
古舘伊知郎様 お尋ねしたいことがあります
今夏発売された「AERA」誌上で、「報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎氏が「口にさるぐつわをはめた状態で10年たった」「ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えない」などと自身の番組を含むメディア批判を口にした。
今夏発売された「AERA」誌上で、「報道ステーション」キャスターの古舘伊知郎氏が「口にさるぐつわをはめた状態で10年たった」「ホントのところは新聞も雑誌もテレビも伝えない」などと自身の番組を含むメディア批判を口にした。
拝啓 古舘伊知郎様

金銭の対価として嫌な仕事をすることもある。テレビ朝日を含む朝日新聞グループの言う「広義の強制」と同じ意味ではないでしょうか。貴殿はテレビ朝日に謝罪と補償を求めるのでしょうか。
もっとも、「さるぐつわ」をはめられているなら「狭義の強制」であり、「キャスター奴隷」かもしれませんね。(皆川豪志)
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「広義の強制」とは

従軍慰安婦問題の研究者、吉見義明も「強制とは『本人たちの意思』に反する行為をさせること」であり「本人の意思に反して連行していくことは『強制連行』」であると定義している。民間人による就職詐欺のケースも強制連行に含め朝鮮半島や台湾で慰安婦の強制連行が行われたのは事実であり、軍はこれに通行許可書を発行するなどの関与をしたと主張している。このように拡大された定義を「広義の強制連行」と呼ぶ。吉見によれば、自発的に慰安婦になる女性が存在するはずはなく、「たとえ本人が、自由意思でその道を選んだようにみえるときでも、実は植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果」なのだという。こうした吉見の「広義の強制連行」論は、貧困・就職詐欺や戦地での軍規違反のケースまで含めるなど、強制(連行)という言葉の解釈を拡大する手法には批判も出ている。秦郁彦はこの拡張した定義について「この論理を適用すると、当今の霊感商法やねずみ講のたぐいまで、国は被害者への補償責任を負うことになってしまう」といっている。
真っ向から対立する意見も…
朝日新聞の木村伊量社長が記者会見し、従軍慰安婦に関する報道と東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」をめぐる報道の誤りを謝罪して記事を取り消した。特に慰安婦の問題は報道機関の歴史認識や言論の自由に対する姿勢が問われるもので事態は深刻だ。(中略)
吉田証言は虚偽だったが、朝鮮半島の女性を慰安婦として戦地に駆り出した重大な人権侵害があった事実は変わらない。記事取り消しに乗じて負の歴史を否定する動きが広がることを危惧する。(中略)
慰安婦問題に関する93年の河野談話は、日本軍が慰安所の設置や管理に関与したことや、本人の意思に反した慰安婦の募集があったことを認めている。強制連行に関する一証言が否定されても、広義の強制性は否定できない。
国立公文書館は昨年、強制連行したオランダ人女性を慰安婦とした旧日本軍将校の裁判記録を開示した。日本兵の性のはけ口となることを女性たちに強いた証言があり、歴史の事実として無視できない。
あなたが「広義の強制性」を感じるのはどんなときですか?
「国家的な人さらい」のような本当の意味での強制はなくとも、「意に反して、その仕事に就いたのであれば広い意味で強制性があった」というわけです。9月11日の「謝罪会見」のときも、朝日新聞はこの主張を繰り返しています。もちろん、「意に反した」慰安婦の方もいらっしゃるでしょうし、親に売られていたという悲しい境遇の方もいたでしょう。戦争中だから仕方がない、というのも乱暴な議論かと思います。

これを「広義の強制性」などというのなら、私たちの現代社会も成り立ちません。嫌な上司を我慢して嫌な仕事をするのも、人のやりたがらない危険な仕事に就くのも、夜の街で風俗の仕事に就くのも対価があるからであり、「意に反して、その仕事に就いたのであれば広い意味で強制性がある」などと言ってしまえば、多くの人は失業してしまいます。朝日新聞の方はエリートですので、「意に反して」その仕事に就いたわけではないと思いますが、世の中には「意に反した」仕事についている人はたくさんいるのです。
余談ですが、「広義」「狭義」などという言葉遊びのようなことまでして日本を貶めたい人たちは、もっと古い日本史にも目を向けて、さらに糾弾ごっこをしてみてはどうでしょうか。例えば、「戦国の旅 30万人大虐殺を問う 足軽の家族に謝罪と補償を」とか、「奈良の大仏造営、そのブラック企業体質を問う」とか。

特異な語彙力と話芸でプロレスアナとして一時代を築いた古舘氏について、私はその才能を否定するものではありません。だからこそ、原点に立ち返ってほしいのです。原点とは、ご自身も「人間模様と重ねる」とおっしゃっているプロレスです。古代ローマの時代より人間は人間同士の戦いを見世物として楽しんできました。それは、いくら平和を叫ぼうが、いくら世の中の右傾化を憂いようが、悲しいかな人間の性(さが)なのです。
「なぜ人と人が争うのでしょう」「平和のありがたみを感じたいものです」…。そんな詰まらないコメントを意味ありげに語るぐらいなら、声を張り上げてプロレスの実況に戻ってほしいものです。自分から技をかけられるレスラーには、「これは広義の強制かー、それとも狭義かー」などと煽っていただければ、さらに盛り上がるかもしれません。(皆川豪志)