黒田総裁続投、マンネリ人事の意味
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黒田総裁続投、マンネリ人事の意味

黒田東彦日銀総裁の続投が固まった。首相は「黒田総裁の政策は間違っていなかった」と評価したが、これまで6度延期された2%の物価上昇目標や金融政策を正常化する「出口戦略」のタイミングなど、次の5年に待ち受ける難題は山積する。賛否が分かれるマンネリ人事の意味を問う。

黒田東彦日銀総裁の続投が固まった。首相は「黒田総裁の政策は間違っていなかった」と評価したが、これまで6度延期された2%の物価上昇目標や金融政策を正常化する「出口戦略」のタイミングなど、次の5年に待ち受ける難題は山積する。賛否が分かれるマンネリ人事の意味を問う。

やっと面白くなってきた

バズーカはもういらない

デフレ脱却の足枷は

「ミスター円」が断言

首相はなぜ「デフレ派」になったのか

 安倍首相が、金融緩和などによるデフレ脱却を主張する「リフレ派」にどのようにしてなったのか。首相自身が2013年4月2日の衆議院予算委員会で説明している。国会答弁によれば、山本幸三衆院議員、米イエール大の浜田宏一名誉教授と筆者に教えてもらったという。
 この発言の背景を説明しよう。時は12年前にさかのぼる。小泉純一郎政権末期の06年3月、福井俊彦総裁時代の日銀が、01年3月から実施してきた量的緩和策を解除したのだ。
 当時、量的緩和策については、中央銀行の手法として「効果がない」という声と、逆に「副作用が強過ぎてハイパーインフレになる」という2つの極端な批判的意見が多かった。特に、日本では、著名な学者が批判論者であった。
2018年3月、平成30年度予算案についての参院予算委で、民進党の大塚耕平代表の質問に答弁する安倍晋三首相(斎藤良雄撮影)
 実は、量的緩和策の先駆者は先進国でいち早くデフレに陥った日本だった。デフレ解消の策として速水優総裁時代の01年3月から実施された。筆者は当時、小泉政権で竹中平蔵総務相の補佐官をしていて、政権内で量的緩和の有効性を説き、弊害がないことを指摘していた。
 当時の日銀の量的緩和の問題点は、量の面で不十分だったことだ。ところが、量的緩和そのものに反対している学者やマスコミが多かったこともあり、日銀は06年3月に解除してしまった。筆者はこれを批判し、デフレ脱却が遠のくことを予測したが、不幸にも的中した。
 これが誰の目にも明らかになったのは、第1次安倍政権になってからだ。理由は単純で、形式的なインフレ率が0・5%とすると、物価指数の上方バイアス(実際より高めの数値となりやすいこと)を考えれば、物価はマイナス0・1%という「デフレ状態」なのに金融引き締めをしてしまったからだ。
 この事情をよく覚えていたのが、当時、官房長官だった安倍首相だ。2度目の首相登板の後にも「06年の量的緩和の解除は時期尚早で失敗だった」と話している。これが前述の国会発言である。失敗を踏まえて、2%のインフレ目標を明確に導入したアベノミクスを作ったのだ。
 金融政策の方法はシンプルだ。まず、これ以上、下げられない失業率、つまりNAIRU(インフレを加速させない失業率)を推計する。これを達成するための最低限のインフレ率をインフレ目標とする。後は、実際のインフレ率がインフレ目標より低ければ金融緩和、高ければ金融引き締めである。
 安倍首相はこの単純なメカニズムを知っている。これを完璧に理解し、正確に実践できる人であれば、金融政策のドライバーになれるはずだ。あるいは、間違いやすい人より、ひょっとしたら人工知能(AI)のほうが適していると思っているかもしれない。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一、zakzak 2018.02.02

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