LGBT特集『新潮45』休刊は度が過ぎる
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LGBT特集『新潮45』休刊は度が過ぎる

性的マイノリティ―(LGBT)に関する特集企画に批判が集まり、月刊誌『新潮45』の休刊が決まった。「編集上の無理が生じたことは否めない」。社長声明の文面からは出版界が抱えるホンネも垣間見える。35年以上の歴史を持つ老舗雑誌。休刊という最も重い判断は妥当だったのか。

性的マイノリティ―(LGBT)に関する特集企画に批判が集まり、月刊誌『新潮45』の休刊が決まった。「編集上の無理が生じたことは否めない」。社長声明の文面からは出版界が抱えるホンネも垣間見える。35年以上の歴史を持つ老舗雑誌。休刊という最も重い判断は妥当だったのか。

「罪の意識はありませんか?」

「編集長に責任は理不尽」

まずは騒動を検証せよ

「雑誌崩壊」は避けられない

ただの商売失敗が原因

「生きづらさ」を思い知る

 「生きづらさ」を思い知る出来事だった。性的マイノリティ―(LGBT等)を10月号で特集した月刊誌『新潮45』の休刊が決まった。その理由は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現を掲載した」ことだったが、最新号発売からわずか一週間で休刊に追い込まれたことは、やはり異常な事態であると言わざるを得ない。
 新潮社の対応について、既に各方面からさまざまな意見が飛び交う。本テーマでも5人の執筆者がそれぞれの立場で持論を展開しているが、個人的には「度が過ぎた」対応だったと思う。新潮社側の説明にあった通り、「部数低迷」や「編集上の無理」などの事情が重なり、経営上の観点から下した決断だったのだろう。要するに、新潮社経営陣は、編集者魂や論壇誌の矜持より「売れない雑誌」を切ることを選んだのである。ただ、リベラル界隈からは、オピニオン路線を前面に出した、ここ数年来の「過激化」を問題視する意見が上がった。しかも、最後まで「ヘイト本」「差別雑誌」などとお決まりのレッテルを張り、批判の手を緩めることはなかった。この一連の流れもまた「事実上の廃刊」という重い判断の後押しになったことは言うまでもない。
『新潮45』10月号表紙(浅野直哉撮影)
『新潮45』10月号表紙(浅野直哉撮影)
 老舗雑誌休刊の発表後、朝日新聞は「『弱者の主張が嫌』 新潮45の過激化支えた時代の空気」という見出し記事を掲載し、同誌LGBT特集の社会的背景を「編集長に歴史観がなく、ときの権力や売り上げに流された結果だ」などと指摘した。大事件が起これば、何でもかんでも「時代のせい」にするのは大メディアの常だが、「炎上商法」で雑誌が部数を伸ばそうとするのは何も今に始まったことではない。いささか短絡的すぎやしないか。
 思い出してほしい。かくいう朝日新聞系列の『週刊朝日』も、2012年にノンフィクション作家、佐野眞一氏の連載「ハシシタ 奴の本性」で大炎上した。当時、大阪市長だった橋下徹氏の出自に関する記事だったが、被差別部落というナーバスな問題への偏見や差別を助長する確信犯的な内容に批判が集まった。このとき朝日新聞出版の社長は引責辞任し、編集長も更迭されたが、結局休刊まで追い込まれることはなかった。「罪深さ」という意味では、『週刊朝日』も『新潮45』もさほど変わらないはずなのに、である。
 いずれにせよ、『新潮45』が休刊したことで言論界のみならず、編集の現場も必ず「萎縮」する。それは新潮社だけの話ではない。わがiRONNAも含めた多くのメディアが今後、この問題を取り上げる際に躊躇するのは目に見えている。性的マイノリティ―への理解を深め、多様性という視点を大切にしたいのであれば、編集の萎縮は大きな損失である。もっと言えば、「火中の栗」を拾えなくなった編集者など、もはや自殺したに等しい。
 いや、それだけではない。性的マイノリティ―の側に立てば、彼らが今後さらに「腫れ物」のように扱われやしないか一抹の不安もある。わが編集部でLGBT問題の取材を続ける部員によれば、性的マイノリティ―と呼ばれる人の多くは「自分たちのことをそっとしておいてほしい」と思っているのだという。だとすれば、一連の騒動が彼らをより「生きづらく」してしまう可能性はもはや否定できまい。それこそ、本当の意味での「不幸の始まり」である。(iRONNA編集長、白岩賢太)

花田紀凱は何を思う

誤解が独り歩き

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