会津と長州「仇敵同士」はウソだった?

会津と長州「仇敵同士」はウソだった?

会津と長州。言わずもがな禁門の変や戊辰戦争の当事者であり、誰もがよく知る「仇敵同士」である。「賊軍」の汚名を着せられ、町を破壊された会津の遺恨はいまだ残る。ところが、意外にも会津松平家は当初、長州毛利家を政治の模範としていた節があったという。これは一体、どういうことなのか?

会津と長州。言わずもがな禁門の変や戊辰戦争の当事者であり、誰もがよく知る「仇敵同士」である。「賊軍」の汚名を着せられ、町を破壊された会津の遺恨はいまだ残る。ところが、意外にも会津松平家は当初、長州毛利家を政治の模範としていた節があったという。これは一体、どういうことなのか?

幕末の「常識」を裏切る

 安政の大獄、桜田門外の変、禁門の変、薩長同盟、大政奉還、江戸城無血開城、戊辰戦争…。黒船来航を皮切りに、幕末は一つ選択を誤れば、日本国家が存亡の危機に追い込まれていた激動の時代であった。
 「明治150年」を迎えた2018年、維新三傑の一人、西郷隆盛の生涯を描いた大河ドラマ『西郷(せご)どん』の放映も手伝って「幕末熱」が再び高まっている。昨年、没後150年を迎えた風雲児、坂本龍馬直筆の書状が次々見つかったこともあり、迫り来る国難に立ち向かい、維新の動乱を駆け抜けた男たちへの再評価の動きも見られる。
 「近年、維新政治史の研究が飛躍的に進み、維新の『常識』を小気味よいほど裏切り続けている」。こう指摘するのは歴史研究家で、京都女子大非常勤講師の中村武生氏だ。iRONNAの歴史連載第3弾は、幕末政治史が専門で、新選組や当時の京都政界について詳しい中村氏を「案内人」に迎え、研究に基づいた新たな幕末像をお届けします。(iRONNA編集部)

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