「2021」も失われた一年になるのか
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「2021」も失われた一年になるのか

2020年は、新型コロナウイルスに翻弄された一年だった。東京五輪・パラリンピックが延期になったほか、業界によっては大打撃受けた。とはいえ、課題はこれだけではない。強力な与党から派生した政治の歪や米中覇権争いのあおりなど、日本は苦境のどん底だ。2021年も「失われた一年」になるのか。

2020年は、新型コロナウイルスに翻弄された一年だった。東京五輪・パラリンピックが延期になったほか、業界によっては大打撃受けた。とはいえ、課題はこれだけではない。強力な与党から派生した政治の歪や米中覇権争いのあおりなど、日本は苦境のどん底だ。2021年も「失われた一年」になるのか。

現実味ある「小池シナリオ」

期待される「有志連合」

課題は長期的な安全性

「新陳代謝」が鈍い企業

「本質志向」で生きていく

 2020年はどんな1年だったのか。今年最後のコラムなので、総括してみよう。
 最大のニュースはもちろん、新型コロナウイルスの感染拡大だ。大げさでなく、コロナ禍は世界を変えた。どう変えたのか、と言えば「真に価値あるもの、大切なものと、そうでないものをコロナが峻別してしまった」。私はそう思う。
 例えば、サラリーマンなら「仲間とちょっと一杯」がなくなった。それは、「仕事を円滑に進める潤滑油」とみんなが思っていたのに、ビールと焼き鳥がなくても、仕事はできると証明された。むしろ、「飲み屋で上司風を吹かせるだけのオヤジは無用の存在」とバレてしまった。
 満員の通勤電車もそうだ。会社に行かなくても、仕事はできた。仕事の本質は「成果を出す」ことだけで、「仕事をする時間や場所、上司や同僚との付き合いなどは従属的要素にすぎない」と明らかになってしまった。
 仕事自体も、本質的価値が問われるようになった。例えば、あらゆる業種で仲介業が苦労している。仲介者がいなくても、求める相手は自分で探せば、ネットで見つかる。
 家庭生活も変わった。
 これまでは、仕事の都合で家族を犠牲にした読者も少なくないだろう。だが、多くの人が苦しいときに頼りになるのは、自宅で一緒の時間を過ごす家族と気付いた。
 この変化は、もう元には戻らない。コロナ禍で多くの人が夾雑物(きょうざつぶつ=混じり込んだ余計なもの)を捨ててしまった。それがなくても大丈夫と分かったからには、人々の本質志向は研ぎ澄まされていくに違いない。
出邸する菅義偉首相=2020年11月27日午前、首相官邸(春名中撮影)
出邸する菅義偉首相=2020年11月27日午前、首相官邸(春名中撮影)
 政治もそうだ。
 政治は何のためにあるか。「人々の命と暮らしを守る」。これが原点だ。政府や政治家が国民の命と暮らしを守るために、何をしているのか。国民はこれまで以上に厳しく監視していくだろう。
 菅義偉内閣の支持率が急落したのも、感染拡大が明らかなのに、新たな対策を取らず、それまでの施策に固執したように見えたからではないか。
 そもそも、「GoToキャンペーン」は、安倍晋三前政権がコロナ禍が終息した後、景気の「V字回復」を狙って打ち出した政策だった。それしかないのかと言えば、そんなことはない。景気を下支えするなら、消費税や法人税、所得税の減税のほうが、よほど理にかなっている。
 それができないのは、政府が財政健全化という「コロナ前の呪縛」にとらわれている証拠だ。
 民間は、リストラや業態転換で大出血を強いられている。それなのに、政府は惰性で動いている。それで「ふざけるな!」とばかり、不満が爆発した。人々の生活が苦しくなれば、政府に厳しい目が向けられるのは当然だ。
 だからといって、菅内閣が倒れるかと言えば、そうはなりそうもない。野党がふがいなさすぎるからだ。
 いまからでも遅くはない。菅首相は政府が何をどうするか、予算はどう着実に執行していくか、自分の言葉で発信すべきだ。「現場からたたき上げた政治家」にとって、本領を発揮する好機である。(ジャーナリスト、長谷川幸洋 「ニュースの核心」ZAKZAK 2020.12.26

日常にもリスクだらけ

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