検索ワード:金融・経済/242件ヒットしました

  • Thumbnail

    記事

    老後2000万円問題「参院選の争点化」に財部誠一がモノ申す

    財部誠一(ジャーナリスト) 正直言って「老後2000万円問題」を真面目に論じることほどバカバカしいことはない。 そもそもこの「騒動」はメディアが「政府が年金など公助の限界を認め、国民の『自助』を呼びかける内容になっている」などとミスリードしたことが発端だ。新聞、テレビお得意の、一部だけを切り取って問題化するいつもの手法だが影響力は絶大で、今度は「2000万円」という数字だけが一人歩きを始める。 参院選を目前に控えていた野党にとってはまさに棚から牡丹(ぼた)餅。「年金は100年安心ではなかったのか」と政府・与党を国会で追及した。これがまたとんちんかんな話で、「100年安心」は年金制度の持続可能に対する政治的キャッチコピーだ。そんなことくらい野党も分かっているだろうが、おいしい話である。「2000万円もの資産を自分で貯めろとは何事か」とフェイクニュースの政治利用を始めた。 もっともここまでの展開は、気分は悪いが、日本社会の日常風景である。本当に驚かされたのはこの後の政府の対応だった。金融庁を所管する麻生太郎財務大臣が報告書を「受理しない」と言い出したのだ。騒動が起こった当初は「遊ぶカネくらい自分で貯めるのは当然だろ」といつもの大雑把な言葉でメディアに反論していたが、公的年金だけでは老後の生活を支えられないと政府が認めるわけにはいかぬと翻意して、報告書を受理しないと言い始めたのである。 年金だけで老後は安泰などという能天気な人間がいるだろうか。老後のために少しでも貯蓄しておきたいと考えるのが日本人の性癖だ。若い世代は自分たちがとんでもない貧乏くじを引かされたことを明確に自覚しているから、年金に対する期待などはなからない。フェイクニュースに乗じて政府批判をする野党の仕掛けにのってデモで憂さ晴らしをする者もいるだろうが、若者の「公助」に対する期待感は恐ろしく低い。正常な反応だ。参院決算委員会で立憲民主党・蓮舫副代表兼参院幹事長(右)の質問に答弁する安倍晋三首相=2019年6月10日、参院第1委員会室(春名中撮影) しかし政治は権力闘争だから、ひとたび「老後2000万円問題」に火がつけば、野党はポジショントークで突っ走る。6月19日の1年ぶりに行われた党首討論も野党のパフォーマンスばかりが目立ち、不毛なことこの上なかった。そして揚げ句の果ては麻生財務大臣の問責決議案まで出す始末。脱線国会はフェイクニュースの醸成所と化してしまった。お粗末だ。それを思うと金融庁の報告書の見識の高さががぜん浮き上がってくる。滑稽な政府の怒り 論より証拠。「老後2000万円」の論拠となっている報告書の該当箇所を読んでもらおう。 夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職の世帯では毎月の不足額の平均は約5万円であり、まだ20~30年の人生があるとすれば、不足額の総額は単純計算で1300万円~2000万円になる。この金額はあくまで平均の不足額から導きだしたものであり、不足額は各々の収入・支出の状況やライフスタイル等によって大きく異なる。当然不足しない場合もありうるが、これまでより長く生きる以上、いずれにせよ今までより多くのお金が必要となり、長く生きることに応じて資産寿命を延ばすことが必要になってくるものと考えられる。重要なことは、長寿化の進展も踏まえて、年齢別、男女別の平均余命などを参考にしたうえで、老後の生活において公的年金以外で賄わなければいけない金額がどの程度になるか、考えてみることである。それを考え始めた時期が現役期であれば、後で述べる長期・積立・分散投資による資産形成の検討を、リタイヤ期前後であれば、自身の就労状況の見込みや保有している金融資産や退職金などを踏まえて後の資産管理をどう行っていくかなど、生涯に亘る計画的な長期の資産形成・管理の重要性を認識することが重要である。 極めて当然なことを、分かりやすく書いている。もう一カ所、引用したい。麻生財務大臣に「受理しない」と言わしめたところだ。  わが国では、バブル崩壊以降、「失われた20年」とも呼ばれる景気停滞の中、賃金も長く伸び悩んできた。年齢層別に見ても、時系列で見ても、高齢の世帯を含む各世代の収入は全体的に低下傾向となっている。公的年金の水準については、今後調整されていくことが見込まれているとともに、税・保険料の負担も年々増加しており、少子高齢化を踏まえると、今後も この傾向は一層強まることが見込まれる 「公的年金の水準については、今後調整されていくことが見込まれている」というくだりはなんとも婉曲(えんきょく)的だが、要は年金の支給額が減ったり、支給開始年齢が遅くなったりと、支給調整が起こるだろうと報告書は言っている。ここに政府は腹を立てているのだが、なんとも滑稽な話である。 そんなことも分かっていないのんきな日本人がどれだけいるというのか。とんでもなく割をくってしまう若者は例外なしに年金制度に絶望している。報告書の正しい読み方 そもそも公的年金は積み立て方式ではなく、皆で支えあう賦課方式である。少子高齢化に加えて、「人生100年時代」と言われるほど予想外に寿命が伸びてしまったのだから、支給調整は必然だ。本来なら、安倍政権は泰然自若として、この問題に本気で向き合っていく構えを見せれば良かったのだ。社会保障の部外者である金融庁が領空侵犯を犯した上に、よりによって参院選直前に、結果的とはいえ「炎上」させてしまったことに怒りが収まらなかったのだろう。 過ごしたい自分の老後のために、長期分散投資で資産寿命を延ばそうという「報告書」の主張は極めて当然の内容で、本来なら「炎上」するようなシロモノではない。良質な運用会社のファンドに長期間、積み立て投資をしていけば、かなりの確率で資産寿命を延ばすこともできるかもしれない。だが必ずしもそうならない場合もある。今回の「報告書」が金融商品販売のためのセールストークで終わってしまう可能性もある。 しかし「報告書」を読み込んでいくと全く違う結論に至る。 どんな老後を送りたいかは、結局、どう生きていくかだ。 それはお金だけの問題ではない。報告書は「夫婦2人で無職」をモデルに試算したが、いつまでも2人一緒というわけにはいかない。それどころか未婚、離婚、ノーキッズのお一人さまという選択をしている人も今後さらに増えてくるに違いない。 公的年金だけでは不足する収入を補うためではなく、生きがいを感じながら生きるためには「働く場所」が必要だ。ボランティアでもいいし、老後資産を減らしてしまうかもしれないが定年後にスタートアップに挑戦するのもいい。もちろん再雇用でもいい。日本人には「働く場所」が絶対的に必要だ。※写真はイメージです(GettyImages) 先日、国際会議で日本を訪れた欧米人が「死ぬまで働かなければならないなんて地獄」だと言っていたが、日本人は違う。「死ぬまで働く場所があったら天国」なのだ。社会保障制度維持のためなどではなく、自分が必要とされることに幸福感を抱く日本人が多いのではないだろうか。生きるためのコストだって暮らす場所で変わってくる。東京などの大都市と地方では雲泥の差だ。どこで、どう生きていくのか。その前提があって初めて個々人にふさわしいマネー計画ができるのではないだろうか。■「平成バブル崩壊」振り返れば日本の一人負けだった■「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた■「安倍打倒」に秘策もない、しがない野党共闘はもう飽きた

  • Thumbnail

    記事

    「家計再生」のプロが指南、年金不足に効く3つの処方箋

    横山光昭(家計再生コンサルタント) 金融庁から夫婦で95歳まで生きるには年金だけでは足りず、2千万円ほどの金融資産の取り崩しが必要になるとの報告があったことは、記憶に新しいと思います。各メディアが取り上げ、多くの人が批判をしているという報道が後を絶ちませんでした。 以前から老後資金は3千万円必要だ、いや6千万円必要だなどとされており、年金だけで老後の生活を維持するのが難しいことは、意識されてきたことだと思っていました。そのため、正論を押し付ける気はありませんが、正直個人的には足りなくなるという事実に、なぜこんなにも騒がれているのかと驚きを感じています。意識はされていたとしても「なんとなく」だったわけです。 もちろん、モデルケースの設定などもおかしく(一般的とは言えない)、今回の件に関しては、ツッコミどころが満載でした。自分にはいくらの老後資金が必要なのか、年金が受給できるまではどのような家計的なやりくりで暮らせばよいのか、年金は繰り下げすることがよいのかなどと今まで考えてきたはずなのに、改めて具体的な不足金額として国からの一例を提示されると、深刻さがより現実味を帯び、不安があおられてしまったように感じます。 一応、経緯に沿ってみますが、まずはこの2千万円という数字は、いったいどこから出てきたのか。総務省は毎月、約9千世帯を対象に家計調査をしています。収入や支出、負債や貯蓄などの家計状況を調べているのです。その結果を、1カ月ごとや年次にまとめて、発表しています。 その家計調査の2017年の結果によると、夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯は、収入よりも支出が5万4500円ほど多い、つまり赤字であるという結果が出ています。この金額の30年分が約2千万円である、ということなのです。 要するに、平均的なデータに基づく参考値なのです。ゆえに、この結果が万人に合うとは言えません。また、この生活費の不足だけではなく、老後は介護医療、リフォーム、楽しみなどに備えた「予備費」も必要です。この平均的なデータについて言うならば、予備費を加えて「3千万円が不足する」という方が、妥当な気がします。 必要な老後資金についてお伝えすると、不安を抱かれるかもしれませんが、ここで理解してほしいのは、一般的な必要金額と「自分にとって必要な金額」は、全く違うということです。まずは自分が毎月の生活にいくらの金額を使っているのか、把握することが大切なのです。その必要生活費と毎月もらえる年金額(見込み額)が、今後準備すべき資金となります。自分がいくらの年金をもらえるのか、ということは分かりにくいことだと思いますが、「ねんきん定期便」を参考にしたり、「ねんきんネット」から試算したりしてみると、今よりも具体的になるでしょう。図解入りになる「ねんきん定期便」改善後のイメージ 老後に必要な資金を準備するにあたり、貯めたり、生活を維持するために必要なことは、1、毎月の収入金額を上げること2、毎月の支出金額を減らすこと3、運用などでお金を増やすことであると考えています。 今回の試算の元となった世帯は、夫は会社員、妻は専業主婦という世帯で、夫の厚生年金と妻の国民年金とその他で毎月約21万円の収入です。ですが、この妻がもし共働きで、厚生年金に加入していたとしたらどうでしょう。妻も厚生年金を受け取ることができれば、毎月の収入額は試算よりも増えることでしょう。今は共働き夫婦が多くなっていますから、そういう年金の増やし方も可能です。慌てることはない また、今は雇用延長や65歳、70歳を過ぎても働ける場所があるなど、老後も収入を得られる可能性が高くなっています。長く働くことができ、70歳の上限まで厚生年金に加入できれば、年金額を増やすことができます。働いて得たお金で毎月の暮らしが成りたち、年金の繰り下げができれば、もらう年金を最大42%増しにすることもできます。 年金生活でも、このように収入を増やす方法を考えることはできるのです。 また、支出の削減は必要不可欠です。年金受給額に生活費の金額が近づき、補てん額が少なくなれば、必要な老後資金は減ることになります。もし、年金の範囲で暮らすことができる幸せな状況であれば、老後資金は予備費と楽しみ代程度でよいでしょうし、2万~3万円の補てんで済ますことができれば、必要な老後資金は720万~1080万円と予備費です。退職金などをもらえる人であれば、すぐに何とかできてしまいそうです。 逆に生活の質を下げることがどうしてもできず、老後資金から生活費に補填する金額が10万円、20万円となれば、例え2千万円の退職金がもらえていたとしても、それは8~16年ほどしか持ちません。生活費のかけ方、暮らし方を早急に見直す必要があります。 そして、最後に運用の勧めです。今回の「2000万円不足」の話題では、多くの人が口々に「運用なんて」ということを話していました。たしかに日本人は運用慣れしていませんし、尻込みしている人も多いと思います。 ですが、ここ数年で、「iDeCo(個人型確定拠出年金)」「つみたてNISA」といった、長期分散が可能な、積立型の非課税投資制度を国が用意しています。運用なので全くリスクがないとは言えませんが、長期的に見れば預貯金よりも利回りがよく、老後資金作りには最適な投資制度です。  投資が肌に合わないという人は、無理に始めることはないと思っていますが、インフレリスクにも強く、複利でお金を育てやすい投資は、「貯蓄をしてもなかなかお金が増えない」という人、自営業で退職金制度はないという人にこそ継続的に取り組んでほしいものだと思っています。 iDeCoやNISAを国が勧めるということは、のんきに1500兆円もの個人金融資産を、預貯金などのままにしておいたら、いい加減マズイんですよ!というメッセージにも私には感じ取れるのです。このままでは…という思いはこれまでも幾度となく発信はされてはきたと思いますが、大きくは変わらなかったのです。何をやっても言っても無風、そこからやっと風が吹いたのです。2017年3月、個人型確定拠出年金「iDeCo(イデコ)」の広報イメージキャラクターを務めるフリーアナウンサーの加藤綾子。右は橋本岳厚労副大臣 このように3つのポイントを意識しながら、まだ老後まで時間がある人は準備をするとよいと思いますし、既に老後生活に近づいているという人は実践しつつ、可能な限り自己資金を増やすことに取り組んでいただけたら、老後もそんなに怖くはないと思います。 人生100年時代、現役時代を終了した30~40年を、国の保障だけで、または自分の資産だけで何とかしようとするのは簡単なことではありません。労働に費やした年月と同じ期間の生活費を社会保障や蓄えだけで何とかできる人は少ないのです。 だからこそ、生活費をある程度楽しみが持てる範囲を維持しつつ抑え、かつできるだけ長く働く。これが老後を乗り切るために必要なことだと私は考えています。慌てることはないのです。「自分の場合」を見据えていきましょう。■ 「老後2000万円不足」報道、こうしてスキャンダルはつくられた■ 「老人を鞭打つ」ニッポンの働き方はここが変■ ヤンキーも逃げ出す「超おバカ社会」がニッポンにやってくる

  • Thumbnail

    記事

    枝野幸男の「自慢」が文在寅とダブって仕方がない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「野党は本気で消費増税を凍結しようとしている!」「野党は本気で反緊縮政策をやろうとしている!」。選挙が近くなると、インターネット上ではこのような意見を頻繁に目にするようになる。 私はそのような意見に極めて懐疑的だが、そのような考えを表明すれば、「おまえは緊縮主義者だ!」とレッテルを貼られ、誹謗(ひぼう)中傷の言葉まで浴びせられることが結構な割合で起きる。選挙というか政治に振り回される人たちは昔も今も多い。 主要野党が本当に10月の消費税率10%引き上げにストップをかける気があるのだったら、19日の国会での党首討論はその絶好の場だった。安倍晋三政権は消費増税を今のところ実施するつもりだし、立憲民主党と国民民主党、日本共産党は、ともに消費増税に反対を表明している。 消費増税を論点にして、実施の是非を問うには最大の見せ場であったはずだ。3党がタッグを組んでいけば、「消費税解散」に持っていくことさえもできたかもしれない。 だが、党首討論で各党が主要なテーマとしたのは、いわゆる「老後2000万円不足」問題という年金の話題だった。世論調査では年金や社会保障の問題への関心が高いこと、また過去の「消えた年金」問題を契機にした政権交代の「うまみ」が忘れられないのか、野党陣営によるこの問題への執着は強いものだった。 「老後2000万円不足」問題については、先週のこの連載で解説したように、年金制度自体の構造的問題ではない。もっぱら、マスコミの報道の仕方やそれに便乗した政治勢力の選挙向け「プロパガンダ」といっていい。2017年11月、衆院本会議後に立憲民主党の枝野幸男代表にあいさつする安倍晋三首相(右、宮崎瑞穂撮影) 日本経済の先行きが悪化していく中での消費増税こそは、選挙の最大の争点になるはずだ。その争点を口では「凍結」「廃止」「延期」などと野党が叫んでいても、本気度はあいかわらず極めて低い、というのが実情だろう。韓国を思わせる経済政策 野党が一丸となって、消費増税を争点にして内閣不信任案を出せば、それこそ「消費税解散」となる展開も期待できた。しかし、党首討論の場も含めて、野党側は安倍首相に解散の意図がないことを確認したうえで、これから内閣不信任案を出す展開になる。 これでは、政治的に消費増税を止める絶好の機会を、野党は自ら失ったといえる。内閣不信任よりも、まず野党に対する不信が増大する結果ではないか。 消費増税に関する本気度が低いのは、実は野党の経済政策観に大きな問題があるのかもしれない。特に、最大勢力の立憲民主党の経済政策は、まるで韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権を思わせる内容だ。 20日、夏の参院選に向けて発表された経済政策「ボトムアップ経済ビジョン」では、最低賃金の引き上げや再分配政策に重点を置く一方で、金融政策への関心は特に主軸ではなかった。アベノミクスの成果が国民所得を削り、中間層を激減させたままだとして、「実質賃金」を上げることで中間層を再生するとしている。 韓国の文政権が最低賃金を急激に上昇させたことで、企業の雇用コストが増加し、それで失業率の増加を招いたことは明らかである。だが、最低賃金の引き上げが韓国で大きなマイナスのショックを生んだ背景には、文政権が積極的な金融政策を採用しなかったことに失敗の直接原因がある。 財政政策は積極的な姿勢を見せているが、あくまで再分配機能が中心だ。要するに、パイの大きさが一定のまま、パイの切り方を変えただけにすぎない。金融政策と財政政策を同調させ、経済に刺激を与え続けることが、現在の韓国のように完全雇用には程遠い経済にとっては必要だ。2019年5月、韓国・世宗で開かれた国家財政戦略会議で発言する文在寅大統領(韓国大統領府提供・共同) 立憲民主党の政策でも、金融政策に関する低評価が鮮明である。アベノミクスは金融政策の効果で雇用回復を実現したわけで、アベノミクスを否定するためには、やはり金融政策の効果を積極的に肯定できない政治的事情があるのだろう。 ちなみに、立憲民主党が目標に掲げている実質賃金とは、平均的な名目賃金水準を物価水準で割った値である。名目賃金が同じままであっても、物価水準が下落してしまえば、実質賃金は上昇する。党首討論の「デフレ自慢」 つまり、デフレが深刻化すればするほど、実質賃金は上昇するのである。デフレの加速は、日本では不況と同じになりやすいので、デフレ不況を加速させるということになる。 そもそも、実質賃金自体が経済の回復期に複雑な動きをしやすい指標だ。実質賃金の「分子」となる名目賃金は、あくまでも平均賃金なので、雇用が回復して職を得る人が増えれば平均値が下がることが多い。なぜなら、新卒や再雇用といった新しく職を得る人たちは、既に働いている人たちに比べて給料が低いのが一般的だからだ。 もちろん、経済が安定していく中で完全雇用に達していれば、実質経済成長率や実質賃金なども安定的に増加していくだろう。だが、その実現の経路を示さずに、単に実質賃金を政策目標にすることは「デフレ自慢」になりかねない。 実際に、立憲民主党の枝野幸男代表は党首討論で「デフレ自慢」をしていた。ただ、枝野氏が民主党政権時代の「反省」を表明したことを、多少評価しなくてはいけない。 しかし、その「反省」さえも経済政策的には空虚なものだった。枝野氏は党首討論で「私は民主党政権の一翼を担わせていただきました。至らない点がたくさんあったことは改めてこの場でもおわび申し上げますが、経済数値の最終成績は実質経済成長率。10~12年の1・8%、2013年から18年の実質経済成長率は1・1%。これが経済のトータルの成績であると、私は自信をもって申し上げたい」と述べた。 これに対して、安倍首相は「実質成長の自慢をなされたが、名実逆転をしている実質成長の伸びはデフレ自慢にしかならない」と指摘した。「名実逆転」とは、名目経済成長率よりも物価変動を取り除いた実質経済成長率が高い現象を意味している。2019年6月、「経済ビジョン」発表に臨む立憲民主党・枝野幸男代表(手前)。奥は逢坂誠二政調会長(春名中撮影) 要するに、これはデフレが進行している状況であり、日本では雇用悪化が同時に進行する「デフレ不況」「大停滞」だったと安倍首相は指摘したわけである。立憲民主党の経済政策は、実質賃金の増加を強調しているが、枝野氏による「デフレ自慢」の経済観を合わせて考えると、日本の経済政策を任せることは到底できないように思う。■ 「利上げして景気回復」枝野幸男の経済理論が凄すぎてついていけない■ 「日本を奴隷扱い」文在寅の外交ゲームを攻略するベスト戦術■ #MeTooに便乗した枝野幸男のセクハラ追及は「限りなくアウト」

  • Thumbnail

    記事

    米中貿易戦争「日本が得する」逆転シナリオが一つだけある

    熊野英生(第一生命経済研究所首席エコノミスト) トランプ米大統領が用意している中国への制裁関税第4弾が、日本経済を本格的不況に陥れるのではないかと恐れられている。これまでの制裁で、意識的に除外されてきたiPhoneや日用品に関税率が上乗せされることは、米国の消費者と中国の生産者、そして中国企業に部品や設備を供給している日本企業がダメージを受ける。 この対立を巡って、「トランプ大統領が理不尽だ」という側面をクローズアップすると、日本には何のメリットもないように感じられる。筆者も、自由貿易の考え方に基づいて、トランプ大統領のことは何一つ支持したくない。 しかし、今回、改めて米中対立の構図を吟味して、米中貿易戦争は日本企業にも何かメリットがあるのではないかという別の視点を考えてみた。その結果、日本にとってメリットのある展開は、中国にも中長期的なメリットがあると考え方を進めた。 すなわち、日本企業が長く悩まされてきたのが、数多くの中国の構造問題である。それは、欧米企業でも共通している。最も代表的なのは、巨大な産業補助金の問題である。日本では、経営が悪化した一部の電機メーカーは、経営の失敗と指弾され、メディアからバッシングされる。その一方で、背後に隠れた中国企業の補助金問題はほとんど語られることがない。補助金で支えられた企業と競争すると、日本企業は価格競争でも勝つことができないのだ。 これまで、中国の成長に期待して進出した多くの日本企業もまた苦労してきた。現地で合弁企業をつくると、そこでは思うように活動ができなかった。行政上の手続きはやや恣意(しい)的であり、海外製品が不利に扱われることもあった。G20首脳会合に合わせ、中国の習近平国家主席(左端)との会談に臨むトランプ米大統領(右端)=2018年12月1日、アルゼンチン・ブエノスアイレス(AP=共同) 最近は人件費の高騰によって、低コストのメリットも失われてきている。当初の期待が思うようにならなくなってきているのが実情である。従業員の離職率の高さや、労務管理の難しさもある。さらに、現地で人民元で稼いだ利益を外貨に戻して持ち出すことが制限されたり、債権回収が困難であるということもある。これらの課題は、日本とは違う国だから仕方がないという一言で片付けるわけにはいかないだろう。 今回、トランプ大統領は、特に技術移転の強要と、知的財産権の保護を求めている。米中協議の中で、これら中国特有の不公正なルールの是正が持ち出されていることは、日本企業がこれまで求めてきた問題の是正とも共通している。実は、中国でもこれらの構造問題が是正されることを望んでいる良識派は少なくない。例えば、中国でも知財に絡んだ訴訟は多く、今や中国は米国以上の訴訟大国とされる。こうした課題の解決は、中国企業にとってもメリットになるはずだ。習近平の「新しい秩序」 貿易戦争の緊張感が高まっていく中で、根拠のない楽観論があることも事実である。トランプ大統領は、強烈な圧力を中国にかけているが、楽観論者はそれは自作自演のアピールであり、それほど困った状態にはなるはずがないという。水面下で米国と中国は握っていて、時間がたつと、どこかで昔よりも良好な関係に戻るというのだ。 筆者はそうならないだろうし、それが望ましいことだとも思わない。対立がなくなる→経済の火種はなくなる→万事まるく収まる、という発想は正しくはない。中国ビジネスの抱える矛盾をそのまま看過することになるからだ。 中国の構造問題には、北朝鮮問題にも同じようなところがある。トランプ大統領は、北朝鮮に圧力をかけて金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長を対話の場に引きずり出した。今も交渉が決裂しないか、筆者はハラハラしてみている。この交渉の目的は北朝鮮の非核化である。米朝の緊張関係はなくなった方がよいと思うが、最終的な目標が達成されなくては意味がない。 おそらく習近平体制は歴代中国の政権の中で、厳しい改革を成し遂げる実力を持っている数少ない政権だろう。習主席が、これまで腐敗防止と綱紀粛正によって、国民から支持を得てきたことは周知の事実だろう。その対象を不公正な取引慣行やルールに向けて、新しい秩序をつくることは可能だと考えられる。 逆に、なぜ習主席はそれを行わずにいるのか。それは、公正なルールづくりよりも、中国企業が他国の技術を盗用することを見逃しながらでも、経済発展を優先したいと考えているからだろう。そのことは、先進国では許される行為ではないが、急速に大国化する中国にとっては必要悪と考えているのだろう。 多くの人は、トランプ大統領があまりに性急な貿易不均衡の是正を求めていることの間違いには気が付いていると思う。その一方で、中国もまた性急な経済発展を求めていて、それが公正なルールの順守を軽視する素地(そじ)を作っていることは見逃されやすくなってしまう。中国は、経済強国という夢を捨てて、もっと穏健な「普通の経済大国」を追求することを目指した方がよい。 時間をかけてでも、米国が訴える公正なルールづくりに大枠で賛同する方が、中国は日本や欧州の良識派を味方につけやすい。会談を前に握手する安倍晋三首相(左)と中国の習近平国家主席=2018年10月26日、中国・北京の釣魚台迎賓館(代表撮影・共同) 最後にもう一つ。中国経済は、現在、大きな曲がり角に来ている。これまでの人件費高騰に加えて、貿易戦争のようなリスクに直面して、以前よりも日本企業にとって魅力が感じられなくなっている。日本企業の中には、ベトナムやタイに生産拠点を移す動きもある。これまで問題を抱えながらも、中国への進出をしてきた日本企業が行動を変化させつつあるのだ。 おそらく、中国が公正な企業活動を目指して自己改革をすることは、再び日本企業にとって中国市場の魅力を高めることにつながるだろう。それを遅らせることは、日本や欧米企業の中国離れを加速させる。自己改革こそが中国のためにもなることを肝に銘じるべきだろう。■安倍外交85点の理由は「欧米と仲良く、中国と喧嘩せず」■「米国はもう崖っぷち」5G戦争、ファーウェイ排除のウラ側■米中貿易戦争の渦中で激化する韓国「謝罪ゲーム」のツケ

  • Thumbnail

    記事

    平成最後の日に伝えたい「天皇の師」小泉信三の教え

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「平成」という時代が終わる。平成は経済が停滞したこと、そして日本が大規模な災害に直面したことでも記憶に残る時代となるだろう。個人的な思い出も含めて、一つの時代が終わることに、深い感慨を誰しも抱くに違いない。 平成の経済停滞と大規模災害を振り返るとき、参照すべき一人の人物を想起する。経済学者の小泉信三(1888~1966年)である。 小泉は、天皇陛下の皇太子時代に影響を与えた師として、今日では有名である。また、大正から昭和前半にかけて、経済学者だけではなく、文筆家としても著名であった。 慶応義塾大学では、教員として多くの逸材を育て、さらには塾長となって大学の発展に貢献した。昭和24(1949)年には東宮御教育常時参与を拝命し、皇太子の教育の責任を長く果たした。 小泉の貢献で注目すべきものは、「災害の経済学」という観点だ。日本でも、大規模災害に直面するごとに、経済活動が停滞し、人々の気持ちが沈み込むことなどで社会的にも「自粛」的な空気が流れることが多い。 もちろん、災害によって被災された方々に思いを寄せることは何よりも大切だ。同時に小泉は、大規模な災害のときこそ経済を回すことが重要であることを説いた。「みどりの式典」に出席された天皇、皇后両陛下=2019年4月26日、東京・永田町の憲政記念館(代表撮影) 小泉の直面した最初の国家的災害が、大正12(1923)年の関東大震災であった。死者・行方不明者10万5千人余り、日本の当時の国富の約6%を失い、また年々の国民所得でいえば約47%を失う大きな経済的被害も合わせてもたらした。 首都圏では多くの人たちが被災し、公園などで長期のバラック住まいを強いられた。また職を失い、生活の基盤を根こそぎにされた人も多かった。当時の政権の経済政策はデフレ志向の緊縮政策であり、そのことも災害の事後的な悪影響を人為的に拡大していくのに貢献した。「災害の経済学」は平時にあり 当時、小泉の自宅のあった鎌倉でも被害が広がっていた。辛うじて自宅の倒壊を免れた彼は、当時の復旧活動や鎌倉での罹災(りさい)共同避難所での活動を記録した。 小泉の記録では、官僚的で中央集権的ともいえる被災者へのずさんな対応に対する批判が記されている。一方で、現場の人たちのボランティア的活動を高く評価していた。 その中から、小泉が唱えたのが「災害の経済学」である。これは、直接には英経済学者アーサー・セシル・ピグーの経済学を応用し、それを小泉独自に発展させたものだ。特に、大規模な災害に直面した社会では、何よりも経済を回すことの重要性が唱えられていた。 被災地を支えるためには、災害の難を逃れた地域や人たちの経済活動が重要になる。もし被災しなかった人たちまでも経済活動が停滞してしまえば、それは被災地の支援にも大きなダメージを与える、というのが小泉の基本的な視座だった。 その上で、小泉は災害によってレジャーなど奢侈財(しゃしざい)への消費を自粛することもよくないと指摘した。これは、当時としてはかなり思い切った主張だろう。皇太子妃選びの中心的役割を担った小泉信三。若き日の皇太子さま(現在の天皇陛下)の「教育」に携わった 「自粛」という空気によって、スポーツや芸能、旅行などのレジャー消費が停滞することで、日本の経済全体を冷え込ませ、被災地を支えるべき経済まで損ねてしまう、というのが小泉の独創だった。それには、災害に遭った人たちに心を寄せることが大前提になることはいうまでもない。 また、小泉は関東大震災後、それまでにも増して文化的活動に傾斜していく。中でも、自らが名選手として知られたテニスをはじめ、スポーツに対する理解と賛助は大きかった。 小泉は、「災害の経済学」が、実は災害が起きていない「平時の経済学」でもあると説く。平和でも災害の下でも、人はスポーツなどのレジャーへの支出を重要視すべきだ、というのが小泉の主張である。「御成婚」へと至る道 一つの形として、テニスが文化的で創造的な消費だと、彼はとらえた。この小泉のテニスへの理解と啓蒙(けいもう)活動が、後に天皇、皇后両陛下が、軽井沢でのテニスを縁にした御成婚へと至る道を敷いたといえるのではないか。 小泉は陛下の皇太子時代にともに読書をし、さまざまな対話的教育の場を設けた。その貴重な記録は、『ジョオジ五世伝と帝室論』(1989年、文藝春秋)をはじめとする著作に残されている。 この著作には、陛下が理知的で、誠実で、およそ軽薄から遠い人物であることが、小泉の明晰(めいせき)な文章でつづられている。皇太子時代から今日まで、われわれ国民の広く知る人物像が、既にして若きころから育まれていたことがよく分かる。この本の中には、前述したテニスコート上の両陛下の出会いが描かれている。 昭和33年夏、軽井沢のテニスコートで、まだ独身であった両陛下が混合ダブルスで対戦し、皇后さまのチームが勝利したのを、小泉は目撃したという。このとき、陛下もまた小泉もその勝利した女性が、後に皇太子妃になることを想像もしていなかったと書いている。少し長いが、小泉の文章を引用しよう。 右のような次第から、このたびの御婚約を、テニスによって結ばれた御縁などといいそやすものがあれば、それはあまりに通俗的な想像であるが、しかし、何事にも慎重で、堅実な殿下が、その後も正田嬢をテニスコートで御覧になる機会を得られたことは、少なからず御判断を助けたことと思う。まことに幸せな次第である。『ジョオジ五世伝と帝室論』181ページ 小泉はお二人の今後の生活にも、その責務を担いながらも、どうかその間もお二人だけの楽しい時間をお持ちになるようにと、ここでも余暇(レジャー)の必要性を書いている。小泉の気持ちは若いお二人にも届く優しさであったろう。 御結婚の後は、義務の多い生活をお送りにならねばならず、お二人ともに十分にその御用意のあることを信ずるが、どうかその間にも、少しでも多くお二人だけの楽しい時をお持ちになっていただきたいと思う。お側(そば)の者も心しなければなるまい。『ジョオジ五世伝と帝室論』181ページ1958年12月、婚約内定後、東京都内でテニスを楽しまれる皇太子さまと正田美智子さん 「平成」から「令和(れいわ)」に元号が変わっても、われわれのさまざまなレジャーや文化活動をさらに発展させ、そしてさまざまな困難の前でも経済的に「自粛」することなく、経済活動をたくましくする。そして、困窮にある人たち、弱い立場に陥った人たちに、心でも経済でも寄り添うことが必要だろう。そのことを小泉の「災害の経済学」は教えてくれるのである。■新元号「令和」と「昭和」の知られざる共通点■「天皇はかくあるべし」上から目線の知識人が錯覚した陛下のお気持ち■もし父親なら小室圭さんに娘を託せるか、ましてや皇女である

  • Thumbnail

    記事

    物価上昇率250万%、ベネズエラ「超インフレ」より怖い反米思想

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 南米ベネズエラが国家的な危機に見舞われている。同国の独裁政権であるマドゥロ政権に対抗して、グアイド国会議長が暫定大統領の就任を表明し、米国や欧州各国がその地位を承認した。これを契機にして、マドゥロ政権に対するベネズエラ国民のデモがさらに活発化し、政権側の弾圧も厳しさを増している。 経済面を見ても、ベネズエラの苦境は深まっている。特に注目を集めているのは、ハイパーインフレーションの進行だ。 ハイパーインフレの厳密な定義はない。だが、前期比250万%を上回る水準で物価が高騰しているベネズエラは、誰が見てもハイパーインフレの典型例だろう。「IMF Data Mapper」により筆者作成 モノやサービスの値段が急騰しているということは、それと交換に使われる自国通貨(ボリバル・ソベラノ)の価値が激減していることと同じである。図はベネズエラのインフレ率の推移を描いたものだ(「IMF Data Mapper」により筆者作成)。国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」によると、やがて1千万%まで上昇すると推測されている。 ハイパーインフレのもたらす弊害は大きい。生活必需品を含めて、日々の暮らしが困ることは容易に想像できるだろう。 自国通貨が「紙切れ」同然のために、生活必需品を外国の通貨や物々交換で手に入れることが常態化する。当然、消費水準が抑制されてしまうので、経済活動は停滞する。失業者は増加し、世情も不安定化してしまうだろう。 現在のベネズエラの1人当たりの国内総生産(GDP)は、1ドル110円換算で年およそ34万円であり、日本の13分の1ほどである。インフレの加速が始まった2016年からは、ほぼ半減してまった。 失業率も急上昇しており、ハイパーインフレの出現とともに、2015年は7%台だったが、2018年は38%台まで上昇したと推定されている。若年雇用の失業率はおそらくこの倍以上だろう。日常的な感覚では、若い人は軍人や警察以外で働いている人を探すのが困難なレベルかもしれない。必然的に世情が不安定になる。 このハイパーインフレの原因は、簡単に言えば、マドゥロ政権の財政政策と金融政策といった政策の束(レジーム)の毀損(きそん)である。このレジームの失敗によって、国民の大半が、財政は放漫であり、金融はインフレ放任であることを固く信じている。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスの精肉店。壁に掲げられた肉の価格は空欄になっていた(共同) 米国の研究者はさらに踏み込んで、「マドゥロ政権自体の維持不可能性が、このハイパーインフレの真因である」と主張している。つまり、政権瓦解(がかい)とそれに代わる新政権が国民に信頼されることが、ベネズエラの再生にとって不可欠だという見方だ。 もともと、ベネズエラは豊富な石油資源を活用することで、中南米でも富める国であった。半世紀前の生活水準は、当時の米国の8割ほどに迫っていて、事実上の「経済先進国」とも言えた。「為替レート」崩壊のワケ だが、他方で経済格差は深刻の度合いを深め、やがてそれは「反米」を唱えるチャベス前政権を生み出す原動力となった。取りあえず、米国の国際金融資本が石油で得た富を奪い、それが同国に貧困と格差を生み出したという、「チャベス流」にありがちなストーリーが生まれた。いわば、「『米国流』の新自由主義の犠牲者だった」というのが、チャベス前政権やそれを支援している世界の左派勢力による主流の見方であったのだろう。 そして、マドゥロ政権がハイパーインフレなどの経済的苦境に陥っているのは、主に米国などによる経済制裁が原因だという見方をする人たちもいる。だが、ハイパーインフレは本当に経済制裁が原因なのだろうか。 国際金融において「マンデルの三角形」という考え方がある。一国においては、「為替レートのコントロール」「資本移動の自由」「金融政策の自律化」のうち、同時に二つしか採用できないというものである。 この枠組みで考えると、ベネズエラ経済の現在が理解しやすくなる。簡単に言うと、マドゥロ政権は為替レートのコントロール、資本移動の自由の二つを採用している。これが今回のハイパーインフレを準備している。 チャベス前政権では、為替レートのコントロールを固定為替レート制で実現しようとした。これは同国の通貨を「割高」に維持するためのものだった。 ベネズエラの輸出は石油が大半を占め、国内経済もチャベス前政権から現在まで急速に原油依存体質を強めた産業構造になっている。自国の通貨高はベネズエラの現在の経済構造からいえば「生命線」だと、政権側が考えているのだろう。 為替レートのコントロールは、実際には政府とベネズエラの中央銀行が行うことになる。つまり、金融政策は為替レートのコントロールに使われることになり、国内の経済状況への対応には財政政策が割り当てられる。 チャベス前政権では、経済格差を根絶しようと、低所得層向けの社会保障の支出を急増させていった。他方で価格統制も行われ、自由な経済活動は損なわれていった。 また近年では、原油価格の国際的下落により、先述の産業構造上、ベネズエラ経済が急速に低迷した。膨張する支出と、経済悪化で縮減する政府収入の中で財政状況が悪化し、そのファイナンスをやがて中央銀行が発行するマネーそのもので行うようになる。つまり「財政ファイナンス」という手法である。これは中央銀行のマネタリーベース(資金供給量)の急増を生む。2019年1月、ベネズエラの首都カラカスで、同国の憲法を持ちながら話すマドゥロ大統領(ロイター=共同) これ以前「割高」に維持された為替レート制が、マドゥロ政権誕生の2013年以後、頻繁に引き下げられていったのは、このような国内事情による。ここまでの話を考えれば、米国などの経済制裁が一切関係ないことが分かる。 ハイパーインフレが出現する主因は、為替レートのコントロールを意図し、さらに財政支出の放漫な増大の結果、金融政策を失敗することに帰結したことによる。一見すると「マンデルの三角形」でいうと、今のベネズエラ経済は、変動為替レートと資本移動の自由の組み合わせのように思える。それは大きな間違いで、上記の事情から、金融政策の自律化を大きく損ねた状況になっているのだ。「反米」で失政隠し そうして、事実上「通貨安シンドローム」が反映されたことで、現在のハイパーインフレが出現している。その通貨安シンドロームはチャベス、マドゥロ両政権が採用した、左派的な財政拡大路線や、価格統制や最低賃金の引き上げによる民間経済の抑制、原油依存の産業構造への「転換」という政策の失敗によるものだ。 わかりやすくいえば、政府のツケを中央銀行がおカネを刷って、どんどん払ったために、自国通貨の価値が対外的に大きく下落せざるを得ないのである。このとき、金融政策はインフレを沈静化する役割を失っている。それが「金融政策の自律化がない」という意味だ。 反米や反新自由主義を唱える左派勢力には、ハイパーインフレは欧米の経済制裁の結果であり、生活必需品の不足によるものだという認識だろう。だが、生活必需品の不足もチャベス、マドゥロ両政権の左派的な政策が引き起こした高インフレ、ハイパーインフレの帰結である。 日本共産党は樹立当初のチャベス政権に対して、新自由主義に抗する反米政権という理由からも、その活動に期待を表明していた。最近は、マドゥロ政権の独裁ぶりへの批判に転じているが、日本共産党は「反米」「反新自由主義」にこだわる余り、チャベス、マドゥロ両政権の評価を首尾一貫したものとはしていない。前述したように、マドゥロ政権の混迷は、既にチャベス前政権の政策で準備されていたからだ。 また、経済評論家の上念司氏の指摘のように、日本の左派勢力が唱えるような「平和的な解決」を主張することは、ベネズエラ国民の生命を脅かし、実際に数多く奪っている状況のもとでは、独裁政権に利するものだと言っていい。 ちなみに、ここまで書くと、「安倍政権だって『財政ファイナンス』ではないか。日本銀行の信認が失われかねない」という皮相な見方が出てくると予想される。だが、日本の財政は「緊縮スタンス」で運用されてしまい、それが経済の安定化を成し遂げられない原因になっている。 むしろ、放漫財政に伴う経済悪化の心配よりも、緊縮財政による悪化の心配をすべき段階である。実際に、ベネズエラと大きく違い、今の日本のインフレ率は0%をわずかに出たぐらいだ。急激にインフレ率が加速する心配もない。 なぜなら、中央銀行が為替レートに振り回される状況ではなく、国内の経済状況を分析した上で2%のインフレ目標を採用し、運用しているからだ。急激なインフレが起きない仕組みが採用されているのである。2019年2月、国会で記者会見する共産党の志位委員長 もっとも、このインフレ目標を日銀が採用する前まで、日本ではベネズエラと逆に「円高シンドローム」という状況に置かれ、デフレ不況が続いていた。今思えば、情けない限りである。しかも、今秋に予定されている消費税率10%への引き上げは、日本の経済政策の失敗を再び引き起こしかねない。ベネズエラと同様に、日本でも経済政策が失敗すれば、また「失われた20年」に逆戻りしてしまうだろう。 ベネズエラとブラジルの国境では、援助物資を受け取ろうとした民衆に、政権側が発砲して死傷者が出た。郵便学者の内藤陽介氏が指摘するように、このような民衆への発砲は、およそ貧困層への共感をもとにして生まれた政治体制とは思えないものだ。 日本国内でも「反米」や「反新自由主義」というイデオロギーで、この独裁政権の振る舞いを、事実上肯定する人たちもいる。一方で、独裁政権も「反米」などの旗印で、自分たちの経済政策の失敗を隠そうとするだろう。そこに政治イデオロギーの持つ本当の恐ろしさがある。■ 消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない■ 「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」

  • Thumbnail

    テーマ

    激変の時代、平成ニッポン証言録

    平成がいよいよ終わる。「平成最後の」という言葉が世に溢れるが、今年は文字通り新たな時代の幕開けである。「衰退の時代」とも揶揄された平成はどんな時代だったのか。各界のキーマンたちの証言録で30年史を振り返る。

  • Thumbnail

    記事

    「平成バブル崩壊」振り返れば日本の一人負けだった

    財部誠一(ジャーナリスト) 「平成」という時代は、日本の近代史において例をみない「有頂天」から始まった。 平成元年(昭和64年)、日経平均は3万8915円の史上最高値をつけ、世はまさにバブルの絶頂期にあった。この年を象徴する出来事は、やはり三菱地所によるロックフェラーセンターの買収だ。そして「東京23区の土地で米国全土を買える」と調子にのった。今振り返れば滑稽きわまる話だが、当時は金融界も投資家もついに日本は「世界一の債権大国」になり、ジャパンマネーの行く手を遮るものなしと浮かれていた。 その有頂天気分はバブルが崩壊した後もしばらく続いた。株価や地価が急落し始めても「押し目買い」のチャンス到来くらい軽く受け止めていた当時の気分だった。その後に大手銀行や大手証券会社が次々に倒産し、阿鼻(あび)叫喚の金融崩壊がやってくることなど全く想像もしなかった。 バブル崩壊ネタを扱うたびにテレビ局は山一証券社長の号泣会見ばかりを流すものだから、バブル崩壊というと山一証券を連想するようになってしまったが、実際には平成9年の11月に三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券が一挙に破たんし、日本の金融秩序のメルトダウンが始まった。 その後、日本長期信用銀行と日本債券信用銀行が破たん、並み居る大手都市銀行も危うくなり、合併を繰り返した末に現在の3メガ体制に移行。最終的には10兆円を超える公的資金が銀行に投入され、ようやく不良債権処理にピリオドが打たれたのは平成16年だ。バブル崩壊から実に16年もの歳月を要したことになる。記者会見で自主廃業を発表する、山一証券の五月女正治会長、野沢正平社長(右)=1997年11月 こうしてみると、バブル崩壊そのものが問題だったというより、バブルの敗戦処理を誤ったことが長期にわたる日本経済低迷の元凶だったことが分かる。バブルは資本主義における不可抗力のようなもので、世界中で繰り返し起こってきた。 平成の時代にも、タイの通貨危機から始まったバブル崩壊でインドネシアや韓国は大打撃を被ったが、過酷な国際通貨基金(IMF)管理のもと短期間に経済を立て直した。中国もバブル崩壊を経験しているし、米国ではITバブルがあり、平成20年には世界を巻き込んだリーマンショックが起きている。だが、いずれのケースでも敗戦処理にかかった期間は2~3年だ。一気呵成(かせい)に進められた。振り返れば日本の一人負けである。 それにしてもなぜこんな体たらくなことを日本はしてしまったのか。昭和の「問題先送り」体質 一言でいうなら、昭和の時代には「問題先送り」が最良の問題解決方法だったからである。金融機関も監督官庁も何か問題が生じた時、積極的に解決をするのではなく、問題を表面化させず、先送りすることが絶対原則だった。それには昭和ならではの合理的な理由があった。 その背景になったのが昭和の「不動産神話」だ。不動産さえ担保にとっておけば、融資先が倒産しようがとりっぱぐれはない。監督官庁も一緒だ。経営が行き詰まった金融機関があれば、「合併」させておけば問題はいずれ自然消滅してしまう。だから銀行の歴史は合併の歴史なのである。 日本の近代史の中でも最も辛つらかった時期は言うまでもなく太平洋戦争の敗戦だが、負けたこと以上に国民を苦しめたのは「戦後」だ。絶望的な喪失感と飢え。どう生きたら良いのか、混沌(こんとん)の中から昭和の日本人は這(は)い上がり、国内総生産(GDP)世界第2位の経済大国にのし上がった。それは「奇跡」と呼ばれるにふさわしいものだったが、昭和の成功体験は「問題先送り」という致命的なメンタリティを平成に残してしまったのである。 そして日本が平成バブルの「戦後」に悪戦苦闘している間に、世界は人工知能(AI)産業革命ではるかかなたに行ってしまった。GAFA(Google、Apple、Facebook 、Amazon)やUberなど米国はもちろん、国家資本主義の中国が米国をしのぐ勢いでAI産業革命を爆走している。 AIの競争力はデータ量が決め手になる。15億人もの人口を持ち、人権への配慮無用の中国は圧倒的に有利だ。クルマの自動運転などでは、中国の圧勝になるかもしれない。欧米では走行実験中にひとたび死亡事故が起こればそのとたんに実験中止に追い込まれるが、中国は問答無用だ。死亡事故そのものが公にされず、平然と走行実験が続けられるに違いない。監視カメラによる顔認証システムもすごい進化だ。人権とAIの進化は間違いなく反比例する。 平成の日本は「バブルの敗戦処理」に失敗し、AI産業革命にも出遅れたが、負けが確定したわけではない。日本社会は短絡的な極論に走りやすく、横並びの偏向気質である。GAFAがすごいとなれば、未来永劫(えいごう)GAFAが世界を蹂躙(じゅうりん)するかのように言いたがる。Googleが自動運転を始めれば、短絡的にトヨタは終わりと言いたがる。そろって記者会見に臨むトヨタ自動車の豊田章男社長(右)とソフトバンクグループの孫正義会長兼社長=2018年10月4日、東京都千代田区(酒巻俊介撮影) しかしトヨタが終わっていいわけがない。トヨタは日本一の企業であり、世界の時価総額ランキングの上位をキープし続け、協力企業まで含めたら世界で何百万人もの雇用をしている。Googleごときに負けてもらっては困るのだ。 これからやってくるモビリティ社会は従来とは全く違ったものになるだろうが、トヨタもこの革命に必死に食らいついているし、同じようなトライアルが業種業態を超えてさまざまなリアルワールドで起こってくる。AI産業革命時代にリアルワールドで日本が世界をリードするために必要なことは何か。日本は衆知を集めなくてはならない。平成の「敗戦」で染み付いてしまった敗北主義を今こそ捨て去る時である。■「階級社会フランスへの挑戦」ゴーンの原点はここから始まった■消費増税「3度目延期」首相が描くシナリオと布石■悲観論はもういらない「バブルなき株高」と断言できる理由

  • Thumbnail

    記事

    国民をカモにする「ブラック官庁」財務省はXマス暴落よりもヤバい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 3連休明けの12月25日に届いたのは、サンタクロースのプレゼントではなく、世界経済からの強烈な一打だった。日経平均の終値は1万9155円74銭で、先週の終値から約1010円も下落した。まさに大暴落である。大幅な下落は既に10月中旬から続いており、2万2千円台から3千円近くも値下がりしている。 この手の暴落が起きると、リーマンショック級であるかどうかよく話題になるが、実はどうでもいい。現時点で十分に世界経済の変調を確認できる。世界経済の後退を見越して、原油価格も大幅に低下を続けている。為替レートはドル・円で見ると110円台をなんとかキープしているが、これも現状の株価暴落や経済の不安定性が目立っていけば、やがて一段の円高になるだろう。 この真因は、やはり米国の金融政策の失敗だ。今の連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は凡庸を通り越して、今や経済失速の「主犯」となろうとしている。 その理由は、FRBがインフレ目標2%にあまりに固執しているからだ。2%の目標をあまりに厳格に守るために、将来的な雇用の最大化や経済成長率の安定を犠牲にしている。 実際、FRBが現在公表している「予測」を見ると、今後失業率が上昇し、経済成長率が鈍化する一方で、現状よりも政策金利は引き上げられている。つまり、インフレ目標を厳格に守るために、雇用や成長を犠牲にするのだ。全く愚かな判断である。 そもそも、インフレ目標は伸縮的に運用するのがコツだ。自動車運転と同じで、ルールを守りながらも、裁量の余地を認めていくのがこの政策のコツだった。だが、パウエル議長のFRBは四半期ごと機械的に利上げすることや、米中貿易戦争での世界経済後退リスクを考慮することなく、単なる数値目標に固執しすぎてしまっている。2018年12月25日、値下がった日経平均を示す株価ボード(渡辺恭晃撮影) 経済政策の最終目的は、雇用の最大化(完全雇用の達成)と、経済成長率の安定だ。インフレ目標はこの最終目的を実現するための中間目標でしかない。それが、中間目標があたかも最終目的になってしまったかのようだ。 トランプ大統領との不協和音も問題だ。これは、政府と中央銀行がその政策目的を共有できてないことに原因がある。もちろん、優れた前任者だったイエレン氏を事実上更迭して、パウエル議長を任命したのは、トランプ大統領自身である。 要するに、今回の株価大暴落と経済危機の高まりの背景には、トランプ大統領の金融政策に対する無理解と、現時点での政府とFRBの政策協調の失敗がある。これは両者の出方次第では、協調の失敗が長期化する可能性がある。財務省のブラック体質 私見では、今のインフレ目標の目標値は低すぎる。もしくは、同じ数値設定でも、より一層の賃金上昇などが見られるまで、インフレ率が目標値を上回っても現状の金融政策を進めると表明すべきだ。 FRBが今後もインフレ目標に厳格にこだわり、利上げを続けると予想されているため、日本銀行の金融緩和政策とのバランスから、今のところ為替レートはまだぎりぎり円安水準といえるものだ。これは、日本が長期停滞から完全に別れるために必要な円安水準という意味である。 ただし、世界経済の状況が悪化している現在、今の日銀の金融緩和姿勢で事足りる可能性は低い。つまり、この状況が続けば、過去のリーマンショックや2015年に起きた世界経済不況と同様に、円高局面が訪れる。そうなれば、日本企業の収益性を直撃するだろう。仮に、2015年の世界経済の後退と同水準のショックがこれから来年にかけて訪れるとすれば、最悪のタイミングと言わざるを得ない。 現時点で、財務省高官たちは「大したことがない」と様子見しているが、実に愚かな態度である。2014年4月の消費税8%引き上げの翌年に、世界経済の後退局面が訪れた。そして、消費低迷と成長率の鈍化、より一層の回復が見込めた雇用改善のストップなどが起きた。もし来年、このまま消費増税すれば、世界経済後退の中での引き上げになる。それは最悪のシナリオだ。 そんな財務省が、2018年の「ブラック企業大賞」で「市民投票賞」を受賞した。インターネット投票なので、個々のユーザーもさまざまな理由で1票を投じたのだろう。 だが、今年だけに絞っても、テレビ朝日の女性記者に対する福田淳一前事務次官のセクハラ行為に端を発したスキャンダル、そしてセクハラ疑惑を受けた福田前次官の辞任は記憶に新しい。さらに、佐川宣寿元理財局長(前国税庁長官)の国会答弁を忖度して、理財局全体をあげて行った公文書改竄(かいざん)は、国民に政府組織に対する深刻な不信感を与えた。 つまり、財務省の公的サービスが、国民に被害を与えたと認定していいだろう。財務省のブラック企業体質は本当に深刻である。さらに、過度な残業やまたパワハラ的な職場風土についても、さまざまに漏れ伝わるところでもある。トランプ米大統領(左)とパウエルFRB議長=2017年11月、ホワイトハウス(ロイター=共同) その一方で、最高学府からエリート層を常に吸収することで、自らの権威を保っている。要するに、エリート層が集まることが、今や財務省のただ一つ拠って立つ「権威」なのだ。醜いプライドだといっていいだろう。 率直にいえば、筆者には財務省が「日本の恥」だとしか思えない。恥は主観的な言葉なので、より客観的にいえば、財務省のお粗末なパフォーマンスを評価すれば、「省」ではなく「庁」程度がお似合いである。 お粗末なパフォーマンスの一例は、平成の経済史をさかのぼれば明白である。最近でも、嘉悦大の高橋洋一教授の新著『めった斬り平成経済史』(ビジネス社)や、経済評論家の上念司氏の『日本を亡ぼす岩盤規制』(飛鳥新社)を読めば、バブル崩壊から20年に及ぶ長期停滞の主犯が、財務省と日銀であることがよく分かるだろう。筆者もまた、時論を始めてから20年近くになるが、それはほとんど財務省と日銀による政策の失敗を明らかにし、その責任を糺(ただ)すことにあったといっていい。「政治家有罪、官僚無罪」 財務大臣に財務省のブラック企業体質の責任を全て求めることは、今までも長年、マスコミや世論の主導で行われてきた。つまり、「官僚の問題が明らかになれば、政治家が責任を取る」構図のことである。 だが、財務省のこのブラック企業体質は、大臣のクビを切れば済むかといえば、それで話は終わらない。むしろ、事実上論点をずらし、問題の本質を隠蔽(いんぺい)することにさえ通じている。要するに、今回の一連の問題を単純に「麻生大臣やめろ」などというだけではあまり賢明ではない。いや、率直にいえば、その種の意見は、財務省にとって好都合の「批判」でしかない。 官僚組織は個々の大臣の在任期間よりも長いし、また政党の「生命」よりも長い。政治家や大臣どころか、政権さえも財務省の使い捨ての駒でしかないのだ。 財務省が消費増税を悲願にしていることは周知の事実だろう。そんな中で、1997年に5%引き上げを実施した橋本龍太郎政権や、2012年に消費増税法を成立させた野田佳彦政権は事実上、財務省によって使い捨てされたとみていいだろう。その間、消費増税による経済停滞の本格化(橋本政権)、停滞の深化(野田政権)の責任は、全て政治家だけが取った。 一方、その当時の財務官僚はなんら責任を国民から問われることもなく、その後も高給の転職先や天下りを享受している。それでも、マスコミも世論の多くも、「政治家有罪、官僚無罪」という発想を捨て去ることができない。 この根源には、マスコミの「財務省依存」とでもいうべき体質がある。そして、ワイドショーやニュース番組などでしか情報を得られていない層が、財務省依存のニュースによって意見を形成してしまっている不幸な現象があるだろう。最近は、ネットなどで「真実」を知る人たちが増えてきたことで、「財務省はブラック企業である」という認識を生んだのかもしれない。実にいい傾向である。 だが、その認識にはまだまだ足りないところがある。財務省の最大のブラック企業体質は、経済政策の失政で、われわれ国民の生活をドン底に突き落とすところにある。2018年4月、事実上更迭され、記者の質問に答える財務省の福田淳一事務次官(当時) だが、世間には「消費税は社会保障目的で好ましい」という財務省やマスコミの意見を鵜呑みにしている人がかなりいる。申し訳ないが、その種の人たちは、財務省の「いいカモ」でしかないだろう。 政府が課税とそれによって得た財源を利用して、社会保障の名目で所得を再分配することは、もちろん現代国家の在り方として基本的に望ましい。しかし、方法を誤れば、所得の再分配によって、経済的な弱者がさらに損をしてしまうことがある。 例えば所得水準が低い人たちは、生活のために必要な支出だけでお金が底をついてしまう。これでは、将来のための貯蓄も難しい。この低所得の人たちの消費に重たい消費税率が課せられるわけだ。もはや「精神論」 他方で、高所得者たちは、その収入のほとんどを消費しない。消費の占める割合は、高所得者ほど低いだろう。では、高所得者たちは消費せずに、いったい何をしているかというと、せっせとお金を増やすための資産運用をしているのだ。 お金を使うことではなく、お金自体が一つの魅力となり、その無限の増殖を果たしていく。デフレになって、貨幣の魅力が増せば増すほどこの傾向は強くなる。これを「貨幣愛の非飽和性」という。 例えば、日産自動車前会長のカルロス・ゴーン容疑者が特別背任罪などで罪を問われている。その真相はまだ不明だ。だが、報道によれば、巨額の資産運用をしていたことは明白である。 ゴーン氏といえば、安くておいしい焼き鳥屋で食事するエピソードがあるように、日本での消費活動はそれほど派手に報道されていない。その一方で、リーマンショックの発生に伴う巨額の損失を、日産に付け替えようとするなど、その資産運用は強欲的である。ある意味で、高所得者の典型的な行動パターンだ。 消費税は、いわばゴーン的高所得者には有利に働き、カツカツで生きる人には地獄のような税制だ。現状では、米中貿易戦争や米国の金融政策の不安定性から、世界経済の失速が懸念される中で、消費増税を実施すれば、さらに経済的な困窮を深めてしまう可能性が大きい。 安倍晋三政権自体の責任もあるが、その背後で暗躍する財務省という国家の寄生虫を退治しない限り、この悲劇は繰り返し起こるだろう。最近では、消費税を全ての国民が社会保障のために担う政策だと説明しているが、一種の「精神論」(上念司)である。 ブラック企業の特徴は、社員をどうしようもない精神論で追い詰めるところにある。まさに、財務省のブラック企業体質がこの「精神論」に結晶されている。 財務省を解体するのも大いにありだが、個人的には財務省を財務庁に「格下げ」して、彼ら、彼女らのエリート意識を砕くことが手っ取り早いし、重要なことだと思う。格下げと同時に歳入庁をつくり、両方とも内閣府の直轄に置くのがいいだろう。2018年10月、消費税の10%引き上げを表明した臨時閣議に臨む安倍首相(中央)。左は茂木経済再生相、右は麻生財務相 そうして、財務官僚の歪(ゆが)んだエリート意識を糺すことが最優先だと思われる。ただし、最近は、財務省のセクハラ、パワハラ的なブラック企業体質が知れ渡ってきたのか、官庁志望ランキングでも苦戦しているとも伝え聞く。その先には、世論が財務省の解体を支持する環境になれば、さらにいい。 株価の大暴落から世界経済の減速の可能性が高まっている中で、消費増税の議論を続けるなど、どう考えてもおかしい。だが、この異常な財務省を軸とした「消費増税狂騒曲」を止めることができるかどうかに、安倍政権の命脈などよりもはるかに重要な、日本国民の生活と命がかかっていることは言うまでもない。■ 消費税率10%、安倍首相の決断で甦る「失われた3年」■ 馬淵澄夫手記 「日本を覆う『消費税神話』からの脱却を」■ メールも使えない経営者は大喜び、消費増税「狂信者」が描く未来図

  • Thumbnail

    テーマ

    「消費税10%」は必ず阻止できる

    来年度の税制大綱が決まった。特筆すべきは「消費税率10%を来年10月に確実に実施する」と明記された点であろう。増税に合わせ、飲食料品などの税率を据え置く軽減税率が導入されるとはいえ、景気の足を引っ張るのは確実である。消費増税を阻止する手立ては本当にないのか。

  • Thumbnail

    記事

    軽減税率で「居酒屋」が大打撃 ちょい飲み、せんべろも危機

     来年10月の消費税率10%への引き上げとともに議論の的になっている「軽減税率」。同じ食品でも持ち帰れば8%のまま据え置きだが、その場で食べれば10%と税率が異なるため、“一物二価”の不公平さが反発を招いている。軽減税率の影響をもっとも受けそうな外食業界、中でも「居酒屋の衰退がますます進む恐れがある」と指摘するのは、フードアナリストの重盛高雄氏だ。 * * * 政府は景気を下支えするという名目により、税率の引き上げと同時に軽減税率の導入を決めた。先に発表された概要によると、外食産業全体に大きな影響を与えることは間違いない。なぜなら同じ店舗で購入しても持ち帰りの場合は軽減税率が適用され8%のままだが、通常の店内飲食やフードコート、そしてコンビニのイートインスペースを利用すれば10%の新税率が対象になるからだ。 要は「食べる場所」によって税率が異なるため、消費者にとっても店舗にとっても複雑でわかりにくい。この仕組みでは店内飲食を前提とした外食産業は税率アップによる影響をもろに受けることになるだろう。特に打撃の多い産業は居酒屋業態ではなかろうか。 もっとも居酒屋の衰退は、ここ数年の出来事ではない。日本フードサービス協会の外食産業データ売上金額(対前年比)によると、景気後退が鮮明となった2008年に100.0%を付けて以来ずっと前年割れを記録している。利用客数の前年比で見ても、2008年からずっと前年割れの状態だ。 そこに来年からの消費増税が追い討ちをかける。居酒屋業態はリーマンショックによる不景気や震災の影響などもあり、ただでさえ法人需要や宴会需要を減らしているうえに、度重なる増税によって個人の常連客まで失ったら、どうなるか。たとえ老舗チェーンであっても豊富なメニューと品質を保てなくなり、瀕死の状態に陥ることも考えられる。 結局、政府がいくら景気は回復基調だ、と叫んだところで消費者の懐は潤ってはいない。昨今「ちょい飲み」や「中食」という飲食スタイルが定着し、生活防衛に努めながらささやかな楽しみを見つけているのが庶民の現状だ。 消費税アップによる価格転嫁は、日銀の悲願である「物価上昇」には役立つかもしれない。だが、物価が上がっても賃金が上がっていない状況では、消費マインドは改善しない。事実、総務省の家計調査においては1997年をピークに可処分所得はずっと右肩下がり。実質賃金が上がっていないことが主な原因だ。 家計収入が増えていない中で、外食の値上げがいかに消費者にインパクトを与えるか。人件費や材料費の高騰を理由に280円均一から298円に価格改定を行って客離れ→減収に見舞われた「鳥貴族」がいい例だろう。たかが1品18円とはいえ、一斉値上げは消費者の客足を止めるには十分だった。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) 鳥貴族からすれば、税別300円以内に抑えたという自負や自信もあったのだろうが、その目論見は大きく外れた。付加価値を付けて価格を改定したわけでなく、原価の高騰というある意味素直な値上げに対して、消費者が敏感に反応したのは特徴的だった。 消費増税の影響は、こうしたサラリーマンの懐にやさしい「ちょい飲み」業態に広がっていくだろう。「せんべろ」がなくなる? たとえば、駅前でよく見かける中華の「日高屋」は、餃子にラーメンと生ビールで950円という、1000円以内の“せんべろセット”を提供している。手軽な価格というだけでなく、家庭では再現できない焼き立てのあつあつ餃子、そしてキンキンに冷えた生ビールはサラリーマンならずとも鉄板の組み合わせだ。 また、今年6月に全店禁煙で話題となった「串カツ田中」は、禁煙後も客数は好調で、子供連れや若者など新しい客層が広がっている。もちろん、人気の秘密は安さにある。手軽な100円串から200円串まで取り揃えている。 庶民の楽しみである、せんべろや100円串も、消費税の改定により価格転嫁を余儀なくされる。仮に店が増税分の“値下げ”で価格を維持しようと思えば、売り上げ確保のために仕入れ先や原価を見直すなどして質の低下につながりかねない。いずれにせよ、消費者にとっては、1000円で飲める量がさらに少なくなるか、質が悪くなるかのどちらかの選択肢しかなくなり、ささやかな楽しみが奪われていく。 外食という消費行動の停滞は、税収全体から見ても決して好ましい姿ではないだろう。政府は複雑なポイント還元やプレミアム商品券の発行など、多くの諸経費をかけて景気対策を行うとしているが、増税に伴う税収の増加と景気対策費用との収支バランスはとれていないように映る。また普及が遅れているマイナンバーの活用で5%還元するなどという驚きの話も飛び出し、世間を混迷の渦に巻き込んでいる。 消費増税対策というテーマにあれもこれも詰め込み、無理矢理に理解を求めようとするなかで、消費税が持つ本来の役割が議論もされず、見過ごされている気がしてならない。すでに居酒屋業界は、各種ポイントカードを使ったお得なキャンペーンや、期間限定の割引サービスなど盛んに展開しているが、どれも消費者が足を運ぶ動機付けになっているかといえば疑問だ。 税率が上がって消費が冷え込み、各店が工夫をしなくなることで、外食業界全体の元気がなくなる──という悪循環だけは避けなければならない。※写真はイメージ(ゲッティイメージズ) かつての外食は、高くてよいもの、そして安くて悪いものの二極化が鮮明だったが、最近は〈高くてよいもの〉、そして〈手ごろな価格でもよいもの〉に消費行動は変遷している。コストパフォーマンスの悪い商品は、消費者は端から選択しなくなったのだ。 節約を第一に考えれば、安ければ売れると考えがちだが、スーパーでも最初から値段を安く設定した商品は実は売れていない。それより値引きシールのついた「よい商品」を選択する消費者が増えてきている。 そう考えると、価格に関係なく長く売れ続ける商品をいかに提供できる店かが勝負のカギを握る。いくらメニューのバリエーションが豊富でも「安かろう悪かろう」の商品は選ばれることはない。どこにでもある商品でも、味付けや素材にこだわる。そして、そこにしかない味わいがあるからこそ「選ばれる価値を持つ店舗」となるわけだ。 増税という逆風にあっても、消費マインドを熱くしてくれる顧客満足度の高い居酒屋や新しい外食業態の登場を期待したい。関連記事■ 串カツ田中、居酒屋チェーンの常識に逆行する戦略で急成長■ 大衆居酒屋の先駆け 「養老乃瀧」がしぶとく生き残れる理由■ 医師が勧める酒のつまみ 焼酎に最適なのは“ばくだん納豆”■ 鳥貴族の客離れは値上げだけが要因か 均一価格戦略に陰りも■ コンビニおでん商戦2018 食べ比べたくなる大手3社の新戦略

  • Thumbnail

    記事

    消費増税、国民への影響はどれほど?

    島澤諭(中部圏社会経済研究所研究部長) 高度成長期に確立し、右肩上がりの人口や経済を前提として組み立てられている日本の財政・社会保障制度は、少子高齢化の進行、とりわけ高齢者に占める後期高齢者の割合が増加する「高齢者の高齢化」の進行により、その持続可能性が危ぶまれる状況が続いている。それは、人口ピラミッドが逆立ちすることが見込まれていたにもかかわらず、その抜本的な改革を断行せずに放置した結果、現状ではGDPの2倍に及ぶ政府債務が蓄積してしまっている。 こうした日本財政の危機的状況にもかかわらず、日本政府には莫大な資産があるから増税や歳出削減なしでも財政破綻は起こり得ないとの主張も存在する。内閣府『国民経済計算』を見ると、国と地方に社会保障基金を加えた一般政府に日本銀行や日本学生支援機構、上下水道事業、地方公立病院等公的企業を加えたいわゆる統合政府の連結決算では、金融資産1,800兆円に対して公的債務1,251兆円となっており、両者を相殺すれば財政再建は確かに完了する。 しかし、金融資産のうち、公的年金の積立金や公的金融機関から民間企業への貸出し、ODAなどを除くと1,020兆円となり、公的債務が上回る。金融資産の他、社会資本*を売却すればよいとの主張もある。主要な社会資本を外国に抑えられたパキスタン、モルディブ、スリランカなどが債権国のくびきとなっている現状はそうした主張への雄弁な警告となる。そもそも、資産売却で債務を一時的に解消しても、財政赤字体質を放置したままでは元の木阿弥となるのは確実で、財政問題は何ら解決しない。 日本の社会保障制度はこれまでもっぱら高齢世代を給付の対象とし、現役世代は支える側とみなしてきた。高く持続的な経済成長が続く社会では、すでに引退したか引退間近の世代は、そうした経済成長の恩恵に与ることができず、後世代との豊かさの格差は拡大していく一方である。その場合、相対的に貧しくなっていく高齢者に相対的に豊かになる若者世代が所得移転を行うのは若者世代にとっても負担とはならない。 また財政赤字が発生したとしてもマクロ経済や歳入が歳出に合わせてパラレルに成長していくのであれば、財政赤字の累積としての債務残高が経済規模に対して一方的に拡大していくことはないし、経済が拡大している期間においては租税弾性値が歳出弾性値を上回る場合が多く、当初の財政赤字を埋め合わせることが可能となるからである。主計官を集めた会議で訓示する麻生太郎副総理兼財務相。「今回は間違いなく(消費税増税を)実施できる状況」と語った=2018年8月27日、財務省 したがって、経済成長の恩恵によって放っておいても豊かになる一方で、かつ企業により生活保障を受けていた現役世代に対する社会保障給付よりも経済成長の恩恵から取り残された高齢者により手厚く社会保障給付がなされ、高齢者を優遇することは正義に適っていた。「誰もが受益者」の限界 しかし、経済が停滞し、繰延された負債を担う将来世代が減少していく現局面においては、状況が全く異なる。実際、財務省によれば、特例公債の発行から脱却することのできた1990年度以降歳出を原因とする債務残高の増加額416兆円のうち7割強の293兆円が社会保障を原因とするとされている。つまり、日本の財政問題は社会保障問題と言っても過言ではない。増加する一方の社会保障支出を賄うための収入増加策は不可避である。*社会資本に相当する生産資産は非金融資産に分類され732兆円(うち防衛装備品9兆円)。それとは別に、地下資源、漁場、国有林等の非生産資産(自然資源)153兆円もある。 しかし、社会保障を支えることが期待されている現役世代の弱体化が続いている。その背景としては、非正規雇用比率の上昇や賃金水準の高い雇用機会の喪失といった経済構造の変化がある。また、当初所得の低迷だけでなく、税制や社会保障制度の恩恵が薄い未婚者の増加等、世帯構造の変化も生じていることが挙げられる。 こうした現役世代の苦境を前提に、政府・与党のみならず野党においても、子供の医療費無料化(窓口負担ゼロ)、最低賃金引上げ、18歳選挙権、待機児童解消策、給付型奨学金導入、幼児・高校・大学教育無償化など、高齢者とともに現役世代重視の全世代型社会保障の充実を目指している。 このように現役世代が貧困化しつつあるからこそ全世代型社会保障が提案されているという事実に鑑みると、現役世代に負担させる従来の仕組みを維持するのには無理がある。「誰もが受益者」である全世代型社会保障を実現したいなら北欧諸国を例に挙げるまでもなく「誰もが負担者」でなければならない。スーパーで商品を選ぶ買い物客。消費税率が10%となれば消費者や業者に大きな影響が懸念される=2018年10月、東京都大田区(齋藤有美撮影) したがって、全世代型社会保障の財源について、財政当局は、(1)現役世代が減少し、高齢世代が増加することから、特定世代に負担が集中せず、国民全体で広く負担する消費税が社会保障給付の財源にふさわしい、(2)所得税や法人税に比べ、消費税は景気変動に左右されにくく安定している、との理由から、財源を消費税により広く全世代に求める方針としている。 しかし、消費税率の引上げは、税制抜本改革法によって引上げスケジュールが定められている。また、増収分の使途についても、社会保障制度改革プログラム法によって配分が定められているにもかかわらず、実際には、景気後退懸念を理由として、10%への引上げは、2017年4月、さらに2019年10月へと延期されるなど、政治、国民問わず、財政再建、消費増税への拒否反応が著しい。消費税引き上げの影響 2019年10月の消費税率引き上げが家計に与える影響を試算した(表1、表2、表3、表4)。表1 所得階層別消費税率引き上げに伴う負担額 まず、所得階層別家計に与える影響を見ると、所得階層が高いほど消費税負担金額や軽減税率導入に伴う負担軽減金額が大きくなっている(表1、表2)。これは所得階層が高いほど消費支出金額も大きいから当然である。表2 所得階層別軽減税率導入による負担軽減額 しかし、所得に占める負担割合を見ると低所得層ほど、負担率も軽減率も大きくなっている。消費税の負担を金額で評価するのか、所得に対する割合で評価するのかで、まったく逆の見解が生じ得るが、所得に対する割合で評価するのが一般的である。そうした観点から考えると、消費税は低所得層ほど負担(率)が重く高所得層ほど負担(率)が軽くなる逆進的な性質を持つ一方で、軽減税率の導入によって低所得層ほど恩恵を受けることが分かる。 次に、年齢別消費税負担を見ると、20歳代15.8万円を底として加齢とともに増加し50歳代25.8万円でピークを迎え、それ以降は低下し、70歳代では17.9万円となっている(表3)。表3 年齢別消費税負担額 60歳以上の高齢世代の負担額が30歳代以下の若者世代の負担を上回っていることが確認できる。また、軽減税率導入に伴う負担軽減額を見ると、若者ほど恩恵が小さいことが分かるが、これは若者ほど食料以外の支出ウェイトが高いことと、新聞を購読している割合が低いことに起因している(表4)。表4 軽減税率導入による年齢別負担軽減額 以上のように、消費税引き上げは、世代や所得階層といった世帯属性の違いによって与える影響が異なるので、消費増税に賛成するのは高所得・現役世代に対して、高齢世代と低・中所得現役世代は各々反対するインセンティブが働く。後者の方が多数を占めるため、民意に敏感な政治消費税の引き上げに二の足を踏むのももっともなことであるとも言えるだろう。 政府や経済学者は、マクロ経済パフォーマンスに与える影響の面においても、世代間格差に与える面においても、消費増税による財政再建の方がメリットが大きいと考えているものの、実際に消費増税が度々延期されてきたことからも、試算結果からも明らかになったように、国民の大半にとっては消費増税の負担増は大きい。キャッシュレスが鍵 こうした国民の間にある根強い消費増税へのアレルギーを緩和するため、政府は目下様々な対策を決定もしくは検討中である。 例えば、外食と酒類を除く飲食料品等に対する軽減税率の導入は、大半の経済学者は強い拒否反応を示しているものの、先に見た試算の通り、飲食料品への支出の割合が大きい高齢者や低所得者対策としては効果的であろう。 もう一つ、政府は、電子マネーの普及などに伴い近年キャッシュレス化が進行しているとはいうものの、他の先進国や韓国などと比べてキャッシュレス決済は普及していない現状に鑑み、現時点では、キャッシュレス決済を普及させる狙いで、消費税率の10%への引き上げと軽減税率の導入に伴い、中小小売店舗でキャッシュレスにて買い物をした場合に限り、2%分をポイントで還元する仕組みの導入を企図している。 日常の買い物のキャッシュレス化には、店側では機器の導入コストや様々な手数料などランニングコストが重くのしかかる他、大規模自然災害による停電発生時の取引の確保等課題も多い。しかし、キャッシュレス化は、消費者にとってはATMから現金を引き出す時間や労力など取引コストを節約できるし、小売業者は現金の管理・運搬等にかかるコストを削減できる。さらに、消費者の購買行動に関するビッグデータが取引付随して集まるので、その購買行動を分析することでより効果的な販売活動、ひいては売り上げ増も期待できる。 また、キャッシュレス化の進行によって、大半の商取引が電子データで管理されれば、現金を用いるより遥かにカネの動きが透明化され、脱税やマネーロンダリングなどを抑止できるなど、税務処理の効率化や税収増が期待できる。税収増は当然将来の追加的な増税幅を圧縮させるだろう。ペイペイでキャッシュレス決済をするイメージ=2018年11月(武田範夫撮影) さらに、Moody'sが2016年に公表したカード決済の普及によるキャッシュレス化が経済に与える影響に関する報告書(“The Impact of Electronic Payments on Economic Growth”)によれば、2011年以降2015年まで世界経済全体で毎年740億ドル(日本円に換算すると8兆円強)分のGDPを増やす効果があったとのことである。さらに、キャッシュレス化が1%進むと0.04%ス日本の経済成長を押し上げる効果を持っているとしている。 以上のようなキャッシュレス経済への移行によるメリットを十分に発現できれば、消費税率引き上げに伴うマクロ経済や家計の負担増を軽減できる効果も期待できる。

  • Thumbnail

    記事

    増税時の軽減税率導入で廃業する業者が増えるカラクリ

     2019年10月、消費税が10%になることに伴って食品や飲料に軽減税率が適用されることになっているが、持ち帰りの弁当(8%)とイートインの客(外食だから10%)をうまく捌けるのかという懸念もあり、コンビニやスーパーの店頭は大混乱することが予想されている。 さらなる混乱もある。複数の税率が併存することを理由に、すべての取引に「インボイス(適格請求書)」の発行が必要になるからだ(2023年に義務化)。これは取引日や品目、金額や税額を詳細に記入した請求書で、売り手が取引ごとに相手に発行し、控えの保存も義務づけられる。「インボイスを導入している韓国では、零細の自営業者でもプリントアウトした税務申告資料が何百ページもの分量になる」(税理士で立正大学教授の浦野広明氏) それだけではない。現在は売り上げ1000万円未満の自営業者は消費税が免除される。零細商店や1人親方の大工、個人タクシーをはじめ全国の500万人(社)が対象だが、消費税を納めない業者はインボイスを発行できない。 買い手はインボイスがなければ仕入れにかかった消費税を控除されず、納税額が跳ねあがってしまう。東京商工会議所と税務署が開催した消費税軽減税率セミナー=2018年12月6日、東京都江戸川区(玉崎栄次撮影)「すると企業は非課税業者とは取引しなくなる。非課税業者はインボイス発行の資格を得るために売り上げ1000万円以下でも消費税を納めるしかない。税を払えずに廃業する業者も増えるでしょう」(同前) 増税のしわ寄せは年金生活者、低所得者、零細業者に向かっていく。関連記事■ 「消費税還元セール」と「フライング値上げ」に騙されるな■ 消費税10% 軽減税率めぐりコンビニは大混乱でまさかの展開も■ 消費税10%時代に住宅、自動車で得する人は?■ 軽減税率導入 影響力維持にはやるやる詐欺が一番と経産官僚■ 「再増税ありき」の軽減税率論議だが再増税見送りが必要では

  • Thumbnail

    テーマ

    大阪万博がちっとも盛り上がらない

    2025大阪万博の開催が決まった。「経済効果は2兆円」との触れ込みも、開催地以外での盛り上がりはいま一つである。高度経済成長の象徴と言われた前回開催と比べ、その国民的関心の低さが際立つ。正式決定後も、まだ不要論が聞こえてくる大阪万博の是非を考えたい。

  • Thumbnail

    記事

    大阪万博「経済効果2兆円」のまやかし

    熊野英生(第一生命経済研究所首席エコノミスト) 2025年に大阪が万博の開催地になることが決まった。身近なところでも、大阪出身者が「万博開催、おめでとうございます」と言われて、「どうもありがとうございます」と応じる姿を見かける。お祝い事に水を差すつもりはないが、万博が期待された効果を発揮するかどうかはまだ不確実性の中にあると考えられる。 むしろ、当初から経済効果は約2兆円という風に確定した恩恵があると考えず、それを下回るリスクはあるし、努力次第で2兆円を超えることもできると柔軟に捉えておいた方がよい。 本稿では、経済効果2兆円という見通しを積極的に考えることの材料と考えて、大阪万博の問題に隠れている思惑について検討してみることにしたい。 筆者は、なるべくテクニカルな議論を避けて、3つの点を焦点に据える。(1)2800万人の来場者数の前提、(2)カジノの思惑、(3)大阪に求められる経済効果の3つである。なお、筆者は大阪万博の開催に反対しているわけではなく、相応の負担を自治体や地元企業が負うのだから、もっと多面的に検討した方がよい、と言いたいのである。誤解のないように記しておきたい。 まず、想定来場者数が2800万人とされている点である。この数字は大きすぎないか。恐らく、比較して考えられたのは2005年の愛知万博の2200万人であろう。これは約半年間の来場者数である。2025年は、愛知万博を約3割上回る目標となっているのだろう。 しかし、問題は万博というイベントが2800万人もの人数を引きつける魅力を打ち出せるかどうかである。グローバル化した現代において、万博というイベントはやや古くなっている。他の先進国が開催地に手を挙げない理由もこの辺りにあるだろう。1970年当時の大阪万博会場=大阪府吹田市(共同) 1970年の大阪万博の思い出とうっかり重ねて考えてしまうが、私たちは当時よりもはるかに豊かになっている。従って、海外から出展してくるパビリオンの催し物が人気を集めるためには相当知恵を絞らないといけない。2800万人は、リピーターを相当数期待している。インバウンドも、わざわざ多額の費用をかけて来日するのだから、事前に評判を調べてくるだろう。高度に情報化された現代に、わざわざ万博の場で体験できるものを思いつくのは容易ではない。大阪地元民の現実 2005年の愛知万博を見に行った人に同じ問いをぶつけると、魅力あるパビリオンを集めてくるのはやはり難しいだろうという反応であった。 なお、大阪にはテーマパークとしてユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)がある。16年度の年間来場者数は1460万人。東京ディズニーランド・ディズニーシーは年間3010万人である(17年)。この2つの来場者数は全国のトップ2で他のテーマパークを大きく上回っている。 テーマパークごとに入場料が異なっていて、来場者数はその変数とも言える。愛知万博は大人4600円とUSJなどよりも入場料が安かった。大阪万博が相応の入場料をとって、既存のテーマパークの雄を上回る来場者数を集めることが簡単でないことが分かるだろう。 大阪万博は、20年に東京五輪が開催されることを強く意識している。政治的には、東京五輪の次に何か大イベントが欲しいという狙いもあっただろう。 それ自体は悪いと思わないが、問題はそうしたイベントで関西経済をどこまで浮揚できるかという点だ。しかも、持続性のある形でという条件がつく。 自治体や地元企業は、巨大な金額を負担することになりそうである。会場の夢洲(ゆめしま)の建設予定費1250億円の3分の1は国が負担して、自治体、地元企業も3分の1ずつを負担する。しかし、この建設費用も未確定であり、地元企業が万博で多大な協力をして事業収支の改善のために働くことは、愛知万博の例でも分かる。大阪万博開催が決定し喜ぶ商店街の関係者ら=2018年11月24日、大阪市中央区(安元雄太撮影) 経済効果という場合、建設費用と運営費用が経済拡大に寄与する体制になっている。それで何億円の効果と数字をはじく。しかし、実体経済で大切なのは、収支がプラスであることだ。建設費用・運営費用が、入場券収入や跡地利用で得られる収入によって長期的にみても黒字化できるかどうかが肝心なのだ。 その点、経済効果は収入も支出も投資もごちゃまぜにしてグロスの数字の大きさをアピールするものである。事業収支をよく吟味する必要がある。カジノ頼みの採算 大阪万博は、そうした中長期の事業採算をカジノによって得ようという思惑と重ねられている。大阪でのカジノ事業は、前年の2024年にスタートする予定だ。既に国会で成立した統合型リゾート施設(IR)推進法の具体化が大阪で行われる。 万博はそのカジノのスタートを盛り上げる大イベントとして重なっているようにもみえる。事前に大きく賛否が分かれたカジノ構想が、大阪万博の中長期的採算とも大きく絡んでいるのだ。家族だんらんで出掛けた愛知万博とは少々違っている。 万博を経済活性化の目玉にしたいという願望は、本当に実現できるのか。いや、関西経済を浮揚させようということを目的にしたとき、万博を優先する意義はどこまであるのかと問い直したい。 2025年という未来は、現在よりも人口減少が進んでいる。大阪府も人口推計では4・7%ほど人口が減少すると予測している。財政基盤も現在よりも弱くなり、自治体が負担できる能力も低下している。自治体に大きな支援を期待してはいけない。 そうした未来に対して、インバウンド需要を取り込むために、関西空港、伊丹空港、神戸空港などとの連携、交通アクセスを改善し、複数の観光地が協力して周遊観光ルートづくりをするなどの取り組みがある。インバウンドを意識して、医療ツーリズムやスポーツツーリズムを育てていこうというアイデアである。これらの経済活性化のアイデアに比べると、万博は一時的な効果だけを狙った印象が強い。2025年大阪万博の開催決定を祝い、特別にライトアップされた「太陽の塔」=2018年11月24日、大阪府吹田市(須谷友郁撮影) わずか半年間の万博イベントに対して、2兆円という経済効果の数字をつけることで、いかにも経済合理性があるようにみせている。この2兆円は、万博が終われば大半が消えてしまう筋合いである。残るのは、カジノ事業が中心になる。 また、過去の行事では、イベント向けの交通インフラが建設されて、行事終了後は赤字を累積させる問題もしばしば起こっている。繰り返しになるが、大切なのは経済効果の大きさではなく、事業収支が中長期的に黒字化することである。 万博に2兆円の経済効果があると、宣伝することはその本質を忘れさせる。関西経済を浮揚させる他のさまざまな対応策と比べて、この大阪万博が優先する意義があるものになるかどうかについて深く熟考したい。■ 松井一郎手記「安倍総理は本心をごまかしている」■ 大阪が副首都になれば、日本はこんなにも変わる■ 「橋下徹のしょぼい提案」をスケールのでかい構想に変える秘策がある

  • Thumbnail

    記事

    大阪万博成否のカギ「カジノマネー」をめぐる悲しき思惑

    木曽崇(国際カジノ研究所所長) 11月23日、パリで開かれた博覧会国際事務局(BIE)の総会において、2025年国際博覧会(万博)の開催地が大阪に決定した。日本とロシア(エカテリンブルク)、アゼルバイジャン(バクー)の3候補で争われた1回目の投票で、日本への支持が既にBIE参加国の過半数に達した。 引き続き行われたロシアとの決選投票では、第1回投票からさらに支持を積み増し、全体の6割以上の支持を得ることに成功した。事前報道では「かなり苦戦するのではないか」という声もあったが、フタを開けてみれば「横綱相撲」と表現してもよい投票結果であったといえる。 だが、2025年の万博開催を勝ち取り、歓喜に沸くわが国において、既にその先の現実的な対応に頭を悩ませている人たちがいる。それが、日本国内外のカジノ業界関係者だ。 わが国では2018年7月の統合型リゾート施設(IR)整備法の成立によって、カジノを中核とした複合観光施設、IRの導入が決定している。実は、今回決定した大阪万博の開催は、IR導入とセットの企画として起案されたものであるからだ。 万博のメイン会場となるのは、大阪市の最西端に位置する人工島、夢洲(ゆめしま)だ。そもそも夢洲は08年の大阪五輪誘致を目指して埋め立てられた人工島であった。 その後、北京との招致レースに敗退したことによって不良資産化し、長らく大阪府・市政の「負の遺産」とされてきた。その夢洲において、起死回生の再開発プランとして持ち上がったのが、万博とIRの誘致計画であった。2018年11月、2025年万博の大阪開催が決まり、道頓堀でくす玉を割って祝う人たち 夢洲は390ヘクタールという広大な埋め立て地であるが、現在コンテナターミナルや太陽光発電などで利用されている用地を除いた部分のうち、約170ヘクタールあまりが大阪にとって当面の新しい開発対象となる。このうち、今回誘致に成功した万博の開催用地として使用されるのが100ヘクタールあまりで、残りの70ヘクタールが大阪IR開発の当面の候補地となっている。大阪がIR誘致を急ぐ理由 2018年7月のIR整備法の成立を受けて、現在国は急ピッチで関連法令の整備を進めており、19年の中ごろには全国で最大3カ所と定められているIR設置区域の選定に関する基本計画を発表する。その後、IR誘致を求める各都道府県などにより、国からの認定を巡る誘致合戦が繰り広げられる。 大阪府の松井一郎知事は、19年度中には夢洲でのIR開発を担当する民間事業者を選定し、最速で国からの認定を取得したい考えだ。万博開催前年の24年には、夢洲でのIR開業を実現したいと気を吐いている。 25年の万博開催が決まったばかりだというのに、なぜ大阪はこれほどまでにIR誘致を急ぐのか。そこには大きな理由がある。万博開催の前提となる公共交通の敷設に、IR開発業者の「資金協力」が不可欠だからである。 大阪万博の開催地として決定した夢洲だが、実はこの人工島は現在、道路での上陸が唯一の交通手段となっており、大阪市域からのアクセス環境は劣悪だ。大阪府は万博の来場客数を2800万人と予測しているが、現在の交通インフラでは、予想来場者の輸送など到底不可能であり、新たな公共交通手段の敷設が必要となる。そこで持ち上がっているのが、夢洲周辺を走る各鉄道の延伸計画である。 敷設コストが最も安く、最有力と言われているのが18年4月に民営化されたばかりの大阪メトロ(旧大阪市営地下鉄)中央線の延伸だ。夢洲の南側から大阪市住之江区を経由して地下鉄で接続する案だが、最もコストがかからないと言われているこの敷設案でも、整備費用は540億円にも及ぶとされる。 一方でこの大阪メトロ中央線は、大阪の中心市街地である梅田周辺には直結しておらず、中心市街地へのアクセスには乗り換えが必要となる。そのため、万博誘致に伴う観光波及の側面からみると、必ずしも「最良の計画」とは言い難い。2016年3月、JR桜島線(ゆめ咲線)のユニバーサルシティ駅で開かれた開業15周年記念セレモニー。エルモなどのキャラクターも祝福に駆けつけた そこで、もう一方で検討が進められている鉄道アクセス案が、JR桜島線の延伸である。これは夢洲の東側から大阪市此花区を経由して大阪市域を結ぶ案だが、予想される整備費用は1700億円と、大阪メトロ延伸よりも、はるかにコストがかさむ。 だがJR桜島線は、大阪の中心市街地・梅田周辺へと直結しているだけでなく、大阪観光のもう一つの目玉であるユニバーサルスタジオ・ジャパンにも連結しており、路線としてのポテンシャルはこちらが圧倒的に高い。JR西日本は18年4月に発表した「中期経営計画2022」の中で、既にJR桜島線の延伸検討を盛り込んでおり、今回の万博誘致が決定したことで、延伸計画の本格的な検討が始まることとなる。遠回しの批判にも強気 そして、2025年の万博開催が決定した今、現実のものとして頭を悩ませなければならない問題が、開催のために必須となる各鉄道の延伸費用負担の問題である。現時点で最有力とされる大阪メトロ中央線の延伸費用に関して、大阪市は整備費用540億円のうち128億円を負担し、残りの210億円を大阪メトロ、そして202億円は万博予定地の隣に整備されるIRの開発事業者に負担を求める方針を示している。 この地下鉄延伸の費用負担こそ、大阪がIR誘致を急ぐ理由である。実は、夢洲への公共交通敷設費用を含めて考えると、IR業者の資金的協力なくして、万博成功はあり得ないのである。 この202億円の事業者負担に関して、大阪でのIR参入を検討している一部の大手カジノ事業者からは「インフラ整備は行政が担当すべき」とする遠回しの批判が出ている。しかし、大阪市の吉村洋文市長も「(202億円は)IR事業者が受益者として負担すべきもの」と一歩も引かない構えだ。 業界関係者の間では、現在予定されている負担額の限りであれば「許容範疇(はんちゅう)」ではないかとする声も多い。ただし、関係者が危惧するのは、現在約200億円とされている事業者負担の「積み増し」である。 前述の通り、大阪市域と夢洲を結ぶ鉄道の延伸計画は、大阪メトロ中央線の他にJR桜島線の延伸計画の検討が進んでいる。ここで、1700億円の整備費用を、大阪メトロの延伸コストの費用負担率にそのまま当てはめてみよう。その場合、1700億円のうち403億円が大阪市の負担になり、661億円が鉄道運行業者となるJR西日本、そして634億円がIRの開発事業者の負担となる。 大阪市は、今のところJR桜島線の延伸費用負担に関して直接の言及を行ってはいないが、吉村市長の説明する「受益者負担」の原則を当てはめた場合、そこにさらなるIR開発事業者に対する費用負担の積み増しは十分に起こり得る。2018年11月、2025年万博の大阪開催が決定し、握手を交わす大阪府の松井一郎知事(左)と大阪市の吉村洋文市長=フランス・パリのOECDカンファレンスセンター(恵守乾撮影) 逆に、積み増しが「ない」とするのならば、それが大阪メトロ延伸のケースとどう違うかを、早いタイミングで明言する必要があるだろう。その説明次第で、今後の大阪におけるIR誘致の実現性が変わってくるだけに、大阪市の一挙手一投足に業界の注目が集まっている。■ 記事カネの流れが経済の原点 カジノに勝る「特効薬」はこの世にない■ 「賭博」を全面解禁せよ! 矛盾だらけのギャンブル禁止はもう限界■ 的場文男の金字塔に思う「ギャンブル大国」の行く末

  • Thumbnail

    記事

    「大阪万博は夢のまた夢」スーパー南海地震のリスクも考慮せよ

    高橋学(立命館大学環太平洋文明研究センター教授) 2025年の国際博覧会(万博)の開催地が大阪に決定し、一部の政治家や経済人を喜ばせている。東京への経済の一極集中が進む中、大阪市を含む関西の著しい長期低落傾向を止めるきっかけとしたいとの思いが強いからだ。かつて、大阪は08年夏季五輪誘致に失敗しているだけに喜びはひとしおだろう。 さらに、1970年に大阪北部の千里丘陵で開催された大阪万博の際、集中的に整備した地下鉄などのインフラが、50年を経て、思い切った再整備を必要としているという問題もある。 この点では、2020年の東京五輪が、1964年の東京五輪時に造られた高速道路などのインフラの再整備を目論んでいることと同じだ。鉄筋コンクリートで造られた各種構造物の耐用年数がおよそ50年であることからしても、この点については首肯(しゅこう)できよう。 しかし、ここで考えておかなければならない重要な問題がいくつかある。64年の東京五輪にしても70年の大阪万博にしても、「もはや戦後ではない」という掛け声とともに経済の高度成長期に整備され開催されたことである。 日本国民の多くが「明日は今日より豊かになる」という夢を信じていた時期であった。新幹線や高速道路が開通し、富士山頂に造られたレーダーにより日本の周辺の台風の状況が可視化された。また、テレビや自家用車の急速な普及があった。日本の産業構造は大きく変化し都市に人口が集中し始めた時期でもあった。 それゆえに忘れがちなのは、伊勢湾台風で名古屋市を中心とした東海地方で5098人の犠牲者が出た59年から、6434人の犠牲者が出た95年の兵庫県南部地震(阪神大震災)までのおよそ30年間、日本では経済の根幹を揺るがすような巨大災害が発生していなかったことだ。 もちろん、まったく災害が発生しなかったわけではないが、犠牲者が1000人を超える規模はなかった。日本経済の高度成長期からバブル経済期まで、この点で非常に恵まれていたと言える。2025年大阪万博の会場予定地の夢洲(手前)=大阪市此花区 昭和の後半は大きな災害が発生せず、経済成長を謳歌(おうか)できた時代だったのだ。最近、ようやく防災意識が高まりつつあるが、現在社会の中枢を担っている世代の人々の多くは、巨大災害について教育を受けておらず、体験もしていないのである。 そのため、今年の西日本豪雨、マグニチュード(M)6・1の大阪北部地震、台風21号、M6・7の北海道地震などで、適切な対応が取れず、被害が拡大したのは周知の通りだ。 振り返れば、元号が昭和から平成に変わるとバブル経済が崩壊し、そして巨大災害の時代に突入した。そこで政府やマスコミは「未曽有の」「想定外の」という言葉を連発し、また被災した多くの市民も「まさかこの地域で」との思いを口にした。迫る巨大地震の発生 しかし、環境史、開発史、災害史を基礎とした災害リスクの研究をしている筆者からすると、「未曽有の」「想定外の」「まさかこの地域で」などは幻想に過ぎない。たとえばM7以上の地震は、観測時代に入ったこの100年余りで5年ごとに平均3回も発生している。 M6以上だと5年ごとに6回も発生しており、この程度の地震は、決して「未曽有の」ではない。また、津波についても1896年の明治三陸地震で2万人以上の犠牲者が出ている。2011年の東北地方・太平洋地震(東日本大震災)は、しばしば貞観大地震(869年)まで遡(さかのぼ)り、1000年に一度の震災と言われているが、そんなことはない。世界では、M8・5以上の地震は20世紀以降、11回も生じているのである。 そして、筆者はこれまで「スーパー南海地震」が発生する危険性が迫っていることを指摘してきた。政府は、静岡県-三重県-高知県近海の「南海トラフ」を震源とするプレート型地震を警告してきたが、地震の範囲は過去に起きた東海、東南海、南海地震の範囲に収まらない可能性が高い。これがスーパー南海地震と呼ぶゆえんである。 そこで、2025年大阪万博の開催が予定されている「夢洲(ゆめしま)」(大阪市此花区)について考えてみる。夢洲は、現在埋め立てが進行中の人工島だ。標高が極端に低く、津波時には確実に水没する。しかも巨大地震が起きれば広範囲にわたって液状化する。さらに、夢洲に至る交通アクセスは極端に少なく、災害時にここから脱出することは容易ではない。 現在、夢洲では鉄道の延長が計画されているが、万博後は利用者が激減するため、対策としてカジノを含む統合型リゾート施設(IR)の誘致も計画されており、一帯は高層建物が多数乱立することも予想される。すでに東日本大震災の際、大阪湾岸の人工埋め立て地の高層建物では、エレベーターが停止し、多くの人たちが閉じ込められたことを考えれば、スーパー南海地震による被害がいかに甚大になるか、想像に難くない。 そもそも、大阪屈指の繁華街・梅田や大阪市域を南北に走る幹線道路、御堂筋などがある大阪平野は津波で完全に水没する。また、少し離れた大阪城がある上町段丘面(東京の山の手にあたる)の東側に位置する河内平野も津波被害を受ける。スーパー南海地震時に津波の被害からまぬがれる範囲は、大阪城付近のみという悲惨な状態にある。津波でほほ水没する可能性が高い梅田周辺=大阪市北区(産経新聞社ヘリから、彦野公太朗撮影) こうした状況の中、現在、ユーラシアプレートでは、口永良部島、桜島、霧島山新燃岳、霧島山硫黄山、阿蘇山などの活動が活発化している。ゆえに、スーパー南海地震が発生するまでの時間は、かなり近いと考えざるを得ない。 筆者は、大阪万博どころか、2年後の東京五輪すら無事に迎えられるかどうか懸念している。政府は、南海トラフ地震が今後30年以内に発生する確率を「80%」と予測する。当たり前だが、30年以内の中には今日も明日も含まれている。また、地震発生確率というものは、実は0・5%でもかなり高い。これが80%となると、断定しているようなものだ。 そして筆者は、東日本大震災の被害から考察し、スーパー南海地震の津波犠牲者は47万人以上(政府は32~33万人)と推定している。一方、土木学会は今年、南海トラフ地震による経済損失を試算し1440兆円と公表した。これは、日本の国家予算の14~15倍の額である。 こうした現状を踏まえれば、2025年大阪万博の開催は、豊臣秀吉の辞世の句よろしく「浪速のことは夢のまた夢」になりかねない。■ 大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン■ 大阪直下地震は次に起こる南海トラフの前兆か■ 松井一郎手記「安倍総理は本心をごまかしている」

  • Thumbnail

    記事

    なぜ今、大阪が外国人観光客に大人気なのか

    溝畑宏(大阪観光局理事長)今、外国人観光客に大人気の都市が大阪だ。2017年に大阪府を訪れた外国人は1,111万人となり、5年連続で過去最高を更新。13年に比べて4.2倍に伸びており、日本全体の2.8倍を大きく上回る。いったい、なぜなのか? 大阪の観光政策の司令塔を務める大阪観光局理事長・溝畑宏氏に話を聞いた。 大阪を訪れる外国人観光客が急増している理由として、しばしば指摘されるのが、関西国際空港に就航するLCC(格安航空会社)の便数が日本一であることだ。主に中国や韓国など、アジアの都市との間を結んでおり、大阪を訪れる外国人の7割以上が、中国、韓国、台湾、香港の4カ国・地域からの人たちとなっている。 そして、日本へのLCCの就航のために、観光庁長官として尽力したのが、現・大阪観光局理事長の溝畑宏氏であり、関空へのLCC誘致に熱心に取り組んだのが、当時の橋下徹大阪府知事だった。「橋下さんとのおつきあいが始まったのは、僕が観光庁長官だったときです。 観光庁長官に就任したのは、リーマン・ショック後の2010年。観光は、それぞれの地域に今あるものをブランディングして価値を高め、国内外に広報することによって、ヒト・モノ・カネを集めるものですから、財政出動がいらない経済政策だと言われています。国も自治体も財政が逼迫している中、観光こそがリーマン・ショック後の日本経済成長のエンジンだと考えて、観光政策に取り組んでいました。 観光庁は国土交通省の外局なのですが、国交省の枠を超えて各省庁からメンバーを集めた観光立国推進本部を設置し、ビザの緩和や無料Wi-Fiの普及、羽田空港の国際化、クルージング船の誘致、MICE(国際展示会や国際会議など)の強化などを進めました。LCCの就航も、そうした中の一つです。 橋下さんも、観光に力を入れることで、大阪経済を低迷から脱却させたいという強い想いを持っていたので、仕事でご一緒する機会が出てきたわけです」 もちろん、単にLCCの便数が増えれば、外国人観光客が増えるというわけではない。大阪の街に魅力がなければならないし、受け入れ態勢も整えなければならない。 街の魅力という点では、大阪は恵まれている、と溝畑氏は言う。「大阪は、1時間もあれば京都、奈良、神戸、滋賀、和歌山へ行ける、関西エリアの中心に位置しています。そして、国宝や重要文化財の60%が関西エリアに集積しています。 さらに、食や文化、エンターテインメント、スポーツ、医療を含めた健康分野においても、大阪は日本の中でも質の高いものを持っています。もともと、大阪は観光資源に恵まれているのです。 しかも、関西人はコミュニケーション能力や包容力が高くて、おもてなしが上手。そのことが、リピーターを増やしている大きな要因になっていると思います」関西空港の出発ロビー(ゲッティイメージズ) すると、カギになるのは受け入れ態勢の整備だ。「ホテルの誘致や無料Wi-Fiの普及、案内板などの多言語表示、キャッシュレス化の推進など、地道な取組みを、官民一体となって、スピーディに進めてきました。 例えば、飲食店が無料Wi-Fiを提供したり、多言語のメニューを用意したり、カード決済を導入してキャッシュレス化をしたりするためには、お金がかかります。それでも、多くの飲食店が、そうした投資をしている。皆、それだけ本気だということです」街の飲食店も一体になるワケ 行政が旗を振っても、市民は動かないという自治体も多いだろう。なぜ大阪では、街の飲食店までもが一体となっているのか。「『投資をした店は、これだけ儲かっているんですよ』というデータを、しっかりと皆さんに示しているからだと思います。 僕は、理事長就任以来、商店街や企業、各種団体、大学など、様々な場所で講演をして、データを示してきました。 観光局の職員にも、『空気で仕事をするな。データを示せ』といつも言っています。目指しているのは、日本一のマーケティング・リサーチ能力を身につけることです。 もちろん、それぞれの施策について効果測定を行なってデータを取り、次の施策に活かすこともしています。 例えば、海外でのプロモーションはイベントからSNSへと比重を移していますが、これも効果測定をしたうえでの判断です」 大阪の観光業を基幹産業へと成長させ、関西経済の起爆剤とするためには、外国人観光客の数だけでなく、1人当たりの支出額を増やすことも重要だ。大阪を訪れた外国人の1人1日当たり平均支出額は2万5,574円と、すでに全国平均の1万6,914円よりも多いが、さらに増やすための施策を進めている。そこでもやはり、重視しているのはデータだ。大阪の道頓堀(ゲッティイメージズ)「支出額の内訳を見ると、飲食費は15%、娯楽・サービスは7%と、割合が低い。これを増やすために注目したのが、ナイトタイムエコノミー、つまり夜の時間帯の消費です。 というのは、GPSを使って、道頓堀エリアなどの繁華街での外国人観光客の動きを時間帯ごとに調べると、22時以降は滞在する人が急減することがわかったからです。ホテルに帰ってしまうのです。 そこで、道頓堀エリアの店舗を中心に、21~24時に飲食店やエステ店、クラブなどで使えるクーポンを発行する『Osaka Night Out』という実証実験を、今年2月28日~8月31日に行なっているところです(取材時)」富裕層を取り込め 外国人観光客の支出を増やしてもらうための施策は、他にもある。「今は、中間層の方に多く来ていただいているのですが、富裕層にも多く来ていただきたい。 僕は大阪府・大阪市IR推進会議の座長も務めているのですが、カジノを含めたIR(統合型リゾート)を招致しているのも、富裕層を増やすためです。 飲食にしても、『安くて美味い』が大阪の良いところではあるのですが、高級店も充実させていきたいと考えています。 また、国際展示会や国際会議を多く誘致することで、それらに参加する支出額の多い方々に来ていただく活動もしています。 周辺自治体との連携もしています。なんらかのテーマやストーリーに基づいて、関西を周遊していただくことで、滞在日数を長くしていただくのです。 支出の半分を占めるショッピングについても、現状では、金額で言うと化粧品や医療品・健康グッズ、電気製品が多いのですが、堺の包丁など、ブランディングすれば売れる地元の名産品はまだまだあります」 大阪では、これからも大規模なスポーツイベントやインフラ整備が予定されている。これらも、さらなる外国人観光客を呼び込む契機となり得る。「来年は日本で初めてのG20サミットが大阪で開催されますし、花園ラグビー場でラグビーワールドカップの試合も行なわれます。25年の万博は誘致活動を進めているところです。 鉄道も、JR桜島線、京阪電鉄中之島線、大阪メトロ中央線の延伸が計画されていますし、31年には大阪の中心部と関空を結ぶなにわ筋線が開業する予定です。リニア新幹線も開業予定ですから、大阪へのアクセスはますます良くなります。 関空と伊丹空港、神戸空港の機能について見直す協議会も近く開催される予定で、より効率的に運用されるようになります。 成長著しいアジアのダイナミズムを取り込んで、かつて『大大阪』と言われた時代の繁栄を、再び取り戻したい。そのために、スティーブ・ジョブズではありませんが、『stay hungry』の精神で、チャレンジを続けていきます」「観光のプロ」が来た理由 溝畑氏は、もとは自治省(現・総務省)の官僚だった。大分県庁に出向していた間に、プロサッカークラブ・大分トリニータの立ち上げや、世界中から多数の外国人留学生を受け入れる立命館アジア太平洋大学の開校などの実績を上げ、その後、観光庁長官に就任した。いわば地域振興や観光のプロだ。「東日本大震災からの復興に取り組んだあと、12年に観光庁長官を辞めました。それからは、内閣官房で東京オリンピック・パラリンピック招致などの仕事をするとともに、先ほどお話ししたように橋下さんとの関係ができていたので、大阪府特別顧問として、大阪の観光政策にも関わるようになりました。大阪観光局の設立(13年)や宿泊税の導入(17年)、IRの誘致などは、その頃から話し合ってきたことです。 その後、松井一郎大阪府知事、橋下大阪市長(当時)、関西経済連合会の森詳介会長(当時)、大阪商工会議所の佐藤茂雄会頭(当時)といった方々から『もう一度、関西・大阪を復活させてほしい』という熱いラブコールを受けて、15年4月に大阪観光局理事長に就任しました」 職を引き受けた理由は、「官民一体となって大阪の観光業を成長産業、基幹産業にしていこうという強い意志と決意が感じられた」ことだという。また、故郷への想いもあった。「僕は、関西の京都出身です。大学進学で東京に行く前の関西は誇り高きエリアで、東京を見下ろすくらいでした(笑)。ところが、40年近く経って、ふと客観的に見てみると、経済が低迷し、東京一極集中が進んでしまっていた。 橋下さんが知事時代から言っているように、関西の復権なくして日本の再生はありません。関西の中でも、ハブになっているのが大阪です。大阪観光局理事長の溝畑宏氏 このまま東京にいて観光立国や地方創生に取り組むより、関西に戻って、その経済を再び活性化させ、東京一極集中の歪みを正して大阪をもう一つの極にし、さらに、世界でも競争力のある都市に変えていくための仕事をしたい、と思いました。 私の人生は、常にチャレンジの連続です。人口120万人の大分県でも、世界にチャレンジしていました。日韓ワールドカップの試合を大分スタジアムに誘致したり、立命館アジア太平洋大学を開校したり、大分トリニータを立ち上げて社長に就任し、08年のJリーグナビスコカップで優勝したりと、ローカルから世界の高みを目指しました。 大阪でも、同じように、志を持って世界を目指しています」《人物写真撮影:桂 伸也》みぞはた・ひろし 〔公財〕大阪観光局理事長。1960年生まれ。京都府出身。85年に東京大学法学部を卒業後、自治省(現・総務省)に入省。90年、大分県庁に出向。99年に自治省に戻り、翌年、再び大分県に出向。06年、総務省を退職。この間、94年のクラブ発足時から大分トリニータの運営に携わり、04年、運営会社である〔株〕大分フットボールクラブの代表取締役に就任。10年、観光庁長官に就任。12年、内閣官房参与、大阪府特別顧問、京都府参与に就任。15年、〔公財〕大阪観光局理事長(大阪観光局長)に就任。

  • Thumbnail

    記事

    落合陽一「2025大阪万博までの7年をどう生きるか」

     この1年で6冊の本を出した(うち3冊は共著)落合陽一さん。「いずれもよく売れている。いま最注目の方」(高井昌史・紀伊國屋書店社長)と評される存在で、活動の幅は「メディアアーティスト」「筑波大学准教授」などの肩書きにはおさまらないものがある。その生の声を聞き、何を目指してしているのかを知るため、師走の渋谷に100人を超える聴衆が集った。作家の猪瀬直樹さんがホスト役となり進行したこの日のシンポジウム。テーマは「2021年以後のニッポンを考える」。そこで飛び出したのは、先日開催が決まった2025年大阪万博の話題だった。* * *落合:後期高齢者に団塊の世代がすっぽり入るのは、くしくも2025年です。そうなったとき「いのち輝く未来社会」(注:2025大阪万博のテーマ)が来たといって、われわれは「わ~万博だ~」とやっているのですが、その裏では、1人あたりの医療費が高い世代が、国のメイン層として日本の財政にのしかかるようになるわけです。だから、それまでになんらかのテクノロジーで解決策をみつけるしかないんです。猪瀬:課題先進国として、万博はそこで何かやるしかない。落合:解決している状態をみせないと・・・。これが焼け野原です、にはなりたくないので、7年後に解決した結果を見せたい。なので時間がない。もう7年しかないので、ぼくは急いでいます。──(会場から)大阪万博まであと7年。わたしたちは社会貢献のために、今、どうアクションすればいいのでしょう。落合:成熟した社会ですべてのルールが定まっているとするならば、国民がやれることは選挙に行くこととか、政治的な意識を持つことだとか、それに参加するためのプログラムを作ることなのかもしれません。でもいまのわれわれ世代は、十分成熟していないので、積極的にSNSで発信したり7年後までにインフルエンサー(流行の発信源)になったりした方が、社会貢献度は高いと思っています。 つまり、7年後になって社会の一員としてできることを探すのと、7年前のいまから気づいて情報発信をし続けることによって“意見の風上をとる”ことは、まるで話が別です。いまのわれわれは意見の風上をとれる段階にあります。たとえばメインのお仕事があるのなら、週1~2日だけ考えを発信してみたりとか、発信を積極的にやるような意見会に出て、その後に発信してみたりとかです。そうやって、なんらかの情報サービスの中に自分を位置づけるのか、もしくは産業の中でもの作りで貢献するのもありでしょうけど、早く気づいて早く動いた方がいい時代です。 いまこの世の中で、社会を変えるための方法を模索しながら考えて手を動かしている人の数なんて、極めて微々たるものです。だから、発信していった方がいいと思うんです。猪瀬:2025を設定したってことが大事。設定したってことはそこに向けて動き、その先に解決があるってことです。こうした設定を出すことが大事だったんです。落合陽一氏は今年、6冊の本を上梓した──(会場から)1964年のオリンピックと1970年の大阪万博。これら過去にはどういう意義があったのか。そして、今回の意義は何でしょう。お考えを聞かせてください。落合:1964年と1970年のことは全然しゃべれないですけど、ぼくから見たら、1964年に設計された東京都市で、いまもわれわれは生活している。そして1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」を統一テーマにした。あそこで示されたものに、もう、全天球カメラがあった。月の石もあったし、人類が考えられるSF的な未来の可能性はあそこにすべて包まれていた。これはみんな意外と見落としている事実です。インターネットも詰まっていて、それによって実現される社会はイメージの段階として広がっていったんですよ。 われわれが今度の万博でやらなければいけないことは、現在までの間に実証されたことに基づいて、生活感をどう取り戻すかということ。未来のビジョンはもちろんある。そのビジョンから当たり前の風景が見えれば、もはや夢物語ではないとして扱ってもいいでしょう。 東京五輪についていえば、1964年の時に作りかえられた都市構造を、われわれは工業的発展構造の都市から個別具体的分散構造の人口縮小型の都市に変えていかなければならない。その転換点が2020年にやってくるんですね。東京五輪「真のテーマ」 人口が増加して、もっとも効率的な移動手段はベルトコンベアです。東京には緑のベルトコンベアが走っていますよね。「山手線」というんですけど(会場、笑い)。ベルトコンベアの次に効率的なのが、ライントレーサーですね。自動運転です、要は。ニューヨークやシリコンバレーでは、自動運転の導入を進めている。なぜか。高速道路の出入口や橋でものすごく渋滞するので、その運転という労働から解放されたいんです。 一方、日本の都市部で、なぜそこまで自動運転のニーズが高まっていないのか。ひとつには、タクシーがいっぱい走っていて、お金持ちはそれで移動できてしまう。また一方で、地下鉄、地上、そして物量化を担っている首都高速をはじめとするインフラが、すべてレイヤー(階層)に分かれていて人口の急激な増加に耐えきれるようになっている。それがわれわれ社会の特殊な都市構造だと思うのです。 これから人口が減少したときに、その構造をどう作り替えるのかが、2020年(東京五輪)のひとつのテーマです。猪瀬:1964年は首都高速ができました。東海道新幹線もそうです。ソ連映画『惑星ソラリス』(1972)は東京の首都高を走るシーンを、未来都市として描きました。1970年の大阪万博も未来をそこに置いたんですね。でも、およそ50年経っているので、「未来」はそろそろ一回りする。1964年と1970年には、落合君は生まれていなかったしね。落合:そうですね。ぼく31なんです。みなさんによく年がわからないといわれます。でもぎりぎり昭和生まれ。だからここ(猪瀬さんと自分)は同じ世代なんです(笑い)。* * * 年の差41を感じさせないやりとり。それは、落合さんが猪瀬さんの著作の愛読者でもあるからのようだ。《猪瀬さんは作家として「日本の近代」を大テーマに掲げ、多くの著作を書いてきた。その分野は、巨視的な歴史であり、日本の官僚制であり、文学であり、先の大戦であり、メディアでありと非常に多岐にわたっています。》『ニッポン2021-2050 データから構想を生み出す教養と思考法』落合陽一、猪瀬直樹(KADOKAWA)「まえがき」より その猪瀬さんは今年、「日本の近代」をテーマに16巻になる電子書籍版の著作集を完結させた。いっぽう落合さんは、最新刊『0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる学ぶ人と育てる人のための教科書』で、「人生100年時代」に本当に必要な教育について思考を深めている。 さて、7年後、この2人が大阪万博に「出品」するのは、どんな未来になるのだろうか。作家・猪瀬直樹氏がホスト役を務めた【プロフィール】おちあい・よういち/1987年生まれ。メディアアーティスト、東京大学学際情報学府博士課程修了、博士(学際情報学/東京大学)、筑波大学准教授、筑波大学学長補佐、筑波大学デジタルネイチャー推進戦略研究基盤代表、Pixie Dust Technologies.inc CEO、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授、JST CREST xDiversity代表。オンラインサロン落合陽一塾主宰。著書に『これからの世界をつくる仲間たちへ』(小学館)など多数。【プロフィール】いのせ・なおき/1946年生まれ。作家。1983年に『天皇の影法師』『昭和16年夏の敗戦』『日本凡人伝』を上梓し、1987年『ミカドの肖像』で第18回大宅壮一ノンフィクション賞。評伝小説に『ペルソナ 三島由紀夫伝』『ピカレスク 太宰治伝』『こころの王国 菊池寛と文芸春秋の誕生』がある。『日本国の研究』で1996年度文藝春秋読者賞。2001年10月より「『日本の近代』猪瀬直樹著作集」全12巻を小学館から刊行する。2002年、小泉首相より道路公団民営化委員に任命される。その戦いの軌跡は『道路の権力』『道路の決着』に詳しい。2006年に東京工業大学特任教授、2007年に東京都副知事、2012年12月に都知事。2013年12月辞任。2015年12月より大阪府市特別顧問。近著に『東京の副知事になってみたら』『救出─3.11気仙沼 公民館に取り残された446人』『民警』などがある。※シンポジウムは、2018年12月5日、日本文明研究所(猪瀬直樹所長)主催により東京渋谷で開催された。関連記事■ 落合陽一氏「プログラムを学ぶだけでは…」■ 落合陽一氏「国民は国際情勢より小池知事のプロレス見たい」■ 落合陽一氏「テクノロジーの進化でテレパシーが現実となる」■ 落合陽一「お金があれば幸せ、という観念は変化していく」■ 終の棲家探し どこで生きるかより、どう生きるかが重要

  • Thumbnail

    記事

    オリンピックおじさん×万博おばさん 奇跡の対談が実現

     東京オリンピックの開催まで800日を切った今、開会式のチケットの販売予定最高額が約29万円と報じられ、浅草・雷門、皇居、銀座と東京の名所をめぐるマラソンコースが発表されるなど、来るオリンピックへの期待に日本中が沸いている。 さらに今年11月には2025年万博の大阪誘致の結果も発表予定。高度経済成長期のまっただなか、日本中が東京オリンピックに熱狂し、大阪万博に高揚した。万博誘致が成功すれば、“あの頃”の熱気が帰ってくる。 その時私たちは、この2大国民的イベントをどう楽しめばよいのだろうか。女性セブンは、「オリンピック」と「万博」を日本中の誰よりも愛してやまず、半世紀以上見守ってきた“オリンピックおじさん”と“万博おばさん”の2人を緊急招集。その魅力を心ゆくまで語ってもらった。■オリンピックおじさん=山田直稔さん(92才) 富山県に生まれ、大学入学とともに上京。1960年に会社を設立。ホテルや不動産などさまざまな事業を手広く扱う。これまでの夏季オリンピックに14大会連続で応援に駆けつけている。なお、冬季は長野オリンピック以外は不参加。大相撲や高校野球でも精力的に、現場で声援を送っている。■万博おばさん=山田外美代さん(69才) 石川県に生まれ、5才で愛知県瀬戸市へ。愛知万博に皆勤したことをきっかけに万博の素晴らしさに目覚め、以来通うように。その功績が認められ、2017年のカザフスタン・アスタナ万博では大使を務め、現在は2025年の大阪万博誘致に向けて奔走中。万博おばさんこと山田外美代さん(以下、外美代):今日はどうしてもお会いしたくって新幹線で名古屋から飛んでまいりました。同じような志を持ったかたがいた!と。オリンピックおじさんこと山田直稔さん(以下、直稔):ワッハッハ! そりゃあうれしいなあ。色紙にサインを書いてやるよ。(集中して書くあまり、しばらく無言になる)外美代:あら、うれしい。ありがとうございます! って、聞こえてます?(苦笑)万博おばさんこと山田外美代さんと、オリンピックおじさんこと山田直稔さん(撮影/田中智久)〈山田直稔さんは、夏季オリンピックになると金のシルクハットに羽織袴で世界各国に現れては、“自称・応援団長“として全力で応援する五輪の名物的存在。一方の山田外美代さんは、2005年の愛知万博で185日間にわたる開催期間に全日来場。以来、各国の万博に顔を出し、上海万博にも全日参加して当時首相だった温家宝氏から感謝状までもらった強者だ。2人のライフワークともいえるオリンピックと万博。それぞれの“初体験”はいつだったのだろうか。〉直稔:おれは1964年の東京オリンピック。開会式から閉会式まで全部見たけれど応援はせず、一観客として行っただけ。当時は今以上に開催前から街中がオリンピック一色。キャバレーですら「東京五輪キャンペーン」をやっていて、楽しかったなぁ(笑い)。外美代:女の子とオリンピックの話で盛り上がったんですか(笑い)? 私はそのときまだ中学生だったんですが、先生から「オリンピックは学校を休んででも見ろ」と言われて、テレビに釘付けになって見てました。当時は外国の人については、本で読むくらいしか情報がなかった。先生は、この機会にリアルな外国の人を自分の目で見なさい、という気持ちだったのでしょう。中でも、裸足のランナー・アベベは衝撃的でした。直稔:確かにあの走りはすごかったな。それであなた、初めて行った万博は?外美代:1970年の大阪万博に、当時の会社の同僚とバスツアーで行ったのが最初です。団長は「太陽の塔」ってご存じですか?直稔:岡本太郎の作品ね。イヤだったはずが…外美代:印象的だったのが、その「太陽の塔」。塔の内部に入り、生命の進化を描いた「生命の樹」という作品を見ながら出口まで進んでいくのですが、見終わって外に出た時、自分たちの未来に、輝くような希望を感じたことをよく覚えています。 東京オリンピックでは、「東洋の魔女」と呼ばれた日本女子バレーチームがソ連(当時)のチームとの接戦を制して優勝を勝ち取り、日本中を沸きに沸かせた。その後の大阪万博では三波春夫の歌うテーマソング『世界の国からこんにちは』が大ヒット。300万枚を超える売り上げを記録。多くの国民と同じく、2人にとってこの原体験は強烈だったが、2人が「オリンピックおじさん」「万博おばさん」として活動を始めるのはもう少し先だった。直稔:応援にのめり込むきっかけになったのは、1968年のメキシコ。外美代:なんでまた、メキシコに?直稔:社長として会社を大きくしてゆく時期で、親友から「日本に納まってちゃいかん。どんどん世界へ行かなくちゃ」って旅行に誘われた先がメキシコだったの。で、どうせ行くならオリンピックを見ながら日本をアピールしようと日の丸の旗と羽織袴を持参して、現地で買ったメキシカンハットを被ったら、もう目立っちゃって(笑い)。外美代:それが今のコスチュームの原型になったんですね。直稔:そう。とくに思い出深いのが、男子陸上競技。メキシコ人って遠目から見ると日本人にそっくりだから、日本の選手を応援してたつもりが、途中から間違えて、メキシコ人選手を応援してた。引くに引けなくなって、「メヒコ! メヒコ!」と絶叫していたら、今度はメキシコ側の観客たちがそのエールにのって、「ハポン! ハポン!」と日本人選手を応援し始めてね。13万人の大観衆が総立ちで相手の国の選手を応援したんだ。こんな感動したことはなかったね。外美代:団長の“応援精神”はそこで培われたのですね。直稔:そう。応援って、すごい力を持つものなんだって、心底実感した。外美代:私は、2005年の愛知万博『愛・地球博』が、正式に万博にハマったきっかけです。実は最初は、イヤイヤながら行ったのよ。直稔:嫌なのにどうして行ったのよ?外美代:実はその前に大きな手術をして体力が落ちていて、主治医から「リハビリのため、散歩がてら万博に行ってみろ」と言われて。「そんなに行け行け言うのなら、先生が行きゃあいいじゃない」と毒づきながら行ってみた。 そうしたら、そこは「世界」だった。各国のパビリオンでは、パスポートなしで世界中の人と交流できる。そのうえ期間内ずっと使えるパスポートが1万7500円なんです。一度購入すれば、何度も入れるから「5回も行けば元がとれる」という“名古屋人精神”に火がついて、気がつけば毎日通っていた(笑い)。関連記事■ “オリンピックおじさん”大統領用席に座ったら目の前に長嶋茂雄■ チェニックおばさん卒業のための着こなし術5つをプロが伝授■ オリンパス事件を解明した証取委 その実力で奇跡の人員増実現■ 「エアポート投稿おじさん」が話題、次の新種おじさんは?■ 「港区おじさん」より「埼玉おじさん」 前向き解釈が得意

  • Thumbnail

    記事

    「仮想通貨バブル」はこうして崩壊した

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「仮想通貨バブル」が事実上終わった。仮想通貨自体は、代表的存在である「ビットコイン」を含めて10年以上、支払い手段や投機の対象として、ある程度親しまれてきた。 ただ、昨年からのビットコインの猛烈な価格上昇は、仮想通貨バブルと呼ぶべき投機を生んだ。2017年の1年間で、ビットコインの資産額は14倍ほどに膨張した。 しかし、年明けから状況は一変し、ビットコインをはじめとした仮想通貨バブルは一気にしぼみ、事実上崩壊した。ビットコインは、昨年末には200万円台だったが、12月3日現在では約45万円まで暴落している。 また、単純に暴落しているだけではなく、乱高下を繰り返している。この現象を「ボラティリティー」という。もちろん、ビットコインのみならず、仮想通貨全般に大幅な下落が生じている。株式評論家の早見雄二郎氏は、仮想通貨ならぬ「火葬通貨」と表現している。さらに、仮想通貨バブルに積極的な批判を展開しているニューヨーク大のヌリエル・ルービニ教授は、「ゾンビ仮想通貨」と辛辣(しんらつ)な表現をしている。 前述の通り、仮想通貨は去年の後半に大ブレークを起こし、注目を浴びた。また今年前半には、仮想通貨交換所のコインチェックで約580億円相当の仮想通貨「NEM(ネム)」が盗難されるというサイバー犯罪が起き、国内外に大きく報じられた。不動産や株価を中心に起こった80年代終わりから90年代初めのバブル景気も、資産価格の高騰とその後の大暴落の前に、犯罪や怪しげなバブル貴族が多く湧いたが、今回もその手の話題には事欠かない。 筆者は昨秋から、仮想通貨の価格高騰が単に投機的な目的に基づいていて、脆弱(ぜいじゃく)なものであると事あるごとに指摘してきた。そのため、1年以上たって起きている火葬通貨化やゾンビ化は不思議なことではない。なぜなら、仮想通貨には根源的な問題があるからだ。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) ここで、仮想通貨の基本とその問題点を簡単に解説してみたい。仮想通貨の基本的な性格は、それがインターネット上の通貨ということだ。日本の円通貨が紙幣や硬貨のような有形物なのに対して、仮想通貨は手に触れることができない。支払いも残高の管理も、全てネット上で行われている。 ところで、日本は世界でも有数の「現金好き」な国である。海外に旅行する経験が豊富であれば、欧米やアジア諸国で急速に「キャッシュレス社会」が進展していることに気が付くだろう。 ただ、日本でも徐々にキャッシュレス化は進行している。例えば、電車の運賃やコンビニなどの支払いを、「Suica(スイカ)」や「PASMO(パスモ)」などの交通系の電子マネーで済ます人は多いだろう。支払い手段としては厳しい 電子マネーは、ビットコインなどの仮想通貨とは異なる。スイカは、JR東日本が利用者の残高を管理しているが、ビットコインには管理者がいない。 また、スイカの残高の価値は円表示されていて、それが刻一刻変動することはない。だが、仮想通貨の場合は、冒頭で記したように1単位の価値が円に対して変動する。海外の電車を使う際には、スイカのICカードを直接利用することはできないが、仮想通貨は、国境を跨(また)ぐ支払いに使うことができる点も大きく異なる。 ちなみに、来年10月に予定されている消費税率の10%引き上げの緩和策として、キャッシュレス決済を促進する政策が提起されている。ただし、消費増税により、元々の「決済」自体が大きく低下しそうな状況で、このような「浅知恵」は官僚的なものだな、とため息をついてしまう。 仮想通貨には、代表的なビットコインと、それ以外の仮想通貨「アルトコイン」があり、全て含めると種類は1000を超える。ただし、一般の人が利用する仮想通貨はおそらくその3割程度だと思われる。 仮想通貨はインターネット上に存在するため、実際の決済はパソコンやスマートフォンを操作することで行われる。日本でビットコインの決済サービスを導入している代表的な企業として、家電量販大手のヤマダ電機が挙げられる。ビットコインの交換業者大手である「bitFlyer(ビットフライヤー)」は、利用者にビットコインのための口座「ウォレット」用のアプリを提供し、そこでビットコインの支払いや受け取り、購入、保管なども一括して行っている。 このアプリはスマホにダウンロードできるので、ヤマダ電機の店舗に行ってアプリを利用して、その場で買い物ができるようになる。ただし、ビットコインで支払いできる店舗は極めて少なく、支払い手段としてはかなり厳しいというのが、今のビットコインに対する評価ではないだろうか。 本来ビットコインは、従来の銀行を経由した決済よりも手数料が極めて低額であることが魅力だった。ただ、最近はビットコインの価値上昇に伴い、このメリットが失われつつあり、また支払い確認にも時間がかかる。例えば、通常のカードによる支払いも端末などで認証をしているが、認証時間は極めて短い。それに対して、ビットコインの取引時間は短ければ数分だが、数時間もかかる場合もある。 この時間のコストは無視することができない。なぜならば、ビットコインは、価格変動が大きいので、時間がかかればかかるほど「価格リスク」が発生する。ただし、先ほどのヤマダ電機のケースは、購入者側での価格リスクを回避できる仕組みがあるなど、さまざまな対応策が現場で採用されているようだ。ビットコインの支払いで使うスマートフォンの画面=2017年4月、東京都千代田区 では、なぜ一般的にビットコインの取引には時間がかかるのだろうか。そこには、ビットコインに代表される仮想通貨と、私たちが普段の生活で利用している貨幣に共通する性格が関わってくる。 われわれが利用している円やドルなどの貨幣は各国政府が発行し、その信頼性を裏付ける。もっと踏み込んでいえば、通常の政府貨幣は、それが「貨幣ゆえに貨幣である」という形で信頼性を得ている。 利用する人たちが、この紙切れが「円やドルという貨幣である」と信頼することが、そもそも貨幣が貨幣たるゆえんなのである。政府や、唯一の貨幣発行機関である中央銀行は、いわば単なる「きっかけ」程度の役割しか、実は持っていない。良貨が悪貨を駆逐する 貨幣を使う人たちがそれは貨幣であると信頼することができれば、貨幣は誕生する。これを「貨幣の自己循環論法」といい、かなり正しい経済学の考え方だ。 政府も中央銀行も貨幣誕生について本質的なものではないならば、取引する人みんなが貨幣(通貨)だと思う仕組みを作ればいいことになる。ビットコインなど仮想通貨の貨幣としての信頼性を生み出す仕組みが、ブロックチェーンと呼ばれる機構である。簡単にいうと、ネット上でその電子情報がちゃんとした「通貨」として取引されてきた、という裏書きがされているものだ。 そして、裏書きされているかどうかは、市場に参加している不特定多数の人が立証することができる。立証することが出来れば利益も出る。そのため、ビットコインの運用は、市場参加者により自発的な形で行われ、しかも信頼性の高いものとなっている。これが「分散型」といわれるものだ。 ただし、ここに先述した「ビットコインの取引には時間がかかる」というコストが発生する原因がある。今支払いに利用された電子情報が「ちゃんとしたビットコイン=仮想通貨」であることを確認するのは、特定の管理者ではなく、市場の不特定多数の人たちである。この不特定多数の人たちは「採掘者(マイナー)」と呼ばれている。実際には報酬が伴うとはいえ、彼らの「自主的な努力」によって、ビットコインは貨幣としての信頼を獲得するのである。 でも「市場任せ」のために、どうしても時間がかかってしまう。政府や中央銀行が紙や金属片を精緻に印刷し、精巧に鋳造することで、貨幣の信頼性をモノの側面であらかじめ保証するのに対して、電子情報が貨幣として信頼あるものになるには事後的に認証されるために、時間がどうしても必要になるのだ。 ただし、貨幣の本質から見れば、既存の貨幣も仮想通貨も、市場に参加している人々の信頼だけが貨幣を貨幣たらしめることでは大差ない。そこが理解のポイントである。 そして、この「貨幣ゆえに貨幣である」という貨幣の基本的性格を、仮想通貨が満たしているとはいえない。確かに、支払い手段として使われているのだが、それは局所的現象にとどまる。大半の仮想通貨は単に投機目的のために所有され、「投機が投機を招く」という別の自己循環論法で存在する経済的価値でしかないのである。2018年9月、70億円相当の仮想通貨を流出させた仮想通貨交換業者「テックビューロ」本社が入居する大阪市内のビル。金融庁から3度目の業務改善命令を出された ルービニ教授は最近、仮想通貨の持つ根本的な問題として、中央銀行が仮想通貨を発行すれば、既存の仮想通貨は全て排除されるだろうと指摘している。中央銀行の仮想通貨には、ブロックチェーン技術さえ不用かもしれない。なぜなら、中央銀行の発行する貨幣がそのまま仮想通貨に置き換わるならば、その既存の貨幣が保有していた「貨幣としての信頼性」をも完全に代替可能になるからだ。 つまり、日本銀行がスイカやパスモを発行しているようなものだ。それぞれの国民は直接、中央銀行に口座を所有し、そこで残高管理されるわけである。この強力な中央銀行型仮想通貨、むしろ中央銀行型電子マネーが誕生すれば、おそらく民間発行の仮想通貨が生き残ることは難しい。 もっとも、投資対象として生き残ることは可能かもしれないが、今よりもさらに規制が厳しくなるだろう。支払い手段を目指した貨幣ではなく、その場合は単なる「ネズミ講」と変わらなくなるからだ。そこに民間主体の仮想通貨が持つ長期的な不安定性がある。「悪貨が良貨を駆逐する」のはまずいが、「良貨が悪貨を駆逐する」のは望ましいことでもある。■ 山本一郎が読み解く仮想通貨流出「コインチェック事件」の本質■ コインチェック事件は想定内、仮想通貨が抱える3つの問題■ 「仮想通貨は危ない」という人も知って損はないビットコインの潜在力

  • Thumbnail

    記事

    シャープほか 不祥事銘柄が絶好の狙い目になる例も

     ここ数年、日本を代表する企業に不祥事が相次いだ。だが、「安く買って高く売る」投資の大原則に従えば、何らかの理由で叩き売られた企業の株が「絶好の狙い目」になり得る。 そうした“不祥事銘柄”に投資し、2億円以上の資産を築いた「億り人」の吉良吉影氏は言う。「かつて私が大きく儲けたのはオリンパス(東1・7733)です。2011年10月に粉飾決算が発覚し、損失隠しに関与した社長らが次々に解任。発覚前に2482円だった株価が1か月ほどで5分の1となる400円台まで急落し上場廃止も囁かれる中、私はオリンパス株に500万円投資しました。急落から1か月後、1200円超まで回復したところで売って、元手を2倍にしました」 その後、オリンパスは一時5000円台まで上昇した。同社はいま再び内部告発騒動で揺れており、今後の株価動向にも注目だ。 経営不振で暴落した株価が復活した典型的なケースがシャープ(東1・6753)である。主力の液晶事業が傾き、台湾の鴻海グループ傘下となった同社株は2016年8月に東証2部へと降格し、かつて2万円を超えていた株価は一時1000円割れになった。 しかし鴻海の支援で再建が進むと5000円台まで値を戻し、1部復帰を果たした現在も4000円台で推移している。株式アドバイザーの北浜流一郎氏が語る。シャープ本社=堺市「相場格言に『落ちてくるナイフは掴むな』とあるように、株価が急落している最中に手を出せば、衝動売りに巻き込まれるリスクが高い。 ただ、もともと基礎体力のある企業は、市場が冷静さを取り戻すと、反騰するケースが多いのも事実。本来、大企業の大型株は値動きが激しくないのですが、株高基調の現在なら底値圏で仕込めれば大きな上昇が期待できます」関連記事■ 一攫千金も? 東芝、電通、大林組など“不祥事銘柄”の魅力■ シャープ創業者「シャープペン」を考えシャープを大きくした■ 小出恵介不祥事 「作品と不祥事は別物」宣言を制作者はせよ■ 9月10月は白物家電絶好のチャンス 型落ち新品など狙い目■ シャープ25歳茶髪正社員 「2丁目に行ってオカマになるべ」

  • Thumbnail

    記事

    「失われた20年」日銀無罪の論法はちゃんちゃらおかしい

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 「失われた20年」と言われる日本の長期停滞は、デフレ(物価の継続的な下落)を伴っていた。人々の所得が減ってしまい、日々の暮らしも困難になる人や就職、進学などで苦労を味わう若者も多かった。実際に経済的な理由で退学していった学生たち、就職が決まらずにずっとコンビニや居酒屋などでアルバイトしていた卒業生も多かった。 また、就職してからも大変だった。最もデフレ不況が深まった時期には、卒業生のためにその会社の上司宛てに「推薦状」を書いたこともたびたびあった。ふつうは就職する際に、大学や教員が推薦状を書く。だが、「失われた20年」のピークのときは、就職してからも困難が続いたのである。 多くの企業は、将来性や人材育成よりも目先の利益の獲得のために、若い人材の使い捨てや「試用期間切り」のように使う前から切り捨てることもあった。そんな環境の中で、本人に頼まれたり、または会社の上司の方がその卒業生の将来性について「推薦状」を書いてくれと要請されたのである。 もちろん、喜んで引き受けた、と書きたいが、そのプレッシャーは尋常ではなかった。一人の元学生の人生を直接左右しかねないからだ。そのためか、当時過労で倒れてしまった。 おそらく、この種の話は、大学教員の多くが体験したことだろう。景気が悪くなるということは、少なくとも学生たちの就職を極端に困難にする。もちろん就職だけではない。今書いたように、働くこと、生きることが難しくなるのだ。 景気をよくすること、もう少し難しくいえば雇用を最大化する責任は、多くの場合は政府と中央銀行がその責務を負う。※写真はイメージです(ゲッティイメージズ) 日本の長期停滞がデフレを伴っていることは冒頭で書いた通りだ。モノとお金の関係でいえば、モノの価格が下がることは同時に、お金の価値が高まっているということだ。なぜお金の価値が高くなるかといえば、それはお金が手元にないからだ。具体的には、給料やバイト代などが不足していく。 要するに、お金の量が足りないのだ。しかも、より重要なのは、これから先もお金の量が足りなくなると国民が思っていたことである。過去形で書いたが、そのお金の量の不足は、深刻さが弱まりつつあるとはいえ、いまだに継続している。デフレの責任を取らない日銀 お金の不足を解消する責任は、究極的には中央銀行、つまり日本銀行にある。だが、官僚組織の常というべきか、日銀もまたそのデフレ不況の責任を20年以上、一貫して拒否してきた。 今の黒田東彦(はるひこ)総裁の前まで、日銀は雇用にも経済の安定にもほぼ無関心だった。昔の日銀は「失われた20年」に対して「無罪」を主張してきたのである。 この「日銀無罪論」は、官僚の伝達機関でしかないマスメディアや、経済論壇でも主流の意見だった。彼らが愛する「日銀無罪」の論法は、おおよそ以下のパターンだった。(1)デフレ不況は、グローバル化や人口減少など構造的な問題が原因なので、金融政策では解消できない。(2)今の日本経済は、失業率が3・5%以上であっても、完全雇用で安定している。(3)そもそも、デフレは中国などが安い製品を作ったせいであり、外国の責任である。(4)急激に金融緩和を実施すると、急激なインフレ(ハイパーインフレ)が起きるから危険である。(5)デフレに伴い、牛丼などの価格が下がるのはいいことである。 これらの「日銀無罪論」が最近、再び活性化している。例えば、最後の「そもそも牛丼などの価格が下がるのはいいこと」の最新版は、携帯料金の値下げに関しての話題だといえよう。 これは、菅義偉(よしひで)官房長官が携帯料金を4割下げることができるとした発言を契機にしている。日本の携帯各社の料金が高いのは経験上でも自明だろう。この料金の高さの原因は、携帯各社が寡占状態にあり、そのため価格支配力が強いことに原因がある。これを打ち破ることは、多くの国民に利益をもたらすだろう。2018年10月、衆院予算委で自らの携帯電話を楽しそうに安倍晋三首相(左)に見せる菅義偉官房長官(春名中撮影) だが、マスメディアでは、携帯料金の値下げがデフレを加速させるものとして解説するものがあった。デフレやインフレで話題になるのは、平均的な価格である。これを一般物価という。対して携帯料金は個別価格である。いくら個別価格が下がっても、一般物価に反映するのは次元が違う。 先ほど述べたように、デフレはお金が不足していることだ。具体的には給料やバイト代が不足していることである。いくら個々の商品の値段が下がっても(反対に値上がりしても)、そもそも買うお金がなければ全く意味がない。手元のお金が増えることで、安くなった財(携帯)を買うことが容易になるのである。前総裁の姿勢に異議あり! さらに、白川方明(まさあき)前日銀総裁の発言も最近活発化している。著作の『中央銀行:セントラルバンカーの経験した39年』(東洋経済新報社)を出してもいる。正直、読むのがつらい本だ。 この本の中で、白川氏は雇用を重視するという姿勢に乏しかった。また、日本経済の問題は、財政危機や人口減少など日銀の責任ではないものに求めているようだ。 中でも「物価が人口減少で決まる」と読める箇所があった。地域エコノミスト、藻谷浩介氏の『デフレの正体』(角川書店)を想起させるが、そもそも藻谷氏は個別価格を「デフレ」としている。もちろん正しいデフレの意味ではない。 さらに、人口減少デフレ説は日本の現実の前に否定されている。日本の人口減少率は、現時点でマイナス0・32%(前年同月比)だ。対して、9月の全国消費者物価指数(生鮮食料品を除く)はプラス1・0%である。白川日銀の時代はデフレが普通だったが、インフレ目標に届かないものの、今はプラス域を保っている。ここしばらくは上昇傾向でもある。 白川氏によれば、今の景気回復は将来生じる需要の先取りの結果であるらしい。筆者の知人は、この白川説に対して、「(円安による)海外観光客の増加も需要の先取りになるんですかね」とあきれていた。 ただし、この需要先取り説には注意が必要である。例えば、昔の日銀を懐かしむ勢力が望みそうな早急な出口政策が採用されたり、消費増税などの影響で金融政策の効果が乱れると、それを現在の積極的な金融緩和の責任にされかねないからだ。 消費税を引き上げれば、当然積極的な金融緩和と矛盾し、効果も低迷する。だが、消費増税の責任にしたくない人たちは、また野菜不足などと同様の理屈で、需要を先取りした反動が今出ていると、責任転嫁に利用するかもしれないからだ。2013年3月、退任の記者会見をする日銀の白川方明総裁(宮川浩和撮影) もちろん、性急な出口政策の採用も消費増税と同じ、いやそれ以上の悪影響をもたらす。そこから目をそらせるためには、現在の大規模緩和の責任にするのが手っ取り早いだろう。 いずれにせよ、消費増税勢力が活気づき、他方で日銀無罪論が出回るような、今の言論の状況は憂慮すべき事態である。

  • Thumbnail

    記事

    「お灸を据えられたトランプ」日本経済への影響は?

    熊野英生(第一生命経済研究所首席エコノミスト) 今回の米中間選挙の結果は、トランプ大統領の足かせになるだろう。トランプ大統領は、イランとの核合意離脱、米大使館のエルサレム移転、中距離核戦力(INF)条約の破棄といった驚くべき政策を次々に繰り出してきた。 2016年の大統領選挙と同様に、中間選挙も蓋を開けてみなければ分からないとされていた。隠れトランプ支持者が多くいるかもしれないという神通力が私たちを疑心暗鬼に陥れたものの、結局、中間選挙では効力を上げなかった。トランプ大統領はお灸を据えられた格好である。 通念として、マーケットには共和党の勝利が追い風という見方があるが、トランプ大統領に対しては、下院で民主党が多数派になっている位の方が「自制が効く」というプラス効果があるのではないだろうか。 中間選挙は、下院で民主党が過半数を制した。民主党は、2020年の大統領選挙に向けて、トランプ大統領の再選を阻止するために全力を尽くすだろう。トランプ大統領は法案を通しにくくなり、再選は不利になる。 このこと自体は悪いことではないが、経済運営にはマイナス効果が及ぶ。2018年、トランプ大統領は「トランプ減税」という痛み止めを打ちながら、米中貿易戦争の摩擦を甘受してきた。その結果、今でも「関税率引き上げは実体経済にほとんど影響ない」と言い切る人も少なくない。 しかし、トランプ減税の効果は、2019年のどこかで弱まってくるだろうから、相対的に関税率引き上げの悪影響が強まることが予想される。トランプ大統領は2020年の大統領選挙に向けて、中間層への10%の所得税減税やインフラ投資を実行する法案を議会に提出すると見込まれる。ところが、民主党はそれを簡単には通させない。こうした動きが起これば、経済にはマイナスである。共和党候補への支持を訴えるトランプ大統領=2018年11月5日、アメリカオハイオ州(加納宏幸撮影) 2019年は、アメリカの中央銀行にあたる連邦準備制度理事会(FRB)の利上げも予想される。現在は、景気が良い前提で利上げを追加しているが、関税率引き上げの悪影響は少し時間をかけて現れる可能性もある。もちろん、こうした影響は、日米株価を下落させる要因である。 中間選挙を前に、トランプ大統領が11月末にアルゼンチンで開かれる20カ国・地域首脳会合(G20)で習近平主席と会談し、貿易戦争の終結に向けた合意をするという観測があった。株価はこの観測に反応して、10月の下落から急反発した。 しかし、この観測は、株価下落に何とかテコ入れしたいトランプ大統領が流した情報だろう。中間選挙を意識した情報操作であると考えられ、11月末のG20が近づくと期待感がはげ落ちて株価を押し下げる要因になりそうだ。日本経済へのダメージ 貿易問題は、2018年10~12月、2019年1月以降に米中景気を下押しするだろう。米国は、9月24日から中国輸入品2000億ドル相当に10%の制裁関税を追加し、さらに2019年1月からこれを25%に引き上げる予定である。10月の米雇用統計をみる限り、米経済の絶好調はゆるぎがないように見える。しかし筆者は、きっと高関税のダメージは時間差を置いてやってくると考えている。 米中貿易戦争は、下院が民主党の過半数となったことで、さらに悪化すると予想する。議会では、共和党以上に民主党の方が、対中強硬派が多い。しかも、彼らは貿易赤字を問題視するよりも、中国がハイテク分野で経済覇権を握ろうとするのを何としても阻止したいと考えている。 「中国製造2025」という習近平主席が掲げている経済プランは、航空・ロボット・ITなど10分野で競争力を高めて、2049年には世界トップレベルの製造強国になると宣言するものだ。名目上は製造業の強国といっているが、実質は軍事強国の実現である。だから、民主党でも対中強硬派がトランプ大統領の貿易戦争をさらに煽(あお)るとになりはしないかと強く警戒されている。 また、今回の中間選挙は、北朝鮮との外交を決裂させない歯止めになってきたと考えられる。トランプ大統領にとって、金正恩委員長との関係改善は、外交における最大の成果だとみられてきたからだ。何としても、中間選挙までは北朝鮮との良好な関係を保とうと、マイク・ポンペオ国務長官も力を尽くしてきた。今、中間選挙が終わり、この歯止めは効力を失った。 もしも、北朝鮮が今のままの外交を続けるならば、業を煮やしたトランプ大統領が融和姿勢を見直すかもしれない。2020年夏までに北朝鮮が核放棄に向けて具体的に行動しなければ、再び緊張が高まる。 そのときに日本は、円高という形でそのダメージを被るだろう。為替レートの推移をみていると、ドル円レートは異様なほど円高になりにくい状態が続いている。2018年6月の米朝首脳会談以降、1ドル109~114円という円安水準がずっと維持されている。日経平均一時下げ幅が800円を超える=2018年10月、大阪市中央区(前川純一郎撮影) 筆者は、この円高になりにくい要因こそが、東アジアにおける北朝鮮リスクの後退だとみている。つまり、中間選挙まで封印されていた北朝鮮リスクが、今後は再び変化し始めると考えることが妥当であろう。トランプ大統領は、2019年1月に金委員長との再び会談を行うという観測がある。この会談後に円高リスクが起こり得るとの心構えを持っておくことが必要だとみている。 最後に、今回の中間選挙を通じて、共和党も「トランプ頼み」の図式が一段と強まることとなった。トランプ的な発想に、伝統的な共和党の良さが染まっていくことが怖い。共和党が自由貿易を尊重する人々から、保護主義的な考え方に染まっていく人々へとオピニオンを変えていくことは、長い目でみても由々しき事態とみられる。

  • Thumbnail

    記事

    西野ジャパン快進撃の次は「経済のW杯出場」だ

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会、日本代表はセネガルと引き分け、グループリーグの勝ち点を4とした。セネガルに2度も先行を許しながらも、その都度激しく敵陣に切り込んで同点に追いついた。ひいき目にみなくても「勝てた試合」だったかもしれないが、本当に日本代表は強いな、という素朴な印象を強くした。 W杯は各国を熱狂させるが、日本でも同様である。熱狂には、純粋にサッカーそのものを楽しむものもあるが、他にも重要な「熱視線」というものがある。その一つが、W杯がもたらす経済効果への熱視線である。 W杯が近づくと、運営組織やシンクタンクなどから恒例行事のように、「W杯開催によって生み出される経済効果は○○億(兆)円」といった予測が発表される。もちろんW杯だけに限らず、オリンピックのような国際的なスポーツイベントから特定チームの優勝まで、さまざまな経済予測が行われている。今回のW杯でも、ロシアの組織委員会が2013年から2023年の10年間で約3兆円の経済効果に達すると公表している。 ところで、そもそも「経済効果」とはいったいなんだろうか。これは厳密に説明すると結構大変なのだが、簡単に言うと、W杯というイベントで生じる「追加的需要」が経済全体でどれだけ需要を増やしたかを計測するものである。 W杯について考えるときに重要な追加的需要とは、一つは競技場やその周辺のインフラへの投資、そしてもう一つは内外の観光客がもたらす消費があげられる。前者の競技場やインフラの整備は、ロシア政府の支出によって生み出される経済効果で、別名「乗数効果」というものだ。 W杯のスタジアム建設や周囲のインフレ整備のための公的な支出を行うと、この支出によって公共事業に従事した人たちが収入を得る。この収入の一部は他の財やサービスの購入に向けられる。さらにこれらの財やサービスを販売した人たちの所得は別な財やサービスの購入に向かう。このように、一連の過程が繰り返されることで、始めに支出された公共投資額をはるかに上回る規模の経済効果が実現されるというのが、この乗数効果である。 ただし、公共投資で大会の運営期間中は黒字経営でも、大会が終わってみると設備を維持するために膨大な維持費用を要してしまうこともある。かえって、地域経済を圧迫してしまう可能性もあるのである。サウジアラビアに大勝し喜ぶロシアサポーター=モスクワ(共同) もう一つの需要、観光客の消費はどうだろうか。国内の観光客の落としていくお金が本当にロシア経済に追加的な需要を生み出すかどうかは、ロシア経済の動向に大きく依存している。 ロシアの消費者が自分たちの収入が思わしくないと判断したのであれば、W杯で使った分を他の支出を切り詰めることでしのぐかもしれない。そうなると、国内消費はプラスマイナス、両方の面を考慮に入れなければいけないだろう。 現在のロシア経済はそれほどいい状況ではない。ウクライナ問題に端を発した経済制裁や原油価格の低迷でここ数年は経済が大きく減速していたからである。日本の「W杯の経済効果」は? 2017年はどうにか1・5%ほどの経済成長率を実現させたが、政府目標の2%には及ばなかった。さらに今年に入って、米トランプ政権による追加制裁が関連する企業を直撃しており、経済の再減速が懸念されている。 日本でも長期停滞のうち、90年代前半から21世紀初めにかけての新卒世代を「ロスジェネ世代」と呼ばれるが、実はロシアでも若年失業率が長期間高止まりしたままである。ロシアの失業率自体は現状で4・9%であるが、これはロシアの失業率のトレンドからみるとかなり低い水準だ。ただし、全体の失業率に対する15~24歳の若年失業率の比率は約3倍で高止まりしているのである。 この比率は、先進国の中でイタリアに次いで第2位である。あの「ヘル朝鮮(地獄の韓国)」といわれるほど若年雇用が深刻な韓国よりも上回っているのである。このような状況の中、ロシアの若い世代がW杯関連で消費しようとすれば、所得の制約が厳しいので他の支出を減らさざるをえない。 では、海外からの観光客がもたらす消費はどうだろうか。この追加的需要はある程度見込める。日本とロシアの関係でみてみると、ロシアを訪問する日本人観光客の数は、前年比26・8%増の10万7300人だという。 また、最近では中国からの観光客の激増も報じられている。ただしこの場合でも、追加需要が発生しているかどうかは慎重に見ておかなくてはいけない。海外の観光客の激増を嫌って、ロシア人の観光客が減少するかもしれないからである。 実際に、ロシアでは激増する中国人観光客に対する批判も生じているようだ。そうなれば、開催期間中、ロシア人観光客がスタジアムのある11都市への観光を避けるケースも出るかもしれない。実際に98年W杯が行われたフランスでは、期間中に通常の観光客が激減してしまい、海外からの増加があっても全体での純増はみられなかったというケースも発生している。 このように「W杯の経済効果」といっても、大会関係者の考えるほど単純には行かない側面が多々ある。特に、先に指摘したように、国内の経済状況が大きく影響するからだ。開催中は多少景気がよくなっても、その後はどうなるかは、まさにロシアの経済政策の運営や、経済制裁に対する外交手腕に大きく関わってくるのである。 このことは、W杯だけではなく他の国際的なビッグイベントにも共通して言えることである。かつて、日本銀行の原田泰審議委員が検証したところ、五輪などのイベント後に不況が来やすいかどうかは、そのイベントが終わったことによる消費や投資の減少に依存するというよりも、その後の経済運営に大きく関わってくるという(原田泰『コンパクト日本経済論』新世社)。その意味では、W杯後のロシア経済には暗雲が立ち込めている。セネガル戦で「大迫半端ないって」と書かれたゲートフラッグを掲げる日本サポーター=エカテリンブルク(甘利慈撮影) 最後に、日本の「W杯の経済効果」はどうだろうか。セネガル戦も深夜まで日本国内で熱い観戦が続いた。「ブルーマンデー」など吹き飛ばす熱気、と伝えるメディアもあった。筆者もその熱気をともにした一人だ。 ただし経済効果となると、連載で指摘し続けてきた通り、W杯自体の経済効果よりも政府や日銀の経済政策が重要なのは明らかだ。日本の消費は相変わらず低迷したままであり、さえない。安倍晋三首相も日本代表のユニホームを着て観戦するのは結構だが、その熱気を経済に伝える努力をすべきだろう。まずは消費増税の再凍結、そして消費減税に着手するのが好ましい。それぐらいできなければ、「経済政策のW杯」出場にはほど遠いだろう。

  • Thumbnail

    記事

    大阪直下地震で思い出す「増税なくして復興なし」のペテン

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) 6月18日朝、大阪府で震度6弱の強い地震が生じた。この論説を書いていた同日午前の時点で被害の全貌はわかっていなかったが、ブロック塀の倒壊などで5人の方が亡くなり、また300人近くが負傷したという。 そして、発生が通勤時間中だったこともあり、関西地方を中心に交通網がまひし、ビルのひび割れ、落下物、インフラ不全などの情報が伝わっている。多くの人は不安を抱えて、地震の大きさに恐怖している。被害に遭われた方々を心中からお見舞いするとともに、今後も余震など十分に警戒していただきたい。 今回の地震でも、ツイッターをはじめとするソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)で、地震の個人的な体験や公的情報などを伝える動きが活発である。誤った情報も少なからずあるだろうが、SNSが被災時に機能し、非常に便利であるのは間違いない。 日本は地震大国であるにもかかわらず、経済対策の側面では、地震に全く弱い国だと言わざるを得ない。しかも弱いだけではなく、災害につけ込んで、官僚や政治家が「私的な利益」をむさぼろうとする国でもある。 東日本大震災のとき、筆者は経済評論家の上念司氏と共著で『震災恐慌』(宝島社)を出版した。この本は後に、嘉悦大の高橋洋一教授の補論を備えて、さらに内容を強化して『「復興増税」亡国論』(宝島社新書)として刊行した。 題名からも趣旨は明瞭だが、東日本大震災からの復興を名目にして行われようとしていた「復興増税」を中心とした、政府と日本銀行の緊縮政策を批判する内容であった。当時、われわれは国会議員などとも協力し、増税反対の国民運動を展開したが、残念ながら「復興増税」は復興特別税として実施されてしまった。2011年11月、東日本大震災に関する復興増税や消費増税を食い止めようと、約1500人が「増税NO」のシュプレヒコールをあげながらデモ行進した(緑川真実撮影) この税は現在も所得税、地方税を対象に継続中だ。所得税は2037年まで、地方税も2023年まで上乗せされており、長期間の負担が続く。 もちろん、被災地支援のためにお金が必要なのは当然である。だが、当時の民主党政権の時代は、今日とは異なり、リーマンショックと長期停滞の「合わせ技」で、極めて深刻な不況に陥っていた。そこに増税を課すのは、日本経済にダメージをさらに負わせ、もちろん被災地にも深刻で回復不能の打撃を与えると、われわれは警鐘を鳴らしたのである。 そのため、増税よりも、それこそ永久ないし超長期の復興国債を発行することによって、日本銀行がそれを事実上引き受け、積極的な復興支援を行うべきだとした。これが長期停滞への脱出と、震災復興の両方を支援できる経済政策だというのが当時のわれわれの主張であった。 だが、財務省を中心とする増税勢力にはそんな論法は通じなかった。彼らのやり口は実に巧妙であり、「復興増税」を民主党、そして当時は野党だった自民党と公明党で実現させたのである。さらに、この三党協調をもとに、おそらく当初からその狙いであった消費増税の実現にまで結び付けた。当時の日本経済からすればまさに人災に等しい「大緊縮路線」の成立である。「最悪の人災」=増税 緊縮政策が、不況もしくは不況から十分に脱出できないときに採用されれば、人命を損ねる結果になる。職を失い、社会で居場所を失った人たちなど、自殺者数の増加など負の効果は計り知れない。その意味では、天災を口実にした「最悪の人災」=増税という緊縮政策の誕生であった。ちなみに、民主党は現在、国民民主党や立憲民主党などに分裂しているが、経済政策は全く同じ発想である。 このような緊縮路線は今日も健在どころか、最近はその勢いを強めている。消費増税をはじめとする緊縮政策の一番の推進者は、言うまでもなく財務省という官僚機構である。財務官僚とそのOBたちのゆがんだエリート意識とその醜い利権欲は、いまや多くの国民が知ることだろう。 セクハラ疑惑によるトップの辞任、財務省の局をあげての文書改ざん、何十年も繰り返される「財政危機」の大うそ、社会的非難が厳しくても繰り返される高額報酬目当ての天下りなど、ブラック企業も顔負けである。このようなブラック官庁がわれわれの税金で動いているのも、また日本の悲劇である。 しかも財務官僚だけではなく、増税政治家、経団連や経済同友会などの増税経済団体、増税マスコミ、増税経済学者・エコノミストなど、緊縮政策の軍団は実に広範囲である。しかも、グロテスクな深海魚がかわいらしくみえるほどの奇怪な多様性を持っている。 例えば、反貧困や弱者救済を主張する社会運動家が、なぜかその弱者を困難に陥れる増税=緊縮路線を支持しているのも、日常的な風景である。増税したその見返りが、自分たちの考える「弱者」に率先して投入されるとでも思っているのだとしたら、考えを改めた方がいいだろう。 日銀の岩田規久男前副総裁は、メディアの最近の取材や筆者との私的な対話の中で、日本が20年も長期停滞を続けたため、非正規雇用など低所得者が増えたと指摘している。さらに、岩田氏によると、年金世代が全世帯の3割以上に増えたことで、消費増税による経済への悪影響を強めているという。 つまり、増税、特に低所得者層に強い影響が出る消費増税は、日本において最悪の税金である。「弱者救済」を唱える人たちが財務省になびくのは、まるで冗談か悪夢のようにしか思えないのである。電車のダイヤが乱れ、阪急梅田駅前の階段に座る人たち=2018年6月18日、大阪市北区(安元雄太撮影) 最近、この消費増税、緊縮政策路線が、政府の経済財政諮問会議により提起され、閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」にも強く採用され続けている。経済活動が活発化し、その結果として財政が改善していくのが、経済学で教わらなくても普通の常識であろう。 だが、財務官僚中心の発想は違う。まず財政再建ありきなのである。財政再建が目的であり、われわれの経済活動はその「奴隷」でしかない。これは言い方を変えれば、財務省の奴隷として国民とその経済活動があることを意味する。恐ろしい傲慢(ごうまん)な発想である。財務省の目論み 例えばしばしば「財政健全化」の一つの目標のようにいわれる基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化。この概念は、そもそも経済不況を根絶するために積極的な財政政策を支持した経済学者、エブセイ・ドーマーによって主張されたものである。 つまり、緊縮財政を唱える論者を否定するために持ち出した概念が、なぜか財務省的発想で緊縮財政のために利用されているのである。まさにゆがんだ官僚精神をみる思いで、あきれるばかりである。 PBは、経済が停滞から脱出し、経済成長率が安定すれば、それに見合って財政状況も改善するということを言いたいのが趣旨だ。何度もいうが、これが逆転して、増税勢力に都合のいい「財政再建」や「社会保障の拡充」という緊縮政策に悪用されてしまっている。 しかも経済学的には意味を見いだしがたいPBの黒字化目標を、2020年度から25年度にずらしたところで、緊縮病から抜け出せるわけではない。あくまで目標にするのは経済の改善であって、PB目標などどうでもいいのだ。 だが、PB先送りについて、朝日新聞の論説にかかると「骨太の方針 危機意識がなさ過ぎる」んだそうである。まずは、この朝日新聞の論説を書いた人の経済認識こそ、危機意識が足りないと思う。地震で崩れた外壁=2018年6月18日、大阪市淀川区(渡辺恭晃撮影) また、国債市場では取引が不成立なことがしばしば起こることをもって、「国債危機」的な煽り記事もある。これは、単に日本銀行が「今の積極的な金融緩和を続けるためには、もっと政府が新規の国債を発行することを求めている」、市場側のシグナルの一つでしかない。つまり経済は、緊縮よりももっと積極的な経済政策を求めている。だが、全ては「財政危機」「社会保障の拡充」という上に書いたようなゆがんだ経済認識に利用されているのが実情だ。 数年前、いや今も天災さえも利用して自らの増税=緊縮政策を貫いた財務省を核とした「ブラックな集団」が日本に存在していること、これこそが日本の「最大級の人災」である。そして対策は、このブラック企業顔負けの集団の核である、財務省の解体しかないことを、世間はより強く知るべきではないだろうか。

  • Thumbnail

    テーマ

    もし信長が「日銀総裁」だったら

    歴史に「もし」は禁物だが、この人が今の日銀総裁だったらと思わずにはいられない。戦国大名、織田信長である。信長と言えば、型破りの発想で次々と難敵を打ち破ったことで知られるが、実は傑出した経済人でもあった。デフレ脱却が至上命題の現代ニッポン。「戦国の革命児」信長ならどう挑むか。

  • Thumbnail

    記事

    信長が日銀総裁なら必ず強行する現代版「土地より茶器」大作戦

    橋場日月(歴史研究家、歴史作家) 織田信長が日銀総裁になったら、というお題を頂戴した。「歴史にifは禁物」というが、魅力的な仮定でもある。さまざまな経済政策を実行した信長だけに、彼が現代日本の貨幣流通・金融管理の元締めをどうリードするのか、考えてみるのも面白いだろう。 史実の信長と経済との関わりでまず挙げられるのは「楽市楽座」だ。「楽」は自由、フリーという意味で、誰でも自由に商売ができ、免税され、領主の権力も介入しないという政策だ。信長はこれを美濃征服の翌永禄11(1568)年9月に、岐阜城下の加納(現在の岐阜県岐阜市加納)で実施した。 合戦で荒れた町を復興させるために手っ取り早く商人を集める手段だったのだが、この政策自体は南近江の六角氏による石寺新市(現在の滋賀県近江八幡市安土町石寺)や、駿河の今川氏による富士大宮(現在の静岡県富士宮市大宮町)の楽市指定など、先例がある。 それにこれはどちらかといえば経産省のテリトリーだろう。問題なのは、信長が加納市に宣言した「楽市」が、「借銭・借米・さかり銭」も免除した点だ。これは「楽市」に「徳政」を組み合わせたものといえる。借銭・借米はそのまま借金を指す。さかり銭は「下がり銭」、下がるは「後になる・後にする」という意味があるから、これは後払い=掛け売りに伴う手数料を指すらしい。 ということは、日銀の業務に例えれば、彼は割り引いた手形をそのまま発行元に返し、割引の手数料や利息分もタダにしたという形になるのではないか。あくまで特例的措置とはいえ、劇薬と言ってもいい金融政策だ。「何がなんでも町を立て直す」。信長の決意の固さが、ここに表れている(彼の懐は痛まず貸主が損をするだけの話だが)。「木造織田信長坐像」=大徳寺総見院所蔵(中田真弥撮影) 「現代の徳政」といわれる日本航空やりそな銀行などに対する公的資金注入にも似ているが、これは金融庁マターだから、日銀の関わりはとりあえず国庫金を払い出す業務のみだろう。 税を免除し、借金を棒引きにすれば、当然ながら短期的に市場の貨幣は増える。その分物価は上昇し、経済活動は活発化するだろう。大幅な金融緩和でデフレ脱却を目指す現在の日銀総裁と、ある意味共通した思想かもしれない。 ただ注意しておきたいのは、日銀総裁と違って信長は経済政策のすべてを総覧する立場だったことだ。彼は流通ルートの開発に励んだし、道路や橋の整備をおこない、舟運の保護にも熱心だった。市場は取引される商品がなければ成り立たないわけだが、その商品の生産についても、地元特産の瀬戸物を保護奨励し、後に志野焼や織部焼が生まれる基礎を作るなど、差別化や増産に努めたことを忘れてはいけない。信長の「新しい手法」 この年に上洛を果たした信長は、明くる永禄12(1569)年、京や奈良に「撰銭(えりぜに)令」を発する。撰銭とは、良質な貨幣とびた銭(劣化したもの、私鋳銭など)を選別して、その扱いに差をつける行為をいう。偽札が厳禁され、劣化した貨幣は回収される現代ではピンと来ないが、当時はそれが当たり前だった。信長は当初この行為を禁止したのだが、少しでも有利な貨幣をと考える人々には受け入れられなかった。 そこで彼は交換レートを定めて、撰銭も決済手段として安定的に用いられるようにし、売買取引がスムーズに行われるよう誘導したのだ。 これは必ずしもうまくはいかなかったが、銭が不足したり、撰銭のせいで流通が円滑に行われず、手っ取り早く米を代価にしたりするなど混乱した当時の状況の中で、信長がなんとか銭を基軸通貨にしようと努力したことは間違いない。それは、有名な「永楽通宝」の銭紋の旗印を掲げた信長にふさわしい政策だった。 おそらく彼が本能寺の変で死なずに天下を統一していれば、徳川家康のように貨幣鋳造事業に乗り出していただろう。この撰銭令も日本銀行の業務でいえば貨幣流通と為替の管理に相当するのではないか。 また、こうして金融政策を駆使して天下統一の歩みを進めていった信長は、「茶湯御政道」と呼ばれる新しい手法も生み出した。大金を投じて名物茶道具を集め、それを手柄のあった部下へ土地の代わりに恩賞として与えるというやり方だ。 信長から茶会を開くことを許され、茶湯に精通した文化人たちからもうらやまれるという名誉に、家臣たちは熱狂した。滝川一益など、「上野国(現在の群馬県)を賜るより茶器が欲しかった」と愚痴ったほどである。信長が新しい価値を創造し、土地に命をかける武士の価値観をガラリと変えてみせたのだ。そんな信長が日銀総裁ならば、おそらく仮想通貨を公認し、よりスピーディーな流通取引を目指すだろう。画像はイメージです(iStock) 以上を総合すると、「日銀総裁」織田信長は貨幣を増産して市場流通量を上昇させインフレに誘導し、金融緩和によって経済活動を活発化させた上に、仮想通貨という新たな基軸通貨を積極的に支持し、全く今までにない国内外の決済システムの構築に向けた取り組みを行っていたことだろう。

  • Thumbnail

    記事

    「優れた経済人」織田信長だったらデフレ脱却にどう挑むか

    中里幸聖(大和総研金融調査部主任研究員) 織田信長は天下統一をなし、全国平定の道半ばで倒れた。当時は畿内周辺が「天下」という認識であったことを考えれば、天下統一を成し遂げたといえよう。もし本能寺の変で倒れなければ、全国平定にとどまらず、東南アジアやインドを目指したかもしれない。 いずれにしても「天下人」として、日本をまとめ上げようとしていた信長は、軍人としての側面よりも政治家としての側面が強い人物といえよう。また、経済人としての資質も優れていたと考えられている。 羽柴(豊臣)秀吉、明智光秀、柴田勝家といった個性ある武将たちに大軍団を任せ、各方面軍の軍事行動を継続するにはカネがかかる。本能寺の変直前では、中国方面軍(羽柴秀吉、明智光秀が助太刀予定)、北陸方面軍(柴田勝家)、関東方面軍(滝川一益、軍事的任務はほぼ終了)、四国方面軍(丹羽長秀、出陣準備中)が編成されていた。 また、新たに領地に編入した地域の領民の支持を得ることができなければ、領国経営は安定しない。領民の支持を得るための第一は、経済の活性化と税金の軽減であろう。これは古今東西変わらない。 信長は楽市楽座などの商業活性化、道路や港湾の修繕・整備、城および城下町の修築や建築などのインフラ整備を推進した。また、本人の趣味と実益を兼ねた大量の衣装類の発注や茶道の振興、それに伴う茶器の調達といったコンテンツ産業の育成など、多方面に及ぶ経済活性化策を実施している。 関所の廃止は商業流通の促進とともに、楽市楽座と同様に減税といった側面もある。堺などの商業都市には矢銭(軍事費)の提供を求めたりしているが、同時に商業都市の保護を前提としている。 つまり、信長が「天下人」に最も早く近づくことができたのは、効果的な経済活性化策を実施し、領国内の経済力強化を実現してきたからでもある。なお、前述の方面軍の話も含め、本稿は歴史的検証が主眼ではないので、歴史的事実については大ざっぱな話をしている点はご了承願いたい。 さて、現代のわが国の経済について、信長ならどう取り組むかということが本稿の主題である。そのために、わが国の経済の現状を簡単に振り返りたい。 2012年12月に安倍晋三首相が政権に返り咲いて以降、わが国の経済がそれ以前に比べれば良好な状態にあることは多くの経済指標が示している。民主党政権時の3年第1四半期間(2009年9月~2012年12月)における2011年基準の実質国内総生産(GDP)の単純平均は約493兆円(年率換算、以下同)だが、直近3年第1四半期間の実質GDPの単純平均は約523兆円と約6・0%増加している。2018年4月、首相官邸で安倍晋三首相(右)と会談する日銀の黒田東彦総裁(春名中撮影) また、民主党政権時の完全失業率の単純平均は約4・7%、直近3年第1四半期間の単純平均は約3・1%と1・6%ポイント改善している。なお、2017年第4四半期の実質GDPは約535兆円、2018年3月の完全失業率は2・5%である。 しかし、デフレからの完全脱却については、まだ道半ばであろう。安倍首相が任命した黒田東彦日銀総裁は2013年4月にいわゆる「異次元緩和」を掲げ、大胆な金融政策を実施してきた。 株式市場をはじめとする金融市場からは、一時期の暗い雰囲気が払拭(ふっしょく)されたといえるが、「物価上昇率2%」という目標は達成できていない。こうした数値目標にこだわり過ぎる必要はないと思うが、わが国が再びデフレ状態に陥る懸念は完全に過去のものになったと断言できないというのが現状であろう。「新人類」だからこそ デフレとは、世の中のモノやサービスの価格(物価)が全体的に継続して下落することである。ただし、わが国の経済がデフレ状況にあるかどうかの定義についてはさまざまな議論があった。 インフレはデフレの逆で物価が全体的に継続して上昇することを指す。細かな定義の議論は別にして、デフレ下では、価格低下→企業収益減少→賃金減少→節約志向→価格低下、といった経済の縮小サイクルが継続することになる。 デフレの原因を極めて単純に説明すると、需要<供給、つまり供給過剰需要不足ということである。インフレはその逆で、需要>供給、需要過剰供給不足となる。いわゆる「失われた20年」とはデフレ的な経済が続いていたことの比喩的な表現であり、少なくとも経済的な活力は感じにくい状況であった。 一方、信長が活躍した戦国時代後期から安土桃山時代というのは、経済的には高度成長時代であり、活力に満ちていた。各地の戦国大名が領国の維持や拡張のために、富国強兵策を展開していた。軍備充実や軍隊動員には多くの需要が発生する。また戦国時代は、従来の価値体系が崩れ去っていく中で、新しい価値の探求が行われていた時代であり、軍事面のみならず農工業分野でも技術革新が進み、農工業の生産性が上昇した。 農村での余剰人口は、商人や職人になるなどして経済全体の供給力拡大に寄与した。戦国大名が公募する足軽に応募して、需要拡大に寄与した側面もあろう。需要が拡大しているだけでなく、供給力も伸長していたのである。折からのキリスト教宣教師をはじめとする南蛮人(当初の主力はポルトガル人とスペイン人)の渡来も技術革新や文化生成に大きな刺激となっている。文化生成は新たな需要と供給を生み出すことにもつながる。 つまり、当時は旺盛な需要によるインフレ的な傾向があるものの、供給力も拡大しており、需給も相まって成長していたのが戦国から安土桃山にかけての時代である。信長はそうした傾向をさらに促進するようなさまざまな施策を実践していたといえる。 さらに、「天下人」としての信長は、こうした施策の実践を、自身の決裁でなし得ていく。いくら「天下人」とはいえ、民衆の支持を失ってしまえば持続性はないが、民衆の支持は施策を実践した結果に対する評価であり、実践段階では信長の自由度は高かった。もちろん、朝廷や家臣などの関係者と全く調整しないでも良いということではない。 翻って現代は、人口減少・少子高齢化が進行している。人口減少は基本的には需要減少要因である。今、わが国が直面しているデフレへの懸念の根本は、中長期的な需要減少が想像されることにあると考える。 こうした事態に対し、当面の対応として、第二次安倍政権発足当初に掲げられた「三本の矢」、すなわち「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」は方針としては正しい処方箋を打ち出していたと考える。「三本の矢の教え」で有名な毛利元就が生涯を過ごした広島県安芸高田市から「三本の矢」を贈られた安倍晋三首相=2013年2月(酒巻俊介撮影) さらに2015年9月には「新・三本の矢」として、「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」を打ち出している。このうち「希望を生み出す強い経済」は従来の三本の矢を強化するということだが、「夢をつむぐ子育て支援」、「安心につながる社会保障」は、人口減少・少子高齢化というわが国の中長期的な需要減少に立ち向かうための政策とも言える。 しかし、「大胆な金融政策」は黒田日銀総裁が先頭に立って実施してきたが、デフレは金融的現象であると同時に実物経済的現象でもあり、金融政策のみで解決できるものではない。他の矢との相乗効果が求められるのだ。 一方、他の矢はさまざまな関係者が関わる政策であり、当初期待したほどに徹底して実施できたとは言いにくいのではないか。例えば「機動的な財政政策」は、首相が積極的であったとしても、国会や財務省の協力なしには進められない。 「民間投資を喚起する成長戦略」も国会や財務省に加え、関係省庁や地方自治体の協力が必要である。「民間投資を喚起する成長戦略」は、行政側の協力が得られたとしても、民間側の意欲が湧くようなものになっていなければ、前には進まない。 前述したように、信長も朝廷や家臣団、あるいは宗教勢力や町衆などとの調整を全くせずに政策を実施できたわけではないだろう。 しかし、各施策についての最終決裁者であるという強力な立場、直属の実戦部隊を持っていること、さらに彼自身が当時の言葉では傾奇者(かぶきもの)や婆娑羅(ばさら)といった「新人類」であったこともあって、これからを担う世代の民衆や家臣の強力な支持があり、多くの施策を積極的に進めることができたのだと推測される。信長ならデフレ脱却を成し遂げる 信長の凄(すご)みは徹底したリアリズムと愚直な実践にあると考える。与件の中でいかに効果を最大化するか、さらに与件をどう変えるか、を徹底的に追及し、できる所から愚直に実践し続けるのが彼の生涯であった。その際、民(たみ)のために天下を静謐(せいひつ)にするという明確な将来への意志があったからこそ、たゆまず努力を続けられ、人もついてきたのであろう。 与件の中でいかに効果を最大化するかの例としては、1578(天正6)年の御所周辺の築地塀の修理が挙げられよう。信長自身が全面的に請け負うこともできたが、京都の町人が請け負う方式が良いのではと、京都の町々に持ちかけた。 町ごとに組を編成させ、区分された築地塀の修理を担当させ、競争の原理を持ち込んだ。さらに当時は「風流踊り」という群衆音楽舞踊パフォーマンスの全盛期だったそうで、町々は自慢の歌手や踊り子を繰り出し、自分の街の分担区域の修理人員の士気を上げたそうである。 「即時にできた」といった内容が『信長公記』(太田牛一著)に記されているそうだが、最初から信長自身が全面的に請け負っていたら、そこまで早くはできなかったであろう。天皇や宮廷の女性たちも見物に来て楽しんだというから、単なる修理が明るい雰囲気の中で進んだことになる。 近年の日本経済では、安倍政権発足当初の「三本の矢」を打ち出し、実践に移していったことが、株式市場をはじめとする日本経済の雰囲気を明るく転換させたことが該当するであろう。 与件をどう変えるかの例としては、地味ではあるが長きにわたって継続してきた朝廷工作が挙げられよう。朝廷を味方につけることができれば、戦国大名の一人に過ぎない状況(実力はあるが公的な存在とは認められていない)から、国家の承認を得た立場となる。福井県越前町織田の「一族発祥の地」に立つ織田信長像(関厚夫撮影) 信長の父、織田信秀は、信長がまだ少年であった1543(天文12)年に朝廷の内裏の修理費用を献納している。信長も朝廷との交渉を早いうちから始めており、1568(永禄11)年の足利義昭を奉じての入京は、既に朝廷との間の了解事項であった。 朝廷から御所の建物の修理を要請されているという形で、信長が入京する手はずは整っていたのである。そこにたまたま足利義昭が頼ってきたタイミングが重なった。近年の日本経済で考えれば、今まさに取り組んでいる「夢をつむぐ子育て支援」などが与件を変えようとすることに該当するであろう。しかし、こうした与件を変えようとすることは地道な努力を長期にわたって続けることが必要であり、すぐに効果が出るものでもない。 信長が現代日本のデフレ脱却という課題にどう立ち向かうかということでは、大きな方針としては、現政権が打ち出している方向とあまり変わらないであろうと想像される。それを民衆の支持を維持しつつ、具体的に何をやるべきかを徹底的に追求し、愚直に実践し続けるということになろう。 ただし、当時のように「天下人」というポジションは存在しない以上、関係者の調整に多くの労力を費やすことになる。信長は理想を掲げて努力を惜しまないであろうから、不慮の死や失脚などがない限り、デフレ脱却をやり遂げるのではないだろうか。

  • Thumbnail

    記事

    信長もできなかった市場との対話、黒田日銀「物価2%」実現のヒント

    岡田晃(経済評論家、大阪経済大客員教授) 日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁が再任され、2期目の任期に入った。黒田総裁は再任後初めてとなる記者会見で消費者物価上昇率「2%」の目標を堅持して金融緩和を継続する考えを強調し、出口戦略について「検討する局面にない」と明言した。2期目の黒田総裁にとって、2%の目標をどのように達成するかが最大の課題となる。 黒田総裁が5年前の就任直後に「異次元の金融緩和」に踏み切ったことは、従来の日銀の常識を破るものだったと言ってよい。その結果、景気は回復を続け、消費者物価もプラスに転じ、少なくともデフレ的な状況ではなくなりつつある。 しかし、それでもなお2%という目標には遠い。その一方で、長期間の超金融緩和を続けることで、さまざまな副作用も指摘され始めるなど、やや手詰まり感が出ているのも事実だ。それらを乗り越えて目標を達成するには、何らかの形で「常識破り」の次の手が必要なように見える。 では、2期目の黒田総裁は何をすべきか。ここで戦国時代に目を転じると、織田信長が行った数々の「常識破り」の政策にヒントがありそうな気がする。 信長は戦国時代の常識を越える新しいやり方で、天下統一を目指した。長篠の戦いでは、3000丁といわれる鉄砲の3段撃ちで武田騎馬軍団を打ち破ったことはあまりにも有名である。そのほかにも当時の人たちが考えもしなかったような画期的な戦術や政策を数多く打ち出している。 例えば、「兵農分離」などは代表的だろう。それまでの多くの戦国大名は戦が起きると農民を足軽兵士として動員するのが普通で、田植えや稲刈りの季節になると、戦を中断して、撤兵を余儀なくされていた。 しかし、信長は農家の次男、三男などを兵士として常時雇いにし、日ごろから訓練して一年中いつでも戦ができる態勢を整えた。織田軍の長期遠征を可能にしたのである。2018年4月、日銀本店で開かれた支店長会議に臨む黒田総裁(左から2人目)ら かたや、敵の兵士は農繁期が近づくと、自分の田畑がどうしても気になる。他の大名は農閑期に戦を仕掛けるしかないのである。その後の歴史を知っているわれわれは「兵農分離」は当たり前のように思えるが、それを初めて実行した信長は時代を先取りした発想の持ち主だったといえる。 さらに、兵農分離政策は軍律改革や本拠地の移転、城下町の発展という効果ももたらした。信長は戦いに勝利して敵の領地に進軍した際の略奪を禁止した。戦国時代には略奪は一般的に行われており、普段は貧しい農民兵士にとって一種のご褒美のような感覚もあったようだ。ぶれない男、信長 しかし、信長は兵農分離によって兵士の経済的な待遇を確立する一方で、略奪を固く禁じていたのである。実際、信長は上洛(じょうらく)した際に、京の街中で略奪行為を働いた兵士を斬首している。現代の感覚では厳しすぎる処分だが、いかに略奪禁止を重視していたかが分かる。これも当時では常識を越える方針だったといえる。 また、信長は清洲から小牧山、岐阜、そして安土へと本拠地を移転させていったが、これも兵農分離していたから可能だったことだ。信長は数多くの兵士を城下に住まわせることで、城下町を発展させた。このことが経済活性化にもつながったのである。 信長の経済活性化では「楽市楽座」も有名だ。鎌倉時代以来、商工業者は座と呼ばれる同業組合的な組織が独占的に販売を営んでいたが、信長はこれを解散させ、城下では自由に商業販売をさせた。今日風に言えば、徹底的な規制緩和によって既得権益を排除し経済を活性化させるものだった。 また、楽市楽座と同じような趣旨で、信長は関所の撤廃も行っている。関所というと、現代に生きるわれわれは箱根の関所のような公的なものを思い浮かべる。だが、この時代は地域の豪族や寺社、商工業者などが各地で勝手に関所を設け、関銭(通行料)を徴収していたのである。 本来は安全確保のための警備目的だったものが、実態は金もうけと既得権益のようになっていたのだ。このため物資が移動する際、何カ所もの関所を通るごとに通行料を取られるため、円滑な流通が阻害されて物価は高騰し、経済を疲弊させていた。信長はこれを廃止するとともに、主要街道の整備も大規模に実施し、物流や人の往来を活発化させた。 これらの政策、略奪禁止、楽市楽座、関所廃止、街道整備などは、庶民から歓迎されたという。このように、信長は強力なリーダーシップを発揮して天下統一に突き進んでいった。信長の政策はどれをとっても既存の常識にとらわれないものばかりで、信長という人物は時代を超える発想の持ち主でもあった。 こんな話が残っている。日本にやってきたイエズス会の宣教師が地球儀や世界地図を献上した際、信長は宣教師の説明を聞いて、献上品の「正体」をすぐに理解したという。当時、地球が丸いことを知っている日本人が誰もいなかった時代である。その場にいた家臣はだれも理解できなかったのも当然だったであろうが、信長の理解力には驚かされる。 また、宣教師が連れていたアフリカ出身の黒人を大変気に入って譲り受け、家臣にしている。黒人は奴隷出身だったと思われるが、信長は「弥助」という名前をつけて自分の側近にした。弥助は本能寺の変の際に信長に同行しており、明智光秀軍を相手に戦ったという。その際、明智軍に捕らえられた後に解放されたというが、その後の消息は不明だ。 このようなところにも、信長が偏見や既成概念にとらわれない人物であったことがうかがえる。しかも常に天下統一という大目標が軸に据えられていた。その意志は、本拠地の名を稲葉山から岐阜に改めたときから使っていた「天下布武」という言葉に表れている。比較的早い時期からはっきりとした目標を掲げ、一貫してブレなかったのである。主導すべきは日銀総裁だ そのような信長がもし日銀総裁だったら、どのような政策を採るだろうか。おそらく、デフレ脱却・消費者物価上昇率2%という目標達成のために、現在のわれわれの常識を越えた発想で政策を具体化してくれるのではないかと思う。 いや、もっと大きい目標を掲げるかもしれない。日本経済全体の本格復活のために徹底した改革を推し進めるだろう。それはもう日銀の枠を超えるものになりそうだ。 そもそも黒田総裁が5年前に打ち出した異次元緩和自体、従来の日銀の常識を打ち破る政策だったわけで、少なくとも物価を下落から上昇基調に転換させた効果は上げている。 しかし、日銀の金融政策だけでは限界があるのも事実だ。物価目標を達成してデフレ脱却を確実なものにするには、金融緩和を継続しつつ、同時に日本経済の成長力を高める抜本的な政策が不可欠である。別の言い方をすれば、最大目的はデフレ脱却と日本経済再生であり、2%はそのための数値的目標ということだ。 ただ、その目的を実現するのは、日銀というより政府の仕事だ。現状ではその点はまだ不十分で、もっと徹底した改革が欠かせない。もし信長が日銀総裁なら、経済改革を政府に迫るなどしてリードしていくだろう。むしろ信長総裁が改革を主導して政府を引っ張っていく構図になりそうで、それを期待したい。むろん、あくまで現在の制度や権限を無視して言えば、の話だが…。 黒田総裁が目標を達成するには、こうした信長的要素を取り入れて政策を具体化できるかが、一つのカギとなりそうだ。 その場合、一つ注意点がある。信長が部下や世間とのコミュニケーションでは課題を残したようにみえることだ。前述のように、信長は「天下布武」という大目標を掲げて数々の常識破りの政策を採ったわけだが、彼の真意や狙いを配下の武将たちがどこまで理解していたかどうか。京都市中京区にある本能寺跡の石碑=2016年4月(門井聡撮影) また、信長と敵対する戦国大名や宗教勢力らが「反信長連合」を形成して最後まで信長を悩ませたことも、世論形成ではうまくいかなかったといえる。 これを現在の日銀になぞらえれば、市場との対話がより重要だということである。今後は、金融緩和政策のあり方や出口戦略をめぐる議論が従来にも増して活発化することが予想される。そうであればあるほど、日銀の政策や考え方をしっかり市場に説明して理解を広げる努力が必要になるのである。

  • Thumbnail

    記事

    「歴史」を学べば、経済の仕組みが見えてくる

    渡邉哲也(経済評論家)素人にはわかりにくい「経済」の世界。とくに最近はパナマ文書関連で「オフショア」「タックスヘイブン」などの語が世間をにぎわせているが、その仕組みをきちんと理解している人はごくわずかだろう。なぜ、経済や金融の世界の話は難しく感じられるのか。その理由を「歴史を理解していないからだ」と説くのは、経済評論家の渡邉哲也氏。新著『「お金」と「経済」の法則は歴史から学べ!』を発刊した渡邉氏にお話を伺った。 至極当然のことですが、社会は巨大な仕組みで出来ています。それを仲介するのがお金です。そして、お金も仕組みで出来ています。その大きな変化が起きたのが明治維新であり、明治維新以降の歴史を知らなければ、お金のしくみも社会の仕組みも知ることが出来ません。 しかし、学校ではほとんど近代史を教えず、お金のしくみも教えてくれません。私はここに大きな問題があるのだと思います。 そして、そのための教科書を作るべきだと考えました。そして、出来上がったのが『「お金」と「経済」の法則は、歴史から学べ!』です。 すべての物事は、原因があり過程があって結果が生じます。日々接するニュースは所詮結果に過ぎず、結果だけを追いかけていても問題は解決しません。これを解決するには、原因と過程の分析が必要であり、それを行うためには仕組みを理解する事が大切なのです。 また、歴史は繰り返すというように、本質的な仕組みが変わらないかぎり、形を変えて同じような出来事が起きるわけです。これを理解することは未来予測にも非常に重要になります。 皆さんが日々当然のように使っているお金ですが、そのお金にも歴史と歴史が作り上げた仕組みが存在します。 現在のお金のしくみは明治維新以降の金本位制による中央銀行と中央銀行が発行する紙幣の仕組みに依存しており、第二次世界大戦末期に作られブレトンウッズ体制と呼ばれる仕組みがそれを支えています。これは基軸通貨ドルを生み出し、ドルの世界的な金融支配を生み出しているわけです。東京都中央区の日銀本店(早坂洋祐撮影) そして、これが覇権国家アメリカの最も大きな核であり、現在も最大の力の源になるのです。これを理解すれば、今の世界情勢も見えてくるわけです。 また、現在の日本の経済の仕組みもこれに依存します。そして、バブル以降の経済の変化とグローバリズムの本質を理解するためには、「金融ビックバン」を知ることが大切になります。 かつて鎖国状態であった日本の金融ですが、金融ビッグバンと呼ばれる大規模な自由化により世界の金融システムの一部になり、日本の金融を日本だけで語ることが出来なくなったわけです。同時にそれは株や為替だけでなく、日本のアジア戦略や世界戦略にも直結するわけです。 そして、本書では、このような本質的仕組みとデフレやインフレといった具体的用語と事例を徹底解説しているのです。大英帝国の統治が生んだ「オフショア」 本書では直接的には触れませんでしたが「パナマ文書」も英国の金融の歴史を学ぶと理解できます。 問題の「オフショア」ですが、これは英国の大英帝国時代の植民地統治のための仕組みであり、これが英国の金融システムを支えてきたわけです。英国の首都ロンドン。実はロンドンには二人の市長が存在します。1人は大ロンドン市の市長であり、これは選挙で選ばれた市長です。 そして、もう一人の市長はロンドンの中の治外法権の自由都市「シティ・オブ・ロンドン」(通称シティ)の市長で、様々なギルドの重鎮から選ばれる一年任期の名誉職なのです。 もともと、英国は世界各国に植民地を持っていました。そして、その植民地には英国女王が任命した領主が存在し、領主が自由な自治を行っていたわけです。 今も大英連邦の諸国にはその歴史が息づいています。独立国となったオーストラリアやカナダですら、この片鱗が残っているわけです。 オーストラリアやカナダには地域の領主を意味する「総督」が存在し、外交儀礼上の地域の最高責任者は首相ではなく「総督」なのです。ですから、国家のトップはNO2を意味する首相なのです。そして、未だに他国の外交官が赴任した場合、総督に任命状をお届けするわけです。ロンドン証券取引所(iStock) そして、この仕組を利用したのが「オフショア」であり「タックス・ヘイブン」だったわけです。英国の自治領に、「匿名で取引でき税金がかからない地域」を作り、ロンドンのシティの金融機関が世界中から資金を集め巨大な手数料ビジネスを行ってきました。 また、このような地域は英国領の一部ですから、英国の金融ルールが適用される仕組みになっており、英国の金融機関にとっては安全な地域でもあったのです。もともとは英国の貴族のための仕組みを新興貴族ともいえる富裕層が利用したのが今回の問題の本質といえるわけです。 そして、今回のパナマ文書で中国人やその関係者が多い理由もここに起因します。 かつて、英国の植民地の一部であった自由都市香港も英国の金融とアジア戦略の要でありました。しかし、香港は返還期限のある租借地であり、期限到来に伴い中国に返還されました。この際、多くの香港人特に富裕層は、これを恐れ英国の他のタックス・ヘイブンに資産を移したわけです。 この手助けをしたのがHSBCを中心とした英国の銀行であり、この現地代理人が今回文書の流出したパナマの法律事務所だったわけです。そして、この時の記録(設立に関するパスポートデータや資金移動など)がパナマ文書ということなのです。このように歴史を学ぶと本質的なものが見えてくるわけです。わたなべ・てつや 経済評論家。1969年生まれ。日本大学法学部経営法学科卒業。貿易会社に勤務した後、独立。複数の企業運営などに携わる。内外の経済・政治情勢のリサーチ分析に定評があり、さまざまな政策立案の支援から、雑誌の企画・監修まで幅広く活動を行なう。著書に、『中国壊滅』『ヤバイ中国』(以上、徳間書店)、『「瑞穂の国」の資本主義』『世界の未来は日本次第(共著)』(以上.PHP研究所)など多数。近著に『日本人が知らない世界の「お金」の流れ』(PHP研究所)がある。関連記事■ 人気エコノミストが教える「マイナス金利」■ 藤巻健史 私が「今はドルを買え」という理由■ 将来が不安な人のための「不動産投資」入門

  • Thumbnail

    記事

    日銀「黒田総裁続投」で日本経済は失われた30年へ突入

     日本国の中央銀行、日本銀行は行政機関では無いものの、金融政策については行政の範疇にあるとみられており、その決定は政財界に大きな影響力を及ぼす。経営コンサルタントの大前研一氏が、続投が決まった黒田東彦総裁により、日本経済の未来がどう変わるかについて解説する。* * * 日本銀行の黒田東彦総裁が再任された。日銀総裁を2期連続で務めるのは1961年に再任された第20代の山際正道総裁(やまぎわまさみち、1956~1964年)以来57年ぶりで、任期は2023年までの5年間。黒田総裁が任期満了まで務めれば、在任期間は一万田尚登総裁(いちまだひさと、1946~1954年)を超えて歴代最長となる。 本来、日銀は政府から距離を置いて独自に金融政策の舵取りをすべきなのに、安倍首相の肝煎りで起用され、「アベノミクス」の柱である異次元金融緩和を継続してきた黒田総裁がさらに5年も続投するというのは異常事態だ。 ところが、新聞・テレビはこの異例の人事をおおむね肯定的に報道している。これは全く理解不能だ。日銀は「物価上昇率2%」を目標に掲げ、2019年頃に実現できるとしているが、これまでに達成時期を6回も延期している。にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えのように国債やETF(上場投資信託)を買うだけだ。そんな「異次元」の金融緩和をしても、この5年間の物価上昇率は原油などエネルギー価格の影響を除くと、ほとんど変わっていない。 結局、黒田総裁やその取り巻きは、20世紀の古い経済学に基づいた金融政策しか議論していないから間違えるのだ。実際に庶民の目から見て、どこにどんな需要があり、それがどう変化しているのか、20代の若者が70代の高齢者より出不精になっている時代にどんな政策が有効なのか、といったことを全く考えず、若い頃に学んだ経済理論を振り回して金利とマネタリーベース(資金供給量)をいじっているだけである。 だが、経済学は社会「科学」だから、黒田総裁が本物の社会科学者だったら、一つの手を打っても効果が上がらない場合、その原因を論理的に究明して次の手を考えるはずである。それをせずに異次元金融緩和を無神経に続けている黒田総裁には、論理思考力がないと言わざるを得ない。記者会見する日銀の黒田総裁=2017年10月31日、日銀本店 つまり、日本経済が低迷している最大の原因は、黒田総裁をはじめとする従来エリートと呼ばれていた人たちが、21世紀の経済の現実を全く理解できていないことなのだ。今後はさらに変化が加速してAI(人工知能)やIoT(モノのインターネット)が経済の中心になり、古い経済理論はいっそう的外れになっていく。安倍首相や黒田総裁のような古い考えの人はさっさと退場し、新しい経済に素早く対応できる人材に「反転攻勢」のための舵取りを任せるべきである。 一例を挙げれば、いま日本では所有者不明の土地や家、値段がつかない不動産が大量に余っている。所有者不明の土地を全部足すと九州ほどの大きさになり、2040年までには北海道並みの面積に達するとされている。 だが、この問題は解決可能だ。2017年の訪日外国人客数が過去最高の2869万人を記録したようにインバウンド需要は拡大の一途であり、しかも日本にはまだまだ外国人観光客を引き寄せる魅力があふれている。今後ますます宿泊施設が不足するのは明らかだから、空き家や余っている土地を活用して、ABS(※アセット・バックト・セキュリティ=将来のキャッシュフローを担保にしてお金を借りる仕組み)で銀行から資金を調達し、民泊やホテル・旅館を20軒、30軒まとめて事業展開すれば、大きなビジネスになるはずだ。 かつてのアメリカの石油王ロックフェラーや鉄鋼王カーネギー、鉄道王スタンフォードのような人物が21世紀の日本で生まれるとしたら、この「余っている不動産問題」を新たな富に変えた人物だと思う。 しかし現実は、余っている不動産を意欲ある事業家に開放する法的手段は全く整えられていない。そして20世紀の古い経済学しか知らない黒田総裁の下で、さらにこれから最長5年間も的外れな金融政策が続く。1990年代からの「失われた10年」は2000年代も続いて「失われた20年」になったが、このままいくと2010年代から2020年代にかけても好転の見込みはなく、「失われた30年」が確定する。黒田総裁の続投はそういう意味だということを、国民は肝に銘じるべきである。関連記事■ マンション最後の売り時 局地バブルエリアの価格は3分の2へ■ 日経平均4万円か1万円割れか 6月「第3の矢」の破壊力■ 安倍首相「お友達人事」の明暗 日銀総裁人事と官僚論功行賞■ 不動産バブル崩壊シナリオ「東京でも半値に暴落する」と識者■ 不動産は今こそ売り時 「グズグズしている余裕なし」の理由

  • Thumbnail

    記事

    過去のデータで将来を予測するのはバックミラーを見て運転するが如し

    塚崎公義(久留米大学商学部教授) データは重要です。データに基づかない議論は説得力がありませんし、独善に陥る可能性が高くなります。しかし、データを妄信することも危険です。バックミラーを見て運転するようなものだからです。データ至上主義者に「勘ピューターも加味しないと」と言っても、なかなか受け入れてもらえませんが。今回は、データ至上主義の危険性について考えてみましょう。 バブル期に不動産投資が過熱した一因に「土地神話」があったと言われています。「戦後、土地の値段は一度も下がったことがないから、今回も大丈夫だ」と人々が信じていた、というのです。バブル期の人々は、客観的な過去のデータから将来を予測していた、ということなのでしょう。 銀行内部でも、過去データが分析され、「過去の不動産担保融資の焦げ付き率は低い。特に、過去1年の焦げ付き率はゼロに近い。だから不動産担保融資は安全なのだ」といった議論が行われていたのでしょう。バブル期は地価が上がり続けていたので、融資が焦げ付くはずがありません。借金が返せない場合には不動産を売却して返済することが容易だったからです。そんな時期のデータを用いて「今後も不動産担保融資は焦げ付かない」と予想していたのだとすれば、問題でしょう。 リーマン・ショック前、米国で住宅バブルが発生していました。米国では住宅ローンを証券化して売却する手法が多用されていますが、その際に重要なのは格付けです。問題なのは、格付けが過去の焦げ付き率を参考に決められている事です。バブル期の邦銀と同様、米国で証券化商品を購入した人々は、格付けという過去データの分析結果を妄信した、ということだったわけです。 江戸時代のデータを用いて日本経済の将来を予想しようと考える人はいないでしょう。当時と今では、経済構造が全く異なっているからです。しかし、人々が経済構造が変化していることに気付いていない場合には、ミスリーディングなことが起こり得ます。かなり前のことですが、筆者が経済予測で珍しく(笑)大ヒットを飛ばした話をしましょう。 高度成長期の日本製品は、「安かろう悪かろう」と言われていました。「日本製品は、品質は悪いが値段が安いから買おう」と先進国の人々に思われていたわけです。しかし、その後の安定成長期に、日本製品は品質を大いに向上させ、プラザ合意(1985年)の頃には、世界中で「日本製品は品質が良いから買おう」と思われるようになっていたわけです。たまたま筆者はプラザ合意当時、米国留学中だったので、米国製自動車より日本製自動車の方が信頼性が高いことを熟知していたのです。(iStock) 留学から帰国して調査部に配属になった筆者は、貿易収支を担当することになりました。当時は、「円高になると、外国人から見て日本製品が割高になる。値段の安さで輸出を伸ばして来た日本製品にとって、大きな打撃だから輸出は激減するだろう」という予測が通説でした。当然、過去のデータからも「円高になると輸出数量が減少する」といった分析が多数導かれていたわけです。 そこに筆者が「日本製品は品質で売れているので、円高になって日本製品が割高になっても世界中で売れるはずだ」という「勘ピューター予測」を出したわけです。結果は大当たりでした。日本経済はもう成長出来ない? 後日、円高後のデータが出そろった後で、「高度成長期とプラザ合意後について、円高と輸出数量の関係を分析すると、明らかな違いがある。これは経済構造が変化した事の証拠である」というレポートを書いたのです。何十年も調査関連業務に従事していますが、最大のヒット作が駆け出しだった時の当該レポートだったというのは、ビギナーズ・ラックとしか言いようがありませんが(笑)。 最近の話としては、アベノミクスで労働力不足になったことが注目されます。「経済成長率はほとんどゼロなのに、労働力不足になった。ということは、日本経済は、もう成長出来ないのだ(潜在成長率がゼロである)」という人がいるからです。しかし、これも過去データ妄信による誤りでしょう。 これまでは、失業者が大勢いましたから、日本企業は省力化投資を行う必要がありませんでした。安い労働力が簡単に雇えたからです。しかし、最近では労働力が不足するようになって来ましたから、日本企業が省力化投資を本格化するでしょう。そうなれば、経済が成長しても労働力不足が深刻化しないかも知れません。言い換えれば、省力化投資をした分だけ経済が成長することが出来るようになるわけです。 これは経済構造が変化したというよりは、「変化が臨界点に達した」ということでしょう。氷に熱を加えると氷が溶けますが、温度は上がりません。氷が溶け終わると、従来同様に熱を加え続けているだけなのに、温度が上がります。水温が100度になると、再び温度が上がらなくなります。このように、同じ力が加わっても別のことが起きる場合があるのです。経済でも同様です。 景気が回復を始めても、失業者がいる間は省力化投資は行われませんが、失業者がいなくなると(正確には一定数以下にまで減ると、さらに正確には自然失業率に達すると)省力化投資が始まるのです。 本文は以上です。以下は、経済初心者用にデータを扱う際の留意点などを記したものです。一般の方も、復習のつもりで御読みいただければ幸いです。 いろいろ記して来ましたが、それ以前の問題として、データそのものが信頼に足るものである事は、最低限の必用条件です。その際、たとえば左派系新聞や右派系新聞の読者アンケートで支持政党を聞くことなどは、当然にバイアスがかかっているので、信頼度は大きく落ちるでしょう。(iStock) 因果関係にも注意が必用です。たとえば「警察官が多い街ほど犯罪が多い」というデータを見た時、「では警察官を減らそう」と考えてはいけません。「犯罪が多い街ほど警察官を雇うために予算を使う」「人口の多い街は警察官も犯罪も多い」といった因果関係があるからです。

  • Thumbnail

    記事

    消費増税廃止、マハティールにできて安倍首相にできない道理はない

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) マレーシアでマハティール政権が誕生したことは、英国からの独立後初めてとなる政権交代を実現させたこと以外に、二つの驚きをもたらした。一つは、マハティール氏が92歳の高齢にも関わらず、15年ぶりに首相の座につき意欲的な政治姿勢を鮮明にしたことである。特に中国の「一帯一路」政策について、厳しく批判している。 このマハティール氏の姿勢は正しい。中国の「国際的なインフラ事業」を偽装した、中国本位の安全保障対策に付き合うとロクなことにはならないだろう。そもそも、インフラ投資を名目にした「中華的帝国主義」の実体化である。付言すれば、この「一帯一路」政策をいかに骨抜きにし、無害化するかが今後、国際社会の求められる姿の一つだろう。 さらに、もう一つの驚きは、経済の安定化策として、「消費税」の廃止を公約にして、それを実行に移すことである。最近のマレーシアは、経済成長率が低下していて、その主因が消費の減少に求められていた。「元凶」は、ナジブ前政権が2015年に導入した物品サービス税(消費税)である。マハティール氏は、6月1日に税率を0%にすることで事実上廃止し、早速公約を実現したのである。 マレーシア経済も最近、発展が目覚ましいとはいえ、まだ発展途上国である。いわば所得格差も大きい。そのため、低所得層に負担の大きい消費税の導入には、国民世論的にも批判が高まっていた。特に、マハティール氏がかつて主導していた政策は、外資の積極的な導入による経済成長の促進策と、再分配政策の両輪を追求するものだった。これに対して、ナジブ前政権の消費増税政策は、過度に財政再建に傾きすぎていたと評価することができる。 これらのマハティール新政権の基本方針は、実は今の日本でも非常に参考になるはずだ。アジアインフラ投資銀行(AIIB)を中核とした中国の「一帯一路」政策は、巨大化しているようだが、かなり粉飾されているように見える。実際に、AIIBによるインフラ中心の投資額は、日本が主導するアジア開発銀行(ADB)の融資額に比べてまだまだ劣る。 だが、他方で最近、欧州の政策担当者たちから指摘されているように、AIIBのガバナンス(組織統治)が中国本位であるという批判は正当なものだろう。既にADBとAIIBは協調融資を実施している。2018年5月、マレーシア下院選勝利を受け、記者会見するマハティール元首相=クアラルンプール それでも、日本の政策当局者は「一帯一路」、そしてその手段の一つであるAIIBによる中国本位の融資の動きを常に監視し、警戒していく責務があると思う。また、それがアジアや中東などのインフラ需要を、中国本位ではない、それぞれの国民にとっての生活本位として満たすことにつながるだろう。 特に、ただ単に巨額の融資額に目がくらむようではダメだ。インフラ投資は、きちんと行えば経済成長に寄与し、国民の福祉を向上させる。だが、インフラ投資は投資先の国や地域の権力と結託することで、汚職の温床になったり、非効率的な投資につながることで、かえって経済成長を阻害することがある。 中国の政策当事者たちに、各国本位に立った政策構築を求めることは、度のすぎたジョークに等しいだろう。その意味でも、マハティール政権が中国資本による高速鉄道計画の見直しを表明していることは、国民本位のインフラ整備なのかどうかを再考するいい機会ではないだろうか。対案よりも「消費税廃止」 さらにマハティール政権の政策で注目すべきなのは、消費税の廃止である。今後の日本経済における最大の不安定要因は、2019年10月に予定されている消費増税である。現状の経済政策をざっとみれば、金融政策は緩和を継続する一方で、財政政策は積極的とはいえない状況である。今の国際情勢や経済情勢が運よくこのまま継続すれば、来年前半にはインフレ目標2%台に何とか到達し、そのときに雇用も最大化しているだろう。 しかし、情勢が運よくこのまま継続する保証などみじんもない。要するに、「2%台」も「雇用の最大化」もバカげた予測にすぎないのである。だからこそ、実際に経済が安定化するには、最大の国内障害である消費増税を凍結するか、もしくは廃止するのが理想的である。 そもそも現状の消費税のあり方についても、筆者は反対である。ただし今回は、来年の消費増税のみに議論を絞りたい。最近、財務省の宣伝工作と思われるが、新聞などで消費増税による悪影響への対案が報じられている。 このような悪影響がはっきりしているのであれば、対案を出すよりも、まず消費増税をやめることが第一である。ところが、財務官僚とそのパートナーである「増税政治家」と「増税マスコミ」には、そんな常識は通用しない。彼らにとっては「増税ありき」であり、理由などもはやどうでもいいのだ。 経済が安定化しつつある現状でさえ、税収の増加が顕著である。それをさらに軌道に乗せ、税収も安定すれば、財政再建の必要条件が満たされるだろう。だが、増税政治家と財務省にとってはそんな理屈はどうでもいいのだろう。消費税を上げるのは偏狂的な政治的姿勢が生み出した妄執であろう。そんな妄執は、国民にとって「経済災害」以外のなにものでもない。 与党だけではなく、対抗勢力である枝野幸男代表率いる立憲民主党、支持率が1%にも満たない国民民主党などの野党も含め、国会議員の大半がこの「消費増税病」にかかっている。ちなみに、日本共産党は消費増税に反対だが、経済回復の大前提である金融緩和に否定的なのでお話にならない。このように、国会議員ほぼ全員が消費増税病という事態は、本当に日本の深刻な危機である。2018年5月、立憲民主党の枝野幸男代表(右手前から4人目)ら幹部にあいさつする国民民主党の(左手前から)玉木雄一郎、大塚耕平両共同代表 最近、自民党のLINEを使ったアンケート結果を見たが、そこには経済対策を求める声が大きい。だが、その対策に消費増税が入っているとは思えない。ということは、自民党議員の多くは支持者を裏切るスタンスを採用しているともいえる。 そのような支持者たちを裏切る政治的背反はやめたほうがいい。そして何よりも、経済が安定化していない段階での消費増税は過去の失敗を見てもわかるように、いいかげん放棄すべき愚策である。 それを理解できない議員を政治的に排除していくことこそ、国民が選挙などで求められる視線かもしれない。その意味では、マレーシアのように、消費増税廃止を公約に掲げて国政選挙を行ってもいいぐらいだろう。 現状では、安倍晋三首相もこの消費増税路線を堅持している。首相の本音がどこにあるのかはわからない。過去2回延期したという貢献があるにせよ、今のところ消費増税路線を維持している限り、安倍政権もまた批判を免れることはできない。安倍政権には経済を安定化させる義務がある。それが対中安全保障を含め、この長期政権に今までも求められてきた最重要課題だからである。

  • Thumbnail

    記事

    現金大国ニッポンが「一万円札を廃止」したらどうなるか

    加谷珪一(経済評論家) 量的緩和策の導入から5年が経過したが、残念ながら十分な効果を発揮したとはいえない状況が続いている。一部ではこうした現状を打開するため、高額紙幣を廃止するという、いわゆる「1万円札廃止論」がささやかれている。では、1万円札を廃止することにどのような意味があるのか、そしてこの施策が量的緩和策の効果を増大させることができるのかについて考えてみたい。 量的緩和策は、日銀が積極的に国債などの資産を購入することで大量のマネーを供給し、市場にインフレ期待を発生させる施策である。インフレ期待が生じると実質金利が低下するので、企業の設備投資が促進され、これが経済成長を促すというメカニズムである。 量的緩和策がスタートした当初は、消費者物価指数がすぐにプラスに転じるなど、順調に物価が上昇するかに見えた。ところが消費税が8%に増税された直後から物価上昇率の鈍化が始まり、2015年2月には0%まで低下。16年7月にはマイナス0・5%にまで落ち込んだ。  日銀は量的緩和策を補完する目的で、16年1月にマイナス金利政策を導入したが、タンス預金が増えるなど完全に逆効果となってしまった。日銀はその後、「イールドカーブ・コントロール」という聞き慣れない手法の導入に踏み切り、マネー供給の量を追い求める政策は事実上、撤回した状態にある。 日銀はこれ以上前にも進めず、かといって明示的に量的緩和策を縮小することもできないという、非常に難しい立場に置かれている。このような中、専門家の一部でささやかれているのが1万円札廃止論である。 量的緩和策は本来、市場にインフレを発生させることを目的としている。インフレになった場合、現金を持っている人は損失を抱えてしまう。中央銀行がインフレを起こそうとしていると知れば、消費者はお金をモノに替えようとするはずである。つまりタンス預金というのは、インフレ政策の下ではまったく非合理的な行動ということになる。 だが、現実には多くの日本人が、マイナス金利政策の導入と同時にタンス預金を増やすという、全く逆の行動に出ている。タンス預金をした人の多くは、量的緩和策のメカニズムを理解していないものと思われるが、何よりも不安心理が先に立ち、これが現金保有を加速させた可能性が高い。2018年3月、金融政策決定会合に臨む日銀の黒田総裁 こうした状況から専門家の一部は、高額紙幣を廃止してしまえばタンス預金が減少し、市場にもっとお金が出回るのではないかと考えている。これが1万円札廃止論である。 確かに1万円札を廃止すればタンス預金は難しくなるので、現在、タンスに眠っているお金の一部は市場に出てくるかもしれない。だが高額紙幣の廃止が紙幣流通の拡大につながるのかは微妙なところだ。 そもそも日本の場合、先進諸外国と比較して現金の流通高が突出して高いという特徴がある。2016年末における日本国内の紙幣と硬貨の流通総額は約100兆円となっており、この金額は国内総生産(GDP)の2割近くに達する。タンス預金は消費低迷の「結果」 米国や欧州では7~10%程度の水準が標準的で、現金はあまり流通していない。しかも米ドルとユーロを現金で持っているのは、何らかの理由で資産を保全したいと考える外国人であることが多く、自国民はほとんど現金を持っていないというのが実情である。 つまり日本の場合、手元に大量の現金が存在するにもかかわらず消費が停滞しているという状況であり、タンス預金は消費低迷の結果として生じた現象にすぎない。したがって、ここで高額紙幣を廃止したとしても、すぐに景気の浮揚効果が生じる可能性は低いと考えられる。 ただ、日本の場合、現金決済の存在が社会全体の生産性を引き下げている可能性があり、高額紙幣の廃止をきっかけに電子決済への移行が進めば、経済にとってプラスの効果が生じる可能性はある。 先にも述べたように日本は先進国では突出した現金大国であり、現金流通を維持するためのコストがバカにならない状況となっている。もっとも大きいのは、現金自動預払機(ATM)網の維持コストと、店舗で働く労働者の負担である。 現在、国内では20万台ものATMが稼働しており、これが社会の現金決済を支えているが、金融機関が負担するコストは年間2兆円に達するといわれる。このコストは手数料などの形で消費者が負担しており、実は家計に見えない形で負担をかけている。 昨年末、メガバンク各行が大規模なリストラ計画を打ち出して話題となったが、その中には、実は店舗とATM網の縮小が盛り込まれている。銀行がこの負担に耐えきれなくなりつつあるのだ。 また、店舗における労働者の負荷も限界に達しつつある。飲食や小売りの業界では、深刻な人手不足から、できるだけ少人数で業務を回せるよう日々工夫を重ねているが、その大きな障壁となっているのが現金のやり取りである。店舗では現金を切らさぬよう、常に大量の現金を管理しており、これが従業員の生産性を大きく引き下げている。大阪市内の遺品整理で、タンスから見つかった一万円札の札束(エクシア提供) 昨年11月にファミリーレストランを展開するロイヤルが「現金お断り」の店舗を試験導入したが、その理由は従業員の負担を軽減するためである。  欧米各国や中国はすでにほぼ完全なキャッシュレス社会に移行しており、街中で現金を見かけるケースは極端に減った。日本でも電子マネーによる決済が増えれば、サービス業の生産性が向上し、その分の労働力を別なサービスの開発などに充当することができる。 1万円札の廃止は、タンス預金対策や金融政策的な景気浮揚策としてではなく、日本全体の生産性向上策と考えれば、検討に値するかもしれない。 日本はこれから空前の人手不足社会となり、従来の常識では社会システムが回らなくなる。現金と電子マネーのどちらが好きかといった牧歌的な議論ができる段階はすでに過ぎ去ったと考えるべきだろう。

  • Thumbnail

    テーマ

    「一万円札廃止論」のウラ側

    日本の一万円札は本当に必要なのか。こんな議論がにわかにささやかれている。表向きはタンス預金解消や電子決済の普及、マイナス金利政策との相乗効果などと言われるが、むろん高額紙幣廃止にはデメリットもある。いや、そもそも現金至上主義の日本人に受け入れられるのか。議論のウラ側を読む。

  • Thumbnail

    記事

    「一万円札廃止論」に隠された安倍政権のどす黒い意図

    なくなると金利正常化でタンス預金はなくなる。高額紙幣廃止論はタンス預金が問題ではなく、あくまで財政・金融・経済が問題なのである。

  • Thumbnail

    記事

    一万円札より硬貨廃止が先、世界の潮流「キャッシュレス経済」の衝撃

    小黒一正(法政大経済学部教授) 4月3日の衆院財務金融委員会で、日本銀行の宮野谷篤理事の発言がインターネット上で話題となっている。それは、日本維新の会の杉本和巳議員が高額紙幣廃止の必要性を質問したことに対して、宮野谷理事が「わが国における高額紙幣廃止の議論については、現時点で慎重に考える必要がある」などと答弁したのである。 「現時点で慎重に考える必要」とは、官僚答弁で「当分の間、廃止する予定はない」という否定的な側面を持つものだ。しかし、その発言に対して、ネット上では賛否両論で盛り上がっている。 否定的な側面を持つ証拠としては、宮野谷理事が、この答弁で「(高額紙幣である1万円札は)日本の現金流通システムにおいて非常に重要な役割を果たしている」と指摘したことからもうかがい知れる。また「諸外国の高額紙幣に比べると、1万円という額面金額はそれほど大きくない」という発言も行っている。 日銀が現在発行している発行銀行券には、1万円札、5千円札、2千円札、千円札がある。確かに、このうち1万円札の発行枚数は全紙幣の約6割、発行残高の約9割を占めている。 また、世界には、スイスの1000フラン紙幣、カナダの1000ドル紙幣、スウェーデンの1000クローナ紙幣、サウジアラビアの500リヤル紙幣といった高額紙幣もあり、日本の1万円札が突出して高くないという発言も正しい。 ただ、以前「iRONNA」でも指摘したように、情報通信技術(ICT)革命の次に起こるのは「データ産業革命」である。この「本丸」が金融、中でもデジタル通貨であるという認識が世界で広まる中、現金決済中心の経済では今後のグローバル競争に日本が敗北してしまう可能性も否定できない。 データ産業革命の本丸である「キャッシュレス経済」に向けて、スウェーデン、エストニア、インド、ベネズエラ、トルコ、ロシアなどのほか、中国もデジタル通貨の発行を検討しているとの噂もある。 また、企業レベルの動きだが、デジタル通貨の可能性に最も早く気づき、既に動き出している企業の一つが、中国の電子商取引最大手、アリババであろう。アリババが展開する電子決済サービス「支付宝(アリペイ)」の利用者は既に5億人を突破した。2013年が約1億人であったから、急成長を遂げている。(iStock) アリペイは「微信支付(ウィーチャットペイ)」や「騰訊控股(テンセント)」などの電子決済サービスとの激しい競争を繰り広げつつ、日々の取引で蓄積される膨大な決済のビッグデータを武器に利用して、融資や信用評価といった新たな事業領域にも進出し始めている。 融資は、決済データとリンクする個人の信用力に関する評価を利用している。その中核を担うのは「芝麻信用(セサミ・クレジット)」と呼ばれる信用評価システムだ。評価は毎月1回更新され、支払期日をしっかり守る高評価の利用者は融資の際に金利優遇や与信枠の拡大などの特典が受けられる。紙幣とデジタル通貨の決定的な「差」 この評価は、利用者がいつでも確認可能であり、ホテル利用時の保証金が不要になるケースもある。また、評価基準には学歴や職歴、交友関係なども設けられ、利用者がアリババに自らの個人情報を提供することで高い評価を得ることもできる。 そして、アリババは、この信用評価や蓄積する膨大な電子決済のビッグデータを利用して、人工知能(AI)の予測モデルで資金回収の不確実性などを判断し、融資を行う。なお、融資判断を行うのはAIの予測モデルであるため、融資業務の担当者は不要だ。しかも、利用者が融資申請に掛かる時間は3分、AI融資に至っては1秒という速さである。 以上から明らかなように、もし国家主導でデジタル通貨を導入することができれば、そのインパクトははるかに大きいことが予想できる。 ただ、デジタル通貨の導入にあたって、最も大きな問題となるのはプライバシー保護である。紙幣のすごい点は「紙」であるために、「誰が何を買ったか」、あるいは「誰が紙幣をどのくらい保有しているか」といった情報について、政府を含めて第三者が把握しにくいということである。このため、消費者は安心して買い物ができるし、人々や企業も安心して現金を保有できる。 この解決のために、何かいいアイデアはないだろうか。ブロックチェーン(分散型台帳)技術を利用する仮想通貨の中には、取引を行ったときにデータをシャッフルすることなどにより、仮想通貨の受け取り側と受け渡し側を匿名で行うことができるものも存在する。 そこで、これは筆者のアイデアであるが、日銀が発行するデジタル通貨にもこの技術を適用したらどうか。50万円未満など一定以下の金額の取引で、10%程度の追加手数料を支払えば、この技術を利用して匿名での取引を選択できるようにするのである。 取引を完全に透明化すると、息苦しい社会になってしまう。だから、取引全ての透明化が必ずしも「善」だとは限らない。そこで、一定のコストを支払うことで匿名化を許容し、追加手数料は国の収入とするのである。 ここで気をつけなければならないのは、デジタル通貨の受け取り側は「売り手(企業)」が多いことから、受領側のプライバシー保護をあまり気にする必要はないことである。だから、デジタル通貨を受け取った側のデータは蓄積しても、デジタル通貨を渡した側のデータを蓄積しないようにする対策も考えられる。(iStock) なお、クレジットや小切手による決済が主流の欧米と異なり、日本で現金決済が多いのは、日本の治安が極めて良い、という側面も忘れてはならない。このような状況の中では、高額紙幣である1万円札を廃止しようとしても、国民があまり利便性を感じないかもしれない。むしろ、このデジタル時代において、1円や5円、50円、100円、500円といった硬貨の持ち運びの方が財布もかさばり、面倒だと考えている国民も多いのではないか。 また、日銀が異次元の金融緩和を行う中で、デジタル通貨の導入が金融政策や金融セクターに及ぼす影響についても、一定の実験を行いつつ、十分に検討する必要がある。このため、デジタル通貨の導入にあたっては、高額紙幣である1万円札の廃止ではなく、まずは硬貨の廃止から議論や実験を進めることをおすすめしたい。

  • Thumbnail

    記事

    イオンはキャッシュレス化邁進 レジ現金引き出しサービスも

     今年のゴールデンウイークは日並びも良く、有給休暇をうまく使えば9連休かそれ以上、という方もいるだろう。行楽地や商業施設、飲食店が潤う時期だが、混雑の大きな原因にもなっているのが“レジ待ち”だ。海外に比べると、日本はまだまだキャッシュレス社会とはほど遠いのが実情で、いまだ「現金以外はお断り」といった飲食店も少なくない。 そんな中、去る4月16日にイオンがビザ・ワールドワイド・ジャパン(以下Visa)とタッグを組み、国際標準規格の非接触決済(以下タッチ決済。サインも暗証番号も不要)導入を発表した。 Visaの安渕聖司社長によると「日本では5000円以下の決済市場は100兆円規模だが、いまだ91%が現金支払い」で、この部分でのキャッシュレス化を推し進めたいという。 後払いのクレジットカード、今払いのデビットカード、電子マネーなど先払いのプリペイドカードがあるが、クレジットカードは比較的高額の商品を、デビットカードでは3000円から5000円ぐらいの買い物、1000円以下の商品は電子マネーで、といった使い分けが消費者の間では一般的だが、今回のタッチ決済はそのすべてで使えるサービスだ。 前述したように、日本では現金社会から脱していないのが現状だが、そうした実情に照らすと、イオンやイオンモールでの消費者の買い物は7割がキャッシュレスというから、意外に進んでいる印象で、「7割の内訳は4割がイオンカード、3割が(イオン系電子マネーの)WAON」(岡崎双一・イオンリテール社長)だと言う。 キャッシュレス化が進めば、消費者側から見ればレジの混雑というストレス緩和につながり、企業側もレジ関連の人件費削減につながっていくわけだが、今回のタッチ決済導入について、岡崎氏はこう続けた。「2019年3月より順次導入し、1年後の2020年3月末までに整備して、イオングループのレジ10万台にVisaタッチ決済を導入していきます。また、今年9月からVisaマークの付いたイオンカードをお持ちの方は、タッチ決済用のカードに順次切り替えていく。 今後はスマホでも決済できるよう、スマホアプリの搭載も今年度中にはできるように取り組みたい。ただ、タッチ決済用のカードならお買い物で何%かオフにするとかまでは、まだ考えていません」(iStock) 要は今後2年かけて新カードへの移行を促進し、訪日外国人数がピークを迎えるであろう、2年後の東京五輪に間に合わせたいというわけだ。 ちなみに、イオンのライバルであるセブン&アイ・ホールディングスでも今夏にはグループ横断のスマホアプリをリリースし、来春にはセブン銀行が主導する形の決済アプリと紐付ける計画だ。2019年春以降、決済シーンでもセブンvsイオンの対決は新たなステージに入る(イオンのWAONとセブンの電子マネーnanacoも同じ2007年にサービスを開始している)。 また、岡崎氏はスピーチの冒頭、「おかげさまでイオングループの営業収益(=売上高と同義)は2018年2月期、8兆3900億円と過去最高を更新し、日本の小売業でナンバーワンです」と語っていたが、この売り上げスケールを武器に、タッチ決済導入では他の大手小売業より導入コストも有利にはなるだろう。“二刀流”企業が増えそうな理由 岡崎氏は、タッチ決済導入による効率化についても、次のように言及していた。「我々にとって現金の準備が減ります。これまでは、釣り銭用として、レジには相当な額のお金を充当してきましたから。大きなお店でレジの数が多いところならなおさらです」 タッチ決済の導入により、あらかじめレジに置いておく硬貨や紙幣の現金が少なくて済むようになるというわけだが、一方でイオンでは去る4月2日から、キャッシュレス化とは逆行する、あるいはレジの現金を減らすこととは真逆のサービスもスタートさせている。 キャッシュアウトと呼ばれる、欧米では日常風景になっているサービスで、要はレジでデビットカードを渡し、5000円とか1万円の現金をレジで出してもらい、その出金した金額分を、デビットカードの残高から即時に引き落とすというもの。再び岡崎氏の弁。「キャッシュアウトの需要はあるんですよ。このサービスを始めてからまだ日が浅いですが、ご利用データを見ると、そんなにびっくりするほどキャッシュアウトのご利用は多くはありませんが、確実に需要はある。無理やりキャッシュレス一辺倒に、という時代ではまだないと思います。 逆に、現金でお支払いする方々を我々のほうから敬遠してしまうと(売り上げにも)すごく影響が出てしまうので、強制的に全部、キャッシュレスの時代だから、全部そっちでやっていきますよというのはちょっと強引かと。 いまだ、銀行に振り込まれた給与から生活費分を引き出して封筒に入れ、そこから一万円札や千円札の1枚1枚を大事に使って生活していかれる方もいらっしゃいますから。もちろん、我々の努力でキャッシュレスのほうに誘導していくことでウチも効率的な店舗運営ができますので、早くそちらのほうに行けばいいなとは思いますし、キャッシュレス化の後押しはどんどんしていこうと考えています」イオンモール京都(iStock) イオンは、同業他社に比べて地方や郊外に店舗を持つ比率が高い。地方や郊外では当然、大都市部に比べると商業施設の密度が落ち、住民の高齢化も進んでいることが多く、そうなるとキャッシュアウトのようなサービスは必要というわけだ。レジでの混雑緩和には逆行して手間暇もかかるものの、イオンでは当面、レジで現金を引き出すサービスに手数料を課すことはないという。 最近はマイナス金利の余波で収益が厳しくなった銀行も増えており、コンビニ等にあるATMから現金を引き出す場合、引き出し手数料の無料回数を減らしている銀行が増えている。そういう意味では、イオンのレジでの現金引き出しが現状のまま無料なら、確かに今後も需要はありそうだ。 しかもサービスカウンター内のレジに限定し、通常のレジでは現金引き出しサービスは行っていない。また現金払いオンリーの人に比べ、レジでの引き出しにはデビットカードが必須であることから、結果的にデビットカード利用へ誘導していく機会にもなるとする向きもある。 そう考えれば、イオンを皮切りにキャッシュレス化とレジでのキャッシュアウトという“二刀流”の実施企業がこれから増えていきそうで、キャッシュレスに慣れた若年層はともかく、シニア層以上にはまだまだ二刀流が効きそうだ。●文/河野圭祐(ジャーナリスト)関連記事■ イオンのアジア出店加速 海外でも「イオニスト」増やす戦略■ イオン 郊外モールはイオニストで盛況なのに業績不振の理由■ イオンはアウトレットでも「新イオニスト」を生み出せるのか■ イオンで一日過ごす「イオニスト」増殖で消費の定石変わった■ クレジットカード ポイント還元で生涯600万円得することも

  • Thumbnail

    記事

    中国でキャッシュレス化が爆発的に進んだワケ

    高口康太 (ライター・翻訳家) 最近、中国のキャッシュレス社会化が話題となっている。・中国人の眼に映る今の日本は「20世紀」のままだった…|現代ビジネス(2017年6月13日)・中国「超キャッシュレス社会」の衝撃、日本はもはや追う側だ|ダイヤモンド・オンライン(2017年7月10日)・スマホ大国・中国、日本のはるか先を行くワケ|読売新聞(2017年8月16日) 中国の先進的なキャッシュレス社会、スマートフォン活用に驚き、日本社会に警鐘を鳴らす報道も少なくない。メディアだけではない。実際に中国を訪問した人の多くがその利便性に衝撃を受けている。 一方で中国を訪問したことがない人からは、報道を見てもぴんと来ないという声を聞く。「Suicaやおサイフケータイとは何が違うのか?」「QRコードだと何がそんなに便利なのか?」「スマートフォンのバッテリーが切れたら支払いができなくなるのって不便じゃないの?」「現金と比べて何が便利なの?小銭が不要になるから?」「中国は偽札が多いからモバイル決済が流行ったそうだけど、日本はそんな心配はないから不要なのでは?」などなど、根本的な疑問を聞かれることが多い。 中国のキャッシュレス革命を褒めたたえる記事はあっても、こうした根本的な疑問に答えたものは少ないように思う。そこで本稿では今、中国で何が起きつつあるのか、その全体像をお伝えしたい。 「一口にモバイル決済と言っても、中国と日本では状況が異なります。中国ではパソコンが先進国ほど普及しませんでした。いわばパソコンとインターネットの時代を跳び越えて、スマートフォンとモバイルインターネットの時代が到来したのです。日本ではパソコン向けのサービスがいろいろあるでしょうが、中国ではすべてがスマートフォンに集中している状況です」 筆者は7月、中国IT大手アリババ集団の関連会社で、モバイル決済アプリ「支付宝(アリペイ)」を展開するアントフィナンシャル(浙江省杭州市)を訪問した。上記の説明は同社広報担当である楊昕韻さんの発言だ。2017年7月10日、第2回世界女性創業者大会に登場したアリババの創業者ジャック・マー(馬雲)氏 最初に用語について説明しておこう。キャッシュレスとはクレジットカードや電子マネーを含む、現金以外の手法による決済を指す。一方、モバイル決済とはスマートフォンを使った決済を意味する。近年、中国で急成長を遂げているのはモバイル決済だ。モバイル決済は便利なスマホ利用の入り口 2012年以後、中国では爆発的にスマートフォンが普及した。モバイルインターネットユーザーは今年6月末の時点で7億2400万人に達している(『第40回中国インターネット発展状況統計報告』、2017年7月)。 モバイルインターネットの成長に伴い、すべてのサービスがスマホファーストを目指すようになった。日本では専用スマホアプリがないネットサービスも多いが、中国ではまずスマホアプリが第一だ。その結果としてスマートフォンの利便性は他国にないほどのレベルに達している。 モバイルインターネット活用のハード的インフラがスマートフォンならば、モバイル決済はソフト的インフラである。モバイル決済を利用することで、さまざまなサービスを平易に利用することができるわけだ。 各種アプリを利用するたびに信頼できる会社なのかと不安に思いながらクレジットカード番号を打ち込む日本とは手間が違う。モバイル決済は便利なスマホ利用の入り口だ。これが「日本と比べて何が便利なのか?」との問いの回答となる。 モバイルインターネットで便利になったジャンルは無数にあるが、我々外国人旅行者にとってもっとも印象的なのは鉄道切符の購入ではないか。かつては鉄道切符を買うのにも半日がかりだった中国だが、今では数分間、スマホを操作するだけで予約から決済まで終了してしまう。さらに先日から駅弁のスマホ予約も始まるなど、サービスは充実する一方だ。 中国ではなぜパソコンの時代をスキップして、モバイルインターネットの時代が到来したのか。 リープフロッグ(カエル跳び)という言葉がある。アフリカで固定電話が普及する前に携帯電話が普及したという事例が代表的だが、先進国の技術導入ステップと比較して一足飛びに新たな技術が導入される現象を意味する。中国においてはパソコン=インターネット時代が成熟する前にスマートフォン=モバイルインターネット時代が到来したというわけだ。杭州地下鉄の切符販売機 ちなみに中国のモバイル決済(携帯電話端末を用いた決済)利用者数は5億185万人。13億7900万人の国民のうち、38%が使っている計算となる(2017年6月時点、『CNNIC報告書』を参照)。日本や米国など先進国をはるかに上回っているが、ケニアでは全国民の70%超とさらに高い数字を示している(報告書『2017智慧生活指数報告』を参照)。 中国国内でもむしろ経済的に遅れた地域のほうがモバイルインターネットの成長率が高いという。 「中国でもモバイル決済の成長率が最も高いのはチベットです。パソコンの普及率がきわめて低かったので。スマートフォンならば様々な価格帯がありますし、すべてのサービスが集中するようになって利便性は大きく高まっています。中国のモバイル決済は現金を使わなくなったという意味ではなく、日常生活に伴うすべてがスマートフォンに集中することで、生活が便利になる、日常生活に伴うコストが下がることを意味しています」と楊さんは言う。中国でモバイル決済が普及した背景 モバイルインターネットの入り口として普及したモバイル決済だが、2014年からオフラインでの利用、すなわち店舗での決済が始まった。それからわずか3年で大都市では現金を持ち歩かなくとも生活できるレベルにまで普及している。 この爆発的な普及の背景について、楊さんは次のように説明する。 「中国の若者は新しいサービスを受け入れる能力がきわめて高かったのです。オフラインでのモバイル決済はちょうどスマートフォンの普及と同じタイミングだったので取り入れやすかったという側面もあります。中国だけではなく、インドもスマートフォンの普及期にQR決済が普及したので、爆発的な成長を見せました。アントフィナンシャルが提携するPaytmはすでに500万の加盟店を擁しています。一方で先進国ほど新しいQR決済の受け入れは難しいというのが実感です」 上述のリープフロッグ現象に加えタイミングがよかったとの分析だが、私見を付け加えるならば、莫大なマーケティング費用が投下されたことも大きい。「アリペイ払いで代金をキャッシュバック」といったキャンペーンが大々的に展開されたのだ。今年8月1日から8日まで行われた「無現金週間」のキャンペーンでは、毎日88万人に抽選で純金がプレゼントされた。 また決済手数料の安さも拡大の要因だ。代理店経由の契約では業種ごとに違うものの平均で0.6%未満だ。小店舗や屋台などで使われるユーザースキャン型では、決済手数料は無料である。(銀行口座振り込み時に0.1%の手数料)。 上述したとおり、日本では「中国は偽札が多いからモバイル決済が流行った」との説が広がっているようだ。偽札リスクがないのはもちろんメリットだが、それ以上に利便性の高さが普及を牽引したことをおわかりいただけただろうか。 ここまでモバイルインターネット、モバイル決済がなぜ爆発的に普及したのか、利用者にはどのような利便性があるのかを見てきた。では運営会社にとっては莫大なマーケティング費用を投じた価値はどこにあるのだろうか。杭州市のレストランにある音声式アリペイ決済機能を備えたレジ その答えは『ビッグデータ」にある。もはやバズワードとして聞き飽きた感のあるビッグデータだが、中国IT業界ではスマートフォンを通じて収集された大量のデータによって次々と革新的サービスが生み出されつつある。次回はその実情をリポートする。(※写真はすべて筆者撮影)たかぐち・こうた ライター・翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。中国・南開大学に留学後、ライター、翻訳者として活動。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか 人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。

  • Thumbnail

    記事

    タンス預金が増加、盗難リスクにはどう備えるべきなのか

     各種統計により「自宅に置かれる現金」の急増が明らかになってきた。第一生命経済研究所の推計によると、総額約43兆円にのぼるという。それに伴い、金庫も昨今よく売れているという。ただし、自宅に大金を置くことにはリスクもある。盗難リスクにはどう備えるべきなのか。安全生活アドバイザーの佐伯幸子氏はこういう。「現金や貴重品を入れる金庫は常時カギをかけるのが当たり前ですが、家そのものについても同じ発想をしてほしい。たとえば風呂場の窓は格子があるから大丈夫だろう、と換気のために開け放す家が少なくありませんが、格子のビスを外せば簡単に入られてしまいます。侵入を許すような住まいでは頑丈な金庫も意味は半減します」 佐伯氏は金庫の隠し場所を一生懸命考えることよりも、自宅の施錠を徹底することを優先すべきだと強調する。さらに「情報を漏らさない」ことも重要だと付け加える。「2009年に東京都板橋区で資産家の夫婦が自宅で強盗に遭い、放火・殺害されるという事件が起きました。地元で有名な資産家だったといいます。“あの家には多額のお金がある”という情報、噂が広がることが一番のリスクです。 たとえば近所のファミレスやコーヒーショップなどで何気なく世間話をする中で、『金利が低いから、全部家に置いてあるのよ』などと話すのは御法度。たとえ周りにいる人が信頼できる人でも、情報がどこをどう巡って悪意のある人にたどり着くかはわかりません。現金を家にどのくらい置いてあるかは、外では絶対に口にしないことです」 災害リスクもある。地震や水害、火災などに遭った際、家に置いていた現金はどうなるのか。金庫メーカー大手の日本アイ・エス・ケイの広報担当者はこういう。「お客様が耐火金庫を求める理由の一つとして、東日本大震災があります。当時、津波で流されてしまった耐火金庫5700個が持ち主の手元に返ってきて、戻ってきた金額は総計22億円にのぼったという報道がありました」(iStock) それらのケースでは、現金以外に通帳や印鑑などが中に入っていたため、持ち主の特定につながったという。 まとまったお金は銀行に預けるのが当たり前──そんな常識は壊れつつある。政府も銀行も信用せず、「自分のお金は自分で守る」という決意を持った国民は、確実に増えている。関連記事■ ゼロ金利で注目 正しい「タンス預金」の方法■ 「タンス預金用」に売れる金庫 本当に買う意味はあるのか■ 金庫バカ売れ 富裕層が定期預金を解約・減額しタンス預金に■ 富裕層のタンス預金増加、銀行に預けるデメリットとは?■ 上原さくら 別居中の夫が自室侵入したと判断し110番通報

  • Thumbnail

    記事

    「ウナギが食べられない」歴史的不漁より影響が大きい噂の経済効果

    田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授) ゴールデンウイークの始まりとともに、今年のシラスウナギの採捕期間が終わる。ニホンウナギの稚魚であるシラスウナギは、12月から翌年4月末までが漁期である。この期間中、シラスウナギの劇的な減少が話題になった。 昨年末、国内の養殖池で育てるために主要取引先の香港から輸入されたシラスウナギの量が、前年同時期の92%減となった。この歴史的な不漁が明らかになり、インターネット上でも「ウナギが食べられなくなる」「ウナギを食べるのをやめよう」といった発言が活発化した。 その後、3月に入って採捕量が増加し、シラスウナギを養殖池に放流する「池入れ」の量は回復していったようだ。それでも、報道によれば、平年の6割程度の池入れ状況だという。 シラスウナギの不漁の原因にはさまざまな理由があり、海流の変化、乱獲、環境の悪化などが挙げられている。だが、回復への決定打はないようで、わかっているのは、シラスウナギの採捕量が毎年減少傾向にあるということだけである。 ところで、「土用の丑(うし)の日」にウナギを食べるというのはいつから始まったのだろうか。記憶が曖昧でなければ、筆者の子供のころである昭和30年代から40年代は、あまり一般的な風習でもなければ、巷で広まってもいなかったように思える。バレンタインデーや恵方巻きがいつの間にか季節の風物詩になったのと同じように、業界の思惑が見え隠れしている。 いずれにせよ、通説では江戸時代後期に、平賀源内が夏の売り上げ不振に悩む鰻(うなぎ)屋のために、「土用の丑の日」にウナギを食べることを宣伝文句として考え出したといわれる。これも真偽については諸説あるようだ。ウナギの稚魚シラスウナギ(第11管区海上保安本部提供) ただ、PR戦術としては、かなりうまい工夫だと思う。最近でこそ、「今日は××の日」などと記念日が連日あるように、特定の財やサービスの消費を促す仕組みには困らない。それどころか、同じ日にいろいろな名目の記念日が並ぶことさえも珍しくない。 例えば、7月7日は、ラッキーナンバーの「7」が並ぶせいか、記念日の「猛ラッシュ」である。七夕はもちろん、国土交通省が便乗した「川の日」、ポニーテールの日、乾麺デー、サマーバレンタインデー、冷やし中華の日、カルピスの日、ゆかたの日、果てはギフトの日まで、軽く2桁に届いてしまう。「ウナギ好き」を後押しした相乗効果 多くは関連業界の販促目的であり、いわば「現代の平賀源内」が活躍した成果でもある。ちなみに筆者の誕生日の9月7日は、オーストラリアでは「絶滅危惧種の日」だそうだ。 このように「今日は××の日だから」××を食べよう、着よう、買おうと促されると、ついつい財布のひもが緩んだりする消費者も少なくないだろう。これを経済学では「フレーミング効果」と名付けている。フレームとは「参照される枠組み」ということであり、つまり、何かにかこつけることができる人は不合理な行動に出てしまうというものである。 例えば、フェイスブックに「友達」というカテゴリーがある。私もこの「友達」に何人ものユーザーを登録している。そしてフェイスブックでは「友達」だけが、自分の書いた投稿を閲覧できる、公開範囲の設定機能がついている。つまり、「友達」というフェイスブック内のフレームが、ユーザーに一種の安心感を与えているのである。そのため、「友達」向けに書く内容は、一般に公開される投稿よりもプライベートな情報が多くなりやすい。 でも、その「友達」が本当にプライベートな情報について他に漏らさないことを、フェイスブックはもちろんのこと、誰も保証してはくれない。そのため、重要な情報が「友達」の外に漏れてしまい、ネットで炎上するなど思わぬ損害を招く可能性がある。 このように、フレーミングには人に合理的な判断を不可能にさせる心理的な効果がある。もちろん「友達」のフレームを信じて、「友達」同士がより親しくなり、信頼関係を強化していく効果もある。フレーミングは、非合理性が人の不幸にも幸福にも貢献することを示しているともいえるだろう。 さて、「土用の丑の日」にウナギを食べるというフレーミング効果が、かなり発揮されていることに疑いはない。しかも、個々人がフレーミング効果の「とりこ」になっているだけではなく、相乗効果もある。台湾から空輸されたウナギ。漁獲量の減少から絶滅危惧種に指定された=2017年7月、成田空港 みんなが「土用の丑の日」でウナギを食べているので、私も便乗して食べよう、という判断も生じるからである。これを「バンドワゴン効果」という。バンドワゴンとは、カーニバルなど行列の先頭に登場する巨大な楽隊車を指す。つまり、みんながお祭り気分になる効果である。これもまた合理的ではなく、非合理的な消費態度だといえるだろう。 日本人は20世紀まで世界のウナギ消費量の3分の2を占めていた。まさに平賀源内のフレーミング効果と、バンドワゴン効果の「合わせ技」がフル回転していたわけである。その消費量は15万トンに及んでいた。ところが、21世紀に入ると、日本の消費量は急減してしまう。2012年には3万7千トンにまで落ち込んでいる。21世紀中に、世界全体のウナギ消費量が中国などの需要増の影響で微増しているにも関わらずである。 他方で、ウナギが、国際自然保護連合から絶滅危惧種の指定を受けたことも記憶に新しいだろう。絶滅危惧種の指定自体は、ウナギの消費動向や捕獲に関する罰則付き規定の導入に直ちに結び付いているわけではない。ただ一部の論者の中には、この絶滅危惧を重大視し、水産庁の対応不足などを指摘している。つまり、規制を強化すべきだと主張しているのである。「噂」の経済効果の影 研究者や企業も、ウナギの完全養殖や代替可能な食品の製造などに取り組んではいるが、まだまだ道半ばである。その意味では、絶滅危惧種指定を重大視すれば、この種の規制が重要になるかもしれない。では、21世紀に入ってからの日本のウナギ消費の急減は、この環境意識の芽生えが貢献しているのだろうか。 だが、答えはどうも違うようである。実は、日本における21世紀のウナギの消費量急減の背景には、中国産ウナギについての評価が影響を及ぼしているという指摘がある。一説によれば、中国産のウナギについて、一時期話題になった残留薬物問題や産地偽装問題がいまだに尾を引いたために輸入が急減し、そのことがウナギの消費自体まで減少させたという。 もちろん明言しておくが、現在の中国産ウナギには厳格な管理・検査態勢が敷かれているので、不適当な食材として流通する可能性は皆無に等しいだろう。だが「噂」の経済効果はばかにはできない。これはフレーミング効果が反対に作用し、消費を減らす効果を持ったといってもいいだろう。 要するに、「中国産」というフレーミングの、消費に対するマイナス効果が、「土用の丑の日」というフレーミングのプラス効果をかなり打ち消してしまったのだろう。さらに、多数の人間がそのような嗜好(しこう)に変わってしまったことで、バンドワゴン効果も消費を減らすことに大きく貢献しまったのである。 中国産ウナギの安全性が保証されても、マイナスのフレーミングとバンドワゴン効果を打ち消すことがなかなかできない。人間の非合理性のやっかいなところでもある。 それでは、日本産ウナギの方はどうだろうか。これについてはそもそもの捕獲量の減少も加えて、21世紀になって高価格帯を推移している。冒頭にも書いたように、今年は例年にない高値になりそうだ。 今までのウナギのかば焼きの価格推移をみると、中国産ウナギの消費が好調であった90年代は、1匹当たり500円台から600円台で推移していた。それが21世紀に入った現在は、日本産ウナギの価格が急上昇し、1000円台になっている。ウナギのかば焼き この価格上昇が、日本のウナギ消費量を抑制する一因にもなっているだろう。ただし、消費抑制の一方で、ウナギの供給者にとっては、完全養殖ウナギの開発や、ウナギに近い触感や味わいを持つ食材の開発を刺激する効果も持つかもしれない。これは消費者にとって供給を増加させるから好ましい動きともいえる。 実は、筆者もウナギが大好物である。だから、絶滅の危険がさらに高まって、消費そのものが禁止されてしまうと非常に困る。ウナギの未来は、複雑な経済の動きにかかっているのである。

  • Thumbnail

    テーマ

    黒田総裁続投、マンネリ人事の意味

    黒田東彦日銀総裁の続投が固まった。首相は「黒田総裁の政策は間違っていなかった」と評価したが、これまで6度延期された2%の物価上昇目標や金融政策を正常化する「出口戦略」のタイミングなど、次の5年に待ち受ける難題は山積する。賛否が分かれるマンネリ人事の意味を問う。

  • Thumbnail

    記事

    「リスクを恐れた臆病な人事」黒田総裁再任をどう評価すべきか

    飯田泰之(明治大学政治経済学部准教授) 2月16日、日本銀行の次期執行部について、4月8日に任期満了となる黒田東彦総裁の再任、3月19日任期満了の2人の副総裁の後任に若田部昌澄・早稲田大教授と雨宮正佳・日銀理事を充てる人事案が提出された。 意外性に乏しい今次の提案に「リスクを恐れた臆病な選択」と評される側面もあろう。市場の反応も薄く、各種報道に反応しての新たな動きは見られない。それでもなお今次の選択が日本経済において現実的な選択肢の中では妥当なものであったと筆者は考えている。その理由を語るとともに、新執行部への期待を述べたい。日銀の副総裁候補として国会に提示された雨宮正佳・日銀理事(斎藤良雄撮影) まずは総裁人事からみてみよう。日銀総裁の再任は山際正道(1956-64年在任)以来であり、現行の日銀法の下では初めてのことだ。異例であることのみをもって今回の再任を批判する議論もあるようだが、他の事情はさておき、再任があり得るとの前例ができたことは望ましい。 近年、金融政策に関する将来予想や政策姿勢・レジームといった数字だけではとらえられない要因が経済に大きな影響を与えるようになっている。総裁任期が5年に限定されるものではない、より長期になり得ることが明確になったことは、今後の総裁・執行部にとって小さくない財産となる。現任期を超えた長期的な政策を打ち出しやすくなるからだ。 一方で、2013年4月の現体制発足時に掲げられた「2年を目安に2%のインフレ率を達成する」との当初目標の未達をもって、その責任を取るべきであるとの議論も根強い。この目標未達は、日銀現執行部の二つの見通しの甘さに起因すると、以前筆者がiRONNAでも指摘した通りだ。2013年時点の日銀は、消費増税の景気へのダメージ、労働力プール(国内における働く意思と能力ある労働者の数)をともに過小評価していた。そのため、2013年の急速な資産価格・雇用、さらには物価上昇率の改善をもって「労働市場の逼迫(ひっぱく)による賃上げの本格化は目前であり、一時的な消費増税ショックを財政出動で支えれば、目標の達成はそう遠いことではない」と判断した。これが誤りであったことは言をまたない。 なお、公平を期すために付記すると、筆者も雇用者数が350万人以上増加し、非正規社員以上に正社員数が増加してもなお雇用改善のペースが鈍らないとは予想していなかった。黒田氏の代わりはいなかったのか さて、ここからより強力な金融政策姿勢を打ち出し、さらには財政政策についても拡大志向の総裁を望む声が出るのは自然なことだろう。しかしながら、後者については無い物ねだりの感を否めない。中央銀行総裁は、財政政策に関していかなる権能も有していない。仮に日銀総裁が大規模な財政出動を主張したところで、政府がそれを採用する理由はないし、逆もまた真(しん)である。財政政策姿勢については政府の方針にこそ検討・批判を加えるべき話だ。2018年2月、衆院予算委で答弁する日銀の黒田総裁。右は安倍首相 より金融緩和に積極的な人選を望む声についても、その道は容易ではない。確かに、黒田総裁よりも積極的な金融緩和拡大を主張する論者は日銀内外に存在する。しかし、黒田総裁自身が示した「グローバルな視点と実践的な能力と理論的な分析」という中央銀行総裁の資質、中でも日本銀行という巨大な官僚組織を御していく力を併せ持つ者となると具体的な名前を挙げることは難しくなろう。 これとは逆に、目標達成ができなかったのだから金融緩和を収束させて出口戦略に向かう、つまりは早期に金融引き締めに転じる総裁を選ぶべきだとの議論もあるが、これは顧みるに値しない。株・為替・雇用はもとより、長くマイナス域に沈んでいた物価上昇率を曲がりなりにもプラス値が継続する状況まで改善した実績を無視することはできないはずだ。 これらの実績を、米国経済の好調さに支えられた偶然の結果だとする主張もある。しかし、すでに米経済の好調が明確になっていた2013年初頭においても、金融緩和に批判的なアナリストの多くが円安は進んでも90円台、株価上昇も1万1000円から1万2000円程度であると予想していたことを忘れてはならない。米国の好景気は日本経済にとって強力な追い風ではあるが、その追い風を生かすためにも継続的な金融緩和の果たした役割は大きい。90年代や2000年代前半にも米国の経済状況は良かったが、近年ほどの資産価格や雇用の改善は生じていない。 より素晴らしい総裁はどこかにいるのかもしれない。しかし、その人を発見することはできなかった。現在行われている金融緩和の継続性への信認を傷つけず、それでいて2期目に訪れるかもしれない2%目標達成時に市場とコミュニケーションを採りながらの政策変更を進める-そのための適任者と考えると、黒田総裁の再任は、現時点では妥当な人選だと判断せざるを得ないのかもしれない。 一方で、本来ならば事前に十分に準備すべき後継者の育成を果たせなかったことは黒田体制1期目の問題点の一つとして指摘されてしかるべきだ。そして、この後継者の育成が2期目には必須の仕事となる。ここで注目されるのが二人の副総裁だ。「プリンス」と「研究者」 日銀理事からの昇進である雨宮氏は、企画局長、大阪支店長を経験した「日銀のプリンス」であり、1期目の黒田体制においても政策遂行の実務的な側面を支えた「異次元緩和」の立役者の一人だ。氏の「実践的な能力」について高く評価する関係者の声を聞くことは多い。その一方で、黒田緩和の効果の源の一つである、明確な思想を持って政策パッケージを示し、市場の予想に働きかける発信力は未知数だ。その経歴から、受動的な金融政策を旨とするかつての日銀に近い人物と受け止められることも多い。今後、氏の政策思想が明らかになり、発信とコミュニケーションの力量が明らかになることで、気が早すぎるかもしれないが、次々期総裁への有力候補となるかもしれない。 もう一方の副総裁候補である若田部氏は、経済学史の研究者として経済危機の中での経済学・経済思想の変遷を追ってきた人物だ。2000年前後から強力な金融緩和の必要性を訴え続けた生粋のリフレ派でもある。その意味で、政策思想は既に明確になっている。国内の経済論壇はもとより、国際会議での活発な討論をみてもその発信力は高い。個人的には本人にその気があるとは思わないが、5年の副総裁任期中で総裁に求められる実務的な視座を得るならば、総裁候補になり得る人物である。日銀副総裁候補として国会に提示された早大政治経済学術院の若田部昌澄教授(飯田耕司撮影) もっとも、若田部氏には、ごく近い未来に別の役割を期待したい。それが経済学史からの経済理論、それも実務的な政策論への提言である。副総裁が金融政策の理論家や実証分析家以外から選ばれたことを不満に感じている経済学者は少なくないだろう。しかし、理論家や実証家はともすると、現時点で最も正解に近いと考えられる「学会での主流派見解」や「最先端の学説」によって政策を一刀両断に語り尽くすことを好みがちだ。もちろん、それらの「正統派」が正しかったことも多い。しかし、経済(学)の長い歴史をみると「正統派」は時に誤り、時に「正統派」そのものの交代を経験してきたのである。 正統派の誤謬(ごびゅう)、学会における正統派の転換があり得る環境で、より広い歴史的視点から金融政策決定会合の議論を俯瞰(ふかん)し、近視眼的な決定に陥ることのないよう多様性ある議論を提供する重要性は高い。歴史、それも思想史研究者ならではの視点を実務に提供していただきたい。 安定感ある総裁、後継者候補になり得る副総裁、新たな視点を提供する副総裁と整理すると、2期目の黒田体制のバランスの良さがよくわかる。もっとも「バランスが良いこと」と「正しく、実効性ある政策を行うこと」はイコールではない。4月からの第2期黒田体制がどのような政策姿勢を打ち出すのか。ここのところ面白みがない政策決定会合に久々に注目が集まろう。

  • Thumbnail

    記事

    物価の抑制か財政の救済か、黒田続投「通貨の番人」はどこへ

    小黒一正(法政大経済学部教授) 日本銀行の黒田東彦総裁が2018年4月8日、中曽宏、岩田規久男両副総裁は3月19日に任期満了となる。このような状況の中、政府は2月16日開催の衆参両院・議院運営委員会の理事会で日銀の正副総裁人事案を示した。2018年1月、経済・物価情勢の展望について会見する日銀の黒田東彦総裁(宮川浩和撮影) この人事案は、黒田総裁が続投し、日銀出身の雨宮正佳理事とリフレ派で早稲田大の若田部昌澄教授を副総裁に起用するというものだ。現行の金融政策の枠組みは変えず、現行体制の維持を示すものと考えられる。すなわち、日銀出身の中曽氏の後任は日銀出身の雨宮氏、リフレ派の岩田氏の後任はリフレ派の若田部氏が選出され、「日銀枠」「リフレ派枠」が維持されるということになる。 毎日新聞の記事によると、リフレ派枠の有力候補は財務省出身でスイス大使の本田悦朗氏であったという。だが、首相官邸や財務省・日銀内部の抵抗もあり、「岩田氏に続くリフレ派の重鎮が見当たらない」(財界関係者)という大きな問題を抱えていたもようである。 こうした状況の中、若田部氏がリフレ枠で選出されたわけだが、選出方法について、当の若田部氏は『「日銀デフレ」大不況』(講談社)という著書で、今回の人事案との関係で興味深い指摘をしている。「審議員の選出には、女性枠、産業(非金融・証券業)枠、金融・証券業枠、学者枠などあらかじめ選出される枠が決まっている」「この選出方法は、外部からの多様な人材を登用できるという利点もある反面、結局のところ、業界や学界から審議員をあまねく選出しようと考える、官僚的な選出方法になりかねない」「そもそも、経済学の女性研究者は日本では圧倒的に少ない。そのうえ、さらに金融専門となると、選ばれる人は限られてくる」『「日銀デフレ」大不況』若田部昌澄(講談社) また、少し前の話だが、日銀政策委員会のある委員の略歴に関して、「博士課程単位取得退学」と博士号取得者を意味する「博士課程修了」との違いがあったことが問題となった。この問題でも、若田部氏は著書で次のように指摘している。「日銀の審議員の学歴は大学卒・学士が中心であり、一つの組織や会社で経験を積んだ人物が多い」「一方、FOMC(米連邦公開市場委員会)のメンバーは大学院の博士号取得者が中心」『「日銀デフレ」大不況』若田部昌澄(講談社) だが、今回の人事案を含めても、原田泰氏を除き、政策委員で博士号取得者はゼロではないかと思われる。 ところで、岩田氏の後任について、リフレ派の若田部氏でなく、非リフレ派を起用すれば、金融政策の方向性を転換するシグナルとなり、市場が動揺する可能性がある。そのような状況を回避するため、リフレ派枠を維持するという政府内の戦略的な判断があった可能性も否定できない。 もっとも、続投する黒田総裁は財務省出身の「リアリスト(現実主義者)」である。リフレ派の政策の限界は十分に理解しているはずで、リフレ派枠の維持は実質的な意味を持たない。その証拠として、既に日銀は2016年9月下旬、異次元緩和を軌道修正している。短期金利をマイナス0・1%に誘導するマイナス金利政策を維持しながら、長期金利を0%に誘導する新しい金融政策の枠組みの決定がそれだ。この新たな枠組みは「量」重視から「金利」重視への政策転換を意味する。そして今、黒田総裁の下で日銀はひそかに異次元緩和を縮小する「ステルス・エグジット」を進めており、筆者はこれが続くと予想している。政策正常化に3つの課題 ただ、金融政策の正常化に向けての課題も多い。 第一は、増税判断や景気変動との関係である。政府は、2019年10月に消費税率を10%に引き上げる予定であり、安倍晋三首相がその判断を今年秋ごろに行うはずだ。消費増税を実施すれば、マクロ経済に一時的なショックが走るはずで、日銀が「ステルス・エグジット」を順調に進められるか否かを含め、黒田総裁の手腕が求められる。また、2020年の東京五輪開催後は、日本経済の「景色」も大きく変わるだろう。 第二は中長期的な課題だが、デフレ脱却後に、日銀が金利の正常化に向けて利上げできるか否かだ。物価上昇を抑制するために金融引き締めを行えば、どうしても長期金利の上昇を許容する必要がある。だが、巨額の政府債務が存在する中、それは利払い費の増加を通じて財政を直撃してしまう。したがって、日銀には政治的な独立性が認められているが、選挙で選ばれる政治家とそれほど離れておらず、世論やマスコミから批判を浴び、政治的な強い風圧にさらされることも確実である。 そうなると、日銀は国債購入を通じて長期金利の上昇抑制を優先し、その結果、貨幣供給が拡大してしまう。これは日銀が直接責任を問われる物価安定の放棄を意味する。つまり、日銀は直接責任を問われる実際の物価上昇の抑制か、財政の救済か、二者択一を迫られることになるのである。 第三は、米連邦準備制度理事会(FRB)が保有資産の縮小に着手し始め、欧州中央銀行(ECB)も2018年初から資産買い入れの縮小を開始しているという状況にある。この現状が日銀の抱える問題をさらに複雑にする。マネーが世界を駆け巡るグローバル経済の下では、国外の金利水準と比較して、国内の金利だけを低い水準に抑制するのは極めて難しい。世界的な大規模緩和は転換点を迎えており、米国などの長期金利が上昇していけば、日本の長期金利にも上昇圧力がかかるだろう。2018年2月、米下院金融委員会で証言するパウエルFRB議長(AP=共同) なお、最後に忘れていけないのは「There is no such thing as a free lunch.」(世の中にただのランチなどない)という経済学の重要なメッセージである。政府と日銀を一体で考える場合、日銀が国債を保有するか否かにかかわらず、統合債務の負債コストは基本的に変わらない。今は金利がおおむねゼロのために負債コストが顕在化していないが、デフレ脱却後に金利が正常化すると、財政赤字を無コストでファイナンス可能な状況は完全に終了し、巨額な債務コストが再び顕在化する。これがまさに「不都合な真実」である。

  • Thumbnail

    記事

    市場と政権の板挟み 「こっそり緩和縮小」黒田日銀の矛盾

    小野展克(名古屋外国語大学教授) 政府は2月16日に日銀の黒田東彦総裁の続投を国会に提示した。黒田総裁は「アベノミクス」の象徴的な存在であり、安倍晋三首相の決断をまずは支持したい。ただ、異次元緩和の出口を探る中で、「サプライズ」と「矛盾」を黒田総裁がどう説明できるかが大きな課題となることを指摘しておきたい。 森友、加計学園問題など安倍政権の運営力に疑問符がつく中、高い支持率が続いている背景には、政権の誕生以降、円安、株高、失業率の低下を実現したことが大きい。こうした経済好転の背景には、黒田日銀が導入した異次元緩和と称される、大胆な金融政策の貢献があるだろう。 安倍首相の経済政策であるアベノミクスは、「金融政策」「財政政策」「成長戦略」の3本の矢で構成されている。しかし、財政の大盤振る舞いで景気回復を目指す政策は、これまで多くの政権で採用されており、特に目新しさはない。成長戦略も規制緩和等での成果は乏しく、経済の押し上げに大きな効果があったとは思えない。つまりアベノミクスの実像は金融政策の1本足打法であり、異次元緩和こそが、安倍政権の長期化を実現させた原動力だと考えられる。平成30年度予算案についての衆院予算委員会に臨む安倍晋三首相=2018年2月20日、国会(斎藤良雄撮影) 安倍政権の経済政策に対して世論の支持があり、市場の期待感があることを考えれば、その中核である異次元緩和を担った黒田総裁を続投させる安倍首相の判断は理解できる。 しかし、2期目の黒田総裁には、多くの課題があり、中でも説明力が最大の懸念材料だ。 黒田総裁は就任直後の2013年4月と2014年10月の2度にわたり、大胆な金融緩和を導入、2016年1月にはマイナス金利の採用に踏み切った。 最初に黒田総裁が導入した金融緩和は、消費者物価の前年比上昇率2%の「物価安定の目標」を掲げ、これを2年程度で実現するため、長期国債・ETF等の保有額を2年間で2倍に拡大し、長期国債買い入れの平均残存期間を2倍以上に延長する内容だった。いずれも市場やメディアの予測を超えたスケールで、「黒田バズーカ」と称された。 それに続く、年間の国債の購入額を80兆円規模に拡大する「黒田バズーカ第2弾」も、マイナス金利の導入も、市場やメディアの期待を上回る形で予測を裏切っており、「サプライズ」が黒田総裁の説明手法の特徴となった。安倍政権とのデリケートな関係 デフレは、物価が持続的に低下する経済の病であり、物価の下落は裏返せば通貨価値の上昇だ。つまりデフレは人々や企業が円という通貨を偏愛、抱え込んでしまう現象といえ、マネーは消費や設備投資に回らず、日本経済に負のスパイラルをもたらした。デフレを脱却するためには、物価が下がり続けるという人々の「物価観」を転換、緩やかなインフレに向かうという「期待」を生み出し、マネーを消費に回さなければならない。 つまり「黒田バズーカ」は、円の供給量を激増することで通貨としての価値を破壊し、デフレによって失ったモノやサービスを求める欲望を呼び覚ますことを目指したと考えられる。黒田総裁は、そのために「サプライズ」で人々を驚かせ、市場を揺さぶることが有効だと考えたのだろう。 ただ、これは米連邦準備制度理事会(FRB)や欧州中央銀行(ECB)など米欧の中央銀行の説明方法とは大きく異なっている。FRBやECBは政策変更の可能性を徐々に示唆し、市場に浸透させながら、円滑に金融政策の変更を実施している。  黒田バズーカは、円安、株高、失業率の低下の実現に一定の効果をもたらした。ただ、最大の目標である年2%の物価上昇は達成できておらず、デフレ脱却はいまだに実現できていない。 一方でFEDが量的緩和の縮小、利上げに着手するなど、米欧は金融の引き締めに向かっている。景気回復やカネ余りを背景に米欧が金融の引き締めに向かう中、デフレ脱却の途上である日銀がどのような政策運営をするのか、日銀は極めて難しい政策運営を迫られる。記者団の質問に答える日銀の黒田東彦総裁=2018年1月25日、スイス・ダボス(共同) 特に安倍政権との関係はデリケートだ。景気を刺激する金融緩和は、政治と協調しやすい。しかし、景気の過熱を抑えるための金融引き締めは景気減速につながりかねず、政治との摩擦を生みやすい。アベノミクスの象徴として続投する黒田総裁にとって、引き締めへの政策転換は大きな困難を伴うだろう。 安倍首相は今年秋には自民党総裁選が控え、さらに国民的な議論を呼ぶであろう憲法改正を目指している。アベノミクスによって政権の支持率を高める「ポリティカルキャピタル」(政治的な資本)を蓄積しており、これをフルに活用する必要があるのだ。金融引き締めが円高や株安を生み、ポリティカルキャピタルが縮小することへの懸念は強いだろう。黒田総裁の矛盾 今回、新たに副総裁に就任する早大教授の若田部昌澄氏は、一段の金融緩和を提唱するリフレ派の理論的な支柱の一人として知られている。若田部氏の副総裁への起用は、異次元緩和の継続に向けた安倍政権のくさびといえるだろう。早稲田大学政治経済学術院の若田部昌澄教授=2016年6月1日午後、東京都(飯田耕司撮影) しかし、実は黒田日銀は既に、緩和の縮小へ向けて静かにかじを切り始めている。 日銀は異次元緩和の総括的な検証を経て、2016年9月に「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」を導入した。黒田総裁は、長期金利をゼロ近辺に誘導することを軸とした新たな政策を「金融緩和強化のための新しい枠組み」と説明した。 しかし、この政策がスタートすると長期金利をゼロ近辺に誘導することが主軸となり、これまで目玉だった年80兆円国債購入の勢いは急速に鈍った。日銀のこうした手法は、市場では「ステルス・テーパリング」(ひそかな緩和の縮小)と呼ばれ、既に日銀の買い入れペースは50兆円程度までペースダウンしている。 ここで問題になるのは黒田総裁の説明力だ。 事実上の政策変更の背景にあるのは、80兆円のペースで買い入れを続ければ、近く市場に流通する国債を日銀が買い尽くしてしまうことにある。「財政ファイナンス」との批判がさらに高まる上、金融政策の正常化への道筋が困難になることへの懸念もあるだろう。 しかし、日銀は2%の物価目標をまだ達成できていない上、アベノミクスの推進という安倍政権と歩調を合わせることが求められている。 この難しい状況をすり抜けるために選択されたのが、異次元緩和の旗を掲げ続けながら、緩和をひそかに縮小するという矛盾を秘めた政策運営と説明だと考えられる。 「サプライズ」と「矛盾」。黒田総裁の説明は、市場や国民から見て分かりにくい上、予測が付かない。こうした説明は、疑心暗鬼を生みやすく市場に混乱をもたらすリスクがある。 黒田総裁は次の5年の任期中に、マイナス金利や異次元緩和の出口を探ることになるだろう。生みの親である安倍政権から緩和継続の圧力が強まると想定される中、市場との対話を円滑に進めながら、どう出口への道筋を探るのか。黒田総裁が、どのような説明力を見せるのか、注目される。

  • Thumbnail

    記事

    日銀総裁、黒田氏の再任は当然である

    榊原英資(青山学院大学特別招聘教授) 黒田東彦日銀総裁は財務省(旧大蔵省)時代の同僚であり、しかも財務官・国際金融局長(現国際局長)の筆者の後任でもあった。ともに1995年から99年の難しい時期に積極的な為替介入等を行った仲間でもある。それゆえ、筆者の黒田総裁に対するコメントはどうしても好意的になってしまうのだが、本稿ではできるだけ客観的に分析することにしたい。記者会見に臨む大蔵省の榊原英資前財務官(手前)と黒田東彦新財務官※共に当時=1999年 7月 9日、大蔵省 黒田総裁の日銀総裁就任は2013年3月、財務省財務官からアジア開発銀行総裁に転じて8年後のことだった。それまでも財務省から日銀総裁に就任することはあったが、元財務官の日銀総裁就任は異例だった。森永貞一郎総裁(1974~79年)、澄田智総裁(1984~89年)、松下康雄総裁(1994~98年)はすべて事務次官経験者である。黒田総裁の就任時も、財務省は元事務次官の武藤敏郎氏を推したと言われている。 黒田総裁を任命したのは安倍晋三首相である。首相は2000年7月から03年9月まで内閣官房副長官を務めているが、この時に黒田氏は短期間だが内閣官房参与として内閣官房に出向している。2人は積極的金融緩和の必要性について議論を交わし、意見の一致をみたとされる。 こうした経緯もあって、安倍首相は財務省から提示された武藤敏郎元事務次官ではなく、元財務官の黒田氏を選んだと言われる。そして黒田氏は日銀総裁に就任するや、安倍首相らの意向を受け、「異次元金融緩和」と呼ばれた極めてアグレッシブな金融緩和を実施した。この結果、2012年には1ドル80円を切っていた円ドルレートは13年には1ドル100円前後まで円安になった。その後も円安基調が続き、15年には年間平均レートで1ドル121・04円まで下落したのである。 そして日経平均株価も急速に上昇した。2012年12月の終値1万395円から実に56・7%も上昇し、13年12月の終値は1万6291円まで回復した。リーマン・ショック後、停滞していた株価もこれを契機に上昇に転じ、その後上がり続けた。17年12月の終値は2万2765円、政権交代から5年で株価は倍以上になったのである。世界的な株価上昇という要因もあったが、日本の場合、異次元金融緩和が契機になったことは間違いない。要するに、黒田総裁の積極的金融緩和は大きな成功を収めたと言うことができる。黒田総裁の後任と交代時期は? 日本経済全体の経済成長率も2011年のマイナス成長(マイナス0・12%)からプラスに転じ、13年には2・00%に達した。14年には消費税が5%から8%に引き上げられたこともあって成長率は0・34%に低下したが、15年以降は1%を上回る成長を達成している。(※注1)  日本経済のこのところの経済成長率は、平均1%前後なので(2000~2017年の年平均成長率は1・05%)、13年以降のパフォーマンスは消費税引き上げの影響を差し引けば、平均を上回っているように見える。記者会見を行う黒田東彦日銀総裁=2017年 9月25日、大阪市北区 全体的に見て黒田総裁就任以来の金融政策は順調に推移したといえるし、その意味で総裁再任に全く違和感はない。任命権者である安倍首相も自民党総裁に再任される可能性が高く、黒田総裁は2期目、安倍首相は連続3期目ということになる。日銀総裁の再任は先の大戦後3度目であり、過去には一万田尚登元総裁と山際正道元総裁が再任されている。 もっとも、再任された日銀総裁はいずれも再任の任期をまっとうせず、8年余りで勇退している(一万田元総裁は8年6カ月、山際元総裁は8年1カ月)。もし、黒田総裁が再任の任期5年をフルに務めると、明治以来最長ということなる。 日銀副総裁には、雨宮正佳現日銀理事と若田部昌澄早稲田大学教授が既に内定している。雨宮氏は企画部門が長く、企画局長、大阪支店長などを歴任し、「日銀のエース」と言われる重鎮だ。日銀総裁は従来、財務省出身者と日銀プロパーが相互に就くということが慣例化されている。例えば、森永貞一郎総裁(元大蔵事務次官)の後任は日銀出身の前川春雄総裁(1979~1984年)、澄田智総裁(元大蔵事務次官)の後任は日銀出身の三重野康総裁(1989~1994年)、松下康雄総裁(元大蔵事務次官)の後任は速水優総裁(1998~2003年)というパターンである。 このルールに従えば、黒田総裁の後任は雨宮氏ということになるのだろう。もし黒田総裁が一万田元総裁や山際元総裁のように8年前後で勇退することになれば、2021年前後には「雨宮総裁」が誕生することになる。2020年は東京五輪の年である。五輪は日銀総裁人事とは直接関係しないが、政府や日銀の要人にとって何かと忙しい年になる可能性が高い。2021年に黒田総裁は77歳になる。77歳という年齢は勇退するにはちょうどいいのかもしれない。(注1)2015年1・11%、2016年1・03%、2017年1・80%、17年の数字は18年1月の国際通貨基金(IMF)の「世界経済見通し」による

  • Thumbnail

    記事

    なぜデフレ脱却ができなかったのか 黒田日銀の5年を振り返る

    渡辺努(東京大学大学院教授) 日銀の黒田総裁による異次元金融緩和の開始から間もなく5年になる。日銀は2%の消費者物価上昇を目標として掲げ大規模な量的緩和やマイナス金利政策を実施してきたが、現状、消費者物価上昇率(除く生鮮食品、エネルギー)は前年比0.3%(2017年12月)であり、デフレからの脱却を果たせていない。しかし5年間の緩和を通じ、デフレ発生の仕組みについて新たに見えてきたことは少なくなく、デフレ脱却に向けて今後何をすべきかも明らかになった。以下では企業の価格設定行動の視点から物価の現状を整理する。金融政策決定会合後の記者会見場を後にする日銀の黒田東彦総裁 =2016年 6月16日、東京都中央区の日銀本店 デフレ脱却のカギは何か。異次元緩和が始まった5年前にこの質問を何度も受けた。質問者の多くは、需要の不足がデフレの原因であり、需要さえ喚起できればデフレ脱却できる、問題は金融緩和で十分な需要喚起ができるかどうかだと考えていた。しかし物価は需要だけで決まるものではない。供給サイド、つまり価格を決める人たちの行動が物価のもう一つの決定要因だ。当時の日本で需要が不足していたのは間違いないが、それ以上に深刻なのは値決めをする人たちの行動だと筆者は考えていた。当時この認識は異端であったが、今では日銀を始め政策担当者の多くが共有する認識となっている。 筆者が供給サイドに注目したきっかけは、フィリップス曲線の変化である。物価上昇率と失業率の間には、失業率が下がる(上がる)と物価上昇率が上がる(下がる)という負の相関があり、フィリップス曲線と呼ばれている。日本でもかつては物価と失業率の間に負の関係が観察されていた。しかし2000年以降、その関係が非常に弱くなり、失業率が変化しても物価はごくわずかしか変化しないというように変わってしまった。例えば、リーマンショック直後には、需要が弱くなって失業率が大きく増えたが、物価はさほど下がらなかった。異次元緩和の5年間はこの逆で、失業率が足元3%を切るところまで改善したにもかかわらず、物価は上がっていない。 物価の反応が鈍くなったのはなぜか。その背景には価格の硬直化がある。消費者物価指数は典型的な消費者が購入する約600の品目(例えば「シャンプー」「理髪料」など)から構成されている。各品目について前年比の変化率を算出した上で、その値がゼロの近傍にある品目の消費金額が全体のどれだけに相当するかを計算した(図1を参照)。 ゼロ近傍の品目は価格が硬直的な品目ということだから、そうした品目がどの程度の割合を占めるかは価格硬直性の尺度だ。1990年代末から価格の硬直性が高まり、ゼロ近傍の割合は5割に達した。その状態が2013年4月の異次元緩和開始後も基本的には続いている。17年半ば以降、ゼロ近傍の割合が低下の方向にあるが、改善のピッチは緩やかであり、今なお半数近くの品目がゼロ近傍にある。 価格硬直化の原因の一つは趨勢(すうせい)的なインフレ率の低下である。インフレ率が趨勢的に高い国で、ある企業が価格を据え置くとすると、ライバル企業に比べて価格が安すぎて損をしてしまう。従ってそういう国では企業は価格を据え置くことはせず、頻繁に価格を改定する。これに対して趨勢インフレがゼロに近い日本のような国では、価格を据え置いたとしてもそれで損を被ることはないので、多くの企業が価格据え置きを選択する。この理由で価格が硬直化しているのであれば、趨勢インフレさえ元に戻れば硬直化も自動的に解消されるので問題ない。 しかし、日本の価格硬直化の理由はこれだけではない。日米を含む先進8か国の品目別価格データを用いて筆者らが行った国際比較によれば、日本の価格硬直性は米国などと比較して図抜けて高く、しかも、日本の趨勢インフレが低い分を調整してもなお高い。価格据え置き慣行のまん延 では日本の価格硬直化の原因は何なのか。価格上昇率を品目ごとに計算しその頻度分布の最頻値を推計すると、日本はゼロであるのに対して米国などでは正で、多くの国で2-3%の水準にある。この傾向は趨勢インフレの影響を調整しても変わらない。つまり、米国などでは企業が毎年価格を2-3%で引き上げるのが「デフォルト」(初期設定)であり、そうした企業が多数派なのに対して、日本では価格据え置きが「デフォルト」であり、この差が日本の高い価格硬直性を生んでいる。 1995年ごろに始まったデフレが社会に定着する中で、消費者は価格が据え置かれることを当然と受け止め、わずかな上昇も許容しないという行動をとるようになった。消費者の姿勢がこのように変化する中で、企業は自分の価格を少しでも上げれば顧客が大きく減ると恐れるようになり、コストが多少上がっても我慢して価格を据え置くという行動をとるようになったと考えられる。 価格据え置き慣行は商品の小型化という歪んだ現象を生み出している。昨年秋以降、「くいもんみんな小さくなってませんか日本」というハッシュタグがSNSで話題になり、表面上の値段は据え置きだが容量が小型化した商品の報告が相次いでいる。実質値上げである。図2は商品のリニューアル時におけるサイズの変化を数えたものである。実質値上げは穀物やエネルギーの輸入価格が上昇した2008年に急増した。この時は、価格据え置きの慣行がまん延する中で、企業はコストの増加を価格に転嫁できず、苦肉の策として容量減を選択した。経営者にとって価格据え置きは動かすことのできない制約であり、その制約内でとれる選択を探した結果、小型化に行きついたということであろう。 小型化はその後いったん減ったが、13年から15年にかけて再び増加した。この時期は異次元緩和で円安が進んだ時期であり、輸入原材料コストの上昇を価格転嫁できない企業が小型化に向かったと考えられる。足元では非正規雇用を中心に人件費が増加するなどのコスト増が起きているが、それを価格転嫁できず苦しむ企業が増えている可能性がある。 デフレ脱却に向けて最大の課題は、価格据え置き慣行をいかにして変えるかだ。価格据え置きは放置しておけば自然になくなるというものではなく、むしろ今後、デフレ経済しか経験したことのない若年層が社会の中核的な役割を担うようになるにつれ、社会により深くビルトインされる可能性が高い。価格据え置きという制約内で経営の解を探すことを続けていると、日本経済の活力はますます弱まってしまう。 価格据え置き慣行の源泉をたどると、安ければ安いほどよいという消費者の姿勢に行きつく。しかし、価格引き上げでぼろもうけというのは論外として、原価が上昇したときにその分を価格に転嫁するのは企業経営者として適切な行為であり、フェアなプライシングだ。消費者がそれを許容しないのは明らかに行き過ぎであり、企業経営をゆがめてしまう。消費者は立場を変えれば労働者であり、価格据え置き慣行が続けば労働条件が悪化するなど不利益を被ることを忘れてはならない。 企業側は、価格転嫁について消費者の理解を得る努力をすべきだ。昨年秋のヤマト運輸に続いて宅配便各社が値上げに踏み切ったのは、価格転嫁の成功事例だ。成功の背景には,トラック運転手の不足など現場の負担の大きさを消費者が理解し,負担軽減のための値上げに共感したことがあると言われている。コスト増を価格転嫁できない苦しさを内に秘めてこっそり商品を小型化する企業の対極ともいえる。フェアな価格とは何かについて健全な常識を取り戻せるか否かがデフレ脱却のカギを握っている。わたなべ・つとむ 東京大学大学院経済学研究科教授。専門はマクロ経済学(特に金融政策と物価)。1959年千葉県生まれ。東京大学経済学部卒。米ハーバード大学Ph.D.(経済学)。日本銀行に勤務後,一橋大学を経て2011年から現職。著書に『新しい物価理論:物価水準の財政理論と金融政策の役割』(共著,岩波書店,2004年),『慢性デフレ:真因の解明』(編著,日本経済新聞社,2016年),Property Price Index: Theory and Practice(共編著,Springer,近刊)など。

  • Thumbnail

    記事

    異次元緩和をやめてもデフレには戻らない

    塚崎公義 (久留米大学商学部教授)前向きに読み解く経済の裏側 「日銀の異次元緩和は、当初こそ偽薬効果で役に立ったけれども、今は効果より副作用の方が大きいのだから、止めるべき」と筆者は主張しています。「そんなことをすればデフレに逆戻りしてしまう」という御批判を数多く頂いていますので、反論しておきます。 「日銀が異次元緩和をやめたらデフレに戻る」という人々の論拠が不明ですが、筆者なりに推測すると、以下の2通りです。第1は、素朴な貨幣数量説、第2は「金融緩和が景気を回復させ、景気回復がデフレを止めたのに、その流れが逆転してしまう」というものです。 素朴な貨幣数量説というのは、「世の中に出回っている資金の量が増えると物価が上がり、減ると物価が下がる。ダイヤモンドが水より高いのは希少だからである。それと同じで、世の中に資金が出回れば物の方が資金より希少になり価値が上がるのだ」というわけです。 つまり、「異次元緩和で世の中に資金が出回ったから、世の中の資金と物の比率が変わり、物の値段が上がった。異次元緩和をやめると、世の中に出回る資金が減るから、物の値段が下がるはずだ」というわけですね。 これは、全くの誤りです。統計を見れば明らかなように、世の中に出回っている資金(マネーストック)は増えていないからです。黒田緩和によって日銀から銀行に出て行った札束は、世の中に出て行くことなく、日銀に送り返されて準備預金(銀行が日銀に持っている預金口座)に入金されてしまったからです。 では、第2の経路はどうでしょう。異次元緩和で景気が回復したのは確かですが、それはなぜだったのでしょうか。 そもそも金融の緩和は、景気を回復させる力が強くありません。工場の稼働率が低い時に「金利が下がったから、新しい工場を建てよう」と考える企業は稀だからです。企業が設備投資をしようか否かを判断する際の最大の材料は「投資をすれば儲かるか否か」であって、金利ではないのです。 まして、金利がゼロの時に日銀が金融を緩和しても、企業の設備投資が増えるわけではありません。短期金利は下がりませんし、長期金利も僅かに下がるだけですから。 今回、金融緩和が景気を回復させたのは、株やドルの値上がりを通じてです。株高やドル高になったから景気が回復し、デフレが止まったのです。そうであれば、「異次元緩和をやめれば株とドルが暴落する」のか否かが、デフレが再発するか否かを左右することになります。筆者は、株もドルも暴落しないと考えているので、デフレは再発しないと考えています。以下は、そう考える理由です。2013年4月、就任後初となる金融政策決定会合後の会見で、大規模な金融緩和について説明する日銀の黒田東彦総裁(財満朝則撮影) 黒田日銀総裁が就任した時、多くの投資家が「これで世の中に大量の資金が出回るから、株やドルが値上がりするだろう」と考えて、株やドルを買いました。それにより株やドルが値上がりして、景気が回復したのです。 しかし、実際には世の中に資金は出回りませんでした。日銀の金庫から銀行まで出て行った札束は、そのまま日銀に送り返されて「準備預金」に入金されてしまったからです。 医者が患者に小麦粉を渡し、「良い薬だ」と言うと、患者の病気が治癒することがあり、「偽薬効果」と呼ばれています。今回の黒田マジックは、まさに偽薬効果だったわけです。 偽薬効果は、患者が薬だと信じているから病気が治癒するわけで、皆が偽薬だったと知ってしまったら、続ける意味がありません。小麦粉の大量摂取だって副作用がありますから、止めるべきです。それと同じで、不況や失業という病気は治癒しており、しかも世の中にお金が出回らなかった事も皆が知っているわけですから、異次元緩和はやめても構わないわけです。異次元緩和にも少しは副作用がありますから、そろそろ出口戦略を真剣に考えるべきだと筆者は思っているわけです。美人投票だけでは株価の1万円割れは起きない 普通の病気の場合、偽薬効果で病気が治癒した人は、偽薬だったと知っても病が再発することはないはずです。偽薬だったと気づいていない患者に「薬が品切れで処方できない」と伝えても、病が再発することはない筈です。 しかし、「病は気から」ですから、不安が引き起こす病の場合には、そうとは限りません。「偽薬だと知っても再発しない」という点は同じでしょうが、「薬が品切れだ」と言われたら、再発してしまうかもしれません。 さて、今回はどうでしょう。人々が既に偽薬だと気づいていて、「偽薬で病気が治癒したのだからメデタイ」と考えているのであれば、出口戦略が景気を逆戻りさせることはないでしょう。筆者は、そうであると信じています。 しかし、人々が偽薬だと気づいていないとしたら、「異次元緩和をやめる」と宣言した途端に株やドルが暴落するかもしれません。株安やドル安は、人々の不安が引き起こす病気に似ていますから、人々の気持ち次第で再発しかねないのです。「偽薬だと気づいていない人は稀だ」と筆者は信じていますから、株やドルは暴落しないと筆者は信じていますが。(iStock) 筆者を批判している人の多くは、黒田緩和が偽薬であったことを知りながらも、「市場は美人投票の世界だから、皆が下がると思うと皆が売るので本当に下がるのだ。市場参加者の多くは黒田緩和が終われば株価が下がると考えているから、黒田緩和が終わったら、本当に株価は下がるだろう」と考えているのでしょう。 そうしたことは、起こり得ると思いますが、影響はそれほど大きくないでしょう。株価の上昇過程では、偽薬だと知らずに買っている人が大勢いて、「偽薬だと知らずに買っている人がいるから値上がりするだろう。自分も買おう」という人が大勢いて、結局皆が買ったから株価が大幅に上昇したのです。 しかし今回は、偽薬だと知らずに小麦粉の品切れを嘆いて売る人は少ないはずです。そうだとすれば、「偽薬だったと知らずに売っている人がいるから値下がりするだろう。自分も売ろう」という人も少ないはずです。 今ひとつ、株に関しては好材料があります。黒田緩和前は、日本経済の先行きに悲観的な投資家たちが、「割安だけども買えない」と考えていたため、株価が割安に放置されていました。それを適正水準に戻したのが黒田緩和だった、という面もあったのです。今回は、株が割高だということでもありませんから、出口戦略が暴落の引き金を引くという可能性は小さいわけです。 そうしたことを総合的に考えれば、ドルや株が黒田緩和前の水準まで値下がりすることは考えにくいでしょう。ある程度下がった所で割安感からの買いが出て止まるでしょう。 ちなみに筆者は、黒田緩和の時には「偽薬効果を信じている黒田教信者が買うだろうから株価は上がるだろう。自分も買おう」という美人投票的な行動をしましたが、今回はしないつもりです。もっとも、筆者の株価予想ほど当てにならないものはありませんので、読者各位は筆者を真似することのないように。投資は自己責任ですから(笑)。

  • Thumbnail

    記事

    2014年の消費増税なければ今頃日経平均3万円も…

     2019年10月に消費税が10%に引き上げられる。日経平均2万円台を回復し、連騰が続く株式市場だが、2014年の消費税8%引き上げの苦い経験がある。 アベノミクスの異次元金融緩和で一本調子で急上昇していた日経平均株価は2013年末の大納会でリーマンショック後の最高値(1万6291円)をつけた後、2014年に入ると4月の消費税率8%への引き上げをにらんで急落に転じ、増税実施後の4月11日には1万3960円まで14%(約2300円)も下がった。 下がったのは株価だけではない。増税の後遺症による景気の落ち込みはいまも続いている。安倍政権ブレーンもその懸念をはっきり認めている。内閣官房参与を務める藤井聡・京都大学大学院教授が語る。2018年2月7日、前日終値より一時700円以上上昇したことを示す日経平均株価の株価ボード(桐原正道撮影)「総務省の家計調査などをもとに試算すると、増税後の3年間で家計の実質消費は1か月あたり平均2万8000円も減少、実質賃金は4%以上ダウンしています。民間企業の投資も大きく落ち込み、日本の経済成長率は増税の直前には4%成長(2014年1~3月期)という近来にない高い伸びを示していたのに、増税後はいきなり1.3%に下がり、直近の名目GDPはマイナスに転じた。日本経済は再びデフレ化しつつある状況なのです」 そのことがこの間の株価回復のペースを大きく鈍らせた。「たかだか株価2万円」突破にこんなに時間がかかったのは前回の増税が足を引っぱっているからだ。「マスコミは株価が20年ぶりの高値更新と騒いでいますが、2014年の消費税率引き上げによる景気失速さえなければ、株価上昇のペースはこんなものではなかった。今頃、日経平均3万円の声を聞いていても不思議ではありません」(同前) その反省から、安倍首相はこれまで2回にわたって増税を延期してきたのではなかったのか。関連記事■ 2年後の消費税10%への引き上げは「最悪のタイミング」■ 2020年秋 75歳年金繰り下げ、増税、「五輪不況」へ■ 社会保障カットの決まり文句「子や孫にツケ回さない」の欺瞞■ 森永卓郎氏が選ぶ「消費税を問い直す」ために読みたい本3冊■ 赤字国債発行停止には消費税率16%引き上げが必要と専門家