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栄光なき戦艦大和になぜ惹かれるのか
「不沈艦」と謳われ、当時世界最大を誇った戦艦大和が、東シナ海に散ったのは70年前の4月7日だった。その名の通り、旧日本海軍の象徴的存在だったとはいえ、目立った戦果はなかったことでも知られる。なぜ人々はこの栄光なき巨大戦艦に惹かれるのか。
「不沈艦」と謳われ、当時世界最大を誇った戦艦大和が、東シナ海に散ったのは70年前の4月7日だった。その名の通り、旧日本海軍の象徴的存在だったとはいえ、目立った戦果はなかったことでも知られる。なぜ人々はこの栄光なき巨大戦艦に惹かれるのか。
「死者」不在の戦後教育

戦艦大和 全長263㍍、基準排水量6万5千㌧。射程40キロを超える口径46センチの主砲を搭載したが、海戦の主役は航空機に移り、性能を発揮する機会はなかった。沖縄の海岸で座礁して砲台の代わりになる「海上特攻」の命令を受け、巡洋艦などとともに山口県・徳山沖を出撃。しかし潜水艦に発見され、米軍機の波状攻撃にさらされ沈没した。艦隊全体で約4千人が戦死したとされる。
沖縄特攻で沈没した戦艦大和の生存者である吉田満は、「戦没学徒の遺産」(昭和44年)という文章を残している。特にこの夏は、次の言葉を何度も何度も思い出した。
「私はいまでも、ときおり奇妙な幻覚にとらわれることがある。それは、彼ら戦没学徒の亡霊が、戦後二十四年をへた日本の上を、いま繁栄の頂点にある日本の街を、さ迷い歩いている光景である。(中略)彼らが身を以て守ろうとした“いじらしい子供たち”は今どのように成人したのか。日本の“清らかさ、高さ、尊さ、美しさ”は、戦後の世界にどんな花を咲かせたのか。それを見とどけなければ、彼らは死んでも死にきれないはずである」
さらに「彼らの亡霊は、いま何を見るか、商店の店先で、学校で、家庭で、国会で、また新聞のトップ記事に、何を見出すだろうか。戦争で死んだ時の自分と同じ年頃の青年男女を見た時、亡霊は何を考えるだろうか」と問う。

戦後教育は「死者」を忌避し、「死者からの視線」を欠落させてきた。「死者」との絆は、「戦前=悪」「戦後=善」という歪(ゆが)んだ歴史教育によって意図的に切断されるか、「死者」の「思い」を正確に「教えない」ことで「生者」とのつながりを断絶させてきた。
戦後教育のいう「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」とは、いま生きている「生命」にのみ焦点が合わされ、自らの生命の礎となった「死者」の存在とその「思い」に目を向けることはなかった。しかし、「死者」の「思い」を無視した教育は、たやすく無機質な「生命尊重主義」に回収されてしまい、ここから真の「畏敬の念」が生まれることはない。
「死者」の「思い」を無視することは、「死者」に対する倫理の崩壊であり、「死者からの視線」を実感しながら生きることなしに、日本人の道徳の再生はない。
(武蔵野大学教授 貝塚茂樹、産経新聞 2012.09.01)
(武蔵野大学教授 貝塚茂樹、産経新聞 2012.09.01)
大和の語り部
大和沈没時の乗組員だった八杉康夫さんは17歳で超弩級戦艦の乗艦を命じられた。生還してからは広島への原爆投下後、「陸戦隊」として救援に向かい被爆。戦後50年を過ぎたころから原爆症でがんに侵されながらも、語り部として講演活動を続けてきた。
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