日本人が知らない改元の意味
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日本人が知らない改元の意味

改元とは何か。この意味をきちんと説明できる人は恐らく日本人でも少ないだろう。大化以降の歴史をひも解くと、江戸時代まで天皇の在位中に慶事や大災害があれば頻繁に改元が行われた。天皇一代限りの一世一元が原則になったのは明治以降である。平成の終わりに、改元の意味を考えたい。

改元とは何か。この意味をきちんと説明できる人は恐らく日本人でも少ないだろう。大化以降の歴史をひも解くと、江戸時代まで天皇の在位中に慶事や大災害があれば頻繁に改元が行われた。天皇一代限りの一世一元が原則になったのは明治以降である。平成の終わりに、改元の意味を考えたい。

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朝廷からの宣戦布告

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改元がツキを呼ぶ?

 「元号」とは基本的に東アジアで行われた「国家の年齢の数え方」で、これは国家を支配する君主が土地人民だけでなく時間をも支配するという考え方に基づく。これと対照的なのがキリスト教紀元やイスラム教紀元などの「紀元」で、これは時間を支配するのは神で国王も平民もそれに従うべきだという考え方だ。たとえば、西暦2018年だが、これはもともとキリスト教紀元でイエス・キリストがこの世に赤ん坊の形で降りてきた年を紀元1年とし、それから何年経過したかを示している。
2019年5、6月の皇室カレンダー。皇太子ご夫妻を「天皇皇后両陛下」と紹介し、下部には「新元号元年」と表記している
 たとえば、平成30(2018)年は「明治維新150周年」だったが、元号で考えると明治元年から何年経過したか非常に分かりにくい。しかし、明治元年はキリスト教紀元1868年で平成30年は2018年だと考えると、2018-1868=150で分かりやすい。元号にはこうした難点がある。ただし日本人の約98%はキリスト教徒ではないので、キリスト教紀元ではなく「西暦」という便宜上の名称をつけ、これを使用しているというわけである。
 かつては明治から昭和20(1945)年まで日本紀元というのも存在した。初代神武天皇の即位から何年経過したかを示す暦である。これによると昭和14(1939)年は日本紀元2600年になる。そこで日本海軍はその年に正式採用した戦闘機を2600の末尾の0を取って「零式」とよんだ。零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」である。しかし、神武天皇の即位年があまりにも古代にさかのぼり、現実の歴史とは合わないこともあり、現在はほとんど使われていない。
 この元号というシステムを考えたのは古代中国人である。中国では秦の始皇帝以来、全土の支配者を皇帝と呼び、皇帝に服従する意思を示した周辺国家の首長を国王と呼んだ。元号は皇帝が定め、国王はそれを使用しなければいけない。つまり勝手に元号をたててはいけない。これは東アジアの基本的ルールだった。それに最も忠実だったのが朝鮮半島の国家で、新羅も高麗も朝鮮もすべてトップは国王(中国皇帝の家来)であり、公文書には中国の元号を用いた。国内事件を独自に記録したければ「甲午改革」のようにエトを用いて「甲午(きのえうま)の年の改革」とするしかなかった。
 朝鮮とまったく逆の道を行ったのが日本である。卑弥呼のころは「倭国王」の称号をもらって喜んでいたようだが、聖徳太子のころから「日本は独立国で中国の属国ではない」と考え、君主も「国王」ではなく「天皇」を名乗るようになった。当然、独自の年号をたてるべきであるということになる。それが奈良時代あたりから連綿として続いてきた。
 ただし現在と大きな違いがある。昔はおめでたいこと(慶事)があったときそれを祝い、不吉なこと(凶事)があった場合はそれから脱却するために、天皇一代で何度も年号を変えることがあった。ペリーの黒船来襲(1853年)から明治維新(1868年)までは15年しかないが、嘉永から安政、万延、文久、元治、慶応そして明治と6回も年号が変わった。何とか「ツキ」を変えようとしたのである。しかし、あまりにもころころ変わり過ぎるということで、明治になって「一世一元の制」となった。天皇一代で一つの元号しか使用せず、元号と天皇の追号が一致する。
 明治時代を治めた天皇はご存命の時は「今上陛下(きんじょうへいか、今の天皇)」と呼ばれるが、崩御され改元が行われた後は明治天皇とお呼びするということだ。今回の改元はそれとは違う新しいやり方なので、呼称や待遇面で新たな処置が必要だということでもある。(作家・井沢元彦、zakzak 2019.01.07

改元後のトラブル回避

気を揉む関係者

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