンだヨ? もしも、デコまんがワイセツ物なら、どの場所でどうやって展示されていてもワイセツはワイセツなはず。なのに、検事は“アダルトショップでの展示“にこだわってる。それって、デコまんそのものだけではワイセツ物だと言い切る自信がないってことじゃネ??? だけど、検事はあくまでもBさんを呼ぼうとする。やまべんはそれに異議を申し立てる。で、仕方ないから3人の裁判官達が、「合議します」って、別室に3分ほどおこもりヨ。話し合うほどたいしたことでもないのに。んで、しばらくして、裁判官たちが帰ってきて結果発表したんだけど、なんて言ったと思う? 「ケツ論は、次回まで、保留」 …この日は他にも裁判官たちが合議という名のおこもりをしたけど、結局「保留」「保留」で、なーんにも決まらなかったの。裁判って、なんじゃらホイ!? こんな事ばかり続くなら、まんこ、イライラして口から経血吹き出しちゃうヨ!ブホーーーー! (記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております ろくでなし子漫画家・まんこアーティスト。2013年秋、まんこを3Dスキャンし、そのデータで今性器(世紀)初のマンボートを制作、たまん川(多摩川)にて進水を果たす。その制作費用に利用したクラウドファンドで、出資者へのお礼に3DデータをダウンロードできるURLを送信した事などが要因で、2度に渡り逮捕される。釈放後は勾留中の体験を漫画や書籍に執筆し、表現の自由を訴える活動を精力的に続けている。単行本「ワイセツって何ですか?—自称芸術家と呼ばれた私—」(金曜日刊)が発売中

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    憲法が日本を骨抜きにする

     今回は、この憲法の最大の特徴であり最大の問題点である第九条について考えてみます。  まずは、その条文を読んでみましょう。第一項  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。第二項  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 この第一項だけを素直に読めば、単に「二度と戦争はしない」という意味ではなく、たとえ戦争のように大掛かりでなくとも他国に対して一切の武力を行使することはおろか、威嚇すなわち抑止力を持つことすら禁じられています。しかも「永久」にです。ここに当時のアメリカが、如何に日本軍を恐れ、それを封じ込めようとしていたのかということが良くわかります。 そして我々日本国民は、この条文のために(条文だけが原因ではありませんが)他国が領土を侵略しても、同胞が殺され連れ去られようとも何もできませんでした。 今も、その問題は続いていますが、偽りの平和にどっぷりとつかっている人達は、その現実に目を塞いだままです。 続く第二項では「戦力」の不保持と「交戦権???」を否認するという念の入れ方で、徹頭徹尾、日本軍の復活を封じようとしています。ちなみに「交戦権」というのは今も昔も国際的に定義は確立されておらず(ただし、現在、日本政府は日本国憲法の交戦権について独自の見解を発表しています。)憲法起草の実務的な責任者で当時民政局次長であったチャールズ・ケーディス氏ですら、昭和56年に行われた日本の新聞社のインタビューの中で「交戦権ということが理解できなかった。正直なところ今でも分からない」と答えています。  おまけに、占領軍がいかに大雑把に日本国憲法を作り、それを日本に押し付けたかということを認め、日本国民が主権回復後も自分たちが占領中に適当に作った日本国憲法を、いまだに使い続けていることが理解できないようでした。防衛力を持たない国家は存続可能? 普通の人間が、この第二項を素直に読めば「日本は軍隊どころか、いかなる戦う力をも持たない。従って、いついかなる時も戦わない」と解しますが、果たして独立した国家が戦う力=防衛力を持たずに存続可能なのでしょうか? 前文解説の繰り返しになりますが、この憲法を作った時、日本はアメリカの占領下であったため軍隊はなく大幅に主権が制限された状態でしたから、この問いに関して、さして問題意識はなかったのでしょう。しかし、憲法公布から3年後に朝鮮半島で戦争が勃発すると、この問いが現実問題として日本憲法を作ったアメリカに突き付けられました。 それは、それまで日本を占領しながら内外の敵に睨みを利かせていた占領軍が朝鮮半島に出兵する必要に迫られ、そうなると日本列島に、ぽっかりと力の空白ができてしまうからです。 そして、その答えは簡単にでました。当時は冷戦が既に始まっており、力の空白は新たなる紛争を生む危険性を高めるため、アメリカは日本に治安維持部隊の創設を命じ、その結果できたのが、今の自衛隊のもととなる警察予備隊です。当初は、その名前の通り日本国内の治安維持を主任務とする警察のような組織でしたが、国際情勢の変化に合わせて徐々に軍隊のような国家防衛のための組織へと名称と共に変貌を遂げ、それに合わせて武装も強化されていきました。 本来は警察予備隊創設時や組織変更の度に、その都度、憲法改正を含め、しっかりとした議論を行わなければいけなかったのですが、左翼陣営の感情的な反対論に対して、責任を取りたくない政府与党が正面切っての対決を避け、その場しのぎの策を弄して妥協し問題を先送りしながら、反対陣営の批判をかわし続けてきた結果、日本が主権を回復したにも関わらず、物事の本質が占領中と変わらないまま60年以上の歳月が流れ、今に至っているのです。 そして今、日本を守っているアメリカの国力が低下していく中で、逆に日本を敵視する国の軍事力が大きくなってきているため危機が表面化し、今までアメリカに庇護されていることすら気がつかず、国防について考えることがなかった人たちも、ようやくそれに気が付くようになってきたのです。しかし、それにもかかわらず、現在の日本は抜本的に有効な対応策を見いだせていません。緊急発進で航空自衛隊那覇基地を離陸するF15戦闘機=4月13日 それは、今までアメリカに頼りきりで、いかにして国をまもるのかということを考えてこなかったツケが、ここにきて一気に回ってきているため、日本国民の思考回路が現実に追いついていないからです。そろそろ我々日本国民は、この憲法に代表される国際社会では通用しない戦後日本の誤った常識を捨て去り現実を直視しなければなりません。そうしなければ日本は国際社会の荒波に飲み込まれ、国家としての存続すら危うくなるでしょう。  さて抜本的な話として第9条の何が問題かと言いますと、自衛隊が事実上、第二項で保持を禁じられている「戦力」であることです。もっとはっきりと言えば、自衛隊の存在自体そのものが憲法違反の疑いがあるということです。物事には様々な解釈があるとはいえ、最新鋭の戦闘機、イージス艦、戦車を保持した20万人以上の訓練された隊員が所属する部隊を「戦力」ではないと強弁するのは相当無理があるのではないでしょうか。 だとすれば、違憲状態を解消するには「自衛隊を解体するか」それとも「憲法を変えるか」という二者択一の話になるはずなのですが、不思議なことに日本の憲法学者の大半が自衛隊は違憲であるが憲法解釈の必要はないと言い、このまま違憲状態を続けるべきであるという目茶苦茶な話をしております。彼らは現実世界の話などはどうでもよいと考え、永久にこのまま難解な日本語で書かれているが故に、専門家の解釈を必要とする憲法が存続することだけを目的としているのではないかと疑ってしまう程です。 現実問題として考えれば、日本は「軍隊を持たない国が、どんな悲惨な目に遭うか」ということを北方領土や竹島で体験済みですから、普通は軍隊を持たないという選択肢はあり得ず、憲法を改正するしか方法はないはずなのですが、なんと日本政府が、この問題を解決するために編み出した方法は、言葉や解釈を変えるというものでした。  まずは、その政府解釈を見てみましょう  わが国が独立国である以上、この規定(憲法9条)は、主権国家としての固有の自衛権を否定するものではない。政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えに立ち、わが国は、憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。  相変わらず、分かりにくいですね。  要は、 ・日本は主権国家であるので国家の成立時から自衛権を持つ、それは独立国家と不可分な自然権であるため憲法により武力の行使を禁じていたとしても行使が可能・故に憲法で戦力の保持を禁じていたとしても、自衛権を行使するために必要最小限度の実力を持つことは可能・それが自衛隊で、その基本方針は専守防衛であるということです。  つまり、憲法で「国権の発動たる戦争」や「武力による威嚇又は武力の行使」と「戦力の保持」を禁じていますが、それは「主権国家が当然の権利として保有する自衛権を否定するものではない」という解釈によって自衛隊が合憲であるとしているのです。もし、逆に憲法が「自衛権」をも否定するという解釈が成り立つのであれば、たちまち自衛隊の存在自体が違憲となってしまいます。 斯様に国家の安全保障の根幹に関わる重大事が、解釈一つで引っくり返る様な憲法で、果たして良いのでしょうか。実際、解釈変更は過去に何度も行われており、憲法制定当時の吉田首相は昭和21年に憲法改正草案の審議が行われた衆議院本会議において、共産党の野坂参三代議士の「自衛権は認めるべき」という質問に答えて「近年の戦争の多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認めることが戦争を誘発する所以であると思うのであります。(一部抜粋)」と自衛権そのものを否定する答弁をしており、当時の政府見解は自衛権を否定するものでした。(ちなみに当時、自衛隊は存在しなかった。)個別は良くて集団はダメという屁理屈個別は良くて集団はダメという屁理屈 私は、独立した主権国家が自衛権を保持するということは自明の理であるという説に対して異論はありませんが、第三章で、あれほど国民の権利について色々と定めているのに比べて、国家の基本的かつ重大な権利について明文化していないのは、片手落ちという他ありません。肝心なことを明記していないがために「解釈改憲」の余地が生まれ、自衛権について様々な解釈が罷り通るようになり、個別は良くて集団はダメなどという屁理屈をこねる人たちが出てくるのです。 軍隊を持つか持たないか、いずれにしろ分かりにくい文言を止め、誰が読んでもわかりやすく、肝心なところに様々な解釈が入り込む余地がないようにするのが、本来の憲法があるべき姿ではないでしょうか。 今のように、屁理屈をこねくり回して「軍隊は認めないが必要最小限の自衛戦力は許される」というような中途半端な状態で、日本が保持する実力行使のための組織が「戦力」にあたらないと言いたいが為に、組織の名称を「軍」ではなく自衛「隊」とし、階級も帝国陸海軍の「大佐」「少佐」から「一佐」「三佐」に変え、「駆逐艦」を「護衛艦」、「歩兵」を「普通科」と呼ぶのは、「自分たちが『軍』ではないと言っているのだから、自衛隊は『軍』であるはずがない」と強弁しているようなもので、何か舌先三寸で黒を白だと言いくるめているような、いかにも姑息な印象は免れず、これでは、いつまで経っても日本は健全な独立国とは言えません。 また、これらの議論は日本国内でのみ通じる話で、海外では議論の余地なく自衛隊は「軍」として認知されており、自衛隊は一歩国外に出れば軍として扱われるにも関わらず、国内においては「軍」ではないという縛りにより雁字搦めになっています。このことは非常に大きな問題で、国際法では軍隊以外の者が戦闘行為を行えば違法行為となり処罰の対象となるだけではなく、捕虜となる権利をはじめとする様々な権利を享受できません。つまり実際に戦闘行為を行った場合、自衛官が国内法に従えば国際法に抵触し捕虜になることすらできず、かといって国際法に基づけば国内法に違反するという、どちらにしても非難を受ける恐れがあるのです。 それを避けるには都合よく国際法と国内法を使い分けるしかありませんが、実際の戦闘中にそんな複雑なことが行えるのでしょうか。また仮に、そのような都合のいい話が国内的には通用したとしても対外的に通用するのかは甚だ疑問です。このような自衛官の生死を分けるかも知れない大問題を、そのままにして自衛官のリスクを語るなど笑止千万としか言いようがないのですが、残念なことに、それを問題だと感じる人が少ないのが今の日本の現状です。そして、それ故に真面目な自衛官ほど、そのギャップによるストレスに苦しんでいます。 具体的な話として、イラク復興支援部隊に参加していた人から、現地で行われた複数国による合同訓練に自衛隊だけが集団的自衛権を理由に参加できず、「当日は、恥ずかしくてキャンプから一歩も出ることができなかった」と聞いたことがあります。他にも外国人の目には、自衛隊が軍であるにもかかわらず決して紛争地域に足を踏み入れないことや、ひとたび紛争が起これば無条件に退却するという話は奇異なものとしてしか映らず、このような二重基準(ダブルスタンダード)はなかなか理解されません。そもそも危険を忌避して輸送作業や土木作業だけを行うのであれば、運送会社や土建会社に任せれば良いだけの話であり自衛隊が行く意味がありません。  今後、自らが望むと望まざるにかかわらず、我が国が国際紛争の第一線に立つ日が来ることが避けられそうにもないという現実を直視すれば、このままこのような二重基準を続けていくことは、国際的にも国内的にも許されません。他国がうらやむような装備を持つ自衛隊が、憲法を理由に「他国のためには血を流さない」というのは、もう通用しないのではないでしょうか。そのようなことを続けていれば、いずれ日本は国際的な信用を失い孤立するでしょう。 逆に、国際社会の圧力により、中途半端な法改正で自衛官に手かせ足かせをはめたまま海外に送り出すのは、あまりにも無責任な話です。一国を代表する軍事組織が政治家の都合のいいように、軍隊になったりならなかったりするというのは他国では決してありえない話であり、「自衛隊が軍になれば危険だ」と言う人もいますが、使い方を誤ると国家の存亡にかかわるような自衛隊という実力組織を法的に中途半端な状態にして解釈次第でどうとでもなるという状態のほうが余程危険です。 日頃、いわゆる平和活動を行っている人たちの多くは憲法を変えてはならないと言いますが、これらの問題を根本的に解消するためには、憲法を改正するしか方法はないでしょう。 また、世界中の国では軍人に対して、自らの命を賭して国家を守るという任務の重さに比例した名誉と地位が与えられていますが、我が国自衛官は厳しい任務を課せられても、それに相応しい名誉や地位が与えられていません。これも自衛隊が法的に中途半端な組織だからです。  さて、我が国は、なぜ国防という国家の最重要任務に従事している人たちが、軍隊と名乗ることすらできず卑屈な態度をとり続けなければいけないのでしょうか。それは第二次世界大戦の敗戦国だからでしょうか? 確かに、それも理由の一つでしょうが、同じ敗戦国でもドイツには国軍があります。ドイツと日本との違いは何か。それは憲法です。第二次世界大戦直後、アメリカは国際法により禁じられているにも関わらず、恐るべき強敵であった日本が二度と自分たちに立ち向かってこないよう、日本人の精神を骨抜きにするため自分たちに都合の良い憲法を押し付け、それを崇め奉るよう報道機関を検閲するなどして巧妙に日本人を洗脳しました。 そして公職追放により学会や教育界を含む日本の主要なポストに就いていた人たちが大量に排除されたことにより、それまで日の当たらなかった人たちが棚ぼた式に要職に就くようになりました。彼らは、それを恩義に感じてか自らの地位を守ろうとしてかアメリカ占領体制=日本国憲法の維持に全力を傾けるようになり、主権回復後も反日勢力と一体となり長い間、占領軍の言い付けを守り、大半のマスコミが、それに協力してきた結果、多くの素直な日本人が、この異常な状態に疑問を持たなくなってしまったのが今の日本です。 一方のドイツは占領軍から新しい憲法を作るように命令されましたが、将来、占領軍が去った後、自らの手で自主憲法を制定すべく「憲法」と名乗らず基本法を制定し、それを施行後50回以上も改正しています。日本では幼いころから教師やマスコミが、日本が平和なのは憲法第9条のおかげであるという幻想を子供に刷り込んでいますから、素直な人ほど信じてしまうのは、ある意味、仕方がないのかもしれませんが、それにしても思考停止している人が多すぎます。 だいたい今の憲法が、本当に日本人自身が自分たちの国や家族そして仲間などのことを考えて作ったものであるならば、領土領海が侵略され同胞が殺され連れ去られても、憲法の定めによりどうすることもできないというような馬鹿げたことにはならないでしょう。 終戦から70年の歳月が流れ、強烈な戦争体験やアメリカの洗脳工作も冷静に判断できる環境が整ってきた今こそ、我々日本人は、誰が何のために、この憲法を作ったのかということを踏まえたうえで、日本の国が進むべき道を虚心坦懐に考え、この憲法をどうするかという結論を出すべきではないでしょうか。(つづく)

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    日本国憲法のここがおかしい

     我が国は、明治23年(1890年)に近代憲法を施行して以来、125年の長きに渡り一度も自らの手で憲法を変えた事がないという、とても特殊な国です。 アメリカが現在の形に憲法を変えてからでも約70年、その間一度も国民レベルで改正の論議すら行われて来ませんでした。 本来、現行憲法は我が国の主権が大幅に制限された状態下で、アメリカから来た法律の素人が日本を服従させるために考えたものなのですから、昭和27年4月28日の日本(沖縄など一部島嶼地域を除く)が主権を回復した日に、改正若しくは追認(独立しても、この憲法を使い続けるという意思確認)など、日本国民自らが何らかの意思表示をすべきでした。 しかし、占領軍に検閲を強いられ、それが習い性になったマスコミ、公職追放によって棚ぼた式に要職に就いた官僚や学者など、日本の敗戦により得た自己の利権を守りたい人たちの手により、長らく日本国憲法は不磨の大典として扱われ、本来、国民が持っているはずの「改憲」の権利は奪われ続けてきました。 何しろ10年くらい前までは「改憲」と一言発するだけで、条件反射のように「軍国主義者」呼ばわりされるくらい憲法は神聖視されていましたから、改正は疎か批判すること自体が禁止されていたようなものでした。与野党7党が鬼塚誠・衆院事務総長(左から4人目)に国民投票法改正案を提出 2014年4月8日、国会内(酒巻俊介撮影) 驚くのは平成22年に日本国憲法の改正手続きに関する法律(国民投票法)が施行されるまで、60年以上も憲法を変える手続きが定められていなかったことです。これは、日本国民の大半が憲法を変える気がなかった、あるいは変える事が不可能と思い込んでいたとはいえ、法治国家としてはあまりにもお粗末です。 この責任は、主権者である日本国民全員が負うものですが、中でも「新憲法制定」を結党の理念に掲げ、誕生してから約60年の間、ほとんど政権を担っていたにもかかわらず何もできなかった自由民主党をはじめとする国会議員の職務放棄に近い怠慢は特に非難されてしかるべきでしょう。  このように戦後利権という分厚い氷に守られていた日本国憲法ですが、ここ数年で改憲に関して具体的な話ができるようになり、早ければ来年にでも国会で改憲の発議が行われる可能性が高くなってきました。そうなれば、我国において初めての国民投票が行われるわけですが、多くの国民が長らく憲法について考えることを避けてきた為、今一つ憲法に対する理解が足りないような気がします。 今後、憲法改正の国民投票が行われたとき、憲法をよく知らないまま投票するのは、あまりにも勿体無いとしか言いようがありません。そこで、今一度日本国憲法を見直してみようと思います。まずは、前文です。 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 ざっと読んだ感想を一言でいえば「分かりにくい」というものですが、それもそのはず原文が英語なのですから日本語の表現になじまないのは当然です。それに表現の問題だけではなく内容自体も首を傾げたくなる様なところも多々ありますので、特に気になる個所を抜き出してみます。 『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする』 いったい、どこの国の政府のことを指しているのでしょうか? 日本だけが何もしなければ戦争が起こらないのでしょうか? 『人類普遍の原理』 西欧的価値観の押しつけである、日本には日本の価値観もある。 『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』  確かにこの憲法が作られたときは、日本はアメリカの占領下にあり、軍隊は廃止させられていたので自身で自国の防衛はできませんでした。そのため「平和を愛する諸国民」=アメリカにまもってもらうのは当然であったと言えるでしょう。しかし、独立国となった昭和27年4月28日以降も他国に自分たちの安全と生存を委ねるというのは国家の重大な責務を放棄しているとしか言いようがありません。そして、この文言をそのまま読めば、自分たちの安全と生存を他者にゆだねているのですから、自衛隊の存在自体を問いなおさなければなりません。この前文の精神が浸透した結果、当時のアメリカが、そこまで意図していたのかどうかわかりませんが、多くの日本国民は自分で自分の身をまもることを止め、他人にまもってもらうのが当たり前だと思うようになってしまいました。  とはいえ、ここに記されていることのすべてが、間違いというわけではありません。例えば『専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ』という部分です。名誉ある地位という表現は抽象的で分かり辛いのですが、おそらく、例示されているような人権侵害を撲滅するために努力するという意味なのでしょう。だとすれば至極当然のことなので、それ自体は問題ないのですが、実際の行動が伴っているかというと、そうではないと言わざるを得ません。本当に、そうであるならば、日本はこれらの人権侵害を現在進行形で行っている国家などに対して積極的にそのような蛮行を止めさせるように働きかけるべきなのですが、残念ながらそのようなことはなされていません。国益を考えて直接言うのが難しいとしても、せめて援助などの人権侵害の助けとなるようなことは行うべきではないでしょう。他にも『自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』とありますが、これも言っていることは正しいですが、実際の行動はどうでしょうか。この憲法の殻に閉じこもりながら「日本だけが平和であれば良い」と、国際社会からの危険を伴う人的支援の要請を断り、他国を無視してはいませんか。ただ単に金をばらまくだけでは、他国からの尊敬を受けることなど難しく、ましてや名誉ある地位などほど遠いでしょう。(続く)

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    ワイセツ裁判 はじまりました!

    スマスの日、ついに起訴されてしまったよ。 そしていよいよ裁判がはじまったので、このコラムでその様子を連載することになったのだけど、なし子さんは今、逮捕バブルであちこち飛び回って忙しいから、代わりにまんこがこのコラムを担当することになったんだ。よろちくびだよ!裁判もニコ生で流してほしい さて、2015年4月15日、めでたくも仏滅の水曜日は、ろくでなし子事件の初公判。10時からはじまるその裁判の、たった25枚しかない傍聴券を獲得するため、平日の朝9時半に200人くらいの人たちが裁判所の前に並んでいたよ。まんこは関係者だから入れたけれど、こんなに注目されている裁判だったら、もっと人が沢山入れる法廷にすればいいのに!なし子さんも、「こっちは堂々と闘いたいから裁判もテレビとかニコニコ生放送で流してほしい」って言ってたよ。なんでコソコソ隠すのかな? ヘンなの~。 とにかく裁判は10時からはじまりまんこ。この日は、裁判官も、検察も、なし子さんも、お互い顔を合わせるのが初めての日。 テレビドラマでいうなら、初回のメインキャストのキャラクター紹介みたいな感じ。 裁判官は男女あわせて3名。これは珍しいことで、なし子さんのような罪状が軽い事件の裁判だったら、裁判官は一人なのがふつうなのに、まんこなだけによっぽど慎重に扱わないといけないと思ったのかな。3人のうち、主任の裁判官は真面目そうな女性だったよ。(裁判官が不真面目そうだったら困るよね!) なし子さんのライバルである検察官も男女あわせて3名いたよ。主任は若い女の人。ろくでなし子さんいわく、法廷ではキツそうだけど、飲み屋とかで会ったらノリノリで打ち解けそうなタイプだって。 ろくでなし子さんの方は、弁護団が7名。そのうち説明したいけど、弁護団の先生方も、オタクロイヤーって自分で言ってるやまべんや、ミュージシャンをしている先生が二人もいたり、みんなキャラクターがたっていて面白いよ。 さて、まずはキツそうな検事の女性がろくでなし子さんの罪状をざっくりドヤ顔で述べたあと、ろくでなし子さんの意見陳述タイム。なし子さんは、12月の、まだ留置場にいた時にも「勾留理由開示裁判」という、なんでわたしが身柄を拘束されなきゃいけないの?と訴えることができる裁判でまんこをれんこしまくって、その時の裁判官に「言い方を工夫しなければ退廷させます!」と怒られちゃったんだ。 「なぜ『まんこ』と言ってはならないのか?」という真剣な問いかけなのに、まんこと言ってはならないのは、おかしな話だよ。 けれど単に「まんこ」を言い張りたいヘンな人に見られたら損だなと思ったろくでなし子さんは、今回の裁判では、「まんこ」発言は一回にとどめたんだって。 代わりになし子さんは、まんこアートの作品名を列挙していったよ。 なし子さんがまじめに作った作品はワイセツなんかじゃない、楽しくてユーモラスな作品なのだということが、タイトルでも伝わるはずだから、と。 「スイーツまん」「ジオラまん」「リモまん」「レディガガまん」 「草間彌生にオまーんジュまん」「暗闇で光るシャンデビラ」「iPhoneが入らないiPhoneカバーまん」「まんこを船にしたマンボート」… ろくでなし子さんは真剣に裁判官に訴えていたけれど、傍聴していた人によれば、iPhoneが入らないiPhoneカバーまんあたりで笑いをこらえきれない人も居たみたいだよ。フェアじゃない! 隠したがる検察 そんななし子さんの意見陳述タイムがこの初公判のメインステージだから、意見陳述が終ってしまったら、あとは検察が証拠品―なし子さんの作品の中でも特にこれがワイセツだ!という3点のデコまん―を法廷に持ってきて、「これはあなたが作った作品ですね?」「はいそうです」という確認をする事務的なやりとりだけで、退屈かな?ってまんこは油断していたよ。ところが、そうじゃなかったんだ…。 検察は、その確認作業をなぜか傍聴人に隠すように、わざわざ面白い見せ方を仕掛けたんだよ。 通常の裁判では、たとえば被告人が使用した覚せい剤や大麻、犯行に使った凶器などを被告人に確認させる際、傍聴人にも特に隠さず、その場で堂々と示されるものなんだって。 だけど問題の3つのデコまんは、おそらく検察がお手製の深さ20センチくらいの深い木の箱に、風呂敷をかぶせられて登場したんだよ。まるで風呂敷をとったら鳩がでてくるマジックショーみたい。そしてその木箱は、傍聴席からは絶対見えない場所に置かれて、ろくでなし子さんはのぞきこんで見ないと3つの作品を確認することができなかったんだ。箱にはご丁寧にお手製の仕切り板がしこまれ、そこにプチプチが敷かれ、壁面には黒い画用紙まで貼られていたんだって。こまけー! っていうか、これがワイセツかどうかを堂々と裁判で争いたいっていってるのに、なんで検察はそこまで必死に隠したがるの? なんだかちっともフェアーじゃないよね!  そんな疑問をおおいにはらんだまま、初公判はビラビラと幕をとじたよ。ちなみに、検察が特にワイセツだと認定したデコまん3点のうちのひとつである「スイーツまん」はインターネットでググレばいつでも観れるんだ。 だから、このコラムを読んでくれて、それでも「まんこ=エロいもの」というイメージをふっしょくできないおじさん達にも是非、スイーツまんの画像を見て、コレが本当にワイセツなの?って自分の頭で考えてほしいよ。ワイセツって何ですか? つづく ※次回ろくでなし子のワイセツ裁判は東京地方裁判所にて、5月11日(月)10時からはじまりまんこ! (記者:まんこちゃん)※原文のまま掲載しております■ろくでなし子第2回公判速報 3D女性器「生々しさなく興奮は変態」(2015年5月11日 日刊スポーツ)