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何もできぬ自衛隊「ホルムズ海峡派遣」のリスクは思うほど甘くない
潮匡人(評論家) 10月18日、政府は安倍晋三総理、菅義偉(よしひで)官房長官、茂木敏充外務大臣、河野太郎防衛大臣らが出席した国家安全保障会議(NSC)の4大臣会合を開催した。会議後の記者会見で菅官房長官は、以下の発表文を読み上げた。国家安全保障会議などにおいて、総理を含む関係閣僚の間で行った議論を踏まえ、我が国として中東地域における平和と安定及び我が国に関係する船舶の安全の確保のために、独自の取組を行っていく。首相官邸ホームページ その上で「情報収集態勢強化のための自衛隊アセットの活用に係る具体的な検討の開始」との方針を掲げ、こう述べた。活動の地理的範囲については、オマーン湾・アラビア海の北部の公海及びバブ・エル・マンデブ海峡の東側の公海を中心に検討をします。今回の派遣の目的は情報収集態勢の強化であり、防衛省設置法上の「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」として実施することを考えます。首相官邸ホームページ これをNHKは「活動範囲については、オマーン湾と、アラビア海の北部、イエメン沖を中心に検討するとしています」と報じ、朝日新聞も翌日付朝刊1面トップ記事で「派遣先としてホルムズ海峡東側の『オマーン湾』のほか、『アラビア海北部の公海』『バブルマンデブ海峡東側の公海』を挙げた」と報じた。いずれの報道も、オマーン湾とアラビア海の北部を別の海域として扱っている。 だが、もし別の海域なら、政府発表文は「オマーン湾、アラビア海」云々と、最初を「・」ではなく「、」と読点(コンマ)で区切るはずだ。そうなっていない以上、並列する二つの語句を接続したとみなすのが「霞が関文法」である。 …のはずだが、なぜか、直後の河野防衛相の記者会見では、「活動の地理的範囲については、オマーン湾・アラビア海北部並びにバブ・エル・マンデブ海峡東側の公海を中心に検討していきます」と公表された(防衛省公式サイト)。 公用文で「並びに」は、「及び」を用いて並列した語句を、さらに大きく併合する際に用いる。見ての通り上記引用に「及び」はなく、理解に苦しむ。まさかとは思うが、官邸と防衛省で想定海域がずれているということなのか…。いずれにせよ、重大な問題にしては、稚拙な会見である。 はたして政府が想定している派遣海域は具体的にどこなのか。派遣される海上自衛隊の部隊にとっては、それこそが最大の問題となる。 政府が公表した通り「オマーン湾・アラビア海」なのか、それともNHK以下マスコミが報じたように「オマーン湾と、アラビア海」なのか。けっして些細な違いではない。ホルムズ海峡付近で攻撃を受けて火災を起こし、オマーン湾で煙を上げるタンカー=6月(AP=共同) もし、マスコミが報じた通り「アラビア海の北部の公海」とは別に、「オマーン湾」への派遣が検討されているなら、それはホルムズ海峡の東側に隣接する海域であり、その分リスクも増す。 菅官房長官の記者会見では、質疑応答の冒頭、「想定されるリスク」についての質問が飛んだが、その質問には最後まで答えなかった(記者からもさらに問う質問は出なかった)。また「なし崩し」でやるのか 同様に、記者会見の質疑応答では、菅官房長官が説明した派遣の法的根拠では「権限が限られているとの指摘がありますが」との質問も出たが、「いずれにせよ今後、検討する」とだけ応じ、具体的な回答はなかった。 菅官房長官が説明した通り、政府は、防衛省設置法上の「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究」として実施する。だが、本当にそれでよいのか。実は「権限が限られている」どころの話ではない。社説で「武器使用は正当防衛や緊急避難に限られる」と書いた新聞もあるが、それも違う。正確には、武器使用を含め、何もできない。 なるほど防衛省設置法の第4条は「防衛省は、次に掲げる事務をつかさどる。(中略)所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと(以下略)」と定める。 同様に、法務省設置法第4条も「法務省は、前条の任務を達成するため、次に掲げる事務をつかさどる。(中略)法務に関する調査及び研究に関すること(以下略)」と定める。その他、各省の設置法に同様の規定がある。当たり前だが、護衛艦の派遣や、いわんや武器使用を想定した条項ではない。 そもそも上記新聞が書いたように「自衛隊が日本周辺などで警戒監視活動を行っている規定である」。法律上は「自己」に加えて「他人」も守れる「正当防衛」を理由に、これで武器を使用できるのなら、大騒ぎして平和安全法制を整備する必要などなかったことになろう。 おそらく政府は、現地で武器使用の必要が生じた場合は、自衛隊法第95条による「武器等防護のための武器使用」と説明する腹案に違いない。上記社説もその認識を述べたのであろう。 あるいは、現地の情勢変化を見極めながら、新たな閣議決定に基づき、より適切な法的根拠に変更するつもりなのかもしれない。ホルムズ海峡付近への自衛隊派遣検討について、会見で記者の質問に答える菅義偉官房長官=2019年10月18日、首相官邸(春名中撮影) ならば、それを人は「なし崩し」と呼ぶ。それこそ「いつか来た道」ではないのか。 いずれにせよ、私が予測した通りの展開となった。たとえば近日発売予定の『2020年の論点100』(文藝春秋)の特集「シミュレーション令和X年 戦争への道」に掲載される拙稿で、こう書いた。 平成から「積極的平和主義」を掲げてきた日本政府に、自衛隊を派遣しない選択肢はなかった。とはいえ、防衛出動のハードルは高い。やむなく政府は、防衛省設置法の「調査研究」名目で、イージス型護衛艦や哨戒機を派遣した。(中略)かくして自衛隊が平成から積み重ねてきた「犠牲者ゼロ」の海外派遣実績は、あえなく幕を閉じた。 せめて最後の幕だけは、私のシミュレーションを裏切る舞台で終わってほしい。心から、そう願う。
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米知日派、首相のナショナリズムは外交的に非生産的
2014年、安倍内閣は憲法解釈を変更し、集団的自衛権を行使できると閣議決定した。このことは同盟関係にあるアメリカ側からはどう評価されるのか、アメリカ民主党政権で安全保障関係の要職を務め、知日派としても知られるハーバード大学特別功労教授のジョセフ・ナイ氏に聞いた。* * * 安全保障という観点から見ると、日本は極めて危険な地域に位置している。最も顕著なのが、何をやるか予測し難い独裁国家・北朝鮮の存在だ。北朝鮮は貧しい国だが、その乏しい国家予算から核兵器とミサイル開発にカネを注ぎ込んでいる。 また、長期的にみれば、中国の台頭がある。尖閣諸島をめぐって日本の主権を認めず、紛争を起こしている人口13億の国家だ。北には日本固有の北方領土について未だに主権を主張するロシアがいる。さらに、日本は南シナ海のシーレーンを経由する貿易に頼っている。 そうした不安定なアジア地域で日本が集団的自衛権を行使すること(国連憲章は日本にその権利があることを認めている)は理に適ったことだ。 むしろ私が問題視するのは、この穏健な変更措置に纏わりつく日本のナショナリスト的なレトリックと言動だ。安倍晋三首相は、慰安婦問題に関する『河野談話』の見直しとか靖国神社参拝といった問題をナショナリズムという一つのパッケージに包み込んで、隣国や同盟国の不信感を増長させている。これが国内政治にどれほど役立つかどうかはともかくとして、外交という見地からすると非生産的である。 19世紀以降、日本はユニークな伝統文化の魅力を継承しつつ、グローバリゼーションを取り入れてきた。快適で、安全で、平和的な民主社会を創り上げてきた。日本人は自国を誇りに思うべきだし、世界により寄与することが出来る。 日本が再び経済成長力を取り戻し、女性の役割を増大させることで(男女雇用均等問題に)真正面から取り組み、国際的な役割を強化していただくよう祈念したい。●取材・構成/高濱賛(在米ジャーナリスト)関連記事■ 「戦争ができる国作り」が進む日本の現在の状況を分析した本■ 大前研一氏が貿易赤字国日本が世界で生き抜く術を指南した書■ NHKに対する政治支配問題や籾井会長の失言等に警鐘鳴らす本■ 安倍首相 ナショナリズム「健全」「偏狭」分けて考えるべき■ SMAP上海公演中止 中国政府に対し中国人ファン激怒
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有権者に見えにくい深い闇中の危機を突破せよ
でしょう。しかし2015年4月の統一地方選挙のあとに取り組むことになるだろう安全保障法制の根本改正、集団的自衛権の法制化は簡単ではない。 なぜなら総選挙でマスメディアは自公が大勝と報じているけれども、その中身は自民党は現有勢力を減らし、公明党は増えているのです。第三次安倍政権の内部で、公明党の影響力は増大します。2014年7月に集団的自衛権の行使容認を閣議決定した時も、公明党の北側副代表によって実際は強すぎる縛りが掛けられました。「日本国民への明白な危険」が実証されない限り、自衛権の一部を発動できないことになりました。 わたしは閣議決定の翌月に訪米し、アメリカの外交官や軍人と議論したとき「かえって日本はみずからの自衛権に制約を強めた」と指摘され、「アメリカの国益のための集団的自衛権ではない。日本の国益とアジアの自由と民主主義と平和のための集団的自衛権だ」と反論しましたが、アメリカ側の指摘そのものは客観的に事実です。自衛権は本来、国際法によって個別も集団も認められています。閣議決定は、これまでは一種のグレーゾーンでもあったところに明確な制約を作ってしまった。公明党は、法制化でさらにこの制約を実効的にしようとするでしょう。安倍総理は、再登板の真の目的である改憲と拉致被害者の救出のためにも、これに抵抗し、法制化では国際法に沿ったものにしてほしい。 今こそ、「もはや命も要らぬ、もちろん金も要らぬ、名誉も要らぬ」という幕末の志士の生き方を貫く総理になっていただきたい。それだけが、有権者には見えにくい深い闇のなかの危機を突破できる道です。
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集団的自衛権「ダメよ~」に異議あり!
今年の世相を反映し、話題になった言葉を選ぶ「流行語大賞」が発表され、年間大賞に「集団的自衛権」と「ダメよ~ダメダメ」が選ばれた。この2つの言葉を並べてみると、何らかの政治的意図を感じる人もいるだろう。そこで、選考委員のみなさまにお尋ねします。やっぱり思惑があったんですか?
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左翼メディアよ、そんなに集団的自衛権が憎いのか
制の整備のための基本方針」を閣議決定した。 護憲・改憲の立場を問わず、全マスコミが今回の閣議決定を「集団的自衛権」と報道している。その結果たとえば、グレーゾーン事態の法整備が先送りされた問題など、集団的自衛権以外の論点が見えなくなってしまっている(「Voice」8月号拙稿)。 ちなみに閣議決定文のタイトルは「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」。どこにも「集団的自衛権」の6文字がない。実は本文の中核部分も同様である。 「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」 以上が「集団的自衛権行使容認」と報じられたのは、なぜか。それは閣議決定文がこう続けて、敷衍したからであろう。 《憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある(中略)が、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである》 たしかに護憲派が咎めるとおり、分かりにくい(週刊「世界と日本」夏季特別号拙稿)。的外れとならない範囲で要約すれば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置」となろう。 従来「日本防衛は個別的自衛権であり、他国防衛は集団的自衛権(だから許されない)」と議論されてきた。その延長線上で言えば、「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は個別的自衛権(だから許される)」となろう。 言い換えれば、従来の脈絡における集団的自衛権行使は容認されなかった。憲法上の議論としては、そうなる。事実、公明党代表はそう表明したし、自民党幹事長も追認した。 案外知られていないが、自衛隊は(少なくとも一部の)国際法上「軍隊」として取り扱われる(昭和60年11月5日付・政府答弁書ほか)。 他方で政府は(昭和42年3月以降)「自衛隊を軍隊と呼称することはしない」と言明し続けている。憲法9条が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と明記している以上、政府としてたとえば航空自衛隊を「空軍」とは呼べない。軍隊ではなく自衛隊、そう言わざるを得ないが、たとえ日本国と日本人が「自衛隊」と呼ぼうが、国際法上は軍隊であり、国際社会も陸海空軍と認識している。 「国際法上は軍隊だが、憲法上は自衛隊(だから許される)」 「国際法上は集団的自衛権だが、憲法上は日本防衛のための措置(だから許される)」 どちらにも同じ匂いが漂う。 いや、マスコミが報じるとおり、集団的自衛権は容認された——そう言ってよいなら、自衛隊は「軍隊」である。日本は「陸海空軍」を保持している。そう容認されている……と言っていいはずなのに、なぜ護憲派は「憲法違反、解釈改憲」と批判しないのか。朝日は朝日、NHKはNHK 今回の閣議決定を、護憲派は口を揃えて「解釈改憲」と誹謗する。だが、彼らは自衛隊も、個別的自衛権も批判しない。なぜか、集団的自衛権(行使)だけを敵視する。 自分は守るが、他人は助けない。家族や友人さえ見殺しにする——人類史上、最も不潔で破廉恥な意見を掲げながら、安倍政権を非難しているのと同じだ。じつに破廉恥な連中だ。 そのせいであろう。安倍総理は「安保法制懇」の報告書を受けた今年5月15日の総理会見で用いたパネルを再び掲げながら、あの日と同様の熱意でこう訴えた。 「現行の憲法解釈の基本的考え方は、今回の閣議決定においても何ら変わることはありません。海外派兵は一般に許されないという従来からの原則も全く変わりません。自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してありません。(中略)外国の防衛それ自体を目的とする武力行使は今後とも行いません。(中略)日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない」 予想はしていたが、正直ガッカリした。総理には正面から「『現行の憲法解釈の基本的考え方』は間違っていた、だから変更する」と語ってほしかった。願わくは、憲法改正にも言及して頂きたかった。 だが、もはや安倍政権への注文を書いている場合ではない。右の熱弁も、護憲「進歩」派マスコミの耳には、こう聞こえるらしい。 「9条崩す解釈改憲」(7月2日付朝日朝刊1面ヘッドライン)。朝日だけではない。毎日新聞に加え、東京新聞(中日新聞)や北海道新聞など多くの地方紙も閣議決定を非難した。ちなみに総理会見の質疑では、北海道新聞の宇野記者が質問の形を借り、こう主張した。 「抽象的な表現にとどまった感があります。これでは時の政権の判断でいかようにでも拡大解釈でき、明確な歯止めにならない」「(自衛)隊員が戦闘に巻き込まれ血を流す可能性がこれまで以上に高まる」 翌朝の北海道新聞の紙面は、ご想像のとおりである。 5月15日の総理会見では、翌朝の1面ヘッドラインに「『戦地に国民』へ道」と大書した東京新聞が最低最悪だったが、今回は朝日新聞が突出した。全国紙のヘッドラインでは「集団的自衛権 限定容認」とした読売新聞が今回もベスト。読売が書いたとおり、善かれ悪しかれ「限定容認」に過ぎない。それを大批判するのも、大喜びするのも、おかしい。 朝日新聞の集団的自衛権報道については本誌6月号の拙稿で詳論した。加えて最近も「言論テレビ」(7月12日放送・月刊「ウイル」9月号掲載)などで指弾したので、以下(朝日同様、世論形成に大きな影響力を持つ)NHK総合テレビの報道に焦点を絞ろう。 まず、総理会見を生中継した番組で、政治部の岩田明子記者が、会見と閣議決定を解説した。的を射た解説であり、非の打ち所がなかった(以下、今回は個人名を挙げるが、私は誰とも面識がない)。 だが、NHKはやはりNHK。続く同夜の「ニュース7」は31分間中、25分間を当て報道。スタジオ出演したのは政治部の田中康臣記者。アナウンサーとの主要な会話を再現しよう。 「どんな意味を持つんでしょうか」 「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという、これまでの大きな制約が外れるという点です」 「つまり、何ができて、何ができないか。必ずしも明らかになっていないということなんですね」 「そうですね。そのため野党からも『自衛隊の活動範囲が際限なく広がる』とか『戦争に巻き込まれる可能性が高まる』といった批判が出ているんです。(中略)行使容認という大転換に踏み切ったわけですが(中略)国民の理解を得られるかが問われる(以下略)」あくまで「限定容認」なのに… 朝日同様、聞く耳持たず。総理や与党幹部が連日どう説明しても無駄なようだ。 まず、右の会話は事実に反する(と私は思う)。善かれ悪しかれ「行使容認という大転換に踏み切ったわけ」ではない。あくまで「限定容認」(読売)である。 「大きな制約が外れる」云々と視聴者の不安を煽っているが、「日本が攻撃された場合にしか武力行使ができないという」制約など、これまでもなかった。その他を含め間違いだらけ。念のため付言すれば、「攻撃された場合」ではなく、「急迫不正の侵害」が従来の自衛権行使の要件である。「急迫」とは「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている」状態(最高裁判例)。私に言わせれば、要件はより厳しくなった(前掲拙稿)。 同夜の「ニュースウォッチ9」も同様。「武力行使の要件を『日本に対する武力攻撃が発生した場合』に限定してきましたが……」と虚偽報道した上で、こう批判した。 「歯止めが具体的にかかっていると言えるんでしょうか」(井上あさひキャスター) 「その点は必ずしも明確ではないと思います」(政治部の原聖樹記者) ……これでは、岩田記者のパーフェクトな解説が台無しである。公共放送NHKの花形たる政治部記者にして、この始末。自衛権行使の要件は昔も今も明らかである。かりに新3要件の歯止めを不明確と咎めるなら、同等以上の批判が旧3要件にも当てはまる。さらに言えば、「急迫不正」との刑法第36条(正当防衛)その他、あらゆる法令の要件に当てはまる。 もし本心から「必ずしも明らかになっていない」と思っているなら、法学の素養が皆無なのであろう。そうでないなら、意図的かつ悪質な世論操作である。NHK記者は、冠に「必ずしも」と振れば、何であれ、「~ではない」と否定的に断定できると思っているようだ。なんとも卑怯な表現ではないか。 さらに、この番組は「憲法解釈変更その先に…」「記者大越がみた 自衛隊 派遣のこれまで」と題したコーナーで自衛隊イラク派遣を「〝戦時〟の協力へ」と振り返った。当時のNHKニュースも連日「泥沼化するイラク戦争」と報じていた。 現場(サマーワ駐屯地)にいた実感として、そうは思わないが、いずれにせよ、もし「戦争」であり「戦時」だったのなら、根拠法令(イラク特措法)違反、憲法違反となる。いわゆる「非戦闘地域」ではなくなってしまう。つまり、法律と政府答弁を無視した報道である。「いや政府答弁こそ詭弁だ」との認識なら、正面から堂々と「憲法違反だった」と報じ批判するべきだ。昔も今もNHKは直接話法で正面から語らない。未来永劫「必ずしも~でない」と言い続けるのであろう。 遺憾ながら、この程度で驚くのはまだ早い。翌2日放送の情報番組「あさイチ」では、城本勝解説委員がフリップを使いながら「アメリカと一緒になって反撃する権利。これが集団的自衛権」と出鱈目な説明をした。正しくは「反撃する権利」でなく「実力をもって阻止する権利」。そう本誌6月号で縷々述べたが、相変わらずNHKには馬耳東……。「あさイチ」から偏向報道を 看板番組「日曜討論」の司会も務める城本解説委員は5月6日放送の「大人ドリルSP 今さら聞けない…集団的自衛権のいろは」にも出演し、「国際社会に理解してもらうことから始めないと何をするにも難しい」「拡大解釈される」等々と危険性を言い募り、反対姿勢を鮮明にした。 案の定、7月二日も「あさイチ」から、閣議決定を、以下のとおりダメ出しした。 《「明白な危険」というのも誰が判断するんだ、という話になりますし(中略)、非常にあいまいだ。事前に国会承認が必要だと言っているんですが、この歯止めについてはまだ具体的ではない》 井ノ原快彦キャスターが「だから、みんな怖いわけですよね」と受け、「そうですね」との会話が続いた。 くどいようだが、新3要件が「あいまい」との批判は当てはまらない。「非常に」と形容するなど、もっての他である。城本氏は、要件に該当したかを、誰が判断するか、ご存知ないようだが、正解は内閣である。国家安全保障会議や閣議で審議される。その判断の当否は、国会や裁判所もチェックする。これ以上の歯止めはあるまい。 城本氏は番組でさらに「総理会見をどうみたか」聞かれ、こう答えた(正確に再現すると日本語にならないので、明らかな言い間違いや不必要な表現は修正した)。 《率直に言って、これまでの憲法の考え方を大きく変える、(中略)大きく転換させた。これが1つ。(中略)60年安保、ありましたよね。国会で大議論をしてきたわけですね。国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた。今回はまず、政府が「政府の責任で決めます」と。んで、「これから国会で議論します」という……ちょっと、その順番はこれまでのやり方と違うな、というのが率直な印象》 率直に言って、レベルが低すぎる。(安保)条約の批准と、閣議決定を同列に議論するのは憲法上もいただけない。いわゆる三権分立を理解していないから、こうなる。 順番が違うと言うが、担当省庁で起案し、関連省庁間で根回しの上、事務次官会議を経て閣議決定後、閣法として国会に提出する。それが「これまでのやり方」である。先に閣議決定しなければ、法案を提出できない。至極当然の順番である。 ポレミック(論争的)に言えば、他のやり方もある。右の順番だと、内閣法制局の審査を経なければならない。もし彼らが抵抗すれば法案はできない。そのハードルを回避すべく議員立法で関連法案を成立させる。たとえば「国家安全保障基本法」を……。 私は本来そうすべきだったと思う。これなら内閣法制局審査を経る必要がない。これぞ従来の政府解釈の縛りを解く効果的かつ合憲的なやり方だった。そうした批判なら傾聴に値するが、NHKの主張は正反対。しかも、まだ議論が足りないという。私の目には今回も「国民的にも賛成・反対、大変大きな議論があるなか、物事が決められてきた」と映るが、安保世代の解説委員に映る風景は違う。まだ議論が足りないらしい。安保騒動のごとく、デモ隊が国会に突入し、犠牲者が出ないと、満足できないのか。 番組では有働由美子キャスターも「なぜ急いだんですかね」と疑問視した。この問題は第一次安倍内閣から議論を始めた。安倍自民党として公約に掲げた二度の国政選挙でも大勝した。第二次安倍内閣で議論を再開後、1年半以上が経過してからの閣議決定なのだ。遅きに失したとの批判すら、あり得る。 ゲストの室井佑月さん(作家)も「他国の戦争に巻き込まれるわけですから、テロの脅威は増えますよね」と総理会見を非難。城本解説委員がこう受けた。 「(そうした)疑問や不安が出てくるのは当然。(中略)抑止力を高めることによって必ずしも戦争を防げるわけではない。むしろ逆になることもある。こういう事実がある」 日本の公共放送が、日本の抑止力が高まることを批判したのだ。生放送を見ていた中国大使館員のほくそ笑んだ顔が目に浮かぶ。消された国谷キャスターの発言 翌3日放送の「クローズアップ現代」も酷かった。ゲストは菅義偉官房長官。まず国谷裕子キャスターがこう語った。「武力行使が許容されるのは日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られるとされてきました」 先述のとおり「武力攻撃が発生した場合」ではなく「急迫不正の侵害」が正しい。続けて「戦後日本の安全保障政策を大きく転換する閣議決定」とも述べたが、政府見解とも、読売の報道とも、私の理解とも違う。私に言わせれば、大転換すべきだったのに、「限定容認」(読売)に留まった。 今回の閣議決定で許容されるのは「自衛のための措置」と紹介しながら、「これまで世界の多くの戦争が自衛の名の下に行われてきたのも事実です」と、閣議決定を実質的に全否定(ないし大批判)した上で、こう世論を誘導した。 「憲法9条の精神を貫くためには、より具体的な武力行使への歯止めが求められています。重大な解釈変更であるにもかかわらず、閣議決定に至るまで国民的な理解、そして議論が深まっていないという声が多く聞かれます。なぜ今この大転換なのか。集団的自衛権の行使容認は限定的だと言っても、果たして歯止めは利くのでしょうか」 大衆は理解していないという“前衛”気取りの左派体質が露呈している。私の認識は正反対。大半の国民は、漠然とであれ、「必要最小限度なら許される」と、事の本質を正しく理解している。失礼ながら、理解していないのは彼女自身のほうではないのか。 執拗に菅長官を追及し、番組中「他国を守る集団的自衛権は行使しない」と明言させた。ならば「大転換」でも何でもあるまい。さらにブチブチ文句を言い続け、出演した原聖樹記者(前出)も「わが国の存立が脅かされる事態とは、具体的にイメージしにくい」と疑問を呈した。今回、政府は8つも事例を示したのに、まだ足りないらしい。足りないのは政府の説明ではなく、記者や看板キャスターの能力であろう。 彼女らの失礼な態度に官邸が激怒し抗議したとの誤報が生まれたのも致し方あるまい。ちなみに発言や会話は、NHK公式サイトの「全文テキスト」で一部削除、訂正されている。さすがに良心が咎めたのか。だがウエブ上の発言記録は消せても、視聴者の記憶は消せない。終始、一方的な意見表明に終始した、明らかな放送法違反である。政府はこれに懲りて、以後NHKへの出演は控えるべきではないだろうか。 もはや、印象操作は日常茶飯事と化した。最近も7月13日放送の「ニュース7」が反対集会を報じたが、参加者がみな同じプラカードを持っていた。特定の組織(ないし政党)が背後にいるからではないのか。ならば、公共放送ではなく、宣伝機関に堕している。しかもNHKは反対集会しか報道しない。賛成支持するデモや集会を黙殺する。 同夜放送のNHKスペシャルでも、集団的自衛権を「反撃する権利」と国際法を無視し勝手に定義したうえ、アフガン派遣で犠牲を出したドイツの例を挙げ、「犠牲者を生むリスクが高まる」と間接話法で指摘した。 だが、その例は番組が報じたとおり「国連の枠組みの下」の活動である。つまり集団的自衛権の行使ではなく、集団安全保障のケースである。ゆえに「集団的自衛権 行使容認は何をもたらすのか」と題した番組で紹介すべき事例ではない。 ただ遺憾ながら、多くの日本国民が両者を混同している。違いが分かっていない。おそらく視聴者は大きな不安にかられたはずだ。なんとも巧妙かつ悪質な印象操作である。 NHKによって、7月1日の意義は深く傷ついた。一連の報道は憲法上の保障に値しない。放送法に違反した偏向報道である。 蛇足ながら同夜、NHK以下各局は、滋賀県知事選で自公の推薦候補が敗北したニュースを速報した。翌朝の毎日新聞1面は「『集団的自衛権』影響」と報じ、安倍総理も「集団的自衛権の議論が影響していないと申し上げるつもりは毛頭ない」と答弁した(7月14日・衆院予算委)。しかし、影響を与えたのなら、その責任は「集団的自衛権」というより、それを報じた護憲派マスコミの姿勢にある。なかでも公共放送であるNHKの罪が重い。※この記事は「ウソが栄えりゃ、国が亡びる」(KKベストセラーズ)に収録されたものを再構成しています。




