道徳教育とはなんぞや
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道徳教育とはなんぞや

柴山昌彦文科相が戦前の教育勅語について「現代風にアレンジして道徳などに使える」などと発言し、物議を醸した。今春から小学校で必修化され、戦後初めて「教科」となった道徳。「価値観の押し付け」「愛国教育の始まり」などと批判的な意見も根強いが、そもそも道徳教育とは何なのか。

柴山昌彦文科相が戦前の教育勅語について「現代風にアレンジして道徳などに使える」などと発言し、物議を醸した。今春から小学校で必修化され、戦後初めて「教科」となった道徳。「価値観の押し付け」「愛国教育の始まり」などと批判的な意見も根強いが、そもそも道徳教育とは何なのか。

「権力には従順であれ」

「戦後70年」の課題

一層の「闇」をなくそう

まずは首相が範を示せ

変化の時代こそ「温故知新」

 道徳の教科化は常に話題にはなってきたが、政治的な左右の対立もあって正面から取り上げられることがなく、中途半端な対応に終始してきたように思える。その意味では「特別の教科」としたことは特筆に値するといえる。しかし、「価値観の押し付けだ」とか「教科化で窮屈になった」という記事が散見される。中には3・4年生の指導要領にある「父母、祖父母を敬愛し、家族みんなで協力し合って楽しい家庭をつくる」という内容に対し、「ひとり親家庭の増加など、子供たちの家庭環境は多様化している」として疑問を投げかける記事も見られる。また6年間で22項目の徳目を教えることに対して戸惑う意見もあるという。
 最近、ある中学校に「出前授業」に行ったときに、たまたま生徒たちのインターンシップの結果報告を聞かせてもらう機会があった。報告では、生徒たちが最も勉強になり、印象に残ったものは「礼儀作法」であった。中学生たちが、社会見学の結果として「礼儀作法の重要性」を認識してくれたことは喜ばしいことだと思う半面、こうした誰もが認める徳目を中学生になるまで、家庭でも、地域でも、学校でも教えられる機会がなかったのか、との疑問が浮かんできた。
就任会見で「教育勅語」について言及した柴山昌彦文科相=2日午後、首相官邸(佐藤徳昭撮影)
就任会見で「教育勅語」について言及した柴山昌彦文科相=2018年10月、首相官邸(佐藤徳昭撮影)
 江戸時代、会津藩の教育の特徴は6歳から9歳の子供たちに「什(じゅう)の掟(おきて)」の中で「年長者の言うことに背いてはなりませぬ」「弱い者をいじめてはなりませぬ」などと教えていた。庶民の寺子屋でも、最初に「礼なきものは学におよばず」(湯山文右衛門)と告げられていた。22項目の徳目を「グループ討論」で議論することに異議はないが、中学生の誰もが社会見学をして初めて気がつくような基本的な徳目は、幼いうちから、ある程度有無を言わせず教え込む必要があるのではないか。
 いじめの問題についても藩校や寺子屋で教えた基本の徳目を身につけることによってある程度は防げると思う。思想家、内村鑑三は外国人向けに英語で書かれた『代表的日本人』の5人の中の1人として「近江聖人」と称せられる江戸時代の学者、中江藤樹の教えを取り上げ、こう記している。
 《わが国でも模倣しているような学校教育とは、まったくちがったものである。まず第一に、私どもは、学校を知的修練の売り場とは決して考えなかった。修練を積めば生活費を稼げるようになるとの目的で、学校に行かされたのではなく、真の人間になるためだった。さらに私どもは、同時に多くの異なる科目を教えられることはなかった。私どもの頭脳が二葉しかないことには変わりなく、沢山はないのである。昔の教師は、わずかな年月に全知識を詰め込んではならないと考えていたのである。これが私どもの昔の教育制度の特徴の一つだった》
 中江藤樹の「村の先生」としての業績を紹介しているが、これは実に賢明な教育観だと思う。現代のように国際化が進み、社会が急激に変化して複雑になればなるほど、「古きを温めて新しきを知る」必要があると思えてならない。(「解答乱麻」日本漢字能力検定協会代表理事会長、高坂節三 産経ニュース 2017.05.03)

「教育勅語」に言及

やる気より大事な使い方

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