「相撲の品位」とはなんぞや
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「相撲の品位」とはなんぞや

俳優の坂上忍がテレビ番組で「角界の常識は世間の非常識」とあきれ顔で発言した。むろん、この言葉の裏にあるのは角界を揺るがす相次ぐ不祥事である。神事を起源とする相撲は、わが国の国技として古くから愛される伝統文化のはずだが、なぜスキャンダルがこうも後を絶たないのか。

俳優の坂上忍がテレビ番組で「角界の常識は世間の非常識」とあきれ顔で発言した。むろん、この言葉の裏にあるのは角界を揺るがす相次ぐ不祥事である。神事を起源とする相撲は、わが国の国技として古くから愛される伝統文化のはずだが、なぜスキャンダルがこうも後を絶たないのか。

なぜ誰も真実を言わないのか

大相撲には美学があれど…

横綱は勝敗を超えた存在

道を踏み外してはいけない

大相撲の伝統は崩れた

 長きにわたる大相撲の伝統がここまで崩れてしまうとは。九州場所11日目。白鵬が嘉風に敗れた一番だ。ふわっと立った相手にもろ差しを許し一方的に寄り切られた。すると、物言いや待ったをアピールするかのように右手を挙げて土俵下で立ち尽くす。審判から促され、1分以上たってからようやく土俵に上がったが、明らかに不満げな表情。今度は仁王立ちのまましばらく引き揚げようとしなかった。張り差しやかちあげをさけるために工夫した嘉風の術中にはまっただけのこと。例えるなら、じゃんけんをして嘉風がグーを出し、チョキを出した白鵬は「ごめんごめん、自分はパーを出すつもりだったが、チョキを出しちゃった。やり直そう」と言い訳しているかのよう。土俵へ上がらずに時間を稼げば「白鵬が納得していないのだから」と観客も味方して審判員の誰かが折れ、仕方なく物言いをつけてくれるとでも思ったのか。おごりを感じる。
 力士は自分が納得できなくても静かに引き下がらなければいけない。そこでぐっとこらえるのが最も大切な修行である。白鵬が日本の大相撲の精神を何も理解していなかったことが証明された。あんなふるまいが許されるのであれば、いずれは軍配に納得がいかず行司の装束をつかんで「俺の勝ちだろう」と言い出しかねない。最後は行司側と力士側に分かれ観客も交えて大乱闘になるかもしれない。周囲から「長い間一人横綱として相撲界を支えてくれた」とたたえられることに酔いしれてしまったのか。
白鵬は優勝インタビューで前代未聞の万歳三唱を促した=2017年11月26日(撮影・中島信生)
白鵬は優勝インタビューで前代未聞の万歳三唱を促した
=2017年11月26日(撮影・中島信生)
 布石はあった。稀勢の里戦で取り直しとなった審判の判定を批判したり、横綱審議委員会の稽古総見が終わる頃に姿を見せたり。謙虚さはどこへいってしまったのか。ことの重大性を認識させるために、1場所出場停止の処分を下してもいいほどの愚行だ。白鵬がいなくても土俵が充実していれば興行は成り立つという毅然(きぜん)とした姿勢が相撲協会には求められる。
 ちやほやされるばかりで大切なことを教えてくれる人がこれまでいなかったのは白鵬の悲劇である。おだてる人は自分に勢いがなくなれば去っていく。モンゴルから15歳で来日した少年を育てた側の責任は重い。なかなか直接叱ろうとしない師匠や相撲協会だけでなく、陰口が横行するいまの日本が白鵬を作り上げたことを忘れてはならない。この国の社会全体がどこか曖昧ではっきりものを言わず、その場の空気に流されてしまう。日馬富士の暴行問題に揺れる中、現場に同席した白鵬が千秋楽の優勝インタビューで呼びかけた万歳三唱に観客のほとんどが応じてしまうのが象徴的だ。いま白鵬にはっきり苦言を呈してくれる人はいるのだろうか。また、そうした存在をありがたいと受け止められる心が白鵬には残っているのだろうか。(元小結・舞の海秀平 産経新聞 2017.12.21

横綱が四股を踏む意味

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